2026年5月1日金曜日

第267号

 次回更新 5/15




■新現代評論研究

【連載】攝津幸彦記念賞応募作品(全国学生俳句会合宿2025評論)6 》読む

新現代評論研究(第24回)各論:後藤よしみ、村山恭子、佐藤りえ 》読む

【短期連載】未来俳句は「未来」になる得るか?  山本幸生 》読む

新現代評論研究:『天狼』つれづれ 第9回:「実作者の言葉」…「蘇山人」の読みについて/米田恵子 》読む

現代評論研究:第24回各論―テーマ:「魚」を読む・その他― 藤田踏青、北村虻曳、飯田冬眞、岡村知昭、しなだしん、筑紫磐井、北川美美、深谷義紀 》読む

現代評論研究:第22回総論・「遷子を通して戦後俳句史を読む」座談会 》読む

【特別稿】口語俳句の可能性・余滴  筑紫磐井 》読む

新現代評論研究:音楽的俳句論 図像編 川崎果連 》読む

新現代評論研究:音楽的俳句論 解説編(第1回)川崎果連 》読む


■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和七年夏興帖
第一(10/10)杉山久子・辻村麻乃
第二(10/24)仙田洋子・豊里友行・山本敏倖・水岩瞳
第三(10/31)仲寒蟬・ふけとしこ・浅沼 璞
第四(11/21)岸本尚毅・小野裕三・瀬戸優理子
第五(12/12)冨岡和秀・堀本吟・木村オサム
第六(12/26)神谷波・川崎果連・加藤知子・曾根毅・松下カロ
第七(1/9)渡邉美保・小林かんな・田中葉月
第八(1/16)眞矢ひろみ・小沢麻結・花尻万博・林雅樹
第九(1/30)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子

令和七年秋興帖
第一(10/31)杉山久子・辻村麻乃・仙田洋子
第二(11/21)豊里友行・山本敏倖・仲寒蟬
第三(12/12)ふけとしこ・岸本尚毅・瀬戸優理子
第四(12/26)冨岡和秀・堀本吟・木村オサム
第五(1/9)神谷波・川崎果連・曾根毅
第六(1/16)渡邉美保・小林かんな・田中葉月・小野裕三
第七(1/30)眞矢ひろみ・小沢麻結・花尻万博・林雅樹
第八(2/13)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

 俳句新空間第21号 発行※NEW!

■連載

【豊里友行句集『赤ん坊オーケストラ』を読みたい】1 豊里友行句集『赤ん坊オーケストラ』 杉山久子 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(69) ふけとしこ 》読む

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり49 後藤貴子『飯蛸の眼球』 》読む

英国Haiku便り[in Japan](61) 小野裕三 》読む

【新連載】俳壇観測279 ユネスコ登録の進め方4 有馬氏とマーティン氏の論点[1](誰も言っていないこと)  筑紫磐井 》読む

【新連載】名俳句鑑賞へのラブレター『岡田史乃の百句』(辻村麻乃) 豊里友行 》読む

【豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい】
 インデックス
9 「希望」のバトン  宮崎斗士 》読む

【新連載】口語俳句の可能性について・6 金光 舞  》読む

【加藤知子句集『情死一擲』を読みたい】④ 破局有情――加藤知子句集『情死一擲』について 関悦史 》読む

句集歌集逍遙 董振華『語りたい龍太 伝えたい龍太—20人の証言』/佐藤りえ 》読む

現代俳句協会評論教室・フォローアップ研究会 7 筑紫磐井 》読む

【連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句

 7.梅若忌 筑紫磐井 》読む

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】③ 豊里友行句集『母よ』より 小松風写 選句 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む

インデックス

およそ日刊俳句新空間 》読む

5月の執筆者(渡邉美保)…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々 …



■Recent entries

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス

葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子

【鑑賞】豊里友行句集『赤ん坊オーケストラ』を読みたい 1 豊里友行句集『赤ん坊オーケストラ』:杉山久子

  写真、俳句という二つの表現方法によって沖縄の過去、現在、未来を問い続ける作者。

 今回の句集では赤ん坊という人の出発点とも言える存在を前面に、命に向き合う姿勢が更に強固になっていく感覚がある。


天体が弾む赤ん坊オーケストラ

 「友人の赤ん坊の感触は、やわらかな血潮がこの世界と繋がり合って生きていけるような希望に満ちた感覚を覚えた。」と、あとがきにあるが、自身の体を通してダイレクトに感じた今生きている血の躍動が、赤ん坊とそれをとりまく世界全体の躍動と共振共鳴していくように思える。

 小さな命を包む大きな命をまた小さな命が包んで…。


 「琉球弧の波紋」という章では、そんな作者の正月の日常風景(日常の中の正月風景とも言えるか)を垣間見ることができる。

 ドミノ倒しの埴輪ういるす籠り

 一気に折り重なる埴輪の様態は、次々に罹患してゆく人間たちなのだろうか。緊張感と脱力感に滑稽味もある。

 

 こんな日は写真事務所の海鼠なり

 思うように取材には出られず籠っている身を自嘲気味に詠んだものか。


 これからも独自の表現方法をもって真摯に命という大きなテーマに向き合っていかれるであろう豊里さんには、たまには事務所で海鼠になる「こんな日」を適度に入れていただきたいとも思うのだった。


【新連載】新現代評論研究(第24回)各論:後藤よしみ、村山恭子、佐藤りえ

 ★ー3 高柳重信の新俳句詩法――「垂直の力学」として読み解く 2  後藤よしみ

 3 沈降の力学 ――空白と改行はなぜ必要なのか


①多行形式という構造

 重信の俳句は、一行で書かれることが少ない。複数の行に分けて書かれる「多行形式」を取ることが多い。

 これは見た目の問題ではない。意味の流れを断ち切るための、構造的な装置である。

 ふつうの文章は、左から右へ、上から下へと連続して意味を伝える。しかし重信の句では、改行によってその連続が分断される。


②空白が意味を生む

 改行によって生じる空白は、ただの余白ではない。

 それは、倒語を成り立たせるための「沈黙の空間」である。言葉が直接には語らない部分において、読者の意識が動き始める。

 行間は断層の裂け目である。読者の予想を許さず、次に何が来るかわからない緊張が生まれる。改行は言葉を次の行、すなわち「より深い地層」へと叩きつける重力として作用する。


③垂直の運動

 通常、文章を読む行為は水平の運動である。左から右へ、前から後ろへと進む。

 しかし、重信の多行形式では、読む行為が垂直の運動になる。行から行へと落ちていくことで、読者は言葉とともに深層へと沈降していく。

 意味は一方向に流れるのではなく、断続的に現れ、消え、また現れる。読者はそのたびに立ち止まり、空白のなかで関係を再構成することを求められる。

 この「落下しながら読む」という体験こそが、重信の多行形式が生み出す固有の効果である。フランスの象徴主義の詩人マラルメが詩の中で空白を活用したように、重信も空白を「意味が生まれる場」として積極的に使っている。


 4 深層の噴出 ――言葉の底から何が浮かび上がるか


①言霊とは何か

 以上の三つの原理——語彙の衝突、倒語による宙吊り、空白による沈降——を経て、言葉は最終的にその深層に到達する。そこで現れるのが、御杖のいう「言霊(ことだま)」に相当するものである。

 言霊とは、辞書に載っている意味ではない。言葉が持つ響きや連想、歴史的な記憶を含んだ、総体的な意味である。

 たとえば「桜」という言葉には、辞書的な意味(バラ科の落葉樹)以上のものが含まれている。日本人が桜という言葉を聞いたとき、入学式の記憶、散り際の美しさへの感傷、あるいは特攻隊の象徴としての歴史といった、様々な層が一斉に響く。これが言霊の働きである。


②深層の解放

 重信の句では、語の衝突と倒語的操作によって、表層の意味が剥ぎ取られる。

 近代国家のイデオロギーや、日常的に意味が流れる表層によって覆われていた「日本語の根源的な響き」が、衝突と反転によって解放される。理性の覆いが剥がされたとき、言葉は裸の物質となり、沈黙の底から古層の声を響かせる。

 このとき意味は、明確に説明されるものではなく、読者の内側に生起する感覚として現れる。「これはこういう意味だ」と言葉にできるものではなく、読んだときに体の内側で何かが動く、あの感覚である。


③言霊の現代的な実践

 重信のこの試みは、単なる文学的な遊びではない。言葉が本来持っている「言外の意味」を極限まで研ぎ澄ませた、高度な実践である。

 私たちが日常的に使う言葉は、便利に意味を伝えるために、その背後にある豊かな層が削ぎ落とされている。重信は、その削ぎ落とされた部分を取り戻そうとした。俳句という最小の形式を使って、言葉の深層に眠る響きを呼び起こそうとしたのである。

(つづく)


★―7:藤木清子を読む14/村山 恭子

14 昭和12年 ①


学童の色彩(いろ)なだれ落つ朝の坂   旗艦27号・3月

 坂を元気よく駆け下りてくる学童児。その勢いに圧倒されながらも、色ではなく「色彩」を使用して、好ましく感じている様子が伺えます。色とりどりの子供達は生命の輝きであり、朝の坂をなだれ落ちて来る姿は躍動感にあふれ、煌めきに満ちています。

季語=無季


坂のぼる外国人(がいこくびと)に山秀づ   同上

 外国人が坂を登って来ます。その山は姿も情景も素晴らしく、自然に恵まれています。

また地元の人々にとっても自慢の山。訪問客にも誇りたくなる魅力にあふれています。

季語=無季


船白く春潮蒼く愁ひなき     旗艦29号・5月

 春の海を進み行く船。蒼い海と白い船の様子は美しく、航海への心配もなく、悠々と進んでいるようです。

季語=春潮(春)


春潮はかゞやきボーイ端麗に      同上

 船のレストランの情景。春の潮は輝き、もてなしをしているボーイは姿勢よく顔立ちも整っています。ボーイの白いシャツと蝶ネクタイも見えてきます。

季語=春潮(春)


■「四月旗艦神戸句会」に出席

昭和十二年四月九日(金)午後六時半

三菱倶楽部  市電山手八丁目電停約一丁下る

作品(兼題)「花のある風景」七句

会費   二十銭

〈花の風つよければ海藍青に   清子〉を出句

主な出席者・神生彩史・棟上碧想子・指宿沙丘ら

■「京大俳句」5月より「三角点」選者にそれまでの平畑静塔のほかに井上白文地、西東三鬼が加わる。



★―5:清水径子を読む14/佐藤りえ

 ふと水のやうな炎天もの書けば 「昼月」昭和四十一年

引き続き『鶸』より。「水のやうな炎天」、汗まみれの、容赦ない暑苦しさ。じりじりと熱い陽射しの空が水で満ちみちている、すなわちただ暑いというのも通り越し、もう辛抱たまらない暑さだ、という感じが逆説的な「水のような」から喚起される。集中してものを書いていた、その集中が途切れたほんのときのま、「ふと」我に返っている。

ものを書くことそのものを句材としながら、よりメタ的な視座からこの句は書かれているように思う。導入部の「ふと」がひといき入れる呼吸のごとく、暑苦しさを回避させている。

メタ的言及のある句といえば「待遠しき俳句は我や四季の国/三橋敏雄」「短夜を書きつづけ今どこにいる/鈴木六林男」などを想起するが、これらの句はどちらかといえば造型論的に「書く私」をフレーミングしている。径子の句では他に「雪の原ペンと原稿用紙の間」(『鶸』)などもある。こうして並べてみると、径子の方は「書く私」というより、書くことが私ともども叙景化している、といったほうがよさそうだ。

  *

径子の作はどのように読まれてきたか。最初に清水径子論を書いたのは小宮山遠であった。昭和29年の「氷海」4月号に「清水径子小論」がある。「氷海」創刊から5年目のこの頃、小宮山の評するところは「抒情でありながら知性、知性でありながら抒情」というものだった。〈感情の奴隷として従属する事を潔しとしな〉い径子の作に「抵抗」を認め、気まじめであると指摘しつつ「手枕寒し百の句集に見おろさる」を引き、

ぼくが径子の今後に期待するのは、勿論激しい抵抗の精神ではあるが、亦、このやうな、抵抗の間にある、さゝやかな愛の世界である。

と締めくくった。

「氷海」昭和36年4月号では三浦ふみ、長岐靖朗、中原晁、桜井柳城の四名が「清水径子作品合評」を行っているが、ここでは主に鑑賞、また句意の難易が語られるのみとなっている。

「氷海」昭和40年3月号には尾形不二子が「氷海女流作家の横顔(一)」を書いている。尾形は後の「虹の会」メンバーのひとり。紹介を兼ねた作家論だが、その評言は「女性特有の哀愁に蔽われた詩性」「深みのある知性と烈烈とした意欲」など、印象論の域にあり、男性側の言辞を内面化した色合いが濃い。

径子さんはよく「私なんか女のうちに入らない」なんて冗談をとばしますが、どうしてどうして女の中の女であることがどの句にも痛いまでに詠みこまれています。結婚して子を生み、育て、終始良人に仕えるだけが女の道の総てではないはずです。彼女はそれとはまた違つた道を歩む女性の哀歓と闘志、倦怠と執念、そういつたカオスが一本の槍のように鋭く径子俳句を貫いているのを私はまざまざと見るのです。

(尾形不二子「氷海女流作家の横顔(一)」)

「女の中の女」が慣用句「男の中の男」の裏返しにすぎないこと自体にも意識的ではない、と思われるが、「女であること」を詠み込むことがよい、という価値観で話が進められているのには困ってしまう。この文章では次章に中尾寿美子を評して「夫や愛児のことはいっさい詠まないが、それでも家庭が円満であることは作品の向こうに透ける」と誉めたたえる。女性=家庭なる軛は、かくまで強固なものであった。

もちろん、執筆者本人は大真面目に、一所懸命に誉めているのだと思うが、作品評というより人物評になってしまっている点は否めない。ただ一点、径子の特徴を捉えた箇所がある。

よそから影響を受けて変わつたというところが彼女には見られません。(同前)

径子本人が『鶸』のあとがきで不死男からの教えについて、「いわば放任の形で私を俳句の場に置きました」としている通り、不死男が径子の作品に積極的に添削や指導を加えた形跡はほとんど見られない。径子の文体は、誓子や三鬼ら現代性の強い文体を採り入れつつ、そのはじめから、芯の硬い鉛筆でデッサンをほどこしたようなものだった。径子の初期文体の硬質さは「氷海」においても際立っている。五千石、狩行らが情緒ある作品を携え、どんどん新風を吹きこんだ後も、径子の文体にその影響は伺えない。機序的にいえば最小限の助詞がよく整理して使用され、初句、結句の字余りを辞さない作り、ただし韻律は心得られていて、余剰の文字も文節に数えられるようになっている。散文的な作りをしているわけではない。花鳥諷詠らしき詠みぶりはなく、風雨、月光といった題材も、つねに人間との関わり合いのなかに置かれている。

  *

昭和45年の「俳句研究」3月号は女流俳人特集と題し、五十の結社から推薦された五十名の作品が並んだ。「氷海」からは径子が推され「一肢」15句が掲載された。5月号に特集の寸評が載っている。


 一肢  清水径子

秋天のいよいよ高し鍋に穴
口中に鶫の一肢ひびくなり
初時雨かとわが素足問ふ応ふ
甘きもの喉元すぎてまだ夜長
抱くや秋薔薇の切先いざよへる
散弾や露むらさきにひびきけり
ふりかへるときこそが終(つひ)谿紅葉
心にもある北側の薄紅葉
落涙や寒卵産むための鶏
水際に杭打たれ秋すぐに夜へ
天の原ありまつくらに霜降らし
売るべきか冬火の気なき一書抜き
晩学や夜のやさしき霧知らず
いぶかれる吾に向く朝鶸の声
土くれを見てをり霜の家出来て


〈秋天のいよいよ高し鍋に穴〉は、この痛烈にひびく俳諧に快哉を叫んだ。しかし、こういう一種の名人芸も、やがてすたれるかも知れないとも思った。〈口中に鶫の一肢ひびくなり〉の方が、芸はないが、感動が直接的である。
田川飛旅子「女流俳人特集寸評」(「俳句研究」昭和45年5月号)


いずれの句もうまさを感じさせられる。俳句は芸の要素が濃いが、清水さんは、そのことをよく弁えて居られると思う。句にりんりんとしたひびきがある。

 散弾や露むらさきにひびきけり
 水際に杭打たれ秋すぐに夜へ
桂信子「「女流俳人特集」読後」(「俳句研究」昭和45年5月号)


寸評の執筆者にはもうひとり金子兜太がいるが、その文章「女流の序」はさきの二人とは違い、女流を取り巻く苦境ともいうべき状況を述べることに多くを費やしている。この前年、昭和44年の俳句研究年鑑の座談会で高柳重信が「女性結局不毛論」を唱え、藤田湘子の言では「家庭電化の恩恵で」俳句に入ってくる女性たちは言葉というものを自己の表現のために使った経験がほとんどなく、期待が持てない、といったやりとりがあった。これらの無自覚さを孕んだ、あくまで男性中心ともいうべき論調に異を唱えたい金子兜太の論旨としては、女流の評論家が欲しいこと、彼女たち自身で彼女たち自身の作品の魅力を発見、顕彰してほしいこと、女性は発憤しなければなるまい、と、つまり女流の活況というものがあるとして、それは未だ「序」の段階だ、としている。その中でもかろうじて「意思的な強い作風を示した女流」として後半に幾人かの名前が挙げられ、径子の一句「天の原ありまつくらに霜降らし」も連なっている。

作品の巧緻だけでなく、評価、受容する基準自体があいまいなまま、女流が大挙して育つ中に径子の姿もあった。


【連載】攝津幸彦記念賞応募作品(全国学生俳句会合宿2025評論)6「虚構の奥に立ち上がるもの―寺山修司、黒岩徳将の句におけるリアリティとは」 冨嶋桂晃

 はじめに

 好きな俳人をきかれて寺山修司の名前を挙げるとき、いまでも一抹の恥ずかしさがともなう。寺山は劇作家として有名だが、彼が短歌を詠んだことを知っている人は多くても、俳句はそれほど広くは知られていない。少なくとも、仮にも俳句を書いていますと名乗った後に好きな俳人として名を挙げるには、寺山は傍流の作家でありすぎる。

 かといって、黒岩徳将と答えるのも相当に恥ずかしい。もちろん黒岩は、若手のメインストリームといってよい俳人だが、中高を過ごした洛南俳句創作部のコーチであり、私に俳句について最も多くのことを教えてくれた人であるだけに、俳人として彼に言及するとき、どうしても気恥ずかしさ、身内びいきのようなくすぐったさがぬぐい切れない。

 それゆえ、私が彼ら二人を並べて批評しようなどということは、無意味、あるいは不適切とのそしりを免れないだろう。前者についてはごく個人的な好みでありすぎ、後者についてはあまりにも作品を離れた現実の「黒岩さん」を知りすぎている。だから、厳密にいえばこの文章は批評ではない。私は、彼らを自分から切り離し、対象化し、理知的に語るだけの語彙を持ち合わせていない。この文章は、私の信仰告白のようなものである。

 本論では、彼らの句の共通の特徴として、虚構(劇的「私」性、物語やドラマ)の奥に、その破綻としての迫真性(自意識、身体感覚)が立ち上がる、ということを述べる。このことの論証は、一般に言われるリアリティというものよりはもう少し曲折した議論を要する。虚実が対立するのではなく、虚が実を孕んで命を与えられると言い換えてもいい。


寺山修司の句について

 寺山の俳句をいくつか挙げ、簡単な口語訳をつける。各句にはのちの便利のために番号を付しておく。また、句の収集は清水哲男「増殖する俳句歳時記」から行った。


目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹  (1)


 目をつぶっていてもなお、私を圧倒し支配する、五月の空を舞う鷹よ。


かくれんぼ三つかぞえて冬となる   (2)


 かくれんぼをしている。三つかぞえると、もう真後ろに冬が来た気配が分かる。


葱坊主どこをふり向きても故郷    (3)


 葱の花が咲いている。どちらを振り返ってみても、ここは私の故郷である。


胸痛きまで鉄棒に凭り鰯雲      (4)


 胸が痛い。それほどまでに鉄棒にもたれかかる。空には鰯雲が広がっている。

 (1)(2)に共通するのは、作者の構成力の高さである。(1)は、五月の若々しいイメージのある空を舞う純粋に端麗で勇壮な鷹に、自分自身が完全に虜にされている様子を詠む。自他の構図がはっきりしている句であるが、鷹に統べられることで、「吾」自身も鷹と一体となるようなイメージがわき上がる。一句全体がそのまま空を舞う鷹のような美麗な姿をたたえている。(2)は、子供の遊びの中に季節感を巧みに織り込んでいる。かくれんぼでは鬼が十まで数えるのが普通だろうが、そのうちの三つを数えたときに、にわかに「冬となった」と感じたというのである。この手品のような詠みぶりは舞台でいえば暗転のようなもので、相当によく練られた俳句の「舞台構成」がこの句を貫いている。

 対して、(3)では、句全体は先の二句ほど完全な舞台設定で統一されていない。もちろん故郷への親しみ、懐かしさ、(帰郷の場面を詠んだものと考えれば安堵感だろうか)が一句の主題であろうが、上五の季語「葱坊主」には、坊主という語感やいびつに丸いそのかたちも相まって、どことなく親しみ、あるいは格好悪さや非洗練のような印象が伴う。(1)(2)のように一句全体を貫く主題を設定して、「近代的な望郷の感慨」を表そうとするならば、この句にはもう少し洗練された、いわば都会的なイメージをもつ季語をあてがうこともできただろう。

 同様に(4)の句も、構成力以外の要素を含んだ句である。鉄棒と鰯雲の二つを主軸に構成力だけで仕上げることも寺山にはできただろうが、句中には「胸痛きまで」というどこか粗削りな身体感覚の表現、「鉄棒に凭り(よれり)」という中七字余り(もっとも敬遠される字余りの種類であることは周知の通り)など、言ってしまえば「ノイズ」が多い。「鉄棒(に象徴される青春性)と鰯雲(爽快さ、天空の雲の聖性)」を主題と考えるなら、前半は無駄になってしまう。

 それでも、(3)(4)句は決して駄句ではない。(3)では、「葱坊主」の持つ田舎らしさが、句の主人公にどこかくたびれた印象を与え、(4)では、消えようのない胸の痛みが過剰に描かれることで、主人公の若い身体性が鮮明な記憶として読者に残る。これらは、構成の観点からすれば明らかにノイズではあるが、それでも明確に両句の最大の魅力である。望郷の思いは格好悪さの中にこそ輝き、若者のエネルギーと憧れを担うのは他でもなく彼の胸なのである。


黒岩徳将の句について

 黒岩の俳句を挙げる。例によって簡単な口語訳と番号を付ける。なお、句はすべて、昨年港の人出版社から刊行された第一句集『渦』からとった。興味のある方はぜひ手に取ってみていただきたい。


肩とんと叩き焚火の番替はる    (1)


 キャンプでの出来事だろうか。焚火の番をしている友人の肩をとんと叩いて、番を替わってやる。


ドアノブを夜食の盆で押して入る  (2)


 全員分の夜食をのせた盆でドアノブを押して、扉をあけて友人たちの待つ部屋に入る。


永き日の化石に屈む膝の張り    (3)


 春の日永に、掘り出した化石を見ようと屈むと、膝が張り詰めたように感じる。


藤棚を過ぐる一人は潜らずに    (4)


 友人たちと藤棚を通り過ぎたとき、みんなまるで花の下を潜るように身をかがめた。ところが、一人だけは、かがまずにそのまま通り抜けた。

 週刊俳句の「俳句の中で『自由』」で上田信治は、「私見だけれど、俳句に物語を接続することが、黒岩さんの所属する『街』と今井聖主宰の方法だと思っていて、この句集の主軸もそこにあるように見える。」と、黒岩句の物語性を指摘する。実際、「焚火の番」「夜食の盆」「化石に屈む」「一人は」という言葉は、それぞれの場面を(説明的になることなく)喚起し、そこに物語を感じさせる。例えば(2)では、夜食の盆といったことで複数人の存在がしめされ、部屋に夜食を運ぶ行為から友人たちと泊まりがけで遊んでいるというストーリーが読者にもありありとわかる。

 もちろん物語性は、寺山の構成力と同様に黒岩の主たる持ち味の一つである。しかし、黒岩句は単なるドラマ俳句とは一線を画す。『渦』あとがきで黒岩は、「とにかく体温が感じられるものを書きたい」と、句中にほかならぬ自分自身を投影することに意欲を見せる。そしてその投影の方法こそが、「身体性」なのである。例えば(1)では、「肩とんと」という過剰なまでの身体性の表現が、(2)では「盆で押して」という具体的行為とそこから想起される反動の感覚が、(3)では「膝の張り」の身体性が、(4)では藤棚に「潜る」という比喩とそこから喚起される花の触感のイメージが、それぞれこれらの物語にとってなくてはならない部分をなしている。

 さきの寺山句の分析にならえば、黒岩句の主眼を「物語」と考えたとき、「身体感覚」はノイズである。しかしながら、黒岩句における身体性の表現は、物語と分かちがたく結びついている。例えば、(1)においてK音とT音のリズムよい繰り返しは句に独特のなじみの良さをあたえる。(4)において前述の花の触感は小旅行の楽しさと相まって一句全体に多幸感をもたらす。このように身体性表現は黒岩句において、単に物語にリアリティをあたえるだけでなく、物語と相互作用する句の中心的な魅力として存在するのである。


結論

 本論では、寺山と黒岩の句について分析を行い、それらが共通して、句を貫く魅力(寺山では構成力、黒岩では物語)とは別に、一見ノイズにのようだが実際には句の魅力である特質(寺山では構図の乱れ、黒岩では句に挿入される身体感覚表現)があると結論付けた。そしてそれらが単に句の付加的な魅力というだけではなく、特に寺山の(4)でみたように句の主題を根底から支え、黒岩の(4)でみたように句の本質的魅力と絡み合うものだということも述べた。

 劇的な構成も、物語もともに虚構であることには間違いないが、それらが作家の持つノイズと絡みつき、溶け合い、混じりあうことで、虚構に、単にリアリティがある(現実にありそうな虚構である)という以上の「命」とでもいうべき迫真性や強みが宿るのである。


参考文献

上田信治.俳句の中で「自由」.週刊俳句 Haiku Weekly 2025-06-15.

https://weekly-haiku.blogspot.com/2025/06/blog-post_15.html (閲覧日:2025年7月29日)

黒岩徳将.『渦』.港の人.2024,185p.

清水哲男.増殖する俳句歳時記 寺山修司の句.

https://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?ids=19960716,19960903,19961107,19970510,19970619,19971002,19980528,19990523,19990911,20000304,20010504,20030310,20030501,20050301,20060917,20070502,20070622,20080127,20080404,20090701,20091204,20100704,20111109,20120222,20130512,20150621,20151021,20160527&tit=%8E%9B%8ER%8FC%8Ei&tit2=%8E%9B%8ER%8FC%8Ei%82%CC


【大学俳句会アンケート回答】➀俳句とは何なのか➁俳句で何をしたいか➂俳句に関して何を書きたいか、

冨嶋桂晃:➀今のところ僕にとって一番大事な表現方法です。➁俳句は続けるか=続けるかどうかはわかりません。➂俳句における感覚表現について。


【筑紫磐井感想】

 永遠の青年俳人であった寺山を現代の若い世代作家と比較するのは興味深い。ただし、寺山修司の青春性は最近の調査により一種の疑似青春と考えられており、この点の突っ込んだ比較が望ましい。

   *

 冨嶋は寺山修司を論実に当たって、清水哲夫『増殖する俳句歳時記』から例句を掲げている。


目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹  (1)

かくれんぼ三つかぞえて冬となる   (2)

葱坊主どこをふり向きても故郷    (3)

胸痛きまで鉄棒に凭り鰯雲      (4)


 これらの句の出典を見るために寺山が出した句集を眺めてみよう。


➀作品集『われに5月を』32年5月刊行[22歳]

➁句集『わが金枝篇』48年[38歳]

➂句集『花粉航海』50年[40歳]

④「我が高校時代の犯罪」55年[45歳]


 これらは寺山自ら中学、高校時代とそれに続く青春時代の作品と語っている。裏返せば、中年以降の寺山の俳句はほとんどないことになる。だから我々は多くの作品を青春時代の俳句として語っている。冨嶋もそうした前提で語っている。

 さて昭和58年[48歳]に亡くなった寺山の全俳句作品は寺山修司青春作品集別館➀『寺山修司俳句全集』(新書館 昭和61年刊)にまとめられている。これは俳人・評論家・出版社編集人である宗田安正が中心となってまとめた力作で、公表された全俳句俳句を収録しているが、貴重なのはその全句に初出を始めすべての掲載の出典が下段注記されていることだ。『われに5月を』は比較的はっきりと初出が確認できるが、以後、もはや青春とは言えない時期の3句集、特に『花粉航海』や「我が高校時代の犯罪」に初出を確認できない作品が増えてゆくことが分かる。宗田は「寺山修司句集の構造――なぜ〈青春俳句〉でなくてはならなかったのか」(「俳句空間」no.6/63年9月)でこれらのほとんどが後年の作であったろうと推測している。「寺山の俳句作品、少なくとも彼が後世に残そうとした句集は、単に〈青春俳句〉〈作者が青春時代に作った作品〉と割りきってすませるわけにはいかなくなる。」と述べている。つまり寺山修司の俳句には、寺山の基層をなすものとして15歳から19歳にかけて作られた作品があり、それとは別に題材は青春であっても青春俳句とは言いにくい屈折と情念化が進んだ中年の作品群があった、と推測している。そして寺山は、後年このような異質な新作を青春時代の作品に編入して、いわゆる〈青春俳句〉を作っていたと述べるのである。

 そこで、冨嶋が取り上げた句の出典句集・雑誌名を眺めてみる。


目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹(1)『われに5月を』(「暖鳥」29年6月)

かくれんぼ三つかぞえて冬となる (2)『花粉航海』及び「我が高校時代の犯罪」(出典不明)

葱坊主どこをふり向きても故郷  (3)『われに5月を』(「やまびこ俳句会」28年2月)

胸痛きまで鉄棒に凭り鰯雲    (4)『わが金枝篇』(「七曜」28年10月)


 冨嶋があげた句の中の「かくれんぼ三つかぞえて冬となる」は宗田があげた、混入した中年の句となる可能性が高い。この句が広く知られるようになるのは、『鑑賞現代俳句全集 第11巻』(飯田龍太 [ほか]編集立風書房56年刊)で歌人の高野公彦が取り上げた時期あたりからであろう。冨嶋はこの句を相当に良く練られた俳句としている。

 私は冨嶋のこの句の解釈を非難しているわけではない。率直に感想を述べて見ることはあらゆる評論の基本であるから非難されるいわれはない。ただ危惧されるのは「寺山修司の青春俳句」と一括してしまうことが、宗田の論を読んで以降、怖くてならないのである。寺山が15歳から19歳にかけて詠んだ「青春俳句」と、中年以降詠んだ「青春俳句」、両方を公約数とする第三の「青春俳句」、それを青春俳句と呼ばなくてはならないのだろうかということである。

 黒岩徳将の青春俳句の鑑賞に異議を唱えるつもりはない。しかし、黒岩の青春は寺山の3つの青春俳句のどれと同期(シンクロ)するのだろうか。冨嶋のいう物語性は(句集全体の構成からしても)寺山にこそふさわしいように思える。

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり49 『飯蛸の眼球』後藤貴子句集(2010年刊、風の花冠文庫)を再読する。

 飯蛸の眼球饐える地球かな

 饐(す)えるとは、飲食物が腐ってすっぱくなること。その飯蛸(いいだこ)の眼球が饐えるのと地球を結び付けたことに地球を消耗し尽そうとする人類への警鐘を鳴らす。全人類に告ぐ。日常の俎板から地球を救え。


音一つ逃げダリ展に巨眼あり

 何の音かは、此処では描かれていません。なんらかの大音響なのでしょうか。その音がひとつ逃げてダリ展に巨眼があるという。それは、シュルレアリスム絵画を代表する画家の一人・サルバドール・ダリの展覧会。そのダリ展に大きな眼球が浮いているようなシュルレアリスム絵画が俳句によって描かれているようだ。俳句1句が、絵画の世界を鑑賞者側に提示しているようだ。貴方ならどのようなこの句からどのような絵を創造できるでしょうか。


つる薔薇の櫂を四海の墓碑とせん

 つる薔薇の連なりは、舟を漕ぐ櫂のようにも見えてくる。

 四海とは、( 四方の海のうちの意から ) 国内。くにじゅう。また、世界。世の中。天下を指す。

 ここでは、国じゅうの墓碑としてつる薔薇の櫂を漕ぎ出す。

 新たな水平線の向こうへの航海の出帆へと俳句鑑賞者を誘(いざな)う。


蒼穹の水ももらさぬ子宮かな

白い魔女花野で何を産み落とす

少し欠け胎内を出るアキアカネ

春はあけぼの身に幾百の生理の日


 全体的に詩的飛翔と官能的な女性の「性」を自覚的に萌芽させている。

 水惑星である地球の蒼穹の水が体内を廻りめぐりながらそれらの水ももらさない子宮が銀河系に創出される。

 白い魔女が花野で何かを産み落とすという。その何かを想像を思い廻らしながらも地球の自転のような女性のわが身を解くように俳句の詩的空間を創出する。

 胎内を出るという生命の創出を少し欠けると捉えている。これは、母体として母と胎内の胎児が一体であることから生命の誕生を欠けると捉えた慧眼。

アキアカネとは、トンボ科アカネ属に分類されるトンボの一種で俗称でいうと赤とんぼのこと。

 そのアキアカネが一対を成す交わいのアキアカネの波をひとつ創出する。それは、欠けると捉えた生命のめぐりめぐる感じを私の中では、まるで蜻蛉の波が綾なす大海のように連想させる。

 女性の生理の日をこのように詠まれた俳句を私は、他の俳句で知らない。春はあけぼの。その季節の中に幾度もめぐりくる女性の性をしっかりと詠える時代が到来していることを再読で気づかされる。

 この句集は、観察眼による裏打ちされている。

 飯蛸の眼球は、地球の痛みに共振しながら女性の胎内の細胞の廻るめく地球の自転の眼のような新たな詩性の萌芽を宿す。


 共鳴句もいただきます。ありがとう。ありがとう。ありがとう。


晴れ着脱ぐ天に花粉をまきながら

汝と湖(うみ)の鎖骨はねじれの位置にある

表に月裏に毛の浮く水鏡

愛されて純物質がほとばしる

汝が抜ける積乱雲の浮き具合

真鍮の男根につくひかりごけ 

湯気の立つ血は血でくるむ空母かな

蛇の森かの日の愛ののがれゆく

ヒトという火種の憤怒試験管

切り株やイヴとアダムと欠け茶碗

航海術忘れつがいの水鳥よ

荒淫のごとく鳳仙花の爆ぜる

山に脈はあるか瀕死の鷹の群れ

さびしさよ鉄階舐めてのぼる鮭

わが子孫選ばん星の瓦礫より

AIDS死や玩具の電池熱すぎる

白芙蓉すでに晩年かもしれず

プラタナスそれぞれ涙器ひとつずつ

決して怒らぬダリアよ内出血せしか

仮想戦死して蝮草になりすます

抗わぬ姿勢の支那の甘藍よ

老い鮫のおもちゃはすべて陽に落とせ

花茣蓙(ござ)の鯖の寝ている心音よ

全部摘み全部捨てたるあやめぐさ

遊ぶため崩れ酒場の盛塩よ

花婿はナズナに憑かれすきとおる

こんにゃく村山ふところで割れた人  


【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(69)  ふけとしこ

   右へ

春昼や折れ線グラフ右へ右へ

足先で扉を止める花が散る

風船を捻る兎の耳になる

風船を連れて行きたい丘がある

海晴れて鰆のポワレ湯気立てて

・・・

 「秋の天文の季語で好きなのは何ですか」とのアンケートがあった。「霧」と答えた。するとそれを読んだ人から「へーえ。あなたが霧ねえ。人は見かけによらないねえ……」と言われた。

 昔「霧立ちのぼる秋の夕暮れ」百人一首のこの歌が好きだった。上の句がなかなか覚えられなくて「村雨の~」のところでさっさと取られてしまうのが悔しかった。

 「村雨の露もまだひぬまきの葉に霧立ちのぼる秋の夕暮れ 寂蓮法師」なのだが、何故あの頃この上の句を覚えられなかったのかよく分からないけれど。でも、今でも雨が上がりそうな頃に山肌を上ってゆく霧を見るのがとても好きだ。

 霧の中を歩くと睫毛に霧の粒がとまる。顔に霧の粒が弾ける。その霧の粒は私にぶつかって音を立てるようでもあった。あっという間に視界がぼやける。

 そのことを俳句にしたことがあった。

 霧って煙みたいなものじゃない。どうして粒なんていえるの? 粒っていうのはおかしい、と。もっと酷い言い方だったが、まさに酷評した人があった。

 私は黙っていた。この人には届かなくてもいいと思ったからだった。

 私の眼裏には一面の霧があって、小さな小さな霧の粒が流れてゆく。睫毛や前髪が濡れる。今や追憶の世界なのだが……。それでいいと思った。

 でも、と言いたい。霧は水滴だと。微小ではあるけれど、確かに粒なのだと。


 始発待つ顔に弾けて霧の粒 としこ


 これは昨年の作。

 埼玉県飯能市に石田郷子先生のお宅を訪ねた。

 山間の町にあるその家は近くに川があり、橋があり、バス停があった。ここでバスを待っていたら、こんなこともあるだろうな、の思いから出来た一句だった。

 

 流れゐる霧に面を打たれゆく 石田郷子 


(2026・4)