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2026年9月11日金曜日

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(73)  ふけとしこ

  ぶんぶん

猛暑とや酷暑とや掃除機をぶんぶん

ポップコーンに爆ぜぬ一粒秋暑し

重ね目を正せば紙に秋の影

ゆきあひの空や詐欺師のこゑの良き

鰭強し銀河の淵に棲む魚の

       ・・・

 フトモモを再び。

 ただし、今回のフトモモは「捕手の太腿」ではなく植物のフトモモのことである。漢字で書けば蒲桃。英名はrose apple。

 「フトモモ科よ」と説明すると、多くの人は「エーッ!」と言って笑い出す。これは「太腿」を連想してのことだと思う。私のアタマでも聞いた瞬間についこの漢字へ変換してしまうからとてもよく分かる。  

 フトモモと言われるとどんな物? となるが、蒲桃(ホトウ)とかローズアップルとか聞けば何となく食べられそう、美味しそう、と感じる。

 植物図鑑を見ているとフトモモ科という説明によく出合うのだが、私は長くフトモモ自体を知らなかった。

 図鑑やネットなどにその名が出てくる度に、どんな植物なのだろう? と思い、知りたいと思うようになった。

 ユーカリ・ブラシノキ・グアバ(バンジロウ)・ティーツリー・フェイジョア・ギンバイカ等々、フトモモ科に分類されている物は多い。そのどれもが樹形や樹高はさておき、草本ではなく木本である。

 更に共通するのは、その花である。ブラシノキ(牧野植物図鑑ではマキバブラシノキだったか)を思えば手っ取り早いが、とにかく、花の形を云々する前に長くて数の多い雄蕊が目立つのである。

 あやふやな記憶だが、どこかの植物園の温室で出合えた。それは大きな不愛想な木だった。花の時期ではなかったから、暗緑色の細長い葉ばかりが茂っていたのだが、これが、その本家本元のフトモモなのか……と見上げたのだった。

 後日落ち着いて調べてみたら、果樹の扱いになっていた。生食の他、ゼリーやジュース、ソースなどに加工されるのだという。そもそもは東南アジアやアメリカ、日本では沖縄などの熱帯地方で自生が見られ、栽培もされているとのことだ。加工品として出回っているのであれば、私も知らないままに口にしていたかも知れない。

 写真で見ると、赤くて艶のある綺麗な果実である。

 しかも芳香を放つという。そういうことならば、是非とも実のある時期に出合ってみたいものだ。

 仲間であるフェイジョアはよく知っている。花の特徴、例えるならば紅と白の絹の摘み細工のような美しさもあり、庭木にされていることも多い。

 実は熟れても灰緑色。楕円型で長径が4センチ程しかなく、目立つものでもないが、食べると何とも美味しい。とても爽やかな味である。

                               (2026・8)


2026年7月31日金曜日

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(72)  ふけとしこ

 ざんぶと 

トマトトマトざんぶと水を浴びたまへ

百日紅かつては村に青年団

木の匙で掬ふ白粥朝の蝉

行平に薄き焦げあと日雷

削蹄のあと夕立のしぶくかな

・・・

 何年か前、紳士服メーカーの大きなポスターを見かけた。モデルはプロ野球選手の数人。多分阪神タイガースの主力達。多分というのは私が全くの野球オンチで、ユニホームを着ていればタイガースの選手だと分かるが、そうでなければ、顔も名前も覚束ない有り様だからだ。だからタイガースというのも、だろうな、というだけのことだ。

 その写真の人達は当然のことながら、ピシッとスーツを着こなしていた。

 「キャッチャーの太腿」ふとその言葉が浮かんできた。そして、視線は彼らの腿へと。そうなんだ採寸も仮縫いも大変なんだ、と思いつつそのポスターを見たのだった。


 誰かが置き忘れた小説を手にしたことがあった。書いた人もタイトルも忘れたが、プロ野球選手とその妻が主人公だった。矛盾だらけの展開ながら何とか事件を解決してゆくという話。一応推理小説の分野になるだろう。

 その選手というのが万年二軍暮らしのキャッチャー。そして、妻の方は節約を心がける可愛い奥さんという設定。

 細かいことは覚えてもいないが、夫の方が何かの晴れ舞台に臨むことになり、この可愛い奥さんが奮発してスーツを新調、プレゼントするという流れがあった。その採寸の場面で、腿の太さに仕立て屋が悩むとのエピソードが挿入されていた。

 こんな大筋から離れた場面だけを覚えているのが私の常。

 だから、野球選手がモデルを務めている写真を見た時に、こんな小説の中のことを脈絡も無く思い出したりするのだ。

(2026・7)

2026年6月26日金曜日

【連載通信】ほたる通信Ⅲ (71) ふけとしこ

 むかしをとこ

むかしをとこありけり梅雨の月仰ぎしか

むかしをとこありけり卯の花の日もありし

むかしをとこありけりかきつばた実ともなり

むかしおとこありけり細竹へ夏の雨

むかしをとこありけりその墓も梅雨滂沱


・・・


 「業平の墓がこの先に」

 ペンションの主が車を出して下さった。

 ところがその年は大雪。普段なら草を降りて細い道を少し歩くだけだというが、何しろ雪が深い。少し歩いてみた主が「やっぱり無理だな」と引き返して来た。

 諦めて、そして積雪の凄さをただただ眺めてきた。


  昔男ありけり雪の墓なりし  大石悦子


 悦子先生も雪の頃にここへ来られたのかしら……と、その様子を想像したりしながら車へ戻り、宿へ戻った。

 もう一度訪ねたいと思いながら年を取ってしまった。もう機会は無いかも知れない。


 雪玉を作ったり、小流れへ雪を蹴り落としたりしながら遊んだことも楽しい思い出になった。大阪に住む身ではなかなか雪で遊ぶということもできないから。


近くの松の枝に白鷺が一羽止まっていた。枝に積む雪の様にも見えて面白いものだった。

 

 鷺と松といえは、時々訪ねる吟行地に数本の松がかたまっている場所があり、白鷺が小さなコロニーを作っていた。

 巣をかけ、卵を抱き、雛を育てる様子がつぶさに見られて、私にとってはとてもいい所だった。

 今年行ってみたら、数本の松の枝が切り詰められていた。声の騒がしさや糞のことなと、近隣からの苦情でもあったのだろうか。20年以上見てきた景色だったから、寂しい気分になった。


 前述の雪の墓のことだが、というか悦子先生の句のことだが、私は在原業平しか思い浮かばなかった。でも「元カレのことでしょ」とあっさり言ってのけた人がいて驚いたことがある。そういう読み方もあるのだな…と逆に感心もした。

 悦子先生ともっとお話ししたかったな、

 滋賀県高島市も今となっては遠い。

(2026.6)

2026年5月29日金曜日

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(70)  ふけとしこ

    破れ傘

落椿むかし私に図案帖

破れ傘破れながらに開きけり

天気図に赤き指示棒若葉寒

ポプラ社の一冊を買ふ若葉照る

今年竹新陰流は人を斬る

・・・

 「これは何?」

 そう訊く人があった。眺めながらしばらく考えた。蝙蝠傘を乱雑に畳んだような形。……思い出した。

 「ヤブレガサかもね」と答えた。


 昔々のことだが、燐寸箱を集めていたことがあった。きっかけは安藤広重の東海道五十三次の図である。この有名な浮世絵をラベルに使った燐寸箱を見たことがから始まったのだった。近所の小父さんが使っていた燐寸である。

 「空になったら頂戴……」とお願いした。当時は男の人達は殆どが喫煙者だったし、多くの人が燐寸で火を付けていたから、煙草と燐寸をセットにして持っている人も多かった。

 わがコレクションは、初めは東海道五十三次の物だけだったが、その内に飲食店などの宣伝用の物にも手を出した。私が集めていることを知った人達から回ってきた物もあった。

 しかし箱のままというのは次第に嵩高くなってくる。もう止めたら? と家族にも迷惑がられる始末である。この子は何が面白いんだか、こんなものを集めてなあ、と笑われたり。

 見ているのは楽しいのではあったが、嵩張ってくるのは困りもの。そこで、ラベルを剥がしてノートに貼ってゆく、ということにした。水に浸けておくと糊が溶け出してすーっと剝れるのである。昔の澱粉糊なればこその話であるが。それを新聞紙に広げて乾かす。乾いたらノートに貼り付けていくとコンパクトに納めることができる。

 東海道五十三次シリーズは四十五、六ぐらいまでは何とか集まったが、あと一息というところで頓挫してしまった。どんなことでもそうだけれど、重複する物があり、自分の所へは回ってこない、手に入らない物もあるということだ。

 飲食店に関わるものは、意匠の面白いものもあったが、もういらないというような物も多かった。

 その中に「破れ傘」というラベルがあった。どこかの鮨屋の宣伝用の物だった。黒々と文字のみで絵は描かれてなかった。私はてっきりボロ傘のことだと思い、カラカサオバケなどを想像して、変な屋号だなあ、と思っただけだったが、達筆の崩し字が妙に印象深かった。

 今も忘れないでいる破れ傘という店名は何だったのだろう? 冗談めかして付けただけだったのかも知れない。店を知らず、行ったこともなかったし、誰に貰った物だったのかも定かではないが。

 もしかして、

化けさうな傘かす寺のしぐれかな 蕪村

などを知っている人だったのか……。


 最初のヤブレガサへ戻すと、ずっと後になって、そんな名前の草があることを知ったのだった。

 生家の庭にもある。私が家を出てから父が植えたものだろう。珍しい草木を何でも植えたがる人だったから。

 確かに芽生えてから、葉を広げるまでの姿は破れ傘というに相応しい名前であるが、その傘を開く前なら山菜として味わえるということである。

 夏には茎を伸ばして白い小花を咲かせることだろう。キク科ヤブレガサ属の多年草である。


 あの時、これは何? と訊いてくれた人があっていろいろと思い出したのであった。

 煙草や燐寸を持ち歩いていた人たちも何時の間にやら鬼籍に入ってしまった。

 それにしても、彼の鮨屋の店名はボロ傘だったのか、植物名だったのか……。

                                 (2026・5)

2026年5月1日金曜日

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(69)  ふけとしこ

   右へ

春昼や折れ線グラフ右へ右へ

足先で扉を止める花が散る

風船を捻る兎の耳になる

風船を連れて行きたい丘がある

海晴れて鰆のポワレ湯気立てて

・・・

 「秋の天文の季語で好きなのは何ですか」とのアンケートがあった。「霧」と答えた。するとそれを読んだ人から「へーえ。あなたが霧ねえ。人は見かけによらないねえ……」と言われた。

 昔「霧立ちのぼる秋の夕暮れ」百人一首のこの歌が好きだった。上の句がなかなか覚えられなくて「村雨の~」のところでさっさと取られてしまうのが悔しかった。

 「村雨の露もまだひぬまきの葉に霧立ちのぼる秋の夕暮れ 寂蓮法師」なのだが、何故あの頃この上の句を覚えられなかったのかよく分からないけれど。でも、今でも雨が上がりそうな頃に山肌を上ってゆく霧を見るのがとても好きだ。

 霧の中を歩くと睫毛に霧の粒がとまる。顔に霧の粒が弾ける。その霧の粒は私にぶつかって音を立てるようでもあった。あっという間に視界がぼやける。

 そのことを俳句にしたことがあった。

 霧って煙みたいなものじゃない。どうして粒なんていえるの? 粒っていうのはおかしい、と。もっと酷い言い方だったが、まさに酷評した人があった。

 私は黙っていた。この人には届かなくてもいいと思ったからだった。

 私の眼裏には一面の霧があって、小さな小さな霧の粒が流れてゆく。睫毛や前髪が濡れる。今や追憶の世界なのだが……。それでいいと思った。

 でも、と言いたい。霧は水滴だと。微小ではあるけれど、確かに粒なのだと。


 始発待つ顔に弾けて霧の粒 としこ


 これは昨年の作。

 埼玉県飯能市に石田郷子先生のお宅を訪ねた。

 山間の町にあるその家は近くに川があり、橋があり、バス停があった。ここでバスを待っていたら、こんなこともあるだろうな、の思いから出来た一句だった。

 

 流れゐる霧に面を打たれゆく 石田郷子 


(2026・4)


2026年3月27日金曜日

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(68)  ふけとしこ

   LAのロゴ

LAのロゴが駆け出す雲雀の野

巻貝の尻の擦傷春の月

公魚の湖や草嗅ぐ犬も来て

交番の南隣にいい蓬

針穴を針が嫌がる桜東風

     ・・・

 大阪の住吉大社のことをぼんやりと考えていた。長らく行っていないが、今年あたり御田植祭りに行ってみようかな、などと。

 それで思い出したのが卯の花苑のことである。築山(多分)に多様な卯の花(ウツギ)が集められていた。

 住吉大社では兎が使いを務め、その縁なのか卯の花も大切にされて、卯の花神事なども執り行われる。

 コロナの騒動で出かけることは長く控えていたが収まった頃に卯の花苑を訪ねてみた。荒れていて見る影もなかった。コロナの影響もあったのだろうが、手入れがされていなくて、アベリア(花衝羽根空木)が茂っているばかりだった。

 ネットで探してみたら昨年撮影された卯の花苑の写真が出てきた。整えられているようだし、箱根空木などは随分木が大きくなっているようでもある。

 そんな折『豈』を開いたら高山れおな氏の俳句とエッセイが載っていた。そのエッセイの題が「卯の花の記」とある。

 これは、許六の百花譜(風俗文選・三之巻)では?

と思った。

 「百花譜」は許六の美意識なのか思い入れなのか……よく知られた花を次々に書き連ねて自分の思いを述べてゆく一文である。流石に百種は無いが、梅・紅梅・桃・藤・長春・牡丹・杜若等々が挙げられている。   

 花の様子を女人に例えているのも興味深い。源氏物語の「雨夜の品定め」の花版とも読めてくる。それはさておくとして、江戸の世の風俗の端っこを齧らせて貰える一文ではある。  

 しかし、である。平たく言ってしまえば花の咲き方の悪口ではないか、ということになる。

 面白いと言えば面白いが「もし、ちょっと許六さん、あなたお好きな花は無いのですか?」と訊きたくもなる。長春(薔薇)も百合も紫陽花も鳳仙花もまあ気の毒というかボロクソという書かれ方である。

 探してゆけば、誉められている花もあるにはある。姫百合・桔梗・萩などには非常に好意的であるから。

 そんな中で卯の花は特にお気に入りの様である。

 そこで、高山氏の「卯の花の記」へ戻ると、そのエッセイは季語の消長から書き起し、卯の花へ至る。しかも、卯の花のことがかなり気がかりな様子。

 卯の花垣を探して大阪府高槻市の玉川へ行き当たったとのことで、昨年の初夏に実際に高槻へ卯の花を訪ねていらしたようだ。

 高槻というのは「摂津国三島の玉川」のことで、土手に植えられた卯の花が、その昔有名だったという。治水工事の影響などで、現在は玉川という名の川は無くなっているというが、玉川の里として整備され、卯の花も保存されているという。

芭蕉も

  卯の花や暗き柳のおよびごし

との句を残し、句碑もあるそうだ。

 歌枕の六玉川(山城井出の玉川・近江野路の玉川・摂津三島の玉川・武蔵調布の玉川・陸奥野田の玉川・紀伊高野の玉川)のことは知っていたが、高槻市の玉川が卯の花の名所であったとは知らなかった。

高槻市は近い。五月になれば……行ってみよう。

 今や思い出の中のことになったが、井出の玉川の山吹の花は見事だった。もう一度見たい。

  待ちぼうけなら山吹の土手がいい  としこ

(2026・3)


2026年2月27日金曜日

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(67)  ふけとしこ

  木の橋

暖かや鶯神楽も咲きさうに

浅春の奈良や煮麵いただいて

飛火野や鹿に寄られて春帽子

末黒山三十羽ほど鳥群れて

木の橋の揺れを渡れば囀れる

        ・・・

 最近の新聞広告で「奥村記念館」のことを知った。

 奥村とは建築会社「奥村組」のこと。どんな所なのかな~と興味が湧いた。吟行仲間を誘って行ってみた。

 奈良の町を歩くのはいつ以来だろう。鹿に挨拶されるのも本当に久し振り。いいお天気で紅梅も咲いていて……。

 お山焼きを終えたばかりの若草山もゆったりと青空に映えていて美しい。まさに末黒山だが、いつ見てもなだらかな山容だ。本当は若草山の麓にある刃物屋へ行きたかったのだが、今回は諦めた。

 奥村記念館は2007年に開館されたということだからまだ新しい。創業100年を記念して地元への還元事業とのことである。

 「古都の景観に溶け込むデザイン」とパンフレットにあるように、実際に黒と消炭色を基調にした色合いの建物は、外から眺めるだけでも美しい。入館無料というのも嬉しい。コーヒーサーバーまである。これも無料。

 創業は明治40年とのことで、その当時の品なども歴史を感じさせるように展示されている。創業者の奥村太平氏の手帳もあり、こと細かにびっしりと書かれた文字が几帳面な性格を思わせて興味深い。ただガラスケースの中にあり、読み取ることは難しかった。

 門外漢にはよく解からないが、ハニカム構造や免振技術等、建築関係の人には(ほんのさわりだけにしろ)面白い展示に違いないだろう。

 2階には展望テラスがあって真向いに東大寺が見える。金色の鴟尾が美しく、鳩の群が白く輝きながら舞い上がり、また舞い戻りを繰返していた。


 修学旅行の高校生らしい5,6人のグループに声をかけられた。

「〇〇へはどう行けばいいですか?」

 さて、こちらも分からない。

 「スマホに聞けば? 」「いや、スマホ使えないので」とのこと。地図を見たり誰かに訊ねたりして歩きなさい、と言われているのだとか。

 ふーん、そうなんだ……だったが、成程ね、と納得もした。彼らにはきっといい旅になっただろう。

 和菓子屋の奥の喫茶室でささやかな句会をさせてもらった。この喫茶室も始めてだったが、居心地よく本当に穴場だった。

(2026・2)


2026年1月30日金曜日

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(66)  ふけとしこ

  水仙

水仙や雨の汚れの残る壁

水仙や門前町を外れ来て

雪が打つ安藤忠雄の壁を打つ

マカロンの五色並べてみても冬

崖氷柱覗けば大き土蜂の巣

・・・

 糸というもの、どうしても残る。

 白や黒といった出番の多い縫糸はともかく、穴かがり糸などは必ず残る。生地や釦に合わせるから色糸が要ることになるが、太いから普段の縫物に使うことは先ずない。綴じ糸に使ってみたりもするが、結局一巻を使い切ることはない。 

 針箱には覚えのない糸まで入ったままだったりする。

 刺繍糸も沢山ある。自分の使い残しがあることに加えて「もう止めたから、何かに使って」という知り合いからのプレゼント(!)まであるのだ。私も今では刺繍針を動かす根気を無くしてしまっているというのに。

 そこで、何か用途は~と考えて、目下のところ、刺繍糸は栞の紐用として使っている。単色のこともあれば、配色を考えて数本を纏めて紐状にしたりもする。これを気に入りの紙片に穴を開けて通したり、或いは貼り付けたりして一人で悦に入っている。

 菓子や茶に入っている和紙の由緒書きなどは、綺麗な物が多いし、美術展のチラシなども面白いものが多くて何かと使えるのである。

 とはいえ、これがまた溜まってしまうのである。 

 栞に仕立てて人に差し上げると喜んで貰えた頃もあったけれど、今はそうでもない。ポストイットを使う人の方が断然多いのである。貼って剥がしという作業が自在だし、挟んでおいたのに滑り落ちてしまったということが無くて本当に便利な物であるから、この付箋は私も愛用している。

 でも、ちょこっと布を触ったり、紙細工を作ったりするのが好きなものだから、空き箱にしまっている紙を取り出して適当に折ったり切ったり、絵や字を描いてみたり穴を開けたり、こういうことがとても楽しい。勿論、下手の横好きではある。

 困ったことに、何故か、締め切り前になるとこういうことをやりたくなる。

 昔々、さあ、勉強しましょ! と気合を入れて机に座り、その途端に抽斗の中が気になって片付けてみたりしていた、あの頃と何ら変っていないのであるから、つくづく自分に呆れるしかない。

 今も使い古しのタオルを切って用途の無さそうな色糸で縁をかがっている。雑巾にするつもりではあるが、ちっとも急ぐことではないのに……。チクチクと針を進めるのは無心になれて、私にとってはとてもいい時間なのである。

 明日は句会がある。兼題は壁。糸や雑巾のことはさておき、壁を考えることの方が大事なのに……。

(2026・1)


2025年12月26日金曜日

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(65)  ふけとしこ

  山に雲

大綿の現れてより山に雲

橋を行き橋を戻つて雪ぼたる

山応ふ母の嚏の聞こえてか

煎餅の粗目零るる寒くなる

日は西に冬至南瓜はポタージュに

      ・・・

 坂本宮尾句集『ゆるやかな距離』の中に

 仏蘭西のリボンで束ね風信子

という句があった。好きな作品が数多ある中であら! と立どまった。内容はごく普通のことであり、どうということもないのだけれど、そして仏蘭西のリボンというのもとてもお洒落なのだけれど、それ以上に新鮮に思えたのである。何故だろう。〈フランスのリボンで束ねヒヤシンス〉と書かれても意味に変りはないが、仏蘭西と書き、風信子と書かれると目に入る印象ががらりと変わる。風信子はヒヤシンスではなく、別名のフウシンシと読むのだとしても。

 音の明るさと漢字からくるノスタルジーのようなものが作り出す世界があるからだろうか。

 耳から音として入る句ではなく、目から入って来る句では、漢字、片仮名、平仮名の使い分けがとても重要だと思う。

 古い話だが「耳の句会」というイベントに出たことがあった。選をするのが難しかった。発せられた語をまず理解しなくてはならない。例えば私が一番迷ったのが「ハイコウ」であった。前後の関係から廃港や配光は考えにくかったが、それでも廃校か廃坑かと悩んだのであった。うろ覚えだが〈ハイコウやぐんぐん太る蜂の腹、或いは蜂の尻〉だったような。後で分かったのは「廃校」であった。


 漢字のことになるが、西班牙・葡萄牙・埃及・伯剌西爾・亜米利加・仏蘭西・伊太利・緬甸・濠太剌利等々の国名のことである。

 故人となられた秦夕美さんが、これらの外国名を網羅した俳句を作っておられたことがあった。アメリカやイタリアなどはともかく、その殆どが読めなかった。それにしても、画数も多く、どことなく威圧感のある字ばかり。もとより当て字だがよくもこんな漢字を当てたものだと眺めることしばし、だった。

 私自身も「出埃及記」が云々という句を作ったことがあったが、読んでくれた人が無かったことなどを思い出した。

 外国映画のタイトル、今は原題のままのことが多いが、かつては抒情的な日本語に翻訳とか意訳とかされていたことも多々あった。

 昔々の『風と共に去りぬ』はそのままだとしても『望郷』の原題は確か「ぺぺル・モコ」という人名ではなかったかしら。『旅情』にしても「サマータイム」だったと思うし。まるで違うと言われればそうだなあ、と頷くしかない。

 アメリカの人にそのことを指摘されて、翻訳した人か、関係の人かは分からないが、「いやいや、我国では御国のことを米国、つまりライスカントリーというのですから」と言って黙らせたとか、笑わせたとかいうことを聞いたこともあった。いつ頃からか原題のままで、という様に変わってきたような。

 こんな古い事ばかり思い出すのはやっぱり加齢の所為だろうか。

(2025・12)


2025年12月12日金曜日

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(64)  ふけとしこ

 短日

ばらばらと転がる硬貨神の留守

風紋へ止まりたくて反る木の葉

皀莢の莢へ風来る霙くる

すがれゆくものに刈萱力芝

短日を大きな石と遊びけり

・・・

 この春、芽吹きの頃に芦屋市の山手へ吟行した。この日は「ヨドコウ迎賓館」の見学がメイン。旧山邑家別邸であるが、山邑家とは大きな酒造会社だったとか。帝国ホテルを手掛けたとして有名なライトの設計。ライト自身は設計のみでこの館の完成を待たずに帰国し、後は弟子達によって完成させたとのこと。

 芦屋に限らず、六甲山麓の瀬戸内海を見晴らす地は、大阪の商人達が競って別邸を構えたとして知られる。

 迎賓館へは通称ライト坂と呼ばれる坂道を登って行かねばならない。当時の「ええし」の人達はこの坂を人力車で上ったのだろうか。車に頼る今の人達と比べて健脚だったにしても、日々となれば、辛い時もあっただろう。

 肝心の作句の方は、贅を尽くした調度も建物も立派過ぎて私の手には余る。作った句は全ボツに等しかった。

 帰りは阪急電車の芦屋川駅まで下る。

 この駅のすぐ北側に、「重信醫院」と看板を掲げた建物がある。ちょっとレトロな感じの由緒ありそうな建築である。

 以前、この近くの美術館への行き帰りにいつも気になっていた医院である。

 谷崎潤一郎の『細雪』は、大阪船場と芦屋のこの辺りが舞台になっていたが、その主人公達の、つまり蒔岡家の皆が世話になっていた医院である。今ならかかりつけ医というのだろうか、その「棚橋醫院」のモデルになったとして知られている。

 内科・小児科の医院だが、患者でもないのに中を見させて下さいとも言えない。ネットで検索すると内部の写真が多少は見られる。

 現在の院長は三代目とのことだから、御祖父様の時代に建てられた物。それが大正15年のことだとか。いわゆる大正モダンの建築。当時は目を引いたことだろう。

 この辺り、私が知っていた頃には個人商店が並んでいたが、閉店したり更地になっていたりと様変わりが顕著である。

 お茶でもしない? という話になって「ホテル竹園」のカフェへ連れ立つ。このホテル、かつては「竹園旅館」といい、読売巨人軍の定宿であった。今もそうだろう。高校球児たちも宿泊していたはずだ。

 お洒落なカフェでゆっくりお喋りして、この日の吟行は終わった。

 (2025・11)

2025年10月24日金曜日

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(63)  ふけとしこ

 手数料

葛の花この道を馬往きし日も

秋霖やオセロゲームの黒に勝ち

鰯一盛りローズマリーは庭にある

糠雨や花野の先に地雷原

秋風が過ぎて両替手数料

・・・

 近所に小さな公園がある。

 桜が3本と楠が3本。ベンチが2脚、滑り台が一台。あとはささやかな花壇。芝生は芝が見えないほどにすっかりクローバーに覆われてしまっているが、花時の長いクローバーはとても綺麗でそれはそれで嬉しい。

 でも本当にそれだけである。

 何かの大きな切株が1つあるが、これはもう朽ちてゆくだけのような、そんな感じである。

 ある時、伸び伸びと青々と茂っていたその大きな楠が、葉刈りどころではなく、枝ごとバッサバッサと切り落とされた。

 剪定後の木をトルソーのようだと詠んでいる句を時々見かけるが、まさにその通りであった。申し訳程度に葉が残されていた。

 そして……。

 回復が何とも早かった。

 残された小枝はあっという間に枝になり、枝が見えない程に葉が覆った。

 木の周囲には太い走り根が多く出ていたが、その走り根からビュンビュンとでも言いたい勢いで蘖が噴き出した。隙間がない程に多くの。

 楠は強い木だとは聞いていたが、本当にそれを目の当たりにすることになった。3本の木のそれぞれが小さな林を(とは少しオーバーかも知れないが)従えているような雰囲気である。チビの私ならすっぽり隠れることができる木叢。公園課の管理になるのだろうが、木はすでに以前の大きさに戻っているし、周囲の走り根に伸び広がった若木達をどうするのだろうか。

 国道沿いに欅が2本あった。これは倒木の恐れがあるので伐る予定との予告を幹に巻き付けてあったが、その通りに昨年伐られた。

 各地で倒木による被害も出ているから、致し方がないのかも知れないが、この切株は既に朽ちてゆく様相。蘖は見られそうもない。

 地質の関係だろうか。それとも生命力の違いなのだろうか。

(2025・10)

2025年9月26日金曜日

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(62)  ふけとしこ

 後ろ手

秋暑しいちじくの葉のざらつきも

青柿や空家に隣るのも空家

優曇華に触れ金物の町を去る

銀漢や後ろ手は知恵授かる手

草の実を並べて母と子の去りぬ

                   ・・・

 『かざぐるま』という小説があった。

 父の本棚から抜き出して読んだ。いつだったか? 小学校の高学年? 

 内容は殆ど憶えていないのだが、冒頭の1ページがクレヨンで子供が書いた字をそのまま印刷したような、そんなレイアウトだった。どんな文章が書かれていたのかは記憶にない。

 はっきり憶えているのは

「先生は僕のことを〈僕のクランケさん〉って呼ぶんだよ」これだけに等しい。

 患者であるこの『かざぐるま』の主人公の男の子の台詞。クランケは独語のkranke、病院では普通に使われている言葉だが患者のこと。つまり入院中の患者と主治医の物語である。この本を読んだ時私はクランケという言葉を知らなかった。だから却って記憶に残ったのだろうか。

 主人公は小学校へ上がる前の子供だったと思う。あやふやだけれど「お母さん、入学式には紫の着物を着てね。僕あの着物が大好きだから」こんな会話があったような気がするから。

 そんな年頃の子供たちが風車を回して遊んでいた時、2人がぶつかって風車を支えていた金属、真鍮の箸だったような、それが目に刺さったのである。脳に達するような傷。始まる入院生活。その子の目は失明するわけだが、他方の目もやがて見えなくなり、最後には亡くなってしまうという話だった。

 今なら病室へ入る前の医師の心情なども考えてしまうが、当時の私は何を思って読んだのだろうか。担当医にしても、快癒へ向かう患者と死へ向かっている患者と、相対する気持は当然異なる。

 この小説にも手術や死の場面、両親、加害者となってしまった子供やその家族等々のことも書かれていたはずであるが……。

 実家へ行った時にこの本のことを思い出して父の本棚を探したが見当たらなかった。処分されてしまったのだろう。

 小説『かざぐるま』の作者も出版元も知らないが、もしかしたら実話に基づいた話だったかも知れない。

 「かざぐるま」も「風車」だったのか「風ぐるま」だったのか、それさえも覚えていない。

 ついでに思い出したのが昔の隣家の女の子。お姉ちゃんと慕ってくれてよく遊び相手をさせられた。  

 一時、彼女の臨終ごっこに付き合わされたことがあった。「お姉ちゃん、ちょっと寝て」という。横になると「息止めてね」と命令される。白いハンカチを私の顔に被せて「ご臨終です」という。そして笑い転げる。「息してもいいよ」というまでおとなしく寝て付き合ったけれど。こんなことが面白かったのだろうな。自分の家でやると叱られるから、私の所へ来て遊んでいたのかも知れない。

 彼女が幼稚園の頃だったはずだが、テレビでこんな場面でも見たのだろうか。

 これは笑い話ですむようなことだけれど。

 俳人にはお医者様も看護師の方も多い。そんな人達の俳句を読むと、色々と思い出したり考えたりしてしまう。

(2025・9)

2025年8月22日金曜日

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(61)  ふけとしこ

 草色の蜘蛛

竹皮も太き蚯蚓も乾ききる

夏帽子草色の蜘蛛乗せてくる

縞馬の尻の縞見て白日傘

ざりがにを踏んで行きたる蹄かな

どこからか煙草の臭ひ熱帯夜

・・・

 今年の暑さも尋常ではないが、昨年の今頃も残暑が厳しかった。その暑い中を伊丹市立ミュージアムへ出かけた。

 「虫」展が開催されていたのである。

 『病葉草紙』(京極夏彦著・文藝春秋社刊)の書評を読み、ちょっと興味を持ったタイミングで、この「虫」展の図録を頂いた故でもあった。

 頂いた「虫」展の図録、それが何とも楽しいものだった。

 古来の虫達を題材にした作品が次から次へと。これは図録でもこうなのだから、実際の展示を見なければ、なのであった。

 虫は良きにつけ悪しきにつけ人の暮らしにとても近いものだったのだと、改めて思いながら会場を巡った。一つ一つの虫の描写も細密あり、豪放あり、絵師・画家の個性が現れていて多種多様であった。

 そして、圧巻はやはり絵巻物である。玉むし物語や大名行列、虫歌合せ、合戦の図等々。

 『玉虫草子』を題材にした絵巻は、玉虫の姫をめぐる殿ばらの歌の数々、平安貴族を模した装束。嫁入り行列の従者達の装束も然り。流石に馬に乗る者はなくて、蛙に乗せているところなどは可笑しくも納得できる。調度品も丁寧に美しく描かれていて、見飽きない。

 これは人の姿や暮らしに擬えて描かれているが、酒井抱一の『虫之大名行列図』になると蜂は蜂、飛蝗は飛蝗の姿で毛槍等ではなく野の花や稲穂などを持たせて行進させている。一番気に入ったのが、長持の代わりに足長蜂の巣を担がせていることだった。この蜂の巣の部分だけでも欲しいな~、本当にそう思った。

 ここでつまらぬことを考えるのが私で、四本足の動物なら人の姿に似せて描くのもある意味容易かもしれないが、六本足(脚)の昆虫の類なら中の一対は邪魔ではないのだろうか、といらぬことを思うのである。

 目を凝らして見たけれど、この胸の一対の脚はどう扱われているのかよく分からなかった。胸元に畳んでいるのか、前脚に物を持たせているから、それを補佐しているものか……。

 それはともかく、どちらの絵も人気を博したことだろう。

 虫も美しいもの、愛らしいもの、声の綺麗なものばかりではない。見た目で嫌われるもの、毒針などをもって怖れられるもの等々さまざまである。蛇や蜥蜴、百足や蝸牛や蛞蝓も虫の仲間に入れてあるが、分類上はどうなるのだろう?

 そして、ここから京極夏彦の小説『病葉草紙』と重なるところに至るのだが、つまりこの場合の虫は人体内部に巣喰う虫のことを指し、この虫に取り付かれることで病が起きるという考え方である。この展覧会に加えられていたことにも驚いたが、確かに虫に違いはない。俗に腹の虫とか疳の虫などともいうことだし。

 この展覧会にも出展されていた九州博物館所蔵の『針聞書(ハリキキガキ)』収載の物から発想を得たということであろう。

 結局小説『病葉草紙』を買ってしまった。

 江戸時代(田沼意次が失脚した頃)の八丁堀近くの長屋が舞台でそこの差配、正しくはその差配の倅と、店子であり友人でもある学者とが織りなす物語である。

 死人、病人、事件、事故諸々、この本草学者という若者にかかると全てが「虫」の為す技だということになる。

 虫といっても想像上の物。『針聞書』に記載の多くの虫の中から八種を選んで書かれた短編を纏めたものである。

 「馬癇(ウマカン)」「気積(キシャク)」「脾臓虫(ヒゾウノムシ)」「蟯虫(ギョウチュウ)」「鬼胎(キタイ)」「脹満(チョウマン)」「肺積(ハイシャク)」「頓死肝虫(トンシノカンムシ)」という虫が引き起こす騒動の顛末を描く八章からなるのだが。注釈が無ければ私などは一つとして解らない。

 そもそも『針聞書』なる書物は東洋医学の鍼の指南書であるとのことだが、素人が見ても愉快なのがその疾患を引き起こすという虫共を絵に現わしているところだ。

 よくこんな形を思いついたものだと、感心し、納得し、不思議がり、主人公達の遣り取りもあって、気が付けば最後まで読んでいた。京極夏彦は名前は知っていたが、読んだのはこれが初めてだった。

 そして、小説『病葉草紙』に登場する虫たちの図も全部があった。

(2025・8)

2025年7月25日金曜日

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(60)  ふけとしこ

   巣箱から

夢二忌の青き葡萄に絵具溶き

巣箱から出てくる蛇と目の合ひぬ

蛇の衣こんな処で脱がずとも

炎昼や詐欺に合つたの合はないの

テントウムシダマシ青光りして旱

・・・

 「変わりものの記」というコラムというかエッセイを『俳壇』に連載している。目下9月号33回目の校正を終えたところ。

 毎回何が大変って、題材選び、このことである。

 とにかく「変わりもの」なのであるから、多少なりとも珍しくなくてはならないだろうし。

 今回はイタセンパラについて書いた。

 私は大阪市旭区へ転居して三年余になる。転居すればまず区役所へ行くことになるが、そこで目に触れるのが魚をデザインしたマスコットキャラクターである。愛称パラッチとある。 パパラッチ?  いやいや、よく見たらその魚というのがイタセンパラという名前で、そこからパラッチと名付けられたということのようだ。

 「変わりもの」についての執筆依頼があったときから、名前の面白さもあってこの魚は候補にあげていたのだった。

 書くのは我流でいいとしても、問題は写真である。カメラマンを派遣して貰えた時代もあったが、出版業界も何かと厳しくなっているから、自分で用意しなければならない。草木ならどうにかできても、泳いでいる魚を撮るというのは、私にはまず無理。

 そこで区役所で写真を貸して貰えないものだろうかと出向いてみた。

 受付で尋ねると「まち魅力課」へ行って下さいとのこと。その「まち魅力課」へ行けば、ここでは写真の提供はできませんと言われる。寝屋川市にある「地方独立行政法人 大阪府立環境農林水産総合研究所 生物多様性センター」まで行って借りて下さいと。何とまあ…簡単な話ではなかった。

 電話で予約し、メールで遣り取りした後に出かけたら、使用目的等をきちんと書き込んで提出して欲しいとのこと。私の手には負えず、『俳壇』編集長まで巻き込んで「画像等利用申請書」なるものを作成して提出。汗だくで帰宅すると、申し込み手続き完了とのメールがあり、更に承諾書なるものが発行され、拙文に間違いがあっては困るから一度確認したいと言われる。書き上げた文章を送信したら、2か所に回され(たらしい)特に問題はないようですと。やっと画像等利用申請書を受理しました、となってデータを送って貰えた。

 3週間かかった。まさにやれやれ~だった。取材を兼ねて一度訪ねれば済むことかと思っていたのだが甘かった。お役所を相手にするとこういうことになるのね……であった。

 で、件のイタセンパラである。何語? はい、日本語。漢字では板鮮腹と書かれ、体が平たくて、婚姻色の赤紫がとても美しいからこの名が付いたとのこと。

 区役所で渡されたチラシには「旭区の宝」と大書されている。何故旭区の魚なのか? 大阪では淀川水系の、特にワンドと呼ばれる水域に棲息している。幾つかあるワンドの内でも特に知られているのが城北(しろきた)ワンドであり、その城北地域が旭区になるということからなのだった。

 一時絶滅を言われたが前述の生物多様性センターに保護されていることが分かり、そこから稚魚を育てて城北ワンドに放流。魚類としては初めて国の天然記念物に指定された。然して淀川のシンボルフィッシュと言われるようにもなっている。

 他に富山平野、濃尾平野の一部に棲息が認められているそうだが、何れも絶滅危惧種になっている。

 イタセンパラの生態(これがなかなか面白い)についても、淀川のワンドについても明治時代までさかのぼって調べてみたが、また機会を改めて書いてみたい。 

(2024・7)

2025年6月13日金曜日

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(58)  ふけとしこ

   放蝶室

むらさきの花屑踏むも夏はじめ

筍のおづおづと出てずいと伸び

夏来たるアダンに棘の鋭き葉

木に木の目石に石の目若葉に雨

新緑や放蝶室の扉押し


・・・

 フェアリーリングのこと。

 十年程前のことになるが、ある公園にウッドチップが敷かれた。そのためかとも思うが茸が沢山生えてきた。

 驚いたのが「狐の絵筆」という名の茸で、しかもフェアリーリングを作っていたのである。フェアリーリングというのは茸が丸く輪になって生えてくることを指す。西洋ではその輪の中で妖精が踊ると言われていて、そのことからこう呼ばれるようになったとのことである。

私がその輪生を実際に見たのは3度。最初が先に書いた狐の絵筆。2度目が法面に生えていた白い茸。名前は知らないが、生えた場所がちょっと悪かったから、綺麗な円形は作れず、歪んだ楕円形であった。   

 3度目は池の傍の草地で、土砂降りの雨の中だった。薄茶色の茸は時間のせいか、雨のせいか分からないが、半分溶けかかっていて、綺麗でもなければ可愛くもなかった。

私が出合ったのは今のところそれだけだが、本来は芝生に多く発生するらしい。造園関係の人やゴルフ場を管理する人には、芝を荒らすとか劣化させるとかの理由で特に嫌われているようだ。私はゴルフ場とは縁の無い暮らしをしてきたから、見ることもなかったのだが……。傷んだ芝を貼り替えたりすると、その土に菌が付着していてどっと生え出すことがあり、リング状になるのだという。

 茸には有毒の物が多いから迂闊に手を出すのは危ないが、シメジの仲間など、食用になる物も結構あるようだ。

 その後、狐の絵筆を見かけたことがあった。竹藪の傍の道を歩いていて偶然見つけた。リングにはなっていなくて、ぽつんぽつんと6,7本ばかりがあった。白い茎が真直ぐ伸びて先の方が鮮やかな紅色。天辺が黒に近い緑茶色をしている。そこに小さな虫がたかっている。一本折ってみようと手を出したら強烈な悪臭! この臭いを出している黒っぽい部分はクレバと呼ばれ、虫を誘って胞子を運ばせるための臭いを発するのだという。

 先端の紅色から絵筆との名前が付いたようだが、何故、キツネなのだろう?

 今度見かけたらちゃんと写真に撮っておこうと思うが、町中に住んでいると、なかなか出会えない。しかも時間が経つとぐずぐずに溶けてしまうから、朝の内でないと奇麗な形の物には会えない。

  白茸のフェアリーリング夏至の月 井池恭子

(2024・5)

2025年4月25日金曜日

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(57)  ふけとしこ

    ひそひそ

 春光や頬骨高き女の絵

 惜春やアッサムティーを濃く淹れて

 暁暗をひそひそひそと幣辛夷

 行く春を律儀に並ぶ碍子かな

 命毛を失ふ筆と春の暮

                 ・・・

 個包装された菓子は、分け合うのに都合がよくて吟行中や句会の席などで配られることもある。

 席題句会の時など、部屋中をキョロキョロしたり、仲間の持ち物に目を留めたり、配られた菓子は無論のこと、それを包んでいる小袋をしげしげと見ることもある。さもしいことではあるがヒントを得なければどうにもならないから。

 ある時配られた菓子の袋に、表に蟻を図案化した可愛い絵、裏にちょっとしたお話が書かれていた。

 〈(略)〇〇と△△は働きアリの中に休んでいるアリを見つけてアリンコと命名!(略)アリンコの一言「休むことも大事」〉とあった。別に命名なんて大仰に言わなくても、アリンコって昔から言われてるんじゃ……と突っ込みながら読んだのだった。

 そういえば何年か前に働き蟻の何割かはサボっているという研究だったか論文だったかが話題になったことがあったような。詳しくは知らないけれど、そう言われれば確かに列から逸れていくものや、1匹だけでウロウロしているのも確かにいる。

 随分前のことだが、ある大きな神社で長々と続く蟻の列を見つけたことがあった。どこへ何をしに行っているのだろうかと気になって、追ってみたことがあった。ずーっと続いていたのだが、地面が砂地から小石へと変り、草が増えてきた辺りから列が崩れて、蟻達の姿は見えなくなってしまった。潜って行くような穴も見当たらない。不思議だった。彼らは何処へ消えてしまったのだろう?

 働いている! と思える蟻は獲物を運んだり、巣穴へ出入りをしている蟻達。大きな獲物を穴へ入れようとしている時には多くが集まって右往左往している。そうこうしながらも、いつの間にやら穴の中へと引っ張り込んでいるから何とも感心するばかりである。   

 巣の拡張工事でもしているのかと思えるのは、土の粒などを咥えて出てきてはまた元へと戻って行く彼ら。出入り口辺りへ積み上げられた土の粒は見る見るうちに乾いて白っぽくなる。そこへ地下から運び上げた黒っぽい土がまた加えられる。童話なら現場監督がいて旗でも振っているところだろうか。

 熊谷守一画伯ならもっともっと詳しいことをご存じだっただろう。

 ありんこに働き口のある晴天   としこ

(2025・4)


2025年4月11日金曜日

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(56)  ふけとしこ

 渡りの沼

しろがねのよもぎしろがねのあまつぶ

芹を摘む渡りの沼といふ水辺

春霰が叩く切株苔を帯び

この町に知る人ひとり初つばめ

昆虫館までの坂道つばくらめ


・・・

 〈箱根の山は天下の険……〉とは有名なフレーズである。

 太田土男著『季語深耕 田んぼの科学 ―驚きの里山の生物多様性―』(2022年/コールサック社)を読み直していて、その中にもこの箱根山がチラッと出てくるのを面白く思った。

 箱根山、この峠を越えなければ東西を跨ぐことができないという東海道きっての難所である。

 時代小説などに箱根の山より先には云々ということが出てくることがある。つまり箱根の山のあっち側とこっち側には境界線があるということだ。

 私は岡山県西部の生まれだが、子供の頃、つまり昭和20~30年頃の夏には、蝉は油蝉・にいにい蝉が主流だった。たまに熊蝉のシャーシャーという声が聞こえると、庭木に目をこらした。捕まえることができたらその子は英雄扱いされるくらい珍しかった。

 昆虫標本を自由研究に提出する子もいたが、その標本に熊蝉があったりすると、甲虫の雄などと共に注目の的であった。

 私が俳句を始めた頃が丁度平成と重なるのだが、その頃熊蝉の句を作ったりすると、関東の句友達に驚かれたりした。

 それが次第に東上してゆき、いつの間にやら誰も驚かなくなった。

 熊蝉が箱根の山を越えたのである。

 脱線が長くなった。話を戻すと、太田土男さんの著書の中にモグラについて述べられた箇所がある。

 日本に棲むモグラの主な種はアズマモグラとコウベモグラだという。その分布は東海から北陸を結ぶ線を境に棲み分けているとのことだが、最近では西軍のコウベモグラが東へと押し気味なのだそうな。今現在箱根の山辺りで、鍔迫り合い、陣取り合戦をしているらしいと。

 〈天下分け目の箱根山です〉とこの文は締められているのだが、この一言で、太田さんの柔和な顔が、さらにニンマリとしたようにも思えて、私もクスッと笑いながら読んだのであった。

 はっきり憶えていないが、蛙でも同様なことが起きていると読んだことがあったような……。

 単なる勢力争いで押しているのか、地球温暖化によるせいなのかは私には分からないが、研究者には興味の尽きないことであろう。 

(2025・3)

※管理人からのお詫び:「俳句新空間」の更新が遅れたために4月に食い込みました。お詫び申し上げます。4月中にもう1回連載したいと思います。

2025年2月28日金曜日

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(55)  ふけとしこ

ケサランパサラン

 ケサランパサラン春の月より降り来しか

 ケサランパサラン白鷺城に余寒あり

 ケサランパサラン春の星まで飛ぶ夢を

 ケサランパサラン動き出すまで待つ朧

 ケサランパサラン朧夜を転がれる

    ※ケサランパサラン 姫路市立動物園に展示あり

・・・

 「おばあちゃんと何かお料理したい」

孫娘が言う。末っ子。五歳。

「何作る?」

「えーとねえ、ギョウザ」

 具の用意はまだ無理かな。そこは私が手を出すことにする。

「あのね、ハートの形のギョウザ作りたい」

「え?」

 この子はハートの形が好きなのだ。以前白玉団子を作ったときもハートを作る…と頑張ったのだが、茹でると丸くなってしまうから、ちょっと歪なものができた。

 クッキーならともかく、餃子とは……どうしようかな。ちょっと考えて、皮をハート形に切ることにした。具を平たく置いて2枚を貼り合わすという作戦。ところがこれがなかなか大変。皮は沢山いるし、フライパンに並べられるのもせいぜい3個。で、6個だけハート形にして、大人用には普通の餃子ということにさせて貰った。

さて、件のギョウザはどうなったか。具が入る分だけ膨らむから、何だかふっくらとしたハートになった。茹でても蒸してもこの形はかなり難しい。(と、納得させた)

 何しろままごとの延長だから、楽しければそれでいいのだ。

 彼女が今迄で一番喜んだのが豆腐を潰すことであった。適当な量を手に乗せて、グチャグチャと潰す。それが楽しいようで、キャッキャッと大はしゃぎだった。

 料理ではないがこの子が最近覚えたのが、私の手の甲に浮いた血管を抓むこと。まあ迷惑なことではあるが、手を使うことをすると目立つから気になるのだろう。

わが手首のガングリオンにはまだ気づいていない。これが見つかったら、きっとグリグリってさせて~と言うだろうな。

(2025・2)

2025年1月24日金曜日

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(54) ふけとしこ

   霜の夜

湯豆腐や門前町に落ち合うて

京も北時雨湿りの草を踏み

重さうな鞄が置かれ虎落笛

霜の夜を鷗外の頬こけゆくも

白足袋のすつと離れしだけのこと

       ・・・

 『虫こぶ入門』という本がある(薄葉 重著 八坂書房)。入門とあるが、かなり専門的。1995年発行で翌年に第2刷が出ている。いつ買ったものか憶えていないのだが、付箋を貼ったり鉛筆書きが残ったりしているから、一応読んだらしい。

 最近繙いたのはヒョンノミ(瓢の実)を調べたかったからだったが。

 虫瘤は虫癭(ちゅうえい)が正式名称。この頃では英語のゴール(goll)で呼ばれることの方が多いらしい。残念ながら私の身近にはそんな話をしてくれる人はいないのだが。

 虫瘤とは小さな虫(コバチ・タマバチ・アブラムシ・ゾウムシ等の仲間)が草木の葉や茎に卵を産み付け、その卵が孵り、育ってゆく過程で、植物組織が変化をきたして瘤状になった物の総称である。

 昔から草木の茎や葉に妙な物ができるのは知っていた。メカニズムが解る由もなかったが、茎が異常に膨れたり、色が変わったりしているのはよく見かけていた。

 丸くて愛らしい物や色の綺麗な物、赤黒く縮れて気味の悪い物まで様々である。子供の頃は「葉っぱの病気」とか「病気の葉っぱ」などと言っていたような気もする。

 俳句仲間で一番有名な虫瘤は先述の「ひょんの実」「ひょんの笛」ではないかと思う。秋の季語にもなっている。

 次いでフシ(五倍子)だろうか。五倍子はヌルデ(白膠木)の葉に生じる虫瘤で、秋に紅葉する時には同様に赤くなり、茶色になりやがて落ちるが、採り集めて乾燥させ輸出までしていたそうだ。これも秋の季語の筈だが、最近の歳時記には載っていないこともある。

山の日は五倍子の蓆に慌し 阿波野青畝

などは歳時記で覚えたのに……。

 載せていない歳時記があるということに、驚いたり、同情したりしたものだから、ちょっと丁寧に読んでみた。五倍子はタンニンを多く含み、昔の女性の鉄漿(おはぐろ)とか、インクや染料にも使われたという。そういえば時代劇で歯の黒い女性を見たことは何度もある。子供の頃は黒い歯で笑う顔が大写しなったりすると恐ろしかった。

 嫁入りが決まると知り合いや親戚にお歯黒を分けて貰うといった話があったり、お歯黒どぶと呼ばれる長屋が出てくる小説もあった。既婚女性はこれを塗ることになっていたというから、今なら問題になることだろう。江戸時代を扱ったドラマなどでも見かけることが無くなって久しい。

 食用にされる虫瘤といえば、一番有名なのはマコモダケ(真菰竹)だろう。真菰の茎にできる細長い物でデパートやスーパーの食品売り場に並ぶこともある。私も買って食べてみたことがあるが、それほど美味しいとも思えなかった。料理が下手だっただけかも知れないが。

 今見たいと思っているのはササウオ(笹魚)という虫瘤。名前の通り、笹類の枝にできる魚状の物で、江戸中期の文献に「水に落ちるとイワナ(岩魚)になる」と書かれているものがあるという。   

(2025・1)

2024年12月27日金曜日

ほたる通信 Ⅲ(53)  ふけとしこ

   むかしはものを

 靴べらを借りて返して冬紅葉

 熱燗やむかしはものを書きゐしと

 熱燗や手首に育つガングリオン

 ハンガーの肩の丸みが寒さうな

 歳晩のミネルヴァ書房より一書


・・・

   はつはるや石田波郷の歯並びも  としこ

 何となく出来てしまったという句だった。
 石田波郷氏にお会いしたことは勿論ない。
 歯並びどころか笑顔も知らない。
 それなのに、何故この句ができたのやら……。ふっと浮かぶということもあるにはあるけれど。
 句が出来た後で本棚を漁って波郷氏の写真を探してみたが、どれもお口を閉じていらっしゃる。
 あまりにも不遜ではないか…と、句会にも出さず発表もしなかった、はずだった。
 ところが発表していたらしい(完全に忘れていた)。
 しかも、それを故大牧広先生が取り上げて批評して下さっていたのである。
 先生曰く「私は波郷を知らない。が、この断定には頷ざかざるを得ない」云々と。
 ああ、恥ずかしい!であった。自己弁護をするならば「歯並びも」と逃げておいてよかったな、である。
 私は歯科衛生士だった。一応国家資格ではあったが、結婚してからというものは、自虐的に言えば体のいい歯科雑役婦であった。今は雑役婦などと言ってはいけないのだろう。いうならば雑役人? それも駄目なのだろうか。
 言葉がどんどん使いにくくなって、不適切な表現だと切り捨てられる、訂正させられる。場合によっては謝罪せねばならぬ。俳句では言葉の問題に加えて文法云々で叱られる。難しいことである。
 逸れてしまったが、長く歯を見てきたという個人的事情で「歯」が気になるのである。
 10年以上も前になるが、歯の俳句を集めてみようと思いたったことがあった。きっかけは

   衰や歯に喰あてし海苔の砂  芭蕉

を知ったことだったが、ざっと集めて300句以上になったときに、集めるだけではつまらないから、短文を添えてみようかと、これも単なる思い付きでそんなことを思った。それをある人に話した。
 誤解された。ホームページへの売り込みだと思われたらしい。「歯は話題としてマイナー過ぎるし、著作権の問題がある故……何とかかんとか」
 それ以後人に話すときには気を付けなくてはと思う様になった。
 歯の俳句が気になることは今も変わらないが。
 そういえば、「ごまめの歯ぎしり」ということばがあった。力の無い者が騒ぐんじゃないよ、ぐらいの意味だろうが、ゴマメって臼歯があったっけ? どの歯で歯ぎしりをするのだろう?

(2024・12)