ラベル 平成二十五年歳旦帖 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 平成二十五年歳旦帖 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2014年4月25日金曜日

【「俳句新空間No.1」を読む】 ときに劇的な /  堀下 翔


思ったことを書く。

梅咲いた。人わらはせる芸つらし 堀本吟

つらい。他人はなかなか笑ってくれない。これでもかと笑わせにかかって、ようやく笑ってくれたとしても、今度は「自分、どうしてこんなことをしているのだろう」と情けなくなって、つらい。芸をする人はみんなそうだ。この国で初めて芸をしたひともそうだった。古事記に登場する海彦のことである。永六輔の本から引く。

「海彦・山彦の話はご存じでしょう。山彦は海彦から借りた釣針を無くしてしまい、もとの釣針を返せと迫られて困りはてる。そうしたら、海の神さまが山彦に同情して釣針を探し出し、それだけじゃなくて、傲慢な海彦を懲らしめるために、山彦に不思議な力を授けるんですね。それで山彦が勝者になる。/それ以来、海彦の一族はその負けたときのありさまを、山彦の一族のまえでずっと演技しなければならなくなるんです。/神話ですが、これが「芸人」のはじまりということになっているんです。」(永六輔『芸人』岩波新書・一九九七年)

海彦、つらかったろう。人を笑わせることはもともと罰だったのか。

ところで古事記はこの海彦を「わざおぎの民」と呼んでいる。わざおぎ、「俳優」と書く。俳人としてはここで一気に彼に親近感がわく。俳優も俳句も、同じ「俳」の字を持った仲間だからである。同じ字である以上、どこかしらで繋がっているのだと思う。ただそれは、また別の話になる気がするので、置いておく。ここでは無邪気な連想ゲームにとどめておいたほうが、気楽だ。

俳優といえば、劇。俳句を読んでいるとときどき、俳句と劇は似ている、と思う。まず第一に、見せられたものしか知ることができない。

宝舟すこしはなれて宝船 堀田季何
宝舟と宝船がありました。それだけしか教えてくれない。どうしてふたつあるの。どうしてすこしはなれてるの。どうして舟は種類が違うの。明快で親切な小説なら、このあと地の文でいきさつを書いてくれるかもしれない。けれどもここでは、舟がふたつあるところを見せて、それっきり。

コミュニケーションが成り立たない。舞台上にある大道具、あるいは意味ありげに発せられた科白。舞台の構成物でありながら、その目的は、向こうが説明しない限り、分からない。この一方向性においてまず、俳句と劇は似ている。

夏芝居後姿の泣いてゐる 小沢麻結
芝居を見ていて、役者の後姿が泣いているように見えた。理由があるのかもしれないが、聞くことはできない。後姿が泣いているように見えた時点で、俳句にしてしまったから。こっちから話しかけることができないのは、ものすごく一方的で、ちょっと理不尽である。

おしぼりが正位置にある福寿草 上田信治
どうして正位置なの。どうしておしぼりなの。おしぼりが正位置にあることしか、わからない。もっと言うと、どうして福寿草なの。この問題は、取り合わせの俳句を読むときに、ずっとついて回る。どう考えてもこの季語以外にありえないのだが、なぜそうなるのか、見当がつかない。やはり、理不尽。

劇が面白いのは、劇場で見るからだろう。劇場に入ることで、仕切りが生まれる。

一時間前ははうれん草畑 依光陽子
一時間前、ほうれんそうと土の色に囲まれていた。いまはどこにもないが、あのあおあおとした感じが、まだ体のどこかに残っている。「まだ」と思うのは、ここがほうれん草畑ではないからだ。どこまでも仕切りなくほうれん草畑だったら、なんとも思わない。

鳴りやんで涼夜や耳鳴りだったのか 池田澄子
耳鳴りが止まって初めて耳鳴りだったと気づく。仕切りがあるから気づく。もちろん、耳鳴りなんてしないほうがいいけれど、それでもびっくりするのは楽しい。

劇場は仕切りだ。そしてそのなかに、舞台という仕切りがある。

我を指す人差指や師走の街 林雅樹
包丁ら青々として芒種の町 小野裕三

この仕切りは、劇作家が作る。ここから先は師走の街である、芒種の町である、そう決めました、と。一方的な仕切り。見る人間は、従う。その人々はたいがい好意的なので、従うのが楽しくて来る。小説家が、師走の街をいかに読者に歩いてもらうか、必死になるところを、劇作家は、俳人は、「師走の街」と言えば、とりあえず信じてもらえる。つくづく変な形式だと思う。

信じてもらえるのは、このあと何かが起こるという、信頼関係があるからだ。「劇的な」という形容詞があるように、劇は、何かが起こる前提にある。「劇的な」という言葉の「劇」を「激しい」くらいの意味で思っている人が多いけれど(じじつ「劇」の第一義は「激しい」である)、「劇的な」というときには、劇に出てくるようなありさまを言う。

北窓を開きそのまま海のひと 近恵
窓を開けるという物理的な行動によって、春を呼ぶ。開けたら見える海に、そのまま同化してしまう。快感。そして劇的。書いた後に思った。この言葉、少し便利すぎるかもしれない。短い俳句のことだから、起承転結の「転」を持ってきたくなる。

新涼の神父三角座りだが 岡村知昭

神父が三角座りの時点で、かなりどきっとする。秋は寂しくなりやすい季節であるにしても、神父ともあろう者が、三角座り。しかも話はここで終わらない。「だが」って、まだ何かあるのか。二転三転、ドラマチック。

ドラマチックになるという信頼感は、ときに先走る。

電話機を見れば鳴りさう秋の昼 林雅樹

電話なんて一日のほとんどを沈黙しているのに、鳴りそうに見える。電話が鳴るわずかな瞬間こそが、電話の本領だから。あの電話、鳴るぞ。鳴っていないうちから思う。

幽霊の飛び出しさうな冷蔵庫 小久保佳世子
冷蔵庫は幽霊が飛び出してくるもの……ではない。死体が入っていることはあっても、幽霊が出てくるなんて話、ちょっと聞かない。「幽霊の飛び出しさうな(状況下にわたしの目の前にある)冷蔵庫」と言えば、少しは理屈で説明できそうだ。怖い話を聞いたあと、トイレに行けないのと同じ。幽霊が出るにちがいない、という期待。

盆の家みんな眼鏡をかけてゐる 仲寒蝉
そこにいる人みんな眼鏡。もしかしたら気づかないだけで、日常にそんなケースはたくさんあるかもしれないが、ここはわざわざ区切られた舞台だ。みんな眼鏡をかけていることが、意味めく。
劇に必要なものもう一つ、演技。

頬被りして笑い皺深うせり 後藤貴子
鬼灯の赤を呪ひの道具とす 中山奈々

何かを身につけたり、使ったりすることで生まれる仕切り。劇作家の平田オリザが、書いていた。「プライベートな空間では、演劇は成立しにくい」(平田オリザ『演劇入門』講談社現代新書・一九九八年)。頬被りをすること、鬼灯を道具にすること、そんな変化で、劇が始まる。

はつとして今虫売でありにけり 西村麒麟

演じている自分までびっくりするくらい、演じる。なんで自分は虫売なのだろう。何者かになる行為自体が、ドラマチックである。見る方も、見せる方も、劇の中で、だまされる。

松だよとだまされてをる小春かな 山田耕司
だまされていると知りながら、いい気分になっている。ううん、劇も俳句も、不思議な営みだなあ。




【筆者略歴】

  • 堀下翔 (ほりした・かける)

1995年北海道生まれ。「里」「群青」同人。俳句甲子園第15、16回出場。
現在、筑波大学に在学中。




2014年4月11日金曜日

【「俳句新空間No.1」を読む】 平成二十五年癸巳俳句帖より(その1) / 黄土眠兎

『俳句新空間』刊行おめでとうございます。

表紙が可愛い!お洒落ー!なのに、郷愁を誘う表紙絵、トアルコトラジャコーヒーの文字に釘付けになりました。そこで、歳旦帖より(勝手に)「トアルコトラジャチーム」なるものを作り打順を組んでみました。そして、「トアルコトラジャチーム」の対戦相手「ロイヤルコナチーム」の投手になりきって歳旦帖シリーズを振り返ってみることにします。


コナ敗戦投手の記憶。


一番 月野ぽぽな 元旦の空ていねいにやぶきます

いきなり初球から打たれた。「元旦の空もわたしにかかったらこんなものよ。ふふふふん。」と。一緒にニューヨークの元旦の空をやぶってみたい気持ちになってしまったじゃないか。でも、思いとどまった。・・・大リーガーはすごい。


二番 山田耕司  信仰やいやいやをしてせんぷうき

扇風機の首振り機能に「信仰の自由」を発見してしまった!ボタンひとつで寝返る(信仰)こともあるけど、押しっぱなしだと電源を喪失するまでいやいやしたままじゃないか。いや、信仰は電源を喪失してもいやいやしたままなのだ。下五までねばられ、また打たれてしまった。


三番 西村麒麟  流星を見てトラックは次の街

何のトラックかどんな街なのかはわからない。サーカスかしら?ひと仕事終えたトラックが次の街に行く様子が、「流星」を出してきたところでぐっと胸に迫ってきた。油断した私のグラブを弾いてヒット。満塁になってしまった。


四番 筑紫磐井  初雛の隣家にスタア誕生す

四番かあ・・2ストライクから・・この少子化の時代、「初雛」で「スタア誕生」ってプリンセス誕生じゃないか!ドヤ顔の満塁ホームラン。やられた。


五番 下坂速穂  瓜の馬寄り道をして帰られよ

さ、気を取り直して・・と思っていたら、お盆に帰って来られた親しい人(ご両親だろうか?)の魂に、もっと長く居てほしいという気持ちがひしひしと伝わってくるじゃないか。その優しさに打たれてしまった。

六番 福永法弘  不器用を武器とし愛の四月馬鹿
「不器用を武器」にするなんてどこの馬鹿?と思ったんだけど、四月馬鹿なのね。しかも「愛の四月馬鹿」なんて・・・もうそのフォームでまいっちゃった。身を張って(デッドボール)出塁。


七番 藤田踏青  宵山の汗汗汗の人柱

人柱の意味がちょっと違うかな?とも思ったんだけど、祇園祭の宵山を知っているものにとって、この絵画的表現には大きく頷くしかないんだよね。手がすべって汗をもう一つ投げてしまった!フォアボール(四汗)になっちまった。


八番 小久保佳世子 人だつたかしら月夜の交差点

「人だつたかしら」なんてとぼけたことを・・・と、なめてかかって変化球を投げたのに、「月夜の交差点」とあっさり打たれてしまった。それは、人じゃなかったような気がします。参りました。


九番 仲寒蝉   春の闇人のかたちになれば抱く

春の闇にはいろんなものがいそうだなあ。人のかたちになったら抱くって?元は何でもいいの?河童でも?その金本兄貴並みの器量の大きさに負けました。

監督 高山れおな  秋風や無学哲学みなあはれ

虚子もびっっくり。無学は「あはれ」なのかなー?と、考えこんでいるうちに・・私のシーズンは終わった。今はもう秋風が吹いている。あはれ。




選抜された作者のみなさんごめんなさい。ビビっと響いた好きな句を並べた勝手な解釈でのオールスターでした。

今年も始まっている歳旦帖。トアルコトラジャチームの四番を越える打者が登場するのを甲子園でお待ちいたしております。

トアルコトラジャチームに栄光あれ!


<続く>


【筆者紹介】
  • 黄土眠兎(きづち・みんと)
1960年兵庫県生まれ、兵庫県在住。「鷹」同人、「里」人。




2014年4月4日金曜日

【俳句新空間No.1を読む】 平成二十五年癸巳俳句帖・中山奈々の句を読む /小鳥遊栄樹

私が尊敬する俳人の一人、中山奈々さんの俳句を鑑賞させていただきます。

【春興帖】

季語が春いろはで統一されている三句でした。歳時記で調べてみたところ、春いろはという季語は見付からなかったので、いろは→色葉→秋の季語、紅葉の傍題→春の色葉は桜?と個人的な解釈で読ませていただきました。作者の視点としては、保育園や幼稚園の先生が児童を見ているような視点の句のように思えました。

包装紙切つて花びら春いろは
包装紙を切って花びらを作っている。花びらが貼られている画用紙はきっと春で溢れているのでしょう。

春いろは最後に抱きしむる遊び
おままごとをしている景でしょうか。最後は抱きしめて「おやすみ」で終わる優しい雰囲気の句に思えました。

母を見るための眼や春いろは
子から見る母はやはり偉大だなと思わせてくれる句でした。

【花鳥篇】


葉桜や臨機応変にも限度
私が中山奈々さんの俳句の中でも好きな句の内の一句です。桜から葉桜に変われるけれど、臨機応変にも限度がある。滑稽味があるようにも思えました。

ほととぎす薬の殻の角曲げる
錠剤が入ってる銀色のシートの角を曲げている無機物感とほととぎすの取り合わせは新鮮だなと感じました。

ほととぎす泰淳著書はみんな書庫
武田泰淳は日本の小説家。第一次戦後派作家として活躍。主な作品に『司馬遷』『蝮のすゑ』『風媒花』『ひかりごけ』『富士』『快楽』など。 (Wikipedia参照)和風な一句ですね。著書が書庫にしまわれている静かさとほととぎすの取り合わせは綺麗だなと思いました。

【秋興帖】

ホラーチックな三句でした。色をテーマに詠まれているのかなと思いました。

鬼灯の赤を呪ひの道具とす
言われてみたら呪いの道具として使われていそうな赤色をしているなと思いました。

心臓の色のチークや雁渡し
凍星や臓器それぞれ違う色(ローストビーフさん)をふと思い出しました。チークを心臓独特の色(個人的には赤くくすんだ肌色を想像しました。)と表現したのが面白いなと感じました。

禰宜のあを巫女の赤銀杏踏みぬ
禰宜(ねぎ)とは、神職の職称(職名)の一つである。「祢宜」とも書く。今日では、一般神社では宮司の下位、権禰宜の上位に置かれ、宮司を補佐する者の職称となっている。(Wikipedia参照)巫女さんが銀杏を踏んだ景でしょうか。不思議な雰囲気の句だなと思いました。

【冬興帖】

季語が冬帽で統一されている六句でした。家族的な暖かさが感じられる六句でした。

冬帽を二つ挟んで妻の顔
夫(父)目線の句でしょうか。冬帽をかぶってる子供二人を抱き締めてるような景が浮かびました。

冬帽の二人とも貴方の子ども
やはり夫か妻目線の句なのでしょう。一句目があったので夫目線ということで読ませていただきます。この句は一句目の続きでしょうか。妻が子供を抱き締めてるのを見て夫がふと言った言葉のようにも思えます。

冬帽の色か黒子で見分けたる
この子供はよほどそっくりな兄弟か双子かのどちらかなのでしょう。私の友達にも目が怖そうか優しそうかでしか見分けられない双子の友達がいます。

冬帽のよく笑ふ歯抜けで笑ふ
笑顔が可愛いお子さんですね。歯抜けってことは、結構小さなお子さんなのでしょうか。

冬帽は悪童冬帽は双子
冬帽=悪童、冬帽=双子、つまり双子=悪童なのでしょう。いたずら盛りの可愛いお子さんですね。

【歳旦帖】

ボス猿がテーマの五句でした。ベンツは、大分県大分市高崎山の高崎山自然動物園のニホンザル(Wikipedia参照)

去年今年ボス猿二回目の家出
この場合の家出は猿の群れを離れるという意味での家出でしょうか。家出の使い方が面白いなと思いました。

新月の新年ボスの名はベンツ
新月、新年と来て、このボスは新しいボスなのかなと思ったりもしました。

ボス猿のなき山姫始めのびのび
ボス猿がいたら姫始めものびのびできませんよね。クスッとくる一句でした。

猿人気ランキングあり福寿草
動物園の猿でしょうか。私は動物を見分けるのが苦手ですが、やはり一匹一匹名前があって違いがあり、好感度も違う。ランキングがあるのが人間味もあって面白いなと思いました。

歯固めのクッキーやボス猿模して

ボス猿が歯固めのクッキーを噛んでいるのを見て、雄猿がそれを模しているのでしょうか。個人的に月夜を想像しました。

以上、小鳥遊 栄樹による中山奈々さんの俳句鑑賞でした。

拙い文章でしたが、最後まで読んでいただけたらとても嬉しいです。



【筆者略歴】

  • 小鳥遊 栄樹 (たかなし・えいき)

沖縄俳句会「若太陽」所属、関西俳句会「ふらここ」所属、俳句誌「里」同人、俳句誌「群青」同人、メール句会「立体交差」参加、インターネット句会「週活句会」参加





※編集部注:上記の歳旦帖の中山奈々さんの句は平成二十六年歳旦帖第二のブログ掲載作品であり、「俳句新空間」の冊子収録句ではありません。原稿のまま掲載させていただきました。

※文中の(wikipedia 参照)は記事内容に従いリンクしました。

2013年6月7日金曜日

平成二十五年 歳旦帖(全編) 


















【あ行】

●網野月を(「水明」同人)
時代の所為にしてはいけないごまめ炒る
アメリカンドックにディスペンパック去年今年
愛してるって不思議な言葉薺摘む

●飯田冬眞(「豈」同人)
若水の断末魔聞く指紋かな
 掬ひ損ねる貘の初夢
福寿草宦官の沓滑らかに

●池田澄子(句集『たましいの話』『拝復』他。「豈・船団・面」所属。)
車線変更して新年に入りにけり
太箸の夕べは夜になりたがる
久し振りとは老(ふ)け合つて牡蠣雑炊

●池田瑠那(「澤」同人。俳人協会会員。)
去年今年すばる輝き増しにけり
水巡る地球のけふの初手水
書初の春の払ひの勢【きおい】かな

●上田信治(1961年生れ。「週刊俳句」運営スタッフ)
そこにはない襖の開いて御慶かな
おしぼりが正位置にある福寿草
元日の夜もまないたの白さかな

●内村恭子(「天為」同人)
年用意金銀紅白色絵皿
鳥は風つないで来たり冬木立
そしてまた船は出てゆく大旦

●大井恒行(一九四八年山口県生まれ。句集に『風の銀漢』、著書に『教室でみんなと読みたい俳句85』など。)
歳旦の箸置き幾つ窓秋忌
白き蛇みずうみ渡る幻氷期
非常停止ボタン四度使われ年の暮

●岡村知昭(一九七三年生まれ、「豈」「蛮」「狼」所属)
空腹の僧の饒舌おおみそか
はにかみへあくびで応え鏡餅
セーターを脱いでしまわぬ射的かな

●小川春休(「童子」「澤」)
御降やすこし休みてまた酌むも
這ひ出でて餅食うてまた眠るとは
   西村麒麟の夢の生活とは
初仕事とて文鳥の餌捏て

●小沢麻結(「知音」同人)
日銀短観データを拾ひ初仕事
塔の如枯木あの辺りがリンク
寒紅のなほ揺れてゐる心かな

●小野裕三(「海程」「豆の木」所属)
郵便車平らかに行く七日かな
人の日の婆はひとまず鎮座する
餅花に届く掌ありにけり

【か行】

●北川美美(「豈」「面」)
元朝の庭にさしこむ志
鏡文字映して読まん年賀状
渋滞の橋ゆれつづく二日かな

●北村虻曳(たるにゆ・1978-1993; 北の句会・2003-; 定型短詩集「模型の雲」・2004 冨岡書房; 歌会sora・2005-; 豈・2006-)
掘りあげて棒に絡める蛇の玉
室伏が振り回してもS字型
その始め無に点りたるウロボロス

●栗山心(「都市」所属)
繭玉のやや紅の濃き祇園かな
輪飾や京野菜売る古き店
二日はやマクドナルドに待たさるる

●小林千史
初旅の涙わかれてきしごとく
酔うてゐて声かすかなり七福神
初夢で「きみと話がしたいのだ」

【さ行】

●榮猿丸(「澤」)
嫁が君極楽鳥の餌皿に来
起震車の卓の下なり着ぶくれて
福寿草ひと訪ひくればテレビ消す

●佐川盟子
雪をはく跡にこなゆきふるゆふべ
所作に気をとられていたり初詣
御降や雪は水へと眉の上

●しなだしん(「青山」)
元旦へぶらさげてある束子かな
神のみな目の垂れてゐる宝船
火の中に炎くづれて雪になる

●柴田千晶(「街」)
胡麻油の底に生家の初明り
餅花を背中に挿して叔父来る
葬列の海まで続き冬うらら

●杉山久子(「藍生」「いつき組」)
昇り龍背におどらせて初湯かな
 一気飲みする珈琲牛乳
草の芽のひかりスキップ加速して

●関悦史
   二〇一二年師走の総選挙後なほ
おぞましきポスター満つる初日かな
新年の七時のプロパガンダかな
一ツ目の猫が尿せり初山河

●仙田洋子(「秋」「天為」同人 句集『橋のあなたに』『雲は王冠』『子の翼』『仙田洋子集』、他に『親子で楽しむ こども俳句教室』など)

幼子のよろこびはしる初日かな
初春や地中に眠るものあまた
御降のかくもあまねく秋津島
鏡餅宇宙に燃ゆるものいくつ
幼子のしきりにさはる鏡餅

【た行】

●月野ぽぽな(「海程」同人)
元旦の空ていねいにやぶきます
夕暮れはうすむらさきの手毬唄
初夢にマンハッタンの音まじる

●筑紫磐井(「豈」・俳人協会評議員)
西村麒麟の向こうを張って五句
定年の龍が蛇にと改りぬ
晩年に一寸先の影法師
網の上で笑止と餅がころがるよ
シンプルなライフを嘉しとお正月
幸うすき女と撮(うつ)る年賀状

●津髙里永子(「小熊座」同人)
七種のフリーズドライてふ極み
繭玉の枝を縛りしこと内緒
日脚伸ぶ茶房の壁の遺作展
下半身肥大症気味水仙花
ゴムの木のゴムの葉冴ゆる歯科医院

●外山一機(『鬣TATEGAMI』所属)
 平成二十二年歌会始御製歌
  木漏れ日の光を受けて落ち葉敷く小道の真中草青みたり
児(こ)守(も)れ
霊(ひ)の飛(ひ)花(か)
梨(り)を享(う)けて
御(お)乳(ち)は慈(じ)救(く)
 平成二十三年歌会始御製歌
  五十年の祝ひの年に共に蒔きし白樺の葉に暑き日の射す
夷(い)ぞと
兄(せ)の胆(い)は
妃(ひ)の徒(と)死(し)に
喪(も)に撒(ま)きし
 平成二十四年歌会始御製歌
  津波来し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる
頭(づ)並(な)み
腰(こし)解(と)き
乃(の)木(ぎ)氏(し)へ廃(はい)家(か)
躰(なり)仁(ひと)
 平成二十五年歌会始御製歌
  万座毛に昔をしのび巡り行けば彼方恩納岳さやに立ちたり
満座(まんざ)舞(ま)ふ
二夫(にふ)が潮路(しほぢ)の
叫(ひめ)く
流刑(りうけい)は

【な行】

●仲寒蝉(「港」「里」)
つくづくと垢見つめをる初湯かな
読初の栞に古き宝くじ
初山河静止衛星から画像
若冲の象となりたる福笑
死刑ある国に生まれて雑煮餅

●中西夕紀(「都市」主宰)
門松や今は昔の江戸見坂
初空のいづこへ急ぐ伝書鳩
腰掛けてわが足浮けり初山河

●西村麒麟(「古志」)
お雑煮を食べて雑煮を食べにけり
拉麺を欲すれどまだ雑煮あり
お雑煮はそのうち飽きるさう言へず
本当に雑煮の餅は一つで良い
大好きとまでは行かざるお雑煮よ

●野口る理
のど飴の光宿せる御慶かな
妹の伊勢海老を組み立ててゐる
嫌はれず好かれず舌を出し新年

【は行】

●羽村美和子(「豈」「WA」「連衆」同人)
去年今年何もなかったように原子炉
今年の顔どれにしようか福笑い
初明かり鋭角に伸びる未来都市
しなやかに踊るロボット初東風す
破魔矢さす活断層のど真ん中
お降りのビニール傘の親子透け

●原雅子(「梟」同人)
常なるを以て佳かりし御慶かな
隈取りに男をあげし初芝居
ぬか雨や日を経て固き切山椒

●福田葉子(「豈」同人)
遠近の島を夢みて年送る
 兵役もなき国の駅伝
火山湖に神の水湧く淑気かな

●福永法弘(「天為」所属。「石童庵」庵主。)
石童山粛然としてけさの春
雪を催す庵の門松
刻既に鶏はまだまだまどろみて

●藤田踏青(「豈」同人)
見つめ尽くせば巳詰め尽くした自画像となる
逢引の冬の花火と金魚鉢
山は静かに河は激しく受胎する

●堀田季何(「澤」「吟遊」「中部短歌」所属)
神いづれ白骨化する宝舟
どの神も嗤笑してをり宝舟
瓊玉も神も模造品(レプリカ)宝舟
宝舟船頭をらず常(とは)に海
宝舟瓦解しぬふと日の射せば
宝舟すこしはなれて宝船
宝船しろがね積むやくがね尽き
懇ろにウラン運び来宝船
宝船沈めて渦やうすびかる

●堀本吟(昭和17年犬山市生(戦中派)。松山市育ち。生駒市在住。「船団」を経て「豈」同人。「風来」同人。大阪で超ジャンル「北の句会」を存続十年。評論集『霧くらげ何処へ』(1992年。深夜叢書)。句集を出せと言われつづけているのにちっともまとまらない。)

昭和26年天狼賞受賞の津田清子を思い『無方』までの道のりを讃える
歳旦や「天狼」一月号巻頭
晴着は賞の白きセーター
復た往かん砂漠も初日照るならん

【ま行】

●前北かおる(「夏潮」)
去年の雲ほどけて残る御空かな
北斎が富士描く鳰が水尾を引く
四歳の本厄福寿草の毒

●松尾清隆(「松の花」同人)
別冊の付録のやうに粥柱
傀儡女の箱の中より愛別離
別珍を天鵞絨と呼ぶ松の内

●松本てふこ(「童子」同人)
あの星はぎよしや座カペラと除夜詣
炬燵寝の母や身体をねじりつつ
元日やサッカーボールの影長き

●湊圭史
おめでとうを言うと笑いが込み上げる
新年の猫のおでこのルンバかな
ポチ袋からぎゅっぎゅっとにぎる音

●三宅やよい(「船団の会」所属。)
初富士と同じ高さにラブホテル
日が落ちて正月映画回り出す
獅子舞の獅子に噛まれる列につく

●村井康司(「鏡」同人)
媽祖廟の極彩色に初日かな
ぱぱと云はれ馬鹿とも云はれ大旦
せりなづなクミンオレガノ舌に苔

●もてきまり(『らん』同人)
危機無音まこと初蝶申します
虚無といふ賑はひ新春雷門
鬱屈をやや甘く煮て八ッ頭

【や行】

●山崎祐子(「絵空」「りいの」「万象」)
鳴き砂に拾ふ流木二日かな
人日の丸大根を抜きし穴
神の井の碧きより汲み水祝

●山田耕司(「円錐」同人)
黒松や箒に雌も雄もなく
春泥を舟のかたちにして去れり
逢着はたちしよんべんで掘る凍土

●陽美保子(「泉」同人)
初春や菓子の銘なる紫野
 袖の乱せし福笑の目
鳥雲に漁網一枚繕ひて

●依光陽子(「屋根」「クンツァイト」)
道枯れて人揺れてゐる影や影
繪の中へとび込む人や賀状来る
執拗に蜜柑の白を剥く汝よ
安らかに鷹を眠らす木の声は
くちばしの十全にして大旦

2013年5月10日金曜日

「歳旦帖」を読む ~貫く棒の如きもの~  / 中山奈々

さて問題。歳旦の句といえば?

去年今年貫く棒の如きもの」答えた人が多いのではないだろうか。そういえば、Yahooの知恵袋か、何かに、中国人の友達に「貫く棒」って何?と聞かれたがこれはどういう意味か?という質問を見たことがある。何なんだろう、「貫く棒」って。

まずこんな風に思った。貫く棒。それは真っ直ぐに貫き刺さっている棒。

破魔矢さす活断層のど真ん中    羽村美和子 
セーターを脱いでしまわぬ射的かな    岡村知昭

ああ、こんなところに刺さっていた、棒。棒というより矢。地震大国の日本の鎮めるように刺された破魔矢。その活断層のおかげか、温泉だらけの日本。温泉地で愉しむ射的。この射的、もちろん銃型のやつでもいいのだが、昔ながらの弓矢の射的を思い浮かべた。

これは多分、この前、「テルマエ•ロマエ」という映画を見たから。主人公がバナナを盗んだ猿に射的屋の矢を向けるシーンがあった。古代ローマのお風呂技師の話なんですけど。日本人がローマ人をやっている。ええ、日本人にも濃い顔がいて、例えば、砲丸投げの室伏広治とか。

室伏が振り回してもS字型    北村虻曳

貫くどころか、棒になり損ねてしまった。棒になることは難しいよう。あれ?そもそもそも棒ってどんな棒なんだろう。先ほどは「矢」とは違う棒もあるはず。そうそう。「矢」とは限らない。ではどんな棒があるのか。

死刑ある国に生まれて雑煮餅    仲寒蝉  
おしぼりが正位置にある福寿草    上田信治 

死刑があるということは、その刑が施行されるのを待つ人がいる。その人はたくさんの棒に囲まれた部屋にいる。その部屋で餅を食べるのだろうか。その一方で、料亭で食べる食事。新年の料理は、それは贅沢の極みだろう。だから最初は畏まっているのですが、段々酒が入ると、ふざけが入る。その中で、またにおしぼりをある形にして愉しむ者が出てくる。まあ、何の形かは言わないが、これも所謂、棒。

福寿草宦官の沓滑らかに    飯田冬眞

ああ、ここに棒を失くした方が。棒を失くすと、何だか艶めかしくなるのだとか。この沓の滑らかさもそこからきているのだろう。男性の頭脳に、女性の仕草。

黒松や箒に雌も雄もなく    山田耕司
しまった。変な方向に話が進んだ。棒は棒。雌も雄もない。箒のように。「婦」という字を思い浮かべれば、女性的な感じもするが、ああ、これをまた掘り下げると、深みはまりそうだ。よし、そんな時は

車線変更して新年に入りにけり 池田澄子

閑話休題。となったが、棒どころか、貫くこともやめてしまった。すいすい進む方に行くわ、とばかりに。私の道は私が決めるわ、とばかりに。なるほど。貫く棒には、人生観もある。

嫌はれず好かれず舌を出し新年    野口る理

本人には喜怒哀楽があるだろうが、総まとめすると、あっけらかんとした生き方。幸せ。昔「嫌われ松子の一生」という映画があったが、その主人公のよう。主人公の松子はとにかく、愛されることを望み、それを貫く。ああ、貫く人生。一見して不幸なんだが、何か惹かれる。

炬燵寝の母や身体をねじりつつ    松本てふこ
惹かれる生き方でいえば、このような生き方もある。ねじってはいるが、炬燵を貫く母さんの身体はまさしく棒だ。この人はどんな生き方して来たんだろう。なんて、自分の母なのに思う。

何だかんだ貫く棒を追ってきたが、さてはて、何だったのだろう。思わせぶりなこの棒をもう少し追うことにしよう。


【執筆者紹介】

  • 中山奈々(なかやま・なな)
1986生。吹田東高校在学時に作句開始。2003年俳句甲子園出場。
現在「百鳥」「里」所属。


※収録句については下記”ラベル”の「平成二十五年歳旦帖」をクリックしてください。

2013年4月12日金曜日

【俳句作品】平成25年歳旦・春興帖追補

※画像をクリックすると大きくなります。



    高橋比呂子

年神も目鼻そろえば歩き出す
 
ぽっぺんこわれ二月の羽化

璞を売りきさらぎといえり

釦かぞえてならべて立春

せしうむとみきもとさくらあれにしを

馬に生れ馬に死にたる朧かな

2013年1月25日金曜日

平成二十五年歳旦帖 第四

※画像をクリックすると大きくなります。

 

 






 
 
 
平成二十五年歳旦帖 第二

 

依光陽子(「屋根」「クンツァイト」)

道枯れて人揺れてゐる影や影

繪の中へとび込む人や賀状来る

執拗に蜜柑の白を剥く汝よ

安らかに鷹を眠らす木の声は

くちばしの十全にして大旦

 

山田耕司(「円錐」同人)

黒松や箒に雌も雄もなく

春泥を舟のかたちにして去れり

逢着はたちしよんべんで掘る凍土

 

杉山久子(「藍生」「いつき組」)

昇り龍背におどらせて初湯かな

   一気飲みする珈琲牛乳

草の芽のひかりスキップ加速して

 

   小沢麻結(「知音」同人)

日銀短観データを拾ひ初仕事

塔の如枯木あの辺りがリンク

寒紅のなほ揺れてゐる心かな

 

   月野ぽぽな(「海程」同人)

元旦の空ていねいにやぶきます

夕暮れはうすむらさきの手毬唄

初夢にマンハッタンの音まじる

 

  小野裕三(「海程」「豆の木」所属)

郵便車平らかに行く七日かな

人の日の婆はひとまず鎮座する

餅花に届く掌ありにけり

 

榮 猿丸(「澤」)

嫁が君極楽鳥の餌皿に来

起震車の卓の下なり着ぶくれて

福寿草ひと訪ひくればテレビ消す

 

福永法弘(「天為」所属。「石童庵」庵主。)

石童山粛然としてけさの春

雪を催す庵の門松

刻既に鶏はまだまだまどろみて

 

堀本吟(昭和17年犬山市生(戦中派)。松山市育ち。生駒市在住。「船団」を経て「豈」同人。「風来」同人。大阪で超ジャンル「北の句会」を存続十年。評論集『霧くらげ何処へ』(1992年。深夜叢書)。句集を出せと言われつづけているのにちっともまとまらない。)

昭和26年天狼賞受賞の津田清子を思い『無方』までの道のりを讃える

歳旦や「天狼」一月号巻頭

晴着は賞の白きセーター

復た往かん砂漠も初日照るならん



         山崎祐子(「絵空」「りいの」「万象」)


鳴き砂に拾ふ流木二日かな


人日の丸大根を抜きし穴


神の井の碧きより汲み水祝


 


小林千史

初旅の涙わかれてきしごとく

酔うてゐて声かすかなり七福神

初夢で「きみと話がしたいのだ」

 

陽 美保子(「泉」同人)

初春や菓子の銘なる紫野

   袖の乱せし福笑の目

鳥雲に漁網一枚繕ひて

 

松尾清隆(「松の花」同人)

別冊の付録のやうに粥柱

傀儡女の箱の中より愛別離

別珍を天鵞絨と呼ぶ松の内

 

柴田千晶(「街」)

胡麻油の底に生家の初明り

餅花を背中に挿して叔父来る

葬列の海まで続き冬うらら


 

   堀田季何(「澤」「吟遊」「中部短歌」所属)

神いづれ白骨化する宝舟

どの神も嗤笑してをり宝舟

瓊玉も神も模造品(レプリカ)宝舟

宝舟船頭をらず(とは)に海

宝舟瓦解しぬふと日の射せば

宝舟すこしはなれて宝船

宝船しろがね積むやくがね尽き

懇ろにウラン運び来宝船

宝船沈めて渦やうすびかる

 

   外山一機(『鬣TATEGAMI』所属)

平成二十二年歌会始御製歌

木漏れ日の光を受けて落ち葉敷く小道の真中草青みたり

()()

()()()

()()けて

()()()()

 

平成二十三年歌会始御製歌

五十年の祝ひの年に共に蒔きし白樺の葉に暑き日の射す

()ぞと

()()

()()()

()()きし

 

平成二十四年歌会始御製歌

津波来し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる

()()

(こし)()

()()()(はい)()

(なり)(ひと)

 

平成二十五年歌会始御製歌

万座毛に昔をしのび巡り行けば彼方恩納岳さやに立ちたり

満座(まんざ)()

二夫(にふ)潮路(しほぢ)

(ひめ)

流刑(りうけい)