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2024年9月13日金曜日

第16回「こもろ日盛俳句祭」シンポジウム「歳時記について」 筑紫磐井

第16回「こもろ日盛俳句祭」

シンポジウム(2024年7月27日)

テーマ「歳時記について」

パネラー:

小林貴子

村上鞆彦

土肥あき子

山田真砂年

筑紫磐井(司会)

 恒例の小諸日盛俳句祭が本年も7月26~28日に行なわれ、その中でシンポジウム「歳時記について」が開催された(27日)。

 パネラーは、中堅作家の小林貴子、村上鞆彦、土肥あき子、山田真砂年の4人と(司会)筑紫磐井であり、各自の推薦する歳時記をあげた。

     *

 大歳時記としては、講談社の『カラー版新日本大歳時記(5分冊)』と『新版角川俳句大歳時記(5分冊)』に人気が集まった。

 講談社の大歳時記は『カラー図説日本大歳時記(5分冊)』(昭和56年)を出すが、使いやすい常用版や、山本健吉基本季語500選(講談社学術文庫)を出したのち大改訂をして、『カラー版新日本大歳時記(5分冊)』(12年)を出す。現在ではこれを一本にまとめた愛蔵版(20年)を出している。

 角川書店の大歳時記は、昭和46年の『図説俳句大歳時記(5分冊)』が原点となっており、これを踏まえて(図説はないが)記述内容・例句を充実させた『角川俳句大歳時記(5分冊)』(平成18年)がでた。

 『角川俳句大歳時記』(平成18年)には、歳時記・季語の総論が「歳時記へのおもい」(宇多喜代子)「歳時記と季語の歴史」(筑紫磐井)が書かれ、これを踏まえて24節気の解説などが行われた体系なものとなっていた。15年を経過し、その後『新版角川俳句大歳時記(5分冊)』(令和4年)が刊行されたが、前著の編集方針をかなり変更して、特に歳時記季語論の総論もなく、新しい季語を加える一方古い伝統的な季語を削除したりした。


①新版角川俳句大歳時記 定価:5,995円(春)

【推薦者】小林貴子、村上鞆彦、土肥あき子


②角川俳句大歳時記

【推薦者】小林貴子、山田真砂年


③鍵和田秞子監修『花の歳時記』(講談社)

【推薦者】小林貴子、山田真砂年


④最新俳句歳時記(文芸春秋)

【推薦者】小林貴子


⑤虚子編『新歳時記』(三省堂) 定価3,300円

【推薦者】小林貴子、山田真砂年


⑥『図説俳句大歳時記』(角川)

【推薦者】小林貴子


⑦『俳句歳時記第5版』(角川文庫)  定価:2,970円

【推薦者】村上鞆彦


⑧俳句歳時記(角川ソフィア文庫)  定価:616円(春)

【推薦者】土肥あき子


⑨『日本大歳時記』(講談社)[常用版]→『カラー版新日本大歳時記(5分冊)』定価:16000円

【推薦者】村上鞆彦、土肥あき子、山田真砂年、筑紫磐井


●(参考)山本健吉基本季語500選(講談社学術文庫)定価:3,300円

※『日本大歳時記』(講談社)の抜粋本


⑩稲畑汀子編ホトトギス季寄せ(三省堂)定価2,640円

【推薦者】土肥あき子


⑪『俳諧歳時記』(改造社)

【推薦者】小林貴子、土肥あき子


⑫水原秋櫻子編『新編歳時記』

【推薦者】筑紫磐井


⑬今はじめる人のための俳句歳時記(角川書店)定価:924円

【推薦者】筑紫磐井


2018年8月10日金曜日

季重なりについて    筑紫磐井

 今年のこもろ日盛俳句祭で季重なりシンポジウム(7月28日)に出席して来た。余り、他人の言うことを聞いていなかったので記憶にあるのは自分の喋ったことばかりであるが、シンポジウムの記録はなかなかでき上らないので、それだけでも記録しておくことは意味があろう。
 特に私は、『虚子は戦後俳句をどう読んだか』(深夜叢書社)を出したばかりであり、そこから最晩年の虚子が論評した主な季重なり句は面白かったと思う。シンポジウムの資料から例を挙げてみよう。

 夜鷹鳴くしづけさに蛾はのぼるなり      秋桜子
 牧開 白樺花を了りけり
 啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々 
 残雪も夜空にしろし梨の花
 田植すみ夕焼けながす雄物川
 蟇鳴けり春田に映る安食町(あじきまち)
 泳ぎ場の裸の中に分け入れり          誓子
 早苗束濃緑植田浅緑              素十
 春の月ありしところに梅雨の月
 夕涼しちらりと妻のまるはだか         草城
 冬晴れや鵙がひとこゑだけ鳴いて
 風邪の床一本の冬木目を去らず         楸邨
 蚊帳出づる地獄の顔に秋の風
 鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる
 虹消えて馬鹿らしきまで冬の鼻
 あえかなる薔薇撰りをれば春の雷       波郷
 春すでに高嶺未婚のつばくらめ        龍太
 麦蒔くや嶺の秋雪を審とし
 炎天の巌の裸子やはらかし 
 冷ややかに夜は地を送り鰯雲 


 虚子が昭和27年から34年まで行った玉藻の「研究座談会」で飯田蛇笏から金子兜太までの著名な戦後俳人35人の戦後俳句を取り上げている。この人選及び例句の選は、清崎敏郎がおこなったものらしく、比較的バランスのとれたものとなっている。
 この中から特に代表的作家の季重なり句を掲げてみた。ここから分ることは虚子の選と評であるが、その前に戦後俳人の季重なりに対する態度も分かるのが面白い。
 後者(季重なりの態度)から言える事は、季重なりは作家によって頻出度に差があり、秋櫻子、楸邨、龍太に目立つことである。言ってしまえば、馬酔木系や抒情系の作家にそれが多いと言うことである(波郷はその後の傾向から云うとむしろ虚子に近いような気がするのでここに出てこないでも不思議はない)。
 次に前者(虚子の季重なりの評価)についていえば、虚子はこれらの句の論評にあたり、季重なりがいいとも悪いとも言っていないのである。虚子は季重なりに全く関心がなかったのである。俳句の評価にあたって、季重なりを何ら基準に置いていなかったということである。これはシンポジウムの司会をした本井英氏も指摘していたことである。永年にわたる虚子研究を重ねて来た本井氏の発言であるから重みがあり、私の多少の不安も払拭された。
      *
 それにしても、季重なりの「季」とは何だろうか。私は、論者ごとに、①季題・②季語と言い分けられているのではないかと感じている。季題とはもちろん虚子やホトトギスの作家が言う季題であるが、その基本理論は、花鳥諷詠である。俳句とは何かという質問に対し、虚子は花鳥諷詠詩であると答えているが、別の場で季題諷詠詩であるとも言っている。何のことは無い、季題諷詠とは題詠のバリエーションのようなものである。約束なのである。
 一方、季語については、虚子と対立した乙字・井泉水の提唱したものであり、季感と密接に関係している。秋桜子の季語もそうしたものと言えよう。
 パネラーの奥坂まや氏は、季題も季語も季感に基づく言葉だと言っているが、これは奥坂氏が馬酔木系(つまり季語派)で長らく育った作家である為の誤解ではないかと思う。虚子の頭の中の季題には季感は存在していない――もちろん季題が発生するには季節感を無視して生まれはしないが、何度も何度も季題を使った作品を使った過程で季感は薄れている。季題は約束だから使うのであり、俳句が季節感を詠む文学であるからではない。
 だから虚子は季題を大事だと言ったが、季節感が大事だとは言わなかった。むしろ、虚子は秋櫻子の季感に対してやや警戒的な立場をとっている。季感を主張することにより、季題がないがしろになるからだ。繰り返して言うが、虚子は俳句は季題の文学であると言ったが、季節感の文学であるとはいっていないのだ。我々は季節感を忘れても、約束事である俳句と言う文芸に参加していることがあるのである。
     *
 なぜこんなことを言うのかと言えば、冒頭の馬酔木系は季重なりが多いという指摘に、会場から黒岩徳将氏が、なぜ流派によって季重なりの是非が出て来るのかと質問が出たからだ。しかし、馬酔木派とホトトギス派が季重なり肯定派と否定派なのではない。馬酔木派は季感を詠むからいくつでも季語を重ねても不都合はないわけである。場合によって季語が無くても寛容な態度をとる。そうしなければ新しい季語が生まれないであろう。これに対しホトトギス派は季題で俳句を作るから、通常季題が二つ以上入ることは無いわけである。しかし入れてはならないと言う原理があるわけではないから、虚子のように季重なりを排斥もしないのである。ただ悩ましいのは虚子の態度を貫くと、季題が無い俳句、つまり無季俳句を作ってみなければ新しい季題ができないことである。
 虚子は、

 塩田に百日筋目つけ通し             欣一
 しんしんと肺碧きまで海のたび          鳳作


の句を、「塩田」「海のたび」は将来多くの人が詠めば夏の季題となりえるという。しかし、これらが夏の季題に昇格するまでは無季の句を読み続けなければならないのである。

2016年10月14日金曜日

2016こもろ日盛俳句祭参加記 後半 / 北川美美



2016こもろ日盛俳句祭参加記 前半 》読む



(承前)
後半はシンポジウムのテーマ「俳句と地名」を元につれづれに雑感を交えて。


シンポジウム会場は、小諸市の新庁舎に伴い新設された多目的ホール(ステラホール)で行われた。客席が階段状に設置された234名収容のシンポジウム向きのホールだ。


 司会:筑紫磐井
パネラー:藺草慶子、窪田英治、高田正子、行方克己




シンポジウムについては、筑紫氏の俳句四季<俳壇観測>に書かれている。


新会場レイアウトも手伝って、今回は、壇上と客席とのやりとりが頻繁に行われ、グルーヴ感のある進行だった。例年は暑さから午後の睡魔が襲い危ない時間帯なのだが、今回は聴き応えのあるやりとりが楽しめた。当初テーマ「俳句と地名」にあまりに食指が動かなかったが、こう盛り上がるのは意外だった。壇上に挙がった地名句に合わせ、実作者からの声が聴け会場を巻き込んだシンポジウムとなった。

地名句というのは、超有名句になる可能性もある、逆に地名を詠み込む句は相当なインパクトが無ければ愛唱される句にはならないだろう。


鎌倉を驚かしたる余寒あり 虚子


さながら歴史をも圧巻する寒さが伝わる。この句はやはり鎌倉が要である。


地名句はもともと和歌の歌枕を発端とし、詩歌の歴史に遡る。俳諧では、1680年に幽山編の『俳枕』が名所俳諧集である。幽山は芭蕉の師匠にあたるお方である。地名は、壮大なイメージが沸き起こる切欠をつくる。


現在は、国内は通行手形無しに自由に行き来出来、情報に至っては、地球の至る場所であっても遠い地の情報やニュース、映像を閲覧できる時代である。地名句は、即座に歴史や景色や人の往来が見えてくる。皆、地名好きなのである。


新興俳句以降の三鬼、白泉、敏雄には、地名を詠み込んだ句は非常に珍しい(新興俳句運動の中にも地名句は珍しいともいえるが)。しかし、あるにはある。それも有名句。

広島や卵食ふ時口ひらく 三鬼
 
砂町の波郷死なすな冬紅葉 白泉 
武蔵野を傾け呑まむ夏の雨 敏雄

敏雄に関しては、独立一句を目指す指針が当初よりあり、「個人的事情や社会的背景への理解を、条件としなければ成り立ち難い句は除いた。」(『まぼろしの鱶』後記)記していることから、地名によりイメージが限定されることを好まなかったようだ。


攝津幸彦になると地名は、想像を掻き立てる飛躍の役割を果たし読者の中でイメージが膨らむ切欠となる。やはりインパクトは相当ある。

南浦和のダリヤを仮のあはれとす 幸彦

そういえば、司会であったためか筑紫氏の地名句が壇上に挙がらなかった。


来たことも見たこともなき宇都宮  磐井


宇都宮の歴史をみてみると、秀吉の関東および奥州の諸領主に対して行った戦後措置に<宇都宮仕置>があり、元はその歴史に絡む句かもしれないが、現在、地方都市である宇都宮を言うになんとも大胆な措辞に読者側の驚きがある。


地名句は社会性俳句にもなり得る。

足尾・水俣・福島に山滴れる  関悦史


各人各様、地名句は、相当な衝撃がある。


ともあれ、自分は、地名句に興味がないどころか、初学の頃より地名があることに気が付く。

パリロンドンソウルトーキョー吊忍 美美 
三田一丁目クスリ屋の角秋の暮  〃 
石神井の愛人宅は薔薇盛り  〃 
暴力映画観て高崎より先が霧   〃

自分の育った環境が群馬という「上毛かるた」を授業に取り入れたことが影響しているのかもしれないが、成年になってからは、90年に流行った Right Said Fred - I'm Too Sexy で世界の都市名が唄われていたことや、地名ではないが、かまやつひろしの曲にプレイスポットの店名が多く出て来たこと感心したことがある(攝津幸彦に三越の句があるのと同様である。)。


と以上、シンポジウムのテーマを発端に地名に纏わる雑感を交え綴ってみた。


筑紫氏の俳壇観測と重複するが、シンポジウムで取り上げられた、パネラー、客席の俳人各位からの地名句を挙げておこう。

藺草慶子
叡山やみるみる上がる盆の月
貴船口まで冬山の芳しく


窪田英治
木曽道の石みな仏夏深む
青胡桃千曲川(ちくま)十里は雨の中


高田正子
禅寺丸柿の原木の木守柿
狐火や王子二丁目の角曲り


行方克己
ふるさとは道の八街麦の秋
権之助坂の往き来に柳散る


本井英
小田急が湯元出てゆく秋の暮


中西夕紀
東京は地下も秋澄む人の声
新宿や重層の囲を蜘蛛たちも


島田牙城
浅間山いな初秋の妻の膝


仲寒蝉
熱帯魚サマルカンドを悠々と
二百十日山の裏にて東京都


伊藤伊那男
京の路地一つ魔界へ夕薄暑


長峰千晶
逞しき炎暑の雲を浅間山
冬ざるる人間くさきパリの壁


壇上のボードに書かれた句



**************


二日目のスケジュール終了後は、毎年参加の「都市」(中西夕紀主宰)の皆様とともに、小諸市内の与良の町で過ごす。虚子庵の近くである。

更にその後、夜盛句会を覗いてみたところ、夜盛句会が終了した直後だったようで、幹事でいらした青木百舌鳥さんが後片づけをされていた。大勢の皆様で夜まで句会という盛り上がりようである。百舌鳥さんに飯田冬眞、篠崎央子、宇井十間の三氏を加え、夜盛第二句会を行う。 皆さん俳句好きなんですね。


夜盛句会の様子(撮影:青木百舌鳥)


***************



  • 7月30日 記念募集句 仲寒蝉選


特選
大欅殻の数ほど蝉鳴かず 上村 敦子

入選
虚子そこに座りしごとく夏座敷 北原千枝

美しき汗などなきと負試合 佐藤月子

風鈴のたくさん鳴つてゐて静か 井越芳子

逆しまにロープに縋る蝉の殻 柳沢晶子

ちんまり沓脱石や庵涼し 本井 英

栗の毬まだ柔らかくまだ青く 御厨早苗

国境を食うてをりたるきららかな 松野秀雄

朝稽古弓ひく所作の目に涼し 中島富美子

六道転生此度は蟻地獄 石田経治

***********:



  • 最終日 7月30日 (土曜日)小諸最高温度32度  最低 24度



最終日午前中は、恒例である筑紫氏との冊子<俳句新空間>夏号の入稿打ち合わせ@小諸高浜虚子記念館。入館前に隣接する虚子の旧宅「虚子庵」を拝む。

「里」の内堀うさ子さんが、入室され挨拶を交わす。その後、筑紫氏と入った食事処の入り口にうさ子さんの句が大きく掲示されていた。


第17回虚子・こもろ全国俳句大会 長野県知事賞

幾つもの白息を吐き鯉を切る  内堀うさ子


小諸では虚子に纏わる俳句大会・イベントが行われているが、<虚子・こもろ全国俳句大会>は、募集と表彰を主にしているようで当該の日盛祭とはイベントの趣旨が異なる。小諸では夏でも鯉が食せる。昼食に鯉こくを頂き、汗をかく。その後も汗が引かず。


午後の句会。

そのうさ子さんと同室となり、スタッフ俳人として入室された筑紫氏と三人で同じ机に座りフシギな気分。クーラーが背後にあったので密かに私が<強>に操作したところ、筑紫氏とうさ子さんが冷え過ぎということに…。私だけが暑さを感じていたのは鯉こくのせいではなく、微妙な年頃のせいかと赤面する。


以下は、句会で出たいくつかの句。



(お名前が正しく表記されていない可能性があります。)

汗の手に半券を渡されてゐる 中嶋夕貴 
肩ひものよじれポンポンダリアかな 〃 
蟻地獄天に蠍の星燃ゆる 藤江みち
山百合や自由に鏡を打って良し 田中香 
うっすらと汗して虚子の散歩道 窪田英治 
無名戦士の碑山蟻に瞼無し 東公明 
城壁にはりついている蟻の列 伊藤伊那男 
虚子庵の砂と干からぶ実梅かな 内堀うさ子 
投げうっても投げうっても黄金虫 筑紫磐井
いろいろの戦後押し寄せ汗しとど 〃



三日目の句会、懇親会と終了すると、受付周辺は参加者がそれぞれ三々五々に散り出し慌ただしい。電車やバスの時間に急ぐのである。祭の後はいつも淋しい。


最後の懇親会にて。(撮影:青木百舌鳥)



こもろ日盛俳句祭が終わると、例年夏が終わった気になるが、猛暑はその後更に厳しくなる。





おまけ

 通称 テニスコート通り(だと思う)

室生犀星旧家







2016年9月30日金曜日

【抜粋】<「俳句四季」10月号>俳壇観測連載165/地名俳句と名勝――小諸から吉野へ飛んで俳句の基盤を自由に考える / 筑紫磐井



小諸の二泊三日

本井英が発起人となってはじめた「こもろ・日盛俳句祭」が今年で第八回目を迎えた。

いつのころからか「俳句の林間学校」と愛称をつけているが、まさに俳壇の恒例行事となってきた。きっかけは、高浜虚子が子規の没後碧梧桐と競い合ったとき、碧梧桐が俳三昧という鍛錬会を開いた(明治三七年秋)のに対し、これに対立して俳諧散心という勉強会を開いた(明治三九年三月から四〇年一月まで毎週月曜)。特に第二回目のそれは八月中に連日開いたことから日盛会と呼ばれた。本井の初めの企画は逗子の本井宅で連日行われたが、その後三日に限り、特に高浜虚子が戦中戦後疎開した小諸に場所を移して行っているものだ。小諸市の全面的な支援を受けて町おこしの行事となっている。もうすぐ一〇回目を迎えるわけで、地方の俳句事業として全く定着したのは立派である。

超結社の参加が特色で、本井の人柄もあり、きっかけは虚子であっても伝統・前衛に関係なく参加者がふえている。いくつもの句会場に分かれ句会・吟行が行われており、追加の企画として、著名俳人・文化人の講演とシンポジウム、懇親会が開かれる。今年は日本文学の研究家の久保田淳氏の講演と、「俳句と地名」のテーマで中堅作家によるシンポジウムが行われた。

 今年は七月二九日から三一日まで開催された。特色はシンポジウムで、藺草慶子・窪田英治・高田正子・行方克己がパネラーとなったが、パネラーがしゃべりまくるシンポジウムを反省し、会場の参加者が発言して盛り上がりを見せた。多分、それまでの、季語や字余りなどはパネラーの強い思い入れがいい方にも悪い方にも働き、聞き手が承るシンポジウムになってしまったのが、今回のテーマはそれが少なかったようだ。

 地名俳句と言っても、芭蕉や虚子の地名俳句ではなく、各パネラー・発言者の地名俳句を掲げ、自身の問題として語らせた。文末に各人の掲げた地名俳句を載せてみたが、各人難渋したようである。自分の代表句や季語に関わる句を求められれば簡単にあげられても、地名俳句はなかなか出てこないというのも意外であった。

とつぜん言われても困ると司会者は厳しく叱責を受けていたし、正直な横澤放川は地名の名句があると言いながら結局最後まで思い出せなかったようだ。また、高田正子のように長い俳人生活の中である時点から急に地名俳句が多くなった作家もいるし、島田牙城のように地名俳句はないと言いながら句集を点検したらざくざくと地名俳句が出てきたりしたという人もいた。

また、地名を略称することはどこまで許されるか(以下の例で言えば、窪田の「千曲川(ちくま)」のような例)のような議論も起こった。

シナリオを予想したシンポジウムとは違って、今回は予想のつかないところが面白かった。



藺草慶子
叡山やみるみる上がる盆の月
貴船口まで冬山の芳しく
 
窪田英治
木曽道の石みな仏夏深む
青胡桃千曲川(ちくま)十里は雨の中
 
高田正子
禅寺丸柿の原木の木守柿
狐火や王子二丁目の角曲り
 
行方克己
ふるさとは道の八街麦の秋
権之助坂の往き来に柳散る
 
本井英
小田急が湯元出てゆく秋の暮
 
中西夕紀
東京は地下も秋澄む人の声
新宿や重層の囲を蜘蛛たちも
 
島田牙城
浅間山いな初秋の妻の膝
 
仲寒蝉
熱帯魚サマルカンドを悠々と
二百十日山の裏にて東京都
 
伊藤伊那男
京の路地一つ魔界へ夕薄暑
 
長峰千晶
逞しき炎暑の雲を浅間山
冬ざるる人間くさきパリの壁

(以下略)

※詳しくは「俳句四季」10月号をお読み下さい。

2016年8月26日金曜日

2016こもろ日盛俳句祭参加記 前半 / 北川美美



今年2016も恒例の「こもろ・日盛俳句祭」に参加した。

今年の実施日は、2016年7月29日、30日、31日と昨年よりも暦上では5-6 日ほど早いことになるが、例年に比べると今年の参加日の暑さは気のせいか昨年よりも穏やかに感じた。実際の真夏日は一週後だったため行動しやすかったのは確かだったようだ。刺さるような痛い日差しがやはりこの俳句祭には合っている。ともあれイベントは無事終了し盛況だった。




***

少々、日記風に個人的観点にて…。

●2016年 7月30日(土曜日)   晴  小諸・気温 最高32度 最低22度


私が参加したのは、30日シンポジウムからの二日間。小諸到着は11時頃だった。昨年は、句会場の慶興寺に向かいながら、行けども行けども迷ってしまい、どうしても辿りつけなく、ベルウィンの総合受付に戻り、道案内をしていただいたなどの事があり、大汗に更に大汗をかいての投句となったため少々早く出発。

しかし、車中で流していたDVDが気になってしまい、佐久平パーキングエリアにて映画のラスト20分くらいを集中して観てからの到着…なんとも句会に臨む心得としては不謹慎極まりないところで虚子先生にお詫び申し上げる次第だ。

さて、会場に到着すると、佐久が本拠地(現在は神戸が発行所)の「里」の世話役されている森泉理文さんと受付で会う。せっかくなので、吟行と称し、一緒に小諸動物園に行くことに。小諸城址に隣接する動物園だ。

昨年、刊行された、高柳克弘さんの『寒林』のどなたかの推薦句と自選句に下記があった、というのが理由としてあった。


日盛や動物園は死を見せず  高柳克弘 『寒林』


確か、こもろ・日盛俳句祭で投句されたのではという記憶がある。


動物園に行ってみると、なるほど、となる。 


ライオンの雌が一頭、端居しているような姿で静かに鎮座していたが、どうもパートナーだった雄が他界したようなのだ。村上春樹がこのライオンに会いに来るとかで、(檻にそう書いてあった)、残る雌ライオンも小説に出て来たりするらしい。

歩きながら理文さんに「一日目はどうだった?」 などと感想を求めたところ、一日目の「講演会」が非常に面白く、今迄知らなかった子規の一面やら、踏み込んだ話が聴けて、有意義だったという感想だった。 


一日目は下記の講演が組まれていたのだ。

「講演会」(7/29)
講師 久保田 淳 先生
演台「子規を読む-句集と歌集を中心に-」

寝たきりの子規なので想像の句が多いんじゃないか、と例句をあげての話や、当時の遊郭の話などがあったとかで…明治の風俗の話も絡め学者先生からそういうお話を伺うというのは、さらに子規に興味が湧いて来る。「子規は脊椎カリエスとどう向き合ったのか」と思いながら…、心身ともに健康だったと思える子規がどう病と向き合ったのか…かつての大河ドラマの『坂の上の雲』の子規役だった俳優・香川照之の姿を思い出しながら理文さんの話を聞いていた。

講演は拝聴できなかったが、理文さんの話を伺ってなんとなく子規の隠れ話に興味が湧いてきた。


7月29日 講演 久保田 淳 先生


帰ってからクプラス(第2号は子規特集)を読み直すと高山れおなさんの「根岸の一夜」は子規の性欲云々に思いを巡らせる内容だ。碧梧桐の回顧談『子規の回想』が妙に生々しく熱帯夜に迫る。…と久保田淳先生の講演を聞けなかった分、クプラスを読むというカラクリになった。



動物園にいるポニーや羊をじっーと見つめていても句は出来ず、少々飽きて、小諸城址から富士山が一望できる(その日は見えず)ところで一休みする。と、どうも、前に座ってらっしゃる方は、青木百舌鳥さんらしい。 あれ?と声をかけてみるとやはり百舌鳥さん。今年も写真班でスタッフとして参加されていて、しばし歓談。小諸には頻繁にいらしているようだ。 茶屋で「冷やし飴」なるドリンクで喉を潤す。 百舌鳥さんは、午後は山城館句会だということだった。

7月30日 山城館句会 (撮影:青木百舌鳥)


さらに、城址を歩いていて、小屋らしきも展示室を覗いてみると、<木の火筒>を発見し感動。 戦国時代に使用されたものがそのまま展示されているのか、レプリカなのかは確認できなかったが、三回火薬を発射させるともう使用できないという説明が書かれていた。薬玉を入れる火薬筒も傍にあった。というのも三橋敏雄句に<然る春の藁人形と木の火筒>があり、目に留まったという次第だ。朝、佐久平PAで油を売っていたように観ていた映画『逆噴射家族』はマンザラ不易ではなかったのだと自分に言い聞かせる。(火筒→逆噴射という連想のカラクリ。)


逆噴射したら怖いですね…木の火筒
然る春の藁人形と木の火筒 三橋敏雄 『眞神』



7月29日 慶興寺句会場


さて、句会。今年も慶興寺を選んだ。 今年は、迷わず到着でき、本堂が会場となっていた。スタッフは高田正子さん、藤本美和子さん、小林貴子さんが担当された。夏潮の柳沢木菟さん、柳沢晶子さんご夫妻、御厨早苗さんが同会場で、「あらー!」と顔を合わせ再会を喜ぶ。今年は、夏潮の皆様にお会いするために、何か湘南らしいものを身に着けて行きたい、と思い、油壷シーボニア近くにあるWATTS のバックを持って行ったのだが…。(と、説明をしたのだが、何? ワッツ? と通じなくショック。夏潮の御用達かと思っていた。)

慶興寺本堂には虚子先生が小諸を離れる時に送別句会を開いたところのようで、虚子先生を囲み11人(確か)の本堂前での記念写真が飾ってあった。

黒蝶の何の誇りも無く飛びぬ 虚子  『続・小諸百句』より 
夏蝶の簾に当り飛び去りぬ 
秋晴の名残の小諸杖ついて 

※小諸百句・続小諸百句は 市立小諸高濱虚子記念館にてお取り扱い中 詳しくは》こちら

高田正子さん、藤本美和子さんは、午前中に真楽寺を訪れたようだ。神秘的な沼がある。

さて句会。いくつかの句をご紹介しておこう。

(7月29日 慶興寺句会)


(※お名前の表記が不確実な可能性があります。)

汗の玉命しづかにつなぎつつ 高田正子
龍神を待つ山清水あふれしめ 
軽鳬の子に水面やさしくなりにけり  
涼風や水鏡へと身をかがめ 小林貴子
汗引くや小諸の風に他ならず  
水中の日向日蔭も土用中 藤本美和子 
水輪ただ広ごるのみの泉かな 松枝まりこ
けふ何か生まれ逝きたる泉かな  
汗乾ききつて蕎麦屋に辿りつく 小玉和子
川底の赤錆色や夏落葉 
本堂の西側葭簀立て掛けて  
店番が昼寝している骨董屋  和田桃
向日葵は日を追ひ我は信濃行き 
塔浮かせ山百合の香の傾れをり 小倉京香 
汗拭ふ村一番の子沢山 塩川正 
薄暗き隧道を抜け蝉時雨 御厨早苗 
老鶯の小諸ここよと鳴きくれし 中村みきこ
朝涼や外階段の湯屋遠く 柳沢晶子  
首垂れて顎で交わる汗の玉 北川美美



北川が特選に選んだのは、藤本美和子さんの「水中の」の句。もちろん光の陰影の様子が目に浮かんだのだが、縦書きの句を拝見したときに一行のデザインが幾何学的に目に入ってきた。また水、中、日、向、蔭、用、 言葉同士の不思議な引力があると思える句だった。



句会後は、本会場のベルウィンに戻り、シンポジウム会場に向かう。

(つづく)


***
●7月29日(金曜日)  記念募集句   藤本美和子選

特選 
虚子庵の午後蠅の声あるばかり  本井 英 
入選 
雨あがりの虹追ひかけて小海線  塩川 正 
通散湯苦し崩るる雲の峰  野中 威 
蚊を打つて一つ年取る心地かな 久保千恵子 
乙女なる駅名過ぎて朝涼し  藤田恵里 
手紙読むための机や白木槿  中村恵理子 
何の鳥の一声山を涼しくす  大矢知順子 
嘆息のたび熱帯魚裏返る   仲 寒蝉 
川筋に鳥の集まる炎暑かな 窪田英治 
吊り鐘人参揺るるは鐘を鳴らすとき  荒井民子


 1日目 スタッフの先生方
(撮影:青木百舌鳥)




2015年11月27日金曜日

字余りを通じて、日本の中心で俳句を叫ぶ (その1) / 中西夕紀・筑紫磐井



【その1】

はじめに

「BLOG俳句新空間」では様々な対談を併行して進めている。座談会になっていないことには理由がある。論者に様々な意見があり、A,B,Cそれぞれの関心が重なるわけではないことが大きいが、さらに座談会として話が流れているように見えながら、必ずしもABの関心と、BCの関心が同じではないこともあり、ABの座談部分と、BCの座談部分が異なる文脈で語られている為である。座談会の傾向として、鼎談で、AとBが語りCが全く沈黙してしまう部分があることはよく見られるはずだ。もっとも有名なところでは、昭和14年8月の山本健吉司会の「俳句研究」座談会「新しい俳句の課題」(いわゆる人間探求派座談会)がそうである。中村草田男と加藤楸邨が実によくしゃべり、石田波郷はろくに応答すらしていない。波郷のこの態度に、これを読んだ俳人たちは翌月号で非難のコメントを寄せている。しかしこれは座談会という形式が悪かったのだ。草田男・楸邨の熱心な(人間探求派らしい)話題に反対の態度を持った波郷(当時すでに古典派に転向しつつあった)は沈黙しているしかなかったからである。その意味では、「人間探求派座談会」という後世のネーミングそのものが間違っていたわけである。

対談がいいのは、相手の言うことに反対であったら反対発言すればよいのである。反対であるが沈黙していると・・・・対談原稿が出来上がらない。

まあこんなこともあり、本当は3人、4人で語り合った方が面白そうな話題だが、3本の対談が並行して進み、交差しながら離れてゆく形で記録された。

今回は、他の対談へ闖入を予定していた中西夕紀さんと対談してみることとした。話題が自由律から字余り、字足らずの話題となり、この夏に小諸で行った日盛り俳句祭のシンポジウムの話題と重なり合うことになったからだ。

あのシンポジウムでは、時間の制約もありあまり語りきれない人が多くいたので、フォローアップという意味でもちょうどよいであろう。

出来れば二人以外の関係者にも参加していただければありがたいが、それは成り行き次第となりそうだ。前書はこれくらいにして開始したい。

筑紫:

[「評論・批評・時評とは何か?――堀下、筑紫そして・・・その12」(筑紫磐井)の読後感を頂戴した]・・・・若い作家との対談をご覧いただき、ご意見まで頂戴しありがとうございます。言いたかったのは、花尻氏の作品を見て、定型が分らなくなった、とか、自由律なのか何かわからない、過去の連作と比較してよくない、というような「俳句は575」と考えている固定観念が見えるようだということでした。オジサンやオバサンたちでなく、詩人とか若い作家がこうした固定観念を持っているのが愉快です。作品のいい悪いを離れて、放った批評の言葉が俳句を狭くしているようにみえました。とはいえ、中西さんの、

 <いろ   に詩情は感じられませんでした。>

はごもっともです。私も同感です。ただ面白いのは、詩歌の中に日本では定型詩があり、定型詩の中に俳句があり、俳句の中に自由律があり、その自由律の作品として「いろ」が詠まれてしまったことです。詩情は感じられなくても作品として確立してしまったことが大事なのです。
詩歌には著作権があり、俳句にも著作権があり、自由律にも著作権があるとすれば「いろ」に著作権があることになります。

いろ   青木此君楼

の作品があることを知った段階で中西さんが「いろ」を使って俳句を詠むと(たとえば「秋蝶来何いろと問ふ白と答ふ」なんて)ひょっとすると此君楼の著作権侵害になるかもしれません。もちろんこれは文芸の問題ではなくて法律の問題です。

私自身野暮なことを云うつもりはありませんが、しかし「俳句はどこまでぎりぎり切り詰めていって俳句の本質が残るのか」という根本的な問題にぶつかります、これは大事です。問題は此君楼を超えて短律の自由律(特に山頭火や放哉)は常に575の俳句を脅かしていることを言いたかったのです。

同じことは現代詩についても云えます。
三木露風の「赤とんぼ」の詩があります。その第4節は、

夕焼け小焼けの赤とんぼ  
とまっているよ竿の先

です。「赤とんぼ」の詩の起承転結の「結」にあたるなかなか巧みな詩です。
しかしこれは、三木露風が小学生時代に習作で詠んだ

赤とんぼとまっているよ竿の先

に「夕焼け小焼けの」をつけたものだそうです。詩の中に俳句の自治領が存在しているわけです。
これくらいぐすぐす状態の中で現代詩と俳句と自由律があるとしたら、「定型は何だかわからない」というような批判はナンセンスであることが分ると思います。定型とは定型があると思った人の心の中にあるのであって、定型という客観的な属性があるわけではないのです。正岡子規は、字余りを、定型の字余りではなく、「字余りの定型」として考えて作ればいいじゃないかと言っています。575が定型ではないのです。576も定型です、675も定型です、・・・(無限に続きます)。

話が長くなりました。続きは又。

中西:

お返事ありがとうございました。

(中略)

今回、定型のことで私も疑問がわきました。

定型に「字余りの定型」があるというのは私には不思議に思えました。
定型があるから、それに対する字余りと字足らずがあるのではないでしょうか?
それは定型と比べて、字余りであり、字足らずなのだと思いますが。

たとえば、「字余りの定型」が675だとしたら、「字余りの定型」というのも変な言葉ですが、たとえば、上6の字余りの定型というのがあるのなら、定型は動くということになりませんか?
上6の定型は定型と言われた時点で、字余りではなくなるのでしょうか?今度は上7から字余りということになるのでしょうか?

定型は動かないから定型といわれているのかと思いましたが。

「575が定型である」と言ったら、原理主義なのでしょうか?磐井さんの批判対象ですか。

私は俳句が今まで続いているのは、定型のお蔭だと思っています。俳句という形式が定まって以来、575という定型があったから、その律が面白いと感じる人たちが時代を越えて、次々と作り続けてきたもののように思います。

現在、575にするために、使う言葉が古典調で、現代人には使い慣れていないせいで、文法的な間違えも多く指摘されているところですが、それでもこの形が捨てきれない魅力があるのだと思います。

この間の日盛会のシンポジウムに戻りそうですね。磐井さんの定型とは流動的なものなのでしょうか?

では、何に対して字余りであり、字足らずと言えるのでしょうか。「字余り字足らずの定型」でしたら、すべて定型という認識で、字余りも、字足らずもなくなるのではないでしょうか。

こんがらがってきました。シンポジウムはパネラーに磐井さんが坐るべきだったようですね。
我々4名(寒蝉、伊那男、睦、夕紀)はだれもが原理主義的で、磐井さんのような進歩的な発想はしていませんでした。

続くと書かれていましたので、次回をたのしみにしております。



参考掲載
シンポジウム・レポート「字余り・字足らず」   … 仲栄司 》読む 

2015年8月21日金曜日

【2015こもろ日盛俳句祭】 夏の思い出 / 北川美美



今年も夏の小諸へ行ってきた。 「こもろ日盛俳句祭」への三回目の参加である。
容赦ない痛い日射しが照り付け鍛錬句会に来た!という実感がこみ上げる。

ちなみに8月1日の気温を見ると長野市で最高温度35度/最低27度。東京の35度/27度。同じ気温であるのに日射しが痛い。標高が上がった分、太陽に近くなることが小諸の陽射しが痛烈に感じる要因なのだろうか。今回イベント開催第七回目を迎え、参加者が300人を超え記録を更新したそうだ。連日の猛暑の中、無事イベントを終えられたことにお慶びを申し上げたい。

小諸高浜虚子記念館 

参加した句会を中心に以下日記風に。


日盛俳句祭は午前中が吟行、午後が句会というようにスケジュールが組まれていて、吟行へのサポートが厚い。巡廻タクシーが手配され、いくつかのコースを選択することができるのだ。 投句は「嘱目句」「当季雑詠」も可。イベント告知時にすでに兼題が決まっている。ちなみに兼題は7月31日「百日紅」8月1日「鮎」、8月2日「夕立」。

虚子庵

懐古園 (撮影:青木百舌鳥)

みはらし交流館(撮影:青木百舌鳥)

山城館(撮影:青木百舌鳥)

8月1日。第二日目の句会場「應興寺」に到着。扇風機が3-4台ブンブン首を振ってフル回転。 スタッフの俳人として土肥あき子さん、中田尚子さんが座られていた。そして流れる汗を拭きつつ息を整えて会場を見渡すと昨年参加した同「應興寺」会場で同席させていただいた時と同じ参加者のお顔がみえる。デジャブな気分になったがデジャブではなく、このイベントの特徴として、参加者もスタッフの俳人の方々もリピート率が異常に高いのだ。同じ顔ぶれというのは「夏潮」所属の柳沢木兎(やなぎさわ・もくと)さん、柳沢晶子(やなぎさわ・あきこ)さんご夫妻と木兎さんの妹様の御厨早苗(みくりや・さなえ)さんの御三人である。 お写真で紹介できないのが残念だが、御厨さんの日盛会のTシャツにバンダナ、そして白い眼鏡が印象的で、この御三人にお会いすると昨年と同様、夏潮の湘南の風が小諸のこの寺に吹いている気がしてくる。サーフ&ハイランドという感じだ。


應興寺 社務所入口

土肥さんも日盛俳句祭での常連のスタッフである。信濃毎日新聞に連載をされていて、実際に読者の方々と同じ空間で句会が出来、お話しができることに収穫があるとおっしゃっていた。

夏帽子風にも会釈していたる 土肥あき子 
青胡桃一本吸って立ち上がる 中田尚子 
高原や一点となる白日傘 中田尚子 

夏燕庫裡の先の先を跳ぶ  柳沢木兎 
朝顔の軒深くまで咲き昇り 柳沢晶子

また、夏潮所属の福岡から到着された、田中香(たなか・かおり)さんも参加されていた。

鶺鴒のひたひた渡る清水かな 田中香

私が特選に選んだのは、

炎天や小諸の街の玉子色 荒井民子

地元スタッフとしてお世話をしてくだっていた荒井民子さんの句である。 どこか玉子色、なんとなく生成り色に近いレトロ感が炎天にさらされている小諸がイメージでき、好きな句であった。


小諸駅を背にして坂を見上げる


同じ会場に内堀たつこさんとおっしゃる地元・小諸市在住の方が参加されており、この方も昨年の「應興寺」会場でご一緒だった。家業の農業をお休みされて毎年この日盛祭に参加されているそうだ。すでに、内堀さんは、毎年この場でお会いになられる俳縁でのご友人がいらっしゃる様子で、再会を愉しみにしていらっしゃる様子が伝わって来た。

そういう出会いの場もあり、年に一度の再会が楽しいというイベントというのもいいなぁと思う。様々な境遇や世代、立場を超えて、何はともあれ小諸に集結、というところが、いい。縁あって虚子が小諸に疎開したとはいえ、虚子の力は、人が集う力となり磁場を創る。 そして句会という座に於いて参加者はあくまで平等なのである。

シンポジウム後の懇親会中、夕立が来て、小諸の街が洗われていく様子がベルウィンから見える。この日の夜は、地元の「どかんしょ祭」が開催され、夕立の後の街は大賑わい。会場として使われているベルウィンも仮装やら大きなハリボテ人形を担いだ地元の方々が出入りする。

二日目の懇親会に参加のスタッフの皆様
(撮影:青木百舌鳥)

この日の夜、虚子も通ったという居酒屋「揚羽屋」に流れる。他の居酒屋では夜盛句会の名の元、句会も行われているようだ。 「トマトが甘くておいしいわよー!」と中西夕紀さんにすすめられ、冷やしトマトをいただく。甘い。少し酸味のあるフルーツトマトのような甘さ。同時に筑紫さんお気に入りの鳥の唐揚げの大皿が運ばれて来る。どっさり盛られていたキャベツの千切りに手を伸ばし、もくもくとキャベツを食す。キャベツも甘い。野菜が濃厚でじわじわと甘い。高原に来たッ!という感慨が味覚からも実感できる。 

虚子庵

虚子記念館脇の個人庭園 (この日も暑い中、お手入れをされていた)

8月2日。イベント三日目。猛暑。午前中は、冷房の効いた虚子記念館にて筑紫氏と「俳句新空間」の入稿打ち合わせ。その後、炎天の虚子庵の裏手を一巡する。いや暑い。与良町という地域であるが、虚子の散歩道といわれるところで、細い坂道が県道まで抜けていて、遮る建物もなく浅間山が眺望できる。歩いていると、「俳人のための水田」(確か)と名付けられた区画があり、俳句を学ぶ方々に稲作を体験してもらう、という与良町の有志の方の計らいであるらしい。稲は水田の中でまっすぐに延び、勢いがついているように見えた。2か月後には収穫され新米としてふるまわれるのだろう。

水路が与良の路地を流れ、Y字路に馬頭観音がある。昔、馬がこの坂道を往来し、稲作に欠かせない動力だったことを想像する。その馬頭観音には毎年、ダリアが鮮やかに手向けられている。馬頭観音を守りつづける地域のコミュニティ力が感じられた。また自宅の駐車場で葡萄を口にして、その種が育ち、葡萄棚を作るまでになった御宅の葡萄が、今年はすでに袋掛けされていた。暑さの中で次の季節に向けて準備しているのだ。 その後、ベルウィンに戻った後、お昼は、蕎麦をいただく。炎天を歩いた後の喉を通り過ぎる蕎麦が心地よい。



三日目の兼題は「夕立」。ベルウィンの句会場にしぼられ、「えぼし句会」と名付けられた部屋になる。 スタッフの俳人の方々は、本井英さん、高柳克弘さん、奥坂まやさん、山西雅子さん。 そして、森泉理文さん、勝又楽水さん、内堀うさ子さん、飯田冬眞さん、篠崎央子さんのお顔が見える。

銅の奥の流しや瓜冷やす  山西雅子 
ことごとく灼けて生者と墓石かな 奥坂まや 
百日紅この世に門の数多ある 高柳克弘

いずれもこの地で作られたことを思い印象に残った。

飯田冬眞さんの句に軒並み点が入る。特選句が二句。

隠密の裔と古城の瑠璃蜥蜴  飯田冬眞 
空蝉や生まれ変はるに良き樹なり  〃

いずれも懐古園での作と伺う。 瑠璃蜥蜴の不思議な色の輝きと古城の歴史が印象に残る。
地元の俳人の方々、そして小諸市観光課の方も句会参加され、観光名所の説明がところどころに入り熱意が伝わってくる。運営側、句会を回す俳人スタッフ、参加者が同じ空間を共有する句会というシステムが面白い。

最終日のフェアウエルパーティ。 イベント開催中、毎日句会後に懇親会が開かれ、協賛各社からの商品、そして裏方として協力の俳人の方々から短冊が提供される。昨日くじが当たらなかった森泉理文さん、島田牙城さんの里の皆さんにくじ運が回ってきていた。司会進行は連日大活躍の仲寒蟬氏であった。 来年は地元スタッフとして里の皆様がご協力くださると挨拶があった。面倒見のよい牙城さんの人柄から再び若い世代の参加があるのかもしれない。


 三日目 フェアウエルパーティ


水引草


今年も熱波の中、こもろ・日盛俳句祭が終了した。 小諸から帰ってくると間もなく立秋となった。夏が過ぎ去ったという感慨に浸る。



【2015こもろ・日盛俳句祭】   シンポジウム・レポート「字余り・字足らず」  /仲栄司



今回のシンポジウムのテーマは、昨年に続き、「字余り・字足らず」でした。司会の筑紫磐井氏から、昨年のシンポジウムの様子が冒頭で伝えられました。昨年はやや抽象的、論理的な内容が多かったようですが、今年はより実作者の視点から論じてもらいたいとの発言があり、実作者として俳壇で活躍中の伊藤伊那男氏、西山睦氏、中西夕紀氏、仲寒蝉氏の四名をパネリストとして迎えて、シンポジウムは始まりました。





 まず伊藤伊那男氏からいきなり、俳句は有季定型なのだからそのかたちで俳句は作ればいい、との明快な宣言。人間の体でいえば、「字余り」は太り過ぎ、「字足らず」は夏痩せのようなもの。だから、意図的に健康体を損ねるようなことはしない方がいい、とのこと。「五・七・五」で詠めるならそれをわざわざ崩す必要はない、という明快な主張、いわば原理主義的な主張でした。

 これに対し、司会の筑紫磐井氏から、他の三人のパネリストの言をひととおり聞いた上で、伊藤氏の主張に変わりないか聞いてみましょう、との発言があり、いったん伊藤氏のパートは終了。




 次に西山睦氏。伊藤氏が原理原則で論じられたのに対し、西山氏は具体的な句を提示して、字余り、字足らずの効用を論じられました。字余りの場合は、上五の場合は一句導入への強調、中七の場合はクローズアップ、下五の場合は余韻をたっぷり残したり、念押しする、といった効果が期待できるとの説明。字足らずの場合は隠された一音がある、といったポイントが説明されました。定型を崩すことが俳句の豊かさにも繋がるということでした。

 中西夕紀氏からも、西山氏の主張をさらに推し進めるかのように、具体的な俳句を提示しながら、字余り、字足らずの効果を論じられました。その際、氏がとりあげた例句を定型で作ってみせ、それと比較して論じられました。比較をすることで、定型を崩した方の句が作品として明らかに力があることを示され、あえて定型を崩すことも必要、俳句の可能性を広げると結論づけられました。

 最後のパネリストである仲寒蝉氏からは、最初に氏の主張の立場を表明。俳句の可能性、豊饒性を考えて、氏は字余り・字足らずを良しとする立場で、先のお二人(西山氏、中西氏)の主張と同じ路線でした。具体論では、高浜虚子と赤尾兜子の俳句を比較提示されましたが、圧巻は虚子と兜子の俳句を破調と句跨りの数を年代を追ってグラフ化されたことです。膨大な句数を自身で数え上げ、データ化された点に脱帽でした。また、おもしろかったのは、赤尾兜子が30~40歳の頃が一番破調の数が多く、晩年は定型に収斂していったのに対し、高浜虚子は初期と晩年に破調の句が多くなっていることでした。筑紫磐井氏から、このあたりのポイントは作家論の中で見ていくのもおもしろいテーマではないかとの指摘がありました。

 ひととおり四人のパネリストの主張が終わったところで、ほとんど時間がなくなり、最後にもう一度伊藤伊那男氏に三人の主張を聞いた結果としてどう思うかとの質問がありました。それに対し、伊藤伊那男氏は、有季定型と言ったのはあくまで原則論で言ったまでで、字余り・字足らずを全否定しているわけではない。ただ、字余りや字足らずをあえて無理に作って、リスクを背負う必要はないという立場である、とのコメント。



 今回のテーマについては、けっきょく、俳句は一句一句の作品で見ていくしかないと感じました。ただ、冒頭で筑紫磐井氏が今回のテーマは「実作者として」という観点から論じてもらいたい、とのことでしたので、その点からすれば、伊藤氏が主張されたように、無理に定型を崩す必要はないのかもしれません。 

 一方で、仲氏が言った、五・七・五の俳句ばかりが並んだ作品を見せられるとたしかに味気なく感じることもあります。、俳句の場合、一句一句で読むだけでなく、句集や賞の作品のようにまとまったかたちで読む場合もあるので、そういうときに句跨りの句に出合うとなかなか魅力的に感じてしまいます。

 さらに実作者として俳句の可能性を広げていく、ということを考えた場合、定型を崩すことで俳句表現の可能性が広がるように思います。

 今回の四人のパネリストのみなさんの字余り・字足らずに対する考え方は、そう大きく違っていないように感じました。もちろん、許容の程度にそれぞれ幅はありますが、定型を崩した俳句にも魅力的であるという思いは伝わってきました。いずれにせよ、強引に字余りや字足らずを狙って作ることはほぼ失敗するだろうということだけははっきりしていたと思います。しかし、そうだとすればなおのこと、自分自身はもっともっと俳句を作り、勉強し、励んでいく中で、自然にそういう俳句が作れるようになりたいと思います。なぜなら、定型を崩した俳句で成功している句は、まちがいなく句の力が大きいと感じるからです。


(撮影:青木百舌鳥)


【筆者紹介】


  • 仲栄司(なか・えいじ)
「田」同人、俳人協会会員


                          

【資料】
※シンポジウム資料 仲寒蟬
(当日資料から一部訂正。)






2014年9月12日金曜日

こもろ・日盛り俳句祭レポート ――十八歳の小諸紀行――  / 浅津 大雅

八月一日から三日にかけて行われた、第六回こもろ・日盛り俳句祭。その会場で私が見聞きしたことを書いていく。既にこの「戦後俳句を読む」の方で三つの秀文が掲載されているので、そちらを先にお読みいただきたい。

まず、初日のことをしるす。二十五歳以下の若手のうち、初日に参加したのは私だけだった。だから、私以外の若手俳人に、また初日にいらっしゃることができなかった方々に、一日目の小諸の様子を可能な限りお伝えしようと思う。

私が小諸に着いたのは、午前六時半。京都・軽井沢間を走る夜行バスの直行便に乗って来た。小諸へ着いての第一印象は、とにかく空が青い、山が美しいというものだった。日盛俳句祭の本会場であるベルウィン小諸での受付が八時三十分開始だったので、それまで二時間ほどあったが、その時間を、一人市内吟行に費やしてみた。まだひとけが少なく、車もそれほど走っておらず、開いている店もほとんどない。空気が澄んでいて非常に気持ちがよかったので、この町のことが好きになった。二時間はあっという間に経ってしまった。

さて、良い頃合いを見計らってベルウィン小諸へ行ったものの、それでも早く着きすぎてしまったらしい。ちょうど準備のほとんどが済んで、虚子記念館の館長さんからスタッフの皆さんへ挨拶が行われているところだった。しばらくそれを眺めていると、地元の高校に通う方々が手伝いにいらっしゃった。俳人のみならず、地域の方々にも愛されたイベントであることを知ることができ、嬉しく感じた。

朝のうちに市内を一人で吟行してしまったこともあり、受付後は昼頃までバスで真楽寺方面へ向かうことにした。バス内では、ほかの参加者の皆さんに声をかけていただく。かわいがっていただけるのは大変ありがたかった。実は、一人で来ていたこともあって最初は不安を抱えていたのだが、和やかに迎えていただけたようでよかった。俳縁、という言葉が思い浮かんだ。

虚子記念館で降車される方を見送りつつ、まずは真楽寺へ行ってみることにした。まずは水子供養と子供の安らかな成長のために建てられたという、地蔵菩薩を詣でる。日本一高いと言う二十メートルの地蔵菩薩の周囲を、いくつもの小さな地蔵が取り囲んでいる光景に圧倒される。しかし、やけに周囲に人が少ないと思っていると、「本堂はあちらですよ」とスタッフの方に声をかけていただいた。そのままついていく。樹齢千年を誇る神代杉、頼朝が巻狩り(多人数で獲物を追い詰める狩猟)中に休むため突いた杖がそのまま成長してしまったという伝説を持つ「逆さ梅」などを見ることができた。

スタッフの方に、「あちらもよいですよ」と誘っていただいたので、後を追って林の中へと入った。
木下闇のなかで、真っ青な「大沼の池」が広がっている。池のところどころにのみ、日差しが届いている。水紋をすっと広げながら、三、四羽の水鳥が泳ぐ。池の端には竜のくびが突き出ているが、これは甲賀三郎の伝説とかかわりのあるもののようである。二人の兄の計略によって穴に落ち、地底の国々を遍歴したのち、竜(伝承によっては、蛇)となって大沼の池に姿を現したとされている。毎年七月には、竜神祭が催されているそうだ。

みづうみの底に日当たる涼しさよ 大雅 
へびがみの棲んでゐたるや苔清水

句作を終えて、こんどは高浜虚子記念館にシャトルバスで移動。虚子が歩いたであろう散歩道をたどる。さらに午後には應興寺で句会を行う。黒岩さんも書かれていたが、若い私たちにとってスタッフ俳人諸氏との出会いは非常に貴重な体験であった。

句会後、再度ベルウィン小諸へ移動。ここで、初日最後の行事として、矢島渚男氏による基調講演「虚子のことなど」が行われた。

配布された資料三、四ページ目(※)のタイトルに「虚子の艶」とある。この部分が、今度の講演の核心部分であるかと私は思うので、特に大きく取り上げてみる。まずは、資料の内容を要約する。
「高浜虚子のあまり触れられていない一面がある。それは大へん重要な一面で、あるいは虚子俳句の規定をなしているものではあるまいか、とさえ思う。」と書き出されている。以降の内容を、かいつまんで説明する。1958年刊行の『虚子百句』(便利堂)に収められた虚子「自選」の百句のうち、「女」をうたった句が七句、恋を感じさせる句が五句、さらに女性の存在が感じられる六句までをも含めると、計十八句にものぼるという指摘がされている。この数はすなわち、「生涯の作品から自らよしとして選んだ百句の中に占める割合」のことだという。そして、

去年今年貫く棒の如きもの
白牡丹といふといへども紅ほのか

といった代表作が選に入っていないことを挙げている。

さらに、「客観写生」をスローガンとした虚子であるにも関わらず、

われの星燃えてをるなり星月夜
蔓もどき情はもつれやすきかな
などの主情的な俳句が選に入っていることなども指摘し、ここからタイトルの「虚子の艶」ということに論が収斂する。(「いわば虚子は花鳥を見ること女人をみるごとくであったといえるのではなかろうか。」)

このような資料に基づいて、虚子のことが語られた。私が矢島氏の語りを聞いていて、はっとさせられたことなどを綴っていきたい。

春風や闘志抱きて丘に立つ
という虚子の名句について。これが碧梧桐に対して守旧派を宣言し俳壇へ復帰した際の虚子の句ということは知っていたが、上五の読み方は「しゅんぷうですよね」と、矢島氏が会場内で岸本尚毅氏と確認しあっていたことに驚いた。そうだったのか。不勉強であるが、「はるかぜ」と読んでいた。出典にあたったところで、振り仮名があるとは思えないので、どちらと特定はできないのだろうが、やはり中七下五に現れる決意の念には「しゅんぷう」という漢語調の響きが似つかわしく感じられるようだ。

また、虚子が女をうたった句として先の資料に挙げられている中には、さまざまな「女」が登場する。その表情もさまざまであり、はたして一人の「女」なのか、あるいは複数の「女」なのか、と考えさせられてしまう。

命かけて芋虫憎む女かな 
稲妻を踏みて跣足の女かな 
死ぬること風邪を引いてもいふ女

それぞれ壮絶である。そうかと思えば、

薔薇くれて聖書かしたる女かな 
屋根裏の窓の女や秋の雨 
松虫に恋しき人の書斎かな

などという、ゆったりとした雰囲気を纏う女性も登場する。非常に興味深い。

以上のような、少々自分勝手な楽しみ方も交えつつ、講演を拝聴した。基調講演というと、そのイベントの趣旨であるとか方向性を位置付ける大事な役割を持つ講演であるが、十二分にその意義が果たされていたように思う。要は、虚子の広く深い懐のなかで、フラットな立場で各人楽しく俳句を詠み、読むのが、この俳句祭の趣旨なのだろうと思った。

二日目。吟行では、高原美術館、マンズワイン回り、そのままシャトルバスでみはらし交流館へ到着。午後の句会となる。みはらし交流館はグリーンツーリズムの活性化拠点であるらしく、自然豊かな高原にあり、そこへ登るまでには蕎麦の花などが見られた。これを句に詠んだ方がいらっしゃったのを、覚えている。蕎麦の花は秋の季語だ。この点に関して、「吟行の際に実際に目にしたものを詠むのか、あるいは季に沿ったもの(この祭の時点では夏だろう)のみに限るのか」という点で、結社間に考えの違いが現れた議論がなされた。また、「季の先取りは許容するが、時期が前へさかのぼるのはよろしくない」という考えの結社が多いことにも興味がわいた。私自身はどうだろうかと省みて、結社に所属していないこともあり、あまり深くそういった物事にとらわれず句を作ってきたなあという感じがする。これが結社無所属の弊害、「緩み」「弛み」なのかもしれない。あるいは、だからこそ自由に作れるということもあるかもしれない。まだわからない。

三日目。最終日である。この日だけは、「ふらここ」メンバーほか若手の句友たちと吟行をした。そうとは言っても、その中でも私は最年少である。学ばせていただくことは多かった。吟行場所は、初日にも訪れた真楽寺である。

見つくしたと思っていた場所だったが、一緒に行く人が変われば見え方もかなり変わってくる。「ほら、ここ、蟻地獄」と言って、境内の影になっているところを指す人がいれば、茸を見つけたり、蜂の巣を見つける人がいたりして、本当に面白い。年齢が近いだけに、見えているものもそれほど違わないのではないのかと思っていたが、そんなことはなかったらしい。新しい発見がたくさんあった。次行った時もいくつもの発見があるのだろうか。そう考えると、来年が非常に待ち遠しくなる。

ベルウィンでの最後の句会を終えて、フェアウェルパーティのこと。この祭を裏で支えてくださっている島田牙城さんと、お話をする機会があった。

いい句は作れたか、楽しかったか、と、気にかけてくださる。そして、最終日になってやっとできた拙句

死なすため金魚もらつて帰りけり 大雅
が、三日目の句会でスタッフ俳人の奥坂まや氏・筑紫磐井氏の選に預かったことをお伝えすると「それはな、俳句でしか言っちゃいけんことや。でも、代表句できたんやないか」と、言ってくださった。すこし涙が出そうになって恐縮していると、「君はすぐ縮こまるからいかん」と優しくたしなめられた。

フェアウェルパーティ終了後、京都へ帰るための夜行バスを駅で一人待っていると、またもや牙城さんと偶然お会いすることができ、ひとつのベンチに座って雲を眺めるという貴重な時間を過ごさせていただいた。あの時間が、小諸における私にとっての最高の体験である。

十八歳の私が、小諸の地で見聞きして得ることができたものは、こんなところである。伝えきることができたとは到底思えないが、こんなにも素晴らしい祭に、ぜひともたくさんの方々に来ていただきたい。私自身、ぜひとも来年も参加したいと思う。




【筆者紹介】

  • 浅津大雅(あさづ・たいが)

1996年生まれ。第15回俳句甲子園出場。「ふらここ」所属。京都大学文学部に在籍。



※編集部注
矢島渚男先生著『俳句の明日へⅡ―芭蕉・蕪村・子規をつなぐ―』(紅書房)の抜粋を配布資料の一部としてご使用されたようです。