★ー3 高柳重信の新俳句詩法――「垂直の力学」として読み解く 8 後藤よしみ
第2部
新俳句詩法の妥当性の検証 5
3 第三段階 完成・統合期 前半:統合成熟段階
1)『山海集』
この句集の位置づけ
『山海集』は、新俳句詩法が「立体神話詩法」として完成を遂げた句集である。
これまでの形成史を振り返ると、流れは明瞭である。初期の『前略十年』では感情・青春・実存が前面にあった。中期の『蕗子』『伯爵領』では断裂・多行形式・超現実映像が形成された。『罪囚植民地』では国家と死の質量が充填され、『遠耳父母』では血脈と神話の深層へ沈降した。そして『山海集』では、それらすべてが「日本という土地の古層」へと接続される。
最大の変化は、語彙の地質学の対象が変わることである。これまでの語彙衝突は、異質な言葉どうしのぶつかり合いだった。しかし、『山海集』では、「飛騨」「鹿島」「卑弥呼」「みこと」といった日本の地名・神話語彙が中心となる。地名一語の中に数千年の記憶が宿り、その記憶そのものが地層を震わせる。これを「古層の共鳴」と呼ぶことができるだろう。
また、4原則と6モジュールは、この段階でついに一体化する。補強材でも補助でもなく、有機的に駆動する。これが「新俳句詩法の完成」である。
例句
飛騨の
美し朝霧
朴葉焦がしの
みことかな
【4原則の分析】
① 語彙の地質学
この句に集中している言葉を確認する。
「飛騨」 → 山深く神さびた土地・辺境文化圏の古層
「朝霧」 → 原始の自然・視界を遮る深淵
「朴葉」 → 土着の生活の匂い・焦げる嗅覚
「みこと」 → 古代神話・祝詞・祭祀の響きを持つ最高の敬称
これらはすべて、日本語の最も古い地層に属する言葉である。初期の句群で見られた「異質な言葉の衝突」とは根本的に異なる。ここでは、同じ古層に属する言葉が共鳴し合い、句全体が「土地そのものの神性」へと変化する。語彙の地質学は、異質語の衝突から「古層の共鳴」へと完成形に達した。
② 倒語法
「朴葉焦がしの/みことかな」という結合は、論理的な説明を拒む。誰が「みこと」なのか。朴葉なのか、飛騨の土地そのものなのか、土地の神なのか——判然としない。しかし、その曖昧さによって土地の神秘性が立ち上がる。「飛騨の朝、朴の葉を焦がす香りが心地よい」という旅の抒情を直接語ることを拒み、日常の営みをそのまま古代神話の儀式へと暗転させる。意味は聖なる次元に宙吊りにされ、これを「神話的感応」としての倒語と呼ぶことができるだろう。
③ 沈降の力学
この句の四行を一行ずつ確認する。
飛騨の ← 空間が提示される
美し朝霧 ← 霧が視界を遮り、深淵へ引き込む
朴葉焦がしの ← 嗅覚の底へ潜り込む
みことかな ← 神話の最深部へ着地する
読者は一行ごとに、現代から神話の古層へと垂直に引き下ろされていく。これはもはやシュルレアリスム的な断裂でも、打撃でも、記憶の崩落でもない。祭祀の場へ一段ずつ降りていくような「祭祀的下降」である。沈降の力学は、個人の心理から時空を貫通する垂直ドリルへと達した。
④ 深層の噴出
この句から噴出するのは、作者個人の感情ではない。「日本列島の古代感覚」そのものである。風景は単なる景観ではなく、霊的な存在として立ち現れる。言葉が地霊化し、日本語という言語がその底に眠らせてきた「シャーマニズムの感覚」「神々への畏怖」が、多行の器の底から静かに、しかし、確実に噴出している。これが言霊の完成形である。
【6モジュールの分析】
モジュールのこの句での働き
①身体:朴葉を焦がす煙の匂いが嗅覚を通じて身体に直接届き、神話の世界を「本当
の出来事」として定着させる
②音韻:「ほおばこがし」の濁音が土俗的な重量感を生み、言葉に土の質感を与える ③視覚:白い朝霧の奥に浮かぶ祭祀的な光景が、現実と神話の境界を溶かす
④歴史:『古事記』や祝詞の文脈が静かに流れ、現代の俳句に古代の霊を宿らせる
⑤心理:主体は消え、読者は土地そのものと融合する感覚に引き込まれる
⑥受容:郷愁として読む者もあれば、神話的な恐怖として受け取る者もある
この段階の6モジュールは、もはや補強材はでない。4原則の垂直運動と一体化し、神話という抽象的な世界を読者の五感に「いま・ここで起きている原体験」として定着させる、網の目として機能している。
【まとめ:この句が示すもの】
この句が示す最も重要なことは、重信の詩法がついに「個人の詩」を超えたことである。
初期の重信は、金魚玉と歴史試験という個人的な不安を句に刻んだ。中期には、国家・戦争・身体・血縁という巨大な質量を句に充填した。そして『山海集』では、詩人としての「私」は消える。「飛騨」という地名一語が持つ数千年の記憶、「みこと」という言葉が呼び起こす神話の時間——それらが多行の器の中で核融合し、日本語という言語そのものが詩になる。
また、この句において4原則と6モジュールは、初めて分析の道具としてではなく、句そのものの中に溶け込んでいる。語彙の共鳴、神話的感応の倒語、祭祀的下降、言霊の噴出——それぞれが独立して働くのではなく、嗅覚・音韻・視覚・歴史のモジュールと一体となって運動として作動する。
重信が命を削って進んだ多行俳句の道は、奇をてらった実験ではなかった。言葉から表層の意味と規律を剥ぎ取り、その最も純粋な器を使って、日本の土地と歴史の底に眠る神話の言霊を現代に呼び覚ます——それが新俳句詩法の到達点であり、『山海集』はその一つの完成を示す句集である。
2)『山川蟬夫句集』
この句集の位置づけ
『山川蟬夫句集』は、高柳重信の全句業における「完成への透明化」を示す句集である。
「山川蟬夫」とは重信の別の名前(別号)である。この句集の最大の特徴は、それまで培ってきた多行形式を脇に置き、一行詩へ戻っていることである。一見すると、これは前衛からの退却に見える。しかし、新俳句詩法の観点から読むと、まったく逆の事実が見えてくる。
多行形式によって開発された「垂直の力学」は、この句集においても消えていない。消えたのではなく、一行という極小の器の中に圧縮されている。改行という外側の装置に頼らず、言葉と言葉の間の「不可視の断層」だけで深淵へ落下させる詩法である。
形成史として整理すると流れは明瞭である。初期に実存の感情が萌芽し、中期に形式が解体され、後期に歴史・神話・身体の質量が充填された。そしてこの後期において、垂直運動を通過したあとに言葉は透明になる。すべてを経験した詩人が、最小限の言葉で存在の深層を直接露出させる——これが重信の後期句業の到達点である。
例句
軍艦が軍艦を撃つ春の海
【4原則の分析】
① 語彙の地質学
この句には、対極にある二種類の言葉が衝突している。
「軍艦」 → 近代戦争機械・国家の制度・鉄の暴力
「春の海」→ 日本詩歌のもっとも伝統的な抒情語・うららかな自然・風雅の世界
「春の海」は、千年以上にわたって日本の詩歌が大切にしてきた言葉である。そこへ「軍艦」という制度語彙が真正面から侵入する。しかも「軍艦が軍艦を撃つ」という、同じ言葉の反復がその衝突をさらに強める。日本的な抒情と近代戦争機械の正面衝突——これは『日本海軍』で完成した語彙の地質学の、もっとも透明で簡潔な形である。
② 倒語法
この句には説明が一切ない。誰が撃つのか、どこの戦争か、なぜ春なのか——すべて省略されている。「戦争の不条理」を直接語ることを完全に放棄し、「軍艦が軍艦を撃つ」という現実にはあり得ない不条理な虚構を、「春の海」というのどかな伝統的風景の中に配置する。意味はうららかな光と破壊音の間に宙吊りにされ、読者の内部で戦争のイメージが自然に生成される。説明を極限まで省略したことで、倒語法は成熟した形に達している。
③ 沈降の力学
この句には改行がない。しかし、言葉は強烈に沈降している。
軍艦が軍艦を撃つ ← 同語反復が水平に走る
春の海 ← 底の知れない深淵へ崩落する
「軍艦が」「軍艦を撃つ」という同じ言葉の反復が水平に走ったあと、「春の海」という広大で静かな言葉へ一気に崩落する。多行詩における行間の空白が、「撃つ」と「春の海」の間に凝縮されている。改行という外側の装置なしに、一行の内部で垂直の沈降が起きる——これが後期の沈降の力学である。
④ 深層の噴出
この句から噴出するのは、国家のイデオロギーではない。「戦争は自然の中で起きる」という存在論的な不気味さである。春の海という美しい自然の中で軍艦が軍艦を撃つ——この光景は、人間の暴力が自然と切り離せないという、より深い恐怖を露出させている。言霊は政治的告発ではなく、存在そのものへの問いとして噴出している。
【6モジュールの分析】
モジュールとこの句での働き
①身体:砲撃の振動が皮膚に届くような生々しい感覚
②音韻:「ぐんかん」という硬く重い音が、春の海の柔らかな響きと衝突する
③視覚:きらめく春の海の水平線上で巨大な鉄の船が互いを撃ち合うという、美し
くも恐ろしい映像
④歴史:太平洋戦争・『日本海軍』で築いた国家の悪夢が乾いた形で残響する
⑤心理:戦争が日常の風景の中に溶け込む恐怖
⑥受容:反戦詩としても、存在の不条理を描いた詩としても読める
この段階の6モジュールは、多行を補強する道具でも、感覚を緊縛する装置でもない。一行という平坦な文字列を、読んだ瞬間に「立体的な時空」へ爆発させるための信管として機能している。視覚・音韻・歴史・身体のモジュールが、わずか一行が読まれる数秒の間に同時に作動し、脳内に深さと広がりを同時に現出させる。
【まとめ:この句が示すもの】
この句が示す最も重要なことは、形式が変わっても詩法の本質は変わらないことである。
多行形式を使っていた時代、重信は改行と空白によって垂直の落下を作り出した。しかし、この句では「軍艦が軍艦を撃つ」という同語反復と「春の海」というたった三文字が、改行なしに同じ落差を生み出している。形式は一行に戻ったが、垂直の力学は消えていない。むしろ、外側の装置に頼らずに深淵へ落下できるようになったことで、詩法はより純粋な形に達している。
また、この句の語彙は『山海集』の神話語彙よりはるかに単純である。「軍艦」「春の海」——誰でも知っている言葉だけでできている。しかし、その単純さの中に、日本的抒情と近代暴力の正面衝突が凝縮されている。語彙の地質学は、複雑さを手放すことで透明な完成形に達した。
重信の全句業は、初期の実存の萌芽から、中期の形式の解体、後期の歴史・神話の質量の獲得を経て、曲折も含めての発展構造として完成する。新俳句詩法は、その足跡を説明する理論である。
(つづく)
★―7:藤木清子を読む18/村山 恭子
18 昭和12年 ⑤
山手街
泰山木匂へり険しき坂来れば 旗艦33号・9月
険しい坂を来てみると、泰山木の甘い匂いに出会いました。白木蓮に似た大きな純白の花は、天に向かって咲いています。その姿、芳香から険しい坂の辛さを忘れ、麗しい世界へ没頭しています。また倒置法により世界が広がって行きます。
季語=泰山木の花(夏)
枇杷熟れて人清閑に住みなせり 同上
庭にある枇杷がよく熟れてなっています。世間のわずらわしさから離れて、自分好みに整えた住まいに暮らす静かに落ち着いた姿が浮かびます。実際の人の姿はなく、大きな葉陰に実った枇杷の鮮やかな黄橙色が優美な世界へと誘います。
季語=枇杷(夏)
赤きホテル薄きカアテン垂れてしづか 同上
赤いホテルの窓にかかるカーテン。しずかに垂れている薄いカーテンの様子と「赤」の対比から多様な想像を掻き立てます。物的なものを詠みながら心象世界へ誘導され、カーテンは心の襞、赤いホテルは心臓のようでもあります。
季語=無季
水道配水池
園閑散けものの昼寝みてありく 同上
水道配水池は閑散としており、所々に犬や猫などが昼寝をしています。園を歩きながら見る動物たちの平穏な昼寝の様子は、見る者の心の安寧をもたらしています。
季語=無季
屋上園涼しく昏れてゐるふたり 同上
屋上園涼しき恋をみて涼し 同上
日が昏れて涼しくなって中、屋上園にいる二人は恋人同士なのでしょう。一句目は「昏れてゐるふたり」の詩的表現がよく、二句目は「涼しき」「涼し」のリフレインが効果的です。
季語=涼し(夏)
ある追憶
星隕つる去年のおもひに触れてちる 京大俳句9月
偉大な人物が亡くなりました。去年の思い出が走馬灯のようによみがえり、「星」は「おもひ」と交錯し散ってゆきました。故人への思いが凝縮しています。
季語=無季
逝くものは逝き巨きな世がのこる 同上
命を終えて多くの人がこの世を去って行きました。残ったのは「巨きな世」。無常観を感じながらも、広大で圧倒的な権力に支配されている世を嘆いてもいるようです。
季語=無季
わが心無言の月にはぢらふよ 同上
陰暦八月十五日の夜、名月が雲に隠れて見えません。その姿に自身の心を重ねて恥じらう様子は、月の美しさと同様にその心の純真さを際立たせています。
季語=無月(秋)
月は無言に人間は饒舌に 同上
月と人間の様子を対句で表しています。無言の月は限りない静寂による清らかさを生み出し、饒舌な人間の愚かさ呈示しています。
季語=月(秋)
★—5:清水径子を読む 佐藤りえ
弟に白梅わたす夢の中 「寒凪」(昭和四十六年)
引き続き『鶸』より。初出は「氷海」昭和46年2月号、表記同じ。径子には実弟が二人いる。下の弟が「氷海」創刊時に行動を共にした清水野笛(信衛)、句中にしばしば詠まれるのは二十代で世を去った上の弟、信太郎である。
七歳までに両親と死別し、のち同居した祖母も径子十五歳の年に亡くなった。日本社会というところは、庇護を得られるのは血縁の大人によってのみ、というような場所であり、それは現在に於いてもあまり変わりがない。径子の揺籃期である大正に至っては、親を失った子供の来し方は、混迷を極めたであろうこと、想像に難くない。径子にとっての姉弟とは、いわゆる血を分けた子供同士というだけでない、あるいは運命共同体、自身を此の世へと繫ぐ、わずかに残された紐帯だったのではないだろうか。
亡き家族を詠んだ句には父母も登場するが、「亡弟」はごく初期から、ながく詠みつがれている。信太郎が鬼籍に入ったのは昭和十二年、径子二十六歳の年だ。全句集の年譜には「心は死への思いに傾斜、哲学書など耽読する」とある。句集未収録句の一部を引く。
梅雨の学園亡弟消へて木椅子のこる(「氷海」昭和33年8月号)
亡弟に赤き花挿す二月かな(「氷海」昭和40年3月号)
弟を呼んでゐたりき麦は五寸(「氷海」昭和41年7月号)
亡弟とわれの間に霜の橋(「氷海」昭和47年1月号)
いずれの句も「われ」は離れた弟を呼ばわり、遠く見、決して触れ得ない彼を探しつつ、花を託そうとするなど「距離の埋めがたさ」を実感する、痛烈な慕情が詠まれている。亡き弟に会いたい、といったような直情的な感傷があらわれていないところが径子の情感表現の特徴でもある。
『鶸』には弟を詠んだ句が五句収録されている。
弟に白梅わたす夢の中
亡弟の誘惑にくる白椿
亡弟や冬たんぽぽを踏みさうに
亡弟か落花か墓参する裾に
亡弟の余韻を曳ける花和讃
いずれの句も弟と花の組み合わせであることが目を引く。組み合わされるのが「梅」「椿」といった万葉的な花なのは、落花がふりかかるのが、優美な古今集の世界ではない、たとえば防人歌の「裾」であるところからも、ある程度意図的なものではないか、とも思う。家族を思う花が贈られているのだ。
弟に渡す花として白梅がまことにふさわしい、とは「氷海」同人庄中健吉の評による。
弟を憶う心は「夢の中で白梅をわたす」という何気ない行為になつて定着される。手渡すものは紅梅でもいけない。バラや菊でもいけない。白くて単純な白梅でなければならない。また、現実に手渡してはいけない。夢の中がいいのだ。
(「清水径子論」庄中健吉「氷海」昭和48年5月号)
*
『鶸』は昭和48年に牧羊社より刊行された。実際に発売となった時期は記録をたどるかぎり少々曖昧だ。『鶸』は牧羊社の「処女句集シリーズ全17巻」のラインナップ中5番目の本で、句集が刊行されること自体は「氷海」編集後記で話題になっている(昭和47年10月号)が、消息欄には刊行の知らせが載ることはなかった。
版元の牧羊社はこの時期雑誌「俳句とエッセイ」を創刊、その創刊号冒頭に「処女句集シリーズ全17巻」の1ページ広告が打たれている。雑誌創刊当時(昭和48年6月)の既刊は櫛原希伊子「白繭」・桜井博道「海上」・成瀬桜桃子「風色」・福永耕二「鳥語」・松本旭「猿田彦」の五冊、次回配本は平井さち子「完流」・森田峠「避暑散歩」となっている。全巻解説を当時創刊まもない「蘭」の火村卓造がつとめている。径子の全句集を読んで、あまり所縁のなさそうな火村が『鶸』の解説を手がけたのは何故だろうかと感じていたが、それはシリーズのパッケージだったのだ。
牧羊社の「処女句集シリーズ」といえば、並製の簡易函入り、作者の顔が印刷された帯がけの本が浮かぶが、『鶸』のシリーズはそれとは異なるものである。昭和43年から刊行された角川源義、石川桂郎、稲垣きくのら主宰・中堅の「現代俳句15人集」の好評を受け(シリーズ中の二冊、飯田龍太『忘音』と野澤節子『鳳蝶』が読売文学賞を受賞した)、「15人集」参加者の結社から句集を持たない精鋭が集められ、同じスタイル―函入り上製本―で作られたのが「処女句集シリーズ全17巻」だった。平成まで続いたシリーズとの違いは、新人の域を脱した各結社推薦のメンツが揃ったところだった。牧羊社としては、「俳句とエッセイ」と「処女句集シリーズ」を揃って打ち出した格好なのだろう。
「氷海」昭和48年11月号において『鶸』小特集が組まれた。同人の20句選句と句集評、不死男の序文が掲載された。外部評と同人評が1名ずつ、が「氷海」の句集特集のスタイルだった。『鶸』の外部評は径子の憧れの人、永田耕衣が担当した。耕衣は世阿弥や塚本邦雄、徒然草の言葉などを引きつつ(独特の独創的な漢語を満遍なく用いつつ)、径子の句に諧謔がまぎれないことを説いた。
まろびてつかむ二十数年前の雪
「まろびてつかむ」といい、「二十数年前」といい、そういう委細を惜しみなく打ち出して、その打ち出し方の微妙自然さが功を奏して、ひとつかみの「雪」に「淋しい永遠」を見せられてしまう。単に「雪」とだけ厳然と放言しても、この境には到りえぬ手立てがある。これがアソビである。遊ばねば到りえぬ佳境絶境、そのあそびこそが手立というものである。『鶸』集中には、この手のアソビの秀れた句々をなおなお発見する。
(「二十数年前の雪」永田耕衣)
径子の厳しい身上を理解し、長年の研鑽を見てきた同人たちからは、心底径子を思いやる、美しい描写、共感の持てる句への賛同が寄せられる。
春の昼歩きつくして死ぬるかな
径子さんは、あるき続けるかなしみを知つている。人間がやつと歩きはじめた原始の頃の覚束ない足取りを確かに知つている。
(『鶸』浪漫的鑑賞 秋山卓三)
径子自身は耕衣の評をうれしく読んだのではないだろうか。「氷海」は同人にテーマを与え、俳論的な文章を奨励したが、表現論、技術論といった深みを追求した文を書くものは鷹羽狩行、庄中健吉などごく稀で、多くは鑑賞に留まるものだった。先人の作品に連想を見出し、文学史への接続を促すがごとき耕衣の評は、それまでの径子への評として異質であり、作家としての径子に大きく働くものだったのではないか。
何より、「嘆き」の詩性、観察のたしかさ、冷静さ、といったものを言われがちな径子の作品に、レトリックを「あそび」と称したことは大きい。これこそが、径子が求めた言葉への探求を汲み取った、本質的な指摘だった、と思う。