2026年8月21日金曜日

第274号

 次回更新 9/11

【広告】夏潮別冊虚子研究と余滴の会 》読む

【最新鑑賞】竹岡一郎句集『人類を薙ぐ』 藤田踏青 》読む

 *

■新現代評論研究

新現代評論研究(第30回)各論:後藤よしみ、村山恭子、佐藤りえ 》読む

【未来俳句・短期連載】器はもう一つ増える——未来俳句宣言への応答  山根もなか 》読む

【連載】攝津幸彦記念賞応募作品(全国学生俳句会合宿2025評論)11 》読む

【連載】攝津幸彦記念賞応募作品(全国学生俳句会合宿2025評論)12 》読む

現代評論研究:第29回各論―テーマ:雲または霧その他― 藤田踏青、土肥あき子、飯田冬眞、しなだしん、北川美美、深谷義紀  》読む

新現代評論研究:『天狼』つれづれ 第11回:「実作者の言葉」…「晝の星」/米田恵子 》読む

現代評論研究:第22回総論・「遷子を通して戦後俳句史を読む」座談会 》読む

【特別稿】口語俳句の可能性・余滴  筑紫磐井 》読む

新現代評論研究:音楽的俳句論 図像編 川崎果連 》読む

新現代評論研究:音楽的俳句論 解説編(第1回)川崎果連 》読む


■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和七年秋興帖

第一(10/31)杉山久子・辻村麻乃・仙田洋子
第二(11/21)豊里友行・山本敏倖・仲寒蟬
第三(12/12)ふけとしこ・岸本尚毅・瀬戸優理子
第四(12/26)冨岡和秀・堀本吟・木村オサム
第五(1/9)神谷波・川崎果連・曾根毅
第六(1/16)渡邉美保・小林かんな・田中葉月・小野裕三
第七(1/30)眞矢ひろみ・小沢麻結・花尻万博・林雅樹
第八(2/13)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

俳句新空間第22号 発行※NEW!

■連載

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり55 黒田杏子『八月』 》読む

英国Haiku便り[in Japan](65) 小野裕三 》読む

【新連載】名俳句鑑賞へのラブレター『尾崎紅葉の百句』(高山れおな) 豊里友行 》読む

俳壇観測280 未来俳句論争ーー「俳句」7月号「合評鼎談」より  筑紫磐井 》読む

【豊里友行句集『赤ん坊オーケストラ』を読みたい】4 『赤ん坊オーケストラ』鑑賞 三木基史 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(72) ふけとしこ 》読む

句集歌集逍遙 梶原さい子『震災短歌ノート 東日本大震災ののちに』/佐藤りえ 》読む

【新連載】口語俳句の可能性について・番外

 俳句の虚構―西躰かずよし「窓の海光」論―  金光 舞 》読む

【豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい】

 インデックス
 9 「希望」のバトン  宮崎斗士 》読む

【加藤知子句集『情死一擲』を読みたい】④ 破局有情――加藤知子句集『情死一擲』について 関悦史 》読む

現代俳句協会評論教室・フォローアップ研究会 7 筑紫磐井 》読む

【連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句

 7.梅若忌 筑紫磐井 》読む

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】③ 豊里友行句集『母よ』より 小松風写 選句 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む

インデックス

およそ日刊俳句新空間 》読む

7月の執筆者(渡邉美保)…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々 …



■Recent entries

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス

葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子

【広告】夏潮別冊虚子研究と余滴の会

■「夏潮」別冊〈虚子研究号〉Vol.XVI(2026)

 夏潮会から16回にわたって刊行されている虚子研究の専門書です。毎年3月末を締め切りに評論等を公募されています。第16号は次の内容で、8月に刊行されています。一般の方もご応募ください。申し込みは夏潮会にご相談ください。

目次

1.【執筆余滴】虚子と余瓶      石神主水

2.虚子版国際俳句序説       井上泰至

3.虚子の『俳句入門』について   岸本尚毅

4.『猫』以前の虚子と漱石ーー新出の漱石宛虚子書簡を中心に     小林祐代

5.虚子・熱帯季題論と国体論    筑紫磐井

6.虚子作の新歌舞伎「時宗」について 中本真人

7.「武蔵野探勝」研究報告(二)    原 昇平

8.座談会「虚子研究 今まで、これから」 筑紫磐井・井上泰至・岸本尚毅・本井英

  ーーーはじめに/「句集」という表現形式/秋櫻子という存在/「虚子全集」を巡って/研究方法の未来


■夏潮虚子研究号16輯 余滴の会ご案内


夏潮虚子研究号16輯の論文の発表会・意見交換会を行います。多くの方のご参加を希望します。

【日時】 10月2日(金)15:00~18:00

【会場】 勤労福祉会館401号室

(JR・地下鉄南北線・東急目黒線目黒駅徒歩10分)

下記参照

目黒区勤労福祉会館

【会場費】 500円

【プログラム】 執筆者から各々10分コメント後、質疑応答10分

   (論文目次による発表順)

虚子と余瓶            石神主水

虚子版国際俳句序説        井上泰至

虚子の『俳句入門』について    岸本尚毅

『猫』以前の虚子と漱石      小林祐代

虚子・熱帯季題論と国体論     筑紫磐井

虚子作の新歌舞伎「時宗」について 中本真人

「武蔵野探勝」研究報告(一)   原 昇平

座談会「虚子研究 今まで、これから」  筑紫磐井・井上泰至・岸本尚毅・本井英

(オンライン配信を行います)


■参考資料・「夏潮」別冊〈虚子研究号〉

内容別「虚子研究」所収論文目次[1~15号](表題・執筆者・数字は掲載号数)   

筑紫磐井(編輯)


1.連載

(1)虚子による戦後俳句史

虚子による戦後俳句史(1)人間探究派と社会性俳句を中心に 筑紫 磐井④

虚子による戦後俳句史(2)4Sと新興俳句を中心に 筑紫 磐井⑤

虚子による戦後俳句史(3)ホトトギス三大典型を中心に 筑紫 磐井⑥

虚子による戦後俳句史(4)埋もれた戦後俳句の潮流(抒情派) 筑紫 磐井⑦

虚子における俳句入門体系 筑紫 磐井⑧

虚子による戦後俳句史(5)戦後ホトトギスの進むべき道 筑紫 磐井⑨


(2)いかにして虚子となったか

虚子はいかにして虚子となったか(1) 松本 邦吉⑤

虚子はいかにして虚子となったか(2) 松本 邦吉⑥

虚子はいかにして虚子となったか(3) 松本 邦吉⑦

虚子はいかにして虚子となったか(4) 松本 邦吉⑧


2.個別作家との関係

(1)松尾芭蕉

芭蕉と虚子 岸本 尚毅⑧


(2)与謝野蕪村

虚子と蕪村 井上 泰至④

『蕪村句集講義』に見られる虚子の俳句観について 岸本 尚毅 ⑤


(3)正岡子規

虚子の子規追善 井上 泰至➀


(4)森鴎外

鷗外と〈子規の衣鉢〉、あるいは、近代日本の亡失された水脈 : 鷗外と虚子(その1) 大石 直記➂


(5)内藤鳴雪

鳴雪と虚子 : 新調の対立を中心に 黒川 悦子④

虚子の求めた新しさ : 鳴雪との交友を巡って 黒川 悦子⑨


(6)大谷句仏

虚子の周辺~大谷句佛 松岡 ひでたか➂


(7)西山泊雲

西山泊雲と虚子 小林 祐代⑫


(8)柳

虚子の母柳と柳をめぐる人々 山田 閏子⑩


(9)女流

虚子に導かれた大正期女流俳句の変遷 小林 祐代⑤


(10)一宮瀧子

一宮瀧子「をんな」の周辺 : 明治43年9月~44年10月の虚子 筑紫 磐井⑭


(11)暁烏敏

虚子の周辺~暁烏非無 松岡ひでたか➁


(12)神津雨村・釋宗演

虚子と雨村、そして釋宗演 松岡 ひでたか⑤


(13)柳田国男

柳田國男から見た高濱虚子 : 「因縁」のはじまりをめぐって 福田 浩之⑪


●水原秋櫻子

虚子と秋桜子 : 雑詠句評会をめぐって 岸本 尚毅⑪

虚子と秋櫻子(1)秋櫻子の絶頂まで 筑紫 磐井⑫

虚子と秋櫻子(2)秋櫻子の離脱まで 筑紫 磐井⑬


(14)山口青邨

山口青邨と「山会」  岸本 尚毅⑬


(15)阿波野青畝

青畝と虚子  小林 祐代⑬


(16)大野林火

大野林火の『新稿・高浜虚子』を読む : 「写生」と「抒情」の融合  堀切 実⑧


(17)川端茅舎

川端茅舎「花鳥巡礼」について  岸本 尚毅⑫


(18)芥川龍之介

芥川と俳句 : 「ホトトギス」との関係その他  岸本 尚毅⑮


(19)山本健吉

「虚子の文学」とは何か  山本健吉から見える高浜虚子 仁平 勝➁

山本健吉の虚子評価  井上 泰至⑫


(20)飴山實

虚子的なるものの系譜 : 飴山實の俳句論を手がかりに  林 浩平⑤


(21)三好達治

虚子と三好達治・その文学的交点  林 浩平⑥


(22)三好行雄

テキスト批評 : 三好行雄「反近代の詩 正岡子規と高浜虚子」 : 近代俳句研究序説のために  井上 泰至⑦


(23)ヴォカンス

ジュリアン・ヴォカンスと虚子 本井 英⑬


3.年代別虚子論


書簡に見る 伊予尋常中学時代の虚子 小林 祐代⑪

虚子と第三高等中学校についての一考察 黒川 悦子⑪

虚子、二十歳の原点 : 子規・漱石はなぜ彼を選んだか 井上 泰至⑩

近代俳句雑誌の誕生 : 「ホトトギス」成功の本質 井上 泰至⑧

日本派台頭期における虚子 : 実作と選句の再検証 田部 知季⑩

明治三十年代前半の虚子句評 : 選評と句合に見る俳句評価の一面 田部 知季⑬

「俳諧散心」と近代個人句集の起こりについて 橋本 直⑩

喜怒哀楽する虚子 : 明治四十四年十月から大正二年九月まで 筑紫 磐井➂

大正四年冬の虚子 本井 英⑫

「虚子の書簡」から : 糸夫人宛大正五年十月二十二日発 栗林 圭魚➀

虚子俳壇復帰の戦略 『俳句と自分』とその背景 井上泰至➁

関東大震災と虚子 筑紫磐井➁

「満州咏草」基礎研究  前北かおる➁

「武蔵野探勝」研究報告(1) 原 昇平⑭

日中戦争の戦時下の虚子 中本 真人⑩

太平洋戦争の戦時下の虚子 中本 真人⑪

昭和十三年の虚子の佐渡訪島について 中本 真人⑬

昭和二十五年の虚子の佐渡訪島について 中本 真人⑭


4.俳句以外のジャンル作品

(1)連句

虚子連句私解 : 奉納歌仙「唯祈る」の巻(其1)一オ四句目迄 大島 富朗➀

虚子連句私解 奉納歌仙 『唯訴る』 の巻 其二 大島富朗➁

連句と「句日記」 : 虚子の連句観をめぐって 岸本 尚毅④

虚子にとって連句とは何であったか 井上 泰至⑥

虚子の連句(1) 宮脇 真彦⑩

虚子連句との対比としての旧派俳諧 : 「芭蕉翁遺語」における「格」の説を中心に

小田 直寿⑬


(2)写生文・戯曲

虚子の写生文観と俳文意識 : 『新俳文』をめぐって 堀切 実⑥

虚子と写生文 石原 千秋⑪

虚子散文における事実の選択について 岸本 尚毅⑭

     *

「白露物語」基礎研究 前北 かおる➀

虚子の小説テーマ 『風流撫法』をめぐつて 本多 燐➁

三部作「風流懺法」小考 小林 祐代④

『女七人に男一人』試論 児玉 和子➂

「俳諧師」モデルの非風と虚子の交流 小林 祐代⑦

「俳諧師」モデルの古白・小土佐と虚子の交流 小林 祐代⑧

虚子と椿、そして「椿子物語」 村上 鞆彦⑩

「椿子物語」「絵巻物」考 小林 祐代⑮

虚子作「髪を結ふ一茶」と初代中村吉右衛門 中本 真人⑮


(3)漢詩文

虚子句と漢詩文 高橋 魚雷➂


(4)能

戦時中の虚子の新作能について 中本 真人⑫


(5)書

虚子書芸論序説 井上 泰至⑮


5.俳句文学論

(1)句文集

明治二十五年六月 「瓜の土」草稿の紹介 小林 祐代⑭

明治三十一年虚子未定稿 「新々花摘」小考 小林 祐代⑩


(2)句解

「時雨」と「心」 : 「二三子や時雨るゝ心親しめり」考 井上 泰至⑨

虚子と蝶 西池 冬扇⑩

「栞して山家集あり西行忌」考 井上 泰至⑬


(3)虚子の選

虚子選についての覚え書き 岸本尚毅➁

虚子選の諸相 岸本 尚毅⑦

「雑詠予選句」を読む 岸本 尚毅⑨

子規及び虚子の「選」の変遷(上) 筑紫 磐井⑩

近代句会と題詠・写生・吟行 : 子規と虚子における変貌 筑紫 磐井⑪


(4)自選

虚子の自選 : 稿本虚子句集 井上 泰至➂

『自選自筆 虚子百句』論 : 「新年」八句 井上 泰至⑭


(5)花鳥諷詠

「花鳥諷詠論」の発端 本井  英➁

「花鳥諷詠論」の展開 本井 英➂

「花鳥諷詠論」と虚子渡仏 本井 英④

花鳥諷詠の円熟 本井 英⑤

「花鳥諷詠」提唱の背景 小林 祐代⑥

花鳥諷詠への「光」 : 病中の虚子、大正九年、十年 井上 泰至⑪


(6)客観写生

虚子の客観的写生論とは 筑紫 磐井⑮


(7)新歳時記

虚子編『新歳時記』と芭蕉の句(1) 松本 邦吉⑨

虚子編『新歳時記』と芭蕉の句(2) 松本 邦吉⑩

虚子編『新歳時記』における虚子の例句分析 松本 邦吉⑪


(8)研究

『月並研究』における虚子発言検証 中岡 毅雄④

「月並俳句」についての一考察 : 子規と虚子の場合 黒川 悦子⑧

「進むべき俳句の道」をめぐって 岸本 尚毅⑩


(9)挨拶と滑稽

虚子を読む : 〈挨拶〉と〈滑稽〉を視座として 林 浩平④


(10)仏教

虚子に於ける本覚思想 松岡 ひでたか④


(11)表現

子規・虚子の字余り : 「ますらをぶり」のリズム 井上 泰至⑤


(12)季題

「約束事」としての季題 : 虚子をめぐって 岸本 尚毅⑥

季題の文学 仁平 勝⑦


(13)文体

虚子の文体意識について : 「蕪村句集講義」を中心に 黒川 悦子⑥

高濱虚子の俳句の破調について 仲 寒蟬⑥


(14)病気

虚子とハンセン病 松岡 ひでたか⑥


(15)戦争俳句

「戦地より其他」を読む(1) 本井 英⑥

「戦地より其他」を読む(2) 本井 英⑦

「戦地より其他」を読む(3) 本井 英⑩

「戦地より其他」を読む(4) 本井 英⑪


6.その他


高浜虚子における「もの」と「こと」についての覚書 岸本 尚毅➂

虚子「談理と句作の空間充填策」についての一考察 :「俳諧草紙」を中心に 黒川 悦子⑦

虚子への思想史的接近 : 小さな試み 岩岡 中正⑧

子規と虚子の創作論における許六と去来 : 『俳諧大要』と『俳句の作りやう』の関わりを軸に 福田 浩之⑩

脱力の句法 : 虚子の発想法について 真下 鮒⑩

虚子句の「自他半」 本井 英⑮

【最新鑑賞】竹岡一郎句集『人類を薙ぐ』   藤田踏青

 「薙ぐ」とは横ざまに切ることである。人類を縦に切れば左右の二項対立図にしかならないが、横ざまに切れば上下の意識界と無意識界との響き合いの構図となる。句集題をそういった意味で捉えれば、少しは竹岡一郎氏の句世界に近づけるかもしれない。


人類を薙ぐを夢見る鎌鼬

 句集題となった句であるが、鎌鼬はある意味で無意識界に存在する。さらに「夢見る」とあるので、無意識界からの自意識のメッセージとみることもできよう。


焚火して龍の眠りをおびやかす

焦螟を戒厳令下の街に殖やす

弾き合ふN極われも汝も怨霊

目無きものらの鎬けづるが不知火

 「龍・焦螟・怨霊・不知火」といった仮象の存在は、意識界と無意識界との境界に出現するものです。そしてそれ等は幽明境を相互に浮遊することによって人類を脅かすと共に、それら自体の存在も脅かされるというアイロニーな展開が示されている。


蛇と親しみ機織の上手くなる

くちなはとわが咒とけあふ雪の首都

蛇よりもきつく絡めば閨は淵

冬眠の蛇ら互ひに獄編めり

 古代、「蛇」は神あるいは神の使いと信じられていた。前三句は蛇と人間との交錯の上に立つ情景であり、ある種の祈願でもあろうか。そして後の一句は蛇を人間に置き換えた構図となっている。安井浩司の「法華寺の空とぶ蛇の眇かな」と同想の世界である。


むかで群る廃寺の何まもらむと

焼跡や蜻蛉ら余熱喰ひ漁る

花街や乾ぶまで鳴く籠の虫

廿日ほど悼みを保つ螢籠

くろあげは投身透くを受け止めし

 日本人だけが左脳で人のことばも虫の声も受け取ると言われている。「むかで、蜻蛉、鳴く虫、螢、くろあげは」などの虫は、日本人が逢魔が辻で出会う、痛みを伴った存在なのではないか。


書初に「鏖」とは優しい子

わらび湧くひそかな殉死さらすべく

 「たまゆらの命」とも言われるが、人間は生きている時間より、死んでいる時間の方が長い。「鏖」といい「殉死」というも、反意的に読めばそこには安らかな死が横たわっている。「メメントモリ」という囁きが聞えて来そうだ。


骨か杭か分らぬ列が野火めざす

うつろより歪な羽化を踊らんか

 「うつろ」とは「空」であり「虚」でもある。そして「野火」や「羽化」が暗示するものはひとつの虚脱状態でもある。人間はそのような世界に生き続けねばならないとの謂か。

 まるで蟋蟀が己が深淵を覗き込むが如く、呪言に満ちあふれた句集であった。

【連載】攝津幸彦記念賞応募作品(全国学生俳句会合宿2025評論)11 

西川徹郎の叙情―その初期の要求―   田村転々   


はじめに

 西川徹郎は一九四七年に北海道において浄土真宗の寺の副住職の父の元に生まれその後も仏教と深い関わりを持つ。また、文学については高校生のときに北海道で活動していた細谷源二の主宰する「氷原帯」で俳句の活動を本格的に開始し、それ以降「粒」(山田緑光発行)、「海程」(金子兜太代表)、「渦」(赤尾兜子主宰)などに加えさらに個人誌として「銀河系つうしん」の創刊や攝津幸彦や大井恒行らと同人誌「豈」の創刊などにも関わる。

 今評ではその粒俳句会発行の西川の十代の頃の句作をまとめた第一句集、そして南方社発行の渦退会直後刊行の第二句集を巡って展開していく。


そして

 西川徹郎の初期の俳句について、その前句集の解説において詩人・思想家である吉本隆明は西川徹郎の句を西川徹郎の句たらしめるのはその”過剰”性であると分析している。


沖に帆がてのひらに飯粒が昏れ(『無灯艦隊』以下同)

さくら散って火夫らは耳を剃り落とす

受験期の眠い拳が流れている

夜明け沖よりボクサーの鼓動村を走る


 これらの句集冒頭付近の句にその過剰性はよく現れている。「昏れ」「剃り落とす」「流れている」「村を走る」等、要素として少し多めに設定されているのだ。しかし、これらの単語が句のなかで受け持つ力は大きい。一句目について、沖にある帆から思わせるひろびろとした感覚に対して「昏れ」という執拗な描写によって微かな孤独感が浮かび出されている。二句目に実景というよりむしろイメージの中で桜と炭と耳の色彩やアンバランスさを生々しく伝えていたり、三、四句目も同様に過剰ゆえの言葉の釣り合わなさがある。


死者の耳裏海峡が見えたりする

墓参りしんしんと尾骶骨が冷え

鶴より軽くなりさようならさようなら


 一方で、西川徹郎俳句から切り離せないのが身体的単語である。掲句においては過剰な感覚の中にあって、身体性が異常に感じられるのではないだろうか。一句目の船の行き交う海峡を思うような死者の耳裏の不思議さ、二句目の何より身体の痛いような感覚、そして三句目の諦観にも近いような浮遊感。これらは作者あるいは作品の中の主体(以下、詠者)の感動そのものであり、だからこそ叙情的と言えるのではないか。


馬の瞳の中の遠火事を消しにゆく

夜毎慟哭蛍は沖へ出て帰らず

一ぴきの蝶に襲われている時間


 詠者にここまで過剰な行為を要求するものは一体何であるのか。今掲げた三句は消失に近いテーマを持つ。これも西川徹郎俳句によくみられる馬という単語、一句目のこの馬から疾走感はすでに感じられず、しかひしひしと命が宿っているような感覚を思わせる。二句目、慟哭の中にあってその蛍の薄い光が広く深い闇の中に消えていき、最後に残ったのは虚無だろうか。三句目<草二本だけ生えてゐる 時間  富澤赤黄男>と認識の排除の行われた空間の親和性はありつつも蝶を動的な過剰で捉えることによって、詠者の孤独の感慨と冷酷なまでの観念が伺える。この第一句集『無灯艦隊』を通して描かれているのは、自己投影による永遠の孤独である。有季定型を捨てた西川徹郎は、青春時代を通して自由な世界への憧れを持っていたが、世界には失われているものとそれらに対する自らの過剰な望みであった。それは唯我論的に、描くものそのものの存在を疑い、それを過剰に述べことで存在を確認、認識していたのではないか。まさに、初期から身体や血縁関係に関する単語が多用されているのも同様で、自らの一部でさえも、たとえそれらによって世界を知覚していると分かっていても、存在を疑わざるを得なかった。


廃港の葦をむしんに梳きいたり


 港がありたくさんの船が波音を立てて出入りしていた当たり前を疑い、眼前のそれが失われた時に西川の俳句は始まる。やはりこの句の中でも詠者は〝むしん〟でなければならず、この過剰さこそこの句を詩として独立させているのだ。この句集の中で出てくる〝沖〟という言葉は何を意味するか。それは岸から遠い海、何もないところ


海女が沖より引きずり上げる無灯艦隊(『定本無灯艦隊』)


 一句目の格好良さは言うまでもない。海女に自身を仮託しているのだとしたら。西川は『定本無灯艦隊』の後記で以下のように述べている〝無心に俳句を書き続けて、飢渇の心と戦うように薄暗く繁った青春の日々を送った〟と。この〝無灯艦隊〟と言う概念こそが青春の西川の心を埋める俳句であり、行き先の見えない、それでいて必死に手にし思わず惹かれずにはいられなかったものだったのだ。中七いっぱいの動詞はそうした西川の飢渇の心を表しているのではないか。こうして西川は詩を手に孤独を表出し埋めようとしたのではないか。


 ねむれぬから隣家の馬をなぐりに行く(『瞳孔祭』)

 凩や木となり草となり父は

 父はなみだのらんぷの船でながれている


 この句集は西川の父亡き後に刊行され、この時西川は三三歳である。それゆえに亡父に関する句が多く収録されている。一句目、ねむれないのは勿論詠者であるが、同時に馬も西川の投影対象なのではないか。父を失う悲しみの中で孤独が深まるあまり、自らの状況を客観視し、悲痛になる。二句目、西川の仏教的観念がよく現れている。輪廻とは認識の移り変わりのことであり、そこに魂の主体は存在しない。やはり、西川の中においてものの存在は西川の認識に依存しており、凩に吹き荒れる草木こそが父であると認識するからこそ掲句が成立するのだ。三句目、〝らんぷの船〟という過剰な物質的イメージが父を亡くして見送る寂寥の中でひときわ光を放つ。


桜に繋がれている馬遠い祭を孕み

河より暗い家へ河から泳いで戻る


 やはりここでも西川は自らを馬に投影しており、それは祭に対する憧れでありノスタルジーである。桜や馬は西川の記憶であり、だからこそ束縛されていて、もはや青春や父のいた空間とは異にした時間を生きていることを寂寞として感じているのだ。二句目では家の存在を河の認識で経ることで明らかにしている。しかし、詠者を生かしている河と対照に家は静かにじっと永遠を待っている。ここに西川の俳句における永遠性の発露が見られる。


まいにち舌が尊属殺し夢みたり

風と暮らしひとさしゆびは狂死せん

さらしゆびついばむ鳥がたくさん空に


 父の死後か死前かは不明であるが、この尊属とは間違いなく父のことであるまいか。父の死は自分のせいではなくとも苛まれるのは何か。言葉を発する前に感動が先行している。二句目、三句目、風とゆびの取り合わせとでもいうのだろうか、両句に共通する感覚は自らの身を曝け出し世界に揉まれるような緊張だろうか。とくに三句目の〝さらしゆび〟という単語は自己投影の対象を表すものとして秀でている。


雨のように美し仮面劇観る妻よ

妻よはつなつ輪切りレモンのように自転車

嘔吐の妻鬱金草のごとかがむ路上


 句集中、「羊水溺死」と言う章の句である。この章は妻との生活をモチーフに組み立てた、と西川はあとがきで言う。一句目、自らの孤独を仮面に縛られる個人性とするならば、それを外側から見、解放せんとしてくれる妻の存在は西川にとっていかに大切だったか計り知れない。二句目の健康さはもはや句集中において異常とも言える。こうした妻との生活こそ西川を永遠の孤独を伴う青春から脱却させうるものだったのだ。


父の忌の木にひっかかっている茜


 だからと言って何も完全に孤独を感じなかったわけではなく、〝西川徹郎は俳人としては宿命的な不幸を背負っている〟と吉本が解説で述べたように、これは西川の俳句をわれわれ読者がその叙情を受け取らんとするとき、彼自身の悲痛な孤独の叫びを感じないわけにはいかないことだろう。


あの岸を戦ぐはまんじゅしゃげか舌か


 この句集の最後にこの句を置いた西川はすでに遠くを見ていた。それは死を連想させる赤々と群れ咲く曼珠沙華か、あるいは、何かを伝えるためにそして外界と自らの内側とを繋ぐ舌か。西川の目指した詩、そしてその叙情は青春を幾重にも取り囲む孤独と、それを上から塗り固めんとする言葉の過剰なイメージの要求によって形作られるのだ。


【講評】

 前衛作家である西川徹郎を過剰性と肉体性で読み解こうとしているが、前衛とは自己模倣と同義のところもあるから、「過剰性」が消耗性の中で何を残せるかがポイントだと思う。過剰性は西川の膨大な句集、ひいては作品数に端的に表れているが、こうした膨大な作品を保有する西川を理解するためには、一種の「西川ディクショナリー」を準備することが役に立つ。例えば著名な「無灯艦隊」の句が「無灯艦隊」というそれひとつで佇立する言葉となっているのと違って、ディクショナリーとして見る田村(本人は意識していないかもしれないが)は、身体的単語、馬という単語、父や妻をちりばめて論じている。それはそれでよく納得できるところだ。例えば、一言追加すれば、西川独自の用語は馬である。性の象徴であり、野性の象徴であり、暴力性の象徴でもある。そして西川の数ある馬句の中の名句である「ねむれぬから隣家の馬をなぐりに行く」をあげたのは適切だ。しかし、この句は「怒らぬから青野でしめる友の首(島津亮)」や阿部完市(過剰性がほとんどない)等の前衛同士の比較をするとその独自性が際立つだろう。

 一方で、ディクショナリーで現れてこない田村の評言は、消失、飢渇、孤独、死、永遠等である。これが、評者の主観に止まらず普遍性を持たせているどうかは慎重な吟味が必要だ。ここに冒頭に掲げた「過剰性」がうまく括り取られているかどうかが評価のポイントだと思う。ただもう一つのキーワードである「肉体性」がこれらとうまく調和しきっていないように思えるのだが・・・・。

【付記】
 本連載では、全国学生俳句会合宿2025評論で取り上げた評論10編の内9編をあらかじめの了解を受けて取り上げることとして、この田村論文を以て終了とする。ちなみに、この合宿の最終成果は「全国学生俳句会合宿2025レポート冊子」(令和7年11月23日)となって刊行されているが、この冊子では合宿で紹介されたもの10編の内2編は合宿後冊子編集の段階で手を加えられているものとなっていた。その2編の内、金光論文は応募に当たり合宿で紹介された論文を応募論文とするよう希望があったので当該論文を掲げた。もう一つの西宮ケイ「寺田京子の「アウトサイダー意識」が句作に与えた影響について」は執筆者と連絡が取れなかったので掲載できなかった。連絡を取れる機会があれば、攝津幸彦記念賞応募作品とは別に紹介したいと思う。

【連載】攝津幸彦記念賞応募作品 12(原案者 蒋草馬)

新京大俳句創刊宣言      原案者 蒋草馬


時制を殺害せよ。

ポエムを奪還せよ。

思考しつづけろ。

環境は不快でなくてはならない。

テーゼはすべてつまらない。

物から物へ手渡された引導へ目覚めよ。

詩が喪失した言葉自体の素材を回復せよ。わたしたちは盆地とデルタのフォルムに記憶と妄念の体躯を這わせ、見慣れた風景を問い直しつづけながら、あるいはいま羅列した問い立てをすべて棄却して単に陽気に漂流しつづけていく。二義的な漂流のあいだわたしたちはなにものにもならず、だれにも捕捉されないまま具体的でありつづける。漂流に対する偶発的な切断面としてここに本誌の出発とする。 


令和8年2月 於百万遍 原案 蒋草馬


【鑑賞】

 「新京大俳句」創刊号(2026年5月4日発行)の巻頭に発表された宣言である。今回の募集は、新作評論だけではなく、最近他の媒体(雑誌、新聞、BLOG、発表会)で発表されたものも対象にしているので問題ない。原案者によれば「蒋草馬案をもとに複数名で修正したものになっている」そうであるが共作を排除するものではない。今回は、「原案者」の名義を使うことにした。

 今までいくつもの雑誌の創刊を見てきたが、そこに載るのは、多くは「発刊の辞」であり、状況の説明であった。文学を視野に置いた久々の発言である。これから宣言の時代に突入する予感を与えてくれる。

 「時制を殺害せよ」は現代における詩の第一の要件に思える。時制を殺害するとは、矮小に言えば文法を破壊することだ。意味や統辞にこだわる俳句を否定することである。そのとたんそこに俳句以外のものに生まれることを期待している。

 「環境は不快でなくてはならない」とは快適な環境にあって詩は生まれないという当たり前のことだ。が、俳壇で言われると格段に光り出す。現代の名匠たる長谷川櫂や小川軽舟の勧める「俳句的生活」は若い作家には廃棄されるべきだろう。「俳句は極楽」であってはならず「地獄」でなければならない。虚子でさえ一般大衆には極楽の文学と言っているが、最終的には「地獄の裏付け」玉藻昭和28年12月では俳句を地獄の文学としている。

 「詩が喪失した言葉自体の素材を回復せよ」は見慣れたアバンギャルドを否定する。未来派、ダダ、シュルレアリスムなどの詩は言葉を喪失して来ているのだ。あらゆる言説は詩ではなく言葉に戻らなければならない。

 「見慣れた風景を問い直しつづけながら、あるいはいま羅列した問い立てをすべて棄却」

するには、「過去に見たことのない風景を見る」意志がなければならない。これは現在の「豈」の最も共感する点である。

 「漂流に対する偶発的な切断」は我々が意識しないままに実践してきた行動規範だ。あらゆる文学運動、活動は、決して予定通り進まない、計画も存在しない。秋櫻子も草田男も、兜太も龍太も生まれるべくして生まれたものではない。偶然の女神がなした浮気の成果なのだ。それを営々と根拠づけているのが我々しがない評論家なのである。

 最後に「陽気に漂流しつづけていく」はこの宣言の眼目だ。芭蕉も、自由律俳句も、人間探求派も、当然のことながら、新興俳句や前衛俳句、或いは原案者に先行する「京大俳句」さえも陰鬱であった。限りなく。だからこそ陽気に漂流する若い世代に期待したいのだ。

 しかしこんな分かり易く理解してよいのだろうかと幾度も自問してみる。にもかかわらず、かくも超時代的な宣言が行われる場が京の一角「百万遍」であることに好感を持つ。「新京大俳句」たる所以であろう。

英国Haiku便り[in Japan](65)  小野裕三

朗読重視のhaikuに、kukaiは広がるか

 先日、英語圏の人たちによるオンラインのhaikuイベントに参加した。合同詩集の合評会のような内容で、僕が何を手伝えるかなあと、とりあえず「僕の気に入った俳句を事前に何句か選んでおきますから、当日にコメントしますね」と連絡した。先方からは、「ありがとう、嬉しいわ。こちらでも、当日参加できる人とその人のhaikuを確認しておくから。じゃあね」みたいな返信が来る。参加できる人のhaikuを確認するって、どういう意味だろう、と少し疑問に思った。

 その意味は、イベントの当日にわかった。合同句集の句を各作者が読み上げて、それに参加者がランダムに講評をしていく、というスタイルを採っていた。その形式を採る以上、句の作者が当日に参加か不参加かは重要な要素になる。参加者が次々と自分のhaikuを読み上げる一方で、不参加の人の作品は読み上げもされず講評もされない。日本の俳句とは違う風景だなあ、と感心して見ていた。

 詩は、その作者の声と密接に結びつく。この感覚は、西洋の文化では暗黙の前提として根づいているのかも知れない。日本では、高名な俳人の有名な句でも、決してその人自身の声で読まれることは尊重されない。僕自身を振り返っても、一度も自分の声に出して読んだことがない自作の句もけっこうありそうだ。

 声と詩のつながりのことはいずれ再考察したいが、このテーマは裏返して言うと、俳句とhaikuの間でのひとつの大きな相違点と結びつくようにも思う。

 というのも、haikuが世界に広がっているほどには、無記名・互選による「句会」という形式は浸透していない。俳句文化の重要な要素としてginkoやkigoが認知され敬意を払われているのとは対照的だ。少なくとも僕が見聞きした範囲では、haikuの世界での一般的なやり方は、一覧化された事前投句に作者名があらかじめ表記されている。集会ではその句を作者が読み上げ(つまり朗読)、他参加者が思い思いに感想を言い合う。一方、それが「コンテスト」であれば無記名での評価がなされるが、評者はあくまで少数の審査員で、互選形式ではない。

 このような対照の背景には、声による朗読を重視する文化風土もありそうだし、句会や結社の仕組みよりも俳句作品の紹介が翻訳書を通じて西洋では先行したこともあるだろう。とは言え、国際俳句事情に詳しいある人の話では、無記名・互選の形式を西洋人に体験してもらったところ、「なんて面白い!」「なんて民主的!」との声が聞かれたというから、先々はkukaiが受け入れられる可能性もある。ただし、そのことが作者の声の朗読を重視する西洋の詩文化とどう併存できるか、は興味深い問題ではある。


※写真はKate Paulさん提供

(『海原』2025年6月号より転載)

【新連載】新現代評論研究(第30回)各論:後藤よしみ、村山恭子、佐藤りえ

★ー3 高柳重信の新俳句詩法――「垂直の力学」として読み解く  8    後藤よしみ

第2部

新俳句詩法の妥当性の検証 5

3 第三段階 完成・統合期 前半:統合成熟段階


1)『山海集』

この句集の位置づけ

 『山海集』は、新俳句詩法が「立体神話詩法」として完成を遂げた句集である。

 これまでの形成史を振り返ると、流れは明瞭である。初期の『前略十年』では感情・青春・実存が前面にあった。中期の『蕗子』『伯爵領』では断裂・多行形式・超現実映像が形成された。『罪囚植民地』では国家と死の質量が充填され、『遠耳父母』では血脈と神話の深層へ沈降した。そして『山海集』では、それらすべてが「日本という土地の古層」へと接続される。

 最大の変化は、語彙の地質学の対象が変わることである。これまでの語彙衝突は、異質な言葉どうしのぶつかり合いだった。しかし、『山海集』では、「飛騨」「鹿島」「卑弥呼」「みこと」といった日本の地名・神話語彙が中心となる。地名一語の中に数千年の記憶が宿り、その記憶そのものが地層を震わせる。これを「古層の共鳴」と呼ぶことができるだろう。

 また、4原則と6モジュールは、この段階でついに一体化する。補強材でも補助でもなく、有機的に駆動する。これが「新俳句詩法の完成」である。

例句

  飛騨の

  美し朝霧

  朴葉焦がしの

  みことかな

【4原則の分析】

① 語彙の地質学

 この句に集中している言葉を確認する。

「飛騨」 → 山深く神さびた土地・辺境文化圏の古層

「朝霧」 → 原始の自然・視界を遮る深淵

「朴葉」 → 土着の生活の匂い・焦げる嗅覚

「みこと」 → 古代神話・祝詞・祭祀の響きを持つ最高の敬称

 これらはすべて、日本語の最も古い地層に属する言葉である。初期の句群で見られた「異質な言葉の衝突」とは根本的に異なる。ここでは、同じ古層に属する言葉が共鳴し合い、句全体が「土地そのものの神性」へと変化する。語彙の地質学は、異質語の衝突から「古層の共鳴」へと完成形に達した。

② 倒語法

 「朴葉焦がしの/みことかな」という結合は、論理的な説明を拒む。誰が「みこと」なのか。朴葉なのか、飛騨の土地そのものなのか、土地の神なのか——判然としない。しかし、その曖昧さによって土地の神秘性が立ち上がる。「飛騨の朝、朴の葉を焦がす香りが心地よい」という旅の抒情を直接語ることを拒み、日常の営みをそのまま古代神話の儀式へと暗転させる。意味は聖なる次元に宙吊りにされ、これを「神話的感応」としての倒語と呼ぶことができるだろう。

③ 沈降の力学

 この句の四行を一行ずつ確認する。

飛騨の ← 空間が提示される

美し朝霧 ← 霧が視界を遮り、深淵へ引き込む

朴葉焦がしの ← 嗅覚の底へ潜り込む

みことかな ← 神話の最深部へ着地する

 読者は一行ごとに、現代から神話の古層へと垂直に引き下ろされていく。これはもはやシュルレアリスム的な断裂でも、打撃でも、記憶の崩落でもない。祭祀の場へ一段ずつ降りていくような「祭祀的下降」である。沈降の力学は、個人の心理から時空を貫通する垂直ドリルへと達した。

④ 深層の噴出

 この句から噴出するのは、作者個人の感情ではない。「日本列島の古代感覚」そのものである。風景は単なる景観ではなく、霊的な存在として立ち現れる。言葉が地霊化し、日本語という言語がその底に眠らせてきた「シャーマニズムの感覚」「神々への畏怖」が、多行の器の底から静かに、しかし、確実に噴出している。これが言霊の完成形である。

【6モジュールの分析】

 モジュールのこの句での働き

①身体:朴葉を焦がす煙の匂いが嗅覚を通じて身体に直接届き、神話の世界を「本当

の出来事」として定着させる  

②音韻:「ほおばこがし」の濁音が土俗的な重量感を生み、言葉に土の質感を与える  ③視覚:白い朝霧の奥に浮かぶ祭祀的な光景が、現実と神話の境界を溶かす  

④歴史:『古事記』や祝詞の文脈が静かに流れ、現代の俳句に古代の霊を宿らせる  

⑤心理:主体は消え、読者は土地そのものと融合する感覚に引き込まれる  

⑥受容:郷愁として読む者もあれば、神話的な恐怖として受け取る者もある

 この段階の6モジュールは、もはや補強材はでない。4原則の垂直運動と一体化し、神話という抽象的な世界を読者の五感に「いま・ここで起きている原体験」として定着させる、網の目として機能している。

【まとめ:この句が示すもの】

 この句が示す最も重要なことは、重信の詩法がついに「個人の詩」を超えたことである。

 初期の重信は、金魚玉と歴史試験という個人的な不安を句に刻んだ。中期には、国家・戦争・身体・血縁という巨大な質量を句に充填した。そして『山海集』では、詩人としての「私」は消える。「飛騨」という地名一語が持つ数千年の記憶、「みこと」という言葉が呼び起こす神話の時間——それらが多行の器の中で核融合し、日本語という言語そのものが詩になる。

 また、この句において4原則と6モジュールは、初めて分析の道具としてではなく、句そのものの中に溶け込んでいる。語彙の共鳴、神話的感応の倒語、祭祀的下降、言霊の噴出——それぞれが独立して働くのではなく、嗅覚・音韻・視覚・歴史のモジュールと一体となって運動として作動する。

 重信が命を削って進んだ多行俳句の道は、奇をてらった実験ではなかった。言葉から表層の意味と規律を剥ぎ取り、その最も純粋な器を使って、日本の土地と歴史の底に眠る神話の言霊を現代に呼び覚ます——それが新俳句詩法の到達点であり、『山海集』はその一つの完成を示す句集である。


2)『山川蟬夫句集』

この句集の位置づけ

 『山川蟬夫句集』は、高柳重信の全句業における「完成への透明化」を示す句集である。

 「山川蟬夫」とは重信の別の名前(別号)である。この句集の最大の特徴は、それまで培ってきた多行形式を脇に置き、一行詩へ戻っていることである。一見すると、これは前衛からの退却に見える。しかし、新俳句詩法の観点から読むと、まったく逆の事実が見えてくる。

 多行形式によって開発された「垂直の力学」は、この句集においても消えていない。消えたのではなく、一行という極小の器の中に圧縮されている。改行という外側の装置に頼らず、言葉と言葉の間の「不可視の断層」だけで深淵へ落下させる詩法である。

 形成史として整理すると流れは明瞭である。初期に実存の感情が萌芽し、中期に形式が解体され、後期に歴史・神話・身体の質量が充填された。そしてこの後期において、垂直運動を通過したあとに言葉は透明になる。すべてを経験した詩人が、最小限の言葉で存在の深層を直接露出させる——これが重信の後期句業の到達点である。

例句

  軍艦が軍艦を撃つ春の海

【4原則の分析】

① 語彙の地質学

 この句には、対極にある二種類の言葉が衝突している。

「軍艦」 → 近代戦争機械・国家の制度・鉄の暴力

「春の海」→ 日本詩歌のもっとも伝統的な抒情語・うららかな自然・風雅の世界

  「春の海」は、千年以上にわたって日本の詩歌が大切にしてきた言葉である。そこへ「軍艦」という制度語彙が真正面から侵入する。しかも「軍艦が軍艦を撃つ」という、同じ言葉の反復がその衝突をさらに強める。日本的な抒情と近代戦争機械の正面衝突——これは『日本海軍』で完成した語彙の地質学の、もっとも透明で簡潔な形である。

② 倒語法

 この句には説明が一切ない。誰が撃つのか、どこの戦争か、なぜ春なのか——すべて省略されている。「戦争の不条理」を直接語ることを完全に放棄し、「軍艦が軍艦を撃つ」という現実にはあり得ない不条理な虚構を、「春の海」というのどかな伝統的風景の中に配置する。意味はうららかな光と破壊音の間に宙吊りにされ、読者の内部で戦争のイメージが自然に生成される。説明を極限まで省略したことで、倒語法は成熟した形に達している。

③ 沈降の力学

 この句には改行がない。しかし、言葉は強烈に沈降している。

軍艦が軍艦を撃つ ← 同語反復が水平に走る

春の海 ← 底の知れない深淵へ崩落する

 「軍艦が」「軍艦を撃つ」という同じ言葉の反復が水平に走ったあと、「春の海」という広大で静かな言葉へ一気に崩落する。多行詩における行間の空白が、「撃つ」と「春の海」の間に凝縮されている。改行という外側の装置なしに、一行の内部で垂直の沈降が起きる——これが後期の沈降の力学である。

④ 深層の噴出

 この句から噴出するのは、国家のイデオロギーではない。「戦争は自然の中で起きる」という存在論的な不気味さである。春の海という美しい自然の中で軍艦が軍艦を撃つ——この光景は、人間の暴力が自然と切り離せないという、より深い恐怖を露出させている。言霊は政治的告発ではなく、存在そのものへの問いとして噴出している。

【6モジュールの分析】

 モジュールとこの句での働き  

①身体:砲撃の振動が皮膚に届くような生々しい感覚  

②音韻:「ぐんかん」という硬く重い音が、春の海の柔らかな響きと衝突する  

③視覚:きらめく春の海の水平線上で巨大な鉄の船が互いを撃ち合うという、美し

くも恐ろしい映像  

④歴史:太平洋戦争・『日本海軍』で築いた国家の悪夢が乾いた形で残響する  

⑤心理:戦争が日常の風景の中に溶け込む恐怖  

⑥受容:反戦詩としても、存在の不条理を描いた詩としても読める

 この段階の6モジュールは、多行を補強する道具でも、感覚を緊縛する装置でもない。一行という平坦な文字列を、読んだ瞬間に「立体的な時空」へ爆発させるための信管として機能している。視覚・音韻・歴史・身体のモジュールが、わずか一行が読まれる数秒の間に同時に作動し、脳内に深さと広がりを同時に現出させる。

【まとめ:この句が示すもの】

 この句が示す最も重要なことは、形式が変わっても詩法の本質は変わらないことである。

 多行形式を使っていた時代、重信は改行と空白によって垂直の落下を作り出した。しかし、この句では「軍艦が軍艦を撃つ」という同語反復と「春の海」というたった三文字が、改行なしに同じ落差を生み出している。形式は一行に戻ったが、垂直の力学は消えていない。むしろ、外側の装置に頼らずに深淵へ落下できるようになったことで、詩法はより純粋な形に達している。

 また、この句の語彙は『山海集』の神話語彙よりはるかに単純である。「軍艦」「春の海」——誰でも知っている言葉だけでできている。しかし、その単純さの中に、日本的抒情と近代暴力の正面衝突が凝縮されている。語彙の地質学は、複雑さを手放すことで透明な完成形に達した。

重信の全句業は、初期の実存の萌芽から、中期の形式の解体、後期の歴史・神話の質量の獲得を経て、曲折も含めての発展構造として完成する。新俳句詩法は、その足跡を説明する理論である。

(つづく)


★―7:藤木清子を読む18/村山 恭子 

18 昭和12年 ⑤


      山手街                   

泰山木匂へり険しき坂来れば         旗艦33号・9月

 険しい坂を来てみると、泰山木の甘い匂いに出会いました。白木蓮に似た大きな純白の花は、天に向かって咲いています。その姿、芳香から険しい坂の辛さを忘れ、麗しい世界へ没頭しています。また倒置法により世界が広がって行きます。

     季語=泰山木の花(夏)


枇杷熟れて人清閑に住みなせり        同上

 庭にある枇杷がよく熟れてなっています。世間のわずらわしさから離れて、自分好みに整えた住まいに暮らす静かに落ち着いた姿が浮かびます。実際の人の姿はなく、大きな葉陰に実った枇杷の鮮やかな黄橙色が優美な世界へと誘います。

    季語=枇杷(夏)


赤きホテル薄きカアテン垂れてしづか     同上

 赤いホテルの窓にかかるカーテン。しずかに垂れている薄いカーテンの様子と「赤」の対比から多様な想像を掻き立てます。物的なものを詠みながら心象世界へ誘導され、カーテンは心の襞、赤いホテルは心臓のようでもあります。

    季語=無季


   水道配水池

園閑散けものの昼寝みてありく        同上

 水道配水池は閑散としており、所々に犬や猫などが昼寝をしています。園を歩きながら見る動物たちの平穏な昼寝の様子は、見る者の心の安寧をもたらしています。

    季語=無季


屋上園涼しく昏れてゐるふたり        同上

屋上園涼しき恋をみて涼し          同上

 日が昏れて涼しくなって中、屋上園にいる二人は恋人同士なのでしょう。一句目は「昏れてゐるふたり」の詩的表現がよく、二句目は「涼しき」「涼し」のリフレインが効果的です。

    季語=涼し(夏)


    ある追憶

星隕つる去年のおもひに触れてちる      京大俳句9月

 偉大な人物が亡くなりました。去年の思い出が走馬灯のようによみがえり、「星」は「おもひ」と交錯し散ってゆきました。故人への思いが凝縮しています。

    季語=無季


逝くものは逝き巨きな世がのこる       同上

 命を終えて多くの人がこの世を去って行きました。残ったのは「巨きな世」。無常観を感じながらも、広大で圧倒的な権力に支配されている世を嘆いてもいるようです。

    季語=無季


わが心無言の月にはぢらふよ         同上

 陰暦八月十五日の夜、名月が雲に隠れて見えません。その姿に自身の心を重ねて恥じらう様子は、月の美しさと同様にその心の純真さを際立たせています。

    季語=無月(秋)


月は無言に人間は饒舌に           同上

 月と人間の様子を対句で表しています。無言の月は限りない静寂による清らかさを生み出し、饒舌な人間の愚かさ呈示しています。

    季語=月(秋)


★—5:清水径子を読む  佐藤りえ

弟に白梅わたす夢の中 「寒凪」(昭和四十六年)

引き続き『鶸』より。初出は「氷海」昭和46年2月号、表記同じ。径子には実弟が二人いる。下の弟が「氷海」創刊時に行動を共にした清水野笛(信衛)、句中にしばしば詠まれるのは二十代で世を去った上の弟、信太郎である。

七歳までに両親と死別し、のち同居した祖母も径子十五歳の年に亡くなった。日本社会というところは、庇護を得られるのは血縁の大人によってのみ、というような場所であり、それは現在に於いてもあまり変わりがない。径子の揺籃期である大正に至っては、親を失った子供の来し方は、混迷を極めたであろうこと、想像に難くない。径子にとっての姉弟とは、いわゆる血を分けた子供同士というだけでない、あるいは運命共同体、自身を此の世へと繫ぐ、わずかに残された紐帯だったのではないだろうか。

亡き家族を詠んだ句には父母も登場するが、「亡弟」はごく初期から、ながく詠みつがれている。信太郎が鬼籍に入ったのは昭和十二年、径子二十六歳の年だ。全句集の年譜には「心は死への思いに傾斜、哲学書など耽読する」とある。句集未収録句の一部を引く。


梅雨の学園亡弟消へて木椅子のこる(「氷海」昭和33年8月号)

亡弟に赤き花挿す二月かな(「氷海」昭和40年3月号)

弟を呼んでゐたりき麦は五寸(「氷海」昭和41年7月号)

亡弟とわれの間に霜の橋(「氷海」昭和47年1月号)


いずれの句も「われ」は離れた弟を呼ばわり、遠く見、決して触れ得ない彼を探しつつ、花を託そうとするなど「距離の埋めがたさ」を実感する、痛烈な慕情が詠まれている。亡き弟に会いたい、といったような直情的な感傷があらわれていないところが径子の情感表現の特徴でもある。


『鶸』には弟を詠んだ句が五句収録されている。


弟に白梅わたす夢の中

亡弟の誘惑にくる白椿

亡弟や冬たんぽぽを踏みさうに

亡弟か落花か墓参する裾に

亡弟の余韻を曳ける花和讃


いずれの句も弟と花の組み合わせであることが目を引く。組み合わされるのが「梅」「椿」といった万葉的な花なのは、落花がふりかかるのが、優美な古今集の世界ではない、たとえば防人歌の「裾」であるところからも、ある程度意図的なものではないか、とも思う。家族を思う花が贈られているのだ。

弟に渡す花として白梅がまことにふさわしい、とは「氷海」同人庄中健吉の評による。

弟を憶う心は「夢の中で白梅をわたす」という何気ない行為になつて定着される。手渡すものは紅梅でもいけない。バラや菊でもいけない。白くて単純な白梅でなければならない。また、現実に手渡してはいけない。夢の中がいいのだ。

(「清水径子論」庄中健吉「氷海」昭和48年5月号)

   *

『鶸』は昭和48年に牧羊社より刊行された。実際に発売となった時期は記録をたどるかぎり少々曖昧だ。『鶸』は牧羊社の「処女句集シリーズ全17巻」のラインナップ中5番目の本で、句集が刊行されること自体は「氷海」編集後記で話題になっている(昭和47年10月号)が、消息欄には刊行の知らせが載ることはなかった。

版元の牧羊社はこの時期雑誌「俳句とエッセイ」を創刊、その創刊号冒頭に「処女句集シリーズ全17巻」の1ページ広告が打たれている。雑誌創刊当時(昭和48年6月)の既刊は櫛原希伊子「白繭」・桜井博道「海上」・成瀬桜桃子「風色」・福永耕二「鳥語」・松本旭「猿田彦」の五冊、次回配本は平井さち子「完流」・森田峠「避暑散歩」となっている。全巻解説を当時創刊まもない「蘭」の火村卓造がつとめている。径子の全句集を読んで、あまり所縁のなさそうな火村が『鶸』の解説を手がけたのは何故だろうかと感じていたが、それはシリーズのパッケージだったのだ。

牧羊社の「処女句集シリーズ」といえば、並製の簡易函入り、作者の顔が印刷された帯がけの本が浮かぶが、『鶸』のシリーズはそれとは異なるものである。昭和43年から刊行された角川源義、石川桂郎、稲垣きくのら主宰・中堅の「現代俳句15人集」の好評を受け(シリーズ中の二冊、飯田龍太『忘音』と野澤節子『鳳蝶』が読売文学賞を受賞した)、「15人集」参加者の結社から句集を持たない精鋭が集められ、同じスタイル―函入り上製本―で作られたのが「処女句集シリーズ全17巻」だった。平成まで続いたシリーズとの違いは、新人の域を脱した各結社推薦のメンツが揃ったところだった。牧羊社としては、「俳句とエッセイ」と「処女句集シリーズ」を揃って打ち出した格好なのだろう。


「氷海」昭和48年11月号において『鶸』小特集が組まれた。同人の20句選句と句集評、不死男の序文が掲載された。外部評と同人評が1名ずつ、が「氷海」の句集特集のスタイルだった。『鶸』の外部評は径子の憧れの人、永田耕衣が担当した。耕衣は世阿弥や塚本邦雄、徒然草の言葉などを引きつつ(独特の独創的な漢語を満遍なく用いつつ)、径子の句に諧謔がまぎれないことを説いた。


 まろびてつかむ二十数年前の雪

「まろびてつかむ」といい、「二十数年前」といい、そういう委細を惜しみなく打ち出して、その打ち出し方の微妙自然さが功を奏して、ひとつかみの「雪」に「淋しい永遠」を見せられてしまう。単に「雪」とだけ厳然と放言しても、この境には到りえぬ手立てがある。これがアソビである。遊ばねば到りえぬ佳境絶境、そのあそびこそが手立というものである。『鶸』集中には、この手のアソビの秀れた句々をなおなお発見する。

(「二十数年前の雪」永田耕衣)


径子の厳しい身上を理解し、長年の研鑽を見てきた同人たちからは、心底径子を思いやる、美しい描写、共感の持てる句への賛同が寄せられる。


 春の昼歩きつくして死ぬるかな

径子さんは、あるき続けるかなしみを知つている。人間がやつと歩きはじめた原始の頃の覚束ない足取りを確かに知つている。

(『鶸』浪漫的鑑賞 秋山卓三)


径子自身は耕衣の評をうれしく読んだのではないだろうか。「氷海」は同人にテーマを与え、俳論的な文章を奨励したが、表現論、技術論といった深みを追求した文を書くものは鷹羽狩行、庄中健吉などごく稀で、多くは鑑賞に留まるものだった。先人の作品に連想を見出し、文学史への接続を促すがごとき耕衣の評は、それまでの径子への評として異質であり、作家としての径子に大きく働くものだったのではないか。

何より、「嘆き」の詩性、観察のたしかさ、冷静さ、といったものを言われがちな径子の作品に、レトリックを「あそび」と称したことは大きい。これこそが、径子が求めた言葉への探求を汲み取った、本質的な指摘だった、と思う。

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり55 黒田杏子句集『八月』(2023年刊、角川書店)

 黒田杏子句集『八月』(2023年刊、角川書店)のページをやっと捲ることができた。

 記憶がさだかでないが月刊誌「太陽」(既に休刊している)で布の特集でエスコート役をされていたのを私の記憶のページめくりながら「生涯のもんぺスーツに芭蕉布も」のように芭蕉布についても紹介されていたと思う。

 ちゃんとお会いしたのは、NHK「俳句王国」(後継番組に『俳句王国がゆく』がある。)の句会で2010年1月の放送用の時だった。兼題「寒月・自由題」で黒田杏子先生の句は、「棲み古りて寒三日月のふたりかな」で本句集『八月』でもたびたび登場する「写真家と俳人の窓流れ星」「ゆつくりといそぐ雑煮椀二つ」のこの黒田勝雄・杏子夫妻である。


あさがほや六十年をふたり棲み

 NHKのテレビ番組の句会で垣間見た二人の句は、黒田杏子先生にとって大切な俳句テーマでもあったようだ。朝顔の蔓は時を巻き上げながらふたりでひとつの人生の六十年を棲みついている擬人化された開花だったのだろう。

 私の写真集の献本のたびに電話越しの返礼でぐいぐい黒田勝雄先生も電話口に押し出されてひと言三言、会話をかわしたことがある。ふたりでひとつの朝顔は鮮やかだった。


花巡るいつぽんの杖ある限り

 黒田杏子先生の代表作「白葱のひかりの棒をいま刻む」を念頭におきながらも、生涯俳人としての鬼気迫る覚悟と達観した花のある俳人だった。

 花を巡るように花のある人生を駆け抜けたのだろう。一本の杖がある限り俳句を作り続けるという意思を意志を遺志を持って俳句を残す。そこに集い豊かな俳句人生を成しているのは、「選句して選句して夏送りけり」、「稲光よき師よき友よき手紙」などに結実していたのだろう。俳句によってより良く生きるその生涯俳人の覚悟は、今もなおその出会いの財産たちに末席に座っていた私も含めて脈々と受け継がれている。


金輪際一歩も引かぬ稲光

小春日と書きて句帳をよろこばす

柚子湯してあしたのことは考へず

もう何も欲しくはなくて花を待つ

花を待つどこへも行かぬ日々重ね

蜆汁ゆつくり老いてゆく愉快

 情感が溢れる詩情のある「金輪際一歩も引かぬ」「句帳をよろこばす」「あしたのことは考へず」「もう何も欲しくはなくて花を待つ」「花を待つどこへも行かぬ日々重ね」「ゆつくり老いてゆく愉快」の素朴ではあるが丁寧に生きる人生の交差点で私も何本もお電話をいただいて交流をさせていただいた同時代でこのような俳人と出会えたことをたいへん光栄に思っています。

 どの俳句にも物の本質を鷲掴みする黒田杏子先生の力量が鮮やかな影像を湧きたたす。

 黒田杏子俳句のすごさは、此処にあると私はひしひしと感じる。

 金子兜太先生亡き後に藍生俳句会に私は身を寄せている際に「金子兜太は、沢山の凡作もあるのよ。(凡句も)沢山あって名句もある。」「あんた、金子兜太に期待されていたのよ。沖縄に骨のある若者が居るって。」。その言葉ひとつひとつにパンチがあるというか。背中を押してくださるように嬉々と叱咤激励の御言葉を惜しげもなくいただきながら電話越しに私は頭を下げていたものだ。


なつかしき十一月の旅鞄

 『証言・昭和の俳句 聞き手・編集=黒田杏子 増補新装版』(2021年刊、コールサック社)、『語る 兜太 わが俳句人生 金子兜太 聞き手=黒田杏子』(2014年刊、岩波書店)など多くの俳句史にのこる貴重な俳人の証言を結実している。それは、十一月の旅鞄に詰め込まれた俳句世界の多くの俳人たちの宝物となっている。


乱れなき光体の列鶴帰る

 一糸乱れない光体としての生命体の列は、もう俳句という詩的言語だ。それは「鶴帰る」という日本の季節の折々の詩的表現が定着した季語だ。


雪雲を潜る大白鳥の列

 雪雲が重奏に唸るように大地に貌を近付けている。その雪雲の風貌に潜り込む大白鳥の列がうっすらと見え隠れしている。鮮明に視覚化されやすい表現力に脱帽です。


東京にゆつくり睡れ都鳥

 東京でゆっくりと睡りなさい。その祈りは、都鳥をも抱擁するようにつつみこむ大都市にもわずかかもしれないが残る生命の森だ。


ふるさとはいまもふるさと曼珠沙華

 何処かで臍の緒の続きのように故郷はいつまでも繋がっている。そこに曼珠沙華の弦がアンテナのように在るようだ。


本郷の坂玉蟲にぶつかりぬ

 「坂玉蟲」は、幕末の会津藩士で開国論者・外交官として活躍した玉蟲左太夫(たまむし さだゆう)を指す言葉ですが、この句でぶつかったのは、玉蟲であるが其処を玉蟲左太夫に出会うとするところに詩情が溢れている。


日の出待つ墨田朝顔愛好会

 「一般社団法人 墨田区観光協会」のホームページによると「向島百花園 大輪朝顔市」があるので其処を俳句的に具体的な「墨田朝顔愛好会」が朝顔市の出番を待ちながら日の出を待つという大変風情ある光景が鮮明に浮き上がってくる。本当にあるんですね。


那珂川に降る春星のかぎりなし

 黒田杏子先生は、東京の本郷で生まれ。父は開業医。1944年栃木県に疎開、高校卒業まで栃木県内で過ごしていたようだ。那珂川(なかがわ)は、栃木県と茨城県を流れる河川で関東地方大3の河川である。この川を前にして春星が限りなく降り注いでいる。見事な情景だ。


全山の葉櫻を打つ雨の音

 すべての山々にある葉櫻を鍵盤のように奏でているのは、雨の音だ。

 その他、共鳴句のいち部もいただきます。

 ありがとうございました。


ゆく年のどの星となく慕はしく

柚子湯して来る年の夢ふたつみつ

語る兜太歌ふ兜太山紅葉

わが道をゆくあらたまの杖いつぽん

日光月光花巡れ花浴びよ

金色の那須野の柚子を湯に放ち

八十の花の記憶の無盡蔵

脊梁山脈みちのくの花の闇

浜木綿の香に鳴りいづる星の数

蕗の薹俳句修行の七十年

原発の國のさみしき夏の果

邯鄲の熄む一瞬の間なりけり

母の日を父とならざる汝と祝ぐ

父の日を母とならざる我と祝ぐ

「語り継ぐ」「こりや楽ぢやねえ」雲の峰

流離(さすら)へとなほ呻吟(さまよ)へ

【連載】名俳句鑑賞へのラブレター5『尾崎紅葉の百句』(高山れおな著、2023年刊、ふらんす堂)豊里友行

 先ずは、巻末の尾崎紅葉論「紅葉が俳句でめざしたもの」(高山れおな)から抜粋を記しておく。

 たとえば故郷は、初期の紅葉の句は談林調が強く、やがて正風に進んだ(あるいは日本派風の表現に近づいた)という見通しを持っていたようだ。しかし、時系列で作品を見て行くと、とてもそのようには言えないことがわかる。談林まがいの破調句も、一見すると日本派と見分けがつかないような描写型の句も、旧派の月並調のようなひねりを利かせた句も、同時多発的に生み出しながら螺旋状に進んでいた―――いささか比喩的になるが、筆者はそのようなイメージを持っている。


    大量十貫目

わが痩(やせ)も目やすきほどぞ初袷    明治三十六年(一九〇三)

 俺の痩せ具合も見た目いい感じじゃないか、衣更えした袷がいかにも似合いだ―――そんな句意になる。だが、前書に言う「十貫目」は三十七・五キログラム。壮年男性の体重として普通ではない。明治三十六年はじつは尾崎紅葉の死の歳である。胃の不調に苦しむ紅葉は三月、ついに大学病院に検査入院し、胃癌と確定した。入院に付き添った弟子の泉鏡花は、〈肋骨(ろくこつ)などが露(あら)はれ〉衰えきった体を見て、〈居合(ゐあは)わせた者(もの)が一同(いちどう)悄然(せうぜん)〉としたと証言する。〈わが痩も目やすきほどぞ〉は、親分肌の江戸っ子の強がり―――その俳諧者流の表現に他ならなかった。


星食ひに揚(あが)るきほひや夕雲雀     明治二十九年(一八九六)

 〈きほひ〉は漢字交じりに書けば「競(きほ)ひ」である。激しい勢い、気勢ということ。星が輝き始めた夕空へ雲雀が飛び立ったさまを、思い切った比喩で捉えた。村山故郷は掲句を含む数句を挙げて、〈擬人法ほための擬人法〉を弄するものとして批判する。故郷の文章にはまた巻末の拙文で触れるとして、こうした批判自体が今やずいぶん次代がかって感じられる。一方、夏石番矢は掲句を〈大胆な想像を注入〉した作として賞賛する。当方が共感するのは番矢の方だ。なお明治二十八年以前の句に、〈夕雲雀隠れしあとや星の数〉があり、これまた面白い。


 巻末の尾崎紅葉論「紅葉が俳句でめざしたもの」(高山れおな)から抜粋を記しておく。高山れおなによる俳句鑑賞の丁寧さと俳句論への情熱に脱帽した。俳句と俳句鑑賞が対だと思う。ひとつの平安時代から伝わる日本の伝統的な遊び「貝合わせ」のように俳句と俳句鑑賞がひとつを成すように私には感じられた。

 以前、「俳句」誌の文人俳句特集(二〇二〇年六月号)で紅葉について書いた時、先ほど挙げた〈星食ひに〉の句を引きながら、紅葉の俳句の核心を一語で表すなら「きほひ」がそれだと述べた。〈言語遊戯的なものを含めた言葉の「きほひ」が、線の太い奇想的なイメージと相乗した時、最も紅葉の句らしい魅力を発揮する〉――今もこの考えに変化はないものの、他方、さらに調べるべき点、なお考究すべきポイントが次々に出てきている。それほど遠くない将来、今回とはまた別な形で、紅葉についてかくことができればと思っている。

【未来俳句・短期連載】器はもう一つ増える——未来俳句宣言への応答  山根もなか

 自由律の実作者として、私は長く一つの問いを抱えてきた。器を脱いだ俳句は、どうすれば成り立つのか。だが筑紫磐井氏の宣言を読み、問いの立て方そのものを改める必要を感じた。問うべきは、脱いだ先に何が残るかではない。その器はそもそも誰の身体に合わせて作られたのか、である。

 『WEP俳句通信』一五二号の特集では、賛成五十七、反対五十八と票が拮抗した。私はここに一票を足すつもりはない。定型か否かという軸に対して、別の軸を差し込みたい。誰にとっての定型か、という軸である。

 あらかじめ断っておく。当事者研究とは当事者が自ら語る方法であり、外部から形式を割り当てる身振りは、この方法が最も警戒してきたものだ。だから本稿は、誰かに短律を勧めるために書かれるのではない。短律という形式の条件を記述したとき、そこに当事者研究の記述と構造的な相似が現れる——そう述べるに留める。


一 季語という構成的体制

 綾屋紗月は、文化人類学者ジーン・レイヴの「構成的体制」という語を用いて、自己感の問題を論じている。構成的体制とは、道具・建築物・言語・規範・制度の総称であり、モノの世界に秩序を与えるだけでなく、個々人の知覚・運動パターンに秩序を与え、その共有を可能にするものだ。多数派はこれを享受している。だが少数派はそこにあてはまらない。ゆえに少数派は、自分たちの知覚・運動体験に合った新たな構成的体制を立ち上げる必要にせまられる——それが当事者研究だと綾屋は書く。

 季語と定型は、まさにこの意味での構成的体制である。

 季語の本意とは、共同体が数百年かけて結晶させた知覚の秩序にほかならない。「木枯」と置いた瞬間、まだ書かれていない背景が立ち上がる。読者はそこに冬を、乾いた光を、人の心細さを見る。これは共有を可能にする装置として驚くべき精度をもつ。

 國分功一郎はドゥルーズの他者論を読み解いて、他者とは「知覚領域の構造」であると述べている。他者がいてこそ対象には裏側があり、死角があり、余白がある。他者がいなければ、意識とその対象はもはや一つでしかない。

 季語はこの意味で、俳句における他者である。それは作者が見ていない部分を保証し、周辺的な世界を組織する。定型十七音とは、その他者を借用するための器なのだ。

 問題は、この借用が万人に等しく可能かどうかである。


二 出来事に先立って主語はない

 國分は続けて、自我とはア・プリオリに存在する基体ではなく、知覚領域の構造がもたらす効果であると指摘する。さらに『中動態の世界』では、ドゥルーズがライプニッツを読み替えた場面を追って、出来事に先立って主語=主体は存在しない、と論じている。罪人であるアダムは、「罪を犯す」という動詞が名指す出来事の周辺で、その効果として発生する。

 この順序を俳句に持ち込むと、定型の構図が見えてくる。定型は、まず詠む主体を立て、その主体が世界を切り取るという順序を要求する。切れとは主体が下す判断であり、季語の斡旋とは主体が行う選択である。定型とは、主体を先に置く形式なのだ。

 短律はこの順序を反転させる。

 筑紫氏の作品を見る。「藻ねむり」「稲漬き」「道泥づ」「風うそ哭け」。ここには主語がない。時制もない。人称もない。これは欠落ではなく、出来事の側から言葉が発生している状態である。

 ここで正確を期しておきたい。ドゥルーズが礼賛したのは動詞そのものではなく、動詞の不定法であった。國分は、動詞が名詞に先行するという命題は不正確だと明言している。名詞と動詞はもともと未分化であり、不定法とは人称も現在形も態の多様性ももたない、その未分化な水準の形態なのだ。

 短律とは、名詞を捨てて動詞へ向かう形式ではない。名詞と動詞が分かれる前の水準へ降りる形式である。「藻ねむり」は名詞でも動詞でもない。だからこそ、そこには誰の眼差しも先行していない。

 筑紫氏は宣言でこう書いた。文法は要らぬ、名詞・動詞だけで辛うじて伝達はできる、と。これは俳句史の内側から導かれた設計だが、行き着いた場所は言語の基層である。


三 当事者研究が示すもの

 綾屋の記述に、次のような場面がある。何かをしようとしたとき、特に好みというわけでもない他者の表情や動きが、選択肢として勝手に思い浮かぶ。「これがオススメですよ」と言われている気がする。しかしそれを追い払っても、自己像はからっぽで、煙が漂うようにもやもやしている、と。

 私はこの記述を、当事者の困難の説明としてではなく、定型が作者に対して行う要求の比喩として読んだ。断っておくが、これは私の読み替えであり、綾屋の記述をそのまま作句体験に適用することはできない。

 そのうえで言えば、季語を斡旋するとき、俳人にもこれに似たことが起きている。「木枯」を置けば本意という他者像が推奨されてくる。熟練とはその推奨を使いこなす技術であり、多くの場合それは豊かさとして働く。だが推奨が身体に合わない者にとって、定型で詠むこととは、他人の自己感を借りて詠むことになりかねない。

 私の周囲には、発達障害の診断を受けた作り手が数人いる。傾向として、十七音より短い句を出すことが多い。これは論拠ではない。検証されるべき仮説の発生源として提出する。

 重要なのは、これを福祉の話にしないことだ。短律が当事者に向くとすれば、それは当事者に優しいからではない。既存の構成的体制を享受しにくい者が、自分たちの知覚に合った新たな構成的体制を立ち上げる——その一つの帰結が短律である、というだけのことだ。これは温情の問題ではなく、形式の条件の問題である。

 同じことは国外の作り手についても言える。季語の本意は日本の風土と共同体の記憶に根ざしており、それを共有しない言語圏では、季語は借用できない他者である。世界各地でHAIKUが短くなっていく傾向は、怠慢でも誤解でもない。構成的体制を共有しない場所では、別の器が立ち上がる。筑紫氏が、二十年後には英語や中国語で末期の句を書いているかもしれないと記すとき、その予感はここに接続する。


四 器はもう一つ増えるだけである

 ここで最も強調したいことを書く。

 新しい俳句は定型を奪わない。

 季語と定型は、共有を可能にする装置として比類のない精度をもつ達成である。それを享受できる者から取り上げる理由は何もない。宣言が要求しているのは廃止ではなく、器がもう一つ増えることだ。

 俳句は平和の文学だと言われる。だがその平和が、同じ構成的体制を享受できる者たちの間でのみ成り立つのであれば、それは限定された平和である。定型では拾えない感覚をもつ者が現代にはいる。国外にもいる。彼らを拾える器が並び立っていることを、私は平和の文学と呼びたい。

 筑紫氏は書いている。宣言しても、我々は連帯しない、個々の作家であるからだ、しかし共感はしたいと思う、と。

 奇妙なことに、これは当事者研究が到達した地点と同じ構造をしている。綾屋は、当事者研究によって「自分の軸」が生まれたことで、逆説的に、はじめて他者と適度な距離を保てるようになったと書く。バスケットボールのピボットのように、片足が他者へ踏み出しても、もう片方の足が軸として残っている。そして自らの表現が他者の言葉に感染して生まれ、その表現がまた誰かに感染していく、と。全体ではなく部分にフォーカスする特徴があるからこそ、それが可能になった、とも。

 全体ではなく部分に向かうこと。連帯ではなく軸をもつこと。共感ではなく感染すること。短律の詩学は、ここで思いがけない仲間を得ている。


五 入口と完成度

 最後に、肯定はするが優遇はしない、という一線を引いておく。

 短律の入口は、たしかに広い。季語の制約がなく、音数の要求もない。だが入口の広さと、そこから先の難度は別の問題である。むしろ短律は定型以上に難しい。定型が引き受けてくれていた奥行きの生成を、作者が一語で背負わねばならないからだ。四文字の失敗は、十七音の失敗より容赦なく露呈する。

 福祉の発表の場や、それに準ずる部門があってよいと私は考える。だがそれは評価基準を緩めるためではなく、器を増やすためである。作品として立つかどうかは、どの器で書かれたかによらず、同じ厳しさで問われるべきだ。優遇は、結局その形式を二流の位置に固定してしまう。

 過去に見たことのない風景を見たい、と筑紫氏は書いた。私の宣言はこうだ。

 私たちが見ていない風景は、私たちと同じ知覚をもたない者の側にある。

 短律とは、その風景が入ってくるために、もう一つ用意された器である。


〔註〕綾屋紗月「当事者研究と自己感」(石原孝二編『当事者研究の研究』医学書院、二〇一三年)。構成的体制の概念はジーン・レイヴに由来し、綾屋は大村敬一(二〇〇二年)を参照している。國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』(岩波現代全書、二〇一三年)第Ⅱ章、および『中動態の世界』(医学書院、二〇一七年)第七章。なお哲学と当事者研究の架橋は、國分・熊谷晋一郎による講義および共同研究においてすでに試みられている(東京大学「学術フロンティア講義」二〇二〇年度第一三回、東大OCW公開)。