【評論執筆例(初期能村登四郎作品について):筑紫磐井】
6.初期身辺生活句(3)
3カ月間の慟哭・悲傷の作品の後、登四郎の新しい作品が始まる。
咳了へてほのかにぞ来る人の息(24・1⓸)
凩と言へどそれぞれものの音(24・3⑨)
卒業生言なくをりて息ゆたか(24・4⑤)
初期身辺生活句(1)で述べた作品が復活してくるのである。以前のこれと類似する句を掲げてみよう。
咳なかば何か言はれしききもらす(23・2➁)
うすうすとわが春愁に飢もあり(23・6⑥)
春靄に見つめてをりし灯を消さる
部屋ごとにしづけさありて梅雨きざす(23・7➀)
たよりあふ目をみなもちて梅雨の家
対象を的確に描こうとするのではなく、自分の内心を見詰める俳句であるのだ。初期身辺生活句(1)と(3)こそが登四郎の俳句にとって貴重なものとなる。『咀嚼音』の大半を占める教師俳句、『合掌部落』の大半を占める社会性俳句ではなく、少し悲しみを帯びた具象性を欠いた心象風景句である。
* *
しかしこのような俳句がなぜ生まれてきたのかを考える必要がある。それは登四郎の内面的な成長なのだろうか。性急な結論を出さず、十分に吟味する必要がある。それは、当時の馬酔木の作品を見ることによって分かってくると思うからだ。当時の若い作家の作品には、このような登四郎とよく似た雰囲気の作品が多く見られるからである。
日を仰ぐ咳やつれせし面輪かも 竹中九十九樹 昭和23年
風荒れて春めくといふなにもなし 秋野弘
春愁やむしろちまたの人むれに 岡野由次
咳堪へて逢はねばならぬ人のまへ 大島民郎
あてどなく急げる蝶に似たらずや 藤田湘子 昭和24年
諭されし身を片蔭に入れいそぐ 馬場移公子
待つありて継ぐ息勁し麦は穂に 野川秋汀
(念のため言っておかなければならないのは、こうした作品と対照的な句も同時に詠まれていることである。個人個人の作風はそう単純ではない。それは戦前からの馬酔木の系譜を継ぐ、外光的な美しい句やリズミカルな句である。藤田湘子や林翔などはそうした傾向の句の方が多かったようである。
忽然と雪嶺うかぶ海のうへ 澤聡 昭和22年
雪白き奥嶺があげし二日月 藤田湘子
ぬばたまの黒飴さはに良寛忌 能村登四郎 昭和23年
さふらんに沖かけて降る雪しばし 水谷晴光
花烏賊やまばゆき魚は店になし 林翔
茶摘み唄ひたすられや摘みゐつつ 藤田湘子
虹の輪を噴煙荒れてつらぬける 沢田緑生
夕潮の紺や紫紺や夏果てぬ 藤田湘子
逝く汝に萬葉の露みなはしれ 能村登四郎
さつまいもあなめでたさや飽くまでは 林翔
うぐひすや坂また坂に息みだれ 馬場移公子 昭和24年)
話を心象的な俳句に戻して、こうした中で、馬酔木新人会をリードした一人の作家を見る事が出来る。それは秋野弘である。既に忘れ去られた作家であるが、当時、湘子や登四郎以上に独特の作風を形成し、新人会の中心となって、周囲の作家に影響を与えていたのである。
片蔭をいでてひとりの影生まる 昭和22年
光りつつ冬の笹原起伏あり 昭和23年
ひさびさに来れば銀座の時雨る日
風荒れて春めくといふなにもなし
蝶の息づきわれの息づき麦うるる
青芝にわが子を愛すはばからず
七月のかなかななけり雑司ヶ谷
椎にほひ病むともなくてうすき胸 昭和24年
見えねども片蔭をゆくわれの翳
夏ふかししづかな家を出でぬ日は
雪つもらむ誰もしづかにいそぎゐつ 昭和25年
秋野は早々に俳句の世界から消えてしまった。ところで、興味深いことに、一種の熱病のように流行したこうした作風の伝搬は、若手作家に止まらなかった。中堅作家の中にもこうした心象風景が広がっていたのである。
蠅ひとつをりてあたりに誰もゐず 相馬遷子 昭和22年
手を洗ひをえて思ひぬ春めくと 昭和23年
人なかにうしろより来るひとの咳
うぐひすの去りて漸くこころ急き
相馬遷子は戦前から活躍し、戦後も馬酔木を支える柱となった作家であったが、こうした作家にも影響を与えている。いや、主宰者である秋櫻子もこうした心象風景は色濃く染まった作品を詠むようになった。これが終戦直後の馬酔木俳句の一つの風景であったのである。
鰯雲こころの末の波消えて 秋櫻子 昭和25年
萩の風何か急かるる何ならむ
資料 能村登四郎初期作品データ
(制作年月の次の〇数字は馬酔木集の席次。*は下位作品)
刈田のなか池ありあをき空を置く(23・1*)
高槻のそのたかさよりしぐれくる
茶の咲くをうながす晴とちらす雨
咳なかば何か言はれしききもらす(23・2➁)
かがみゐし人のしごとの野火となる
潮くみてあす初漁の船きよむ
ななくさの蓬のみ萌え葛飾野
ぬばたまの黒飴さはに良寛忌(23・3➀)
雪といふほどもなきもの松過ぎに
雪天の西うす青し雪はれむ
佗助やおどろきもなく明けくるゝ
雪の戸にけはひして人のおとなへる(23・4⑧)
匆々ときさらぎゆくや風の中
蓋ものに春寒の香のさくら餅
松の間に初花となり咲きにけり
弥生尽追ひ着せられて羽織るもの(23・5➁)
人いゆく柴山かげや春まつり
さく花に忙しききのふ無為のけふ
さくら鯛秤りさだまるまでのいろ
うすうすとわが春愁に飢もあり(23・6⑥)
春靄に見つめてをりし灯を消さる
摘むものにことば欠かねど蕗生ひし
畑すみに萌えいですでに紫蘇のいろ
部屋ごとにしづけさありて梅雨きざす(23・7➀)
たよりあふ目をみなもちて梅雨の家
梅雨の傘抱きて映画に酔ひがたき
藺の花の水にも空のくもりあり
老残のことつたはらず業平忌(23・8③)
黴の香のほのかなる書を手ばなしぬ
白麻の着くづれてゐて人したし
白靴のしろさをたもち得てもどる
露はしり我にあかるき今日きたる(23・9⑥)
かぼちや咲き貧しさがかく睦まする
かぼちやかく豊かになりて我貧し
病める子に蚊ばしらくづす風いでよ
長男急逝
逝く汝に萬葉の露みなはしれ(23・10①)
供華の中に汝がはぐくみしあさがほも
汝と父母と秋雲よりもへだつもの
かつて次男も失ひければ
秋虹のかなたに睦べ吾子ふたり
白露の朝にはじまる言葉佳し(23・11③)
白露や子を抱き幸のすべてなる
秋草やすがり得ざりし人の情
日とよぶにはかなきひかり萩にあり
露幾顆散り惜しむとも吾子はあらず(23・12⑤)
鶏頭やきはまるものに世の爛れ
朝寒や一事が俄破と起きさする
林翔に
貧しさも倖も秋の灯も似たる。
咳了へてほのかにぞ来る人の息(24・1⓸)
わが胸のいつふくらむや寒雀
枯芭蕉どんづまりより始めんと
炭は火となるにいつまで迷ひゐる
霜ばしら怒りは内に燻ゆらすな(24・2③)
手袋やこの手でなせし幾不善
またけふの暮色に染まる風邪の床
かけ上る眼に冬樫の枝岐る
殿村兎糸子氏を新人会に迎えて
朱を刷きて寒最中なる返り花
凩と言へどそれぞれものの音(24・3⑨)
遠凧となりてあやふき影すわる
水洟を感じてよりの言弱る
冬百舌の裂帛にわが虚を衝かる
老梅を愛して物を卑しまず(24・4⑤)
新雪の今日を画して為す事あり
卒業生言なくをりて息ゆたか
風邪熱を押して言葉にかざりなき
●戦前作品
芦焚けば焔さかんとなりて寂し(14・2*)
枯山の星するどくてひとつなる(15・12*)
蒲の穂のしづかなれどもふれあひぬ(16・11*)
盆のものなべてはしろくただよへり
寝返ればふたつとなりぬ遠蛙(18・6*)
四五枚のいつも雪解のおくるる田(19・4*)
いつの間にみてゐし雲や春の雲(19・5*)
朝は子とゐし緑陰や人のゐる(19・8*)
ひとりゐる蘆刈に鳰もひとつゐる(20・1*)
●戦後作品(受験子・教師俳句)
受験子の髪刈りて来し目のうるみ(24・4特別作品)
しづかにも受験待つ子の咀嚼音
あぢさゐの褪せて教師に週めぐる(24・8⑦)
氷菓もつ生徒と逢へりともに避け(24・9⑫)
長靴に腰埋め野分の老教師(26・4馬酔木コンクール受賞)
教師やめしそのあと知らず芙蓉の実