2020年8月31日月曜日

【アーカイブ】特集『切字と切れ』

【紹介】週刊俳句第650号 2019年10月6日  》読む

【緊急発言】切れ論補足
 特集『切字と切れ』座談会に寄せて(1)   》読む

 特集『切字と切れ』座談会に寄せて(2)   》読む

 特集『切字と切れ』座談会に寄せて(3)動態的切字論――現代俳句の文体――切字の彼方へ 1 》読む

(4)動態的切字論――現代俳句の文体――切字の彼方へ 2   》読む

(5)動態的切字論――現代俳句の文体――切字の彼方へ 3   》読む

(6)動態的切字論――現代俳句の文体――切字の彼方へ 4   》読む

(7)動態的切字論――現代俳句の文体――切字の彼方へ 5   》読む

「切字と切れ」座談会・特集用メモ①   》読む

「切字と切れ」座談会・特集用メモ②   》読む

【予告】WEP俳句通信115号 特集:〈切字神話〉よ、さようなら   》読む

【広告】WEP俳句通信115号 切字と切れ特集   》読む

2020年8月28日金曜日

第143号

※次回更新 9/11

俳句新空間第12号 発売中

特集『切字と切れ』

【紹介】週刊俳句第650号 2019年10月6日
【緊急発言】切れ論補足

【読み切り】俳句日記の普段着で生きている ~句集『乱雑な部屋』(西村小市)~豊里友行 》読む

【新企画・俳句評論講座】

・はじめに(趣意)
・連絡事項(当面の予定)
・質問と回答
・テクスト/批評   》目次を読む

【新連載・俳句の新展開】

句誌句会新時代(その一)・ネットプリント折本  千寿関屋  》読む
句誌句会新時代(その二)・夏雲システムの破壊力  千寿関屋  》読む
[予告]ネット句会の検討  》読む
[予告]俳句新空間・皐月句会開始  》読む
皐月句会デモ句会結果(2010年4月10日)  》読む
第1回皐月句会報(速報)  》読む
[予告]皐月句会メンバーについて  》読む
第2回皐月句会(6月)[速報]  》読む
第3回皐月句会(7月)[速報]  》読む

■平成俳句帖(毎金曜日更新)  》読む

令和二年夏興帖
第一(8/7)仙田洋子・辻村麻乃・渕上信子
第二(8/14)青木百舌鳥・加藤知子・望月士郎
第三(8/21)神谷 波・杉山久子・曾根 毅・竹岡一郎
第四(8/28)山本敏倖・夏木久・松下カロ・小沢麻結


令和二年花鳥篇
第一(5/22)仙田洋子・杉山久子・大井恒行・池田澄子
第二(5/29)加藤知子・岸本尚毅・夏木久・神谷 波
第三(6/5)松下カロ・花尻万博・堀本 吟・竹岡一郎
第四(6/12)林雅樹・渡邉美保・ふけとしこ・望月士郎・木村オサム
第五(6/19)網野月を・前北かおる・井口時男・山本敏倖
第六(6/26)早瀬恵子・水岩 瞳・青木百舌鳥・網野月を
第七(7/3)真矢ひろみ・渕上信子・曾根 毅・のどか
第八(7/10)高橋美弥子・菊池洋勝・川嶋ぱんだ・家登みろく
第九(7/24)北川美美・小林かんな・椿屋実梛・下坂速穂
第十(7/31)岬光世・依光正樹・依光陽子・佐藤りえ・筑紫磐井
追補(8/7)妹尾健太郎(8/21)小沢麻結

■連載

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ (1) ふけとしこ  》読む

英国Haiku便り(13) 小野裕三  》読む

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい
インデックスページ    》読む
8 無題/岡村潤一  》読む

【抜粋】〈俳句四季8月号〉俳壇観測211
25年で俳壇の人気はどう変わるか――芭蕉も蕪村も、子規も虚子も、秋桜子も誓子も、龍太も澄雄も遠くなる
筑紫磐井 》読む

『永劫の縄梯子』出発点としての零(2) 救仁郷由美子  》読む

葉月第一句集『子音』を読みたい 
インデックスページ    》読む
8 パパともう一人のわたし/北川美美  》読む

麻乃第二句集『るん』を読みたい
インデックスページ    》読む
17 無意識の作品化、俳句のフレームを超えて/山野邉茂  》読む

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか  》読む

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
インデックスページ    》読む
6 『櫛買ひに』を読む/山田すずめ 》読む

句集歌集逍遙 樋口由紀子『金曜日の川柳』/佐藤りえ  》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中!  》読む


■Recent entries

 第5回攝津幸彦記念賞応募選考結果
 ※受賞作品は「豈」62号に掲載
特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」 筑紫磐井編  》読む
「兜太と未来俳句のための研究フォーラム」アルバム
※壇上全体・会場風景写真を追加しました(2018/12/28)
【100号記念】特集『俳句帖五句選』

佐藤りえ句集『景色』を読みたい 
インデックスページ    》読む

眠兎第1句集『御意』を読みたい
インデックスページ    》読む

麒麟第2句集『鴨』を読みたい
インデックスページ    》読む

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
インデックスページ    》読む

「WEP俳句通信」 抜粋記事  》見てみる

およそ日刊俳句新空間  》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
7月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む  》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子








「兜太 TOTA」第4号 発売中!
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豈62号 発売中!購入は邑書林まで


筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(1)  ふけとしこ

はじめに(編集人 筑紫磐井)

  2003年ごろ、「ホタル通信」という個人雑誌を頂いている。発行人はふけとしこさん。このときはA4を何枚か綴った冊子であった。「現在130部作っていますが、面倒になったら止めるかもしれません」。ふけさん以外に招待作家の作品も並んでいた。たしか36号をもって終刊したのではないかと思う。発行期間は正味4年ぐらいだろうか。当時こうした簡易雑誌は意外に多く、島田牙城「肘」、戸恒東人「東風通信」、小西昭夫「寺村つうしん」などがあり、「肘」、「東風通信」はそれぞれ「里」、「春月」と言った雑誌に発展していった。しかしふけさんは そうした野心はなかったらしく、カラッと休刊している。
 それから十年、2012年8月から「ほたる通信Ⅱ」という葉書が届いた。発行人はふけとしこさん。作品と小文を掲載したしゃれた通信であった。今度はご自身の作品だけであったから、野心は一層薄くなったが、2019年12月88号をもって終刊した。今度は発行期間は7年。少し伸びたが、88号という末広がりでやめてしまうところがふけさんらしい。こうしたはがき通信は「ほたる通信Ⅱ」以外にも現在いろいろ届いている。
 終刊直後からふけさんにはもったいないじゃないかと何度もおすすめした挙句、今回から「ほたる通信Ⅲ」の連載を開始していただくこととなった。簡易装丁→葉書→BLOGと時代に合わせて推移するが、待望の連載登場である。

         *      *


   鳩目穴
虫除けを塗る蛇瓜を見る前に
蛇瓜のとぐろを解くところとも
盆過ぎの踏まれて起きて光る草
ゆきあひの空やデニムに鳩目穴
甌穴の上を水行く葛の花

     ・・・
 「ヒラタ」という名を意識したのは蜘蛛についての本を読んでいた時だった。〇〇ヒラタグモ、△△ヒラタグモという名が度々出てきたので、てっきり平田さんという人が発見されてその名になったのだと思い込んでしまった。それにしても多くの蜘蛛を発見されたこと……と感心したものだった。
 虻のことを調べていたら今度はヒラタアブに出会った。あらまあ! 平田さんって蜘蛛の専門家ではなかったの? それとも同姓の方? と首をひねったが何のことはない。この「ヒラタ」とは身体、特に腹部が扁平である、という意味だったのだ。何という早とちり。
そして、このヒラタアブというのは、子どもの頃の私が蜜蜂だと思い込んでいた昆虫だった。いつも花へ来ているし、蜂と虻との見分けがつかなかったということでもあった。近づいても刺されることはないと本能的に感じていたものか、この1センチ程の虫の動きが面白くてじっと見ていた。
 ヒラタアブ、これにも数種があり私がよく目にするのはホソヒラタアブのようだ。ベランダや屋上のささやかな花へもやってくる。成虫は受粉を助け、幼虫はアブラムシを食べてくれる有難い存在でもある。               

(2020・8)

■【読み切り】俳句日記の普段着で生きている ~句集『乱雑な部屋』(西村小市)~豊里友行

  句集『乱雑な部屋』(西村小市)に「だれもが句集を出版できるかたち」という謳い文句の小さなチラシが挟まれている。
 100年俳句計画とある。
 私は、冊子という外観からちょっと俳句観賞の力みが抜けて自由に読み込むことが出来た。
「あとがき」には、作者の飾り気のない素直な言葉が佇んでいた。

 六十五歳になるのを記念して句集をつくることにした。句を書き出し、季節ごとにまとめたが、それを見ていると句集をつくるのはおこがましいことのように思えてきた。でも、「ここまでしか到っていない」を「ここまでは来た」と考えることにした。一句でも気に入っていただける句がありますように。

春愁や学生服の光る袖


 春愁は春の物思いのこと。降り注ぐ日の光りは学生服の袖ボタンをきらりと光らせている。作者の観察眼も光る。

表札に残る父の名花曇り

 表札に残る父は、もう他界されているのだろう。花曇りは、桜の花の季節の終日曇るような天候を言葉に定着され季語として親しまれている。詠み手の心情は、花の咲き出すことからすっきりとしないが、そんなに暗くない。

人類に尾骶骨あり蝌蚪の紐

 蝌蚪(かと)の紐(ひも)とは、オタマジャクシの尾のこと。人類に尾骶骨なるものがあるようにだ。人類の進化は、蛙の成長過程よりも速く、速く、速く突き進むのだが、何処へ向かうのか。

もどらないことだつてあるふらここよ

 元に戻らない事だらけの世の中にブランコ(ふらここ)に思いを寄せる。

虫籠の胡瓜崩るる夜が明けて

虫籠の胡瓜が夜が明けると崩れていた。その時間の経過を思い描きたい。

いつだつて自分史書いてるなめくじり

 蛞蝓(なめくじり)は、ナメクジの別名。蛞蝓の形態は、筆のようにも見えてくる。いつだって自分史を書く覚悟がうかがえる。

翳りたるところに集ふ目高かな

 翳(かげ)に集う目高に託した人間心理が上手い。

砂埃つもりをりたる蟬の腹

 観察眼を磨く。たんたんとたんたんと。

きのこ飯妻が隠れて書く日記

 俳句日記は、とても素敵な時の宝物。きのこ飯が、なにやらユーモラスにも。隠れて妻が書く日記も、それを見ている旦那の俳句日記も、どちらが赤裸々かしら。

枝豆に見つめられてる夜がある

 枝豆に見つめられている夜、か。

月にだけ話したいことないですか

 そうですね。私は、月に向かって吠えたい、かな。

 いつからだろう。俳人たちの敷居の高さにのっかって句集が、選ばれた俳人たちの物になったのは。こんなに俳句を楽しく詠めるなら誰もが、句集を出版できるようになったらいいじゃないか。句集の呪縛とでもいいましょうか。西村小市さんの句集『乱雑な部屋』による俳句日記の日々を私は、とても良いことだと思う。なんと第六刷り。俳句が、普段着の俳句になることを切に願う。

英国Haiku便り(13)  小野裕三


待合室の詩、地下鉄の詩


 先日、ロンドン市内のイギリス人経営の病院を訪れた。小さな待合室でイギリス人たちが看護婦に呼ばれるのを待つ光景は日本と変わらない。部屋の隅に小さな棚があって、医療情報のパンフレットなどが並んでいる。その中に「詩」のリーフレットがあることに気づいた。「待合室の詩」(Poems in the waiting room)とのタイトル。簡素な作りながら、定期的に刊行されてきたものらしく既にかなり号数を重ねていた。ワーズワースなどの詩人の詩が収録されており、説明書きを読むと、それはその病院だけではなく、全国的に病院の待合室に詩のリーフレットを置こうと活動している団体があるようだった。
 別の機会にロンドン市内の日系の病院を訪れたこともあるが、そこの待合室には日本語の雑誌がふつうに置いてあり、男性向けにはビジネス雑誌とゴルフ雑誌が用意されていた。もちろん、この小さな対比を過度に誇張するのは危険だと承知の上で、それでもどこか今の日英を比較するのに象徴的な出来事だと感じた。病院の「待合室」という半ば「公共(public)」の場所に何を置くのが相応しいか、についての両国民の考え方が典型的に現れていると思えたからだ。
 実は似たような活動は英国に他にもある。地下鉄の車内で見かけたのは「地下鉄の詩」(Poems on the Underground)。こちらもイェーツなどの詩を地下鉄の車内に掲示しようという活動で、ロンドン交通局の支援も受け、もう数十年も地下鉄車内で地道に行われているらしい。
 ちなみに、英語で「出版」を意味する「publication」は「public」から派生した言葉だ。執筆などの知的活動を「公共」と結びつけて考える意識が現れているように感じる。さらに言えば、英国ではたいていの美術館や多くの博物館は入場無料。企画展などは有料だが、常設展は原則無料。ピカソやゴッホなどの名画もぜんぶタダで見られる。そこでは、「美」や「知」は「公共」のものだ、という考え方が強く貫かれているように思える。ある美術館の前に「Free and open to all」と書いてあって、それは「(この美術館は)無料で誰でも入場できます」という意味なのだが、「(美や知は)自由でありすべての人を拒まない」と読めるようにも思えて、なんだか面白かった。
 「公共」ということで言えば、イギリスの公園ではよく、ベンチにプレートが嵌め込んである。亡くなった人の思い出に遺族がベンチを寄付するものらしく、「この公園の緑を愛した誰々を偲んで」みたいなことがプレートに書いてある。ある時それに気づき、美しい風習だなあ、と思って心が温かくなった。それらのプレートの文言もなにやら詩的でもあり、英国の文化をどこか象徴する風景と思えた。

(『海原』2020年3月号より転載)

【俳句評論講座】テクストと鑑賞⑧ 中西テクスト

 
【テクスト本文】
  佐藤鬼房『夜の崖』を読む  若さと血気             中西夕紀
 
 初期の句集に作家の本質を知る手立てがあると良く言われている。佐藤鬼房には『名もなき日夜』という第一句集がある。そこに初期の代表作

  切株があり愚直の斧があり

をみることが出来る。しかし、彼が俳句を思想的に意識的に作った作品は、第二句集『夜の崖』だろう。鬼房という俳人の創意が見える初期の句集として、『夜の崖』を読んでみたい。
 
 『夜の崖』は鬼房の全十二句集の中の二冊目で、昭和三十年に出版された。西東三鬼の序文、鈴木六林男の跋文という体裁である。
 この時までの鬼房の経歴は、大正八年三月二十日、岩手県釜石生れ。本名喜太郎。大正十四年、二十九歳の父を脳膜炎のために失い、続いて弟二名の内の一人が嬰児で死亡。鬼房と弟は母親の魚の行商の稼ぎで育てられる。小卒。
 昭和十年「句と評論」に投句、その後長谷川天更の庇護を受け「東南風(いなさ)」同人となり、新興俳句に連なる。昭和十五年から七年間兵役。戦争中、中国で鈴木六林男と会い、戦後、昭和二十二年から西東三鬼に師事し、六林男等と「青天」「雷光」「夜盗派」などの同人誌を経て、山口誓子主宰、三鬼編集の「天狼」に入り、二十八年には社会性俳句が盛んだった沢木欣一の「風」にも入会する。昭和二十九年第三回現代俳句協会賞を受賞、というものである。
 幼少時からの貧困と、小学校の教師から教わった『蟹工船』『女工哀史』などのプロレタリア文学が、鬼房の文学の原点だった。
 『夜の崖』は、新興俳句、社会性俳句の特徴を備えた句集ということが言える。昭和二十六年から二十九年まで、鬼房三十二歳から三十五歳までの句を集めている。昭和二十六年は朝鮮戦争の最中であり、一回目の日米安全保障条約締結のための国会承認で、日本国中が騒然としていた。そういう時代を念頭にして読むと、より緊迫感が伝わってくるようだ。
 
  病む夜星・なほ隣邦に戦つづく   二十六年
  梅雨黴に胸つく語あり「死の商人」 二十六年
  土間に這ふ羽蟻や破防法通る    二十七年
  友ら護岸の岩組む午前スターリン死す二十八年
  刈田にネオン兵隊部落闇に浮く   二十九年


 事件を詠っている句群である。騒然としている日本社会を描こうという意欲が前面出ている作品である。体制に反対する姿勢と怒り、しかしどうにもならない無力な自分への怒りの相克が、句の原動力になっている。
 政治的な面から社会を描いた俳句の難しさは、事件が過ぎて社会の仕組みが変ってしまうと、当時の共通認識だった考え方や市民感情が風化してしまい、当時の読者にはわかったことが、後の時代の読者には理解できなくなってしまうところにある。これらの句も事柄としての事件はわかっても、この事件に対して、鬼房が何を訴えたかったのか残念ながら伝わって来ない。ここに事件を詠う俳句の難しさがある。
 では、事件から離れて、生活の見える句を見てみよう。

  病める眼に真昼川岸風巻いて
  いねし子に虹たつも吾悲壮なり
  児を胎にトロをきしらす寒気中
  奪らるものなし白息が楯きしむ骨
  戦あるかと幼な言葉の息白し
  吾のみか粗食の目腫れ鋼(まがね)打つ


 「いつもぎりぎりのところで、張りつめた思いで句を詠んでいたということ。いまどきはやらないが、青春の一時期、死ぬ思いで作句に従ったことは大変貴重だと私は思っている」(平成七年「蘭」野沢節子追悼号)と、後年鬼房は述べているが、これらが必死に作られたものであることは、句が発する気迫から窺うことができるし、生活の極めて厳しい状況が、 確かに、苦しげな呼吸音とともに語られている。
 若い妻と、幼い女の子二人と、妻の胎にはもうすぐ生まれるはずの男の子がいる。鬼房の身体は弱く故障が多い。その身体を張って家族のために働く。「悲壮なり」というストレートな言葉は重い。身を振り絞るように働いても、生活が楽にならない、先行きが見えない苦しさにもがいている作者のため息が聞こえる。身重の妻もトロを引いて黙々と働く。ある日、大人の話を聞いていた幼い娘の口から出た、「戦争はあるの」という問の重さにたじろぐ作者。こんなに幼い子までが、世の中の不穏な空気を感じ取っているのである。子供の鋭い感受性が捉えた不安は、親たちの不安を鏡に映したようなものだ。粗食で目が腫れているという句の句調は厳しく、言葉はぼきぼきと折れては繋がって、緊張感を醸し出している。このリズムの悪さが、読みにくくしているのだが、これが新興俳句を引き継いだ鬼房的な特徴なのである。

  壁になる冬の胸板軍備すすむ
  怒りの詩沼は氷りて厚さ増す
  ねむりさへ暗夜ひばりの湧くごとく
  夜明けには刈田の足型動きだせ
  晴れぬ眼がみつめて重きこの世の雪


 また観念的であることも鬼房の句の特徴である。句は見た物を描くのではない。想念で描いているのである。鬼房は湧き出て来る思いを、詩的に描く困難にぶち当たっている。いまだ表現が思いに追いついていないようにも見受けられるが、これも鬼房が通るべくして通ってきた道だったのである。
 「新興俳句が果たした役割がどうであれ、私は何よりも、ここから権威というものに対するエネルギッシュな抵抗を感得したのだ。(中略)戦争体験を通し、人間性の回復や、詩性の回復を黙々と念じつづけてゆくなかには、新興俳句のもたらした目に見えぬ遺産が胸内に蔵われているからにほかならぬ。」(「俳句研究」昭和四七年三月号「雑感・わが新興俳句」)
 この句集の後、しばらくかかって新興俳句、社会性俳句を払拭した鬼房であるが、この当時、一労働者として、社会への抵抗を描きたいという意思が泉の様に湧き出ていたのだ。多くの作品は、読者にすんなり入って来るようには洗練されていないが、嘘いつわりのない、朴訥なまでの純真さを感じさせる。
 話は前後するが、戦争が終わり、戦争批判を描く新興俳句から、六林男とともに社会性俳句へ進み、昭和二十八年に沢木欣一の「風」に入会する。

  同志とよび鉄骨担ふ火傷の手
  刈田にネオン兵隊部落闇に浮く
  幼児もここに棗の木ありオルグの燈

 
 このように、社会主義運動の句が見られるようになる。社会性俳句とは、桑原武夫の第二芸術論で、俳諧は思想的、社会的無自覚という安易な創作態度であると批判されたことから起こったもので、沢木欣一の「社会主義的イデオロギーを根底に持った生き方、態度、意識、感覚から産まれる俳句を中心に、広い範囲、過程の進歩的傾向にある俳句を指す」という解釈と、金子兜太の「社会性は作者の態度の問題である。自分を社会的関連のなかで考え、解決しようとする社会的な姿勢が意識的にとられている態度」というのが代表的な解釈である。
 これらの句群は、歴史的観点から見ると、当時の労働運動を描いて、戦後の俳句の一つの潮流を見せている。
 鬼房が社会性に走ったこの同時期、新興俳句の雄であった師の西東三鬼はどうしていたのだろうか。
 特高に睨まれていた三鬼の戦後は、山口誓子に近づき、新興俳句から穏やかな俳句へと変化して行った。鬼房が師事してからの三鬼の句集は、昭和二十三年刊の『夜の桃』、二十七年刊の『今日』、三十七年刊の『変身』である。三鬼は病気療養中の山口誓子が、素材よりも感情の表現を深めていったことを知り、誓子へ接近して、誓子を擁立して「天狼」を立ち上げる。そういう経緯から、三鬼の俳句は内面的なものへ変更して行ったのだった。機智の派手な句や、風俗句から離れた『今日』が出ると、世間では「三鬼の疲労」を指摘して、すこぶる評判が悪かったことを三橋敏雄は伝えている。
 三鬼と行動を共にして、山口誓子の「天狼」に参加した鬼房と六林男だが、こんな三鬼とは方向を違えて社会性俳句の方へ重心を移して行ったのである。
「天狼」昭和五十五年十月号の鬼房第六句集『朝の日』の特集で、高柳重信は「ありて莫し」の中で、「友人が十年近く前、仙台に住む友人に会ったとき、たまたま佐藤鬼房が中心をなす句会に出席するようになったところ、たちまち勤務先の上司から強い忠告を受けたという話を聞いた。それも、どうやら佐藤鬼房の思想的な姿勢が問題となっており、その源をたどると警察の関係者に行きつくと言うのである。おそらくあの社会性俳句なるものが流行していた頃、社会主義リアリズムの俳句を推進するなど言挙げしたことが、その理由となっているのであろう。」
 この話の十年前というと、昭和四十五年ごろとなる。戦後も四半世紀もたって、まだこのようなことが世間では言われていたのには驚かされるが、一方で、鬼房はかなり社会性俳句で、名を売っていたこともわかる一文である。
 社会性俳句は、今となってはあまり評価されていないが、後に大成した鬼房の揺籃期がここにある。
 彼は不器用に純朴に生き、そして血の出るような誠実さで社会と向き合い、一労働者の苦しい生活や心情を描いた。頭脳で描いた社会主義のイデオロギーではなく、身体や心に受けた痛みを描いた。私はそこに生身で挑んだ強さを見たように思う。
 最後にこの句集で評判の良かった句を揚げて終わりにしたい。

  縄とびの寒暮いたみし馬車通る    
  孤児たちに清潔な夜の鰯雲
  黙々と生きて暁の深雪に顔を捺す
  胼の手に文庫ワシレエフスカヤの虹
  怒りの詩沼は氷りて厚さ増す
  戦あるかと幼な言葉の息白し
  齢来て娶るや寒き夜の崖


参考
『片葉の葦』佐藤鬼房 
『蕗の薹』佐藤鬼房
『証言・昭和の俳句』上下 角川書店
『佐藤鬼房句集』
『佐藤鬼房全句集』
河北新報 平成十三年一月四日、十一日、十八日、二十五日、二月一日、コラム「談(かたる)」「俳人佐藤鬼房さん」
『現代一〇〇名句集』6 東京四季出版
『佐藤鬼房』花神コレクション 
『西東三鬼』朝日文庫


【筑紫磐井・感想】
 中西さんとは既に相馬遷子の共同研究で2年近く密着(三密ではありません)したやり取りをさせて頂きました。単行本も刊行し、馬酔木を含めてこれほど詳細な研究はないのではないかと思います。
 その後も、楠本憲吉、宇佐美魚目などの評論を書かれているので、この初心者入門講座に参加していただけるのはありがたいことですが、批評者の力量も試されているようでやや肩の荷が重い感じです。
 今回中西さんが取り上げられたのは佐藤鬼房です[「都市]8月号で「現代俳句勉強会 佐藤鬼房『夜の崖』を読む」に掲載されたものの一部です]。従来中西さんが師事されたり関心を持たれていたのは比較的イデオロギー的ではない作家でした。今回やや対極にある鬼房を取り上げたと言うこと自身が興味深く感じられます。
 実は今、「伝統俳句における社会性」というテーマで連載を執筆中なので、金子兜太や古澤太穂、沢木欣一だけでない鬼房や六林男らについてもいずれ考えなければならないところがあり、中西さんの今回の論を拝見し、参考にさせて頂こうと思います。したがってあまり今まで提出していただいた評論のように批評や感想を述べるのではなく、共同の目的地へ向かうための疑問を提示してみたいと思います。従ってこれは、中西さんに対する質問であるとともに、私が今執筆中の連載における課題であると言うことにもなります。
 執筆後、中西さんとやりとりして明らかとなった点を[]で補足しておきました。

①取り上げられたのは社会性の時代であることは間違いありませんが、鬼房が貧困の生活から社会性に向かったのは分かりますが、なぜ、金子兜太や古澤太穂のように組合運動や共産党への入党をしなかったのでしょうか。むしろそちらへ進むほうが自然だと思うのですが。どのような自制力が働いたのでしょう。
[①で共産党や組合に入っていないと言ってしまいましたが、鬼房は秋元不死男の勧めで新俳句人連盟に入っており、天狼ではだれも入っていないのに唯一の連盟会員だったそうです。新興俳句の作家としては珍しく、鬼房は人間探求派に共感を持っていたようです。だから連盟の、初代会長の石橋辰之助、次の会長の古澤太穂とも親しかったようです。鬼房のような境涯を経ると当然そうあるべきでしょう。その後、路線闘争に嫌気がさして、多くの会員たちと同様脱退したのではないかと思います。]

②鬼房が「風」に入会した時の「風」ではまだ社会性俳句は始まっていなかったようで、趣味的俳句が中心ではなかったかと思われます。なぜ「風」に入会したのでしょうか。

③鬼房が「天狼」に入ったときも、山口誓子も、秋元不死男も、西東三鬼も社会性俳句に批判的でした。なぜ、「天狼」に入ったのでしょうか。
[③は、鬼房の天狼同人になったのが昭和30年なので変な書き方になってしまいました。鬼房は次のように言っていますので訂正しておきます。


「(筑紫注:創刊後)遠星集(誓子選雑詠)を三年ほど続けたが、その中にはいまも健在な句がいくつかある。<繩とびの寒暮いたみし馬車通る>など。そして昭和三十年一月に津田清子・小川双々子・鈴木六林男とともに、天狼はじめての新鋭同人となったのだ。津田・小川は遠星集から、鈴木と私は天狼前衛誌グループからの参加である。振りかえって見ると、「落第坊主の弁」をぬけぬけと書くくらいだから、私は出来の悪い居据の新鋭だったろう。」(佐藤鬼房「「天狼」の思い出」天狼平成6年6月終刊号)
 
 創刊号からしばらく遠星集に投稿し、その後は同人誌「雷光」で活躍しその功績で天狼同人になったようです。津田清子のような直接指導した弟子ではないと言うことで微妙な関係ですね。
 天狼の同人は、雑詠欄から昇格する人と、別働雑誌から昇格する人がいたようで鬼房は後者です。ただ全然関係のない、三鬼がヘッドハンティングした沢木欣一、細見綾子もいて、ホトトギスや馬酔木、鷹、沖などに比べると複雑怪奇です。天狼が一代で終刊した理由も何となく分ります。
 それはそれとして、興味深いのは、中西さんも上げられている鬼房の代表的な句である<繩とびの寒暮いたみし馬車通る>の句は、山口誓子選遠星集の句だと言うことです。鬼房の代表句であると友の、誓子選雑詠の代表句であると言う二面性を持っています。誓子選という目で見ると少し違った風景が見えてくるようです。]

④作品が優れていたかどうかは別として、金子兜太も、佐藤鬼房も、桂信子も社会に関心を持っていたことを忘れてはいけません。われわれは、それらの社会性を排除した限定した作品をもって彼らを論じています。逆に言えば、そうした無益な作業をしている我々に、彼らは憐れみを持っているかもしれません。それは、詩人や歌人が俳人に対して持っているのと同じ憐みのようにも思います。桑原武夫は第二芸術と呼びました、俳句が第二芸術であるのは間違いだと思いますが、素材を限定している以上、限定芸術と呼んでよいかもしれません。そうした視点から、金子兜太も、佐藤鬼房も、桂信子も読むべきだと思います。


【角谷昌子・感想】
 俳句評論講座が感染症問題で休止している中、中西さんには、佐藤鬼房に関する評論をご提出いただき、嬉しく思っています。
 つい最近、第四句集『くれなゐ』を上梓され、このたびは、評論に挑戦されました。ご自身は「評論は苦手」とおっしゃいますが、筑紫さんがご指摘のように、過去に相馬遷子はじめ、いくつかの評論を手掛けていらっしゃいます。
 時間がなかったため、簡単で恐縮ですが、以下に感想を書かせていただきます。
 鬼房は句集を14冊上梓しており、その中から第二句集『夜の崖』に絞って「社会性俳句」を手掛かりとして論を展開されたのは、よかったと思います。
鬼房は新興俳句・社会性俳句の作家として評価されましたが、自身はけっして安んずることなく、新興俳句・社会性俳句に批判を加え、後年には観念の桎梏から解放され、詩の普遍的な命題へと挑戦してゆきました。
 筑紫さんが、いろいろとご指摘、ご提案されているので、特に付け加えることはありませんが、角谷は『俳句の水脈を求めて 平成に逝った俳人たち』で、鬼房、鈴木六林男、三橋敏雄、古沢太穂、桂信子、金子兜太らについても論考しています。時代的背景、同時代の俳人たちを知ると立体的な視点も得られますし、鬼房の全体的な業績を知って俯瞰してみると、その中の『夜の崖』の時代の足跡をもっと具体的に論考できるかもしれません。
 最後に、句集中の代表句を挙げていらっしゃいますが、なぜ評価が高かったのか鑑賞・論考されれば、ぐっと句集の魅力も増すかと思います。

【 ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい】 8 無題/岡村潤一

 数年前に東京から関西に引越しをした際にとしこさんにお声をかけていただき、それから 定期的にご自宅での句会に参加させていただくようになった。句会は、鋭いつっこみと笑いが溢れており大変賑やかであるが、句に対する評価もとても直接的でわかりやすい。
 さっそくとしこさんの句集「眠たい羊」から私の好きな句、気になった句をあげてみたい。


 銀杏散るノート買ふにも橋越えて
 松竹座裏を濡らして春の月
 戎橋新戎橋鳩の恋

 なんばの松竹座、戎橋、銀杏並木という繁華街でのささやかな季節の変化を句にされている。銀杏散る頃に、橋を越えて買われたノートはツバメノートか?松竹座裏路地の路面が濡れ、空には春の月という艶やかな情景。戎橋新戎橋の句は橋はまさに恋の象徴と存在しているように感じた。

 春の水とはこどもの手待つてゐる
 指先で穴開けてゆく春の土
 漱石全集一冊抜いて日焼の手

 としこさんには小さい頃、土や草花、虫に触れて思いっきり遊んだ経験があると伺ったことがある。これらの句の手や指はとしこさん自身の手や指ではないだろうか。春の水や春の土に触れる前のわくわくとする感覚、そして自然に触れて遊びきったという充実感、豊かさがこれらの句から伺える。野山での原体験と文学作品を繰り返し味わうことで、としこさんの内に自然を詠う喜びと力が育まれてきたように思う。


 連結の強き一揺れ冬紅葉
 遠き船もつと遠くへ梅白し
 向日葵の首打つ雨となりにけり

 連結時の一揺れに紅葉の赤が、遠くの船を見た後の目先の白梅、そして雨に打たれている向日葵の黄と日常の中の色が鮮やかに浮き上がってくる。

 セーターの脱がれて走り出す形
 早春を雲もタオルも飛びたがる
 春の雲ちぎる役なら引き受ける

 読めばとなるほどと思うが、なかなかこのような発想、表現はできない。これらの豊かな発想力とスピード感あふれる表現力から生まれてくる句には、気負いがない。それはとしこさんの等身大の日常から飛び出してきたものだからに違いない。

 以下の句からはとしこさんの生きることへの思いが伺える。

 消印の地をまだ知らず青葉騒

 人が一生に訪れることができる地は限られる。知らない土地に人は憧れをもち、そのことが旅する力、生きる力につながる。青葉騒は未知への憧れを象徴している。

 冬深し生きる限りを皿汚し

 「生きる限りを皿汚し」は、実に飾り気がなく、生々しい表現である。冬深しと言い切られたことで、人は、野菜や動物を食べ続けていかないと生きていけないという事実と、生きることは死に向かって歩んでいくという生の儚さを感じさせられた。

 白鳥が進む私も歩き出す


 厳しい寒さの中、凛とした品格をもつ白鳥。その白鳥の姿をなぞりながらとしこさんは
これからも凛とした姿勢で力強く進んでいかれるに違いない。

2020年8月8日土曜日

第142号

※次回更新 8/28

俳句新空間第12号 予告

特集『切字と切れ』

【紹介】週刊俳句第650号 2019年10月6日
【緊急発言】切れ論補足

【読み切り】「タナトスとエロス呑み込む貝は都市 ~九堂夜想句集『アラベスク』より~」 豊里友行 》読む

【新企画・俳句評論講座】

・はじめに(趣意)
・連絡事項(当面の予定)
・質問と回答
・テクスト/批評   》目次を読む

【新連載・俳句の新展開】

句誌句会新時代(その一)・ネットプリント折本  千寿関屋  》読む
句誌句会新時代(その二)・夏雲システムの破壊力  千寿関屋  》読む
[予告]ネット句会の検討  》読む
[予告]俳句新空間・皐月句会開始  》読む
皐月句会デモ句会結果(2010年4月10日)  》読む
第1回皐月句会報(速報)  》読む
[予告]皐月句会メンバーについて  》読む
第2回皐月句会(6月)[速報]  》読む
第3回皐月句会(7月)[速報]  》読む

■平成俳句帖(毎金曜日更新)  》読む

令和二年夏興帖
第一(8/7)仙田洋子・辻村麻乃・渕上信子

令和二年花鳥篇
第一(5/22)仙田洋子・杉山久子・大井恒行・池田澄子
第二(5/29)加藤知子・岸本尚毅・夏木久・神谷 波
第三(6/5)松下カロ・花尻万博・堀本 吟・竹岡一郎
第四(6/12)林雅樹・渡邉美保・ふけとしこ・望月士郎・木村オサム
第五(6/19)網野月を・前北かおる・井口時男・山本敏倖
第六(6/26)早瀬恵子・水岩 瞳・青木百舌鳥・網野月を
第七(7/3)真矢ひろみ・渕上信子・曾根 毅・のどか
第八(7/10)高橋美弥子・菊池洋勝・川嶋ぱんだ・家登みろく
第九(7/24)北川美美・小林かんな・椿屋実梛・下坂速穂
第十(7/31)岬光世・依光正樹・依光陽子・佐藤りえ・筑紫磐井
追補(8/7)妹尾健太郎

■連載

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい
インデックスページ    》読む
7 鳥のさまざまな表現に注目/小枝恵美子  》読む

【抜粋】〈俳句四季8月号〉俳壇観測211
25年で俳壇の人気はどう変わるか――芭蕉も蕪村も、子規も虚子も、秋桜子も誓子も、龍太も澄雄も遠くなる
筑紫磐井 》読む

英国Haiku便り(12) 小野裕三  》読む

『永劫の縄梯子』出発点としての零(2) 救仁郷由美子  》読む

葉月第一句集『子音』を読みたい 
インデックスページ    》読む
8 パパともう一人のわたし/北川美美  》読む

麻乃第二句集『るん』を読みたい
インデックスページ    》読む
17 無意識の作品化、俳句のフレームを超えて/山野邉茂  》読む

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか  》読む

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
インデックスページ    》読む
6 『櫛買ひに』を読む/山田すずめ 》読む

句集歌集逍遙 樋口由紀子『金曜日の川柳』/佐藤りえ  》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中!  》読む


■Recent entries

 第5回攝津幸彦記念賞応募選考結果
 ※受賞作品は「豈」62号に掲載
特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」 筑紫磐井編  》読む
「兜太と未来俳句のための研究フォーラム」アルバム
※壇上全体・会場風景写真を追加しました(2018/12/28)
【100号記念】特集『俳句帖五句選』

佐藤りえ句集『景色』を読みたい 
インデックスページ    》読む

眠兎第1句集『御意』を読みたい
インデックスページ    》読む

麒麟第2句集『鴨』を読みたい
インデックスページ    》読む

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
インデックスページ    》読む

「WEP俳句通信」 抜粋記事  》見てみる

およそ日刊俳句新空間  》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
7月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む  》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子






「兜太 TOTA」第4号 発売中!
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豈62号 発売中!購入は邑書林まで


筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。

2020年8月7日金曜日

【読み切り】「タナトスとエロス呑み込む貝は都市 ~九堂夜想句集『アラベスク』より~」 豊里友行

 九堂夜想さんの俳句の初見は、海程だった。
 私も当時、俳句の武者修行のため金子兜太先生の海程会員として俳句を切磋琢磨していた。
 あっという間に独自の作風で頭角を現していく印象を受けた。
 『セレクション俳人 プラス 新撰21』(邑書林)にて入集者は越智友亮、藤田哲史、山口優夢、佐藤文香、谷雄介、外山一機、神野紗希、中本真人、高柳克弘、村上鞆彦、冨田拓也、北大路翼、豊里友行、相子智恵、五十嵐義知、矢野玲奈、中村安伸、田中亜美、九堂夜想、関悦史、鴇田智哉。
 私も私自身を含めて若手俳人21人の鮮烈な登場に大いに刺激を受けた。
 その中でも北大路翼さんと九堂夜想さんの俳句には、衝撃的な俳句の視界の拡大に戦慄さえ覚えた。
 九堂夜想さん(1970年生まれ、「LOTUS」同人)の第1句集『アラベスク』(六花書林)を読み深めていくにつれ私の中で言葉にしがたい感情が芽生えていた。
 硬質な詩魂の原石が、マグマのようにぐわぁんぐわぁんと構築されていくことへのあせり、いらだちを同時代に生きる俳人として感じる。
 それは私の心の奥底に棲む俳句の鬼が抱いている嫉妬だったのだろう。

春深く剖かるるさえアラベスク

 冒頭の〈春深く剖(ひら)かるるさえアラベスク〉は、まるで手術台に立ちメスを踊らせる舞台かのように春を深く鮮やかに解体してみせるとアラベスクの世界が展開している。
 アラベスクとは、モスクの壁面装飾に通常見られるイスラム美術の一様式で、幾何学的文様(しばしば植物や動物の形をもととする)を反復して作られている。
 九堂夜想俳句のある種のマジックに魅了され、快楽の歓喜も悶絶の苦痛も鮮やかな世界観に誘われていく。

みずうみを奏でる断頭台なれや
母踊り来るやまなうらの離れより
燃えずの火濡れずの水をわたり馬
花という花からびゆく相聞(あえぎこえ)
月よみや水に憑かれて海という


 断頭台とは、死刑執行人が斬首刑を行う時に使用する木製の台である。その行為の戦慄とは裏腹にみずうみを奏でる断頭台への祈り。
  眼裏(まなうら)の離(はな)れより母が踊り来る記憶。
燃えない火も濡れない水をも馬がさっそうと渡る幻想的な世界観。
 「からびゆく」は、ねび行く(ねびゆく)として読み解くと次第に花の成長していくエロス。
 月光圏の水に魅せられ憑かれてしまう魔性を海と名づけよう。

みなみかぜ貝殻は都市築きつつ

 九堂夜想俳句の醍醐味は、AというモノをBという世界に異化する超リアリズムな俳句的錬金術とでもいうべき世界観の構築にある。
 貝は瞳のように柔らかに誕生しつつも堅い貝殻になってもなお都市を築きあげつづけるのだろうか。みなみかぜは、絶えることのない永久無窮の九堂夜想俳句の都市を築きあげ続けている。

死に顔へ海市はこばれゆく夜会(ソワレ)


 海市(かいし)とは、気温の相違により、地上や海面上の大気の密度が一定ではないときに、光の異常な屈折が原因で、遠方の景色が見えたり、船が逆さまに見えたりするなど、物が実際とは異なって見えるような現象のことである。死者の顔へと海市は、夜会(ソワレ)の宴に誘われる。
 九堂夜想俳句のエロスとタナトスへの誘いの絶頂の波に呑まれないように必死に抵抗しつつ、これからもジックリと読み解きながら私は私なりの俳句世界を切り拓き続けたい。

【新連載・俳句の新展開】第3回皐月句会(7月)[速報]


投句〆切  7/13 (月)
選句〆切  7/27 (月)


(5点句以上)
12点句
夜濯ぎの最後は石がこぼれけり(松下カロ)

【評】  洗い出され、最後にこぼれた出た「石」という違和。実にさりげなく、リアルで、実に象徴的だ。 ──依光陽子
【評】 なつかしい季題と、石がこぼれた時代的描写が芳しい。 ──依光正樹
【評】 砂ではなく、石。どこにいたんだ。 ──中山奈々

9点句
手の平をはるかと思う昼寝覚(山本敏倖)

【評】 夢のなか ──千寿関屋
【評】 昼寝をして目覚めたときの異空間にいるような不思議な感覚を、「手の平をはるかと思う」と捉えたところが新鮮で良かったと思います。 ──水岩瞳
【評】 少し痺れたような、部屋中の空気を掴んでいるような不思議さ。 ──中山奈々

7点句
夕暮れと夜のあいだに茄子の紺(松下カロ)

【評】 夏の夕空のグラデーションの美しさを端的に示している茄子の紺、それがきっぱりと句末を引き締めている。 ──妹尾健太郎
【評】 この茄子は多分、栽培され生っている状態。「夕暮れと夜のあいだ」という暮れ切らない時間帯に「茄子の紺」が見えている。茄子の紺が恐々としている。 ──北川美美

5点句
白南風や両の翼のごと岬(仲寒蟬)

【評】 視界の左にも右にも岬が見える。地上でも海上でも差し支えないと思いますがそういう場に作者は、立っていて、風を受け晴れやかです。大景を開放的に描いてあり季語の選び方置き方もたいへんシンプル。爽快、の一言に尽きましょう。余計なことですがこのたびの出句群には血の気の多いものが目立ったような…そのせいか本句の爽快も、より際立ったらしく思えます。 ──平野山斗士

賑やかに少女加はり箱眼鏡(松代忠博)

【評】 箱眼鏡はお尻ががら空き。だからという訳でもあるまいが覗いているのは男の子が多いように思う。でもこの句では少女たちが「見せて見せて!」と覗き込んでいて如何にも賑やか。その景が眼前に見えてくるようだ。 ──仲寒蟬

素麺の束をほどけば広き海(篠崎央子)

【評】 瀬戸内を望む小豆島?いや…、これは海なし県、奈良の三輪素麺に違いない!絶対 ──夏木久
【評】 あの紐を解くの、難しい。 ──中山奈々

この道はただ夏蝶を追ふために(飯田冬眞)


(選評若干)
にごりえの男女生涯裸なり 2点 北川美美

【評】 「にごりえ」は、濁り江ではなく、樋口一葉の『にごりえ』であろう。アダムとイブのように男女のことは、死ぬまで裸の関係なのだ。一方で、幼い頃、村の濁り江で裸になって遊んだ幼なじみと結婚して、死ぬまで裸の関係を続けるというストーリーも考えられる。「生涯」と言われると大袈裟な気もするが、そんな関係が理想だ。 ──篠崎央子

遠い死とだぶらせて置く籐椅子を 2点 妹尾健太郎

【評】 籐椅子の仮眠と死の永眠は遠くて、近い ──小林かんな
【評】 亡き祖父・伯母がよく座っていた籐椅子は、今も我が家にある。極めて私的な感傷だが、私のために詠んでもらったような気がした。 ──仙田洋子

おほかみを真神と祀る夏炉かな 1点 岸本尚毅
【評】 夏でも肌寒さを感じることがあるような、北国の山深いところなのだろうか?かつてこの山に狼が生息し、神と崇められた。絶滅してしまった今でも信仰の対象であり人々の生活に根付いている。風土性と格調を感じる一句。 ──渡部有紀子

青白く蚯蚓膨るる雨の山 3点 平野山斗士

【評】 雨の山道で、青白く蚯蚓が膨らんでいく様子を目撃したのだろう。青白くの感覚的な色彩の把握と、膨らむという詩的現象の造型に魅かれた。 ──山本敏倖
【評】 元気な蚯蚓は、かえって少し血色悪そうな色をしている気がします。それを「青白く」「膨るる」と言っていると解しました。「雨の山」の緑の中ならではの美を発見した句だと思いました。 ──前北かおる

墓石に映りて猫や朴の花 3点 西村麒麟

【評】 偶然のように集まった語彙が三つ。「墓石」「猫」「朴の花」。石の表面に、ナニかと思えば「猫」が「墓石」に映っている。墓の中から出てきた霊のように浮かび上がってきている。文脈では、「や」で切れているから、「猫が映っている墓石」、ちょっと不気味な墓地には、しかも朴の木があり大輪の白い花が咲いているのだ。この取り合わせの微妙な引き会いがいい。朴の花が暗い高枝の陰に見えているそれが、そのまま墓石に引きずり込まれて映っている、すると、この墓石に猫が映る風景が、此の世ならぬ世界のように思えてくる。そこがとても面白かった。 ──堀本吟
【評】 つやつやの墓石。新しいのかもしれない。墓石に映る猫の質感は冷たい。朴の花の鮮やかなのにどこか作られた質感のようだ。 ──中山奈々

蟾蜍奇数の組は登校す 3点 小林かんな

【評】 コロナの感染拡大は、様々なところに影響しています。可哀そうな登校です。早く元に戻したいですね。 ──松代忠博

七夕のクラウドに文字と数列と 2点 小林かんな

【評】 クラウドにあるデータは0と1の数列。それが文字、画像、音楽、そして映像となる魔法。まるで七夕の空に光る星々のようだ。 ──中村猛虎

セックスレス始めましたと水中花 3点 中村猛虎

【評】 特選。時宜にかなったプラン、大当りすること請合いです。 ──渕上信子

下闇の人は耳から気がふれる 3点 真矢ひろみ
【評】 ゴッホの絵を詠んだ句が今回投句されていたので、これもゴッホを想起しているのだろうか?それとも身近な人が幻聴に悩まされているのだろうか?
顔に蔭が出来て目鼻はよく見えない中で、耳だけが白く鮮明に浮かび上がってくる。 ──渡部有紀子

蘭鋳と君とふとつちょくらべかな 4点 仙田洋子
【評】 ふとっちょが、蘭鋳と作者、君と作者の距離の近さを感じさせる。明らかに作者は太目好きであり、やせぎすは嫌いなのである。また派手好きでもあり、地味は苦手なようだ。これは人生観そのものである。 ──筑紫磐井
【評】 「くすっ」とくる。「ふとっちょくらべ」に小学生時代の肥満児の友人を思い出した。「蘭鋳」という仰々しい言葉との対比が効いている。 ──真矢ひろみ

パントマイムくの字に曲がる蟻の列 3点 田中葉月
【評】 パントマイムを見ていると本当にそこに壁があるような錯覚に陥ることがある。見ているうちにその世界に引き込まれてしまうのだ。蟻の列が、不意にくの字に曲がったのを見て、パントマイムの壁を感じた作者の感性に脱帽。 ──飯田冬眞

教室のみんなに会へず星祭 1点 前北かおる

【評】 会いたいと書かれた短冊が揺れていそうです。早く会える日がきますように ──小沢麻結

涼しさや手狭暮しに花ひとつ 3点 依光正樹

【評】 意識的ではなく、自然に感じる涼しさを詠むことが多いけれど、いかに涼しくするか。それは夏の生活の課題なのである。涼しさを作っていることがはっきり詠まれていて、共感した。 ──中山奈々

【新企画・俳句評論講座】【予告】新鋭俳句評論賞


俳人協会 俳句評論講座 受講生のみなさま (2020・7・28)
                      担当理事 角谷昌子
                      担当委員 筑紫磐井

 **新鋭俳句評論賞へのご応募のお願い**

 感染症問題、大雨による被害が大変な状態ですが、みなさまにはお変わりなくお過ごしでしょうか。
 感染症対策のため、4月に予定していた俳句評論講座が中止となりましたが、数名の方々には、その後も評論のご提出があり、筑紫委員のブログにアップして、みなさまからのご感想を頂戴するとともに、筑紫・角谷からのコメントも添えることができました。みなさまには、ご協力に感謝申し上げます。
 俳句評論講座が中断したままで、大変残念ですが、本年も「新鋭俳句評論賞」の応募は行われます。対象となるみなさま、また結社やお知り合いにもご紹介いただき、多くの方々にぜひご参加いただきたく、どうぞよろしくお願いいたします。
 応募要領:協会HPにも掲載されていますが、別紙資料をご参照ください。
https://www.haijinkyokai.jp/prise/cat65/index.html

締切: 8月31日(月)