2014年12月26日金曜日

第7号

※「BLOG俳句空間」は基本隔週更新です。(記事により毎週・毎日更新もあります。毎週・毎日更新の記事は、右の[俳句新空間関連更新リスト〕ご参照ください。)





  • 1月の更新第8号1月9日・第9号1月23日




  • 平成二十六年 俳句帖毎金00:00更新予定)  》読む

    (1/2更新)
    冬興帖 第六…佐藤りえ・筑紫磐井・池田澄子・西村麒麟・坂間恒子・神谷 波・竹岡一郎・川嶋ぱんだ・岡村知昭・髙勢祥子・関悦史・木田智美・安岡麻佑・浅沼 璞・瀬越 悠矢・山下舞子・仲寒蝉・堀田季何・ふけとしこ


    (12/26更新)
    冬興帖 第五…下坂速穂・岬光世・依光正樹 ・依光陽子・網野月を・髙坂明良・水岩瞳

     


    【俳句を読む】
    • 「我が時代――戦後俳句の私的風景」の附録
    能村登四郎の戦略―無名の時代 (10)波郷と秋桜子 
    筑紫磐井 》読む
    【俳句を読む】
    •  〈特集・平成百人一句鑑賞〉に纏わるあれこれ
    続・16、平井照敏大きな手おりきて夏の杉林」 
      【句集を読む】
      • 三橋敏雄『真神』を誤読する (105)
      ( 色白の蛾もこゑがはりしをふせり)
      北川美美  》読む




      当ブログ媒体誌俳句新空間』を読む(毎金00:00更新)
      堀下翔、仮屋賢一、網野月を、浅津大雅、中山奈々… 執筆者多数  》読む
        およそ日刊「俳句空間」 (12月も月~土00:00更新) 
          日替わり詩歌鑑賞 》読む
          …(12月の執筆者)竹岡一郎・黒岩徳将・佐藤りえ・仮屋賢一・今泉礼奈 
            大井恒行の日々彼是(好評継続中!どんどん更新)  》読む 



              【時評コーナー】


              • 時壇(基本・毎金更新)新聞俳句欄を読み解く
                ~登頂回望~ その四十六網野月を  》読む
                • 俳句時評 (隔週更新  担当執筆者: 外山一機 / 堀下翔)
                「安井浩司」と僕の不毛な会話 ―『安井浩司俳句評林全集』―  
                外山一機     》読む 

                • 詩客 短歌時評 (右更新リスト参照)  》読む
                • 詩客 俳句時評 (右更新リスト参照)  》読む
                • 詩客 自由詩時評 (右更新リスト参照)  》読む 




                  あとがき  読む





                        筑紫磐井著!-戦後俳句の探求
                        <辞の詩学と詞の詩学>
                        川名大が子供騙しの詐術と激怒した真実・真正の戦後俳句史!




                        作句開始10年以内の読者必見!
                        締切2014年12月31日!


                        筑紫磐井連載「俳壇観測」執筆








                        第7号 あとがき

                        北川美美

                        2014年が暮れようとしています。
                        2013年1月4日に「-blog俳句空間-戦後俳句を読む」をスタートさせ、88号まで週刊で更新。そして本年2014年10月3日に「BLOG俳句新空間」として隔週更新(コンテンツによっては毎週、毎日更新)としてリスタート。今号で第7号を迎えました。

                        2014年9月までの「-blog俳句空間-戦後俳句を読む」としてのトピックスをいくつか…。

                        ・小津夜景さんの作品寄稿が前年2013年から2014年9月の終刊まで通算40作品掲載となる。(作品集を終刊号に掲載) 
                        ・竹岡一郎さんの俳句・短歌・小説と多岐に渡る作品を掲載。竹岡さんは第34回現代俳句評論賞を受賞。「攝津幸彦、その戦争詠の二重性」 
                        ・2月から<西村麒麟第一句集『鶉』を読む>の書評を掲載したところ、麒麟さん本人の解説も含め25もの寄稿があり6月まで述べ4か月延々と書評が続く。西村麒麟句集『鶉』は、<第五回田中裕明賞>を栄猿丸句集『点滅』とともに受賞。 
                        ・2月より網野月をさんの<時壇>が連載開始。新聞の俳句欄を読むコンテンツ。現在も継続掲載。 
                        ・6月より俳句時評の執筆メンバーに大学一年の堀下翔さんが参加。外山一機さんとともに時評が高いアクセスとなる。 
                        ・8月に「こもろ日盛俳句祭」に筑紫磐井・北川美美共に参加。黒岩徳将さんらの若手(10代20代)と知り合う。「こもろ日盛俳句祭」は第6回目の開催。 
                        ・9月26日「-blog俳句空間-戦後俳句を読む」88号にて終刊。

                        2014年10月以降の「BLOG俳句新空間」としてのトピックス

                        ・10月に隔週更新として再スタート。 
                        ・「平成俳句帖」を固定コンテンツとして毎週掲載。(現在は冬興帖掲載中) 
                        ・筑紫磐井執筆<「角川俳句賞の60年」異聞>を角川『俳句』の角川賞特集と同時に掲載。 
                        ・日替わり俳句鑑賞「およそ日刊・俳句新空間」を開始。
                        ・俳誌「俳句新空間」を読む を開始。 
                        「BLOG俳句新空間」としてのトピックス12/27 追記)
                        ・2013年12月からリンク掲出の「大井恒行の日々彼是」の連載続行。 
                        ・2011年の「詩客」創刊時から継続の「戦後俳句を読む」の連載続行。当初18名でスタートした「戦後俳句を読む」。筑紫磐井(正木ゆう子、能村登四郎)、仲寒蝉(赤尾兜子)、しなだしん(上田五千石)、北川美美(三橋敏雄)に絞られて来た模様。 
                        ・「詩客」⇔「俳句新空間」を相互リンク。詩客掲載の各時評(自由詩・短歌・俳句)をトップページにリンク。当ブログは「詩客」からのアクセスが相変わらず高い状況。


                        …と、こんなところでしょうか。隔週となり、ブログの構築を管理しやすいものへと変更を試みましたが、読者にとっては、より複雑なサイトになったようにも見え、まだまだこのbloggerの機能を使いこなせていない気が。それに関しては、同じblogger使用の<豈weekly>や<週刊俳句>を参考にはしているのですが(ブログ開始時も相当参考にしているのだが…)、なかなかうまくは行きません。

                        まだあります。忘れてはいけません。

                        俳誌「俳句新空間」をNo.1、No.2と世に送り出しました。

                        これは俳誌自体の編集後記にも記しましたが、「インターネットと雑誌の合体」(筑紫氏発案)を試みるものであり、当ブログの紙媒体に当たるものです。88人にのぼる当ブログ掲載者が参加。現在はNo.3 準備中です。こちらの編集も充実させていきます。 この俳誌については、「読書人」12月19日号で浅沼璞氏が「ネット媒体と紙媒体の相互相対化」の題で本誌をトップで取り上げていただいています。
                        「読書人」のバックナンバーの購入はこちらへ》週刊読書人 


                        ご協力の皆様にお礼を申し上げます。


                        ***

                        余談的に個人的なことを。北川は<「真神」を誤読する>が130句中、100を越え、佳境となってきました。誤読は延々に続いています。また、今年は<こもろ・日盛俳句祭>の後、長野県木崎湖「原始感覚美術祭」を訪れ、石牟礼道子について考察。更にその後は軽井沢「セゾン美術館」にて「堤清二/辻井喬 展」を訪れ、財界人ではない辻井喬について考察する機会にも恵まれました。しかし、長野からの旅を終え、石牟礼道子を読み、そのテーマの重さにヘタってしまい、堤清二/辻井喬 に辿りつくことが出来ず、無念な思いを引き摺ったまま年末を迎えることに。嗚呼、2014年が暮れてしまいます。

                        (堤清二はもちろん、西武の堤さんであり、回顧展に行き、改めて時代の文化を担った人であることを痛感。しばし、館内で感無量に。自分は、堤帝国の中で、あらゆることに目覚めることが出来たのではないか、と過ぎ去りし日々を振り返る。グラフィック、CMを含む80年代当時の<現代美術>から受ける影響が、多大であったことを回顧。80年代が<現代美術>の輝かしい時代であったことは確かだった。追って、堤清二/辻井喬に関しては、いずれ日の眼をみることもあろうかとストックとして貯蓄とす。石岡瑛子、田中一光という巨匠も堤帝国があったからこそ。”モデルだって顔だけじゃダメなんだ”(@長沢岳夫)・・・って当時のコピーが全て俳句にみえる…)

                        皆様にとっての2014年はどのような年でしたでしょうか。
                        2015年もご愛読よろしくお願いいたします。


                        筑紫磐井

                        (もろもろ繁忙により後記お休み。よい年をお迎えください。)





                        ※前号訂正:吉村毬子氏の「中村苑子の句【『水妖詞館』―あの世とこの世の近代女性精神詩】」は、休止ではなく中止です。訂正いたします。



                        締切迫る‼2014年12月31日











                        【俳句時評】「安井浩司」と僕の不毛な会話―『安井浩司俳句評林全集』―外山一機



                        『安井浩司俳句評林全集』(沖積舎)が刊行された。三つの評論集(『もどき招魂』『聲前一句』『海辺のアポリア』)に加え、昭和四三年から平成二三年までの評論を抄録した一冊である。安井の同行者のなかにはこの一巻を懐かしさとともに抱きしめる者もいるにちがいない。だが、そのような想像は僕にとってたまらなく寂しいものでもある。本書の栞文のなかで関悦史は「安井浩司の評論は『海辺のアポリア』や『もどき招魂』のような、個人的な来歴が文中に織り込まれたものに限らず、すべてが安井浩司の〈私〉に由来している」と記しているが(「俳句からの召喚」)、安井の評論に通底する〈私〉とはいかなるものであろう。思うに、その〈私〉なるものを理解することの不可能性に向き合う寂しくもつつましい態度こそ、「安井浩司」を読むときに求められるものなのではなかろうか。
                        たとえば折笠美秋の『虎嘯記』について次のように記す安井を前にするとき、僕はますますその諦念を強くするのである。

                        いま、『虎嘯記』を一読し了えたのだが、後半篇の作品はもとより、中村苑子の跋文、作者自身の献辞(後記)へと進むにつれて、何とも悲痛である。病床の兄(けい)を思い起しては、私も腸を断つ思いだ。しかし、ちょっと待って欲しい。難病とはいえ、不治ではない。治るのだ。げんに、重症候から次第に快癒に向った症例報告に接したこともあり、私の周囲でも、小康を得て、普通人と同じく長命で幸福だった人もいる。この『虎嘯記』は、だから、慰めの具として用意されたものであってはならないだろう。折笠個人にとって、生きてあることの痛切な証しの書であり、生きようとする決意によって支えられているはずだ、というふうに解さねばなるまい。 
                        (「『虎嘯記』に寄す」)

                         このように述べたうえで折笠の「俳句おもう以外は死者か われすでに」についてさらに次のようにいう。

                        この作を読んで、大方の人は泣き伏すだろう。それがいけないのである。そんな短絡な接し方をしては、俳句作家たる折笠が困ろう。作者は、この句を書くことによって大いにテレているのである。自分が、もう一人の自分に対して、たっぷりイロニーの効いた辞(ことば)を送りつけたのだ。

                         折笠美秋のその後を知っている僕たちにとって、友情に満ちた安井のこの一文はなんともいじましいものに思われはしないだろうか。「俳句おもう以外は死者か われすでに」が、実際のところ安井のいうようにイロニーに満ちている句であるのかどうか、僕にはわからない。ただ大事なことは、安井が「自分が、もう一人の自分に対して、たっぷりイロニーの効いた辞(ことば)を送りつけたのだ」と書くとき、その言葉の強度を保証するものが折笠への友情の深さであったということだ。だから、たとえ誰が何と言おうともこの言葉は安井にとって嘘であってはならなかっただろうし、今もなお嘘ではないだろう。そういう強度で書かれたものを僕たちが理解することなどできるのだろうか。
                         じっさい僕にとって折笠美秋とは、すでに鬼籍に入った俳人であり、『虎嘯記』や「否とよ、陛下!」をはじめとする数々の評論に接したのはその死のずっと後のことだ。いわば折笠の生と死とに当事者として立ち会ったのが安井であって、僕はあくまで非当事者なのであった。さらにいえば、そのように書くことで安井浩司が「安井浩司」であったのだとすれば、僕は「安井浩司」に対してもまた非当事者なのであった。思うに、僕が安井の句や文に感じる取りつき難さとは、こうした非当事者としての負い目の感覚の累積が作用したものであるように思われてならない。
                         安井はまた、寺山修司や大岡頌司について次のように語る。

                        いまや懐かしい『遠船脚』は、大岡頌司個人のみならず、私たちの遺産の一つであると思っている。あまり誇れるものもない中で、貴重な遺産の一つというべきであった。私たちといえば、かつてそこには一つの世代、ごく狭義の世代があって、それは昭和二十八・二十九年頃、〝寺山修司〟の俳句運動に象徴される一つの世代意識である。直接に寺山修司と関係のないグループもあったが、しかし寺山の波及力を考慮に入れると、けっきょく寺山を中心に私たちの世代のサイクルは回転したとみるべきであろう。
                         (原文は「私たち」に傍点。 「『遠船脚』と大岡頌司」)

                         寺山や安井を語る安井は何といっても彼らの生と死の当事者であったし、少なくとも当事者であろうとし続け、そこに拘り続けることで「安井浩司」であったように思う。そして、安井の評論に通底する〈私〉とはこうした拘りの謂であって、その意味での〈私〉が「俳句」と切り結ぶとき「安井浩司」の一句が立ち、一編の評論が立つのではなかったか。だが、寺山を語るとき、昭和五五年においてすでに「彼の俳句行為に斬り込んで書けるのは、今は大岡頌司ぐらいのものだろうか」といい「〝精神の同時性〟なるものを感じ合った昔日の仲間はみな消えたというのが、正直な実感である」といわなければならなかった安井の困難と、その困難な状況に立脚する矜持とは、はたしていかなるものであったろう。

                         君は未だ俳句をやっているのか、正直、私はこの言葉をあまり聞きたくはない。これは、もしかしたら、友人の嘴を借りる以上に、私が私自身に向けた大きな皮肉の言葉であるかもしれない。彼等はみな俳句を去り、私だけが昔ながらの領地に踏み止どまっている。変わりばえのしない寒村の墓を守っている。どうして、そういうことになってしまったのか。しかし、これは紛れもない事実である。いつのまにか、私の魂は俳句に搦めとられ、ひたすら俳句という名の墓碑を守る醜い面相の男になっていたのだ。 
                        (「海辺のアポリア」)

                        この「俳句という名の墓碑を守る醜い面相の男」を自らの姿として引き受ける安井において、安井の〈私〉はもはや単なる個人的な拘りの域を超え、俳句形式と対峙する僕たちの態度を問いただすものとなる。極限まで〈私〉を掘り下げ、その〈私〉に根ざした思考であればこそ「俳句」についての根源的な問いへと突き当たるのである。安井はいう。

                        おそらく、自ら問い、自ら受けて、あらゆる状況にあっても成立すべき唯一の問いとは、しからば《お前はどうするのか》という一言だけだろう。一体、お前はどうするのか。《お前》―「私」、としての「私」しか答えざるをえないことを前提とした問いだ。「私」が問うことと答えることを所有する、この原初としての問い。 
                        (原文は「極」に傍点。「定型の中で」)

                         けれど、それでもなお僕は、こうした安井の言葉を理解できるとは思いたくないのだ。いったい、このように書きつけられた安井の言葉を理解できるということは、どのような倫理によって可能なのだろう。こういう言葉を理解できたと語るのは、「安井浩司」をあまりに低く見積もっているような気がしてならない。そもそも僕は、安井が僕やあなたに理解できるように、僕やあなたに届く言葉で書いているとは思えないのである。安井は、僕やあなたに届くようにと祈りつつも、「安井浩司」であるためには僕やあなたに届くはずのない言葉で書くしかないのであって、だからその言葉はひどく寂しげであり、しかしどこまでも誠実なのではなかったか。

                         ならば僕たちは安井の書いたものについて何も言うべきではないのだろうか。そうではあるまい。非当事者でなければ見えてこないこともある。それに、世界の圧倒的多数を占めているのはこの非当事者の方だ。この非当事者としての自らのありようを負い目ではなく矜持とすること。『安井浩司俳句評林全集』以後を生きる僕たちの仕事はそこから始まるのではあるまいか。

                         しかし、私は長いこと小川双々子を誤読していたのかもしれぬ。いま列挙した俳人(金子兜太、鈴木六林男、佐藤鬼房、島津亮、赤尾兜子、三橋敏雄―外山注)から、双々子を引き抜いたらどうなる、ということだ。そのマイナス部分こそ、〈昭和〉俳句に対する双々子の絶好の批評ではなかったろうか。いよいよ私の誤読であってもよいが、双々子には彼等世代の〈昭和〉連鎖には属してもらいたくない。やはり〈昭和〉そのことを超克しようとして、氏こそ〝難解な予兆性〟の中に迫り上りを敢行した私たちの先頭の人であって欲しいのだ。
                        (原文は「先頭の人」に傍点。 「『小川双々子全句集』評 生きものとしての全集」)

                         この双々子像こそ、まさしく僕にとっての「安井浩司」そのものであった。「安井浩司」とは鈍痛のように重く圧し掛かる何ものかであった。僕は安井について声高らかに何かを言えるとは思えないし、その寂しさを引き受けることが僕にとってほとんど唯一の「安井浩司」との対峙のしかたであるようにも思うのである。いわば、絶対的な他者を前にして、安易な共感を注意深く回避しながら、それでもその傍らに立ち続けるような姿勢―その寂しさの風圧のなかに立ち続けるような姿勢こそ、僕たちに求められているものなのではないだろうか。

                         《お前はどうするのか》と安井は問う。この「お前」とは、まずもって安井が自らを指していう言葉であったろう。だから、この問いを発した「お前」についてもそれを引き受けた「お前」についても安易に理解することは許されない。だがその一方で、この「お前」は僕たちを指しているのだと錯覚するくらいの自由なら、僕たちにも許されていると思う。

                        「お前」のなかに僕はいないだろう。だが、それでもなおその「お前」をわがこととして引き受けるということ―安井の非当事者でありつつ、しかしどこまでも安井とともにあろうとするとき、僕たちにできることは、たとえばそんなふうにしてこの問いを自らのうちに鈍痛のように抱えこむことではないだろうか。

                        三橋敏雄『真神』を誤読する 105. 色白の蛾もこゑがはりしをふせり/ 北川美美


                        105. 色白の蛾もこゑがはりしをふせり

                        「僕はマラルメの(詩集の)背表紙で、黒と白の縦模様がある蛾の腹を押し潰した。蛾は脹らんだ腹から体液が漏れる音とは別の小さな鳴き声をだした。」
                        (村上龍 『限りなく透明に近いブルー』)


                        「蛾」は密室の訪問者としてしばしば文芸作品に登場する。『限りなく透明に近いブルー』の上記の表現は、以前引用した安倍公房の初期作品『白い蛾』を想起する表現である。当時の<文学界に衝撃を与えた>という村上龍の表現は、単に暴力・セックスを題材にしたセンセーショナルな出来事ではなく、その誌的な描写にあっとことに納得するのである。


                        近年になり、実際に超音波のラブソングに騙される蛾と騙されない蛾がいることが研究結果で発表されている。交尾のために超音波を雄が出すのである(2013年6月20日発表の東京大学大学院農学生命科学研究科 研究成果の論文)

                        蛾も種を守るために、色仕掛けをするのだ。虫には虫の、植物には植物の世界がある。
                        昆虫には昆虫にしか聞こえない、見えない世界がある。

                        掲句の「蛾も」の「も」は、「人間」同様と解せる。人間男子が声変わりするのは思春期である。それと同時に「恋」というものを知る。変声期は人を好きになることを知る時期でもある。蛾もしかり。声変わりという発情と思える時期をあえて伏せることができるのかの事実はわからないが、色仕掛けを「伏せる」。けれど「蛾」という嫌われ者、ただし「醜さ」を隠すという意味合いの「色白」という表現が、蛾の美醜を示唆している。


                        そうなると「蛾」を登場させつつ、掲句は思春期の恋の句と読める。

                        以下は『真神』の他の<蛾>である。


                        きなくさき蛾を野霞へ追い落す 
                        面変りせし蛾よ花よ灰皿よ 

                        「真神」の<蛾>は常に表情があり、<蛾>というキャラクター使いに意外性がある。意表をつくトリックに驚くのである。


                         登頂回望その四十六 / 網野月を

                        (朝日俳壇平成26年12月14日から)
                                                  

                        ◆大空の時惜しむごと落葉舞ふ (横浜市)田中靖三
                        長谷川櫂と大串章の共選である。長谷川櫂の評には「三席。大空を舞う木の葉。あれは悠然と過ぎゆく時を惜しんでいるのだ。」と記されている。
                        落葉にとって綺羅を飾る最たる時間が枝から離れて地表に着くまでの時間なのである。評には「悠然と」とあるが然程長い時間ではない。むしろ刹那的な時間であろう。作者はその短い時間の、擬人的に言えば落葉の心境に気が付いたのである。桜花ならば良くある表現であり、捉え方かもしれないが落葉ではより少ないだろう。加えて「大空の時」を「惜しむ」のであって、自由を謳歌する様が見えてくる。人の身体には堪えるが落葉の為には少々強めに風が吹いて少しでも長く「大空の時」を「惜し」んで欲しい。

                        ◆日本中口から漏れる寒さかな (長岡京市)寺嶋三郎
                        稲畑汀子の選である。評には「一句目。寒い冬がやって来た。日本国中の人達が寒さを口にするが、その捉え方が面白い。」と記されている。評の通り面白い表現である。評には「日本国中の人達が」とあるが、「日本国中に」であろうと考える。それぞれの言葉は異なるだろうが、当季の時候の挨拶は文字通り異口同音に寒いことである。今年は十二月と云うのに寒さが日本中に速駆けでやって来た感がある。「口から漏れる」ことばが息白くあることと同じように思われるところがある。


                        ◆動かざる寒さに街の人動き (札幌市)菅原ヤツ子
                        稲畑汀子の選である。切れの無い句であるが、その中に「動かざる」と「動き」が同居して言葉遊びにもなっている。極寒にも拘らず人々は仕事に所用に奔走している。少なからず人間の悲哀を感じさせるところにただ言葉遊びに止まらない句の奥行きが出ている。

                        2014年12月12日金曜日

                        第6号

                        ※「BLOG俳句空間」は基本隔週更新です。(記事により毎週・毎日更新もあります。毎週・毎日更新の記事は、右の[俳句新空間関連更新リスト〕ご参照ください。)





                      • 12月の更新第7号12月26日)/1月の更新第8号1月9日・第9号1月23日




                      • 平成二十六年 俳句帖毎金00:00更新予定)  》読む

                        (12/19更新)
                        冬興帖 第四 …中西夕紀・望月士郎・真矢ひろみ ・羽村 美和子・花尻万博・大井恒行

                        (12/12更新)
                        冬興帖 第三 …小野裕三・小澤麻結・林雅樹・前北かおる・藤田踏青・早瀬恵子

                         



                        【俳句を読む】
                        • 上田五千石を読む (50)【貝】
                         (雪積まぬ渚に拾ふうつせ貝 )
                        しなだしん  》読む
                          【句集を読む】
                          • 三橋敏雄『真神』を誤読する (104)
                          (少年老い諸手ざはりに夜の父)
                          北川美美  》読む




                          当ブログ媒体誌俳句新空間』を読む(毎金00:00更新)
                          堀下翔、仮屋賢一、網野月を、浅津大雅、中山奈々… 執筆者多数  》読む
                            およそ日刊「俳句空間」 (12月も月~土00:00更新) 
                              日替わり詩歌鑑賞 》読む
                              …(12月の執筆者)竹岡一郎・黒岩徳将・佐藤りえ・仮屋賢一・今泉礼奈 
                                大井恒行の日々彼是(好評継続中!どんどん更新)  》読む 



                                  【時評コーナー】


                                  • 時壇(基本・毎金更新)新聞俳句欄を読み解く
                                    ~登頂回望~ その四十三、四十四、四十五網野月を  》読む
                                    • 俳句時評 (隔週更新  担当執筆者: 外山一機 / 堀下翔)
                                    田中裕明メモ  堀下翔     》読む 

                                    • 詩客 短歌時評 (右更新リスト参照)  》読む
                                    • 詩客 俳句時評 (右更新リスト参照)  》読む
                                    • 詩客 自由詩時評 (右更新リスト参照)  》読む 




                                      あとがき   読む





                                            当ブログの冊子!-BLOG俳句空間媒体誌- 

                                            俳句空間No.2 ‼
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                                            筑紫磐井連載「俳壇観測」執筆





                                            「角川俳句賞の60年」異聞 …筑紫磐井  》読む




                                            【俳句時評】 田中裕明メモ  堀下翔

                                            2014年が終わろうとしている。その数字が何か気がかりで少し考えていたのだがしばらくしてそういえば田中裕明が世を去って十年になるのではないかと思った。調べてみたらその通りで彼の命日は2004年12月30日。その時期のことは多くの関係者がほぼ同じ感慨で書いている。「その訃報の直後に句集『夜の客人』は妻・森賀まりと連名の年賀状を添えて届けられた。まるで天上から田中の手が差し伸べられたように」(小川軽舟「澄んだ詩情」『俳句』2013年12月号)。なんと逸話めいた話であることか。夭逝のことに限らず田中裕明を思うときそこにはいつも得体のしれなさが伴っている。


                                            句集を編むうえで気づいたこと二つ。/一つはいわゆるアンソロジーピースが多いということ。これはわたしの俳句がそうだというよりも俳句という詩形がアンソロジーに向いているようです。 
                                            (『花間一壺』あとがき/1985年/牧羊社)

                                            角川俳句賞の受賞作を収めているほかすでに若手作家として認知されていた時期であるとはいえアンソロジーピース性は少なくともまだ出版もされていない自分の句集の作品に対して感じるものではないではないか。「これはわたしの俳句がそうだというよりも俳句という詩形がアンソロジーに向いているようです」の弁がその批判を避けるためのものとは思わないが「ようです」という人ごとの言いぶりはいったいこの人には何がみえているのか不可解で気味が悪い。それは角川俳句賞を最年少で得たさいの「受賞の言葉」の時点でまとわりついていて、一読ではほとんど意味を察せられない〈夜の形式〉という言葉に終始する「受賞の言葉」はまさに田中裕明の世間離れを表明しているようだった。

                                            昭和五十二年「青」入会、五十四年、私家版第一句集『山信』刊行、五十七年、角川俳句賞受賞、五十九年「晨」参加、六十年、第二句集『花間一壺』刊行、平成三年、爽波死去、四年、第三句集『櫻姫譚』刊行、十二年、主宰誌「ゆう」創刊、十四年、第四句集『先生から手紙』刊行、十六年、骨髄性白血病による肺炎で死去、十七年、第五句集『夜の客人』刊行。四十五年の人生がどれだけ駆け足であったかことか。昨年の裕明忌に更新されたふらんす堂のブログがのちに田中裕明賞を受ける榮猿丸『点滅』の完成に際して書いたこんな言葉は、いかにも裕明が夭逝にしてすでにかなりの仕事をなしていたことを伝えているだろう。「今日は、俳人田中裕明さんの忌日である。/2004年の今日、田中さんは亡くなった。/その日東京は夜になって大雪となった。/享年45歳。/45歳という歳がどのくらい若いものであったか、今日これから紹介する新刊の榮猿丸句集『点滅』を読んであらためて思った」(『ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko』2013.12.30 20:38更新分)。

                                            裕明のことをよく聞く。「ゆう」の会員を中心とする同人誌「静かな場所」が創刊されたのは2006年で以後裕明研究と同人作品を掲載し続けている。毎年7月に大特集を組む「澤」は2008年のテーマに田中裕明を選んだ。裕明アルバム、『山信』復刻、小澤と森賀まりとの対談をはじめ「澤」内外の作家による裕明検討がおよそ240ページにわたってなされている。ふらんす堂は2007年に『田中裕明全句集』を刊行、また2010年には彼の享年である満45歳以下の作家を対象とした田中裕明賞を創設する。

                                            先月11月8日の第24回現代俳句協会青年部シンポジウム「読まれたかった俳句」を思い出す。「新世紀に生まれた俳句を一句ずつ取り上げて、私たちがこの十五年間でどんな新しい一句を得たのか、時代への考察とともに検証し、語り合いたいと思います」(資料冒頭)というコンセプトで井上弘美、高山れおな、外山一機、神野紗希(兼司会)の四パネリストが2000年以降の俳句を各20句選出、数句を取り上げての討議が行われた。一句一句はどこかしらにおいて十五年間の事件である。それは井上選「戦争がはじまる野菊たちの前」(矢島渚男)にはじまり外山選「俳諧の留守の間に咲く桜かな」(長谷川櫂)、神野選「双子なら同じ死に顔桃の花」(照井翠)に至る社会との直接的な接触でもありあるいは神野紗希が2005年当時に読んで自分は一生これを体験しないであろうと感じた「わが額に師の掌おかるる小春かな」(福田甲子雄)といった時代のおとしごでもある。高山選「ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ」(なかはられいこ)をはじめとする表現史もむろん忘れられてはいない。筆者が思い出しているのはその中において四人のうち三人が選んだ作者がたった一人だけいたことでそれがすなわち田中裕明であった。

                                            くらき瀧茅の輪の奥に落ちにけり 田中裕明(井上選)爽やかに俳句の神に愛されて(外山選)みづうみのみなとのなつのみじかけれ(神野選)

                                            重複はまさしく田中裕明その人の事件性を体現してはいないか。4人というごく少ない母数に断ずるのは早合点も過ぎるとは思いつつしかしここには田中裕明の「語られやすさ」が連想されてきて仕方がない。筆者が田中裕明に感ずる得体のしれなさはつまり本人の言行である一方でまた没後多くの場所で名前を聞く状況でもある。こと裕明以後に俳句を書く営為に加わった人間たちにとってわずか十年前にかくのごとき作家がいたことはほとんど恐怖である。その恐怖はおそらくひたすらに得体がしれない点ではなくむしろ現段階で彼が多くの人間に充分に語られている点にある。誰か田中裕明のことをもっと教えてくれ! と叫んでも没後十年としてはすでに不足の感がなく、にもかかわらず自分だけは彼をまったく知らないがために途方に暮れる。

                                            エヴァンゲリオンが好きだったというエピソードを持ち(小澤・森賀対談「思い出の田中裕明」/「澤」2008年7月号)、あるいは主宰誌の創刊が2000年代に入ってからであった田中裕明はあきらかに2014年へと続く空気を吸っていた。近くて遠い――正確に言えば近かったらしいが遠い隣人。この隣人の不在を知りながらわれわれは俳句をまた書かねばならない。



                                            第6号 あとがき

                                            北川美美

                                            (12月20日追加掲載)

                                            ***

                                            下記お詫びして訂正いたします。

                                            ・林雅樹さんのお名前の記載に誤りがありました。訂正いたしました。
                                            ・佐藤りえさんの12月16日掲載が二編同時掲載となりました。一編を12月22日に再掲出いたします。

                                            お詫びいたします。


                                            年末稀にみる繁忙を言い訳に、もろもろ不手際、申し訳ありません。

                                            ***

                                            全体更新はあと年内12月26日となります。 今年は、大型の連休となる方も多いのでしょうか。
                                            気が付くと、もうクリスマスではないですか! 

                                            …と、このあとがきの位置(北川の記載の後に筑紫氏が続いていること)を気にしつつも更に1年が経過。また来年考えてみますが、もうこのままの位置でもいいのかとも思いながら・・・恐縮しつつ…。

                                            今年は9月末をもって旧<-俳句空間-戦後俳句を読む>を終刊し10月に新たに<俳句新空間>として隔週にてスタート。隔週になったことにより、読者離れが気になりましたが、逆にじっくりと読んでいただけるようになり、各コンテンツのアクセス数のばらつきがなくなって来たようです。

                                            とはいえ、ツイッターやフェイスブックを駆使している世代の方の掲載となるとアクセスがグンと伸びるのは、時代の流れとはいえ面白い結果です。

                                            今年のアクセス第一位は、旧<-俳句空間-戦後俳句を読む>のコンテンツではありますが、

                                            【俳句時評】  たまたま俳句を与えられた  堀下翔  633 (2014.12. 20現在)

                                            です。 これは、当ブログ開設時の 歳旦帖第一(2013年1月4日掲載)677
                                            に迫るもので、俳句甲子園の作品がどう取り上げられるかの読者(多分俳句甲子園出身者)の感心の高さがあるようです。

                                            追って次回記したいと思います。




                                            筑紫磐井

                                            平成26年もいよいよ大詰めを迎えてきた。

                                            「BLOG俳句新空間」も冬興帖が開始された。

                                            あと、3週間で3年目に突入する。

                                            御協力頂いた方々に感謝申し上げたい。

                                            冊子の「俳句新空間」No.3もそろそろ編集の準備に入りはじめた。片片たる雑誌と思っていたが、それなりに各方面から注目して頂いている。「俳句新空間」は一種の同人誌のようなものだが、頁数は薄くても、濃密な内容と継続する意志のあることが大事であるようだ。毎週奮闘されている編集長に謝意を述べたい。

                                            「BLOG俳句新空間」も少しづつ変化する。

                                            吉村毬子氏の「中村苑子の句【『水妖詞館』―あの世とこの世の近代女性精神詩】」は、事情により休載することとなった。

                                            代わりに新年から新しい企画が始まる予定である。

                                            また、BLOGが中心となるわけではないが、既に2回実施している「攝津幸彦記念賞」がまた募集される予定である。有為な人材を輩出した賞がまた新人を発掘する機会となればうれしい。 




                                            三橋敏雄『真神』を誤読する 104. 少年老い諸手ざはりに夜の父 / 北川美美


                                            104. 少年老い諸手ざはりに夜の父


                                            『御伽草子(おとぎぞうし)』の「一寸法師」に、ふしぎな記述がある。鬼に呑み込まれた一寸法師が鬼の体内であばれると、たまりかねた鬼が「ただ逃げよ」というまま、

                                             打出の小槌、杖、笞(しもつ)、何にいたるまで打ち捨てて、極楽浄土のいぬゐの、いかにも暗き所へ、やうやう逃げにけり

                                            「極楽浄土いぬゐ」とは八卦の乾(いぬい)のことで、戌亥とも表記する。

                                            興味本位で八卦をみてみると、この「乾(いぬい)」が、「夜」と「父」を合わせ持つ。乾は、天・健・馬・首・父・君などを象徴する。方角としては北西の方角になり、戌(いぬ)と亥(い)の間であることから乾は「いぬい」と読まれる。納甲では甲、五行の木、五方の東、または壬、五行の水、五方の北に当てられる。陰陽道では「陽」が極まったところということになる。 

                                            乾(いぬい)は、戌と亥の間の方角であり、悪霊とともに善神も来る両義的な方位である。真神の意であるオオカミがその間に立っているようにもに思える(狼の別名として十二支に戌が充てられているともいわれている。)

                                            そんなことから、<夜の父>を解いてみたが、なんど見ても<夜の父>は意味深である。ボーイズラブ(BL)か、愛憎か、「ゲルマニウムの夜」(@花村萬月)かそれとも鬼太郎の父「目玉親父」かと思いを巡らす。そして無季といえども夏から秋にかけての印象がある。

                                            「夜の父」を詠む句は、『真神』と同時期制作の『鷓鴣』が二句、そして後の『長濤』に一句収録されている。

                                            礒岩に隠れて紛ふ夜の父 『鷓鴣』
                                            歸るさの惡路親しや夜の父 『鷓鴣』
                                            エノケンを観る休日の夜の父と 『長濤』

                                            『鷓鴣』の二句をみても<夜の父>は敏雄の造語と思える。そして『長濤』ではその父と休日に外出をする。<夜の父>という言葉から生まれるものは何だろうか。


                                            高柳重信の父をみてみる。

                                            沖に
                                            父あり
                                            日に一度
                                            沖に日は落ち  『遠耳父母』高柳重信

                                            夏石番矢氏は、重信の父を弥生的《うぶすな》とした。

                                            西方の海のかなたには、異界とも原郷ともつかない場所があり、「父」が雄大ではるかなる存在として鎮座する。「日に一度/沖に日は落ち」と、そののち「父」と彼岸の私たちとの回路は断たれる。(中略)西方の「沖」の「父」は、私たちの血脈を遡った先の「父」であり、空間的には非常に近いぐらい遠方に想定されている。(中略)こちらの《うぶすな》は父権的弥生的《うぶすな》だということになる。(中略)弥生的《うぶすな》の認知には、観念が必要とされる。
                                            (高柳重信論2『天才のポエジー』 夏石番矢 1993邑書林)

                                            【弥生的《うぶすな》】…それは、階級社会のはじまりを示すと解する。近代以降の父の姿は、階級社会に対峙し苦悩する父として、「木曽路はすべて山の中である」の冒頭が物語る島崎藤村の『夜明け前』により記録的に描かれた。

                                            季語に「夜の秋」がある。<秋を感じさせる涼しさのある、土用半ばを過ぎた夏の夜をいう語である。(日本語大辞典)

                                            涼しさの肌に手を置き夜の秋 高浜虚子

                                            季語「夜の秋」になぞらえ「夜の父」を解くならば、<夜だからこそ父><闇だからこそ父>を感じるという読みである。「父」は個人の父であり、家長の意味もある。また権威ある人という意味の「父」でもある。

                                            闇の中にいる父、それは社会という制度の中を累々と経て来た父の父またその先の父たちをも示すといえる。父の存在、そして自己が父であるという意識を<夜>としているとみる。

                                            人は家族の中で生まれるが、家族から離脱していく。家族の磁力から離脱するには、まるで宇宙船が重力圏を脱出する時のような、巨大な遠心力が要る。その無茶なエネルギーで、わたしは自分も他人も傷つけた。実際に金属バットを振りまわさなくても、心理的に親殺しをしなければ、家族の重力圏から脱げ出すことはむずかしい。そしてわたしは、家族から、コミュニティから、自分を縛るものから脱出することに成功した。出ていくことはできたが、気がついたら、戻る道がない。往還の往は手に入れたが、還のしかたがわからない。  
                                            (上野千鶴子「ミッドナイトコール」 『生きながら俳句に葬られ』江里昭彦 内の引用) 


                                            <夜の父>との関係性を敏雄は断ち切れずにいる。老いて諸手ざはりに<夜の父>を傍に置き、磯岩の影にも<夜の父>を見る、悪事にも親しく<夜の父>と付き合う。そして晩年には<夜の父>とエノケンを休日に観る。<夜の父>を切り離せない敏雄がいる。

                                            故郷離脱を果たし、ムラに誰もいなくなったとしても闇の中にいる累々とした自己のルーツ<夜の父>はそれぞれの個人の中に存在する。それは、過ぎ去った時代のことなのかもしれず、父という父が今では記憶をつかさどる海馬を失い、町を徘徊する時代になった。現代の<夜の父>は乾(いぬい)の闇の中で、弥生的《うぶすな》から解き放たれ、縄文的《うぶすな》を求め徘徊するのである。

                                            我々は<夜の父>を傍に置く、そしてその接し方、探し方がわからない。

                                            鬼太郎の父(目玉親父)は常に傍で鬼太郎を励ました。敏雄の<夜の父>も同じく、傍に寄り添い敏雄である作者からその父に近づこうとしている。鬼太郎の作者・水木しげる、そして敏雄…前線から生きて帰ったからこそ見える闇の世界をみてきたもうひとつの眼がある。その眼はいつも生きているもうひとりの自分を見守っている。生きているあいだじゅう、そのもうひとつの存在に見守られたいのである。




                                            上田五千石の句【貝】/しなだしん


                                            雪積まぬ渚に拾ふうつせ貝       上田五千石


                                            第四句集『琥珀』所収。昭和六十一年作。前書に「湖北 二句」とある一句目。

                                                    ◆

                                            前書の「湖北」はおそらく琵琶湖北東部、長浜あたりを指すのだろう。

                                            訪れたのは折しも雪の降る冬。琵琶湖周辺の中でも湖北あたりは雪の量が多い地域と聞く。同時作「鷗らに雪捨て川のどか濁り」にある通り、川に雪を捨てるほどの降り方だったのだろう。

                                                    ◆

                                            同じ湖でも長野の諏訪湖は厚い氷に覆われることがあるが、広大な琵琶湖は氷に覆われることは無い。ちなみに諏訪湖の面積は13.3 km2、琵琶湖は670.25 km2と、改めてその差は歴然である。
                                            その広さから琵琶湖には波があり、波は降る雪をすぐさま解かす。波打ち際には、波の届く範囲で雪の無い処が出来る。雪の積もっている岸、雪の無い渚、湖面という湖畔の景色となる。

                                                    ◆

                                            この句の「うつせ貝」は、「つめた貝」、または「鶉貝」の別名ともされるが、どちらも基本的には海に生息する貝である。このことからこの句の「うつせ貝」は渚に打ち寄せられた、空になった貝、貝殻を指すと思われる。「空貝」「虚貝」という漢字表記が用いられる。

                                            雪の日の渚に拾った貝殻を掌に載せて何を思った作者だろうか。

                                            ところで、五千石の貝の句といえば「遠浅の水清ければ桜貝」が有名である。昭和三十八年作のこの句から掲出句の昭和六十一年までに、二十三年の歳月が流れている。

                                            ちなみに上田日差子氏に「仮の世にいろあらばこの桜貝」(『和音』所収)があり、父の「桜貝」の句への、そして何より父への追想が見える。

                                            「うつせ貝」の句には、「桜貝」の句の健全さは見られないが、愁いを含んだ思慕が感じられる。「雪積まぬ渚」は派手さはないが、確かな把握と言えるだろう。

                                             登頂回望その四十三・四十四・四十五 / 網野 月を

                                            その四十三(朝日俳壇平成26年11月24日から)
                                                                    
                                            ◆果なきは青きことなり秋の空 (大和郡山市)中西健

                                            長谷川櫂選である。評には「三席。こんなに青い空の下、人はなぜ瑣事に追われるのか。自省の一句?」と記されている。評は作者の自己存在を句中に意識している。自己投影とは若干ニュアンスが異なるが、作者の心境を慮っての句の解釈なのである。が座五「秋の空」の季題を上五中七で表現していると、素直に受け取ってもよいのではないだろうか?

                                            果てしなく青い秋の空は、ポジティヴな表現である。当然のことに大自然に比べれば人間の何と小さいことか!その小さいことに比して自分自身の小ささをネガティヴに受け取るのか、それとも小さいながらも自分自身を大自然に投げ出して自己をも自然の一部であろうとしてポジティヴに受け取るかは夫夫の心の持ち方である。失礼ながら、この選評は評者・長谷川櫂自身の思いを重ね合わせている評ではないだろうか。当然のことであるが句の解釈は読み手の自由である。それでも筆者は、決して作者は瑣事に追われる自己を叙しているのではない、と考えたい。

                                            ◆枯蟷螂命ばかりとなりにけり (いわき市)馬目空

                                            長谷川櫂選である。「枯蟷螂」は未だ骸とならない状態であるから、中七座五「命ばかりとなりにけり」は「枯蟷螂」のことである。「枯蟷螂」を視る作者の目は、「枯蟷螂」を鏡として自己をその中に見出しているようにも読める。一読、シリアスな印象を与える句であるが、読み返すうちに作者の清々しい心境を句底に見出すことが出来た。後は次代へ生を継ぐだけである。実はそれが大仕事であるが。

                                            「なりにけり」の措辞が、大きなタメを作り出していて、重荷を下ろして身軽になった感があるのだ。逆説的ではあるが、心が軽くなる思いである。

                                            ◆稲妻に一瞬顔を見られたり (稲沢市)杉山一三

                                            大串章選である。座五の置き方は典型的な俳句の手法である。稲妻が光って、その一瞬に顔が露わになった、ということである。ところで誰に見られたのであろうか?上五「稲妻に」とあるので稲妻を擬人法的に捉えて、顔を見たものが稲妻のようにも読めるところが面白い。



                                            その四十四(朝日俳壇平成26年12月1日から)

                                                                    
                                            ◆教授会の窓の黄落数えつつ (川崎市)藤田恭

                                            大串章選である。会議中に「窓の黄落数え」るとは羨ましい限りである。筆者は窓を背にした席が会議の定位置なので窓外を眺めるチャンスが無いのだ。それにしても最近は大学の経営も大変なようである。二○一八年からは同学年人口が百万人を割り込むとかで、大学は冬の時代を迎える。定員割れした学部学科の閑散とした様子が黄落の梢と重なる。作者は然程、深刻ではないようだが。
                                            掲句は句中に切れの無い句作りであり、合わせて座五も「・・つつ」として完全に切らないで流している。作者の心の、終日揺蕩うような様子を表現しているのであろうか。

                                            ◆まだ風に応ふる力枯尾花 (浜田市)田中由紀子

                                            稲畑汀子選である。評には「一句目。すっかり枯れきってしまわない芒。しなやかに風に応える情景が野を彩る。」と記されている。評とは別の見解になるが座五に「枯尾花」とあるので、この芒は枯れきっているのではないだろうか?もちろんすっかり枯れきってしまわない態と枯れきった態のボーダーラインはないだろうが。筆者はしなやかに風に合わせる芒ではなくて、枯れて幾分硬直化して棒立ちの芒を想像する。棒立ちになっても風に合わせている「枯尾花」を想像する。植物の枯れ果てて猶も「応ふる力」に驚嘆しつつ憧れているのではないか。頭付きの「まだ」が作者の最もいいたいことなのだ。


                                            ◆くりのみはいろんなごはんつくれるよ (東京都)福元泉

                                            金子兜太選である。評には「十句目福元くん。おとなには浮かばない発想の楽しさ。」と記されている。上五が団栗ならままごと遊びとなるところだが、「くり」とあるので栗尽くしの料理を想定してみた。茹で栗、甘栗、の他に炊き込みの栗ご飯、栗きんとんなどなど、栗を使用した料理のヴァリエーションは多い。どのような機会に福元さんは「いろんなごはん」を知るに及んだのだろう。一番良いところは言わないで、「くりのみ」の可能性のみに十七音を傾注した。将に楽しい発想である。


                                            その四十五(朝日俳壇平成26年12月8日から)
                                                                      
                                            ◆冬の河丸太ん棒のかく鼾 (東京都)藤野富男

                                            金子兜太の選である。初め材木を筏に組んで川に流し、運搬しているのかと想像したが、それでは鼾をかくわけはないのであって、「丸太ん棒」の位置は河原か、もしくは川の近くの空間であろう。「冬の河」が冬らしく水量を控え目にして流れているので、元より寒さを物ともしない「丸太ん棒」は鼾をかいて眠っているというのであろう。上五の季題と中七座五の意味合いの距離感が心地よい。両者の付け合いの空白を読者は想像して読むわけだが、その想像が楽しくなるような句である。「丸太ん棒」も「鼾」もユーモラスな語感を有するので、「冬の河」から寒々とした荒涼が浮かばないのである。本来言葉自体が持つイメージを活かしきっている。

                                            ◆夢に来て母の煮込める八つ頭 (久喜市)笠原ひろむ

                                            金子兜太と長谷川櫂の共選である。夢に出て来たのは「母」であり、その「母」が「八つ頭」を煮込んでいるのであろう。が、助詞「の」は如何なものであろうか?「の」の引力と、加えて五七五の必然的なリズムの在り様から生まれる上五の切れで、「八つ頭」が「夢に来」たようにも読めてしまうのである。もちろん「八つ頭」も夢に登場するのであろうが。そうなると上五の「て」の工夫が欲しいところかも知れない。

                                            正月料理に八つ頭を料理する母の姿は誰しもメモリーとして心に残るもので共感する。

                                            ◆マフラーを借りて返さず十五年 (仙台市)柿坂伸子

                                            大串章の選である。評には「第三句。前書に「夫より」とあり。」と記されている。さぞかしラブラブの十五年であったろう。前書の主旨は世間に対して誤解を招かないための辞のようでもある。中七の「借りて返さず」の「て」が筆者には過度に強く響いてくる。「十五年」が微妙な年限であり、絶妙だ。二十代、三十代の人には解せない感覚である。

                                            もしかしたら、十五年前はまだ夫ではなかったのかも知れない。



                                            2014年11月28日金曜日

                                            第5号

                                            ※「BLOG俳句空間」は基本隔週更新です。(記事により毎週・毎日更新もあります。毎週・毎日更新の記事は、右の[俳句新空間関連更新リスト〕ご参照ください。)



                                          • 12月の更新第6号12月12日・第7号12月26日




                                          • 平成二十六年 俳句帖毎金00:00更新予定)  》読む


                                            (12/5更新)
                                            秋興帖 第八 中西夕紀

                                            冬興帖 第二 …寺田人・曾根 毅・陽 美保子・関根誠子・小林苑を・飯田冬眞

                                            (11/28更新)
                                            秋興帖 第七 小澤麻結

                                            冬興帖 第一 …山本敏倖・中山奈々・杉山久子・福永法弘・山田露結・内村恭子



                                            【俳句を読む】
                                            • 「我が時代――戦後俳句の私的風景」の附録
                                            • 能村登四郎の戦略―無名の時代 (9)新人システム
                                              筑紫磐井 》読む

                                            【句集を読む】
                                            • 吉村毬子『手毬唄』 
                                            詩の到来を待つまでに… 田沼泰彦  》読む




                                            当ブログ媒体誌俳句新空間』を読む(毎金00:00更新)
                                            堀下翔、仮屋賢一、網野月を、浅津大雅、中山奈々… 執筆者多数  》読む
                                              およそ日刊「俳句空間」 (12月も月~土00:00更新) 
                                                日替わり詩歌鑑賞 》読む
                                                …(12月の執筆者)竹岡一郎・黒岩徳将・佐藤りえ・仮屋賢一・今泉礼奈 
                                                  大井恒行の日々彼是(好評継続中!どんどん更新)  》読む 



                                                    【時評コーナー】


                                                    • 時壇(基本・毎金更新)新聞俳句欄を読み解く
                                                      ~登頂回望~ その四十一、四十二網野月を  》読む
                                                      • 俳句時評 (隔週更新  担当執筆者: 外山一機 / 堀下翔)
                                                      『寺山修司俳句全集』を疑う  外山一機     》読む 

                                                      • 詩客 短歌時評 (右更新リスト参照)  》読む
                                                      • 詩客 俳句時評 (右更新リスト参照)  》読む
                                                      • 詩客 自由詩時評 (右更新リスト参照)  》読む 




                                                        あとがき   》読む





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                                                              作句開始10年以内の読者必見!
                                                              締切2014年12月31日!


                                                              筑紫磐井連載「俳壇観測」執筆





                                                              「角川俳句賞の60年」異聞 …筑紫磐井  》読む





                                                              【俳句時評】 『寺山修司俳句全集』を疑う 外山一機



                                                              『円錐』第六三号(二〇一四・一〇)で、今泉康弘が寺山修司に関するきわめて重要な指摘を行っている。同号に掲載された「寺山修司と『差別語』―その書き変えの問題」がそれである。今泉はすでに角川文庫から出された寺山の著作の「差別語」の書き変えを逐一調査していたという(「寺山修司におけるいわゆる「差別語」と角川文庫によるその書き変えについての資料」『日本文学論叢』法政大学大学院日本文学専攻、二〇〇四)。今泉は「角川文庫は、もはや寺山の文章を読むためのテキストではない」と述べているが、しかしながらそれ以上に驚いたのは、『寺山修司俳句全集』(新書館、一九八六)においても『寺山修司の俳句入門』(光文社文庫、二〇〇六)においても「差別語」の書き変えが行われていたということ―とりわけ『寺山修司俳句全集』においては書き変えを行った旨の断り書きが見当たらないという指摘であった。

                                                              詳しくは『円錐』を参照していただかなければならないが、たとえば今泉は青森の俳誌『暖鳥』に掲載された寺山の文章「自己形成へ―県下高校生俳句大会について」(一九五二・一〇)に見られる次の部分を挙げて、その書き変えの実態を検証している。


                                                              句にはさすがに花鳥諷詠がなく、その反面、やたらに「孤児」や「びつこ」が多かった。
                                                              これは特に山彦会員に見られた現象であつてよく言えば新興俳句的野性への目覚めであり、若さの横暴であるが一考を要するところであろう。

                                                              この部分に用いられた「びつこ」が『寺山修司俳句全集』『寺山修司の俳句入門』では「身体障害者に関するもの」という言葉へと書き変えられていること、さらにカギカッコを削除してしまっていることを指摘したうえで、今泉はこのような書き変えが「びつこ」という具体性の消失やその他の障害をも指してしまうということを懸念するだけでなく、当時の高校生俳人たちの表現者としての志向や俳句観を見えなくするものであるとしている。


                                                              寺山の記す「新興俳句的野性」とは、新興俳句のもつ革新的傾向のことだろう。それは、一つには用語の新しさであり、また一つには社会問題への志向でもあろう。というのは「孤児」とは戦争による孤児のことだと考えられるからである。同文章に引用された京武久美〈夜の蝗孤児が濡らせし重き軍靴〉にそれが暗示されている。とすれば「びっこ」もいわゆる傷痍軍人のことを描いたのかもしれない。つまり、「びっこ」という語には、そうした形での当時の高校生俳人たちの社会的関心が具体的にあらわれている可能性がある。

                                                              『寺山修司俳句全集』の刊行は一九八六年(寺山は一九八三年没)であるが、この刊行年と同書に書き変えに関する断り書きのないこととをあわせて考えれば、今泉のいうように「編集部が勝手に書き変えたということになる」とするのが自然であろう。今泉は「ハッキリ言ってしまうと、『全集』も『入門』も、俳句についての寺山の文章を読むためのテキストとしては信用できないものだ」と断言する。その通りであろう。寺山に限らず、ある俳句作品の初出にアクセスすることはしばしば困難を伴う作業となる。そうであればこそ、『寺山修司俳句全集』は俳句作品の初出や異同を示したのであろうし、こうした書誌的なことがらを丁寧に提示するという仕事ぶりに僕もまた信頼を寄せていたのである。また『寺山修司俳句全集』も『寺山修司の俳句入門』も寺山の俳句を集めたそれ以前の本と異なりアクセスしにくい寺山の俳論をいくつも収めている点が画期的だったし、そこにはまた、寺山の俳句に対する編集者の深い理解や後世に寺山の俳句を伝えようとする志のありようがうかがわれもしたのである。

                                                              実際、寺山のように他者の作品をアレンジ・コラージュして自らの作品とするような作家の場合、その作品の制作された文脈を知ることがより豊かな読みに繋がるということがある。たとえば寺山に次の句がある。


                                                              みぞれにて孤児の軍靴曠野の泥

                                                              この句は一九五二年一〇月に発表されたが、この句に先行して発表された作品に京武久美の「夜の蝗孤児が濡らせし夜の軍靴」がある。これは先の「自己形成へ―県下高校生俳句大会について」のなかで寺山が引用している句であるが、この文章が「みぞれにて」の句と同時期に書かれたことを鑑みれば、寺山が京武の句を念頭に置いて「みぞれにて」の句を詠んだと推測するのはそれほど無理なことではないだろう。今泉は京武の句に当時の寺山周辺の高校生俳人たちの社会問題への志向のあらわれを見ているが、寺山はこうした同世代の作家たちの志向を指摘しつつ、自らもまたそうした表現の渦中へと自覚的に参入していこうとしていたのかもしれない。この句は「山彦俳句会」で発表された句であるから、当然京武も目にしたであろうし、寺山もまた京武が目にする可能性を考慮に入れていただろう。ここには、同世代の俳人たちのオーガナイザーであり批評家でありつつ、一方では他者の作品を織りなおすことで同世代の他の作家に先駆けて次の一句を展開していこうとする俳句作家としての寺山の姿―そしてその織りなおしを隠すどころかあられもなく開示する寺山の姿がある。寺山の表現行為に対してはのちに剽窃であるとの批判がなされたが、こうした寺山の志向をふまえればそのような批判はむしろ不当なものであったとも思われるのである。

                                                              このように、寺山の俳句は寺山がその当時関わっていた「場」との関わりのなかで生まれてきたものであり、そうであればこそ、今回のような無断の書き変えは看過できない問題なのである。今日、『寺山修司俳句全集』を寺山の俳句や俳句に関わる文章を読む際のテキストとしている者は決して少なくないはずだ。今泉はいずれ『寺山修司俳句全集』『寺山修司の俳句入門』と初出とを比較対照したものをつくりたいと述べているが、これは決して今泉の個人的な寺山への愛着から発した言葉ではあるまい。今泉の問題意識はもっと広く共有されるべきものであると思う(なお、現在では新書館版『寺山修司俳句全集』を底本とし増補・改訂を行った『寺山修司俳句全集 増補改訂版』(あんず堂、一九九九)が刊行されている。あんず堂版を確認したところ、「自己形成へ―県下高校生俳句大会について」では新書館版と同じく書き変えが行われており、また、書き変えに関する断り書きも見当たらなかった。この点については、新書館版を底本とするのだからいわば当然のことであろうが、あんず堂版で増補された文章には書き変えが行われていないのだろうか。現在では新書館版よりもむしろあんず堂版のほうが入手しやすいと思われるだけに、気になるところではある)。

                                                              ところで、こうした差別語について加藤夏希は一九七〇年以降に規制が行われるようになったとし、次のように述べている。


                                                              一九七〇年代から起き始めた差別語問題は、「部落差別」から、「障害者差別」、「人種差別」へと徐々に枠を広げていったことが分かる。そして、児童書や小説が次々と絶版・回収に陥っていく風潮の中で、差別語問題に関わるのは「怖い」、「面倒だ」といったイメージが広まっていった。そして、『言い換え集』が多数出版され、差別語の「言い換え」のマニュアル化が進み、やがて問題の過熱化が「言葉狩り」と批判されることとなったのである。このような風潮の中で、『ちびくろサンボ』の絶版は行われた。早すぎる絶版を批判する研究者も多いが、絶版を急いだ要因には、当時の差別語問題の過熱、米国からの批判、出版社の企業イメージ回復といった背景があることは認識すべきである。 
                                                              (「差別語規制とメディア 『ちびくろサンボ』を中心に」『リテラシー史研究』リテラシー史研究会、二〇一〇)

                                                              ようするに、『寺山修司俳句全集』における書き変えが行われた一九八〇年代は、差別語への規制が次第にその対象となる枠を広げ、エスカレートしつつあった時代だったのである。興味深いのは、先の記述のなかで加藤が『ちびくろサンボ』絶版・回収の急がれた理由を、対外的な事情に見出している点である。今泉は角川文庫の措置を「事なかれ主義」と批判しているが、いわば差別語問題に関わることの「面倒」くささが寺山の作品の書き変えとして結果したのかもしれない。

                                                              だがこうした書き変えについては、それを実行した編集者や出版社の側にのみその責任を負わせてよいものではあるまい。こうした書き変えが行われたのは書き変えを望んだ者がいるからである。いうまでもなくそれは読み手―僕たち自身である。もちろん僕は差別を助長しようとは思わないし、こうした読み手の態度はある意味では真っ当なものだと思う。そして、だからこそこうした読み手の態度はいくら批判や反省をしたところで絶えることはないだろうと思うし、絶えてしまってはいけないとも思う。だが一方で、こうした態度がテキストの不用意な書き変えの呼び水となったのも事実であろう。いわば寺山のテキストを書き変えたのは僕たち自身なのである。『寺山修司俳句全集』を疑うまなざしは、反転して僕たち自身へと向けられるものでもあるはずだ。ならば、僕たちに必要なのは『寺山修司俳句全集』の改訂をぼんやりと待つことではなく、書き変えを望みつつ拒むこと―この二重性を引き受けながらその改訂を待ち受ける姿勢であろう。



                                                              第5号 あとがき

                                                              北川美美

                                                              11月最終週。 隔週になり時間の流れが加速して感じられます。12月がすぐそこです。

                                                              今号より冬興帖がスタート。

                                                              11月に新メンバーでスタートした『およそ日刊・俳句新空間』は順調に1か月更新して参りました。12月1日より、若干メンバーの入替を行い、再び毎日更新します。執筆者の皆様のご協力に感謝します。

                                                              冊子『俳句新空間』も早くもNo.3の準備中です。

                                                              先週は地元の「えびす講」(通称:エビスコ)の「えびす太鼓」を聴きにゆき、最後に振舞われる福豆をキャッチ。恵比須様がやってくるかもしれません!

                                                              2014年も残すところあと1か月ですが、当サイトでごゆるりと、様々なコンテンツをご堪能ください。



                                                              筑紫磐井

                                                              「未来図」が30周年を迎え、11月8日(土)、ホテルオークラで祝賀会を開いた。多くの会員や来賓が集まっていたが、鍵和田主宰のあいさつで、それまでの10年、20年と30年は何か違うようだ、一つの仕事が仕上がる時間が30年ではないかというような話をされていた。確かに紅顔の20代が働き盛りの50代に、50代が老境の80代になるということは、同じ作家であっても俳句そのものがそこで変質している可能性が高い。

                                                              特にその間、順調に主宰・会員が成長するだけでなく、何人かは亡くなっていることも多いから、そうなった場合は志や思想そのものが大きく変わってしまう筈だ。「未来図」に先立って祝賀の大会の行われた「玉藻」も「鷹」もそうだし、大会等考えてもいなかった「豈」だとて30年(実は34年)経ったから大きく変質している。

                                                              そういえば、いま連載している「能村登四郎の戦略」も馬酔木の30周年にやっとたどりついた。途中から出発したから丹念に30年をたどっているわけではないが、秋桜子と縁もなく創刊されたホトトギス系の「破魔矢」という雑誌が、秋桜子に主導され「馬酔木」に改題され、やがてホトトギスに造反して独立し、楸邨、波郷を輩出、山口誓子を迎えて反ホトトギスの大勢力となるなかで、戦後ふたたび蘇生の時期を迎えるという疾風怒濤の時代を見ると、まことに30年というのは長い時代であったと感じられるのである。

                                                              ただ謙虚に考えれば、この「俳句新空間」も一応30分の1を経過しようとしているのであり、疾風怒濤の一部を我々も共有しているのかもしれないのである。




                                                              作句10年以内の方必見!
                                                              締切 2014年12月31日





                                                               登頂回望その四十一・四十二 / 網野 月を

                                                              その四十一(朝日俳壇平成26年11月17日から)
                                                                                      
                                                              ◆猫を呼ぶ虚栄や朝の山粧ふ (船橋市)斉木直哉

                                                              金子兜太の選である。筆者はこの句を読み切れない。何故なら猫のことを何も知らないからだ。動物の句は色々あるが、猫と犬ほど人に密着してそのイメージが縦横無尽な存在はないだろう。彼ら彼女らは時に家族であり、時に敵対するものであり、常時われわれ人を教え導く存在でもあるのだ。作者は、自身の虚栄心を指摘することで猫の存在の何たるかを表現しようとしている。作者にとってこの猫は同等かそれ以上の格位を有しているのかも知れない。

                                                              それにしても中七後半から座五の「朝の山粧ふ」は適合しているであろうか?季題の表現に「朝の」を付加して一層複雑化している、もしくは限定的に使用している。朝起きてみたらくらいの意味で解してよいのであろうか。作者にとっては特殊な意味合いがあるようだが、読者には無関係である。筆者には季題の確定が弱いように考えられる。


                                                              ◆ドン栗が話をしたり笑つたり (所沢市)小泉清

                                                              長谷川櫂の選である。団栗を擬人法で叙した表現である。「ドン」というようにカタカナ書きすると首領(ドン)のようであって、団栗の親玉同士が談笑しているように読めたりする。団栗が降りしきる頃の情景であり、その降ってきた団栗が丸みのあるが故に転げている様を話したり笑ったりと表しているように読める。

                                                              ◆海に降る雪は音なく消えにけり (東京都)池田合志

                                                              大串章の選である。雪はどんな場合も無音なのである。地に降る時も、空を舞い降りる時もである。融ける時にも無音であり、時にヒューヒューと聞こえる時は風の音が代弁して聞こえているのである。

                                                              雪辱という言葉があり、降り敷く雪がすべてを覆い隠してしまう様子を表現して、辱を雪ぐ意に用いるのだが、海上では雪辱することなく雪は「音なく消え」てしまうのである。筆者は、この句の中に誓子の「海に出て木枯帰るところなし」の含意に似たものを感じてしまう。象徴性の高い句は教訓の句に陥ってしまうことがあるが、掲句は自然への鋭い観察眼によってその難を避けて成功している。


                                                              その四十二(朝日俳壇平成26年11月24日から)
                                                                                      
                                                              ◆果なきは青きことなり秋の空 (大和郡山市)中西健

                                                              長谷川櫂選である。評には「三席。こんなに青い空の下、人はなぜ瑣事に追われるのか。自省の一句?」と記されている。評は作者の自己存在を句中に意識している。自己投影とは若干ニュアンスが異なるが、作者の心境を慮っての句の解釈なのである。が座五「秋の空」の季題を上五中七で表現していると、素直に受け取ってもよいのではないだろうか?

                                                              果てしなく青い秋の空は、ポジティヴな表現である。当然のことに大自然に比べれば人間の何と小さいことか!その小さいことに比して自分自身の小ささをネガティヴに受け取るのか、それとも小さいながらも自分自身を大自然に投げ出して自己をも自然の一部であろうとしてポジティヴに受け取るかは夫夫の心の持ち方である。失礼ながら、この選評は評者・長谷川櫂自身の思いを重ね合わせている評ではないだろうか。当然のことであるが句の解釈は読み手の自由である。それでも筆者は、決して作者は瑣事に追われる自己を叙しているのではない、と考えたい。

                                                              ◆枯蟷螂命ばかりとなりにけり (いわき市)馬目空

                                                              長谷川櫂選である。「枯蟷螂」は未だ骸とならない状態であるから、中七座五「命ばかりとなりにけり」は「枯蟷螂」のことである。「枯蟷螂」を視る作者の目は、「枯蟷螂」を鏡として自己をその中に見出しているようにも読める。一読、シリアスな印象を与える句であるが、読み返すうちに作者の清々しい心境を句底に見出すことが出来た。後は次代へ生を継ぐだけである。実はそれが大仕事であるが。

                                                              「なりにけり」の措辞が、大きなタメを作り出していて、重荷を下ろして身軽になった感があるのだ。逆説的ではあるが、心が軽くなる思いである。


                                                              ◆稲妻に一瞬顔を見られたり (稲沢市)杉山一三

                                                              大串章選である。座五の置き方は典型的な俳句の手法である。稲妻が光って、その一瞬に顔が露わになった、ということである。ところで誰に見られたのであろうか?上五「稲妻に」とあるので稲妻を擬人法的に捉えて、顔を見たものが稲妻のようにも読めるところが面白い。



                                                              吉村毬子『手毬唄』書評~詩の到来を待つまでに~ / 田沼泰彦



                                                              吉村毬子の処女句集『手毬唄』は、ひとことで言って「評者泣かせ」の句集である。なぜならそこには、作品そのものの読解を助けようとするかのごとき作者の心配りが、過剰なまでの饒舌となって読者の前に開陳されているからだ。乱暴な言い方だが、その饒舌の数々を批評の俎上に載せるだけで、吉村毬子の俳句作家としての資質のあらかたをさらけ出すことができよう。つまり、そうした資質を捉えたうえでテクストを読み進めていけば、おおかた気の利いた句集評として、この新人作家の特性描写に説得力を持たせることは可能であろう。しかし、それはあくまでも、作家と評者が暗黙のうちに手を組み捏造した「物語」に過ぎない。「評者泣かせ」とは、そうした魅力的な「物語」を疑うところから批評を始めなければ、『手毬唄』の真実には届かないと思うからである。

                                                              もちろん「物語」を読み解くことが無意味だというわけではない。むしろ「物語」を押さえておくことは、それを疑うための第一歩でもある。それが作者自身の企図によるものなら、なおさら看過することはできないだろう。たとえば、目に映る物自体にも「物語」は宿っている。物自体とはこの場合『手毬唄』の装丁のことを指すが、本の表紙に巻かれた布地は、吉村の俳句作品に頻出する「水」のイメージを表す「水色」に染められている。そこには「毬」の一字が金で箔押しされているが、その文字は、吉村が敬愛する俳人である安井浩司の直筆色紙、「大鶫ふところの毬の中るべし」から採られている。こじつけかも知れないが、この句集が、安井の愛読書として、それこそふところにしまわれるほど大切にされますように、との吉村の願いが込められていると読むこともできよう。こうした物に現れた企図や願望には、自著を自らの分身(=肉体)として捉えたいという極私的な欲望が働いていると思われる。

                                                              著者の自著に対する欲望は、こと装丁だけには留まらず、当然のことながら作品テクストにも現れて然るべきだが、『手毬唄』の場合は少し事情が異なる。作品テクストを補完する意味合いで、短い散文テクストが巻末に二本掲載されているからである。一本は、吉村が所属する同人誌に掲出されたエセーの再録で、「景色」と題された原稿用紙六枚超の短文だが、「あとがき」には「自然から受ける恩恵で句作していることへの感謝を書き残しておきたかった」と控えめな言い方をしてはいるものの、いくつかの私的体験から派生した思考過程の背後に、自身の句作原理をほのめかそうとした「宣言」には違いない。

                                                              多分、それは景色であろう。私を取り巻く諸々の温度、陰陽、色彩、音、質感その全てである。(中略)日本という地の四季、風土記に浸りながら、あえかに生を閉じてゆくことが、現在の私の詩である。(『手毬唄』所収の「景色」より冒頭部分を引用)

                                                              文中「それは」とは、吉村自身の俳句観のことと思われるが、そうした概念の感覚化には、女性ならではの、あるいは女流特有の捉えかたと言えるだろう。女流という括りの良し悪しはともかく、吉村はどちらかといえば、女流俳人としてのこうした「女性性」にこそ、自らの詩的足場を確保しようとしていると思われる。そもそもの創作原理に関わる欲望と言ってもいいそれは、もうひとつの散文テクストでより明確に語られている。

                                                              それは巻末の「あとがき」のことだが、そこには三人の女流俳人の言葉が引用されている。一人は、戦後俳句を変革へと導いた高柳重信とともに、同人誌「俳句評論」に集った急進派をまとめ上げた中村苑子で、吉村にとっては文字通りの師である。また、三橋鷹女は苑子の一つ上の世代で、前衛的な女流俳人として伝説的な存在である。言うまでもないが、この二人はすでに故人である。三人目は吉村の同人仲間である豊口陽子で、前述した吉村が敬愛する俳人安井浩司の唯一の弟子である。「あとがき」は、この女性三人の言葉によって鼓舞された吉村の、俳句に対する決意「宣言」で閉じられている。

                                                              私の全身が変貌しようとも、私の血は私の詩である。(中略)この身の肉が裂け、血が迸り地に渇くまで、私は彼方の俳句を目指して書き綴っていかなければならないのである。(『手毬唄』の「あとがき」より文末部分を引用)

                                                              「全身が変貌する」とは、極端に言えば我が身が躯になってもということだろう。たとえ死が訪れようとも、吉村の体内を流れる血が詩であることに変わりはない。つまり、吉村毬子という「詩」は永遠だという願望のもと、自身の表現行為に対する決意が語られる。「私の血は私の詩である」という断定からは、短歌の世界ではあるが、これも女流における前衛歌人の代表的存在であった山中智恵子の、「私はことばだった。」という一語が想起されよう。このように「ことば」にしろ「詩」にしろ、作品世界を構築する原理そのものを、「私」や「血」といった主体そのもの、言うなれば自らの分身と捉える極私的志向こそは、女流作家に特有の存在様態であり、吉村とて決して例外ではないわけだ。

                                                              極私的な欲望と女性性という2つの観念(=物語)は、いずれ「肉体」という物質(私の血=私の詩=作品)へと収斂されていくのは当然で、『手毬唄』は極めて忠実にその物語をなぞって進んでいくと言える。巻頭頁と巻末頁から、それぞれ並んだ2句を引用する。

                                                                金襴緞子解くように河からあがる
                                                                日論へ孵す水語を恣(ほしいまま)

                                                                菊石を抱く中陰の漣(さざなみ)よ
                                                                水鳥の和音に還る手毬唄

                                                              きらびやかなうえに枷のように重たい「金襴緞子」を脱いだ「私」は、母鳥が卵を温めて生まれ出た子を伸び伸びと自由に育てるように、「私という言葉」=「水語」を我が意のままに扱って「私の血」=「私の詩」を創る。そうやってできた「私の肉体」と言うべき句がこの句集に収められた全てである。それは、やがて肉体としての死を迎えるが、魂となってふたたび蘇るまでのあいだ、アンモナイトのように身を丸くして、ただ波の音に耳を傾けていよう。その繰り返す漣は、いつしか手毬を突く単調な音となって、和音としての永遠を獲得するだろうから。

                                                              以上が『手毬唄』における物語の枠組であり主題である。この主題が、極私的な欲望という推進力を得て、女性性という水先案内に導かれ、様々な変奏曲となって物語を紡いで行く。そのようにして出来上がった織物は、水のように形を成さないという意味で自由であり奔放であるはずだ。それは、吉村が執着する女性性のことだ。そうした女性性は、吉村が崇拝する先達によってもたらされたものだが、それは吉村の欲望そのものと見事に折り合っている。欲望の主体である肉体=作品が、そうした女性性への欲望に極めて忠実だからである。それは、本句集の読後感に、ある種の安定感を付与している。さらにその安定感が、『手毬唄』の全体を通して、成功作という印象をもたらしている。

                                                              この書評はここで幕を引いてもよいかもしれない。つまり、吉村毬子の処女句集『手毬唄』は、作者の意図するポエジーが処女句集らしく極めて素直に作品全体を貫いており、吉村はこのポエジーを自らの肉体と刺し違えることで、水の如き永遠性を獲得しようとしていると、いささか長過ぎる印象批評を締めくくることは可能だ。これに次作以降への期待を込めれば、より立派な書評が完成するだろう。だが、吉村の俳句的資質を批評するのに、作者自身が企図した「物語」に同調し、そのお行儀のよさを「ささやかな成功」として拍手を贈るだけでいいのだろうか。そうした善意が、果たして作家の将来に有益なのだろうか。批評にまつわるこうした事情は、こと吉村に限った話ではない。特にネット上に蔓延(はびこ)る掃いて捨てるほどの書評や句集評が、都合のよい「物語」を捏造した挙句、「成功」をほのめかすことであらゆる方面からの反論に対する逃げ道を確保しようとしているように見えるのは、なにも筆者の疑心暗鬼によるものばかりではないだろう。

                                                              乱暴な言い方かもしれないが、吉村は『手毬唄』の冒頭で「金襴緞子解く」と書き付けながら、「金襴緞子」という「物語」を完全に脱ぎきってはいなかったのではないか。だから、「恣」なはずの「女性性」がかえって足枷のようになって、その作品を肉体の内へと閉ざそうとするのだ。『手毬唄』をなんどか読み通して感じるのは、こうした肉体的に感受し得る「閉塞感」だ。それは吉村の「極私的な欲望」に起因しているに違いないが、そこに原因を求めるのでは単なる印象批評に終わるだろう。この「閉塞感」をもたらしている大元には、俳句特有の原理が働いていると思われる。それは、俳句という「形式」と作者という「主体」との軋轢、あるいは俳句という「形式」と「詩」との齟齬、と言ってもよいだろう。つまり、吉村が企図した「物語」そのものが、俳句という文学形式にとって、ある種の反作用をもたらしているということである。そして、こうした反作用こそは、他でもない「俳句の欲望」によって引き起こされている。言うなればそれが、俳句という原理であろう。

                                                              あくまでも仮定の話だが、もし高柳重信ならば、こうした「俳句の欲望」を指して、それをも含めて「俳句形式」と呼んだかもしれない。重信ほど、「主体」やら「詩」やらを抹消し凌駕する「形式」の強さに対し、自覚的だった俳人はいないと思うからだ。そしてそれを彼は、「俳句の無間奈落(『敗北の詩』)」と呼んだ。鷹女にしろ苑子にしろ、重信のもとにいて、この「無間奈落」を垣間見たはずの数少ない俳人に違いない。そもそも吉村俳句に、先達が到達した「物語」を当てはめること自体が、時期尚早なのは否めないだろう。処女句集は「未来」という希望によって成立しているともいえるが、ならばはっきりと来世の見取り図を描くべきではないだろうか。

                                                              極私的な欲望であれ、女性性であれ、それはなんでも同じだと思うのだが、「物語」が足枷である以上、そこに執着することに意味はない。その執着から逃れるためには、いったん「俳句の欲望」に身を任せてみるのも手立てではないだろうか。『手毬唄』の中には、「俳句の欲望」に導かれたと思える句が数句登場する。掲載順に以下に引用するが、それは引用した七つの句にこそ、吉村俳句が辿るべき道行きが垣間見えるからに他ならない。

                                                              睡蓮のしづかに白き志(こころざし)
                                                              吊橋に遊ぶ祭りのだらり帯
                                                              月光へ抛る林檎を鹿と視る
                                                              蝉時雨何も持たない人へ降る
                                                              母とゐて蒼穹の鳶見失ふ
                                                              秋冷の鶏鳴く方へ片詣り
                                                              縄文の欠片遍く絞り神

                                                              これらの句は、詩的というよりは少しだけ写実が勝っていると思われる。それは日常的な世界を写したという意味ではない。俳句という日常が立ち上がっているという意味だ。つまり、「俳句の欲望」によって俳句が作られている。そこには、作者である吉村毬子の顔はない。この主体を抹消するとは、俳句にとっての、いや創作そのものの、「地獄降り」と言えるほど困難なことだ。が、「詩」とはおそらく、その後にしか到来しないはずだ。あえて言うが、吉村が自らの俳句的未来を賭ける場所は、そこにしかあるまい。(了)

                                                              2014年11月14日金曜日

                                                              第4号

                                                              ※「BLOG俳句空間」は基本隔週更新です。(記事により毎週・毎日更新もあります。毎週・毎日更新の記事は、右の[俳句新空間関連更新リスト〕ご参照ください。)




                                                            • 11月の更新(第4号11月14日/第5号11月28日更新予定)




                                                            • 平成二十六年 俳句帖毎金00:00更新予定)  》読む

                                                              ,秋興帖 第六 (もてきまり・西村麒麟・飯田冬真・月野ぽぽな・筑紫磐井・岡田由季・音羽紅子・後藤貴子・竹岡一郎・仲寒蟬・福永法弘・山田露結・大井恒行・北川美美・仮屋賢一


                                                              秋興帖 第五 (寺田人・川嶋ぱんだ・木田智美・瀬越悠矢・小林苑を・林雅樹・山本敏倖・内田麻衣子・関根誠子・佐藤りえ・望月士郎

                                                              秋興帖 第四  (下坂速穂 ・岬光世 ・依光正樹 ・依光陽子・早瀬恵子・真矢ひろみ・羽村美和子・網野月を



                                                              【俳句を読む】
                                                              • 上田五千石を読む (49)【オノマトペ】
                                                               (熱燗やろんろろんろと鬼太鼓 )
                                                              しなだしん  》読む

                                                              【句集を読む】
                                                              • 三橋敏雄『真神』を誤読する (103)
                                                              (舂く日靴屋は山へ帰りゆく)
                                                              北川美美  》読む



                                                              当ブログ媒体誌俳句新空間』を読む(毎金00:00更新)
                                                              堀下翔、仮屋賢一、網野月を、浅津大雅、中山奈々… 執筆者多数  》読む
                                                                およそ日刊「俳句空間」 (11月は月~土00:00更新) 
                                                                  日替わり詩歌鑑賞 
                                                                  黒岩徳将・青山茂根・今泉礼奈・仮屋賢一・北川美美 》読む
                                                                    大井恒行の日々彼是(好評継続中!どんどん更新)  》読む 



                                                                      【時評コーナー】


                                                                      • 時壇(基本・毎金更新)新聞俳句欄を読み解く
                                                                        ~登頂回望~ その四十、四十一網野月を  》読む
                                                                        • 俳句時評 (隔週更新  担当執筆者: 外山一機 / 堀下翔)
                                                                        仁平勝の遊びに付き合う   堀下翔     》読む 

                                                                        • 詩客 短歌時評 (右更新リスト参照)  》読む
                                                                        • 詩客 俳句時評 (右更新リスト参照)  》読む
                                                                        • 詩客 自由詩時評 (右更新リスト参照)  》読む 




                                                                          あとがき   》読む





                                                                                当ブログの冊子!-BLOG俳句空間媒体誌- 

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                                                                                角川俳句賞特集‼
                                                                                新人誕生の歴史!筑紫磐井
                                                                                多作多捨って、面白い! 本井英、中西夕紀 ほか
                                                                                「角川俳句賞の60年」異聞 …筑紫磐井  》読む