2019年9月27日金曜日

第122号

※次回更新 10/11

  【速報!】第5回攝津幸彦記念賞応募選考結果


  【第2弾予告!】怒涛の切れ特集!
  切字・切れの大論争開始!
  令和の秋は、歴史的な切れ論終焉の秋(とき)か!


■平成俳句帖(毎金曜日更新)  》読む
令和花鳥篇
第一(8/23)神谷 波・曾根 毅・松下カロ
第二(8/30)杉山久子・渕上信子・夏木久
第三(9/6)小林かんな・早瀬恵子・木村オサム
第四(9/13)浅沼 璞・小野裕三・真矢ひろみ
第五(9/20)林雅樹・渡邉美保・家登みろく
第六(9/27)小沢麻結・井口時男・岸本尚毅・仙田洋子

■連載

【抜粋】〈俳句四季10月号〉俳壇観測201
昭和の風景を思いだしてみる ――藤原月彦と山内将史を覚えているか
筑紫磐井》読む

【抜粋】〈俳句四季10月号〉
最近の名句集を探る第64回――齋藤慎爾・今泉康弘・野口る理・司会 筑紫磐井
筑紫磐井》読む

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~⑳ のどか  》読む

麻乃第2句集『るん』を読みたい
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15 「るん」の風/木村リュウジ  》読む

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
6 『櫛買ひに』を読む/山田すずめ 》読む

句集歌集逍遙 木下龍也・岡野大嗣『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』/佐藤りえ  》読む

葉月第1句集『子音』を読みたい 
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7 生真面目なファンタジー 俳人田中葉月のいま、未来/足立 攝  》読む

佐藤りえ句集『景色』を読みたい 
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7 佐藤りえ句集『景色』/西村麒麟  》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中!  》読む


■Recent entries

特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」 筑紫磐井編  》読む


「兜太と未来俳句のための研究フォーラム」アルバム

※壇上全体・会場風景写真を追加しました(2018/12/28)

【100号記念】特集『俳句帖五句選』


眠兎第1句集『御意』を読みたい
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麒麟第2句集『鴨』を読みたい
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前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
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「WEP俳句通信」 抜粋記事  》見てみる

およそ日刊俳句新空間  》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
5月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む  》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子






「俳句新空間」10号発売中! 購入は邑書林まで


豈61号 発売中!購入は邑書林まで


「兜太 TOTA」第2号
Amazon藤原書店などで好評発売中

筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。

【速報】第5回攝津幸彦記念賞応募選考結果

◆第5回攝津幸彦記念賞◆

   選考委員 池田澄子 高山れおな 筑紫磐井


正賞 打田峨者ん「我が命名罪」

準賞 なつはづき「ぴったりの箱」
   佐藤りえ「リクビダートル」の2名


受賞者と受賞作品は「豈」62号で発表されます。


寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~⑳ のどか

第2章‐シベリア抑留俳句を読む
Ⅴ 高木一郎(たかぎ いちろう)さんの場合(4)

【】の表題は、『ボルガ虜愁』で高木さん自身のつけた表題である。
以下*は、『続・シベリヤ俘虜記』『ボルガ虜愁』の随筆をもとにした筆者文。

【子は膝へ炭火美し妻も来よ】 ダモイ 
忍従の街を去りつつ踏む落葉 (ボルガ虜愁)
添え書き:22.10.8 エラブカからキズネルまで2泊3日。一夜は吹雪の中の野宿。一夜は教会堂。今度こそは本当のダモイと信じて。

*強制労働や飢えに耐えに耐えた街に別れを告げて、キズネルの駅に向って落葉の道を歩みだす。一夜は吹雪の中の野宿。一夜は教会堂に泊まりながら。来る時は、炎暑の中を水も飲めずに歩いた80キロの道のりを、今度は本当のダモイと信じ、枯葉を踏んで行くのである。

バイカルの凍魚ひさぎて寡婦といふ (ボルガ虜愁)
添え書き:琵琶湖の50倍と言われるバイカル湖・海と同じ波が打ち寄せていた。

*バイカル湖のあたりに停車した時、凍った魚を売り歩く女性がいた。聞けば寡婦だという、ソ連はドイツとの闘いで多くの若い男性を失っている。生きるためにソ連の民も必死なのである。

貨車揺れて揺れてシベリヤの大枯野(続・シベリヤ俘虜記)(ボルガ虜愁)

*虱磁石にいざなわれ西へ西へ運ばれたシベリア鉄道を今度は逆に走っている。シベリヤの大枯野をダモイと信じて、貨車に揺られるのである。
 
貨車揺るる隙間風にも耐へるべし (ボルガ虜愁)
添え書き:10.31ナホトカ(貨車輸送20日間)11.1ナホトカ第2分所 11.2第3分所 11.3 栄豊丸乗船 11.4出航

*貨車の隙間からシベリヤの大枯野を見ながら、揺られること20日間。今度こそダモイだという確信に、冷たい隙間風にも耐える力が湧いてくる。昭和22年10月31日やっと帰還の港ナホトカに着いた。帰還の仲間を満載した栄豊丸が11月4日日本に向かい出航した。11月6日船は函館に入港するが、引揚受入態勢の不備のために1週間船内生活をして、11月12日下船。11月15日函館出発。11月17日夜名古屋に着く。

子は膝へ炭火美し妻も来よ(続・シベリヤ俘虜記)(ボルガ虜愁)
添え書き:両親再会。20.8.12牡丹江駅で生別した妻子3人とも無事再会
二児連れて冬生き抜きて還りし妻  (ボルガ虜愁)
添え書き:妻子3人は21年5月 難民として奉天からコロ島を経由佐世保へ引揚げ

*名古屋で家族に再会した高木さん。二人のお嬢さんはすかさず座っている膝へ飛び込んだのであろう。それを少し離れてみている妻を近くに呼んで、四人で抱き合う。美しく温かい炭火の炎が静に揺れているのである。
 家族の生還を喜びながら、互いのこれまでの話を聞き、妻が二人の子どもを連れて無事に帰ってきたことをありがたいと思う高木さんである。

【高木一郎さんの作品を読んで】
 ナホトカの検査でメモを発見されたら、帰国取り消しでシベリアへ逆戻りと聞いて、かねてから収容所生活で詠んだ俳句と友の住所をすべて暗記しておいた。句帳はナホトカの浜辺で焚火に放り込んだ。と『続・シベリヤ俘虜記』P.113
に書かれている。『ボルガ虜愁』に収められた作品が、高木さんの暗記によって持ち帰ったもので有ることに驚きを覚える。
 高木さんの俳句は、抑留生活の辛さを詠う句の他に子どもを思う句、地元の子どもや娘さんの句、ペチカの火を守りながらの手作業の句、ラーゲリに咲く花の句と色合いが多彩なのである。辛い強制労働のさなかにも、空腹に野草を摘む道の辺にあっても、自分の葛藤から気持ちを遠く飛ばして俳句を考えている。そこには高木さんの広く物事を受け止めるこころの広さや優しさがあるのだ。
 高木さんは、「ボルガの仲間」の桜井徹郎(江夢)、高島直一(秋蝶)との対談の中で、「僕は例えば〝俳句は何のためにあるのか”ということに苦しんじゃってね。最後にこういうことをいわれたんです。〝お前つまらんことを考えるな。何のためでもいいじゃないか。俳句なんてものは滅亡するものだとか何とか彼らが言ったって、芸術至上主義というもので物を考えたらどうだ”というようなことをね。と書き、『ボルガ虜愁』のあとがきP.138には、「ラーゲリ生活の異常環境の中で、自分を失わずにすんだのは、俳句と句友のおかげであったと感謝している。」と書いている。
 シベリア抑留の境涯において、捕虜仲間が次々に逝くなかで死の恐怖と生きることへの欲望に苛まれ、俳句は何のためにあるのかという根本的なことに悩みつつ、心の中に湧いてくる思いや葛藤、人間関係の中の理不尽や悲しみなどを俳句としてゆくことでの洞察や心の成長の過程で、自己を励まし逆境に適応して生き延びる力(レジリエンス)を得たのだ。
 そして、月に1回開かれる句会で、打ち解けあう仲間を得たことは、苦難に心折れそうなとき、大きな力となったのである。
 高木一郎(一郎)さんと高島直一(秋蝶)さんが編集し、ラーダ、エラブカ、カザンで開かれた句会の俳句の仲間である、青井東平(東平洞)、古屋道雄(征雁)、堀川辰之助(辰之助)、加藤正銘(鹿笛子)、越智一嘉(鬼灯子)、桜井徹良(江夢)等、9名の作品を纏めた、「シベリア句集‐大枯野」が1998年8月15日、戦後47年目に発行されている。
 この句集は、第1部:終戦・入ソの旅、第2部:ラーダ収容所、第3部エラブカ収容所、第4部:カザンの巻、補遺:「新樹句会記」など、時系列にまた地域別に句会の内容がまとめられていることを書き添える。
 
参考文献
『続・シベリヤ俘虜記~抑留俳句選集~』小田保編 双弓舎 平成元年8月15日
『ボルガ虜愁』 高木一郎著(株)システム・プランニング 昭和53年9月1日
『関東軍壊滅す~ソ連極東軍の戦略秘録~』ソ連邦元帥マリノフスキー著 石黒寛訳 徳間書店 昭和43年4月20日

【抜粋】〈俳句四季10月号〉俳壇観測201 昭和の風景を思いだしてみる ――藤原月彦と山内将史を覚えているか 筑紫磐井

 平成が過ぎたばかりだが、最近、平成を通り越して昭和のノスタルジーを思い起こさせる本を読む機会が増えた。最近の若手たちが余り読むことのない昭和・世紀末の一風異なる美意識を感じるのも悪くない。

●藤原月彦『藤原月彦全句集』(二〇一九年七月六花書房刊/三二〇〇円)
  藤原月彦と言っても知る人は少ない、歌人藤原龍一郎の俳号である。本書は、彼の過去六冊の句集の集成だが、これらの句集が出たときにはまだ歌人藤原龍一郎は誕生していない。先ず肩書きのない藤原龍一郎がいて、次に俳人藤原月彦が誕生し、その後歌人藤原龍一郎が生まれた。極めてややこしい。
 納められた六冊の句集とは、『王権神授説』『貴腐』『盗汗集』『魔都 魔界創世紀篇』『魔都 魔性絢爛篇』『魔都 美貌夜行篇』である。昭和五〇年(二三歳)から始まる句集歴は実に早熟である。さらに、最後の句集は平成元年=昭和六四年(三七歳)であることを思えば、これらは昭和の最後を飾った句集であったのだ。この最後の句集の後、藤原は第一歌集『夢見る頃を過ぎても』(平成元年邑書林)を著し、翌年短歌研究新人書を受賞して以後花々しい歌人の道を進んでいる。だからその後句集は出ていない。句集帯文が「一九七三年、鮮烈に登場、六冊の句集を遺し、駆け抜けていった俳人の全貌」という夭折俳人の遺句集のような書き方をしているのはこうした訳があるのである。
 藤原の句歴は一九七三年、高柳重信の「俳句研究」の第一回五〇句競作の佳作に入選したことに始まる。その後赤尾兜子の「渦」に入会、『王権神授説』を在学中に上梓した。藤原が関係した句集の出版社を見れば、深夜叢書社(齋藤愼爾)、端渓社(大岡頌二)、冬青社(宮入聖)という単なる営利出版社でない一流の目利きのもとからすべて出している。藤原にとっては句集は出せばいいものではなく、こうしたブランド力こそが大事なのである。慶応法学部に合格したが、翌年早稲田第一文学部に入り直しているのもそうした所以であろう。
     *
 私が藤原を知ったのは、『魔都』シリーズからだが、このシリーズは奇想天外な告知をしている。「全一〇〇巻の構想を持つ」「空前の大河大ロマン句集」というのだ。あと九七冊続く予定であったらしい。そして、ここにあるのは、都市風俗、怪奇怪談、中世伝説、乱歩趣味、神話犯罪、観工場博覧会、似非西欧、魑魅魍魎の跋扈する倒錯の万華鏡であり、藤原一流の美意識にかなうものばかりだ。

宝石の名の〝少年男娼(ジルベール)〟黄水仙
五月嗚呼ドミノ倒しはおもしろき
雪の日暮を兜子のやうに吐息ふと
父の自死桔梗変と呼ぶほかなし
春は酣なぜに美少女堕ちる魔都
聖夜みな踊れよジルバ炎(ひ)よ燃えろ
相対死ありもの凄き花野あり
月光に自転車群るる綺譚かな


 忘れられた中で復活した藤原は、実は攝津幸彦、大本義幸らの逝った後の「豈」の唯一の創刊同人であり、今も媚庵の名で俳句を詠む。国宝級の前衛作家であると言いたい。
     (以下略)

※詳しくは「俳句四季」10月号をお読み下さい。

【抜粋】〈俳句四季10月号〉最近の名句集を探る第64回――齋藤慎爾・今泉康弘・野口る理・司会 筑紫磐井

▼佐藤リえ句集『景色』
筑紫 今回最後の句集は佐藤りえさん『景色』(六花書林)です。
 佐藤さんは昭和48年生まれ。今年46歳の方ですね。もともと短歌を作られていて、歌集も出されていたと思います。「豈」の同人です。
 これが第一句集ですが、詠み方としては、先月から五冊読んできた中でもとりわけ頼りないような、漂うような詠み方で、それが個性なのかもしれません。逆に言うと、先月最初に読んだ人牧さんの句集から比べると、ここまで俳句は変わってきているんだなという気はしました。
 口語だけど旧漢字を使っていたり、定型のきっちりとしたリズムで作っている句はそう多くないので、散文的というのか、短歌の影響も少しあるのかもしれないなと思います。
人間に書けない文字や未草」。よくよく考えると不気味な句のような気がします。
 もうちょっとリアルに不気味なのは「ゴーヤ爆ぜて独居老人留守の家」。これは爆弾だったら人変なことですね。「まだ誰も帰つてこない茸山」。この句は伝統俳句でもありそうな気もしますけれど、欠落感、ちょっと怖いなという感じもあります。
 でもそればかりではなくて、「ここへ来て滝と呼ばれてゐる水よ」。発見と言えば発見かもしれないですね。「生存に許可が要る気がする五月」。なるほど、そういうふうに感じる人もいるのかなと思う句です。
繁殖も繁茂もをかし額の花」。先月号で取りしにげた中嶋鬼谷さんに「西行忌花と死の文字相似たり」という句かおりましたが、こちらは「繁」の字に一字変えるだけで動物から植物へと移っていってしまう、そういう面白さがあります。
 多分これは伝統俳句の句会に出しても大丈夫だと思うんですが「罪よりもわづかにかろき繭を煮る」。あとは「日傘など呉れて優しい男かな」。なかなか正面からこれだけ詠める人はいないのではないかなという気がします。
アントニーからウイルス削除の小鳥来る」。「アントニー」が何だかわからないけど面白い。「バスに乗るイソギンチャクのよい睡り」。これは雰囲気が楽しいですね。
 佐藤さんはこの句集を出したばかりで豆本のような句集も出していまして、この句集からの一部と新しく作った句でまとめて『いるか探偵QPQP』という自家製の句集ですが、テーマは推理小説で、最後に小説がついています。序文がわりの結末のない小説ですね。非常に構成力があり、新しいことを次々にやろうとしている方のようですね。

2019年9月13日金曜日

第121号

※次回更新 9/27

  【第2弾予告!】怒涛の切れ特集!
  切字・切れの大論争開始!
  令和の秋は、歴史的な切れ論終焉の秋(とき)か!


■平成俳句帖(毎金曜日更新)  》読む
令和花鳥篇
第一(8/23)神谷 波・曾根 毅・松下カロ
第二(8/30)杉山久子・渕上信子・夏木久
第三(9/6)小林かんな・早瀬恵子・木村オサム
第四(9/13)浅沼 璞・小野裕三・真矢ひろみ


令和春興帖
第一(5/24)仙田洋子・松下カロ・曾根 毅・夏木久
第二(5/31)杉山久子・辻村麻乃・乾草川・池田澄子
第三(6/7)田中葉月・大井恒行・岸本尚毅・ふけとしこ
第四(6/14)前北かおる・坂間恒子
第五(6/21)浅沼 璞・網野月を・堀本 吟・川嶋健佑
第六(6/28)内橋可奈子・福田将矢・とこうわらび・工藤惠
第七(7/3)木村オサム・真矢ひろみ・水岩瞳・家登みろく
第八(7/12)内村恭子・林雅樹・神谷 波・北川美美・中村猛虎
第九(7/19)羽村美和子・小野裕三・山本敏倖・仲寒蟬・飯田冬眞
第十(7/26)渕上信子・望月士郎・井口時男・青木百舌鳥・花尻万博
第十一(8/2)西村麒麟・下坂速穂・岬光世・依光正樹
第十二(8/9)依光陽子・小沢麻結・近江文代・佐藤りえ
第十三(8/16)筑紫磐井


■連載

【転載】昨年の原稿から(「壺」30年8月号より)  筑紫磐井 》読む

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~⑲ のどか  》読む

麻乃第2句集『るん』を読みたい
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15 「るん」の風/木村リュウジ  》読む

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
6 『櫛買ひに』を読む/山田すずめ 》読む

句集歌集逍遙 木下龍也・岡野大嗣『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』/佐藤りえ  》読む

佐藤りえ句集『景色』を読みたい 
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7 佐藤りえ句集『景色』/西村麒麟  》読む

葉月第1句集『子音』を読みたい 
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7 生真面目なファンタジー 俳人田中葉月のいま、未来/足立 攝  》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中!  》読む


■Recent entries

特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」 筑紫磐井編  》読む


「兜太と未来俳句のための研究フォーラム」アルバム

※壇上全体・会場風景写真を追加しました(2018/12/28)

【100号記念】特集『俳句帖五句選』


眠兎第1句集『御意』を読みたい
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麒麟第2句集『鴨』を読みたい
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およそ日刊俳句新空間  》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
5月の執筆者 (渡邉美保

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…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子






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筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。

【第2弾予告!】怒涛の切れ特集!切字・切れの大論争開始! 令和の秋は、歴史的な切れ論終焉の秋(とき)か!

●「豈」第62号/特集・現代俳句の古い問題「切字と切れは大問題か」(10月上旬刊行予定)

川本皓嗣「切字とは何か、何だったのか」
仁平勝「「切れ」よ、さらば」
高山れおな「自句自解切字之弁」
筑紫磐井「「切字・切れ」よさようなら、「文体」よ今日は――現代俳句をどう詠むか」

●「俳句」10月号・大特集「名句の「切れ」に学ぶ作句法」(9月25日刊行予定)

*総論・切れとは何か?・・・川西雅子
*名句の「切れ」に学ぶ
*読み手によって句の解釈が変わる「切れ」
*実作「切れすぎ」と推敲のポイント

【参考文献】
◆高山れおな 第1評論集『切字と切れ』(好評発売中)


57年ぶりに登場した総合的切字論である本書は、平安時代の前史から現在にいたる切字・切字説を通覧。「切れ」が俳句の本質でもなければ伝統でもなく、「切字説」というカオスから1970年代に生まれた概念であり、錬金術における「賢者の石」にも似た一種の虚妄であることをあきらかにする。平成中後期俳壇を覆った強迫観念を打破する画期的論考!

主要目次
第一部 切字の歴史
第一章 切字の誕生
第二章 芭蕉と切字
第三章 「や」の進撃と俳諧の完成
第四章 古池句精読
第二部 切字から切れへ
第五章 「切字/切れ」の現在
第六章 切字の近代
第七章 国語学と切字
第八章 切れという夢

発売元;邑書林
定価:1819円+税

●川本皓嗣『俳諧の詩学』(近刊)

芭蕉や子規の句を、世界文学の地平で読む!
発売元:岩波書店


【転載】昨年の原稿から(「壺」30年8月号より)  筑紫磐井

 ――齋藤玄が創刊した「壺」(現在、高橋千草主宰)という雑誌があり、その雑誌に「俳句望羊」という欄があり、以下の記事は昨年8月に寄稿したものである。ちょうど当時あったいろいろな事件を踏まえて時評風に描いたものであるが、メインテーマは社会性俳句に関するものであった。
 1年後の今年8月、再び社会性俳句について同じコラムで書く機会があったので、以前の原稿も読めるようにした方がいいと思い掲載させていただくことにした。高橋主宰、河原編集長に転載のお許しを頂いたお礼を申し上げる。

●現代の社会性俳句
                   筑紫磐井


 最近の俳壇の最もホットなニュースとしては、今年の二月に九八歳で長老金子兜太がなくなったことと、その兜太亡き後の朝日俳壇の選者に四九歳の高山れおなが就任したことであろう(朝日新聞六月一七日発表)。特に、高山は一度も結社に入ったことなく、一貫して同人誌「豈」で活動してきたことで余り俳壇的にも知られていない作家であったから衝撃的であった。
 しかし、金子兜太ーー高山れおなという系譜は、ある意味もっともなところもある。彼らの作品を眺めてみよう。

原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ           兜太
華麗な墓原女陰あらわに村眠り
麿、変?                        れおな
げんぱつ は おとな の あそび ぜんゑい も


 このように、兜太以後、社会性・前衛の系譜を継いでいる四十代作家は高山れおなしかいないという意味では、朝日俳壇選者の選定は一貫しているのである。
     *      *
 この二人を考えたとき、今は昔となっている「社会性俳句」を思い出した。「社会性俳句」とは、昭和三〇年代の一時期に前衛俳句に先がけて猖獗を極めた俳句運動であり、金子兜太、佐藤鬼房、鈴木六林男などの他に、その後伝統俳句に回帰した沢木欣一、能村登四郎なども活躍していた時期があった。しかしその俳句は、文学性が乏しく、社会的メッセージにすぎないという批判が、伝統俳句からも前衛俳句からも寄せられ、今では殆ど語られることも少なくなった。しかしそれは正当な評価であったろうか。
 赤城さかえの名著『戦後俳句論争史』によれば、社会性俳句は角川書店から創刊されたばかりの「俳句」で大野林火編集長が就任そうそう編集した特集「「俳句と社会性」の吟味」(昭和二十八年十一月)を契機に始まったと言い、それが通説となっているが、どうもそれは間違いらしい。例えば、「寒雷」(後に「鶴」)の作家岸田稚魚が、基地問題を詠った大作「演習水域」を昭和二十八年二月に詠んでいることからも立証される。私の仮定では、実は社会性俳句の嚆矢は「馬酔木」「寒雷」「鶴」の伝統作家たち――特にその中のリアリズム派が、自然以外の社会を詠むことによって厳しい社会批判を行ったことに始まる。
 そして実は、本誌「壺」もまんざらそれに無関係ではないのである。東大医学部を終え軍医として北支に派遣後、病気を得て帰還し、北海道の函館病院に勤務していた相馬遷子という作家がいる(後に、馬酔木の同人会長となり、俳人協会賞を受賞した)。北海道時代、「馬酔木」「鶴」の同人であった関係から齋藤玄と密接な交流があり、一時「壺」同人となっていたのである。
 遷子は函館病院の後は、故郷の佐久に戻り、開業医を務めた。そして昭和二十二年以降自分が病気になる四十年代まで、一貫して開業医として俳句を詠み、その中で、自分も、社会も、行政も、地域に対しても、批判的な筆致で医療弱者を詠み続けた。前述の昭和二十八年が通説の社会性俳句元年とすればそれ以前から、さらに社会性俳句がすっかり時代後れになった時代まで、社会性俳句を営々と詠み続けたのである。是こそ真の社会性俳句ではないか。
 なぜ開業医俳句が社会性俳句となるのか、―――それは地域医療の最末端の開業医にあらゆる社会的矛盾が押し寄せてくるからである。最も貧しい佐久は日本一脳卒中死亡者の多い後進医療地域であったのである。
 例をあげてみよう。

正月も開業医われ金かぞふ      二三年
自転車を北風に駆りつつ金ほしや  
往診の夜となり戻る野火の中     二八年
陳情の徒労の汗を駅に拭く      二九年
愛国者国会に満つ日短き
ストーブや患者につづる非情の語   三〇年
汗の往診幾千なさば業果てむ     三二年
筒鳥に涙あふれて失語症       三四年
貧しき死診し手をひたす山清水    三五年
隙間風殺さぬのみの老婆あり     三六年
卒中死田植の手足冷えしまま     四一年
病者とわれ悩みを異にして暑し    四二年
凍る夜の死者を診て来し顔洗ふ    四三年


 こうした社会性俳句が日の目を見るのは、現在では朝日俳壇だけなのである。事実、金子兜太はなくなるまで反戦俳句を顕彰し、「アベ政治を許さない」と糾弾した。四十代の高山れおながどのように社会の問題を取り上げるかを皆が注視している。

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~⑲  のどか

 第2章‐シベリア抑留俳句を読む
Ⅴ 高木一郎(たかぎ いちろう)さんの場合(3)


【】の表題は、『ボルガ虜愁』で高木さん自身のつけた表題である。
以下*は、『続・シベリヤ俘虜記』『ボルガ虜愁』の随筆をもとにした筆者文

【炎天を銃もて撲たれ追はれ行く】エラブカ収容所

     キズネルの街の朝顔濃紫(ボルガ慮愁)
添え書き:7.18ダモイということで貨車へまた騙されたことになり7.22 キズネル下車
  炎天を銃もて撲たれ追はれ行く(続・シベリヤ俘虜記)(ボルガ慮愁)
添え書き:キズネルよりエラブカまで80キロ、酷暑炎天下、三泊四日野宿。飲料水無く後に「死の行軍」という。
*1946(昭和21)年7月18日、ダモイと騙されて貨車に乗りキズネルで降ろされた。キズネルの街の朝顔が濃い紫色だったと言っているだけの句のようにみえるが、日本にもみた朝顔が遥か遠く離れたロシアの地キズネルにも咲いている。一時朝顔に心安らいだ気持ちも束の間、キズネルよりエラブカへ徒歩で3泊4日の移動をする。酷暑の中水も飲めない行軍である。
『続・シベリヤ俘虜記』P.112には、行軍の過酷さをこう書いている。

 たまり水でも飲もうとすれば、ソ兵が自動小銃をぶっ放して飲ませない。ラーゲル生活2年目で体力の弱った日本人がソ兵に銃でなぐられながら荒野を行く。

  エラブカは金盞花咲き山羊が跳ね(ボルガ慮愁)
*エラブカBラーゲルへ収容される。ラーゲリには花壇が作られており、金盞花の花が咲いていて、心を和ませてくれた。『続・シベリヤ俘虜記』P.112~113には、エラブカ収容所にはロシア正教の旧修道院、丸屋根に金色の十字架が立っていた。待遇はラーダよりも良くなって日本人の心も安定したようだとある。

  船ゆるく波紋に秋の雲くづれ (ボルガ慮愁)
*句からは港にゆっくり入って来る船の航跡から伝わる波紋に秋の雲がくづれていく。という写生句である。
 高木さんは、過酷な作業の合間に刻々と波紋に姿を変える雲に意識を飛ばしているのである。

【おろしやにわれ三十の年明けぬ】 ボンジュガ収容所

  
  秋雨に濡れしまま寝る夜がきぬ (続・シベリヤ俘虜記)(ボルガ虜愁)
添え書き:三交代のボルガ河荷役仲仕作業。3千トン級の船。労働過酷のため波止場で座り込みストをやったところ、民兵がおどろいてピストルをぶっ放した。
*9月は秋雨の季節。苦役作業ですっかり濡れそぼった衣類を乾かすこともで
きず眠らなければならない夜がくる。

  雪晴のボルガ青々雁渡る    (ボルガ虜愁)
*9月には雪の降るロシア。ボルガの空の青々と広い空を雁が群れをなして日本などの越冬地への渡りをみると日本への望郷の念は募るのである。いよいよ厳しい冬の到来である。

  紙衣着てボルガの風に対しけり (続・シベリヤ俘虜記)(ボルガ虜愁)
添え書き:セメント袋を拾ひ、首と腕の出る穴をつくりポンチョとする。
*秋風の身に沁みる季節、ボルガ川を渡る風は冷たい。高木さんはセメント袋首と腕の出る穴をあけてかぶり、風よけにして作業をした。

  合唱の窓の灯明るき大吹雪   (ボルガ慮愁)
添え書き:冬将軍と共に労働は減り歌声も出るようになった。
*冬の到来とともに強制労働は減り、吹雪の夜はペチカの周りに集まり、皆で歌を合唱するのである。

  ひとり焚く真白き部屋の壁ペチカ(ボルガ慮愁)
添え書き:医務室開設。渡辺医師と私に一室を与えられた。これまでは一般労働作業をしていた。
*新しく与えられた真白き部屋(医務室)の壁ペチカを今は独りで焚いている。これまでは、皆で仕事をしてきたのだが・・・

【いと巨き韃靼の月血の色の月】再びエラブカ

  雪晴の窓の日ざしに抜きし齲歯 (ボルガ虜愁)
添え書き:アンブラトリア歯科室勤務となる。(略)
*再びエラブカに戻ると、歯科室勤務となる。

  白夜しんかん妻ある如く帰り寝る (ボルガ虜愁)
添え書き:歯科室をロックして、居住棟へ。3階にある。2段収容。
*再び生業である歯科診療に就いた。診療が終わり、居住棟へもどる。作業場から疲れ果て泥のようになって、ラーゲリに戻っていった毎日に比べると、敗戦前の妻との日常を取り戻したかに感じるのである。

  心ふと子にあり白夜い寝がてに (ボルガ虜愁)
*なかなか寝付けない白夜の夜には、子どものことが心に浮かびまたさらに郷愁に寝付くことが、できないのである。

  うとまれて外寝の毛布ひろげけり(ボルガ虜愁)
添え書き:人とのわずらはしさをさけて戸外へ
*これは夏のころのことであろうか。歯科診療室で働くようになり、仲間との心の距離が開いてしまったのか、人間関係のわずらわしさに戸外で毛布を広げ眠ろうとしている高木さんの心の内には、複雑な思いがあったのだろう。   (つづく)

『続・シベリヤ俘虜記~抑留俳句選集~』小田保編 双弓舎 平成元年8月15日
『ボルガ虜愁』 高木一郎著 (株)システム・プランニング 昭和53年9月1日発行