2022年3月25日金曜日

第180号

    次回更新 4/8


第45回現代俳句講座質疑(8) 》読む

【広告】神奈川県湯河原町 俳句交流大会(ねんりんピックかながわ2022)》読む

■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和三年冬興帖
第一(2/11)飯田冬眞・仙田洋子・神谷波・小林かんな
第二(2/18)加藤知子・坂間恒子・辻村麻乃・杉山久子・松下カロ
第三(2/25)鷲津誠次・仲寒蟬・井口時男・ふけとしこ
第四(3/4)花尻万博・岸本尚毅・内村恭子・山本敏倖
第五(3/11)網野月を・田中葉月・なつはづき・浜脇不如帰・木村オサム
第六(3/18)男波弘志・望月士郎・のどか・小沢麻結・前北かおる
第七(3/25)小野裕三・渡邉美保・曾根 毅・鷲津誠次・浅沼 璞・眞矢ひろみ・望月士郎

令和四年歳旦帖

第一(2/11)仙田洋子・神谷波・加藤知子
第二(2/18)坂間恒子・辻村麻乃・松下カロ
第三(2/25)杉山久子・仲寒蟬・花尻万博
第四(3/4)ふけとしこ・岸本尚毅・内村恭子
第五(3/11)山本敏倖・網野月を・田中葉月・なつはづき
第六(3/18)浜脇不如帰・木村オサム・鷲津誠次・男波弘志
第七(3/25)小沢麻結・前北かおる・小野裕三


■ 俳句評論講座  》目次を読む

■ 第22回皐月句会(2月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中! 》読む


豈64号 》刊行案内 
俳句新空間第15号 発売中 》お求めは実業公報社まで 

■連載

【抜粋】 〈俳句四季3月号〉俳壇観測230 吟行と題詠ーー深見けん二の語ったこと・書いたこと

筑紫磐井 》読む

北川美美俳句全集13 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ (20) ふけとしこ 》読む

英国Haiku便り[in Japan](28) 小野裕三 》読む

澤田和弥論集成(第7回) 》読む

句集歌集逍遙 櫂未知子『十七音の旅』/佐藤りえ 》読む

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス
25 紅の蒙古斑/岡本 功 》読む

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス
17 央子と魚/寺澤 始 》読む

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス
18 恋心、あるいは執着について/堀切克洋 》読む

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス
7 『櫛買ひに』のこと/牛原秀治 》読む

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス
18 『ぴったりの箱』論/夏目るんり 》読む

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス
11 『眠たい羊』の笑い/小西昭夫 》読む

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい
2 鑑賞 句集『たかざれき』/藤田踏青 》読む

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス
11 鑑賞 眞矢ひろみ句集『箱庭の夜』/池谷洋美 》読む

『永劫の縄梯子』出発点としての零(3)俳句の無限連続 救仁郷由美子 》読む


■Recent entries
葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
3月の執筆者 (渡邉美保)

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子



筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【抜粋】 〈俳句四季3月号〉俳壇観測230 吟行と題詠ーー深見けん二の語ったこと・書いたこと  筑紫磐井

深見けん二の生涯

(略)

花鳥諷詠と題詠

 私が深見氏と交流したのは、平成30年前後であり、拙著『虚子は戦後俳句をどう読んだか』にかかわるエピソードや文献を探索している過程であった。当時、深見氏から頂いた膨大な手紙や資料が手許に残っている。というよりは、深見氏の最期の十年は虚子の俳句観の再発掘、特に自らが直接面受を受けた「研究座談会」の虚子の思想を再評価して世に出すことであったようだ。主宰誌「花鳥来」にもしばしば「研究座談会」について執筆しているが、世間の関心は残念ながら余り高くなく、自身の体調もありその全てを自身でこなすことは難しくなっていた。そのような時に、系譜の違う私が「研究座談会」に関心を持っていることを知り、交流が始まったのである。ある日、虚子生前の「研究座談会」全編のコピーが送られてきた時には感動した。虚子と深見氏との貴重な往復書簡も見せていただいた。こんなこともあったから、長時間の座談会も実現することが出来た。

 座談会の中でいくつかのびっくりする発言もあったので、それを紹介しておきたい。


深見:磐井さんの本(拙著『伝統の探求〈題詠文学論〉』)の中の題詠文学というのを読みましてね、あれにはちょっと参りました。というのは、私の俳句も題詠文学なんです。さっき言いました、季題と一つになるっていうことを心掛けてるんですが、結局私は吟行しているときにも、そこに立ち止まって、季題と一つになろうとしているわけです。ということでは題詠ですよね。本当の意味の題詠文学っていうのは歴史を持ってるもので、そういうものを含めて言うんで、ただその題についてやるから題詠だってんではないっていうことはあるわけですけども、ただ方法としては、やっぱり他のテーマよりも季題のほうに重点を置いて作ってますからね、」


 これは決して話の流れの弾みで出た言葉ではない。座談会以前にも深見氏はこんなことを語っていたからである。


「虚子先生の俳句会は、武蔵野探勝会を除いて、兼題のない句会はありませんでした。

兼題は、私達の場合は季題で、兼題の利点は、一つの季題にある時間集中できることです。私の場合は、兼題を作るために吟行をよくしましたので、兼題がなかったなら出来なかった句があります。又目の前にない時は、過去の体験の場面をいくつか一つづつ丁寧に思い返し乍ら作っているうちに、心が集中し思わぬ言葉の出たことがあり、兼題の妙味を体験してきました。

薄氷の吹かれて端の重なれる

は、兼題の吟行で作った句、次の句は見ないでの句。

ゆるみつつ金をふふめり福寿草

平素の季題の観察と、多作、多読あっての兼題です。」(「花鳥来」平成27年冬「折に触れて」)


 掲げてある句はいずれも深見氏の代表句であり、この言葉により深見氏の工房の秘密が見えて来るであろう。

 現在、「吟行」と「題詠」は全く相対立するものと考えている人が多いが、花鳥諷詠にあっては吟行と題詠は一体の物である。いや、花鳥諷詠とは題詠であり、その場が句会であれ、吟行であれ変わることはないのだ。こうしたことを深見氏は、理論だけでなく、実作でも示してくれていたのである。吟行に当たっては是非心掛けて欲しいことである。

 吟行とは見ることではなく考えることなのである。

【注】「花鳥来」は令和3年終刊となった。

※詳しくは「俳句四季」3月号をお読み下さい

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(20)  ふけとしこ

    竹に湯気

春寒し油抜きして竹に湯気 

竹幹の軋む音あるおぼろかな

朧なる孟宗竹の切株も

茶筅師が払ふ竹屑夕おぼろ

春月や土竜が鼻を使ふころ


 ・・・

 私は誕生日が2月22日なのである。この日は猫の日ということになっている。猫好きの人達からは羨ましがられるのだが、深い意味があるわけではなくて、ニャンニャンニャンと無理矢理な語呂合わせによるものらしい。  

 今年は2022年2月22日で見事な2並び! スーパー猫の日とのことであった。

 思いついて、大阪メトロの切符を1区間1枚だけ買った。だからどうだということも無いのだけれど、ちょっとした記念、と言えなくもない。時折取り出して眺めるとか、偶には人に見せて「ヘエ~!」と言わせるとか。そんなことぐらいだろうけれど。


  野遊びの靴脱ぐかへらざるごとく 井上弘美


という句があった。そうか、こういう言い方があるのだ……と昔の我が句を思い出した。我が句とは「野遊びの身投げのやうに靴揃へ」というものだった。

句会に出してみたら「身投げとはねえ~」「あからさますぎない?」などの声があった。

 昔からさしたる進歩もなくこういうことをやってきているから「この人の表現には工夫が足りない!」などとこっぴどい評をされることになるのだ。それでも自分なりに推敲しているつもりだから、一応は殊勝にも頷くふりをしているが、本当は悔しいし悲しい。来年の猫の日までには1句でもいいから、残せる句を作りたいものだと思う。

 それにしても、入水の時には履物を脱いで揃えて置くのが正しいのだろうか。

(2022・3)

【広告】神奈川県湯河原町 俳句交流大会(ねんりんピックかながわ2022)

開催日: 令和4年11月13日(日)

大会会場:湯河原町民体育館(湯河原町中央2丁目21番地1)

吟行会場:万葉公園・五所神社

※投句用紙(開催要領の5ページめ・コピー可) PDFダウンロード

●当日句

【投句方法】

 令和4年11月13日(日)9:00から大会会場(受付)にて配布する「投句用紙」に、未発表作品(吟行会場の嘱目)1人2句以内を楷書で記入の上、大会会場に設置した投句箱に投句してください。

 なお、投句の受付は11:00までです(投句料は無料で、年齢の区分はありません。)


●募集句

【募集期間】

 令和4年4月1日(金)から5月31日(火)まで(当日消印有効)


【募集区分】

 高齢者部門  60歳以上:昭和38年4月1日以前に生まれた人

 一般部門   60歳未満:昭和38年4月2日以降に生まれた人

 ジュニア部門 小学生、中学生、高校生


<選者>

●当日句

公益社団法人 日本伝統俳句協会/木村亨史、小川龍雄、田丸千種

現代俳句協会/筑紫磐井、秋尾敏、後藤章

公益社団法人 俳人協会/今井聖、櫂未知子、徳田千鶴子

神奈川県現代俳句協会/伊藤眠、大本尚、内藤ちよみ、佐藤久、平田薫、なつはづき


●募集句

高齢者部門・一般部門

公益社団法人 日本伝統俳句協会/稲畑廣太郎、大輪靖宏、岩岡中正

現代俳句協会/中村和弘、筑紫磐井、永井江美子

公益社団法人 俳人協会/森田純一郎、鈴木しげを、西山睦

神奈川県現代俳句協会/田中悦子

  

ジュニア部門

神奈川県現代俳句協会/尾崎竹詩、田畑ヒロ子、芳賀陽子


<歓迎アトラクション>

能楽師狂言方 大藏彌太郎千虎


<記念講演>

講師 黛まどか

北川美美俳句全集13 

俳句新空間10号(平成30年12月)


        秋や   

水撒きの水弧を描き遠き国

青空を曳ひてゐるなり兜虫

百合の香の記憶の開く腋の下

雲場池空も新樹も逆様に

甘藍巻くマグマは空気含みおり

オルガンのペダルに登山靴の跡

アイスクリーム匙に信濃を思ひけり

石にこもる日はまだ冷めず鬼貫忌

途中から抱へて帰る西瓜かな

青く赤く花火あかりの中に顔

秋はじめ駅より見ゆる最上川

鳥たちに食べていただく一位の実

秋天に諸手挙げれば背が伸びし

地面より足が離るる体育の日

棺一基帰るふるさと秋日和

秋声にまじりて落つる髪と爪

しつかりと坐つて秋や喉仏

万歳の後の解散秋の虹

抜けてゆくラウンドアバウト草の絮

しずかな日正しい秋を迎へけり


俳句新空間11号(令和元年7月)


    令和の一句

昨日より眉細く引く改元日


      掌に 

焼餅の内から膨れ恥ずかしき

喪の家の真つ白といふ寒さかな

余寒あり東京タワーの下に入ル

肺ふたつひとつの息にゴム風船

銀紙に触るるくちびる紙風船

花冷えに母の身体の横たはる

満開の桜崩れて消えにけり

巻き尺で測る道幅春の昼

野に出でよアルミニウムの御茶道具

ただよへる花のひとひらひとひかな

山のうえ空の冷たき犬桜

木蓮や昭和の家が空き家なる

地下鉄の口より見上ぐ春満月

改元は金糸雀色に五月来る

庇なき薄き信号青嵐

夜光灯雨と十薬照らしけり

掌に四角きパイナップルジュースふたつ

サンドイッチの胡瓜に薄き塩気かな

明易の土偶の胎児覚めやらず

水よりも冷たき桃を指で剥く


俳句新空間12号(令和2年5月)

      空に豆 

新しき月の満ち欠けカレンダー

あらたまの古びゆく顔たちまちに

誰がために髪切る男子苑子の忌

文机に置かれし鏡苑子の忌

きさらぎの身を前傾に押す柩

梅の花一枝に鳥毛ついてゐし

赤黄男忌の点滴棒でありにけり

春の昼眼鏡ふたつかけし顔

蕗の薹湯にくぐらせて花がつを

都市部より人病んでゐる花のころ

世界中死の予感して四月来る

四月中ずつとテレビの鳩に豆

米糠や筍白くやはらかく

新しき女ともだち夕霞

花びらも青にまぎれて青物屋

囀りの後の羽音と枝の揺れ

野遊びの互ひの距離のひろがりぬ

遠足の列だんだんとだらだらに

国道に真つ黒にある鴉の死

朧の夜生きているものゐないのか


俳句新空間13号(令和2年11月)

     夏と秋二〇二〇  

日々の泡美悪の泡や梅ゼリー

白き紫陽花ヘレン・ミレンの髪と肌と

人形(ひとかた)の腹丁寧に撫でてやる

にごりえの男女生涯裸なり

炎昼に握る手があり摑みけり

八月に映りかなしき全裸なる

真下より覆い被さる蝉時雨

縦半分の東京タワー西日中

三分の一の窓空夕焼けぬ

永遠に待つ冷し珈琲クンパルシータ

青北や瞳に海のうねりを見

はつあきの白くかがやくひざ頭

秋に挿す管を支える長き針

病む人に抱えてシャインマスカット

葡萄棚の中にくぐもる声深く

魚油の燃ゆるだいだい色の秋

葉は胸に房は頭に葡萄干す

翻車魚の食うてはあます秋の海

人の世の終はりと始まり秋彼岸

黎巴嫩(ベイルート)煙のごとし秋の暮


      ※俳句新空間作品完了

第45回現代俳句講座質疑(8)

 第45回現代俳句講座「季語は生きている」筑紫磐井講師/

11月20日(土)ゆいの森あらかわ


【赤野氏】「伝統」「前衛」について

「近代人にとって王道(伝統)は我慢のならない桎梏であるところから、常にそれに対する反攻を繰り返しています」

というご意見については、かなり違和感を感じます。どちらかといえば、近現代人にとって伝統とは、ご都合主義的な権威付けの手段の側面が強いと思われるからです。

 たとえば現代日本で「伝統俳句」といった場合、無季や社会詠、破調は含まれないものとして扱われることがほとんどでしょう。しかし、それは「ホトトギスの伝統」であって、俳句、俳諧の「伝統」ではありません。現代の目から見れば新興俳句、前衛俳句もすでに「伝統」である上、子規や俳諧の時点ですでに無季、社会詠、破調などは含まれていた要素です。

 したがって、現代のいわゆる「伝統俳句」を高柳重信に倣って「偽伝統派」と呼んでもよいのですが、そもそも伝統というものは現代から遡及して設定されるものだ、という基本的性質をよく表す事例と考えるべきなのかもしれません。

 同時に「前衛」というのもよくわからなくなっています。現代において、「前衛俳句」の意味するところはは、かつての前衛俳句というお手本のある「スタイル」となっています。要は練習すれば誰でも(出来不出来はともかく)真似できるものです。「前衛」の本来的意味からすれば、そんなものを前衛とは言わないでしょう。

 まあ言ってもいいのですが、少なくともそういった「偽伝統vsスタイル前衛」では、ヘーゲル的な価値ある対立になるとは思えません。

 「伝統俳句vs前衛俳句」というアングルは、昭和の一時代には機能したのかもしれませんが、現代においては賞味期限切れといわざるを得ないのではないでしょうか。あるいは、この対立は「現代俳句」というジンテーゼとしてすでに解消した、といっていいのかもしれません。

 ヘーゲルと書きましたが、一般論として、ある種の対立や競争が物事を前進させるエネルギーになることはあるでしょう。ただし、どんな対立や競争でもいいというものではありません。米国流成果主義競争を真似て荒廃していった日本の労働環境などはわかりやすい例でしょう。

 では現代において価値のある、機能する対立とはなにか、ということになりますが、まだ私も確立した見解は持っておりません。あえて言うなら、「文学vsビジネス」が主要な対立になってくるのかな、という予感はあります。この対立自体は古くからありますが、現代では俳句のビジネス化が進むことにより、新たな形で浮上してくるのではないかと思います。

 現代における価値ある対立軸については、筑紫様のご意見をさらに伺えれば幸いです。


 【筑紫】

(1)伝統について

 伝統という言葉を用いているのは古いことではありません。また、現在色々論争する際に便利だから使っているのであって初めから伝統ありきではないということが大事です。伝統という言葉を使って何を言っているのかが大事なのだと思います。

 王道(伝統)に違和感を感じるというのは理解できます。私が言いたいのは、代表的伝統俳句主張者(虚子)が提唱している「題詠」こそが俳句の王道(始原)だということです。伝統などということは枝葉末節かもしれません。

 私が思うところ、俳句(というよりは俳諧、いや誹諧)の根源は題詠ですし、文学そのものが題詠でなくては生まれなかったと思います。北欧のサガや中国の楽府、記紀の古代歌謡、ユーカラや沖縄歌謡などがその根拠です。「イリアス」もそうした痕跡が見えるようです。作者の個性がにじみ出る紫式部やシェークスピアが出るのはそのはるかずっと後です。

 ご都合主義的な権威付けという批判や「伝統俳句」への拒否は、現代人として当然のことだと思いますが、我々の俳句の根源は明治からさらにさかのぼって江戸時代、連歌を介すれば平安時代にまで到着するのです。それらの人々の考えや感覚をなしにして俳句を考えることは難しいのではないかと思います。我々は何と言おうとも芭蕉の桎梏の中で模索しているのですから。現代人だからこそ拒否感を感じるので、古代人には拒否感はなく、ないしは関心がない(そもそもなんでそんな議論をするのかわからない)ということになると思います。

 その際使われるやすい自由という言葉もありがたい言葉ですが、自由そのものを我々は見る事が出来ません。何かから解き放たれるから自由なのであり、芭蕉から自由、江戸月並から自由、虚子から自由、新興俳句や前衛俳句から自由と言われて意味が初めて分かるのではないかと思います。現在の我々は何から自由にあるべきでしょうか。

 自由であるために必要なのは時代認識だと思います。伝統と前衛の対立が普遍的に間違っていたかと言われればそんな証明はなかなか難しいように思います。あの時代にあっては意味のある対立だったのでしょう。その時代の時代認識が問題です。では現在の時代認識から言えばいかなる対立事項があるかと言えば、様々な考え方があると思います。確かに、伝統と前衛の対立ではないように思えますが、その行く先は様々です。ご指摘のように「文学」vs「ビジネス」という考え方もあるでしょうが私はあまりしっくりきません。なんとなく一般文学論化している感じがあるせいかもしれません。

 私の感覚では、多分それを考える前提は、「俳句無風時代からの自由」を考えないといけないように思います(自由というよりは建設かもしれません)。

 全く思い付きなのですが、そんな中で、「俳句上達法」vs「鬱」は対立軸としてあり得るかとも思います。俳句の行動のモチベーションを何と考えるかという対立軸です。コロナだけではなく、高齢者は生活の不安から鬱になり、若い人は非正規雇用により鬱になっているようにも思います。気になるのは若い俳人が時折死んでいることです。澤田和弥や吉村鞠子、木村リュウジ等の名前が思い浮かびます。その原因は私が思っているのとは違うかもしれませんが、現代を象徴しているようにも思えます。

 とはいえ、これらは一種のメタファーですし、「俳句上達法=ビジネス」vs「鬱=文学」と還元すれば、ご高説に似てなくはないでしょうし、さらに「伝統=俳句上達法=ビジネス」vs「前衛=鬱=文学」と見ればお定まりの伝統と前衛の対立にも引き当てる事が出来るかもしれません。

 もちろん責任持って言える話ではありませんが、よく捕まえきれない時代を捕らえるためには、こんな風にさまざまに機軸をいろいろずらして考えてみて、帰納して行く先を考えてみるのも一つの方法のように思えます。

(続く)

第22回皐月句会(2月)[速報]

投句〆切2/11 (金) 

選句〆切2/21 (月) 


(5点句以上)

9点句

春の島ごろごろしたる石が墓(西村麒麟)


やはらかく針をつまみて針祀る(渡部有紀子)

【評】 「やはらかく」が良かったです。──仙田洋子

【評】 「やはらかく」が良い。──渕上信子


8点句

世に合はぬ像は倒され冬ざるる(内村恭子)


7点句

回天や海鼠を切れば水溢る(中村猛虎)


6点句

初蝶来監視カメラをすり抜けて(仲寒蟬)

【評】 初蝶来と監視カメラの取り合わせが面白いです。──水岩瞳

【評】 社会批評の句である。「初蝶来」とくればまず虚子の句を思い出すが、監視カメラとくれば当然現代の句。「何色と問ふ」「黄と答ふ」は監視カメラの中の回路のデータ処理のありさまだ。それにしても我々は何と監視カメラに慣れてしまっていることか。映画「パピヨン」の主人公の様にそうした監視社会をかいくぐってゆく姿を痛快と思う。──筑紫磐井


5点句

古雛や涙の如く目が光り(西村麒麟)

【評】 古雛のぼやけた顔に目の白い欠片が見えました。展示されている古雛のようでもあり、現役の雛だとしても情の感じられる句でした。──青木百舌鳥


もの言はず夜の社食に取るマスク(青木百舌鳥)

【評】 実感あり。──渕上信子


(選評若干)

黄梅や運河にひとつ灯あり 2点 依光正樹

【評】 手堅い句。──仙田洋子


梅が枝や空手の技の交差せり 3点 篠崎央子

【評】 今年の梅見は手技足技にしか見えないだろう──千寿関屋


裸木や影なきものを走らせて 3点 田中葉月

【評】 中七、下五から、広大な荒涼とした地が浮かぶ。それが裸木の存在感を稀有なものにしており、て止めによる上五へのリフレインが、モノトーンの世界をよりモノトーンにしている。──山本敏倖


白鳥が憎む白鳥ウクライナ 4点 松下カロ

【評】 ウクライナ情勢のことと思って読むと、悲しくもあり、避けられぬことなのか、という思いも湧く。──佐藤りえ


天涯やブロッコリーを抱きしまま 2点 田中葉月

【評】 厨房の材料をつかって、いわゆる台所俳句を抜けたい、という気がしているのが、どうしても、宇宙的な世界を対置してしまう。これもそういう台所俳句の新しい典型、というべきだが、だが、そのなかでも奇抜かつ落ち着いた取り合わせだ。ブロッコリーの、あの白っぽい暗緑色、案外複雑な空間が詰まっている。胸に逢欠けるほどおおきくみのったそれには、青臭い乳首が無数にひしめいている。天涯とはどんなに甘い場所なのだろうか、と、青いゆで汁を打捨てながらぼんやりかんがえる・厨房は放心の許される楽園-これこそ天蓋の内部なのである。男子に厨房を奪われてなるものか。作者の男女をとはず、ここ厨房は解放区なのである。料理好きな人たちは、この女子の占有を憎むだろう。──堀本吟


梅開く独りのマスク外しけり 2点 渕上信子

【評】 いわゆるコロナ関係の句でしょうが、コロナを離れて読んでもいいですね。──仙田洋子


バケツだけあつて此処です雪達磨 4点 水岩瞳

【評】 雪達磨を作ってバケツをのせて完成! ただ肝心の達磨の部分が…。作った本人にしか雪達磨と判別不能なようで。。。

「此処ですよ。此処にありますよ」とまるで雪達磨自身が主張しているみたい。かたちも目に浮かぶよう。楽しくなる句。──依光陽子


肘枕して枯芝にひるやすみ 1点 岸本尚毅

【評】 「枯芝」ならではの味。冬日を感じます。──仙田洋子


笊で売り返しも笊や蜆売 3点 松代忠博

【評】 蜆売自体がもはや伝説。笊で売っていた、ような気もする。返しとはお釣りのことか。釣銭を笊で返すというのがまたいい。──仲寒蟬

【評】 十七音の中での、〈笊〉という小道具の働き。殻のぶつかり合う音が聞えて来ることで、質感の層が一つ増えて、妙味を加えていると感受します。──平野山斗士


遊園地閉ぢむささびの飛ぶばかり 3点 内村恭子

【評】 むささびが飛ぶような遊園地は何処だろう。寂寥感が漂う。──小沢麻結

【評】 夕刻に開園時間を終えてとも読めるが、長年親しまれてきた遊園地の閉園と読みました。めぼしい遊具は外されて主に樹木が残されている。古代杉のてっぺんから滑空するムササビはむろん我が物顔にちがいない。──妹尾健太郎


春来る豆撒かざりし我が家にも 4点 渕上信子

【評】 季重なりの妙。生活感のある句。


大寒や柔軟剤を足している 3点 山本敏倖

【評】 柔軟剤の柔らかな色や匂いが大寒の尖った寒さを和らげてくれそうな気がします。──篠崎央子


剪定の樹上にをりてスマホとる 1点 青木百舌鳥

【評】 庭は広く、複数で仕事をしているのだろう。今どきの植木屋さんらしさ。──渕上信子

2022年3月11日金曜日

第179号

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第二(2/18)坂間恒子・辻村麻乃・松下カロ
第三(2/25)杉山久子・仲寒蟬・花尻万博
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【抜粋】 〈俳句四季2月号〉俳壇観測229 コロナ解除——有馬先生を偲ぶ会・各賞表彰式

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筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

第45回現代俳句講座質疑(7)

第45回現代俳句講座「季語は生きている」筑紫磐井講師/

11月20日(土)ゆいの森あらかわ


【赤野氏質問】帚木に影といふものありにけり」(虚子)について

 「題詠」によって生まれた名句の代表としての揚句ですが、山本健吉の評ははっきりいってよくわかりません。

 『帚木は「影といふものありにけり」といった具合に立っているものなのである』(山本健吉『挨拶と滑稽』)といわれても、今の目からみればなんのこっちゃでしかなく、現代の批評としては通用しないでしょう。

 かといって健吉にセンスがないのかというとそうでもなく、偶然か意図的かはわかりませんが、掲句は「視覚詩」として非常に効果的に出来ているのです。

 会場の質疑で少し述べましたが、この句は横書きでは魅力が出ません。縦書きでこそ現れる効果があるのです。

 まず「帚木」はそれ自体、木の形状をよく表した図形として機能しています。そして、無意味な引き伸ばしに見える「といふものありにけり」は地に長く落ちた木の影を視覚的に錯覚させる効果があるのです。つまり、語の意味と視覚が合一したことにより、強い説得力を生んでいるのが揚句の魅力といってよいでしょう。山本健吉はこういった魅力は感じていたが、実作経験が乏しかったこともあって言語化できなかったため、あのようなよくわからない評となったのではないでしょうか。

 同様の効果は夜半の「滝の上に水現れて落ちにけり」についてもいうことができると思います。

 句の構造による視覚効果はこれまであまり取りざたされてきませんでしたが、佳句名句と呼ばれるものの中に駆使されている例は少なくないと考えています。無論、構造がすべてという話ではなく、要素としてということです。


【筑紫】

 ご説にある程度共感いたします。健吉はいいセンスでこの句を取り上げているのですが、説明はあまり俳句の本質を理解が出来ていないのではないかと思います。実作が欠如しており、頭倒れしているように思います。ただこの句を取り上げた功績は大きいです。

 そもそも健吉は、名著と言われる『現代俳句』を執筆するにあたって、その冒頭に虚子を置いています。そしてその虚子の項目の冒頭に「箒木」の句を置き、他のどの作家、どの句よりもたくさんの紙面を使って鑑賞しています。それくらい大好きだったのです、論理ではないでしょう。その後『現代俳句』改訂版を作るときに、スコープを近代全体とするために、子規と漱石を加えています。これが、我々が今読むことのできる『現代俳句』です。健吉にとっては現代俳句とは、虚子であり、「箒木」の句であったわけです。

 健吉と言えば人間探求派座談会が有名ですが、この座談会を読むと健吉が人間探求派をプロデュースしたという説は納得できません。ここでは草田男が暴走して延々と議論を展開し、楸邨が丁々発止とやりあい(ここのやり取りは面白いです。「あなたの言うことはよくわかります」と言って、相手の言うことを全然聞かず、自分の論理を押し付けてきますから)、当時古典派・韻律派に転向中であった波郷は沈黙を守っています。健吉は二人のやり取りに口をはさむこともできずにいます。健吉が言った言葉は、これは「人間の探究(ママ)」ですね、というぐらい。まあジャーナリストらしいネーミング感覚は持っていましたが。だから健吉は人間探求派を作るつもりなどなく、草田男・楸邨に引きずられてしまったようです。健吉が人間探求派をプロデュースしたというなら、その後の編集ぶりからみて聖戦俳句や従軍俳句もプロデュースし、大いに戦意高揚を図ったと言わなければならないでしょう。

 むしろ健吉は、編集時代の後半において古典俳句の特集を組むようになり、戦後の「挨拶と滑稽」(ほとんど芭蕉論と言ってよいでしょう)につながる能力を磨いてゆくようになります。

 「帚木」の句の虚子の創造プロセスは、赤羽根さんにお答えした第5回に引用した通りです。「俳句」1月号の座談会で、こうしたプロセスをたどることは作者の論理であって、どう読めるかとは別だ、と高柳氏に批判されましたが、虚子の創造プロセスを見てはいけないとしたらおかしなことです。色々な読みの中に、虚子の創造プロセスもあることは否めないからです。

 それから、現代において何が必要かと言ったら、「読み」か「作る自分」が大事かという二者択一はあまり適切ではないように思います。ただ私自身にとっては、俳句無風時代の現代にあってはむしろ「作る自分」の優先度が高いように思います。人間探求派も新興俳句も、造型俳句も何を作るかを真摯に考えていたから、あまり問題は変わらないわけです。

 のみならず、虚子の創造プロセスを知ることによって題詠法の名句創造の秘密が明らかになるように思います。これは従来の字句解釈法では決してできない発見だと思います。

       *

 「横書きの魅力」はこの句に関してはよくわかりません。「一月の川」の句は間違いなく縦書きである必要がありますが(縦書きにより魅力が増すという意味で。すべての構成する字句が鏡文字ですから)、「箒木」の句はそこまで明白な魅力が感じられません。これは99%横書きで俳句を書いている私との感覚のずれかもしれません。

澤田和弥論集成14(第7回) 澤田和弥は復活した  津久井紀代

 一年前の『天晴』夏号で澤田和弥追悼特集を組んだところ大きな反響があった。これは五月修司忌に合わせたものである。修司の忌は即ち澤田和弥の忌日でもあった。『豈』代表筑紫磐井に稿を依頼したところ「澤田和弥は復活する」と題して澤田論を展開してくれた。それ以前から澤田和弥のただ一つの句集である『革命前夜』を評価していたことを知っていたからである。『天晴』夏号の発刊が六月十日。そのあと筑紫は「俳壇」六月号、「俳句四季」六月号とつぎつぎと澤田に触れ、この一年さまざまなところで澤田論を展開してきた。また自らのブログに「澤田和弥論集成」として、十三回にわたって澤田和弥論を展開した。直近では二〇二〇年一月十四日「連載 澤田和弥」(第六回―七)において『若狭』に連載された「俳句実験室 寺山修司」に触れ、「澤田の最後の思い出は寺山にあった」という論を展開。澤田の連載は四回で終わったこと、体調を崩し、文章を書く気力は蘇らなかったようだ、と結論づけている。『若狭』に掲載された最後の作品として、

 冴返るほどに逢ひたくなりにけり

 菜の花のひかりは雨となりにけり

 白梅を抱え諦めている瞼かな

があげられている。この作の数か月あと澤田は自決した。ここには人間としての自分を放棄し、諦めだけが記されている。

 特記すべきは革命前夜のあとがきである。「これが僕です。僕のすべてです。澤田和弥です。」と言った言葉をもとに筑紫はつぎのように分析している。

 「これ」以後の澤田和弥 ― 新しい「これ」も我々は完璧に語ることが出来る。なぜならば新しい「これ」以後もう作品を作ることがないからだ、と結論づける。つまり澤田和弥を伝説として語ることが出来るようになったのである。

 筑紫が『天晴』の紙面で、「澤田和弥は復活する」と宣言して一年。筑紫磐井は見事に伝説の人として澤田和弥を復活させたのである。

 澤田和弥が俳壇で知られるようになったのは第一句集『革命前夜』を上梓してからだ。師である有馬朗人は「新風を引きおこす」という言葉を使って期待は大であったがそれは見事に裏切られた。

 私は筑紫が「連載澤田和弥論集成」のなかでおもしろいことを言っていることに注目した。『革命前夜』は決して全共闘世代の革命とは違うようだ。どこか「革命ごっこ」が漂う、と言っていることだ。全く同感なのだ。

 澤田は中学生の頃、自宅のテレビから流れる寺山修司特集に大きく衝撃を受けた。修司の「とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ虐げられし少年の詩」に衝撃を受けたのである。澤田は「中学三年間のいじめに耐えてきた力の源に、この歌が一助をなしていたことは確かに否めない」と述べている。澤田は「革命が死語となりゆく修司の忌」と詠んだ。澤田は修司に憧れ修司にならんと必死でもがいたが革命という言葉は澤田にとって死語になったのである。

 先に述べた筑紫の言葉に戻ろう。筑紫の言う「革命ごっこ」という言葉が身に沁みるのである。なぜならば澤田は「雪割や死にたき人がここにもゐる」と述べ、「春昼は春の昼なり嗚呼死にたし」といい、「生きるはずもなきわたしが蟻の中」「こほろぎ鳴け此岸はつまらなたった」と述べ、自らを「生くる子が首吊る子へとなりし冬」と記している。私は筑紫に「革命ごっこ」と言わしめたのは澤田の生き方が「甘え」に起因しているからだと考える。澤田は文学においても「死」という言葉は散見するが「生きる」という言葉は見当たらない。澤田にはいじめられても挫折しても常に帰る場所があったということでないだろうか澤田自身平成三年九月号『天為』において、家は良い意味でも悪い意味でも守られ場所であった」と言い、家の外は戦場あった」と述べている。澤田の死はいじめられっ子だったからではない、生きることへの「甘え」が澤田を死に至らしめた要因であると結論付けたい。

英国Haiku便り [in Japan] (28) 小野裕三

写真3:告知画面

ロンドン句会、再び

 ロンドンにあるアート・ギャラリーから、俳句のワークショップを主催しないか、と打診された。日本に関連したアート作品を展示するギャラリー「White Conduit Projects」で、kimono(着物)をモチーフとした作品を制作するイギリス人女性の展覧会をするので(写真 1&2、アーティストのLisa Milroyさんと展示の様子)、それに合わせてhaikuのイベントを実施したいとのことだった。もちろん僕は日本にいるので、イベントもオンラインでの実施だ(写真3、告知の画面)。


写真1・2 展覧会の様子

 英国時間の夕方から夜にかけて開催され、日本ではまさに深夜の時間帯。なので、僕は「haikuの本質とは」を説明するビデオを作り、事前に送っておくことにした。そのビデオでは、五七五の韻律や季語の有無にこだわることなく「3行の短い詩を自由に作ってください」とまずは説明し、その上で、芭蕉、三鬼、兜太の句も引用しながら俳句制作のポイントとして次の四点を提示した。(1)すべてを表現し尽くそうとするな(あえて不完全であれ)、(2)二つの異なる要素を入れよ(二物衝撃を作れ)、(3)物を通じて感情を表せ(あからさまな感情を語るな)、(4)「見えないもの」を意識せよ(「見えるもの」だけにこだわるな)。


写真4・5

 ロンドンの各地から集まった参加者たちは、まずそのギャラリーでkimonoを着せてもらい、それから僕が作った解説のビデオを見て、そしてhaikuを作る(写真4&5、着物姿の作句の様子)。その間、日本にいる僕はまだ寝ており、みんなが俳句を作り終えた時間帯を見計らって寝床から起き出す、というわけだ。かくして、僕にとっては久々の「ロンドン句会」がインターネット経由で始まった。画面を覗き込むイギリス人たちが興味深そうに訊ねる。

「今、日本は何時?」

 朝の4時ですよ、と答えると、みんな驚く。日本の空はまだ暗い。ロンドンは夜の8時で、夏の英国では、まだ空は明るい時分だ。イギリス人たちが晴れ着や法被や剣道着などのkimonoを思い思いに着ている姿が画面越しに見えて、浮き浮きした気分が伝わってくる。

 句会でも「kimono」を兼題としてみた。僕も気になった句をいくつか引用する。

 kimono / black motion / morning moon.

  着物 / 黒い動き / 朝の月

 kimono / is a thing to wear / for some, once in a lifetime.

  着物 / それは着るための物 / ある人たちには、生涯に一度だけ

 kimono / to another place / dreams escape.

  着物 / 別の場所へと / 夢は逃げ出す

 全体として、参加者の評に感じたことがある。日本人が俳句を読む時、どこか風景的・客観的に捉えるのに対して、イギリス人の俳句の読みは、自分がその句の状況に立つかのように身振りで説明するなど、句を肉体的・主体的に受け取る傾向があるように思えた。そこには、主語や目的語を明確にし、かつダイナミックな構文を好む英語という言語の影響もあるだろう。

 その話は、kimonoにも通じる。昨年春にロンドンのV&A美術館で「kimono」展が開催され、人気を博した。僕も会場を訪れたのだが、来場したイギリス人の中には法被のような自前の服を羽織った人もいて、英国でのkimono人気を実感した。その展覧会では、西洋の服は肉体との結びつきを強調するが、kimonoは肉体との関係が薄くただ体を包む、と解説された。衣服と肉体をめぐるこのような文化的差異は、詩への視点とも近しいと感じる。

 句会が終了して、最後に参加者に感想を聞いた。

「面白かったわ。またやってみたい」

「よかったです。ぜひ、俳句を続けてください。俳句は簡単ですから」

 僕がそう言うと、ある参加者が声を上げた。

「違うわ。俳句って、ぜんぜん簡単じゃない!」

 笑い声が起こる。

「そうですね……。俳句は簡単ではない。でも、俳句を作ろうとしてみることは簡単です」

 そう僕が言うと、みんな納得してくれた。

「今日は、ありがとう。日本は空が明るくなってきたわね」

 そう言われてこちらの窓の外を振り返る。日本は朝の5時。ロンドンは夜の9時。明けていく空と、暮れていく空は、同じように薄明るい。かくして地理や文化の違いを乗せて地球は周り、その世界をhaikuが繋ぐ——そんな空想が、少しだけリアルに感じられた。

(『海原』2021年10月号より転載)

北川美美俳句全集12

●俳句新空間9号(平成30年4月)

 第9号は、金子兜太追悼特集であり、三橋敏雄だけでなく、金子兜太への関心も深かった北川はいくつかの兜太追悼の散文や追悼句を発表している。

 また作品として、新作20句のほかに、平成雪月花句集も選集として掲載しているのでこれらも併せて掲載することとする。

 さらに、兜太追悼の参考として末尾に、北川の執筆した「第83回海程秩父俳句道場潜入ルポ」を参考に添えておく。

〇兜太追悼文

存在者の行方

                  北川美美 

 いずれは来るとはわかっていたが兜太の死がとてもさびしい。高柳重信、三橋敏雄、飯田龍太、…いわゆる昭和の偉大な俳人に遭遇することは叶わなかったが、晩年の兜太の存在感、衰えを見せない力強い作風に触れることができた。また存在者としての兜太の言葉に支えられてきたことに改めて気づく。

 前線での戦争体験者であった兜太は帰還後、逆境を糧に自分の道を見出してきた。俳句においての兜太は決して順風な成功者ではなかったと思えるが多難だった故の道の開き方をしてきた。海程という結社にとどまらず、前衛や伝統というすみ分けやジャンルを超えて人を愛した。なんといっても異端として思われがちな前衛の印象、いいかえれば逆風を追い風に変えて行った印象が強い。逆転の発想で切り抜けて来た人だからこそ兜太はみずから存在者になり得たとも言え、多くの言葉に温かさと気遣いを伺うことができた。

 「どうでもいいじゃねぇか。」―力強い兜太の口調に多くの人が救われる。率直にものを言うことはそう簡単なことではないことを多くの大人が実感するのである。

 大正の男が春浅き日に消えた。巨人は巨星になった。最後の存在者ではないかと思える兜太がいないこれからを思うと不安が募る。

※存在者とは「そのまま」で生きている人間。いわば生(なま)の人間。率直にものを言う人たち。これが人間観の基本です。     金子兜太 

―2016年 朝日賞受賞記念講演より


〇金子兜太追善句集

                   北川美美

海程秩父道場にて兜太氏は旅館側で用意した両断されたバナナを片手摑みに登場。2015年の春だった。

マラソンや手渡すバナナ半裁に



〇平成雪月花句集

                        北川美美

 雪

ひとりきてふたりきてさあゆきまろげ 2012(24)

つみつもるがれきにゆきのふりつもる 2012(24)

てのひらにかみさまのゐてゆきのきゆ 2018(30)

 月

満月にすこしほぐしておく卵 2013(25)

夏の月うしろ歩きのさやうなら 2016(28)

 花

初花やひかりあつめてゐたりけり  2011(23)

国旗の如く運びしビニールシートへ花  2013(25)

走ることすはなち桜吹雪かな 2016(28)

夜桜に背中を向けて座る席 2016(28)

きのふよりふくらむ桜遊ぶ鳥も 2016(28)


   春の雷  北川美美

せせらぎがきさらぎ色にひかりだす

セーターに水をくぐらせ獣めく

蠟梅や冷たきままの壺の水

家ごとに水路を渡す橋に雪

人と人抱き合ふ隙間草の花粉

しばらくは四角い部屋のヒヤシンス

春隣抱かるる稚(やや)に見つめられ

摘み過ぎの土筆を飼ふや硝子瓶

階段を昇つた先の春の海

マネキンの隣に座る日永かな

石鹸玉突ひて青空破りけり

孕み鹿瀧に打たれし人に寄る

半円を描きて霞吐きにけり

夕暮やからだ斜めに梅の園

闇を来て雛の後ろに着きにけり

うどんやに掛け軸の絵の雛かな

傷跡が痛くてならぬ春の夜

春の雷たましひひとつ谷渉る

電球を昼間は消して花の山

朧夜につかんではなす豆腐かな



●【第83回海程秩父俳句道場潜入ルポ】特別イベント編 (講演:筑紫磐井、関悦史) ~断崖を窓辺に社会性俳句・兜太造型論を考える秩父の春~ /北川美美

                         2015年5月15日金曜日


 特別イベントとして、筑紫磐井、関悦史の両氏の講演が道場二日目の午前に行われた。前日の夕食の席で金子兜太主宰より「当代きっての論客の御二方」と紹介があった。海程の皆様はもとより、一番この講演を楽しみにしていたのは兜太主宰自身と思え、両氏へのエールが伝わってきた。

 筑紫氏はの秩父道場ゲスト講演は2回目である。筑紫氏の昨年12月刊行の『戦後俳句の探求<辞の詩学と詞の詩学>-兜太・龍太・狩行の彼方へ―』の内容の大半が金子兜太論、そして社会性俳句、前衛俳句について割かれていることから今回の招聘の依頼があったようだ。帯文(下記)を金子兜太主宰が記している。


戦後俳句の全貌を

表現論を梃に

見事に整理してくれた

のが、この本。

著者は初めて本格持論

『定型詩学の原理』で

注目を集めた、俳壇を代表する評論家。

料理の腕前は冴えている。

―金子兜太


【関悦史講演】

 講演は関悦史氏からスタート。関氏の論評は兜太主宰も目にされている様子が伝わり「油の乗り切った書き手」と称賛。確かに関悦史はここ数年で執筆の場を広げ、現在は角川『俳句』において俳句時評を担当、その他俳句関連の誌上での活躍を目にする機会が増えた。

 2014年12月8日朝日新聞掲載の朝日俳壇<うたをよむ>の欄、昭和13年作の白泉句<銃後といふ不思議な町を丘で見た>が現代にも通じる恐怖として鑑賞され、非常に記憶に残る一文であった。

 さて実際の講演内容、関氏は社会性俳句について語るようだ。まず「社会性俳句」の用語説明に関氏は「時事詠・社会詠」という言葉を使用していた。(筑紫著書『戦後俳句の探求』の中では、<社会性のある句><社会性俳句>と用語の範囲を広げ細分化して定義している。ここでは、関氏がそういう言葉を使用したということに留めたい。)また告発やスローガンに陥りやすい傾向をどう乗り越えてきたのか、時代の事象、事件とともに古沢太穂句をテキストとして説明。そこには実作者である関自身の興味「何故古沢太穂が生涯において社会性俳句を詠みつづけることができたのか」と、時を経て太穂句に対する関の見方が変化してきたことが反映されている内容だったように思う。

社会性俳句の特徴のひとつとして関氏は以下を語る。

関:社会性俳句の性質として単なる時事詠にとどまらない「美しくないものが魅力的である」という芸術としての側面があった。

資料として、「古沢太穂の第一から第六句集・拾遺」と句集別に例句が並ぶ。


ロシア映画みてきて冬のにんじん太し 古沢太穂 

ローザ今日殺されき雪泥の中の欅 

ビラ百枚貼り終わりたり五月の朝 

ででむしがへ角かあし子らの日だ 

熱砂に漁婦泣き「日本の巡査かお前らは」


実際の一句に触れておこう。


白蓮白シャツ彼我ひるがえり内灘へ  古沢太穂  

                   第二句集『古沢太穂句集』1955


 この句の制作年あたりの社会的な事象として松川事件、三鷹事件などにつづき、内灘闘争の説明があった。内灘闘争(うちなだとうそう)とは、昭和24-32年、石川県河北郡内灘村(現在の内灘町)で起きたアメリカ軍の試射場に対する反対運動で、太穂は実際に内灘の反対運動に参加している。


参考:(内灘町ホームページ内の内灘闘争についての説明)


関:「内灘」闘争自体は歴史の彼方の事件となったが、この句自体は事件と一緒に古びることもなく、記録映画の名作のように、かえってこの句によって内灘が記憶されるというようなことになっているのではないか。


さらに、講演後のこの句に対する関氏の見解が掲載されていた。


古典とは唯一の意味を永遠に発し続ける作品をいうのではなく、歴史の推移に応じて無限に多様な意味を産出し続けることができる作品をいう。そうしたことをロラン・バルトが書いていた。言い換えれば、見え方が変わり続けることができるのが古典たりうる作品の条件であり、太穂のこの句もそうしたものになりつつあるということなのかもしれない。

        (WEP俳句通信vol.85 筑紫磐井『戦後俳句の探求』散策/関悦史)


 古沢太穂の掲句は、実は、筑紫氏の『戦後俳句の探求』の中で語られる句であり、兜太氏の<原爆許すまじ蟹つかつかと瓦礫あゆむ>と並列し、この二句の評価を認めない川名大氏と筑紫氏の論争が続いている問題句でもある。ちなみに筑紫氏は『戦後俳句の探求』の中で、社会性俳句作家の沢木欣一が定義した<社会性のある俳句とは、社会主義的イデオロギーを根底に持った生き方、態度、意識、感覚から生まれる俳句を指す>に太穂の句がもっともぴったりとする」と記している。そして、「白蓮の句が太穂句の中でいちばん輝いてみえる」とも記している。


 関氏の講義資料は、更に、富沢赤黄男、三橋敏雄、渡邊白泉、攝津幸彦、最新の例句として竹岡一郎、水岩瞳、渡辺誠一郎、森島裕雄、谷川すみれの句が並ぶ。


 戦火想望俳句の当時の実作について関氏は以下を語る。


関:戦火想望俳句ついては、何故実際戦地に行かず想望して制作することができたのかということが疑問が生まれるが、当時は戦地での日本の情勢を知らせる、映像が一般公開されていた。なので映像を観て作ったのではないかと言われている。


射ち来たる弾道見えずとも低し 三橋敏雄 

赤く青く黄色く黒く戦死せり 渡邊白泉 

繃帯を巻かれ巨大な兵となる 〃

南国に死して御恩のみなみかせ 攝津幸彦


 戦火想望俳句の特徴として無人称の淡々とした句が特徴であることに触れていた。攝津幸彦句では戦争世代ではない攝津幸彦がかの大戦をノスタルジーとして捉えている世代感を説いた。


 そして最新の社会性俳句として関氏選句によるものを上げ現代の社会性俳句と思われる句、刊行間もない竹岡一郎氏の『ふるさとのはつこひ』が檀上に上がるなどタイムリーな内容だ。


折々の兵器と契る鬼火かな  竹岡一郎 『ふるさとのはつこひ』 

署名する「さよなら原発」秋暑し 水岩瞳 『薔薇模様』 

被曝して玉虫走る殺さねば 渡辺誠一郎 『地祇』 

レジ台をぶち壊す刻冬の雁 森島裕雄 『みどり書房』 

少女寝る同じ地平にホームレス 谷川すみれ 『草原の雲』


 足早ではあったが(しかし予定時間をオーバーしたようだが)、古沢太穂に焦点を絞り社会性俳句について知る良い講義だった。関氏のトークを聴くのは2009年に行われた『新撰21競宴』でのシンポジウム以来だと思う。聴講側の理解が追いつく聴きやすさになったと感じたのは、関氏の経験値そして自分の知識量も多少増えたから?などと思ってみたり。新撰イベントから時が経ったのだ。


 会場の70代とお見受けする男性同人から具体的実作について「世界中で起きる時事を自分の実生活の情景で描きたい」と発言があった。


人類に空爆のある雑煮かな   関悦史


 思うに関氏の空爆の句を成功していると思う、羨望する側からの発言だろう。現在の社会情勢を詠みたい、意欲的ある実作者のナマ声であった気がする(質問とも希望とも受け取れたため、関氏のコメントは「可能と思います。」としていた)。大宮区の三橋公民館で、「9条守れ」と訴えるデモを詠んだ句が思い出された。この句の掲載可否をめぐる論議は続いていて兜太主宰のコメントもマスメディアから発信されている。社会性俳句に挑戦したいと思う方が海程に限らず大勢いらっしゃるのだ。参考:(埼玉新聞)


【筑紫磐井講演】

つづいて筑紫磐井氏。

 「「豈は重信系と世の中では思われている」と筑紫氏が発行人を務める「豈」についての世間からみた師系分類について紹介をする。攝津は高柳重信の「俳句評論」が主催する<50句競作>で見出された新人であり、誰もが重信系と思っている。え!?違うんでしょうか? と思ってしまうのも無理はない。そして「【海程】を語るというのは現代俳句を語ることになる」とつづける。何ごと!?と思う読者もいるかもしれないが、これは海程道場のプライベートな講義であることを忘れてはならない。


 関氏の「社会性俳句」に焦点を絞った講義から、筑紫氏の話の内容は、造型という主題に絞って話が進んだ。といっても自分が反応できた内容(話に反応できたという意味)は、発言のところどころであり、兜太造型論には改めて理解努力が必要である。


 潜入ルポといいつつ、筑紫氏の講義部分については「海程」誌上での筑紫氏執筆のサマリーをご参照いただきたい。部分的な切貼りになるが「造型俳句」について以下引用に努めさせていただく。


・「造型俳句」について

 筑紫氏の著書『戦後俳句の探求』(122頁)では、前衛俳句論争の兜太以外の周辺的発言は兜太自身の制作に反映されている保障が必ずしもないので省いたことが記されている。造型に関わるものについては、以下が抜粋されている。

・造型に関するもの=「俳句の造型について」(角川「俳句」S32/2-3)「造型俳句六章」

造型俳句の七か条

① 俳句を作るとき感覚が先行する。

② 感覚の内容を意識で吟味する。(それは「創る自分」が表現のために行うもの)

③ 「創作する自分」の作業過程を「造型」と呼ぶ

④ 作業の後「創る自分」がイメージを獲得する。

⑤ イメージは隠喩(兜太は「暗喩」という)を求める。

⑥ 超現実は作業の一部に過ぎない。

⑦ 従って「造型」とは現実の表現のための方法である。また「造型俳句六章」では、主体的傾向の技法分析を行い、①感受性、②意識、③イメージを列挙して詳細に論じる。


 また筑紫氏は、兜太前衛俳句を新俳句史として組み込むことを発信している。


 兜太の俳句史の何が画期的かというと、実は従来の歴史観は後述する「伝統」の名の下に虚子の花鳥諷詠と草田男の人間探求を括り、「反伝統」の下に新興俳句と前衛俳句を括って対立させていたのであるが、(現代俳句協会から俳人協会が分裂した理由はこの理念対立に基づくものと考えられている)、実はそうではない歴史観があるということを提示した点である。反伝統の下に人間探求派も新興俳句も前衛も括って、虚子の花鳥諷詠の伝統に対峙させてしまったということなのである、季語の有無のような枝葉末節の問題ではなく、表現態度(諷詠対表現)で俳句史を描いてみようというまっとうな態度であった。 

(『戦後俳句の探求<辞の詩学と詞の詩学>』187頁)


老人は青年の敵強き敵  筑紫磐井


 当時の論争を元に、「老人=草田男、青年=兜太 として読むこともできる」と会場での筑紫氏。さらに時を経て、筑紫氏は新たに歴史の括りを引き直す。


 下記は資料として配布されたもので、兜太造形史観を元に筑紫氏があらたに提案する新俳句史である。(傍線入りが筑紫氏考える新しい俳句史)


[兜太の造型史観の俳句史と筑紫による新俳句史] 

1. 諷詠的傾向=伝統俳句

① 花鳥諷詠=近代の伝統(虚子) 

② 人生諷詠=現代の伝統(波郷)

2. 表現的傾向=反伝統俳句

① 写生的傾向(子規)=新俳句 

② 写生的傾向(碧梧桐)=新傾向俳句 

③ 象徴的傾向(楸邨・草田男)=人間探求派 

④ 主体的傾向(誓子、赤黄男、三鬼)=新興俳句 

⑤ 最新の傾向(兜太)=前衛俳句


 また海程所属の主要作家である阿部完市が(1928-2009年)を俳句史に入れることを忘れてはならないと筑紫は説く。『戦後俳句の探求』の中でも阿部完市の詩学についての項(第7章、第8章)があり、阿部詩学を解くことが辞(助詞・助動詞)の詩学と解く鍵になるとも考えていることがわかる。


 難解といわれている阿部完市の句を筑紫氏は整理していく。阿部完市句は「定型・辞・意識」に分類されるという。辞とは「助詞・助動詞」のことである。山本健吉の「挨拶・滑稽・即興」を模倣したキャッチコピーである。筑紫著書には「阿部の詞の詩学と辞の詩学がどのように統合されるかは阿部完市の詩学には宿題として残されている。」とある。「その上で新しい詩学が見えて来るであろう」、と筑紫氏は記す。


 当然ながら兜太の前衛を考える上で阿部完市が何故、「海程」に入ったかという疑問が生じる。阿部完市は、「俳句評論」だったのだから。そして作品上でも阿部完市と金子兜太を結びつけることが困難だからだ。それに触れることは、何かを解き明かすことにつながる。


 なぜ、「海程」という場で兜太と阿部が協力したのか。これは憶測に過ぎないのだが、第一に難解俳句の問題があろう。(中略)その難解俳句(少なくとも阿部の詩学の前提となる難解俳句)を作りあげたのは金子兜太であった。第二は、兜太が「詞の詩学」の成果の具体的提供者だったからである。(中略)第三は、阿部も一種の天才であった。天才が自由に才能を発揮するためには自由な環境が必要であり統制は敵であった。兜太は少なくともこうした理論的考察にあっては党政派を示すことはなかった。 

(『戦後俳句の探求』247頁)


 講演での踏み込んだ言及としては「考え方も俳句も高柳重信に近いだけつぶされかねない、それが阿部完市が金子兜太を選んだ理由だったとみている」というフレーズがあった。


 「現代の俳句は古典を志向しているが、海程は未来を志向している」と筑紫氏。これは冒頭の「【海程】を語るというのは現代俳句を語ることになる」に通じるもので筑紫氏の考える新俳句史に兜太の前衛俳句が組み込まれるのである。


 最後に金子兜太主宰からの話があった。

 「人生、死ぬまで開放的でなければならないと思っている。虚子が晩年にやったようなことを考えるわけだが、おもしろいことになりそうな予感がある。俳句というのはリアルタイムの活動なのだから。」


 講義後、休憩に入った。兜太主宰は入場時に握っていた両断されたバナナでエネルギー補給をされていた。愛らしい姿だった。午後の句会では兜太主宰の豪快なコメントが飛び交う。選句眼に金子兜太らしさが出ている。背筋の伸びた大物という印象だった。


【付録】1

・筑紫講義から軌道を外すが、筑紫氏が冒頭で「「豈」は俳句評論系と思われている」という挨拶を紐解き、当時の「俳句評論」系と「海程」の袂分け再確認してみた。当時を知るよしもない自分にとっては、その紐解きも興味がわく。面白いことに群馬県の土屋文明文学館では「金子兜太・高柳重信展」が1998年に開催されている。その図録に多少の経緯概略がある。実際の兜太と重信の論争については、兜太が山本健吉に批判されたことからはじまる。


縄とびの純潔の額(ぬか)を組織すべし  金子兜太 

奴隷の自由という御寒卵皿に澄み


 健吉は上記の兜太句を啓示して詩があるか、舌足らずのイデオロギーがあっても思想があるのかと批判する。この論争の渦中に兜太の<造型論>が育ってゆく。従来の俳句の作り方は対象と自己を直接結合させる素朴な方法であるが、造形はこれに対して、そのような態度結合を切り離し、その中間に結合者としての「創る自分」をおこうとするもものである。この考えによって想像の主体の確立がはっきりと自覚されたわけで、草田男がそんなことは誰でも実行していること、あたりまえの事実を述べているだけのことと一撃される。

(中略)

 兜太の「海程」重信の「俳句評論」に若い人々をあつめたが、しだいに相互の相違点がきわだつようになった。「海程」ではものとことばの二重構造が俳句なのだと言った。「俳句評論」では、ことばが俳句の唯一の根拠であり、ことばと作家のかかわりのうちに作品が次第に定着出現してくるのだと主張した。こうした対立と論議のなかから、俳句がことばの自立体であること、読みということの重大さなどが現代俳句の新しい問題として浮かび上がってきたことは、忘れることのできない劇的な収穫であった。 

(「金子兜太と高柳重信~俳句史的に~/平井照敏 1998(平成10)年群馬県立土屋文明記念文学館第五回企画展~戦後俳句の光彩~「金子兜太・高柳重信」図録」 


 この対立は、兜太が『詩形一本』(吉田書房S49)の<<花>は遠のき>中で、重信が『バベルの塔』(吉田書房S49)の<書きつつ見る行為>の中でその論理の対立がみられる。


以下引用を参考にしていただきたい。

・金子兜太の<<花>は遠のき>の結論部分

「つまり、<花>が象徴性よりも現実性(現実性に富む喩という言いかた)において受け取られ、そのために、相対的に流動的にあつかわれている、ということである」

・高柳重信の<書きつつ見る行為>の結末部分

「したがって、この作品に加わっているのは、俳句形式と、その形式に反応しながら自由に流れてゆく言葉と、それを書き留めてゆく僕の手である」


【付録】2

海程秩父道場に参加した感想

 <海程>というのは、金子兜太主宰の大きな結社であるということは存じていた。しかしながら、先にあげたように阿部完市と金子兜太がどう結びつくのかも疑問であったし、加えて、現代俳句協会でつぎつぎに新人賞を獲得する若手、例えば、田中亜美、宇井十間、宮崎斗士、月野ぽぽな、中内亮玄、そして、早い時期に名声を手にした五島高資…などなど、その作風がそれぞれ異なり、自由で力強い雰囲気とともに近寄り難い謎の結社という印象があった。実のところ、過去現俳協新人賞には応募しながらたびたび海程所属の方々が獲得されるという多少の個人的恨みがあったのだ。今回、『造型論』を少し紐解いてみると、その魅力は、金子兜太造型論そのものが多くの俳人産出に繋がっているという印象を持った。

 幹事の宮崎斗士氏をはじめ海程の皆様にあたたかく迎えていただいた。お礼申し上げます。