2022年2月25日金曜日

句集歌集逍遙 櫂未知子『十七音の旅』/佐藤りえ

ウィルス禍によって旅から遠ざかって久しい。どうにも動きが鈍い理由はそればかりでなく、二匹に増えた老猫のことが心配で、なかなか自宅から遠ざかることができない。

そんな折に読む『十七音の旅』はさまざまな思いをかきたててくれた。本書は著者が北海道新聞に連載したエッセイをまとめたもので、先頭から余市・北海道・日本と三つの章立てがなされている(全然関係ないけれどフィッシュマンズの「宇宙 日本 世田谷」を思い出した。構造が逆だけど)。

東西の名句をひきながらの短いエッセイ群のうち、「余市」の章は著者の個人史的な話題が中心で、「北海道」はその名の通り北海道にまつわる話、「日本」の章は国内のあちこちへの旅や移動にまつわることごとが綴られている。季語にこだわりのある著者らしく、ページの欄外下側には引用句の季語と季節がきっちりしるされている(巻末には季語索引も備わっている)。

「余市」の章では著者の家族のこと、幼少期の思い出なども披瀝されているが、それはとりもなおさず昭和史としても機能している。昭和がすでにふたつまえの和暦であることを思うと、当然のことながら時間はどんどん過ぎていくのだなあ、ということをいたく感じる。単なるノスタルジーと呼ぶには、どうだろうか、昭和35年生まれの著者の綴る昭和は、カラー映像やカラー写真で記録されはじめた時代だ。記録というよりは記憶と、まだ言えるのではないか。それでも北海道、また余市ならではの行事や地誌を読んでいると、あこがれのような思いを抱いてしまうのは、筆者が内地の人間だからかもしれない。

本書のもうひとつの大きな特徴は、著者の参加する蝦夷句会や北海道俳句年鑑からなど、北海道の作者の作品が多数ひかれていること。


拓銀もディスコも遠しラムネ吹く 大澤久子

春北風の先兵は槍利尻富士 源鬼彦

雪の汽車吹雪の汽車とすれ違ふ  鈴木牛後


文中の引用句から、北海道関係のものをひいた。北海道拓殖銀行、その名はバブルの轟音をともなって記憶に留められている。利尻山が利尻富士とも呼ばれることは近年のテレビ番組「グレートトラバース」で知った。遠く住まう者にとっては暢気な話題だが、地元の人にとっては槍のように鋭い風が春を知らせる場所でもある。筆者もディーゼル車の運行区間に住んでいたので鉄道といえば「汽車」だった。しかし吹雪の汽車、と呼べるようなものはなかなかお目にかかれるものではない。雪というアイコンは今日も北海道らしさが最もよく表れる素材かもしれない。

1ページずつのエッセイは小気味よい文章でどんどん読みすすめてしまう。俳句プロパーにとっては北海道と東京をどんどん行き来する著者のバイタリティを楽しむ本であり、一般の読者にとっては、名句の読み方と俳句周りの話題を肩肘張らずに摂取できる良書である。思えば初学の頃、こうして俳句を紹介する本や、さまざまな文にひかれた俳句から俳人を知るきっかけを得たものだった。こうして知り得た句はなかなか忘れがたいものだ。

カバー写真の木造駅を眺めていたら、やはり旅に出たくなった。まずは今猛威を振るっている感染症の流行が落ち着くことが先だけれど、その後、できれば分身の術など身につけて、文中に登場する神威岬や小樽を訪ねたい。

『十七音の旅』(北海道新聞社/2021)

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