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2014年4月25日金曜日

【「俳句新空間No.1」を読む】 ときに劇的な /  堀下 翔


思ったことを書く。

梅咲いた。人わらはせる芸つらし 堀本吟

つらい。他人はなかなか笑ってくれない。これでもかと笑わせにかかって、ようやく笑ってくれたとしても、今度は「自分、どうしてこんなことをしているのだろう」と情けなくなって、つらい。芸をする人はみんなそうだ。この国で初めて芸をしたひともそうだった。古事記に登場する海彦のことである。永六輔の本から引く。

「海彦・山彦の話はご存じでしょう。山彦は海彦から借りた釣針を無くしてしまい、もとの釣針を返せと迫られて困りはてる。そうしたら、海の神さまが山彦に同情して釣針を探し出し、それだけじゃなくて、傲慢な海彦を懲らしめるために、山彦に不思議な力を授けるんですね。それで山彦が勝者になる。/それ以来、海彦の一族はその負けたときのありさまを、山彦の一族のまえでずっと演技しなければならなくなるんです。/神話ですが、これが「芸人」のはじまりということになっているんです。」(永六輔『芸人』岩波新書・一九九七年)

海彦、つらかったろう。人を笑わせることはもともと罰だったのか。

ところで古事記はこの海彦を「わざおぎの民」と呼んでいる。わざおぎ、「俳優」と書く。俳人としてはここで一気に彼に親近感がわく。俳優も俳句も、同じ「俳」の字を持った仲間だからである。同じ字である以上、どこかしらで繋がっているのだと思う。ただそれは、また別の話になる気がするので、置いておく。ここでは無邪気な連想ゲームにとどめておいたほうが、気楽だ。

俳優といえば、劇。俳句を読んでいるとときどき、俳句と劇は似ている、と思う。まず第一に、見せられたものしか知ることができない。

宝舟すこしはなれて宝船 堀田季何
宝舟と宝船がありました。それだけしか教えてくれない。どうしてふたつあるの。どうしてすこしはなれてるの。どうして舟は種類が違うの。明快で親切な小説なら、このあと地の文でいきさつを書いてくれるかもしれない。けれどもここでは、舟がふたつあるところを見せて、それっきり。

コミュニケーションが成り立たない。舞台上にある大道具、あるいは意味ありげに発せられた科白。舞台の構成物でありながら、その目的は、向こうが説明しない限り、分からない。この一方向性においてまず、俳句と劇は似ている。

夏芝居後姿の泣いてゐる 小沢麻結
芝居を見ていて、役者の後姿が泣いているように見えた。理由があるのかもしれないが、聞くことはできない。後姿が泣いているように見えた時点で、俳句にしてしまったから。こっちから話しかけることができないのは、ものすごく一方的で、ちょっと理不尽である。

おしぼりが正位置にある福寿草 上田信治
どうして正位置なの。どうしておしぼりなの。おしぼりが正位置にあることしか、わからない。もっと言うと、どうして福寿草なの。この問題は、取り合わせの俳句を読むときに、ずっとついて回る。どう考えてもこの季語以外にありえないのだが、なぜそうなるのか、見当がつかない。やはり、理不尽。

劇が面白いのは、劇場で見るからだろう。劇場に入ることで、仕切りが生まれる。

一時間前ははうれん草畑 依光陽子
一時間前、ほうれんそうと土の色に囲まれていた。いまはどこにもないが、あのあおあおとした感じが、まだ体のどこかに残っている。「まだ」と思うのは、ここがほうれん草畑ではないからだ。どこまでも仕切りなくほうれん草畑だったら、なんとも思わない。

鳴りやんで涼夜や耳鳴りだったのか 池田澄子
耳鳴りが止まって初めて耳鳴りだったと気づく。仕切りがあるから気づく。もちろん、耳鳴りなんてしないほうがいいけれど、それでもびっくりするのは楽しい。

劇場は仕切りだ。そしてそのなかに、舞台という仕切りがある。

我を指す人差指や師走の街 林雅樹
包丁ら青々として芒種の町 小野裕三

この仕切りは、劇作家が作る。ここから先は師走の街である、芒種の町である、そう決めました、と。一方的な仕切り。見る人間は、従う。その人々はたいがい好意的なので、従うのが楽しくて来る。小説家が、師走の街をいかに読者に歩いてもらうか、必死になるところを、劇作家は、俳人は、「師走の街」と言えば、とりあえず信じてもらえる。つくづく変な形式だと思う。

信じてもらえるのは、このあと何かが起こるという、信頼関係があるからだ。「劇的な」という形容詞があるように、劇は、何かが起こる前提にある。「劇的な」という言葉の「劇」を「激しい」くらいの意味で思っている人が多いけれど(じじつ「劇」の第一義は「激しい」である)、「劇的な」というときには、劇に出てくるようなありさまを言う。

北窓を開きそのまま海のひと 近恵
窓を開けるという物理的な行動によって、春を呼ぶ。開けたら見える海に、そのまま同化してしまう。快感。そして劇的。書いた後に思った。この言葉、少し便利すぎるかもしれない。短い俳句のことだから、起承転結の「転」を持ってきたくなる。

新涼の神父三角座りだが 岡村知昭

神父が三角座りの時点で、かなりどきっとする。秋は寂しくなりやすい季節であるにしても、神父ともあろう者が、三角座り。しかも話はここで終わらない。「だが」って、まだ何かあるのか。二転三転、ドラマチック。

ドラマチックになるという信頼感は、ときに先走る。

電話機を見れば鳴りさう秋の昼 林雅樹

電話なんて一日のほとんどを沈黙しているのに、鳴りそうに見える。電話が鳴るわずかな瞬間こそが、電話の本領だから。あの電話、鳴るぞ。鳴っていないうちから思う。

幽霊の飛び出しさうな冷蔵庫 小久保佳世子
冷蔵庫は幽霊が飛び出してくるもの……ではない。死体が入っていることはあっても、幽霊が出てくるなんて話、ちょっと聞かない。「幽霊の飛び出しさうな(状況下にわたしの目の前にある)冷蔵庫」と言えば、少しは理屈で説明できそうだ。怖い話を聞いたあと、トイレに行けないのと同じ。幽霊が出るにちがいない、という期待。

盆の家みんな眼鏡をかけてゐる 仲寒蝉
そこにいる人みんな眼鏡。もしかしたら気づかないだけで、日常にそんなケースはたくさんあるかもしれないが、ここはわざわざ区切られた舞台だ。みんな眼鏡をかけていることが、意味めく。
劇に必要なものもう一つ、演技。

頬被りして笑い皺深うせり 後藤貴子
鬼灯の赤を呪ひの道具とす 中山奈々

何かを身につけたり、使ったりすることで生まれる仕切り。劇作家の平田オリザが、書いていた。「プライベートな空間では、演劇は成立しにくい」(平田オリザ『演劇入門』講談社現代新書・一九九八年)。頬被りをすること、鬼灯を道具にすること、そんな変化で、劇が始まる。

はつとして今虫売でありにけり 西村麒麟

演じている自分までびっくりするくらい、演じる。なんで自分は虫売なのだろう。何者かになる行為自体が、ドラマチックである。見る方も、見せる方も、劇の中で、だまされる。

松だよとだまされてをる小春かな 山田耕司
だまされていると知りながら、いい気分になっている。ううん、劇も俳句も、不思議な営みだなあ。




【筆者略歴】

  • 堀下翔 (ほりした・かける)

1995年北海道生まれ。「里」「群青」同人。俳句甲子園第15、16回出場。
現在、筑波大学に在学中。




2014年4月11日金曜日

【「俳句新空間No.1」を読む】 平成二十五年癸巳俳句帖より(その1) / 黄土眠兎

『俳句新空間』刊行おめでとうございます。

表紙が可愛い!お洒落ー!なのに、郷愁を誘う表紙絵、トアルコトラジャコーヒーの文字に釘付けになりました。そこで、歳旦帖より(勝手に)「トアルコトラジャチーム」なるものを作り打順を組んでみました。そして、「トアルコトラジャチーム」の対戦相手「ロイヤルコナチーム」の投手になりきって歳旦帖シリーズを振り返ってみることにします。


コナ敗戦投手の記憶。


一番 月野ぽぽな 元旦の空ていねいにやぶきます

いきなり初球から打たれた。「元旦の空もわたしにかかったらこんなものよ。ふふふふん。」と。一緒にニューヨークの元旦の空をやぶってみたい気持ちになってしまったじゃないか。でも、思いとどまった。・・・大リーガーはすごい。


二番 山田耕司  信仰やいやいやをしてせんぷうき

扇風機の首振り機能に「信仰の自由」を発見してしまった!ボタンひとつで寝返る(信仰)こともあるけど、押しっぱなしだと電源を喪失するまでいやいやしたままじゃないか。いや、信仰は電源を喪失してもいやいやしたままなのだ。下五までねばられ、また打たれてしまった。


三番 西村麒麟  流星を見てトラックは次の街

何のトラックかどんな街なのかはわからない。サーカスかしら?ひと仕事終えたトラックが次の街に行く様子が、「流星」を出してきたところでぐっと胸に迫ってきた。油断した私のグラブを弾いてヒット。満塁になってしまった。


四番 筑紫磐井  初雛の隣家にスタア誕生す

四番かあ・・2ストライクから・・この少子化の時代、「初雛」で「スタア誕生」ってプリンセス誕生じゃないか!ドヤ顔の満塁ホームラン。やられた。


五番 下坂速穂  瓜の馬寄り道をして帰られよ

さ、気を取り直して・・と思っていたら、お盆に帰って来られた親しい人(ご両親だろうか?)の魂に、もっと長く居てほしいという気持ちがひしひしと伝わってくるじゃないか。その優しさに打たれてしまった。

六番 福永法弘  不器用を武器とし愛の四月馬鹿
「不器用を武器」にするなんてどこの馬鹿?と思ったんだけど、四月馬鹿なのね。しかも「愛の四月馬鹿」なんて・・・もうそのフォームでまいっちゃった。身を張って(デッドボール)出塁。


七番 藤田踏青  宵山の汗汗汗の人柱

人柱の意味がちょっと違うかな?とも思ったんだけど、祇園祭の宵山を知っているものにとって、この絵画的表現には大きく頷くしかないんだよね。手がすべって汗をもう一つ投げてしまった!フォアボール(四汗)になっちまった。


八番 小久保佳世子 人だつたかしら月夜の交差点

「人だつたかしら」なんてとぼけたことを・・・と、なめてかかって変化球を投げたのに、「月夜の交差点」とあっさり打たれてしまった。それは、人じゃなかったような気がします。参りました。


九番 仲寒蝉   春の闇人のかたちになれば抱く

春の闇にはいろんなものがいそうだなあ。人のかたちになったら抱くって?元は何でもいいの?河童でも?その金本兄貴並みの器量の大きさに負けました。

監督 高山れおな  秋風や無学哲学みなあはれ

虚子もびっっくり。無学は「あはれ」なのかなー?と、考えこんでいるうちに・・私のシーズンは終わった。今はもう秋風が吹いている。あはれ。




選抜された作者のみなさんごめんなさい。ビビっと響いた好きな句を並べた勝手な解釈でのオールスターでした。

今年も始まっている歳旦帖。トアルコトラジャチームの四番を越える打者が登場するのを甲子園でお待ちいたしております。

トアルコトラジャチームに栄光あれ!


<続く>


【筆者紹介】
  • 黄土眠兎(きづち・みんと)
1960年兵庫県生まれ、兵庫県在住。「鷹」同人、「里」人。




2014年4月4日金曜日

【俳句新空間No.1を読む】 平成二十五年癸巳俳句帖・中山奈々の句を読む /小鳥遊栄樹

私が尊敬する俳人の一人、中山奈々さんの俳句を鑑賞させていただきます。

【春興帖】

季語が春いろはで統一されている三句でした。歳時記で調べてみたところ、春いろはという季語は見付からなかったので、いろは→色葉→秋の季語、紅葉の傍題→春の色葉は桜?と個人的な解釈で読ませていただきました。作者の視点としては、保育園や幼稚園の先生が児童を見ているような視点の句のように思えました。

包装紙切つて花びら春いろは
包装紙を切って花びらを作っている。花びらが貼られている画用紙はきっと春で溢れているのでしょう。

春いろは最後に抱きしむる遊び
おままごとをしている景でしょうか。最後は抱きしめて「おやすみ」で終わる優しい雰囲気の句に思えました。

母を見るための眼や春いろは
子から見る母はやはり偉大だなと思わせてくれる句でした。

【花鳥篇】


葉桜や臨機応変にも限度
私が中山奈々さんの俳句の中でも好きな句の内の一句です。桜から葉桜に変われるけれど、臨機応変にも限度がある。滑稽味があるようにも思えました。

ほととぎす薬の殻の角曲げる
錠剤が入ってる銀色のシートの角を曲げている無機物感とほととぎすの取り合わせは新鮮だなと感じました。

ほととぎす泰淳著書はみんな書庫
武田泰淳は日本の小説家。第一次戦後派作家として活躍。主な作品に『司馬遷』『蝮のすゑ』『風媒花』『ひかりごけ』『富士』『快楽』など。 (Wikipedia参照)和風な一句ですね。著書が書庫にしまわれている静かさとほととぎすの取り合わせは綺麗だなと思いました。

【秋興帖】

ホラーチックな三句でした。色をテーマに詠まれているのかなと思いました。

鬼灯の赤を呪ひの道具とす
言われてみたら呪いの道具として使われていそうな赤色をしているなと思いました。

心臓の色のチークや雁渡し
凍星や臓器それぞれ違う色(ローストビーフさん)をふと思い出しました。チークを心臓独特の色(個人的には赤くくすんだ肌色を想像しました。)と表現したのが面白いなと感じました。

禰宜のあを巫女の赤銀杏踏みぬ
禰宜(ねぎ)とは、神職の職称(職名)の一つである。「祢宜」とも書く。今日では、一般神社では宮司の下位、権禰宜の上位に置かれ、宮司を補佐する者の職称となっている。(Wikipedia参照)巫女さんが銀杏を踏んだ景でしょうか。不思議な雰囲気の句だなと思いました。

【冬興帖】

季語が冬帽で統一されている六句でした。家族的な暖かさが感じられる六句でした。

冬帽を二つ挟んで妻の顔
夫(父)目線の句でしょうか。冬帽をかぶってる子供二人を抱き締めてるような景が浮かびました。

冬帽の二人とも貴方の子ども
やはり夫か妻目線の句なのでしょう。一句目があったので夫目線ということで読ませていただきます。この句は一句目の続きでしょうか。妻が子供を抱き締めてるのを見て夫がふと言った言葉のようにも思えます。

冬帽の色か黒子で見分けたる
この子供はよほどそっくりな兄弟か双子かのどちらかなのでしょう。私の友達にも目が怖そうか優しそうかでしか見分けられない双子の友達がいます。

冬帽のよく笑ふ歯抜けで笑ふ
笑顔が可愛いお子さんですね。歯抜けってことは、結構小さなお子さんなのでしょうか。

冬帽は悪童冬帽は双子
冬帽=悪童、冬帽=双子、つまり双子=悪童なのでしょう。いたずら盛りの可愛いお子さんですね。

【歳旦帖】

ボス猿がテーマの五句でした。ベンツは、大分県大分市高崎山の高崎山自然動物園のニホンザル(Wikipedia参照)

去年今年ボス猿二回目の家出
この場合の家出は猿の群れを離れるという意味での家出でしょうか。家出の使い方が面白いなと思いました。

新月の新年ボスの名はベンツ
新月、新年と来て、このボスは新しいボスなのかなと思ったりもしました。

ボス猿のなき山姫始めのびのび
ボス猿がいたら姫始めものびのびできませんよね。クスッとくる一句でした。

猿人気ランキングあり福寿草
動物園の猿でしょうか。私は動物を見分けるのが苦手ですが、やはり一匹一匹名前があって違いがあり、好感度も違う。ランキングがあるのが人間味もあって面白いなと思いました。

歯固めのクッキーやボス猿模して

ボス猿が歯固めのクッキーを噛んでいるのを見て、雄猿がそれを模しているのでしょうか。個人的に月夜を想像しました。

以上、小鳥遊 栄樹による中山奈々さんの俳句鑑賞でした。

拙い文章でしたが、最後まで読んでいただけたらとても嬉しいです。



【筆者略歴】

  • 小鳥遊 栄樹 (たかなし・えいき)

沖縄俳句会「若太陽」所属、関西俳句会「ふらここ」所属、俳句誌「里」同人、俳句誌「群青」同人、メール句会「立体交差」参加、インターネット句会「週活句会」参加





※編集部注:上記の歳旦帖の中山奈々さんの句は平成二十六年歳旦帖第二のブログ掲載作品であり、「俳句新空間」の冊子収録句ではありません。原稿のまま掲載させていただきました。

※文中の(wikipedia 参照)は記事内容に従いリンクしました。

2013年4月12日金曜日

【俳句作品】平成25年歳旦・春興帖追補

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    高橋比呂子

年神も目鼻そろえば歩き出す
 
ぽっぺんこわれ二月の羽化

璞を売りきさらぎといえり

釦かぞえてならべて立春

せしうむとみきもとさくらあれにしを

馬に生れ馬に死にたる朧かな

2013年3月29日金曜日

平成二十五年 春興帖 第四

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   矢野玲奈 (「玉藻」同人・「天為」同人)
我が家にも燕来る頃かもしれぬ
きつぱりと風の中ゆくつばくらめ
初燕すべての道が青信号


   佐川盟子
旧道の廃道となる春の雨
永き日を君錆びるなよ銀に塗れ
散らばつて花は銀河となりにけり

         

   下坂速穂(「屋根」「クンツァイト」)
出掛けたる心の澄みて余寒かな
月光に蕾さしむけ春寒し
くちびるに甘き雨来し入学子


   依光正樹(「クンツァイト」主宰、「屋根」会員)
土に手を当てて感謝や豆の花
足許の水仙を見て空を見ず
竹秋のふたりのことはそのままに
草餅を買へば遣りたき人多し
その鳥を鳥馬と呼べば花の冷え


   音羽紅子(「童子」会員)
やかんより湯気のぼおおと春愁
だんだんと人あらはれて春夕
春障子なにやら語気の荒々し







  

2013年3月22日金曜日

平成25年春興帖 員外 「春宵」題詠句会帖


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平成二十五年 「春宵」題詠句会帖

時:平成25年3月5日宵の口から深夜まで
処:新宿駅南口ジャズバーサムライ(店主/宮崎二健)

参集者:本井英、しなだしん、中西夕紀、栗山心、
深谷義紀、池田瑠那、吉村毬子、鈴木忍、
西村麒麟、山田真砂年、飯田冬眞、大井恒行、北川美美、酒巻英一郎、筑紫磐井、早瀬惠子、福田葉子



春宵の窓深くして足袋襦袢     吉村毬子

春宵を水琴窟のやうに泣く


春の宵リボンのむすびめほどけたの 早瀬恵子


春宵のおつゆを追加もりそばも   西村麒麟


春宵に名があるならば緑魔子    栗山 心


でんとうの値千金春の宵      大井恒行


気がつけば長き頬杖春の宵     深谷義紀


膝に継ぎ当て言い訳めく春の宵   宮崎二健


春宵や彗星曳ける宇宙塵      池田瑠那


春宵の飲まざる酒に酔ひにけり   中西夕紀

春宵の人の心に酔ひにけり


春宵の怒涛の寄りは攝津灘     筑紫磐井


春宵や大魚の腸のほろ苦き     飯田冬眞

黒眼鏡外す首謀者の春宵

銀髪の刺客現る春の宵



  晩晴や

 春宵となる

 手暗がり

                酒巻英一郞


春宵の隅から隅までずずずいと  山田真砂年


春宵や祝盃に濃き紅の色      福田葉子

春宵の美貌の猫が紛れいる

春宵に滅ぶ少年とこしなえ



宵の春おじいさんと目が合いぬ   北川美美

春の宵身離れのよい魚だよ

春宵や胸の谷間が光りおる

春の宵てんぷらすきやきすしに蕎麦



春の宵男が胸が痛いという     池田澄子




当日の模様は次のURLへ。


2013年3月15日金曜日

平成二十五年 春興帖 第三

 
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      堀田季何(「澤」「吟遊」「中部短歌」)
カシュガルの草摘む話死の話
彼は誰の野や生ぬるき草を摘む
草摘めば毒草も摘む瑞々し
 
 
内田麻衣子(「野の会」同人)
雛あられ畏き人のおさげ髪
調理場の隅のお帳場春火鉢
ギター聴くマリア立て膝春浅し
 
 
      小野裕三 (「海程」「豆の木」所属)
春遊へ金の足音銀の足音
恐竜の背を越すあたり春の町
積み台に地名いろいろ運ぶ春
 
 
      吉村毬子
生れし日も白梅(わら)ひてゐたりしか
不二までのさねさす春の川いくつ
口あけてほろほろと来る春の宵
 
 
      もてきまり(「らん」同人「らん」372007.4 382007.7より)
オルガンに死者の指零れ春の雷
蹼で鬱出てみればなほ朧
ほらここのふらここに乗ろメランコリ
 
 
山田耕司(「円錐」同人)
妙な声だすまで春の泥うがつ
春それは麦わらを挿す穴ではない
梅咲けり人体に腹やはらかく
 
 
外山一機(「鬣TATEGAMI」同人)
コンビニのおでんが好きで星きれい
  外山一機さんがリツイート
ヒヤシンスしあわせがどうしても要る
  外山一機さんがリツイート
げんぱつ は おとな の あそび ぜんゑい も
  外山一機さんがリツイート
 
 
      堀本 吟
梅咲いた。人わらはせる芸つらし
鳥肢の人ごちゃごちゃと葦の角
風交といわねば春の友が去る
 
 
      原雅子(「梟」同人)
庭石のまだ落ち着かず百千鳥
ひこばえのひとつ秀でて日当たれる
茶柱が立つて燕のまだ来ずよ
 
 
      松尾清隆(「松の花」同人)
ハンバーグの店黄水仙飾らるる
吸ふために飛んでゐるのが蜂であり
飛ぶために吸つてゐるのが蝶である
 
 
      小林千史(「翔臨」会員)
紅梅爪立ち白梅瞠目す
雛飾りニ段目あたり壊す子等
春潮の湿りは誰の息なのか
 
 
   松本てふこ(「童子」同人)
新世界ゲート集合春寒く
桃の日や象の春子の足の裏
肉球を見せ春眠のメガネグマ








  

春興帖の反響/筑紫磐井

 3月1日から掲載している「春興帖」を、俳文学者で蕪村研究の泰斗である谷地快一先生(俳号は海紅)が、ご自身のブログ「海紅山房日誌」(3月7日分)で取り上げて下さっている。日記では2回にわたり書いていただいているが、1回は、「教材◆春帖・歳旦帖・春興帖」と題して、私が「春興帖論」でいささか粗雑に書いた春帖・歳旦帖・春興帖の違いを精緻に比較して頂いているものである。その結論として、確かに蕪村の享楽趣味を肯定されているが、「ただしその享楽は禁欲との二重写しであり、その先にある蕪村の孤影を見とどけるべき」と述べられているのは、いかにも蕪村研究の碩学らしい襟を正すべきご意見である。

もう1回は、「春興帖」全体を紹介され、 「〈あまり論じられることがないが、春興帖という環境がなければ「春風馬堤曲」は生まれなかったのかもしれない〉というあたりに、文化の仕掛け人(avant-garde)の磐井さんらしい思い入れが見えて、好ましく読み了えた」と述べていただいている。「春興帖」はそれなりに興味を持って読んでいただいているようだが、そのなかには楽しく読んでいただいている人から、眼光紙背に徹する読み方をしていただいている人まで、実に多彩だ。身の引き締まる思いがする。

「海紅山房日誌」のURLを貼っておくので、是非直にご覧頂きたい。

http://kaicoh.exblog.jp/

2013年3月8日金曜日

平成二十五年 春興帖 第二

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   西村麒麟(「古志」)

いつ来ても手鞠ころころ梅の宿

良き人と書いてあるなり鳴雪忌

雑に蒔く事の楽しき花の種

鉄斎の春の屏風に住み着かん

神奈川や椿が咲けば数へつつ

 

   羽村美和子(「豈」「WA」「連衆」同人)

沈丁花香りの形で人が来る

雛の間を横に過ぎゆく時の船

千年の呪縛放たれ竜天に

 

   陽 美保子(「泉」同人)

 寒明けの一滴バニラエッセンス

落としたるものの落ちゆく朧かな

白隠の墨のしたたる春の雷

 

   三宅やよい

湯にのばす赤子のからだ牡丹雪

東風吹かばやさしく沈む膝枕

もう若くない紅梅へより集う

 

   茅根知子

冴返る部屋の真中の机かな

てのひらの水の匂ひが春の雪

野遊びの鞄の中の仄暗き

 

   仙田洋子

蛇穴を出でて行儀のよきとぐろ

はや蝶に愛されずして椿落つ

三面鏡蝶を押し潰してしまふ

 

   池田瑠那(「澤」同人 俳人協会会員)

青磁色なり流氷の張りはじめ

カステラを切れば弾力春の雪

さへづりや絵具皿なる瑠璃の粉

 

   依光陽子(「屋根」「クンツァイト」)

一時間前ははうれん草畑

餌台の釘錆びて春暮の鳥馬かな

鳥風や置かれて白き拡声器

海のうねり見る如くなり種を蒔く

痛き音立つる地上に巣箱かな

 

   小沢麻結(「知音」同人)

紅椿磯屋に干せる被せ網

春光や入江に波の音はつか

バレンタインデー今年はちよつとつまらなく

 

   栗山 心(くりやまこころ。1964年東京生まれ。「都市」所属。ブログ「心の俳句雑貨店」)

春の雪サランサランと積りけり

煮え滾るチゲの真つ赤や春の雪

春灯や髪に残りし煙草の香

 

関悦史

不器男賞終はりて春の寒さのみ

肩に手が乗る心霊写真昭和の日

乳白の異類添寝す春愁
 

 
   太田うさぎ(「雷魚」「豆の木」「蒐」所属)

内裏雛その隔たりに塵置かず

田楽が田楽のまま冷めてゐる

料峭の丘に立つ句碑自由律
 

 
   福田葉子

年祝う翁は恋を憶うかな

     墨の香愛でやぐ長き巻紙

梅林の空気ざわめき少女来て
 

 
   中山奈々(「百鳥」所属)

包装紙切つて花びら春いろは

春いろは最後に抱きしむる遊び

母を見るための眼や春いろは

 

近恵 (「炎環」「豆の木」所属)

ごろごろと亀薄氷の奥深く

蕗の薹探り腫れているわたくし

北窓を開きそのまま海のひと

猫鳴いて陽炎にほころびがある

ベーコンが玉虫色の鳥曇





  

2013年3月1日金曜日

平成二十五年 春興帖 第一

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          筑紫磐井

野の霞やんごとなきも俳枕

春水に誰も知らずやオノマトペ

春の背広ボロボロに来て巴里へかな

   麒麟が結婚したといふ

ウエストを細くしてねと春曙

 

          藤田踏青

初凪の尖閣諸島地図の上

若水を供へ太くする心柱

初茜はるかなはるかに大東亜

一戸点し春灯という脚色

モノクロをはみ出してくる比良八荒

 

          福永法弘(「天為」同人、「石童庵」庵主)

春泥や姉と通ひし珠算塾

下目板張りの分校春氷柱

春の雪いま何もかも美しく

あらまほしきことをのみ見し春の夢

若菜摘む武よりも文に血は滾り

 

          早瀬恵子「(豈)同人」

去(い)ん候猫は猫色あたたけし

美姫の肺天に召されし胡蝶蘭

マカロンの「ジュテーム」めけり浅き春

 

          網野月を(「水明」同人)

春愉し弄って覚える電子機器

愉し春下の方から夜は温し

振袖に隠した尻尾春愉し

 

          田中悠貴(『狩』会員)

カーテンを洗へばびろうどの春か

一枚の異国の春衣となりぬ

白き貝積もるに任せて春の浜

 

          前北かおる(「夏潮」)

パンジーや赤紐とほすスニーカー

甲冑を脱ぎて四葩の芽なりけり

犬ふぐりに屈みゐたれば牛の声

 

          山崎祐子(「りいの」「絵空」)

立春の路地おはやうの声あふれ

さまざまな声を遠くに山笑ふ

桜餅生れたての句を持ち寄りて

 

          小川春休(「童子」同人・「澤」会員)

  蕪村の春興帖を思へば、画無き春興帖さみし。

春興帖はだか祭の画の欲しや

箸鳴らし箸さがしをり雲雀東風

如月や揚げてちぢみしたちのうを

 

          杉山久子(「藍生」「いつき組」所属)

亀鳴くやかなしきものに袋とぢ

春昼の煮詰めるものに牛の舌

蜷の恋苦手なものに自句自解

 

          後藤貴子(「鬣」)

試験管さくらの舌を零しける

俎の血豆や穢土の枝垂梅

桃の花ひとりふたりとけそうせり

 

          北川美美(「豈」「面」同人)

玉乗りが天職である春愉し

東西や百万匹の猫の恋

杭と杭つなぐ赤紐春の暮

春昼のオペラ★劇場支配人

 

          月野ぽぽな(「海程」同人)

島あれば港もありぬ猫の恋

馬と居て馬と目が合う春の草

うららかや丘から見える他の丘

 

          しなだしん(「青山」「OPUS」「豆の木」)

東京の端つこの海春立つ日

店の戸にすがつて亀の鳴く日暮

春泥のひかりの中にゐて尿意

 

          林雅樹(「澤」同人)

横切れば灯る玄関春の雪

春月に立ち食ふ蕎麦や秋葉原

アリーナに春の灯としてペンライト

 

          仲寒蝉

春水にまづ触れにけり薬指

春風や巨大神像から涎

春の闇人のかたちになれば抱く