2014年3月28日金曜日

第63号 2014年03月28日発行

【俳句作品】
  • 平成二十六年春興帖 第四
   ……小早川忠義,堀下翔,小野裕三, 佐藤りえ,
水岩瞳,堀田季何,林雅樹,小久保佳世子,
島田牙城,仲 寒蝉    ≫読む
  • 現代風狂帖 
<竹岡一郎作品 No.10>
    怒張の国・春變 3   竹岡一郎    ≫読む
    

【戦後俳句を読む】
  • 中村苑子の句【テーマ:水妖詞館ーあの世とこの世の近代女性精神詩】
……吉村毬子  ≫読む
  • 「正木ゆう子と私――戦後俳句の私的風景」⑦
……筑紫磐井   ≫読む


【現代俳句を読む】
  • 特集<芝不器男俳句新人賞・受賞コメント>
  • 第四回芝不器男俳句新人賞を受けて   
 ……曾根 毅   》読む
  • 大石悦子奨励賞受賞の言葉、というより当日の思い出話
 ……西村麒麟    ≫読む
    • 対馬康子奨励賞受賞・俳句、この劇的なるもの
     ……髙坂明良       》読む

    • 特集<西村麒麟第一句集『鶉』を読む> 8
      • 理想郷と原風景  ……冨田拓也   ≫読む
      • 『鶉』にみる麒麟スタイル   ……北川美美 ≫読む

    • 【朝日俳壇鑑賞】 時壇 ~登頂回望 その八~
    ……網野月を   ≫読む
    • 【俳句時評】  「村越化石」をめぐる困難について 
    • ……外山一機   ≫読む
     【俳句時評】  
    大井恒行の日日彼是       ≫読む
    読んでなるほど!詩歌・芸術のよもやま話。どんどんどんと更新中!!


    【編集後記】
    •       あとがき  ≫読む 
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        • 第二回 攝津幸彦記念賞各賞発表  》読む
        • 祝!恩田侑布子さんBunkamuraドゥマゴ文学賞受賞!恩田侑布子……筑紫磐井 ≫読む
        第23回ドゥマゴ文学賞授賞式の様子 ≫「俳句界ブログ大井恒行)

                              ≫受賞式記録映像  Youtube 画像










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        第63 号 (2014.03.28.) あとがき

        北川美美

        3月も終わってしまう。なんたる早さ。東京では桜の開花宣言が25日にありました。春本番。しかし不安定な春の天気です。

        今号は、またも盛り沢山。春興帖は終盤戦になって来ています。芝不器男俳句新人賞各賞受賞者のコメント、「鶉」書評もまだまだ続きます。外山一機さんからも俳句時評が到着しました。風狂帖の小津夜景さんはイースターホリデーのようで、今頃はローマかもしれません。

        年度末の怒涛の忙しさを前に、葉山に行ってきました。懇意のペンキ屋さんが嵐のため仕事にいかずにいるのでは、と電話したところ、なんと入院中。数日前の大手術が痛々しく急遽御見舞に。そのペンキ屋さんは、以前、これからとりかかる仕事といいながら、バブル期の廃墟と化した葉山の豪邸見学に連れて行っていただいたことがありました。大理石のバスルームが3つもあり悲しい雰囲気。プールにあった木彫りのカヌー・・・「処分することになっているから持って行っていいです。」と言われましたが、断念。・・・しかし、あれは部屋に置きたい品で、今でも思い出しては引き取りたかったと悔やんでいます。別の船好きな知人は、三浦のボートハウス(船小屋)を買い取り、作業場兼趣味の部屋に改造していますが、居間に実際の帆船を入れ込み、来客はその帆船の中に寝る(中といっても板張りに寝袋)ことになっています。

        ・・・今号はこの辺で。

        筑紫磐井

        ○今回は、芝不器男俳句新人賞を受賞したお三方に感想をお願いした。芝不器男俳句新人賞が実行委員会方式になって、マスコミなどの関係がやや不分明なので、「BLOG俳句空間」の場を活用して、受賞の喜びを語っていただこうというもので、今後もこのBLOGの場を使って活躍を見せてほしいと思う。

        今回のお三方は、たまたま会場で居合わせたり、「BLOG俳句空間」に頻繁に登場していただいていた方なので連絡がスムーズに進んだが、都合さえつけば、ほかの3名の方々にも登場してほしいと思っている。ご連絡の方法が分かれば教えていただきたい。

        ○毎回意欲的な作品を発表していただいている竹岡一郎氏のご尊父がなくなられた。謹んでご冥福をお祈りする。伺えば、ご尊父も俳人であり、すでに句集の準備中であったということであるから竹岡氏としてもせえて句集の完成を見てもらいたかったと、悔やまれるところであろう。

        ご家族が寝付かれ、竹岡氏だけが起きている深夜に末期を迎えれみとられたということである。深夜まで竹岡氏がされていた仕事が、私がお願いした仕事であるらしいので、申し訳ない思いでいっぱいである。いずれにしろ、続けていただいている連載はしばらく中断することになると思う。読者のご了解を頂きたい。


        【竹岡一郎作品 No.10】  怒張の国・春變 3 / 竹岡一郎


        ※画像をクリックすると大きくなります。




             怒張の国・春變 3  竹岡一郎

        天回さむ 山火 はるかに討たるるも

        のみど無き鬼身が山火呑みこぼす

        泉下より種芋の箱引き出だす

        火は宣れり諸手の作る磯竈

        桜貝踏みしだきつつ届け遺書

        兵たちに春の日溜黄泉溜

        鶴引いてよりくれなゐの飛来音

        父の骨立ち上がり囀り羽撃つ

        いつの世の焦土へ桜吹き送らむ

        磐座 大鉈 だが春邃(ふか)く遁げる人魚



        【作者紹介】

        • 竹岡一郎(たけおか・いちろう)

        昭和38年8月生れ。平成4年、俳句結社「鷹」入会。平成5年、鷹エッセイ賞。平成7年、鷹新人賞。同年、鷹同人。平成19年、鷹俳句賞。
        平成21年、鷹月光集同人。著書 句集「蜂の巣マシンガン」(平成23年9月、ふらんす堂)。

        【西村麒麟『鶉』を読む16】 理想郷と原風景  /  冨田拓也

        あまりにも人前に姿を現さないので、その存在の有無さえ疑われている私ですが、この間行われた第4回芝不器男俳句新人賞の公開選考会に出向きました。

        周知の通り、今回の芝不器男俳句新人賞大石悦子奨励賞に、西村麒麟さんが選ばれました。

        おめでとうございます。

        以前に第1回石田波郷新人賞を受賞されているということもあり、今回の結果は、なんというか実に「麒麟君らしいなあ」という気がしました。

        そして、当日ご本人に初めてお会いすることができました。
        奥様もご一緒で「ああ、この方がA子さんか」と。
        麒麟君には、初対面にもかかわらず思いっきり関西弁で話しかけてしまい、失礼しました。

        以前「スピカ」での同僚さん(?)だったということもあり、こちらがどれだけ連載に力を注いだかという事実を縷々懇切に述べようとした途端、別の方が挨拶に来られて話が中断。

        「仕方ないな」と、手元の唐揚げをもしゃもしゃと頬張るわたくし……。

        それはともあれ、『鶉』について。

        しかしながら、この「‐BLOG 俳句空間‐」でのキャッチコピー「虚子に1ミリ近付いた男!」というのは、一体何なのでしょうね。
        よく意味がわからない……。
        まあ、キャッチコピーなんて「そんなもの」なのかもしれませんが。
        なにかしらのニュアンスが伝わればそれで充分というか。

        『鶉』には、飄逸味のある作品が目立ちます。
        これがまずベースとなっています。
        あと、大景の句の存在がいくつか見られるのは、やはり「古志」だな、と。

        また、「古志」ということなら、やや散文性の要素が強いのかな、という感じも。
        1冊を通して、全体的にゆったりとした時間が流れている、といった趣き。
        若くして、老いを演じているところがあるわけですが、時折「青春性」の要素が垣間見える部分があります。

        絵が好きで一人も好きや鳳仙花 
        いくつかは眠れぬ人の秋灯 
        晩秋や小さき花束なれど抱く 
        ポケットに全財産や春の旅 
        学生でなくなりし日の桜かな 
        東京を離れずに見る桜かな 
        青梅や孤独もそつと大切に 
        青年期過ぎつつありぬソーダ水

        ここに見られるのは、やはり20代の「青年麒麟」の姿ですね。
        若さゆえの感傷や切なさが少なからず感じられます。

        忘れがちの事実ですが、麒麟君は、実際に青年であり(現在30歳)、これは「青年の句集」なんですよね(それこそ20代の集大成といえるはず)。

        あと、本句集における大きな特徴としては、「ユートピア的な世界への憧れ」を伴った作品がいくつも見出せるところがあります。

        へうたんの中に見事な山河あり 
        我が庭は小さけれども露の国 
        鈴虫の籠に入つて遊ぶもの 
        秋惜しむ贔屓の店を増やしつつ 
        永遠の田園をゆく冬の蝶 
        冬ごもり鶉に心許しつつ 
        鉄斎の春の屏風に住み着かん 
        ひさご苗桃源郷でもらひけり 
        隋よりも唐へ行きたし籠枕 
        冷酒を墨の山河へ取りに行く

        「へうたん」、「我が庭」、「鈴虫の籠」、「贔屓の店」、「永遠の田園」、「冬ごもり」、「鉄斎の春の屏風」、「桃源郷」、「唐」、「墨の山河」。

        いずれも「安息の場所」というか、ひとつの理想郷のイメージを思わせるものがあるといえるはず。
        「青年麒麟」が、なによりも欲しているのは、こういったユートピア的な場所(空間)なのではないか、という気も。

        いま「ユートピア的な場所」と書きましたが、本句集において、他にもそれと同じような感じで描かれている場所があります。

        それは、作者の生まれ育った「尾道」です。

        初風やここより見ゆる海の街 
        初電車子供のやうに空を見て 
        坂の町尾道の子へお年玉 
        どの島ものんびり浮かぶ二日かな 
        夕焼雲尾道は今鐘の中 
        どの部屋に行つても暇や夏休み 
        夏の果さつと出て来る漁師飯

        いずれも尾道の風景が、ひとつの理想郷のように描出されています。

        やはり作者にとっては当然ながら、この生まれ故郷に対する思いは、大変強いものがあるといえるはず。

        そして、本句集の最後の頁には、この故郷「尾道」をテーマにした作品が据えられています。

        この意味は、きわめて大きなものといっていいでしょうね。

        結局のところ、『鶉』は、飄逸味のある愉快な作品集であるということは勿論なのですが、それと同時に、生まれ育った尾道から巣立っていった青年麒麟の、新たなユートピア(居場所)を求めようと模索する物語が、その裏側にはひそんでいる、という風にもいえそうです。

        雀の子雀の好きな君とゐて 
        すぐそこに蟹が見てゐるプロポーズ




        【朝日俳壇鑑賞】 時壇 ~登頂回望 その八~   / 網野月を

        朝日俳壇(2014年3月24日朝日新聞)から

        ◆羽搏(はばたき)の音の重さも帰る鶴 (鹿児島市)青野迦葉

        長谷川櫂の選である。選評に「大きな扇がきしむように、といえばいいか。「重さ」に春の憂愁がある。」と書いている。その通り「重さ」に作者の慧眼がある。十分に肥えて重くなった体を翼をきしませ羽搏かせての離陸である。文字通り重量感のある羽音がするであろうし、見た目にも重たそうにしていたことであろう。「帰る鶴」の生態をよく察した句意になっている。下五の「も」を議論する先生もおられるかも知れないが、掲句の場合は問題ないし、良い選択であろうと筆者は考える。「の」にして句切れの薄いリズムになるよりも、「も」にして句切れをはっきり意識した方が、リズム感があって句のかたちが整うように思えるからだ。

        同じく長谷川櫂の選で、

        ◆背景の大きく動きゐる木の芽 (高松市)白根純子

        がある。選評には「木の芽の静、背景の動。一個の木の芽の大写し」と書かれている。背景は何であったのだろうか?木々の梢が強風に煽られているのだろうか。それならば「木の芽」も当然一緒に動いているだろう。主人公の「木の芽」だけが静で背景だけが動くとは、背景に車が通過したとか、何か動く可能性のあるものがあるということであろうか。それとも望遠レンズで「木の芽」を捉えて、ピントのボヤけた背景が捉えきれずに動いて見えているのだろうか。何かレンズワークのような匂いがしてならない。といろいろと思いを巡らすが、要は「木の芽」なのである。つまり上五中七の措辞に拠って他の全体を排除しているのだ。そこの背景は見なくてよい、と言っているのだ。つまり「木の芽」が主人公であり、そこだけに焦点を絞らせようとしているわけで、一句の中で「木の芽」の季感が充溢しているということだ。

        一句の中で季題が効いていると句全体が落ち着いてきて、加えて他の描写部分が読み手の自由に解釈できる。掲句はいろいろな想像を展ろげてくれる句なのである。「木の芽」はそもそも何の木なのだろう?どのくらいの大きさでどんな色合いなのか?想像したくなる。その色や形状を思い浮かべたくなる。季題の有効無効は、読み手の楽しさを左右する。





        【執筆者紹介】

        • 網野月を(あみの・つきを)
        1960年与野市生まれ。

        1983年学習院俳句会入会・同年「水明」入会・1997年「水明」同人・1998年現代俳句協会会員(現在研修部会委員)。

        成瀬正俊、京極高忠、山本紫黄各氏に師事。

        2009年季音賞(所属結社「水明」の賞)受賞。

        現在「水明」「面」「鳥羽谷」所属。「Haiquology」代表。




        (「朝日俳壇」の記事閲覧は有料コンテンツとなります。)

        【芝不器男俳句新人賞】 対馬康子奨励賞受賞・俳句、この劇的なるもの / 髙坂明良

        約一六年、俳壇とは無縁で俳句を書き続けてきた。ごく最初のころは、森須蘭氏の「祭演」を中心に宮崎斗士氏の「青山俳句工場」、金子兜太氏の「海程」など渡り歩き、武者修行の時代があった。それももう十数年前のことである。不思議と俳句熱はおさまらなかった。詩や短歌も俳句と同じ重量で創作していたのだが、どちらかのジャンルに疲れると、補うように別の詩型が書けたりした。韻文の世界は糊口を凌ぐこと不可能であり、スランプは何度かあったけど、書かない日はなかったと言ってよい。

        大衆的な立場で言わせて頂くと、すべての新しい表現は古典をじゅうぶん咀嚼してこそ誕生の栄誉を得るものと思っている。芭蕉の「荒海や佐渡によこたふ天河」…そのような眼差しで世界を眺めていた。近代ともなると野見山朱鳥の「曼珠沙華散るや赤きに耐へかねて」に出遭い、生命諷詠の洗礼を受けた。そして寺山修司である。短歌は心象描写で、内から外へ放射する言葉多き火柱であるが、俳句は対象から離れつつフォーカスを当てる藝の極みであるから、いつも句作は崖際の戦いでしかたない。俳句は自己の内在律とモーラ(拍)との擦り合わせであり妥協なき結婚である。ゆえに、一句たりとも性格の不一致なるものは許されない。定型ならば二物衝撃を現代は信条とする傾向があるが、私は一行まるごとで異化する世界を堪能したいのだ。

        このたび第四回芝不器男俳句新人賞・対馬康子奨励賞を受賞した。一〇〇句応募と、それだけで篩にかけられる中を集まった三四名の挑戦的な俳句を浴びながらの無記名・公開審査の会場は緊張の糸が最後までゆるがなかった。俳句では初めての受賞であり、今回を逃せば賞とは無縁なるものと諦めることに決めていただけにうれしい春の便りのようでもあった。わたしを選んで生まれてくれた俳句にまずは感謝を。そして俳句道に導いてくれた森須蘭さん宮崎斗士さん、その頃の句友、そして、やはり昔一緒に俳句の机を並べた曽根毅さんの大賞受賞を喜びたい。

        そしてわたしは、自由律の系譜も継ぎたいと思う。今回、二八句の自由律を忍ばせた。ビート感、抒情、パッション、そういう所を評価してくださった対馬康子選考委員に感謝したい。俳句では疎外されがちなスタンスをわたしは歩んでいきたいのだ。






        ※下記は全て 「芝不器男俳句新人賞公式サイト」にリンクしています。

        第四回選考結果 

        芝不器男俳句新人賞:曽根毅  (作品No.33)
        同奨励賞 
        大石悦子奨励賞:西村麒麟 (作品No.42)
        城戸朱里奨励賞:表健太郎 (作品No.36)
        齋藤愼爾奨励賞:庄田宏文 (作品No.52)
        対馬康子奨励賞:高坂明良 (作品No.72)
        坪内稔典奨励賞:原田浩佑 (作品No.48)
        同特別賞:稲田進一 (作品No.10)


        【芝不器男俳句新人賞】 大石悦子奨励賞受賞の言葉、というより当日の思い出話/西村麒麟

        芝不器男俳句新人賞の公開選考会に行ってきました。ありがたい事に大石悦子奨励賞をいただき、懐かしい友達や会いたかった人にたくさん会えて、お酒を飲んで騒いで、いい気分でした。

        選考会当日は仕事でして、大幅に遅れてあたふたと会場を目指しました。サトアヤ(もちろん佐藤文香)がTwitterで選考の様子を次々知らせてくれていましたので、それをずっと気にしながら。ありがとうサトアヤ、素晴らしい仕事でした。 (※Twitter #fukio )


        道中、Twitterであまり僕の応募作が触れられて無い事を知っていたので、あぁ、僕、駄目かも、多分駄目かも、と真っ青な顔で心臓や胃をさすりながら、とりあえず友人の敦姉(姉より姉らしい阪西敦子)に「不気男駄目かも…」と弱気なメールを送りました。すぐにメールが返ってきて、そこには「早く現場に行きなさい」あと「あほ」とか「馬鹿」とか書いてあり、これは早く行かないとなんで行かなかったのかと、後日叱られると怯え、急いで妻A子の検索したルートで電車に乗り、Twitterを気にしながらやはり真っ青な顔で会場に向かいました。

        なんとか芝不器男賞が決まる直前に会場入りができ、まづ大賞がどうにか決まり、いよいよ選者賞。あぁ、もうだめだ、胃が痛ぇと思いつつ待っていると…、選者の大石悦子先生が「…42」と、ぽろっと僕の番号を読み上げてくださりました。

        トイレに行く時すれ違った上田信治さんが「麒麟さん、おめでとうございます。最後に棚からぼた餅みたいにぽろっと決まりましたね、なかなか稀なケースですよ」と状況を教えて下さいました。上田さんの説明はとてもわかりやすくて好きです。

        あとは色々。

        あ、磐井さんと立話しました。「いやー、今年はキテますね」とニコニコと。あといつもの感じで「受賞の言葉書かない?」と、軽やかに。

        あ、きた、と思って、「書きます、書きます」というと、また磐井さんニコニコしながら「俺が獲るに決まってるだろう、みたいなのが良いですね」と、僕はそんなの書くわけないだろと思いながら、やはりここはノッて、悪い顔しながら「誰の句読んでんスカ、当たり前でしょ、みたいなのが盛り上がりますね」と答え、二人であははウフフ、タハハハぁ、と上機嫌。その楽しげな様子を妻A子が十枚ほどカメラで隠し撮りしていたのですが、なぜか全ての写真がブレていて、とても人間には見えず、妖怪二人がくねくね遊んでいるような写真ばかりでした。

        えっと、俳句の事も少し書いた方が良いですかね。

        年末に句集『鶉』を出したのですが、今回の応募作のほとんどが、この句集に入っています。なので僕の句集を読んだ方はすぐに応募作42番が西村麒麟だとお分かりになったと思います。芝不器男俳句新人賞に応募した時点では、句集刊行の予定はまだありませんでした。100句まとめて、なんだかムラムラっと盛り上がってきて句集に取りかかって出来たのが句集『鶉』です。なので応募作は『若鶉』と呼べなくもないです。

        僕は一句なら一句、百句なら百句で面白く見えるように考えて句の並びを考えます。僕の今回の応募作の中心は、八田木枯さんとの思い出だと思っています。この四年で一番悲しかった木枯さんの死、生涯で十回もお目にかかってないけれど、それもほんとに最後の一年間。それでも大切な思い出と、なんだか僕の俳句の作り方にとても良いヒントを下さったと思っています。どの句かは明かしませんが100句中、木枯さん関係の句(褒めて頂いた句、追悼句)は30句近くありました。それは僕の大切な思い出です。

        意外と義理堅いので、師は長谷川櫂一人ですが、先生と呼びたい人は何人かいます。生者にも死者にも。あ、磐井さんは裏の方の師と言えなくもないです、尊敬しております、嘘ではございません。

        何もかも吸収して、より面白い俳句が作れるように成長したいです。

        選者の先生方、全ての作品に目を通して下さって、本当にありがとうございました。精進します。芝不器男賞関係のボランティアの皆様、とっても楽しい会にしてくださり、本当にありがとうございました。お疲れ様でした。先輩方、友達の皆様、こんな僕にいつも優しくしてくださり感謝しています。

        俳句は楽しい。これさえあれば、後はどうでも良いわけでもないけれど、まぁ、なんとかなる。

        長い文章になりました。磐井さん、こんな感じで良いですか?そろそろ飲みに連れて行ってください。




        ※下記は全て 「芝不器男俳句新人賞公式サイト」にリンクしています。

        第四回選考結果 

        芝不器男俳句新人賞:曽根毅  (作品No.33)
        同奨励賞 
        大石悦子奨励賞:西村麒麟 (作品No.42)
        城戸朱里奨励賞:表健太郎 (作品No.36)
        齋藤愼爾奨励賞:庄田宏文 (作品No.52)
        対馬康子奨励賞:高坂明良 (作品No.72)
        坪内稔典奨励賞:原田浩佑 (作品No.48)
        同特別賞:稲田進一 (作品No.10)


        【芝不器男俳句新人賞】 第四回芝不器男俳句新人賞を受けて / 曾根 毅

        この度は、栄誉ある芝不器男俳句新人賞を賜り、大変光栄に存じます。この場をお借りして、お世話になった方々に心より御礼申し上げます。4年に1度の開催で、今回が第四回目となる同賞は、愛媛県の主催から実行委員会方式に変わり、その過程において西村我尼吾参与をはじめ多くの方々の熱意と奔走により、前回同様の盛会となったことと聞き及んでおります。3月11日の最終選考会、受賞式には残念ながら出席が叶いませんでしたが、後日、動画サイトでその模様を確認することができました。選考委員の先生方が全ての応募作品に向き合われ、予選通過のそれぞれの作品に対して公開の場で批評を述べられるというのは、まず他では見たことがありません。多様な俳句観をお持ちの先生方に、同時批評をいただける稀有な機会。賛成意見も反対意見も新鮮かつ刺激となり、今後の句作にとって重要なヒントとなりました。

        さて、10年程前は数少ない若年作者の一人であった私も、既に今回の応募者の中では最年長となっております。この僅か10年程の、俳句を取り巻く著しい環境の変化を改めて感じます。例えば最近目にした、従来の結社・同人誌やシンポジウムとは趣を異にする「ユニット系短詩マガジン」や、アイドルやお笑い芸人を交えた俳句イベントなどの出現は、変化の一端を覗かせる氷山の一角にすぎないであろうと推察します。方法は多種多用なほど良いということになるのでしょう。俳句における少子化対策といえば語弊があるかも知れませんが、俳句甲子園や芝不器男俳句新人賞は、このような新しい潮流の原動力として機能してきたのではないかと振り返ります。一方で、作品の新しさや深みということでいえば、俳句は未だ芭蕉の掌の上に在るとも言えそうです。

        ともかく個人に帰すれば、この数年は特に大震災との遭遇と身近な生活環境での放射能汚染について、体験を経験に昇華し、俳句の上で普遍に繋ぐことに挑戦した期間でした。今回その試みを、選考委員の先生方による鑑賞によって、掬い取っていただいたものと受け止めております。その意味からも、創作とともに俳句の読みの重要性にも、今後より意識を向けていきたいと考えます。次回の第五回芝不器男俳句新人賞が、今からとても楽しみです。ありがとうございました。



        ※下記は全て 「芝不器男俳句新人賞公式サイト」にリンクしています。

        第四回選考結果 

        芝不器男俳句新人賞:曽根毅  (作品No.33)
        同奨励賞 
        大石悦子奨励賞:西村麒麟 (作品No.42)
        城戸朱里奨励賞:表健太郎 (作品No.36)
        齋藤愼爾奨励賞:庄田宏文 (作品No.52)
        対馬康子奨励賞:高坂明良 (作品No.72)
        坪内稔典奨励賞:原田浩佑 (作品No.48)
        同特別賞:稲田進一 (作品No.10)


        【俳句時評】 「村越化石」をめぐる困難について /  外山一機

        昨年刊行された保坂健二朗監修『アール・ブリュット アート 日本』(平凡社、二〇一三)において、美術史家の亀井若菜はアール・ブリュットの語りがたさについて次のように述べている。

        アール・ブリュットの造形について、もっと語られるべきだとは思うものの、それを「美術」の言葉―「美術」に組み込まれている価値観、歴史観、作品感をも含む言葉―によって語ったり、「美術史」的に研究したりすることは、大変難しいのではないかと思っている。(略)それは、アール・ブリュットが、正規の美術教育を受けていない人の造形と定義されたものであり、誰かに見られることを想定せず、完成を目指さず、息をするかのように作られる、とされるものだからである。何かを参照することなく、自分一人の世界で、完成を目指さずに制作された作品を、歴史的社会的に位置づけ意味づけることは難しい。アール・ブリュットはそもそも、「美術史のどこにも位置しない」ものとして発掘されてきたものなのである。(「『他者』の造形を『語る』ということ」)
        翻って、俳句におけるアール・ブリュットとはどういうものだろうと考えていくと、そもそもこのアール・ブリュットなる概念を俳句に適用することに無理があることに気づく。というのも、アール・ブリュットが「正規の」美術教育を受けていない者による造形を指すものであるのならば、その前提として「正規の」俳句教育というものがなければならないが、俳句における「正規の」教育という言葉の響きにどこか怪しげな印象を持つのは僕だけではあるまい。また美術教育において「正規の」という言葉がまかり通るためには、その教育が目指すべき「正規の」美術というものがあるはずだが、いったい、「正規の」俳句というものがあるのだろうか。「正規の」俳句などということをいえば、多くの人が眉をひそめるに違いない。そういえば、先日創刊された俳句誌『クプラス』における「いい俳句」についてのアンケートで、そもそも「いい俳句」などという言葉そのものに対する違和感を表明していた者がいたのは、俳句の制作という行為、あるいは読むという行為において、あるひとつの方向を肯定的なそれとして前提させる思考を危惧するというような、それはそれで実に正しい思考の結果であったように思う。

        椹木野衣はこうした美術「史」を持ちえない日本の状況を「悪い場所」という言葉で語ったが、このような状況は俳句においても同様であろう。たとえば俳句を「文学」の言葉で語ろうとした子規について考えてみるならば、そもそも名付けえない何ものかについて、それを「文学」の言葉で語ろうとしたときに「俳句」という呼称をとりあえずそれに貸与しておいたということにこそ、子規の仕事の画期性があったように思われる。そしてこのようにしてそれを「俳句」という名で呼ぶことで、そのたびに僕たちは「悪い場所」としてのそれの性質を失念きたのではあるまいか。とすれば、子規以後に新傾向俳句が俳壇を席巻するなかで虚子が新傾向俳句という「文学」運動に対する「他者」としての自意識を表明したのは、「俳句」なるものが本来的に持っているこのような軋みが発現したものであったように思われる。

        幾万の俳句人口があるといいながらも、その幾万の俳句表現を除外しごく一部の「優れた」俳句表現だけを安易に語ることによって「俳句」についての認識の枠組みを形成していくような俳句批評のありかたに僕は疑問を感じる。なぜなら、それを「俳句」という名で呼ぶことによってこの軋みを忘却している僕たちの至らなさにあまりに無自覚であると思うからである。

        とはいえ、この軋みは少し目を凝らせば至るところに見つけることができる。先日亡くなった村越化石をはじめ、ハンセン病患者による俳句が持っているある種のとりつき難さもまたここに起因するものであるように思われる。たとえば、化石を含む栗生楽泉園俳句会の句集『火山翳』(近藤書店、一九五五)が編まれたとき、その帯には「四十四人の無名作家療園句集」と記されていたが、この「無名作家」という呼称はまさに化石らハンセン病患者の俳句が「俳句」の内なる他者として発見されたことを意味しているだろう。話を再び「アール・ブリュット」に戻すと、主として精神病患者や知的障害者によるアートを指す「アール・ブリュット」について、亀井は次のようにも述べている。

        「美術」には、自己の外部にあるプリミティヴな未知の造形に対して興味を示し、それを自己の内部に取り込み消化し搾取してきた歴史がある。(略)人にとって、自分とは違う異質の「他者」は、様々な局面に存在する。西洋にとっての東洋、白人にとっての非白人、男性にとっての女性、異性愛者にとっての同性愛者、など。それと同じように、健常者にとっては、精神病者や知的障害者は「他者」となる。(略)
        「外部」をなくそうとするとは、「他者」の「他者性」を認めず、自己の内部に取り込んでしまうということだろう。外部にあるものを「アール・ブリュット」、というジャンルを立てて括る(「他者」のものとして括る)ことを行うのならば、それを単純に「わかった」と思ってはいけないのではないか。「他者」の「わからなさ」を尊重し大切にし、最大限の想像力を発揮してわかろうと努力し、言葉を尽くして語っていくことが求められるのだと思う。(亀井若菜、前掲文)
        いわゆる「療園俳句」と「アール・ブリュット」とは異なるものだが、「療園俳句」の評価にはえてしてその作り手の境涯の特異性がつきまとう。「療園俳句」が他者のそれとして発見された所以である。そして、「『美術史のどこにも位置しない』ものとして発掘されてきた」のが「アール・ブリュット」であるならば、「療園俳句」もまた、俳句史の文脈を外れたところに発見されたのではなかったか。実際、「療園俳句」の発見は俳句史よりも一九五〇年代における生活記録ブームから説明したほうが理にかなっているように思う。また、その「ブリュット」(=生な、手付かずな)という呼称が示しているように、「他者」としてまなざされる「アール・ブリュット」は同時にプリミティヴな性質への期待を引き寄せるが、そういえばこの『火山翳』の帯文には、石田波郷による次の言葉が記されてもいた。

        『火山翳』四十四人の俳句は、凡ての癩文学がさうであるやうに、ライの宿業を詠んで愴然たるものがあるが、特に茲には「最後の癩者たらむ」とする覚悟が、世を隔てた生の哀歌や人間の触合ひに浸透し、環境の自然風物までも光被して、読む者の心に、厳粛でありながら平安な光明感をもたらす。同時に俳句表現の不思議な力にも人は驚くであらう。

        このような賛辞は他の「療園句集」にも見ることができる。たとえば国立療養所多摩全生園の俳句部が制作した合同句集『心開眼』(杉浦強編、全生園多摩盲人会俳句部、一九七四)には、指導者である杉浦強の次のような言葉が見られる。

        ふりかえって多摩盲人会俳句部の作句態度を見ると、そこには厳しい自然との対決も陶酔もない。そこにあるのは、ただ「自己との対決」だけである。病苦を超越した人として、また人として誰もが探求しなければならない人間性の再発見に重点を絞っていることである。(略)多くの人たちが日々人間性を喪失している今日、最も人間らしい本来の姿に帰ろうとしている兄弟たちは一面から見れば幸せだと思う。 
        全生園の兄弟には失礼だが、私はいつも囲いの中を「地上の楽園」と呼んでいる。彼らに肉体的な再起、社会復帰の問題が山積みされていることは確かだが、隔離されているといえ、現代の巨怪なシステムに押し流されない素朴さ、単純さ、精神の純化を見るのである。「俳句は祈りの結晶」との合言葉を生むまでに至った敬虔な態度に心ひかれるのである。

        化石は、周知のとおりハンセン病を患ってきた俳人であった。今後、化石についての何らかの言及がなされる際にも、この「周知の」事実は幾度となく語られることと思う。そうした語りは、化石の俳句表現にいわば文脈としてのハンセン病を引き寄せるものであって、見方を変えれば、それは文脈から独立した批評からはほど遠いものとなる。あくまでも俳句表現そのものの批評にとどまるという自制的な精神に俳句批評の倫理があるとすれば、このような批評はいかがわしいものであろう。それはそれでひとつのありかたとして真っ当なのだろうけれど、しかしながら、たしかに自制的ではあるものの、その実どこか高踏的な倫理に基づくそうした批評は、そもそも何のために書かれるのだろうか。たしかに、化石の代表句「除夜の湯に肌触れあへり生くるべし」について、特効薬であるプロミンの開発によって生きながらえることが可能になったハンセン病患者としての化石の境涯を引き寄せずに読むことは可能であろう。実際、そのような文脈はこの句自体から読みとることはできない。だから、提示された俳句表現の外部にある諸事情を批評に持ち込むことはいかにもお門違いであるかのように見える。けれど、そのようないかがわしさから切り離された読みというものは、本当にできるものなのだろうか。少なくとも、僕にはそのような読みかたをする自信がないし、さらにいえば、そのようないかがわしい読みにこそ俳句批評の倫理を見出すことができるとも思うのである。化石の句が僕たちにもたらすある種の読み難さは、読み手がこの二つの倫理に引き裂かれつつ読むことになるがゆえの困難ではなかろうか。

        化石は大野林火の主宰する「浜」に入会した当初ハンセン病患者であるということを隠していたという。ならば、後に告白した自らの境遇とその俳句表現とが林火の次のような評価を引き寄せたことについて、いったい、僕たちはどう考えたらよいのだろうか。

        生命の危機感に病者ほど敏感なもののないのはいうまでもない。また、その危機感が幾多の名作を生ましめたことも事実だ。しかしその多くは死と直面した声、死を凝視した声である。そこから離れたときのよろこびや、今日一日を生き得たよろこびから詠ったものは乏しい。病者の句は前者に終ることが多い。したがって死から遠ざかるとともに虚脱感に陥入(ママ)り、精神の空白状態をつづけるのが常だ。死から離れてゆくよろこび、今日一日を生き得たよろこびへの転換が示されないのだ。
        化石の句をすがすがしくしているのは多くの病者の句に欠けているそれが勁く経て糸となって貫いているからであろう。生命の尊厳への認識がその底に清冽に流れているからであろう。(「作家と『場』(一)村越化石」『浜』一九六〇・二,三)


        【西村麒麟『鶉』を読む15】  『鶉』にみる麒麟スタイル / 北川美美


        独特のスタイルのある句集である。『鶉』は、作者にとっての「俳句」が芸能のニュアンスを含む「芸」に近いということにある。伝統芸能としての舞い、歌、地方、それぞれの芸には型があり熟練が必要である。麒麟俳句は、五七五のリズムを守ることに徹し、わかりやすい言葉で音韻にも無理がなく一句の仕上がりが至極すっきりしている。誰にでもできそうであるが、そう簡単にはできないのが俳句。「秘すれば花」の世阿弥の境地の上に麒麟スタイルがある。現代に生きる作者が、古典的な定型の中で遊んでいるというイメージである。

        奥付の略歴に麒麟は、「俳句結社『古志』入会。長谷川櫂に師事」という明記がある。古い志と書く「古志」のモットー「古典によく学び、時代の空気をたっぷり吸って、俳句の大道をゆく」のスローガンがよくあらわれているように思う。結社所属の場合、第一句集は主宰の選を仰ぎ、主宰の「まえがき」が慣例のようだが、本人の「あとがき」もない作品のみを第一句集として読者にさしだしている。その真意は、自己の俳句のみを一人歩きさせたいという願望なのか。「古志」の俳句五箇条にある、「一、あとは存分にされたし」を具象化したのが『鶉』なのだろうと受け取っている。

        作品一句一句に、現代性、世代性を大いに反映していることも特徴である。特に直接的感情表現〈好き〉〈大好き〉が世相を映しているように思えた。「好き」という表現は書けるようで書けない(と思う)。気前よく〈大好き〉〈心から好き〉と書けてしまう。句集内に四句ある〈好き〉〈大好き〉〈心から好き〉という表現は、傍目にみると、昨今のヒット曲が直接的表現でしか共感が得られないことと重なる。今後の詩歌の危惧であるのかどうかは、意見の分かれるところだろう。

        絵が好きで一人も好きや鳳仙花 
        大好きな春を二人で待つつもり 
        昼酒が心から好きいぬふぐり 
        雀の子雀の好きな君とゐて

        「好き」という感情の要を書くことにより、「好き」と言ってしまったもの勝ち。作者自身が誰よりも一番先に好きなものを獲得できると読者を諦め、納得させることができ、さらに道まで譲ってくれることができると思える。子供っぽい表現であることは確かだと思う。「好き」と反する「嫌い」にはたくさんの理由が並べられるが、「好き」という感情に理由をみつけることはなかなか難しい。「好き」という言葉に読者は屈服するしかない。男子が簡単に「好き」と書く、ノー天気さを句集に収録することにより、大らかで素直なイメージとなる。俳句という短い中で「好き」を言い切る。古典の中で感情を叫ぶことは、歌謡にあたり、芸能なのである。

        「好き」を入れた俳句で思い出すのは、池田澄子である。

        屠蘇散や夫は他人なので好き   池田澄子 
        生きるの大好き冬の始めが春に似て

        澄子俳句には、ただの好きではない〈好き〉、好きの反対の嫌いを考える〈好き〉が見え、屈折の構造がある。麒麟スタイルの〈好き〉は嫌いになることなんて考えていないと思えるし、〈嫌い〉になったら大変なのだ。〈大好き〉とくると、ふーん、と引いてしまいそうなのだが、どうでもいいといえば、どうでもよく、もとより〈嫌い〉になるところなど考えていない空気が、なんというか、面白いのだ。

        しかし、〈好き〉といっても、〈ひとりも好き〉という孤独オタクの風情もあり、〈待つつもり〉と未確定な状況であるところに共感が持てる。〈待つつもり〉なのは相方の同意がとれていない、あるいは、〈ずっと一緒にいたいから結婚するつもり〉の告白のニュアンスとも読める。〈大好き〉と書けるなんて明るくていいなぁと思う反面、屈折した歌詞のヒット曲で育った私には、<好き>という直球がこんなに多くていいのかな、ということを考えた。

        また〈叱られる〉〈楽しい〉〈怠ける〉〈ねだる〉〈もらう〉などの大人の幼児性を作者自身が楽しんでいるように思える表現は、世代的な反動とも感じられる。これも麒麟スタイルである。

        虫売となつて休んでゐるばかり 
        叱られぬ程度の酒やちちろ虫 
        大久保は鉦叩などゐて楽し 
        この人と遊んで楽し走り蕎麦 
        冬の蠅怠けても良き時間あり 
        うつかりや鶯笛を忘れたる 
        陶枕は憶良にねだるつもりなり 
        端居して幽霊船をまたもらふ

        作者の世代をみてみると、西村麒麟は1983年生まれで現在30歳。「就職氷河期」といわる「日本のロストジェネレーション世代」の最後の方に当てはまる。派遣労働やフリーターを強いられ安定した生活は望めない「諦めの世代」といわれている。懐古主義でもなく舶来主義でもない、新しい価値観を暮らしに還元していくことができる世代といわれている。一方では、いつまでも思春期が終わらない感覚があるとも。麒麟の俳句には怒りや悲しみ憂いは伺えない。「戦わない」姿勢が麒麟スタイルである。

        「俳句は少年と老人の文学」といったのは、三橋敏雄である。青春性と死を除いた世代は何を詠めばよいか。思春期を引き摺っているような大人子供のような西村麒麟の句が存在するのも時代のせいである気がするが、それで大丈夫なのかしら、と不安になったりもする。俳句に時代の責任など何もないが知らず知らずに時代が写ってくる。しかし、麒麟スタイルに見るロストジェネレーション世代の諦めの象徴のようにも読み取れる句から、時代に対しての不安を抱いたりするのである。驚いたことに、春興帖での麒麟の投句は、まさに諦めの表現であり、面白い句である。


        ぜんまいののの字の事はもういいや   西村麒麟   春輿帖より

        世代的反映にも読める『鶉』は、西村麒麟自身の渡世術の現れであるのかもしれない。屈折していないのが麒麟スタイルでもある。だから楽しい。これが山本健吉定義の「軽い俳句」(出典「俳句とは何か」)だとしたら、いい俳句ということになる。芭蕉の晩年の「軽み」とも重なり、麒麟スタイルは老練な句ともいえる。大人子供のふりをして、さらに年寄りのふりもして遊んでいるのだ。まったくもって「古志」のスローガンの「俳句の大道」をいっているのではないだろうか。

        また『鶉』が趣味性のある芸と感じられる理由に「地名」「食べ物」「擬態語」「固有名詞」の頻度が高いことがあげられる。麒麟の地名の句は日記俳句的な要素が盛り込まれているようだ。虚子の影響だろうか。地名の句は、思い入れのある「尾道」の句と思える句以外は、全国的知名度から読者にわかり易い地名、修学旅行で選ばれる地名であることが特徴である。ツイッタ―的なつぶやきにも似た日記俳句なところがいいといえばいいのだが、〈松島におぼろの島の二百ほど〉などば、誰でも知っている風景の説明に過ぎないところがあり、物足りなさを思うところもある。

        上野には象を残して神の旅 
        鎌倉に来て不確かな夜着の中 
        江ノ島を駆け巡るなり猫の恋 
        おしるこや松島は今雪の果 
        燕来る縦に大きな信濃かな 
        松島におぼろの島の二百ほど 
        夕焼雲尾道は今鐘の中

        擬態語にも独特の麒麟スタイルがある。
        柿の秋どんどん知らぬところへと 
        よろよろや松の手入に口出して 
        ゆく秋の蛇がとぷんと沈みけり 
        凍鶴のわりにぐらぐら動きよる 
        うだうだと楽しき梅の茶店かな 
        お雑煮の御餅ぬーんと伸ばし食う

        もし若い集団が「よろよろ」「うだうだ」「ぐらぐら」というのは締りがない。一時、高校生の制服の崩し方に男子はズボンをズルズルに腰でま落とし、女子はルーズソックスが全国的に大流行した。まさか西村麒麟の過ごした世代なんだろうか。調べるとルーズソックスが流行ったのは、1996-1998年で、まさに麒麟が思春期真っ只中の13-15歳の中学生時代。昨年あたりからルーズソックスが高校生の間でリバイバルの兆があるらしいが世代感全開のように思えるのが、麒麟スタイルである。面白いのだが、だらだら感のある面白みがあるが、そういうウケばかりでよいのか、という気がするところだが、まぁよいのか、と読者であるこちらも諦めの境地になる。

        食い物、酒の句の多さは突出しているが、地名の句同様の日記俳句的な印象がある。多分、食べてみた、飲んでみた、という経験報告に過ぎない印象を受けるからだと思う。食い物・酒の句の麒麟スタイルについては、まだまだ食に対する味わいが足りないという気がするのだが、今後の作者の人となりに繋がっていくことだろう。

        いきいきと秋の燕や伊勢うどん 
        この人と遊んで楽し走り蕎麦 
        ぜんざいやふくら雀がすぐそこに 
        あなご飯食うていよいよ初詣 
        鰆食ふ五つの寺をはしごして 
        鱧鮨の太きを一つ手土産に 
        夏の果さつと来る漁師飯

        続いて収録配列について。句集の扉を開けると「秋」の稿として上記の三句が冒頭に配されている。句集を手にとった読者はまず瓢箪の国へ連れて行かれる。題詠の連続と思える配置が句集内に多数確認できる。

        へうたんの中より手紙届きけり 
        へうたんの中に見事な山河あり 
        へうたんの中へ再び帰らんと

        三橋敏雄『鷓鴣』の冒頭三句では、三鬼・白泉・敏雄のそれぞれの鷓鴣の句が配され風格と怖さがある。また山本紫黄は第一句集『早寝島』にて「早寝島」と下五に配した句を二頁二句配置とし三十句続けた。新興俳句にみる連作とも群作ともモンタージュ手法とも異なる山村暮鳥の〈いちめんのなのはな〉(タイトル「金銀もざいく」)のモザイク発想ともいえる配置である。

        さて『鶉』の冒頭の「へうたんの中」の三句は意味、そして作者の句集がこれからはじまるエピローグのように三句でひとつの意味を持つように感じた。「へうたんの中」は、少年でも老人でもない西村麒麟の世界があり、西村麒麟の俳句の桃源郷へ連れて行ってもらえる期待感が高まる。三句という数はほどよい。筑紫磐井氏の呼びかけで開始した「歳旦帖」にはじまる俳句帖での句数にも一致し、句集の中での麒麟の芸として取り入れ、昇華されている気がするのは偶然ではない気がする。読み進めていく季節の稿に「虫」「柿」「鶴」「鶯」と同様の配置手法がみえるが、「へうたんの中へ」の扉の三句以外の連続俳句は中途半端な印象が否めなかったが冒頭以外の連続配列にある意図が読み取れなかった。

        冒頭句にて「へうたん」の国にまず連れていかれた私は「瓢箪鯰」という言葉を想起した。とらえどころのないさま、また,そのような人をいう。まさに西村麒麟の様かもしれない。句集の中に期待していた鯰は出てこなく、こちらの勘は的外れとなったが、「へうたんの中」の麒麟の桃源郷はどこまでも続き、今後も私たち読者をその先へ連れていってほしいと願う。

        上げたり下げたりアイロニーな見方ばかりだったので好きな句を掲出しておきたい。個人的には、麒麟スタイルの中でも古俳句の趣きのなかに、現代的感性が見える句、不思議さを探検しようとする眼で小さな命を讃歌する句が好きだ。芭蕉、蕪村はもちろん、虚子、長谷川櫂、筑紫磐井、八田木枯、攝津幸彦、阿部青鞋などなど、麒麟スタイルに影響を与えた作家が多数あるように思う。滑稽とも前衛ともとれる景がみえ巧妙な句が多い。

        初めての趣味に瓢箪集めとは 
        ばつたんこ手紙出さぬしちつとも来ぬ 
        猪を追つ払ふ棒ありにけり 
        卵酒持つて廊下が細長し 
        仏壇の大きく黒し狩の宿 
        手をついて針よと探す冬至かな 
        初湯から大きくなつて戻りけり 
        ポケットに全財産や春の旅 
        それぞれの春の灯に帰りけり 
        春風や一本の旗高らかに 
        この国の風船をみな解き放て 
        かたつむり大きくなつてゆく嘘よ 
        玉葱を疑つてゐる赤ん坊 
        働かぬ蟻のおろおろ来たりけり 
        夏蝶を入れて列車の走り出す 
        どの部屋に行つても暇や夏休み

        第一句集にて、自己のスタイルが確立され、〈好き〉な俳句をそのまま読者に投げかけた『鶉』は、羨ましい限りの句集である。まだまだ迷いが沢山ある自分の句のなんと小さいことか。今後の麒麟スタイルを楽しみにしている。

        第一句集上梓そして芝不器男俳句新人賞・大石悦子奨励賞受賞お祝いを申し上げる。






        【俳句作品】 平成二十六年 春興帖 第四


        ※画像をクリックすると大きくなります。







             小早川忠義(「童子」会員・「あすてりずむ」)
        バンダナをあねさん被りよなぐもり
        春雪やいで湯に男叫びあひ
        鳥の巣や我が家に鬼門裏鬼門


             堀下翔(「里」「群青」)
        落ちてきし羽のかたちに雪解くる
        点字ブロック到る雪解の交差点
        春寒し全一幕となる口伝
        春寒し土もやよひの出土展
        試奏よりはじまつてゐる卒業歌
        卒業や画鋲覗けば顔うつる


             小野裕三(「海程」「豆の木」所属)
        春楼に東京の水差し出しぬ
        啓蟄やおのおの試す壁抜けの術
        雪濁り北寮に窓窓窓窓



             佐藤りえ(「恒信風」)
        盆の窪押されて春のこゑがでる
        靴下を濡らしてきたる野遊びや
        月代にものの芽生ふる指南かな
        草餅や人の真似して生きてゐる
        醒めるたび函あけてゐる春の夢



             水岩瞳
        ゆっくりと咲いてゆっくり散る梅花
        混沌はわたしの証春の泥
        無常迅速なりからからと風車


             堀田季何
        黄金の御空あり蛇穴を出づ
        蛇穴を出づ己が身を舐めつくし
        蛇穴を出づ種の滅び知らずして
        蛇穴を出づ入りてまた出づるため


             林雅樹(「澤」)
        真夜過ぎてホテルのロビー桃の花
        花屑の溜まるやコインパーキング
        突風に跳ねてぶらんこ鎖鳴る


             小久保佳世子
        啓蟄の光る服着て工夫らは
        春の昼役者は化粧して老けて
        空席の前に置かれし桜餅


             島田牙城(「里」お世話係)
        争点を雲と霞の界とす
        本に天地くはへて遊び青き踏む
        とはいへのとはは問はれじ鳥の恋


             仲 寒蝉
        海市への船荷の袋人のかたち
        日本語に聞こえアラブ語あたたかし
        アイロンが船の形や涅槃西風



        2014年3月21日金曜日

        第62号 2014年03月21日発行

        【俳句作品】
        • 平成二十六年春興帖 第三
           ……飯田冬眞,藤田踏青,もてきまり, 
        関根誠子,西村麒麟,福田葉子,
        花尻万博,竹岡一郎  ≫読む
        • 現代風狂帖 
         桃柳   島田牙城       》読む

        <竹岡一郎作品 No.7>
            怒張の国・春變 2   竹岡一郎    ≫読む

        <小津夜景作品 No.16>
             夢の成層とその破壊   小津夜景   ≫読む
            

        【戦後俳句を読む】

        • 上田五千石の句【テーマ:夜】
        ……しなだしん   》読む



      • 「俳句空間」№ 15 (1990.12 発行)〈特集・平成百人一句鑑賞〉に纏わるあれこれ
      • (続・6/林田紀音夫)

        【現代俳句を読む】
        • 特集<西村麒麟第一句集『鶉』を読む> 7
          • 鶉と麒麟さん  ……鳥居真里子   ≫読む
          • 西村麒麟句集『鶉』評   ……堀田季何 ≫読む

        • 【朝日俳壇鑑賞】 時壇 ~登頂回望 その七~
        ……網野月を   ≫読む
        • 【俳句時評】 「Ku+」と第4回芝不器男俳句新人賞 
        ……筑紫磐井  ≫読む

        • 【俳句時評】 形式の「記憶」を記憶すること―三・一一以後の俳句にむけて― 
        • ……外山一機   ≫読む

         【俳句時評】  
        大井恒行の日日彼是       ≫読む
        読んでなるほど!詩歌・芸術のよもやま話。どんどんどんと更新中!!


        【編集後記】
        •       あとがき  ≫読む 
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            第62 号 (2014.03.21.) あとがき

            北川美美

            今号も「あとがき」更新が遅くなり失礼いたしました。

            縁あって山口晃「さて、大山崎」のために描いた、「最後の晩餐」のレプリカを手に入れました。武将の背中に、「常盤居間」という文字があり、これが「愛宕百韻」の明智光秀の発句「時は今 雨が下しる 五月哉」がベースにあることがわかります。

            「愛宕百韻」は謎が多いといわれていますが、光秀の句を見ていると「月は秋秋はもなかの夜はの月」が音韻的に好きです。さてさて、山口晃「最後の晩餐」を読むには長い長い時間がかかりそうです。絵画を見つつ読む行為、それもまた愉しみです。

            来週で3月も終わってしまいます。なんたる早さ。年度末で立て込み中ですが、また来週。

            筑紫磐井

            ○古賀まり子、村越化石など私が俳句を始めた頃しばしば名前を聞いた方々が最近次々なくなられている。著名な俳人以上にこうした作家たちの逝去の方が、時代の移ろいを感じさせてくれる。むかし、現代俳句協会の名幹事長であった津根元潮(つねもと・うしお氏。つね・げんちょうと呼ばれるといって怒っていたが。)と歳時記の編集スタッフをやっていたとき、歳時記の例句を入れるため、いろいろな現代俳句協会の会員の動静をメンバーが次々と聞いていた。「○○は?」「元気だよ。俳句は作らないけれど」「○○は?」「去年死んだ。」「○○は?」「この間作品を発表していた」「○○は?」「それも死んでいる。」「○○は?」「・・・・そろそろ死んでいるころだ。」「!?」。そんな津根元氏もなくなってしまった。津根元氏の「・・・・そろそろ死んでいるころだ。」はまことに含蓄のある言葉だ。
            津根元氏に聞けば、「俳句も・・・・そろそろ死んでいるころだ」というかもしれない。

            【俳句作品】    桃柳   島田牙城

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                  桃柳   島田牙城


            平成甲午の春、突然に「桃柳の使」を自らに任じたり。こは、すでに廃れたる上巳の習ひなりて、『華實年浪草』(鵜川麁文編 千七百八十三年)に「世俗 上巳に柳を桃に必ずさしまじへ雛祭にも供し」とあり。四月は京大阪辺り月遅れの雛祭なると聞くに、「必ずさしまじへ」らるることを切に願ひて詠めり。



            黒髪の時を経てけり桃柳

            父母すでになし桃柳活けをれば

            夕づつや柳の影が桃を這ふ

            さびしらに柳を恋へり桃の花

            あたためるまでもなき部屋桃柳

            六畳に僕と桃柳と君と

            墨の香を二階からとも桃柳

            桃の希求柳の訴求一つ部屋

            灯のもとを真夜育ちをり桃柳

            臨終は雛の柳を飾りをへ


            【略歴】

            • 島田牙城(しまだ・がじやう)

            1957年生まれ。
            月刊俳句同人誌「里」お世話係。句集に『袖珍抄』『誤植』ほか。

            邑書林

            【朝日俳壇鑑賞】 時壇 ~登頂回望 その七~ / 網野月を

            朝日俳壇(2014年3月17日朝日新聞)から

            ◆シャボン玉割れて太陽消えにけり (枚方市)山岡冬岳

            大串章の選である。この句の景は、シャボン玉が映える日中であろうし、よく晴れた春の暖かさを感じさせる日であったろう。シャボン玉に映った太陽のかたちが、もしくは太陽の光がシャボン玉の割れると同時に消えてしまったのである。春季の季題に「春光」があるが、俳句にとって春は光を捉えることに絶好の季節なのである。その光の源となる太陽がシャボン玉に映っているのを見付け出し、一つ一つのシャボン玉に宿った太陽のかたちを追跡したのである。シャボン玉遊びは一つだけ飛ばすことは稀であろうから、沢山のシャボン玉が飛び交い、その数多のシャボン玉の中の太陽のかたちが演じる出来事を単数形の表現で叙法している。

            単数形の表現は錯覚なのかもしれない。これは太陽が唯一のものであるからだ。そして光は数えられない量をもつ存在だからだ。もしくは単数複数の明示に鈍感な日本語の特性でもある。その日本語の特性を逆手にとって太陽の唯一単数である事実を踏まえた句作りである。

            掲句から離れ今週の選に関してだが、大串章選には、佐保姫を除いても固有名詞を詠み込んでいる句の選が多い。例えば釈迦、イエス、一茶、草田男、清少納言である。長谷川櫂選では、春の季題が四句で雛とその傍題が二句ある。稲畑汀子選では雪の季題で四句、梅が二句である。金子兜太選では、猫の恋が二句、同じく雪とその傍題で二句である。同じ季題で二句選ばれるのは、当季雑詠であればあって当然のことである。また春であったり、今年の場合は雪であったりは頷けるものがある。が固有名詞を詠み込んでいる句が多いのは何故だろうか?と思ってしまう。もちろん筆者は全ての投句を拝見している訳ではないのでそれ以上は言えないのである。





            【執筆者紹介】

            • 網野月を(あみの・つきを)
            1960年与野市生まれ。

            1983年学習院俳句会入会・同年「水明」入会・1997年「水明」同人・1998年現代俳句協会会員(現在研修部会委員)。

            成瀬正俊、京極高忠、山本紫黄各氏に師事。

            2009年季音賞(所属結社「水明」の賞)受賞。

            現在「水明」「面」「鳥羽谷」所属。「Haiquology」代表。




            (「朝日俳壇」の記事閲覧は有料コンテンツとなります。)

            【西村麒麟『鶉』を読む14】 西村麒麟句集『鶉』評 / 堀田季何

            ① 句集について

            句友・矢野玲奈によれば、西村麒麟は「受け取ったら喜んでもらえそうな番号を選んで、64番:御中虫 77番:中山奈々 99番:堀田季何 (敬称略)に贈った」とのことである。64は「ムシ」、77は「ナナ」もしくは「ナナナナ」であってわかりやすい。99はもう少し凝っていて、九九「KuKu」と季何「KiKa」の「KK」合わせ、九九の掛け算と幾何学の算数・数学合せの両方成り立つ。なるほど、さすが風流と粋が売りの麒麟!

            でも、麒麟は風流と粋だけじゃない……。

            『鶉』を先刻から読んでいるが、あにゃっ、麒麟と麒麟句の作中主体が混然としてきて、眼鏡姿の麒麟がメイドに見えてきた。だめだ、堀田季何、しっかりしろ、よく見るんだ! もう一度、麒麟らしき麒麟のドッペルゲンガーと向き合うと、ここでピンク色の霞がたなびいてきて、あれ、麒麟はどこだ、いや、どこだここは! 瓢箪やら仙人やら奥方・A子やら佐保姫やら鶴亀やら闇汁やらに囲まれているぞ。夢なのかうつつなのか。童子にすすめられるがまま河豚をひと口、うん、うまい、ああ、なんかこの世界をよく知っている気がしてくる、うんうん。いやぁ、もう酔ってきたのかなぁ。さっきから飲んでいるのも酒か水かわからなくなってきた、よく見ると墨汁みたいだし。周りの山も川も墨色だし、あら、麒麟もいつのまに陶淵明のような服を着ていて、瓢箪から酒を呑みながら酔拳をしている。あれ!? 

            こんな句集を而立で出す麒麟は、風流や粋という狭苦しい枠では収まるはずもない。そう、彼こそまさに酔狂、頓狂、素っ頓狂! もちろん、最大級の賛辞のつもりである。

            ② 句集の十一句

            アブサンを飲みながら適当に11句選してみた。麒麟に敬意を表して、あくまでも「飲みながら」かつ「適当に」である。素面で大真面目に選句なんてしたら作者にも句集にも失礼になってしまう。もちろん、11は、KuKuとKiKaのKが11番目のアルファベット、それに11は99の素因数だから。

            そうそう、選句基準は、秀句でも、佳句でも、好きな句でもなく、堀田季何が突っ込みたくなった句、脱力した句、唖然とした句、おどろいた句☆

            耐へ難き説教に耐へずわい蟹

            何度読んでも、説教される麒麟に感情移入してしまって、「耐へ難き説教に耐へ/ずわい蟹」と読めず、「耐へ難き説教に耐へず/わい蟹」と読んでしまう。玉音放送の「耐へ難きを耐へ、忍び難きを忍び」に涙した人たちは怒るだろうけど。

            ことごとく平家を逃がす桜かな
            取合せの句として読めば、麒麟が故郷の瀬戸内海沿岸で平家の落武者狩りを行っているが、酒を飲み過ぎてしまったのか、平家が美女集団だったのか、妻・A子に言われたからのか、平家を「ことごとく逃が」してしまっている、といったような解釈が成り立つ(おい、成り立つのか、本当に!)。でも、僕は敢えて一物の句として解釈したい。桜になってしまった麒麟が「ことごとく平家を逃が」している図である。こちらの方が面白い。

            この国の風船をみな解き放て
            前句「春風や一本の旗高らかに」(p.56)の2句だけ読むと、戦時中の戦意高揚句にも読めてくる(もちろん風船は爆弾付き)。しかし、後句「朝寝してしかも長湯をするつもり」(p.57)を読めば、作者が軍国主義ではきっと淘汰されるであろう人物だと判る(賛辞のつもり)。

            玉葱を疑つてゐる赤ん坊
            僕の場合、蚕豆をエロティックだと思うようになった小澤實に師事しているせいか(「俳句」1月号参照)、つねづね玉葱をエロティックだと思っている。掲句、その僕が詠んだ句ならバレ句として解釈されかねない。でも、麒麟が詠んだ句なので、赤ん坊に酒を飲ませたんだろうか、泥酔の麒麟が赤ん坊のふりをしているんだろうか、という無難な解釈で済んでいる。フロイト信奉者に読ませなければ、だ。フロイト信奉者たちに読めませたいのはこちら-「美しきものを食べたし冬椿」(p.34)、「はねあげるところ楽しき吉書かな」(p.39)、「初湯から大きくなつて戻りけり」(p.39)、「たましひの時々鰻欲しけり」(p.62)、「貝の上に蟹の世界のいくさかな」(p.62)、「かたつむり大きくなつてゆく嘘よ」(p.63)、「かたつむり東京白き雨の中」(p.63)。麒麟の信用力と人望を再確認した次第。

            働かぬ蟻のおろおろ来たりけり

            イソップ原作、筑紫磐井監督の長編映画『アリとキリギリス』が資金不足のため撮影の途中で頓挫。蟻たちにはギャラも出ず、そのままリストラ。食べるものにも事欠くようになり、「へうたんの中に無限の冷し酒」(p.72)と自慢していた麒麟のところに酒をタカるため、ぞろぞろ、おろろおろと来たりけり。勤勉な蟻が働いていないのはこういった事情のせいだが、「凍鶴のわりにぐらぐら動きよる」(p.33)の凍鶴がぐらぐら動いているのは、麒麟にすすめられて酒をすでに飲みすぎたせい。「人知れず冬の淡海を飲み干さん」(p.26)と豪語している麒麟と酒量を競うなんて鶴でも千年はやい。でも、麒麟も酔ってきたようで広島弁が出てしまったようだ(「動きよる」は広島弁)。そうか、麒麟自身も鶴を眺めながらぐらぐらと動いていたんだ。

            涼しくていつしか横に並びけり

            麒麟はこうやって美女を口説くのか。あの笑顔で言われたら、僕でも信じてしまうだろうなぁ。

            端居して幽霊飴をまたもらふ

            黄泉竈食ひ(よもつへぐひ)の類か。麒麟は永遠に縁側で端居することになり、もはや家の中にも庭にも戻れまい。

            こぼさずにこぼるるほどに冷し酒
            句集では縦書になっているが、初五中七のひらがなが高いところから注がれている酒、下五が杯に見えてくる不思議。

            いつまでも死なぬ金魚と思ひしが
            「死なぬなら殺してしまへその金魚!」という一句が聞こえてきて(幽霊飴をくれた美人幽霊の声にそっくり!)、自然に右手が動き、あらら、金魚は死んじまったとさ。ちなみに、その前の夏は「かぶと虫死なせてしまひ終る夏」(p.67)だったそうな。

            手を振つて裸の男の子が通る
            そのまま素通りさせてしまうのか!? 服を着せてあげないのか!? コスプレの楽しさを教えてあげないのか!? 

            どの部屋に行っても暇や夏休み
            夏休みだけじゃないだろう! そんな麒麟におすすめなのは、休日・夜間限定の自宅警備員(ネット情報では、今が旬の仕事らしいです)。もちろん、朝はよき夫、昼はまっとうなサラリーマン、夕は酔っ払い。ちなみに「どの島ものんびり浮かぶ二日かな」(p.39)とあるので、麒麟の無聊は周囲に伝染するらしい。

            ……ああ、アブサンに酔ってしまって、ひどい鑑賞文を付けてしまった。僕にしては紳士的ではない、少々下品なコメントまで混じっている。御免よ、麒麟。御免よ、A子。

            ③ 悪口雑言……無理

            筑紫磐井が「第59 号(2014.02.28 .)あとがき」にて「もうちょっと批判や悪口がないと、世の中はこんなものだと甘く見てしまうことになりかねないので、これからは是非、批判・悪口を寄せていただければありがたい。獅子が千仭の谷に(手足を縛って)子を落とし、剩え岩石・土砂・携帯電話を落としまくるのに似ていよう」と書いていたので、何か悪口雑言を書いてみたくなったが、あまり浮かばない。これも麒麟の人徳であろう。

            強いて言えば、いくつかのテーマ別に章立てをしてほしかった、ということくらい。ラブラブ(デート、お見合い)の句が時系列で含まれているのは分かるけど、冒頭に「へうたん」の句が3句連続で出てくるので、句集全体が時系列というわけでもない。ラブラブの句以外残りの句はどういう戦略で配列したのかわからない。「へうたん」の句も冒頭以外に出てくるし、画中世界の句も出てくるところが滅茶苦茶。酔狂な世界観を出すために敢えて雑然とさせたという見方もあるが、句数もそこそこあることだし、もう少し読みやすくする工夫があってもよかった。

            蛇足だが、前述「(手足を縛って)」という提案は気に入った。Mに目覚める麒麟。一見の価値はありそうだ。


            上田五千石の句【テーマ:夜】/しなだしん


            さびしさやはりまも奥の花の月   上田五千石

            第三句集『琥珀』所収。平成二年作。

            前回の〈春の月思ひ余りし如く出し〉に続いて『琥珀』所収の春の月の句。

                    ◆

            五千石の幾つかの句には、云わばモデルになった、もしくはオマージュとしての先人の作品がある。たとえば、

            ふだん着の俳句大好き茄子の花 五千石 
            ふだん着で普段の心桃の花 細見綾子

            があり、著書『俳句に大事な五つのこと』の「自作を語る」で以下のように書いている。

            細見綾子さんに「ふだん着で普段の心桃の花」といういい俳句があります。私の句は愛唱していた細見さんのこの句の模倣から生まれたと言っていいでしょう。

            また、

            早蕨や若狭を出でぬ仏たち 五千石 
            若狭には佛多くて蒸鰈 森 澄雄 
            があり、同書で以下のように記している。

            (澄雄の)この一句が私を「若狭」の小浜に誘ってくれたのです。(中略)よくもこんなにすぐれた「仏たち」が、このいわば辺ぴな土地にたくさんいらっしゃるものだ、という驚きが、口をついて出たのが「若狭を出でぬ仏たち」であります。

            さらに、この「早蕨や」の句に似た句がある。それは、

            菊の香や奈良には古き仏達 芭蕉
            である。並べてみよう。

            早蕨や若狭を出でぬ仏たち 五千石 
            菊の香や奈良には古き仏達 芭蕉

            地名は「奈良」と「若狭」の違いはあるが、下五の「仏たち」も、表記は違うが五音はそのまま同じである。上五の「や」切れの型も似ている。

                    ◆

            さて掲出句である。この句も芭蕉の“匂い”を感じるのだ。

            その“匂い”のひとつは、上五の「さびしさや」というストレートな感慨と切れ。
            ちなみに、芭蕉には上五にこの「さびしさや」の置かれた句が幾つかある。

            さびしさやすまに勝たる浜の秋 芭蕉
            さびしさや華のあたりのあすならふ 〃
            また、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」も初案は、

            さびしさや岩にしみ込蝉の声 芭蕉
            であったともされる。

                    ◆

            ふたつ目の芭蕉の“匂い”は、句の型である。構成もしくはリズムと言ってもいい。

            上五を「や」で切り、中七の終りを「も」とし、下五を「○の○」のように「の」の入る名詞の体言で納める型である。芭蕉にはこの型に類似した句がある。

            明けゆくや二十七夜も三日の月 芭蕉 
            笠寺や漏らぬ岩屋も春の雨 〃

            次の句は上五が「や」切りではないが、中七に「も」を用いていて、リズムは近い。

            うたがふな潮の花も浦の春 〃 
            今宵誰吉野の月も十六里 芭蕉 
            名月はふたつ過ぎても瀬田の月 〃

                    ◆
            さて、提出句をもう一度あげ、芭蕉の句と比べてみる。
            さびしさやはりまも奥の花の月 上田五千石 
            さびしさやすまに勝たる浜の秋 芭蕉 
            明けゆくや二十七夜も三日の月 〃 
            今宵誰吉野の月も十六里 〃

            短詩である俳句には、型の類似はもちろんあることが、私には近似しているように思える。五千石本人も気づかないところで、芭蕉に思い入れを持っていたのかもしれない。

                    ◆

            改めて掲出句。ひらがな表記の「はりま」は「播磨」、つまり現兵庫県のことだろう。「奥も」は播磨の奥まった場所(に居る)という意味合いだろう。旧国名が「さびしさや」の感慨を深くしている。その「さびしさ」を少し和ませる存在が「花の月」であったのではないだろうか。

            さて、この句の型、リズム、もっと言えば中七の「も」――、これは少し癖になる。


            「俳句空間」№ 15 (1990.12 発行)〈特集・平成百人一句鑑賞〉に纏わるあれこれ(続・6/林田紀音夫「飯粒にざわざわと春過ぎてゆく」) / 大井恒行

            林田紀音夫「飯粒にざわざわと春過ぎてゆく」
                                             

            林田紀音夫(1924〈大正13〉8.14~1998〈平10〉6.14)の自信作5句は以下通り。

            何を焚く火か何時よりの三日月か   「花曜」1989(平成元)年1月号 
            飯粒のざわざわと春過ぎてゆく     「海程」 〃(平成元)年6月号 
            銃砲の色で落葉の夜がくる        「海程」1990(平成2)年1月号 
            水洟のさびしさの日に幾度か       「花曜」 〃( 〃 )年5月号 
            樒立つ時として雨降りかかり        「花曜」 〃( 〃 )年7月号

            一句鑑賞者は、小西昭夫。その一文には「同じ晩春から初夏にかけて季節を『春過ぎてゆく』と捉えるか『夏は来にけり』と捉えるかでは、意識のベクトルは正反対である。春という季節は、草木が芽吹き、生命の躍動が始まる季節である。林田の意識の中で、その麗しい春は過ぎてゆき、生命の季節は終わろうとしているのだ。彼の意識の中では、来るべき夏は日照りの中でオロオロ歩く夏なのである。いや、春が終われば、すべては終ってしまうのだと言った方がよいだろうか。『無数の顔のない飯粒が無秩序にざわめきながら最期の季節を迎えている』そういった句意なのだろうと思う」とある。

            林田紀音夫には高名な「鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ」の句があるが、あるいは、「騎馬の青年帯電して夕空を負う」も僕にとっては、金子兜太『今日の俳句』で出合った句だ。以後、林田は無季の句を作り続ける第一人者としての印象がある。髙柳重信は林田の方法を「その作家の身の丈どおりにしか書けないような実に正直な書き方」と言ったが、ぼくにとっては、その執拗な姿勢こそがむしろ魅力的だった。あるとき林田紀音夫は現代仮名遣いを遣う理由を問われて、現実の猥雑さに賭けると述べたように記憶しているが、その言い方こそが、つたなかった僕にも現代仮名遣いで書き続ける意味と意思を与えてくれたのだと、今、思い返す。

              黄の青の赤の雨傘誰から死ぬ      紀音夫 

              いつか星空屈葬の他は許されず 

              洗った手から軍艦の錆よみがえる


            などの句も忘れがたい。


            【小津夜景作品 No.16 】 夢の成層とその破壊   小津夜景

            ※画像をクリックすると大きくなります。

            (デザイン/レイアウト:小津夜景)






                      夢の成層とその破壊   小津夜景

            両切りの腋のおぼろがぎやらくしい

            ばらばらの娯楽雑誌やみづぬるむ

            ネーブルにまきびしのある運河かな

            春や鳴る夜汽車シリングシリングと

            硝子ごと手びさしに染むよもぎいろ

            ひこばえを真闇につかむ院ならむ

            むつつりと欠く指を食む早蕨は

            ふりかへりこのまぶしさは芹の山

            天文台やがて巣箱は冷ゆるなり

            鳥の恋カプセルホテルより帰還


                        ふと破壊衝動を抑へられなくなつて相殺十歌
            (1)けむりから怪しき宇宙生まれもうことばなど真にうけないことだ
            (2)ねころんで、と、打ち込んで猫論を掘り出す午後のなんてうららか
            (3)無神論?それでいいわとまきびしは千鳥のやうねと思ひつつ笑む
            (4)踏まれざる処女地を明日も恋ふだらう足裏の谷のたとへば枯野
            (5)惑星の光の底をさまよへば胸にはびこるムカシヨモギが
            (6)もうすぐモノが騒ぎ出す モノもまたイッヒ・ロマン故に死んでゐる
            (7)この指は音叉でせうか音叉とは抱きあへない木霊のやうな
            (8)ふりかへりこのまぶしさはかつて書き言葉と名指された白い山
            (9)オマージュがイマージュとなり鳥となり人類の手を離れてゆきぬ
            (10)キース・ムーンと春の岬をジャンプする追ひつくやうに遠い寝言に






            【略歴】
            • 小津夜景(おづ・やけい)

                 1973生れ。無所属。





            【竹岡一郎作品 No.9】 怒張の国・春變 2 / 竹岡一郎

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                 怒張の国・春變 2  竹岡一郎


            中原を黄砂紅塵黒雨征す

            冴え返る後宮に火は滴れり

            笑ひ止まらず遠(をち)の雪崩を聴く株屋

            神様の嘆きがけもの交らしむ

            彼岸には墓を拒める骨千躯

            蓬餅梓巫女たち車座に

            ふるさとの栄の種を浸す涙

            紀の瀞や囀る人魚飼ひ殺し

            幾生を軋みて征ける鬼朧

            花と観るべく両瞼ちぎり捨つ




            【作者紹介】

            • 竹岡一郎(たけおか・いちろう)

            昭和38年8月生れ。平成4年、俳句結社「鷹」入会。平成5年、鷹エッセイ賞。平成7年、鷹新人賞。同年、鷹同人。平成19年、鷹俳句賞。
            平成21年、鷹月光集同人。著書 句集「蜂の巣マシンガン」(平成23年9月、ふらんす堂)。

            【西村麒麟『鶉』を読む13】   鶉と麒麟さん / 鳥居真里子

            店変へてこれも夜学と思ふべし」。とある句会の席題で接した麒麟さんの一句である。昼間の句会を終えて集うくつろぎのひととき。一献かたむけながら思い思いに語らいがはずむその席を「夜学」とたとえた一句は高点句だったと記憶している。だがこの句をはじめ、高得点を占めた彼の作品をなぜか私は採ることが少ない。

            どの部屋に行つても暇や夏休み」。前句同様、この句もまた楽しくとぼけた風刺がほどよく利いている。そして二句ともに現代感覚の俳味にあふれ、淡々と詠むその奥に麒麟さんの素顔がかくされているような気がしてくる。

            その一方で意外や意外、はっと驚かされるような麒麟作品に出会うときがある。その好例句が「冬ごもり鶉に心許しつつ」である。前出二作品とはいかにも対照的で、視線を句に置くだけで、静かなぬくもりにつつまれた渋い味わいに引き込まれてしまいそう。「鶉」のことばの響きが絶妙なまでにあたたかくすんなりと懐に飛び込んでくるようだ。

            だが本句集『鶉』を読み進めていくうちに〈意外や意外〉と勝手に受け止めていたその思い込みが大きな見当違いであることに気づかされる。意外どころか、これこそが麒麟さんの発する十七音の源流そのものであることがはっきりと見てとれるのである。なんという嬉しい裏切り行為であろうか。句集『鶉』のかなでる時間を作者と共有したとき、穏やかなせせらぎが心身に溶け込むような安らぎを覚えてしまう。

            柿の秋どんどん知らぬところへと 
            一人は寂し鹿が立ち鹿が立つ 
            永遠の田園をゆく冬の蝶 
            あくびして綺麗な空の彼岸かな 
            端居して幽霊飴をまたもらふ 
            冷酒を墨の山河へ取りに行く

             笑顔を絶やさない麒麟さんがふいに黙りこむ。そんな表情を一度だけ眼にしたことがある。にぎやかな二次会の席だから酒量もハイピッチで進んでいたのかもしれない。だがいつもなら酔うほどに笑顔が満ちて、舌も滑らかになるはずの彼がその時ばかりはまるで別人のようであった。その表情はほどなくして波が引くように消え普段の笑顔に返ったが、一瞬垣間見た沈黙の影にしばし言葉を失った。
            揚句、実体感と透明感の交差したような余情をたたえている。こうした作品に出会うたびに、あの席で見せた彼の表情がふっとよみがえり、不安と安堵の思いに駆られるのである。

            美しきものを食べたし冬椿 
            鶴引くや八田木枯なら光る 
            鶴の句が鶴になるまで唄へけり 
            鶯を鶯笛としてみたし 
            天上へ鶯笛は届くかな

             麒麟さんが八田木枯氏に私淑していたと知ったのは、氏がこの世を去ってからのことである。『鶉』の集中には八田氏の死を悼む作品が何篇も収められ、その一句一句に自然と眼が留まる。八田氏の存在、そしてその足跡から学び得た教えはいまなお麒麟俳句の糧となりその源流を力強く支えているように思えてならない。源流は何本もの支流を生み出しながらおおらかにゆったりとどこへ流れてゆくのだろうか。

            たましひの時々鰻欲しけり

            【俳句作品】 平成二十六年 春興帖 第三

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                 飯田冬眞(「豈」同人、「未来図」所属)
            ふくらはぎ揉んでにこにこ紀元節
            戦ひを忘れたる国雪中梅
            起立礼遺族黙禱鳥雲に

                 藤田踏青(「豈」「層雲自由律」「でんでん虫の会」)
            春泥踏みしめ強情な転轍手
            カクレンボウ 何ごともなく佐保姫と
            吃水線のそこここで呟く流し雛
            深爪に語りかけゆれる春灯
            春寒をはみ出している無精髭
            壬生狂言 蠢くものに救われて

                 もてきまり(「らん」同人)
            鬱ボタン一つはずして春衣
            水搔きで鬱出てみればなほ朧
            Que sera sera自我とからし菜炒めけり

                 関根誠子
            知らぬ事はすぐに信じて桃の花
            風花や続いて済ます七七日
            飛花落花犬の横顔が笑って

                 西村麒麟
            春雪の神奈川を出る電車かな
            羊羹を語つて楽し凧市に
            埼玉へ進む電車の長閑さよ
            川越の春や大きな玉こんにやく
            ぜんまいののの字の事はもういいや

                 福田葉子
            魂一つ連れて重たし鳥雲に
            沖遥か未生の町立つ貝櫓
            夕されば亀鳴く丹後思えらく

                 花尻万博
            現し世の道の短さ蓬摘む
            畦焼や四方へ昏れる、昔情死
            碑の余白 蓬摘む鬼入れ光る
            畦焼を冷ます遠くの水面かな
            鬼の子と思ふ蓬に遊びもして

                 竹岡一郎(「鷹」同人)
            嫁入の峠あかるむ蕨かな
            上方の雛運んで津軽まで
            春祭玉乗狐土人形