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2014年4月25日金曜日

【「俳句新空間No.1」を読む】 ときに劇的な /  堀下 翔


思ったことを書く。

梅咲いた。人わらはせる芸つらし 堀本吟

つらい。他人はなかなか笑ってくれない。これでもかと笑わせにかかって、ようやく笑ってくれたとしても、今度は「自分、どうしてこんなことをしているのだろう」と情けなくなって、つらい。芸をする人はみんなそうだ。この国で初めて芸をしたひともそうだった。古事記に登場する海彦のことである。永六輔の本から引く。

「海彦・山彦の話はご存じでしょう。山彦は海彦から借りた釣針を無くしてしまい、もとの釣針を返せと迫られて困りはてる。そうしたら、海の神さまが山彦に同情して釣針を探し出し、それだけじゃなくて、傲慢な海彦を懲らしめるために、山彦に不思議な力を授けるんですね。それで山彦が勝者になる。/それ以来、海彦の一族はその負けたときのありさまを、山彦の一族のまえでずっと演技しなければならなくなるんです。/神話ですが、これが「芸人」のはじまりということになっているんです。」(永六輔『芸人』岩波新書・一九九七年)

海彦、つらかったろう。人を笑わせることはもともと罰だったのか。

ところで古事記はこの海彦を「わざおぎの民」と呼んでいる。わざおぎ、「俳優」と書く。俳人としてはここで一気に彼に親近感がわく。俳優も俳句も、同じ「俳」の字を持った仲間だからである。同じ字である以上、どこかしらで繋がっているのだと思う。ただそれは、また別の話になる気がするので、置いておく。ここでは無邪気な連想ゲームにとどめておいたほうが、気楽だ。

俳優といえば、劇。俳句を読んでいるとときどき、俳句と劇は似ている、と思う。まず第一に、見せられたものしか知ることができない。

宝舟すこしはなれて宝船 堀田季何
宝舟と宝船がありました。それだけしか教えてくれない。どうしてふたつあるの。どうしてすこしはなれてるの。どうして舟は種類が違うの。明快で親切な小説なら、このあと地の文でいきさつを書いてくれるかもしれない。けれどもここでは、舟がふたつあるところを見せて、それっきり。

コミュニケーションが成り立たない。舞台上にある大道具、あるいは意味ありげに発せられた科白。舞台の構成物でありながら、その目的は、向こうが説明しない限り、分からない。この一方向性においてまず、俳句と劇は似ている。

夏芝居後姿の泣いてゐる 小沢麻結
芝居を見ていて、役者の後姿が泣いているように見えた。理由があるのかもしれないが、聞くことはできない。後姿が泣いているように見えた時点で、俳句にしてしまったから。こっちから話しかけることができないのは、ものすごく一方的で、ちょっと理不尽である。

おしぼりが正位置にある福寿草 上田信治
どうして正位置なの。どうしておしぼりなの。おしぼりが正位置にあることしか、わからない。もっと言うと、どうして福寿草なの。この問題は、取り合わせの俳句を読むときに、ずっとついて回る。どう考えてもこの季語以外にありえないのだが、なぜそうなるのか、見当がつかない。やはり、理不尽。

劇が面白いのは、劇場で見るからだろう。劇場に入ることで、仕切りが生まれる。

一時間前ははうれん草畑 依光陽子
一時間前、ほうれんそうと土の色に囲まれていた。いまはどこにもないが、あのあおあおとした感じが、まだ体のどこかに残っている。「まだ」と思うのは、ここがほうれん草畑ではないからだ。どこまでも仕切りなくほうれん草畑だったら、なんとも思わない。

鳴りやんで涼夜や耳鳴りだったのか 池田澄子
耳鳴りが止まって初めて耳鳴りだったと気づく。仕切りがあるから気づく。もちろん、耳鳴りなんてしないほうがいいけれど、それでもびっくりするのは楽しい。

劇場は仕切りだ。そしてそのなかに、舞台という仕切りがある。

我を指す人差指や師走の街 林雅樹
包丁ら青々として芒種の町 小野裕三

この仕切りは、劇作家が作る。ここから先は師走の街である、芒種の町である、そう決めました、と。一方的な仕切り。見る人間は、従う。その人々はたいがい好意的なので、従うのが楽しくて来る。小説家が、師走の街をいかに読者に歩いてもらうか、必死になるところを、劇作家は、俳人は、「師走の街」と言えば、とりあえず信じてもらえる。つくづく変な形式だと思う。

信じてもらえるのは、このあと何かが起こるという、信頼関係があるからだ。「劇的な」という形容詞があるように、劇は、何かが起こる前提にある。「劇的な」という言葉の「劇」を「激しい」くらいの意味で思っている人が多いけれど(じじつ「劇」の第一義は「激しい」である)、「劇的な」というときには、劇に出てくるようなありさまを言う。

北窓を開きそのまま海のひと 近恵
窓を開けるという物理的な行動によって、春を呼ぶ。開けたら見える海に、そのまま同化してしまう。快感。そして劇的。書いた後に思った。この言葉、少し便利すぎるかもしれない。短い俳句のことだから、起承転結の「転」を持ってきたくなる。

新涼の神父三角座りだが 岡村知昭

神父が三角座りの時点で、かなりどきっとする。秋は寂しくなりやすい季節であるにしても、神父ともあろう者が、三角座り。しかも話はここで終わらない。「だが」って、まだ何かあるのか。二転三転、ドラマチック。

ドラマチックになるという信頼感は、ときに先走る。

電話機を見れば鳴りさう秋の昼 林雅樹

電話なんて一日のほとんどを沈黙しているのに、鳴りそうに見える。電話が鳴るわずかな瞬間こそが、電話の本領だから。あの電話、鳴るぞ。鳴っていないうちから思う。

幽霊の飛び出しさうな冷蔵庫 小久保佳世子
冷蔵庫は幽霊が飛び出してくるもの……ではない。死体が入っていることはあっても、幽霊が出てくるなんて話、ちょっと聞かない。「幽霊の飛び出しさうな(状況下にわたしの目の前にある)冷蔵庫」と言えば、少しは理屈で説明できそうだ。怖い話を聞いたあと、トイレに行けないのと同じ。幽霊が出るにちがいない、という期待。

盆の家みんな眼鏡をかけてゐる 仲寒蝉
そこにいる人みんな眼鏡。もしかしたら気づかないだけで、日常にそんなケースはたくさんあるかもしれないが、ここはわざわざ区切られた舞台だ。みんな眼鏡をかけていることが、意味めく。
劇に必要なものもう一つ、演技。

頬被りして笑い皺深うせり 後藤貴子
鬼灯の赤を呪ひの道具とす 中山奈々

何かを身につけたり、使ったりすることで生まれる仕切り。劇作家の平田オリザが、書いていた。「プライベートな空間では、演劇は成立しにくい」(平田オリザ『演劇入門』講談社現代新書・一九九八年)。頬被りをすること、鬼灯を道具にすること、そんな変化で、劇が始まる。

はつとして今虫売でありにけり 西村麒麟

演じている自分までびっくりするくらい、演じる。なんで自分は虫売なのだろう。何者かになる行為自体が、ドラマチックである。見る方も、見せる方も、劇の中で、だまされる。

松だよとだまされてをる小春かな 山田耕司
だまされていると知りながら、いい気分になっている。ううん、劇も俳句も、不思議な営みだなあ。




【筆者略歴】

  • 堀下翔 (ほりした・かける)

1995年北海道生まれ。「里」「群青」同人。俳句甲子園第15、16回出場。
現在、筑波大学に在学中。




2014年4月11日金曜日

【「俳句新空間No.1」を読む】 平成二十五年癸巳俳句帖より(その1) / 黄土眠兎

『俳句新空間』刊行おめでとうございます。

表紙が可愛い!お洒落ー!なのに、郷愁を誘う表紙絵、トアルコトラジャコーヒーの文字に釘付けになりました。そこで、歳旦帖より(勝手に)「トアルコトラジャチーム」なるものを作り打順を組んでみました。そして、「トアルコトラジャチーム」の対戦相手「ロイヤルコナチーム」の投手になりきって歳旦帖シリーズを振り返ってみることにします。


コナ敗戦投手の記憶。


一番 月野ぽぽな 元旦の空ていねいにやぶきます

いきなり初球から打たれた。「元旦の空もわたしにかかったらこんなものよ。ふふふふん。」と。一緒にニューヨークの元旦の空をやぶってみたい気持ちになってしまったじゃないか。でも、思いとどまった。・・・大リーガーはすごい。


二番 山田耕司  信仰やいやいやをしてせんぷうき

扇風機の首振り機能に「信仰の自由」を発見してしまった!ボタンひとつで寝返る(信仰)こともあるけど、押しっぱなしだと電源を喪失するまでいやいやしたままじゃないか。いや、信仰は電源を喪失してもいやいやしたままなのだ。下五までねばられ、また打たれてしまった。


三番 西村麒麟  流星を見てトラックは次の街

何のトラックかどんな街なのかはわからない。サーカスかしら?ひと仕事終えたトラックが次の街に行く様子が、「流星」を出してきたところでぐっと胸に迫ってきた。油断した私のグラブを弾いてヒット。満塁になってしまった。


四番 筑紫磐井  初雛の隣家にスタア誕生す

四番かあ・・2ストライクから・・この少子化の時代、「初雛」で「スタア誕生」ってプリンセス誕生じゃないか!ドヤ顔の満塁ホームラン。やられた。


五番 下坂速穂  瓜の馬寄り道をして帰られよ

さ、気を取り直して・・と思っていたら、お盆に帰って来られた親しい人(ご両親だろうか?)の魂に、もっと長く居てほしいという気持ちがひしひしと伝わってくるじゃないか。その優しさに打たれてしまった。

六番 福永法弘  不器用を武器とし愛の四月馬鹿
「不器用を武器」にするなんてどこの馬鹿?と思ったんだけど、四月馬鹿なのね。しかも「愛の四月馬鹿」なんて・・・もうそのフォームでまいっちゃった。身を張って(デッドボール)出塁。


七番 藤田踏青  宵山の汗汗汗の人柱

人柱の意味がちょっと違うかな?とも思ったんだけど、祇園祭の宵山を知っているものにとって、この絵画的表現には大きく頷くしかないんだよね。手がすべって汗をもう一つ投げてしまった!フォアボール(四汗)になっちまった。


八番 小久保佳世子 人だつたかしら月夜の交差点

「人だつたかしら」なんてとぼけたことを・・・と、なめてかかって変化球を投げたのに、「月夜の交差点」とあっさり打たれてしまった。それは、人じゃなかったような気がします。参りました。


九番 仲寒蝉   春の闇人のかたちになれば抱く

春の闇にはいろんなものがいそうだなあ。人のかたちになったら抱くって?元は何でもいいの?河童でも?その金本兄貴並みの器量の大きさに負けました。

監督 高山れおな  秋風や無学哲学みなあはれ

虚子もびっっくり。無学は「あはれ」なのかなー?と、考えこんでいるうちに・・私のシーズンは終わった。今はもう秋風が吹いている。あはれ。




選抜された作者のみなさんごめんなさい。ビビっと響いた好きな句を並べた勝手な解釈でのオールスターでした。

今年も始まっている歳旦帖。トアルコトラジャチームの四番を越える打者が登場するのを甲子園でお待ちいたしております。

トアルコトラジャチームに栄光あれ!


<続く>


【筆者紹介】
  • 黄土眠兎(きづち・みんと)
1960年兵庫県生まれ、兵庫県在住。「鷹」同人、「里」人。




2014年4月4日金曜日

【俳句新空間No.1を読む】 平成二十五年癸巳俳句帖・中山奈々の句を読む /小鳥遊栄樹

私が尊敬する俳人の一人、中山奈々さんの俳句を鑑賞させていただきます。

【春興帖】

季語が春いろはで統一されている三句でした。歳時記で調べてみたところ、春いろはという季語は見付からなかったので、いろは→色葉→秋の季語、紅葉の傍題→春の色葉は桜?と個人的な解釈で読ませていただきました。作者の視点としては、保育園や幼稚園の先生が児童を見ているような視点の句のように思えました。

包装紙切つて花びら春いろは
包装紙を切って花びらを作っている。花びらが貼られている画用紙はきっと春で溢れているのでしょう。

春いろは最後に抱きしむる遊び
おままごとをしている景でしょうか。最後は抱きしめて「おやすみ」で終わる優しい雰囲気の句に思えました。

母を見るための眼や春いろは
子から見る母はやはり偉大だなと思わせてくれる句でした。

【花鳥篇】


葉桜や臨機応変にも限度
私が中山奈々さんの俳句の中でも好きな句の内の一句です。桜から葉桜に変われるけれど、臨機応変にも限度がある。滑稽味があるようにも思えました。

ほととぎす薬の殻の角曲げる
錠剤が入ってる銀色のシートの角を曲げている無機物感とほととぎすの取り合わせは新鮮だなと感じました。

ほととぎす泰淳著書はみんな書庫
武田泰淳は日本の小説家。第一次戦後派作家として活躍。主な作品に『司馬遷』『蝮のすゑ』『風媒花』『ひかりごけ』『富士』『快楽』など。 (Wikipedia参照)和風な一句ですね。著書が書庫にしまわれている静かさとほととぎすの取り合わせは綺麗だなと思いました。

【秋興帖】

ホラーチックな三句でした。色をテーマに詠まれているのかなと思いました。

鬼灯の赤を呪ひの道具とす
言われてみたら呪いの道具として使われていそうな赤色をしているなと思いました。

心臓の色のチークや雁渡し
凍星や臓器それぞれ違う色(ローストビーフさん)をふと思い出しました。チークを心臓独特の色(個人的には赤くくすんだ肌色を想像しました。)と表現したのが面白いなと感じました。

禰宜のあを巫女の赤銀杏踏みぬ
禰宜(ねぎ)とは、神職の職称(職名)の一つである。「祢宜」とも書く。今日では、一般神社では宮司の下位、権禰宜の上位に置かれ、宮司を補佐する者の職称となっている。(Wikipedia参照)巫女さんが銀杏を踏んだ景でしょうか。不思議な雰囲気の句だなと思いました。

【冬興帖】

季語が冬帽で統一されている六句でした。家族的な暖かさが感じられる六句でした。

冬帽を二つ挟んで妻の顔
夫(父)目線の句でしょうか。冬帽をかぶってる子供二人を抱き締めてるような景が浮かびました。

冬帽の二人とも貴方の子ども
やはり夫か妻目線の句なのでしょう。一句目があったので夫目線ということで読ませていただきます。この句は一句目の続きでしょうか。妻が子供を抱き締めてるのを見て夫がふと言った言葉のようにも思えます。

冬帽の色か黒子で見分けたる
この子供はよほどそっくりな兄弟か双子かのどちらかなのでしょう。私の友達にも目が怖そうか優しそうかでしか見分けられない双子の友達がいます。

冬帽のよく笑ふ歯抜けで笑ふ
笑顔が可愛いお子さんですね。歯抜けってことは、結構小さなお子さんなのでしょうか。

冬帽は悪童冬帽は双子
冬帽=悪童、冬帽=双子、つまり双子=悪童なのでしょう。いたずら盛りの可愛いお子さんですね。

【歳旦帖】

ボス猿がテーマの五句でした。ベンツは、大分県大分市高崎山の高崎山自然動物園のニホンザル(Wikipedia参照)

去年今年ボス猿二回目の家出
この場合の家出は猿の群れを離れるという意味での家出でしょうか。家出の使い方が面白いなと思いました。

新月の新年ボスの名はベンツ
新月、新年と来て、このボスは新しいボスなのかなと思ったりもしました。

ボス猿のなき山姫始めのびのび
ボス猿がいたら姫始めものびのびできませんよね。クスッとくる一句でした。

猿人気ランキングあり福寿草
動物園の猿でしょうか。私は動物を見分けるのが苦手ですが、やはり一匹一匹名前があって違いがあり、好感度も違う。ランキングがあるのが人間味もあって面白いなと思いました。

歯固めのクッキーやボス猿模して

ボス猿が歯固めのクッキーを噛んでいるのを見て、雄猿がそれを模しているのでしょうか。個人的に月夜を想像しました。

以上、小鳥遊 栄樹による中山奈々さんの俳句鑑賞でした。

拙い文章でしたが、最後まで読んでいただけたらとても嬉しいです。



【筆者略歴】

  • 小鳥遊 栄樹 (たかなし・えいき)

沖縄俳句会「若太陽」所属、関西俳句会「ふらここ」所属、俳句誌「里」同人、俳句誌「群青」同人、メール句会「立体交差」参加、インターネット句会「週活句会」参加





※編集部注:上記の歳旦帖の中山奈々さんの句は平成二十六年歳旦帖第二のブログ掲載作品であり、「俳句新空間」の冊子収録句ではありません。原稿のまま掲載させていただきました。

※文中の(wikipedia 参照)は記事内容に従いリンクしました。

2014年3月7日金曜日

【俳句作品】 平成二十五年 冬興帖 第九 / 内田麻衣子

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     内田麻衣子(「野の会」同人)

寒月の弧度ほどひしゃぐ鰭の酒

少女化アポロン冬蔦の付け睫毛

原告のコートは厚く靴古く



2013年12月27日金曜日

【俳句作品】 平成二十五年 冬興帖 第八

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     夏木 久(「豈」「連衆」)
またけふも寒月磨く砂漠かな
出汁香るまでの万葉集に雪
試着室より軍隊の出づ聖夜

     山本敏倖(「豈」「山河」)
記紀の色ついに冬至の水はあらすか
あんもないとのきしせいしんはかんほくと
寒夜明け分水嶺のあくびかな
みちのくの鬼火の見える一里塚

     山田耕司
寒月の釘抜きであり釘であり
梟に人語を教へに行つたきり
松だよとだまされてをる小春かな

     北川美美
青空やクリスマスにも午の刻
冬の空顔の真ん中鼻がある
冬枯をゆく傷だらけの天使かな

     高山れおな
美しき惑ひの年が暮れるなり



2013年12月13日金曜日

【俳句作品】平成二十五年 冬興帖 第七

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     吉村毬子
空を棄て虹を啄む冬の鳥
白鳥の空を見ずして海を見る
冬舟を漕ぐ母の唄の隙間へ

     小津夜景
遊仙の香をほのぼのし鴨を食う
花むろやくさぐさの飢えかぐわしく
雪に残香 拭えざる血を知らず

     堀本裕樹
短日や「殉情詩集」捲りつつ
凍蝶の翅にうつすら夜汽車の灯
上京の訛りまだ濃しおでん酒

     堀田季何(「澤」「吟遊」「中部短歌」)
冬虹の足に透けてや白樺(しらかんば)
しろたへのスノーカクテル冬燈
魂魄も冬至生れの堀田季何
寒卵割らねば〈我〉が割れてしまふ
闇汁や牛(ぎう)豚羊鶏駝鳥

     外山一機(『鬣』TATEGAMI)
干し柿をしばらく撫づる別れかな
手にとりて鈴のごとくに冬の鮨
万両や洗ひあげたる父の膝

     望月士郎
「皹」と書いたら憲兵さんが来た
手袋のそれは小指の入る穴
姉さんと見ている鮪解体ショー

     田代夏緒
鼈甲の眼鏡の奥の冬ざるる
釦掛け違ふはるかな枯野より
湯豆腐のなかの闇には誰も触れず

     仲寒蝉
別々の芋焼いてゐる夫婦かな
冬空をすべる南京玉すだれ
北海の筋金入りといふ海鼠

     筑紫磐井
小春鎌倉昼の憩の曲流る
核心の一点に降る巴里時雨
刻々と雪に変はつて政変来

2013年12月6日金曜日

【俳句作品】平成二十五年 冬興帖 第六

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     太田うさぎ
凩に弓引いてゐる星座かな
島国は大根を干し恙なし
飴細工冬日伸ばしてゐたりけり


     藤田るりこ(「秋麗」)
貸衣装に身体を通しクリスマス
冬りんご床に皿置き野営めく
線香持て山を往く人蕪村の忌


     ふけとしこ
冬立つやぞろりと曳いて孔雀の尾
夜神楽のスサノオ指の美しき
神楽師の足袋の汚れてくる頃ぞ


     堺谷真人(「豈」「一粒」同人)
古写真の裏へと廻る初時雨
ミスコンを鹵簿かとおもふ都鳥
雪達磨とけて眷属なかりけり


     花尻万博
紙の上拭ひ切れざる水流れ
馴染みなき新聞に魚粗(あら)寒きかな
冬鷗守りて変はらぬ水位かな
佛手柑の寝余る朝匂ひけり
北風の梳く街幾つ賞に罰に


     山田露結(「銀化」同人)
なんでせうつはぶきのこの明るさは
たふさぎのちらちら吹かれ石蕗の花
だんまりの花だんまりのまま枯るる


     阪西敦子
外套の掛かりて椅子の引かれあり
ボージョレヌーヴォ片方の靴脱げさうで
巻髪の動きて牡蠣の吸はれけり


     近恵
山眠る間際のひかり一人占め
耳鳴りを堪えています熊が出ます
水餅に照り良きところあり伸びる

2013年11月29日金曜日

【俳句作品】 平成二十五年 冬興帖 第五


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     音羽紅子(「童子」会員)
炉の開きて煎餅みかん持ち来るよ
落葉掃くまだ金色でみづみづし
初雪のけはひますます強くなり


     佐川盟子
予約席は空席のままクリスマス
荒星や指の知りたる鼻の位置
脱ぎすてたブーツ戦死のごとくあり


     後藤貴子(「鬣(TATEGAMI)」)
玉霰ボーカロイドが叫ぶ愛
頬被りして笑い皺深うせり
グラウンドで踏みし朽葉のものもらい


     林雅樹(「澤」・共著『俳コレ』)
我を指す人差指や師走の街
鉄道の柵は枕木大根干す
雑誌自販機トタン囲みや冬の暮

 
    茅根知子
鉛筆の文字の太りて冬に入る
日の中にもう少しゐる毛糸編む
吐く息の流れてゆきし枯野原


     関根誠子(「寒雷」「炎環」「つうの会」同人誌「や」所属)
しづかな日差して時雨のこころざし
小春日や地球とび出す円周率
何の種だつたか生えて冬紅葉

 
    上田信治
あのあたり青から白へ冬空は
犬ほどの暖房器あり足許に
ながあしにゆく竹馬よ山は霧
見えてゐる夜のほんの一部の雪
冬の鳥食器がひとつふたつかな


     津髙里永子
わが樹海桂落葉の香に満つる
恋するか死ぬか炬燵の脚ぐらぐら
雪捨て場雪の重さに馴れてきし
灯ともして雪積む筒のごとき橋
藪柑子遺骨拾ひにゆく話


     小澤麻結(「知音」同人)
火も既に三和土の火鉢客待てり
棒を挿すのみの戸締り炭跳ねる
屋敷神いや白々と冬来る
かぶりつくカヂキバーガー冬うらら
アンパンマン今どの辺り小春空


     柴田千晶(「街」)
テーブルも椅子も人間冬館
夫役の男むじなに似てゐたる
石膏の乳房割れをる冬の庭




2013年11月22日金曜日

【俳句作品】平成二十五年 冬興帖 第四

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      堀本 吟(「豈」「風来」「北の句会」)

右の目の衰へてをり月に雪

雲を抜け出て順はず月に雪

花もとぞ誘ふ声あり月に雪


      長嶺千晶

赤松のうろこ乾びて流行風邪

人間をやめて寝袋冴ゆるかな

絵双六またふりだしへもどりたる


      小林かんな

窓際は雑誌売場や小六月

今生のおでんのつゆを同じうす

置去りのレシートすでに枯葉めく


      羽村 美和子(「豈」「WA」「連衆」同人 近著『堕天使の羽』)

冬のバラ第六感を研ぎ澄ます

霧氷林鏡の国の扉が開き

原子炉を兄とも思う狐火


      網野月を(「水明」同人)

角瓶の刻みを撫でて優し冬

瓶中のカティーサークよ冬嵐

冬日中八重歯を隠す母若し

碧き目の嬰は碧きまま冬を越し

春と夏愛と生涯冬至る


      ふけとしこ

種を採る母在りし日のやうに採る

雨脚の見えてもきたるみそさざい

冬天やまばたきもせぬ眼鏡猿

      
      仙田洋子

     アウシュビッツ回想

ガス室の壁爪立ててみる寒さ

ガス室へ送られし日も寒かりしか

鉄条網アウシュビッツの永遠の冬


      小野裕三(「海程」「豆の木」所属)

冬空に鈍きものあり叩きけり

橋の冬音符のごとく人通う

冬の人美しきもの吐き出せり

      
      福田葉子

わが余命思えば雫る竜の玉

反魂の怒涛に生れし波の花

枯岬冥府の鳥翳濃かりける


      小久保佳世子(「街」同人)

寒月に狙はれてゐるかもしれず

くちびるに冷たし牛乳瓶の口

さやうならそれぞれの手に冬の薔薇


      岡村知昭

言い間違い恥ずかしがらず雪達磨

本山の目鼻なき雪達磨かな

雪達磨行き方知れず総本山



2013年11月15日金曜日

【俳句作品】平成二十五年 冬興帖 第三

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      早瀬恵子(「豈」同人 )
大輪の愛飼いならす冬薔薇
冬の園サロメのさらう赤と青
賜うたる裸形の背中ぬくぬくし


      前北かおる(「夏潮」同人)
本閉ぢて風邪の体を横たふる
かたはらに日だまりありぬ風邪の床
あれこれを枕まはりに風邪の床


      内村恭子(「天為」同人)
たちまちに見知らぬ広野雪しきり
外套のフェルト水夫の大きな手
もう雪を近く呼びたる水の街


      もてきまり(「らん」同人)
吹雪く夜のアブサン非想非非想天
針置けばビリー・ホリデイ大枯野
寡黙なるは絶滅危惧種か冬虹か


      岡田由季(「炎環」「豆の木」同人)
雪もよひ象牙鍵盤弾きにゆく
水鳥のこゑ軟骨のピアス穴
眠る山兵馬俑みな顔違ふ


      下坂速穂(「クンツァイト」「屋根」)
芒枯れて水の方まで流れむか
二三羽を残して空へ霜柱
塀や垣猫にうれしき冬日かな


      岬光世(「クンツァイト」「翡翠」)
マフラーの模様の国の人と会ふ
冬薔薇玻璃越しに手の休みなく
凍空をふりきつてなほ走りけり


      依光正樹(「クンツァイト」主宰、「屋根」会員)
朝の霜歩けばことにしづかなり
凍雲を響く雲とぞ見上げたる
水鳥の離れゆくなる趣きも


      依光陽子(「クンツァイト」「屋根」)
寒詣木立は帰路として残り
祖父を知る松のありたる障子かな
荒布寄せて潮枯れてゆく鉢のもの




2013年11月8日金曜日

【俳句作品】 平成二十五年 冬興帖 第二

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          木村修(「玄鳥」)
過呼吸の埴輪の中の冬銀河
鳴りやまぬ迷子放送ずくの耳
日に一度梟の中かき混ぜる


          曾根 毅(「LOTUS」同人)
蝋のような耳に触れたる冬帽子
枯芝の匂う齢となりにけり
老犬に従い歩き花八手


          小林千史(「翔臨」)
雪届くまで水面の玲玲と
水音を袋とぢして冬用意
リュウグウノツカイの小顔枯れの果て


          池田瑠那(澤同人)
笙の音かすか水仙の花の裡
宗谷灯台紅白塗や冬の草
指笛のをはり高音冬の空


          小早川忠義(「童子」会員・あすてりずむ)
お十夜や粥冷むるまで陰膳に
夜祭や明るき西武秩父駅
べつたら市抜けて向かふは高島屋


          西村麒麟「古志」
いただけるならもう少し冬休
わがままな鶉と遊ぶ冬休
鶉の絵上手に描けて冬休


          栗山心(「都市」所属)
冬の夜の血潮飛び散る映画かな
寒造人の恋路を肴とす
冬めくやバター滑らぬライ麦パン


           中西夕紀
貝剥きの指の真赤やゆりかもめ
枯葉舞ふ光に神を信じをり
生前を語りて汁の葱熱し



          陽 美保子(「泉」同人)
神留守の寝るとき開く熱の口
冬ぬくし裏の畑といふ言葉
片脚の泛いてをりたる冬の虹



2013年11月1日金曜日

【俳句作品】 平成二十五年 冬興帖 第一


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     池田澄子
いま行った電車に彼が居た 寒暮
大寒の使う手のひら指の腹
チョコレートならある雪もあんなにある


     福永法弘(「石童庵」庵主)
なりたきは旅の連歌師傘の雪
かのクラーク博士も召さる白鳥羹
目つむりて手かざせばほら寒椿


     杉山久子(「藍生」)
道端の氷見つける端から割る
金つばにたのもしき餡雪籠り
狐火の内の緑を妄信す


     月野ぽぽな
渋滞の音ほの白き夕時雨
人間を隠す外套の漆黒
指のせて鍵盤は雪のつめたさ


     藤田踏青
木の葉のように人を集め鎮もるサイレン
にんげんの哀を傾けオリオン座
雪が降るエンデイングノートの空白に
亡びた言葉がゴロゴロと冬の運動場
湯気にくもるニュースは初雪


     中山奈々(「百鳥」「里」)
冬帽を二つ挟んで妻の顔
冬帽の二人とも貴方の子ども
冬帽の色か黒子で見分けたる
冬帽のよく笑ふ歯抜けで笑ふ
冬帽は悪童冬帽は双子


     中村猛虎(「ロマネコンテ」同人・句会「亜流里」代表)
訳ありて裏山に狼を捨てにいく
けんけんぱけんぱけんぱ色鳥来
遊廓の投げやりな手の暖かし
恋の猫癌の転移に少し似て
寒紅のくちびる別のいきものよ


     水岩瞳
逝く秋は女を少女にしてしまふ
寒オリオンふとやってくるさやうなら
連打して冬の怒涛になるピアノ



  • 秋興帖(追補) 


     矢野玲奈
臨月の腹に届きし月明り
外に出でて夫の帰りを待つ良夜
産み月の一夜一夜に秋深む