2021年10月15日金曜日

第170号

            ※次回更新 11/5


豈63号 発売中! 購入は邑書林まで

俳句新空間第14号 発売中 》刊行案内


【新連載】北川美美俳句全集4 》読む

【連載】澤田和弥論集成(第6回-3) 》読む

【書評】『概説 筑紫磐井 仁平 勝』加藤哲也著を読む/石山昼妥 》読む


【新企画・俳句評論講座】

・はじめに(趣意)
・連絡事項(当面の予定)
・質問と回答
・テクスト/批評 》目次を読む

【俳句の新展開】

句誌句会新時代(その一)・ネットプリント折本 千寿関屋 》読む
句誌句会新時代(その二)・夏雲システムの破壊力 千寿関屋 》読む
ネット句会の検討 》読む
俳句新空間・皐月句会開始 》読む
皐月句会デモ句会結果(2010/04) 》読む
皐月句会メンバーについて 》読む
》第1回(2020/05) 》第2回(2020/06)
》第3回(2020/07) 》第4回(2020/08)
》第5回(2020/09) 》第6回(2020/10)
》第7回(2020/11) 》第8回(2020/12)
》第13回(2021/05) 》第14回(2021//06)
》第15回(2021/07) 》第16回(2021/08)
第17回皐月句会(9月)[速報] 》読む

■平成俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和三年夏興帖

第一(9/17)なつはづき・堀本吟・飯田冬眞・青木百舌鳥・杉山久子
第二(9/24)渕上信子・木村オサム・中村猛虎・花尻万博
第三(10/1)加藤知子・仲寒蟬・網野月を・岸本尚毅・坂間恒子
第四(10/8)辻村麻乃・曾根 毅・小林かんな・望月士郎・神谷 波
第五(10/15)大井恒行・鷲津誠次・山本敏倖・水岩 瞳

■連載

【抜粋】 〈俳句四季10月号〉俳壇観測225
『証言・昭和の俳句』が語る戦後——二〇年後の証言の見直し
筑紫磐井 》読む

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい
インデックスページ 》読む
25 紅の蒙古斑/岡本 功 》読む

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい
インデックスページ 》読む
17 央子と魚/寺澤 始 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ (14) ふけとしこ 》読む

英国Haiku便り[in Japan]【改題】(25) 小野裕三 》読む

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい
インデックスページ 》読む
18 恋心、あるいは執着について/堀切克洋 》読む

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
インデックスページ 》読む
7 『櫛買ひに』のこと/牛原秀治 》読む

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい
インデックスページ 》読む
18 『ぴったりの箱』論/夏目るんり 》読む

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい
インデックスページ 》読む
11 『眠たい羊』の笑い/小西昭夫 》読む

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい
2 鑑賞 句集『たかざれき』/藤田踏青 》読む

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい
インデックスページ 》読む
11 鑑賞 眞矢ひろみ句集『箱庭の夜』/池谷洋美 》読む

『永劫の縄梯子』出発点としての零(3)俳句の無限連続 救仁郷由美子 》読む

句集歌集逍遙 なかはられいこ『脱衣場のアリス』/佐藤りえ 》読む

葉月第一句集『子音』を読みたい 
インデックスページ 》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中! 》読む


■Recent entries

特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」 筑紫磐井編 》読む

【100号記念】特集『俳句帖五句選』

佐藤りえ句集『景色』を読みたい 
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眠兎第1句集『御意』を読みたい
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麒麟第2句集『鴨』を読みたい
インデックスページ 》読む

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
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麻乃第二句集『るん』を読みたい
インデックスページ 》読む

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

「WEP俳句通信」 抜粋記事 》見てみる

およそ日刊俳句新空間 》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
8月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子







筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【抜粋】 〈俳句四季10月号〉俳壇観測225 『証言・昭和の俳句』が語る戦後——二〇年後の証言の見直し  筑紫磐井

 ●『証言・昭和の俳句』の経緯

  黒田杏子『増補新装版/証言・昭和の俳句』(コールサック社二〇二一年八月刊/三〇〇〇円)は『証言・昭和の俳句』(角川叢書二〇〇二年刊)の改訂版である。元々この本は、一九九九年一月から二〇〇〇年六月号まで角川書店の「俳句」に十八回連載されたシリーズ「証言・昭和の俳句」の単行本化されたものであった。存命・活動中の戦後世代作家の長編インタビューであり、兜太、鬼房、六林男、敏雄などの戦後俳句史を彩った作家たちが勢揃いした企画であったから、連載中も、或いは叢書としての刊行当時から評価が高かった。一口でいってしまえば昭和が終わった時点における、戦前から戦後の俳句史、例えば新興俳句、社会性俳句、前衛俳句、伝統俳句の流れを作家たちに語らせているものである。しかしすでに二〇年を経て入手が困難となっていること、一方で昭和俳句、戦後俳句の回想の気運が高まっているところから、新しい附録を加えて復刻されたものである。

(中略)

 増補新装版は二部から成っている。第一部は黒田が当時行ったインタビューであり、その顔触れは、桂信子、鈴木六林男、草間時彦、金子兜太、成田成空、古舘曹人、津田清子、古澤太穂、沢木欣一、佐藤鬼房、中村苑子、深見けん二、三橋敏雄の一三人である。原則一人一回であるが、六林男、兜太、欣一、苑子、敏雄は二回にわたってインタビューされている。

 第二部は、二〇年前のこれらインタビューを読み返して現在の二〇名の俳句作家・評論家・エッセイストらがこのインタビューを読み解き、総括している。その顔触れは、五十嵐秀彦、井口時男(文芸評論家)、宇多喜代子、恩田侑布子、神野紗希、坂本宮尾、下重暁子(作家)、関悦史、高野ムツオ、筑紫磐井、対馬康子、寺井谷子、中野利子(エッセイスト)、夏井いつき、仁平勝、星野高士、宮坂静生、山下知津子、横澤放川、齋藤愼爾であり、新しい俳句史を提示できる顔触れを選んだというところであろうか。

(中略)

●『増補新装版/証言・昭和の俳句』の読み方

 『増補新装版/証言・昭和の俳句』は二〇年前の「証言・昭和の俳句」と違った読み方を要請する。それは、その主人公が大半がなくなったというばかりではなく、彼らの歴史的証言を使って新しい俳句史の見方を提示し、我々に考えさせるからだ。その意味でポイントは、増補新装版では第一部より第二部に移ってくる。

 第二部で気がつくことは、三橋敏雄、佐藤鬼房、鈴木六林男に触れた論者が多いことだ。五十嵐、井口、宇多、恩田、坂本、高野、対馬、仁平、齋藤などがそうである。第二に興味深いのは、こうした第二部を背景に浮かび上がるもの――、敏雄、鬼房、六林男から浮かび上がる西東三鬼の存在である。この本は三鬼を対象としてはいないものの、昭和俳句の中に抜き差しならない形でその存在が浮かび上がってくる。それはポジティブな意味でも、ネガティブな意味でもそうなのだ。敏雄、鬼房、六林男は三鬼に師事したり何らかの影響を受けているが、それぞれの作家毎に微妙な影を作っている。五十嵐が「西東三鬼の影」で明確にそれを指摘し「本書の一四人目が西東三鬼ではないか」と述べているのは正しい。しかし、それを具体的な例でえぐり出しているのは井口である。井口は「無視と自由と」で、三橋は自由人である三鬼を讃美するが、鬼房は自分宛に投句してきた青年の作訓を横領簒奪してしまい、青年はそれきり俳句を辞めてしまったという証言をする。鈴木は鷹羽、沢木、山本健吉の俳壇の権力者を指摘するが、三鬼のこの黒いエピソードについては口ごもっていると書いている。五十嵐も井口も、激烈な結社批判を背景にもっているだけに、伝統俳句だけでなく、新興俳句の中にさえそうした危険性を見出しているのだ。

(下略)

※詳しくは「俳句四季」10月号をお読み下さい

第17回皐月句会(9月)[速報]

投句〆切9/11 (土) 

選句〆切9/21 (火) 


(5点句以上)

8点句

その辺の秋草供へ虫の墓(渡部有紀子)

【評】 虫の墓に草花を供える作者の暖かい思いが伝わります。──松代忠博


遠からず人間になる鶏頭花(仲寒蟬)

【評】 芋虫を経て、か。そうだったかもしれない。──千寿関屋

【評】 〈遠からず人間になる〉の断定がよいですね。襞の多い〈鶏頭花〉を人間の脳に見立てた句はたまに見かけますが、ここまでの飛躍はなかなかのものです。マネーゲーム、戦争、疫病に一喜一憂する人類よりもよっぽど地球に優しい〈人間となる〉ことでしょう。【特選】です。──飯田冬眞


7点句

引き足を他界のままに踊り初む(真矢ひろみ)

【評】 この句の解説は難しい。踊りはじめの第一歩を引き上げて踏み出そうとするのか下がろうとするのか、軸足はあの世この世の、どちらに立っているのか?結局どちらともつかぬまま、片足は浮きながらまだあちらの域の中にある。その位置が気になっていただきました。盆踊りなどはあのふみだしたり、引いたりの足の捌きには、やっぱり何かの意味があるのらしい。感覚的に鑑賞すると、死生観のどこかに触れてくる。──堀本吟

【評】 まだ踊り慣れていないのだろう、ステップで引いた足の動きの中に、別の世界を引き摺ったまま踊り始めてしまった。心と体の一瞬のずれを捕らえた瞬間景。──山本敏倖

【評】 確かに、盆踊りの輪の中にはあの世の人もいる。──渕上信子


ことごとく闇の供物や流燈会(飯田冬眞)

【評】 「闇の供物」という把握が素晴らしいと思いました。──仙田洋子


6点句

虫時雨二階の浮かみゐたるかな(小沢麻結)

【評】 みんな大好き「二階」。これを、どう使えば活きるか、心得ている限りの先行句を踏まえつつ工夫の凝らし処ということになりますが、当句の表現。作者は二階に居て、布団にもぐり込んででもいるとして、自らの周囲の小空間だけが現世から切り離されたような、虫の夜の深い闇を闇と云わずに表現し得ていて妙味ありと思います。──平野山斗士

【評】 虫時雨で一旦切って、二階が浮かんで見えるように造られた現代建築を見ている、と解釈することも可能だが、二階が浮かんでしまうほどの虫時雨に取り巻かれている、と敢えて関連付けて一句を受け取った。いったいどれほどの虫時雨だろう。確かに物凄い蛙の声とか物凄い蝉時雨は経験したことがあるけれど、二階が浮いていると感じるほどの虫時雨、一度経験してみたい。──依光陽子


身といふ字舟に似てゐるさやけさよ(佐藤りえ)

【評】 なるほど~しなやかな把握ですね。──仙田洋子

【評】 言われてみればそうですね。一本の櫂で和舟を操っているように見えなくもない。──渕上信子

【評】 霧が流れて朝の明(さや)けさの中、川を行くたいして大きくはない乗り物が見え、一心同体にそれを操る姿も見える。──妹尾健太郎


切りたてのカンナは熱を持つてゐる(近江文代)

【評】 納得できる。鋭敏な感覚に惹かれました。──仙田洋子


5点句

草の市無能の人は何を売る(真矢ひろみ)

【評】 草の市で売られるものなど盆の関連のものに決まっている。それを敢えて問うたのは通常のものを扱うことのできない「無能の人」だからだ。つげ義春の漫画「無能の人」は確か河原で拾った石を売っていたっけな。──仲寒蟬


鶉二羽机の上と下を行き(西村麒麟)

【評】 こんな光景、ほんとにあるのだろううか?、見てきたような・・。見てみたい。──堀本吟

【評】 具象か隠喩か不明の「鶉」ですが、どちらにしても「机の上と下」という場面設定に奇妙なおかしみがあります。──望月士郎


アインシュタインの舌のひび割れ原爆忌(中村猛虎)

【評】 忘れてならぬ日の大本は印象的な写真に写る舌かもしれない。舌の根の乾かぬうちに同じ間違いを繰り返してはならないと告げるのも舌。──小沢麻結

【評】 史実に基づいた名句だと思います。──仙田洋子


雨音のしづかに絶えず秋彼岸(仙田洋子)


(選評若干)

二十世紀梨断面みづからの半生 2点 妹尾健太郎

【評】 〈二十世紀梨〉の断面をみて二十世紀に生まれたご自身の半生を振り返っていらっしゃるのですね。断面から滲み出る甘い汁。それを人は追憶と呼ぶのでしょう。──飯田冬眞


蓑虫をぶら下げてきし酒豪かな 4点 仙田洋子

【評】 酒瓶ではなくミノムシをぶらさげてくる姿──真矢ひろみ


いっせいに枕の燃える九月かな 3点 松下カロ

【評】 当然テロ(9.11)が念頭にあるのでしょう。見事な本歌取りです。かつての名句が、現代性を帯びて蘇りました。──仙田洋子

【評】 三橋敏雄の〈いつせいに柱の燃ゆる都かな〉へのリスペクトなのでしょうか? そうだとしても〈枕〉と〈九月〉の必然性が読み取れませんでした。特選ではありませんが、一筆啓上。──飯田冬眞


秋の蟬雨の間を少しづつ 2点 依光正樹

【評】 雨が降ると蝉が鳴き止み止むと又鳴き始めます。「雨の間に少しずつ」と的確な措辞が読者に伝わります。──松代忠博


係累の未だ解けぬ赤のまま 3点 松代忠博

【評】 未だ解けぬままの景…?──夏木久


独り居の父を枝豆慰めよ 1点 小林かんな

【評】 小川軽舟「掌をかざす 俳句日記」を思い出しました。──渕上信子


ストローの蛇腹で遊ぶ夢二の忌 3点 望月士郎

【評】 美人画で知られる夢二だが、児童雑誌の挿絵も描いていた。少女がストローの蛇腹で遊ぶ何気ない仕草も夢二であったら絵にしたであろうと想像が膨らむ。──篠崎央子

【評】 優男のなにげない仕草が見えてくるようです。──佐藤りえ


扶養控除申請南蛮煙管咲く 3点 篠崎央子

【評】 扶養家族ができたか、増えたのか、「南蛮煙管咲く」に幸せ感。──渕上信子


行列が出来るパン屋も秋のこゑ 3点 依光正樹

【評】 秋の声は決して秋の「ものおと」ではない。秋風、それに伴う葉の音、場所は廃墟や廃屋。作者のさびしい心の投影である。当世風な「行列のできるパン屋」にはないものである。それを強引にあるという作者の心の強さが俳諧である。──筑紫磐井


前世芋虫とはいへ空を知つてゐる 4点 佐藤りえ

【評】 前々々世は鶏頭花、今生は人間か。さて、来世はどこでなにをしてるやら。──千寿関屋


帽の子に秋潮深く澄めりけり 3点 岸本尚毅

【評】 目を惹いたのは「帽の子」だ。“秋潮深く澄んだ”のは飛躍的だが全体感でいただいた。──依光正樹


台風来るベッドを囲むカーテンも 3点 小林かんな

【評】 句のベッドは病院のものか。目で見てはいないが、さし迫った台風の気配がカーテンを震わせる。作者の身体もそれをけどっているのだろう。──青木百舌鳥


【連載】北川美美俳句全集4

    本年1月14日に亡くなった北川美美の作品集は、この8月に評論集「『真神』考」が刊行された。今後は美美の俳句作品をまとめる作業のために、入会以来の「豈」「俳句新空間」等の作品を掲載して行くこととしたい。46歳からの作品で始まる。 

筑紫磐井 

【豈57号】2015年4月

            果実は沈む


鳥・獣あつまつてくる冬日かな

寒鯉の動きて泥のかがやける

羊羹を斜めに切つて梅咲いた

白梅や笑つた後のしずけさに

着ぐるみの中のからだを昼寝かな

慰霊碑に山ゆり鬼ゆり凭れ咲く

尾骨持つ二足歩行や秋はじめ

雪原に落とす果実は沈むなり

カニ缶の外に冷たき空気かな

鎖留めして黄色い戦車雪の原

遺影より紅の明るし冬薔薇

アスファルト亀裂に氷ふくらんで

群羊の一頭失せし年の夜

初場所の此処砂かぶり塩かぶり

初景色廃墟廃屋廃炉塵

ホテルから午後の出社のサッチャー忌

音楽は残り手紙は燃やされた


【豈58号】2015年12月

           梅日和


隣人に挨拶をする梅日和

頭を上げて啼く鳥を見る春の昼

きさらぎを鳥の名前と思いけり

歩き出す膝の後ろを初蝶来

菜の花と大根の花隣合う

野を焼いて水を飲み合う男たち

歩き来て足が真つ赤ぞ鳥曇

てのひらに丘あり草餅にくぼみ

ぶらんこや空の向うに飛ぶ子供

ジオラマの中の家族や昭和の日

くちびるにいちご冷たき静かな夜

観覧車新樹の山と隠れ合う

縁台を水掛ける人と洗う人

空豆の皮に皺寄る夕かな

怪我をした男に運ぶ氷水

滝の前みな歓声をあげている

竹は竹に凭れて撓る雲の峰

日本の暑さを競う盆地かな

夏の馬川がひとつになるところ

一日の終わりに流す夏の水

【連載】澤田和弥論集成(第6回-3)

 (【俳句評論講座】 共同研究の進め方 澤田和弥のこと――「有馬朗人研究会」及び『有馬朗人を読み解く』(その2))

(3)【澤田和弥追悼】同人誌「のいず」最終号寄稿

 澤田和弥さんのこと       渡部有紀子

 今回追悼文を書かせていただく人の中で、私は澤田和弥さんとは一番短いお付き合いだと思う。二〇一三年七月に刊行された第一句集『革命前夜』について、俳誌「天為」で一句鑑賞文を書かせていただいたことが和弥さんとの初めての接点だった。それから、翌年の三月には神奈川県の天為湘南句会に選者をお越しいただいたり、メール通信の句会にもお誘いいただいたりと、常に結社の先輩として非常に親切なご指導をいただいた。湘南句会の直後に句会の若手育成のためによい方法はないかと相談した時は、結社主宰の有馬朗人の全句集を徹底的に読む読書会をと、発案してくださった。後輩や周囲の人のためには、惜しみなく知恵と労力を提供し、常に一生懸命に生きている人。私はそういう印象を受けた。

 その印象は、短期間しか和弥さんに接することの出来なかった私の誤解かもしれない。だが、かつて和弥さんが書かれた句集評論の中には、あえて誤読を行うと断った上で、その理由を「俳句作者は己の作品の50パーセントしか作りえない。十七音というきわめて小さな詩型はそれしか許さない。残りの50パーセントは読者に委ねるしかない。つまり俳句という詩型がきわめて特殊である点は、作者と読者の共同作業によって、初めて100パーセントの作品に完成させられるということにある。」(“金子敦第四句集『乗船券』を読む” 「週刊俳句」二〇一四年二月十六日号)と、述べている箇所がある。私のように一年半という限られた期間だけ、直接和弥さんの発言を聞き、手紙やメールをやりとりした者にとっては、やはり和弥さんが残して下さった印象で五十パーセント、後の五十パーセントは私の乏しい想像力で補われた記憶に過ぎず、大部分は誤解であることを引き受けるしか無いのだろう。


俳人死す新茶の針ほど細き文字

和弥逝く色紙に酒とさくらんぼ


 和弥さんは筆まめな人だった。恰幅のよい体型と違って、手紙には先の細いペンで、所謂「とめ・はね」を忠実に守って書いたような生真面目で繊細な文字がびっしりと連なっていた。いつも決まって掛川茶が同封されていたが、同人誌『のいず』創刊の際は、創刊祝の返礼にと色紙を二枚くださった。退廃的な寺山修司の世界に憧れていた和弥さんには拒絶されそうではあるが、どうしてもその色紙には、瑞々しい光を放つ、甘酸っぱいさくらんぼを供えたいと思ってしまう。


瓶麦酒王冠きれいなまま開ける

王冠の歪まぬままの壜麦酒


 和弥さんはお酒好き、とりわけ麦酒が大好きだったようだ。「天為」の平成二十四年作品コンクールでは、麦酒を詠んだ先人達の俳句をとりあげた「麦酒讃歌」という随想で入賞している。先に述べた有馬朗人句集の研究会でも、皆で食事をした際は、昼間のファミリーレストランで、メニューを手に取るなり真っ先に麦酒を探して注文し、下戸の私を内心呆れさせたものである。とは言え、私が知る限りでは、酒に酔って乱れるようなことはない、終始朗らかな呑み方だった。それは昼間だった故か、それともやはり私の誤解なのか。もう少し機会があったら、よく冷えた瓶麦酒を王冠が歪むくらい勢いよく開けて、和弥さんのグラスに注ぎながら、俳句の話が聴きたかったと思う。私はウーロン茶専門なので、万が一、和弥さんが酔い潰れてしまっても介抱できただろう。


和弥死すこんなに五月の空真青

風五月手を振止まぬ弥次郎兵衛


 短期間しかお付き合いがなかった為、和弥さんについて私が誤解していることも多々あり、しかも同じ結社の先輩でもあるので、あまり馴れ馴れしいことは書かないでおこうと思っていた。だが、和弥さんが私に与えてくださったアドバイスや親切は、たった一年間だけでも私にとっては和弥さんという人物が、大切で尊敬すべき句友であると思わせるのに十分だった。

 最後に結社の先輩には失礼ながら、年齢は一つしか違わないという事実に甘えて、本音を吐露することをお許しいただきたい。和弥さん、あなた、死んでる場合じゃないですよ。もっと俳句を見せて欲しい、もっと俳句評論を書いて欲しい。あなたなら出来ることが沢山あります。あなたの句や評論がどれほど他の人たちを驚かせ、時には呆れさせ、同時に潔いまでにタブーをぎりぎりのところまで詠むあなたの作句態度や才能に圧倒されていたか。その青臭いほどの一途さと生真面目さに懐かしさと憧れを抱いていたか。和弥さん、あなた、これからでしょう?死んで今、何をしているのですか?

【篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい】17 央子と魚  寺澤 始

 篠崎央子さんとは「未来図」終刊以降も「磁石」でご一緒させていただいている。央子さんの句には、彼女でなければ詠むことのできない独特の世界がある。『火の貌』跋文の「いのちの血脈」で角谷昌子さんが指摘しておられるように、央子さんの句の根底には、日本文化に深く根差した土着の共同体意識のようなものが脈々と流れており、「血族」や「血脈」に対する関心が強い。〈開墾の民の血を引く鶏頭花〉などが、その代表的な例で、この〈鶏頭花〉の存在感の大きさといったらない。開墾以降の民の血を積み上げた末に咲いた鶏頭花なのだ。さらに『万葉集』に深い関心を寄せ、研究してきたという央子さんの句は、どこか郷土常陸の風土や自然を感じさせる。まるで東歌を連想させる何とも言えない懐かしさがある。それでいて古典の世界に向かうかといえば、そうでもなく、斬新な句材や取り合わせに果敢に挑んでいく新しさがあり、一緒に句会をしたり吟行に行ったりするたびに驚かされるのである。

 央子さんご自身が「あとがき」で、「幼い頃より動植物が好きだった」と書いておられるが、央子さんの句には生き物を詠んだ句が実に多い。央子さんは、魚釣りが好きだという。吟行で御一緒した際に、少女時代、川で鮠や虹鱒などを釣ったという話を聞いたことがある。そんなことを思い出しながら句集を読んでいくと、魚をモチーフにした句が多いことに気付いた。魚以外にも動物を詠んだ魅力的な句が多いが(〈火の貌のにはとりの鳴く淑気かな〉の句もしかり)、今回は、魚の句に注目して読んでいこうと思う。

   紅葉鮒雨の濃くなり淡くなり

 〈紅葉鮒〉という何とも美しい秋の季語に雨の濃淡を重ねた。雨が濃くなったり淡くなったり、湖の風景はまるで水彩画のようだ。湖の光景が雨や霧を伴いながら、時に遠景を覗かせる。琵琶湖の源五郎鮒には、鮒に恋文を偲ばせたという堅田の漁師、源五郎の伝説があるが、央子さんの句集のうちにこの句が置かれると、ふとそんな伝説を思い起こしてしまう。この雨は姫を恋う源五郎の涙か。

   極月の地球の果ての魚を食ふ

 〈地球の果ての魚〉という表現が何とも壮大だ。今やノルウェーのサーモンであったり、鯖であったり、はたまたモーリタニアの蛸であったりと、食卓には世界の至るところから海産物が届く。それらは冷凍され空輸されてくるのだろうが、冷凍技術の進化も甚だしく、とてもおいしくいただける。〈極月〉は年の極まる十二月。アメ横あたりで、鮮魚を売り買いするような賑わいも想像される。〈地球の果て〉の魚を食べて、地球はやがて新しい年を迎える。そして、こんな句もある。

   初桜くちびる薄き魚を焼く

   年の瀬や目付きの悪しき魚を提げ

 〈初桜〉の句の前で、はたしてこれは何という魚だろうかと考えてしまった。鯵だろうか?あるいは姫鱒?公魚?…いずれにしてもこの二句に共通する面白さは、やはり、草田男俳句の伝統を継ぐ、人間探究派的といったらよいのか、ここに描かれた魚には、まるで人間を見るような視点があるのだ。〈くちびる薄き〉という表現からは、どこかしら薄幸そうな女性の姿が浮かび上がる。何か愛情に恵まれなかったかのような。〈初桜〉という季語がさらにはかなさを、そして美しさを醸し出す。はかなげな運命、そう『源氏物語』でいう「夕顔」のような女をこの句から連想するのだ。先の〈紅葉鮒〉の句にしてもそうだが、土着の伝説であったり、古典文学の世界であったり、そういった世界への広がりを感じさせるところが、央子俳句の魅力でもある。

 次の〈年の瀬や〉の句にしても面白い。〈目付きの悪しき魚〉とは?〈提げ〉というのだからある程度大きな、悪食な肉食魚ではないだろうか。何となく悪い目付きにギョっと睨まれているようで少したじろいだ。しかし、多くの小魚を捕食し尽くしてきたであろう悪しき目付きの魚が、今度は自分の腹に入る。季節は、年の瀬、そんな魚を食べて、また季節は、世界は循環するのだ。この魚も次に生まれる時には目付きのよき魚に生まれてくるかもしれない。唇の薄い魚も、目付きの悪い魚も、そこに業を持った人間の象徴のようなものを感じる。また、それらを包み込むような大きな視点で詠んでいる点も魅力的だ。次の句もその流れで鑑賞すると面白い。

   生ゴミの魚と目の合ふ夜寒かな

 もしかしたら〈目付きの悪しき魚〉のその後の姿なのかもしれない。〈生ゴミ〉となりつつも、そこに命ありしものとの交感があり、魚に見られてぞっとするような感覚を生き生きと詠んでいる。ゴミを単に無機質なものと見ていない。

   回遊魚は海の歯車十二月

 水族館の大きな水槽の前で、回遊する魚を見て思いついた句であろうか。〈海の歯車〉といったところが面白いく斬新な発想だ。鰯のような小さな回遊魚から鮪のような大きな回遊魚まで、広大な海を循環し、食ったり食われたりすることで命は巡っていく。〈十二月〉という季語がやはり、新たな年の循環を連想させる。また、魚の句ではないが、〈東京の空を重しと鳥帰る〉などもやはりそんなことを連想させる句だ。

   緋鯉ゆく恋の勝者とならむため

   身請け待つごと朱を灯し冬の鯉

 最も身近な緋鯉と錦鯉の句。緋鯉の悠々と泳ぐ姿は恋の勝者のように堂々としている。また、〈朱を灯〉す冬の鯉は、美しい着物を羽織った一女性の物語を連想させる。後者の句の前には、〈着ぶくれて遊女になつてみたき夜〉が置かれている。央子俳句にはある種のストーリー性があり、それが句に広がりを与えている。〈伊勢海老の謀叛を起こしさうな髭〉などもその一つであろう。

   海鼠腸やどろりとうねる海のあり

   浅蜊汁星の触れ合ふ音立てて

 〈海鼠腸〉〈浅蜊〉という小さな素材を詠みながらも、イメージは大きな海、大きな空にまで広がる。〈海鼠腸〉に〈どろりとうねる海〉を感じ、カチカチ触れ合う味噌汁の〈浅蜊〉を〈星の触れ合ふ音〉に見立てている。なんと壮大でロマンチックなことか。 

   緋目高をひそやかに飼ひ川の町

   福寿草金魚の墓に群れてをり

 小さな生き物との暮らし。そしてやがて訪れるその死。〈福寿草〉は、その小さな命への畏敬であり、死せるものへのささやかな哀悼である。

   鮎跳ぬる血より濃き香を放ちては

   死ぬ前に教へよ鰻罠の場所

 最も央子さんらしいキーワード「血」、そして「土着性」を存分に感じさせる句である。〈血より濃き香〉という表現が、非常に印象的で力強い。日本の清流に脈々と命を繋いできたその鮎の血と、さらにその生を生々しく実感させるその香。古来「西瓜の匂いのよう」とも言われる鮎のその強い香りが嗅覚を刺激する。脈々と受け継がれてきた血族の血と文化の香とをこれからも保ち続けよと言っているかのようである。そして、それはまさに草田男・秞子という俳句の血脈を受け継ぎながらも、独自の個性を放とうとする央子俳句の本質でもある。〈死ぬ前には鰻罠の場所〉を教えよと。血脈的なもの、土着的なものの伝統を色濃く受け継ぎながらも、央子さんの俳句は、新たな濃き香りを、これからも放ち続けることだろう。


プロフィール
・寺澤 始(てらさわ はじめ) 1970年東京都生まれ。静岡県に育つ。
・所属結社 「磁石」
・俳句歴 2001年「未来図」入会。2016年「未来図新人賞」受賞。2017年「未来図」同人。
     2020年「未来図」終刊につき、「磁石」創刊同人。
・句集 『夜汽車』(2020年 第16回日本詩歌句随筆評論大賞俳句部門「俳句四季賞」受賞)

【中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい】25 紅の蒙古斑  岡本 功

  「もうこはんは来るんか?」

 俳句の大会に行くと、よく聞かれる。

 「え? 蒙古斑…ですか?」と最初のうちは頭がこんがらかっていたけれど、最近はすぐに頭の中で翻訳できるようになった。「蒙古斑」ではなく「猛虎はん」とおっしゃっているのである。うち(句会亜流里)の代表は、赤ちゃんの尻にある「蒙古斑」ではなく、「猛虎 たけとらはん」なのである。

 関西の人はタイガースファンが多いので、「猛虎」は「もうこ」以外に変換出来ない人が多い。

 僕が「『もうこ』ではなく『たけとら』と読むんですよ」と、代表の俳号の正しい読み方を伝えると、

 「『けったい』な名前やのぅ、俳句も『けったい』やけど名前も『けったい』や」

と、ほんと、よく言われる。もう慣れた。

 「けったい」と言うのは、標準語で言えば「へんてこ」ってな意味になるのだけれど、この「けったい」って言うのは、悪い意味でつかわれることもあるが、こと俳句においては個性的とか他にはないってな意味が含まれるので、僕は、このけったいな俳号の代表のけったいな名前の句会の末席に名を連ねさせて頂ける事を幸せに思っている。


少年のどこを切っても草いきれ

箱寿司の隙間に夏野広がりぬ

マネキンの手ばかり捨ててありて梅雨

小春日や退屈そうなふくらはぎ


 僕が句会亜流里に入ったのは、ある俳句大会の打ち上げで、猛虎代表に誘われたからだ。僕は他の結社に所属しているのだけれど、代表に「本物の俳句を教えたるから、うちへ来い」と言われたのである。本物の俳句と言う言葉に体がしびれた。

 あの時の代表はかっこよかった。「うちへこい」と言ってくるりと踵を返すと、片手をあげて雑踏へと消えて行った。あの背中に惚れてしまったのである。よし、この人に付いていこう、この人から本物の俳句を学ぼう。そう決めた。平成24年の冬の事である。


時雨るるや机で削る頭蓋骨

秋扇泣いてもいいよと云う形

ポテトチップス振れば真冬の音がする


 自分の所属する句会では、鳴かず飛ばずで地を這っていたけれど、亜流里に行くと、句を採って頂ける。亜流里メンバーと僕と世代が近いうえ、新参者の句は見慣れないので採られやすいのだ。そんなわけで、僕は颯爽と亜流里デビューを果たした。

 ところがだ。僕の句が選ばれると、猛虎代表は「なんやねん、この句、もっと若々しい句を詠めや!」とあきれたように言う。おっ、これは本物の句を教えて頂けるのか、と淡い期待をしていると、他のメンバーからも「詩情がない」「もっと人間の闇を詠め」「甘すぎる」「個性がない」「そこまでして点が欲しいかっ!」など、高得点を得ているにも関わらず、酷評が飛び出す。な、なんなんだ、この句会は…。特選に輝いた作品でさえぼろかすに言われるのである。

 僕の句は、すぐにとられなくなっていった。見飽きられたのだと思う。傷口に塩を塗るように代表が言う。

 「功の句もたいしたことないな…最初は良かったのに、だんだんあかんようになってきた」

 代表は、はっきり物を言う。抜身の真剣の様な人だ。だから、僕は、この人が怖かった。近づくとバッサリ斬られそうな気がした。その反面、良い句に出会うと、顔をくしゃくしゃにして、「おおおおっ! 凄いなこの句!」と大喜びされる。だから、猛虎代表に選句して頂くと、そこには嘘がないので、本当に嬉しい。もちろんその逆で、あかん時は、最悪の気持ちになる…。


ああ言えばこう言い返す通草かな

軍艦島逃げ遅れたる花芒

水撒けば人の形の終戦日

地球に原子炉手に線香花火


 最初は、近づき難い猛虎代表であったが、いつの頃からか、句会の後の飲み会の後に、二人で夜の街へ繰り出すようになった。あ、言いかたがややこしい。句会亜流里と言うのは、句会の後、そのまま飲み会へと変わる。で、この飲み会までを句会と呼んでいる。「いや~、遅れて悪い悪い」なんて言って、飲み会にだけ来るメンバーもいて、句会の親睦を図るために飲み会をしているのか、飲み会の口実に句会をしているのか、いまだにわからない。

 その飲み会付の句会の後、二人で飲みに行くのである。ここで、句会の代表を独占できる。これは、まさに本物の俳句を教わるチャンスだ、と思い。句会の後は時間を空けておくようにした。

 句会の後片付けをしていると、代表が「どう? 今日も行けるか」と聞いてこられる。もちろんです、心の準備はできております。僕は、代表から本物の俳句を教わるためにお供をする。代表との二人飲みは毎月、続いた。が、本物の俳句の奥義は一向に教えてくれなかった。


飛び石の続きは夜の鰯雲

極月の非常階段火の匂い

君の部屋の炬燵の中と云う宇宙

遠雷や乳房悲しき掌の形


 僕は、障害者の暮す施設に勤務しているのだけれど、ある日、代表から電話がかかってきた。僕は、毎月、代表のお供をすることで、代表に対して親しみを覚えるようになっていた。しかし、プライベートで電話がかかってくることはない。あくまで句会の時だけの付き合いである。珍しいな、飲みにでも誘って頂けるのかな、と思いながら電話に出る。

 「功ちゃんの施設に担架あるかな?」

 「担架ですか…ありますけれど」

 「…貸して欲しいんや。実はな、嫁さんが、入院していてな」

 僕は、言葉を失った。奥さんが入院? 担架? 

 「誰にも言うてないんやけどな、嫁さん、癌やねん、もうあかんかもしれへんのや。最後に家に連れて帰ったろうと思うんやけど、病院から連れて帰るのに使わせてもらえへんやろか・・・」

 「はい、使って下さい」

とだけ答えたが、次の言葉が出なかった。


布団より生まれ布団に死んでいく

朧夜の一筆書きのカテーテル

殺してと蛍の夜の喉仏

子宮摘出かざぐるまは回らない


 代表に担架を頼まれ、病院に駆けつけた。時間が遅く、もうロビーも閉まっていた。外から代表に電話を入れる。

 病室から降りて来られた代表は少しやつれたように見えたが、いつもと変わらぬ様子で、開口一番、「なんやその腹」と笑いながら、僕の腹を触った。僕は初心な少女が初めて手を握られ、咄嗟に手を引くように身を引いた。代表は奥様の容体が急変したこと、末期の癌で治療する術がないこと、病棟の看護師からは連れて帰るのは難しいと言われていることなど、ぽつりぽつりと話を始めた。

 奥さんが悪くなって、もう1年経つとおっしゃる。その間も、代表は句会を引っ張り、句会報を落とすことなく出し続け、そして僕を飲みに連れて行って下さっていた。どんな精神力をしているのだろう、本当は辛いのかな、いろんな事を思いながら代表の話に頷いていた。

 「家に連れて帰るのどう思う?」

 「連れて帰ってあげるべきです」

 奥様にお会いしたことないけれど、絶対に家で看取るべきだと思った。

 代表の車に担架を積む。代表は僕が車を止めている駐車場まで送って下さり、僕が車に乗り込むまで待っておられた。そんな丁寧に見送られると、なんだかお尻がくすぐったい。

 「じゃあ、今日はありがとうございました」

 代表は敬語でそういうと、車から離れて行った。僕は失礼しますと言い、パワーウィンドウを閉めた。二、三歩歩き出した代表は、振り返ると、深々と頭を下げられた。その凛とした佇まいに僕は圧倒されてしまい、発車することができなかった。


この空の蒼さはどうだ原爆忌

 

 代表は踵を返すと、片手を挙げ、病棟の方へ歩いて行かれた。暗闇に消えていく代表の背中はどこか寂しげだった。最初に句会亜流里に誘われた時に、この背中に惚れたことを思い出した。

 見えなくなるまで、代表の背中を眺めていた。その時、代表が目頭を押さえられた様に見えた。


羅の中より乳房取り出しぬ

秋晴れて支出の旅路を寄り道す


 その後、奥様をご自宅に連れて帰られ、その次の朝、奥様が亡くなられたとご報告を頂いた。

 この度、句会亜流里の中村代表が「紅の挽歌」という句集を出された。読みながら、胸が詰まった。担架を持って行ったあの夜の代表の背中が忘れられない。

 句会亜流里に属して9年目に入るのだけれど、この素敵な…いや、愉快な句会に属していることに誇りを持っている。

 猛虎代表のことを「もうこはん」なんて呼ぶ人はいなくなった。多分、句集の出版で、お名前が浸透したのだと思う。僕の方はと言うと、相変わらず、鳴かず飛ばずの駄句を連発しているのだけれど、いつまでも俳句の赤子の気持ちでいる。僕の尻には亜流里の「もうこはん」がついている、そんな気持ちだ。代表、そして句会亜流里に出会えて本当に良かったと思う・・・


枯野人明日履くための靴磨く


 ん? え? あああああああ~っ、まだ代表から本物の俳句を教わっていなかった~。猛虎代表、いつになったら、本物の俳句を教えてくれるんですか?


へその緒とつながっている春の夢

2021年10月1日金曜日

第169号

           ※次回更新 10/15


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令和三年夏興帖

第一(9/17)なつはづき・堀本吟・飯田冬眞・青木百舌鳥・杉山久子
第二(9/24)渕上信子・木村オサム・中村猛虎・花尻万博
第三(10/1)加藤知子・仲寒蟬・網野月を・岸本尚毅・坂間恒子

令和三年花鳥篇

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第二(7/9)岸本尚毅・渕上信子・山本敏倖
第三(7/16)坂間恒子・中村猛虎・木村オサム
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第九(8/27)なつはづき・竹岡一郎・堀本吟・飯田冬眞・青木百舌鳥・水岩 瞳
第十(9/3)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子・網野月を
第十一(9/10)仲寒蟬・早瀬恵子・井口時男・佐藤りえ・筑紫磐井・のどか

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【連載通信】ほたる通信 Ⅲ (14) ふけとしこ 》読む

英国Haiku便り[in Japan]【改題】(25) 小野裕三 》読む

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筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(14)ふけとしこ

    晩年の文字

子蟷螂祈る形をまだ知らず

かなかなや話は話だけに消え

先生の晩年の文字草の絮

トマト飴塩飴秋の旱かな

いわし雲けふ会ひし人遇ひし虫

   ・・・

 「鴨の陣」という季語がある。私は「陣」というのは鴨達が集まっている様子をいうのだと思っていた。句会にこの季語を使った作品が出された時に、今ではどんな句だったかすっかり忘れてしまったが、当時参加していた人の解釈というか鑑賞が「鴨が一斉にこちらへ向かって来る時に云々」というものだった。「いや、浮寝してるか風をよけているのかで、一団になっているのを言うのではないか」との反論が出た。だが、彼女は言い張る。「違います!」と。「陣ですから戦です」と。出陣と間違えているのかなと思ったが、この人は言い張る人だから……と、次の句へ話題を移した。

 同じ人だが「水陽炎」のことも、私が水面の光が反射して、橋桁や水辺の幹などにゆらゆらと……と説明を始めたら、またしても「違います!」と言う。水陽炎は岸から離れた、例えば池の真ん中辺りが光を受けてキラキラしているのを言うのです。反射しているのは反射ですから陽炎とは言いません」と言い張る。

 「瓢の実」でも同様のことがあった。ひょんの実と言ったり、穴を吹けば鳴るからひょんの笛と言ったりもする。イスノキ(蚊母樹)の葉にできた虫癭、つまり虫瘤に過ぎないのだが、俳人達は面白がる。虫によって産み付けられた卵が葉の中で孵り、その成長につれ変形して木質化、結果硬くなっているのだが、これについても「いいえ実です!葉である訳がありません」と言い放った。

 この虫瘤は初夏にはもう出来ているが、まだ緑色である。成長して羽化した虫が穴を開けて出た後、8月になると茶色を帯びてきて、晩秋にはすっかり枯色というか焦茶色になる。でもよく見ると葉脈があり、葉であった名残りが見える。

 こんな場合、私は取り敢えず引き下がっておいて、後でこっそり調べる。そして、ああ、私が間違っていたと気付いたり、ほらご覧、私の方が正しかったよ、と心の中でニヤニヤしたりしている。なんとも狡いことではある。

 余談だがイスノキには3種類の虫瘤ができる。ひょんの実と呼ばれる大きなものと、丸くてちょっと潰れた団子のようなもの(少々気味悪い)と、葉に粒々とできる小さなものとがある。何れもアブラムシの仲間のイスノナガタマフシ・イスノコタマフシ・イスノハタマフシとそれぞれに親である虫の種類が異なるとのこと。

 自分の家でひょんの実ができたら面白いだろうと思って、公園の木から採ってきた種を植えてみた。発芽して一人前に育った木には、今のところ一番小さい虫瘤を作るイスノハタマフシしか産卵にきてくれない。

 (2021・9)

英国Haiku便り[in Japan] (25) 小野裕三

 


桜を愛でたイギリス人

 僕の一家がロンドンで住んだ家の前には大きな桜の木があって、春には居間の窓からその桜を眺めて暮らした。その通りは桜並木になっていて、ロンドンで桜を愛でるのもオツなものだと思っていたが、実は英国での桜の普及に尽力したイギリス人がいたことを最近知った。

 一八八〇年に生まれたコリンウッド・イングラムは百歳まで生き、「チェリー・イングラム」とも呼ばれ、生涯を日本の桜に捧げた。一九〇二年に初来日した彼は、日本では人間と自然が芸術的センスで調和している、と感じ、特に日本の桜に惹かれ始める。当時は珍しかった日本から輸入された桜の木がたまたま英国内で転居した家の庭にあったことから、彼は多種の桜を集めた「桜園」を作ろうと決意する。

 そうして桜の苗木の収集を始めた彼は、さらなる桜の木を求めて一九二六年に三度目の来日をする。だが、関東大震災直後の当時の日本は急速に近代化(西洋化)を進めていて、それゆえに日本人が美的感覚を失っていると彼は感じて衝撃を受けた。

 日本にあった桜はもともと多様で花期も長かったという。それが明治期になって、各地に一種類の桜ばかりが植えられていく。それが染井吉野だった。見栄えがよく、成長も早く、繁殖が簡単、というその特性が近代化の要請に合致したのだろうか。そのような桜の画一化を危惧したイングラムは、多様な桜を英国に持ち帰って保存しようと奔走する。

 俳句でも「花」と言えば桜を指すくらい、桜は日本人の心性と繋がりが深い。だが実は、このような近代化の過程で桜のイメージは大きく書き換えられたと言える。明治後に急増した染井吉野は、一斉にぱっと咲いてぱっと散る桜の印象を定着させ、それ以降、桜は「散り際の潔さ」に焦点が当たり、「同期の桜」など軍歌にも歌われ、やがては特攻隊のイメージとも繋がっていく。ある英語のウェブサイトにはこう記される。「古代の日本では、桜の花は新しい命や始まりの象徴であった。しかしそれは十九世紀後半から変化し始め、1930年代に大きく変わった。桜は死の象徴になった。疑うことを知らない日本国民へのプロパガンダとして、古代の詩歌は意図的に曲解された」

 一方の英国では、イングラムの活動の結果、戦後になって桜ブームが起き、ロンドンの有名な植物園キューガーデンや各地の王立公園を始め、今では多様な桜が咲き誇る。二月の終わりから五月の初めまで、いろんな種類が咲き続けるのが英国の桜の風景だが、実はそれはイングラムが「商業主義と軍事至上主義」と非難した日本の近代化が消し去った、古来の日本の桜の姿でもある。それは、なんとも皮肉な事実だ。

(『海原』2021年6月号より転載)


【篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい】16 他者理解の糸口  高野麻衣子

  コロナ禍も長引き、句会など直接会える機会も少なくなったため、私もついに始めてみたツイッター。今回のように句集の鑑賞の機会を頂くなど、可能性の広さに驚いています。

 『火の貌』で一番共感した句が、

  森に入るやうに本屋へ雪催

でした。〈森〉は読書好きな人ほど、奥深く感じると思います。〈雪催〉にワクワク感と敏感さが出ています。

 私も読書好き。コロナ禍が終息しましたら、篠崎さんと実際お会いして、句集や読書についてもお話してみたいです。


 主に介護の句を読んでいきます。俳句も、現在働いている介護施設の勤務も続けた年数だけが取り柄ですが、お付き合い頂ければ幸いです。


  熱帯魚眠らぬ父を歩かせて

 父の歩行は時間を問わずまだまだ続きそうですが、静かに見守っている様子が覗えます。

 見える範囲、注意を向ける範囲の低下も心配されるため、安全な環境づくりは大切なことです。躓きそうな物は置いておかない等はもちろんですが、逆にあえて付け足す方法もあります。階段や手すりにシールを貼るなど「目立たせる」ことで注意を向けやすくするのです。

 自由に泳ぐ熱帯魚。グッピーのように設備や水位にも配慮しないと水槽から飛び出してしまう熱帯魚、プレコのように夜行性の熱帯魚もいます。


 「誰かの力」があってこそ認識しやすく安全・安心な環境存続や自由な行動が可能であり続けることができるのですね。この句の「誰かの力」は作者なのです。


  太股も胡瓜も太る介護かな

 胡瓜が太くなったのは時間に追われているからでしょう。太くなった胡瓜ですが、「一緒に太くなった」と共感できる、作者の小さな小さな息抜きスポットのようにも思えました。自嘲気味ですが、この句の太股は筋肉がついたと考えたいです。確かに介護には下半身の筋肉を必要とする動きが多々あります。ユーモアを交えて表現できるのは作者の強さでもあり感性の奥深さでもあるでしょう。


  いくたびも名を問ふ父の夜長かな

 何度名前を問われようとも初めてのように接しなければなりません。もし質問を無視したり否定したりすれば、不安を増幅させてしまいます。

 仮に、

  〈いくたびも名を問ふ父や夜の長き〉

だとしたら、不満をつぶやくようになってしまいますが、掲句は〈父の夜長〉です。父を慮る作者の人柄のよさが句を通してひしひしと伝わってきました。


 以下の句にも注目しました。

  新しき巣箱よ新しき巣箱よ母を引き取る日

  かなかなの風に雨意あり母の鬱

  うなづくも撫づるも介護ちちろ鳴く

  母がため飯食ふ父よ鷹渡る

  はたるぶくろ無口な車椅子揺らす

  紫陽花の浮力の中を松葉杖


 介護は「他者理解」も大切です。作者の介護する父母に対しての他者理解と、読み手の作者に対する他者理解。なぜこの季語なのか。句集を読み進めていくと季語が双方の「他者理解」の糸口のようにも思いました。

****************

プロフィール

高野麻衣子 

1979年生まれ 福島県出身「澤」同人

****************

【連載】澤田和弥論集成(第6回-2)

  (【俳句評論講座】 共同研究の進め方 澤田和弥のこと――「有馬朗人研究会」及び『有馬朗人を読み解く』(その2))


2)【筑紫磐井&渡部有紀子Q&A】

Q(筑紫)この研究会の発足にあたり亡き澤田和弥氏が関与していたことは意外でした。彼の句集『革命前夜』を読み、何回かの手紙のやりとりをさせて頂きましたが、俳句に熱意を持つ一面で非常にナーバスなところもある人のように感じておりました。結果的に直接お会いする機会はありませんでした。有馬主宰の序文に書かれた「『革命前夜』をひっさげて・・・広く詩歌文学に新風を引き起こしてくれることを心より期待し、かつ祈る」も果たされない期待となってしまったのですが、『革命前夜』後の澤田氏の遺志は、この研究の成果で『有馬朗人を読み解く』である程度達せられたのかと思います。

 当時の経緯をもう少し詳しくお話しいただけますか。この研究を読みつつ彼を偲ぶよすがとしたいと思います。


A(渡部)結社の大事な先輩であり、個人的な恩人である和弥氏に注目していただきありがとうございます。本研究会発足の直接のきっかけとなったのは、先に述べた通り和弥氏を招いての藤沢での句会でした。

  句会の幹事をしていた天為の同人、内藤繁氏によると彼を選者に招こうと決めた理由は二つあったとのことです。

(1)当時、「天為」誌上で連載されていた「新刊見聞録」での和弥氏の原稿が、それまでの結社若手のとは全く違っていたこと。句集・俳論に限らず短歌や美術についての書籍を積極的に取り上げ、いわゆる読ませる文体で紹介していたこと。

(2)第一句集『革命前夜』を上梓した際に厳しい内容の礼状を出しところ、即返事が届き論争を仕掛けてきたこと。

 上記の点から彼の飽くなき俳句への探求心を感じ、神奈川県の結社会員、特に若手同人たちに刺激になればと彼を招いたそうです。よって、後に有馬朗人研究会発足のきっかけとなったアドバイスも、「神奈川県の若手を育てる良い方法は何か」という質問に対しての回答でした。

 句会当日は彼の地元である静岡県浜松市の他結社から足を運んだ人もあり、和弥氏は時間ぎりぎりまで全投句にコメントをする熱の入れようでした。当時、安定した公務員の職を辞したばかりと聞いていたので、俳句に何かをつかもうと必死にもがいているようにも感じました。

 研究会発足後も数回は浜松から出席してくださいましたが、やはり「余裕がない」との理由で途中からお見えにはなりませんでした。和弥氏が研究会へ期待されたことが達成できたのか、今となっては確かめようもありませんが「一人の作家を徹底的に読み解くのです」という彼の言葉通りのことは出来たと思っています。後は、参加者各自がこの成果から一歩進んで特定のテーマを見つけ深めていくことが重要でしょう。

【中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい】24 中村猛虎句集『紅の挽歌』 福永虹子(句会亜流里 同人)

  猛虎句集の紅の挽歌 10句選


余命だとおととい来やがれ新走

卵巣のありし辺りの曼殊沙華

この空の蒼さはどうだ原爆忌

ボケットに妻の骨あり春の虹

光らざれば生き永らえし蛍かな

雪ひとひらひとひら分の水となる

遺骨より白き骨壺冬の星

英泉比良坂竜胆を超えるべからず

僕たちは三月十一日の水である


特選は

たんぽぼがよけてくれたので寝転ぶ


 色々悩んだ末にこの句を選ばせていただきました。奥様への挽歌の数々、胸がいっばいになりました。必死に病と闘い、願い叶わず亡くされた後も、ボケットにお骨を忍ばせて生きていかれるなんて、なんと素敏なご夫婦だろうとうらやましく思いました。

 原爆、東日本大震災に寄せる思いの深さにも心打たれました。どれもこれも大好きです


 その中にあって、本句は、哀しみや怒りが直接詠みこまれず、作者の無垢な心が素直に表現された句だと思います。たんぽぼを押しつぶして寝転ぶのを躊躇し、自分がよけたのではなく、たんぼぼがよけてくれたという謙虚さ、木当に心優しい方だと思いました。尾崎放哉の自由律俳句のような雰囲気の中で俳句の伝統を踏まえた素晴らしい句であると思います。


【新連載】北川美美俳句全集3(番外編)

 (1)前回まで、「豈」に発表した北川美美の作品を掲載してきたが、美美が「豈」に入会する直前に資料として送ってきた作品があるので、今回は忘れないうちにこれを紹介する。「豈」以前であるから「面」か美美が参加した句会での発表作品ではないかと思う。

 山本紫黄に手ほどきを受け俳句をはじめたというので、紫黄の選を受けた句も混じっているのであろう。

自選25句

 飾海老海に妻子の遺されし

 幸不幸決めてください初鏡

 不機嫌な現実・現在・日向ぼこ

 たんぽぽよ繋がって繋がってあなたへ

 西東忌飛び級していく帰国子女

 三鬼の忌白きシーツの皺の中

 白い部屋ヨーコを探す春の午後

 母の日と存じております御母様

 臍の緒は桐箱にありヒヤシンス

 石神井の愛人宅は薔薇盛り

 夏が来た離婚記念日朝ごはん

 鉄線花女三代左利き

 パリロンドンソウルトーキョー吊忍

 タマといふ猫と愛人墓洗ふ

 沖つ風秋のない島おさびし島

 夜もすがら栗むく小さき台所

 穴まどいテレヴィアンテナ塔の魔女

 以前から嫌いな女月見豆

 三田一丁目クスリ屋の角秋の暮

 楔打つ二百十日の歯医者かな

 千年の夜長がつづく交差点

 毛皮脱ぐ空気の薄い防音室

 精肉に塩を擦り込む聖誕祭

 満州に置き去りにした雪女郎

 ビニールの中で浮いてるおでんかな


(2)北川美美の経歴はあまり聞いたことがなかった。ともかくも多趣味な人であり、特に音楽や文芸・芸術など様々な活動、あるいは知人を持っていた。紹介すると言われたがあまり趣味の広くない私は紹介されても話題の接ぎ穂がないので敬遠していた。

 草月会に入り、様々なイベントを企画し、渡英の経験もあり、晩年は自らシュトレーンやグラノーラを作り、ビー・ハンパ―・コレクションという店をつくり卸していた。独特の製法でファンが多かったようだ。店のチラシが見つかったので、添えておく。