2021年10月1日金曜日

英国Haiku便り[in Japan] (25) 小野裕三

 


桜を愛でたイギリス人

 僕の一家がロンドンで住んだ家の前には大きな桜の木があって、春には居間の窓からその桜を眺めて暮らした。その通りは桜並木になっていて、ロンドンで桜を愛でるのもオツなものだと思っていたが、実は英国での桜の普及に尽力したイギリス人がいたことを最近知った。

 一八八〇年に生まれたコリンウッド・イングラムは百歳まで生き、「チェリー・イングラム」とも呼ばれ、生涯を日本の桜に捧げた。一九〇二年に初来日した彼は、日本では人間と自然が芸術的センスで調和している、と感じ、特に日本の桜に惹かれ始める。当時は珍しかった日本から輸入された桜の木がたまたま英国内で転居した家の庭にあったことから、彼は多種の桜を集めた「桜園」を作ろうと決意する。

 そうして桜の苗木の収集を始めた彼は、さらなる桜の木を求めて一九二六年に三度目の来日をする。だが、関東大震災直後の当時の日本は急速に近代化(西洋化)を進めていて、それゆえに日本人が美的感覚を失っていると彼は感じて衝撃を受けた。

 日本にあった桜はもともと多様で花期も長かったという。それが明治期になって、各地に一種類の桜ばかりが植えられていく。それが染井吉野だった。見栄えがよく、成長も早く、繁殖が簡単、というその特性が近代化の要請に合致したのだろうか。そのような桜の画一化を危惧したイングラムは、多様な桜を英国に持ち帰って保存しようと奔走する。

 俳句でも「花」と言えば桜を指すくらい、桜は日本人の心性と繋がりが深い。だが実は、このような近代化の過程で桜のイメージは大きく書き換えられたと言える。明治後に急増した染井吉野は、一斉にぱっと咲いてぱっと散る桜の印象を定着させ、それ以降、桜は「散り際の潔さ」に焦点が当たり、「同期の桜」など軍歌にも歌われ、やがては特攻隊のイメージとも繋がっていく。ある英語のウェブサイトにはこう記される。「古代の日本では、桜の花は新しい命や始まりの象徴であった。しかしそれは十九世紀後半から変化し始め、1930年代に大きく変わった。桜は死の象徴になった。疑うことを知らない日本国民へのプロパガンダとして、古代の詩歌は意図的に曲解された」

 一方の英国では、イングラムの活動の結果、戦後になって桜ブームが起き、ロンドンの有名な植物園キューガーデンや各地の王立公園を始め、今では多様な桜が咲き誇る。二月の終わりから五月の初めまで、いろんな種類が咲き続けるのが英国の桜の風景だが、実はそれはイングラムが「商業主義と軍事至上主義」と非難した日本の近代化が消し去った、古来の日本の桜の姿でもある。それは、なんとも皮肉な事実だ。

(『海原』2021年6月号より転載)


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