2019年12月13日金曜日

第127号

※次回更新 1/10

 【速報!】第5回攝津幸彦記念賞応募選考結果
 ※受賞作品は「豈」62号に掲載

【紹介】週刊俳句第650号 2019年10月6日 特集『切字と切れ』
【緊急発言】切れ論補足(1)――週刊俳句第10月6日号 特集『切字と切れ』座談会に寄せて
【緊急発言】切れ論補足(2)――週刊俳句第10月6日号 特集『切字と切れ』座談会に寄せて
【緊急発言】切れ論補足(3)動態的切字論1――現代俳句の文体――切字の彼方へ
【緊急発言】切れ論補足(4)動態的切字論2――現代俳句の文体――切字の彼方へ ※12/13追加

■平成俳句帖(毎金曜日更新)  》読む

令和夏興帖
第一(11/8)飯田冬眞
第二(11/15)夏木久・山本敏倖・望月士郎
第三(11/22)椿屋実梛・曾根 毅・ 辻村麻乃
第四(11/29)仙田洋子・小野裕三・松下カロ・仲寒蟬
第五(12/6)山本敏倖・神谷 波・木村オサム・坂間恒子
第六(12/13)浅沼 璞・林雅樹・北川美美・青木百舌鳥・岸本尚毅・田中葉月・堀本 吟・花尻万博・井口時男・渡邉美保

令和秋興帖
第一(11/8)大井恒行
第二(11/15)曾根 毅・辻村麻乃・仙田洋子
第三(11/22)小野裕三・仲寒蟬・山本敏倖
第四(11/29)浅沼 璞・林雅樹・北川美美・ふけとしこ
第五(12/6)神谷波・杉山久子・木村オサム・坂間恒子

■連載

【新連載】英国Haiku便り(1) 小野裕三  》読む

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉕ のどか  》読む

麻乃第二句集『るん』を読みたい
インデックスページ    》読む
16 「こころのかたち」/近澤有孝  》読む

句集歌集逍遙 柳本々々・安福望『バームクーヘンでわたしは眠った もともとの川柳日記』/佐藤りえ

【抜粋】〈俳句四季12月号〉俳壇観測203
切字と切れ――「切れ」よ、今日は・さようなら
筑紫磐井》読む

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
6 『櫛買ひに』を読む/山田すずめ 》読む

葉月第一句集『子音』を読みたい 
インデックスページ    》読む
7 生真面目なファンタジー 俳人田中葉月のいま、未来/足立 攝  》読む

佐藤りえ句集『景色』を読みたい 
インデックスページ    》読む
7 佐藤りえ句集『景色』/西村麒麟  》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中!  》読む


■Recent entries

特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」 筑紫磐井編  》読む


「兜太と未来俳句のための研究フォーラム」アルバム

※壇上全体・会場風景写真を追加しました(2018/12/28)

【100号記念】特集『俳句帖五句選』


眠兎第1句集『御意』を読みたい
インデックスページ    》読む

麒麟第2句集『鴨』を読みたい
インデックスページ    》読む

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
インデックスページ    》読む

「WEP俳句通信」 抜粋記事  》見てみる

およそ日刊俳句新空間  》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
5月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む  》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子





「俳句新空間」11号発売中! 購入は邑書林まで


豈62号 発売中!購入は邑書林まで


「兜太 TOTA」第3号

Amazon藤原書店などで好評発売中

筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。

【連載】英国Haiku便り(1) 小野裕三

[小野氏が英国留学するにあたって少し相談することがあり、その時に、BLOG「俳句新空間」にも書きましょうと言われていたが、やはりあまり時間もなかなかとりにくいようであった。一方「海原」には標記のような連載が始まり1年近く連載している。そこで相談したうえで、「海原」のご了解をいただき過去のバックナンバーを順次掲載させていただくこととした。「俳句新空間」の関心にも通うところがあると思うので、是非ご愛読を乞う。――筑紫磐井]



俳句と現代美術に共通するもの

 今年(2018年)の九月から、一年か二年の予定でロンドンに家族で引っ越してきた。その滞在の間、「英国Haiku便り」として短文を綴り、英国の地から俳句や日本文化を見直すいい機会にできれば、と思っている。
 Haikuはこちらでも知名度が高い。今のところロンドンで出会った中では(出身国もさまざま)、過半の人がHaikuを知っている印象だ。決められたリズムがあることを知っている人も少なからずいるが、それが五と七と五であると正確に答えられた人は未だにいなくて、「七・四・七のリズムよね」みたいな答えが返ってくるのはちょっと面白い。
 ロンドンの街中の小さな書店で、『Love Haiku』という、イギリス人が日本人の俳句を編纂した本を買ってみた。前文に、日本語は「精妙さ」や「ほのめかし」の力に強く依拠しているのに対し、英語や「明晰さ」や「正確さ」に依拠している、とあった。同感だが、それゆえに、俳句は日本語の持つ独特の質感から大きな力を貰っている、という印象が僕には拭えない。Haikuがどれだけワールドワイドになっても、それはやはり本質的には日本語の文学なのだ、と思える。あるいは少なくとも、書き言葉としての日本語が持つ独特の物質性に、俳句は深く依存しているのだ、と感じる。
 ところで、ロンドンに僕が来たのは、英国王立芸術大学(Royal College of Art)というところで学ぶためだ。この年齢で大学院の学生、というと日本ではだいぶ珍しいように思われるが、こちらに来てみると、学生と言えど年齢も二十代から六十代あたりまでまんべんなく分布し、国籍も職歴も本当にさまざま。現役の建築家、ファッションデザイナー、写真家、などがある程度の実績を積んで、さらに自分のテーマを深めるために大学で学ぶ、ということが当たり前のように行われている。そのように多様で前向きな人々の生き方を受け止める社会の大きな包容力は、率直に羨ましいと感じた。
 そんなアーティストやデザイナーたちに、僕は日本から来た「Haiku Poet」であると自己紹介し、なのでHaikuのこともよく話している。ある日、そんな人々を前に、二十世紀の俳句史を振り返りながら、「僕は、俳句にとって可能なあらゆる実験は、二十世紀の間に終わったと思っています」ということを語ってみた。すると一人がぽそりと呟いた。
「美術と同じなのね」
 なるほど、その意味では俳句も美術も今は同じ地平に立つのか、と妙に腑に落ちた。それでも、彼らがなおも自分の表現を見つけようと真摯に取り組む姿には、心を打たれる。似たような条件にあるという意味で、彼らが作り出そうとする現代美術の潮流から俳句が学べるものもあるのでは、と思っている。

(『海原』2018年12月号より転載)

【緊急発言】切れ論補足(4)動態的切字論2――現代俳句の文体――切字の彼方へ  筑紫磐井

1.ふたたび始めに
 前号の記述が誤解を呼びそうなので繰りかえしを述べる。切字論はある理念に基づいていると従来考えていた。前句が短歌の一部でなく、独立した詩歌だと認識させるためには、前句と下句の間に切断が必要となり、そのために「かな」という語――切字が重用されるようになった。だから切字と切れの効果に関心があり、正統的な切字を探求することになる。これを「静態的切字論」と呼んで、それはそれでそうした方面に関心がある人に議論を任せたいと思う。

 もう一つのあり方が「動態的切字論」で、その「前提」は静態的切字論と似ているが、いったん切字が生まれた以上、その理念――切れの効果などとは無関係に、連歌師や俳諧宗匠、俳人たちの知的活動として切字らしいものが再生産されてゆくのを追跡する。こうした活動に関心を持つのが動態的切字論である。静態的切字論が文学上の理念をピュアに追求するのに対し、動態的切字論は、それが文学上間違っていたとしても、連歌師や俳諧宗匠、俳人たちがどんな活動をしてゆくかを探求しようというものである。現に切字とされているものがどのように変化したかという社会現象的な関心である。別に切字がなければいけないと思っているわけではなく、ともかく切字が始ってしまったからこれがどう推移するかに関心を持つと言う思考方法である。浅野のように「切字精神」が完成したからと言って、芭蕉以後の切字に関心がないわけではない。現代の月並みな切字にも大いに関心があるのである。
 連句時代の切字を要求する発句(つまり付句を前提とした句)と、連句を廃止してしまった明治以降の俳句(つまり付句を前提としない句)にあって、この2つを接続して考えるには、切れとか何とか言う理念を放棄して、没価値的に切字がどのように変わってきたかを見ることの方が有益なのではないか。別にその是非を問うているのではなくて、人間とはこんな考えかたをするものだと言うことだけを示したいと思うのである。こういう現象が存在したことを前提として、その上で切字の価値を見つけたい人はまた考えてみればよい。一方でこれからも切字が残るのかどうかについても、――もちろん残らなくてもいいのだが、もしそれに類したものが残るとすればどう残るのかを尋ねたいと思う。ここまで来ると、前回紹介した川本提案説に近づくと思う。
 連歌から貞門までの切字はここで一頓挫し、芭蕉は48字皆切字なりと言って、一見切字は廃止になったようにも思えるが、実は芭蕉以後も切字は続いており、現在でも切字論(その後は、切れ論と名称を変えたものとなっているが、本質は変わらないだろう、相変わらず切れの根拠に切字を置いているからである)は盛んな訳である。実際俳句辞典や入門書を見れば、どれも「かな」「や」の紹介から始り、付け足しのように芭蕉の48字皆切字説を紹介し、矢張り最後は切字入門講座で終わっているのが現状のようである。こうした考え方にも動態的切字論推奨は役に立つと思う。

2.時代を下る
 さて切字の分類については、川本『俳諧の詩学』で専順法眼之詞秘之事の切字を次のように分類している。これはすでに『芭蕉解体新書』で示されている。

助詞=かな、もかな(もがな)、か、よ、そ(ぞ)、や
助動詞=けり、らむ(らん)、す(ず)、つ、ぬ、じ
形容終止形の語尾=[青]し
動詞命令形の語尾=[尽く]せ、[氷]れ、[散りそ]へ、[吹]け
疑問の副詞の語尾=[いか]に

 もっとも、これに先立ち、余り評判が良くはない浅野『切字の研究』でもこうした分析は行われており、もっと詳細な分析が行われているので、ここでは取りあえず標準的成果としてこれを使うこととしよう。

●浅野信『切字の研究』による『専順法眼之詞秘之事』18切字の品詞別
[助詞]
【かな】終助詞=詠嘆
【もかな】終助詞=願望
【そ(ぞ)】終助詞=強調(係助詞なので切字ではない)[注]
【か】終助詞=疑問
【よ】終助詞=願い(命令)
【や】助詞=詠嘆(係助詞なので切字ではない)[注]→7つのや

[助動詞]
【けり】助動詞=過去・詠嘆
【らむ】助動詞=現在の想像
【つ】助動詞=完了
【ぬ】助動詞=完了
【す(ず)】助動詞=打消し
【し(じ)】助動詞=推量打消し

[形容詞の語尾]
【し】形容詞の語尾

[副詞の語尾]
【に】副詞(いかに)の語尾
→「いかに」を「いかなる」(形容動詞)の連用形と見る見方もある。

[下知(命令)]
【せ】動詞の語尾(命令形)
【れ】動詞の語尾(命令形)
【へ】動詞の語尾(命令形)
【け】動詞の語尾(命令形)

[注]係助詞の「や」「か」「ぞ」を浅野は、係助詞であるから切字でないとする。終助詞の「や」「か」「ぞ」のみを切字とするのである。したがって、専順の挙げた例句を否定する。同様に、副詞(いかに)の語尾の「に」も切字と認めない。しかし、現にある切字一覧表を否定するのはフェアでない。
 一方逆に切字に係助詞を発見して切字の機能を理論化したのは川本であった。

 我々が通常切字として理解しているのは、このうちの助詞・助動詞であり、形容詞終止形・動詞命令形は切字として理解していない(せいぜい、句末の名詞止めが「切れ」ているという意味と同様に、これらは切れている、と言う頭の上の理解であろう)し、副詞は全く切字の体をなしていないと考えられる。しかしこれは当時の人々が切字を何として理解していたかを知るための手がかりにはなると思うので一応挙げておきたい。
 ではこれを通時的に推移分析をしてみたらどうであろうか。『切字の研究』を見ても作法書ごとに切字の文法的機能を示しているが、これを全体として通時的にその推移は示していないようである。
 まず、学校文法の、品詞の種類を全て挙げて、即して著作順に切字を落とし込んでみることとする。ただし、同じ単語であっても品詞はいくつか分かれるし、それぞれの論書の中でどれに当たるか判明しないものもある、特にBLOGの論考でもあり、学術論文でもないので一応の整理として見て欲しい。特段厳密な議論をしなくても私の議論には余り大きな影響はないからである。

【切字にかかわる全品詞の推移表】①~⑨の番号は、前号で述べた文献の種類の略号である。また()のついた略号は前回掲げた別本に上がっている切字である。
(1)[助動詞]
過去=き④(⑥)⑧⑨、けり②③④⑤⑥⑦⑧⑨、
完了=たり⑧⑨、り⑨、つ(②)⑤(⑥)⑦⑧⑨、ぬ③④⑤⑥⑦⑧⑨
推量=む③④⑥⑦⑧⑨、んず、けむ④、らむ②④⑤(⑥)⑧⑨、めり(⑥)⑨、らし(⑥)⑧⑨、まし⑧⑨、べし①⑧
打ち消し=まじ⑧、ず③⑤⑧⑨、じ⑤⑥⑦⑨
断定=たり、なり②(⑥)⑦⑨
希望=たし⑧、まほし、
   *    *
受身・可能=る・らる、
使役=す・さす、しむ、
比況=ごとし、やうなり
継続=ふ
推定=なり

(2)[助詞]
終助詞=な⑧⑨、そ③⑧、ばや、なむ、もが・もがな⑤⑥⑦⑧⑨・もがも、しが・しがな⑧・しがも、ね、か、かな①②③④⑤⑥⑦⑧⑨、かも⑧⑨、は、も、な④⑨、かし③⑦⑧、:
間投助詞=や、よ③④⑤⑥⑦⑧⑨、を⑥、ろ、ゑ:
係助詞=は、も、ぞ③④⑤⑥⑦⑧⑨、なむ⑧、こそ④⑥⑦⑧⑨、か③⑤⑥⑦⑧⑨・かは(⑥)⑦⑨・かも、や③④⑤⑥⑦⑧⑨・やは(⑥)⑦⑧⑨・やも:
接続助詞=ば⑥、とも、ど、ども、が⑨、に、を⑧、て、して、で、つつ、ながら、や、:
   *    *
格助詞=が、の、を、に、へ、と、より、から、にて、して、:
副助詞=し、しも、のみ、ばかり、まで、など、だに、すら、さへ、:

(3)その他の品詞
形容詞・終止形の語尾=なし②、し④⑤⑥⑦⑨、はなし(⑥)⑨、もなし⑦⑨
動詞・命令形の語尾=れ④⑤、せ⑤、へ⑤、け⑤、下知
疑問の副詞の語尾=[いか]に⑤⑦⑧⑨
  *
副詞=さぞ⑥⑧⑨、いかで⑥⑨、なと⑦、いかが⑧、何⑦⑧
感動詞=いさ⑥⑦⑧⑨、
代名詞=いつ⑥⑦、いづれ⑥⑦⑧、いづこ⑦⑧、いづら⑧、誰⑦⑧
接頭語=いく⑥⑦⑧
動詞=あり⑧、候⑨
動詞語尾=ゆ⑧、

 その他の品詞までを挙げると際限がないので、助動詞・助詞に限り、その推移を時期的に分析してみたい。品詞の種類が推移してゆくのと、同一品詞の種類の中でも更に語が推移してゆくのを見ることができる。

[切字にかかわる助動詞・助詞の推移表(初期→後期/切字となっていないもの)]
(1)助動詞
推量=べし、らむ、む、けむ→めり、らし、まし/(切字となっていないもの)んず、
過去=けり、き、
完了=つ、ぬ→たり、り、
断定=なり/(切字となっていないもの)たり、
打ち消し=ず→じ、まじ、
    ↓
希望=→たし/(切字となっていないもの)まほし、
    ↓
(切字となる可能性のあるもの)
推定=なり
受身・可能=る・らる、
使役=す・さす、しむ、
比況=ごとし、やうなり
継続=ふ

(2)助詞
終助詞=かな、かし、そ、な→もが・もがな・もがも、しが・しがな・しがも、かも/(切字となっていないもの)なむ、ばや、ね、か、は、も、:
間投助詞=よ→を/(切字となっていないもの)や、ろ、ゑ:
係助詞=や・やは・やも、ぞ、か・かは・かも、こそ、→なむ/(切字となっていないもの)は、も:
      ↓
接続助詞=→ば、を、とが/(切字となっていないもの)に、も、ど、ども、て、して、で、つつ、ながら、や、:
      ↓
(切字となる可能性のあるもの)
格助詞=が、の、を、に、へ、と、より、から、にて、して、:
副助詞=し、しも、のみ、ばかり、まで、など、だに、すら、さへ、:

 言っておくがこれらは切字として認識されているのではなく、切れを生む「てにをは」としてとらえられていたことに注意すべきである。「てにをは」とは現代文法にある助詞のことである。

●結論
(1)品詞の種類の拡大
 助動詞では、推量・過去・完了・断定・打ち消しの助動詞から希望の助動詞へと拡大している。助詞では、終助詞・間投助詞・係助詞から接続助詞へと拡大している。
[補足]助詞・助動詞から副詞や代名詞への拡大は、句中に使われた係助詞の存在の影響があると思われる。それ程係助詞の登場の影響は大きいのである。
(2)同一品詞の種類の中の語の拡大
 助動詞では、例えば、推量では「べし」・「らむ」・「む」・「けむ」→「めり」・「らし」・「まし」、完了では「つ」・「ぬ」→「たり」・「り」、打ち消しでは「ず」→「じ」・「まじ」と拡大している。助詞では、例えば、終助詞では「かな」・「かし」・「そ」・「な」→「もが」・「もがな」・「しが」・「しがな」・「かも」、間投助詞では「よ」→「を」、係助詞では「や」・「ぞ」・「か」・「こそ」→「やは」・「かは」・「なむ」と拡大している。
(3)結び(可逆的推移)
 このように、切字は時代が下るとともに一般的に増加してゆく。それも無秩序に増加するのではなく、同一品詞の種類の中の語の拡張があり(2)、さらに品詞の種類が拡張してゆく(1)。
 それからもっと重要なことは一方向的に増加してゆくのではなく増減を繰り返すことである。いったん切字リストに上がった切字が消えてゆくこともある。つまり字となっていない頭の中の観念的切字リストがあり、それぞれの宗匠がある基準から掲出したり、偶然掲出しまた偶然掲出し洩らす等によって具体的著作上の切字表ができあがっていると考えられる。つまり目に見える著作上の切字を操作することだけによって切字の全ての問題が解決するわけではないと考えられるのである。
 切字の増加については、自著に新規さを持たせようとしたためと言う考え方もあるが、以上から考えるとそれ程単純な問題ではないように思う。こんなところから次回では観念的な切字のリスト、更には切字の本質を考えてみることにする。

【注】筆者は文法に見識を持つものではないし、学説もまちまちなところもあるようなので、今後精査があり得ることを前提に読んでいただきたい。


寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉕  のどか

第3章 戦後70年を経ての抑留俳句
Ⅵ 百瀬石涛子(せきとうし)さんの場合(5)
【百瀬石涛子著『俘虜語り』を読む】‐その3

*は、インタビューをもとにした、筆者文。

  黒パンへ寒灯染みる虜囚の地(ナホトカ)
*配給の黒パンを切るには、白樺の木で物差しを作ってあって、それで均等に切り分けたのだが、皆、棚になったベッドから見つめる目に刺されるようであった。

  虜囚われ春禽捉え生き延びし(夏のペチカ)
*捕らわれの身である自分。飢えに苦しみ、春の鳥を捉えて食い生き延びた。

  今日の糧とつこ虫食ひ草を摘み(寒極光)
*春には鳥を捕まえ、とつこ虫(カミキリムシの幼虫)や草を摘み食べることはまさに生きる糧となった。

  蟷螂のまなこ兵士のころの吾 (夏のペチカ)
*あの頃の目は、まるで獲物を狙う、蟷螂の眼そのもので有った。また、自分自身の飢えに突き動かされるように食べられそうな物を探した。

  俘虜飢ゑて自虐のこころけらつつき(寒極光)
*飢えは、一層気力を低下させ、憂鬱や絶望といった自虐的な心にさせた。虫を食べるために草木の根元を掘る姿は、けらつつきに投影されている。

  逝く虜友を羨ましと垂氷齧りをり (寒極光)

*飢えは自分自身の心を苛み抑うつ状態に追い込む、死に逝く友を羨ましいとさえ思い、その一方で垂氷を齧らせる。死を切望しながらも体は、生きようと懸命なのである。

  繰り返し語る帰還(ダモイ)や木の根明く (寒極光)
*。収容所は、シベリアの各地に散らばっており、情報源は時々ある収容所の人員の交代により他のラーゲリの様子を知ることの他は、「日本新聞」のみである。幾つかの野菜のかけらが入った粥(カーシャ)をゆっくり味わった後の雑談はいつも帰還のことになる。毎晩、毎晩同じ話をするうちに、木の根の明く春がまた巡ってくるのである。

  虜囚とはいつも望郷盆近し(寒極光)
*飢えと寒さと強制労働から早く解放されたい、一日も早く帰還を果たしたいという望郷の思いが募る毎日、先祖や親せきか集うお盆も近づいている。夏になれば帰還船が出るのではという期待が「盆近し」の中に込められている。

  収容所の夏はつかの間岳樺 (夏のペチカ)
*ウラン・ウデが暖かくなるのは5月中旬から9月の上旬、9月の中旬以降は、最低気温が氷点下の日が続く。収容所の夏は短い。

  収容所は夏のペチカを奢(おご)りとす(夏のペチカ)
*石涛子さんの居たウラン・ウデ地域は、夏場も5月・9月には3度~5度になることがある。そんな寒い日には、粗朶を燃やして、冷えた体と心を温める。細やかな楽しみなのである。

  遠郭公脱走兵を悼みけり(寒極光)
  脱走の俘虜の末思ふ白夜かな(寒極光)

*収容所は、鉄条網で囲われ四方には監視塔が置かれ、狙撃銃を持ったカマンジール(監視兵)が見張りをしている。脱走が見つかったときには射殺される。発熱のために飲み水が欲しく雪を取りに行く、収容所の近くの雪は取りつくされているので、仕方なく鉄条網に近い場所の雪を取りに行く、あるいは野草を取りに鉄条網に近づき、脱走とみなされると射殺される者もあった。運よく脱走出来ても、冬はマイナス30度にもなる酷寒の地。腹を空かせた狼の群れもいる。脱走が目的でも鉄条網に走るのは、絶望の果ての積極的な自殺ともいえる。遠くリフレインする郭公の声は、脱走者を悼むかのようであり、脱走者を狙撃した銃声の木魂とも聞こえる。誰もが俘虜の苦しみから逃れたく脱走することを思うのだろうが、その行く末を思えば我慢するしかないと自分を慰めたのである。

  渡り鳥羨しと見つめ俘虜の列 (寒極光)
*冬の近づく頃、鴨や白鳥、真鶴などはシベリアの広大な空を自由に飛び、冬には日本に渡ってゆく。作業に出かける前の点呼の列で、作業の合間の給食を待つ列で空を見上げながら、自由に飛べる渡り鳥を羨ましく眺めるのである。

  凍天やウオッカの匂う看視塔 (寒極光)
*ウラン・ウデ地域の冬の降水量は少なく、雨はひと月に1~2日位となる、空も凍てつく青さなのである。監視塔では、カマンジール(監視兵)がウオッカを煽って寒さをしのいでいる。

  深井戸は氷の渓や俘虜の列 (寒極光)
*深井戸とは、硬い岩盤を掘りぬいた井戸のことであるが、水脈を得るために谷底に作られたのだろうか、一日の飲み水を水筒に汲むために、氷った谷底へ俘虜の列が続いている。今の時代には、水道を捻れば水を汲むことができるが、厳しい作業に備えて点呼の前に飲み水を確保しなければならないのは大変な苦労であった。

  凍てし樹皮刻み煙草の日々なりし(寒極光)
*強制労働の対価として、月に一回はマホルカという刻み煙草が支給されたようだが、その量については、定かではない。空腹を紛らわすために、木の皮を刻んで煙草の代わりに吸って口さみしさを紛らわせた日々なのである。

  凍つる日の毛虱検査女医強気 (寒極光)
*収容所での身体検査は、三か月ごと位に有り、主に尻の肉をつまんでその戻り具合で、労働等級を決めるために行われたが、ケジラミの検査も行われたのであろう。人に取り付く虱は、アタマジラミ・コロモジラミ・ケジラミであり、ケジラミは陰毛に寄生するのである。当時ソ連では、ドイツ戦・関東軍との戦いにより多くの兵士を失い、男性が少なかったので、医師は女性が多かった。毛虱検査をする女医も強気にならなければならなかったろうし、裸になって女医の前に整列する側も心凍る思いだったのだ。

  懐郷の虜囚の尿は礫に凍つ (寒極光)
*冬を迎えると故郷への思いは一層つのる。「慮囚の尿は礫に凍つ」については、酷寒の地では小水をしたところから氷っていくのでそれを金槌でたたいて落とすなどという笑い話を筆者は子どもの頃に耳にしたが、実は小水が落ちたところから小石のように凍り付いてゆくのだという。

  冬来るや畚もて糞塊当番 (寒極光)
*冬の到来でのもう一つの悩みは、便所で鍾乳石のように氷り、尻を刺す糞尿である。労働階級三級になると軽作業に廻されるが、便所当番も仕事になる。足掛けの丸太を外し、十字鍬やシャベルで糞尿の鍾乳石を掘り起こし、畚(もっこ)で捨てに行く。凍っている時は良いが、外套についた塗沫がペチカの火で溶けると、臭いが厄介なのである。糞塊当番とは、石涛子さんの独特の表現なのか、当時のラーゲリではそう呼んでいたものか、大変な仕事の中に笑いを誘う表現である。  

  俘虜逝きて白夜の星を眩しめり (寒極光)
*昼間は作業を夜には食事を共にした仲間が死んだ、白夜の頃(夏至前後)、深夜の友の埋葬。黙祷を終え、白夜にかすかに瞬く星を目をほそめて見上げるのである。

  俘虜死すや骨立つ尻の寒からむ(寒極光)
*生活を共にする収容所(ラーゲリ)の仲間の死は、生の隣にある死を暗示する。裸にされた遺体の骨と皮だけの尻に、一層いたいたしく不憫な思いが湧いてくるのである。
(つづく)
句集『俘虜語り』百瀬石涛子著 花神社 平成29年4月20日

【麻乃第2句集『るん』を読みたい】16「こころのかたち」 近澤有孝

 辻村麻乃句集「るん」を読んで、まっさきに感じたのは「なんて不思議なこころのかたちなんだろう」ということだった。季語にさまざまな思いを託して書かれるわずか十七音の詩。たんなる書きつけのように見えるかもしれないけれど、その短章の奥に凝縮されたひとりの人間の思いのあることを知るとき、読者はそのミスティーな魅力に惹きつけられないわけがない。

  雛の目の片方だけが抉れゐて
  春疾風家ごと軋む音のして
  眠るやう交はるやうに秋の蝶


 これらの句は、いずれもなんの変哲もない、ひとりの女性の日常をしたためたものにすぎないのかもしれない。けれども、雛の片方の目だけが抉れていることに心の痛みを感じ、秋の蝶の訪れに《眠れるやう交はるやう》な慰藉をみとめたとき、ばらばらのことばはたちまちのうちに並びたち一本の短詩となっているのだ。このささやかなことばとのたわむれに触れるとき、ぼくはその書かれた、いや詠まれた作品のひとつひとつに怯えのような不思議さを感じずにはいられない。
 そう言えば、ずっと以前に麻乃先生のお父さま、故・岡田隆彦氏の詩集を読んだときにも、やはり似たような不思議さを感じていたものだった。

うまく水路がみつからないときは、
いつも揺れる界隈に溺れてしまって
突堤のような店さきで
押しよせる雑踏にしばらく身をまかす。「泡だつもの 1」冒頭


 詩と俳句では作品の成り立ちが違うけれど、それでも、岡田氏のまるで山繭がいま吐いたばかりの生糸で、悪戦苦闘しながら壮大な構造物を作りあげようとしているような印象があって、それはとりもなおさず血をわけた娘である麻乃先生の句の上にも同じ不思議が継がれていているらしい。日常に腰を下ろした深い眼差しや、いかにも都会のひとらしい洗練されたことば選び、それからふいに見せてくれる茶目っ気や艶やかさは、そのまま麻乃先生の句をいろどるものとなっている。

  気を付けの姿勢で金魚釣られけり
  私小説受け入れられぬままに解夏
  冬ざれや男に影がついてゆく


 これらの句はたぐいまれな美しいかたちを備えている。へたをしたら、まさに女子校生の手すさび、あるいは《私小説》になってしまっていたかもしれないところを、とことん熾烈な匠の目で、新鮮なことばだけを提示してくれている。ここには、気まぐれなな感傷や古びた伝統のかけらもない。辻村麻乃という、たぐいまれなほどにまっすぐな《こころのかたち》がそこにあるからにほかならない。

句集歌集逍遙 バームクーヘンでわたしは眠った もともとの川柳日記/佐藤りえ

本書は春陽堂書店のホームページで1年間連載された『今日のもともと予報』をもとにした、柳本々々さんの川柳と短文、安福望さんのイラストレーションからなる本である。ちなみに現在おなじ春陽堂書店のホームページで「週刊もともと予報」が連載されている。

副題が「もともとの川柳日記」ということで、ページ(または見開き)ごとに冒頭に川柳が1句、それに続いて日記本文としての短文が続き、安福さんのイラストレーションが伴っている。文章の長さはまちまちで、20文字足らずのこともあれば、600字を超えているところもある。日記の内容は「したこと」や「考えたこと」「思い出したこと」「ひとから聞いたこと」など多岐にわたる。その日の出来事、というより、柳本さんの脳内で絶えず流れている川から、その日にひょいと掬われた水なのだろう、と思う。

そうした多岐にわたる話題、というか考えのなかに、これまた多岐にわたることごとが引用されてあらわれる。カフカ『審判』。フランソワーズ・ポンポン。浅沼璞。漱石。ベンヤミン。レムの『ソラリス』。映画『クレイマー・クレイマー』。ヒエロニムス・ボス。モリアーティー教授。チェーホフ『ワーニャおじさん』。
引用されるのはその日の本題となったことの背景だったり、きっかけだったりするものだ。

「もともとの川柳日記」は、日々を割り当てられた短いエッセイというのでなく、これはやはり日記だろう。肉体を以てしたことのみが日に記すべきことであるはずがなく、繰り返しになるが、脳内で絶えず流れている川から汲みうるその日の水が、ここには脈々と記されているのだろう。

短文そのものが詩のような箇所も随所にみられる。

わたしは、またうそをつきそうになる。
うそはつきたくなかったから、わたしは、
星ひろう。なんでもひろわないでねときみにいわれる。「はい」とこたえる。
(9/11)

ひらがなの多い表記を読み違えないよう、拾うように読んでいくと、「なんでもひろわないでね」が窘めを含意しているように見える。「なんでもひろわないでね」を「なんでもない」に見間違えそうになる。たどたどしく読んでいく時間感覚が、直前の「星ひろう」「「はい」とこたえる」のさっぱりした時間感覚と拍子が違って、時計が狂ったような異次元感覚を味わう。

安福望さんのイラストレーションが本書を絶妙に彩っている。イラストレーションは全ページに添えられている。単純にその物量にも驚く。
安福さんの絵は鉛筆のような軽快なタッチの明確な線と、透明水彩や色鉛筆の、透明度の高い色彩が特徴的だ。線は明確なのにフォルムがどこか曖昧でおもしろい。熊、栗鼠、人間、猫、なにかを被った生き物っぽいものなどが、広大な色彩のなかに、わりあい小さくあらわれることが多い。

透明水彩は発色が美しく、明度の高い色や淡彩が幅広い表現を生み出すものであるが、同時に色面にムラができやすく、筆触のあとが残りやすい。そうしたムラ、にじみが画面にいろどりと生き生きした感じを与えているのが興味深い。

人生の間隙を突いて読むのによい本、と直感する。
ちょうどこの年の瀬、クリスマスをひかえて、また、クリスマスを越えて、年の瀬をかみしめて読むのに適していると思います。
最後に好きな句をいくつかひきます。

あまいだめなにんげん
(苺のにおいがしてる)  (8/3)
へー魂にも歯があるんだ  (10/3)
秋のポテトサラダ女の子が好きな女の子  (11/14)
春という汚い手書きで始まる詩  (3/1)

(春陽堂書店)2019年8月28日刊

2019年11月29日金曜日

第126号

※次回更新 12/13

 【速報!】第5回攝津幸彦記念賞応募選考結果
 ※受賞作品は「豈」62号に掲載

【紹介】週刊俳句第650号 2019年10月6日 特集『切字と切れ』
【緊急発言】切れ論補足(1)――週刊俳句第10月6日号 特集『切字と切れ』座談会に寄せて
【緊急発言】切れ論補足(2)――週刊俳句第10月6日号 特集『切字と切れ』座談会に寄せて ※11/8追加
【緊急発言】切れ論補足(3)動態的切字論1――現代俳句の文体――切字の彼方へ ※11/29追加

■平成俳句帖(毎金曜日更新)  》読む

令和夏興帖
第一(11/8)飯田冬眞
第二(11/15)夏木久・山本敏倖・望月士郎
第三(11/22)椿屋実梛・曾根 毅・ 辻村麻乃
第四(11/29)仙田洋子・小野裕三・松下カロ・仲寒蟬

令和秋興帖
第一(11/8)大井恒行
第二(11/15)曾根 毅・辻村麻乃・仙田洋子
第三(11/22)小野裕三・仲寒蟬・山本敏倖
第四(11/29)神谷波・杉山久子・木村オサム・坂間恒子

令和花鳥篇
第一(8/23)神谷 波・曾根 毅・松下カロ
第二(8/30)杉山久子・渕上信子・夏木久
第三(9/6)小林かんな・早瀬恵子・木村オサム
第四(9/13)浅沼 璞・小野裕三・真矢ひろみ
第五(9/20)林雅樹・渡邉美保・家登みろく
第六(9/27)小沢麻結・井口時男・岸本尚毅・仙田洋子
第七(10/4)飯田冬眞・ふけとしこ・加藤知子・前北かおる
第八(10/11)山本敏倖・堀本吟・仲寒蟬・下坂速穂
第九(10/18)岬光世・依光正樹・依光陽子・辻村麻乃
第十(10/25)水岩瞳・菊池洋勝・内橋可奈子・高橋美弥子・川嶋健佑
第十一(11/1)望月士郎・花尻万博・中村猛虎・青木百舌鳥・佐藤りえ・筑紫磐井
追補(11/8)坂間恒子
追補(11/15)北川美美

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【抜粋】〈俳句四季12月号〉俳壇観測203
切字と切れ――「切れ」よ、今日は・さようなら
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句集歌集逍遙 今泉康弘『人それを俳句と呼ぶ—新興俳句から高柳重信へ—』/佐藤りえ

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5月の執筆者 (渡邉美保

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新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。

【緊急発言】切れ論補足(3)動態的切字論1――現代俳句の文体――切字の彼方へ  筑紫磐井

●はじめに
 「豈」62号で「切字と切れ」の特集を組んだ。その中で、川本皓嗣氏が、新しい提案をいくつかあげている。簡単に紹介すると、①芭蕉が愛用した古い切字を復活して表現的・リズム的効果を生かす、②二段切れ三段切れも切字に考えてよい、③季語同様、続々と新しい切字を案出したらよい、④切字のない句も多く作る、である。
 もはや、連句がなくなった現在、前句と付け句の区別もないのだから俳句で切字を議論する余地はないと言う考え方もあるが、現在の俳人は3~400年にわたる俳諧時代の遺産を持っているし(俳句から迂遠になればなる程、芭蕉しか知らない国民が増えるはずである)、現代俳句がどれほど発展しようと遂に芭蕉を超えることはできないわけであるから、頭の片隅では切字をおいておくことは必要であろう。
 その意味で川本氏の提案も無視できないところがある。もちろんこのうち、④「切字のない句も多く作る」、は切字否定論であるから当面ここでは措いておくことにする。そうすると、古い切字の再発見、新しい切字の開拓を勧める主張ということになる。
 同じ特集号で、仁平勝が「古い切字も、切れを生むための修辞でなく異化効果を狙うものと考えている。」と言っていたが、それは一つの解釈であって議論の最初からそう決める必要もない。我々が知らない全然別の理由も留保しておくべきだからだ。
 川本説の興味深いことは、〈前句が短歌の一部でなく、独立した詩歌だと認識させるためには、前句と下句の間に切断が必要となり、そのために「かな」という語――切字が重用されるようになった〉という前提を排除して、ともかく切字というものが歴史的に存在したが、それがどういう理念を持つかは別としていろいろに変形させることが有り得ると考えていることだ。切字にもはや切れは不必要になった、しかし得体の知れない切字がこれからも起こってよいだろうというのである。
    *     *
 こうした考え方を私は「動態的切字論」と呼びたいと考える。従来の切字のあるべき論(発句は切れなければならない、等という主張)を静態的切字論と呼ぶとすれば、未来に向って切字は変化し続けるだろうという考え方なのである。この考え方のすぐれているのは、『八雲御抄』から始って、連歌へ、そして俳諧へ、芭蕉へ、そして更には現代俳句へといくらでも発展できると言うことである(もっとも動態的になると、ことさら切字論と呼ぶ必要もないのであるが・・)。
 ただこうした新切字の提案には、①切字の範囲がどこまでであったのかを確定し、②切字から外れていたものは何であったかを確認し、③この外れていたものが切字に拡張し始めたことを確認するという作業が必要である。

●切字の確定
 動態的切字論では、まず、切字の範囲を確認することが必要である。高山の『切字と切れ』は論争書であるから、必要な素材は逐次引用しているが、無味乾燥な素材の一挙羅列、比較は行っていない。その意味では、高山が批判している浅野信の『切字の研究』の方がこの目的には便利である。
 『切字の研究』や岩波文庫『連歌論集』を使って、切字の推移を抜粋してみる。最初期の切字資料は、順徳院『八雲御抄』、二条良基『連理秘抄』・撃蒙抄』と言うことができるであろう、切字の原書が伺える。ただ、ここではまだ数語しか切字は挙げられていない。次に第2期として、梵灯庵『長短抄』、宗砌『密伝抄』をあげ、第3期として連歌における切字のほぼ完成した里村紹巴『至宝抄』、専順『専順法眼之詞秘之事』を上げておくことにしよう。この第2,第3期では10語以上の切字が提示されるようになる。特に専順法眼之詞秘之事ではその後の定説となる「切字18種」が生まれたからである。
 必ずしも上げられた名前の有名作家が執筆したとは言えないものも混じるが、一応その権威が信じられていたと見て紹介する。不徹底な方法だが、逆に言えばこれ以上に信頼できる充分な切字の数を確認できないからである。少なくとも江戸時代には、これらの伝書が切字に関して何らかの影響を持ったと言えるだろう。
 以下では、著者(仮託者も含む)名、書名、含まれる切れ字数、本文を掲げることとする。本文で、判明しがたい切字は「」を付した。

1)初期伝書
①[順徳院・八雲御抄] 2語
発句は必ず言い切るべし。なにの、なには、なにをなどとはせぬことなり。「かな」共、「べし」共、また春霞、秋の風などの体にすべし。
②[二条良基・連理秘抄]確認済み  6語(ただし、品詞としてはけり・けれ重複)
発句は最大事の物なり。・・・「かな」・「けり」常の事なり、このほか、「なし」・「けれ」・「なれ」・「らん」、また常に見ゆ。

[注]「けれ」→「けり」、「なれ」→「なり」と扱った。「なし」(形容詞又は補助形容詞)は撃蒙抄で例示がある。

2)中期伝書
③[梵灯庵主(浅山師綱)・長短抄]12語(含むセイバイ)
発句の切字
かな・けり・ぞ・か・し(「かし」の部分)・や・ぬ・(セイバイ)・む・す(ず)・よ・けれ(「けり」と重複)。

[注]セイバイは命令形。
④[宗砌(高山時重)・密伝抄①] 15語
連歌の大事、三百五十九ヶ条の内、然りと雖もてにはに過ぎたる大事なし。てにはの詞五十一、切てには十三、追而二、已上十五、「かな」・「けり」・「らむ」・「や」・「ぞ」・「せむ」・「けん」・「そ」・「こそ」・「れ」・「ぬ」・「よ」・「す」・「な」・「き」。


3)後期伝書
⑤[伝専順・専順法眼之詞秘之事]18語(下知4語あり)
一、発句切字十八之事
かな、けり、もかな、らむ、し、そ(ぞ)、か、よ、せ、や、つ、れ、ぬ、す(ず)、に、へ、け、し(じ)、
⑥[里村紹巴・至宝抄]23語(下知を1語とする)
かな、や、し、ぞ、か、もなし、もがな、けり、ぬ、し(じ)、む、を、さぞ、いさ、よ、いつ、いかで、いづれ、いく、こそ、ば、下知

[注]「下知」は命令形。

 さてこのように眺めたが、実は同じ著者の本にあっても切字は合致しない。次に掲げた事項は上記の同じ著者の著書とは、切字の数も内容も必ずしも合致しない。特に紹巴『至宝抄』と『連歌教訓』は別人が書いた程相違がある。実はこれには、「表に見えぬ切字は口伝あり」とあるように口伝問題がかかわってきている。一見すると、大事な部分は口伝で伝えることのようにも見えるが、実は全逆なのである。抑も口伝は、詩歌や芸事に始ったものではなく、大陸から導入された密教が前提としていたものであり、時代を追って「十二口伝」と言われるような詳細な口伝の方式が定められ、口伝を前提にしてテクストが作られていたのである。テクストがあって口伝があるわけではない。だから、抑も西欧の学問方式や後世のテクストクリークの成り立たない世界なのである。

②ー2[二条良基・撃蒙抄]5語(ただし、品詞としてはけり・けれ重複)
発句の体さまざまなるべし。「かな」・「けり」常は用べし。の事なり、このほか、「らん」・「けれ」・「つれ」など時にまた見ゆ。

[注]追加の「つれ」(→「つ」と扱う)。
④ー2[宗砌・密伝抄②(密伝抄後段で再度切字に言及している例)] 5語
発句の切れたると申すは、「かな」・「けり」・「や」・「ぞ」・「な」・「し」、何等申すほかに、なにとも申し候はで、五文字にて切れ候ふ発句、―――是は五文字の内にて申す子細候ふ。

[注]密伝抄②は密伝抄①に包含される。
⑥ー2[里村紹巴・連歌教訓]
かな、もや、や、ぞ、つ、か、き、なめり、けり、ぬ、もなし、はなし、し、し(じ)、いく、いさ、めや、なれや、やは、かは、らし、なれ、らん、、下知(け、よ、へ、せめ)

[注]『連歌教訓』と『至宝抄』の異動
(至宝抄から削除)もがな、む、を、さぞ、よ、いつ、いかで、いづれ、こそ、ば、
(連歌教訓に追加)もや、つ、き、なめり、はなし、めや、なれや、やは、かは、らし、なれ、らん、下知(け、よ、へ、せめ)

 これら中世の連歌の切字を受け継ぎながらも江戸期の誹諧・俳諧ではよほど風通しが良くなったが、逆に悪い面が生まれた。ジャーナリステックにするために切字の数を争ったり、俳句の知識の乏しい売文家が濫造したり、俳句作法書の質は下落している。こうした江戸期の切字については、浅野『切字の研究』では、正風以前までの例をあげており、総攬するのには便利である(浅野から見ると、芭蕉は四十八字皆切字なりと言った程当時にあっては革新的であったから、ここを以て「切字精神」史は完成したと見てよく、浅野はもはや芭蕉以後の切字資料の研究には熱心でないようである)。以下では、『切字の研究』により書名と切字数だけを示す。当面これで足りると思われるからである。なおついでながら、浅野の推奨する『白砂人集』『袖珍抄』も加えてあるが、これは浅野の切字=和歌発生説に叶うためである。

『埋木』      28+下知9*誹諧埋木
『誹道手松明』   32+下知*
『をだまき綱目』  48+下知9*誹諧をだまき
『新式大成』    39+下知8*俳諧大成新式
『真木柱』     56+下知9*
『暁山集』     18*
   *
『白砂人集』    22+下知
『袖珍抄』     20附加5+下知
(*は角川書店『俳句文学大辞典』の掲載の有無と名称)

 動態的切字論のベースとなる切字一覧については、里村紹巴『至宝抄』以下の例としては、北村季吟『埋木』と、浅野は上げていないが、藍亭青藍『増補俳諧歳時記栞草』を上げておきたい。季吟『埋木』は江戸時代の初期の貞門作法書としてこれを代表させたいと思うし、青藍『増補俳諧歳時記栞草』の付録はこの歳時記が明治以降もさまざまな出版社から復刻されて、よく知られていたからである(岩波文庫『増補俳諧歳時記栞草』解説(堀切実)参照)。また参考に、高山がもっとも切字数が多いと上げている挙堂『真木柱』を挙げておく。

⑦[北村季吟・埋木]28語+下知9
発句乃切字
かな、も哉、けり、けりな、む、し、もなし、そ、さそな、かしな、か、や、やは、かは、こそ、なり、いさ、いかに、いつれ、いつこ、いつ、なに、なと、いく、誰、つ、ぬ、よ、下知(れ、よ、な、へ、そ、け、や、せ、め)
⑧[藍亭青藍・増補俳諧歳時記栞草]40語+下知
や、かな・かも、もがな・てしがな、し(き)、し(たし)、ぬ(否定)、ぬ(完了)、つ、下知、か、ゆ、よ、ぞ、ぞ(係助詞)、なそ、こそ、なん、ん、らん、らし・けらし、まし、まじ、な、を、べし、たり、けり、あり、かし、やは、
いかに、いづれ、いづこ、いづら、いかが、何、いく、誰、さぞ、いさ
⑨[挙堂・真木柱]56語+下知9
哉、もがな、けり、成けり、けりな、む、らむ、し(形容詞、まし、じ)、ず、き、候、がもな、ぞ、さそな(さぞな)、か、か(が)、れり、めり、たり、もなし、はなし、けらし、ならし、かは、やは、こそ、やら、なり、ぬ、いかに、いかむ、いか、いかで、いかにせん、いかがせん、なに、なんと、など、どこ、いづこ、いづち、いづく、いつら、いつ、いづれ、誰、いく、かも、さそ、いさ、いざ、つ、よ、な、せ、や、下知(よ、れ、な、へ、そ、け、て、せ、め)


【訂正】前号で、「高山れおなは、芭蕉以後には基底部と干渉部の構造が当てはまるものは多くなく、特に現代俳句ではそれが主調となっていると言う。」と書いたのに対して、「(基底部・干渉部説については)誓子や素十の句がそれで読めるのかというような言い方で疑問を呈していたはず。また、芭蕉は例外的な作者だから、芭蕉を材料にして俳句一般を規定することには慎重であるべきだとも言ったかと思います。」と返事が来ました。たぶんはみ出した分は、高山発言に対して私が包括して書いた感想になると思います。

【抜粋】〈俳句四季12月号〉俳壇観測203  切字と切れ――「切れ」よ、今日は・さようなら 筑紫磐井

高山れおな『切字と切れ』(二〇一九年八月邑書林刊)
  「切字」と「切れ」は初心者によく分からない言葉である。何となくありがたそうに思える点では共通しているのだが、「切字」の方は千年近い歴史があるのに対し、「切れ」は戦後せいぜい数十年の歴史しかない。「や」「かな」「けり」の「切字」については、否定的見解も含めて、芭蕉も子規も虚子も、秋桜子も誓子も、草田男も楸邨、波郷も述べているが、「切れ」については誰も何も言っていない。具体的な切字を議論していると、神学のように抽象的な切れという概念があった方がいいように思えてしまうのである。
 高山は、新刊『切字と切れ』でこの違いを懇切丁寧に説明しようとするのである。もちろん、説明するだけでなく、特に「切れ」についての誤った教説を打破しようとしているのである。切字の体系書は浅野信が『切字の研究』(一九六二年桜楓社刊)を出しているが、それ以来の初めての著作だということである。
 『切字と切れ』は二部からなり、〈第一部 切字の歴史〉、〈第二部 切字から切れへ〉に分かれている。第一部では連歌で生まれた切字が、増加変質して行き芭蕉で一種の典型が生まれる歴史と、その中でも「や」と言う切字の構造を考察している。おまけに「古池や蛙飛び込む水の音」の解釈も行っている。第二部は、なぜ「切れ」という考察がなされるようになったかを、俳句ジャーナリズム、現代作家による切字の理解、国語学者の理解を示し、特に現代作家の「切れ」に関する妄説(もちろんこれは高山の評価だが)まで紹介している。
 こんな難しいことを言っても俳句の初心者には理解が困難だろう。二つのポイントを示しておく。定型詩では短歌(57577)は長い歴史を持っているが、その活動の中で二人で短歌を合作する連歌という形式が生まれた。これは前句(575)と付句(77)をそれぞれに別の作者が製作するのだが、前句が短歌の一部でなく、独立した詩歌だと認識させるためには、前句と下句の間に切断が必要となり、そのために「かな」という語――切字が重用されるようになったのである。
 もう一つは、連歌が発達して行く過程で「かな」以外にさまざまな切字が発明されていった。「けり」「らん」など後世では一八種類もあるとされるようになるが、その中に「や」と言う助詞が含まれるようになった。芭蕉の時代になると、「や」を使った名句が輩出するのだが、困ったことに「や」は前句の文末を切断するだけでなく、一句の中におかれて、句を切断することになる(「古池や蛙飛び込む水の音」)。二句一章構造の発見となるのであるが、以来、「や」の機能は今もって定説がないという状況にあるのである。
 もっとも「切字」については、川本皓嗣や藤原まり子などの精緻な研究がなされているが、彼らは「切れ」については余り言及していない。

論争真っ只中
 「切字」や「切れ」が研究者や好事家の論争にとどまっているならば「俳壇観測」で取り上げる必要はないが、実は「切れ」を俳句の制作に当り必須とする長谷川櫂や復本一郎がいるために、高山れおな、仁平勝による「切れ」批判が現在行われているのである。一見あまり実益ある問題ではないようにも見えるが、長谷川や復本によれば、切れのある句は、切れのない句よりすぐれていると見ているようである。とりわけ、復本は切れのない句は川柳であると言うのである(『俳句と川柳』一九九九年講談社現代新書)。ここまで行くと、現代俳句の優劣、評価問題となるから深刻な問題となる。特に川柳作家は復本の発言に差別を感じているようでもある【注】。
 川柳問題は別としても、「切れ」は大きな問題となる可能性を孕んでいた。「俳句」十月号では「切れ」賛成の「大特集・名句の「切れ」に学ぶ作句法」(総論執筆山西雅子)が組まれたが、「切れ」批判の「豈」六二号が特集を組んだ。後者では、従来の本格的な切字論の論客が登場したからその結論を述べておこう。
川本皓嗣=提案をいくつかあげる。①芭蕉が愛用した古い切字を復活して表現的・リズム的効果を生かす。②二段切れ三段切れも切字に考えてよい。③季語同様、続々と新しい切字を案出したらよい。④切字のない句も多く作る。
仁平勝=①自分の切れが必要という考えは変わりつつある。自分は今、虚子のような切れのない「平句体」にはまっている。②古い切字も、切れを生むための修辞でなく異化効果を狙うものと考えている。
 私自身は、切字は「文体」の一種であり、今後は切字や切れよりも、新しい「文体」を創出することが大事と考えている。ちなみに、近代俳句において最も挑戦的な表現者であった河東碧梧桐は、『八年間』と言う期間限定句集で、当初虚子以上に「かな」を使用したが、急速に「かな」が減少し「けり」が増加し、やがて切字は一切用いず、最後は口語表現に変わっていった。詠む内容に応じて文体変化が連動したのである。
(以下略)

※詳しくは「俳句四季」12月号をお読み下さい。

【連載】寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉔  のどか 

第3章 戦後70年を経ての抑留俳句

Ⅵ 百瀬石涛子(せきとうし)さんの場合(4)
【百瀬石涛子著『俘虜語り』を読む】‐その2

*は、インタビューをもとにした、筆者文。

2 蛇の眼窩・夏のペチカ
  存念の蛇の眼窩の深みどり(蛇の眼窩)
*章のタイトルとなっているこの句を読んで、はっとした。存念の蛇の眼窩とは、ただ普通に死んだ蛇の骸を見ているのではなく、死んで暫く経ち干からびた状態をみているのだ。眼窩とは、眼を収める窪みのことであるが、この句では、生気を失った眼と痩せて窪んだ眼窩を含めたものと感じた。石涛子さんの眼にはかつて帰還を待たず、栄養失調や感染症や寒さで先に逝った、戦友の落ち窪んだ眼窩ややつれた頬骨に重なるのである。

  吾亦紅むかし門閥言はれけり(蛇の眼窩)
*帰国後国鉄に就職し電車のバッテリーを保全する仕事をした。当時労働調整と言った赤狩り(レッドパージ)により、シベリア帰りを首にした。石涛子さんもシベリア帰りということで、25歳で首になった。この出来事は、本当に悔しかったと石涛子さんは語った。
 お国のためにいつも誠実に懸命に生きてきたのに、シベリア帰りであるということで、レッドパージの対象となり、国鉄を辞めざるをえなかった。吾亦紅の赤がレッドパージを象徴し、風に吹かれるのを見るたびに世間の無常を感じるのである。

  捕虜収容所(ラーゲリ)の歳月はるか鳥渡る(蛇の眼窩)
*今年もシベリアから鳥の渡る季節になった、歳月は過ぎれども捕虜収容所で過ごした日々は忘れない。

  鳥渡るシベリアにわれ死なざりし(夏のペチカ)
*鳥の渡ってくる、北の空を眺めるたびに、シベリアから生きて還ったことを思い、「われ死なざりし」の気持ちの中には、過酷な抑留生活のなかで生き残ってしまったという、罪悪感が秘められている。

3 ナホトカ・夏のペチカ・寒極光
  抑留の一歩となりし氷河渡河(寒極光)
*インタビューから、1945(昭和20)年8月、満州昌図、現在の中華人民共和国遼寧省で終戦を知らされ、武装解除を受けた。終戦の知らせを受け武装解除の準備をして、ソ連軍の来るのを待ったが、いつ頃ソ連軍が来たのかは覚えていないと言う。
 ソ連軍が来て私物接収をされソ連国境を流れる川が凍るのを待って、松花江・黒竜江を橇でソ連に渡った。未凍結の河に足を滑らせ死んで行った日本兵の死体を幾体も見ながら。中にはその遺体から衣類を剥ぐものもいた。まさに三途の川の辺に居る奪衣婆(だつえば)である。その時は、戦争が終わったのだから日本に帰れると思っていた。帰還(ダモイ)の言葉を信じていたのだ。

  収容所(ラーゲリ)の私物接収霏々と雪(寒極光)
*収容所では、71連発できる銃を持つソ連兵に腕時計などの私物を奪われた。バイカル湖は凍りつき、雪は霏々と降り続くのである。

  バイカルの凍湖さ走る雲の形(寒極光)
*十月に入るとロシア各地は、氷点下10度を下回り、バイカル湖も凍結し始め本格的な冬の到来である。空を行く雲も厚く次第に雪雲に変わる。

  伐採のノルマ完了眉氷る(寒極光)
*石涛子さんは、ウラノデ収容所で主に伐採の仕事をしたという。伐採の仕事は大地が凍結し材木の移動が容易になる冬に行われることが、多かったと言う。マイナス四十度のシベリアでは、水分すべてが凍り付く。ノルマが完了するころには、自分の吐く息に眉毛も凍り付いてしまうのである。

  寒林を伐採の俘虜声忘れ(寒極光)
*朝の点呼が終わると伐採の作業地まで、2~3キロメートルを徒歩で向かう、1日のノルマが終わるまでは、作業は終わらない。2人1組で切り倒した木の枝を払い、一本が何百キロもある木を何トンも運び台車に乗せる。作業が終わるころには誰も口を利くものは居なくなる。

  伐採のノルマの難き白夜の地(寒極光)
*ソ連はあらゆる作業にそれぞれのノルマを課した。基準をこなせば決められた量の食糧が支給され達成出来なければ、食料は減らされた。美しい白夜の日で有っても、ノルマが達成しなければ仕事は続く。終戦を迎えた年は20歳で、ロシア語を必死で覚えた。言葉を覚え現場監督と仲良くすることも仕事の一つだと考えた。スプラスカという成績表の点数を上げてもらうために。他の班が50点のところを常に75点の評価を貰い、羨ましがられた。与えられたノルマの成果が上がるように、常に心を砕いた。

  ノルマ果つ軍褌虱汗まみれ(寒極光)
*ノルマが終れば、褌ばかりか虱まで汗まみれだというのである。収容所に帰ってまずすることは虱とり。虱は、寒さで死ぬことは無く洋服の縫い目にびっしりと食い込み、白樺の木でこそげ捕るほどであった。

  捕り棄つる虱凍雪には死なず(寒極光)
*虱は発疹チフスを媒介する。衣類の縫い目に潜み、血を吸われると猛烈な痒みに襲われる。虱はマイナス40度を超える凍てた雪の上でも死ぬことはない。

  ペーチカに虱ぱらぱら焼き殺す(寒極光)
*虱は、ペチカで焼いても間に合わないくらいだったと。かゆみも眠りを妨げ精神的な消耗を増す原因にもなった。

  木の根開く異国の丘の生き競らべ(寒極光)
*「木の根開く」は、春になって立ち木の周りの雪がいち早く空き始める、雪国の春を告げる現象で、木の周りに土がのぞくと春が足早にやって来ることをいう、シベリアの地では、「木の根開く」季節がひとしお待たれたのである。
  収容所(ラーゲリ)での話は、もっぱら故郷の郷土料理や母の手料理の事で有った。そして、木の根の開く季節は、飢えをしのいで生き延びるため、腹をわずかながら満たせる季節となる。異国の丘で明日をも知れぬ自分の寿命との生き競らべである。
(つづく)
句集『俘虜語り』百瀬石涛子著 花神社 平成29年4月20日

2019年11月8日金曜日

第125号

※次回更新 11/29

 【速報!】第5回攝津幸彦記念賞応募選考結果
 ※受賞作品は「豈」62号に掲載

 【第2弾!】怒涛の切れ特集!
 【紹介】週刊俳句第650号 2019年10月6日 特集『切字と切れ』
 【緊急発言】切れ論補足(1)――週刊俳句第10月6日号 特集『切字と切れ』座談会に寄せて
 【緊急発言】切れ論補足(2)――週刊俳句第10月6日号 特集『切字と切れ』座談会に寄せて ※11/8追加

■平成俳句帖(毎金曜日更新)  》読む

令和夏興帖
第一(11/8)飯田冬眞

令和秋興帖
第一(11/8)大井恒行

令和花鳥篇
第一(8/23)神谷 波・曾根 毅・松下カロ
第二(8/30)杉山久子・渕上信子・夏木久
第三(9/6)小林かんな・早瀬恵子・木村オサム
第四(9/13)浅沼 璞・小野裕三・真矢ひろみ
第五(9/20)林雅樹・渡邉美保・家登みろく
第六(9/27)小沢麻結・井口時男・岸本尚毅・仙田洋子
第七(10/4)飯田冬眞・ふけとしこ・加藤知子・前北かおる
第八(10/11)山本敏倖・堀本吟・仲寒蟬・下坂速穂
第九(10/18)岬光世・依光正樹・依光陽子・辻村麻乃
第十(10/25)水岩瞳・菊池洋勝・内橋可奈子・高橋美弥子・川嶋健佑
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寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉓ のどか  》読む

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筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。

【緊急発言】切れ論補足(2)――週刊俳句第10月6日号 特集『切字と切れ』座談会に寄せて 11.7 筑紫磐井

基底部と干渉部
 川本皓嗣氏の切字論は、『俳諧の詩学』によってはじめて切字論が登場することになる。もちろん、共著の『芭蕉解体新書』(1997)におさめた「切字論」、『俳句教養講座第2巻〈俳句の詩学・美学〉』の「切字の詩学」に既に言及されているが、川本氏が初めて俳句を論じた単行本の『日本詩歌の伝統』には切字論も切れ論も含まれていなかった。ただ私はどうした錯覚か、『日本詩歌の伝統』に含まれていたように思っていた。その理由は、この著書のかなりの部分が「基底部と干渉部」を論じていたからである。
内容の定義は後から考えることにして、具体的な例句で見れば、

山里は万歳遅し梅の花

の「山里は万歳遅し」が基底部、「梅の花」が干渉部となるのである。そしてこの本のあと、復本一郎氏の「首部と飛躍切部」を知った。「首部と飛躍切部」では首部と飛躍切部の間に切れが存在すると主張されるのであるから、基底部と干渉部も同じ効果をもち、切れを主張しているのだろうと思っていた。
 しかしこの二つの説の違いはいまいちわからなかった。折角だから座談会での高山れおなの発言を引用すれば、「誇張や矛盾で和歌的な美学を異化するのが基底部、それに読み取りの方向を与えるのが干渉部」ということになり、復本氏の首部と飛躍切部のように切れを前提しているわけではないことになる。川本氏は、俳句、特に芭蕉の句の構造を分析しているのであって、切れが発生するかどうかはまだ言及されていない。
 高山れおなは、芭蕉以後には基底部と干渉部の構造が当てはまるものは多くなく、特に現代俳句ではそれが主調となっていると言う。
 しかし面白いのは、もしそうだとすれば、芭蕉の句と現代俳句、我々の読む俳句のどこが異なるかを基底部と干渉部を使って説明できるのではないかと思われることである。発句と平句よりは、あるいは切れの有無よりは芭蕉との差異が浮かび上がりそうなのである。
 川本氏の原文に戻って眺めてみよう。

 「俳句の興味の中心を占めるのは、強力な文体特徴で読み手を引きっけながら、それだけでは全体の意義への方向づけをもたない(あるいはその手がかりがあいまいな)「ひとへ」の部分、行きっぱなしの語句である。これを「基底部」と呼ぼう。一方、さきの句の「梅の花」のように、その基底部に働きかけて、ともどもに一句の意義を力向づけ、示唆する部分を、「干渉部」と呼ぶことにしよう。」(『日本詩歌の伝統』)

 こうした理解に立つと基底部は次の(〈〉)ようになる。

〈白露もこぼさぬ〉萩のうねりかな
〈草の戸もすみ替る代ぞ〉雛の家
秋風や〈藪も畠も不破の関〉
行く春や〈鳥啼き魚の目は泪〉


 基底部と干渉部は切字と必ずしも不即不離となるわけではない。むしろ、切字と切り離された当今の切れ論に論拠を与えるように思われる。しかし眺めてもわかるように、これは芭蕉のような強烈な基底部を持つが故の特異な例と思われる。だからこの場合、干渉部はあまり表現の特異さを持っているわけではない。
 もちろんすべての俳句がこうした例が成り立つわけではない。座談会で、

鎌倉右大臣実朝の忌なりけり 迷堂

のような例を挙げたわけであるが、切れの始末に困る事では切れ説も同様である。
 何を言いたいかといえば、切れなどと言う言葉を用いずとも、基底部と干渉部といった方がはるかに切れ論者の言いたい気分が伝わるのではないかということである(もちろん気分であって、切れ論者の論理は「基底部と干渉部」説に比べてはるかに非論理的である)。
 川本氏の基底部と干渉部を復本氏の首部と飛躍切部に言い換えても良いであろうが、それは芭蕉の俳句の構造分析であって、現代俳句にそのまま通用するものではないだろうと言うことである。あらゆる俳句に切れを探る徒労を重ねるよりは(切れが見つかったからと言ってそれが特段の意味を持たないのなら何のための探索かわからない)、基底部の文体の特徴を探ってみることの方が生産的であるように思う。
 ところで川本氏は言う、

 「俳句のリアリズムは小説のそれと比べても、はるかに表現の斬新さ、「耳新しさ」に依存する度合いが大きい」

 これは現在の伝統俳句には耳の痛いことであろう。表現の斬新さ、「耳新しさ」に耳をふさいでいたのが伝統俳句だからである。これが成り立つのは芭蕉と金子兜太ぐらいしかいないのではなかろうか。

【麻乃第2句集『るん』を読みたい 】番外 『るん』を読む会

(書き広告が少し読みにくいので掲載します。辻村麻乃さんは、故岡田志乃主宰「篠」の新主宰となられました)

辻村麻乃句集『るん』を本人が朗読し、俳句を好きな人と繋げる。
     そこにはるんの風が吹く。
『プールの底』から現在に至るまでの俳句感について、両親との関係やハードロックについてのエピソードも含めて紐解く。

11月16日(土)17時から18時40分
場所 六本木7-18-13 金子第一ビル二階 六本木フラット
           六本木二番出口から二分
会費 千円〈お茶とお菓子つき〉
ゲスト 林誠司(『るん』版元 俳句アトラス社長)
連絡先 辻村麻乃   rockrabbit36@gmail.com



句集歌集逍遙 今泉康弘『人それを俳句と呼ぶ—新興俳句から高柳重信へ—』/佐藤りえ

「人それを俳句と呼ぶ」は今泉康弘のはじめての評論集である。視覚芸術と俳句との関係を論じた文章を中心に、新興俳句をさまざまな角度から検討する著書となっている。
各章で中心的に扱われる俳人、対比される事象は異なるものの、読んでいくと各章が相互に関連し、響き合うことがわかってくる。

「青い街」は松本竣介の絵画作品と渡邊白泉の俳句に共通する「街」概念の変遷を見ながら、「客観写生」の理念からは否定された、美術鑑賞という近代的行為から俳句を詠むことにスポットを当て、さらに社会批評を詠み込む点において、美術と俳句の状況、表出する表現の差異を調べた。

「地獄絵の賦」では前記の美術鑑賞とは違い、宗教と地域性によってもたらされる「地獄絵」の経験がいかなる影響を与えたか、俳人のみならず斎藤茂吉、寺山修司、太宰治らを挙げ、表現の源泉をさぐった。ここで斎藤茂吉の「実相観入」が話題に登る。本書の随所にあらわれる虚子の「写生」との違いが露わになり、子規を慕った茂吉と虚子との論のねじれが感じられる。

「月下の伯爵」では高柳重信の句集『伯爵領』へのリラダンの影響を丁寧に検証した。『伯爵領』はリラダン「未来のイヴ」を明確に引用し、句集を一冊の架空の空間として構成している。こうした手法は文学としては極めてオーソドックスな手法と思われるものの、俳句としては異端であることがあらためて提示されている。古典を参照し変奏する、そうしたことを捨て、自分の眼前をのみ見よ、とした子規の短歌革新運動、写生の提唱とは真逆の価値観である。

本書の最もヘヴィーな章、「『密告』前後譚」では『密告』刊行から西東三鬼の名誉回復裁判までの各人の動静が時系列にまとめられている。この章は特に今日現在、一読に値すると思う。表現規制、検閲、統制といったものは、対岸の火事でも絵空事でもない。

こうして読み進めていくにつれ、前章のことが想起されたり、ほかのページのことが思い出されるように一冊が有機的に作用するのは、ひとえに著者・今泉の透徹した俳句観によるものである。

同時代の表現は本来相互に影響し作用しあうものであり、こうした視点から俳句を見つめ直すことはむしろ当たり前なのではないか、と筆者は思うものである。このような本、論がこれからも書き継がれ、広く読み継がれていくことを願ってやまない。

(沖積舎)2019年10月10日刊

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉓ のどか 

第3章 戦後70年を経ての抑留俳句
Ⅵ 百瀬石涛子(せきとうし)さんの場合(3)


【百瀬石涛子著『俘虜語り』を読む】‐その1
  シベリア抑留体験者の口は重いという。シベリア帰還者に向けられた「レッドパージ(連合国軍占領下、公務員や民間企業において日本共産党員とその支持者を解雇した赤狩り)によるばかりではなく、その体験があまりにも重く思い出すにつけ、苦しかった記憶の糸が解かれることにより、何度も追体験をしてその記憶にさいなまれるPTSDの状態になるからだ。
 PTSD(心的外傷後ストレス障害)とは、戦争・地震・津波・火災・交通事故などを経験したり、テロ・強盗殺人・レイプなどの犠牲者になるといったことをきっかけとして発症する。症状としては、悪夢やフラッシュバックによって外傷的出来事を再体験する。②外傷的出来事と関連した刺激を持続的に回避しようとするか反応性の鈍麻を示す、さらには感情が委縮し極度のうつ状態をきたしたり未来に対して展望をもつことができなくなる。③睡眠障害、易怒性、集中困難、過度の警戒心・驚愕反応・生理的反応など、覚醒の持続的な亢進を示す特徴が認められる。の3つの症状が中心となる(『心理学辞典』:有斐閣P.451)

 帰還後の石涛子さんに於いても例外ではなく、常に記憶はよみがえり気候の厳しい信州の冬を迎え、春を迎えるたびにその思いが、迫ってきたのだと察する。
八十歳を過ぎてようやく抑留体験は、俳句として結晶し姿を現し始めたという。石涛子さんは、令和元年で94歳となられる。
 ここでは、『俘虜語り』の中から、シベリア抑留体験に私たちを導く句を選び出して、読み進めて行きたいと思う。
*は、インタビューをもとにした、筆者文。

1 全裸の立木から                      
 『俘虜語り』では、作者の生きている今ここの出来事から、徐々に記憶が交錯するように呼び起こされ、再び今ここを生きる作者の句に帰って来るのである。

   虎杖の身丈を超ゆる子捨て谷(全裸の立木)
*虎杖(いたどり)は、スカンポのことである。筆者も子どもの頃には、スカンポをかじりながら学校から帰った思い出があるが、日本が貧しかった時代には、虎杖も食料とされた。人の身丈を超える虎杖の生い茂る谷には、子捨て伝説があるのだという。しかし、多感な年頃の石涛子さんは「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」という諺を「子捨て谷」に重ね、戦争に志願して行くことで、子供時代の悲しい記憶を消すように自分に大きな試練を課そうとしたのである。

  子を間引くつたえありとよ燕去(い)ぬ(全裸の立木)
*1941(昭和16)年、人口政策確立要綱が閣議決定(『人口政策確立要綱の決定』 国立社会保障・人口問題研究所 1941~2年)され、産めよ殖やせよのスローガンのもと兵力・労働力の増強をめざし、多産家庭に対しては物資の優先配布や表彰が有ったという。物の無い苦しい時代、今のように当たり前に家族計画の知識があり、簡単に避妊ができた訳では無いのだ。つぎつぎと妊娠してしまう。石涛子さんの世代は、7~8人兄弟は当たり前。育てられなければ、生まれてきたばかりの子を殺す、妊婦が高いところから飛び降りることや冷たい川に浸かって子を堕胎する方法しかなかった。日本の各地に口減らしのための子捨て・子殺しは、潜在したのだ。

  少年の裸形眩しく蓮ひらく(全裸の立木)

 *17歳の石涛子さんは、日本軍の少年通信兵としての教育を受けたが、通常よりも半年早く、1943(昭和18)年に任地に赴いた。少年の裸形眩しくは、少年の日の石涛子さんであり、蓮ひらくは「お国のため身をささげる」という大志であり決意で有った。

  犬の死やぬくもりのこる草虱(全裸の立木)
*元気に野山を駆け回っていた、愛犬の突然の死。屍にはまだぬくもりが残り、草虱をつけている。死はいつも生の隣り合わせにあり、突然にやってくる。それは人間においても普遍の原理なのである。そして犬の死により、深い記憶の糸が解かれていく。

  飢ゑし日へ記憶つながる青胡桃(全裸の立木)
*青胡桃の実るころはシベリアの夏に記憶がつながっていくのである、抑留生活で飢えた兵士たちは、新緑の季節には草を摘み、木の根を掘り枯れた茸や木の根に住む虫をさがして食いつないだ。青胡桃の季節には、シベリアの飢えた日々に思いを馳せるのである。

  冬銀河いつも虜囚の夢をみて(全裸の立木)
*空気の澄んだ信州では、冬銀河が一層冴えて美くしい。しかし、冬を迎えるたびに思い出すのは、極寒のシベリアの事であり、夢に浮かんでくるのは、虜囚として過ごした過酷な日々の思い出なのである。

  暮れ方を風の重さの菜を間引く(全裸の立木)
*帰還後の暮らしでは、本業の傍らに農業をしたのかも知れない、あるいは勤めを辞めてから農業をしたのかもしれない。シベリア抑留を思い出すまい、語るまいと黙々と手を動かす。信州を吹く颪は、間引き菜にもその存在の重さを感じさせるのである。

  身に入むや眠り恐れし虜囚の地(全裸の立木)
*寒さが身に沁みる季節になると思い出す、眠ることに死の恐怖を感じたあの頃を。シベリアに抑留された1945(昭和20)年から1946(昭和21)年の冬に、重労働と酷寒と飢えによる栄養失調、虱などの不衛生による発疹チフスで、五万人近くの抑留者が死亡したという。食事をしている途中にも、眠っている間にも仲間が静に息を引き取っていく。眠気に襲われる瞬間は、死の恐怖を伴う。寒さが体に沁みる季節になると、あの死の恐怖が戻ってくる。   (つづく)

参考文献:句集『俘虜語り』百瀬石涛子著 花神社 平成29年4月20日
『人口政策確立要綱の決定』 国立社会保障・人口問題研究所 1941~2年 国立国会図書館ホームから

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令和花鳥篇
第一(8/23)神谷 波・曾根 毅・松下カロ
第二(8/30)杉山久子・渕上信子・夏木久
第三(9/6)小林かんな・早瀬恵子・木村オサム
第四(9/13)浅沼 璞・小野裕三・真矢ひろみ
第五(9/20)林雅樹・渡邉美保・家登みろく
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筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。

【抜粋】〈俳句四季11月号〉俳壇観測202 戦後の風景を思いだしてみる ――秋野弘を誰が覚えているか  筑紫磐井

(前略)
昭和二十二年に馬酔木新人会が秋桜子の肝いりで発足し、わずか二~三年の間に多くの新人が登場したのだ。新人は登場すべき時に集中的に登場する。

ぬばたまの黒飴さはに良寛忌  能村登四郎
弥生尽追ひ着せられて羽織るもの
老残のことつたはらず業平忌
曇りゐてさだかならねど日脚のぶ 藤田湘子
茶摘唄ひたすらなれや摘みゐつつ
秋風の路地や哀歓ひしめける
しら玉の飯に酢をうつ春祭    水谷晴光
遠蛙愁ひはやがてあきらめに   林 翔
門掃きて雷の来ぬ日の夕ながき 馬場移公子


私は以前、能村登四郎、藤田湘子を調べるために、この時期の新人たちの作品を詳細に研究したことがある。若い世代の情熱が迸っているようで好ましいが、今になってみると印象に残っているのは、その後名をなしたこれらの作家たちではなかった。

片蔭をいでてひとりの影生まる  22年
光りつつ冬の笹原起伏あり    23年
ひさびさに来れば銀座の時雨る日 
風荒れて春めくといふなにもなし 
蝶の息づきわれの息づき麦うるる 
青芝にわが子を愛すはばからず 
七月のかなかななけり雑司ヶ谷 
椎にほひ病むともなくてうすき胸  24年
見えねども片蔭をゆくわれの翳 
夏ふかししづかな家を出でぬ日は
雪つもらむ誰もしづかにいそぎゐつ 25年


 ここにあげたのは秋野弘という作家の作品だ。先にあげた新人たちの作品は今になってみると言葉が先走って、当時の若い人たちの心情が本当は充分伝わっていないことに気付く。しかし秋野の句は、私でも辛うじて記憶にある、昭和二十年代の風景や心情に、ぴったりと寄り添った詠み方となっているように思う。孤愁の影が漂うのだ。
(中略)
 秋野弘は戦前から句作していたようだが、戦後発足した馬酔木新人会では藤田湘子と並んでリーダーとなり、話題を呼ぶ句を多く作っていた。当時の馬酔木は昔の風景句から主観的・心象的人事句に移っており、秋桜子さえそうした傾向に染まっていたのである(実際この時期、秋桜子も「寒苺我にいくばくの齢のこる」などと詠んでいた)。
一方、韻律に厳しい波郷が二十三年に馬酔木に復帰しているが、新人たちは波郷の句に関心を持っていたものの、波郷復帰以前にすでに馬酔木新人会の文体は確立していたようである。だから当時の新人たちが口々に賞賛するのは次のような句であった。

風荒れて春めくといふなにもなし 秋野弘
春愁のむしろちまたの人群に  岡野由次


しかし秋野弘は昭和二十五年五月をもって馬酔木への投句を廃止している。まだ馬酔木は年刊句集を出していなかったから何の記録もなく、秋野の生年も、出身も、句歴も詳細は分からない。三菱の俳句会に入っていたと言われているから、三菱系の会社員であったのだろう。当時親しかった人達もみななくなり、また秋野のことを記録に残そうとした人もいなかったから、秋野に関して分かることは、もはや馬酔木誌上に残った俳句だけと言うことになる。
ではなぜ秋野は馬酔木を止めたのだろうか。当時の句を見ると患っていたらしくも思われるが、競い合った湘子、登四郎たちが二十四年末を以て一足先に新人賞を受賞し、自選同人に昇格していることにも原因があるかも知れない。とかく新人たちは、そうしたことに神経質となるからだ。
以後秋野弘の名は二度と馬酔木で見ることはなくなる。いや、俳句界でも見ることもなくなった。彗星のように現れ、彗星のように消え去ったというべきだろう。ことによったら、後世、湘子や登四郎を凌ぐ俳人となっていたかも知れない。新人の扱いは、主宰者たるもの注意してほしいものだ。
(以下略)

※詳しくは「俳句四季」11月号をお読み下さい。

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉒  のどか

第3章 戦後70年を経ての抑留俳句
Ⅵ 百瀬石涛子(せきとうし)さんの場合(1)
【シベリア抑留体験(2018・5・2取材)】その2


 1945(昭和20)年、終戦の時は20歳だった。抑留生活でも作業班長の役目は継続された。ロシア語を覚えてロシアの現場監督と仲良くなるのも大切な仕事であった。スプラスカという成績表の点数の評価を上げてもらうために、酒や女のことで話を合わせた。自分の班は常に75点の評価を貰い、他の班長から羨ましがられた。ほかの班は皆50点位で有ったから。
 ノルマの作業が終わると虱とりをした。服の縫い目にびっしり詰まっているので、木の棒でこそいでつぶしたが、それでもすぐについてくるから、取っても無駄だった。
皆、栄養失調になった。食物は横流しされたので、常にみんな飢えていた。黒パンの分配では、白樺の秤を作って切るのだが、パンを切るときには棚になったベッドの上からの皆の眼差しが痛く感じた。
 春には、仕事中に木の根を掘って、茸を集めて食べた。
 その時の軍医さんは長野県の大町の出身で、毒の食べ物の情報を知らせてくれた。しかしその軍医さんも医務室に駆り出されて、凍傷になった人の切断の仕事に就いた。
 作業は、38度以上の熱があると休めたが皆、体温計をペチカで温めるから壊して、すぐにばれてしまった。
 トイレは、深さ2メートル以上掘り細い丸太を4~5本渡した物である。冬には用を足すところから凍り、それがだんだん積もって鍾乳石のようになるので、便所当番が壊してモッコを使って運ぶのだが、しぶきが服に着きペチカで蒸されてとても臭くなった。
 赤化教育の中で成績が良いと早く帰還できるという思い込みもあり、それによる妬みから密告が日常化していった。日本人同士の噂話は、最も警戒するところとなった。
 1947(昭和22)年頃から病人が日本へ帰還した。1948(昭和23)年からは健康な人も帰還できるようになった。1948(昭和23)年ごろ帰還の時が来た。日本に帰ったらダモイ指導者になると言われもしたが、乗船前に医務室の仕事を手伝うことになった。医務室には栄養失調でやせ衰えた人や浮腫んで顔がぱんぱんになった人の介護を手伝うことになったため他の人と一緒に帰ることが出来ず、一船遅れることになってしまった。
 帰還船の中で靴を片方盗まれてしまって困っていると、船長が船倉に保管されている靴の山に連れて行ってくれた。それは、船には乗れたが船の中で死んだ人たちの靴であった。船長の話では、船の上での仲間割れで日本海に投げ込まれた人の物も混じっていたという。
 1948(昭和23)年、8月興安丸で舞鶴港に着く。興安丸へ港から艀が迎えに来た。桟橋はゆらゆら揺れていた。舞鶴の援護局において、米軍の日系二世の兵士から、赤化教育を受けていることや戦争中の職名について調べられた。人によっては、東京で再調査を受ける人もいた。
 日本に帰ったらシベリアの事は、話してはならないと思っていた。
 帰国後、国鉄に就職し電車のバッテリーを保全する仕事をした。
しかし、当時労働調整と言った赤狩り(レッドパージ)により、シベリア帰りは首にされることが多く、石涛子さんも25歳で首になった。この出来事は、本当に悔しかったという。
 その時養母は、友人が運送会社を経営していると言い、そこへの再就職を勧めてくれた。
石涛子さんは養母について、とても人柄がよく尊敬していると話された。
トラックの運転免許を取るのは、戦地で車の運転をしてきたので問題は無かった。
 常に自分のことは、しゃべらないようにしてきたのだが、そこでも人の噂になったのか、労働組合を作らなければならないので、組合長をやって欲しいと頼まれてしまった。
 松本電鉄社長が、タクシーもするということでここでも昔のことを調べられていて、組合長をした。
 1960(昭和35)年、安保の時代。社会党系の組合だったので、デモ参加者の送迎をした。仕事が終わり、人数割り当ての指示があるとデモ参加者を乗せて東京に向かった。
 1960(昭和35)年6月15日、樺美智子さんが亡くなった時も、同年6月19日、岸伸介総理大臣が国会からヘリコプターで脱出した日も送迎のためにデモの会場に居た。子育てをしたこの時代は、シベリア抑留時代と同じように苦しかった。
 帰還後も石頭子の名前で俳句を続けてきたが、友人である中島畦雨さんの俳句会が浅間温泉で句会をした時に、相撲俳句で1等になった。この時に周囲から俳号を変えてはどうかと言われ、石涛子としてはどうかとなった。石涛子は、広辞苑を引くと中国の画人であると話される。
 初めは、「一時間だけだからね。」とおっしゃられていたが、二時間半に渡り、お話を伺い別れ際に、筆者が父のために詠んだ拙い句を読んでいただいた。すると石涛子さんから「この句に力を貰って、またこれからも抑留の俳句を詠もうと思うよ。」というお言葉を頂いた。
 そして、石涛子さんの句集「俘虜語り」にサインをお願いすると、少し照れながら「尚生きむ」の添え書きとサインをして頂いた。
 迎えに来た、娘さんに挨拶をすると同年代ということで、「もう1人、娘ができた。」と言っていただくことができた。
五月の塩尻駅の空は、雨を含み暮れかかっていた。
 (つづく)

2019年10月11日金曜日

第123号

※次回更新 10/25

 【速報!】第5回攝津幸彦記念賞応募選考結果
 ※受賞作品は「豈」62号に掲載

 【第2弾予告!】怒涛の切れ特集!

 【紹介】週刊俳句第650号 2019年10月6日 特集『切字と切れ』
 【緊急発言】切れ論補足(1)――週刊俳句第10月6日号 特集『切字と切れ』座談会に寄せて
 ※10/18 追加

■平成俳句帖(毎金曜日更新)  》読む

令和花鳥篇
第一(8/23)神谷 波・曾根 毅・松下カロ
第二(8/30)杉山久子・渕上信子・夏木久
第三(9/6)小林かんな・早瀬恵子・木村オサム
第四(9/13)浅沼 璞・小野裕三・真矢ひろみ
第五(9/20)林雅樹・渡邉美保・家登みろく
第六(9/27)小沢麻結・井口時男・岸本尚毅・仙田洋子
第七(10/4)飯田冬眞・ふけとしこ・加藤知子・前北かおる
第八(10/11)山本敏倖・堀本吟・仲寒蟬・下坂速穂

■連載

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉑ のどか  》読む

【抜粋】〈俳句四季10月号〉俳壇観測201
昭和の風景を思いだしてみる ――藤原月彦と山内将史を覚えているか
筑紫磐井》読む

【抜粋】〈俳句四季10月号〉
最近の名句集を探る第64回――齋藤慎爾・今泉康弘・野口る理・司会 筑紫磐井
筑紫磐井》読む

麻乃第2句集『るん』を読みたい
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15 「るん」の風/木村リュウジ  》読む

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
6 『櫛買ひに』を読む/山田すずめ 》読む

句集歌集逍遙 木下龍也・岡野大嗣『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』/佐藤りえ  》読む

葉月第1句集『子音』を読みたい 
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佐藤りえ句集『景色』を読みたい 
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7 佐藤りえ句集『景色』/西村麒麟  》読む

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特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」 筑紫磐井編  》読む


「兜太と未来俳句のための研究フォーラム」アルバム

※壇上全体・会場風景写真を追加しました(2018/12/28)

【100号記念】特集『俳句帖五句選』


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5月の執筆者 (渡邉美保

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筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。

【紹介】週刊俳句第650号 2019年10月6日 特集『切字と切れ』

【長大な座談会】「切字・切れ」をめぐる諸々
……筑紫磐井/高山れおな/青木亮人/上田信治(司会)

https://weekly-haiku.blogspot.com/2019/10/62-1.html

【見出し目次】
●ご挨拶
上田信治:この秋は、元号の切替りだったからというわけでもないでしょうが、俳句の世界では「切字/切れ」論が、にわかに盛り上がりました。
 高山れおなさん『切字と切れ』、「新切字論」を含む川本皓嗣さんの『俳諧の詩学』の刊行があり、それらを受けて「豈」62号で特集「現代俳句の古い問題『切字と切れは大問題か』」。
 またそれらとは別に角川「俳句」では恒例の(?)切れ特集を、「大特集 名句の『切れ』に学ぶ作句法」と題して、組んでいます。
 いい機会なので、さまざまな立場から「切字/切れ」論の、論点の洗い出しと交通整理をお願いし、俳句界の「切字/切れ」論の水準を、一気に引き上げよう、なんなら、最終解決を提示しよう、と。合わせて、上掲の文献、それぞれのプロモーションにも努めましょう、と。そういう主旨で、座談会が企画されました。

1.それぞれの「切字/切れ」観
●「切字だって日本語なのですから」(高山)
●「あ、切れの問題、解決してる」(上田)
●「あと100年後ぐらいには注目される」(筑紫)
●「俳諧を主張するものがない時代の現象」(青木)

2.高山れおな『切字と切れ』について
●「平成期のキレキレ論やハウツー的な世界」(青木) 
●「いや蛙は音をたてますよと言われてしまった」(高山)
●「ステキな劇薬だな、と思いました」(青木)
●「中立では全くありません」(高山)
●「秋山って男は知っていますか?」(筑紫)
●「現在書きたいテーマは3つあります」(高山)

3.「豈62号」特集『切字と切れは大問題か』について
●「みなさん「飛ばして」ますよね」(上田)
●「『平句』というのは差別用語ですよね」(筑紫)
●「仁平切れ論は、ここにきて破綻したのでは」(高山)

4.「俳句」2019年10月号「特集 名句の『切れ』に学ぶ作句法」について
●「まあ、注文が入ったらああいう書き方になる」(筑紫)
●「機械的な読み/詠みが軋みをたてる」(青木)

5.いっこうにまとまらないまとめ(仮)
●「これを「田楽構造」と名づけましょう」(筑紫)
●川本「基底部・干渉部」説、復本「首部と飛躍切部」説について 
●昭和二十年代の「天狼」

【緊急発言】切れ論補足(1)――週刊俳句第10月6日号 特集『切字と切れ』座談会に寄せて 筑紫磐井

『新切字論』の登場まで
 「週刊俳句」10月6日号の座談会でかなり色々と話をさせて頂いた気がするが、断片的に語ったため充分意を尽くせなかったところもある。特に、川本皓嗣氏の『俳諧の詩学』は他に比べて最後に手元に届いたものであるために、この座談会では充分言い尽くせていない気がする。この「切れ論補足」では、『俳諧の詩学』を中心に意見を述べてみることとしたい。
    *
 切字は、「かな」「けり」のような上句(発句)を下句(脇句)から切断するための機能を持つとされているが、一部の切字、「や」のようなものは句中にあり、これは切断の効果を果たしていないと言う問題を抱えていた。川本(以下敬称は略させていただく)はこれを『芭蕉解体新書』(1997)におさめた「切字論」で、切字は係り結びの原理によっていわば遠隔操作的にその勢いの及ぶ限界の後で句を切る場合が多いという指摘をすることによって原則論を徹底しようとしたものであった。
 これは目から鱗が落ちる思いのする画期的な切字論であり、ちょうど私が『俳句教養講座第2巻〈俳句の詩学・美学〉』(2009)の編集を担当したところであったので「切字の詩学」の執筆をお願いしたものである。
 しかし、その後、藤原まり子によって、川本の係り結び論は句末の切れのすべてを説明しているわけではないと指摘されて、新たに稿を練り直したものがこの「新切字論」であった。
 『俳諧の詩学』に収められた内容によれば、切字全体が切れをどのように発生させているかを調査すると言う方針に基づき、『菟玖波集』『竹林抄』『新撰菟玖波集』・・・さらに宗因、芭蕉、蕪村、一茶、子規までの作品を分析する事によって結論を導出しようとしている。その結果は、「何であれ句中に一つ切字があれば、句全体が脇句から切れたのだ」と言っている。
 これはしかし議論が逆転しているのではないか、脇句から切るための用語が切字であったのだから、切字が何であるかの定義に逆戻りする恐れがあるように思えた。そこで私の提案を考えてみたのがちょうどこの座談会の時期であったのである。

田楽構造論
 私は、過渡期問題に最も興味がある。と言っても、連歌で、切字が無い時代から切字が生まれた過渡にはあまり興味が無い。それは、せいぜい「かな」がなぜ生まれたかを説明するにとどまるからだ。むしろ、「や」がなぜ生まれたかこそが面白い。ここに現代にまで紛糾の種をまいた「切れ」の胚芽があるからである。「豈」で既に述べたところもあるがあえて繰り返そう。
 連歌の書である専順法眼之詞秘之事では、(助詞=)かな、もかな(もがな)、か、よ、そ(ぞ)、や、(助動詞=)けり、らむ(らん)、す(ず)、つ、ぬ、じ、(形容終止形の語尾=)[青]し、(動詞命令形の語尾=)[尽く]せ、[氷]れ、[散りそ]へ、[吹]け、(疑問の副詞の語尾=)[いか]に、の18種類が切字として挙げられている。しかしそれらが切字となった由来については必ずしも明らかではない。
 そこで、きわめて初期の二条良基『連理秘抄』(一三四九年)と宗砌『密伝抄』(時期不明)とこれを比較してみよう(「週刊俳句」より少し例を多く加えてみた)。当然、後世の専順法眼之詞秘之事よりはこちらの方が少ないが、それだけにとどまらない問題が発見される。

[二条良基・連理秘抄]
 発句は最大事の物なり。・・・かな・けり常の事なり、このほか、なし・けれ・なれ・らん、また常に見ゆ。所詮発句はまづ切るべきなり、切れぬは用ゐるべからず。かな・けり・らんなどやうの字は何としても切るべし。物名・風情は切れぬもあるなり。それはよくよく用心すべし。
[二条良基・撃蒙抄]
 発句の体様々なるべし。哉・けり常は用ゆべし。らん・けれ・つれなど時に又見ゆ、所詮切ってすべきなり。ただの句には変わるべし。かな・けりなどは何としても切るべし。
[宗砌・密伝抄(前段)]
 切てには十三、追而二、已上十五、かな・けり・らむ・や・そ・せむ・けん・し・こそ・れ・ぬ・よ・す・なき。
[宗砌・密伝抄(後段)]
 発句の切れたると申すは、かな・けり・や・ぞ・な・し、何等申すほかに、なにとも申し候はで、五文字にて切れ候ふ発句、―――是は五文字の内にて申す子細候ふ。
[梵灯庵・長短抄]
 発句の切字。かな・けり・そ・か・し・や・ぬ・む(ハネ字)・セイバイノ字・す・よ・は・けれ。

 活用形が混じっているので一概に比較しにくいが、決定的違いは「や」があるかどうかである。極めて独断的に言えば、良基『連理秘抄』と宗砌『密伝抄』等の差は、前者に「や」がなく、後者に「や」がある点である。切字は良基が定義して以降増殖していくのだが、その典型例が「や」なのである。
 ここで私は、何故「や」が切字に入ってしまったかを推理してみた。「かな」に比べて確かに「や」は由緒正しい切字ではなさそうだ。由緒正しい切字とは、誰が見ても切字の定義(上句を下句から切断するための機能)から見て断固譲れないと言う語である。
 ヒントは、『連理秘抄』の「物名・風情は切れぬもあるなり」である。物名・風情は下五の名詞止めの切れだろうが、本来「や」等なくても切れるのである。従って本来「や」はその直下で切るためにあるのではなく、物名・風情の下五の名詞で切れるのを便宜的に保証しようとしたものであろう。私は補助機能であろうと思っている。
 私は今までの議論で色々文法機能が論じられているのが不満であった、当時の歌人は精緻な文法など知らなかったはずだと思う。その点では現代の俳人でも同様だ。それでも短歌・俳句は作れる。
 文法を知らないでどうやって切字を認識していたのか。私はそれこそが「構造」だと思う。「構造」だけは誰が見てすぐ判るのである。
 私のヒントになったのは高山氏から教えられた、田中道雄氏が「F形式(構造といってよいであろう)」[Fは「古池や」]と呼んで、俳句の切字の展開を論じられている点である。

 古池や蛙飛び込む水の音

 この構造が後世の俳諧を支配してゆくと言うのである。ただこれが、良基『連理秘抄』や宗砌『密伝抄』の「や」の論議につながるわけではない。切字「や」の誕生の時は別の構造が主流だったのである。

○『九州問答』(二条良基)
 花雪嵐の上の朝ぐもり 
 波散る潮の満ち干の玉あられ


○『初心求詠集』(宗砌)
 舟けふとる梶の初瀨川
 月峰かけ谷々の夕涼み
 花雲見し面影の龍田山
 月海名もひとしほの水の秋


 これを、名詞3つ(たとえば第1句は、花、雪、朝ぐもり)が串に刺さっている形に似ているので、「田楽構造」と名づけてみた。
 当時F構造だけはまだ切字と認められなかった、これだけは確かである。そうした例がないからである。どうしても、「田楽構造」であることが大事であったのである。この構造を見ると歌人は一様に安心するわけである。それでも、良基一派はこれを発句の体をなしているが切字と認めず、宗砌一派は切字と認めた、いわば東大派対京大派のような学派の争いがあったと思う。とはいえどちらが絶対的に正しく、どちらかが絶対的に誤っているわけではないであろう。この過渡期を経て、徐々に「や」が切字と認められるに至ったのであろう。

 この田楽構造の「や」を文法的にどのような機能があるかを議論し始めたのが、その後の「や」の切字論であると思う。しかし原初、文法の前に先ず構造があったのだ。したがって「や」がどこで切れるかは論外であったのである。
 だから川本論に即していえば、川本の言う「何であれ句中に一つ切字があれば、句全体が脇句から切れたのだ」の「切字」とは、既往のよく知られた「かな」「けり」のような一語だけではなくて、今まで未知の、しかし将来発展するであろう切字候補を含んだ「田楽構造」のような「切字構造」も含まれると理解したいと思う。この「切字構造」が新しい切字を生む。そして、「切字構造」とは、一番最初の「田楽構造」から始まって、次々に進化発展し、やがて「F形式(構造)」と変化してゆく特殊な文体の生み出したものだと思うのである。
 切字が増殖すると言うのは、こうした形式が誕生して行く事によって勢いづいたと言うべきであろう。
(続く)