2019年12月13日金曜日

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉕  のどか

第3章 戦後70年を経ての抑留俳句
Ⅵ 百瀬石涛子(せきとうし)さんの場合(5)
【百瀬石涛子著『俘虜語り』を読む】‐その3

*は、インタビューをもとにした、筆者文。

  黒パンへ寒灯染みる虜囚の地(ナホトカ)
*配給の黒パンを切るには、白樺の木で物差しを作ってあって、それで均等に切り分けたのだが、皆、棚になったベッドから見つめる目に刺されるようであった。

  虜囚われ春禽捉え生き延びし(夏のペチカ)
*捕らわれの身である自分。飢えに苦しみ、春の鳥を捉えて食い生き延びた。

  今日の糧とつこ虫食ひ草を摘み(寒極光)
*春には鳥を捕まえ、とつこ虫(カミキリムシの幼虫)や草を摘み食べることはまさに生きる糧となった。

  蟷螂のまなこ兵士のころの吾 (夏のペチカ)
*あの頃の目は、まるで獲物を狙う、蟷螂の眼そのもので有った。また、自分自身の飢えに突き動かされるように食べられそうな物を探した。

  俘虜飢ゑて自虐のこころけらつつき(寒極光)
*飢えは、一層気力を低下させ、憂鬱や絶望といった自虐的な心にさせた。虫を食べるために草木の根元を掘る姿は、けらつつきに投影されている。

  逝く虜友を羨ましと垂氷齧りをり (寒極光)

*飢えは自分自身の心を苛み抑うつ状態に追い込む、死に逝く友を羨ましいとさえ思い、その一方で垂氷を齧らせる。死を切望しながらも体は、生きようと懸命なのである。

  繰り返し語る帰還(ダモイ)や木の根明く (寒極光)
*。収容所は、シベリアの各地に散らばっており、情報源は時々ある収容所の人員の交代により他のラーゲリの様子を知ることの他は、「日本新聞」のみである。幾つかの野菜のかけらが入った粥(カーシャ)をゆっくり味わった後の雑談はいつも帰還のことになる。毎晩、毎晩同じ話をするうちに、木の根の明く春がまた巡ってくるのである。

  虜囚とはいつも望郷盆近し(寒極光)
*飢えと寒さと強制労働から早く解放されたい、一日も早く帰還を果たしたいという望郷の思いが募る毎日、先祖や親せきか集うお盆も近づいている。夏になれば帰還船が出るのではという期待が「盆近し」の中に込められている。

  収容所の夏はつかの間岳樺 (夏のペチカ)
*ウラン・ウデが暖かくなるのは5月中旬から9月の上旬、9月の中旬以降は、最低気温が氷点下の日が続く。収容所の夏は短い。

  収容所は夏のペチカを奢(おご)りとす(夏のペチカ)
*石涛子さんの居たウラン・ウデ地域は、夏場も5月・9月には3度~5度になることがある。そんな寒い日には、粗朶を燃やして、冷えた体と心を温める。細やかな楽しみなのである。

  遠郭公脱走兵を悼みけり(寒極光)
  脱走の俘虜の末思ふ白夜かな(寒極光)

*収容所は、鉄条網で囲われ四方には監視塔が置かれ、狙撃銃を持ったカマンジール(監視兵)が見張りをしている。脱走が見つかったときには射殺される。発熱のために飲み水が欲しく雪を取りに行く、収容所の近くの雪は取りつくされているので、仕方なく鉄条網に近い場所の雪を取りに行く、あるいは野草を取りに鉄条網に近づき、脱走とみなされると射殺される者もあった。運よく脱走出来ても、冬はマイナス30度にもなる酷寒の地。腹を空かせた狼の群れもいる。脱走が目的でも鉄条網に走るのは、絶望の果ての積極的な自殺ともいえる。遠くリフレインする郭公の声は、脱走者を悼むかのようであり、脱走者を狙撃した銃声の木魂とも聞こえる。誰もが俘虜の苦しみから逃れたく脱走することを思うのだろうが、その行く末を思えば我慢するしかないと自分を慰めたのである。

  渡り鳥羨しと見つめ俘虜の列 (寒極光)
*冬の近づく頃、鴨や白鳥、真鶴などはシベリアの広大な空を自由に飛び、冬には日本に渡ってゆく。作業に出かける前の点呼の列で、作業の合間の給食を待つ列で空を見上げながら、自由に飛べる渡り鳥を羨ましく眺めるのである。

  凍天やウオッカの匂う看視塔 (寒極光)
*ウラン・ウデ地域の冬の降水量は少なく、雨はひと月に1~2日位となる、空も凍てつく青さなのである。監視塔では、カマンジール(監視兵)がウオッカを煽って寒さをしのいでいる。

  深井戸は氷の渓や俘虜の列 (寒極光)
*深井戸とは、硬い岩盤を掘りぬいた井戸のことであるが、水脈を得るために谷底に作られたのだろうか、一日の飲み水を水筒に汲むために、氷った谷底へ俘虜の列が続いている。今の時代には、水道を捻れば水を汲むことができるが、厳しい作業に備えて点呼の前に飲み水を確保しなければならないのは大変な苦労であった。

  凍てし樹皮刻み煙草の日々なりし(寒極光)
*強制労働の対価として、月に一回はマホルカという刻み煙草が支給されたようだが、その量については、定かではない。空腹を紛らわすために、木の皮を刻んで煙草の代わりに吸って口さみしさを紛らわせた日々なのである。

  凍つる日の毛虱検査女医強気 (寒極光)
*収容所での身体検査は、三か月ごと位に有り、主に尻の肉をつまんでその戻り具合で、労働等級を決めるために行われたが、ケジラミの検査も行われたのであろう。人に取り付く虱は、アタマジラミ・コロモジラミ・ケジラミであり、ケジラミは陰毛に寄生するのである。当時ソ連では、ドイツ戦・関東軍との戦いにより多くの兵士を失い、男性が少なかったので、医師は女性が多かった。毛虱検査をする女医も強気にならなければならなかったろうし、裸になって女医の前に整列する側も心凍る思いだったのだ。

  懐郷の虜囚の尿は礫に凍つ (寒極光)
*冬を迎えると故郷への思いは一層つのる。「慮囚の尿は礫に凍つ」については、酷寒の地では小水をしたところから氷っていくのでそれを金槌でたたいて落とすなどという笑い話を筆者は子どもの頃に耳にしたが、実は小水が落ちたところから小石のように凍り付いてゆくのだという。

  冬来るや畚もて糞塊当番 (寒極光)
*冬の到来でのもう一つの悩みは、便所で鍾乳石のように氷り、尻を刺す糞尿である。労働階級三級になると軽作業に廻されるが、便所当番も仕事になる。足掛けの丸太を外し、十字鍬やシャベルで糞尿の鍾乳石を掘り起こし、畚(もっこ)で捨てに行く。凍っている時は良いが、外套についた塗沫がペチカの火で溶けると、臭いが厄介なのである。糞塊当番とは、石涛子さんの独特の表現なのか、当時のラーゲリではそう呼んでいたものか、大変な仕事の中に笑いを誘う表現である。  

  俘虜逝きて白夜の星を眩しめり (寒極光)
*昼間は作業を夜には食事を共にした仲間が死んだ、白夜の頃(夏至前後)、深夜の友の埋葬。黙祷を終え、白夜にかすかに瞬く星を目をほそめて見上げるのである。

  俘虜死すや骨立つ尻の寒からむ(寒極光)
*生活を共にする収容所(ラーゲリ)の仲間の死は、生の隣にある死を暗示する。裸にされた遺体の骨と皮だけの尻に、一層いたいたしく不憫な思いが湧いてくるのである。
(つづく)
句集『俘虜語り』百瀬石涛子著 花神社 平成29年4月20日

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