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2026年1月30日金曜日

*「俳句新空間」告知*

 ●令和8年を迎えて早々、俳句新空間同人の中島進氏(1月16日)と関根かな氏(1月1日)が亡くなられました。

 関根氏は昭和44年生れ、57歳で突然の訃報でした(「豈」最後の作品は68号(2025年11月30日刊))「秋星となり発光す逝きし友」)。

 中島進氏は昨年秋から入院加療中で、その直前は11月の忘年句会への参加も予定されていました(欠席投句:さみしくないか 道真っ直ぐに立つ穂麦)。1月8日は筑紫への電話もあり、不調を訴えられていましたがまだ声は元気でしたので信じられない思いです。同県の同人各務麗史氏が『中島進遺稿句抄』として「豈」「俳句新空間」に発表された句を取りまとめて刊行されています(令和8年2月20日詭激地代社刊・限定非買版。ご希望の方は各務氏へご連絡ください)。

謹んでお二人のお悔やみを申し上げます。


●元俳句新空間同人の竹岡一郎氏(2024年6月21日逝去)の遺句集の準備が生前親しかった加藤知子氏により進められています。

句集名(未定)

全句600句

跋文:関悦史

装幀:高岡修

編集:加藤知子

発行日:2026年6月21日

定価2500円+税、送料込で3000円

予約・問い合わせは

haiku_tanka_we@yahoo.co.jp

加藤まで。


2021年6月11日金曜日

俳句新空間第14号刊行案内

特集 北川美美追悼記

長嶺千晶・神谷波・仲寒蟬・松下カロ・青木百舌鳥・中山奈々・佐藤りえ

「お名前はミミさんとお読みするの?」と私が尋ねると「いいえ、ビビです。」と言われた。「珍しいわね。Vividのビビ?そうか、『受胎告知の羽音微々』のビビか。」と川端茅舎の俳句を持ち出した私に「何でもいいんですが、ビビと呼んでもらえればと思って」と朗らかに笑われた。(中略)そのうち「ウエップ俳句通信」に連載を頼み込んで、三橋敏雄研究を始めたことも知った。いつでも、何にでも、積極的な方だったと思う。時には、三橋敏雄俳句を「赤・白・青」のトリコロールから分析した文章などを見せてくれたりした。その文章内に「草田男は白」の記述があったため、「梅真白は確かにそうだけど、〈赤きもの甘きもの恋ひ枯野ゆく 草田男〉などもあるから、演繹的に括るは危険かもしれないと思う。やはり、サンプルをもっと集めて帰納法で行った方が良くない?」などと言った覚えがある。(「北川美美さんのご逝去を悼み/長嶺千晶」より)

令和二年俳句帖(夏興帖~冬興帖)

前号作品を読む(もてきまり・小野裕三)

新作20句(新春帖)
小野裕三・福田葉子・浜脇不如帰・中島進・渕上信子・辻村麻乃・網野月を・松下カロ・仲寒蟬・夏木久・五島高資・加藤知子・関根誠子・中西夕紀・眞矢ひろみ・岸本尚毅・井口時男・坂間恒子・前北かおる・神谷波・渡邉美保・青木百舌鳥・竹岡一郎・近江文代・中村猛虎・ふけとしこ・なつはづき・もてきまり・田中葉月・中山奈々・筑紫磐井・佐藤りえ


定価500円+税(送料180円)

お申し込みはTwitter DM(@sengohaiku)まで



2019年7月26日金曜日

【広告】俳句新空間11号(7月24日刊)

   目次
特集・令和の一句(44名の44句)
平成三十年戊戌俳句帖・下
   春興帖・秋興帖・冬興帖・歳旦帖
前号作品を読む/もてきまり・小野裕三
新作20句(令和新風帖)
   小目次
 青木百舌鳥・網野月を・乾草川・近江文代
 小沢麻結・加藤知子・神谷波・神山姫余
 岸本尚毅・北川美美・五島高資・坂間恒子
 佐藤りえ・関根誠子・高橋修宏・田中葉月
 筑紫磐井・辻村麻乃・仲寒蟬・中西夕紀
 中村猛虎・夏木久・秦夕美・福田葉子
 ふけとしこ・堀本吟・前北かおる・真矢ひろみ
 もてきまり・渡邉美保

【予告】◆高山れおな 第1評論集(近刊)

     『切字と切れ』

 57年ぶりに登場した総合的切字論である本書は、平安時代の前史から現在にいたる切字・切字説を通覧。「切れ」が俳句の本質でもなければ伝統でもなく、「切字説」というカオスから1970年代に生まれた概念であり、錬金術における「賢者の石」にも似た一種の虚妄であることをあきらかにする。平成中後期俳壇を覆った強迫観念を打破する画期的論考!

主要目次
第一部 切字の歴史
 第一章 切字の誕生
 第二章 芭蕉と切字
 第三章 「や」の進撃と俳諧の完成
 第四章 古池句精読
第二部 切字から切れへ
 第五章 「切字/切れ」の現在
 第六章 切字の近代
 第七章 国語学と切字
 第八章 切れという夢

発売元:邑書林
〒661-0033  兵庫県尼崎市南武庫之荘3-32-1-201
☎ 06-6423-7819
E-mail: younohon@fancy.ocn.ne.jp

2016年9月30日金曜日

【記事抜粋】<「俳句新空間」第6号>「21世紀俳句選集」を編むにあたって   ――「21世紀俳句選集」巻頭言―― 筑紫磐井 



角川書店「俳句」の〈結社の時代〉キャンペーン(平成二年七月~平成六年七月)の終焉後、その後始末のように行われた企画が角川書店の『現代秀句選集』(平成一〇年九月刊)の別冊刊行であった。百歳から二十一歳まで――河合未光から大高翔まで――の五四二人の作家の十句が掲載されている。十句というのは少ないように見えるが、編集後記によれば、許六・去来の『俳諧問答』に「先師(芭蕉)、凡兆に告げて曰く、一世のうち秀逸の句三・五あらん人は、作者なり。十句に及ばん人は名人なり」とある言葉によったものであり、十分な句数であるという。十句を超える名句が一人にあるはずがないという認識であったらしい。この編集には鈴木豊一氏が関与していたと記憶している。

さらにその十年後、『平成秀句選集』(平成一九年六月刊)が出されている。一〇一歳から二三歳まで――沢井我来から神野紗希まで――の五〇六人の作家の十句が掲載されている。人によっては昭和と平成併せて、二十句が掲載されることになり大盤振る舞いと言う批判もあろうが、まとまった名句選という意味は変わりない。

例えば特定の作家ならば、出版社や協会から出されているシリーズで探ることは出来るが、ある時代の名句選というのはなかなか眺めることが難しいに違いない。特に限られた作家ではなくて、その時代全体をうかがう資料はなかなかに得難いものである。ここ以外に時代の名句はないはずだからである(『現代秀句選集』は、初回だけあって、物故作家の名句も収録していたからますますその感じが強い)。

実はこの選集の影響を受けたのが、現代俳句協会の『昭和俳句作品年表(戦前・戦中篇)』(平成二六年九月刊)ではないかと私は思っている。ただ、何と言っても現代俳句からみれば〈戦前・戦中俳句〉は余りにも遠い。現代俳句協会が、この続編として昭和二一年から四五年までの戦後篇を意図しているらしい方に私は関心がある(この直後が、『現代秀句選集』にうまく繋がるはずだからである)。しかし、果たして続編はいつできあがるであろうか。特に、俳句史観の対立するこの時代の作品の整理は、難航が必至であるような気がする。現に、平成二七年時点においても、
  原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ 金子兜太 
  白蓮白シャツ彼我ひるがえり内灘へ  古沢太穂

といった社会性俳句時代を代表する作品に対する協会関係者の評価は完全に二つに割れており、一つの歴史の結果を導くことは極めて難しい状態にあると考えられるのである。協会関係者の虚心坦懐な議論による実りある成果を期待したいと思う。

     *    *

さて偶然にも角川の二つの選集『現代秀句選集』『平成秀句選集』の総論を私が書かせていただいている。その意味ではこの十年ごとの選集は気になる企画であった。年数からすれば、今年そろそろ次の企画があっておかしくないが、余り聞こえてこないようである。結社誌も総合誌も、もはやそうしたエネルギーを撒き散らす時代ではなくなってきたのかも知れない。

 そこで、超結社の作者の集うこの「俳句新空間」で同じ企画を試行してみることとした。21世紀となって既に一六年、平成という元号が今後どのように続くのか分からないが、21世紀という基準で切ってみてもいいだろう。特にこの十五年間で登場してきた作者にはそうしたきっかけが必要であると思う。

 とはいえ、角川書店の五〇〇人近くの壮大な企画に比べて、「俳句新空間」でできるのは三〇人余の小さな企画である。しかし、そうした企画が成り立ちえるのかどうかは、他の雑誌がやらない以上やって非難されるべき筋合いはない。非難する前に、できるものなら非難する者は自らやってみればいいからである。これがとてつもなく難しいことは体験してみてわかるはずである。

題して「21世紀俳句選集」。小さな穴から、21世紀の広大な天空がうかがえれば幸いである。秦夕美から川嶋健佑までの世代を堪能していただきたい。


※詳しくは「俳句新空間」第6号をお読み下さい。







●訂正

「俳句新空間」第6号「春興帖」P30水岩瞳作品を訂正します。


永き日のタカアシガニの一歩か 
      ↓ 
永き日のタカアシガニの一歩かな

※関連 <大井恒行 日々彼是>においても「俳句新空間第6号」の記事あり 》読む

2016年7月8日金曜日

【川名大論争】 アーカイブversion1 まとめ


「問題ある表現史」(ウエップ刊『戦後俳句の探求』より転載)

「八月の記憶」(「俳句新空間」第4号より転載)      
 ①②の記事    》読む 

岡崎万寿「川名大論文への一つの疑問」
(文学の森刊『転換の時代の俳句力』より転載)

③の記事  》読む












2014年5月23日金曜日

【俳句新空間No.1を読む】  『俳句新空間No.1』を読む(転載)/陽美保子


良き人と書いてあるなり鳴雪忌    西村麒麟
(『俳句新空間』No.1)

 鳴雪忌は、内藤鳴雪の忌日で二月二十日。鳴雪の俳句は、〈初冬の竹緑なり詩仙堂〉、〈只頼む湯婆一つの寒さかな〉くらいは知っているが、それほど人口に膾炙しているというわけでもない。子規に俳句を学んだというが、俳句より江戸俳諧の研究の方が知られている。どんな人だったのだろうと調べてみると、「良き人」と書いてある。その単純明快な記述が、いかにも温厚実直な人柄を思わせて好ましい。この言葉を、これまた素直に受け取った作者のお人柄も一句に滲み出ていて、思わず顔がほころぶ。

水鉄砲最新式でありにけり      麒麟

 最新式とはどんな仕掛けのある水鉄砲なのだろうと想像が膨らむ。また、その水鉄砲にやられて、「参った、参った」と言っているお父さんなども想像され、楽しい一句である。まったく説明しないことにより、読者の想像力が刺激され、一句が大きくなる好例だ。

 〈雑に蒔く事の楽しき花の種〉〈鉄斎の春の屏風に住み着かん〉〈いただけるならもう少し冬休〉など自在。

 (以上「泉」5月号より転載)

2014年5月9日金曜日

【俳句新空間No.1を読む】 平成二十六年新春帖を読む / 小澤麻結

寒月光とどくや沼の底の剣 仲寒蝉
寒夜の月光が、濁っている沼でさえ、難なく差し込んで底に沈む剣に当たる。永い眠りについていた剣を目覚めさせるかのように。何かが起こりそうな予感に心が躍る。冴え冴えとした月の光の力を感じる。

駆け落ちの友一月の豪州へ 小林千史
1月の豪州は夏。年末の慌ただしさに紛れて二人は出国したのか。寒く、行事の多い1月の日本からの駆け落ちは、開放感があって、豪快で、日本と逆の季節の豪州がいい。

尾あれば獣か魔物流れ星 網野月を
流れ星はほうき星とも言う。暗い夜空を光の尾を引くように流れる星。あれは、そうか、獣か魔物なんだ。生き物なんだ。そう思うと、星が息づくようで、がぜん夜空を見上げるのが楽しい。

十五歳昼顔の罪まだ知らず もてきまり
季題の、色合いもうすうすとした花びらを広げてひっそりと昼に咲く夏の昼顔は、映画を暗喩し置かれている。15歳の、微妙な、あやうさを表現し得ている。

 
さき烏賊を誰か食ひをる暖房車 中西夕紀
冬の旅の車内の寛いだ感じが伝わる。暖房の効いたあたかな車内に漂う裂き烏賊の匂い。視覚でも聴覚でもなく、嗅覚にしっかりと訴えてくる裂き烏賊。この匂いと一緒に暫く旅は続く。

 
花ぐもりチラと尾ひれは池の主 堀本吟
水面から少しだけ現れた尾ひれ。この特徴のある尾ひれは池の主のあの鯉に違いない。池は花曇りの空同様、澄んではいない。だが、その尾ひれだけで十分判断できる馴染みの池である。

次に寄す波あらはるる磯菜摘 岬 光世
波をやり過ごしながら磯菜を摘む。摘みながら、目の端に波の立ち上がりを捉えている。波が砕けて走り出す前が、一旦避けるタイミングだ。磯の香りとともに波打ち際の様子がよく見えてくる。

ストーブひとつ参詣者休憩所 前北かおる
神社が用意した参詣者休憩所にストーブが1台ある、と言っているだけでありながら、あまり暖かさを感じない、がらんとした広さが見えてくる。エアコンではこの感じはでない。

梅が香の曲線にして吾を通る 堀田季何
梅の馥郁とした甘い香りは、確かにつんと差し込む直線的なものではない。香を嗅いだことを下五のように表現したのは面白い。鼻腔から入って優しく身内を満たす香りを堪能したい。

スケートの顔の迫つてきて止まる 太田うさぎ
スピードに乗って滑って来た知人が至近距離で止まった。中七は作者を認め目指してきたことの描写だ。ぶつからない様に図りつつ、視線をそらさず近づいてきた様を伝えている。

 
体育館四隅にたまる寒さかな  北川美美
確かに体育館は四角いが、四隅はあまり活用されない。走る時も四角くは走らない。対流もなく取り残された寒さが、体育の授業の見学者のように溜まっている感じがする。

秋山之黄葉乎茂迷流 妹乎将求山道不知母
行春尓愛死輝手言手夜礼    夏木 久
柿本人麻呂の亡き妻を思う悲しみが伝わる有名な歌がまずある。掲句は漢字表記のまま視覚で味わうのが良いのかもしれない。「愛してる」が「愛死輝」とは。春秋がこの悲しみを癒すのだろうか。

何時からか走ることなく冬に入る 福田葉子
何時から走らなくなったのだろう。夏の日は夢中で走っていた。無茶な動きはせず、いつかゆっくり歩む休息モードに入っている身体。時は冬。まるで人生みたいだ。

寒椿じゃらんと落ちる鍵の束 羽村美和子
どちらが先だったのだろうか。椿と鍵の束と。鍵束が硬質な音を立てて落ちた時、寒中に咲く紅い椿を認めたのか。椿に気が付いた時に、鍵束を落としてしまったのか。寒椿の静けさが際立つ。


【筆者略歴】

  • 小澤麻結 (おざわ・まゆ)

「知音」同人。句集『雪螢』、共著『超新撰21』。






2014年5月2日金曜日

【俳句新空間No.1を読む】 ブログから紙媒体へ-平成二十五年癸巳俳句帖を読んで- /小澤麻結

好みの珈琲を選んでご覧というような表紙絵が、摂津幸彦氏の手による、という贅沢がまずあるこの冊子ですが、内容のほとんどは既に知っています。平成25年に週刊「BLOG俳句空間-戦後俳句を読む-」に掲載された「歳旦帖」「春興帖」「花鳥篇」「夏興帖」「秋興帖」「冬興帖」と二十四節季題詠句等で、新作は平成二十六年新春帖だからです。

以下に、「歳旦帖」を例にして個人的な印象を述べます。ブログでは、年初の読み応えある句帖であったと記憶しています。お声掛け頂き、私も「俳句帖」6シリーズに参加させて頂きました。

それでは、ずうずうしくもこの冊子に何を期待したかといえば、発表形態が電子データから紙ベースになると印象はどうかという点です。私は筑紫磐井氏の<ブログから紙媒体へ>との試みを面白いと思いました。ブログでは、各「俳句帖」は四~八週にかけて、数名毎に掲載されました。それが冊子では一挙に掲載されます。巻物を広げたように、その季ごとの句が繰り広げられるのを読んだなら、どう感じるかを体験してみたいと思いました。

第一印象は「困惑」でした。冊子では、句の掲載順が到着順からあいうえお順に変更になっているので、最初はそのためかと、思ってみたりしました。ブログでは、各人の句が独立していましたが、ページを埋めるように句が並びます。期待した通り巻物を伸べたようではあるけれど、何というか混沌としていました。ひと通り最後のページまで読み、繰り返し読んでみました。

そして私は自分の固定観念に気付きました。無意識に、多数の句の流れに意味を見出そうとしていました。調和を求めたからこその困惑だったのです。この冊子は系統の異なる俳句を愛する者たちの多様な作品集なのです。混沌が当然だし、むしろそこから生まれる力を味わえばいいのでした。

且つ多種多様な句が行合ながら掲載されることで、全体としてその季らしさを表現し得ることができるのです。読者は、自身に呼びかける歳旦を祝う句を好きに拾うことが可能です。俳句の宇宙のようです。これはこの冊子の楽しみ方の一つだと思います。

紙ベースでは、ページを繰ることは視野が広がってゆくかのように感じます。これは私が紙ベースの方が慣れているからかもしれません。冊子では穏やかに情報が続き、心惹かれる句にはゆっくり立ち止まることができます。

一方ブログの場合は、展開は潜行型に感じます。光として飛び込んでくる情報は、強い印象をもたらしますが疲れます。ブログで、冊子のように各俳句帖を一気に見せられたら、ボリュームを確認した時点で閉じてしまうかもしれません。数名毎の掲載は聡明なご判断なのだったと得心しました。
また、ブログで読んでいた時には、各俳句帖を全体として考えたことはありませんでした。勿論考える必要も感じませんでした。ですが冊子として手にした時、1句1句を一つの季の構成要素として味わいたいと自然に思いました。改めて冊子と電子媒体は、用途が異なることを実感しました。それぞれの良さを活かすには、工夫が必要なのです。

俳句帖を紙ベースで読んだことで、私は少し自由になったように思います。不自由だったというわけではありません。空間が広がった気がしたのです。新しい空間に出会いました。俳句新空間です。


【筆者略歴】

  • 小澤麻結 (おざわ・まゆ)

「知音」同人。句集『雪螢』、共著『超新撰21』。






2014年4月25日金曜日

【「俳句新空間No.1」を読む】 ときに劇的な /  堀下 翔


思ったことを書く。

梅咲いた。人わらはせる芸つらし 堀本吟

つらい。他人はなかなか笑ってくれない。これでもかと笑わせにかかって、ようやく笑ってくれたとしても、今度は「自分、どうしてこんなことをしているのだろう」と情けなくなって、つらい。芸をする人はみんなそうだ。この国で初めて芸をしたひともそうだった。古事記に登場する海彦のことである。永六輔の本から引く。

「海彦・山彦の話はご存じでしょう。山彦は海彦から借りた釣針を無くしてしまい、もとの釣針を返せと迫られて困りはてる。そうしたら、海の神さまが山彦に同情して釣針を探し出し、それだけじゃなくて、傲慢な海彦を懲らしめるために、山彦に不思議な力を授けるんですね。それで山彦が勝者になる。/それ以来、海彦の一族はその負けたときのありさまを、山彦の一族のまえでずっと演技しなければならなくなるんです。/神話ですが、これが「芸人」のはじまりということになっているんです。」(永六輔『芸人』岩波新書・一九九七年)

海彦、つらかったろう。人を笑わせることはもともと罰だったのか。

ところで古事記はこの海彦を「わざおぎの民」と呼んでいる。わざおぎ、「俳優」と書く。俳人としてはここで一気に彼に親近感がわく。俳優も俳句も、同じ「俳」の字を持った仲間だからである。同じ字である以上、どこかしらで繋がっているのだと思う。ただそれは、また別の話になる気がするので、置いておく。ここでは無邪気な連想ゲームにとどめておいたほうが、気楽だ。

俳優といえば、劇。俳句を読んでいるとときどき、俳句と劇は似ている、と思う。まず第一に、見せられたものしか知ることができない。

宝舟すこしはなれて宝船 堀田季何
宝舟と宝船がありました。それだけしか教えてくれない。どうしてふたつあるの。どうしてすこしはなれてるの。どうして舟は種類が違うの。明快で親切な小説なら、このあと地の文でいきさつを書いてくれるかもしれない。けれどもここでは、舟がふたつあるところを見せて、それっきり。

コミュニケーションが成り立たない。舞台上にある大道具、あるいは意味ありげに発せられた科白。舞台の構成物でありながら、その目的は、向こうが説明しない限り、分からない。この一方向性においてまず、俳句と劇は似ている。

夏芝居後姿の泣いてゐる 小沢麻結
芝居を見ていて、役者の後姿が泣いているように見えた。理由があるのかもしれないが、聞くことはできない。後姿が泣いているように見えた時点で、俳句にしてしまったから。こっちから話しかけることができないのは、ものすごく一方的で、ちょっと理不尽である。

おしぼりが正位置にある福寿草 上田信治
どうして正位置なの。どうしておしぼりなの。おしぼりが正位置にあることしか、わからない。もっと言うと、どうして福寿草なの。この問題は、取り合わせの俳句を読むときに、ずっとついて回る。どう考えてもこの季語以外にありえないのだが、なぜそうなるのか、見当がつかない。やはり、理不尽。

劇が面白いのは、劇場で見るからだろう。劇場に入ることで、仕切りが生まれる。

一時間前ははうれん草畑 依光陽子
一時間前、ほうれんそうと土の色に囲まれていた。いまはどこにもないが、あのあおあおとした感じが、まだ体のどこかに残っている。「まだ」と思うのは、ここがほうれん草畑ではないからだ。どこまでも仕切りなくほうれん草畑だったら、なんとも思わない。

鳴りやんで涼夜や耳鳴りだったのか 池田澄子
耳鳴りが止まって初めて耳鳴りだったと気づく。仕切りがあるから気づく。もちろん、耳鳴りなんてしないほうがいいけれど、それでもびっくりするのは楽しい。

劇場は仕切りだ。そしてそのなかに、舞台という仕切りがある。

我を指す人差指や師走の街 林雅樹
包丁ら青々として芒種の町 小野裕三

この仕切りは、劇作家が作る。ここから先は師走の街である、芒種の町である、そう決めました、と。一方的な仕切り。見る人間は、従う。その人々はたいがい好意的なので、従うのが楽しくて来る。小説家が、師走の街をいかに読者に歩いてもらうか、必死になるところを、劇作家は、俳人は、「師走の街」と言えば、とりあえず信じてもらえる。つくづく変な形式だと思う。

信じてもらえるのは、このあと何かが起こるという、信頼関係があるからだ。「劇的な」という形容詞があるように、劇は、何かが起こる前提にある。「劇的な」という言葉の「劇」を「激しい」くらいの意味で思っている人が多いけれど(じじつ「劇」の第一義は「激しい」である)、「劇的な」というときには、劇に出てくるようなありさまを言う。

北窓を開きそのまま海のひと 近恵
窓を開けるという物理的な行動によって、春を呼ぶ。開けたら見える海に、そのまま同化してしまう。快感。そして劇的。書いた後に思った。この言葉、少し便利すぎるかもしれない。短い俳句のことだから、起承転結の「転」を持ってきたくなる。

新涼の神父三角座りだが 岡村知昭

神父が三角座りの時点で、かなりどきっとする。秋は寂しくなりやすい季節であるにしても、神父ともあろう者が、三角座り。しかも話はここで終わらない。「だが」って、まだ何かあるのか。二転三転、ドラマチック。

ドラマチックになるという信頼感は、ときに先走る。

電話機を見れば鳴りさう秋の昼 林雅樹

電話なんて一日のほとんどを沈黙しているのに、鳴りそうに見える。電話が鳴るわずかな瞬間こそが、電話の本領だから。あの電話、鳴るぞ。鳴っていないうちから思う。

幽霊の飛び出しさうな冷蔵庫 小久保佳世子
冷蔵庫は幽霊が飛び出してくるもの……ではない。死体が入っていることはあっても、幽霊が出てくるなんて話、ちょっと聞かない。「幽霊の飛び出しさうな(状況下にわたしの目の前にある)冷蔵庫」と言えば、少しは理屈で説明できそうだ。怖い話を聞いたあと、トイレに行けないのと同じ。幽霊が出るにちがいない、という期待。

盆の家みんな眼鏡をかけてゐる 仲寒蝉
そこにいる人みんな眼鏡。もしかしたら気づかないだけで、日常にそんなケースはたくさんあるかもしれないが、ここはわざわざ区切られた舞台だ。みんな眼鏡をかけていることが、意味めく。
劇に必要なものもう一つ、演技。

頬被りして笑い皺深うせり 後藤貴子
鬼灯の赤を呪ひの道具とす 中山奈々

何かを身につけたり、使ったりすることで生まれる仕切り。劇作家の平田オリザが、書いていた。「プライベートな空間では、演劇は成立しにくい」(平田オリザ『演劇入門』講談社現代新書・一九九八年)。頬被りをすること、鬼灯を道具にすること、そんな変化で、劇が始まる。

はつとして今虫売でありにけり 西村麒麟

演じている自分までびっくりするくらい、演じる。なんで自分は虫売なのだろう。何者かになる行為自体が、ドラマチックである。見る方も、見せる方も、劇の中で、だまされる。

松だよとだまされてをる小春かな 山田耕司
だまされていると知りながら、いい気分になっている。ううん、劇も俳句も、不思議な営みだなあ。




【筆者略歴】

  • 堀下翔 (ほりした・かける)

1995年北海道生まれ。「里」「群青」同人。俳句甲子園第15、16回出場。
現在、筑波大学に在学中。




2014年4月18日金曜日

【「俳句新空間No.1」を読む】 平成二十五年癸巳俳句帖より(その2) / 黄土眠兎

平成二十五年癸巳俳句帖シリーズを振り返って「ロイヤルコナチーム」のヘッドコーチのノートが見つかりました。このラインナップでいくそうです。

コナチーム ヘッドコーチのノートより

一番 前北かおる  アネモネや青山フラワーマーケット
何にも言ってないよー。お花のことしか言ってないよー。花屋のカフェが美味しいんだよー・・・なんて事、ひと言も言ってないよー。でも、美味しいんだよーと言いながら地方出身の投手をうっとりさせて打って出る。アネモネ、青山

最強伝説の始まり。

二番 近恵  滴りの膨れて鈴になるところ
トップバッターがさりげなく塁に出たところへ、鈴になるまで溜め込んでいた滴りパワーを強打して出塁。苦しかった練習の汗が滴りの姿を借りて実を結ぶことを暗示している(と信じたい
byヘッドコーチ)

三番 三宅やよい  東風吹かばやさしく沈む膝枕
おねーさんが膝枕してくれるんだって・・・という噂を東風に乗せて試合前に吹聴しておいた。情報戦でらくらくヒットだ。

四番 津髙里永子  恋するか死ぬか炬燵の脚ぐらぐら
えーっ、二択なの!究極じゃん!

その前に炬燵の脚くらい直しとこうよーという相手からのツッコミが来たところをヒット。塁に出るためならバットを炬燵に変えてでも打って出る。

五番 水岩瞳  連打して冬の怒濤になるピアノ
こうなったら連打しかない。えっ?連打が違うって?

ピアノも連打してたら冬の怒涛になるんだから、大丈夫。ラフマニノフピアノ協奏曲第2番でトリプルアクセルを決めて塁に出たい(野球じゃなくなってしまった。どうしよう)。

六番 矢野玲奈  産み月の一夜一夜に秋深む
産み月のカウントダウンはけっこうきついのよ。暑い夏を乗り切ってもうひと息という妊婦は誰にもとめられません。バッターボックスは優先。立ってるだけで観客全員が味方。塁に出られないはずがない。もちろん代走はつけるわよ。

七番 曾根毅  花の雨ことにやさしき地の窪み
ここで投入するのは「秘すれば花」作戦。想像力を刺激するのよ。相手に悟られる前にボールを見極めて出塁。

八番 太田うさぎ 内裏雛その隔たりに塵置かず
走者一掃のためにも塵はおけません。お内裏さまの立ち位置はどちらが右?どちらが左?という問題は取りざたされるけど、その間にあるものは見落としていたわ。視点が違うわね。うん。

九番 中山奈々  葉桜や臨機応変にも限度
ノートには書いてなかったけど・・・代打。

葉桜になるまで我慢したの。ヘッドコーチのサインのいい加減さにはうんざりだった。わたしはもう自分の思う通り振っていくよ。・・・カーーん。ほら来た!(by 奈々)

監督 池田澄子  涼しくて嬉しくてあ~立眩み
ええっ!監督そんなこと言ってる場合じゃないですよ。今シーズンどうするんですか!
またまた打順を組んでしまいました。『俳句新空間』の歳旦帖は、それぞれの句が置かれた場所で力を発揮してくれるので打順を組んでいてどのチームも負ける気はしないのですが、勝負は時の運。さて、どのチームが優勝するのでしょうか。

今シーズンの俳句帖もがんばります。

なお、途中からヘッドコーチがおねー言葉になってる部分はお見逃しくださいませ。



【筆者紹介】
  • 黄土眠兎(きづち・みんと)
1960年兵庫県生まれ、兵庫県在住。「鷹」同人、「里」人。




2014年4月11日金曜日

【「俳句新空間No.1」を読む】 平成二十五年癸巳俳句帖より(その1) / 黄土眠兎

『俳句新空間』刊行おめでとうございます。

表紙が可愛い!お洒落ー!なのに、郷愁を誘う表紙絵、トアルコトラジャコーヒーの文字に釘付けになりました。そこで、歳旦帖より(勝手に)「トアルコトラジャチーム」なるものを作り打順を組んでみました。そして、「トアルコトラジャチーム」の対戦相手「ロイヤルコナチーム」の投手になりきって歳旦帖シリーズを振り返ってみることにします。


コナ敗戦投手の記憶。


一番 月野ぽぽな 元旦の空ていねいにやぶきます

いきなり初球から打たれた。「元旦の空もわたしにかかったらこんなものよ。ふふふふん。」と。一緒にニューヨークの元旦の空をやぶってみたい気持ちになってしまったじゃないか。でも、思いとどまった。・・・大リーガーはすごい。


二番 山田耕司  信仰やいやいやをしてせんぷうき

扇風機の首振り機能に「信仰の自由」を発見してしまった!ボタンひとつで寝返る(信仰)こともあるけど、押しっぱなしだと電源を喪失するまでいやいやしたままじゃないか。いや、信仰は電源を喪失してもいやいやしたままなのだ。下五までねばられ、また打たれてしまった。


三番 西村麒麟  流星を見てトラックは次の街

何のトラックかどんな街なのかはわからない。サーカスかしら?ひと仕事終えたトラックが次の街に行く様子が、「流星」を出してきたところでぐっと胸に迫ってきた。油断した私のグラブを弾いてヒット。満塁になってしまった。


四番 筑紫磐井  初雛の隣家にスタア誕生す

四番かあ・・2ストライクから・・この少子化の時代、「初雛」で「スタア誕生」ってプリンセス誕生じゃないか!ドヤ顔の満塁ホームラン。やられた。


五番 下坂速穂  瓜の馬寄り道をして帰られよ

さ、気を取り直して・・と思っていたら、お盆に帰って来られた親しい人(ご両親だろうか?)の魂に、もっと長く居てほしいという気持ちがひしひしと伝わってくるじゃないか。その優しさに打たれてしまった。

六番 福永法弘  不器用を武器とし愛の四月馬鹿
「不器用を武器」にするなんてどこの馬鹿?と思ったんだけど、四月馬鹿なのね。しかも「愛の四月馬鹿」なんて・・・もうそのフォームでまいっちゃった。身を張って(デッドボール)出塁。


七番 藤田踏青  宵山の汗汗汗の人柱

人柱の意味がちょっと違うかな?とも思ったんだけど、祇園祭の宵山を知っているものにとって、この絵画的表現には大きく頷くしかないんだよね。手がすべって汗をもう一つ投げてしまった!フォアボール(四汗)になっちまった。


八番 小久保佳世子 人だつたかしら月夜の交差点

「人だつたかしら」なんてとぼけたことを・・・と、なめてかかって変化球を投げたのに、「月夜の交差点」とあっさり打たれてしまった。それは、人じゃなかったような気がします。参りました。


九番 仲寒蝉   春の闇人のかたちになれば抱く

春の闇にはいろんなものがいそうだなあ。人のかたちになったら抱くって?元は何でもいいの?河童でも?その金本兄貴並みの器量の大きさに負けました。

監督 高山れおな  秋風や無学哲学みなあはれ

虚子もびっっくり。無学は「あはれ」なのかなー?と、考えこんでいるうちに・・私のシーズンは終わった。今はもう秋風が吹いている。あはれ。




選抜された作者のみなさんごめんなさい。ビビっと響いた好きな句を並べた勝手な解釈でのオールスターでした。

今年も始まっている歳旦帖。トアルコトラジャチームの四番を越える打者が登場するのを甲子園でお待ちいたしております。

トアルコトラジャチームに栄光あれ!


<続く>


【筆者紹介】
  • 黄土眠兎(きづち・みんと)
1960年兵庫県生まれ、兵庫県在住。「鷹」同人、「里」人。




2014年4月4日金曜日

【俳句新空間No.1を読む】 平成二十五年癸巳俳句帖・中山奈々の句を読む /小鳥遊栄樹

私が尊敬する俳人の一人、中山奈々さんの俳句を鑑賞させていただきます。

【春興帖】

季語が春いろはで統一されている三句でした。歳時記で調べてみたところ、春いろはという季語は見付からなかったので、いろは→色葉→秋の季語、紅葉の傍題→春の色葉は桜?と個人的な解釈で読ませていただきました。作者の視点としては、保育園や幼稚園の先生が児童を見ているような視点の句のように思えました。

包装紙切つて花びら春いろは
包装紙を切って花びらを作っている。花びらが貼られている画用紙はきっと春で溢れているのでしょう。

春いろは最後に抱きしむる遊び
おままごとをしている景でしょうか。最後は抱きしめて「おやすみ」で終わる優しい雰囲気の句に思えました。

母を見るための眼や春いろは
子から見る母はやはり偉大だなと思わせてくれる句でした。

【花鳥篇】


葉桜や臨機応変にも限度
私が中山奈々さんの俳句の中でも好きな句の内の一句です。桜から葉桜に変われるけれど、臨機応変にも限度がある。滑稽味があるようにも思えました。

ほととぎす薬の殻の角曲げる
錠剤が入ってる銀色のシートの角を曲げている無機物感とほととぎすの取り合わせは新鮮だなと感じました。

ほととぎす泰淳著書はみんな書庫
武田泰淳は日本の小説家。第一次戦後派作家として活躍。主な作品に『司馬遷』『蝮のすゑ』『風媒花』『ひかりごけ』『富士』『快楽』など。 (Wikipedia参照)和風な一句ですね。著書が書庫にしまわれている静かさとほととぎすの取り合わせは綺麗だなと思いました。

【秋興帖】

ホラーチックな三句でした。色をテーマに詠まれているのかなと思いました。

鬼灯の赤を呪ひの道具とす
言われてみたら呪いの道具として使われていそうな赤色をしているなと思いました。

心臓の色のチークや雁渡し
凍星や臓器それぞれ違う色(ローストビーフさん)をふと思い出しました。チークを心臓独特の色(個人的には赤くくすんだ肌色を想像しました。)と表現したのが面白いなと感じました。

禰宜のあを巫女の赤銀杏踏みぬ
禰宜(ねぎ)とは、神職の職称(職名)の一つである。「祢宜」とも書く。今日では、一般神社では宮司の下位、権禰宜の上位に置かれ、宮司を補佐する者の職称となっている。(Wikipedia参照)巫女さんが銀杏を踏んだ景でしょうか。不思議な雰囲気の句だなと思いました。

【冬興帖】

季語が冬帽で統一されている六句でした。家族的な暖かさが感じられる六句でした。

冬帽を二つ挟んで妻の顔
夫(父)目線の句でしょうか。冬帽をかぶってる子供二人を抱き締めてるような景が浮かびました。

冬帽の二人とも貴方の子ども
やはり夫か妻目線の句なのでしょう。一句目があったので夫目線ということで読ませていただきます。この句は一句目の続きでしょうか。妻が子供を抱き締めてるのを見て夫がふと言った言葉のようにも思えます。

冬帽の色か黒子で見分けたる
この子供はよほどそっくりな兄弟か双子かのどちらかなのでしょう。私の友達にも目が怖そうか優しそうかでしか見分けられない双子の友達がいます。

冬帽のよく笑ふ歯抜けで笑ふ
笑顔が可愛いお子さんですね。歯抜けってことは、結構小さなお子さんなのでしょうか。

冬帽は悪童冬帽は双子
冬帽=悪童、冬帽=双子、つまり双子=悪童なのでしょう。いたずら盛りの可愛いお子さんですね。

【歳旦帖】

ボス猿がテーマの五句でした。ベンツは、大分県大分市高崎山の高崎山自然動物園のニホンザル(Wikipedia参照)

去年今年ボス猿二回目の家出
この場合の家出は猿の群れを離れるという意味での家出でしょうか。家出の使い方が面白いなと思いました。

新月の新年ボスの名はベンツ
新月、新年と来て、このボスは新しいボスなのかなと思ったりもしました。

ボス猿のなき山姫始めのびのび
ボス猿がいたら姫始めものびのびできませんよね。クスッとくる一句でした。

猿人気ランキングあり福寿草
動物園の猿でしょうか。私は動物を見分けるのが苦手ですが、やはり一匹一匹名前があって違いがあり、好感度も違う。ランキングがあるのが人間味もあって面白いなと思いました。

歯固めのクッキーやボス猿模して

ボス猿が歯固めのクッキーを噛んでいるのを見て、雄猿がそれを模しているのでしょうか。個人的に月夜を想像しました。

以上、小鳥遊 栄樹による中山奈々さんの俳句鑑賞でした。

拙い文章でしたが、最後まで読んでいただけたらとても嬉しいです。



【筆者略歴】

  • 小鳥遊 栄樹 (たかなし・えいき)

沖縄俳句会「若太陽」所属、関西俳句会「ふらここ」所属、俳句誌「里」同人、俳句誌「群青」同人、メール句会「立体交差」参加、インターネット句会「週活句会」参加





※編集部注:上記の歳旦帖の中山奈々さんの句は平成二十六年歳旦帖第二のブログ掲載作品であり、「俳句新空間」の冊子収録句ではありません。原稿のまま掲載させていただきました。

※文中の(wikipedia 参照)は記事内容に従いリンクしました。