2026年6月12日金曜日

第270号

 次回更新 6/26



【短期連載】シンポジウム「昭和俳句、何が争点?」速報

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 *

■新現代評論研究

新現代評論研究(第26回)各論:後藤よしみ、村山恭子、佐藤りえ 》読む

新現代評論研究:『天狼』つれづれ 第10回:「実作者の言葉」…「息の出で入り」/米田恵子 》読む

【連載】攝津幸彦記念賞応募作品(全国学生俳句会合宿2025評論)
 8
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【短期連載】「自由律俳句の精神的自由」に関する宣言  煙陽 》読む

現代評論研究:第26回各論―テーマ:「日」を読む・その他― 藤田踏青、北村虻曳、飯田冬眞、岡村知昭、しなだしん、筑紫磐井、北川美美、 》読む

現代評論研究:第22回総論・「遷子を通して戦後俳句史を読む」座談会 》読む

【特別稿】口語俳句の可能性・余滴  筑紫磐井 》読む

新現代評論研究:音楽的俳句論 図像編 川崎果連 》読む

新現代評論研究:音楽的俳句論 解説編(第1回)川崎果連 》読む


■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和七年夏興帖
第一(10/10)杉山久子・辻村麻乃
第二(10/24)仙田洋子・豊里友行・山本敏倖・水岩瞳
第三(10/31)仲寒蟬・ふけとしこ・浅沼 璞
第四(11/21)岸本尚毅・小野裕三・瀬戸優理子
第五(12/12)冨岡和秀・堀本吟・木村オサム
第六(12/26)神谷波・川崎果連・加藤知子・曾根毅・松下カロ
第七(1/9)渡邉美保・小林かんな・田中葉月
第八(1/16)眞矢ひろみ・小沢麻結・花尻万博・林雅樹
第九(1/30)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子

令和七年秋興帖
第一(10/31)杉山久子・辻村麻乃・仙田洋子
第二(11/21)豊里友行・山本敏倖・仲寒蟬
第三(12/12)ふけとしこ・岸本尚毅・瀬戸優理子
第四(12/26)冨岡和秀・堀本吟・木村オサム
第五(1/9)神谷波・川崎果連・曾根毅
第六(1/16)渡邉美保・小林かんな・田中葉月・小野裕三
第七(1/30)眞矢ひろみ・小沢麻結・花尻万博・林雅樹
第八(2/13)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子

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俳句新空間第22号 発行※NEW!

■連載

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり51 池田澄子『此処』 》読む

英国Haiku便り[in Japan](63) 小野裕三 》読む

【豊里友行句集『赤ん坊オーケストラ』を読みたい】3 『赤ん坊(あかんぐわ)オーケストラ』豊里友行句集を読んで 辻村麻乃 》読む

【新連載】口語俳句の可能性について・番外
 俳句の虚構―西躰かずよし「窓の海光」論―  金光 舞
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【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(70) ふけとしこ 》読む

句集歌集逍遙 依光陽子『ふ、は鳥に』/佐藤りえ 》読む

【新連載】俳壇観測279 ユネスコ登録の進め方4 有馬氏とマーティン氏の論点[1](誰も言っていないこと)  筑紫磐井 》読む

【新連載】名俳句鑑賞へのラブレター『岡田史乃の百句』(辻村麻乃) 豊里友行 》読む

【豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい】
 インデックス
9 「希望」のバトン  宮崎斗士 》読む

【加藤知子句集『情死一擲』を読みたい】④ 破局有情――加藤知子句集『情死一擲』について 関悦史 》読む

現代俳句協会評論教室・フォローアップ研究会 7 筑紫磐井 》読む

【連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句

 7.梅若忌 筑紫磐井 》読む

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】③ 豊里友行句集『母よ』より 小松風写 選句 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む

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6月の執筆者(渡邉美保)…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々 …



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寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子

【新連載】新現代評論研究(第26回)各論:後藤よしみ、村山恭子、佐藤りえ

★ー3高新俳句詩法――「垂直の力学」として読み解く4 後藤よしみ

第2部

新俳句詩法の妥当性の検証 1

――〈松島を/逃げる/重たい/鸚鵡かな〉を読む


はじめに

 本章では、これまで提示してきた高柳重信の新俳句詩法が、実際の作品読解においてどれほど有効であるかを検証する。

 対象とするのは、『日本海軍』所収の代表句

〈松島を/逃げる/重たい/鸚鵡かな〉

である。

 初めて読んだ者の多くは、「何が逃げるのか」「なぜ鸚鵡が重たいのか」「松島とは景勝地なのか軍艦なのか」と戸惑うであろう。しかし、この戸惑いこそが重信の出発点である。わからないという感覚を入口として認めることで、理論は初めてその力を発揮する。

 本章では、新俳句詩法の5つの視点——語彙の地質学、倒語法の再編、沈降の力学、深層の噴出、6つの水平補強モジュール——によってこの句を読み解き、その妥当性を確かめる。

1 句の第一印象

――なぜこの句は「わからない」のか

 まず、この句を素直に読むと、不思議な違和感に包まれる。普通の俳句なら、「松島から鸚鵡が逃げた」あるいは「重たい鸚鵡が松島を飛び去った」のように、意味の筋道が明確になるはずである。

 しかし、この句では、「松島を」「逃げる」「重たい」「鸚鵡かな」と、意味のつながりが断ち切られている。読む者は、それぞれの言葉をつなごうとして何度も立ち止まる。

 この「意味がすぐにつながらない状態」こそが、重信の意図した読書体験である。つまりこの句は最初から「理解されること」よりも、言うならば「意味が揺れ動くこと」を目的としているのである。

2 語彙の地質学による読解

――言葉の衝突が何を生むか

 新俳句詩法の第一原理は「語彙の地質学」である。この句に現れる語を分類すると、次のようになる。

①地霊語彙――松島

 松島は日本三景の一つとして知られる景勝地、歌枕であり、美しい島々と静かな海、和歌や俳諧の伝統に包まれた日本的抒情の象徴である。しかし同時に、『日本海軍』という句集の文脈に置かれることで、軍艦「松島」の記憶も帯びる。一つの語が「風景としての松島」と「軍事記号としての松島」という二つの歴史層を持つ。この二重性が、句全体に強い揺らぎを生む。

②外来・浮遊語彙――鸚鵡

 鸚鵡は異国的な鳥であり、日本の伝統的俳句世界にはあまり馴染まない。さらに鸚鵡は「他者の声を真似る鳥」である。ここでは、主体性を持たずに反復し、模倣する存在である。これは、近代日本が外来思想や国家イデオロギーを模倣し続けた姿とも重なりうるだろう。この解釈は、重信の時代背景にある精神を「浮遊語彙」という枠組みで読み解いた一例である。

③身体的重量語彙――重たい

 この語は極めて物質的である。単なる形容ではなく、読む者の身体感覚を直接呼び起こす。「ずしり」とした重みが、言葉を通じて伝わってくる。これは後述する水平補強モジュールの①身体・実存モジュールとも自然につながり、理論が言語の分析にとどまらず、肉体的な感覚にまで手を伸ばしていることを示していることがわかる。

語彙衝突の結果

 美しい景勝地、軍艦、異国の模倣鳥、身体的重量という、本来交わりにくい意味の層が一つの句の上でぶつかる。ここで意味の断層が露出する。この現象は「語彙の地質学」によってよく説明できており、理論の第一段階は十分に妥当であると言えるだろう。

3 倒語法の再編による読解

――なぜ意味は宙吊りになるのか

 この句最大の特徴は、何が「逃げる」のかよくわからない、確定しない点にある。普通なら「鸚鵡が松島を逃げる」と整理されるところを、重信はあえて断ち切る。その結果、鸚鵡が逃げる、作者が逃げる、国家が逃げる、松島そのものが逃げる、という複数の読みが同時に立ち上がる。

 これはまさに、富士谷御杖の倒語がいう「意味を確定させず、読者の内側で生成させる」という働きである。意味は作者から読者へと手渡され、読者は単なる受け手ではなく、句の共同制作者となる。この点で、新俳句詩法が倒語法を現代的に再編したという説明は、この句によって裏づけられる。

4 沈降の力学による読解

――改行は何をしているか

この句は4行に分かれる。

松島を

逃げる

重たい

鸚鵡かな

 これを一行で書けば「松島を逃げる重たい鸚鵡かな」となる。しかし重信はあえて切断する。この改行によって、読む者は各行ごとに停止する。

 第一行「松島を」——何が起こるのかという期待が生まれる。第二行「逃げる」——突然、運動が現れる。しかし主体がわからない。第三行「重たい」——ここで速度が止まる。逃げるはずなのに重い。矛盾が生じる。第四行「鸚鵡かな」——最後に主体が現れるが、なお説明にはならない。

 この読書過程は、まさに「落下」である。読むたびに意味が崩れ、次の行へ沈んでいく。行ごとの心理変化を丁寧に追ったこの読みは、理論が実際の読書体験の分析として機能していることを示しており、「垂直の読書体験」という説明の妥当性は高い。

5 深層の噴出

――最終的に何が立ち上がるか

 語彙の衝突、倒語、沈降の果てに、言葉の深層が噴き出す。この句では何が現れるか。

 明確な「意味」はない。しかし、確かにある感覚が立ち上がる。それは「重苦しい逃走感」である。何かから逃げている。だが軽やかには逃げられない。過去の重みを背負ったまま、ぎこちなく飛ぼうとしている。

 この感覚は、戦後日本の精神風景とも読める。敗戦の記憶、国家の影、模倣としての近代化——それらを背負いながら逃れようとする意識である。「逃げる」という動きを示す言葉と「重たい」という重力を示す言葉が、理論によって一つの精神風景へと統合される。これがまさに「言霊の現代としての噴出」であり、意味ではなく感覚として立ち上がるものである。

 この着地点は、垂直の力学と水平補強モジュールの両方が交差した地点からこそ生まれる。ここでも理論は有効に機能している。

6 水平補強モジュールによる補足

――垂直の力学で掬いきれないものを救う

 垂直の力学だけでは届かない部分を、6つの水平補強モジュールで補う。

①身体・実存 「重たい」は肉体の疲労を思わせる。深く読めば、戦場を歩いた身体の重さ、生き残った者が背負う罪責の重みが、この一語に響いている。

②音韻・律動 「お」の母音の反復に注目したい。「まつしまを」「おもたい」「おうむ」と、低く沈む母音が連なり、句全体に重苦しい響きを作り出している。音を耳で感じることが、意味の解釈より先に句の核心へ触れさせることがある。

③視覚 巨大で黒ずんだ鸚鵡が松島上空をゆっくりと飛ぶ異様な光景が浮かぶ。ダリの絵画を思わせるシュルレアリスム的映像であり、その違和感は理屈より先に網膜に焼きつく。

④歴史 『日本海軍』という句集の題名が、軍事史的な文脈を濃厚にしている。単なる風景句として読むことや歌枕としてのみ読むことを、題名そのものが拒んでいる。

⑤主体・心理 誰が逃げているのかが曖昧であることは、不安定な自己意識の表れである。主体の境界が崩れていく心理状態が、句の底に潜んでいると言えるだろう。

⑥受容 若い読者は幻想的な映像として受け取るかもしれない。戦争の記憶を持つ世代は、敗戦の重みとして読むかもしれない。どちらの読みも成立する。この差異を認めることが、句の可能性の幅を広げる。

7  鑑賞

 〈松島を/逃げる/重たい/鸚鵡かな〉は、高柳重信の新俳句詩法の有効性をよく示す一句である。「松島」は歌枕としての景勝地であると同時に軍艦の記憶を帯び、「鸚鵡」は異質な外来の響きを持つ。この語の衝突が意味を揺らし、「逃げる」が主体を宙吊りにする。さらに多行形式の空白が読者を深層へと導き、歴史の重みや敗戦の影を言葉の底から立ち上がらせる。垂直に沈降する力学と、身体・歴史・音・視覚といった水平の補強が交差することで、この句は「重苦しい逃走感」という、説明ではなく感覚として立ち上がる読みへと結実する。意味を説明するのではなく、読む者の内側に重い感覚を呼び起こす点に、この詩法の力がある。

結論

――新俳句詩法は妥当か

 〈松島を/逃げる/重たい/鸚鵡かな〉を検討した結果、新俳句詩法は有効性を持つことが確認できると言える。理由は三つある。

 第1に、この理論は「なぜこの句はわかりにくいのか」を具体的に説明できる。

 第2に、その難解さを単なる奇抜さではなく、語彙の衝突や倒語などの構造的必然として示せる。

 第3に、最終的に読者が受ける重苦しさや歴史の圧力といった感覚にまで到達できる。つまり新俳句詩法は、句を解読するだけでなく、読書体験そのものを言語化する理論として妥当である。


 次は、この〈松島を〉の『日本海軍』以外の句集の代表句に新俳句詩法を適応し、高柳重信の新俳句詩法がどのような句に妥当性を有するかを見ていきたい。


★―7:藤木清子を読む16 / 村山 恭子 


16 昭和12年 ③


花のベンチ世につかれてはよるべきもの   京大俳句6月

 「花」といえば桜の花を差しますが、桜のみならず、華やかで賞美すべきものをいう抽象名詞でもあります。花の下のベンチに座り、この世の春を愛でています。世に疲れて「よるべきもの」は、この花の下のベンチ。世への儚さ、悲哀、無常感など詩情を掻き立てます。

     季語=花(春)


思い出の只中に来て子が倒れ        同上

 子と思い出を紡いで来ましたが、その真っ最中に子が倒れてしまいました。大切な子の

将来を案じながら、来し方の思い出が走馬灯のように蘇り、心が張り裂けます。

     季語=無季


つよき性かくしぬさくら草はやさし     同上

 「つよき性」と「さくら草」との対句表現です。強い生き様を隠し、さくら草のように優しくたおやかな振りをしながら生活しています。「性」「草」以外は平仮名表記により、性と草の対比により余韻を増しています。

    季語=桜草(春)


真黒な過去が噴水に散つてゆく       同上

 真っ黒な過去が噴水で散って行きます。噴水は目の前の情景ですが、真っ黒な過去で心

象を綴ります。噴水の水飛沫の飛び散らかりは、過去の思い出や情景が飛び散っているようでもあります。

     季語=噴水(夏)


ひとり身に馴れてさくらが葉となりぬ    同上

 前述に〈ひとり身に馴れてさくらが葉となれり〉があります。「なれり」は動詞「なる」の命令形+存続の助動詞「り」。「なりぬ」は動詞「なる」の連用形+完了の助動詞「ぬ」。「なっている」と「なってしまった」により思いを季題にゆだねています。

    季語=葉桜(夏)


落日に燃ゆる春潮船を焦がし        天の川6月

 春になると海の色も明るくなり、活き活きとした潮の音も印象深いです。沈みゆく夕日が海を燃えるように彩り、海を行き交う船を焦がしています。

     季語=春潮(春)


香水よしづかに生くるほかなきか      旗艦31号・7月

 愛用する香水の香りは、個性を表現するものと考えられています。華やかな香水に心情を託しながら、しづかに生きる他はないのかと身をもてあましています。

     季語=香水(夏)

   

草青く曇と捨猫しろししろし        同上

 早春に萌え出た草の青、沸き立つ雲と捨猫の白。「しろしいろし」のリフレインが、春の情景を愛でながら、やさしく捨猫へ呼びかけています。

     季語=草青む(春)

  

友得たるしあはせしづかなる真昼      同上

 友が出来た幸せはしづかなものと味わっています。「しあはせはしづか」が常套的ですが、最後に「真昼」を置くことで句を引き締めています。

    季語=無季


★ー5 清水径子を読む  佐藤りえ

紐からむ夏よ一気に喪服脱ぐ (「寒凪」昭和四十六年)

引き続き『鶸』より。夏の葬事から帰り、汗のひく間も待てず、一気に喪服を脱ぎにかかる。「紐からむ」というから和装だろう。本来なら長着を解いてまず衣桁に掛け、襦袢を、といきたいところだが、もう無我夢中で、すべてを畳に脱ぎ散らかしてしまったのかもしれない。

喪服を脱ぐまでが喪の作業の一部始終に含まれるようにも思うが、この勢いづいた行動が、まとわりつくすべてを束の間振り払いたい、ドライな日常にも見える。「ぬぐやまつわる」いろいろから、とにかく無事に帰り着いた家で、自らを投げ出す暑さ、暑さにはこんな書き方もあるのだ。

『鶸』の刊行当時、句集評がいくつかの雑誌、俳誌に出た。〔永島靖子(「俳句研究」昭和48年11月号)、佐野美智(「俳句とエッセイ」昭和49年3月号)など〕。なかでも中村苑子は角川『俳句』と『俳句研究』年鑑で二度に渡って触れている。


全体を通じて、生きるひとりの人間の限りない嗟歎が、嘆き以上の切実さで表現されており、濡れた情緒的な情感などからはほど遠い、ストイックで孤独な人生の旅人を想起させられた。

   *

俳句の書き始めから、書こうとする明確な主題を持っていたわけではなく、長い間かかって自己を追求しているうちに、自分の書いた作品のことばから、作者が一つ一つ自己を発見してゆき、何を俳句で書きたかったのかが内部で明確になっていったのだと思う。自己の発見とは、往々にして、自分の書いた文章や俳句からみずから教えられるものである。

(『鶸』の世界/中村苑子「俳句」昭和49年2月号)


俳句を書き出したのも同年、年齢も同じくらい、そして何より、俳句を書く主題が「われ」にあること、などから、ひそかに親近感を抱いてきた人である。俳句の主題など、これといって指摘できるものでなし、ましてや「われ」の主題など、ここと思えばまたあちら式の、捉えどころのないものであろう。それを承知で「われ」の内面に、かげりの深い冷静な眼を向けている点が、この作家の他と違う個性である。

(句集展望2/中村苑子「俳句研究」年鑑・昭和48年)


苑子は大正2年生まれ、径子は明治44年生まれ。昭和48年のふたりはともに60代を迎えている。〈春の日やあの世この世と馬車を駆り〉〈翁かの桃の遊びをせむと言ふ〉〈貌が棲む芒の中の捨て鏡〉といった代表作を思い浮かべると、中村苑子と清水径子とは言葉に執心するとはいえ、だいぶ違うベクトルを持つもの同士のように思うが、苑子の句集『花狩』の初期句抄にはこんな作品がある。


人の気配する雛の間を覗きけり  中村苑子

秋燕の沖さすことの何か不安

置きどころなくて風船持ち歩く


「雛の間」という季語が、女の子の嫁入りを祈念する、ひな人形を含意する限り、女性は単に人形という物を扱うのみならず、その言葉との位置関係を、一句の中に読まれてしまうことになる。「雛の間」の主、飾る側なのか、飾られる=子の側なのか、飾られたものを訪う客人なのか。しかしこの句では、どの立場も避ける「覗き見する」ものであるところが、強引に言ってしまえば、径子と響き合う要素を持っている。人の気配を覗きこむ。華やぎ、うれしさ、たのしさといった、「飾り雛」にまつわる明るいイメージが前面に感じられないのは、「人の気配する」の句跨がり、跨がっても字余りの初句6音の性急さによる。

二句目の結句「何か不安」の率直さ、文語調に整えるでもなく、投げ出すように口語、体言で結ぶところ、三句目の本意に背くかのような「風船」の用い方、いずれも径子の『鶸』の作風に通ずるものを感じる。『鶸』の径子の作風とは、違和を隠さず、季節にあからさまに殉じず、しかしその「違和」が句そのもののなかでも違和として目立ってしまう、文体が定着する以前の果敢な試行がパッケージされたもの、ではないか。


「われ」の内面に向けたかげりの深い冷静な眼、とは、苑子自身も持ち合わせた「眼」であり、少し先の話になるが、苑子の「眼」は時空を越え、幻想と退廃の裡に向けられ、径子の「眼」は内観へと進んでいくこととなる。


【連載】攝津幸彦記念賞応募作品(全国学生俳句会合宿2025評論) 8

 口語俳句の詩情について

                              金光舞   


 二〇二五年度口語詩句奨学生選考総評において、川柳人・暮田真名は次のように述べる。


 「詩歌における〈口語—書き言葉〉と、SNSにおける〈口語—書き言葉〉は同じではない。しかし口語である限り、その言葉はSNS圏の言葉として消費される運命にある。『あたらしい人々』には歓迎され、『ふるい人々』には眉をひそめられ、ものすごい速さで廃れ、やがて顧みられなくなる言葉であることから逃れられない」(暮田 二〇二五)。


 この指摘は、現代の詩歌、特に口語俳句の立ち位置を再考するうえで重要な視座を提供している。口語俳句とは、現代人が日常的に話す自然な言葉(=口語)を用いた俳句であり、そのため現代的な感覚を反映しやすい。文語俳句に比べて親しみを持たれやすいという利点がある。

 一方で、「俳句は文語だからこそ詩である」と考える伝統的な立場はいまだ根強い。本稿の執筆にあたって、私は十数冊の俳句の入門書を読み比べたが、そのすべてが文語俳句を理想的な形式として扱っており、口語俳句については「効果的な場合もある」といった限定的な言及にとどまっていた。

 私は、口語俳句と文語俳句とでは、それぞれ異なる詩的なニュアンスがあり、どちらにも独自のよさがあると考えている。近年、口語俳句の再評価が進みつつあることも、その証左である。俳句雑誌『noi』では二〇二五年の特集テーマとして口語が据えられた。会話文体の再現、身近な言葉の取り込み、方言の活用などを通して、口語俳句の可能性を積極的に探る試みがなされている。俳句がその誕生以来、つねに日常語とともにあったことをふまえれば、現代の言葉で現代の感性をすくい上げようとする試みはごく自然な流れに思われる。今、改めて問うべきは「口語俳句が詩情を保つためにはどのような要素が重要なのか」である。


ここでいう詩とはなにを指すのか

 まず、この評論における「詩」を定義したい。土田知則・神郡悦子・伊藤直哉の共著『ワードマップ現代文学理論テクスト・読み・世界』(一九九六)において、ロマーン・ヤーコブソン(一八九六―一九八二)による詩的機能の理論を基盤にしたとき、詩的機能とは「メッセージそのものに対する強調」であり、日常言語が主に指示機能によって意味伝達を目的とするのに対して、詩的表現は言葉の「形式」に焦点を当てることに特徴がある。この点について、チャールズ・サンダース・パース(一八三九―一九一四)の理論が補完的に作用する。パースは言葉を単なる意味伝達の道具としてではなく、現実を「切り取り」「構造化する装置」として捉えている。つまり、詩においては言葉の意味そのものではなく、その形式や響き、リズムといった側面が強調される。

 このように、詩的表現は言葉の美的側面や抽象的な形式性を重視し、日常的なコミュニケーションとは異なる次元で意味を創出する。そのため、詩における言葉は意味を捨象することによって、言葉そのものの持つ力や可能性が引き出されるとする。


俳句における詩情

 成井惠子は『俳句の美学』(一九九二)において、詩のジャンルの中に位置する俳句について考察し、その詩的特性を「情熱」「情緒」「名辞」「イメージ」といった要素を通して描き出している。俳句は、言葉という色彩、軽さ、音のある道具を使って、感動を鮮やかに表現するために精緻に組み立てられている。成井は、俳句の表現が詩の「光と影」に調和する様子を描写するが、その影の部分はやや断片的で不完全であるものの、光線が小さな穴から閃光のように瞬時に広がる力を持っていることが特徴的だと指摘する。俳句はその瞬間的で断片的な性質を通じて、鮮やかで強烈な印象を与え、全体として自然の美しさや人間の感情を表現している。

 また、大屋達治は『俳句なんでもQ&A』(二〇〇二)で、現代俳句が無意味・無内容な物事をシンプルに表現する手法を取り入れ、さらに西洋近代詩の理念を反映させる過程を述べている。俳句は西洋詩の影響を受けつつも、その短い形式と平明な表現の中で、深い意味を内包することを目指してきた。このように、「俳」と「詩」の相互作用は、俳句がその独自の形式を維持しながら、時代や理念の変化とともに発展していく過程を示している。俳句の詩情は、ただの感情表現にとどまらず、日常の一瞬の美を捉えるために、言葉の使い方とそのリズムを巧みに操ることにある。このような詩的な手法が、俳句の深さと奥行きを生み出している。


定型から見る口語俳句

 口語俳句が敬遠されてきた要因の一つに、口語が文語よりも日常性や口語的リズムに引き寄せられやすいことが挙げられる。中村草田男は『俳句』(一九五八)において「定型と口語俳句」という題で、俳句がある一定の条件下で詩的な緊張感を欠くと指摘する。

 草田男は、日本語の実際の発音に着目し、「音歩説」に基づく分析を行っている。つまり、日本語は音声的には二音と一音とに分節されており、俳句の五・七・五の定型もまた、これらの音歩によって支えられているとする。つまり、五・七・五の三区分の一つ一つの区分が、音歩的四段階になっているのである。彼によれば、俳句の集約感を維持するには、最大でも八・八・六、すなわち二十二音が限界であり、それを超えるとだらしなさが生まれやすくなるという。

 音歩的四段階についてわかりやすく図解するため、例を挙げる。


≪たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ 坪内稔典≫


     音歩

たん   2

ぽぽ   2

の〇   1

〇〇   0[5音]


ぽぽ   2

の〇   1

あた   2

りが   2[7音]


かじ   2

です   2

よ〇   1

〇〇   0[5音]


 このように見ると、俳句が詩として成立するためには、定型感をどのように保つかが問われる。現代の口語は助詞や助動詞、語尾の変化が多く、冗長さが生まれやすい傾向にある。しかし、口語俳句も言葉の選択や間合いによって定型の緊張感を生み出すことができれば詩としての強度を持つように思われる。


表現から見る口語俳句

 中岡毅雄の著書『俳句のルール』(二〇一七)や、井上泰至と堀切克洋の共著『俳句がよくわかる文法講座』(二〇二二)においては、文語表現という観点から口語俳句について丁寧な考察がなされている。とりわけ注目されるのは、俳句にしばしば用いられる詠嘆の助詞「かな」の扱いである。この「かな」は、深い感動や静かな余韻を伝える文語特有の語であり、句末に置かれることで作品全体に格調と緊張感を与える。これを現代の口語である「なあ」に置き換えると、語感がくだけ、俳句独自の文体的な緊張が損なわれるという指摘もある。実際、俳句のように極端に短い形式において末尾の響きは作品全体の印象を大きく左右する。

 また、俳句の本質が言葉を削ぎ落として表現することにあるとすれば、文語の持つ格調の高さは、その短さを補う手段として有効である。文語は日常から距離があるため、詩的な印象を生みやすく、一語一語に重みを持たせやすい。そうした点から、俳句が現代においても文語を基調として詠まれ続けているのは、単なる伝統の踏襲ではなく、表現の完成度を高めるための選択と見ることができる。

 しかし同時に、口語には口語なりの表現の可能性がある。たとえば「なあ」という語尾には、文語の「かな」にはない親密さや感情のにじみがある。句全体を平明にすることで、現代の読者との距離を縮め、自然な共感を生む力を持っている。


じゃんけんで負けて蛍に生まれたの   池田澄子


 この句は、まさに口語表現の可能性を示した好例である。「じゃんけんで負ける」という日常を導入としながら、「蛍」という格調高い伝統的な夏の季語が添えられる。そして、下五「生まれたの」という転生の発想へと接続される構成は、意外性と詩的な跳躍をもたらしている。句末の「の」という口語特有のひらいた語感は、過度に感傷的になることなく、かえって詩情をやわらかく支える働きをしている。

 文語が形式の美と緊張をもたらすなら、口語は率直さと日常の中にある詩情を掬い上げる。文語と口語は単なる様式の違いではなく、それぞれ異なる詩的戦略を持つ。したがって、俳句において文語が完成された表現手段であると同時に、口語もまた、等しく完成されうる表現のかたちである。


口語俳句の詩性について

 結論として、口語俳句が詩情を保つためには「詩」としての緊張感が重要である。現代の言葉と感覚に根差した口語俳句は、とりわけ日常のリアリティをすくい上げやすく、より広い読者に親しまれる可能性を持っている。だからこそ、その表現には、単なる話し言葉を超えた「詩」の緊張感が求められる。言葉の選定、形式への意識、そして言葉そのものに対する深い理解が、詩としての強度を支える鍵となる。

 口語俳句における課題は、言葉がしばしば軽やかすぎる点にある。SNS的な速度感や日常会話のテンポに引き寄せられすぎると、俳句が本来持っている形式美や精緻さが損なわれてしまうことがある。だが、これは口語であることが問題なのではない。むしろ、現代語という移ろいやすい素材に、どのように詩的な深みを与えてゆくかという、創作の姿勢こそが問われていると考える。

 また、口語俳句は文語俳句とは異なる詩的資質が求められる。口語は、文語がもたらす格調や余韻を容易に代替できないが、その代わりに現代人の感覚に適した形でその美学を作り上げることができる。語感の柔らかさや、響きの軽快さを生かしつつ、短詩型の枠組みを守ることによって、現代的でありながらも詩的な完成度を高められる。

 「口語俳句の詩性」について、私は肯定的に捉えたい。日常にあふれる詩的瞬間を見出し、それを最小単位の詩として定着させる力が口語俳句にはある。重要なのは、ただ口語を用いるのではなく、その言葉の構造や響きに対する繊細な意識を持つことである。そうした意識が伴えば、口語俳句は詩の新たな形態として、確かな詩的価値を備えた作品を生み出すことができる。これからも、現代の息づかいを宿した口語俳句にたくさん出会ってゆきたい。

参考文献

『2025年度口語詩句奨学生選考総評 暮田真名』(二〇二五)著:暮田真名

『ワードマップ現代文学理論テクスト・読み・世界』(一九九六)著:土田知則・神郡悦子・伊藤直哉 

『俳句の美学』(一九九二)著:成井惠子

『俳句なんでもQ&A』(二〇〇二)著:大屋達治

『ことば読本 定型の魔力』(一九九二)より『俳句』(一九五八)著:中村草田男

『俳句のルール』(二〇一七)著:中岡毅雄

『俳句がよくわかる文法講座』(二〇二二)著:井上泰至・堀切克洋


(本編は全国学生俳句会合宿2025評論(2025年9月2日(火)に発表された評論である。その後「全国学生俳句会合宿2025レポート冊子」(令和7年11月23日発行)にはこれが改定されたものが掲載されているので注意。)


【大学俳句会アンケート回答】➀俳句とは何なのか➁俳句で何をしたいか➂俳句に関して何を書きたいか、

金光舞: ➀私にとって俳句は親友みたいな存在です。➁誰かにとって一生の心に残るような句を詠んでみたい。③口語俳句等、その時関心の高まるテーマについて自分なりの回答を提示したいです。それが続けられる人になりたいので頑張ります。


【筑紫磐井鑑賞】

 最近の若い作家による俳句が口語俳句的となっている点をとりあげ、単に現象としてではなく口語俳句の原理の模索(詩学に近い)に向かおうとしている点は貴重である。論者はかなり長い研究を意図しているようであり、今後への期待が大きい。

     *

 口語俳句については少し歴史的な位置づけもしてみた方がいい。参考となるのは、2025年11月に開催された第50回現代俳句講座 「昭和百年 俳句はどこへ向かうのか」で、「現代俳句」が1年間かけて行っている昭和100年・戦後80年を回顧しての現代俳句協会役員アンケートの結果であり、この中でトップを占める俳句作品に口語俳句が多かったことが指摘された。


(1)現代俳句協会から見た口語俳句

 神野紗希はアンケート結果を踏まえ、典型的な口語俳句の抽出を行い6種類に分類している。


➀新興俳句の口語(※言い切りの語尾)

 頭の中で白い夏野となつてゐる  高屋窓秋

 山鳩よみればまはりに雪がふる  同

 夏草に汽罐車の車輪来て止る 山口誓子

 水枕ガバリと寒い海がある  西東三鬼


➁戦時の口語(※肉声としての口語)

 戦争が廊下の奥に立つてゐた  渡邊白泉

 憲兵の前で滑つて転んぢやつた  同

 灯をともし潤子のやうな小さいランプ 富澤赤黄男

 やがてランプに戦場の深い闇がくるぞ  同


➂戦後俳句の口語(※韻律と主題)

 人体冷えて東北白い花盛り      金子兜太

 彎曲し火傷し爆心地のマラソン    同

 銀行員等朝より螢光す烏賊のごとく  同

 あやまちはくりかへします秋の暮    三橋敏雄

 八月の赤子はいまも宙を蹴る    宇多喜代子


④自由としての口語(※異質性のエッセンス)

 おおかみに螢が一つ付いていた    金子兜太

 梅咲いて庭中に青鮫が来ている    同

 少年来る無心に充分に刺すために  阿部完市

 ローソクもつてみんなはなれてゆきむほん  同

 たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ 坪内稔典

 三月の甘納豆のうふふふふ       同


⑤現代×日常の口語

 起立礼着席青葉風過ぎた       神野紗希

 ゆず湯の柚子つついて恋を今している 越智友亮

 寒いなあコロッケパンのキャベツの力   小川楓子

 寝静まるあなたが丘ならば涼しい     大塚凱

 初夢の代はりにYouTube見てる     葉ざくら


⑥現代×主題の口語

 じゃんけんで負けて蛍に生まれたの  池田澄子

 ヒヤシンスしあわせがどうしても要る  福田若之

 蝶よ川の向こうの蝶は邪魔ですか  池田澄子

 Rest in Peace 向日葵は泣かない 光峯霏々

 ねむる天牛だめなことをだめって言うちから 林田理世


 シンポジウム用の資料なので必ずしも厳密な分類が出来ているわけではない。例えば➂についてはこれらの例句の全てが果たして口語俳句ということが出来るか疑問のものもあった。➀―➁は戦前の新興俳句系の作品が多い。現代俳句につながる口語俳句は④以下であろう。金光論文との比較に適しているのは、⑤と⑥であるが、これらは現代俳句協会アンケートの発表に上がっていないものも含まれているので注意がいる。つまり俳句としての声価が確立しているわけはないからである。


(2)現代俳句協会系以外の口語俳句

 これに対し、筑紫は、口語俳句はすでにホトトギス俳句や自由律俳句にも多く見られる

ことを指摘した。著名句をあげてみる。


 毎年よ彼岸の入りの寒いのは    正岡子規

 赤い椿白い椿と落ちにけり     河東碧梧桐

 噴火口近くて霧が霧雨が      藤後左右

 娘らのうかうか遊びソーダ水    星野立子

 街の雨鶯餅のもう出たか      富安風生

 約束の寒の土筆を煮て下さい    川端茅舎

 月見草開くところを見なかつた   島田摩耶子

 漬菜がうまいのか醤油がうまいのか 京極杞陽

    *

 うしろすがたのしぐれてゆくか   種田山頭火

 墓のうらに廻る          尾崎放哉


 新興俳句作家系、或いは現代の若い作家だけに限定してしまうと、口語俳句の本質がすこしずれてしまう恐れもある。例えば(1)⑤の神野紗希「起立礼着席青葉風過ぎた」はホトトギス俳句の中において見ることによりその価値も浮かび上がるように思われる。


(3)口語俳句・口語俳句作家とは何か       

 ➂で疑問を呈したように、はたして口語俳句とは何か、どんな指標が口語俳句を位置づけるのかは考察を擁するところである。

 現代俳句協会のコンセンサスとして、代表的新興俳句の口語俳句作家として認められている作家に渡辺白泉がいる。その代表作としては、


 戦争が廊下の奥に立つてゐた  渡邊白泉

 憲兵の前で滑つて転んぢやつた  同

 銃後といふ不思議な町を丘で見た

 鶏たちにカンナは見えぬかもしれぬ


などがあるが、その一方で、


 玉音を理解せし者前に出よ

 夏の海水兵一人紛失す

 吾子は死にもろ手をたもちわれ残る

 戦場へ手ゆき足ゆき胴ゆけり


等の文語を使った句も並行して詠まれている。新興俳句=口語俳句ではない。口語俳句より効果的な文語俳句も存在するのだ。

 それは上に挙げたホトトギス作家にも言えることであり、


 街の雨鶯餅のもう出たか      富安風生(昭和12年6月号)


の直後に


 まさおなる空よりしだれ桜かな   富安風生(昭和12年7月号)


と、風生一代の名句と言われる文語俳句が出来ている。また、


 約束の寒の土筆を煮て下さい    川端茅舎(昭和16年2月号)


との半年後に、茅舎の絶筆として有名な文語俳句が出来ている。


 朴散華即ちしれぬ行衛かな     川端茅舎(昭和16年8月号)


 口語俳句と文語俳句派は一つの頭脳の中で同時に制作されている。文語俳句作家と口語俳句作家がいるわけではないのである。この落差が大きければ大きいほど、すぐれた口語俳句、すぐれた文語俳句が生まれるのである。

                ※

 以上は、口語俳句を代表する作家のそれだが、実は現在口語俳句はもっと普及している。例えば、私は今時評のために定期的に句集を読み合っているが、つい最近の句集だけをあげても伝統派の句集でも必ず口語俳句が混じっている。


箱庭に眼鏡をかけた人置こう    対馬康子『百人』

どぶろくや死が新しいから困る

まっさらな柩が芽吹いていますか

棒だらのほとびて魚らしくなる   伊藤伊那男『狐福』

梅雨茸つつかば侏儒にされてしまふ 池田瑠那『心柱』

二度踏んで煙茸ではないといふ   陽美保子『水のにほひ』

亡き人を訪ふ銀杏を踏まぬやう

赤松よ梟の子を落とすなよ

池の面の冬青空へ吸はれさう    西宮舞『白雲』

母の日や義理の息子のよくできて

短日やとどまりすぎてゐたることに 阪西敦子『金魚』

ずつとここに居るよと冬芽に囲まれて 依光陽子『ふ、は鳥に』

冬の蛾よ我は野面の石であつた

海に雪いそぎんちやくが見たかつたの

木の葉髪ああ跳び方を忘れてゐた

行く年の空を仰ぐや何が欲しい

ふららこに冷たき石の乗つてゐた

葱坊主耳を塞ぐと笑へないから

青筋揚羽年輪乾くまでゐてよ

らんちうやとてもかなしい人であつて

チューリップこころ折れずにゐてどうか

デージーや本当はどうでもいいのでせう


 口語俳句は決して新興俳句や、若い作家の専売特許ではない。もちろんその使い方は作家作家よって異なっている。概して言えば新興俳句作家のそれと違って、これらは、風格ある文語俳句の中に交えることによって一風違った風味を出すためのアクセサリーと云えようか。


【豊里友行句集『赤ん坊オーケストラ』を読みたい】3 『赤ん坊(あかんぐわ)オーケストラ』豊里友行句集を読んで  辻村麻乃(俳人)

 句集の中には一ページを使って行間を空けたものや、ずらしてデザインのように書いたもの(岡田隆彦の詩集にもあった)上五の季語を揃えた連作があって興味深い。

 また前作『地球のリレー』のテーマを引き継いで「リレー」というワードもいくつかの句に使われている。

 豊里氏は沖縄の俳句作家で、カメラマンでもあり、多くの作品を発表されている。「月と太陽(てぃだ)」代表。

 作品の中にはあちこちに沖縄の言葉も盛り込まれていて、風土性を強く感じる作家でもある。


  感情を隠すマスクの捕虫網

  いらぶーに国境線を任せてある

  芽吹き出す蔓まで軍事要塞化

  指紋まで解く人頭税の渦

  黒潮を描く与那国の猫小(まやーぐわぁ)の尾

  国境線を奏でるイラブチャーの虹


 沖縄なので国境線の問題は生活と密着している。毎日を詠むことは歴史や政治に触れることにも繋がる。


  こつこつと積もる清明の心音

  (こつこつ24句より)

  西瓜食う平和の種をぷぷぷぷぷ

  天体が弾む赤ん坊(あかんぐゎ)オーケストラ


 こつこつ24句の試みは面白かった。

 ぷぷぷぷぷは種を吐くようなオノマトペが小気味いい。

 赤ん坊(読み方が方言)


  李白と杜甫を転がす月の盃

  戦世の風化のなみだ 蝸牛

  血液の宇宙よ「命の御祝(ぬちのぐすーじ)さびら」 


 様々な句で送り仮名をされていて、それが沖縄独特の読み方とわかる。


  基地強化の整理縮小飛蝗とぶ


がちゃ

   がちゃ

      がちゃ 軍靴の雨音 

   がちゃ

がちゃ   

 

 分かち書き、更に改行もすることで前後左右にがちゃが響く。

 

  死者も僕らも血潮のリレーよ赤ん坊(あかんぐゎ)

  銀漢のこだま被弾した水筒

  とんとんみーの太陽系を渡り切る

  うりずんに愛されるための蕾よ

  天体のエイサー太鼓の月のと太陽(てぃだ)


 今の私たちの生き様を時代を超えて、宇宙間から俯瞰したような作品群は言霊となって唄い続けるだろう。


【短期連載】「自由律俳句の精神的自由」に関する宣言  煙陽

  わたしは、「宣言」として自由律俳句の「自由」を規定しようとか、どのやり方が一番良いのか、どうやれば自由律俳句はウマくなるのか、ということにはあまり興味がありません。ですので、この文章も「宣言」らしくないように、できるだけ柔らかく書こうと思います。  

 さて、既存の俳句から脱却した「新しい自由な俳句を作る」というのには、半分賛成半分反対といった感じです。本当のfree-verseを求めるならば、過去や現在、未来といった時間軸さえ必要ないのではないかと思うからです。この場合の自由には、「新しい」という形容詞すら必要ありません。  

 そもそもわたしは、自由律俳句に「型」を求めません。「優劣」すら求めないと言ってもいいかもしれません。詩的に優れていても、いなくても、各々、好きなものを作って句会というカタチで見せあったり、見せあわなかったり、そもそも頭の中の自分の世界で自由に考えているだけで、形にしなくてもいいものだと思います。自分を「俳人」と思わない人が、自由律俳句のような一行詩を生み出すこともあるでしょう。芸術を、芸術そのものとして作れなかった時代を乗り越えた、今ここにある自由律俳句においては、それこそが最も格式高い姿勢だと思うのです。  

   自由律俳句の自由という言葉は、たぶん皆さんが思うより、重いです。先程自由律俳句を「free-verse」と呼びましたが、わたしはこの「自由」を「liberty」と訳しても良いと思います。俳句の歴史を紐解いていくと、プロレタリア俳句の分野に当たるでしょう。栗林一石路や、橋本夢道など、自由律で詠まれたものが代表的です。わたし自身はプロレタリア俳句を進んでやっている、というわけではありませんが、  

  

**大戦起るこの日のために獄をたまわる (橋本夢道)**  

  

という句を知った時は、身をつまされる思いでした。俳句の歴史には、大きな黒点があります。時代に潰されざるを得なかった人たち。もちろん、これは定型の人にも当てはまります。異口同音しなければ、生きていけなかったのですから。でも、律に自由を求めた人たちに吹く風はもっと酷い逆風だったのではないでしょうか。「伝統」という言葉にいまさら頼ることも出来ず、発言の場は無くなっていく。家族とも離れ離れになる。雑誌が無くなる。そして、最後には人が居なくなる。  

   今、俳句という文脈の一番端に、ぽっと現れただけのわたしがいます。そんなわたしも、大学で自由律俳句の研究をし、句会に参加するうちに、結婚式のヴェールのように長く重いその歴史を、背負ったまま先に進みたいと思ってしまいました。  

 しかし、わたしは彼らのために何ができるのでしょう。  

 わたしは、この先どんな事があっても、「自由」を守り通していくための、指標が欲しいと思いました。自由律俳句というものを、形式や優劣で語るのではなく、いついつまでも、文化として守り抜く為の指標が欲しいと思いました。  

 わたしは、それを内側ではなく、外側に求めました。俳句をよく知る人が作ったものは、詩の作り方にこだわります。「これが自由律俳句だ」というために、区別したがります。しかし、本当の自由には、そんなものがそもそも必要なんでしょうか。ただ自分の律を信じる気持ちとその環境さえあれば、他には何もいらないのではないでしょうか。定型の人でも、自由律の人でも、きっとそれは変わりません。  

 私は、「図書館の自由に関する宣言」がとても好きです。以下、特に知っておいて欲しいところを抜粋します。  

  

1. 4.わが国においては、図書館が国民の知る自由を保障するのではなく、国民に対する「思想善導」の機関として、国民の知る自由を妨げる役割さえ果たした歴史的事実があることを忘れてはならない。図書館は、この反省の上に、国民の知る自由を守り、ひろげていく責任を果たすことが必要である。  

2. 5.すべての国民は、図書館利用に公平な権利をもっており、人種、信条、性別、年齢やそのおかれている条件等によっていかなる差別もあってはならない。  

  

 わたしは、自由律俳句を未来に繋ぐ宣言には、この精神を含めてくださるとうれしいと思っています。いつか、本当の意味でわたしたちが自由になれる時代がきたら、その時が自由律俳句の黄金期なのかもしれませんね。  


【連載】新現代評論研究:『天狼』つれづれ (10)「実作者の言葉」…「息の出で入り」/米田恵子

  この頃年のせいか、朝早く目が覚める。特に、夏は夜明け前に目が覚めてしまう。我が家ではクーラーがないので、暑くて寝ていられないからかもしれない。さすがに、冬は暗いうちに目がさめると、そのまま布団の中でぐずぐずする。そこで、俳句でもひらめくか、あるいは次に書く論文(?)の構想でも浮かんでほしいと思うがそんなことはなく、無為に時間が過ぎていく。

 このように、夜明け前に目が覚めるようになってから初めて気が付いたのが、『天狼』昭和23年12月号にある「実作者の言葉」の「息の出で入り」である。


障子いま明るむ息の出で入りに (昭和19年11月10日成、『遠星』所収)

 

 誓子のこの句について、ある評家が「鈍感なる誓子」(『新俳句新聞』第20号)という題で、「息の出で入り」という語は「日本語であろうか。畏るべき似而非語(えせひご)である。しかも、己の潔癖を妄信する誓子氏は鮮かに瞞着されて、毛ほども疑ひを容れない気の毒な事である」と書いていたそうだ。ひどい言われようである。

 誓子はここで俄然反論する。「息の出で入り」という表現は、先人たちも使っている表現で、岩木躑躅「出で入りの息も消ゆかや枯林」がある。俳壇では珍しいかもしれないが、歌壇では斎藤茂吉も「晝床にほのりほのりとゐる我の出で入り息の音の幽けさ」と、短歌にもすでに使用されている語である。茂吉はその後に書いた「童馬漫語」の「言葉のこと」(大正4年7月9日)に「出で入り」という語について、『歎異抄』や『国歌大観』から引き、その他平安時代の歌人の和歌を紹介していると誓子は引用して説明する。

 ただ、誓子は「出で入りの息」と名詞の修飾語として使えば問題はなかったのかもしれないが、「息の出で入りに」と動詞「明るむ」にかかるようにした。そこが一評家の誤解を招いたのかもしれないと考える。しかし、誓子は、そのまま用いたのであれば、子規の言う「造句の工夫」を怠ったことになる。「息の出で入りに」は誓子の工夫したオリジナルなところである。

 さらに、援護射撃が来る。『天狼』昭和24年2・3月号には、野尻抱影よりの手紙に古歌に典拠を求めるまでもなく、芝居や長唄に「出で入る息は、ア・ウンの二字」とあり、人口に膾炙した表現だと示された。天狼同人の杉本幽烏からも謡曲に同じ表現があると指摘される。

 そうして、ようやく『天狼』昭和24年5月号に誓子の自解が載る。


 冬の夜明に眼を覚ました。寝室の障子が明るくなりかゝつてゐる。しかしそれは急に明けるといふのではなく、私が臥床で、しづかに息を吐き、しづかに息を吸ひ、しづかに息を吐き、しづかに息を吸ふにつれて、それとともに明け白むのである。あたかも息の出で入りに因つてさうなるが如く。


 誓子は、呼吸するように徐々に徐々に明るくなっていくという。私も誓子の俳句のように、息をこらしてその時を待つ。吸って吐いてを意識し追体験しようとするが、どうもできない。実際には、息をするように明るくならないような気がする。私は慢性鼻炎の花粉症で鼻は悪いが、吸う吐くの呼吸は意識したことがないからかもしれない。また、私の場合は障子ではなく、雨戸の隙間から差す光だからだろうか。徐々に明るくなるというよりは、あっ!明るくなった、日が昇った、夜が明けた、というのが私の実感である。やはり、私は「造句の工夫」になかなか行きあたらない。

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり51 句集『此処』(池田澄子、2020年刊、朔出版)を再読する。豊里友行

  先ずは、「後記」より。

 八歳の夏、かの戦争で父を奪われ、人は死ぬ、死は絶対であると知って以来、此の世の景の儚さを忘れることができない体質になったようだ。偶々人に生まれ多くの人に出会い、その先にある別れの怖ろしさに、一瞬の現象をも含め様々の出会いを深く意識し、別れを怖れる自分をも眺めながら生きてきたようだ。二〇〇一年に師が逝き同じ年に育ての父が、そして母、そして夫が逝った。逆縁は許さぬと夫々に申し付けてあるので、あとは自分の死だけである。

 自分の死は怖くない。


 帯文の俳句と言葉も。


次の世は雑木山にて芽吹きたし


少なくとも

ペンを持っているときの

私の大小の悦びや嘆きは、

此の世に在る

万物の思いの一つ

であった。(池田澄子)


 私は、丁寧に生きるこの俳人を見習いたい。

 だが私は、この俳人の覚悟など知るよしもなく此の世を右往左往している。


あっ彼は此の世に居ないんだった葉ざくら

たいがいのことはひとごと秋の風

牡丹雪大人ですから黙ってます


 池田澄子俳句の心の機微の共鳴句をいただきます。

 料理の俳句にも丁寧に生きる所作がうかがえる。

 若手俳人に影響力のある口語俳句の先駆け的な存在なので強いて俳句鑑賞をいれずに俳句そのものを味わってほしい。


松過ぎの餃子の正しい包み方

心血の注ぎ疲れや千枚漬

湯に放つ刹那春菜のうれしそう

細切りの海苔を散らせばこぼれて春

啓蟄の稲荷寿司から紅生姜

わが死後の皿に汚れてパセリなど

ごーやーちゃんぷるーときどき人が泣く

雑煮用鶏を解凍しつつ寝る

饅頭に濃き焼印の端午かな

自ずから熟れて傷んで匂って桃

遠来の洋梨嗅いで供えて撮る

一月一日喪中の瓶詰のイクラ

切山椒いろとりどりや悲喜こもごも


 私も池田澄子さんのように丁寧に生きて俳句を綴りたい。


よい風や人生の次は土筆がいい

桜さくら指輪は指に飽きたでしょ

きりたんぽいのちあるものさびしがり

決心はゆらぐし柚子は黄色さすし

ねぇあなた嗚呼どうしよう桜咲く

心配に濃淡のあり夕ざくら

偲ぶひと多くて困る青葉かな

生き了るときに春ならこの口紅


 池田澄子さんの俳句魂は今なお、青葉である。

 食が細いと俳句は呟いてったっけ。

 食べて食べて俳句をもっともっともっと創造して欲しい。

 これからも池田澄子さんには、長生きしてもらって池田澄子俳句に唸らせられつつ、私は私らしく丁寧に生きる俳人の姿勢を見習いたい。


【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり21 池田澄子『池田澄子句集』

https://sengohaiku.blogspot.com/2025/01/hanameguri021.html


【読み切り】「青蛙まづは懺悔より頭垂れ」(池田澄子句集『此処』)豊里友行(2020年6月26日金曜日)

https://sengohaiku.blogspot.com/2020/06/139-003.html


【連載】現代評論研究:第26回各論―テーマ:「日」を読む・その他― 藤田踏青、北村虻曳、飯田冬眞、しなだしん、筑紫磐井、北川美美

 ●ー1近木圭之介の句【テーマ:日】/藤田踏青

投稿日:2012年06月15日 


言葉のない日 日没とパンがあれば     注①

 日とは太陽であり時間でもあり特定の一日でもある。掲句では上句で一日を、下句で夕陽を示している。この作句時の平成5年に圭之介は既に81歳になっており、時折り娘さんが世話の為に来る以外は一人で生活している事が多かったようである。日とは日の出から日没までの時間でもあり、誰ひとり訪れる事もない言葉のない一日でもあったろう。しかし日没は必ずその日そのものを閉じてくれるし、老詩人にとっては少しのパンと珈琲があれば充分であったのか、静かな心境である。一字空白は負と正の自意識の転換点でもあり、抽象的な覚知から具体的な覚知へ移行する時間的な空間をも示しているようだ。

 このような晩年の日没、夕陽への静かな眼差しと対比されるのが次の様な句である。

身の内 神経が一本赫ッと夕日す   昭和41年   注②

犬 誰にも呼ばれず赫と落日    昭和54年    々

耳の形が夕日の形が 悪魔を吐く   平成3年

 前二句の赫ツとした夕日や落日には、孤高を持するような燃えあがる反抗心と共に痛々しい側面もみられ、シーンとしての一断面が提示されている。そして三句目の耳の形は夕日の形のように不条理、不定形な感覚の下に自他共の目前に悪魔そのものを見出しているかの如きである。

 日を太陽とした句を見てみよう。

へんに哀しい街だ 人と太陽の匂い   平成4年  注③

混沌の街 位置づけられた太陽     平成11年  注③

果実と太陽の酸味もつ思慕か      平成11年

 これ等の句では、街というものは太陽の下に発酵してゆくと共に、太陽自身も街に位置づけられ相対化された存在になってしまっている。その中に生きている人間は、太陽の匂いと酸味とに包まれて街そのものに貼り付けられた存在のようにも思われる。

 太陽に関しては圭之介に不思議な詩が残されている。


 <パレットナイフ 32>抜        注④

 Ⅳ 三つの太陽 ―――

   二ツ目は動物的反射 今一ツは切り放され

   曖昧な附加物に化したという 咄(はなし)です

 

 Ⅴ 砂が泣いています 笑っているのもいる

   ときに密(ひそ)と話をしているようだから

   いま 海べりに行くのは およし


 漫画「ドラゴンボール」のナメック星では3つの太陽がそれぞれ昇ったり沈んだりするそうであるが、実際に太陽系から149光年離れた惑星では3つの太陽が見えるそうである。

 また、フランツ・シューベルトの連作歌曲「冬の旅」(Winterreise)のストーリーの中でも三つの太陽を見るという幻想の世界があり、わたしもフィッシャー・デイ―スカウのバリトンで聞くのが好きである。そのストーリーでの旅や失恋、疎外感、絶望などを圭之介の三つの太陽に当て嵌めてみると、太陽のもたらす翳り、時間の流れ、目そのものとの反映に行きつくのだが、少々強引過ぎるかも知れない。


注① 「日没とパンがあれば/近木圭之介の伝言」 川島条・編著・発行 平成22年刊

注② 「ケイノスケ句抄」  層雲社   昭和61年刊

注③ 「層雲自由律2000年句集」合同句集  層雲自由律の会  平成12年刊

注④ 「近木圭之介詩画集」 層雲自由律の会  平成17年刊


●―2稲垣きくの【テーマ:流転】四谷左門町時代/土肥あき子

(投稿日:2012年06月29日)

短夜や誰が出てゆきし門のおと

 前書には「四谷左門町に移る」、句集『榧の実』に所収された昭和37年(1962)の作品である。

 昭和37年5月、俳人協会創立時の資料にきくのは名を連ね、その住所は新宿区左門町9-2となっている。

 昭和34年(1959)に開業した四谷三丁目の駅から徒歩3分ほど、外苑東通りから一本奥まった喧噪を離れた静かな住宅街に居を構えた。新宿御苑、神宮外苑に囲まれた地は都心にありながら緑ゆたかで、「療養生活を打ち切って四谷左門町に落ち着く。病後を養うにはまことに恰好の地を得た。」と当時を振り返っている。(昭和48年3月号「俳句」)

 静かな夏の夜、近所の門の音がきくのの耳に届く。閑静な住宅地では、もの音が左右どちらの隣か、あるいは向かいの家からなのかはおよそ分る。だが、そのガチャリという音が「帰ってきた」のではく、「出ていった」と思う心がなにより切ない。きくのにとって門とは、入口であるより、出口であり、閉ざすときの音がことのほかひとりの胸に大きく響いてきたのだろう。

 この年より、きくのは大切な人を失い続ける。

 昭和37年(1962)10月、大場白水郎が死去。

 翌、昭和38年(1963)5月には久保田万太郎死去。

 そして、昭和41年(1966)1月8日、A氏が75歳で死去する。

    さるひとの…

でで虫やどこまでひとのへそまがり

と詠み

   にくきひとの…

言ひ捨ててぷいと出てゆくみぞれかな

と詠んだかのひとである。


「ひとの死ー」の前書がある五句は

先立たる唇きりきりと噛みて寒

残されて梅白き空あすもあるか

ひと亡しと思ふくらしの凍(いて)はじまる

ひと亡くて枯木影おくかのベンチ

ひとの死や薔薇くづれむとして堪ふる

さらに

世のつねの幸は念はず兼好忌

バレンタインデーか中年は傷だらけ

目刺やく恋のねた刃を胸に研ぎ

青饅や情におぼれて足掻く日々

恋畢る二月の日記はたと閉ぢ

と、もがくようにA氏への想いを詠み続ける。

 そして、この別れを振り切るように、あるいは見つめ直すように昭和41年(1966)10月、第二句集『冬濤』を上梓する。

 きくのの住まいのごく近所には鶴屋南北の「四谷怪談」のお岩さんを祀っているという於岩稲荷があった。縁結びとともに縁切りのご利益もあるという。「縁結び」か「縁切り」か。きくのが迷いながら歩いたかもしれない境内には、今も恋に悩む人であふれている。


●―4齋藤玄の句【テーマ:日】/飯田冬眞

(投稿日:2012年06月29日)

明日死ぬ妻が明日の炎天嘆くなり

 昭和41年作。第3句集『玄』(*1)所収。

 不治の病に侵されている妻あるいは夫から「明日死ぬ」と告げられたとしたら、人はどのような行動をとるだろう。


1、「馬鹿」と言って抱きしめる。

2、所用ができたと、席を外してから、泣く。

3、聞こえなかったふりをして、無関係なことを話し始める。

4、相手の興奮が納まるまで、黙って団扇を振り続ける。

5、看護婦を呼びつけ、酒を飲みに行く。


 たぶん、齋藤玄は「4」を選んだのだろう。死と病の不安から〈明日死ぬ〉と取り乱す妻のそばにいなければ、「明日も暑いのかしら」と炎天を嘆くことばを聞けないからだ。

 この句は齋藤玄の最初の妻節子が、昭和40年秋に癌を発病し、翌年夏の葬送までの顛末を克明に描いた連作「クルーケンベルヒ氏腫瘍と妻」193句中の1句。

 自註に玄はこう記す。(*2)

今日も暑かった。明日も暑いだろう。明日をも知れぬ妻の明日のための嘆きは哀れの極みであった。

 さらりと書き流しているが、〈明日死ぬ〉と口にしたのはおそらく妻なのだ。それは病苦にあらがう妻の肉声であったはずだ。そして、投薬の後、激痛が鎮まると、〈明日の炎天〉を嘆いてみせる妻に玄は人の生というものに「あはれ」を感じとったのではないか。それは、妻という対象を凝視することでつかみ得た実感なのである。対象(他者)に共振して自己にひきつけるからこそ、「あはれ」は生まれるのであり、自己に内省するならば、「かなし」に包囲されてしまうのだ。だから「かなし」には無力感がつきまとう。

 癌の妻を詠む「クルーケンベルヒ氏腫瘍と妻」の193句には「あはれ」が満ち満ちている。だが、ただの一句も「かなし」と感じるものはない。

 だからこそ、「冷静というより冷酷である」「人間愛<夫婦愛という意味か>に欠けているためか、読後のあと味の悪いものが残る」などの酷評を盟友であるはずの石川桂郎が知人間の評として、句集の序にあえて記したのだろう。

 だが、発表より44年を経た目でみれば、自己の無力感をさらけだして、他者に甘えることができなかった玄の矜持は、うらやましくもある。なぜなら、昨今の俳句には、あまりにも「かなし」を連呼する俳句が跋扈しているように映るからだ。


*1  第3句集『玄』 昭和46年10月発行 『齋藤玄全句集』 昭和61年 永田書房刊 所載 

*2  自註現代俳句シリーズ・第二期16『斎藤玄集』 昭和53年 俳人協会刊


●―9上田五千石の句【テーマ:日】/しなだしん 

炎帝に召し使はれて肥担ぐ

 第二句集『森林』所収。昭和三十二年作。

 今回のテーマ「日」、つまり太陽だが、五千石に日がさんさんという句はあまりない。広義で「日輪」に近しいものとして「炎帝」のこの句を今回選びだした。

 この句の自註には〈働くことは天に奉仕することだ。額に汗しないものに生きる喜びがない。とはいえ、炎天に肥担ぐものは、むごたらしい〉とある。

     ◆

 私の生まれ育った新潟県柏崎市の村にも、昭和四十年中頃くらいまで、肥溜の野壺があり、近くへゆくとぷーんと匂いがした。肥溜から肥を掬い、天秤棒で担いで畑へ運ぶ姿もよく見かけたものである。私が育ったのは柏崎刈羽原発にほど近い、海べりの砂地の土地。砂地でも育つ、茄子、胡瓜、トマト、西瓜やメロン、枝豆などが畑にあったように記憶している。だが高度経済成長期の裏側で、いつの間にか肥溜や天秤棒はひっそりと消えていった。

     ◆

 「炎帝」は夏の異名として季語になっており、「夏をつかさどる神」と解説されている。

 「炎帝」の辞書にはもうひとつ意味が載っており、(火の徳によって王となったところから)中国古代の伝説上の帝王、神農氏のこと、とある。

 中国の歴史は難しくてよくわかってはいないが、炎帝神農氏は、史記の三皇五帝の、皇帝の一人を指す。もともと南方の夏の季節を司る偶像的な神だったのが、五行思想の三皇の一人である神農と結びついて「炎帝神農氏」と呼ばれるようになり、歴史化されたようである。炎帝神農氏はその名の漢字にもあるように、農耕と、それに伴う薬事を司る神とされており、炎帝が農耕に結びついているのも興味深い。

 掲出句の「召し使はれ」は分かりにくい感じもあるが、この炎帝神農の命令通り働くのは「召し使い」のようであり、奴隷をも連想させる。汗水流して作物を作り、生き伸びようとする人間の姿である。

 炎帝のもとに肥の匂いと汗の匂いがもうもうと蘇ってくるような感じがするのは、子どもの頃の遠い記憶のせいだろうか。

     ◆

 掲出句の景は自註にある通り、労働の極みのような場面ともいえる。第一次産業で働く人々は逞しく、だがどこかで惨たらしい。

 真夏の炎天下、神の召し使いの如く、肥を担ぎ働く人間。今の若い俳人たちは到底理解しがたい情景だろう。


●―10楠本憲吉の句【テーマ:妻と女の間】/筑紫磐井

(投稿日:2012年06月15日)

竹落葉哀しかなしと掃く妻に

春嵐悲しきものに妻の嘘

妻がもたらす湿地茸(しめじ)ひと皿哀しけれ

机拭く妻に悲しみありや無し

 楠本憲吉と妻を結んで出てくる語に意外に「悲し」と言う言葉が多い。もちろん陽気な句もあり、激しい戦争の句もあるが、悲しみの句が目立つのである。

 だから前回触れた、「アイリスや妻の悲しみ国を問わず」という言葉がごく自然に出てくるわけである。ただ、言っておくが何故悲しいかは反省していない。誰が見ても、憲吉のせいで悲しいのだし、憲吉以外のいかなる原因に基づいても妻の悲しみは生まれない。それを押し隠して、健気な妻だけを仕立て上げてしまっている。

 しかし考えてみると、俳句は都合の悪いことを押し隠す芸術であるといえるかも知れない。短歌がまなじりを決して、リアリスティックにその原因を追及するのに、そうしたことを無粋だとして行ってこなかった。俳句は省略の文学とか沈黙の文学とかいう人がいるが、意識的にそれをやれば不誠実な文学であると言ってもいいのではないか。戦争のさなか花鳥諷詠を詠んでいられるのも多少ともそうした心理が原因しているかも知れない。

 そうした意味では、こんな言葉だけの悲しみの句ではなく、むしろ露悪的な俳句にこそ、憲吉の良心が伺えるのである。対比のために上げれば、すでに以前取り上げた、

枝豆は妻のつぶてか妻と酌めば

はなかなかどうして、読めば読むほど立派な作品と思われてくる。こんな俳句を詠んだ作家はおよそ見たことがない。それは俳人も一応平穏に見せかけた家庭を持っているからであり、その実どろどろとした妻との関係がない方が可笑しい、しかしそれを俳句で詠む勇気をみな持っていなかったのだ。

 悲しみの句と違って、この句が格段に優れているところは、悲しみの句が偽り粧われた妻の悲しみを詠んですっかり馬脚を現わしているのに対し、この句は208高地並みの激しい砲弾戦が行われているのにも関わらず、硝煙のあい間に「妻と酌めば」とあるところだ。この妻との関係は、なかなか夫婦でなくてはうかがい知れない機微にわたり、心理の綾があるようである。一体夫婦とは何か、を考えるきっかけにもなる。夫婦だからといって愛が永遠に続くはずがないのである。よし、続くとしてもそれは断続的に続くわけであり、その絶え間絶え間ににあって妻は夫をどのように考え、夫は妻をどのように見ているのか。妻も夫も直視したくない現実を、ひねりとか、諧謔という武器を持っていることを幸い、暴露するのである。俳人としての勇気を高く評価したいと思う。


●―12三橋敏雄の句【テーマ:『眞神』を誤読する】49.50.51/ 北川美美

(投稿日:2012年12月07日)

49.水待ちの村のつぶては村に落ち

 「つぶて(礫)」とは小石のこと。川のつぶてではなく、村のつぶてが村に落ちる。「水待ちの村」というだけで、水乞いをしている村が想像できる。「眞神」の村、誰もいなくなった村を想像する。「なしのつぶて」というように、投げても返ってこない石がそのまま村に落ちたということか。「水待ちの村」はかつて人の往来があり、仕事があり、家族が住み、嫁がきて、子が生まれて累代の繁栄がそこにあった。その「つぶて」を拾う人もなく、石が落ちる音が村に響くようだ。

 「水待ち」が心の枯渇のように感じられる。夏のギラギラとした太陽が刺さるように照りつける村。再び、安部公房の『砂の女』の理科の教師が汗をぬぐっている映像が思い浮かぶ。村という組織。そこにかつていた人々。石が落ちる音が耳に残る。

 木霊でしょうか、いいえだれでも・・・。


50.水赤き捨井を父を継ぎ絶やす

 48.から一句置いて「父」の再登場である。

 「水赤き捨井」を想定してみると、『眞神』の生れた昭和40年代の井戸であれば、鉄サビの赤と想像するのが容易いかもしれない。よって「捨井」となり、今は使われていない井戸として想像する。

 句の後半、井戸と同様に父をも「継ぎ絶やす」とあるのが曲者である。「父」の存在がどういう存在なのかを考えさせられる。

 父が継ぎ絶やされたならば、ここにいる僕(作者)は生まれてこなかった。父を継ぎ絶やし、絶滅できるのは、この僕(作者)かもしれない。生まれたルーツが井戸であるように感じられる。井戸(子宮)の水が「赤い」のは産道を流れる血なのか、この世に生まれていない僕(作者)=「水子」かもしれない。水子の自分が空に浮いているような存在のように思えてくる。

 『眞神』に溺れそうに息ができなくなる。

 しばらく『眞神』から離れ、再度この句に戻ってみても、やはり同じ読みになる。もう溺れているのだから死んでいるのも同じ。読んでいる自分も現世から離れているような気になる。ぐるぐると考える2012の秋である。


51.母を捨て犢鼻褌(たふさぎ)つよくやはらかき

 父の次には母を捨てる。男が母を捨てるというのは、母以外の女性に目覚めたということを意味しているように思える。犢鼻褌(たふさぎ)、は「ふんどし」のことである。「ふんどしの紐を締め直す」などの比喩が思い浮かぶが、言葉がもっている周知された認識をうまく表現に使っている。それが「つよく」である。褌の何が強いのか実のところはわからない。しかし、気持ちが強くやわらかくなっていくことが伝わってくる。

 アンニュイ(物憂い)なエロスが漂う。僕(作者)の息遣いが聞こえてくるようだ。この句を表現するならば、「唾を飲む」という動作が連想できる。その唾を吸う別の異性がいる気配すらある気がする。

 犢鼻褌を「たふさぎ」と読ませるだけでアンダーウエアが雅な道具になる。

 褌を締め直す時期にさしかかる中盤戦。眞神おそろし山険し。

英国Haiku便り[in Japan] (63)  小野裕三

ボスニア・ヘルツェゴビナから届いたhaiku

 正月にFacebookを眺めていたら、知人の海外の俳人が幾人も「今年も欧州のトップ俳人100人に選ばれた!」みたいな投稿をしていた。背景の詳細は知らないが、毎年そういう選考結果が発表されるらしい。僕が知る限りで実力者ばかりだったので、信頼できる選出と思える。

 今回はその100人の中から、ボスニア・ヘルツェゴビナの俳人、レフィカ・デディッチさんを紹介したい。というのも、たまたまその少し前に彼女からFacebookのメッセンジャーで連絡があり、句集のPDFを送ってもらっていた。書名は『HANAMI(花見)』。

 the morning sun

 bow from the terrace

 a new day

朝日 / テラスからのおじぎ / 新しい一日

 dust

 on an old postcard

 cherry trees alley

ほこり / 古い葉書の上に / 桜の木の小道

 red petals

 scattered on the asphalt

 unrestrained youth

赤い花びらが / アスファルトに散る / 奔放な青春

 mimosas

 to the girl‘s room

 no entry

ミモザ / 少女の部屋は / 立入禁止

 sun

 in a lavender field

 tickles the face

太陽が / ラベンダー畑で / 顔をくすぐる

 経歴を読むと、二〇二一年に第一句集『さくら』を刊行し、本書は二〇二三年刊行。花見という行事に注目したのはおそらく彼女の俳句観にも通じていて、俳句を「単なる詩」を超えた「詩的生活」「心の状態」「生き方」とも捉え、まさに花見はその象徴と思える。

 それは〝詩の美〟だけでなく〝美しく生きる〟というテーマにもなるが、さらにそのことを少なからぬ西洋人が「善」「平和」につなげて考える傾向があるように思えるのが興味深い。本書あとがきの「編集者の言葉」から引用する。

「この本に取り組むことは、私にとってリフレッシュであるだけでなく〈中略〉より良い世界への逃避でもありました。なぜなら〈中略〉俳句は一種の祈りのようなものであり、その主な理由は、俳句が憎しみ、暴力、破壊、分断などのメッセージを決して伝えていないという事実によるものです。」

 俳句が「より良い世界」の一助になりうる、とは日本人にはあまり自覚がないだろうが、ひょっとすると俳句の美徳のひとつかも知れないし、遠くない過去に紛争を経験した国の俳人からそれを指摘されるのは、どこか嬉しくも感じる。


※写真はデディッチさんのFacebookページから引用

(『海原』2025年4月号より転載)