●ー1近木圭之介の句【テーマ:日】/藤田踏青
投稿日:2012年06月15日
言葉のない日 日没とパンがあれば 注①
日とは太陽であり時間でもあり特定の一日でもある。掲句では上句で一日を、下句で夕陽を示している。この作句時の平成5年に圭之介は既に81歳になっており、時折り娘さんが世話の為に来る以外は一人で生活している事が多かったようである。日とは日の出から日没までの時間でもあり、誰ひとり訪れる事もない言葉のない一日でもあったろう。しかし日没は必ずその日そのものを閉じてくれるし、老詩人にとっては少しのパンと珈琲があれば充分であったのか、静かな心境である。一字空白は負と正の自意識の転換点でもあり、抽象的な覚知から具体的な覚知へ移行する時間的な空間をも示しているようだ。
このような晩年の日没、夕陽への静かな眼差しと対比されるのが次の様な句である。
身の内 神経が一本赫ッと夕日す 昭和41年 注②
犬 誰にも呼ばれず赫ッと落日 昭和54年 々
耳の形が夕日の形が 悪魔を吐く 平成3年
前二句の赫ツとした夕日や落日には、孤高を持するような燃えあがる反抗心と共に痛々しい側面もみられ、シーンとしての一断面が提示されている。そして三句目の耳の形は夕日の形のように不条理、不定形な感覚の下に自他共の目前に悪魔そのものを見出しているかの如きである。
日を太陽とした句を見てみよう。
へんに哀しい街だ 人と太陽の匂い 平成4年 注③
混沌の街 位置づけられた太陽 平成11年 注③
果実と太陽の酸味もつ思慕か 平成11年
これ等の句では、街というものは太陽の下に発酵してゆくと共に、太陽自身も街に位置づけられ相対化された存在になってしまっている。その中に生きている人間は、太陽の匂いと酸味とに包まれて街そのものに貼り付けられた存在のようにも思われる。
太陽に関しては圭之介に不思議な詩が残されている。
<パレットナイフ 32>抜 注④
Ⅳ 三つの太陽 ―――
二ツ目は動物的反射 今一ツは切り放され
曖昧な附加物に化したという 咄(はなし)です
Ⅴ 砂が泣いています 笑っているのもいる
ときに密(ひそ)と話をしているようだから
いま 海べりに行くのは およし
漫画「ドラゴンボール」のナメック星では3つの太陽がそれぞれ昇ったり沈んだりするそうであるが、実際に太陽系から149光年離れた惑星では3つの太陽が見えるそうである。
また、フランツ・シューベルトの連作歌曲「冬の旅」(Winterreise)のストーリーの中でも三つの太陽を見るという幻想の世界があり、わたしもフィッシャー・デイ―スカウのバリトンで聞くのが好きである。そのストーリーでの旅や失恋、疎外感、絶望などを圭之介の三つの太陽に当て嵌めてみると、太陽のもたらす翳り、時間の流れ、目そのものとの反映に行きつくのだが、少々強引過ぎるかも知れない。
注① 「日没とパンがあれば/近木圭之介の伝言」 川島条・編著・発行 平成22年刊
注② 「ケイノスケ句抄」 層雲社 昭和61年刊
注③ 「層雲自由律2000年句集」合同句集 層雲自由律の会 平成12年刊
注④ 「近木圭之介詩画集」 層雲自由律の会 平成17年刊
●―2稲垣きくの【テーマ:流転】四谷左門町時代/土肥あき子
(投稿日:2012年06月29日)
短夜や誰が出てゆきし門のおと
前書には「四谷左門町に移る」、句集『榧の実』に所収された昭和37年(1962)の作品である。
昭和37年5月、俳人協会創立時の資料にきくのは名を連ね、その住所は新宿区左門町9-2となっている。
昭和34年(1959)に開業した四谷三丁目の駅から徒歩3分ほど、外苑東通りから一本奥まった喧噪を離れた静かな住宅街に居を構えた。新宿御苑、神宮外苑に囲まれた地は都心にありながら緑ゆたかで、「療養生活を打ち切って四谷左門町に落ち着く。病後を養うにはまことに恰好の地を得た。」と当時を振り返っている。(昭和48年3月号「俳句」)
静かな夏の夜、近所の門の音がきくのの耳に届く。閑静な住宅地では、もの音が左右どちらの隣か、あるいは向かいの家からなのかはおよそ分る。だが、そのガチャリという音が「帰ってきた」のではく、「出ていった」と思う心がなにより切ない。きくのにとって門とは、入口であるより、出口であり、閉ざすときの音がことのほかひとりの胸に大きく響いてきたのだろう。
この年より、きくのは大切な人を失い続ける。
昭和37年(1962)10月、大場白水郎が死去。
翌、昭和38年(1963)5月には久保田万太郎死去。
そして、昭和41年(1966)1月8日、A氏が75歳で死去する。
さるひとの…
でで虫やどこまでひとのへそまがり
と詠み
にくきひとの…
言ひ捨ててぷいと出てゆくみぞれかな
と詠んだかのひとである。
「ひとの死ー」の前書がある五句は
先立たる唇きりきりと噛みて寒
残されて梅白き空あすもあるか
ひと亡しと思ふくらしの凍(いて)はじまる
ひと亡くて枯木影おくかのベンチ
ひとの死や薔薇くづれむとして堪ふる
さらに
世のつねの幸は念はず兼好忌
バレンタインデーか中年は傷だらけ
目刺やく恋のねた刃を胸に研ぎ
青饅や情におぼれて足掻く日々
恋畢る二月の日記はたと閉ぢ
と、もがくようにA氏への想いを詠み続ける。
そして、この別れを振り切るように、あるいは見つめ直すように昭和41年(1966)10月、第二句集『冬濤』を上梓する。
きくのの住まいのごく近所には鶴屋南北の「四谷怪談」のお岩さんを祀っているという於岩稲荷があった。縁結びとともに縁切りのご利益もあるという。「縁結び」か「縁切り」か。きくのが迷いながら歩いたかもしれない境内には、今も恋に悩む人であふれている。
●―4齋藤玄の句【テーマ:日】/飯田冬眞
(投稿日:2012年06月29日)
明日死ぬ妻が明日の炎天嘆くなり
昭和41年作。第3句集『玄』(*1)所収。
不治の病に侵されている妻あるいは夫から「明日死ぬ」と告げられたとしたら、人はどのような行動をとるだろう。
1、「馬鹿」と言って抱きしめる。
2、所用ができたと、席を外してから、泣く。
3、聞こえなかったふりをして、無関係なことを話し始める。
4、相手の興奮が納まるまで、黙って団扇を振り続ける。
5、看護婦を呼びつけ、酒を飲みに行く。
たぶん、齋藤玄は「4」を選んだのだろう。死と病の不安から〈明日死ぬ〉と取り乱す妻のそばにいなければ、「明日も暑いのかしら」と炎天を嘆くことばを聞けないからだ。
この句は齋藤玄の最初の妻節子が、昭和40年秋に癌を発病し、翌年夏の葬送までの顛末を克明に描いた連作「クルーケンベルヒ氏腫瘍と妻」193句中の1句。
自註に玄はこう記す。(*2)
今日も暑かった。明日も暑いだろう。明日をも知れぬ妻の明日のための嘆きは哀れの極みであった。
さらりと書き流しているが、〈明日死ぬ〉と口にしたのはおそらく妻なのだ。それは病苦にあらがう妻の肉声であったはずだ。そして、投薬の後、激痛が鎮まると、〈明日の炎天〉を嘆いてみせる妻に玄は人の生というものに「あはれ」を感じとったのではないか。それは、妻という対象を凝視することでつかみ得た実感なのである。対象(他者)に共振して自己にひきつけるからこそ、「あはれ」は生まれるのであり、自己に内省するならば、「かなし」に包囲されてしまうのだ。だから「かなし」には無力感がつきまとう。
癌の妻を詠む「クルーケンベルヒ氏腫瘍と妻」の193句には「あはれ」が満ち満ちている。だが、ただの一句も「かなし」と感じるものはない。
だからこそ、「冷静というより冷酷である」「人間愛<夫婦愛という意味か>に欠けているためか、読後のあと味の悪いものが残る」などの酷評を盟友であるはずの石川桂郎が知人間の評として、句集の序にあえて記したのだろう。
だが、発表より44年を経た目でみれば、自己の無力感をさらけだして、他者に甘えることができなかった玄の矜持は、うらやましくもある。なぜなら、昨今の俳句には、あまりにも「かなし」を連呼する俳句が跋扈しているように映るからだ。
*1 第3句集『玄』 昭和46年10月発行 『齋藤玄全句集』 昭和61年 永田書房刊 所載
*2 自註現代俳句シリーズ・第二期16『斎藤玄集』 昭和53年 俳人協会刊
●―9上田五千石の句【テーマ:日】/しなだしん
炎帝に召し使はれて肥担ぐ
第二句集『森林』所収。昭和三十二年作。
今回のテーマ「日」、つまり太陽だが、五千石に日がさんさんという句はあまりない。広義で「日輪」に近しいものとして「炎帝」のこの句を今回選びだした。
この句の自註には〈働くことは天に奉仕することだ。額に汗しないものに生きる喜びがない。とはいえ、炎天に肥担ぐものは、むごたらしい〉とある。
◆
私の生まれ育った新潟県柏崎市の村にも、昭和四十年中頃くらいまで、肥溜の野壺があり、近くへゆくとぷーんと匂いがした。肥溜から肥を掬い、天秤棒で担いで畑へ運ぶ姿もよく見かけたものである。私が育ったのは柏崎刈羽原発にほど近い、海べりの砂地の土地。砂地でも育つ、茄子、胡瓜、トマト、西瓜やメロン、枝豆などが畑にあったように記憶している。だが高度経済成長期の裏側で、いつの間にか肥溜や天秤棒はひっそりと消えていった。
◆
「炎帝」は夏の異名として季語になっており、「夏をつかさどる神」と解説されている。
「炎帝」の辞書にはもうひとつ意味が載っており、(火の徳によって王となったところから)中国古代の伝説上の帝王、神農氏のこと、とある。
中国の歴史は難しくてよくわかってはいないが、炎帝神農氏は、史記の三皇五帝の、皇帝の一人を指す。もともと南方の夏の季節を司る偶像的な神だったのが、五行思想の三皇の一人である神農と結びついて「炎帝神農氏」と呼ばれるようになり、歴史化されたようである。炎帝神農氏はその名の漢字にもあるように、農耕と、それに伴う薬事を司る神とされており、炎帝が農耕に結びついているのも興味深い。
掲出句の「召し使はれ」は分かりにくい感じもあるが、この炎帝神農の命令通り働くのは「召し使い」のようであり、奴隷をも連想させる。汗水流して作物を作り、生き伸びようとする人間の姿である。
炎帝のもとに肥の匂いと汗の匂いがもうもうと蘇ってくるような感じがするのは、子どもの頃の遠い記憶のせいだろうか。
◆
掲出句の景は自註にある通り、労働の極みのような場面ともいえる。第一次産業で働く人々は逞しく、だがどこかで惨たらしい。
真夏の炎天下、神の召し使いの如く、肥を担ぎ働く人間。今の若い俳人たちは到底理解しがたい情景だろう。
●―10楠本憲吉の句【テーマ:妻と女の間】/筑紫磐井
(投稿日:2012年06月15日)
竹落葉哀しかなしと掃く妻に
春嵐悲しきものに妻の嘘
妻がもたらす湿地茸(しめじ)ひと皿哀しけれ
机拭く妻に悲しみありや無し
楠本憲吉と妻を結んで出てくる語に意外に「悲し」と言う言葉が多い。もちろん陽気な句もあり、激しい戦争の句もあるが、悲しみの句が目立つのである。
だから前回触れた、「アイリスや妻の悲しみ国を問わず」という言葉がごく自然に出てくるわけである。ただ、言っておくが何故悲しいかは反省していない。誰が見ても、憲吉のせいで悲しいのだし、憲吉以外のいかなる原因に基づいても妻の悲しみは生まれない。それを押し隠して、健気な妻だけを仕立て上げてしまっている。
しかし考えてみると、俳句は都合の悪いことを押し隠す芸術であるといえるかも知れない。短歌がまなじりを決して、リアリスティックにその原因を追及するのに、そうしたことを無粋だとして行ってこなかった。俳句は省略の文学とか沈黙の文学とかいう人がいるが、意識的にそれをやれば不誠実な文学であると言ってもいいのではないか。戦争のさなか花鳥諷詠を詠んでいられるのも多少ともそうした心理が原因しているかも知れない。
そうした意味では、こんな言葉だけの悲しみの句ではなく、むしろ露悪的な俳句にこそ、憲吉の良心が伺えるのである。対比のために上げれば、すでに以前取り上げた、
枝豆は妻のつぶてか妻と酌めば
はなかなかどうして、読めば読むほど立派な作品と思われてくる。こんな俳句を詠んだ作家はおよそ見たことがない。それは俳人も一応平穏に見せかけた家庭を持っているからであり、その実どろどろとした妻との関係がない方が可笑しい、しかしそれを俳句で詠む勇気をみな持っていなかったのだ。
悲しみの句と違って、この句が格段に優れているところは、悲しみの句が偽り粧われた妻の悲しみを詠んですっかり馬脚を現わしているのに対し、この句は208高地並みの激しい砲弾戦が行われているのにも関わらず、硝煙のあい間に「妻と酌めば」とあるところだ。この妻との関係は、なかなか夫婦でなくてはうかがい知れない機微にわたり、心理の綾があるようである。一体夫婦とは何か、を考えるきっかけにもなる。夫婦だからといって愛が永遠に続くはずがないのである。よし、続くとしてもそれは断続的に続くわけであり、その絶え間絶え間ににあって妻は夫をどのように考え、夫は妻をどのように見ているのか。妻も夫も直視したくない現実を、ひねりとか、諧謔という武器を持っていることを幸い、暴露するのである。俳人としての勇気を高く評価したいと思う。
●―12三橋敏雄の句【テーマ:『眞神』を誤読する】49.50.51/ 北川美美
(投稿日:2012年12月07日)
49.水待ちの村のつぶては村に落ち
「つぶて(礫)」とは小石のこと。川のつぶてではなく、村のつぶてが村に落ちる。「水待ちの村」というだけで、水乞いをしている村が想像できる。「眞神」の村、誰もいなくなった村を想像する。「なしのつぶて」というように、投げても返ってこない石がそのまま村に落ちたということか。「水待ちの村」はかつて人の往来があり、仕事があり、家族が住み、嫁がきて、子が生まれて累代の繁栄がそこにあった。その「つぶて」を拾う人もなく、石が落ちる音が村に響くようだ。
「水待ち」が心の枯渇のように感じられる。夏のギラギラとした太陽が刺さるように照りつける村。再び、安部公房の『砂の女』の理科の教師が汗をぬぐっている映像が思い浮かぶ。村という組織。そこにかつていた人々。石が落ちる音が耳に残る。
木霊でしょうか、いいえだれでも・・・。
50.水赤き捨井を父を継ぎ絶やす
48.から一句置いて「父」の再登場である。
「水赤き捨井」を想定してみると、『眞神』の生れた昭和40年代の井戸であれば、鉄サビの赤と想像するのが容易いかもしれない。よって「捨井」となり、今は使われていない井戸として想像する。
句の後半、井戸と同様に父をも「継ぎ絶やす」とあるのが曲者である。「父」の存在がどういう存在なのかを考えさせられる。
父が継ぎ絶やされたならば、ここにいる僕(作者)は生まれてこなかった。父を継ぎ絶やし、絶滅できるのは、この僕(作者)かもしれない。生まれたルーツが井戸であるように感じられる。井戸(子宮)の水が「赤い」のは産道を流れる血なのか、この世に生まれていない僕(作者)=「水子」かもしれない。水子の自分が空に浮いているような存在のように思えてくる。
『眞神』に溺れそうに息ができなくなる。
しばらく『眞神』から離れ、再度この句に戻ってみても、やはり同じ読みになる。もう溺れているのだから死んでいるのも同じ。読んでいる自分も現世から離れているような気になる。ぐるぐると考える2012の秋である。
51.母を捨て犢鼻褌(たふさぎ)つよくやはらかき
父の次には母を捨てる。男が母を捨てるというのは、母以外の女性に目覚めたということを意味しているように思える。犢鼻褌(たふさぎ)、は「ふんどし」のことである。「ふんどしの紐を締め直す」などの比喩が思い浮かぶが、言葉がもっている周知された認識をうまく表現に使っている。それが「つよく」である。褌の何が強いのか実のところはわからない。しかし、気持ちが強くやわらかくなっていくことが伝わってくる。
アンニュイ(物憂い)なエロスが漂う。僕(作者)の息遣いが聞こえてくるようだ。この句を表現するならば、「唾を飲む」という動作が連想できる。その唾を吸う別の異性がいる気配すらある気がする。
犢鼻褌を「たふさぎ」と読ませるだけでアンダーウエアが雅な道具になる。
褌を締め直す時期にさしかかる中盤戦。眞神おそろし山険し。