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2024年3月22日金曜日

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】③ 豊里友行句集『母よ』より 小松風写 選句

・さみしさの鮫が近寄る昼寝覚 

・貌や翅を呑み込む蟻の銀河系

・丸ごと遺品のおきなわ慰霊の日 

・ぐいぐいと命を伸ばす蝸牛  

・息を呑む吹奏楽の蝉しぐれ  

・爆心地を弾くほど泣く赤ん坊

・若夏が沁みる埋立だらけの島  

・戦争の眼を綴じ込める蝶の翅  

・老いる母を織り成す小夏日和  

・地球を描く縄跳びの子らの虹  

・虹を弾くニライカナイの甘蔗穂波  

・おきなわの弦は丸ごと花ゆうな  

・年の瀬を越えて行くんだ葱坊主  

・しら波の子ら鬼餅寒の舌を巻く  

・蠅一匹生まれる此処は我が孤島  

・立春の文庫本サイズの孤独  

・蛍烏賊の我らスマートフォンの海  

・ういるす籠りの母の孤独と語り合う  

・虹色の川になるパラソルの子ら  

・抱きしめた島は丸ごと南風  

・命どぅ宝が大事な私とうがらし  

・みなマスクの子らの視線さくらんぼ  

・性欲が明るい蔓の熱帯夜  

・喜怒哀楽も刻んで苦瓜ちゃんぷるー 

(小松風写 選)


  写真家の小松健一(こまつ けんいち、1953年 - )氏は、写真界で名を馳せる。写真集『雲上の神々-ムスタン · ドルパ』で1999年の第2回藤本四八写真文化賞。2005年の『ヒマラヤ古寺巡礼』で日本写真協会賞年度賞など多数受賞歴がある。近作の小松健一写真集『琉球OKINAWA』(2022年5月15日刊・本の泉社)は、1998年の「琉球-OKINAWA」で第23回視点賞受賞をずっとあたため続けた情熱の結晶化された作品。その他にも私、豊里友行の好きな「石川啄木 光を追う旅」(1996年刊、碓田 のぼる氏との共著)や「宮沢賢治 修羅への旅」(1997年刊、三上 満氏との共著)でも写真家の写真による文学の影像化の真骨頂は、「写真・日本文学風土記」作品シリーズとしても情熱の持続がなされていている。

 俳句では高島茂に師事「獐」同人、伊丹三樹彦、中原道夫に師事「一滴(しずく)」同人、短歌では碓田のぼる、馬場あき子に師事。(文責:豊里友行)


2023年5月26日金曜日

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】➁ 豊里友行句集『母よ』書評 石原昌光(沖縄歴史家)

 ・喜怒哀楽も刻んで苦瓜(ごーやー)ちゃんぷるー


 苦瓜を見ると、まさにうちなぁんちゅそのものだなと思う

 酷暑に耐え、低賃金で働いて働いて、子ども達を懸命に育て

 かつての紅顔の美少年も美少女も苦瓜のようにゴツゴツした顔になる。

 人生の喜怒哀楽が純真な心を否応なく擦れさせ、出てくる言葉は甘くない。

 だが、その言葉には何とも言えない滋味がある。

 あまりにも緑色をした苦瓜、その苦みを越えた先にある爽やかさ

 そんなわけで私は苦瓜が好きだし、うちなぁんちゅが好きである。


・帰るべき国を問う岬の燐寸擦る


 辺戸岬のすぐ先の与論島との間に引かれた北緯27度線は復帰前沖縄と大和を隔てる民族分断のラインだった。

 それでも沖縄県民は熱烈に祖国復帰を望み、沖縄を我々に返せと歌い篝火を焚き与論島の同胞と心を通わせた。

 こうして祖国復帰がなってから51年、しかし、今でも沖縄には異民族の基地が存在し沖縄は沖縄人に返されていない。

 あの熱烈な祖国復帰への渇望は、うちなぁんちゅの片思いだったのか?力強い篝火の火は燐寸の束の間の光だったのだろうか?

 それはヤマトンチュの裏切りなのか?うちなぁんちゅに悪い所があったのか?

 そも、そんな事を考える事すら、別れた恋人の思い出を数えるような虚しい事なのか?

 今、岬に立って燐寸を擦っても未来は見えない。ただ暗闇に海鳴りが吸い込まれるだけである。


・ひと言を悔い出す深夜チューリップ


 私は昨年、母親を亡くした。亡くなる2年前までは母親と同居し、足腰が弱くなった母の日常生活を助けていた。

 母親というのは、子どもを自分の血肉の一部だと思っているから、一切遠慮会釈のないものである。

 四十路を過ぎた私を子供のように扱い、上から目線であれこれ口を出し、たまらぬ事に行動を束縛する。

 そのうちに私もカチンと来て、最愛の母にキツイ言葉をぶつけてしまう。

 そして、母親の寂しそうな悲しそうな顔を見て、いつでも我に返り自己嫌悪する。

 私を慈しみ、無制限の愛を与えてくれた母は、そこにはもういないのだ。

 チューリップの花咲く花壇の傍を、幼き私の手を引いて歩いてくれた母はもういないのだ。

 今度は私が母を愛し慈しまないといけないのに、私はいつまでも母というチューリップの周りを飛び回る蝶だった。

 今は後生にいる母に、心の中でゴメンと詫びてみた。


2023年5月12日金曜日

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】➀ 豊里友行句集『母よ』書評 伊波一志

  先日、友人・豊里友行から『母よ』の書評の依頼がありました。ただし、僕は俳人でもなく、批評家でもない、沖縄在住のただの写真家です。豊里友行のもうひとつの顔である写真家仲間の一感想文として、お手柔らかに読んでいただけると幸いです。形式も何もわからない門外漢なので、僕が好きな句を5つ選びそれぞれ僕が勝手に想像・解釈した内容になっていますので、あしからず。


1.「戦争は嫌っ これでもくらえ 春だ」

 この俳句は、明らかに豊里の一貫して戦争を憎み、それに対して強く反発する気持ちを表明した句です。冒頭の「戦争は嫌っ」という言葉は、豊里の強い主張が示唆されていると感じました。また。続く「これでもくらえ」という言葉は、戦争に対して反発するだけではなく、戦争という敵に対して絶対に屈しないぞ、という豊里の意思表明にも感じられます。最後の「春だ」という言葉は、戦争や破壊とは対極のフレーズですが、このフレーズのおかげで、戦争に対する嫌悪感だけではなく、平和や希望を求める気持ちも同時に抱いている豊里を表しているのだと感じました。この句は全体的に豊里が戦争に対する憎しみや反発を表現しつつ、それに対してみずからが立ち向かう意思を示す力強い作品です。僕は、豊里と知り合って15,6年になりますが、写真家としての豊里の一貫した思想を言葉にしたような俳句だと感じました。


2.「蛍烏賊の我らスマートフォンの海」

 この俳句は、自然界と現代の技術社会が対比された一節です。蛍烏賊が自然の海で生きる様子を描き、そこに「我らスマートフォンの海」というフレーズが挿入され、現代社会の便利なツールであるスマートフォンが自然界の海のように広がっていることを暗示しているのでしょう。現代社会に欠かせないツールと自然界の生き物とのギャップが表現された、おもしろい句だと思います。ちなみに、昨年『世界のウチナーンチュ大会』という那覇市の球場で開催されたイベントで写真撮影をする豊里を見かけたことがあります。その日世界中から沖縄に帰ってきたウチナーンチュたちが暗い客席でスマホのライトを振る無数の光の情景が深く心に刻まれたのですが、もしかしたら豊里も同じ情景から着想したのかもしれません。


3.「ういるす籠りをまたぐ夜の巨人」

 この俳句は、非常にイメージ力豊かな作品で、不思議な情景を想起させます。

冒頭の「ういるす籠りをまたぐ」という言葉は、現代社会が直面しているウィルスや病気といった課題に対して、人々がそれを乗り越え、立ち向かう姿勢を表現していると解釈しました。そして続く「夜の巨人」という言葉が何を指しているのかは明確には分かりませんが、何か巨大な存在感を暗示しているのでしょう。単純明快な絵が想起できないことで、俳句の世界に複数のレイヤーを感じさせる独特の空気感が生まれていると思います。また、「ういるす籠りをまたぐ夜の巨人」という言葉自体が非常にリズミカルで、言葉の響きが美しく、癖になる感覚が、いいと思います。音韻美が強調された作品といっていいのかもしれません。


4.「蹴る海の胎児はジュゴン寄せる波」

 この俳句は、基本的には海の美しさや、そこに生きる生物たちの姿を表現した作品だと思います。「蹴る海の胎児」という表現からは、海の波が胎児のように躍動している様子がイメージできました。また「胎児」という言葉からは、海が命を育む母なる存在であることが示唆されています。そのあと「ジュゴン寄せる波」という言葉が続きます。ジュゴンは絶滅危惧種の海洋哺乳類で、世界的にも貴重な存在とされていますが、その生息域の北限が沖縄だとされています。そして、僕らウチナーンチュが「ジュゴン」と聞いて、すぐに想起するのは、辺野古の海。辺野古の海は、新基地建設のために埋め立てが始まっていて、少し前まではジュゴンの親子が目撃された美しい海です。おそらく豊里は、この句で、ジュゴンのいるような美しい海を基地建設で埋め立てられる理不尽さ・怒り・せつなさ・むなしさ等複合的な感情を込めていると思います。


5.「修羅に成り逸れてひやしんす」

 この句は、句集の中でもっとも好きな句ですが、解釈がとてもむずかしいと感じました。

 まず、「修羅」という言葉の意味ですが、一般的な、果てしない争いや激しい怒りなどのたとえとして「修羅」を使うと、続く「成り逸れて」とつながりにくいと思いました。なんとなくですが、僕が直観的に思ったのは、豊里のいう「修羅」は宮沢賢治の「おれはひとりの修羅なのだ」の「修羅」なのではないかと。では、賢治がそんな「修羅」だと自分を意識するのは、どのような意味合いにおいてなのか。「仏教の教えによれば、世界は六道界からなっている。修羅の世界は餓鬼や地獄よりは上であるが、天上界はもとより人間界よりも下に位置する。だから修羅であることは、まだ人間にもなりきれない未熟な存在なのだ。」賢治は、「修羅」をこのような意味合いでとらえていたそう。もっと、具体的にいうと、賢治が捕らえていた「修羅」の姿とは、煩悩にさいなまれている姿であったようです。怒り、憎しみ、嫉妬といった感情から脱しきることが出来ずに、つねに焦燥感に駆られていた賢治は、自分の今の姿がそうだと感じていたとのこと。豊里は、賢治のいう、まだ人間にもなりきれない未熟な存在としての「修羅」にすら成れていない、と表現しているのではないでしょうか。そして続く「ひやしんす」。豊里がいうひやしんすは何色か分かりませんが、僕は紫色のひやしんすではないかと考えてみました。紫色のひやしんすの花言葉は、「悲しみ」「悲哀」でした。何かこの句は、俳人・写真家としての豊里の生きざまや志の高さを示すとてもいい句だと思います。

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伊波一志(いは・かずし)
1969年沖縄生まれ。写真家。
サイト:ihakazushi.com