2023年2月24日金曜日

第198号

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秦夕美の死と句集『雲』  筑紫磐井 》読む

パンデミック下における筑紫磐井の奇妙な追想  竹岡一郎 》読む

現代俳句大賞に齋藤愼爾氏

【募集】第8回攝津幸彦記念賞  》読む

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令和四年秋興帖
第一(12/23)浅沼璞・のどか・関根誠子
第二(1/8)杉山久子・小野裕三・松下カロ
第三(1/20)仙田洋子・大井恒行・辻村麻乃
第四(2/3)岸本尚毅・神谷波・山本敏倖・ふけとしこ・小林かんな・小沢麻結
第五(2/10)曾根毅・木村オサム・瀬戸優理子・望月士郎・仲寒蟬
第六(2/17)眞矢ひろみ・林雅樹・加藤知子・花尻万博
第七(2/24)みろく・竹岡一郎・渡邉美保・衛藤夏子


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【抜粋】〈俳句四季12月号〉俳壇観測240 堀田季何はなにを考えているか――有季・無季、結社、協会

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英国Haiku便り[in Japan](35) 小野裕三 》読む

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『永劫の縄梯子』出発点としての零(3)俳句の無限連続 救仁郷由美子 》読む

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス

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中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス

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2月の執筆者(渡邉美保)

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

現代俳句大賞に齋藤愼爾氏   筑紫磐井

  現代俳句協会は、令和5年2月20日に「第23回現代俳句大賞」に齋藤愼爾氏を決定したと発表しました。

  齋藤氏は、「アサヒグラフ」増刊俳句特集、朝日文庫『現代俳句の世界』等により、保守化していた俳壇にあたらしい風を吹き入れてくれた。攝津幸彦が「狙っているのは現代の静かなる談林」と高らかに叫んだのはこうした風が吹いていたからだと思う。

 私自身にとっても、最初の評論集『飯田龍太の彼方へ』の執筆を勧めてくれた恩人であるし、ささやかに書き溜めていた『虚子は戦後俳句をどう読んだか―埋もれていた「玉藻」研究座談会』を公にしてくれた恩人でもある。堀本吟の『霧くらげ何処へ』、恩田侑布子『余白の祭』など「豈」同人の普通の出版社ではとても出せない本を刊行してくれていた。その意味でも俳壇に大きな功績のある人であった。

 以下発表文を掲げます。

    **************************

       「第23回現代俳句大賞」決定のお知らせ

 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。

 さて、首記の第23回現代俳句大賞につきましては、2月15日(水)午後3時より選考委員会が開かれました。本賞は幅広く協会の内外より現代俳句の興隆に貢献した方々を顕彰するもので、現代俳句の最高位に位置付けされる賞であります。

 その結果、下記のとおり決定いたしましたので、お知らせ申し上げます。

                                                                                                   謹 白

                      記

 ◎第23回 現代俳句大賞  齋藤 愼爾(さいとう しんじ)俳人、編集者、文芸評論家

➀尖鋭な俳句批評を執筆するとともに、数々のアンソロジーや編集企画に参加した(「アサヒグラフ」増刊号の7回にわたる俳句特集、朝日文庫『現代俳句の世界』16巻、三一書房『俳句の現在』16巻、ビクター『映像による現代俳句の世界』等)。昭和後期に俳句を始めた青年たちに大きな影響を与えた。最近では、河出書房新社『20世紀名句手帳』8巻がある。

➁俳句実作の経歴も長く、『夏の扉』『陸沈』『齋藤愼爾全句集』等を刊行し、先鋭的な作品は俳壇内外からの賞賛を受けている。寺山修司らと俳句雑誌「雷帝」を刊行。


◎受賞者のプロフィールは次のとおりです。


 ◇ 昭和14年(1939年)8月25日朝鮮京城府(現・韓国ソウル市)生まれ、83歳 


住 所    深夜叢書社 〒134-0087 江戸川区清新町1-1-34-601 電話03(3877)7797


略 歴

 ・昭和14年(1939年)朝鮮京城府(現・韓国ソウル市)にて出生、昭和21年(1946年)山形県の飛島に移る。高校時代より句作を開始。

・1955年(昭和30年)秋沢猛、秋元不死男に師事、秋元「氷海」に投句。「氷海賞」受賞。

・山形大学文理学部国文科を中退後、昭和38年(1963年)に深夜叢書社を設立。

・以降は、俳人、編集者としての活動を継続しつつ、文芸評論や評伝執筆など多方面にて活躍。


著 書: 『齋藤愼爾全句集』(河出書房新社)『寂聴伝 良夜玲瓏』『続 寂聴伝 坫華微笑』(白水社)『ひばり伝 蒼穹流謫』(講談社)『周五郎伝 虚空巡礼』(白水社)句集『陸沈』(東京四季出版)、等多数、また、文学や芸術の各ジャンルや社会時評など多方面での編著がある。


◎選考委員

中村和弘、寺井谷子、高野ムツオ、対馬康子、秋尾 敏、小林貴子、久保純夫、

筑紫磐井、永井江美子、後藤 章 (寺井谷子及び久保純夫は、オンラインにて参加)


◎顕 彰

本年3月18日(土)東京都台東区「東天紅」上野店にて開催の令和5年度現代俳句協会

通常総会(午後3時より)の席上にて、顕彰することを予定しております。

*お問い合わせ先 現代俳句協会事務局(電話03-3839-8190) 


パンデミック下における筑紫磐井の奇妙な追想  竹岡一郎

1.

 パンデミック以降、筑紫磐井の句が突然変わった事に気づいて、この三年ほど注目していた。此処に漸く論ずることにする。

 「転校生」(俳句新空間2020初夏No.12)より引く。これは筑紫磐井が小学生の頃に出会った様々な子についての連作と読んだ。その中から、同じ子について詠ったのではないかと感じる六句を挙げる。

かをるかをる若葉に少女細くなる

ほんとうの嘘ばかりつく転校生

保健室にいつもゐる子はゐない子で

春の水気泡となつて小学生

お下がりが似合ふが妬し末恐ろし

病室を間違へ知らぬ子を見舞ふ

 この六句は二十句中に分散して入っている。記憶が分散するごとくだ。句を並べると、或る像が見えて来る。

保健室にいつもゐる子はゐない子で

 保健室にいるからといって、病弱とは限らない。集団に馴染めない子なのかもしれない。しかし、磐井少年は、なぜその子が「保健室にいつもゐる」と知っていたのか。その子が教室に居ないと、いつも気になって、保健室を覗きに行ったのだろうか。すると居る。ベッドに寝ているのか、それとも窓際でぼんやりしているのか。保健室という領域では、その子はいつも居る。居る事を、磐井少年は認識している。

 しかし、教室という領域では「ゐない子」、そして教室で騒いでいる子供たちにとっては、居ないと認識されている子、名前だけは辛うじて憶えられているかも知れない子だ。そして恐らく細い子だ。

かをるかをる若葉に少女細くなる

 「かをるかをる若葉」というリズムに、くるくると舞う若葉が浮かぶ。そのリズムによって、少女は細くなってゆくように思われる。「かをるかをる」は少女にも掛かる。少女は香るのだ。その少女の舞うような所作は、陽炎のように儚く見えるのかもしれぬ。陽炎と思ったのは、次の句による。

春の水気泡となつて小学生

 昔の小学生はうるさいものだった。特に高度成長期の元気な小学生ときたら、気泡どころか、騒がしい動物のようであった。しかし、あの子だけは違う。何かの拍子に、気泡と化すような気さえするのだ。これは「春」が動かないだろう。春の水の行く末には陽炎という現象があるからだ。

ほんとうの嘘ばかりつく転校生

 その子は転校生だ。転校してきて、その学校に居つくわけではない。転校を繰り返して、何処に行っても「転校生」という認識が取れないままの子ではないか。その子が嘘ばかりつく。少なくとも周囲の子供たちは、その子の言葉が嘘だと思っている。磐井少年の認識は違う。上五に「ほんとうの」とあるからだ。その子の話が実は本当である事を、磐井少年だけは知っている。

 なぜ知っているのだろう。その嘘が、例えば知識ある大人なら知っているような「ほんとうの」事なら、磐井少年はその年頃の普通の子には無い知識を持っているからだ。また、その子の周りに起こる事であるなら、その子と磐井少年が或る経験を共有しているからだ。後者の方が詩的なので、そう取りたい。この「ほんとうの」には、磐井少年の密かな誇りが込められている。その子と自分だけが真実を共有しているという誇りだ。

お下がりが似合ふが妬し末恐ろし

 妬(ねた)し、という語には、単に嫉妬だけではなく、妬ましく思えるほど素晴らしく羨ましい、という意味が込められている。まず女の子だろう。お下がりが似合う男の子に「末恐ろし」という表現は使わない。

 「お下がり」は誰のお下がりなのだろう。その子に姉がいるのか。普通、お下がりとは大きくて、くたびれ、身に合わないものだ。それが似合うという事は、同年代の子よりも大人びて、背も高いと思われる。お下がりを貧乏臭く見せないで着こなしているのは、そのお下がりを凌駕する所作が備わっているからだ。下五に「末恐ろし」とある。栴檀は双葉より芳しく、このまま成長すれば、諸人を惑わしかねない香を、その所作にまとうだろう。

病室を間違へ知らぬ子を見舞ふ

 病弱な子が大人びて見えるのは、良くある事だ。遂に学校に来なくなったのか。磐井少年は先生から病院を聞き出し、見舞いにゆく。しかし、病室を間違える。それなりに心尽して花などを持っていったかもしれないが、その病室に居たのは似ても似つかぬ子だった。磐井少年は目当ての子を見舞えたのか。恐らく、会えなかっただろう。それっきり、その子の姿は、誰の眼からも消えてしまっただろう。

 「記憶にもない子が写真から笑めり」の句があるが、この子はその子ではない。なぜなら、磐井少年にはその子の記憶があるから。「淋しげに転入生はいつも笑顔」の句も、転入生の特徴を良く表してはいるが、その子ではない。そんな子が「末恐ろし」い訳が無い。「図書室の静かな遊び覚える子」は近いようにも思われるが、図書室に行けるような子は、保健室には入り浸らない。「かなしさうな顔する君と手をつなぎ」は、もしその子ならば、磐井少年にとっての奇跡だろうが、やはり「末恐ろし」という形容とは少しずれるだろう。

 「アルバムや写真一枚だけの子が」この句はどうだろう。学校行事にも参加できないような子、居るか居ないか判らないような子、保健室にいつも居るような子なら、その子の可能性はある。その子であって欲しいという気もするが、やはり一枚でも写真が残っている限りは、その子と重なるような印象の、別の子ではないか。

 「ほんとうの嘘ばかりつく」子であったなら、その子の存在自体が嘘だった可能性もある。もしかしたら、その子に関する記憶は、磐井少年の中で、他の子に関する記憶とごちゃ混ぜになっているかもしれない。そもそも「ゐない子」が、様々な記憶から新たに作り上げられただけなのかもしれない。その子の核となるモノは、そこに居たはずだ。今もどこかに居て、磐井少年を見ているかもしれない。

 というのも、そういう子は稀に居る。遊んでいる内に、友達の数が増える。見知っている顔のはずなのに、何処の誰なのか分からない。或いは名も顔も知っていて、随分前から親しくしていたはずなのに、ある時突然消える。周囲に聞いても、そんな子は最初から居なかったと言われる。自分以外の誰の記憶にも残っていない。

 私が冒頭に挙げた六句も、一人の子の描写ではないかもしれない。それぞれ別の子の描写を、読み手の私が、同一人物だと勝手に解釈して繫げてみせただけなのか。人間の認識とは、その程度のあやふやさだが、そのあやふやさを繋いでいるのは、雰囲気、香りだ。同じ人物の香のする句から、私が一人の子を立ち上げただけだ。

 大人とは何だろう。社会的な所属がはっきりしている人間の事か。では、転校生を、子供たちのあやふやな所属にさえ属さない子を、マレビトと呼んでも良いだろうか。ところで、なぜ磐井少年が、記憶の彼方に気泡のように漂う子を今、思い出したのか。


2.

「加藤郁乎のいとも豪華なる時禱書・みたたび」(俳句新空間2020初冬No.13)より引く。

ふつうの人をふつうのやうに死がおそふ

とらはれの長き休暇のあるごとし

 この二句はパンデミック下の状況を詠ったものだろう。この度の疫の厄介さは、例えば天然痘やペストやコレラのように誰の目にも明らかな症状が出るわけではなく、風邪を拗らせたかと思ったら、急激に悪化して死ぬところだったと思う。いわば普通に風邪を引き、それが普通に悪化して、普通に死ぬ。一句目はそういう状況、この疫の死に至る過程を描写している。

 と、如何にも訳知りの如く書いてみたが、実は私はこの疫の実態を何も知らない。間近に見た事も無いので、テレビや新聞やネットの情報を総合して考えているだけだ。

 句中の「ふつう」は「不通」でもあるのかもしれぬ。「普通の人を不通のやうに」かも「不通の人を普通のやうに」かも「不通の人を不通のやうに」かも知れない。スマホだけで生存を確認するのは、大都市では普通にある事だ。そして私もまた、メディア機器を介さない世界の実態に関しては、普通に不通なのかも知れない。

 二句目は疑似ロックダウンの状況だろう。政府が今回のような、いわば緩慢な戒厳令のような規制を敷いた事は無かったように思う。「緩慢」と「戒厳令」は矛盾する。奇妙な規制だ。「とらわれ」と「休暇」は矛盾する言葉と言えようが、これは肉体の感覚と精神の感覚が矛盾する状況なのだ。肉体的には長期休暇のようで、精神的には待遇の良い獄のようだというのである。

眠つても必ず訪ひ来 断末魔

 私の父は老衰で死んだ。最期は肺炎で、一日ずっと荒い呼吸をしていたが、それが突然止まった。「眠るように死ぬ」というのが大往生の表現だが、掲句はその表現を逆手に取っている。下五の直前の空白は、今際の目覚めだろう。呼吸が止まる、その空白を表しているようにも見える。

B29がたびたび訪へる春の夢

 このパンデミックは人間の死に限定すれば、世界大戦だ。敵対する国家が無く、インフラの破壊が無いだけだ。人の死においての、かつての大戦との相似が、春の夢となって表れる。これが生物兵器の漏洩なのか否か、今も世界中で論争が続いている。本当のところは永遠に分らないだろう。

 「戦争を知らない子供たち」、この有名な歌は1970年の大阪万博で初めて歌われた。戦後生まれの作者が今、夢に見るB29は、かつての現実のB29ではなく、パンデミックへの恐れが形をとったものではないか。灯火管制下、手の届かない闇に突如きらめく大編隊が現れ、無辜の民へと無差別に死を振り撒く。振り撒く主体が、米国の爆撃機か、それとも発祥不明のウィルスか、その違いだけだ。

太き静脈 世界静かになりしとき

 この不思議な句には驚いた。自分か他者の肢の静脈を眺めていると読めば、只それだけの写生句だが、一字の空白と「世界」と「とき」が、そうは読ませない。

 静脈は、汚れた血の通り道だ。二酸化炭素や老廃物を含む血を、肺や腎臓や肝臓に運搬して再び綺麗にするための通り道。静脈の血は、もっぱら筋肉のポンプ作用によって静かに流れてゆく。その通り道が太く浮き出ているのを、眺めている。静脈が浮き出てくるのは、一般には、加齢により血管の壁が薄くなり拡張し、また皮膚の弾力が失われ、また脂肪も減少する結果だという。

 浮き出ているのはいつかというと、「世界静かになりしとき」、パンデミックで世界中ロックダウンになり、人間が引き籠もっている時だ。世界の静けさと連動するように、太く浮き出ている静脈、汚れた血の通り道とは、何を象徴しているのだろう。汚れた血が汚れたままなら、生物は徐々に死ぬ。

 この疫の病態とは、つまるところ血管の炎症だという説を読んだことがある。血の通り道の異常だというのだ。もしもそうであるなら、この「太き静脈」は、奇しくも疫の攻撃目標を暗示している事にもなる。

 疫によって世界が静かになる時、人類という種の、汚れた血の太い通り道が燃え上がるかもしれぬ恐怖、そして諦観。掲句をそんな風に読もう。(諦観とは、一字の空白と、「とき」なる体言止めによって醸される雰囲気を、そう読んだのだ。)

 血管の炎上は、業火によって引き起こされる、と仮定しよう。何の業か。人類の業と読む。戦争を本能とする人類が二度引き起こした世界大戦の如く、この疫によって諸国は停止を余儀なくされたからだ。その業が、誰の目にも確認できるように、いつ燃え上がるかもしれぬ太い静脈として浮き出ている。

 静脈が浮き出るのが老いの証なら、掲句において世界の静けさと連動する静脈は、文明の老いとも連動しているか。先に「眠つても必ず訪ひ来 断末魔」を挙げたが、どんなに無視していても、逆にどんなに予感されていても、死が来る時は突然だ。

 文明の死もまた突然となる可能性は、広島・長崎に原爆が落とされた時に浮かび上がった。世界終末時計は、日本への原爆投下の二年後、初めて設定されたが、その時点で既に、終末まで7分前だった。ロシア・ウクライナ戦争が、「ほんとうの」世界大戦に発展しないとは言えない。今年の1月、ロシアの核使用の懸念を受け、世界終末時計は史上最短、残り90秒となったそうだ。文明の静脈を流れる血は、老廃物に喘いでいる。

 だが、この終末時計は、ソ連崩壊した91年には17分前まで戻った。「ほんとうの嘘」と「嘘のほんとう」の間を行き来する分針と秒針である。終末までの時間が枝分かれして、それぞれの可能性として伸びている。

 「ほんとうの嘘ばかりつく転校生」の句を再び考える。どの時間が嘘で、どの時間が本当なのか、我々の世界では結局どの時間の流れを辿るのか。それはマレビトである転校生なら知っているだろうか。「ほんとうの嘘ばかりつく」とは、転校生にとっては全てが「ほんとう」に見聞きしたこと、という意味かもしれない。我々にとっては、そのたった一つだけが本当で、後は全部嘘、つまり並行する他の世界の出来事なのかもしれない。

 世界終末時計は、我々個人には手のつけようがないので、此処で再び、個人の眼前の太い静脈を眺めよう。血は魂である。先の記述を裏切るようだが、これは象徴ではなく、血脈や血統の意でもない。文字通り、血液の意だ。血を支配するとは魂を支配する事だ。疫の三年間、幾度となく黙示録を読み返した。

窓が開く。僕を飛び降りさせるため

 自殺の句とは読まない。引き籠もっている部屋の窓が開く、と読む。緊急事態宣言で、また疫への不安により、玄関からは出られない。ニュースは疫の恐怖を煽り立てるものばかりだ。「開く」の後の句点は、後戻りできない状況を表す、と読んだ。この窓はもう閉じない。少なくとも「飛び降り」が完了するまでは。

 此処に開く窓は、実際には、無聊をかこつ作者の記憶の窓ではなかろうか。「飛び降り」るのだから、未来に向かってでは無かろう。未来に向かってなら、「飛び立つ」と言うはずだ。だから、これは過去の記憶に向かって飛び降りる、と読む。一人称が「私」でも「俺」でもなく、「僕」だから、飛び降りようと決めた時点で、心は既に少年時に遡っているとも読める。

 先に「なぜ磐井少年が、記憶の彼方に気泡のように漂う子を今、思い出したのだろうか。」と書いた。世界中の誰にも突然襲い来る疫、風邪のように普通の当たり前の顔で来る死、それに対して引き籠もるしか出来ぬ状況で、思い出すのは遠い記憶だ。

 当時は理解できなかった故に放って置いた記憶、転校生だったか、保健室の子だったか、本当の嘘ばかりつく、末恐ろしい印象を少年の自分に抱かせた、不思議な魅力の子。魂である血の、その通路に業火浮き出す静かな世界の中で。血を保つとは、魂を保つ事だ。


3.

 では、肝心の磐井少年はどうしていたのだろうか。その頃の日常の記憶も、今や馴染み無く朧気だ。「あのころ」(俳句新空間2021春No.14)から引く。

給食になるまで僕は何してゐたらう

 特に「給食」という区切りが挙がるのは、給食が楽しみだったのだろう。確かにあの頃の子供と来たら、給食とそれに続く昼休みが、最大の楽しみだった。昼の一時間ほどが、普段の学校生活では、いきなりの頂点だった。それまでは授業と十分ほどの休みの繰り返し、記憶には水平な空白しかない。そんな日常の中で、日常のような顔をして紛れる次のような事件もあった。

授業中に死んだ先生もゐらしやる

転任の先生がまだゐて不思議

 突然みんなの前で倒れて死ぬ先生が居るかと思えば、居なくなったはずの先生がまだ居る。子供たちを仕切る位置にある「先生」の生死が、不在と在籍が、入れ替わる。

待つても待つても校門の開かない

 学校生活とは、社会と一線を画する、いわば日常の中の隔離生活であって、その境界線が校門だ。その校門がいつまでも開かない。隔離生活から隔離され続けるという奇妙な状態が、校門の前に現れる。

 かと言って家に戻るわけにもいかず、ましてや町なかに行く場所など無い。校門という、子供にとっての境界線の前で立ち尽くすのみだ。その立ち尽くす癖は、周りに気づかれずに密かに続いたのではないかと思われる。

万博にみんなが出かけて僕しづか

 1970年の大阪万博の当時、筑紫磐井は二十歳、既に子供ではない。万博で圧倒的な人気を誇ったアメリカ館の華は、勿論B29ではなく、万博の頃も続いていたベトナム戦争で「死の鳥」と恐れられたB52でもなく、「月の石」だった。「月の石」だと喧伝されたから、感心して見ていただけで、そこらの山で取れる石と何処がどう違うのか、全く分からなかった。

 70年と言えば、前年の安田講堂事件を経て、筑紫磐井と同年代の若者たちが学園闘争の終焉に立ち会っていた年だ。7月7日の華青闘告発により、新左翼が根本から存在意義を問われた年でもある。

 11月25日には三島由紀夫が、総監の眼前で割腹。現場である総監室の絨毯は、血にぬかるんでいたという。魂にぬかるんでいたのだ。「九句」(俳句新空間2021冬No.15)より引く。

三島由紀夫の死の寸前を「生」といふ

 掲句には、「死の寸前」とあるから、総監を拘束した行為や自衛隊への演説を指しているのでは無かろう。割腹から介錯が終わるまでの時間を指すと読む。だから三島由紀夫の解剖所見を調べてみた。

 「臍を中心に右へ5.5センチ、左へ8.5センチの切創、深さ4センチ、左は小腸に達し、左から右へ真一文字。」この事実を読む限り、後世に矮小に解釈されるような、「死に至るまでのエロティシズム」とか自己愛による自己陶酔とか、そんな動機で成し得る割腹ではない。

 尤も、そのような誤解を受けるのは、〈聖セバスチャンの殉教〉のポーズを取った三島の写真や「仮面の告白」の記述から仕方ないとも言える。しかし、解剖所見だけから受ける印象は、死を超克しようとする意志による切創だ。

 割腹の動機は、二重底のような構造になっていて、(凡そ自らの割腹など夢にも思わぬ)知識人に馴染みやすい解釈という底を除けると、その底に更に、解剖所見という事実から窺える、死の寸前の本当の動機が見えるような気がするのだ。「ほんとうの嘘」の句を先に揚げたが、いわば「嘘のほんとう」が露わになり、演者が遂に真実を獲得したかのような。

 当時の文化人の感想をネットで調べてみたが、高橋和巳の追悼が最も心に残る。「もし三島由紀夫氏の霊にして耳あるなら、聞け。高橋和巳が〈醢をくつがえして哭いている〉その声を」。(これはサンケイ新聞1970年11月26日号(三島自決の翌日号)に「果敢な敵の死悲し」の見出しで載った、とある。高橋和巳は「死について」という随筆の末尾でも、同様の感想をもっと穏やかな表現で書いている。)

 孔子は、斬殺された子路が醢(ししびしお)にされた事を知り、家の醢を覆して泣いた。高橋和巳は、三島の割腹を子路の死に喩えたのだ。子路の最期の言は「君子は冠を正しくして死ぬ」。

 中島敦の「弟子」を少年の頃、何度も読み返した事を思い出す。正直に言うなら、当時の私の境涯からは、子路の今際の言葉が、実に不可解だったから、理解したかったのだ。高橋和巳は、三島の割腹を「冠を正しくする」と受け取ったのだろう。掲句に沿って言い換えるなら、「冠を正しくする」ことが生の意味であり絶巓だ、と。

 お前はどう思うのか、と問われたら、私は感覚的な事しか言えない。なぜなら、私はどんな正義も信じてはいない。私にとって、割腹した三島由紀夫とは、システムの真中から来たマレビトだ。三島が、己の信じた大義に殉じたことは判る。特攻に似ているとも思うが、しかし、誰も三島に割腹を強制した訳ではなく、敗戦時の将校のように割腹しなければならない流れにあった訳でもない。完全な自由意志で割腹した。

 世人に嗤われる事も、後世に矮小評価される事も、恐らくは承知の上で割腹したのではないか。何か崇高なもの、不死であれと三島が冀(こいねが)うものの為に、無私であろうとし、実際にわたくしを捨てて世に訴えようとした、としか私には分からないのだ。

 東大全共闘は、駒場キャンパスにおいて「三島由紀夫追悼」の垂れ幕で弔意を示したと聞く。本来、三島の敵であるはずの彼らが、三島に対し、垂れ幕を以って敬意を払ったという事実もまた、胸を打つ。

 掲句の「生」が何を指すのかは、三島の割腹に接した当時の文化人の感想が様々な如く、読み手により千差万別だろう。どの感想も、この年の出来事の仕組み、噛み合う歯車が整然と動いてゆく仕組みを、門を開くように明かすことはない。

待つても待つても校門の開かない

万博にみんなが出かけて僕しづか

 磐井青年は、今挙げた1970年の出来事の、何処にも属していないように見える。下五の「僕しづか」からは、無聊に立ち尽くす姿が垣間見え、それは校門の前に立ち尽くしていた少年時を思わせる。同時に、パンデミック下の騒動を眺める無聊とも重なるのだ。

 校門が開かないのなら、学校は無いも同然、または閉門に等しい。閉門、学校にとっての夜の訪れ、少年または青年は途方に暮れて、空を仰いだだろうか。その時に銀河が広がれば良いのに。


4.

 「九句」(俳句新空間2021冬No.15)より引く。

善・悪の音なく戦ぐ銀河系

 「善・悪の音なく」には二つの読み方がある。一つには善悪の区別はあるが、善も悪も音は立てない。もう一つは、善も悪も無いから、それら二つの音はそもそも無い。前掲の解釈が極まると、後掲の解釈と化すだろうか。そして銀河系には、そもそも善悪は無いと考える。「善」で一旦切れ、「善」に向かい合う如く「悪の音なく戦ぐ銀河系」があるようにも読める。その場合、悪の音が無いと読むのだろうか。それとも、悪が音無く戦ぐ、と読むのだろうか。

 この疫とその後の事象にまつわる様々な説が囁かれ、もはや真実というものは無いかと疑う。一切の説が情報戦、認知戦の景を呈している現在、善悪、即ち、「正義と呼ばれる概念」による区分さえも、大きく観れば霧の彼方だ。撒かれ煽られる正義こそが、戦争の種なのか。この正義なるモノの認知戦、無数に触手を伸ばす情報戦は、無数の念の歯車が、複雑に組み合わさり動いた結果ではないか。それを業という。悪業とは怨念の集積によって生ずる。

 句中の「戦ぐ」とは、その無数の歯車の幽かな動きを言うのか。下五は「人類」でも「地球」でも「太陽系」でもない。銀河系の巨大な業の一部として、太陽系が、地球が、人類の文明がある。「戦う」とも「戦く」とも記さずに、「戦ぐ」と書いた。銀河系は一切の事象に対して戦わず、おののきもせず、最大の反応でも只そよぐだけだ。そこに作者の視線がある。この「銀河」を季語と取るなら、(秋の一日の流れとしては)「秋の暮」という諦観の季語の果てに、夜が来て銀河が現れる。

 句中の「善」とは、銀河系に対面する人間の、最も高い思考を指すのだろうか。光速を超えるものとは、人間の思考である。

 「無の題」(豈64号2021.11月)より引く。

当り前の死が来るだけの 秋の道

ひとつづつ魂消えるための 時間

 一句目はパンデミックを静観しようとする試みだろう。どんな死であろうが、それは大きな括りから見れば当たり前の死だ、と思おうとしているように見える。その後、二句目では、長い時間をかけて魂も消える。正確には分裂し、他の魂と融合する。

 一句目では「秋の道」の前に、空白がある。死への道という、生者には当たり前にある道程を見て、一瞬、心が立ち止まる。その当たり前の、なんと寂しいことか。秋の道は冬へと進む道でもあり、やがて暮れれば、「秋の暮」という諦観を匂わせる。

 二句目では「時間」の前に、恐らくは長い空白がある。それは魂が消えるための、銀河の空白か。影の塊のように見えて、実は星々の生々流転する空(くう)だ。魂が消えるとは、血が消える事でもある。

炎天の影より白きものはなし

 炎天は実は昏いのだ。昏いと感じるのは、目が光に眩むからだ。あまりに強い光は昏い。眩んだ目で影を見る。影の方が白く見える。この白い影に銀河を見るか。太陽という、銀河から見れば一つの小さな恒星に過ぎないものから発する光が、地球という小さな惑星の地に、物の存在のしるしを刻々と落とす。その有様を「白」、空白、生々流転の証と見るか。

 あるいは、この影を、「生者には影としか認識できないもの」と受け取れば、「白き」とあいまって、死者の像が浮かぶ。白いのだから、善き霊だろう。作者が敬意を以って偲ぶ者であるなら、影でありながら、これより「白きものはなし」、この上なく白く見えるという表現は納得できる。

 「コロナに生きて(新作)」(俳句新空間2022夏No.16)より引く。

東京で巻貝のごと生きてゆく

 貝の如く、と言えば、沈黙する意が先ず挙げられよう。次に動かない意。掲句は「東京」が動かないだろう。東京人は冷たい、と言われれば、貝の体温の如く生きてゆく感がある。全く逆の例を挙げれば判る。大阪、と置けば、先ず掲句は有り得ない。この世の終わりが来たとして、最後まで喋っている人類は我々大阪人であろう。

 掲句はパンデミック下に引き籠もる生活を表現しているが、なぜ二枚貝ではなく、巻貝なのか。人間の心は、蓋を開けば隅々まで見えるような類ではないからだ。

 幾重にも巻かれた内臓のように、記憶は渦を巻く。その渦の果て、内臓の一番奥に普段忘れられている記憶、パンデミック以前の日常であれば思い出そうとさえしなかった記憶の、その果てからマレビトとして現れる転校生。何処にも居なかったが、今や何処にでも立ち尽くす。世界が異界の如く変わったからだ。(そもそも転校生から見れば、教室に居るみんなこそがマレビトの群であり、保健室から見れば、みんなの居る教室こそが異界であった。)


5.

 演技者のみで演戯を真実と見せる事は、通常は出来ない。音楽、照明、大道具、小道具の一つ一つに至るまで、綿密に考えられ選択され、それらが適切なタイミングで発動してこそ、初めて演戯を真実と見せる事が出来る。乾闥婆城(けんだつばじょう)のように、砂漠に異界を顕現させる事も可能だ。あらゆる戦争や革命と同じく、私にはこのパンデミックが大きな演劇のように見える。もう一度、次の句について考えてみる。

三島由紀夫の死の寸前を「生」といふ

 高橋和巳は「死について」という随筆中で、三島の死について様々な考えを述べている。

「武士道につながる決然たる覚悟、自己の内部の矛盾を絶対外に出さない態度と、輪廻転生思想への神秘主義的共感というものとが、不思議に融合していたと思われる。」

「原形質としての三島由紀夫氏の体質は、ほとんど太宰治のそれに近かったのではないか。それが自分の内部にあるからこそ太宰を嫌ったのだ。彼はそれを克服したかった。」

 太宰の死は心中、恋を全うするため命を捧げ合う行為だ。そして太宰が絶えず自身の「人間としての悪」を認識し、基督の十字架上の贖罪を意識していた事は、太宰の数多の作品から伝わって来る。

 高橋和巳は同随筆中に三島の、全共闘に向けた言葉を紹介している。

「ことばを刻むように行為を刻むべきだよ。彼らはことばを信じないから行為を刻めないじゃないか。」

 この「ことばを刻む」が、具体的に言霊と肉体を合致させるという事であったとしたら。それが割腹という捧げものであったとすれば。私なりに酷く感覚的に受け取るなら、そして私の理解の範疇においては、システムの中心から飛び出してきたマレビトとしか見えない三島の、《その死の寸前の「生」》を、曲がりなりにも納得しようとするなら、《大義への恋》として受け止めるより他は無いのだ。

 もしも三島が政治家であったとしたら、権謀術数を演戯に投入して、その信じる大義を国策として遂行しようとしただろうか。もしも三島が金融資本家であったなら、潤沢な資金と人脈とメディアで演戯を支え、その大義を民衆に支持させるように仕向けただろうか。

 いや、三島は文学者であって、たとえどんな政治力と資金と人脈があったとしても、文学者の矜持を以って、「ことばを刻むように行為を刻む」ために、単独者として大義に面し、己が「生」のみを捧げただろうと思うのだ。三島の解剖所見から窺えるような割腹は、曖昧な猥褻な動機からでは、とても行えるものではない。あの割腹は、「生」を、刃と己が血で以って刻み付け、斎戒するごときものではないか。

 高橋和巳の「自己否定について」の中に、こんな一文がある。

「芸術家が一種の自己否定の行者としてありえたのには、やはりこの世を超える何者かへの、ほとんど愚直な奉仕の念を持っていたことによる。」

 この一文が期せずして、三島の割腹を良く表現しているのではないか。三島の言う「決闘の論理」とは、実は「自らを大義への贄とする論理」か。この《大義》を高橋和巳の言葉で言い換えるなら、「この世を超える何者か」となろう。

 三島の「日本」への思いを霊的に解釈するなら、その《大義》とは突き詰めれば、民衆の血の最奥に繋がる《日本の神々》であるとしか、私には思えないのだ。天照大神の一柱に対してだけ、三島は面したわけではないと思う。八百万の神々に対して、と私は思いたい。更に言うなら、弥生の神々によって封じられた縄文の、或いはもっと以前の、古(いにしえ)の神々に対して。

 なぜなら、民衆の血の奥底には、様々な神の意識が分かち難く混ざり合って流れている。日本各地の民話を鑑みれば瞭然だ。血は魂である。その魂とは、様々な念の仮合である。(全知全能の絶対なる唯一神、という概念が無い事は、アジアの優れた特質であろう。)

 久しぶりに、三島と全共闘の討論「美と共同体と東大闘争」を読み返した。その中の、三島が「討論を終えて」に記した文を挙げる。

 「すなはち、私は、天皇の理論化や、私の考へる天皇を理論的に彼らに納得させるといふ方法については、考へもしなかったし、志しもしなかつた。ただ私は、それを一旦嚥んだら、その瞬間から、彼らが彼らでなくなるやうな丸薬を、彼らに「嚥め、嚥め」とつきつけることによつて目的を達したのである。それこそは私にとつての戦闘原理としての天皇であり、戦ひといふものは、有無を言はせず敵手に嚥ませるだけの絶対的な何ものかを、つねに保持してゐることでなければならない。」

 文中の「戦闘原理」とは、三島が言っていた「決闘の原理」と重なってゆくのではないかと思う。(同討論中の三島の発言に、戦前の天皇親政と戦後の直接民主主義における、政治概念上の共通要素、更には戦前のクーデターが目指した共通要素として「国民の意思が中間的な権力構造の媒介物を経ないで国家意思と直結するということを夢見ている。」とある。この夢は即ち、全共闘の夢でもあったのではないか。)

 三島と全共闘、共に国を憂いていた両者の決定的な相違とは、その相違ゆえに両者相容れなかったものとは、霊的な感覚の有無ではないか。「それを一旦嚥んだら、」「その瞬間から、彼らが彼らでなくなるような」「絶対的な何ものか」。総監室における割腹は、三島がその行為を通じて、無理矢理にでも全共闘に嚥ませたかった丸薬だったのか。

(「ほんとうの嘘ばかりつく転校生」において、例えば、マレビトである転校生に霊を認める知覚があるとして、その知覚の無い者から見れば、それは嘘でしかない。だが、転校生にとっては五感と同じく切実な現実だ。転校生のその知覚を、磐井少年が突然共有したなら、その瞬間から磐井少年は、それまでの磐井少年ではない。)

 駒場の900番教室における討論において、三島が全共闘に向かって、こんな話をした。少し長いが引用する。

 「こんなことを言うと、あげ足をとられるから言いたくないのだけれども、ひとつ個人的な感想を聞いてください。というのはだね、ぼくらは戦争中に生れた人間でね、こういうところに陛下が坐っておられて、三時間全然微動もしない姿を見ている。とにかく三時間、木像のごとく全然微動もしない、卒業式で。そういう天皇から私は時計をもらった。そういう個人的な恩顧があるんだな。こんなことを言いたくないよ、おれは。(笑)言いたくないけれどね、人間の個人的な歴史の中でそんなことがあるんだ。そしてそれがどうしてもおれの中で否定できないのだ。それはとてもご立派だった、その時の天皇は。それが今は敗戦で呼び出されてからなかなかそういうところに戻られないけれどもね、ぼくの中でそういう原イメージがあることはある。」

 討論中、この話が三島の胸底を最も曝していると思う。この話が一番、私の胸には迫る。三島はこの話を「言いたくないけれどね」と言う。それは一種の神秘体験であり、信じない人から見れば、まさに一笑に付されかねないから、そして一笑に付されるのは三島ではなく、三島の感じた神秘だからだ。

 三島にとっては、自分が一笑に付されるのとは比較にならないほど耐え難いに違いない。その危険を公共の場で敢えて冒したのは、どこかで全共闘に対する信頼があったのだと思う。

 三時間微動だにしないのは、禅僧なら出来るとか、ストリートパフォーマーなら容易いとか、狙撃手なら半日でも動かずにいる訓練を受けるとか、揚げ足は幾らでも取る事が出来る。三島も当然、予想していたはずだ。

 三島が言外に言いたかったのは、そんな外面的な事ではない。神の依代としての、確かに血肉を以って此の世に在りながらも、此の世ならざるものに通じる姿を見た、と言いたかったのではないか。但し、わからない人には、わからない。その感覚がないのだから、わからない人が悪い訳でもなく、どうしようも無い事だ。単純に、体験の有無だ。その対象が天皇であるか否かではない。例えば、本物の大阿闍梨に対面した体験のある者なら、わかるかもしれない。

 しかし、三島が言いたかったことは、幾ばくかでも全共闘には伝わったのではないか。その証拠に、この話に対する揚げ足は討論中、無かった。(「こんなことを言いたくないよ、おれは。(笑)」の箇所で全共闘は笑った。これは三島の含羞に対して笑ったのだ。三島の神秘体験を嗤った訳ではない。此処は全共闘の誠実な姿勢だと思う。)

 その天皇の「醜の御楯」として、三島の同年代が沢山死んだ。まだ若い自分たちの人生を放擲せざるを得ない状況に追い込まれた。その惨たらしい事実と、三島自身が確かに一度間近に見た、血肉のある立派な姿との整合を、どうつければ良いのか。三島は此の話を全共闘に対してしたのだ、外面的には。だが、この話の最中、三島の脳裏に戦死した者達が佇んでいなかったはずはないのだ。

 戦後、友人達が戦死した後に生き残った者は、いつまでも自分の生に対して慚愧の念がある。そういう慚愧の言葉を、戦前生まれの何人もから聞いた。小林恭二の「俳句という愉しみ」の中で、三橋敏雄が「有能な連中はみんな戦争で死にましたしね。みんな無名のうちに死んでしまったんだ。そのかわりに僕なんかが生き残って」と声を少し震わせて言う。(136p)

 この本が95年に出た時に、私は直ぐに読んだが、この箇所が未だに胸に残っている。三橋敏雄の句の底に横たわるのは、いつもこの悔しさだと思う。三島もまたそうであったか。それは理屈ではない。国家や時代の責任と結論付けて鎮まる思いではない。それは死ぬまで心臓に刺さっている針だ。戦争に限った事ではない。

 三島の割腹がなぜ自衛隊の総監室という密室を必要としたか、手探りで考える。米国の属国であるという事実を覆す希望を託して、己を神々への捧げものとする、その為の総監室であったのだろうか。

 その割腹がたとえ究極の演戯であったとしても、それは神々に捧げる演戯であって、三島が意識下に想定する観客は神々だったのではないか。その神々とは、民衆の血の底の意識でもある。その考えに至る時、正義への信仰も哭くという機能も喪失して久しい私は、三島の割腹に流す涙が、自分にあれば良いのにと思う。

(三島は割腹の直前に、介錯人の森田必勝へ、「君は生きろ」と何度も言って、森田の割腹を止めようとした。この事実からは、三島があくまでも単独者として死のうとした事が窺える。若かりし頃、同年代の戦死を見て来た三島には、若者の死が耐え難かったのだと思う。三島が介錯された後、森田は割腹した。森田の割腹に対しても、私は涙なく慟哭する。しかし、それは森田の独自の物語であって、三島の死の付属ではない。三島の割腹とは別に、森田必勝の独自の死として考えるのが、礼であると思う。)

 なぜ掲句の解釈に斯くもこだわるのか、自分でもわからなかったが、此処まで書いた今、気づく。三島の割腹が、単独者にして自己否定の行者である事の結果なら、そして神々への演戯であり、マレビトの奉納であったのなら、現在の疫禍下の諸状況とは、対極に位置するように思えるからだ。

 侵略戦争か、自衛戦争か、アジアの独立を促した戦争か、未だに総括出来ない太平洋戦争とも、恐らく対極に位置する。国家転覆を目指したのか、反米愛国運動か、共産主義ではない日本独自の社会主義を夢見たのか、未だに総括できない全共闘運動とも、対極に位置する。無政府主義者達の治外法権か、事物の関係性と時空を超えようとした見果てぬ理想か、社会的動物である人間の宿命へのレジスタンスか、未だに総括できない「解放区」とも、対極に位置する。

 三島は割腹によってシステムの内にも外にも属さなくなったのか。名声に満ちた過去を捧げ、安穏なはずの未来を捧げ、日々良く律し整えていた肉体を、割腹という永い自律的な激痛の裡に捧げて、先の大戦の総括と全共闘運動の総括を、一身に背負おうとしたのか。

 三島に対する全共闘の弔意も、そこに起因するか。単独の演戯を通して演戯を超越し、自らへの暴力を通して暴力を超越しようとする志を、全共闘は直感で認めたか。

 これは俳論であって、三島論ではないから、もう三島については書かない、というよりも私の手には余るのでこれ以上書けない。ここまで書いてしまったのは、掲句の《死の寸前を「生」といふ》が、あまりに重かったせいだ。三十年俳句をしていて、自分が一度も三島忌の句を作った事が無いのに気づく。

 最後に、論証は抜きにして、直感だけで妄言を述べよう。総監室における三島の割腹は、多分、時空を超えた曼荼羅を期すかのように、幾つかの方向に同時に向けられている。

 一つには、皇居に向けて、神の依代としての《人間である天皇》に向けて、その背後にある伊勢、出雲、日向に向けて、更には八百万の神々に向けて。

 一つには、靖國に向けて、その背後の護国の、醜の御楯である霊達に向けて、更には招魂社に祀られなかった志士達に向けて。

 一つには、本郷の安田講堂に向けて、駒場の900番教室における討論の最後、三島が「そして私は諸君の熱情は信じます。これだけは信じます。ほかのものは一切信じないとしても、これだけは信じるということはわかっていただきたい。」と言った全共闘に向けて。

 一つには、日本の天神地祇の更に背後にある、古の祀られぬ神々と民に向けて、システムの内にも外にも属しているとは言えぬまま現代にまで至る血に向けて。

 そして私には、三島の割腹という、自らの腹を空洞と化そうとする行為が、流された神の乗る虚ろ舟を、己が体を以って創ろうとしたかのように思えて来る。


6.

「催馬楽」(俳句新空間2023年No.17)より引く。

とも食ひの魚の如くに生きさかり

 異界があふれ出したからと言って、人間の営みが変わるわけではない。異界が日常となるだけだ。掲句は、闘魚(ベタ)やコオロギや軍鶏や土佐犬ではなく、普通の魚であるところが良い。

 普通の生き物は共食いしない。共食いするとすれば、極限に餓えた環境に置かれた時だけだ。しかしながら、人間には他の生物には無い「戦争」という本能があって、これは共食いに通じる。闘犬や闘鶏は、戦争の本能を是認するための見世物なのかもしれぬ。

 では、此の大戦が、このまま進めばどうなるだろう。普通の魚は共食いの魚となるのだ。思春期の六年間、私は花街に居た。生き残ること自体が、うんざりするほど最上の法律であり秩序であり正義であるような街だった。

 私には数ある怨府の、そんな一か所である花街から、次の句を考えてみたりもする。「加藤郁乎のいとも豪華なる時禱書・みたたび」(俳句新空間2020初冬No.13)より引く。

目の前で指食ひちぎる女かも

 「目の前で」とあるから、これは女が自身の小指を食いちぎるのだろう。「かも」と、まだその行為は無いが、やりかねない事は、女の目の色を見ればわかる。遊女が客に、愛の証として、小指を切断する。指切りげんまんの元となった行為であり、「運命の赤い糸」もこれに通ずるかもしれぬ。

 実際は、小指を切る真似くらいで済んでいたという説もある。「大難が小難、小指の先ぐらいは、吉原の花魁でも切ります。」という一文が、岡本綺堂の「置いてけ堀」にある。綺堂がそう書くと、随分軽い小指だが、人の命も軽かった頃だろう。

 句中の女が遊女か否かは分からない。そのくらい艶っぽく、深情けで、刃物によらず己が歯で指を食いちぎりかねないほど、気性が激しいという事だ。烈女である。恋には、そのくらいの相手が良い。血は魂である。己が命は一つしかないから、当然、相手は一人に限られる。結果として恋愛は不死となる。少なくとも、恋愛の対象は不死となる。実際に、一人のひとが、私にとっては不老不死となる。これは肉体の事を言っているのではない。霊的な事実を言っているのだ。

 凡そあらゆる正義が、情報戦、認知戦の使い捨ての道具として、嘘と本当の間で利用される現況。情報戦とは、真偽織り交ぜた情報を大量に流す事により、人をして己が認知を疑わしめ、果ては思考停止か狂気へと導く戦法ではないか。その情報の坩堝において、何を以って「ほんとうの嘘」と観るか。私なりに言い換えれば、何を以って《大義への恋》とするか。

 「催馬楽」(俳句新空間2023年No.17)より引く。

嘘をつく女(ひと)の死ぬときうすむらさき

 紫は高貴な色、古来より霊的な色だ。薄紫なら、優しい親しさが加わる。死ぬときに出る魂の、その色が薄紫だと解釈する。ならば、その女のつく嘘の本質は、誠なのだろう。先に「ほんとうの嘘ばかりつく転校生」の句を解釈した。磐井少年はその嘘が実は本当であると知っている、と。この度もそうである。

 しかし、女はどんな嘘をついたのだろう。或いは「死ぬ」と嘘をついたのか。恋されることにより不死であるはずの女が「死ぬ」と言うなら、それこそ嘘である。

 「九句」(俳句新空間2021冬No.15)より引く。

十二月鬚こつそりと花は化石に

 まず、化石という語から冬を強調するのは解るが、なぜ十一月でも一月でも二月でもないのかという処から考えたい。十一月は「神帰る月」、一月は正月、二月は立春大吉、みな目出度さを蔵している。

 対して、十二月には目出度さは無い。八日は、正義の暗黒面の始まりである開戦日、最後の日は除夜の鐘、慌ただしさはあっても目出度くはない。臘八接心は僧の厳しい行事であって、大衆にとっての目出度さではない。

 その十二月において、化石となる花。これを文字通り化石と取ってみる。葉の化石は沢山あるから、花の化石だって無いとは言えぬ。「鬚こつそりと」を、雄蕊と雌蕊の残骸だと見る。この「鬚」の漢字は、顎ひげ、老人の長い柔らかいひげ、動物の口ひげを表す。柔らかく長い毛だ。花の部位で、このような形状の物は蕊以外にない。

 では、生殖の機能である蕊が「こつそりと」残っている花の化石と考えよう。花の核とは雄蕊と雌蕊であり、花弁は華やかな修飾に過ぎぬと考えれば、花が花である所以は残されていると見るべきか。それが十二月という目出度さの無い冬、しかも一年の果ての月にある。

 「花の化石」ではなく、「花は化石に」とあるから、花が化石になろうとしている、その経過を詠んだと読む。或いは掲句を、花が、姿はそのままに凍ててゆくと見て、その永遠に思われるかの凍てを「化石」と称した、とも読めよう。その場合でも、「化石」という語の象意は変わらない。「化石」が表わす象意は、物の姿は恒久に、しかも生命は無いという状態だ。

 十二月という、一年の終焉の寂しさの中で、花という、生命の絶巓が、蕊という、繁殖の為の部位を見せた状態で、その姿を保ちつつ、生命の無い状態へと移行してゆく。凍てつつあるにせよ、地中深く圧されて石板となりつつあるにせよ、その保たれつつある姿を不老不死というか。

 言わないだろう。そう言うには寂し過ぎる。「鬚」まがいの蕊という、絶巓の外郭しか残っていない。花の血は凍って動かない、或いは既に乾びて痕跡でしかない。奇妙な、内実は惨たらしい句だ。惨さを出来るだけ優しく詠いたかったのか。

 掲句を仮に「鬚こつそりと花は化石に十二月」とすれば、句姿としては安定するだろう。下五の字数内にきちんと納められた「十二月」という季語が、花の惨たらしい末路を吸収するからだ。その代わり、原句の下七(その下五という字数をはみ出し、「に」によって示された当てどもない方向性)が醸す不安、断絶感は消える。どちらの句姿が、パンデミックという断絶を経た不安な現況に寄り添っているかは、明らかだ。

 「催馬楽」(俳句新空間2023年No.17)より引く。

あたしお雪 死ぬわ あなたは黙ってる?

 まず、「お雪」と名乗っている。雪は美しいが、日に当たれば溶ける。薄命に通じて不吉だから、我が子には名付け難い。女は自分でそう名乗ったのか、または雪女か。

 鉱夫相手の遊女が死して雪女と化した、という説を聞いた事がある。雪女なら二度とは死なないから、「(あたし)死ぬわ」と言うなら嘘だ。「ほんとうの嘘」である可能性もある。雪女は既に死を経ているから、その死が常に現在進行形であるなら、嘘ではない。

 死ぬのはお雪ではなく、「あなた」と呼ばれる相手なのか。「あなたは黙ってる?」とは、どういう意味か。雪女なら、その正体を語った時に命を取りに来るから、「黙っていられるか?」という意味になり、死ぬのは「あなた」だ。「お雪」が死ぬなら、「その死を黙っていられるか?」という事になる。東京で巻貝のごとく黙って生きてゆく?

 或いは心中であって、太宰のように互いに命を捧げ合うのか。片方が「ほんとうの」雪女なら、死して後の雪女だから、もう片方が、(雪女にとっては馴染みの)死の領域に入るだけだ。もし雪女が「ほんとうの」雪の精霊であるなら、そもそも生身を得たことのない、未生の存在だ。後は前掲とほぼ同じ、もう片方が未生の存在になるだけだ。

 「黙ってる?」が、「なぜ黙ってるのか、語るべきなのに」という意味なら、「黙ってるの?」と、最後に「の」が付くはずだ。だから、これはやはり沈黙を約させようとしているとしか読めないはずだが、相手の語りを促すような含みも幽かにある。

 よく知られた雪女の話を思う。あの話において、雪女は、男の口から、かつての雪夜の怪異を語らせようと仕向けているようにも見える。雪女は、やり取り巧みに自らの正体を男に悟らせようとしているのか。何のためにかと言えば、男の魂が欲しいという気持ちが抑え切れなくなったからではないか。もし二人の間に子供がいなければ、女は確実に男の命を取っただろうし、男の方としても、命を取られる事により不死の女と永遠に一緒に居られるなら、喜んで命を捧げただろう。

 「お雪」が雪女ではないと仮定しよう。雪女を思わせる名を名乗る女だと。その場合でも状況は大して変らない。なぜなら、我々の居る世界は、パンデミックという大戦を経て、既に異界だ。「ほんとうの嘘ばかりつく」「保健室にいつも居る」が「居ない」「気泡となる」「お下がりが似合う」「末恐ろし」い子、かつては生身として現れた女が、「お雪」であっても良いのだ。

 私は雪が嫌いだ。雪を見ると、思春期の絶望感を思い出す。殊には夜の雪、逃げ場の無さを煽り、僅かな光を反射して昏く輝き、容赦ない冷たさを誇る。声も涙も、血も凍らせるように、一切の足掻きを無駄と悟らせ、沈黙させる。雪に流血の良く映え、雪に己が息の良く紛れること。雪に抗するための無残さを、生き残る条件として骨身に刻んでくる。これは極私的な感覚に過ぎないが、それを差し引いても、死または沈黙は、雪が殆どの陸上生物に等しく強いるものだ。

 この句において、唯一はっきりと提示されているのは、「お雪」の名だけだ。名は血と同じく、魂である。敢えて自ら「お雪」と名乗るなら、その上「死ぬわ」、「黙ってる?」と言うのなら、自分が冷たく光る死を蔵し、その死を振り撒く事も出来る、と宣言しているに等しい。「お雪」とは冷徹な現実そのもの、という見方も出来ようか。

 雪の御魂を詠った、と観て良いのだろうか。それ以外は何もかも判然としない。実はそれが俳句の特性でもある。俳句という余りにも短すぎる詩の特性は、その指し示す正確な事実が誰にも解らない、本当は作者自身にさえ解らない事だ。俳句とは広大な無意識から浮かび上がる断片であり、深淵を覗く箱眼鏡のようなものだ。

 何が本当なのかを世界中が認知できない現在、俳句こそが真実を朧気にでも指し示す技法か。いや、少し端折った。俳句に似た技法と言うべきだろう。なぜなら、真実とは常に言説不可得、つまり言語や論理(という限られた一方向を積み重ねる事によってしか表現できない手段)を超えているからだ。語れば語るほど、真実から外れてゆく。

 それならば、いっそ物が言えない事により、逆説的にでも、真実の断片に肉薄するより無い。俳句が最小の詩である事の強みは、そこにある。となれば、「ほんとうの」解釈の為には、一度に多方向、多層を展開できなければならない。曼荼羅を言葉によって説明できないのと似ている。

 その曼荼羅でさえ、重複する空間と時間、並行する多層の世界を表現するためには、曼荼羅に対面して法を行ずる行者が必要となる。句を論ずるとは、行者の行法に似ていると思う。だが如何せん、句とは曼荼羅の欠片でしかなく、論者の側には行ずるべき法が無く、言葉と論理しかないのだ。

 話がずれた。掲句に戻ると、お雪に「あなた」と、親し気に呼びかけられる、そこにだけ、(お雪によって用意された)突破口があるのかもしれない。「あたし」と「あなた」は、お雪の、最大限の歩み寄りの言葉、お雪から投げかけられる恋の誘いだ。見渡す限り雪の冷酷さの中で、「あたし」と「あなた」だけがある。その他の事柄は全部、雪が覆い隠し、無化させる。

 善悪も正義も疫の正体も戦争の黒幕も、雪の彼方に霞み、その雪の只中から、記憶を、名を、魂を、血を繋ぎ合わせた「ほんとうの嘘」の女が、「お雪」と名乗って生身のように歩み寄る。「死ぬわ」と言う。「あなたは黙ってる?」と問いかける。

 その時、筑紫磐井はもはや老人ではない。記憶の彼方、嘘と本当の間、馴染みの世界の外から来た「お雪」に対峙する時、筑紫磐井は既に少年だ。そして磐井少年には覚悟が出来ている。本当と嘘を共にかなぐり捨てて、恋をする事。大義とは恋の向かう先であり、恋それ自体が大義なのだ。

最後の息 決めをく 「ほ」と思ふ

 「最期」とは書かれていない。あくまでも「最後」に過ぎない。パンデミック以前の馴染みの世界に向けた「最後」に過ぎないか。これは感嘆詞か、或いは「ほんとうの」の最初の音か、それとも「惚れた」と言おうとするのか。今や恋だけが誠だ。

北川美美俳句全集30

初めて慈恵医大病院に入院した時の見舞いのスナップ写真。自ら撮ってくれた。少しやせている。後ろは東京タワー。

縦半分の東京タワー西日中  美美

(「俳句新空間」13号(2020年11月)「夏と秋 二〇二〇」より。多分見舞った時の作品ではなく、最後の入院の句ではないかと思う。)  


2017/06/03 (土) 18:17


2017/06/03 (土) 18:16
昨日はお見舞いありがとうございました。お陰様でだいぶ回復して参りました。多分、来週退院許可が出ると予想しています。
筑紫さんの後、夕食後に兄が来てくれ、入院患者を観察して来た経験を話していましたが、入院中は、だいたい活字が頭に入らず、集中力に欠ける人が殆どで、読書に没頭している人を見ない、と言っていました。
やっぱり入院中に原稿書くのは半端無く大変だと実感しています。なかなか捗りませんが、ますますバタバタしそうですので次回WEPの骨格だけでもやっておきたいです。
何時も励まして頂き心よりお礼申し上げます。
佐藤さんには本当にお世話になり、何の心配もなくお任せしっきりです。感謝しております。
また進捗お伝えします。

北川美美



秦夕美の死と句集『雲』 筑紫磐井

  2月5日に、田中葉月氏から秦夕美氏が先月22日逝去したとのメールをいただいた。ちょっと前までは電話で元気な声を聴いていたからショックだった。本人の遺言で俳句関係には連絡せぬようとのことだったという。告知の取り扱いについては悩ましかったが、しばらく伏せておく方がいいのではないかと思った。

 5日当日は馬酔木の100周年大会に招かれていたので伺ったところ、同じ席でふらんす堂の山岡喜美子さんとご一緒した。秦氏は最近の句集はふらんす堂から出すことが多く、付き合いも深いと思い話を切り出すと、むしろ山岡さんから秦さんの遺句集は届いたと聞かれた。こんなタイミングで句集が出ることは思いもしなかった。

 自宅に帰ってみると確かに句集『雲』が届いており、山岡さんの名前で秦氏が亡くなられたことの告知が挟まれていた。

 翌日のBLOGふらんす堂通信にはこの句集のことが詳細に書かれていた。山岡さんとしては句集が出るまでは秦氏の亡くなったことを伏しておきたいと考えたらしい。その意味では、すでに多くの人に句集が届いているだろうから、秦氏の遺言は失効したと思っていいだろう。

      *

 秦氏は、「豈」は19号以来参加して頂いている。攝津幸彦存命当時からの古手の同人となる。後年「「豈」入会は多分十九号、上京をしていた私は、お茶の水で摂津幸彦さんと会った・出来立ての『陸々集』を手渡され、入会を誘われた。記録を残すことが苦手なので誰たちと一緒だったか覚えていない。」と書いている。

 最新の「豈」65号(10月刊)には40句の特別作品「アノ秋(昭和二十年)」が載っている(6月末締め切りの原稿)。「豈」と同時に個人誌「GA」を年2回出されていて、昨年7月刊の89号が最後の雑誌となっているようだ。作品を見ても文章を見てもなくなる予兆すら感じさせない。

 秦氏について言えば、驚くのは句集上梓のスピードである。今回第19句集に当たる。俳句を詠むことよりは、句集を出すことに生きがいを感じていたように思う。永らく読ませていただいた中で一番驚いたのは、第7句集『歌舞と蝶』である。秦氏らしい華やかな表題の句集名と思ったが違ったのだ。この句集は題詠句集であり、その題は秦氏が購入した株の銘柄なのである。題詠は中世の堀川院百首以来塚本邦雄まで膨大にあるが、株の銘柄を使うなどは思いもしなかった。『歌舞と蝶』は『兜町』なのであった。こうした仕掛けも大好きな人であった。

 まだまだ句集を出し続けたかったであろうと思うと残念である。

 最後に、山岡さんが選ばれた句を紹介する。秦氏にはまことにふさわしいように思う。


 葬列のどこかはなやか枇杷の花 夕美

ほたる通信 Ⅲ(31) ふけとしこ

     見知らぬ人

 初夢に会うて見知らぬ人であり

  弁財天さまへ湛えて冬の水

  冬麗の浜潮錆の物ばかり

 昼網の糶の始まる冬の鳶

 口開けて鯖の糶らるる寒の晴

       ・・・

 夢をよく見る。

 夢には知らない人が出てくることが多い。気味悪いと思ったのは白い人の夢だった。男性だということは判った。が、白いというところがよく解らない。白人だったのか、色白だったのか、白い物を着ていたのか……。とにかく「白い人」だと思ったのである。そして彼は言った。「三角にしなさい」と。「何を?」と問いかけたような気もするが、そのあたりで夢は醒めたのだろうか。意味など全く分からない。

 実在の人の夢もたまには見る。幼馴染だったり、かつての同級生だったり、先生だったり、ただいつも途中で相手が変わっている。これが不思議。だから次々に色々な人が登場してくる。

 今、はっきり憶えている夢がある。句会のメンバーである男性が出てきたのである。何故か我が家へ招いていて、私がせっせと料理を作っている。いざ食べるという場面になって、彼の機嫌が悪くなった。「美味しくない?」「いや美味しいですよ」とむすっとした顔で箸を動かしている。そこへ突然何人かが現れてゴタゴタしてきたあたりで夢は終わった。

 目覚めてから気が付いた。「ああ、お酒がなかったのだ」と。   

 何しろ我が家は下戸揃いなので酒類といえば料理用の物しかない。現実には「何か作るけど、飲み物だけは持って来て~」ということになっている。

 怖い夢なら数えきれない。どこかから落ちる夢も数えきれない。一番怖かったのは大きな真黒な竈の回りを鬼に追いかけられている夢だっただろうか。落ちる夢なら滝から落ちたことか。でも滝壺まで落ちたのでもなさそうだし、死ぬこともなかったのだ。

 死んだのかどうか分からない夢はまだある。数年前、入院が長引いていた時、窓から見下ろす辺りに白骨が散らばっていて「あれはあなたの骨だから…」との声が聞こえたのである。本当に私の骨? どの部分の骨だったのだろう? 頭蓋骨は見当たらなかったような気がする。

 窓から自分の骨を見下ろすなどとはあり得ないことではあるけれど……。この高さなら落ちたら死ぬかな~と、ちょっと考えたことと関係があったのかしら。

 骨片は我のものかも夏の月 としこ

 次の朝こんな句ができた。

(2023・2)

2023年2月3日金曜日

第197号

       次回更新 2/24


豈65号 発売中! 》刊行案内

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アルゴンたらむと関悦史  竹岡一郎 》読む

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2月の執筆者(渡邉美保)

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…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

救仁郷由美子追悼④  筑紫磐井

   大井ゆみこの作品は手元にある「琴座」バックナンバーでも数が少ない。欠詠が多く、「琴座」全体を再確認する必要がありそうだが、今後紹介する「未定」「豈」でも多くはないし、「俳句新空間」第17号の拙文「資料・救仁郷里由美子」に示したように、評論の人であったようである。その中で493号は特別作品として対策を発表している。


7年5・6月号(493号)

 地球儀

           大井ゆみこ

いも虫が垣根と唄を通り越す

晩秋の夜ふけふざけるすすきたち

母ヘビノ不孝トグロ石トナル

夜明持つゼンマイ時計に巾なる耳

台所出で月夜のアザミさがしゆく

うそっぽさ故少女のまま囚われくる

今夜にも熱帯魚となる妻がいて

風だって「感じ取るものよ」神無月

群れて明日愛を過剰に発行せり

右の手を人魚の洵に沈めた日

幸せのブヨブヨ気分まるめる昼

薄青きティカップに注ぐなごみの香

月夜には平たく丸く彼がいる

静謐が私消しそう春の雨

生まれいで失いし春はじまりに

「あたしねえ」赤毛の女自我紡ぐ

ひとりただ菜の花の黄の無言へと

裏山の洞穴にて吐く言葉の音

地球儀からさみしさ滲むクリスマス

記憶する道跡形なく野草花

病める肩隣りの肩となごむ春日

さみしさに賽の河原の石持てり

生と死と近づきすぎた老桜

微笑んで戦う為に生まれ来ず

花畑つぼみに時刻飾りける

春誘い伶ぶきはじめた老枯れよ

忘れたし約束燃やす冬花火

なたね梅雨今日の片悩は椀の中

時計針春のこよみを巻きゆきて

散る桜墨すりこむ夜白かりし

固きエゴ山海深く芽ぶかりし

真夜中に記憶を吊す物干竿

地鳴り呼び虚空空洞連音す


【注】本作は特別作品であり、新進女性5人と句集(他に稲葉早恵子、皆川燈、花森こま、藤原千恵)で、40句を応募し、金子晋と五十嵐進が選び、短評を下している。


7年11・12月号(496号

               大 井 ゆみこ                       

先触れの台風崩す豆腐かな   

南島の流木行き着き戸口あり         一

生死今草葉の下よだんご虫      

風雨にも家なき人の靴の穴      

山影も秋へと沈む日ぐれ哉   


【注】「琴座」ではこの作品が最後のようである。ちなみに「琴座」は平成9年1・2月号(通巻503号)で終刊している。


アルゴンたらむと関悦史  竹岡一郎

  1

俳句雑誌「翻車魚」6号(2022年11月20日刊)の中に、次の句を見つけて驚いた。

冷夏ですから鋏が不意に立ちあがる  関悦史(以下、引用句全て同作者)

軽やかに静かに迫り来る感じ、とでも言おうか。一読、情景は簡単に立つ。立つのだが、言いようのない不安がある。しかも、この不安感はなぜ、軽やかで静かなのだろう。上手く言えないが、句の匂いと、句から発する不安感が矛盾するのだ。

掲句は何処から摑めばよいのだろう。驚きが驚きのまま摑みようもなく進行してゆく感じ。私は困惑する。評を書くのを諦めるには、香りと不安が大き過ぎる。どうしても読み込みたくなるような詩がある。厄介な句である。

この句は二物衝撃とは思えない。「冷夏なり」ではないからだ。「ですから」とわざわざ丁寧に理由付けするからには、相応の理由があるからだと考える。

まず、冷夏である。夏なのに気温が上がらない。農家に打撃を与える異常気象だ。惨い季節である。レイカ、と聞いた時の耳への印象は、薄い鉄のように冷たく、密かに容赦ない感じがある。

次に「ですから」だ。前に挙げた事象をもって次の事象の理由とする接続詞だが、「だから」ではなく、わざわざ慇懃な言い方をしている。この慇懃さが、次に来る事象への冷静さとも取れる。鋏はその用途として残酷な性質を持つ。「ですから」は、その冷静さによって、鋏の性質を際立たせる。

その「鋏」。なぜ包丁やナイフや刀ではないのか。蟹やロブスターの鋏はなぜああいう形状なのか。獲物を挟み込んで離さぬためだ。掲句の鋏もまた、対象を挟み込んで確実に分断するまでは離さないのか。その鋏は「不意に」、予測不能な今、動く。横に動くなら、「立ちあがる」とは言えない。

どう立ち上がるのか。刃の切っ先を上にしてか、下にしてか。上五の「冷夏」という酷薄な響きからは、切っ先を上にして立ちあがる方が相応しい。これを蟹などの鋏だとすれば、鋏が上を向くのは威嚇、又は戦いの準備だ。

掲句は多分、鉄製の道具としての鋏だろうが、「立ちあげる」のではなく、「不意に立ちあがる」のだから、作者も含む人間の意志とは無関係に、鋏自体が意志を以て、或いは何か目に見えないものの意志に憑依されて、立ちあがる。

立ちあがって何をしようとするのか。「冷夏ですから」、その冷夏を防ごうとするのか、或いは冷夏に更に何物かを付け加えようとするのか。道具の鋏なら、見た目にも冷たい輝きを放っている筈だから、冷夏を防ごうとするには相応しくない。

冷夏に更に何かを加える目的なら、立ちあがる理由は納得できる。冷夏という、秋以降の飢饉を招くような、人間にはどうする事も出来ない現象に追い打ちをかけるべく、鋏は立ちあがる。

作者は只それを見ている。何とかしたくとも、どうにもならない。冷夏をどうにかすることは出来ない。その上、不意に立ちあがる鋏と来ては。

目の前の鋏は、普通の鋏かもしれない。手に持てるサイズかもしれない。しかし、その鋏の意志(意志というものがあるとすればだが)は恐らく、手に持てるどころか、人間が扱える大きさではない。

此処まで考えて漸く、なぜ「立ちにけり」と単純に立つのではなく、「立ちあがる」なのかが見えて来る。これは「聳え立つ」という意味を隠した「立ちあがる」か。または「立ち揚がる」のかもしれない。鋏は地上から解き放たれるまでに高く立つのか。そこに思い至る時に「不意に」という形容が、恐怖を伴うように見えて来る。この鋏は、冷夏という天災に続く、更に恐ろしいモノ、人間にとっては天災よりも防ぎようのない何かを表しているとも読める。

しかも全体を読み下すと、如何にも軽く詠っている。「軽々しく」という意味ではない。透けるように、見通すような目で詠っているという意味だ。「不意に」という語感は、そよ風の吹くように感じられる。例えば、「不意に」を「突如」に変えると、そよ風の感じは忽ちなくなってしまう。「ですから」には、ユーモラスな、揶揄するようなニュアンスさえ感じ取れる。名詞以外の言葉はあくまでも優しく穏やかに選択されているのだ。例えばアルゴンの立場からは、そんな風に感じられるのだろうか。(アルゴンについては後に述べる。)

関悦史もまた地獄を抱えている事を、私は知っている。これは地獄をブイヨンスープのように煮詰めて、その上澄みを掬ったような句だ。読み込むほどに味わい深いが、色々解釈してもまだ言い得ないところが残る。もうどうしようもない、という作者の予感だけは繰り返し伝わって来る。

その予感は、単に関悦史個人に関わるだけのものではなく、人間全体(人類、と大仰に言うべきか)に関わるものと読む。冷夏は飢饉に直結しかねず、そして食糧危機は今や全世界に及ぶ気配があり、去年末にはアメリカ全土を覆う大寒波の惨状をテレビで見た。

だが、掲句を食糧危機の暗喩と観ては、却って句に潜む詩情を矮小化しかねない。無論、食糧危機を含むと読んでも良かろうが、それだけでは「鋏」を捉え切れない。この鋏が果たして人間の作り得る人工物なのか、それとも蟹のそれのように自然物なのか、または彼方から飛来したモノリスのようなモノなのか、或いは目には鋏の如く認識されるだけで、実は、挟み断ち切るという容赦ない作用を持つ何かなのか。

では、何を挟み断ち切るのか。読者が各々「断ち切られるには最も耐え難いもの」を想像するが良い。冷夏とは、夏とは逆の悪作用を及ぼす季、矛盾する巨大な事象だ。鋏がもし、冷夏という矛盾の鏡像、或いはエッセンスとして在るとすれば。


  2

関悦史は見る者だ。凝視する者と言っても良い。どのような立場から凝視するかと聞かれれば、思い出す句がある。彼の第一句集「六十億本の回転する曲がつた棒」の「襞」という章にある句だ。

またの世はアルゴンたらむ磯遊び

この句には作者の注がつけられている。「アルゴンは大気中最多の希ガス、他の元素との化合はほぼ無し」。「母なる」海に面した、ごつごつざりざりした岩場で、細々とした生き物を掬いながら、そんな寂しいことを希んでいる。

この注を読んだ時、私はひどく悲しかった。まだ若いのにそういう事を言うな、という気持ちだった。同時に、そう言わざるを得ない彼の境涯も胸に沁みた。

此処で翻車魚ウエブに去年秋発表された句群を挙げる。2022年9月の「水の自覚」より。

音楽や水母が水母呑みゆくも

水母は体の九割以上が水であり、水中に死ねば死体も残らない。そのような余りにも儚い水母が別の水母を呑む、その様もまた音楽だというのだ。そして海はそんな音楽に満ちる。「母なる海」というが、寄る辺ない水の母たちさえもが、弱肉強食を演じる、その集合として海があるのなら、母とは、何と抗し難い残酷さであるか。

天はいま割れゆく卵午睡して

午睡、つまり一旦の死に入っているのは作者なのだろうが、言葉の並びからは天とも読める。卵とは壊れやすいものの象徴でもあるが、現実にか、午睡の夢中にか、天は今まさに割れようとして、何しろ手の届かぬ天であるから、その毀損を地上の誰も止める事が出来ない。更に「割れゆく」で一旦切れると読めば、午睡しているのは卵だ。その丸き様を「午睡」と表現したのか。割れゆく天のもと、完璧な形で眠っているもの。

車行く喜雨の路面の舌めく音

情景はリアルだが、最後の下五において一気に、そのリアルさが反転する。路面は、その発する音から長大な舌と化して、喜雨という喜びの涎を溢れさせつつ、過ぎ行くタイヤを舐めている。タイヤが路面を舐めるなら、これは普通の感覚だ。路面がタイヤを舐めるなら、車の主導権は既に無い。車が何処に向かうかは、舌と化した路面が決める。車は異界の喉へ、胃へと送り込まれるのだろうか。

2022年11月の「くねくね」より。

踊の輪次第に速しつひに無し

季語の「踊」は盆踊の事だから、これは祖霊を迎える頃の、地域共同体の踊だ。その踊りの輪が次第に速くなってゆく。「つひに」下五の末尾に至るまで、有り得ないほど速くなる。時間を早回しするようにか。生者は死へと向かう時間の中で生きている。この下五の結末は、遂に生が死へと、しかも共同体ごと参入する有様か。或いは時間を遡るとも考えられる。その場合でも、結果は現世から見れば似たようなものだ。つまり共同体ごと未生の段階へ、前世の死後の状態にまで至る事になる。生者と死者の区別が無くなる踊だ。これを、最初から死者しか居なかった踊と見れば、生者の立場からは、少しは安心するのだろうか。いずれ死ぬことに変わりはないが。

仏壇の梨むいて夜の汁だまり

下五で一息に現実の表皮をめくり上げるような句を挙げてきたが、これもまた下五が惨たらしく悲しい。汁は梨のそれであることはわかるが、単にそれだけではない。仏壇の死者に捧げた供物を降ろし、生きている作者が食う。それは生きるために食うのだ。死と生の間に有って、生の方向を向くために梨を剥いて食う。あたりは夜。秋であるから長夜だ。長夜に輪廻し、無(ナシ)を向いて、生きる為に死者から恵まれた残滓の汁が溜まる。

此処でもう一度、アルゴンの説明を思い返す。「アルゴンは大気中最多の希ガス、他の元素との化合はほぼ無し」。今挙げた句群を思うなら、アルゴンへの希みも、むべなるかな。

この「アルゴンになりたい」と希む在り方こそが皮肉にも、関悦史をして俳壇に必要たらしめているのは重々承知だが、もう少し人間らしいことを願っても良いだろうと、常々思っていた。逆に、と言うべきか、「ですから」と言うべきか、アルゴンになりたいと希む者にしか作れない句もあるべし、とも。そして冒頭に挙げた「鋏」の句は、そういう句、静かで軽やかで容赦ない詩だ。

アルゴンから見て人間がどのように映るのかは分からないが、もしかしたら、人間の虚しい足掻きは、「鋏」の句に描かれたような状況として見えるのかもしれない。と言うのも、翻車魚ウエブ2023年1月1日号から次の句を見出したからだ。「時の顔」と名付けられた一連の作品の中にある。

地球儀のくべられてゐる焚火かな

これを「地球儀」ではなく「地球」と置くなら、安易な環境破壊批判だ。しかし、地球儀は地球では無い。あくまでも人間の立場から把握された惑星像の模型に過ぎない。その模型が、もはや無用なものとして暖を取るために燃やされている。地球儀がいくら燃やされたところで、地球は人間の意志とは無関係に存続するだろう。一方で、人間は今や「地球儀」という周知の惑星像を燃やさねば、暖を取る事が出来ない。戸外の、それほどの寒さは、地球の意志による。この状況の描写を、アルゴンから見た皮肉、と私は読んでしまう。

「鋏」の句においても、「ですから」に込められた皮肉を嗅ぐ事が出来よう。それを「非人間的」と断じるのは容易い。だが、一方で、そのような、人間を離れた立場からでしか、本当に正確な状況は把握できないと関悦史が思っているならば(彼のことだからそう思っているだろうが)、その心情は悲痛である。


  3

次に同じく「時の顔」から挙げる。

漱石忌暗渠に富める東京の

漱石は東京で生まれ育ち、松山や熊本や英国に暮らしたのは明治二十八年から明治三十五年までの八年間だけだ。子供の頃はあちこち里子に出され、長じては絶えず人間関係に苦労し、神経衰弱を患い、明治四十年には東京帝大の教職も捨て、朝日新聞社に入って数々の名作を書き、五十歳にならぬ内に胃潰瘍にて逝去。東京の生んだ文豪であり、紙幣の顔にもなったが、その生涯は幸せとは言い難い。

掲句の倒置法を外すと、「暗渠に富める東京の漱石忌」となる。「暗渠なる人工の暗黒の水路に富む東京、における漱石忌」、という意味だ。松山の漱石でも、熊本の漱石でも、帝大教職の鞭を取るほど英語に堪能で、英国に留学した漱石でもない。漱石の幼時の地獄と、長じてよりの神経衰弱と胃潰瘍という地獄と、漱石を文豪たらしめた小説群を育んだ東京である。(私は掲句の暗渠を、関悦史の幼時と、その肉体に今なお引き摺る苦痛と重ねて読んでしまう。)

東京という現実の、地獄の記憶の物質化が、暗渠だ。この「暗渠に富める」を「暗渠ゆえに富める」と解釈する事も可能だ。その場合、人工物である暗渠は、漱石が書いた昏い小説の数々と重なる。漱石は現実の地獄を、人工物である小説に映したからだ。掲句は、漱石の苦悩を、現実の人工物により象徴している。「漱石忌」の内実を、見事に把握した句だ。

去年の大晦日、三十年間溜めに溜めた『鷹』誌を整理していた。思い掛けず、関悦史へのインタビュー記事を見つけた。何気なく開くと、眼に飛び込んできたのだ。『鷹』平成29年9月号の「俳人を作ったもの 第11回《関悦史氏に聞く》 異界としての現世 聞き手・髙柳克弘」

これは紙媒体のみで、ネットでは読めない。関悦史が赤裸々に来し方を語ったのは、この記事だけではなかろうか。興味ある方は何とか探し出して読んで頂きたい。私が突然この稿を書こうと思い立った動機である。

それにしても、自らの体験に寡黙な関悦史から、ここまで聞き出せたのは、やはり髙柳君の人柄に依るか。このインタビュー記事はエッセンスだけを抽出している筈で、そこに至るまでの前振りとして相当量の世間話があっただろう。私も一度、髙柳君にインタビューを受けた事があるから、彼の聞き手としての巧みさは知っている。

関悦史としても、一度は活字として残しておきたい、そうすることによって、抱えて来た痛みが和らぐかもしれない、そんな思いがあったのだろう。

記事の構成は、関悦史の幼年期から始まっている。二才の時に両親が離婚、それから親戚の間を順繰りに、引き取られては手放され、幼稚園に入る年に漸く祖母の家に落ち着く。

人の悪意や状況の変化にものすごく過敏だったので、親戚の人達から見ると、おどおどしていて、明らかにおかしいという状態だったようです。とにかく何かあると泣いていましたね。だから幼稚園にあがるのも少し遅れたんです。」そういうトラウマは一生抜けないものだ。

小学校で転倒時に頸椎がずれ、中学校で頭蓋骨の奥に肉腫が出来る。それら二つの後遺症が癒えずに、自律神経が目茶苦茶になり、睡眠障害もあいまって、普通の生活が出来ない。

具合が悪くて何もできない中で、意識だけがあるという時、それを凌ぐために俳句を作っていました。

そうして出来た連作が「マクデブルクの館」、第一回芝不器男新人賞に応募し、城戸朱理奨励賞を受賞した作品だ。その連作から、特に血族の句を挙げる。

姉ノ橫死ノ刹那ノ視野ノシャンデリア

生涯不犯ノ伯父モ行方知レズトヤ

地下ニ亡父ニ磨キコマレシ《鐵ノ處女》

曾祖父ノ不可思議ナルメモ舊約ヨリ

婚約ノ兄梟ノ頭部シテ

兄病ンデ無聊ニ神トナルコトモ

燭臺持チ女装ノ兄ノ時化ノ入水

首モゲテ陶製ノ母鳩ニ喰ハレ

ヲリモセヌモロモロノ死兒沈ミユク

遠ツ祖(オヤ)ハ牛ノ頭ヲモツトモイフ

遠くは高祖から近くは兄姉に至るまで、凡そ惨たらしく且つ神話の暗さを以て詠われぬ血族はない。現実の血族が余りにもよそよそしく遠いが故に、逆に関悦史にとっては迫り来る神話として映るのか。

「牛の頭を持つ遠つ祖」から想起されるのは、祇園精舎の守護神である牛頭天王、日本ではスサノヲと同一視される神だ。荒ぶる神、高天原から追放された流浪の神である。また、ギリシア神話に目を向ければ、迷宮の主であるミノタウロスを思い出す。(迷宮とは、苦難の旅、近づき得ないもの、黄泉がえりを象徴するという。)その血脈が、気の遠くなる年月をのたうち回った果てに、百句に表わされる暗冥を演ずる。それら陰惨な血族を総括する結論が次の句である。

死ンデナホ性トイフ修羅止マザリキ

魂トイフノモ寄生蟲デアラウ

ここでは魂は、人とは別種の霊の如しだ。血族の継続という営み、死後なお続く生殖の修羅の中に繰り返し降りては飛び去る。霊は時に分裂し、時に互いに融合して、次から次へと宿主を乗り換える。これは輪廻の仕組みから見れば自明だが、見ようによっては肉体への寄生虫と見えぬ事もない。

不眠ノ皆ガ毛深キ甁ニ靈ヲ插ス

肉体は霊の器、というから、「毛深キ甁」は生ける肉体だろう。「毛深キ」なる形容は、人間の持つ獣性を思わせる。誰の肉体か。「不眠ノ皆」が全て関悦史の鏡像の如き血族なら、この瓶=肉は関悦史か。瓶に挿された霊の束が思考し、それが「思うが故に我ある」処の関悦史だ。一旦でも死に安んじる事が出来ない霊の状態を「不眠」と表しているか。

今挙げて来た句群は、幼き関悦史が、血族の中に「沈ミユク」己を、凝視していたしるしでもある。「ヲリモセヌモロモロノ死兒」、あたかも居ないかのように扱われる死児の為すように、凝視していたのだ。

(「モロモロノ」を、関悦史がその時々の仮居で、その時々に死んだ数、と私は読んでしまう。)

生マレテハ毀レテ肉ガ歌ヲ詠ム

生まれては死ぬ、のではない。繰り返し生まれては、繰り返し無機物のように毀れる。死児よりもなお、人間でない。その肉が歌を詠む。独り詠んで「マクデブルクの館」を建てたのだ。

内界ニ洋館浮イテ眠ラレズ

膿胞ノ如ク館ノ美シキ

「マクデブルクの館」は、この二句から始まる。不眠の関悦史の内界に建つ洋館であり、膿胞は彼の癒し難い幼少時である。その膿胞を美しいと観ずる為の、悲痛な努力の証しとして、この百句はあると言っても良い。

此処で一つの非凡な句を挙げる。この一句こそが「マクデブルクの館」の核として、百句全体を神秘へと引き揚げるものだ。

「名指サレタ婦人ハ紀元前カラ難所デアツタ」

紀元前から二千年以上も難所であった婦人、恐らくは今もなお難所であり、難所である事が漸く名指しされた婦人とは誰だろうか。難所とは、常人の到達し難い場所を指す。そのように喩えられる婦人で、しかも、紀元前から、と言われれば、私の脳裏に浮かぶのは聖母マリアだ。つまり難所とは、マリアの奇跡を指す、と仮定しよう。無原罪の宿りである。

先の掲句の前後二句は、

八重咲キノ婦人ヲ名指シ探偵ハ

犯人ヲ染ミ出ス蜜ト蘂無量

この連作は、探偵が、八重咲の夥しい花弁の迷宮から(「八重」とは「無量」と同じ意味か)、犯人を追いつめる顛末であり、犯人であるマリアからは(仮にマリアと呼ぼう)、あたかも地母神のように、そして南米の黒いマリアのように蜜と蘂(即ち生殖の要素)が無量に染み出す。しかし、何の犯人だろうか。

黒いマリアは地母神と聖母マリアの融合だという。残虐と慈愛を同時に併せ持つ存在が地母神であるなら、この犯行は、斯くの如き血族をも含む「人類」を産み出した事とも言えるだろうか。或いは、「人類」という惨たらしい種の裡に突如、無原罪の子を孕んだという犯行か。

更に後に続く一句、

大團圓 魂紛レミンナ緞帳

そして降りる緞帳の、恐らくは模様や襞に紛れる魂とは、もはや誰の魂でもあり、誰か個人の魂でもない、人類という、「原罪を背負う種族」の魂だ。緞帳を構成する色とりどりの糸として寄生虫を思わせるように絡み合うか。

先のインタビューからの本人談。

私にはちょっとグノーシス主義的なところがある。この世は神が作ったにもかかわらずなぜ悪があるのか、この世を作った神は間抜けな出来損ないではないか、そこから抜け出していくには知識が要る、という思想です。

「名指サレタ婦人ハ紀元前カラ難所デアツタ」

この句がカッコ書きなのは、台詞であることを示すのだが、これは誰の台詞なのか。百句を順に読んでいけば、探偵の所作を語っていると分かる。探偵とは何だろう。館の外からやって来て、惨劇を俯瞰する役目を担う者。「マクデブルクの半球」の実験に示される真空の、その外界、大気とアルゴンの充ちている処から来るマレビトである探偵。マレビトの始まりは、故事に則り、虚ろ舟で来る、と仮定しよう。探偵が最初に登場する句は、

探偵ニ廢船ノ蟲呟キアフ

三度、取り上げる。

「名指サレタ婦人ハ紀元前カラ難所デアツタ」

先に、なぜカッコ書きなのか、と疑問を呈した。館に登場する誰の台詞でもない。探偵の所作を語っているのだから、探偵の台詞でもない。考えられるのは、これはナレーションだという事だ。無声映画の字幕を思っても良い。館の惨劇を、探偵よりもなお外側から鳥瞰している。

これを作者の台詞と断じてしまえば、その読みは浅い。他の句、客観的に詠っている(この劇の台本を書いた作者の目線から詠っている)句には、一句を除いてカッコ書きはないからだ。(その一句、「君トナラトモニ殺セル靑イ鳥」は、明らかに登場人物の台詞だろう。)

探偵を含む登場人物でもなく、台本作者の関悦史でもない、誰かの台詞。これを関悦史の人生の外側にいて鳥瞰しているモノの台詞と読むか。即ち、先のインタビューで関悦史が語った「グノーシス主義」から推理して、「デミウルゴス」、造物主である「工匠」の台詞と読むか。それとも関悦史が希望する次の生の台詞、アルゴンの台詞と読むか。

その台詞の背後に、マリアの奇跡、無原罪の宿りを、二歳児の如き無言の裡に、欲しているのは誰か。血族の惨たらしさに曝され、島から島へ廃船で漂流する如き孤独に晒されて来た者こそが、そのような奇跡に焦がれる。奇跡の顕現の為には、一旦、この生を諦めねばならぬのか。だが、いつまで?


  4

関悦史が、その境遇に対して選択してきた在り方、怒りも怨みも撒き散らさずに吞み込んで、意志力を駆使して冷静に分析していこうとする態度、それは彼の巧緻な評論に良く表われている。怒りや怨みを言い募る行為は、どんな理由付けで装おうとも、彼にとっては忌むべきものなのだろう。彼のような境遇の者が、そんなことをすれば、とても生きてゆけないからだ。だからと言って、アルゴンとはまた極端な。

再びインタビューから本人談を引用する。

はっきりいうと、自殺は物心ついた時からずっと考えていますよ。それが薄れたのは、介護をしている最中と、終わってから。人の世話で奔走していると、それどころではなくなってしまう。自分のことにしか関わっていないと、死にたくなるんでしょう。」

自分の事にしか関わっていないと死にたくなる、これは一般にその通りだろう、と、虚弱な体質にも拘わらず世話好きな関悦史の顔を思い浮かべつつ、そう思う。本人が人の事を考える性質だから、勢い周囲も関悦史を気に掛けるようになる。当たり前の反応だ。

だが、祖母の介護には相当の覚悟が要ったようだ。「介護でこちらへ戻る時には、親戚にいじめ殺されるのではないかという恐れがあったので、相当葛藤しました。」とある。けれども、その介護には「私以外には誰にも任せられない『のっぴきならなさ』がありました。

記事を読んでいて、一番こたえたのは、この箇所だ。私はこの部分を、論中に引用すべきかどうか、ひどく迷った。あまりに生々しく、そして身につまされる。

この時期に再び、このインタビュー記事を読む機会に恵まれた。それを私は、天啓と受け取る。なぜなら、「平気だ、大丈夫」と笑う者ほど危ういのは、経験則からわかる。

私の考え過ぎなら、笑い話で良い。しかし、万が一の事があれば、私は今まで何度か仕損じた如く、またしても臍を噛むことになろう。だから、この正月休み、私は焦って書いている。

何を書いているかと言えば、関悦史の驚くべき鬼才の論証、その鬼才は生きてあるべし、今まで天下の奇書を上梓してきた如く、これからも書くべし、という願いを書いているのだ。

再びインタビューから本人談を。

死や暴力の要素は創作の中に相当入っていますよね。正木ゆう子さんが、物を見るのではなく巻き込まれていると評してくれましたが、「巻き込まれ型」の特質で、自分が直接経験していなくても、見たり聞いたりしただけで耐えがたいということが作品になったりしますから。

関悦史は震災詠を筆頭に、多くの社会性俳句を詠んでいる。一方で、自分の悲痛さは慎ましくユーモアを以て詠む。これは彼の含羞によるものだろうが、結果として自利よりも利他を優先した事となる。裏を返せば、彼は自らの不遇に対しては、いつも諦観を選択してきた。先ほど含羞と書いたが、内実は含羞などという生易しいものではない。もっと悲愴なものだ。幼少時より盥回しにされてきたもの特有の選択であって、その選択については、私は一寸怒りたい気持ちもある。だが、その選択の連続が彼をして、代替不可能な作家たらしめたのも、また事実だ。

以前、週刊俳句に関悦史の第二句集「花咲く機械状独身者たちの活造り」について長論を書いた【注1】が、その際に挙げた句群から再び取り上げたい。私の解釈が足りなかったように思うからだ。

旗の来て人巻き殺す秋の暮

この旗に、先の大戦における全体主義を観るのは、一次的な解釈だろう。古来からの錦の御旗に限った事ではない。正義という概念が、そもそも「人巻き殺す」暗黒を併せ持つ。人の頭の数だけ正義がある事は、今や自明である。万人いれば万人万色の錦の御旗を掲げる昨今、その御旗はしばしば劣等感を覆い隠すために用いられる。SNSを使えば、本名も住所も顔も所属も、何処にも晒さずして、人を自殺にまで追い込める時代だ。

季語は「春の暮」と「秋の暮」だけで充分だ、と聞いたのは民話のように遠い昔。今、記憶を探ってゆくと、小澤實さんの言葉だったと思う。だんだん思い出してゆくと、二人で飲んだ帰り道、私が、三橋敏雄の「あやまちはくりかへします秋の暮」について聞いた時だった。俳句の本質を言い当てたようで、ひどく感心したことを覚えている。二つとも諦観を思わせる季語だ。そして関悦史に常に寄り添い、彼の凝視を支える語は、諦観の中でも特に「秋の暮」ではないか。

見えぬ業火と生きんとするか法師蟬

いわき市を訪れた際の句だから、「見えぬ業火」は原発事故後の放射能汚染を指すのだが、今読むと、もっと普遍的な意味を持つように思われる。原発事故はるか以前から、人は誰しも業火を背負って生きてきた。運命という業火だ。そして業(カルマン)、運命を決定する「潜在的形成力」を断滅せよ、と説いたのは仏陀であった。だから、下五に置かれた「つくづくと法師を告げる」蟬は動かない。法師蝉は業火の輪廻を鳥瞰して響くのだ。

関悦史が「巻き込まれ型」とは確かにその通りだが、巻き込まれてしまってから、彼一流の凝視が始まるのかもしれない。「マクデブルクの館」という真空の地獄から発する凝視だ。


  5

翻車魚ウエブ2021年4月「浮く」より挙げる。

親類の老女大往生 三句」という前書きで

奥の間に死顔を見て春炬燵

わが一部連れ死んで汝うららかな

魂がひとつ麗に置きかはる

明るい死だ。大往生だから明るいのだ。自死では、こうはいかない。作者が、こういう死を静かに羨み憧れる、と私は見てしまう。不思議なのは、二句目だ。自分の一部が老女に連れられて逝く。連れられて行った一部は、老女と共に麗なのか。連れられて行けなかった残部が昏く現世にとどまっている。

関悦史は「他界の眼」というエッセイで次のように述べている。(「俳句という他界」邑書林、2017年刊、195p)

私の個人的な来し方を語ることになるが、私が俳句や評論を発表するようになったのは、主に、一人で祖母の介護にあたり、死なれた二〇〇四年以降のことである。

 この時を境に私は、気がついたら、生と死の領域が逆転したような感覚を持つようになっていた。われわれが感知できるのは生の世界だけであり、これを全てと感じる方が普通であろうが、むしろ死(未生以前・死後)の方が本来の状態であり、生の方は植物でいえば開花期にあたる特殊な一時期に過ぎないという感覚が強くなったのである。それ以後、作家論や句集評の類も、そうした他界的な明るみ、個人的生死のスケールを超える或る公平さを手放さないようにと意識しながら進めることで、覚束ないながら、何とかしのげるようになった。

此処で「他界的な明るみ」という言葉が用いられる。先に挙げた大往生の三句は、その感覚を表現したものだろう。一方で、関悦史にとって「開花期にあたる」筈の生の時期は(少なくとも今までの関悦史の生の時期は)、マクデブルクの館の如き暗色の花であった。その花が、「魂がひとつ麗に置きかはる」と詠まざるを得ない心情は、胸に刺さる。先に挙げた「踊の輪次第に速しつひに無し」も、この心情を踏まえれば、「未生以前・死後」の長さと比べた時の、生=開花期の驚くべき短さを詠っているとも読める。

エッセイ中に「個人的生死のスケールを超える或る公平さ」とあるが、その立場は、先のインタビューで語られた「自分が直接経験していなくても、見たり聞いたりしただけで耐えがたいということが作品になったりします」なる言と矛盾する。

例えば、第二句集中の「花嫁」の章、「スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』による十三句」に表わされる句群。「個人的生死のスケールを超える或る公平さ」をかなぐり捨てて詠わなければ、関悦史は耐えがたかったのだ。

砲撃の村中をクリスマスツリー燃ゆ

ブーツの脚々切断され塹壕に立ち氷る

流氷と流れ来(く)つかみあふ兵の凍死体

髪に看護帽に人体ぶち割れべとつく汚物

此処には死が横溢するが、その死のどれにも「他界的な明るみ」など微塵もない。圧倒的な死の前で、未生も死後も認知できない一回性の生が、のたうち回るのみだ。大量の、唐突な惨死を以て、死後の明るみをも滅ぼそうとする、それが戦争の悪意だ。

ウクライナの惨状が、映像で日本にまで伝えられる現在だからこそ、改めてこれらの句群は我々に、戦争の現実を迫る。(戦争という遁れ難く癒し難い本能が、まさかこの論の冒頭に置いた「鋏」なのか。)

この「花嫁」の句群発表当時、関悦史は孤独の読書を通じての経験を、(一般の共感を得ることを恐らく諦めつつも)生々しく詠わずにはいられなかった。遠く離れた異国で戦死する花嫁たちへ、関悦史が唯一示し得る「のっぴきならなさ」であった。

その中で、ただ一句、看護婦が花嫁たらんとした一瞬が、「花嫁」の章の冒頭に置かれている。僅かな「他界的な明るみ」を、此処にどうしても置きたかったのか。

大尉死ねり看護婦の乳房見せてもらひ


  6

先に挙げた矛盾する二つの立場の間で、揺れ動かされる事を厭わず、関悦史が書き続けるためには、もしかすると自らを、一介のひとがたである依代、と見切っていなければならないか。

再び「時の顔」から二句挙げる。

人形を捨つれば覚えなき氷湖

人形を捨てる事により、自分が氷湖のほとりに立っているのに気づくのだ。氷湖であるから、人形は湖面を滑るのみで沈まず、氷によって湖に拒絶されている。

ところで、なぜ「覚えなき」事になったのだろう。人形を捨てたからだ。人形を捨てるまでは覚えがあったのか。それとも夢遊病のように、何かに憑依されるかのように導かれ、氷湖に辿り着いたのか。

いずれにせよ、人形を捨てる前と捨てた後で、記憶は一変している。記憶の領域が人形を境として分断されている。それでもなお双方の領域に、人形を捨てたという記憶は重なって在る。捨てた、のだから、その人形が自分に属していたのも記憶している。

人形を「ひとがた」と読む事も出来る。「ひとがた」であれば、捨てた人形は、自身の境涯又は他者の境涯を背負った依代、障りを移したモノだ。自身の境涯であるなら、一種の人為的ドッペルゲンガーとも言えようか。では、人形と一緒に捨てられた記憶は何か。氷湖という鏡のように凍った広がりへ、記憶が捨てられた。鏡に映っていた境涯も共にか。

事によると、人形は、関悦史自身の現実の肉体なのか。それならば、氷湖を「覚えなき」と見ているモノは何なのだろう。アルゴンなのか。関悦史の、またの世の生なのだろうか。

壁に誰が顔浮き出づる時雨かな

顔は、誰のものでもあり誰のものでも無いだろう。壁は外にあるのだろうか。家の内部だとすれば、雨漏りしているのだ。此処は家の内部と見たい。その方が凄惨さは増す。

以前、週刊俳句に書いた「鏡像を探る」と題した関悦史論【注2】において、翻車魚ウエブ2020年11月「氾濫」より次の句を取り上げた。

廃アパートに幼児吾ぞ死ぬ小春かな

この廃アパートの部屋の壁に浮き出す顔か。ならば、壁に浮き出る顔は、関悦史自身の、未生以前か死後の顔か。壁は記憶の裡の、どの壁でもあり、どの壁でもない。「時雨」という冬の通り雨が、外界も記憶も心情も徐々に寂びれさせてゆく中に、時間では寂れ得ない或る顔が浮き出る。或いは、壁に浮き出る顔は、関悦史を育てた祖母の顔なのか。

ここで「廃アパート」の句に置かれた季語がなぜ小春なのかを考える。かつてこの句の鑑賞に私はこう書いた。「しかも小春である。冬の寒さの中のほんの数日、温かい日差しが恵みのように降る日に、その恵みも間に合わず、自分は死んでいる。その日から一体、何十年経ったか。そう読む事が出来る者は、読むが良い。」

改めて考えると、その解釈では足りない気がする。例えば、下五が「寒波かな」であれば、容赦ない現実だろう。「大暑かな」であれば尚更、「秋暑かな」であっても大して変わらない。「時雨」は無論、惨い。では、秋の涼しさや春の麗らかさを置けばどうだろう。幼児の死は、世間の穏やかな日常に忽ち紛れてしまう。それは幼児にとっては、寒波や大暑よりも惨い忘却の季節だ。

小春とは、冬の始まりの後、更なる寒波との間に、いっとき訪れる冬の空白部分と言えよう。春を思わせるが、現実の春ではない。冬という意志が与える猶予の時間だ。その時間の中に、死児は匿われる。誰の死でもあり誰の死でもないように。誰とも化合しないように。「大気中最多の希ガス、他の元素との化合はほぼ無し」であるアルゴンのようにか。ならば、この死児を凝視する視線は。

今、挙げてきた句群、いずれも外部のリアルな景に託して、己が深部を凝視している。言葉の奇体な接続はないから、一読、情景は明瞭に見える。それでいて、類型化されていない個人の独自の苦悩を読み込んでゆけるのは、今まで展開した解釈の通りだ。

俳句は文学であるか否かという論争はずっと続いているが、今挙げた句群を以て文学ではないと言うなら、文学である俳句など無くなってしまう。はっきりとした句景の奥、幽かに立ちあがるものが文学で、いずれは死すべき人間が、明るい諦観の裡に死を凝視しつつ、生きのびてゆく匂いだ。その景と匂いの依って立つ処が、関悦史の場合、「時の顔」中の、次の句だろう。

眼球凍り時間の外が見えてゐる

これを「死体の眼球」と読めば、中七下五は成立しない。死体は時間の経過の裡に有るから、時間の外を見ることは出来ない。此処は凝視者の眼球と読むべきだろう。凍る、とは凝ることでもある。「外を見てゐたる」ではなく「外が見えてゐる」のだから、凝視者の意志に拘わらず、否応無く見えてしまうのだ。「見える」という状況の裡に固定されたまま、凍ってしまう。

その眼差しが或る時には、不意に立ちあがる鋏を見る。その時は冷夏であった。なぜ夏は冷えたのか。あるいは凝視者の眼球の発する冷気が、アルゴンの如く大気中に遍満した結果なのか。ところで、霊とは時間の外にある。だから関悦史よ、君の眼前に浮き出す親しい顔に護られつつ、書き続ける生を抱きしめたまえ。

週刊俳句2023年1月15日号より転載


【注1】週刊俳句 Haiku Weekly: 【句集を読む】花独活論または苦き妹こそ花 関悦史『花咲く機械状独身者たちの活造り』を読む 竹岡一郎 (weekly-haiku.blogspot.com)

【注2】週刊俳句 Haiku Weekly: 鏡像を探る 翻車魚ウェブにおける関悦史 竹岡一郎 (weekly-haiku.blogspot.com)

北川美美俳句全集29の2

  今回は写真はない。前号の写真に関係する記事を見つけたので追補しておこう。


2020/03/17 (火) 12:15


筑紫さま

 早速の返信恐縮です。

小林祥次郎氏とは血族としては従兄弟に当たるのだと思いますが年齢が離れすぎている為、冠婚葬祭以外あまり縁がありませんでした。私の本名と祥の字が被るので小さい頃から祥次郎氏とその母親には目をかけてもらいました。父が他界してから連絡が途絶えましたが俳句によって若干の関係性が復活した次第です。

 たまに俳句新空間、面を送っています。いつだったか「現代俳句は読みませんが、意外にも、や・かなを使用していて親近感が湧きました。」という葉書が届きました。

 れおなさん著書実は難しくて読めていません。「真神考」の校正もあり、いろいろ固まらないかもしれない足場を懸命に固めている最中でかつて無い読書量です。読書術が皆無で赤鉛筆で頑張っています。

 夏雲システム了解致しました。お待ちしております。

 今日からまた慈恵詣のため上京中です。しづかですね。


北川美美 


ほたる通信 Ⅲ(30)  ふけとしこ    

ラジコンカー


冬青草ラジコンカーが突つ込める

潮焼けの顔の寄り合い大とんど

冬麗や虫の骸の青光り

寒晴や魚呑みきれぬ鵜が一羽

谷折りにまづは始めよ日脚伸ぶ

・・・

 『男たちの宝塚―夢を追った研究生の半世紀』(神戸新聞総合出版センター刊)という本がある。

 〈清く正しく美しく〉のモットーで知られる「宝塚歌劇団」に男性の団員がいたという話である。

 過去の新聞の書評で見かけて何となく記憶に残っていたのだが、たまたま長男の家で見かけて借りてきた。贈呈本とのことで2007年7月6日の日付と著者・辻則彦のサインがあった。

 「宝塚」といえば、「づか」との略称、男役・娘役とがあり、劇団員とは呼ばず研究生とか生徒さんと呼ぶ。或いはタカラジェンヌを省略してジェンヌさんと呼ぶ。そして本拠地である兵庫県の宝塚はムラと呼ぶ……等々のことは宝塚狂いの友人から聞かされているが、男性研究生がいたとは初めて知ったことだった。

 昭和21年に最初の「宝塚歌劇団男子部」の研究生が募集され、当初は1回生2回生を合わせて8名の男性が在籍していたそうである。4回生まで募集があったとのことで、最終的には十数名になっていた。女生徒達にに遠慮しながらも、熱心に稽古をされていたようだが、結局、女性の演じる男役の美しさや人気にとけ込むには無理もあったようで、大劇場の舞台に立つこともなく、昭和29年になって解散ということになったという。

 その後は芸能活動を続けた人もあるが、離れてしまった人もある。各人各様の人生を過ごしている人達の内、消息の分かる人を訪ねての記述にも多くを割いてあるが、こういう場合、語りたい人とそうでない人とに分かれるのは世の常である。

 多分、現在の宝塚ファンにさえ知られていないであろう、男子部の話は資料としては貴重なものだと思う。

 因みに私が名前を知っている唯一の人は西野皓三氏。この私が知っているぐらいだから、一番活躍されたのだと思うが、その西野氏が宝塚歌劇団男子部出身だったとは、この本を読むまで全く知らなかった。

 バレエが得意で男子部解散後に「西野バレエ団」を設立。金井克子や由美かおるを育てたことなどでも知られた人であるが、この方も一昨年94歳で亡くなっている。

 この本の出版からでさえ、すでに20年程が経っているわけだから、鬼籍に入られた人も多いはずである。取材の時期としてもぎりぎりだったと言えるだろう。

(2023・1)