2023年2月24日金曜日

秦夕美の死と句集『雲』 筑紫磐井

  2月5日に、田中葉月氏から秦夕美氏が先月22日逝去したとのメールをいただいた。ちょっと前までは電話で元気な声を聴いていたからショックだった。本人の遺言で俳句関係には連絡せぬようとのことだったという。告知の取り扱いについては悩ましかったが、しばらく伏せておく方がいいのではないかと思った。

 5日当日は馬酔木の100周年大会に招かれていたので伺ったところ、同じ席でふらんす堂の山岡喜美子さんとご一緒した。秦氏は最近の句集はふらんす堂から出すことが多く、付き合いも深いと思い話を切り出すと、むしろ山岡さんから秦さんの遺句集は届いたと聞かれた。こんなタイミングで句集が出ることは思いもしなかった。

 自宅に帰ってみると確かに句集『雲』が届いており、山岡さんの名前で秦氏が亡くなられたことの告知が挟まれていた。

 翌日のBLOGふらんす堂通信にはこの句集のことが詳細に書かれていた。山岡さんとしては句集が出るまでは秦氏の亡くなったことを伏しておきたいと考えたらしい。その意味では、すでに多くの人に句集が届いているだろうから、秦氏の遺言は失効したと思っていいだろう。

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 秦氏は、「豈」は19号以来参加して頂いている。攝津幸彦存命当時からの古手の同人となる。後年「「豈」入会は多分十九号、上京をしていた私は、お茶の水で摂津幸彦さんと会った・出来立ての『陸々集』を手渡され、入会を誘われた。記録を残すことが苦手なので誰たちと一緒だったか覚えていない。」と書いている。

 最新の「豈」65号(10月刊)には40句の特別作品「アノ秋(昭和二十年)」が載っている(6月末締め切りの原稿)。「豈」と同時に個人誌「GA」を年2回出されていて、昨年7月刊の89号が最後の雑誌となっているようだ。作品を見ても文章を見てもなくなる予兆すら感じさせない。

 秦氏について言えば、驚くのは句集上梓のスピードである。今回第19句集に当たる。俳句を詠むことよりは、句集を出すことに生きがいを感じていたように思う。永らく読ませていただいた中で一番驚いたのは、第7句集『歌舞と蝶』である。秦氏らしい華やかな表題の句集名と思ったが違ったのだ。この句集は題詠句集であり、その題は秦氏が購入した株の銘柄なのである。題詠は中世の堀川院百首以来塚本邦雄まで膨大にあるが、株の銘柄を使うなどは思いもしなかった。『歌舞と蝶』は『兜町』なのであった。こうした仕掛けも大好きな人であった。

 まだまだ句集を出し続けたかったであろうと思うと残念である。

 最後に、山岡さんが選ばれた句を紹介する。秦氏にはまことにふさわしいように思う。


 葬列のどこかはなやか枇杷の花 夕美