2023年2月24日金曜日

パンデミック下における筑紫磐井の奇妙な追想  竹岡一郎

1.

 パンデミック以降、筑紫磐井の句が突然変わった事に気づいて、この三年ほど注目していた。此処に漸く論ずることにする。

 「転校生」(俳句新空間2020初夏No.12)より引く。これは筑紫磐井が小学生の頃に出会った様々な子についての連作と読んだ。その中から、同じ子について詠ったのではないかと感じる六句を挙げる。

かをるかをる若葉に少女細くなる

ほんとうの嘘ばかりつく転校生

保健室にいつもゐる子はゐない子で

春の水気泡となつて小学生

お下がりが似合ふが妬し末恐ろし

病室を間違へ知らぬ子を見舞ふ

 この六句は二十句中に分散して入っている。記憶が分散するごとくだ。句を並べると、或る像が見えて来る。

保健室にいつもゐる子はゐない子で

 保健室にいるからといって、病弱とは限らない。集団に馴染めない子なのかもしれない。しかし、磐井少年は、なぜその子が「保健室にいつもゐる」と知っていたのか。その子が教室に居ないと、いつも気になって、保健室を覗きに行ったのだろうか。すると居る。ベッドに寝ているのか、それとも窓際でぼんやりしているのか。保健室という領域では、その子はいつも居る。居る事を、磐井少年は認識している。

 しかし、教室という領域では「ゐない子」、そして教室で騒いでいる子供たちにとっては、居ないと認識されている子、名前だけは辛うじて憶えられているかも知れない子だ。そして恐らく細い子だ。

かをるかをる若葉に少女細くなる

 「かをるかをる若葉」というリズムに、くるくると舞う若葉が浮かぶ。そのリズムによって、少女は細くなってゆくように思われる。「かをるかをる」は少女にも掛かる。少女は香るのだ。その少女の舞うような所作は、陽炎のように儚く見えるのかもしれぬ。陽炎と思ったのは、次の句による。

春の水気泡となつて小学生

 昔の小学生はうるさいものだった。特に高度成長期の元気な小学生ときたら、気泡どころか、騒がしい動物のようであった。しかし、あの子だけは違う。何かの拍子に、気泡と化すような気さえするのだ。これは「春」が動かないだろう。春の水の行く末には陽炎という現象があるからだ。

ほんとうの嘘ばかりつく転校生

 その子は転校生だ。転校してきて、その学校に居つくわけではない。転校を繰り返して、何処に行っても「転校生」という認識が取れないままの子ではないか。その子が嘘ばかりつく。少なくとも周囲の子供たちは、その子の言葉が嘘だと思っている。磐井少年の認識は違う。上五に「ほんとうの」とあるからだ。その子の話が実は本当である事を、磐井少年だけは知っている。

 なぜ知っているのだろう。その嘘が、例えば知識ある大人なら知っているような「ほんとうの」事なら、磐井少年はその年頃の普通の子には無い知識を持っているからだ。また、その子の周りに起こる事であるなら、その子と磐井少年が或る経験を共有しているからだ。後者の方が詩的なので、そう取りたい。この「ほんとうの」には、磐井少年の密かな誇りが込められている。その子と自分だけが真実を共有しているという誇りだ。

お下がりが似合ふが妬し末恐ろし

 妬(ねた)し、という語には、単に嫉妬だけではなく、妬ましく思えるほど素晴らしく羨ましい、という意味が込められている。まず女の子だろう。お下がりが似合う男の子に「末恐ろし」という表現は使わない。

 「お下がり」は誰のお下がりなのだろう。その子に姉がいるのか。普通、お下がりとは大きくて、くたびれ、身に合わないものだ。それが似合うという事は、同年代の子よりも大人びて、背も高いと思われる。お下がりを貧乏臭く見せないで着こなしているのは、そのお下がりを凌駕する所作が備わっているからだ。下五に「末恐ろし」とある。栴檀は双葉より芳しく、このまま成長すれば、諸人を惑わしかねない香を、その所作にまとうだろう。

病室を間違へ知らぬ子を見舞ふ

 病弱な子が大人びて見えるのは、良くある事だ。遂に学校に来なくなったのか。磐井少年は先生から病院を聞き出し、見舞いにゆく。しかし、病室を間違える。それなりに心尽して花などを持っていったかもしれないが、その病室に居たのは似ても似つかぬ子だった。磐井少年は目当ての子を見舞えたのか。恐らく、会えなかっただろう。それっきり、その子の姿は、誰の眼からも消えてしまっただろう。

 「記憶にもない子が写真から笑めり」の句があるが、この子はその子ではない。なぜなら、磐井少年にはその子の記憶があるから。「淋しげに転入生はいつも笑顔」の句も、転入生の特徴を良く表してはいるが、その子ではない。そんな子が「末恐ろし」い訳が無い。「図書室の静かな遊び覚える子」は近いようにも思われるが、図書室に行けるような子は、保健室には入り浸らない。「かなしさうな顔する君と手をつなぎ」は、もしその子ならば、磐井少年にとっての奇跡だろうが、やはり「末恐ろし」という形容とは少しずれるだろう。

 「アルバムや写真一枚だけの子が」この句はどうだろう。学校行事にも参加できないような子、居るか居ないか判らないような子、保健室にいつも居るような子なら、その子の可能性はある。その子であって欲しいという気もするが、やはり一枚でも写真が残っている限りは、その子と重なるような印象の、別の子ではないか。

 「ほんとうの嘘ばかりつく」子であったなら、その子の存在自体が嘘だった可能性もある。もしかしたら、その子に関する記憶は、磐井少年の中で、他の子に関する記憶とごちゃ混ぜになっているかもしれない。そもそも「ゐない子」が、様々な記憶から新たに作り上げられただけなのかもしれない。その子の核となるモノは、そこに居たはずだ。今もどこかに居て、磐井少年を見ているかもしれない。

 というのも、そういう子は稀に居る。遊んでいる内に、友達の数が増える。見知っている顔のはずなのに、何処の誰なのか分からない。或いは名も顔も知っていて、随分前から親しくしていたはずなのに、ある時突然消える。周囲に聞いても、そんな子は最初から居なかったと言われる。自分以外の誰の記憶にも残っていない。

 私が冒頭に挙げた六句も、一人の子の描写ではないかもしれない。それぞれ別の子の描写を、読み手の私が、同一人物だと勝手に解釈して繫げてみせただけなのか。人間の認識とは、その程度のあやふやさだが、そのあやふやさを繋いでいるのは、雰囲気、香りだ。同じ人物の香のする句から、私が一人の子を立ち上げただけだ。

 大人とは何だろう。社会的な所属がはっきりしている人間の事か。では、転校生を、子供たちのあやふやな所属にさえ属さない子を、マレビトと呼んでも良いだろうか。ところで、なぜ磐井少年が、記憶の彼方に気泡のように漂う子を今、思い出したのか。


2.

「加藤郁乎のいとも豪華なる時禱書・みたたび」(俳句新空間2020初冬No.13)より引く。

ふつうの人をふつうのやうに死がおそふ

とらはれの長き休暇のあるごとし

 この二句はパンデミック下の状況を詠ったものだろう。この度の疫の厄介さは、例えば天然痘やペストやコレラのように誰の目にも明らかな症状が出るわけではなく、風邪を拗らせたかと思ったら、急激に悪化して死ぬところだったと思う。いわば普通に風邪を引き、それが普通に悪化して、普通に死ぬ。一句目はそういう状況、この疫の死に至る過程を描写している。

 と、如何にも訳知りの如く書いてみたが、実は私はこの疫の実態を何も知らない。間近に見た事も無いので、テレビや新聞やネットの情報を総合して考えているだけだ。

 句中の「ふつう」は「不通」でもあるのかもしれぬ。「普通の人を不通のやうに」かも「不通の人を普通のやうに」かも「不通の人を不通のやうに」かも知れない。スマホだけで生存を確認するのは、大都市では普通にある事だ。そして私もまた、メディア機器を介さない世界の実態に関しては、普通に不通なのかも知れない。

 二句目は疑似ロックダウンの状況だろう。政府が今回のような、いわば緩慢な戒厳令のような規制を敷いた事は無かったように思う。「緩慢」と「戒厳令」は矛盾する。奇妙な規制だ。「とらわれ」と「休暇」は矛盾する言葉と言えようが、これは肉体の感覚と精神の感覚が矛盾する状況なのだ。肉体的には長期休暇のようで、精神的には待遇の良い獄のようだというのである。

眠つても必ず訪ひ来 断末魔

 私の父は老衰で死んだ。最期は肺炎で、一日ずっと荒い呼吸をしていたが、それが突然止まった。「眠るように死ぬ」というのが大往生の表現だが、掲句はその表現を逆手に取っている。下五の直前の空白は、今際の目覚めだろう。呼吸が止まる、その空白を表しているようにも見える。

B29がたびたび訪へる春の夢

 このパンデミックは人間の死に限定すれば、世界大戦だ。敵対する国家が無く、インフラの破壊が無いだけだ。人の死においての、かつての大戦との相似が、春の夢となって表れる。これが生物兵器の漏洩なのか否か、今も世界中で論争が続いている。本当のところは永遠に分らないだろう。

 「戦争を知らない子供たち」、この有名な歌は1970年の大阪万博で初めて歌われた。戦後生まれの作者が今、夢に見るB29は、かつての現実のB29ではなく、パンデミックへの恐れが形をとったものではないか。灯火管制下、手の届かない闇に突如きらめく大編隊が現れ、無辜の民へと無差別に死を振り撒く。振り撒く主体が、米国の爆撃機か、それとも発祥不明のウィルスか、その違いだけだ。

太き静脈 世界静かになりしとき

 この不思議な句には驚いた。自分か他者の肢の静脈を眺めていると読めば、只それだけの写生句だが、一字の空白と「世界」と「とき」が、そうは読ませない。

 静脈は、汚れた血の通り道だ。二酸化炭素や老廃物を含む血を、肺や腎臓や肝臓に運搬して再び綺麗にするための通り道。静脈の血は、もっぱら筋肉のポンプ作用によって静かに流れてゆく。その通り道が太く浮き出ているのを、眺めている。静脈が浮き出てくるのは、一般には、加齢により血管の壁が薄くなり拡張し、また皮膚の弾力が失われ、また脂肪も減少する結果だという。

 浮き出ているのはいつかというと、「世界静かになりしとき」、パンデミックで世界中ロックダウンになり、人間が引き籠もっている時だ。世界の静けさと連動するように、太く浮き出ている静脈、汚れた血の通り道とは、何を象徴しているのだろう。汚れた血が汚れたままなら、生物は徐々に死ぬ。

 この疫の病態とは、つまるところ血管の炎症だという説を読んだことがある。血の通り道の異常だというのだ。もしもそうであるなら、この「太き静脈」は、奇しくも疫の攻撃目標を暗示している事にもなる。

 疫によって世界が静かになる時、人類という種の、汚れた血の太い通り道が燃え上がるかもしれぬ恐怖、そして諦観。掲句をそんな風に読もう。(諦観とは、一字の空白と、「とき」なる体言止めによって醸される雰囲気を、そう読んだのだ。)

 血管の炎上は、業火によって引き起こされる、と仮定しよう。何の業か。人類の業と読む。戦争を本能とする人類が二度引き起こした世界大戦の如く、この疫によって諸国は停止を余儀なくされたからだ。その業が、誰の目にも確認できるように、いつ燃え上がるかもしれぬ太い静脈として浮き出ている。

 静脈が浮き出るのが老いの証なら、掲句において世界の静けさと連動する静脈は、文明の老いとも連動しているか。先に「眠つても必ず訪ひ来 断末魔」を挙げたが、どんなに無視していても、逆にどんなに予感されていても、死が来る時は突然だ。

 文明の死もまた突然となる可能性は、広島・長崎に原爆が落とされた時に浮かび上がった。世界終末時計は、日本への原爆投下の二年後、初めて設定されたが、その時点で既に、終末まで7分前だった。ロシア・ウクライナ戦争が、「ほんとうの」世界大戦に発展しないとは言えない。今年の1月、ロシアの核使用の懸念を受け、世界終末時計は史上最短、残り90秒となったそうだ。文明の静脈を流れる血は、老廃物に喘いでいる。

 だが、この終末時計は、ソ連崩壊した91年には17分前まで戻った。「ほんとうの嘘」と「嘘のほんとう」の間を行き来する分針と秒針である。終末までの時間が枝分かれして、それぞれの可能性として伸びている。

 「ほんとうの嘘ばかりつく転校生」の句を再び考える。どの時間が嘘で、どの時間が本当なのか、我々の世界では結局どの時間の流れを辿るのか。それはマレビトである転校生なら知っているだろうか。「ほんとうの嘘ばかりつく」とは、転校生にとっては全てが「ほんとう」に見聞きしたこと、という意味かもしれない。我々にとっては、そのたった一つだけが本当で、後は全部嘘、つまり並行する他の世界の出来事なのかもしれない。

 世界終末時計は、我々個人には手のつけようがないので、此処で再び、個人の眼前の太い静脈を眺めよう。血は魂である。先の記述を裏切るようだが、これは象徴ではなく、血脈や血統の意でもない。文字通り、血液の意だ。血を支配するとは魂を支配する事だ。疫の三年間、幾度となく黙示録を読み返した。

窓が開く。僕を飛び降りさせるため

 自殺の句とは読まない。引き籠もっている部屋の窓が開く、と読む。緊急事態宣言で、また疫への不安により、玄関からは出られない。ニュースは疫の恐怖を煽り立てるものばかりだ。「開く」の後の句点は、後戻りできない状況を表す、と読んだ。この窓はもう閉じない。少なくとも「飛び降り」が完了するまでは。

 此処に開く窓は、実際には、無聊をかこつ作者の記憶の窓ではなかろうか。「飛び降り」るのだから、未来に向かってでは無かろう。未来に向かってなら、「飛び立つ」と言うはずだ。だから、これは過去の記憶に向かって飛び降りる、と読む。一人称が「私」でも「俺」でもなく、「僕」だから、飛び降りようと決めた時点で、心は既に少年時に遡っているとも読める。

 先に「なぜ磐井少年が、記憶の彼方に気泡のように漂う子を今、思い出したのだろうか。」と書いた。世界中の誰にも突然襲い来る疫、風邪のように普通の当たり前の顔で来る死、それに対して引き籠もるしか出来ぬ状況で、思い出すのは遠い記憶だ。

 当時は理解できなかった故に放って置いた記憶、転校生だったか、保健室の子だったか、本当の嘘ばかりつく、末恐ろしい印象を少年の自分に抱かせた、不思議な魅力の子。魂である血の、その通路に業火浮き出す静かな世界の中で。血を保つとは、魂を保つ事だ。


3.

 では、肝心の磐井少年はどうしていたのだろうか。その頃の日常の記憶も、今や馴染み無く朧気だ。「あのころ」(俳句新空間2021春No.14)から引く。

給食になるまで僕は何してゐたらう

 特に「給食」という区切りが挙がるのは、給食が楽しみだったのだろう。確かにあの頃の子供と来たら、給食とそれに続く昼休みが、最大の楽しみだった。昼の一時間ほどが、普段の学校生活では、いきなりの頂点だった。それまでは授業と十分ほどの休みの繰り返し、記憶には水平な空白しかない。そんな日常の中で、日常のような顔をして紛れる次のような事件もあった。

授業中に死んだ先生もゐらしやる

転任の先生がまだゐて不思議

 突然みんなの前で倒れて死ぬ先生が居るかと思えば、居なくなったはずの先生がまだ居る。子供たちを仕切る位置にある「先生」の生死が、不在と在籍が、入れ替わる。

待つても待つても校門の開かない

 学校生活とは、社会と一線を画する、いわば日常の中の隔離生活であって、その境界線が校門だ。その校門がいつまでも開かない。隔離生活から隔離され続けるという奇妙な状態が、校門の前に現れる。

 かと言って家に戻るわけにもいかず、ましてや町なかに行く場所など無い。校門という、子供にとっての境界線の前で立ち尽くすのみだ。その立ち尽くす癖は、周りに気づかれずに密かに続いたのではないかと思われる。

万博にみんなが出かけて僕しづか

 1970年の大阪万博の当時、筑紫磐井は二十歳、既に子供ではない。万博で圧倒的な人気を誇ったアメリカ館の華は、勿論B29ではなく、万博の頃も続いていたベトナム戦争で「死の鳥」と恐れられたB52でもなく、「月の石」だった。「月の石」だと喧伝されたから、感心して見ていただけで、そこらの山で取れる石と何処がどう違うのか、全く分からなかった。

 70年と言えば、前年の安田講堂事件を経て、筑紫磐井と同年代の若者たちが学園闘争の終焉に立ち会っていた年だ。7月7日の華青闘告発により、新左翼が根本から存在意義を問われた年でもある。

 11月25日には三島由紀夫が、総監の眼前で割腹。現場である総監室の絨毯は、血にぬかるんでいたという。魂にぬかるんでいたのだ。「九句」(俳句新空間2021冬No.15)より引く。

三島由紀夫の死の寸前を「生」といふ

 掲句には、「死の寸前」とあるから、総監を拘束した行為や自衛隊への演説を指しているのでは無かろう。割腹から介錯が終わるまでの時間を指すと読む。だから三島由紀夫の解剖所見を調べてみた。

 「臍を中心に右へ5.5センチ、左へ8.5センチの切創、深さ4センチ、左は小腸に達し、左から右へ真一文字。」この事実を読む限り、後世に矮小に解釈されるような、「死に至るまでのエロティシズム」とか自己愛による自己陶酔とか、そんな動機で成し得る割腹ではない。

 尤も、そのような誤解を受けるのは、〈聖セバスチャンの殉教〉のポーズを取った三島の写真や「仮面の告白」の記述から仕方ないとも言える。しかし、解剖所見だけから受ける印象は、死を超克しようとする意志による切創だ。

 割腹の動機は、二重底のような構造になっていて、(凡そ自らの割腹など夢にも思わぬ)知識人に馴染みやすい解釈という底を除けると、その底に更に、解剖所見という事実から窺える、死の寸前の本当の動機が見えるような気がするのだ。「ほんとうの嘘」の句を先に揚げたが、いわば「嘘のほんとう」が露わになり、演者が遂に真実を獲得したかのような。

 当時の文化人の感想をネットで調べてみたが、高橋和巳の追悼が最も心に残る。「もし三島由紀夫氏の霊にして耳あるなら、聞け。高橋和巳が〈醢をくつがえして哭いている〉その声を」。(これはサンケイ新聞1970年11月26日号(三島自決の翌日号)に「果敢な敵の死悲し」の見出しで載った、とある。高橋和巳は「死について」という随筆の末尾でも、同様の感想をもっと穏やかな表現で書いている。)

 孔子は、斬殺された子路が醢(ししびしお)にされた事を知り、家の醢を覆して泣いた。高橋和巳は、三島の割腹を子路の死に喩えたのだ。子路の最期の言は「君子は冠を正しくして死ぬ」。

 中島敦の「弟子」を少年の頃、何度も読み返した事を思い出す。正直に言うなら、当時の私の境涯からは、子路の今際の言葉が、実に不可解だったから、理解したかったのだ。高橋和巳は、三島の割腹を「冠を正しくする」と受け取ったのだろう。掲句に沿って言い換えるなら、「冠を正しくする」ことが生の意味であり絶巓だ、と。

 お前はどう思うのか、と問われたら、私は感覚的な事しか言えない。なぜなら、私はどんな正義も信じてはいない。私にとって、割腹した三島由紀夫とは、システムの真中から来たマレビトだ。三島が、己の信じた大義に殉じたことは判る。特攻に似ているとも思うが、しかし、誰も三島に割腹を強制した訳ではなく、敗戦時の将校のように割腹しなければならない流れにあった訳でもない。完全な自由意志で割腹した。

 世人に嗤われる事も、後世に矮小評価される事も、恐らくは承知の上で割腹したのではないか。何か崇高なもの、不死であれと三島が冀(こいねが)うものの為に、無私であろうとし、実際にわたくしを捨てて世に訴えようとした、としか私には分からないのだ。

 東大全共闘は、駒場キャンパスにおいて「三島由紀夫追悼」の垂れ幕で弔意を示したと聞く。本来、三島の敵であるはずの彼らが、三島に対し、垂れ幕を以って敬意を払ったという事実もまた、胸を打つ。

 掲句の「生」が何を指すのかは、三島の割腹に接した当時の文化人の感想が様々な如く、読み手により千差万別だろう。どの感想も、この年の出来事の仕組み、噛み合う歯車が整然と動いてゆく仕組みを、門を開くように明かすことはない。

待つても待つても校門の開かない

万博にみんなが出かけて僕しづか

 磐井青年は、今挙げた1970年の出来事の、何処にも属していないように見える。下五の「僕しづか」からは、無聊に立ち尽くす姿が垣間見え、それは校門の前に立ち尽くしていた少年時を思わせる。同時に、パンデミック下の騒動を眺める無聊とも重なるのだ。

 校門が開かないのなら、学校は無いも同然、または閉門に等しい。閉門、学校にとっての夜の訪れ、少年または青年は途方に暮れて、空を仰いだだろうか。その時に銀河が広がれば良いのに。


4.

 「九句」(俳句新空間2021冬No.15)より引く。

善・悪の音なく戦ぐ銀河系

 「善・悪の音なく」には二つの読み方がある。一つには善悪の区別はあるが、善も悪も音は立てない。もう一つは、善も悪も無いから、それら二つの音はそもそも無い。前掲の解釈が極まると、後掲の解釈と化すだろうか。そして銀河系には、そもそも善悪は無いと考える。「善」で一旦切れ、「善」に向かい合う如く「悪の音なく戦ぐ銀河系」があるようにも読める。その場合、悪の音が無いと読むのだろうか。それとも、悪が音無く戦ぐ、と読むのだろうか。

 この疫とその後の事象にまつわる様々な説が囁かれ、もはや真実というものは無いかと疑う。一切の説が情報戦、認知戦の景を呈している現在、善悪、即ち、「正義と呼ばれる概念」による区分さえも、大きく観れば霧の彼方だ。撒かれ煽られる正義こそが、戦争の種なのか。この正義なるモノの認知戦、無数に触手を伸ばす情報戦は、無数の念の歯車が、複雑に組み合わさり動いた結果ではないか。それを業という。悪業とは怨念の集積によって生ずる。

 句中の「戦ぐ」とは、その無数の歯車の幽かな動きを言うのか。下五は「人類」でも「地球」でも「太陽系」でもない。銀河系の巨大な業の一部として、太陽系が、地球が、人類の文明がある。「戦う」とも「戦く」とも記さずに、「戦ぐ」と書いた。銀河系は一切の事象に対して戦わず、おののきもせず、最大の反応でも只そよぐだけだ。そこに作者の視線がある。この「銀河」を季語と取るなら、(秋の一日の流れとしては)「秋の暮」という諦観の季語の果てに、夜が来て銀河が現れる。

 句中の「善」とは、銀河系に対面する人間の、最も高い思考を指すのだろうか。光速を超えるものとは、人間の思考である。

 「無の題」(豈64号2021.11月)より引く。

当り前の死が来るだけの 秋の道

ひとつづつ魂消えるための 時間

 一句目はパンデミックを静観しようとする試みだろう。どんな死であろうが、それは大きな括りから見れば当たり前の死だ、と思おうとしているように見える。その後、二句目では、長い時間をかけて魂も消える。正確には分裂し、他の魂と融合する。

 一句目では「秋の道」の前に、空白がある。死への道という、生者には当たり前にある道程を見て、一瞬、心が立ち止まる。その当たり前の、なんと寂しいことか。秋の道は冬へと進む道でもあり、やがて暮れれば、「秋の暮」という諦観を匂わせる。

 二句目では「時間」の前に、恐らくは長い空白がある。それは魂が消えるための、銀河の空白か。影の塊のように見えて、実は星々の生々流転する空(くう)だ。魂が消えるとは、血が消える事でもある。

炎天の影より白きものはなし

 炎天は実は昏いのだ。昏いと感じるのは、目が光に眩むからだ。あまりに強い光は昏い。眩んだ目で影を見る。影の方が白く見える。この白い影に銀河を見るか。太陽という、銀河から見れば一つの小さな恒星に過ぎないものから発する光が、地球という小さな惑星の地に、物の存在のしるしを刻々と落とす。その有様を「白」、空白、生々流転の証と見るか。

 あるいは、この影を、「生者には影としか認識できないもの」と受け取れば、「白き」とあいまって、死者の像が浮かぶ。白いのだから、善き霊だろう。作者が敬意を以って偲ぶ者であるなら、影でありながら、これより「白きものはなし」、この上なく白く見えるという表現は納得できる。

 「コロナに生きて(新作)」(俳句新空間2022夏No.16)より引く。

東京で巻貝のごと生きてゆく

 貝の如く、と言えば、沈黙する意が先ず挙げられよう。次に動かない意。掲句は「東京」が動かないだろう。東京人は冷たい、と言われれば、貝の体温の如く生きてゆく感がある。全く逆の例を挙げれば判る。大阪、と置けば、先ず掲句は有り得ない。この世の終わりが来たとして、最後まで喋っている人類は我々大阪人であろう。

 掲句はパンデミック下に引き籠もる生活を表現しているが、なぜ二枚貝ではなく、巻貝なのか。人間の心は、蓋を開けば隅々まで見えるような類ではないからだ。

 幾重にも巻かれた内臓のように、記憶は渦を巻く。その渦の果て、内臓の一番奥に普段忘れられている記憶、パンデミック以前の日常であれば思い出そうとさえしなかった記憶の、その果てからマレビトとして現れる転校生。何処にも居なかったが、今や何処にでも立ち尽くす。世界が異界の如く変わったからだ。(そもそも転校生から見れば、教室に居るみんなこそがマレビトの群であり、保健室から見れば、みんなの居る教室こそが異界であった。)


5.

 演技者のみで演戯を真実と見せる事は、通常は出来ない。音楽、照明、大道具、小道具の一つ一つに至るまで、綿密に考えられ選択され、それらが適切なタイミングで発動してこそ、初めて演戯を真実と見せる事が出来る。乾闥婆城(けんだつばじょう)のように、砂漠に異界を顕現させる事も可能だ。あらゆる戦争や革命と同じく、私にはこのパンデミックが大きな演劇のように見える。もう一度、次の句について考えてみる。

三島由紀夫の死の寸前を「生」といふ

 高橋和巳は「死について」という随筆中で、三島の死について様々な考えを述べている。

「武士道につながる決然たる覚悟、自己の内部の矛盾を絶対外に出さない態度と、輪廻転生思想への神秘主義的共感というものとが、不思議に融合していたと思われる。」

「原形質としての三島由紀夫氏の体質は、ほとんど太宰治のそれに近かったのではないか。それが自分の内部にあるからこそ太宰を嫌ったのだ。彼はそれを克服したかった。」

 太宰の死は心中、恋を全うするため命を捧げ合う行為だ。そして太宰が絶えず自身の「人間としての悪」を認識し、基督の十字架上の贖罪を意識していた事は、太宰の数多の作品から伝わって来る。

 高橋和巳は同随筆中に三島の、全共闘に向けた言葉を紹介している。

「ことばを刻むように行為を刻むべきだよ。彼らはことばを信じないから行為を刻めないじゃないか。」

 この「ことばを刻む」が、具体的に言霊と肉体を合致させるという事であったとしたら。それが割腹という捧げものであったとすれば。私なりに酷く感覚的に受け取るなら、そして私の理解の範疇においては、システムの中心から飛び出してきたマレビトとしか見えない三島の、《その死の寸前の「生」》を、曲がりなりにも納得しようとするなら、《大義への恋》として受け止めるより他は無いのだ。

 もしも三島が政治家であったとしたら、権謀術数を演戯に投入して、その信じる大義を国策として遂行しようとしただろうか。もしも三島が金融資本家であったなら、潤沢な資金と人脈とメディアで演戯を支え、その大義を民衆に支持させるように仕向けただろうか。

 いや、三島は文学者であって、たとえどんな政治力と資金と人脈があったとしても、文学者の矜持を以って、「ことばを刻むように行為を刻む」ために、単独者として大義に面し、己が「生」のみを捧げただろうと思うのだ。三島の解剖所見から窺えるような割腹は、曖昧な猥褻な動機からでは、とても行えるものではない。あの割腹は、「生」を、刃と己が血で以って刻み付け、斎戒するごときものではないか。

 高橋和巳の「自己否定について」の中に、こんな一文がある。

「芸術家が一種の自己否定の行者としてありえたのには、やはりこの世を超える何者かへの、ほとんど愚直な奉仕の念を持っていたことによる。」

 この一文が期せずして、三島の割腹を良く表現しているのではないか。三島の言う「決闘の論理」とは、実は「自らを大義への贄とする論理」か。この《大義》を高橋和巳の言葉で言い換えるなら、「この世を超える何者か」となろう。

 三島の「日本」への思いを霊的に解釈するなら、その《大義》とは突き詰めれば、民衆の血の最奥に繋がる《日本の神々》であるとしか、私には思えないのだ。天照大神の一柱に対してだけ、三島は面したわけではないと思う。八百万の神々に対して、と私は思いたい。更に言うなら、弥生の神々によって封じられた縄文の、或いはもっと以前の、古(いにしえ)の神々に対して。

 なぜなら、民衆の血の奥底には、様々な神の意識が分かち難く混ざり合って流れている。日本各地の民話を鑑みれば瞭然だ。血は魂である。その魂とは、様々な念の仮合である。(全知全能の絶対なる唯一神、という概念が無い事は、アジアの優れた特質であろう。)

 久しぶりに、三島と全共闘の討論「美と共同体と東大闘争」を読み返した。その中の、三島が「討論を終えて」に記した文を挙げる。

 「すなはち、私は、天皇の理論化や、私の考へる天皇を理論的に彼らに納得させるといふ方法については、考へもしなかったし、志しもしなかつた。ただ私は、それを一旦嚥んだら、その瞬間から、彼らが彼らでなくなるやうな丸薬を、彼らに「嚥め、嚥め」とつきつけることによつて目的を達したのである。それこそは私にとつての戦闘原理としての天皇であり、戦ひといふものは、有無を言はせず敵手に嚥ませるだけの絶対的な何ものかを、つねに保持してゐることでなければならない。」

 文中の「戦闘原理」とは、三島が言っていた「決闘の原理」と重なってゆくのではないかと思う。(同討論中の三島の発言に、戦前の天皇親政と戦後の直接民主主義における、政治概念上の共通要素、更には戦前のクーデターが目指した共通要素として「国民の意思が中間的な権力構造の媒介物を経ないで国家意思と直結するということを夢見ている。」とある。この夢は即ち、全共闘の夢でもあったのではないか。)

 三島と全共闘、共に国を憂いていた両者の決定的な相違とは、その相違ゆえに両者相容れなかったものとは、霊的な感覚の有無ではないか。「それを一旦嚥んだら、」「その瞬間から、彼らが彼らでなくなるような」「絶対的な何ものか」。総監室における割腹は、三島がその行為を通じて、無理矢理にでも全共闘に嚥ませたかった丸薬だったのか。

(「ほんとうの嘘ばかりつく転校生」において、例えば、マレビトである転校生に霊を認める知覚があるとして、その知覚の無い者から見れば、それは嘘でしかない。だが、転校生にとっては五感と同じく切実な現実だ。転校生のその知覚を、磐井少年が突然共有したなら、その瞬間から磐井少年は、それまでの磐井少年ではない。)

 駒場の900番教室における討論において、三島が全共闘に向かって、こんな話をした。少し長いが引用する。

 「こんなことを言うと、あげ足をとられるから言いたくないのだけれども、ひとつ個人的な感想を聞いてください。というのはだね、ぼくらは戦争中に生れた人間でね、こういうところに陛下が坐っておられて、三時間全然微動もしない姿を見ている。とにかく三時間、木像のごとく全然微動もしない、卒業式で。そういう天皇から私は時計をもらった。そういう個人的な恩顧があるんだな。こんなことを言いたくないよ、おれは。(笑)言いたくないけれどね、人間の個人的な歴史の中でそんなことがあるんだ。そしてそれがどうしてもおれの中で否定できないのだ。それはとてもご立派だった、その時の天皇は。それが今は敗戦で呼び出されてからなかなかそういうところに戻られないけれどもね、ぼくの中でそういう原イメージがあることはある。」

 討論中、この話が三島の胸底を最も曝していると思う。この話が一番、私の胸には迫る。三島はこの話を「言いたくないけれどね」と言う。それは一種の神秘体験であり、信じない人から見れば、まさに一笑に付されかねないから、そして一笑に付されるのは三島ではなく、三島の感じた神秘だからだ。

 三島にとっては、自分が一笑に付されるのとは比較にならないほど耐え難いに違いない。その危険を公共の場で敢えて冒したのは、どこかで全共闘に対する信頼があったのだと思う。

 三時間微動だにしないのは、禅僧なら出来るとか、ストリートパフォーマーなら容易いとか、狙撃手なら半日でも動かずにいる訓練を受けるとか、揚げ足は幾らでも取る事が出来る。三島も当然、予想していたはずだ。

 三島が言外に言いたかったのは、そんな外面的な事ではない。神の依代としての、確かに血肉を以って此の世に在りながらも、此の世ならざるものに通じる姿を見た、と言いたかったのではないか。但し、わからない人には、わからない。その感覚がないのだから、わからない人が悪い訳でもなく、どうしようも無い事だ。単純に、体験の有無だ。その対象が天皇であるか否かではない。例えば、本物の大阿闍梨に対面した体験のある者なら、わかるかもしれない。

 しかし、三島が言いたかったことは、幾ばくかでも全共闘には伝わったのではないか。その証拠に、この話に対する揚げ足は討論中、無かった。(「こんなことを言いたくないよ、おれは。(笑)」の箇所で全共闘は笑った。これは三島の含羞に対して笑ったのだ。三島の神秘体験を嗤った訳ではない。此処は全共闘の誠実な姿勢だと思う。)

 その天皇の「醜の御楯」として、三島の同年代が沢山死んだ。まだ若い自分たちの人生を放擲せざるを得ない状況に追い込まれた。その惨たらしい事実と、三島自身が確かに一度間近に見た、血肉のある立派な姿との整合を、どうつければ良いのか。三島は此の話を全共闘に対してしたのだ、外面的には。だが、この話の最中、三島の脳裏に戦死した者達が佇んでいなかったはずはないのだ。

 戦後、友人達が戦死した後に生き残った者は、いつまでも自分の生に対して慚愧の念がある。そういう慚愧の言葉を、戦前生まれの何人もから聞いた。小林恭二の「俳句という愉しみ」の中で、三橋敏雄が「有能な連中はみんな戦争で死にましたしね。みんな無名のうちに死んでしまったんだ。そのかわりに僕なんかが生き残って」と声を少し震わせて言う。(136p)

 この本が95年に出た時に、私は直ぐに読んだが、この箇所が未だに胸に残っている。三橋敏雄の句の底に横たわるのは、いつもこの悔しさだと思う。三島もまたそうであったか。それは理屈ではない。国家や時代の責任と結論付けて鎮まる思いではない。それは死ぬまで心臓に刺さっている針だ。戦争に限った事ではない。

 三島の割腹がなぜ自衛隊の総監室という密室を必要としたか、手探りで考える。米国の属国であるという事実を覆す希望を託して、己を神々への捧げものとする、その為の総監室であったのだろうか。

 その割腹がたとえ究極の演戯であったとしても、それは神々に捧げる演戯であって、三島が意識下に想定する観客は神々だったのではないか。その神々とは、民衆の血の底の意識でもある。その考えに至る時、正義への信仰も哭くという機能も喪失して久しい私は、三島の割腹に流す涙が、自分にあれば良いのにと思う。

(三島は割腹の直前に、介錯人の森田必勝へ、「君は生きろ」と何度も言って、森田の割腹を止めようとした。この事実からは、三島があくまでも単独者として死のうとした事が窺える。若かりし頃、同年代の戦死を見て来た三島には、若者の死が耐え難かったのだと思う。三島が介錯された後、森田は割腹した。森田の割腹に対しても、私は涙なく慟哭する。しかし、それは森田の独自の物語であって、三島の死の付属ではない。三島の割腹とは別に、森田必勝の独自の死として考えるのが、礼であると思う。)

 なぜ掲句の解釈に斯くもこだわるのか、自分でもわからなかったが、此処まで書いた今、気づく。三島の割腹が、単独者にして自己否定の行者である事の結果なら、そして神々への演戯であり、マレビトの奉納であったのなら、現在の疫禍下の諸状況とは、対極に位置するように思えるからだ。

 侵略戦争か、自衛戦争か、アジアの独立を促した戦争か、未だに総括出来ない太平洋戦争とも、恐らく対極に位置する。国家転覆を目指したのか、反米愛国運動か、共産主義ではない日本独自の社会主義を夢見たのか、未だに総括できない全共闘運動とも、対極に位置する。無政府主義者達の治外法権か、事物の関係性と時空を超えようとした見果てぬ理想か、社会的動物である人間の宿命へのレジスタンスか、未だに総括できない「解放区」とも、対極に位置する。

 三島は割腹によってシステムの内にも外にも属さなくなったのか。名声に満ちた過去を捧げ、安穏なはずの未来を捧げ、日々良く律し整えていた肉体を、割腹という永い自律的な激痛の裡に捧げて、先の大戦の総括と全共闘運動の総括を、一身に背負おうとしたのか。

 三島に対する全共闘の弔意も、そこに起因するか。単独の演戯を通して演戯を超越し、自らへの暴力を通して暴力を超越しようとする志を、全共闘は直感で認めたか。

 これは俳論であって、三島論ではないから、もう三島については書かない、というよりも私の手には余るのでこれ以上書けない。ここまで書いてしまったのは、掲句の《死の寸前を「生」といふ》が、あまりに重かったせいだ。三十年俳句をしていて、自分が一度も三島忌の句を作った事が無いのに気づく。

 最後に、論証は抜きにして、直感だけで妄言を述べよう。総監室における三島の割腹は、多分、時空を超えた曼荼羅を期すかのように、幾つかの方向に同時に向けられている。

 一つには、皇居に向けて、神の依代としての《人間である天皇》に向けて、その背後にある伊勢、出雲、日向に向けて、更には八百万の神々に向けて。

 一つには、靖國に向けて、その背後の護国の、醜の御楯である霊達に向けて、更には招魂社に祀られなかった志士達に向けて。

 一つには、本郷の安田講堂に向けて、駒場の900番教室における討論の最後、三島が「そして私は諸君の熱情は信じます。これだけは信じます。ほかのものは一切信じないとしても、これだけは信じるということはわかっていただきたい。」と言った全共闘に向けて。

 一つには、日本の天神地祇の更に背後にある、古の祀られぬ神々と民に向けて、システムの内にも外にも属しているとは言えぬまま現代にまで至る血に向けて。

 そして私には、三島の割腹という、自らの腹を空洞と化そうとする行為が、流された神の乗る虚ろ舟を、己が体を以って創ろうとしたかのように思えて来る。


6.

「催馬楽」(俳句新空間2023年No.17)より引く。

とも食ひの魚の如くに生きさかり

 異界があふれ出したからと言って、人間の営みが変わるわけではない。異界が日常となるだけだ。掲句は、闘魚(ベタ)やコオロギや軍鶏や土佐犬ではなく、普通の魚であるところが良い。

 普通の生き物は共食いしない。共食いするとすれば、極限に餓えた環境に置かれた時だけだ。しかしながら、人間には他の生物には無い「戦争」という本能があって、これは共食いに通じる。闘犬や闘鶏は、戦争の本能を是認するための見世物なのかもしれぬ。

 では、此の大戦が、このまま進めばどうなるだろう。普通の魚は共食いの魚となるのだ。思春期の六年間、私は花街に居た。生き残ること自体が、うんざりするほど最上の法律であり秩序であり正義であるような街だった。

 私には数ある怨府の、そんな一か所である花街から、次の句を考えてみたりもする。「加藤郁乎のいとも豪華なる時禱書・みたたび」(俳句新空間2020初冬No.13)より引く。

目の前で指食ひちぎる女かも

 「目の前で」とあるから、これは女が自身の小指を食いちぎるのだろう。「かも」と、まだその行為は無いが、やりかねない事は、女の目の色を見ればわかる。遊女が客に、愛の証として、小指を切断する。指切りげんまんの元となった行為であり、「運命の赤い糸」もこれに通ずるかもしれぬ。

 実際は、小指を切る真似くらいで済んでいたという説もある。「大難が小難、小指の先ぐらいは、吉原の花魁でも切ります。」という一文が、岡本綺堂の「置いてけ堀」にある。綺堂がそう書くと、随分軽い小指だが、人の命も軽かった頃だろう。

 句中の女が遊女か否かは分からない。そのくらい艶っぽく、深情けで、刃物によらず己が歯で指を食いちぎりかねないほど、気性が激しいという事だ。烈女である。恋には、そのくらいの相手が良い。血は魂である。己が命は一つしかないから、当然、相手は一人に限られる。結果として恋愛は不死となる。少なくとも、恋愛の対象は不死となる。実際に、一人のひとが、私にとっては不老不死となる。これは肉体の事を言っているのではない。霊的な事実を言っているのだ。

 凡そあらゆる正義が、情報戦、認知戦の使い捨ての道具として、嘘と本当の間で利用される現況。情報戦とは、真偽織り交ぜた情報を大量に流す事により、人をして己が認知を疑わしめ、果ては思考停止か狂気へと導く戦法ではないか。その情報の坩堝において、何を以って「ほんとうの嘘」と観るか。私なりに言い換えれば、何を以って《大義への恋》とするか。

 「催馬楽」(俳句新空間2023年No.17)より引く。

嘘をつく女(ひと)の死ぬときうすむらさき

 紫は高貴な色、古来より霊的な色だ。薄紫なら、優しい親しさが加わる。死ぬときに出る魂の、その色が薄紫だと解釈する。ならば、その女のつく嘘の本質は、誠なのだろう。先に「ほんとうの嘘ばかりつく転校生」の句を解釈した。磐井少年はその嘘が実は本当であると知っている、と。この度もそうである。

 しかし、女はどんな嘘をついたのだろう。或いは「死ぬ」と嘘をついたのか。恋されることにより不死であるはずの女が「死ぬ」と言うなら、それこそ嘘である。

 「九句」(俳句新空間2021冬No.15)より引く。

十二月鬚こつそりと花は化石に

 まず、化石という語から冬を強調するのは解るが、なぜ十一月でも一月でも二月でもないのかという処から考えたい。十一月は「神帰る月」、一月は正月、二月は立春大吉、みな目出度さを蔵している。

 対して、十二月には目出度さは無い。八日は、正義の暗黒面の始まりである開戦日、最後の日は除夜の鐘、慌ただしさはあっても目出度くはない。臘八接心は僧の厳しい行事であって、大衆にとっての目出度さではない。

 その十二月において、化石となる花。これを文字通り化石と取ってみる。葉の化石は沢山あるから、花の化石だって無いとは言えぬ。「鬚こつそりと」を、雄蕊と雌蕊の残骸だと見る。この「鬚」の漢字は、顎ひげ、老人の長い柔らかいひげ、動物の口ひげを表す。柔らかく長い毛だ。花の部位で、このような形状の物は蕊以外にない。

 では、生殖の機能である蕊が「こつそりと」残っている花の化石と考えよう。花の核とは雄蕊と雌蕊であり、花弁は華やかな修飾に過ぎぬと考えれば、花が花である所以は残されていると見るべきか。それが十二月という目出度さの無い冬、しかも一年の果ての月にある。

 「花の化石」ではなく、「花は化石に」とあるから、花が化石になろうとしている、その経過を詠んだと読む。或いは掲句を、花が、姿はそのままに凍ててゆくと見て、その永遠に思われるかの凍てを「化石」と称した、とも読めよう。その場合でも、「化石」という語の象意は変わらない。「化石」が表わす象意は、物の姿は恒久に、しかも生命は無いという状態だ。

 十二月という、一年の終焉の寂しさの中で、花という、生命の絶巓が、蕊という、繁殖の為の部位を見せた状態で、その姿を保ちつつ、生命の無い状態へと移行してゆく。凍てつつあるにせよ、地中深く圧されて石板となりつつあるにせよ、その保たれつつある姿を不老不死というか。

 言わないだろう。そう言うには寂し過ぎる。「鬚」まがいの蕊という、絶巓の外郭しか残っていない。花の血は凍って動かない、或いは既に乾びて痕跡でしかない。奇妙な、内実は惨たらしい句だ。惨さを出来るだけ優しく詠いたかったのか。

 掲句を仮に「鬚こつそりと花は化石に十二月」とすれば、句姿としては安定するだろう。下五の字数内にきちんと納められた「十二月」という季語が、花の惨たらしい末路を吸収するからだ。その代わり、原句の下七(その下五という字数をはみ出し、「に」によって示された当てどもない方向性)が醸す不安、断絶感は消える。どちらの句姿が、パンデミックという断絶を経た不安な現況に寄り添っているかは、明らかだ。

 「催馬楽」(俳句新空間2023年No.17)より引く。

あたしお雪 死ぬわ あなたは黙ってる?

 まず、「お雪」と名乗っている。雪は美しいが、日に当たれば溶ける。薄命に通じて不吉だから、我が子には名付け難い。女は自分でそう名乗ったのか、または雪女か。

 鉱夫相手の遊女が死して雪女と化した、という説を聞いた事がある。雪女なら二度とは死なないから、「(あたし)死ぬわ」と言うなら嘘だ。「ほんとうの嘘」である可能性もある。雪女は既に死を経ているから、その死が常に現在進行形であるなら、嘘ではない。

 死ぬのはお雪ではなく、「あなた」と呼ばれる相手なのか。「あなたは黙ってる?」とは、どういう意味か。雪女なら、その正体を語った時に命を取りに来るから、「黙っていられるか?」という意味になり、死ぬのは「あなた」だ。「お雪」が死ぬなら、「その死を黙っていられるか?」という事になる。東京で巻貝のごとく黙って生きてゆく?

 或いは心中であって、太宰のように互いに命を捧げ合うのか。片方が「ほんとうの」雪女なら、死して後の雪女だから、もう片方が、(雪女にとっては馴染みの)死の領域に入るだけだ。もし雪女が「ほんとうの」雪の精霊であるなら、そもそも生身を得たことのない、未生の存在だ。後は前掲とほぼ同じ、もう片方が未生の存在になるだけだ。

 「黙ってる?」が、「なぜ黙ってるのか、語るべきなのに」という意味なら、「黙ってるの?」と、最後に「の」が付くはずだ。だから、これはやはり沈黙を約させようとしているとしか読めないはずだが、相手の語りを促すような含みも幽かにある。

 よく知られた雪女の話を思う。あの話において、雪女は、男の口から、かつての雪夜の怪異を語らせようと仕向けているようにも見える。雪女は、やり取り巧みに自らの正体を男に悟らせようとしているのか。何のためにかと言えば、男の魂が欲しいという気持ちが抑え切れなくなったからではないか。もし二人の間に子供がいなければ、女は確実に男の命を取っただろうし、男の方としても、命を取られる事により不死の女と永遠に一緒に居られるなら、喜んで命を捧げただろう。

 「お雪」が雪女ではないと仮定しよう。雪女を思わせる名を名乗る女だと。その場合でも状況は大して変らない。なぜなら、我々の居る世界は、パンデミックという大戦を経て、既に異界だ。「ほんとうの嘘ばかりつく」「保健室にいつも居る」が「居ない」「気泡となる」「お下がりが似合う」「末恐ろし」い子、かつては生身として現れた女が、「お雪」であっても良いのだ。

 私は雪が嫌いだ。雪を見ると、思春期の絶望感を思い出す。殊には夜の雪、逃げ場の無さを煽り、僅かな光を反射して昏く輝き、容赦ない冷たさを誇る。声も涙も、血も凍らせるように、一切の足掻きを無駄と悟らせ、沈黙させる。雪に流血の良く映え、雪に己が息の良く紛れること。雪に抗するための無残さを、生き残る条件として骨身に刻んでくる。これは極私的な感覚に過ぎないが、それを差し引いても、死または沈黙は、雪が殆どの陸上生物に等しく強いるものだ。

 この句において、唯一はっきりと提示されているのは、「お雪」の名だけだ。名は血と同じく、魂である。敢えて自ら「お雪」と名乗るなら、その上「死ぬわ」、「黙ってる?」と言うのなら、自分が冷たく光る死を蔵し、その死を振り撒く事も出来る、と宣言しているに等しい。「お雪」とは冷徹な現実そのもの、という見方も出来ようか。

 雪の御魂を詠った、と観て良いのだろうか。それ以外は何もかも判然としない。実はそれが俳句の特性でもある。俳句という余りにも短すぎる詩の特性は、その指し示す正確な事実が誰にも解らない、本当は作者自身にさえ解らない事だ。俳句とは広大な無意識から浮かび上がる断片であり、深淵を覗く箱眼鏡のようなものだ。

 何が本当なのかを世界中が認知できない現在、俳句こそが真実を朧気にでも指し示す技法か。いや、少し端折った。俳句に似た技法と言うべきだろう。なぜなら、真実とは常に言説不可得、つまり言語や論理(という限られた一方向を積み重ねる事によってしか表現できない手段)を超えているからだ。語れば語るほど、真実から外れてゆく。

 それならば、いっそ物が言えない事により、逆説的にでも、真実の断片に肉薄するより無い。俳句が最小の詩である事の強みは、そこにある。となれば、「ほんとうの」解釈の為には、一度に多方向、多層を展開できなければならない。曼荼羅を言葉によって説明できないのと似ている。

 その曼荼羅でさえ、重複する空間と時間、並行する多層の世界を表現するためには、曼荼羅に対面して法を行ずる行者が必要となる。句を論ずるとは、行者の行法に似ていると思う。だが如何せん、句とは曼荼羅の欠片でしかなく、論者の側には行ずるべき法が無く、言葉と論理しかないのだ。

 話がずれた。掲句に戻ると、お雪に「あなた」と、親し気に呼びかけられる、そこにだけ、(お雪によって用意された)突破口があるのかもしれない。「あたし」と「あなた」は、お雪の、最大限の歩み寄りの言葉、お雪から投げかけられる恋の誘いだ。見渡す限り雪の冷酷さの中で、「あたし」と「あなた」だけがある。その他の事柄は全部、雪が覆い隠し、無化させる。

 善悪も正義も疫の正体も戦争の黒幕も、雪の彼方に霞み、その雪の只中から、記憶を、名を、魂を、血を繋ぎ合わせた「ほんとうの嘘」の女が、「お雪」と名乗って生身のように歩み寄る。「死ぬわ」と言う。「あなたは黙ってる?」と問いかける。

 その時、筑紫磐井はもはや老人ではない。記憶の彼方、嘘と本当の間、馴染みの世界の外から来た「お雪」に対峙する時、筑紫磐井は既に少年だ。そして磐井少年には覚悟が出来ている。本当と嘘を共にかなぐり捨てて、恋をする事。大義とは恋の向かう先であり、恋それ自体が大義なのだ。

最後の息 決めをく 「ほ」と思ふ

 「最期」とは書かれていない。あくまでも「最後」に過ぎない。パンデミック以前の馴染みの世界に向けた「最後」に過ぎないか。これは感嘆詞か、或いは「ほんとうの」の最初の音か、それとも「惚れた」と言おうとするのか。今や恋だけが誠だ。