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2025年3月21日金曜日

秦夕美ノート余滴・秦夕美の短歌  佐藤りえ

二十冊にせまる句集をあらわした秦夕美には一冊だけ歌集が存在する。同名の句集とのセットとして作られた句歌集『万媚』がそれで、書肆季節社から昭和59年に刊行された。栞「万媚――その様式の別れ道へ」を馬場あき子が執筆している。夕美は当時馬場が主宰する短歌結社「かりん」に所属していた。

 人殺めきしここちして白木蓮の白にごりゆく梢に真向う 秦夕美『万媚』
 桃の肉しづかに落つる胃の腑ありていましばらくの生はあらなむ

夕美は句集と共に膨大な量の散文を残しており、俳句や文学にまつわる話題も多く、わりと赤裸々な自身の来歴が織り交ぜられている。十代の折、ふとしたきっかけで王朝文学にのめりこみ、万葉集より古今和歌集を好んだ――といったことまではわかったが、現代短歌を作ろうと思ったのはいつなのか、なぜ「かりん」に入ったのか、明確なことはわからなかった。

ただひとつ、手がかりとして「渦」の外部前号評にあたる文章にこんな記述を見つけた。

俳句もの説といわれるものがあるが、ものについて、馬場あき子著『鬼の研究』に面白い記述がある。『日本書紀』その他で鬼をものと呼んだといい

(…〈もの〉とは……はっきりと目にも手にも触れ得ない底深い存在感としての力であり、きわめて感覚的に感受されている実体である。畏るべきものであり、慎むべき不安でもあった根源の力を〈もの〉と呼んでいる。)

「女流俳句について」(「渦」61号・昭和46年)

この稿は「渦」入会以前、兜子より依頼を受けて「鷹」所属のまま客筆として書いたものである。こののち第二句集『泥眼』を編む夕美は、以前から能・狂言への関心を持っていたようで、彼女にとって馬場あき子はまずは鬼の研究者として認識されたのかもしれない。この部分だけを見て判断するのは早計だが、気に入って引いたところとして、夕美の考え―感覚的なものを重視する―に合致するところが大いにあると思う。

さらに後年、「渦」風信抄に以下の投書があった。

馬場あき子氏の「かりん」(五月創刊)を読んでいますが、あき子氏の「和泉式部」岩田正氏の「わが戦後詩」辺見じゅん氏の「史外への旅」の三本の連載を中心に、エッセイ、歌人論、わが本棚とわずか四十二頁ですが、作品欄の外に密度の高い内容ぶりに瞠目致しております。レイアウトも素敵でした。

(「渦」129号・昭和53年)

夕美は思い込んだら一筋なところがある。藤田湘子との出会いにしろ、赤尾兜子との師弟関係にしろ、こうと決めたらロックオン、猛然と追いかける、みたいなところがある。馬場あき子の動向をフォローしていたからこそ、創刊間もない「かりん」を既に手にしているのだろう。翌年(昭和54年)の「かりん」1月号に作品が見えるので、この後ほどなくして「かりん」に入会したものと思われる。


「かりん」昭和54年3月号、夕美の作品は入会から3号めにして「かりん集」に抜擢されている。「かりん集」は渦なら渦集にあたる、主宰選の上位特別枠、会員欄とは別個に掲載される。

 連翹のかなたをはしる子取り鬼恋の小鬼もとりてゆくべし (「かりん」昭和54年3月号)
 さびしさの果は知らねど冬干潟うなじに風をうくる白鷺
 白地図のなかの風景あるきゐて柳絮いささかとぶを見たりき

「牡丹雪」6首、うちはじめの1首が翌4月号の前月号作品鑑賞で岩田正から評を受けている。

着想のおもしろい歌である。下二句に作者の着眼のおもしろさが出ている。いわゆる子供の遊戯を見ながら、そこに作者自身の、子供の世界への追想を含めた形での、ロマンチックな観点をうき出させている。「連翹」もよくきいている。

岩田の鑑賞は「子取り鬼」を実景として眺めているが(もちろんこれは「まひる野」を源流とした「かりん」の傾向として至極当然のことなのだが)、「冬干潟」も「白地図のなかの風景」も、描写であろうとしつつ、ことばの面が際立つ作りとなっているように見える。夕美のかりん集への入集はこの翌年昭和55年11月号が最後となる。

 夕鵙に五臓六腑の汚れたるこのかなしみを告げてみたきを (「かりん」昭和55年11月号)
 骨片のかろきを言ひて眺むれば虹あはあはと顕ちにけるかも

この頃の「かりん集」、会員作品欄には今野寿美、坂井修一、日高堯子、青井史、佐波洋子といった名前が並ぶ。のちの歌壇の重鎮たちが妍を競う、出航間もない活発な結社に身を置いていたのだ。技術的なことはもちろんのこと、現代的な主題、文体の試行、風俗の反映といったものが、刻一刻と進められる、現代短歌最前線の現場である。

 語りあふ古代の色など 勾玉のごときナッツを夜更け食みつつ  今野寿美
 水平線めざして無量の羊らの渡れるごとし夕なぎの海  青井史
 恋文を書くこと断ちてわが指は方程式を解く さわやかに  坂井修一

文語調の作品ももちろん多くあるが、そこに籠められた精神はぐっと現代的な彩りを見せている。

俳句においては審美的な作品作りを遂げていった夕美は、短歌においてはあくまで情緒的な表現、「もののあはれ」を基調とした詠いぶりが続いた。ライトバース、口語短歌隆盛の時代に「そういう新しさ」は夕美の欲するものではなかったのかもしれない。

「かりん」の門戸を叩いたのは、馬場あき子の持つ、古典を体内から自然に湧出させるがごとき作風、王朝文学への造詣の深さといった点に親和性を抱いていたから、ではないだろうか。

 菊焚きし手の昂りのさりながらはや大切のものもかへらじ  馬場あき子『葡萄唐草』
 頼朝はどこにもをりてひたすらに蹶起せざれば木を植ゑている  『雪木』

そんな馬場が『万媚』に寄せた栞では夕美の短歌の特徴二点を挙げている。一つは「王朝風な女手文体の美的なことばや律を生かし、時には古歌の一節を奪って情緒を加えることなどもしている」点。もう一つは夕美の短歌に連句風の構造を見ている点だ。

もう一つは連句風の上下つけ合せの技法を用いたもので、これは連句の復活というよみ方をした方が意味深いことになるのかもしれない。

  ながれあへぬ言葉も紅絹の色なして
   夕暮坂の楓ふかれつ
  かい擁く白き仔猫に春日さし
   二夜つづきの妬心ほのめく
  冴えざえと坂よぎりゆく笛の音や
   後生たのまぬたまゆらの恋

(中略)その特色をいえば、つけ合せの句の方がオクターブが低くできていることである。心性の深い一呼吸おいた転換をとげてはいるが、脇句風の下句であって、揚句風にはついていないところが、あるいは秦さんの作品的特色になるのかもしれない。脇句はなお三句へとつづく世界を含みもち、そのゆえに抒情は言い残した余白をもっているが、一首の屹立の上には嫋々とたゆたうものを残しすぎているといえよう。

「万媚――その様式の別れ道へ」馬場あき子

一首をそのままひといきに結句まで読み下ろしたとき、古風な抒情と美意識にのみ目がいきがちなところを、下の句が脇である、と見ることで、世界が転換していく、場面が移り変わり、情がにじむ。馬場の指摘は夕美の短歌の俳諧的な性格を読み取り、その可能性と課題を示している。この栞は夕美にとってきわめて真っ当な、敬愛する先達からのサジェストになったのではないだろうか。栞は「短歌と俳句のジャンルを同時踏破しようとする秦さんの企図に、拍手を送りつつ」「やがて才(ざえ)は一つに収斂せざるをえないのだろう」と続く。馬場の予言は、予言というより、夕美の淡い心情の輪郭を、より的確に指摘してみせた、ということのように思う。

夕美本人の言及が見当たらず、時期的なことはわからないが、「かりん」への出詠は昭和58年ごろを境に途絶えている。その後も夕美は折に触れて短歌を作り、個人誌「GA」などに発表していった。

 夕焼けをおしつつすすむ飛行機の翼のごときバターナイフよ(「GA」85号/2020)
 ひさかたの光のほしやさりとても舫小舟のやうな一日(「俳句界」2021年5月号)
 五月待つ闇の奥処を思ひつつ置く甕棺の湿りほどよき
 一本二本数へて草を抜きゐたり頭の中が暇すぎるので(「GA」89号/2022)

「俳句界」2021年5月号の特集「俳句と短歌」では上記の作品とともに、俳句と短歌への取り組みの違いを端的に述べている。

喜怒哀楽の中で短歌は喜と哀だろうし、怒と楽は俳句という形式に収まりやすい。もっと嚙み砕くと、心をゆるく情にゆだねている時は短歌で、心が鋭角に一点へむけて尖っていく時、俳句になってしまう。

最晩年まで刊行された個人誌「GA」には毎号俳句とともに短歌が掲載されていた。「心をゆるく情にゆだねる」。夕美は短歌とそのように手をたずさえ、歩き続けた。

2024年12月27日金曜日

『巫朱華』総目次/解題

解題  佐藤りえ

『巫朱華』は昭和59年から昭和63年まで発行された秦夕美・藤原月彦の二人誌である。
約19センチ四方の真四角な中綴じ本で、全9冊。巻号は「Vol○No○」の表記で統一され、昭和59年刊がVol1、昭和60年刊がVol2、以降がVol3とされている。
創刊のいきさつはのちに刊行された『夕月譜』あとがきに詳しい。(『夕月譜』は『巫朱華』収録の共同制作を抜粋・編集したもので、令和元年に発行された。『巫朱華』と同判型の糸綴じ本)

俳句上の父を亡くした者同士、いわば孤児の心細さゆえか、個人的に話をする機会がふえた。今まで読んできた本、好みの作家が同じであることは、世代を超えて共鳴することが多く、「巫朱華」という小冊子の発行を思いついた。(中略)丁度、宮入聖さんが出版社を立ち上げた頃、そこにお願いすることで話は決まり、書き下ろしで俳句や文章を書くうちに、共同制作をやってみようという事になった。(『夕月譜』「あとがき」秦夕美)

二人の“俳句上の父”赤尾兜子は昭和56年死去。刊行当時、秦・藤原両名はともに桑原三郎が起こした『犀』に創刊同人として所属し、旺盛な執筆活動を繰り広げていた。『巫朱華』にとってのもう一人の主要な人物は、さきのあとがきにも挙げられている宮入聖である。文中にある「共同制作」とは、特定の文字を象形的に見せるレイアウトをほどこした組句作品のことで、作者二人の意向を汲みつつ、毎号同じフォーマット・ページ数の中に作品を配していく手腕には目を瞠る物がある。

各号の内容は書き下ろし俳句作品のほか、お互いの俳句をモチーフとした掌編、エッセイ、句集評など。毎号ページ数はぴったり16ページ、もっとページの増減がある印象を持っていたが、その定められた「型」をはみだした号はひとつもなかった。籠められた熱量と冊子との釣り合いが魔術的とも思える調和を見せている。

今の時代ならZINEと呼ぶものだろうか、こうしたミニマムな表現形態において、大袈裟な装置も、多くの人員も、多数のページも、無理矢理用いる必要はないのだと、あらためて驚かされる、伝説の雑誌である。

「巫朱華」Vol2No3表紙

「巫朱華」Vol3No1表紙

巫朱華 総目次


Vol1No1~Vol2No3 題字 岡村香風
Vol3No1~Vol3No3 表紙・挿画 長岡裕一郎

Vol1No1 忘れ雪の巻
昭和五九年四月一日発行 16p
巻頭句 花から雪へ砧打ち合ふ境なし 兜子
共同制作 雪卍―にごり江遺文―
作品 優姫涕閨 秦夕美
作品 VASLAV 藤原月彦
掌編 忘れ雪と名づけし猫が見あたらぬ 秦夕美
掌編 蜩いろの情人・雨だれ・鎮魂歌 藤原月彦
作品 定家 秦夕美
巫朱華について


Vol1No2 幻月の巻
昭和五九年八月一日発行 16p
巻頭句 急ぐなかれ月谷蟆に冴えはじむ 兜子
共同制作 月光一泥梨―雨月物語抄―
作品 遠つ世の孤悲―いろは歌頭韻― 秦夕美
作品 RUDOLF 藤原月彦
掌編 死者われをわれは離れて月の暈 秦夕美
短歌 月の出の背びれふるへてゐる兄 藤原月彦
作品 松風 秦夕美
後記


Vol1No3 秘す花の巻
昭和五九年十二月一日発行 16p
巻頭句 秘す花のあらはれにけり冬の水 兜子
共同制作 花扇―能曲斑女―
作品 Rā 秦夕美
作品 憑帝 藤原月彦
掌編 合せ鏡のうしろに花の骨みゆる 秦夕美
掌編 殺されて二夜は菊の花なりき 藤原月彦
作品 井筒 秦夕美
あとがき


Vol2No1 雪眩の巻
昭和六十年四月一日発行 16p
巻頭歌 胎児よ/胎児よ/なぜ躍る/母親の心がわかって/おそろしいのか 夢野久作
共同制作 雪中夢―久作幻想―
作品 江花 秦夕美
作品 腸死 藤原月彦
掌編集 夢界 秦夕美
共同制作 定家曼荼羅
あとがき


Vol2No2 月淋の巻
昭和六十年十月一日発行 16p
巻頭句 美しい人たち泣くな/先ず 目をあけて進ぜよう 鏡花
共同制作 月人―鏡花舞―
作品 夢魂 秦夕美
作品 MODERN TIMES 藤原月彦
盗汗集批評特集
「夢夢夢夢……」和泉香津子
母体を逃げてゆく人格 権藤弘子
コムプレックスの細密画 植村泰佳
共同制作 乱蝶―好色五人女―
あとがき


Vol2No3 花檻の巻
昭和六十年十二月二十日発行 16p
巻頭句 面白と云、花と云、めづらしきと云、/此三は一體異名也 世阿弥
共同制作 菱花鏡―謡曲花筐―
作品 愛の伝説 秦夕美
作品 極悪の華 藤原月彦
孤獨浄土批評特集
夢てふものは 原田禹雄
平家物語の中の小宰相 高山雍子
血と百日紅 宮入 聖
共同制作 妖姫伝
あとがき


Vol3No1 妖雪の巻
昭和六十一年十二月二十五日発行 16p
作品 夢野柩――未明かるた―― 秦夕美
作品 雪月花世紀末譚(えそらごとうきよのゆふぐれ) 藤原月彦
掌編 雪 秦夕美
エッセイ 俳句とエロス 藤原月彦
あとがき


Vol3No2 狼月の巻
昭和六十二年十月二十五日発行
扉のことば 未組織のものへ 無際限のものへ 永遠のものへ 虚無へむかっての嗜好/トーマス・マン「ヴェニスに死す」より
共同作品 月の船
作品 The Red Shoes 秦夕美
作品 夜桜機関・拾遺 藤原月彦
作品 花電車 藤原月彦
掌編 お手玉 秦夕美
あとがき


Vol3No3 穹花の巻
昭和六十三年三月二十五日発行 16p
扉のことば 㧕(そもそも)、花は、咲くによりて面白く、散るによりてめづらしき也。(「拾玉得花」)
共同制作 花車――謡曲葵の上
作品 婀花死哉 秦夕美
作品 美貌の都 藤原月彦
共同制作 明星時代
あとがき


2024年12月13日金曜日

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり20 『秦夕美句集』(2017年刊、現代俳句文庫―83・ふらんす堂)を再読する。

 十六夜に夫を身籠りゐたるなり


 帯の俳句が妙に私の脳裏にこだまする。

 この「BLOG俳句新空間」でも秦夕美・追悼がアップされているので鬼籍に入られたのを私も知った。『秦夕美句集』の私の初見からただただ秦夕美さんの生きるベクトルに圧倒されっぱなしだったのを思い出す。


ふぶく夜を屍の十指ぬぐひけり

寒紅をひくこのたびは喪主の座に

雪原の果いつぽんの泪の木


 私は、あるがままに世界を詠み込んでいく秦夕美の俳句に私は、惹きこまれていった。

 吹雪く夜の屍の十本の指を拭ったり、寒紅を引いて喪主の座に就く。

 雪原の果ての一本の泪の木となる秦夕美の悲しみの吐露も。

 その所作に静かに夫の死への深い悲しみを俳句に詠み込む秦夕美の態度が浮かび上がる。


ただ生きよ風の岬のねこじゃらし


 あるがままの秦夕美の態度は、自身の心もまたあるがまま詠み込んでいる。

 ただ生きよ。その生命の讃歌の謳いぶりは、岬に吹き続ける風にそよぐまま揺れている猫じゃらしなのだろう。

 この俳人の俳句をささえている丁寧な描写力は、丁寧に生きるこの詠いっぷりは、自己や周辺の世界をよく視ている。よく聴いている。よく心に感受している。

 それは、とても素晴らしい感性の弦で俳句を詠み込んでいた。


誰も叫ばぬこの夕虹の都かな

ゆつたりとほろぶ紋白蝶のくに


 「誰も叫ばぬ」「ゆつたりとほろぶ」の俳句にこの国を憂う俳人のアンテナが、暗雲の時代を感受している。この句集の中では、出色に見える俳句だが、私をきちんと丁寧に俳句に詠う力量は、社会へも実感を持った素晴らしい俳句を成していた。


秦夕美と名のれば乱れとぶ螢

苺つぶす無音の世界ひろごれり

霜柱十中八九未練なり

花のおく太古の魚を飼ひにけり

白南風に仮面の裏の起伏かな

ままごとのお客は猫と昼の月

今生の光あつめ雛の家


 秦夕美と名乗れるのは、世界でたった一人の秦夕美である。

 気負いなく自己をあるがまま詠う彼女のその乱れ飛ぶ生命の蛍の銀漢よ。

 苺を潰す。苺ジャムでも作るのだろうか。そこには、無音の甘い匂いが漂う世界が広がっている。

 霜柱に心を通わせながら足で踏むと十中八九の未練を身体の芯まで響き渡る。

 花の奥に心の眼を凝らすと太古の魚を飼っているという。

 仮面の裏の起伏を発見する観察眼に脱帽したいが、その仮面が白南風であるという。

 溢れるほどのポエジーの世界がある。

 ままごとのお客様は、只今、通過中の猫と昼の月。

 この秦夕美の生きる世界の光を集めた雛の家にもなにかしら童話のような世界観が立ち現れる。


 ただただ圧倒されたこの俳人の感性の弦を軸に人生を奏でる気概のようなもの。

 私は、俳句観賞するためにも、もっと人生を謳歌したい。

 人生の先輩俳人たちが、のたうち回りながらも人生を謳うことへの嫉妬を拭いきれない。

 しなやかに。

 たくましくも繊細に。

 力強く生きる。

 俳句の奥域を広げて、深めて、真実を捉えていく。

 私は、そんな俳人たちにこの句集鑑賞でこれからも精一杯のエールを贈りたい。

 この同時代に生きて俳句を切磋琢磨していく同志たちの精一杯のエールを私も確かに受け取っている。

 この俳人の情念を突き抜けた先にある世界観を改めて詠み込みながら、心よりご冥福をお祈りいたします。

 『秦夕美句集』から共鳴句をいただききます。


貝がらをあやすのつぺらぼうの母

残照の鰭もつ子宮(こつぼ)泳ぎけり

念々ころり寝棺・猫又・願ひ文

とろり疲れてやさしい闇に吊柿

七草にまじへ啜るは何の魂

回想の雨のぶらんこ揺れはじむ

月浴びてゐる「わたくし」といふ魔物

雁風呂やわが情欲のさざなみも

乱鶯や乳首の尖がりゆく思ひ

花ざくろ老いても陰のほのあかり

何処へと問ひ問はれゐる鳳仙花

そして誰もゐない夕日の芒原

沈黙も寒のきはみの紫紺かな

椿一輪おく胎内のがらんだう

朝の鵙もうここいらで転ばうか

海市あり別れて匂ふ男あり

王子の狐火ゆうらりと昭和果つ

恃(たの)むものなし月光の針を呑む

画鋲挿す癌病棟の夏の壁

理由なき反抗獅子座流星群

梧鼠(むささび)がとぶ霊域の大月夜

後の世は知らず思はずねこじやらし

やさしさはずるさに似たり雲の峰

暇なのでひまはり奈落へと運ぶ

花嵐お手々つないで鬼がくる

2024年11月29日金曜日

【小特集:秦夕美追悼】豈67号 秦夕美特集目次+著作一覧

豈67号 特集Ⅱ・秦夕美追悼

秦先生の思い出  寺田敬子
雲をのむ  依光陽子
禁忌の共同――「巫朱華」そして「胎夢」  宮入 聖
孤高の俳人――秦夕美の素顔――  田中葉月
秦夕美さんの想い出――断片的に  藤原龍一郎
秦 夕美さんの想い出  遠山陽子
秦夕美ノート 私そのものである言葉  佐藤りえ
秦 夕美 年譜

秦夕美著作一覧

【句集】

『仮面』(鷹俳句会叢書)昭和43年9月1日発行
 ※序文・藤田湘子
『泥眼』(端渓社)昭和52年3月20日発行
 ※四ツ目綴じ丸帙装・限定150部
『勅使道』(俳句研究社)昭和56年3月15日発行
『万媚』(書肆季節社)昭和59年3月25日発行
 ※同書名の歌集との二冊組 栞・馬場あき子
『孤獨浄土』(書肆季節社)昭和60年7月発行
『恋獄の木』(冬青社)昭和60年12月25日発行
『歌舞と蝶:都苦泉百銘柄』(冬青社)昭和62年4月20日発行
 ※一部上場株の銘柄を詠み込んだ百句所収。附録:初出銘柄一覧
『夢帰蝶駅』(冬青社)平成元年4月20日発行
『失光遊世』(邑書林)平成3年9月30日発行
 ※栞:倉橋羊村・藤原龍一郎
『銀荒宮』(邑書林)平成5年5月25日発行
 ※九州各所の吟行句を収録
『逃世鬼』(邑書林)平成6年2月7日発行
 ※千字文を句頭に据えた千句を収録。
『夢香志』(邑書林)平成8年11月1日発行
 ※年初に逝去した夫への追悼句集。
『夢としりせば』(富士見書房)平成13年7月29日発行
 ※日本百名山・魚を詠み込んだ「色は匂へど水の中」など
『孤舟』(文学の森)平成17年7月29日発行
 ※タイトルは柳宗元の五言絶句「江雪」より。
『深井』(ふらんす堂)平成22年11月25日発行
 ※タイトルは能に用いる面の名。章題は謡曲の演目。「初雪」「花筐」「杜若」「雨月」
『五情』(ふらんす堂)平成27年2月14日発行
『さよならさんかく』(ふらんす堂)令和2年9月1日発行
 ※横綴じ五句組み。「あさ」「ひる」「ゆふ」「よは」四章からなる。
『金の輪』(令和俳句叢書/ふらんす堂)令和4年1月15日発行
『雲』(ふらんす堂)令和5年1月15日発行

【句文集】

『妖虚句集』(冬青社)昭和61年4月25日発行
 ※女体能の謡曲を主題とする句文集。
『妣翠』(冬青社)昭和62年3月20日発行
 ※17の絵画をめぐるエッセイ+俳句
『十二花句 紫の巻』(冬青社)昭和62年9月発行
『十二花句 黄の巻』(冬青社)昭和62年12月25日発行
『十二花句 白の巻』(冬青社)昭和63年6月20日発行
『十二花句 緋の巻』(冬青社)昭和64年2月20日発行 ※表記ママ
 ※色別の花をテーマとした句文集
『夢騒』(邑書林)平成4年6月1日
 ※月ごとの自伝的エッセイ+俳句

【共著他】

『巫朱華』(冬青社)※藤原月彦との二人誌
 Vol1No1 忘れ雪の巻 昭和五九年四月一日発行
 Vol1No2 幻月の巻 昭和五九年八月一日発行
 Vol1No3 秘す花の巻 昭和五九年十二月一日発行
 Vol2No1 雪眩の巻 昭和六十年四月一日発行
 Vol2No2 月淋の巻 昭和六十年十月一日発行
 Vol2No3 花檻の巻 昭和六十年十二月二十日発行
 Vol3No1 妖雪の巻 昭和六十一年十二月二十五日発行
 Vol3No2 狼月の巻 昭和六十二年十月二十五日発行
 Vol3No3 穹花の巻 昭和六十三年三月二十五日発行

『歳華悠悠 昭和二桁生まれ篇 下巻』(東京四季出版)平成12年7月1日発行
 ※近作五〇句・自選代表作三〇〇句掲載。作家論・藤原龍一郎
『火棘 兜子憶へば』(邑書林)平成7年7月29日発行
 ※赤尾兜子の八八句を鑑賞。
『夢の柩 わたしの鷹女』(邑書林)平成11年11月30日発行
 ※三橋鷹女の70 句を鑑賞。津沢マサ子「鷹女のこと」併録
『秦夕美―自解150句選』(北溟社)平成14年9月30日発行
 ※自解150句選シリーズ15。
『季語への散歩』(ふらんす堂)平成17年7月31日発行
 ※GAに連載した季語を題としたエッセイ集。
『赤黄男幻想』(富士見書房)平成19年7月14日発行
 ※個人誌「GA」11号から40号までの連載に書き下ろしを加えた赤黄男作品鑑賞
『現代俳句文庫83 秦夕美句集』(ふらんす堂)平成29年8月26日発行
 ※『仮面』から『五情』までの作品を抄出。
『夕月譜』(藤原月彦との共著・ふらんす堂)令和元年11月11日発行
 ※藤原月彦との詩歌誌「巫朱華」掲載の共同制作作品を収録

【小特集:秦夕美追悼】秦夕美ノート・余滴  佐藤りえ

 先頃完成した「豈」67号の秦夕美追悼特集を担当した。発行人・顧問への相談のなかでまず挙げたのは、全著作の書誌を掲載したいことと、年譜を作成したいこと、この二つが柱だった。
 秦さんは日本女子大学在学中の20歳時(1958年)に俳句を始め、以来60年以上に亘り、ほとんど休むことなく作品を発表し続けた。著作は句集十九冊、句文集を含めると三十冊以上の著書がある。最初の関門は資料全冊を確認することだった。
 国会図書館、俳句文学館に通いかたっぱしから資料を見て回り、さらに豈の先達たちからも多数の資料をお借りして、なんとか全冊を閲覧することができた。国会図書館では現在資料のデジタル化作業が進められていて、作業中の資料は閲覧できないことになっている。そこにしか所蔵のない資料が何冊かあり、三ヶ月ほど作業が終わるのを待たなければならない、という事態に直面したこともあった。

 秦さんの所属誌は「馬酔木」にはじまり、「鷹」「渦」「犀」「豈」と続いた。これら所属誌を通覧するのは大変な作業だったが、その時々の空気を垣間見ることができる、貴重な体験でもあった。秦さんは後年、孤高の作家として北の一つ星みたいな扱いにあったように思うが、結社誌・同人誌からは数多の作家との交流が見てとれた。「鷹」では倉橋羊村、のちの遠山陽子、「渦」では藤原月彦、桑原三郎、柿本多映、和田悟朗らと同時代を生きてきた。85年の「犀」には長編の宇多喜代子論を執筆している。多数の著書を出版した冬青社主でもある宮入聖氏とは上京の折々に語り合ったというエピソードなども、今回「豈」の藤原龍一郎氏の文章で語られている。
 「鷹」では血気盛んな若手として、「渦」では兜子の影響下で自身の作風を模索し、「犀」では創刊同人として、精神的支柱とも呼べる活躍ぶりを示していた。九州俳句作家協会に入会した平成5年以降は当地での句会に参加、賞の選考委員を担当したり、俳句講座を受け持ち、後進の育成にも力を注いでいた。秦さんの「孤高」とは、決してひとり閉じこもり、人との交流を拒む、といったことではなかった。あくまで表現の高みを目指す、つねに新しい目標をたて、それに向かって自分のペースで進むということだったのだろう、と、膨大な足跡を辿りながら、思い至った。

 与謝野晶子の歌集は24冊ある。それを目指す、と公言し、まさに実行に移した句業だった。特に秦さんの作風は書きためた句を年次に沿って纏めるものではない。一冊一冊に新しいアイデアを注ぎ、趣向をこらし作られてきた。その原動力が何だったのか、著作のなかに秦さんの哲学の一端と見える文章を発見した。

ともあれ、人には選べぬことが多すぎる。生まれる時代・国・親・性別。だからこそ、自分の置かれた場所で勢一杯、自分を生きなければならないのだ。自分より優れた人間は数多い。だが、全宇宙にたった一つの存在である自分、その自分を先ず自分自身が愛さなくて誰が愛してくれるというのだろう。友人・家族・私をとりまく人達、私が好きになれるのは世俗の価値に関係なく自分自身を大切に生きようとする人である。(『夢騒』)

 何かを書き発表することは、ともすれば己の肉体そのものを見せることより、よりあらわに自身をさらけだすことになろう。コミュニケーションを続けるには、評価を得るには、作り続け、発表し続けるよりほかにすべはない。大きな賞賛があろうがなかろうが、自身がここに「いる」ことを主張するには、作品という舟を大海に送りだし続けるしかないのだ。誰に依らず、50年以上に亘って書き続けてきた秦さんにそなわった、この強靱な自己肯定が筆者にはとても眩しく見えた。この根幹をこそ、本来我々は自分自身に育てなければならなかったのではないか。
 耽美的な作品を多く残し、審美を貫いた秦さんに、しかし退廃的な気配、どうにでもなってしまえ、といった自棄的なものを感じ取ることはなかった。いかに死を濃厚に感じさせる作品があろうとも、それは自棄を起こして、また、自分を憐れんで書かれたものではなかった。自己の感性を信じて突き進み続けることができたのは、こうした健全な、強固な自己愛をお持ちだったからなんだと、数多の文章が教えてくれた。

 句集、書籍を作るにはもちろん費用がかかる。大枚が必要だ。しかしお金さえあれば、誰かがちゃっちゃと本を作ってくれるのかというと、そんなことはない。秦さんのように強い拘りがある場合は特に――とはいえ、皆本を作る段になれば、己の思いがけない拘りに気づくというものではないだろうか。誰しも出来上がった自分の本に失望したくはないだろう。
 かつて筑紫磐井氏は秦さんは「句集を作るのを生きがいにしている」と言った。まとめあげ、形にするのが楽しいのだと。これはあたりまえのようでいて、そうでもない、秦さんは非常に稀な人種だったのではないか。秦さんとは生前ついにお目にかかる機会を持たなかった。句集という書物を作る楽しみを、直に伺い、話し合ってみたかった。

2023年3月10日金曜日

句集歌集逍遙 秦夕美句集『雲』/佐藤りえ

秦夕美句集『雲』は作者の最後の句集となった。
本編に入る前に、その一冊前の句集にあたる『金の輪』の話をしよう。

『金の輪』は2022年1月に刊行された秦夕美の第十八句集。題『金の輪』は小川未明の短編から採られたことがあとがきに記されている。長患いから回復した太郎は、金の輪をころがして遊ぶ少年を見かける。その見知らぬ少年に惹かれ、ついに夢の中で一緒に輪転がしに興じる。それから数日後、太郎は七歳で亡くなってしまう。小川未明自身が長男を六歳で失ったことが投影された話であるが、句集『金の輪』も死を色濃く意識した一冊である。

わが死にどころあぢさゐのうすみどり『金の輪』

八月や息するうちを人といふ

木蓮や死装束のとゝのはず

死神の片足ふるゝ雛の家

忌明けてふ風の吹くなり萩桔梗

急逝の小鳥はつかにかわく土

またの世をゆあーんゆあんと雪の橋

己の死に場所を俯瞰しているかのような一句目、呼吸の有無が人とそれ以外を分ける、端的な二項対立としてみせた二句目など、死をタナトスとしてあがめるでもなく、達観したかのようにふるまうでもなく、しかしその気配を確かに感じ取った作品が並ぶ。

こうした直接「死」につながる語彙をもちいた句のみならず、句集全体が死を彩るかのような、いわば最後の祭りめいた作りになっている。単独の句集としてはかなり異例と思われる初句索引と季語索引が巻末に付されている。

その一方、こんな作品も収録されている。

金の輪をくゞる柩や星涼し

薔薇に雨とても死ぬとはおもへない

胎内や渦まき昏るゝ飛花落花

「私何だか死なないような気がするんですよ」は宇野千代の言葉であるが、秦夕美の作品からもいくらかそうした超越的な気配を感じる。句集題『金の輪』を詠み込んだ一句目の柩に悲壮感は見られない。三句目は句集掉尾の一句で、胎内に花吹雪を撒き散らして舞台は暗転する。永劫回帰を象徴するかのような結末である。あとがきは「お世話になった皆さんありがとう」で結ばれ、作者はこの時、本当にこれが最後の句集と思い切っていたのであろう。

その半年後、2022年7月に個人誌「GA」89号が発行された。22×10センチほどの縦長のこの冊子は俳句作品・短歌作品・エッセイが収録されており、ラベル印刷、切手貼りなどにお孫さんの手を借りつつ、年2回こつこつと続けられていた。その最新号のあとがきを読んで筆者は驚いた。さらに句集を出すというのである。作者曰く「漢字一字の句集は持っていない」ので、『雲』という題の本を作ることにしたとのこと。驚きつつ楽しみにしていたこの句集が、まさか作者の訃報の後に届くことになるとは、思ってもいなかった。

句集『雲』は「蒼い雪」「白い月」「赫い花」の三章からなる。雪月花とトリコローレのかけあわせ。『金の輪』で死の討議を経た後、ふっきれたということでもないとは思うが、自在な句が繰り出される。

熟田津は月待つ汝は我待つか

雲呑を落すでもなく秋の川

贅沢は素敵戦後の秋は好き

白露かな土偶の一重瞼かな

魔王よぶあつけらかんと雪がふる

一句目は万葉集の額田王の歌「熟田津に舟乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」から。歌には人々が満ち潮を待つ情景が詠まれているが、句のほうでは土地そのものが月を待ち、「汝」が「我」のことを待っている。対比構造を取ることで、「汝」が「我」を待ちかねているさまがより強調されてみえるが、果たして「汝」とは誰のことなのか。
二句目、三句目は攝津幸彦へのオマージュだろうか。「雲呑は桜の空から来るのであらう」「幾千代も散るは美し明日は三越」が浮かぶ。「贅沢は素敵」が「贅沢は敵だ」を換骨奪胎したフレーズで、脚韻でみちびき出された下の句へと繋がるさまが三越の句を思わせた。

八十島に防空壕の残る秋

余寒なほキーウに杖の影いくつ

昏れゆくやミッドウェーの春の潮

惜春のイラクねむたし星を抱く

戦後なり蜘蛛の囲ゆれてゐるばかり

日の本の雨の桜と赤紙と

日を招きかへす扇か戦時中

零戦の破片とおもふ月日貝

『雲』には戦争にまつわる句が夥しく収録されている。『金の輪』にもいくつかそうした句が見られるが、『雲』にはより明確に、戦争を題材とした句が並ぶ。自身が体験した第二次世界大戦のことだけでなく、二句目・四句目のように、現在進行形の戦闘地域も詠みこまれている。戦後七十有余年、平和などとは寝言であり、蜘蛛の囲のごとくぶらぶらゆれているのが現状だと、作者は暗に言っているのかもしれない。「招きかへす扇」は三橋敏雄「戦争と畳の上の団扇かな」をふまえてのことだろうか。

最後と覚悟した18冊目の句集を経て、いわばカーテンコールの句集を編むとした時、積み残し、ではないが、記しておかねばならぬ、と思ったであろう題材が、戦争だったことが、意外でありつつ、作者の原形質の一端だったのかと、感じ入るところがあった。これも美意識の一端であろうか、直接的に声高に叫ぶのではない、嫌戰が見える。

うるはしく老婆となりぬ七日粥

老いて買ふ夢と台湾バナナかな

背負投げしたき病や諸葛菜

自身の生老病死を率直なかたちであらわすことは作者の美意識からは避けるべきことと感じていたが、集中にはこんな句もあった。表現としてはナマなものとは言いがたいが、さっと差し出される「老い」と「病」の文字は、しかし機知で彩られ、愚痴めいたところがまるでない。なお「GA」89号によると、昨年(2022年)作者は階段から転落し、全治三ヶ月の裂傷を負っている。読み手の側として、旺盛な創作意欲から超人的な体力の持ち主と勝手に推測していた面があった。散文には時折、加齢や病に対する思い、体力増進のための行動などに触れられているところもあったが、自身の身体についての表現にも、言葉に拘り、美意識を貫いた作者らしさが滲んでいると思う。

句集に添えられたふらんす堂社主山岡氏の書面によると、作者は句集の校正刷りを確認したが、完成を待たず鬼籍に入られたとのことだ。生涯現役、という言辞はあまり美しくないが、この語を実現することは、実際にはかなり難しいだろう。作者が最晩年の二年間に二冊の句集を編み、俳人であり続けたことは、驚きに値する。

このまとまりのない文章を直接お見せできないことが残念でならないが、草葉の陰で「甘い」とこぼしてもらえていることをなかば確信して筆を擱く。最後に好きな句を挙げます。

白鳥は光ついばみつゝありぬ

寒梅に夢の始末の思案かな

木は立つて人は坐りてお正月

虹の街浮き足立つてゐたりけり

冥府にも北京ダックと夕焼と

風鈴やどくろは舌をもたざりき

平和てふ奥のおくには雲と薔薇

2023年2月24日金曜日

秦夕美の死と句集『雲』 筑紫磐井

  2月5日に、田中葉月氏から秦夕美氏が先月22日逝去したとのメールをいただいた。ちょっと前までは電話で元気な声を聴いていたからショックだった。本人の遺言で俳句関係には連絡せぬようとのことだったという。告知の取り扱いについては悩ましかったが、しばらく伏せておく方がいいのではないかと思った。

 5日当日は馬酔木の100周年大会に招かれていたので伺ったところ、同じ席でふらんす堂の山岡喜美子さんとご一緒した。秦氏は最近の句集はふらんす堂から出すことが多く、付き合いも深いと思い話を切り出すと、むしろ山岡さんから秦さんの遺句集は届いたと聞かれた。こんなタイミングで句集が出ることは思いもしなかった。

 自宅に帰ってみると確かに句集『雲』が届いており、山岡さんの名前で秦氏が亡くなられたことの告知が挟まれていた。

 翌日のBLOGふらんす堂通信にはこの句集のことが詳細に書かれていた。山岡さんとしては句集が出るまでは秦氏の亡くなったことを伏しておきたいと考えたらしい。その意味では、すでに多くの人に句集が届いているだろうから、秦氏の遺言は失効したと思っていいだろう。

      *

 秦氏は、「豈」は19号以来参加して頂いている。攝津幸彦存命当時からの古手の同人となる。後年「「豈」入会は多分十九号、上京をしていた私は、お茶の水で摂津幸彦さんと会った・出来立ての『陸々集』を手渡され、入会を誘われた。記録を残すことが苦手なので誰たちと一緒だったか覚えていない。」と書いている。

 最新の「豈」65号(10月刊)には40句の特別作品「アノ秋(昭和二十年)」が載っている(6月末締め切りの原稿)。「豈」と同時に個人誌「GA」を年2回出されていて、昨年7月刊の89号が最後の雑誌となっているようだ。作品を見ても文章を見てもなくなる予兆すら感じさせない。

 秦氏について言えば、驚くのは句集上梓のスピードである。今回第19句集に当たる。俳句を詠むことよりは、句集を出すことに生きがいを感じていたように思う。永らく読ませていただいた中で一番驚いたのは、第7句集『歌舞と蝶』である。秦氏らしい華やかな表題の句集名と思ったが違ったのだ。この句集は題詠句集であり、その題は秦氏が購入した株の銘柄なのである。題詠は中世の堀川院百首以来塚本邦雄まで膨大にあるが、株の銘柄を使うなどは思いもしなかった。『歌舞と蝶』は『兜町』なのであった。こうした仕掛けも大好きな人であった。

 まだまだ句集を出し続けたかったであろうと思うと残念である。

 最後に、山岡さんが選ばれた句を紹介する。秦氏にはまことにふさわしいように思う。


 葬列のどこかはなやか枇杷の花 夕美

2020年11月27日金曜日

【読み切り】圧倒されっぱなしの俳人の覚悟と生きざま『秦夕美句集』(現代俳句文庫‐83) 豊里友行

十六夜に夫を身籠りゐたるなり

 帯の俳句が妙に私の脳裏にこだまする。
 周辺の俳句を拾い読む。
 判読しながら秦夕美の生きるベクトルに圧倒されていく。
 「ふぶく夜を屍の十指ぬぐひけり」「寒紅をひくこのたびは喪主の座に」「雪原の果いつぽんの泪の木」「ただ生きよ風の岬のねこじゃらし」
 あるがままに詠み込んでいく秦夕美の俳句に私は、惹きこまれていた。

誰も叫ばぬこの夕虹の都かな
ゆつたりとほろぶ紋白蝶のくに


 「誰も叫ばぬ」「ゆつたりとほろぶ」の俳句にこの国を憂う俳人のアンテナが、時代を感受している。この俳人の中では、出色に見える俳句だが、私をきちんと丁寧に俳句に詠う力量は、社会へも実感を得た俳句として素晴らしい俳句を成している。

秦夕美と名のれば乱れとぶ螢

 気負いなく自己をあるがまま詠う。

苺つぶす無音の世界ひろごれり
霜柱十中八九未練なり
花のおく太古の魚を飼ひにけり
白南風に仮面の裏の起伏かな
ままごとのお客は猫と昼の月
今生の光あつめ雛の家

 この俳人の俳句をささえている丁寧な描写力は、観察眼と言い換えてもいい。
 よく視ている。
 よく聴いている。
 よく心に感受している。
 それは、とても素晴らしい感性の弦になっている。

 ただただ圧倒された女性俳人の感性の弦を軸に人生を奏でる気概。
 私は、俳句観賞するためにも、もっと人生を謳歌したい。
 人生の先輩俳人たちが、のたうち回りながららも獲得して人生を謳うことへの嫉妬を拭いきれない。
 しなやかに。
 たくましくも繊細に。
 力強く生きる。
 俳句の奥域を広げて、深めて、真実を捉えていく。
 そんな俳人たちに私は、これからも沢山たくさん精一杯のエールを贈りたい。
 この同時代に生きて俳句を切磋琢磨していくエールを私も確かに受け取っている。
 この俳人の情念を突き抜けた先を私は、もっと見てみたい。
 共鳴句を頂きます。

貝がらをあやすのつぺらぼうの母
残照の鰭もつ子宮(こっぼ)泳ぎけり
念々ころり寝棺・猫又・願ひ文
とろり疲れてやさしい闇に吊柿
七草にまじへ啜るは何の魂
回想の雨のぶらんこ揺れはじむ
月浴びてゐる「わたくし」といふ魔物
雁風呂やわが情欲のさざなみも
乱鶯や乳首の尖がりゆく思ひ
花ざくろ老いても陰のほのあかり
何処へと問ひ問はれゐる鳳仙花
そして誰もゐない夕日の芒原
沈黙も寒のきはみの紫紺かな
椿一輪おく胎内のがらんだう
朝の鵙もうここいらで転ばうか
海市あり別れて匂ふ男あり
王子の狐火ゆうらりと昭和果つ
恃(たの)むものなし月光の針を呑む
以後の世を歩きつかれて雪女郎
画鋲挿す癌病棟の夏の壁
理由なき反抗獅子座流星群
梧鼠(むささび)がとぶ霊域の大月夜
後の世は知らず思はずねこじやらし
やさしさはずるさに似たり雲の峰
暇なのでひまはり奈落へと運ぶ
花嵐お手々つないで鬼がくる

2020年9月11日金曜日

【読み切り】圧倒されっぱなしの俳人の覚悟と生きざま 『秦夕美句集』(現代俳句文庫―83) 豊里友行

十六夜に夫を身籠りゐたるなり

帯の俳句が妙に私の脳裏にこだまする。
周辺の俳句を拾い読む。
判読しながら秦夕美の生きるベクトルに圧倒されていく。
「ふぶく夜を屍の十指ぬぐひけり」「寒紅をひくこのたびは喪主の座に」「雪原の果いつぽんの泪の木」「ただ生きよ風の岬のねこじゃらし」
あるがままに詠み込んでいく秦夕美の俳句に私は、惹きこまれていた。

誰も叫ばぬこの夕虹の都かな
ゆつたりとほろぶ紋白蝶のくに


「誰も叫ばぬ」「ゆつたりとほろぶ」の俳句にこの国を憂う俳人のアンテナが、時代を感受している。この俳人の中では、出色に見える俳句だが、私をきちんと丁寧に俳句に詠う力量は、社会へも実感を得た俳句として素晴らしい俳句を成している。

秦夕美と名のれば乱れとぶ螢
気負いなく自己をあるがまま詠う。
苺つぶす無音の世界ひろごれり
霜柱十中八九未練なり
花のおく太古の魚を飼ひにけり
白南風に仮面の裏の起伏かな
ままごとのお客は猫と昼の月
今生の光あつめ雛の家


この俳人の俳句をささえている丁寧な描写力は、観察眼と言い換えてもいい。
よく視ている。
よく聴いている。
よく心に感受している。
それは、とても素晴らしい感性の弦になっている。

ただただ圧倒された女性俳人の感性の弦を軸に人生を奏でる気概。
私は、俳句観賞するためにも、もっと人生を謳歌したい。
人生の先輩俳人たちが、のたうち回りながららも獲得して人生を謳うことへの嫉妬を拭いきれない。
しなやかに。
たくましくも繊細に。
力強く生きる。
俳句の奥域を広げて、深めて、真実を捉えていく。
そんな俳人たちに私は、これからも沢山たくさん精一杯のエールを贈りたい。
この同時代に生きて俳句を切磋琢磨していくエールを私も確かに受け取っている。
この俳人の情念を突き抜けた先を私は、もっと見てみたい。
共鳴句を頂きます。

貝がらをあやすのつぺらぼうの母
残照の鰭もつ子宮(こっぼ)泳ぎけり
念々ころり寝棺・猫又・願ひ文
とろり疲れてやさしい闇に吊柿
七草にまじへ啜るは何の魂
回想の雨のぶらんこ揺れはじむ
月浴びてゐる「わたくし」といふ魔物
雁風呂やわが情欲のさざなみも
乱鶯や乳首の尖がりゆく思ひ
花ざくろ老いても陰のほのあかり
何処へと問ひ問はれゐる鳳仙花
そして誰もゐない夕日の芒原
沈黙も寒のきはみの紫紺かな
椿一輪おく胎内のがらんだう
朝の鵙もうここいらで転ばうか

海市あり別れて匂ふ男あり
王子の狐火ゆうらりと昭和果つ
恃(たの)むものなし月光の針を呑む
以後の世を歩きつかれて雪女郎
画鋲挿す癌病棟の夏の壁
理由なき反抗獅子座流星群
梧鼠(むささび)がとぶ霊域の大月夜
後の世は知らず思はずねこじやらし
やさしさはずるさに似たり雲の峰
暇なのでひまはり奈落へと運ぶ
花嵐お手々つないで鬼がくる

2020年1月10日金曜日

【句集歌集逍遙】秦夕美・藤原月彦『夕月譜』/佐藤りえ

「夕月譜」は昨年11月にふらんす堂より刊行された。元になったのは昭和59年から63年まで、筆者である秦夕美、藤原月彦両氏が発行していた同人誌「巫朱華(プシュケー)」である。
 あとがきで秦自身が明かしているように、赤尾兜子主宰の「渦」で両氏は出会い、師亡き後、この超絶的共同制作をはじめたという。

「夕月譜」は約20センチ四方の一折り糸綴じの書物で、綴じ糸が本の背で結ばれ、ごく薄い不織布が遊び紙として用いられた典雅な外観をしている。
 超絶的、とは用いられた折句等のルールの厳しさゆえに冠する言葉であるが、技法そのものも作品といえる点からすれば、あまり詳細に内容を記してしまうのは無粋なことであるかもしれない。この稿ではいくつかの作品の紹介を試みたい。

「月光泥梨――雨月物語抄」はタイトルどおり「雨月物語」を題材とした13句。1句目は頭文字、2句目は頭から二字目、というように「月」の文字(そこのみゴチック書体が使用されている)が一句に1文字読み込まれ、13句全体で左下がりのたすき掛け状に並ぶ趣向となっている。「弓張月化鳥をまねく魔道かな」(「白峰」)「湖底にもあをき月射す夢の鯉」(「夢応の鯉魚」)「修羅関白殿風雅に月の宴かな」(「仏法僧」)など、「雨月物語」の各話を明確に下敷きとしながら、それぞれの句に必須の「月」は有機的に詠み込まれ、統一された世界観、緊張感のなかに夢幻の「月」を浮かび上がらせている。

「定家曼荼羅」は31句の俳句に、藤原定家の新古今和歌集収録歌「春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空」を句の頭に、「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」を句の掉尾に読み込んだ沓冠の連作。「春の夜の~」は1句目から、「見渡せば~」は31句目からスタートしている。つまり、それぞれの句の最初と最後の音はあらかじめ組み合わせが決まった状態で作句していったことになる。5句目と8句目は頭も掉尾も「の」である。5句目が「呪はしき綺語の華咲く紫野」、8句目が「野火の香の紅旗征戎化野(あだしの)の」。23句目と24句目はいずれも先頭が「る」、掉尾が「も」である(23句「類鳥の遥かに遠き羽撃きも」24句「累世を歌よむ家の哀れやも」)。制約の厳しさもさることながら、艶然たる語彙と古語によって紡がれた退廃的な世界が、定家の本義を異界から照射するような、奇観ともいうべき景色を見せている。

 ほか、芭蕉の「白芥子に羽もぐ蝶の形見哉」と雪月花を詠み込んだ「乱蝶――好色五人女」(この連作が集中最も難易度の高い超絶技巧を見せている)、杜牧の「山行」の折句「妖妃伝」など、めくるめく言語世界が閉じ込められたこの一冊は、しかし「どの句をどちらがつくっていたのか、完全に思い出せなくなっている」と藤原はあとがきにしたためている。「これは当時の秦夕美と藤原月彦の言葉に対する美意識が、一ミリのずれもなく一致していたことの証左だろう。」(同あとがきより)。互いの詩的世界が一致し、渾然一体となってしまう、そのような経験があるということに、驚きと同時に幾分かの羨望を抱く。

 言語遊戯的技巧は今日の言語表現—とくに短詩—の領域において、関心を持たれづらくなっているのではないか、と筆者は感じている。言葉の扱い方の巧緻より、直截な物言いであること、卑近な素材であること、とっつきやすいことなどが尊ばれているようにも感じる。
 しかし言語による表現が「伝わる」ことを目的の一に数えるのだとしたら、そこに技巧は不可欠なものに違いない。技巧が言語のためにのみ発揮されるようなこれら作品の軌跡も、言語表現の豊穣の一角を確かに担い、醸成しているはずだ。
 天上の遊戯ともいえるこれら作品が作られた奇蹟があったこと、それをふたつ後の元号となった今、一冊の書物として手に取れるのは実に喜ばしいことだ。言葉の奥義に触れたいという欲望のある向きには一読をお薦めしたい。

夕月譜(ふらんす堂)2019年11月11日刊