十六夜に夫を身籠りゐたるなり
帯の俳句が妙に私の脳裏にこだまする。
この「BLOG俳句新空間」でも秦夕美・追悼がアップされているので鬼籍に入られたのを私も知った。『秦夕美句集』の私の初見からただただ秦夕美さんの生きるベクトルに圧倒されっぱなしだったのを思い出す。
ふぶく夜を屍の十指ぬぐひけり
寒紅をひくこのたびは喪主の座に
雪原の果いつぽんの泪の木
私は、あるがままに世界を詠み込んでいく秦夕美の俳句に私は、惹きこまれていった。
吹雪く夜の屍の十本の指を拭ったり、寒紅を引いて喪主の座に就く。
雪原の果ての一本の泪の木となる秦夕美の悲しみの吐露も。
その所作に静かに夫の死への深い悲しみを俳句に詠み込む秦夕美の態度が浮かび上がる。
ただ生きよ風の岬のねこじゃらし
あるがままの秦夕美の態度は、自身の心もまたあるがまま詠み込んでいる。
ただ生きよ。その生命の讃歌の謳いぶりは、岬に吹き続ける風にそよぐまま揺れている猫じゃらしなのだろう。
この俳人の俳句をささえている丁寧な描写力は、丁寧に生きるこの詠いっぷりは、自己や周辺の世界をよく視ている。よく聴いている。よく心に感受している。
それは、とても素晴らしい感性の弦で俳句を詠み込んでいた。
誰も叫ばぬこの夕虹の都かな
ゆつたりとほろぶ紋白蝶のくに
「誰も叫ばぬ」「ゆつたりとほろぶ」の俳句にこの国を憂う俳人のアンテナが、暗雲の時代を感受している。この句集の中では、出色に見える俳句だが、私をきちんと丁寧に俳句に詠う力量は、社会へも実感を持った素晴らしい俳句を成していた。
秦夕美と名のれば乱れとぶ螢
苺つぶす無音の世界ひろごれり
霜柱十中八九未練なり
花のおく太古の魚を飼ひにけり
白南風に仮面の裏の起伏かな
ままごとのお客は猫と昼の月
今生の光あつめ雛の家
秦夕美と名乗れるのは、世界でたった一人の秦夕美である。
気負いなく自己をあるがまま詠う彼女のその乱れ飛ぶ生命の蛍の銀漢よ。
苺を潰す。苺ジャムでも作るのだろうか。そこには、無音の甘い匂いが漂う世界が広がっている。
霜柱に心を通わせながら足で踏むと十中八九の未練を身体の芯まで響き渡る。
花の奥に心の眼を凝らすと太古の魚を飼っているという。
仮面の裏の起伏を発見する観察眼に脱帽したいが、その仮面が白南風であるという。
溢れるほどのポエジーの世界がある。
ままごとのお客様は、只今、通過中の猫と昼の月。
この秦夕美の生きる世界の光を集めた雛の家にもなにかしら童話のような世界観が立ち現れる。
ただただ圧倒されたこの俳人の感性の弦を軸に人生を奏でる気概のようなもの。
私は、俳句観賞するためにも、もっと人生を謳歌したい。
人生の先輩俳人たちが、のたうち回りながらも人生を謳うことへの嫉妬を拭いきれない。
しなやかに。
たくましくも繊細に。
力強く生きる。
俳句の奥域を広げて、深めて、真実を捉えていく。
私は、そんな俳人たちにこの句集鑑賞でこれからも精一杯のエールを贈りたい。
この同時代に生きて俳句を切磋琢磨していく同志たちの精一杯のエールを私も確かに受け取っている。
この俳人の情念を突き抜けた先にある世界観を改めて詠み込みながら、心よりご冥福をお祈りいたします。
『秦夕美句集』から共鳴句をいただききます。
貝がらをあやすのつぺらぼうの母
残照の鰭もつ
念々ころり寝棺・猫又・願ひ文
とろり疲れてやさしい闇に吊柿
七草にまじへ啜るは何の魂
回想の雨のぶらんこ揺れはじむ
月浴びてゐる「わたくし」といふ魔物
雁風呂やわが情欲のさざなみも
乱鶯や乳首の尖がりゆく思ひ
花ざくろ老いても陰のほのあかり
何処へと問ひ問はれゐる鳳仙花
そして誰もゐない夕日の芒原
沈黙も寒のきはみの紫紺かな
椿一輪おく胎内のがらんだう
朝の鵙もうここいらで転ばうか
海市あり別れて匂ふ男あり
王子の狐火ゆうらりと昭和果つ
画鋲挿す癌病棟の夏の壁
理由なき反抗獅子座流星群
後の世は知らず思はずねこじやらし
やさしさはずるさに似たり雲の峰
暇なのでひまはり奈落へと運ぶ
花嵐お手々つないで鬼がくる