2024年4月26日金曜日

第224号

           次回更新 4/26


【広告】俳句新空間第19号・WEP俳句通信139号・俳壇年鑑2024年版・『戦後俳句史』  》読む

【募集】現代俳句協会・評論教室開催のお知らせ 》読む

【現代俳句協会youtube紹介】いまさら俳句第7「三協会統合論って何?」 
ゲスト:筑紫磐井 インタビュアー:後藤章  》読む


■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和五年秋興帖
第一(2/16)竹岡一郎・山本敏倖・杉山久子・仲寒蟬・関根誠子
第二(2/23)瀬戸優理子・大井恒行・神谷波・ふけとしこ
第三(3/8)冨岡和秀・鷲津誠次・浅沼 璞・仙田洋子・水岩瞳
第四(3/16)曾根毅・小沢麻結・木村オサム
第五(3/22)岸本尚毅・前北かおる・豊里友行・辻村麻乃
第六(3/26)網野月を・渡邉美保・望月士郎・川崎果連
第七(4/12)花尻万博・眞矢ひろみ・なつはづき・五島高資

令和五年冬興帖

第一(2/23)竹岡一郎・山本敏倖・杉山久子
第二(3/8)仲寒蟬・関根誠子・瀬戸優理子
第三(3/16)大井恒行・神谷 波・ふけとしこ・冨岡和秀・鷲津誠次
第四(3/22)浅沼 璞・仙田洋子・水岩瞳・曾根毅・松下カロ
第五(3/26)小沢麻結・木村オサム・岸本尚毅・前北かおる・豊里友行
第六(4/12)辻村麻乃・網野月を・渡邉美保・望月士郎
第七(4/26)川崎果連・花尻万博・眞矢ひろみ・なつはづき・五島高資

■ 俳句評論講座  》目次を読む

■ 第44回皐月句会(12月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

俳句新空間第19号 発行※NEW!

■連載

【抜粋】〈俳句四季2月号〉俳壇観測253 昭和99年の視点で見た歴史 ――昭和俳句史・平成俳句史・令和俳句史をたどる(続)

筑紫磐井 》読む

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり6 佐藤文香句集『こゑは消えるのに』 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(45) ふけとしこ 》読む

英国Haiku便り[in Japan](44) 小野裕三 》読む

【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句

 5.和紙の三つの時代 筑紫磐井 》読む

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】③ 豊里友行句集『母よ』より 小松風写 選句 》読む

句集歌集逍遙 筑紫磐井『戦後俳句史nouveau1945-2023——三協会統合論』/佐藤りえ 》読む

【連載】大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』を読む⑥ 一人の俳句の書き手・読み手として 黒岩徳将 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む
インデックス

北川美美俳句全集32 》読む

澤田和弥論集成(第16回) 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む

…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
4月の執筆者(渡邉美保)

■Recent entries

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス

葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【抜粋】〈俳句四季2月号〉俳壇観測253 昭和99年の視点で見た歴史 ――昭和俳句史・平成俳句史・令和俳句史をたどる(続) 筑紫磐井

 (前略)

平成・令和俳句史

 平成俳句史・令和俳句史(つまりリアルタイムな現在史)を書こうとする試みはないわけではない。長期間にわたる歴史観察は長くさえあれば、時評をつなげていっても見ることは可能だ。例えば、普通の俳句時評は1年ないし半年交代で様々な論者に執筆させているが、これを長い視点で続ければ自ずと俳句史が出来上がる可能性があるわけである。例を挙げて見よう。

 ➀「詩学」・俳壇時評:林桂1989-2003(15年間) これは『俳句・彼方への現在』(詩学社)として抜粋刊行している。

 ➁「俳句四季」・俳壇観測:筑紫磐井2003-2023(21年間) これは『21世紀俳句時評』(東京四季出版)として2013年までのものを抜粋刊行している。

 抽象的ではわからないから、それぞれの本で掲げられている面白い事件・事象・著書を眺めてみよう。(年数表示は原著に従う)


●林桂『俳句・彼方への現在』

乾裕幸「俳句の現在と占典」(1989.1)

小林恭二「俳句という遊び」の問い(1991.1)

飯田龍太「雲母」終刊の意味(1992.10)

「雷帝」創刊終刊号(1994.2)

筑紫磐井「飯田龍太の彼方へ」(1994.8)

復本一郎「俳句と川柳」(2000.3)

金子兜太「東国抄」(2001.6)

黒田杏子「証言・昭和の俳句」(2002.7)

川名大「モダン都市と現代俳句」(2003.1)

坂本宮尾「杉田久女」(2003.8)


●筑紫磐井『21世紀俳句時評』

七十代の冒険[星野麦丘人・吉田汀史](平成15・1)

新興俳句を読んでみよう![高屋窓秋・加藤郁乎](15・3)

鎌倉虚子記念館に行く[高浜虚子](15・4)

中岡毅雄よ、もっと有季を語れ[中岡毅雄](17・3) 

俳句は囗承詩である[鈴木六林男・桂信子](17・5)

俳句時評の書き方[林桂・田中裕明](17・6)

結社誌の時代は終わった?(18・2) 

『新撰21』新世代大いに語る(22・3)

東日本大震災を考える(23・6)

「俳句研究」の終刊(23・11)

俳句甲子園の定着(24・12)


 林桂『俳句・彼方への現在』は川名の本と同様新興俳句系の作家の動向に詳しい。筑紫磐井『21世紀俳句時評』は雑多で、伝統俳句や俳人協会系の事項、風俗的な事件まで含まれている。よって立つ俳句史観が異なることが大きいが、これらの時評が真理である必要はない、それは読者が自らまとめ上げるべきことだからだ。読者が考えるための心覚えのための年表であるからそれぞれの時代が浮かび上がることが大事だが、史観の違いはそれほど大きな問題ではない。少なくとも何の手がかりもない状況で、戦後や昭和を考えるわけにいかないから、その補助手段である。

 一例をあげれば、冒頭、青木亮人氏の発言を引用した中で、「現代俳句協会、俳人協会、日本伝統俳句協会に分裂したが、これらを「三派鼎立時代」と見なすようなーーあるいは見なすべきではない」と断定するためには、矢張り多くのディテールの詰まった、何らかの資料集が必要であろう。特にそれが、血湧き肉躍るような面白いエピソードが語られることは嬉しいものである。実は冒頭かかげた、楠本憲吉編『戦後の俳句 : 〈現代〉はどう詠まれたか』はこうしたことから見ても傑出した名著であった。文章練達の士が書いた歴史はこんなにも面白くわかりやすくなるのかと感心するほどである。 


【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり6 佐藤文香句集『こゑは消えるのに』豊里友行

  『新撰21』(共著、2010年、邑書林)は、21世紀にデビューしたU‐40世代21人による1人100句収録のたいへん話題を呼んだアンソロジー句集で、その若手俳人の1人である佐藤文香さんは、もうすでに刊行されていた第1句集『海藻標本』(2008年、ふらんす堂、宗左近俳句大賞受賞作品)で名を馳せていた。

  『新撰21』の佐藤文香俳句には、その第1句集『海藻標本』収録の「少女みな紺の水着を絞りけり」など名句も沢山あった。

 それらには、触れられていない2002年の第五回俳句甲子園の団体準優勝、最優秀句に選ばれた佐藤文香俳句もとても鮮烈な佐藤文香さんの代表句のひとつ。


夕立の一粒源氏物語


 葡萄ひと房のような夕立に遭遇する。それは、まるで源氏物語の恋物語のひと粒のようでもある。紫式部の『源氏物語』のような小説を書きたいと思い描きつつも書けない日々を過ごす私にとっては、17音の俳句に凝縮された佐藤文香俳句の鮮烈さにカメレオンのように舌を巻いたものだ。


 今年、2024年に刊行された詩集『渡す手』(新潮社)で中原中也賞受賞。

 同時期に『こゑは消えるのに』(2024年刊、港の人)を出版している。

 云うまでもないが花のある作家だ。

 今回の私の句集鑑賞は、この『こゑは消えるのに』なのだが俳句も、もちろん良いのだが、写真も掲載されていて良い感じなのだ。

 アメリカ句集とあるように2021年10月から2022年9月までの1年間、アメリカの西海岸、カリフォルニア州のバークレーに住んだと後書に記されている。


こゑで逢ふ真夏やこゑは消えるのに


 本句集名にもなるこの句は、俳句甲子園や『海藻標本』とは異なる「私」が濃厚に語り出しているように感じた。

 声で逢う。

 電話で恋人同士が真夏の時を惜しむように語り合う。

 作者の「こゑ(声)は消えるのに」と捉えたせつなさの感受性が俳句の器に掬い取られることで永遠となるような感じさえある。

 初期の俳句の鮮烈さよりも自己の感受性に向き合う時間がゆっくりと沈澱するように積み重ねられてきたのだろうか。

 熱いスープを冷ましながら唇へおそるおそる喉元を通り過ぎるような異国の地での俳句日記が、この句集の此処に確かな何かを佐藤文香さんの生きた証として存在させている。

 この句集の物語の私は、源氏物語の紫式部のような誰かの物語ではなく佐藤文香さんの物語なのだ。


湾に凩目を惑星に喩へ合ふ

教はりたる春を聴きたいように聴く

白鳥帰る君のからだの火照るとき

春川を走る試し書きのごとく

帰りみち見ましたね野兎を二度

逢う筈の人と画面に梨食みつ


 これらは、佐藤文香俳句の日記のようでもある。

 湾に凩(こがらし)を抱きしめるように逢瀬の目は、惑星に喩え合う。

 異国での2人の時間を過ごすのは、春を迎えるのを春を教わっているように感受したのかもしれない。「聴きたいように聴く」は、あの『新撰21』に寄せた佐藤文香さんの短文の「たくましく、率直に。いま一番いいと思うことを、言葉を。それも本気で。」を私は、思い出した。

 春川を走る。その試し書きの喩えも。

 帰り道に見た兎を二度も。

 この時期は、コロナ禍の暗雲立ち込める時期でもあり、そうした時期のパソコン画面のリモート上での逢瀬というには、梨をたべながらも。

 佐藤文香さんの俳句日記のようでもあり、俳句形式の器に注がれる刻々と移ろう時や輝きを持って私の人生として俳句物語を語られている。


にはとりのはぐれて一羽春の中

もぞもぞの植物にゐて囀れる

港から街までパレードは虹の

雪や地図に友らの生くる国散らばる


 俳句としても瑞々しい感性の結晶が顕著にうかがえる。

 鶏が群れからはぐれて一羽、春の中を舞う趣。

 もぞもぞの植物の中からも囀りが、まるでもぞもぞの植物が鳴くようにも。

 港から街までパレードを「虹の」で鮮やかに俳句の「切れ」が効果的だ。

 さまざまな国から地図の友との出会いを得ながらまたさまざまな国へと散らばる。

 多くの出会いの財産となったのだろう。


 この句集の後書きに「ほとんどの日、はやく日本に帰りたかった。」とある。

 アメリカ句集のなかで佐藤文香俳句の母語への眼差しは、本句集の収録に散りばめられている写真たちが効果的に俳句にも共振し合っているようだ。

そ のようなアメリカで詠まれた俳句たちの共鳴句を下記に記して置く。

 ますますの花盛りの俳人ならではのこれまでもこれからも今を丁寧に噛み締めて俳句語りが成熟していくのを期待して止まない。


懐郷病ここからもここからも海が見え

あらたしきもののすべてにライム絞る

走る栗鼠毎に尾の形その影

言ひ古す和語のいとしく冬の雨

馬面のながくやさしき夏野かな

アメリカの日落ちて夏の明るさよ

色色を咲かせて庭は夏が好き

カリフォルニアらしく乾いて夏落葉

マンゴーの皮肉したたる夜なりけり

作曲家ごとのてのひら夏のピアノ

牛肉を切れば厚さや夏景色

虫のこゑ我がアパートの石造り  


【募集】現代俳句協会・評論教室開催のお知らせ

 研修部では今年度より評論教室を新規開講します。

 評論を読むのは好きでもいざ自分が書くとなると何から始めればいいのか解らない、頼まれて書いてはみたが今一つ自信が持てない、そんな方も多いのではないでしょうか。この講座では三人の講師がそれぞれの視点で受講者に「書くヒント」を伝授します。

 評論初心者から評論経験者まで、どんな方にもためになる講座です。


日程:令和6年8月3日(土)・8月17日(土)・8月24日(土)全3回

   毎回講師、テーマ、内容は変わります。

   午後1時から4時まで


料金:3回分同一料金(1回から申し込み出来ます。ただし金額は変わりません)

現代俳句協会会員  5000円

    協会員外  10000円


お支払い

郵便振込またはペイパル(paypal)。

ご返信の際にお振り込み方法についてご案内致します。


会場:現代俳句協会 図書室(千代田区外神田6-5-4 偕楽ビル7階)


特典:受講者は現代俳句協会会員に限り、令和7年度評論賞の選考料無料


申込

令和6年4月10日より

氏名、所属結社、協会員・会員外の別、住所、電話番号、メールアドレスを添えて、往復はがきまたはメールで受付けます。


往復はがきの宛先:東京都千代田区外神田6-5-4偕楽ビル(外神田)7階 一般社団法人現代俳句協会研修部宛て


メールの場合:件名を「評論教室参加希望」とし、 こちら までご連絡下さい。


定員:各回15名(先着順)


内容

8月3日「評論とはどのような文学か」 講師:秋尾敏

1)文学の種類

2)評論の種類〈読み方の種類・書き方の種類〉

3)大切なこと

「これは評論ではなく感想文だ」という批評があります。

感想文でも鑑賞文でもない、そもそも評論とはどんなものか、その疑問にお答えします。


8月17日「評論執筆のヒント」 講師:筑紫磐井

1)どうやって評論のテーマを選ぶか。

2)効果的な評論執筆テクニック。

3)評論講座のフォローアップサービス。

評論のテーマは非常に重要です。自分の力量を見極めつつ、周りから「これは!」と思わせる評論とはなにか考えます。


8月24日「俳句評論は「文学」か? 論とツンデレの「あはひ」で」 講師:柳生正名

「俳句は文学である」桑原武夫が第二芸術論を唱えて78年。俳句関係者はもちろん、一般レベルでも、このテーゼに異論を唱える向きは今や少数だろうと思います。それならば、「俳句評論は文学か?」この問いに的確に答えられる人が今、どれほどいるでしょうか?今回は、読者の視点から「俳句評論」の文学的魅力の在りかたをあぶり出そうと考えています。その切口として、批評の「ツンデレ」性に着目し、読者が俳句評論に「何」を見、「何」を求めているのか、明らかにできればと。


講師紹介

秋尾敏

昭和25年生れ。「軸」主宰。現代俳句協会副会長。全国俳誌協会会長、千葉県俳句作家協会副会長、野田俳句連盟会長。評論集『子規の近代』(新曜社・平成11年)、『虚子と「ホトトギス」』(本阿弥書店・平成18年)、『俳句の底力』(東京四季出版・平成29年)等。平成3年第11回現代俳句評論賞、平成30年俳句四季特別賞、平成32年現代俳句協会賞。俳文学会、日本ペンクラブ、日本文藝家協会会員。


筑紫磐井

昭和25年生れ。「豈」発行人・「兜太TOTA」編集長。現代俳句協会副会長。評論集『飯田龍太の彼方へ』(俳人協会評論新人賞)『定型詩学の原理』(正岡子規国際俳句賞特別賞・加藤郁乎賞)『伝統の探求』(俳人協会評論賞受賞)『戦後俳句の探求』『季語は生きている』『虚子は戦後俳句をどう読んだか』『戦後俳句史nouveau1945―2023』等。編著『現代百名句集(10巻)』『俳句教養講座(3巻)』『新撰21』『超新撰21』等。

俳人協会評論賞選考委員、『俳句文学館紀要』編集委員、「日本現代詩歌研究」刊行委員、俳人協会俳句評論講座企画・講師。


柳生正名

1959年5月19日生れ。「現代俳句」編集長。平成に入り、大木あまりの指導で作句開始。その奨めで「海程」入会、金子兜太に師事。海程新人賞、海程賞受。「海程」終刊に伴い、「海原」同人・実務運営委員長。同人誌「棒」、創刊同人。2005年第25回現代俳句評論賞受賞、12~17年同賞選考委員。朝日カルチャーセンター新宿、読売・日本テレビ文化センター川口講師。句集「風媒」(14年・ウエップ) 評論「兜太再見」(22年・同)著書(共著)「現代俳句の100人」(04年・新書館)俳句総合誌「WEP俳句通信」に「子規と佛 子規の佛」を23年6月より連載中

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(45) ふけとしこ

   リスボンより

エイプリルフールリスボンよりメール

万愚節デコイの首に緑濃き

花時や机に並ぶ貸しミシン

薄濁りするは田螺のゐるあたり

影長く人の去りたる春の浜


・・・

 割れた器が置かれていた。

 絶句。

 私の留守中に家人が電子レンジに入れてしまったらしい。

 ちょっと古い物で気に入りの鉢、金継が施されていた。

 何でよりによってこの鉢を使ったのだ!

 かつて所属していた「船団」で、会員各自一人旅をして短文と俳句で参加すること、という企画があった。

 思案の挙句、智頭鉄道に乗ってみようと決めたのであった。新聞記事で「宮本武蔵駅」なるものが出来たと読んだのをかすかに憶えていたからである。新駅が出来たのか、名前を変えただけだったのか、もう記憶もあやふや。

 智頭は鳥取県の東部、岡山県との県境の町。古くには因幡街道が通り、備前街道と交差する所で宿場町として栄えたというが、一度も訪れたことのない土地であった。

 鉄道に詳しいわけでもないから、智頭鉄道の歴史もよくは知らない。名前に惹かれて宮本武蔵駅で下車してみようと考えてみたが、各駅停車しか止まらない。智頭なら特急「スーパー白兎」で、大阪駅から2時間ほどで行ける。これなら十分日帰りができるだろうと考えた。白兎とは「因幡の白兎」伝説からの命名だろう。

 実行。

 初めての町、智頭は杉の町だった。手入れのされた杉山は壮観であった。町並も懐かしい感じである。  

 旧街道沿いの家々は花を植えたり、水舟を備えたり、杉の町らしく杉玉や木工品なども飾ってあったり……気持よく歩けた。

 予備知識無く訪れたのだが、観光案内所でかつて日活映画で活躍された西川克己監督の出身地なのだと知った。

 その縁でこの町が『絶唱』のロケ地に選ばれたとのことで、古い教会の建物を利用した「西川克己記念館」なるものがあった。入ってみたが、全くの無人、少し心細い。

 映画の台本やポスター、当時のスナップ写真、撮影に使用されたカメラなどが展示されていた。

 『絶唱』は何度か映画化されていて、智頭で撮影されたのは舟木一夫・和泉雅子が主演したもの。写真では出演者もスタッフも、エキストラなどで協力した町の人達も、当然のことながらみんな若かった。

 ビデオの視聴も出来るようになっていたが、座り込んでいては時間が無くなる。

 裏通りへ回って製材所の跡地や小さい畑などをゆっくりと見て回った。

 帰りもまた特急「スーパー白兎」に乗った。

短 文と俳句を書くのが宿題というか、目的だったのだが、私はどんな句を作ったのだろうか。はっきりとは覚えていないが、時々製材所の俳句が出来たりするのはこの時の記憶の断片によるものである。

 件の金継の器は旅の記念にと、駅前の小さな店で買ったものだったのだ。


金継ぎに唇ぬくし星月夜  檜山哲彦


 先頃亡くなった檜山哲彦氏の最終句集『光響』にこの句を見つけて、思い出したことである。

 駅で声をかけてくれた老婦人が「遠い所へよく来られたねえ。ここはドウダンツツジがよくてなあ、つつじ祭りがあるんよ。今度はつつじの頃に来られるといいよねえ」と言われた。

 今頃はそのつつじの花の時期だろう。山間の町だから、一斉に咲くのはもう少し先になるのだろうか。

(2024・4)

【広告】俳句新空間第19号・WEP俳句通信139号・俳壇年鑑2024年版・『戦後俳句史』

●俳句新空間第19号 (2024年3月)

特集・コロナに生きてⅣ――皐月句会(令和2年)

評論特集

・【句集歌集逍遙】『戦後俳句史 nouveau 1945-2023』  佐藤りえ

・俳句の課題とは何だろうか  中島進

令和五年俳句帖(歳旦帖~花鳥篇)

前号作品鑑賞                 

・玄玄帖鑑賞    もてきまり 

・俳句新空間18号句評 小野裕三 

龍神帖(特別作品20句)     

網野月を・加藤知子・神谷 波・川崎果連・岸本尚毅・佐藤りえ・清水滋生・高橋比呂子・竹岡一郎・田中葉月・筑紫磐井・辻村麻乃・冨岡和秀・豊里友行・仲寒蟬・中西夕紀・中村猛虎・中島進・中嶋憲武・なつはづき・夏木久・ふけとしこ・堀本吟・前北かおる・松下カロ・眞矢ひろみ・もてきまり・渡邉美保


●WEP俳句通信139号(2024年4月)

特集<『戦後俳句史nouveau 1945-2023――三協会統合論』>を読む

 青木亮人 「俳句という詩型の蘇生」

 福田若之 「二冊の《俳句史》から」

 後藤 章 「表紙の謎 1969」

 角谷昌子 「『俳句通史』の醍醐味」

 川名 大  「『碩学』の方法をこそ」

 本井 英  「ほんとに怖いですよ」

 堀田季何 「書名通りの本」

 柳生正名  「『言葉そのもの』という橋頭堡」

 松田ひろむ「わたしの体験的俳句史」

ウエップ 2024年4月14日刊 1050円(税込み)


●俳壇年鑑2024年版(「俳壇」5月号増刊号)

鼎談 俳句史と言う視座ーー俳壇展望

    神野紗希/筑紫磐井/中村雅樹

2023年は、川名大『昭和俳句史ーー前衛俳句~昭和の終焉』、筑紫磐井『戦後俳句史nouveau 1945-2023』と言う俳句史の刊行が相次ぎました。そこで、俳句史を見直す動き、現在の俳壇、俳句の将来について、三氏に語っていただきました。

▼俳句史再検証の動き ▼「シン社会性俳句」と「オブジェクト俳句」 ▼苦難で始まった令和の俳句 ▼いかに詠むか、子育て、介護、老境 ▼新たな俳句の為の新たな枠組み

本阿弥書店 2024年5月1日刊 2800円(税込み)


●『戦後俳句史』広告


2024年4月12日金曜日

第223号

          次回更新 4/26


【緊急告知】黒田杏子一周忌の集い  》読む

【現代俳句協会youtube紹介】いまさら俳句第7「三協会統合論って何?」 
ゲスト:筑紫磐井 インタビュアー:後藤章  》読む


■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和五年秋興帖
第一(2/16)竹岡一郎・山本敏倖・杉山久子・仲寒蟬・関根誠子
第二(2/23)瀬戸優理子・大井恒行・神谷波・ふけとしこ
第三(3/8)冨岡和秀・鷲津誠次・浅沼 璞・仙田洋子・水岩瞳
第四(3/16)曾根毅・小沢麻結・木村オサム
第五(3/22)岸本尚毅・前北かおる・豊里友行・辻村麻乃
第六(3/26)網野月を・渡邉美保・望月士郎・川崎果連
第七(4/12)花尻万博・眞矢ひろみ・なつはづき・五島高資


令和五年冬興帖

第一(2/23)竹岡一郎・山本敏倖・杉山久子
第二(3/8)仲寒蟬・関根誠子・瀬戸優理子
第三(3/16)大井恒行・神谷 波・ふけとしこ・冨岡和秀・鷲津誠次
第四(3/22)浅沼 璞・仙田洋子・水岩瞳・曾根毅・松下カロ
第五(3/26)小沢麻結・木村オサム・岸本尚毅・前北かおる・豊里友行
第六(4/12)辻村麻乃・網野月を・渡邉美保・望月士郎

■ 俳句評論講座  》目次を読む

■ 第44回皐月句会(12月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

俳句新空間第18号 発行※NEW!

■連載

【抜粋】〈俳句四季2月号〉俳壇観測253 昭和99年の視点で見た歴史  ――昭和俳句史・平成俳句史・令和俳句史をたどる

筑紫磐井 》読む

英国Haiku便り[in Japan](44) 小野裕三 》読む

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり5 マブソン青眼句集『妖精女王マブの洞窟』 》読む

【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句

 5.和紙の三つの時代 筑紫磐井 》読む

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】③ 豊里友行句集『母よ』より 小松風写 選句 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(44) ふけとしこ 》読む

句集歌集逍遙 筑紫磐井『戦後俳句史nouveau1945-2023——三協会統合論』/佐藤りえ 》読む

【連載】大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』を読む⑥ 一人の俳句の書き手・読み手として 黒岩徳将 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む
インデックス

北川美美俳句全集32 》読む

澤田和弥論集成(第16回) 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む

…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
4月の執筆者(渡邉美保)

■Recent entries

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス

葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【抜粋】〈俳句四季2月号〉俳壇観測253・昭和99年の視点で見た歴史 ――昭和俳句史・平成俳句史・令和俳句史をたどる  筑紫磐井

 無事、令和6年を迎えた。ところで、令和の前に平成が31年続き、さらにその前に長い昭和時代があった。我々の歴史意識は、この昭和・平成・令和でぶつんと切れていて、余り整理された時間の流れが感じられずにいる。特に昭和は今もって素晴らしい時代・悲惨な時代として様々に語られるが、それだけ存在感が強い時代だった。しかし、平成・令和はそれは希薄だ。そこで昭和を基準に考えてみると、今年(令和6年)は昭和99年に当たることが分かった。さてこの昭和俳句史、戦後俳句史はどのようなものであったか。


昭和俳句史・戦後俳句史の試み

 青木亮人氏が「現代俳句の研究を思いたった時、或る困難に気づくのではないか。当惑と言ってもよい。まず、通史が存在しないのである。「現代」を昭和期以降として、昭和期全体を俯瞰した俳句史が見当たらない。特に戦後俳壇は現代俳句協会、俳人協会、日本伝統俳句協会に分裂したが、これらを「三派鼎立時代」と見なすようなーーあるいは見なすべきではないとする――史観が存在しないのである」(『昭和文学研究』(平成21年)の「研究動向・現代俳句」)と指摘している。確かに長く華やかだった昭和俳句史をだれもまとめて語ってくれていない。探してみると次のようなものぐらいであろうか。


〇『戦後の俳句 : <現代>はどう詠まれたか』楠本憲吉編著. 社会思想社 昭和41年(終戦から現代俳句協会の分裂後まで)

〇昭和俳壇史 松井利彦著 明治書院 昭和54年(戦後初期から虚子没年まで)

○『鑑賞現代俳句全集』(昭和56年立風書房)巻1「昭和俳句史(二)」坪内稔典[戦後から兜太・重信まで]


 しかしこれだけでは十分ではない。やっと昨年、川名大『昭和俳句史―前衛俳句~昭和の終焉』(令和5年8月角川文化振興財団刊)が出たが、それでも昭和30年代から昭和末年までというやや中途半端な切り口となっている。特に、昭和以後の俳句史が存在しないところが残念である。特色としては新興俳句系の歴史が多いことだ。


平成・令和俳句史(以下次号)


【緊急告知】黒田杏子一周忌の集い

令和5年3月13日に亡くなられた黒田杏子氏の一周忌を迎え、一周忌の集いが開かれることとなった。詳細は下記の通り。

杏子氏没後、6月11日件の会主催偲ぶ会が開かれ、8月に最終句集『八月』刊、9月17日藍生俳句会主催偲ぶ会が開かれ、6年2月25日一周忌を前に文京区本郷法眞寺にて納骨が行われた。墓には「花巡るいつぽんの杖ある限り」(句集『八月』)の句が刻まれている。


【一周忌の集い 趣旨】

  黒田杏子さん一周忌の集いのご案内


皆様におかれましてはご健勝にてぉ過ごしのことと存じます。

「藍生」主宰、「件の会」同人として、俳句へのゆるぎない信頼を根幹に活動してこられた

黒田杏子さんとの突然のお別れから、はや一年が経ちました。

一周忌を迎えるにあたり、ご遺族をはじめ多くの皆様のご協力のもと、

追悼文集『花巡る 黒田杏子の世界』が藤原書店より刊行となりました。

これを機に、左記の通り黒田さんを偲ぶ集いをもちたいと思います。

多数の皆様のご参集をお待ちしております。

   二〇二四年三月


発起人

坂本宮尾 筑紫磐井 橋本榮治 横澤放川 藤原良雄(藤原書店社主)

      

日時 二〇二四年四月十三日(土) 午後一時~(十二時三十分開場)

会場 アルカディア市ヶ谷(私学会館)「大雪」の間 

(JR・地下鉄「市ヶ谷」駅徒歩2分)

会費 七〇〇〇円(『花巡る 黒田杏子の世界』1冊含む)

 *当日は平服でお越しください。


【現代俳句協会youtube紹介】いまさら俳句第7「三協会統合論って何?」  ゲスト:筑紫磐井 インタビュアー:後藤章

   現代俳句協会youtube「いまさら俳句」で筑紫磐井が「三協会統合論って何?」のインタビュを後藤章氏から受けました。正味50分ほどの聞き取りとなっています。次のURLからご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=JC7dmw2BvwM


インタビューの際の用意したレジュメから前半部分の概要を紹介しておきます。


後藤:『戦後俳句史 nouveau1945-2023  三協会統合論』が上梓された。本の内容についてはいろいろ聞きたいことはあるが、本日は、何故俳句の協会というモノが存在してきたのかという点に絞って聞いてみたいと思う。


私(筑紫)としては協会や協会史に関心があったのではなく、「戦後俳句史」に興味があった。戦後俳句史は、拙著では<表現運動史>(第1部)と<俳壇史>(第2部)に分けて考えてみた。


➀表現運動:第二芸術とそれに対する反発→社会性俳句→前衛と心象伝統俳句 の一貫した流れを摘出した。

現代俳句協会の初期(分裂以前)は表現運動・表現史と俳壇史は合致していた。表現運動の代表者(兜太、重信等)=協会の幹事=ジャーナリズムである『俳句年鑑』の編集を担った。協会にとって幸福な時代であった。


➁俳壇史:しかしこうした表現運動史は昭和30年後半から40年にかけて中断してしまった(前衛と伝統以降の俳句表現運動は俳壇全体としてほとんど語られることがない)。それからは、俳句史=俳壇史となってしまったのである。俳壇史にあっては、協会史が大きな意味がありその意味で今日お話することもあると思う。


後藤:現代俳句協会は戦後まもなく俳人の生活をよくするために設立されて、著作権原稿料などを規定していた。しかしいつしかこの趣旨が変容していったが、それはいつ頃からでどのような事情によるモノだったか?


現代俳句協会の発端が原稿料問題であることは協会清記ではっきり書かれている。ジャンルは違うが、現代歌人協会(昭和31年設立)も「会員相互の生活を守る」とうたわれており、およそあらゆる文芸分野で終戦直後こうした問題が意識されていたのだろう。

しかし原稿料を稼げる人たちは、人数的にも限界があり、また原稿料を稼げる人たちの協会での活動みも限界があったのではないか。協会の機関誌「俳句芸術」も終刊、協会賞である茅舎賞も中断するようになった。開店休業となってしまったのである。

協会の活動を活発化、拡大するためには大量の会員が必要で、かつ若い世代である戦後派を導入することが必要となり、27年・28年に戦後派作家が大量に入会した。

原始会員(38人)と新参加会員を比較してみると面白い。原始会員は戦前派であり表現傾向から言うと人間探求派と新興俳句、新参加会員は戦後派であり表現傾向から言うと社会性派と前衛派と言える。これにより戦前はと戦後派に分離するようになった。つまりまず世代対立が生まれたのである。しかしだからと言って思想対立にまでは至っていない。

問題は、世代対立はどのジャンルでも、どの業種でもあったが、なぜ現代俳句協会だけは分裂しなければならなかったかということである。分裂以外の選択肢はなかったか?が疑問である。


後藤:現代俳句協会の分裂の真相は大事なことだが、筑紫さんの本では、その分裂は非常に属人的要因でハプニングのように行われたものと感じるがどうか? この辺の事情について筑紫さんの考えを聞きたい。


俳人協会独立の経緯を申し上げたい。ただ、今まで、現俳協の主張は現代俳句協会の中の資料でもっぱら論じられていたようだが、私は、俳人協会の内部資料も使ってみた。


【昭和36年】

その始まり

9月26日、第1回現代俳句協会賞選考委員会(選考委員会は都合2回行われた)が開かれた。第1回では、会員から推薦された多くの候補から予選候補を選ぶ作業であり、その結果、石川桂郎(52)がトップを占めた。しかし従来の受賞者が大半が30代であり、もともと現代俳句協会賞の性格が新人賞であったから、議論の結果、僅差で桂郎を協会賞から外す決定をした。

その直後、日付不明であるが、角川源義から当時無所属であった安住敦に俳人協会発足の打診があった。

10月16日、第1回俳人協会発起人大会が開かれ、事務所の場所(角川書店内)、幹事制の採用、会長・顧問人事の決定、俳人協会への呼びかけ等が決定された。つまり、この時点では現代俳句協会賞の決定はされておらず、桂郎が候補から外されたこと(つまり世代対立)を以て俳人協会の発足が決まったのである。

10月31日、第2回選考委員会が開かれ、最終候補者は飴山実・赤尾兜子であったが、採決により兜子に決定した。ただしこの時、幹事長でありかつ選考委員長である草田男は欠席、俳人協会設立を主導した波郷、三鬼、源義らも欠席し、サボタージュした。飴山実の支援者が出席しなかったのであるから、受賞が兜子になったのは当然である。

11月16日、第2回発起人大会、直後、幹事会を開催し、俳人協会清記を決定し、俳人協会賞を桂郎に決定した。

11月16日以降、兜太らに情報が洩れるが、彼らは特に過剰な拒否反応はしていない(兜太日記等)。

言っておくが、三鬼、波郷、源義が当初作成した俳人協会清記原案(その後長く俳人協会の憲法となったが)は、➀伝統を基盤とすること、➁親睦団体とすることがポイントであった。当時現代俳句協会内では、内部団体を結成することは禁止されておらず、すでにいくつかの団体・会合が設置されていた。兜太らが俳人協会の設置に反発しなかったのはこうした理由があったためである。


➁大きな転換

12月4日、草田男が朝日新聞に寄稿し、現代俳句協会の運営は前衛作家で占められ、現代俳句協会賞も彼らの志向で決められた、従って、伝統俳句を守る俳人協会を設置し、敵対独立する旨の宣言をする。(11月16日に決定した俳人協会清記にはこのようなことは何も書かれていないので草田男の独走である)

12月16日 草田男の朝日新聞の記事に対し、現代俳句協会は声明を発表する(俳人協会の本質を草田男の朝日の言葉だけから誤解し過剰反応したと思われる)

12月19日以降、現代俳句協会幹事会は草田男幹事長に不信任(これは当然)。三鬼、源義、登四郎幹事を問責する(これはやりすぎか)。

12月21日俳人協会総会が開かれ、重要な事項が付議されたが、採択されなかった

*脱退か残留か(一律に脱退を求める人もいたが、結局は各人の自由意思で決めればよいとなった)

*現代俳句協会声明に対する反対決議(幹事会預かりとし中止)

*組織拡大(条件付き入会は認めるが、積極的勧誘はしない)

このように、草田男が意図した方向には当初向かっていかなかった。そんな事情もあってか、草田男は俳人協会設立の6か月後に会長を辞任し、秋櫻子が第2代会長に就任した。


以下省略。詳しくは、youtubeをご覧いただきたい。 質問のみ掲げる)


後藤:世代更新は現代俳句協会の分裂と関係があるのか?その分裂が思想対立の様相を呈してしまったからなのか?それが俳人を縛り始めて、その所属する協会の立場で考えるようになったからなのか?


後藤:そこで問いたい、平成無風と言われてから今日までの状況は俳句界に取って決して良いこととは思えないが、どう感じているか?仮に協会が統合した場合、この状況は解決するか?


英国Haiku便り [in Japan] (44)  小野裕三


「モノ句」の謎を追う

 haikuを論じる英語の文章に「monoku」という言葉をときおり見かける。「monoku」の「モノ」はギリシャ語由来の「単」を表す接頭辞。「ク」は俳句を表す「句」。英語のhaikuは、三行詩の形態をとることが定着しているが、それに対してmonokuは一行で書かれ、haibun(俳文)やrenku(連句)と並びhaiku文芸のサブジャンルと受け止められている。米国の俳人ジム・ケイシアンの造語らしいが、現象としては七〇年代頃から見られたとか。一行俳句(one-line haiku)などとも呼ばれる。

 nightfall the key turns into a blackbird  Alan Summers 

 夜が来る 鍵は黒鳥になる

 だが、この話を聞いて日本の俳人の多くが、「え、でも俳句は一行で書くのが普通だよね?」と思うだろう。実際、三行で書かれた英語haikuは日本の俳句に比べて情報量が多くなりがちで、そのことも含めてmonokuはhaikuを俳句に近づける原点回帰とも見えるし、そう受け止めるhaijinもいる。

 そしてここで面白い事実がある。

 一つめは、monokuのような一行詩は、西洋語にhaikuが伝わる以前から脈々と存在していたらしいこと。monostichとも呼称され、米国のホイットマンやフランスのアポリネールもそんな一行詩を書いたとも言われ、あたかも西洋詩に潜在する俳句的な系譜のようにも思える。

 二つめは、多行詩を通常とする西洋詩の歴史において、monokuという特異な形式はいかにも前衛的な雰囲気を濃厚に放つこと。実際、ギンズバーグなど革新的な詩人が手を染めている。日本では、俳句を多行形式にすることが実験だったが、逆に西洋ではhaikuを一行にすることが実験となったのは面白い事実だ。それは極論すれば〝現代詩の実験場〟のような様相を呈して、英語の用法の隙間を突いたような興味深い試行が次々と行われてきた。例えば、あえて全単語を繋げて書いた実験的な句さえある。

 Tryingtomakeheadortailofanearthworm  Rafal Zabratynski

 ミミズをなんとか理解しようとする

 monokuの特徴として、あえて文法的に判然としない構造にして一句に複数の意味やイメージを孕ませたり、動詞を入れずに一文を作る効果を狙ったり、ということがよく行われる。

 と、それを聞いて、「それ、日本の俳句もよくやってることじゃない?」と日本の俳人は再び思うだろう。そう、monokuはいろんな意味でhaikuを俳句に近づける試みであり、しかもその過程で俳句形式が本質的に持つ実験性・前衛性が顕わになるかのようで、かくして日本の前衛俳句以上に実験的野心に満ちた創作現場となったのが「モノ句」だと言える。

※写真はKate Paulさん提供

(『海原』2023年5月号より転載)


【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり5 マブソン青眼句集『妖精女王マブの洞窟』豊里友行

  マブソン青眼氏より句集『妖精女王マブの洞窟』(マブソン青眼、2023年6月刊、本阿弥書店)を寄贈いただく。

 フランス生まれのマブソン青眼(せいがん)俳句を眼にしたのは、やはり俳誌「海程」での金子兜太先生の選の常連の同人だったことから私の注視する俳人のひとりだった。

 今回の句集も格調高く海外滞在経験の無い私には、読み手として俳句鑑賞の力量の無さはあるが、私なりの共鳴句を鑑賞したい。


七夕は体外受精説明会

胎児いま小海老ほどとや大地凍つ

妊婦には心拍ふたつ深雪かな

胎児いま宙返りとや鳥雲に

花は葉にベイビーベッド組み立て中

熱帯魚熱帯魚熱帯魚と妊婦かな

入道雲 陣痛ごとに来ては去る

生(あ)れし児の笑みのふるえに青田波

子を見つめ子に見つめられ大西日


 私は、特に子どもの誕生の一連の俳句にマブソン青眼俳句の粋を感じ入る。

 七夕の日に体外受精説明会という取り合わせ。現代俳句に生命の現代性を取り込む力作だ。

 胎児がいま、小海老ほどだと云う。この大地が凍りつこうというのに脈々と生命の誕生に妊婦と胎児の心音ふたつを感じ入る俳人が居る。

 胎児の宙返りと鳥雲の季語もきらりと活きている。

 花は葉になるというのにベイビーベッド組み立て中のユーモア。

 水槽越しに眺めているかのような熱帯魚のリフレインの中に妊婦が居る。

 入道雲の生命観と妊婦の陣痛ごとに来ては去る右往左往ぶりの父なのだろうか。入道雲に生命の期待感が押し寄せてくる。青田波の生命感。

 子を見つめている。子に見つめられている。至福の大西日ですな。

 他の共鳴句もいただきます。


銀漢の重さに耐えて糸蜻蛉


銀漢とは、銀河のこと。その銀河の重さに耐える糸蜻蛉の感受性に俳人としての慧眼がある。金子兜太先生の詩魂を受け継ぐ俳人のひとり。


枯柳これほどやさしく死ねるか

くちばしが銃より太き鴉かな

蟲の音の裏が無音の宇宙かな


枯柳のこういう感受性は、好きだな。

鴉の存在感のある俳句。素晴らしい。

蟲の鳴き通す裏側に無音の宇宙を見出す俳人の業に舌を巻く。


戸籍謄本われにはあらずいわしぐも

選挙終えセシウムしみる枯野かな

マスクしても異人と覗(み)られ花薊


 日本で生まれた俳句という表現領域の形式に囚われることなくマブソン青眼俳句の自由奔放な表現形態を模索している。

 その日本社会の違和は、日本社会の歪を顕著に捉えたかつての社会性俳句の新たな進化なのかもしれない。

 これまでに培った俳句形式も活かしつつも無垢な青眼によって新たな俳句の領域を拡大していく豊穣なる俳句の開拓地を切り拓くことを切に祈る。

 素晴らしい句集『妖精女王マブの洞窟』(マブソン青眼、2023年6月刊、本阿弥書店)の心意気をありがとうございます。  

2024年3月22日金曜日

第222号

         次回更新 4/12


【 祝 第38回俳人協会評論賞受賞!】
大関博美著『極限状況を刻む俳句――ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』(2) 
》読む


■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和五年秋興帖
第一(2/16)竹岡一郎・山本敏倖・杉山久子・仲寒蟬・関根誠子
第二(2/23)瀬戸優理子・大井恒行・神谷波・ふけとしこ
第三(3/8)冨岡和秀・鷲津誠次・浅沼 璞・仙田洋子・水岩瞳
第四(3/16)曾根毅・小沢麻結・木村オサム
第五(3/22)岸本尚毅・前北かおる・豊里友行・辻村麻乃


令和五年冬興帖

第一(2/23)竹岡一郎・山本敏倖・杉山久子
第二(3/8)仲寒蟬・関根誠子・瀬戸優理子
第三(3/16)大井恒行・神谷 波・ふけとしこ・冨岡和秀・鷲津誠次
第四(3/22)浅沼 璞・仙田洋子・水岩瞳・曾根毅・松下カロ


■ 俳句評論講座  》目次を読む

■ 第44回皐月句会(12月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

俳句新空間第18号 発行※NEW!

■連載

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】③ 豊里友行句集『母よ』より 小松風写 選句 》読む

【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句

 5.和紙の三つの時代 筑紫磐井 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(44) ふけとしこ 》読む

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり4 佐怒賀正美句集『黙劇』 豊里友行 》読む

【抜粋】〈俳句四季1月号〉俳壇観測252 作句の在り方と批評のありかた――高橋睦郎氏の黒田杏子批判

筑紫磐井 》読む

英国Haiku便り[in Japan](43) 小野裕三 》読む

句集歌集逍遙 筑紫磐井『戦後俳句史nouveau1945-2023——三協会統合論』/佐藤りえ 》読む

【連載】大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』を読む⑥ 一人の俳句の書き手・読み手として 黒岩徳将 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む
インデックス

北川美美俳句全集32 》読む

澤田和弥論集成(第16回) 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む

…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
3月の執筆者(渡邉美保)

■Recent entries

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス

葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句   5.和紙の三つの時代  筑紫磐井

  すでに述べたように『和紙』は昭和23年から44年までの長い期間の作品をおさめている。このため、全体を眺める前に読者としても一応その時代区分を考えてみた方が理解し昜いのではないかと思う。たとえば翔俳句の抒情性についてはまず発端の数章が、洒脱自在な作風については後半がよくその特色をあらわしている。こうしたものを著者の志向、生活環境の変化等から見てゆくと大まかな和紙の時代区分が浮び上って来るようである。そして、これを比較することによって案外変ることのない翔俳句と見られていたものが大きなうねりをもって動いていることにも気づくだろう。


➀ 「新人時代」(昭和23年~30年)

 文字どおり、新人として、一躍馬酔木の上位を奪ったときから、能村登四郎、藤田湘子と併せて「新人三羽烏」と袮され巻頭争いに熾烈を極めた時期を経て、馬酔木の若手同人として評論、指導等多彩な俳句活動を示し始めた時期までを指す。これはまた、能村登四郎の『咀嚼音』、藤田湘子の『途上』の時代とも重なり合う時期であり、若手作家に共通したみずみずしさを秘めるとともに、その後の俳句の原点をなしている時代であった。


  竹馬に土まだつかず匂ふなり     (23年)

  ものの芽をうるほしゐしが本降りに

  富む家にとりかこまれて住めり冬      (24年)

  昂然と今無為ならぬ懐手

  寒苺買はずに戻り忘れ得ず     (26年)

  裸子よ汝も翳もつ肩の骨

  末枯のけぶらふ涯を想ひ見る     27年)

  冬虹よ恋へばものみな遠きこと


 特に、重要なのは、これらの句が新鮮な抒情という形容の下に一つに括られかねないのだが、注意深い鑑賞者であれば年ごとに著者の新しい志向に気づくということである。初期にとりわけ顕著だった俳句的技法を踏まえた潤うような抒情性から、一転生活諷詠風に、己に執したスタイルをとり、やがて生活や家族の陰彫にふれて心象風の新しい現代俳句を確立してゆく。そこにはストイックなまでの、著者の新しさを求める姿勢がうかがえるのである。


➁ 「旅吟大作時代」(昭和30年~38年)

 『合掌部落』が俳壇で社会性俳句のーつとして喧伝されていたころ、林翔はひとり、「この旅は、自己及び周囲の者のみに向けていた登四郎の眼を広く外界に向けさせたという点で意義を持つ」という卓見を述べられたことがある。社会性俳句も過去のものとなった今日、『合掌部落』が猶高い評価を得ていることを思えば、正鵠を得た言葉と言わざるをえない。しかし、面白いことには正しく同じ言葉にあてはまることが翔俳句にもあったことで、これは昭和30年発表された「北海道新秋」という特別作品であった。

 これまで大きな旅行吟を発表したことのなかった著者が初めてとりくんだ大作(51句)でありその評価も高かった。謙虚な人がらと評された著者であるが、この好評を受けて以後意欲的な大作が目立つようになる。自然詠では「長野県開拓村」、「コタンの旅」、「新野の雪祭」など.また社会性俳句の影響も若干受けたと思われる千葉浦安の海苔不作といり異色の素材をあつかった「貝死なず」など、そのスヶールを格段に大きくしてゆく作品が作られていった。


  聖時鐘蜻蛉ら露を啣へ飛ぶ

  聖水冷えびえ室は寝るのみ祈るのみ

  揣ぐや直ぐ口に泡立つ青林檎

  嬰児ひとり寝せられ風のねこじやらし

  冬日に干す籠に縋りて貝死なず

  まき籠の長柄犇き雪を呼ぶ


③「和紙の時代」39~44年

 次の時代をいつのころから始まるとするかは大分異論のあることと思うが.例えば次のような句にその兆しを見ることも出来よう。


  弾き疲れの子と春月と何ささやく

  「おはよう」を胸が噴き出す泉の辺


 この時期、翔俳句は前二期の作風を残しつつも「秋風の和紙の軽さを身にも欲し」の句に代表される、軽やかな心が句に見え出して来た時期だったのである。勿論それを軽率に「軽み」だなどと言えないことは


  橄欖を投げたき真青地中海

  思はざる一歩がつよし朝ざくら


など老いて初めて判る軽みとは別な若々しさを示す句がいくらでもあることからも明らかであろう。故福永耕二はその後の句風を軽妙自在な諷詠を示す傾向と言っているが、私自身軽妙という言葉は必ずしも承服しがたいが、自由への志向を意味する「自在」とは和紙後半の作風を示すのに最もふさわしい言葉であると思う。俳句を作ろうとするはからいのない、思いがさりげなく十七字となって生まれる翔俳句の特徴をよくあらわしていると思うからである。


  ひあふぎやドアの鐘振る郵便夫

  白桃のかくれし疵の吾にもあり

  茫洋と女体ぞ厚き大南風

  穂芒やそれより白き恵那の雲

  いつも人無き焼跡の整ひゆく

  汗しとど写楽の目して囗をして

  俸給の薄さよ落葉と舞はせたし


 こうした句によって、掉尾に波郷追悼の句をすえながらも句集全巻にほのぼのとした明るさを漂わすことに成功しているのである。


【豊里友行句集『母よ』を読みたい】③ 豊里友行句集『母よ』より 小松風写 選句

・さみしさの鮫が近寄る昼寝覚 

・貌や翅を呑み込む蟻の銀河系

・丸ごと遺品のおきなわ慰霊の日 

・ぐいぐいと命を伸ばす蝸牛  

・息を呑む吹奏楽の蝉しぐれ  

・爆心地を弾くほど泣く赤ん坊

・若夏が沁みる埋立だらけの島  

・戦争の眼を綴じ込める蝶の翅  

・老いる母を織り成す小夏日和  

・地球を描く縄跳びの子らの虹  

・虹を弾くニライカナイの甘蔗穂波  

・おきなわの弦は丸ごと花ゆうな  

・年の瀬を越えて行くんだ葱坊主  

・しら波の子ら鬼餅寒の舌を巻く  

・蠅一匹生まれる此処は我が孤島  

・立春の文庫本サイズの孤独  

・蛍烏賊の我らスマートフォンの海  

・ういるす籠りの母の孤独と語り合う  

・虹色の川になるパラソルの子ら  

・抱きしめた島は丸ごと南風  

・命どぅ宝が大事な私とうがらし  

・みなマスクの子らの視線さくらんぼ  

・性欲が明るい蔓の熱帯夜  

・喜怒哀楽も刻んで苦瓜ちゃんぷるー 

(小松風写 選)


  写真家の小松健一(こまつ けんいち、1953年 - )氏は、写真界で名を馳せる。写真集『雲上の神々-ムスタン · ドルパ』で1999年の第2回藤本四八写真文化賞。2005年の『ヒマラヤ古寺巡礼』で日本写真協会賞年度賞など多数受賞歴がある。近作の小松健一写真集『琉球OKINAWA』(2022年5月15日刊・本の泉社)は、1998年の「琉球-OKINAWA」で第23回視点賞受賞をずっとあたため続けた情熱の結晶化された作品。その他にも私、豊里友行の好きな「石川啄木 光を追う旅」(1996年刊、碓田 のぼる氏との共著)や「宮沢賢治 修羅への旅」(1997年刊、三上 満氏との共著)でも写真家の写真による文学の影像化の真骨頂は、「写真・日本文学風土記」作品シリーズとしても情熱の持続がなされていている。

 俳句では高島茂に師事「獐」同人、伊丹三樹彦、中原道夫に師事「一滴(しずく)」同人、短歌では碓田のぼる、馬場あき子に師事。(文責:豊里友行)


【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(44) ふけとしこ

    榛の花

雨垂れを受けん椿の紅をもて

くちびるにくちびるの味春の鳥

電線も古巣も雨を受けきれず

榛の花垂れて水辺のきらめきて

春泥や間に合はぬとは知りつつも


・・・

 青と赤のこと。

 駅前で郵便ポストを探した。ここにあった筈……。あった! でも、これ、本当にポストなの? 

 今まで赤いポストがあった所に青いポストが立っているのだからちょっと疑った。どう見ても形はポスト、口はちゃんと2つある。というわけで投函したのだが。

 後日聞いたところでは、青というのはJリーグ「ガンバ大阪」のチームカラーだとのこと。その「ガンバ大阪」のホームタウンは大阪府吹田市である。故に「ガンバ大阪」のある町ということを市を挙げて意識してゆこう、市民こぞってチームを盛り上げようではないかとの運動の一環として、郵便ポストをチームカラーにラッピングしたということのようだ。

前から横から眺めてみると青と黒の基調にエンブレムやマスコットキャラクターや「My Town My GANBA」の文字やらが描かれている。

 吹田市内では市役所前をはじめとする10か所のポストをラッピングしてあるそうだ。私が利用するのは月に一度訪れる阪急電車北千里駅のロータリー前のポストだけなので、他は全く知らないのだが。

 でもポストをこんな風に自由にできるとは知らなかった。手続きなど色々あるのだろうけれど。


 今の町へ引っ越してきて2年半になるが、越してすぐに道端に置かれた赤いベンチに気が付いた。

 3人掛けられそうだが、2人で丁度いいぐらいの可愛いベンチである。よく見ると「赤いベンチプロジェクト」とのプレートが付いている。スーパーの前、神社の境内、道路沿いなどに置かれていて、休憩などに自由に使ってもよさそうな雰囲気である。

 このベンチが置かれたのは、脚を骨折された方が、しばらくの間松葉杖の生活になった。通院時などにその不自由さに疲れて、休める所を探したが見つからない。ちょっと休みたいときに、座れる場所がないのは辛い。このことから、ベンチを置くことを思いついた、それが始まりだったとのことである。

 その呼びかけに応えた人たちが集まって、資材、大工の経験、塗装の技術などの提供があり実現したとのことである。

 現在、私が知っているのは4台だけだが、全部で10台のベンチが置かれているのだとか。

 高齢の人が多いけれど、座って話し込んでいる人や、買物の整理などをしている人を見かけることもあり、有意義に利用されているようである。

(2024・3)


【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり4 佐怒賀正美句集『黙劇』 豊里友行

 句集『黙劇』の佐怒賀正美俳句を読みながらガツンと確かな手ごたえで俳句の未開拓地へ踏み込んでいることに立ち合うようだ。


ながしこむ宇宙のかたち寒卵


 作者の感性の瑞々しさと575の定型のリズムに現代社会の日常から希望の光を見出そうとしている。

 寒卵の楕円形の形がある。

 そこに流し込まれる宇宙の胎動と息吹を具体的なメタファー(隠喩)によって宇宙のかたちを創造した秀句だ。


顔認証でひらくあらたまの宇宙


 顔認証とは、顔かたちに基づいて個人を認証する方式のこと。現代社会では、施設の出入りにおけるセキュリティ管理などで役立てられていて監視カメラなどで活用される。

 此処では顔認証で開かれる自動ドアにも新年の始めの宇宙感を感じ取れる。

 だが「あらたま」を新年として解釈せず人材の発掘として解釈してみると別の俳句が立ち現れてくる。

 顔認証で切り拓かれた新たな社会に適合できる人間だけを選別していく宇宙が拡がっているとしたらどうだろうか。

 この俳句には、未知なるコンピューター社会、AI知能による管理社会の到来への危惧も含まれているようにも受け取れる。


かたつむり窮屈スマホの縦画面


 カタツムリの伸縮は、まるで新体操のしなやかな肢体による芸術のようだ。

 そんな蝸牛でさえ窮屈に感じてしまうスマホの縦画面があるそうだ。

 スマホの縦画面を作者も窮屈そうに指を滑らせずらそうにしている。


タワーマンション一晩で食ふ百の桃


タ ワーマンションとは、一般的に20階以上の超高層マンションをいい、居住者は、プライベートレストラン、食事やイベント用の屋外テラス、23Mの屋内スイミングプール、ジム、サウナ付きスパ、スチーム、マッサージルーム、ライブラリーなど充実した共用設備が設けられているタワーマンションもあるそうだ。

 まさに超富裕層用の住居となって今、若者の憧れの居住地でもあるようだ。

そ んなタワーマンションの視界には、さぞかし現代人の生活圏とは違う星屑の街が見渡せるのだろう。

 サービスにスイート内での食事とルームサービス、コンシェルジュなどそこからどれだけの食生活が繰り広げられるかは想像したこともない。

 一晩で百の桃を食らう。

 そんな現代社会の風貌が百の桃のメタファー(隠喩)に込められているのだろう。

 まるでスタジオジブリの世界のような風刺とユーモアを内包していている俳句だ。


節分の鬼にも見せる赤ん坊

白南風や足で応へる赤ん坊

あらたまの奇声のりのり赤ん坊


 私は、この赤ん坊の句も大好き。

 地域の節分で鬼の面の誰それさんも知った顔です。節分の鬼にも見せる赤ん坊への愛くるしさが満ち溢れている。

 白南風とは、梅雨明けの時期に吹く南風のこと。爽快な夏の知らせを赤ん坊は、足で応答しているようだ。写実の確かさも達人ならでは。

 赤ん坊の新年の奇声は、のりのり。言葉の鮮やかさと眼に入れても痛くないほどの赤ん坊ですよね。


蛇穴を出でて理不尽なる爆死

侵略兵どもにかげろふ粘着せよ

地球いつも戦まじりや夜の虹

ひなげしや空の渚を兵器飛ぶ

蟇鳴くや不条理の世の断裂に

いくさ数多さりとて虹も無尽蔵


 作者の戦争への抗いが怒濤の怒りと共にマグマのように溢れ出す。

 どれも俳句の骨法に乗っ取っていて的確。

 蛇穴を搔い潜ってきたのに理不尽な爆死が待ち受けていた。そこには、死が身近に巣食う戦場がある。

 侵略兵への抗議を蜻蛉たちの束の間の命の饗宴をぶつけるように命まみれにする。

 そこには、戦争によって人間が人間でなくなることで麻痺した命の大切さを覚醒させようとする俳人の戦争への抵抗が見出されている。

 戦の絶えない地球には夜の巨人のごとく虹が彷徨っているのだろうか。

 可憐な雛罌粟の花と空にある渚を兵器が飛び交う無常さ。

 ひきがえるの鳴き声は、不条理の世の断裂の裂け目から聴こえるようだと感受する。

 星空のように戦は数多に繰り広げられていようとも虹も無尽蔵と言い切る。虹は、国境を超えて人と人の心の架け橋にもなるだろう。


春の夜や画面にあへぐ一角獣


 春の夜の家のパソコン画面を覗いてみると喘ぐように一角獣を棲息している。

 現代社会のパソコン画面のスクリーンセーバーのいち場面の写実。

 だが、絵画でいうシュルレアリスム(超現実主義)とも違い写真のような写実を追求しているスーパーリアリズムとかでもないのに現実のリアリティーもありつつ現実にはあり得ない世界が立ち現れるような世界が創造されて秀句だ。


出ては隠れ月の兎に新たな仔

吹抜けを彩ひてホログラム滝よ

地上絵のごとく鮟鱇ぺつたりと

黴一面しばらく星図めくままに


 月に棲む兎の仔の発見。

 吹抜けのホログラムの滝。

 黴一面の星の図。

 地球の地上絵のような鮟鱇の存在感。

 特筆すべき点は、写実に止まらない観察眼と感性の徹底的な練磨による超リアリティーを内包している。これらの観察眼には、現代俳句の大きな岩がまた僅かずつ前進するように動いたように私には、感じられた。


恐竜も鬼神も遊ぶ子の柚子湯

冬の大型ビジョンに獣めく星雲

ビル包む鉄骨ブルース初日の出


 ビルを組み上げていく鉄骨ブルースと初日の出。

 遊ぶ子の柚子湯や獣めく星雲の比喩の斬新さだけでなく徹底した観察眼に裏打ちされつつも俳句の醍醐味であるずばり物の本質を云い切れる佐怒賀正美俳句の力量は、並々ならぬものがある。

 そしてこのように大きな俳句の仕事を成していく俳人たちの俳句には、「座の文学」の力があるように私は感じている。

 本句集「黙劇」の「あとがき」には、多くの俳句の座に招かれて出会ってきた俳友たちのことが綴られている。

 そして大切な妻や家族のことも。ここでは、俳句の座も含めて拡大解釈されていく「家族」もである。


「俳句創作を通じて「いま」を共にしてきた俳誌「秋」の仲間たちや、月例の「木曜会」(主宰・小林恭二)をはじめとする友人たちに、心から感謝を申し上げる。」


 素晴らしい俳句の師を経て、「蛇穴を出て先師に迎へらる」のいただきで再会されたり、句友の惜別の句「初夢の翼で世去り美酒提げて」などがいくつもある。

 巻末の俳句の英訳(英訳協力:青柳飛)も俳句の世界への飛翔感を感じさせる。

 「乗るによき父の背いつか天の川」「子の辞書に宝島の絵クリスマス」「二階にはもう隠れない帰省の子」など家族への愛燦燦も。

 「たちまちに金木犀の句座となる」など沢山の出会いの財産を持つ「座の文学」の力があるからこそ本句集「黙劇」は、佐怒賀正美俳句をかけがえの無いものに成しているのではないだろうか。


 下記に共鳴句をいただきます。


白南風や街角に透くタピオカ店

新涼やタピオカ吸ひ上げる二人

晩秋を群れて憑きくるてんとう虫

絵本から画面から春野からモグラ

データ飛ばし合へる授業や鰯雲

夜の鳥の百の気配にまむし草

紅梅や疫禍すりぬけ生まれきぬ

這ひ上がる蝌蚪にうすうす宇宙塵

ゆく春や屋上ペンギンたちの異郷

千万(ちよろづ)のデータ蘇生や青葉の夜

生も死も溶くひぐらしの祝祭感

家内感染なり秋風のうらおもて

たつぷりと虚のある我や天の川

鳥渡る魔境を知らせ合ひながら

人工衛星よぎり枯野にもぐら穴

葦原をうねる臓腑の枯むぐら

宇宙も洞なり地球こそ灯

マンホールの底の地脈や年の暮

豆を撒く園児わんさか鬼のまま

天体を愛撫せんとやミモザ湧く

青嵐や骨のみで立つ電波塔


【参考資料】

「俳句αあるふぁ」(2015年8-9月号)の「佐怒賀正美の世界」(P67)より


句集『黙劇』(佐怒賀正美、2024年1月31日刊、本阿弥書店):豊里友行

佐怒賀正美(さぬか・まさみ)。

本句集『黙劇』(2024年1月31日刊・本阿弥書店)は、佐怒賀正美第8句集にあたる。

佐怒賀正美句集は、『句集 意中の湖』角川書店(1998年6月)。

『句集 光塵』角川書店 (1996年5月)。

『句集 青こだま』角川書店(2000年2月)。

『句集 椨の木』角川書店(2003年12月)。

『句集 悪食の獏』角川書店(2008年9月)。

『句集 天樹』現代俳句協会(2012年10月)。

『句集 無二』ふらんす堂(2018年10月)で2019年度第74回現代俳句協会賞を受賞。


俳誌「秋」主宰、俳誌「天為」特別同人。

2024年3月8日金曜日

第221号

        次回更新 3/22


【 祝 第38回俳人協会評論賞受賞!】
大関博美著『極限状況を刻む俳句――ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』(2) 
》読む


■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和五年秋興帖
第一(2/16)竹岡一郎・山本敏倖・杉山久子・仲寒蟬・関根誠子
第二(2/23)瀬戸優理子・大井恒行・神谷波・ふけとしこ
第三(3/8)冨岡和秀・鷲津誠次・浅沼 璞・仙田洋子・水岩瞳

令和五年冬興帖

第一(2/23)竹岡一郎・山本敏倖・杉山久子
第二(3/8)仲寒蟬・関根誠子・瀬戸優理子

令和五年夏興帖
第一(10/13)仲寒蟬・辻村麻乃・仙田洋子
第二(10/21)坂間恒子・杉山久子
第三(10/27)竹岡一郎・木村オサム・ふけとしこ・山本敏倖
第四(11/3)岸本尚毅・小林かんな・瀬戸優理子
第五(11/10)神谷波・松下カロ・加藤知子
第六(11/17)小沢麻結・浅沼 璞・望月士郎・曾根 毅
第七(12/8)冨岡和秀・花尻万博・青木百舌鳥
第八(12/16)高橋比呂子・鷲津誠次・林雅樹
第九(12/22)眞矢ひろみ・渡邉美保・網野月を
第十(1/12)水岩瞳・佐藤りえ・筑紫磐井
第十一(1/26)豊里友行・下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子
第十二(2/9)水岩 瞳・前北かおる・豊里友行・川崎果連・五島高資

■ 俳句評論講座  》目次を読む

■ 第42回皐月句会(10月) 》読む
■ 第43回皐月句会(11月) 》読む
■ 第44回皐月句会(12月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

俳句新空間第18号 発行※NEW!

■連載

【抜粋】〈俳句四季1月号〉俳壇観測252 作句の在り方と批評のありかた――高橋睦郎氏の黒田杏子批判

筑紫磐井 》読む

英国Haiku便り[in Japan](43) 小野裕三 》読む

【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句

 3.和紙の生まれるまで 筑紫磐井 》読む

 4.『和紙』作品をめぐって 筑紫磐井 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(43) ふけとしこ 》読む

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり3 岸本尚毅句集『雲は友』 豊里友行 》読む

句集歌集逍遙 筑紫磐井『戦後俳句史nouveau1945-2023——三協会統合論』/佐藤りえ 》読む

【連載】大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』を読む⑥ 一人の俳句の書き手・読み手として 黒岩徳将 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む
インデックス

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】② 豊里友行句集『母よ』書評 石原昌光 》読む

北川美美俳句全集32 》読む

澤田和弥論集成(第16回) 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む

…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
3月の執筆者(渡邉美保)

■Recent entries

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス

葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【抜粋】〈俳句四季1月号〉俳壇観測252 作句の在り方と批評のありかた――高橋睦郎氏の黒田杏子批判 筑紫磐井

●高橋睦郎氏の評言

 昨年の黒田杏子氏と大石悦子氏の死をめぐっていろいろ論壇がにぎやかだ。華やかな経歴を持つ代表的女流作家であり、それも突然の死と言ってよいから多くの人が関心を持ったのは否めない。そして代表的女流作家だけに、同時期になくなった二人の比較はもっともなものであった。もう一人、齋藤慎爾もその旺盛な評論活動から黒田杏子と双璧の扱いをされている。亡くなった時期が近接しているだけに、時評では並んで特集されている機会もあった。結論的には、黒田・斎藤は現代俳句への寄与ということできわめてよく似ていたのである。

 そうした中で、高橋睦郎氏が大石氏と比較して、黒田杏子の広範囲にわたるは交友関係が黒田杏子の句境の深まりにいい影響を与えなかったのではないかと述べている(「俳句」9月号)。思い出すのは黒田杏子が代表を務める「件の会」で、令和元年二月に「八〇代の可能性」と題したトークショーだ。宮坂静生・高橋睦郎・齋藤愼爾・黒田杏子の四人の八〇代作家が未来を語っているのである。この時、小澤實、関悦史、筑紫磐井がそれぞれ後ろに立ち、作家と人となりを語っているのは、いかにも黒田氏らしい企画で面白かった。いずれにしろよく知り合った仲であるだけに忌憚のない意見を言うのはおかしくはない。

 「第一句集『木の椅子』。その新鮮な抒情は句集を重ねるごとに薄まり、それを補うように行動の幅を拡げていったように見える。」「私が親しくなった直後の第四句集『花下草上』あたりからそれは顕著だった。」と述べているが、これは読者によって大きく意見が分かれるところだろう。ただ、黒田杏子を批判するなら、一々の作品を掲げて「黒田杏子論」として論ずるのがよかったと思う。確かになくなったばかりだからと言って、故人の業績を客観的に批判することは許されないわけではない。しかしそれを読者に納得させるためには手続きが必要だ。


●杏子俳句の評価

 高橋氏の発言は印象論であるとは言え文芸批評に当たるわけであり、反対者も文学的見解を披歴する必要があるだろう。

 黒田杏子が確かに行動の幅を拡げたのは間違いがないが、いくつかの方向性を持っていたように思う。

 一つは日本列島桜花巡礼や百観音巡礼、四国遍路吟行などであり、季語の現場を探求するという活動であり、虚子で言えば武蔵野探勝のようなものだ。これは、俳句に対する信念だ。

 第二は、『証言 昭和の俳句』のような俳句史の現場にいた人たちの聴き語りをするものであり、前者に比べて俳句の社会的側面をあぶりだすものである。晩年に金子兜太と行動を共にしたのはこれの延長に当たる。兜太の戦争、杏子の安保闘争はこれらの活動の根っこを成している。

 そして、瀬戸内寂聴や日野原、ドナルドキーン、石牟礼道子、鶴見和子等の著名人の交際があるが、それは俳人であれば誰しもある事。高橋氏もその恩恵を受けていたと語る。違うのはこうした異なるジャンルの人々を俳句に引き込んでいたことであろう。これは俳壇のために決して悪いことではない。

 このように実に多彩な活動であったが、興味深かったのは中野利子氏に、自分の評伝を書いてほしいと依頼していたことだ。俳句の鑑賞であれば分からなくはないが、黒田杏子の全活動を批評するというのだ。一見俳句の本道からすれば脇道ともいえる活動に黒田杏子は強烈な自負心を持っていたのだ。おそらく前書き付きの句が多いことは、黒田杏子自身が自分の評伝を俳句で実現していたということではないか。

 こう考えると、高橋氏が言っていた「有名人との交友ばかりが目立」つという批判も少し評価が変わるはずだ。

 車椅子生活になった杏子にとって、ハンディを負った条件で可能な限りの活動を果たしている。いかに前書きが多くても、それは晩年の黒田杏子の俳句の流儀であるのだ。社会性俳句作家が基地やメーデーばかり読むと非難され、花鳥諷詠作家が歳時記にある季題の題詠をするからと言って非難されるいわれはない。そうやって詠まれた俳句の中でどれだけの作品が残るかということなのだ。


白葱のひかりの棒をいま刻む(木の椅子)

かまくらへゆつくりいそぐ虚子忌かな(水の扉)

能面の砕けて月の港かな(一木一草)

雪を聴くきのふのわれを聴くごとく(花下草上)

どの谷のいづれの花となく舞へる(日光月光)

みちのくの花待つ銀河山河かな(銀河山河)


 こんなこともあり、黒田杏子の最後の句集『八月』を本誌の「名句集を探る」で取り上げてもらった。脳梗塞で倒れ、季語の現場を探求するという杏子の方針を貫くことが難しくなった時期で回想による作り方が増えていった句集だが、その中で残せる俳句ができたのかどうか虚心坦懐に見てほしかった。高橋氏にも、印象論ではない、こうした具体的作品に即しての黒田杏子一代の評価を期待したかった。

    (以下略)


英国Haiku便り [in Japan] (43)  小野裕三

 英国俳句協会


 最近、英国俳句協会(British Haiku Society)の会員になった。三十年以上の歴史を持つ協会で、充実した会誌を季刊(四季を反映させるために季刊らしい)で刊行する。英国から届いた昨年夏の号から佳句を拾う。

 after swimming

 the taste of salt

 in your kiss

     Claire Thom

 泳いだあと / 塩の味がする / あなたとのキス

 俳句だけでなく、俳文(haibun)も重視するのも特徴で、この傾向は西洋の俳句界に広く見られる。

 会員ハンドブック(写真)も届いた。英語で俳句を作ることについて日本の状況を踏まえつつイギリス人に向けて解説する内容で、日本人が読むと「なるほど、俳句や日本はイギリス人からそう見られていたのか!」と逆に発見がある。

 それによると、英語圏での俳句への関心には三つのパターンがあるという。「文学としての詩の一種」「禅に通じる生き方や哲学的啓示の源」「日本的芸術のひとつの真髄」の三つで、その立脚点の違いにより、俳句で重視することも異なってくる。季語は必須か、現代風俗を取り入れてもいいか、写生でなく想像もありか、などの点で見解が分かれるようで、そのことは日本の状況にも似る。

 だが加えて、英語圏に存在するある種の曲解のことも言及される。ある人々(禅や哲学を俳句に追求する人たちか)は五七五をどこか宗教性・神秘性を帯びた「神聖不可侵」のものと見做す、と述べた上で、しかし実際には日本では五七五は「警察の標語やTVコマーシャル」のような詩的でない言葉にも使われ、「いささかも神秘的ではない」と断じる。また、対象を前にしてその場で書かれるものが俳句だから事後に推敲してはいけない、と考える人も少数だがいるとのことで、それも過度な神秘化の一例だろう。

 そしてこのハンドブックに一貫するのは、そのような曲解を脱却して俳句の正しい本質を丁寧に腑分けしようとする姿勢だ。「二物衝撃」の手法を的確に解説し、また、「軽み」を重視して「説明」を忌避する姿勢は英語圏の俳人に広く共有されるとも語る。

 さらには、英語で「五七五にこだわることは結果として<言い過ぎ>になりがち」で、英語俳人の多くは、五七五よりさらに短い形のほうが俳句としてしっくり来ると感じ始める、と指摘し、「英語で俳句を書く人は、英語の自然な律動に相応しい(五七五には縛られない)形式を見つけるべきだ」とも提言する。充分な経験や理解を踏まえつつ、このように英語haikuは今や独自の進化を模索し始めた時期にあるのでは、と感じた。

(『海原』2023年4月号より転載)

【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句 4.『和紙』作品をめぐって 筑紫磐井 

 次に第一句集である『和紙』ないし『和紙』時代の翔俳句をめぐる論評を紹介することとしたい。独断的ではあるが代表的な論評をあげ簡単にその内容にふれてみる。

 まず、和紙上梓以前の代表的論評から。


①「林翔論」能村登四郎(「新樹」24年1月)

 最も初期の翔論といえるものであり、特に著者と深い関りのある筆者の評論だけにひときわ興味深い。論ぜられた時期が一句投幻時代からようやく巻頭を得るに至る昭和二十三年までに限られるのは残念であるが、著者の抒情俳句が中村汀女や相馬黄枝を消化して生まれて来たものであること、一時「サロンで聞く室内楽」と称された句風が次第に独自の句境を拓いてゆくに至る過程が詳細に語られている。


②「このつつましき求心」能村登四郎(「俳句」44年8月)

 「俳句」の中堅作家特集で著者が取りあげられたとき、自選百句、略年譜と併せて<人と作品>と題して載せられた翔論である。国学院大学在学中から始まり、『和紙』上梓直前までの時期の作品とエピソードをまじえた紹介を行っているが、ここで筆者は翔俳句について常に内へ内へと向ける求道のこころが感じられるとともに、次第に明るい艶と張りのある円熟期に達して来ているとも指摘している。

引続き、『和紙』上梓後の、能村登四郎以外の論評を見てゆくこととしよう。


③「『和紙』礼讃」相馬遷子(「馬酔木」45年1月)

 筆者は波郷没後の「馬酔木」の同人会長、その誠実な人柄で著者が深く畏敬していた人である。同門の先輩として著者の句作を悉く見守って来たひとの評だけに緻密、斬新な鑑賞に溢れている。「これら(作品)をすべて地味というのは一寸当らないのではないかと反省させられる。著者の性格はたしかに地味だが、俳句には気魂が籠っている。」「(著者のもつ諧謔性にふれ)その裏にひそむ作者の複雑な感情は、単なる滑稽俳句に終らせていないのである。」「(ごとし俳句について)割合数が多くそしてその殆どが成功していることも著者の腕の並々ならぬことを証しているのである。」


④「和紙書評―普通列車の持つ人間味」松崎鉄之介(「俳句」45年12月)

 筆者は、能村登四郎における教師と林翔における教師の意味を考察し、「教師としての生き方を父君より受けた著者が、教師として生きて行くことはごく自然のなりゆきであり、著者の持つ謙虚さと誠実さが教師の内容をさらけ出しいじめ抜くようなことは到底出来なかったのであろう。」と述べられているのは、よく両作家の違いをとらえたものと言える。「憂愁という甘ずっぱい物でなく、人間から美を見出だそうとする作者の謙虚な姿が顕現されている。」は、とりわけ『和紙』後半の作風を美しく表現しているものと言えよう。


⑤「『和紙』断章」加畑吉男(「沖」45年12月)

 筆者は著者と同じ塔の会のメンバー。ここでは『和紙』初期の作品を抒情的であると言いながらも、「泳ぎ子よ岸辺翳なす夕餉どき」という句がある。初めは抒情的な美しさに魅かれていたが、現在はその抒情を超えて、ものの核心に迫るものを感ずるようになった。それはこの句が持つ造型性のゆえであると述べ、翔俳句についても「作品のバックボーンは写生であり、ものの本質を見抜く眼力である」という独創的な翔論を展開している。


⑥「林翔論」岡山貞峰(「馬酔木」48年11月)

 馬酔木作家研究のーとして執筆されたもので、ほぼ『和紙』の時代を概観して手際よくこの時代の著者の相貌を浮び上らせる。特に、求心的傾向、自然美の発見、沈静美、そして外光的明るさへの脱皮とその作風の展開をたどってゆく文章は快い。


この他の『和紙』論として次のものをあげておく。


⑦「林翔鑑賞」飯田龍太(『現代俳句全集』第6巻 みすず書房 34年刊)

⑧「求心のつつましさ」能村登四郎(「馬酔木」40年6月)

⑨「『和紙』の読後に」久保田博(「沖」45年12月)

⑩「和紙の裏側」能村登四郎(「俳句」46年2月)

⑪「句集『和紙』私見」富岡掬池路(「狆」46年9月)

⑫「林翔十句撰」今瀬剛一 (「俳句研究」57年10月)

⑬「『和紙』いさぎよい抒情」湯下量園(「俳句」58年5月)

⑭「清冽なる抒情」岡田貞峰(「俳句」59年11月)


この他若い作家によって論じられた評論がある。


⑮[流れの中の短い葦」渡辺 昭(「櫂」57年11月))

 根源俳句、社会性俳句、前衛俳句、イメージ俳句という四つの戦後俳句の中で著者がそれといかに格闘し、克服し、受容して来たかを追求し、逆に戦後俳句を個人の内面でとらえようと試みている。特にこの中で筆者は第三のものを重く見ているようである。


⑯「『和紙』の緩曲線」能村研三(同上)

 時間的にほぼ重り合う登四郎句集『咀嚼音』『合掌部落』『枯野の沖』と対比して『和紙』の推移を考察し、戦後俳句の流れに対して「登四郎は一つ一つを区切る鋭角な曲り方で戦後俳句の流れを泳ぎ、林翔は緩やかな曲線を描きつつ泳いできた」と結論づける。


⑰「林翔俳句の求めるもの」鎌倉佐弓(同上)

 翔句集『和紙』『寸前』『石笛』を対比しながら、著者の虐げられた者に向けられる目、傷みに注視し、翔俳句の諧謔性、笑いがこうしたものから切望される必然的なものであることを論じた。


【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句 3.和紙の生まれるまで 筑紫磐井

  この連載を始めてみたが、あまり読んでくれる人もいないのではないかという思いもしないではなかった。それくらい林翔に対する関心は、馬酔木ではともかく、俳壇では大きくないように思われたからである。ところが「コールサック」117号(2024年3月号)で津久井紀代氏が、『林翔全句集』の書評の中でこのBLOGのコラムを取り上げてくれていた。読者がいるということは非常に励みになるものである

 「伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句」と題して連載を始めてみたが、実はあまり準備をして始めたものでは無かったため、連載としてどのように進めるか少し悩んでしまった。いくつか思いついたことを1回、2回で書いてみたのだが、長い構想までは準備できていなかった。実は、『林翔全句集』の刊行が余り順調に進み過ぎたために、私の連載構想が追い付いていなかったことになるのだ。それくらい『全句集』には出版社や編集者の精力的な努力が集中されたのだということなのである。

 こんな中で考えてみると、「林翔を通してみる戦後伝統俳句」と言っても林翔の俳句を見ないで林翔を論ずることは少し誤解を招かないとも限らない。どのような作家だったかを知らないでその主張を取り上げてもうまく理解してもらえるか少し心もとない。そこで、順番が逆となるが正攻法から林翔の俳句への取り組みを取り上げてみることとしたいと考えた。そういえば全句集で代表的な評論を取り上げさせて頂いたが、私自身の作家論は披歴していなかった。そこら辺を全句集を補う意味で少し書き加えたい。

       *

 『和紙』の上梓された当時、「それにしても『和紙』の処女句集は遅すぎた。……もう十年前に出してもよかった。」(草間時彦)と言われたことがある。これは多くの人の実感でもあったろう。事実『和紙』はもう十年早く生まれることは可能であったかもしれない。昭和三十年頃馬酔木の編集に従事していた石田波郷は新人達の巣立ちのためさかんに句集出版の機会を考えていた。『咀嚼音』上梓直後、林翔にも再三句集上梓を奨めていたのである。ところが 「私も一度はまとめ始めたのであるが、自分の句がひどく貧しく思われて途中で投げ出してしまった」というのが真相であった。

 その後波郷の期待を裏切りながら、ようやく句集をまとめる準備に入ったのは四十四年の春のことであったらしい。既に波郷は再起不能の病床につき清瀬に再入院していたが、そのころ病院を見舞った客とこんな話をしている。

  「林さんの句集はいつ出るんだい。」

  「来年だそうです。」

  「来年か。来年では遅いな。」

 何が一体遅かったのか。今日ではもう波郷の真意は判らない。それから十日程で波郷は逝き、句集『和紙』は波郷告別をもって終る形で出版されることとなったのである。したがって、この句集は著者の波郷への大きな負い目となっている。それは、この句集が出来上った当日、石神井のあき子未亡人を訪れその一冊をまず波郷霊前に供えたこと、更に第二句集『寸前』の冒頭にも「熱燗や人が波郷を言へば泣き」を置き波郷追慕の念を断やさなかったことからもうかがわれるであろう。

 こうして出版された『和紙』は、発行が昭和45年9月、発行所は波郷と関りの深い竹頭社であった。名に相応しく、和紙貼紙函に入り、B6版245頁に一頁三句組、697句を収録しているのは、秋櫻子が言うように確かに「堂々たる厚みを持つ」句集と言えた。序文は水原秋櫻子が誌し、ここで有名な「著者の頭の中には、はじめから理想の軌道が敷かれており、その上をくるいなく走る列車のような感じであった」と言う評が初めて出ている。著者の後記が付されているが、跋文がおかれていないのは、波郷なきあともはや書くべき人なし、都の著者の感慨でもあったのだろうか(ちなみにこの前までの句集は、序文を秋櫻子、あとがきを波郷という華やかな構成で刊行されていた。じっさい盟友の能村登四郎の第一句集『咀嚼音』もそうした構成となっていた)。

 内容は昭和23年から波郷没年の44年までの作品を含み、精選されているものの長い期間に及ぶ句集となっている。従って、知命をすぎてからの句集であるにもかかわらず冒頭は匂いたつような若い抒情句である。登四郎の『咀嚼音』、湘子の『途上」に匹敵する、馬酔木の戦後黄金時代を飾った瑞々しい句からなっている。

 やがてそれらは中年の充実と落着きを加えて、「秋風の和紙の軽さを身にも欲し」の句に代表される洒脱自在さを漂わす後半部を迎えるのである。

 なお、句集刊行後の話となるが、句集『和紙』は昭和46年第10回俳人協会賞の選考において満票の支持を受け受賞の栄を得ている。このときの逸話を能村登四郎が次のように語っており、著者のひととなりをよく物語っているように思う。


 「受賞を知らせてびっくりさせてやろうと翔の家に電話をすると、学校だというので私はすぐ学校へ行った。休日だというのに何か仕事があるらしく、仕事をしながら口を動かしていた。私が口早に受賞のことを知らせると、さすがに眼をかがやかせたが、口のもぐもぐは止めない。私は反応のなさにちょっと失望しながら、

 『なに、それ』

と聞くと、

 『胡桃なんだ。うまいよ。』

と言って二、三個私に分けてくれた。

  栄光の日も無為のごと胡桃食ぶ」   (「和紙の裏側」能村登四郎)


2024年2月23日金曜日

第220号

       次回更新 3/8


【 祝 第38回俳人協会評論賞受賞!】
大関博美著『極限状況を刻む俳句――ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』(2) 
》読む


■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和五年秋興帖
第一(2/16)竹岡一郎・山本敏倖・杉山久子・仲寒蟬・関根誠子
第二(2/23)瀬戸優理子・大井恒行・神谷波・ふけとしこ


令和五年冬興帖

第一(2/23)竹岡一郎・山本敏倖・杉山久子

令和五年夏興帖
第一(10/13)仲寒蟬・辻村麻乃・仙田洋子
第二(10/21)坂間恒子・杉山久子
第三(10/27)竹岡一郎・木村オサム・ふけとしこ・山本敏倖
第四(11/3)岸本尚毅・小林かんな・瀬戸優理子
第五(11/10)神谷波・松下カロ・加藤知子
第六(11/17)小沢麻結・浅沼 璞・望月士郎・曾根 毅
第七(12/8)冨岡和秀・花尻万博・青木百舌鳥
第八(12/16)高橋比呂子・鷲津誠次・林雅樹
第九(12/22)眞矢ひろみ・渡邉美保・網野月を
第十(1/12)水岩瞳・佐藤りえ・筑紫磐井
第十一(1/26)豊里友行・下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子
第十二(2/9)水岩 瞳・前北かおる・豊里友行・川崎果連・五島高資

■ 俳句評論講座  》目次を読む

■ 第42回皐月句会(10月) 》読む
■ 第43回皐月句会(11月) 》読む
■ 第44回皐月句会(12月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

俳句新空間第18号 発行※NEW!

■連載

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(43) ふけとしこ 》読む

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり3 岸本尚毅句集『雲は友』 豊里友行 》読む

【抜粋】〈俳句四季12月号〉俳壇観測251 黒田杏子さんを偲ぶ会  ――『証言・昭和の俳句』の真実

筑紫磐井 》読む

句集歌集逍遙 筑紫磐井『戦後俳句史nouveau1945-2023——三協会統合論』/佐藤りえ 》読む

英国Haiku便り[in Japan](42) 小野裕三 》読む

【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句
 2.社会性について 筑紫磐井 》読む

【連載】大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』を読む⑥ 一人の俳句の書き手・読み手として 黒岩徳将 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む
インデックス

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】② 豊里友行句集『母よ』書評 石原昌光 》読む

北川美美俳句全集32 》読む

澤田和弥論集成(第16回) 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む

…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
2月の執筆者(渡邉美保)

■Recent entries

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス

葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。