2024年2月23日金曜日

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり3 岸本尚毅句集『雲は友』 豊里友行

『雲は友』(2022年8月20日刊・ふらんす堂)


顔焦げしこの鯛焼に消費税


 顔がこんがりと焦げている、この鯛焼をどう詠むのか。

バブル景気とか美味しい時代を経験したことのない世代の私にとって消費税3%が5%・・・・いつのまにか10%・・・・それって本体の壱割増しは消費者としてはかなりの痛手だ。

 かといって景気の悪さに流行り病のコロナ禍に詠まれただけにやけに味わい深い。

でも少し焦げ目のついた鯛焼に消費税を感じつつ噛み締めるように食べる幸せよ。

そんな岸本尚毅俳句の現代語感のユーモラスさが羨ましい。


戦争を知らぬ老人青芒


 あとがきに寄ると還暦を過ぎた作者、岸本尚毅は、老人という突き放して他人事だったこの言葉に少し親近感を持ち始めている。

 とにもかくにも「老人」なる言葉を使ってみました的な、な、な。

 どの俳句もそつなく俳句になっているが、きらりきらりっと魚群の光のような感性のきらめきを感じさせる。

 幾多の傑作を諳んじてきただろうベテラン俳人は、戦争を知らない老人と、突き放して本当は私なんですけどっ的な3人称的に語ってみる。

 青い芒の私なんですけど・・・・・的な諧謔をひと摘み。 


バンザイをさせて小さき子猫かな


 にゃーにゃーにゃにゃにゃ。

 にゃーにゃーにゃにゃにゃ。

 操り人形のようにバンザイをさせているうちの可愛い子猫ちゃん。

 そんな子猫と黒子の岸本尚毅俳句のじゃれ愛かしら。


WOWWOWと歌あほらしや海は春


 有料配信のテレビは、とてもとても私には観れませんが、世の中は、こんなに豊かな世界なんです。

 巷には歌や映像が溢れんばかりに流れていて有線放送のWOAWOWの歌にあほらしいと云い切る作者がそこに居る。

 一生で何度この春の海の讃歌を聴けるのかしら。

 海には、こんなに春を謳うように満ち溢れる。


大切な黄な粉飛ばすな扇風機

風は歌雲は友なる墓洗ふ

いつかどこかの土筆となつて生えてゐし


 丁寧に生きていく岸本尚毅俳句の産声には、すこし周囲のみんなを微笑ませてくれる何かがある。

 大切な黄粉餅も扇風機もこんな酷暑では、欠かすことができません。その葛藤もユーモラス。

 全ての万物が、何処かで繋がり合う世の中を現代人は、忘れがちだけれども風は歌い出し、雲はいつか流れていく。その雲を友とする俳人の到達点には、友の墓を洗いながら友は確かに岸本尚毅の心に生きている。

 そのようにもしかしたら私たちも廻り廻って土筆のように生えているかもよっ。

 俳句仲間のみんなが俳句の産声に笑い、風を歌として口ずさみながら雲を友とする。

 そこに生きている私たちみんながより良く生きるための俳句を丁寧に紡ぎながらみんなで万物の死について泣いてくれる。

 そんな俳句と暮らせば、岸本尚毅俳句のあるがままが、私も好きになる。


 観察眼の底引網漁業の網にかかる魚群のきらめきのような岸本尚毅俳句の感性のきらめきが豊漁であることも特筆しておきたい。

 そんな共鳴句をいただきます。


誰か居る虫の闇なるぶらんこに

しゆるしゆると鳴き始めたり法師蟬

足の指つぶさに揃ふ寝釈迦かな

山椒の芽未だ出ぬかと母は老い

佐保姫の見てゐる田螺うごきけり

夜々に植ゆ寂光院の蟬の穴

風は歌雲は友なる墓洗ふ

見るほどに遠稲妻は花の如

墓石の枯蟷螂を剝しけり

赤いコンビニ青いコンビニ日短

初空やどこかにゐさう樹木希林

指ひろげ一切を知る守宮かな

わが顔にぶつかる君の夏帽子

穀象の鼻と頭の継目かな