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2013年3月15日金曜日

再録・黒い十人の女(六)/柴田千晶

凍蝶の天降りくるや貌硬く   鈴木しづ子

ついに力尽きて中空から破片のように落ちてくる冬の蝶。その貌が硬いというのだ。凍蝶の貌に焦点を合わせた珍しい句である。

この句には堕天使のイメージがある。

天界を追放された天使が自らの意思で真っ逆さまに堕ちてゆく。その貌は不安と畏れで強張っている。堕ちてしまえばどうなるのか、どうとでも成ってしまえという自棄な気分と、堕ちることへの期待と昂揚もその硬い貌の下には鎮められているのかもしれない。

しづ子の未発表句7300句の中の、昭和26年9月5日の日付の24句中の一句である。同日に

凍蝶に蹤きて日陰を出でにけり

人の體を懼るる蝶の凍てにけり


などの句がある。

凍蝶といえば橋本多佳子の<凍蝶の指ふるるまでちかづきぬ><凍蝶も記憶の蝶も翅を欠き><凍蝶を容れて十指をさしあはす>などが思い浮かぶ。多佳子の『紅絲』(目黒書店)が刊行されたのは昭和26年6月である。しづ子はおそらく『紅絲』を読んだのだろう。この頃のしづ子の句には多佳子の影響が多くみられる。多佳子の詩的に洗練された言葉に比べ、しづ子の言葉はどこか垢抜けない。

しかし、しづ子の言葉には体で摑み取った実感がある。しづ子は凍蝶に自己を投影し、その境遇を詠もうと試みた。

天空から傷だらけの冬の蝶が真っ逆さまに堕ちてくる。その硬い貌はしづ子の真顔に違いない。

花吹雪岐阜へ来て棲むからだかな   「樹海」1月号 S25


昭和24年、30歳になったしづ子は東芝車輛の同僚Sとの短い結婚生活にピリオドを打ち、東京を去った。

岐阜でダンサーに転身したわが身を、しづ子自身はどう思っていたのだろう。

世間一般的には「ダンサーに堕ちた女」という烙印を押されたであろう。

しづ子はなぜ岐阜へ行こうと思ったのか。これまでの一切の過去を捨てるべく、新天地で心機一転を図ったのか。

昭和21年に亡くなった母の墓を建立する資金を作るために岐阜でダンサーになったという説もあるが、どうもしっくりこない。

ここからはまったくの想像である。

昭和23年2月、父の再婚に続き、師である松村巨湫も再婚している。このことがしづ子の流転人生のきっかけとなったのではないか。

当時しづ子は「樹海」(巨湫主宰)の同人である大学生Iと交際していたが、2月に巨湫が再婚すると、流されるように同僚Sのプロポーズを受け、翌3月には巨湫宅で結納を交わしている。その後も大学生と交際を続けていたということから、Sとの結婚が心から望んだものではなかったように思える。

師への当てつけと言ったら身も蓋もないが、再婚した師への思いを断ち切るためだったのではないか。

すでに恋ふたつありたる雪崩かな   「樹海」7月号 S23

林檎剥くややにそだつる妻ごころ   「樹海」1月号 S24

師を近く冬夜契りをなしにけり   「樹海」3月月号 S24

指輪凍つみづから破る恋の果   「樹海」2月号 S25


ふたつある恋とは同時進行していた大学生Iとの恋ではなく、実は師、巨湫との恋であったのではないか。

だとしたら師の前での結納の儀は自虐的な行為に思えるが、しづ子には自虐をばねに前進してゆく性質があり、自分を壊さなければ前に進めない人なのかもしれない。


そう思えば、その後のしづ子の行動にすべて納得がいくのだ。短く終わった結婚生活も、まるで逃れるように岐阜へ向かい、自らダンサーになったことも。そして、ただひたすら師である巨湫に向けて送り続けた7300句という大量投句も——。

昭和24年、しづ子は岐阜で新生活を始める。この年は4月から12月まで「樹海」への投句を休んでいる。生活を立て直すため、俳句どころではなかったのかもしれない。そして翌、昭和25年、しづ子はダンサーに転身する。

黒人と踊る手さきやさくら散る   「樹海」1月号 S25

花の夜や異国の兵と指睦び   「樹海」1月号 S25

娼婦またよきかな熟れし柿食うぶ   「俳句研究」4月号 S25

情慾や乱雲とみにかたち変へ   「樹海」6月号 S25

身の変転あかつきを降る春霞   「樹海」6月号 S25


<黒人> <異国の兵> <娼婦>など、通俗的な興味を掻き立てるような言葉をしづ子は大胆に使っている。第一句集『春雷』で俳壇の注目を浴びたしづ子だが、もっと認められたいという野心と、有りの儘を詠むしかないという真っ正直さが、このように大胆な句を詠ませたのかもしれない。おそらく巨湫への挑発もあっただろう。巨湫はこのしづ子の挑発を歓んでいたに違いない。スキャンダラスな句でしづ子が注目を浴びることは、巨湫の知名度を上げることにもつながってゆく。

この先、しづ子は巨湫の野心をもわが身に乗せて、短い俳句人生を突っ走ってゆくことになる。
この年の10月、しづ子は黒人GIのケリー・クラッケと同棲生活を始めている。が、しづ子の新しい恋も長くは続かない。

昭和26年5月、ケリーは朝鮮に出兵され、戦争によってまたしてもしづ子は恋人との仲を引き裂かれてしまう。

しづ子の巨湫へ向けての大量投句はこの6月から始まる。恋人不在の淋しさをしづ子は大量に句を作ることによって埋めようとしたのかもしれない。しづ子は一度に100句以上の句を三日にあげず巨湫へ送ることもあった。そのエネルギーは凄まじい。

90句……100句……180句……200句……ただひたすら句を作り、巨湫へ送り続けることでしづ子は自分を保っていたのだろう。

しづ子には、こうして吐き出した大量の句への執着はあまりなかったようだ。自選して投句するという意識はまるでなく、昭和26年以降の「樹海」に掲載された句はすべて、送り付けられた大量投句の中から巨湫が選んでいたらしい。

夏みかん酸つぱしいまさら純潔など   「樹海」7月号 S26

コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ   「樹海」7月号 S26

蟻の体にジユツと当てたる煙草の火   「樹海」8月号 S26

青蘆の天かがよへり情死もよく   「樹海」11号 S26

雪こんこん死びとの如き男の手   「樹海」12月号 S26


これらの句からはアンニュイな娼婦のイメージが伝わってくる。しづ子の大量投句は玉石混淆と言われているが、確かに7300句の中には退屈な句も多くある。それが延々と続くと読み続けることがつらくなるほどだ。これを全て巨湫に丸投げしてしまったしづ子の甘えと、その甘えを許してしまった巨湫。この師弟関係は、一般的な師弟関係では計りきれないものがある。

「樹海」7・8月号では「しづ子特集」が組まれ、この号に巨秋は「慎ましい野性」という一文を掲載している。第一句集『春雷』の序文を貰うため、しづ子が浦和の巨湫宅を訪れた時のことを書いたものだが、これがまた思わせぶりな一文である。<私は卓に倚りかかり筆を走らつづけた。燃えしぶつたときの煙りが闇とともに部屋にたちこめ、ともすれば二人を闇のなかにおぼれさせようとした>なんだろうこの軽薄さは。

三好潤子の第一句集『夕凪橋』の小島政二郎の跋文も、潤子との親しい関係を想像させるような一文であったが、巨湫の場合もしづ子との特別な一夜を仄めかすような文章になっている。無名結社の主宰である巨湫が、俳壇のスターとなったしづ子の人気に便乗しているようで、かっこ悪すぎる男と思うのだが……なぜかしづ子は巨湫の虚栄心にとことん付き合ってしまうのだ——。
「好きな人のためにやりました。」

昭和56年(1981)3月25日に起きた三和銀行大阪茨木支店の1憶8千万円のオンライン横領事件の犯人M子(32歳)が、逃亡先のマニラで逮捕され、出入国管理局に拘束された。マスコミが殺到し、フラッシュが焚かれ、何本ものマイクが突き出される中、犯行の動機を問われたM子は、「好きな人のためにやりました。」と答えた。

美人銀行員によるオンライン・システムを利用した大胆な犯行と、マニラへの逃亡がワイドショーでも話題になった。

日本のワイドショーで流されたその映像を私も見た記憶がある。

勤続14年の真面目な女子行員M子は、背が高くてハンサムな青年実業家に出会ったことで人生を踏み外してゆく。

銀行前にキャデラックで乗り付け、大阪郊外の高級レストランへ案内してくれた男は、実は会社の経営に行き詰まっていて、多額の借金を抱えていた。関係が深まると、男はM子に借金の申し入れをするようになる。

最初は10万円、次第に30万、50万……とその額は増えてゆき、最終的に約900万円もの金をM子は男に貸してしまう。

貯金残高が0に近づくと、男は銀行から金を引き出せないかとM子に犯罪計画を持ちかける。
当然M子は断った。が、借金を返済しないとヤクザに殺されてしまうかもしれないと泣きつかれ、M子はけっきょく男に押し切られてしまう。これまでに貸した900万円への執着と、男への情、性愛への未練が、M子を犯罪に走らせたのだろうか。

このまま男に流されて犯罪を犯せば全てを失ってしまう。家族も仕事も。32歳の良識のあるM子にもそれはわかっていただろう。

だが、たいていの女はここで引き返すはずの崖っぷちを、M子は勢い良く翔んだのだ——。

暦日やみづから堕ちて向日葵黄   「樹海」8月号 S26


3月25日午前10時、M子は予め開設していた架空名義の四つの口座に、オンライン端末機を利用して合計1憶8千万円を入金した。その間、わずか約24分という短時間の犯罪だった。M子はその後「歯医者に行く」と職場を抜け出し、大阪、東京の3支店から現金計5千万円と小切手で計8千万円を引きだした。M子はたった一人でこの犯罪をやり遂げた。

裸か身や股の血脈あをく引き   「樹海」8月号 S23


その間、自分のアリバイ工作をしていた男は、待ち合わせの場所にも遅れて現れ、M子を労うことなく現金4千5百万円を受け取り、残りの5百万円をM子に渡した。その金を持ってM子は羽田からマニラへ向かった。

1ヶ月後には男がマニラにやって来ることを疑わず。マニラで日本料理の店を一緒にやろうという男の言葉を信じて——。

だが、男がマニラに来ることはついになかった。M子が逮捕されるまでの約5ヶ月間に男からの電話はたった一度きり。

M子は男に見棄てられたのだ。そう気づいた時、M子の中に男への激しい憎しみが生まれたに違いない。

雪はげし汝れに言ふべきことは死ね   未発表句 S26.11.29


しかし、M子は逮捕時のインタビューに「好きな人のためにやりました。」と答えたのだ。これはどういうことなのか。

マニラでの不安な逃亡生活。M子はA氏という芸能プロダクションを生業とする男に頼っていた。逮捕時には、自分を裏切った男よりもA氏に情が移っていたはずなのだが、M子の「好きな人」はA氏ではなく裏切った男を指していた。

なぜ犯行に走ったのか、なぜあの時、崖っぷちから勢い良く翔んでしまったのか、M子自身にもきっとわからなかったのだろう。

「好きな人のため」としか言いようがなかったのだ。

だが、きっとM子は自分では御しがたい獣のようなものに突き動かされて翔んだのだ。普通では翔べないような向かいの崖っぷちまで。

M子を利用し裏切った男は、彼女から金を奪い性愛の悦びを与えることで、M子の箍を一つずつ外していったのだろう。

10万……20万……100万……900万……そして1憶8千万円——。

犯行に走ったM子は、自分の中に目覚めた獣を解き放ちたかったのだろう。

天にのぼる凍蝶にしてひたむきに   未発表句  S27.2.26


昭和26年12月、しづ子は念願の母の墓を愛知県犬山市の妙海寺に建立する。

この頃、巨湫はしづ子の第二句集を刊行するべく動いていた。しづ子の与り知らぬところで、巨湫は手許の大量投句から句を選出していたのだ。信じがたいことに句集のあとがきはしづ子から届いた何通かの手紙の文章を、巨湫が継ぎ接ぎしたものというのだ。

なにもかも捨ててしまいたい気持ちにさせられます。それでも時折、不意に、此の世に未練がましいものが頭をもたげてきます。俳句もそのひとつ。

(中略)

前半生を了えてみてつくづく思うことは、けっきょく自分は弱かった――人生というものに完全に負けてしまった、ということ。

立ちあがりたいと思います。

巨湫先生には我が儘なくらい甘えています。


最後の一行は巨湫の虚栄を満たすものに外ならない。自分で入れるか、これ? っと突っ込みを入れたくなる。

こうして、昭和27年1月1日、第二句集『春雷』(随筆社)は、しづ子の意思とは無関係に世に出た。
そして同日、麻薬中毒で体調を崩し米国へ帰国していた恋人ケリーの訃報がしづ子の元へ届いた。

この余りにも出来すぎた偶然も伝説の女らしい。恋人の死を詠んだしづ子の句はどれも硬質な詩情のある秀作である。

霧の洋渡り渡りし訃報手に    未発表句 S27.1.2

霧五千海里ケリー・クラツケへだたり死す   未発表句 S27.1.2

訃報掌に霧もむら立つ体のほとり   未発表句 S27.1.2

しかばね置く霧をへだてし東のかた   未発表句 S27.1.2

雪ふれりテキサスに置く一人の墓   未発表句 S27.1.23

ケリー・クラツケ亡し葡萄の種を地に吐く   未発表句 S27.2.5

人還るこの世ならざる霧の中   未発表句 S27.2.26

霧たてばかたちなきものかい抱く   未発表句 S27.3.30

悲しめば吾が体一つの霧笛かな   未発表句 S27.3.30

訃の紙の置かれて白き寒夜かな   未発表句 S27.6.20


昭和27年3月30日、句集『指輪』の出版記念会に出席するためにしづ子は上京した。巨湫への義理を果たしたのだ。

9月15日付けの投句を巨湫に送ったのを最後に、しづ子は消息不明となる——というのが、鈴木しづ子の伝説である。

その波乱の日々が、第一句集『春雷』から始まり第二句集『指輪』で終わっていることに、作家としてしづ子が背負った宿命を感じる。消息不明後の実人生には更なる波乱が待ち受けていたかもしれないが、作家としてのしづ子の波乱はここで見事に完結していると思う。

それが幸福なことであったのか、不幸なことであったのかはわからない。

しかし、第一句集『春雷』跋文の、しづ子の言葉がすべてを物語っているように思う。

師のかたじけないお言葉と、羽生書房ご主人の多大のお骨折りにより世に送らせていただくことになりました私の処女句集
 
春  雷
 

いとしい限りでございます。


『春雷』の序文を巨湫から授かったあの一夜が、しづ子の人生にとってもっとも幸福な瞬間であったのかもしれない。

へだたればいつさい喜劇石榴咲く   「樹海」11月号 S31


昭和57年7月27日、M子は懲役2年6月の判決を言い渡された。主犯とされた男は懲役5年というものだった。

昭和59年8月、M子は模範囚として仮出所し、平成2年には事件を承知している会社員と結婚したという。

M子が愛する人と出逢ったように、しづ子もだれかと出逢っただろうか。

水ほとり冬の蜻蛉に肩慕はれ   未発表句 S26.11.26


波乱に富んだ来し方をふり返り、わが人生を「いとしい限りでございます。」と、しづ子はそうつぶやいただろうか——。

そうであってほしい。きっとそうであったに違いないと、なぜか確信のようにそう思う。



未発表句はすべて『しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って』(新潮社)から引用した。川村蘭太氏の緻密な取材と深い洞察と直感力で、しづ子の謎を一つ一つ解き明かしてゆく大変面白いノンフィクション。巻末の鈴木しづ子未発表句7300句も圧巻であった。

しかし、3段組6ポイントの大量句を読むのはかなりしんどかった。挫折しかけたところに思いがけず西原天気さんの助け船が。A3拡大コピーほんとうに助かりました。天気さん、ありがとうございました。

参考文献

鈴木しづ子『夏みかん酸つぱしいまさら純潔など』 河出書房新社
『道の手帖 鈴木しづ子』 河出書房新社
川村蘭太『しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って』 新潮社
江宮隆之『凍てる指』 河出書房新社
宇多喜代子『女性俳人の系譜』 日本放送出版協会
『女性俳句の世界』第3巻 角川学芸出版
松田美智子『美人銀行員オンライン横領事件』 幻冬舎アウトロー文庫)
山崎哲+芹沢俊介『<恋愛>事件 500メートルの女たち』 春秋社
など。

2013年3月1日金曜日

再録・黒い十人の女(五) 柴田千晶

露けさの吾が室が待つすべての夜   鈴木しづ子


鈴木しづ子は怪物だ。書いても書いても拒絶される。
なんだろう、この拒絶感は。どう書き直しても許してはくれない。この稿の締切はとうに過ぎているのに、また冒頭から書き直している。暗澹たる気持ちに今なっている。こんなことは初めてだ。

この怪物を理解しようなどと思ったのが間違いだった。
発見された未発表7300句からしづ子を読み解くつもりでいたのだが、しづ子に纏わる物語に阻まれて容易くはいかない。

これまで鈴木しづ子を読む気持ちになれなかったのは、代表句とされている<夏みかん酸つぱしいまさら純潔など><コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ><ダンサーになろか凍夜の駅歩く>などの通俗的な作品にまったく魅力を感じなかったからだ。

その特異な境遇ゆえに、過剰に持ち上げられた作家に過ぎないのではないかとその存在を訝しく思っていたのだ。

これが、だれもが指摘する「しづ子の不幸」ということだろう。

冒頭の句は、過激な性表現で注目されたしづ子の句とは思われないほど静謐な句である。
露に取り囲まれたひとりの部屋で、しづ子はこれまで過ごした数多の夜に思いを寄せているのか。

<寒玉子うく徹宵の油の掌>東京で製図工として働いていた夜や、<まぐはひのしづかなるあめ居とりまく>と情慾に浸った夜。

東京を捨てて岐阜へ転居し<花の夜や異国の兵と指睦び>ダンサーとなった夜、そして<倣然と雪墜るケリーとなら死ねる>恋人である黒人GIと抱き合った夜に——。

これらすべての夜はもう彼方に消えてしまった。その喪失感と、何もかも失った後の不思議な充足感が伝わってくる。

空っぽになった部屋が待っているのは、過去になった夜ばかりではない。
自分が生きることのできなかった夜も、これから訪れるかもしれない未来の夜をも待っている。

露けさの吾が室とは、あらゆる夜を待つしづ子の空っぽの軀なのだ。

しづ子の空っぽの部屋に、未発表の7300句が降りつもってゆく。
しづ子にとって俳句とは何だったのだろう。

生身のしづ子と作品を切り離すことはできない。俳句はしづ子の髪の毛一本一本だ。爪や角膜、皮膚の一片一片だ。

鈴木しづ子は大正8年(1919)神田生まれ。昭和15年に東京日吉の岡本工作機械製作所に製図工として入社し、昭和17年、職場の俳句部で臼田亜浪門下の松村巨湫に出会い、指導を受ける。翌年、巨湫主宰の「樹海」に入会する。

生涯の師となった松村巨湫との出会いが、しづ子の俳句人生を特異なものへ導いてゆく。

戦後間もない昭和21年2月、句歴わずか4年で第一句集『春雷』(羽生書房)を刊行した時からしづ子の波乱に満ちた日々が始まる。

第一句集『春雷』は初版1500部、合計では約5000部を売り上げ、突如しづ子は俳壇で注目を浴びることになる。

工場菜園畸形の胡瓜そだちつつ
青葉の日朝の点呼の列に入る
水中花の水かへてより事務はじめ
時差出勤ホームの上の朝の月
あきのあめ図面のあやまりたださるる
素直な職場詠である。働く女性の細やかな視線が<畸形の胡瓜><水中花の水かへてより>などに生きている。

ここには後に「情痴俳句」などと蔑まれる要素は何もない。

雪の宿貨車の連結みてゐたり
玻璃拭くと木の芽をさそふあめのいろ
春雷はあめにかはれり夜の対坐
夫ならぬひとによりそふ青嵐
湯の中に乳房いとしく秋の夜

日常詠も然り。強烈な個性はないが、清潔感のある詩情が感じられる。恋の句を思わせる<夜の対坐><夫ならぬひと>も慎ましい。自分の肉体についてもせいぜい<湯の中の乳房>という控え目な表現しか見当たらない。

しづ子が「性」や自分の肉体を大胆に詠み始めるのは昭和23年の2月以降である。この年にしづ子に何があったのか。

ダンサーになろか凍夜の駅間歩く   「樹海」4月号 S23(『指輪』)
実柘榴のかつと割れたる情痴かな   「樹海」6月号 S23(『指輪』)
まぐはひのしづかなるあめ居とりまく   「樹海」8月号 S23(『指輪』)
裸か身や股の血脈あをく引き   「樹海」8月号 S23(『指輪』)
欲望や寒夜翳なす造花の葩   「樹海」3月号 S24(『指輪』)
<まぐはひのしづかなるあめ居とりまく>は、部屋の外に降る静かな雨を肌に感じながら、軀を重ね合う男女の性愛の深さが感じられ成功している。が、あとの句は言葉の強さのみが浮き、作品としては失敗していると思う。
真っ正直というのか、挑発的というのか、ただ単に比喩や象徴を用いる技術がないのか、しづ子は丸腰で俳句に挑んでいる。
大旱のむなしく冷ゆる溶鉱炉   竹下しづの女
袋角見し瞳瀆れてゐたりけり   橋本多佳子
すつぱだかのめんどりとなり凍て吊され   三橋鷹女
闇の中髪ふり乱す雛もあれ   桂信子
天地の息合ひて激し雪降らす   野澤節子
上記の女性俳人の句も「性」を詠んだものに思えるが、直接的な表現はけっして使わずに詩的な美意識を保っている。
<冷ゆる溶鉱炉><袋角><めんどり><髪ふり乱す雛><天地の息>など、深読みすれば女性器、男性器、女体、性行為のメタファーにも見える。これらの女性俳人は「私」と「性」を切り離して詠むことで通俗的な視線を跳ね返している。
一人、多佳子だけは「私」の「性」を当然のように詠んでいる。
雄鹿の前吾もあらあらしき息す   橋本多佳子
<吾も>と言ってしまうところが多佳子の凄いところだ。性欲を詠んでもけっして穢れない多佳子。
一方しづ子は、
肉感に浸り浸るや熟れ柘榴   「樹海」6月号 S23(『指輪』)
技術なんか関係ない。穢らわしいと言われてもいい、軀が摑み取った実感を生々しく詠むしかない。<肉感に浸り浸るや><熟れ柘榴>も稚拙な表現であることにしづ子は気づかない。師である松村巨湫はしづ子の俳句表現を鍛え上げることをしなかったのだろうか。
しづ子の物語の最大の謎はこの巨湫という男だ。が、それはまた後にふれることにする。
しづ子はなぜ赤裸々に「性」を詠まなければ気が済まなかったのか。
自費出版の広告に飛びつき第一句集『春雷』を上梓した経緯や、序文を貰うために独居の師の宅へ押しかけるエピソードなどからは、俳人として世に出たいというしづ子の野心が伺える。
若さと美しさを武器に「性」を詠むことでもっと注目を浴びたいという思惑がしづ子にはあったのかもしれない。
が、それだけではないだろう。
こころの疵からだの疵さむざむと在る玻璃の疵   『指輪』
<こころの疵><からだの疵>はあまりにベタな表現であるが、<さむざむと在る玻璃の疵>にはリアルな痛ましさを感じる。 「性」を詠むことは、やはりそれなりに傷つくことだ。好奇の眼に晒されることも、罵倒されることもある。
それなのになぜ、しづ子は「性」を生々しく詠んだのか。
『春雷』を上梓した昭和21年5月にしづ子は母を喪う。それから間もなく出征した婚約者の戦死の報が届く。
戦時中、家族が福井に疎開することになった時も、しづ子は一人東京に残り婚約者の帰りを待っていた。
東京と生死をちかふ盛夏かな(爆撃はげし)   『春雷』
この句からは絶対に東京から離れないという一途な女性の姿が浮かび上がる。
昭和22年9月に妹が結婚し、28歳になったしづ子は下関に赴任中の父に呼び出され、結婚しろと迫られる。
この時、しづ子は叔母の住む岐阜を訪ねている。叔母はアララギ派の歌人であった。
昭和23年2月、母の三周忌も待たずに父が再婚する。
父と再婚相手との関係は、母の生前から続いていたという。父の裏切りを知り、しづ子の中で何かが壊れた。
父の恋母にはあらず曼珠沙華   未発表 S26.9.26
父の恋もつとも汚れゐし槐   未発表 S26.9.26
稲妻に父憶ふとき汚れけり   未発表 S26.9.26
稲妻や母のわだちぞ踏むまじく   未発表 S26.9.26
蝿打つて父への記憶不潔のみ   未発表 S27.7.5
これらの句は、父の裏切りを知った3年後に詠まれたものだ。しづ子はずっと父を許せなかったのだろう。
<父憶ふとき汚れけり><父への記憶不潔のみ>からは父への怒り、憎しみ、激しい嫌悪が伝わってくる。
と、同時に潔癖すぎるしづ子の苦しみ、悲しみも伝わってくる。
しづ子が「性」を詠まずには済ませられない背景がここにあると私は思う。
赤裸々に「性」を詠み自身が穢れることが、母を裏切った父への復讐なのだ。
昭和23年2月、父の再婚を機にしづ子の俳句は大きく変貌する。
と、同時にしづ子の実人生も。
まるで父への当てつけのように、しづ子は自らの「性」を解放していったのではないか。
「樹海」同人の大学生と恋に落ち、その恋の最中にしづ子は会社の同僚のプロポーズを受け、結婚する。
すでに恋ふたつありたる雪崩かな   「樹海」7月号 S23
擲たるるや崩れ哭くこと意識する   「樹海」7月号 S23
ほろろ山吹婚約者を持ちながらひとを愛してしまつた   「樹海」7月号 S23
上記2句は巨湫が編集した第二句集『指輪』に収められている。<崩れ哭くこと意識する>とは、陳腐極まりない表現だ。
この句をなぜ句集に収めたのか。やはり巨湫という男はわからない。
生真面目なしづ子は蓮っ葉な女を演じることにしだいに疲れていったのではないか。
「性」を生々しく詠むことで気持ちを駆り立て、まるで懲罰のようにより激しい表現へと自身を追い込んでいったのではないか。
食べては吐き、吐いては食べを繰り返す過食症の女のように、恋に溺れては自分を罰し、俳句を嘔吐し続けなければならない切実なものが、しづ子の中に渦巻いていたのではないか。
昭和23年5月、母の三回忌の法要でしづ子は愛知県犬山市を訪れている。妹とはこの時以後会っていないという。
落暉美し身の系累を捨てにけり   「樹海」7月号 S25
昭和24年、30歳になったしづ子は同僚との短い結婚生活にピリオドを打ち、東京を去った。
しづ子は一切を捨て、叔母を頼って岐阜へ向かう。
くりかへす他郷の冬や髪長く   未発表 S26.12.19
髪梳けばふるさとのごと雪降れり   「樹海」12月号 S27
この時からしづ子の流転人生が始まる。
しづ子はなぜ岐阜へ向かったのか。
なぜダンサーになったのか。
しづ子の夜が、露けさの部屋に降りつもってゆく——。
一回完結を目指していたのだけれど、とても書ききれない。この稿は来月に続きます。
怪物しづ子の俳句に寄り添う、もう一人の「黒い女」の登場も次回になります。
  • 参考文献

鈴木しづ子『夏みかん酸つぱしいまさら純潔など』 河出書房新社
『道の手帖 鈴木しづ子』 河出書房新社
川村蘭太『しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って』 新潮社
江宮隆之『凍てる指』 河出書房新社
宇多喜代子『女性俳人の系譜』 日本放送出版協会
『女性俳句の世界』第3巻 角川学芸出版
など。

2013年2月22日金曜日

再録・黒い十人の女(四) 柴田千晶

未婚一生洗ひし足袋が合掌す   寺田京子

前回の三好潤子と同様、寺田京子も宿痾と闘う俳人であった。生涯独身という境遇も似ている。

京子は少女期から胸を患い、二十代に入ったころには胸部疾患の重篤患者として療養生活を送っている。

少女期より病みし顔映え冬の匙   『冬の匙』

京子の詳しい年譜はなく、現在のところ「寺田京子句碑建立記念誌」(寺田京子句碑建立発起人会)と栗林浩著の『続々俳人探訪』(文学の森)の「寺田京子探訪——白いベレーの俳人」がもっとも詳しい資料と言えそうだ。残念ながら前者は未読。

第一句集『冬の匙』(札幌ペンクラブ)は、34歳の刊行。郷土出身の作家、青木たまが序文を、師である加藤楸邨が跋文を書いている。「あとがき」によると句集の構成は、年代と季節にこだわらず、心の流れに従ったとある。シナリオライターでもあった京子は、意識的な構成で自身の年譜を作ったとも言える。その流れに沿って京子の半生を読んでゆくと、厳しい日常が見えてくる。

死なさじと肩つかまるゝ氷の下

この句の自注に、病気に倦きて多量の睡眠薬を呑み自殺を図ったとある。死なさじと肩を摑んだのは母だ。氷のような死の床から浮上すれば娘を死なせてなるものかという必死の形相の母の顔がある。原句は「氷かな」であったのを楸邨が「寒雷」に掲載する際に「氷の下」に訂正したとある。「氷の下」の方が確かに荒涼とした精神を鋭く表現している。

黙し食みをれば鰯は涙の色

この句には、<父他人に欺かれ棲家を失ふ。暫くを縁者の家に寄れば日々耐え難きこと多し>という前書きがある。親戚の家に一家で身を寄せ、肩身の狭い思いをしていたのだろう。

霧の夜へ一顔あげて血喀くなり
かくれ喀きし血のいきいきと秋の水

病を詠んだ句。<一顔あげて><かくれ喀きし>がなんとも痛ましい。
病床の京子を長きに渡って看取っていた母もまた病に倒れ、今度は病人である京子が母を看取るという状況に陥る。

荒野に銃鳴るや病母の糞とれば(母 脳内出血にて倒る 熱の身に看取れば)
母看取る何処に坐すも雪嶺見ゆ(母 ふたたび病ひに倒る)
冬畳とりすがる死の無造作なり(癒え近き日、母心臓麻痺にて逝く)
五体夕焼亡母の他は頼られず

心から頼りにしていた母も亡くなり、京子は深い喪失感に襲われる。しかし京子は主情的にはならず母の死を<無造作なり>と突き放すように詠んでいる。そこに却って京子の深い悲しみを感じる。
後に遺されたのは、京子と兄と二人の妹、そして父。

父が寝し闇より生れて髭ふる虫
父に縁談四方あまさず雪がふる

京子には恋の句や不倫を匂わせるような句もあるのだが、前回の三好潤子の句に漂う生身の男の存在が感じられない。男の存在が希薄なのだ。男よりも生々しく詠まれているのは父の存在。

一句目、父の閨から生まれてくる<髭ふる虫>は官能的だ。髭をふるわせながら京子に近付いてくる。

二句目、妻を亡くしたばかりの父に持ち上がった縁談話に、京子は父への嫌悪と自分だけが取り残される不安を感じている。

嫁がんと冬髪洗ふうしろ通る(母代りとなりて、妹栄子を嫁がす)
嫁ぐ微笑嫁きて枯空底がなし

年頃になった妹を病身の京子が母親に代わって嫁がせる。

一句目、婚礼の身支度をする妹の後ろを京子は複雑な思いで通り過ぎたはずだ。

二句目、幸福の絶頂にある妹を見送る京子の頭上には枯れた空がある。嘘がつけない京子は<底がなし>とまで言ってしまう。

顔入れて押入さみし朝の蝉
末枯やねむりの中に生理くる

一句目、押入れに顔を入れてみたらふいにさみしさが込み上げてきた。押入れは京子の空っぽの子宮だ。

二句目、おそらく一生妊ることのない軀に、ひっそりとまた生理はやってくる。<ねむりの中に>がもの悲しい。

以上が第一句集『冬の匙』から見た京子34歳までの年譜である。

前置きが長くなったが、このような背景の中で冒頭の句は生まれた。

未婚一生洗ひし足袋が合掌す

洗った足袋を仕舞う時に、何気なく合掌するように足裏を合わせて畳に置いてみた。京子に向かって足袋が合掌している。

<未婚一生>と<合掌>、実にシニカルな句である。

この句について、二人の男性俳人が鑑賞している。その内容がとても興味深かった。

上野一孝の鑑賞。

作者にとって第一句集『冬の匙』は「私の花嫁姿」だと、その「あとがき」で述べているが、それは病身であるがゆえ、「花嫁姿」にはなれないという覚悟から発せられた比喩であろう。(後略)
 
足袋を洗濯して干そうとして吊したら、それぞれの裏側が「合掌」しているように合わさってしまったと言うのだ。「合掌」している「足袋」は、作者と未知の夫を象徴するようである。(中略)「足袋」であるところに、いささかのおかしみがあり、「未婚一生」の重たさを救っているのである。(『鑑賞 女性俳句の世界』第4巻「意思のちから」より)

栗林浩の鑑賞。

一生未婚で過ごすのだと決めつつ、洗った足袋を仕舞っている。足袋の底と底を合わせて畳んでいるとき、ふと生まれた句であろうか。この合掌には「もしかして」という幸せを希う気持が見えて、しかも京子には珍しく徘徊味のある句である。(『続々俳人探訪』「寺田京子探訪——白いベレーの俳人」より)

どちらも<洗ひし足袋が合掌す>に救いを見ている。
しかし私はこの<合掌>におかしみをまったく感じない。これは厳しい句であると思う。<合掌>は祈りの形。未来の幸福を願う形とお二人はとったのだろうが、私にはこの<合掌>が弔いの形に見える。<未婚一生>ときっぱりと言い切り、自分を突き放す。
それではあまりに自虐的ではないかと思うかもしれないが、私はそこにこの作家の潔癖さと、凄みのある美しさを感じる。

わが身に合掌し、京子は自らを葬ったのだ。

神泉駅……ローソン……フェンシング練習場……ホテルペリカン……道玄坂地蔵……道玄坂地蔵……。

円山町のホテル街の中心の四つ辻に道玄坂地蔵は立っていた。唇に紅を指したお地蔵さまはどこか艶めかしい。

15年前、毎日この地蔵の前に立ち続けた39歳の女性が神泉駅近くの古びたアパートの空室で何ものかに絞殺された。

1997年3月に起きた俗に「東電OL殺人事件」と呼ばれた事件である。

被害者は、昼間は東京電力に勤務する会社員、夜は円山町のホテル街で客を取る売春婦という二つの顔を持っていた。慶応大学卒業後、東電初の女性総合職となった未婚のキャリアウーマンと「売春」というダークな行為との落差に世間は衝撃を受けた。

彼女はほぼ十年間毎日、仕事帰りに円山町へ通い売春行為をしていた。東電のある新橋から銀座線で渋谷に出て、109のトイレで腰まであるロングのカツラを付け、青いアイシャドーを太く塗って売春婦の顔になり、道玄坂を上がる、そして円山町に消えてゆく。

ホテル街の四つ辻にある道玄坂地蔵の前で彼女は客を引いていた。一日に4人の客をとるというノルマまで課して。

事件後、マスコミによって暴かれていく彼女の数々の奇行。コンビニでおでんを買う際には必ず一つのカップに一つの具を入れ、汁をたっぷり入れたカップを五つくらい提げて帰ったとか、どこかで拾ってきたビール瓶を酒屋に持ち込んで換金を要求し、十円を百円玉に、百円を千円札に逆両替していたとか……佐野眞一著の『東電OL殺人事件』にはもっと凄絶な姿が描かれている。
その存在の生々しさに圧倒された。

当時、多くの女性たちがこの事件に共感し、巡礼のように円山町を訪れ、道玄坂地蔵に詣でるという現象が起こった。

私も当時、彼女の足跡を辿るように円山町のまるで書き割りのような路地を歩いてみた。
道玄坂地蔵はホテル街の中心にあるはずなのだが、同じ場所をぐるぐる回るだけで、どうしても目的の場所には辿り着けなかった。

諦めかけたその時、ふっと振り向くとそこに道玄坂地蔵はあった。

私はその後も何度か現場に足を運び、この事件をモチーフに『空室』(ミッドナイト・プレス)という詩集を書き上げた。

3年ほど前にも再びあの路地を歩いてみたのだが、なぜかまたぐるぐると迷い、人に尋ねてようやく辿り着くことができた。

あの書き割りのような路地の風情は変わってしまっていたが、道玄坂地蔵は変わらずにそこに在った。

「東電OL」と呼ばれた女性がこの路地をさ迷う姿を思い浮かべると、凄まじく荒涼とした風景が見えてきて慄然とする。

彼女もまたわが身を合掌し、この路地に自らを葬ったのだ。

ばら剪つてわれの死場所ベッド見ゆる   『冬の匙』
東電OLはラブホテルのベッドに、京子は病室のベッドに、自分の死場所を見た。

生きているうちに自分の死場所をじっと見つめる。ここできっと自分は死ぬのだと。諦念などというきれいな言葉では片付けられない。京子はもっと強い意志を持ってベッドを見つめている。ここが私の死場所なのだと。薔薇は自分への手向けだ。

加藤楸邨は『冬の匙』の跋文で、自分自身をも突き放した京子の視線について、

絶対にありきたりの女らしさなどといふ甘えたものに負けてはゐられないという目だ。かういう目を持つ人は、場合によつては俳句的な俳句を拒否する。あくまで自分の生きていることを証拠だてないと安心しない。弱気の句、受身の句ではなく、掘鑿の句だ。

と述べている。
楸邨のこの言葉は、東電OLにもそのまま当てはまるのではないか。
彼女は自分の生きていることを証拠だてるために、毎日、円山町に通い続け、あの道玄坂地蔵の前に立ったのだ。

足袋履くやつひに男に幸を見ず   『冬の匙』

どちらの女も普通の結婚に幸福を見ることができなかった。

日の鷹がとぶ骨片となるまで飛ぶ   『日の鷹』

しかし骨片となるまで、どちらの女も激しく生き抜いたと言えるのではないか。
1976年(昭和51年)6月、京子は生前三冊の句集を世に遺し、54歳の短い生涯を閉じた。

樹氷林男追うには呼吸足りぬ
待つのみの生涯冬菜はげしきいろ   以上『日の鷹』

彼女たちは何を追いかけ、何を待っていたのだろうか……。

ひかりたんぽぽ生まれかわりも女なれ   『日の鷹』

京子はふたたび女に生まれてくることを願った。
東電OLもまた女に生まれることを願っただろうか……。

のぼりつめて師走満月葱もて指す   『日の鷹』

道玄坂をのぼりつめた東電OLも師走の満月を見上げただろうか。
古びたバーバリーのコートを着て、たった独りで挑むように。
「絶対にありきたりの女らしさなどといふ甘えたものに負けてはゐられない」と——。

10月29日、この事件の元受刑者であるネパール国籍の男性の再審第1回公判が開かれる。真犯人は未だに不明のままである。

  • 参考文献

  • 寺田京子『冬の匙』 札幌ペンクラブ
  • 寺田京子『日の鷹』 雪櫟書房
  • 寺田京子『雛の晴』 寺田京子句碑建立委員会
  • 『女流俳句集成』 宇多喜代子・黒田桃子編 立風書房
  • 『女性俳句の世界』第4巻 角川学芸出版
  • 栗林浩『続々俳人探訪』 文学の森)
  • 佐野眞一『東電OL殺人事件』 新潮社
  • 佐野眞一『東電OL症候群』 新潮社
など。

2013年2月15日金曜日

再録・黒い十人の女(三) 柴田千晶

雷鳴に醒めたる顔を誰も知らぬ   三好潤子  


食器棚のガラス、浴槽に張った水、夜の電車の窓、不動産屋の自動ドア……思いがけないところに映った自分の顔にはっとすることがある。鏡には映らない真顔、無防備で疲れた顔。
なんて絶望的な、なんて寂しげな、なんて冷徹そうな(まるで犯罪者のような)顔に見えたり、空っぽのがらんどうに見えたり。

畳にうつ伏せのまま眠ってしまい、雷鳴にはっと目覚めた時、硝子戸に見知らぬ他人の顔が映っていた。

あっ、と思ったがすぐに自分の顔とわかり、自分の中にまだ誰にも見せたことのない顔が一枚あることを知った。

三好潤子は醒めた眼で自分を見つめている。自分を突き放している。そこにどうしようもない孤独が寄り添う。

山口誓子は「天狼の若い女性同人の津田清子、橋本美代子、藤本節子は、いずれも橋本多佳子系統に属する作者である。ひとり三好潤子のみ別の系統から現れた変り種である」(日本経済新聞「私の履歴書」より)と、書いている。この一文から、誓子が潤子の才能を認め、大いに期待をしていたことがわかる。事実、潤子は「天狼」の同人に与えられるスバル賞(年間自選作品最優秀賞)を4度も受賞している。

第一句集『夕凪橋』は異例の句集である。山口誓子の序文と小説家の小島政二郎の跋文が載り、誓子選と政二郎選の二章立てとなっている。誓子の厳しい選からもれた句を小説家の眼で政二郎が拾い上げている。

政二郎の跋文は「この人は会つてゐても、特殊な物言ひをする。多くない語彙で、ムードのある物言ひをする。皮肉も言へば、鋭い批評もするし、複雑な女の感情や心のうちを、じれッたがりながらも完全にこつちへ伝へずには置かない。」と、潤子の女性としての魅力を前面に描きつつ、「これまで誰からも打ち明けられたことのない女の本能のなまなましさ、さういふ女性の新鮮な官能が、感情が、神経が、肉体が、彼女の俳句の中に脈打つてゐる。さうして大胆な単純な表現の中に、彼女の原始的な色と光と形となつて実に新鮮である。」と、潤子の俳句の魅力を手放しで讃えている。

政二郎が指摘する「女の本能のなまなましさ」が、確かに潤子の俳句の根っこにはあるのだが、それがそのまま詠まれた作品からは古い情趣が感じられる。

春の蝉帯のゆるみに鳴きこもる
夕焼を睫に溜めて汽車にゐる
いづこより来る寂しさや蕗を煮て
鰯雲割烹着着て主婦めく日
身の内を衝き来る雪や逢ひにゆく
飛ぶ雪の奥に男の眼を感ず
妻の座の束縛もなし麻の帯   以上『夕凪橋』
魔の霧も掌と掌の温み奪へざる   『澪標』
雛段に女盛りの雛ばかり   『是色』


潤子は生涯家庭を持たなかった。独身であるのに上記の句は良妻賢母の思考の枠に留まってしまっている。

しかし、誓子に構成力を鍛え上げられた潤子は、古い情趣を捨てて新しい感覚を自分のものとした。

晝の情事枯れ梳く公園日が當る
君を消し得るか聖菓の燭を吹く 
地下深く籠らす冬灯未完のビル
洋上に月あり何の仕掛けもなく    
行きずりに聖樹の星を裏返す   『夕凪橋』

何もかも枯れ果てた公園に冬の日が当たっている。その奥の枯れ梳いた雑木林にも日が当たり、抱き合う男女の姿がちらちらと見えている。他人の情事を遠くから見ている潤子。ここに描かれているのは作者の孤独だ。

或いは、自分と男との情事を、公園で遊ぶ子供や主婦たちから見られているかもしれないと妄想したのか―。

自分をモノのように見る眼を潤子は持っていた。

情事という俗っぽい言葉を主情的に描けば陳腐になるが、構成的に描けば生の瞬間を捉えた新鮮なカットとなる。

三好潤子について、自由奔放、天衣無縫、手練手管、華やか、活発、わがまま、直向き……などさまざまに言われているが、ほんとうはどんな女性だったのだろう。
潤子は曼珠沙華を多く句に詠んでいるが、この花について「わたしは、この花を見ると、疎外者の哀しさを感じるのである。」(「私の歳時記」S49.3)と書いている。「疎外者の哀しさ」は、潤子自身のことを述べた言葉だったのかもしれない。

潤子は、ほんとうの顔をまだ誰にも見せたことがなかったのかもしれない——愛した男たちにも。

1944年6月、トラック諸島に向かって航海中のカツオ漁船群は米軍機の攻撃を受け、分乗していた31人の軍人軍属は太平洋マリアナ諸島に位置するアナタハン島に命からがら泳ぎ着いた。

アナタハン島では日本企業によるヤシ林の経営が行われ、その出張所に2人の日本人、農園技師の男とその部下の妻が暮らしていた。部下は消息不明となっており、取り残された妻、K子は夫の上司である農園技師と親密な関係になっていた。

そこへ流れ着いた31人の男たち——。

彼らは原住民たちが1人残らず消えたこの孤島で共同生活を始めた。

1945年8月15日の終戦を知らず、彼らは米兵に見つかることを怖れ、乗っていた船ごとに集落を作り隠れ住んでいた。

島でたった1人の女、K子と農園技師が正式な夫婦ではないことがわかった時から、男たちの間に奇妙な空気が流れ始めた。

やがて男たちはK子を巡って殺し合いを始める。

1人、また1人と男たちは殺されてゆき、或いは行方不明となり姿が見えなくなっていった。
K子と同棲していた農園技師も食中毒で亡くなっているが、本当に病死であったのかはわからない。

生き残った男たちは次々とK子の夫となり、順番に殺され、いつの間にか13名の男たちが島から姿を消していた。

1951年、アメリカ軍に救出された19人の男たちと、たった1人の女であるK子が無事日本に帰国した。

アナタハン島で一体何が起こっていたのか、誰がいつ何処でどんなふうに死んでいったのか、男たちの不可解な死にK子は関わっていたのか、全ては藪の中に葬られたまま。

奇蹟の生還を果たした「アナタハンの女王事件」の主役、K子は、ここから更に過酷な日々を送ることになる。

「アナタハンの女王」「アナタハンの毒婦」「32人の男を手玉に取った悪女」とカストり雑誌に書き立てられ、K子は好奇の眼に晒され続けた。国内では「アナタハンブーム」が起こり、K子主演のB級映画『アナタハン島の真相はこれだ』が公開されるなど、K子は一躍時の人となった。

K子はわけもわからぬままマスコミに踊らされ続けたのかもしれない。騙されてストリップの踊り子になったという話まである。

毒婦、悪女、女王蜂、などと呼ばれ、K子は自分のほんとうの顔を思い浮かべることができなくなってしまったのではないか。

「アナタハンの女王一座」の女優として全国を興行して回った後、K子はようやく郷里の沖縄に戻り、結婚して平安な日々を送る。

1972年、K子は脳腫瘍で52歳の若さで亡くなった。

数奇な運命に翻弄されつづけた女の顔が雷鳴に浮かび上がる。

(誰もほんとうの私の顔は知らない)

次の雷鳴に浮かび上がるのは、K子の顔か、潤子の顔か——。

三好潤子は体が弱く、生涯難病と付き合い続けた。
中耳結核、肝炎、両下肢血管栓塞症、脳腫瘍とさまざまな病気に襲われ、入退院を繰り返している。病床にあっても、潤子は醒めた眼で自分の病を詠んでいる。

麻酔秒読み落下傘開かず寒し
百日病み金魚の愛を底から見る   『夕凪橋』

潤子の年譜には病歴と旅の記録しかない。入院しているか旅に出ているか。
病気と旅と恋愛。

潤子は生涯これだけしかしてこなかったのかもしれない。病気も旅も恋愛もすべて非日常である。
潤子にとって唯一の日常は俳句だったのかもしれない。俳句が潤子を日常に繋ぎ止めていたのだ。

還れざる白鳥の白死装束   『是色』

この句を作った2年後の1985年、三好潤子は脳腫瘍で59歳の生涯を閉じた。
潤子はひとり彼の世に旅立っていった。その死に顔は美しかったと誰もが言う。

病に翻弄され続けた潤子は、死に顔となってようやくほんとうの自分の顔を見せることができたのだ。


参考文献
  • 『曼珠沙華』三好潤子(ふらんす堂)
  • 『女性俳句の世界』第4巻(角川学芸出版)
  • 『戦後未解決事件史』(宝島社)
  • 『殺人百科データファイル』(新人物往来社)
  • 『絶海密室』(新潮社)大野芳
  • 『東京島』(新潮社)桐野夏生(本事件を元に創作)


2013年2月8日金曜日

再録・黒い十人の女(二)

黒い十人の女(二)

向日葵の昏れて玩具の駅がある   三橋鷹女


見慣れた日常の風景がふいに作りものめいて見えるときがある。光線の具合でそう見えるのか、心理的な要因からなのか。今まで現実のものとして見ていた街並みが、白いプラスチック製の模型のように見えたり、ベニヤ板の書き割りのように見えたり。

現実が剥落してゆく感覚とでも言おうか、世界に自分一人だけが取り残されてしまったような、あるいはたった一人だけ弾き出されてしまったような、そんな感覚を覚えたことはないだろうか。

この句は『魚の鰭』(昭和16年刊)所収、昭和14年―15年の間の作品であるが、現代の新興都市にありそうな無機質な駅をも連想させる、古さをまったく感じさせない句である。

汽車が発着し、人が行き交う駅。誰もが何かの目的を持ってそこに居る。
鷹女は人を待っていたのか。それともどこかへ行こうとしていたのか。

線路脇には向日葵が咲いている。日が落ちて向日葵が翳ると、ふいに見慣れた駅が作りものの玩具の駅に見えた。駅に残る人々の熱気や体臭、騒音、話声、それらが消えて、玩具の駅に鷹女はぽつんと立っている。

向日葵と駅のモチーフで鷹女は次のような句も作っている。

向日葵の駅々は車輪灼けて過ぐ<
向日葵陽に汽罐車貨車を牽き来る
ひまはり黄に毛虫のごとく汽車停る
向日葵の昏れて玩具の駅がある   『魚の鰭』

この一塊の作品を読むと、鷹女はこの駅で半日か、少なくとも数時間はじっと過ごしていたことになる。汽車の車輪が灼けるほどの強い日射しの真昼から,汽車が黒いシルエットの毛虫のように見える夕刻、そして向日葵が昏れて見えなくなってしまう日没まで。そんなにも長い時間、鷹女は駅で何をしていたのだろう。

鷹女の特質について、高柳重信は次のように述べている。

鷹女の俳句の魅力の一つは,僕のような男の眼から眺めたとき、まさに手のつけようのない女の情念の深い深い常闇としか思えないものが、おどろくべき執念深さを発揮して遂に辿りついたところ、いわば静まりかえった恐ろしどころの光景にあった。(「三橋鷹女覚書」部分。昭和51・4『三橋鷹女全句集』)


重信の言う常闇とは何か。その闇はどこからくるものなのか。

寂しさよ昏れて田螺の吐く水泡   『魚の鰭』
日本の我はをみなや明治節   『向日葵』
葭切や未来永劫ここは沼   『白骨』
老いざまや万朶の露に囁かれ   『白骨』
すつぱだかのめんどりとなり凍て吊るされ   『向日葵』

言いようのない淋しさ、明治生まれの女の良妻賢母という鋳型、計り知れない性の深淵、老いへの恐怖、あるいは激しすぎる自分自身から、その闇はやってくるのか。

鷹女は人を待つでもなく、どこかへ行くという目的もなく、半日駅で佇んでいたのかもしれない。昏れてゆく向日葵をじっと瞶つめて。

ついに汽車に乗らなかった鷹女は、何ごともなかったかのように日常へ戻り、俳句の中へ逃亡したのだ。

さやうなら霧の彼方も深き霧   『白骨』

「本当は、私が捕まるのを楽しみにしてるんでしょ?」
「あなたの姿、一度見たわ。そのうち、また会うかもしれない。見つけて。うふふっ、じゃあ切るね」
「逆探知されたら困る。うふっ、もう切る。切るよ」

鼻にかかった声がワイドショーから聞こえてきた。
「危ない.危ない」という言葉が後に流行るほど人々の関心を集めた「和歌山ホステス殺人事件」の指名手配犯、福田和子の肉声テープだった。

1982年、福田和子は元同僚ホステスAさんを殺害し、夫に手伝わせて死体を山中に埋めた。Aさんの家財道具一式を盗み、男と密会するためのマンションの部屋に盗んだ家具をそっくり運ぶという不可解な行動と、美容整形で顔を変え、15年に及ぶ逃亡生活を続けていることが話題となった。

指名手配ポスターには7つの和子の顔写真が印刷されていた。地味なおばさん顔から婀娜っぽい女の顔まで、すべて別人のように見えた。和子は整形するたびに生き生きとした女の顔を手に入れている。

高井はつ美、小野寺忍、中村れい子、藤原千里……和子は20以上の偽名を使い分け、ホステスやラブホテルの清掃員となって、名古屋…京都…大阪……新潟…青森……千葉…埼玉……和歌山…福井……全国を転々とした。

押し寄せる不安と孤独を紛らわせるかのように、和子は複数の男と関係を持ちながら逃走し続けていた。

金沢のスナックでは客の一人である和菓子屋の主人と懇意になり、その後妻(内縁関係)に納まっていた時期もある。人当たりもよく働き者の和子は店を繁盛させ、大胆にも我が子を親戚の子と偽って店に呼び寄せて働かせていた。

入籍を拒み続け、不信に思った親戚に正体がバレて、逮捕に駆け付けた警察官の行動を寸前に察知し、危機一髪のところで、和子は葬式会場から自転車に乗ってそのまま逃走したというエピソードもある。

何が何でも逃げ切ってみせるという、この逃走のエネルギーには圧倒される。

映画『kamome/カモメ』(監督・中村幻児、主演・清水ひとみ)は、ドキュメンタリータッチで福田和子の半生を描いている。

「時効は解脱なんよ。15年過ぎれば解脱できる。解き放たれるんよ」

という印象的なセリフがある。
まったく身勝手で都合のよい考えではあるが、逃亡し続けることで和子はなりたい自分に近付いていったのではないか。

虚栄心が強く僻みっぽくて嫉妬深い地味な中年女が、逃亡を続けるうちに気さくで朗らかな、まるで別人の華やかな女へと変貌した。

俳句の中へ逃亡した鷹女は、なりたい自分になり、存分に自分を解き放つことができたのだろうか。

逃亡し続けた和子と、現実には逃亡しなかった鷹女が、日の昏れた駅のホームの両端に立っている。

ひまはりかわれかひまはりかわれか灼く   『羊歯地獄』

まったく対極にいる二人だが、身を灼くほどの過剰なエネルギーをどちらも持っていたのではないか。

〈まさにに手のつけようのない女の情念の深い深い常闇としか思えないもの〉を。

墜ちてゆく 炎ゆる夕日を股挟み   『羊歯地獄』

過剰なエネルギーを制御できずに、自分の思うままに生きて破滅の道をひた走った和子は、時効成立21日前の1997年7月、福井市内の行き付けのおでん屋を出たところで逮捕された。

公訴時効成立11時間前に福田和子は殺人罪で起訴され、2003年、最高裁で無期懲役が確定した。その僅か2年後、福田和子は脳梗塞にて服役中の和歌山刑務所で死去した。享年58だった。

鷹女は良妻賢母の鋳型に納まる事を良しとし、それでも尚、あふれてくる過剰なエネルギーを一心に俳句に投じた。

『向日葵』『魚の鰭』『白骨』『羊歯地獄』『橅』と、一冊ごとに顔を変え、鮮やかに変貌し、

くるるるるるる音無谷の羊歯のうぶごゑ   『橅』

鷹女はたった一人でだれも行ったことのない駅に降り立ったのだ。




■参考文献
  • 『現代俳句の世界11 橋本多佳子 三橋鷹女』 朝日文庫
  • 『高柳重信読本』 角川学芸出版
  • 『女性俳句の世界』第2巻 角川学芸出版
  • 佐木隆三『悪女の涙』 新潮社
  • 大下英治『福田和子 整形逃亡5459日』 廣済堂出版
  • 松田美智子『福田和子はなぜ男を魅了するのか』 幻冬舎
  • 福田和子『涙の谷』
■本編は『詩客』日めくり詩歌に掲載された記事を再掲載しております。

2013年2月1日金曜日

再録・黒い十人の女(一) 柴田千晶

白き蛾のゐる一隅へときどきゆく   飯島晴子


真夜中の国道でハンカチを畳んだような大きさの白い蛾を見たことがある。蛾は対向車線をバサッバサッと重たげに飛んでいた。あっ、と息を呑むほど異様な、あの白い蛾の独特な美しさは、飯島晴子の句が放つ異様さとどこか通じるものがある。

 
部屋の一隅に白い蛾がいる。「ときどきゆく」というのだから普段は使っていない部屋なのだろう。蛾はじっと動かずに居る。すでに骸となっているのかもしれない。その姿をときどき見にゆく。なぜ見にゆくのか、なぜ気になるのか、その理由はわからない。おそらく晴子自身にも。ただその存在を確認し、「ああ、まだそこに居る」と安堵したかったのだ、きっと。晴子は人から忌み嫌われる白い蛾の存在を身近なものに感じていたのかもしれない。

晴子の句を読んでいるとだんだん人間の世界が遠ざかってゆく。異形のものたちが隠れ棲む山里にいつのまにか紛れ込んでいる。

菫咬む山姥の歯の日ぐれにて
死ぬひとの袂を蒐め夏山姥
ほろほろと茸こはるる眠姥
走る老人冬の田螺をどこかで喰ひ
雪姥のからだにあはせ雪の木や
闇を出る婆はたくさん蕪持ち   以上『蕨手』所収

死ぬひとの袂ばかりを蒐める山姥も、田螺を喰ってひた走る老人の姿も異様だ。闇から出てきた婆が持っていたのはほんとうに蕪なのだろうか。

秋山に箸光らして人を追ふ
桔梗一本ここでひきまはされしかと  以上『春の蔵』所収

箸を手に光らせて追いかけるのは人を喰うためか、桔梗が一本咲いている場所で引回されたのは山姥か。これら異形のものたちは晴子の中に棲んでいる。

初夢のなかをどんなに走つたやら   『儚々』所収

どんなに走っても抜けられない夢の中を走り続けているうちに晴子は山姥になってしまったのかもしれない。だが非凡な存在は平凡なものたちに疎まれ排除される運命にある。非凡な姿を晒し続ければ生き難くなる。平凡なふりをし続ければ自らを殺すことになる。晴子は山姥になりきれなかったのだ。

白い蛾の居る一隅は日常からはもっとも遠い場所。晴子が異形な姿に戻れる聖域。そこで晴子は異様な光を放つ句を産卵し続けてきたのだろう。

阿部完市はこの句を「飯島晴子の俳句」の文中で次のように鑑賞している。

白い蛾がいる、その建物あるいは部屋の片隅へゆくのだ、という。何が原因で、何の理由で、どうやって行くのかなどというこの動作のいわゆる意味は全くさだかでない。人間の動き、行為というものが、そのほとんどが無意味なもの、非意味的色合いそのものであること——をすらりと書いている。すなわち人間の生命の根元のところにある、ただただ生きているということを、まず生きているだけということを一句にしている。(『飯島晴子読本』所収)

人間はときに無意味な行為をすることがある、ということはわかるが、私がこの句から読み取ったのは、阿部完市のいう「無意味さという人間実存」とは違う。もっと能動的で意志をもった行為、ときどきそこへ行かずにはすまない、どうにもならない思い、適切な言葉が見つからないが、しいて言えば人間の持つ業のようなものだ。

一九八四年、札幌市豊平区で九歳の男児が行方不明になった。自宅にかかってきた一本の電話に呼び出されて家を出た男児は、近所のアパートの階段を住人のA子と上がってゆくところを最後に目撃され、そのまま忽然と姿を消した。同日の夜、そのA子が段ボール箱を車に積み込んでいるところを近所の人が目撃している。警察の事情聴取にA子は、確かに○○君は来たが、部屋を間違えていたのでそれは隣だと教えてあげただけのことと言い張った。警察の追及を逃れ、ほどなくA子は引っ越して行った。男児の行方はその後も杳として知れないまま。

一九八八年、新十津川町の農家が火事で全焼し、二階で寝ていた夫は焼死、階下で寝てた妻と娘は無事助かった。この妻が前述のA子だった。夫には多額の保険金が掛けられており、焼け残った納屋からは子供の骨が見つかった。行方不明の男児のものと思われたが、断定はできず、A子は今回も「知りません」と言い通した。

一九九八年、新しく開発されたDNA鑑定によって人骨が行方不明の男児のものと特定された。殺人罪の時効寸前にA子は逮捕、起訴されたのだが、最後まで黙秘を貫き通し、A子の行為によって男児が死亡した疑いは強いが、殺意が在ったかは認定できず無罪となっている。これ以上の事件の詳細は省くが、当時、ワイドショーでも取り上げられ、不可解な事件として鮮明に記憶に残っている。

嫁ぎ先の納屋に偶然、かつて近所に住んでいて行方不明になった男児の人骨があったとは考えにくい。A子は納屋の一隅に人骨があることを知っていたのだろう。A子はときどきそれを見に行っていたのではないか。

納屋の一隅で箱に隠した子供の骨を覗き込むA子の姿と、部屋の一隅で白い蛾を瞶つめる晴子の姿が重なって見えた。

白い蛾の居る一隅はだれの中にもある。その一隅を見ないまま過ごせてしまう人間と、見ずにはすませられない人間がいる。晴子はもちろん後者だ。

冒頭の句に戻る。晴子がこの句で描いたのは、人間の深淵に眠る得体の知れない怪物の存在だったのかもしれない。


「黒い十人の女」は和田夏十脚本、市川崑監督の映画のタイトルを拝借した。心惹かれる十人の女性俳人について書いてゆきたい。
高山れおな氏から、独断と偏見と愛に満ちた原稿を、という依頼状をいただいた。愛はわかるが、独断と偏見にもほどがあるだろう、というものを書いてゆきたいと思う。



  • 参考資料
『飯島晴子読本』(富士見書房)、『殺人者はそこにいる』(新潮文庫)、『ドキュメント・消えた殺人者たち』(ワニマガジン社)