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2026年8月21日金曜日

【連載】名俳句鑑賞へのラブレター5『尾崎紅葉の百句』(高山れおな著、2023年刊、ふらんす堂)豊里友行

 先ずは、巻末の尾崎紅葉論「紅葉が俳句でめざしたもの」(高山れおな)から抜粋を記しておく。

 たとえば故郷は、初期の紅葉の句は談林調が強く、やがて正風に進んだ(あるいは日本派風の表現に近づいた)という見通しを持っていたようだ。しかし、時系列で作品を見て行くと、とてもそのようには言えないことがわかる。談林まがいの破調句も、一見すると日本派と見分けがつかないような描写型の句も、旧派の月並調のようなひねりを利かせた句も、同時多発的に生み出しながら螺旋状に進んでいた―――いささか比喩的になるが、筆者はそのようなイメージを持っている。


    大量十貫目

わが痩(やせ)も目やすきほどぞ初袷    明治三十六年(一九〇三)

 俺の痩せ具合も見た目いい感じじゃないか、衣更えした袷がいかにも似合いだ―――そんな句意になる。だが、前書に言う「十貫目」は三十七・五キログラム。壮年男性の体重として普通ではない。明治三十六年はじつは尾崎紅葉の死の歳である。胃の不調に苦しむ紅葉は三月、ついに大学病院に検査入院し、胃癌と確定した。入院に付き添った弟子の泉鏡花は、〈肋骨(ろくこつ)などが露(あら)はれ〉衰えきった体を見て、〈居合(ゐあは)わせた者(もの)が一同(いちどう)悄然(せうぜん)〉としたと証言する。〈わが痩も目やすきほどぞ〉は、親分肌の江戸っ子の強がり―――その俳諧者流の表現に他ならなかった。


星食ひに揚(あが)るきほひや夕雲雀     明治二十九年(一八九六)

 〈きほひ〉は漢字交じりに書けば「競(きほ)ひ」である。激しい勢い、気勢ということ。星が輝き始めた夕空へ雲雀が飛び立ったさまを、思い切った比喩で捉えた。村山故郷は掲句を含む数句を挙げて、〈擬人法ほための擬人法〉を弄するものとして批判する。故郷の文章にはまた巻末の拙文で触れるとして、こうした批判自体が今やずいぶん次代がかって感じられる。一方、夏石番矢は掲句を〈大胆な想像を注入〉した作として賞賛する。当方が共感するのは番矢の方だ。なお明治二十八年以前の句に、〈夕雲雀隠れしあとや星の数〉があり、これまた面白い。


 巻末の尾崎紅葉論「紅葉が俳句でめざしたもの」(高山れおな)から抜粋を記しておく。高山れおなによる俳句鑑賞の丁寧さと俳句論への情熱に脱帽した。俳句と俳句鑑賞が対だと思う。ひとつの平安時代から伝わる日本の伝統的な遊び「貝合わせ」のように俳句と俳句鑑賞がひとつを成すように私には感じられた。

 以前、「俳句」誌の文人俳句特集(二〇二〇年六月号)で紅葉について書いた時、先ほど挙げた〈星食ひに〉の句を引きながら、紅葉の俳句の核心を一語で表すなら「きほひ」がそれだと述べた。〈言語遊戯的なものを含めた言葉の「きほひ」が、線の太い奇想的なイメージと相乗した時、最も紅葉の句らしい魅力を発揮する〉――今もこの考えに変化はないものの、他方、さらに調べるべき点、なお考究すべきポイントが次々に出てきている。それほど遠くない将来、今回とはまた別な形で、紅葉についてかくことができればと思っている。