2026年8月21日金曜日

【連載】攝津幸彦記念賞応募作品(全国学生俳句会合宿2025評論)11 

西川徹郎の叙情―その初期の要求―   田村転々   


はじめに

 西川徹郎は一九四七年に北海道において浄土真宗の寺の副住職の父の元に生まれその後も仏教と深い関わりを持つ。また、文学については高校生のときに北海道で活動していた細谷源二の主宰する「氷原帯」で俳句の活動を本格的に開始し、それ以降「粒」(山田緑光発行)、「海程」(金子兜太代表)、「渦」(赤尾兜子主宰)などに加えさらに個人誌として「銀河系つうしん」の創刊や攝津幸彦や大井恒行らと同人誌「豈」の創刊などにも関わる。

 今評ではその粒俳句会発行の西川の十代の頃の句作をまとめた第一句集、そして南方社発行の渦退会直後刊行の第二句集を巡って展開していく。


そして

 西川徹郎の初期の俳句について、その前句集の解説において詩人・思想家である吉本隆明は西川徹郎の句を西川徹郎の句たらしめるのはその”過剰”性であると分析している。


沖に帆がてのひらに飯粒が昏れ(『無灯艦隊』以下同)

さくら散って火夫らは耳を剃り落とす

受験期の眠い拳が流れている

夜明け沖よりボクサーの鼓動村を走る


 これらの句集冒頭付近の句にその過剰性はよく現れている。「昏れ」「剃り落とす」「流れている」「村を走る」等、要素として少し多めに設定されているのだ。しかし、これらの単語が句のなかで受け持つ力は大きい。一句目について、沖にある帆から思わせるひろびろとした感覚に対して「昏れ」という執拗な描写によって微かな孤独感が浮かび出されている。二句目に実景というよりむしろイメージの中で桜と炭と耳の色彩やアンバランスさを生々しく伝えていたり、三、四句目も同様に過剰ゆえの言葉の釣り合わなさがある。


死者の耳裏海峡が見えたりする

墓参りしんしんと尾骶骨が冷え

鶴より軽くなりさようならさようなら


 一方で、西川徹郎俳句から切り離せないのが身体的単語である。掲句においては過剰な感覚の中にあって、身体性が異常に感じられるのではないだろうか。一句目の船の行き交う海峡を思うような死者の耳裏の不思議さ、二句目の何より身体の痛いような感覚、そして三句目の諦観にも近いような浮遊感。これらは作者あるいは作品の中の主体(以下、詠者)の感動そのものであり、だからこそ叙情的と言えるのではないか。


馬の瞳の中の遠火事を消しにゆく

夜毎慟哭蛍は沖へ出て帰らず

一ぴきの蝶に襲われている時間


 詠者にここまで過剰な行為を要求するものは一体何であるのか。今掲げた三句は消失に近いテーマを持つ。これも西川徹郎俳句によくみられる馬という単語、一句目のこの馬から疾走感はすでに感じられず、しかひしひしと命が宿っているような感覚を思わせる。二句目、慟哭の中にあってその蛍の薄い光が広く深い闇の中に消えていき、最後に残ったのは虚無だろうか。三句目<草二本だけ生えてゐる 時間  富澤赤黄男>と認識の排除の行われた空間の親和性はありつつも蝶を動的な過剰で捉えることによって、詠者の孤独の感慨と冷酷なまでの観念が伺える。この第一句集『無灯艦隊』を通して描かれているのは、自己投影による永遠の孤独である。有季定型を捨てた西川徹郎は、青春時代を通して自由な世界への憧れを持っていたが、世界には失われているものとそれらに対する自らの過剰な望みであった。それは唯我論的に、描くものそのものの存在を疑い、それを過剰に述べことで存在を確認、認識していたのではないか。まさに、初期から身体や血縁関係に関する単語が多用されているのも同様で、自らの一部でさえも、たとえそれらによって世界を知覚していると分かっていても、存在を疑わざるを得なかった。


廃港の葦をむしんに梳きいたり


 港がありたくさんの船が波音を立てて出入りしていた当たり前を疑い、眼前のそれが失われた時に西川の俳句は始まる。やはりこの句の中でも詠者は〝むしん〟でなければならず、この過剰さこそこの句を詩として独立させているのだ。この句集の中で出てくる〝沖〟という言葉は何を意味するか。それは岸から遠い海、何もないところ


海女が沖より引きずり上げる無灯艦隊(『定本無灯艦隊』)


 一句目の格好良さは言うまでもない。海女に自身を仮託しているのだとしたら。西川は『定本無灯艦隊』の後記で以下のように述べている〝無心に俳句を書き続けて、飢渇の心と戦うように薄暗く繁った青春の日々を送った〟と。この〝無灯艦隊〟と言う概念こそが青春の西川の心を埋める俳句であり、行き先の見えない、それでいて必死に手にし思わず惹かれずにはいられなかったものだったのだ。中七いっぱいの動詞はそうした西川の飢渇の心を表しているのではないか。こうして西川は詩を手に孤独を表出し埋めようとしたのではないか。


 ねむれぬから隣家の馬をなぐりに行く(『瞳孔祭』)

 凩や木となり草となり父は

 父はなみだのらんぷの船でながれている


 この句集は西川の父亡き後に刊行され、この時西川は三三歳である。それゆえに亡父に関する句が多く収録されている。一句目、ねむれないのは勿論詠者であるが、同時に馬も西川の投影対象なのではないか。父を失う悲しみの中で孤独が深まるあまり、自らの状況を客観視し、悲痛になる。二句目、西川の仏教的観念がよく現れている。輪廻とは認識の移り変わりのことであり、そこに魂の主体は存在しない。やはり、西川の中においてものの存在は西川の認識に依存しており、凩に吹き荒れる草木こそが父であると認識するからこそ掲句が成立するのだ。三句目、〝らんぷの船〟という過剰な物質的イメージが父を亡くして見送る寂寥の中でひときわ光を放つ。


桜に繋がれている馬遠い祭を孕み

河より暗い家へ河から泳いで戻る


 やはりここでも西川は自らを馬に投影しており、それは祭に対する憧れでありノスタルジーである。桜や馬は西川の記憶であり、だからこそ束縛されていて、もはや青春や父のいた空間とは異にした時間を生きていることを寂寞として感じているのだ。二句目では家の存在を河の認識で経ることで明らかにしている。しかし、詠者を生かしている河と対照に家は静かにじっと永遠を待っている。ここに西川の俳句における永遠性の発露が見られる。


まいにち舌が尊属殺し夢みたり

風と暮らしひとさしゆびは狂死せん

さらしゆびついばむ鳥がたくさん空に


 父の死後か死前かは不明であるが、この尊属とは間違いなく父のことであるまいか。父の死は自分のせいではなくとも苛まれるのは何か。言葉を発する前に感動が先行している。二句目、三句目、風とゆびの取り合わせとでもいうのだろうか、両句に共通する感覚は自らの身を曝け出し世界に揉まれるような緊張だろうか。とくに三句目の〝さらしゆび〟という単語は自己投影の対象を表すものとして秀でている。


雨のように美し仮面劇観る妻よ

妻よはつなつ輪切りレモンのように自転車

嘔吐の妻鬱金草のごとかがむ路上


 句集中、「羊水溺死」と言う章の句である。この章は妻との生活をモチーフに組み立てた、と西川はあとがきで言う。一句目、自らの孤独を仮面に縛られる個人性とするならば、それを外側から見、解放せんとしてくれる妻の存在は西川にとっていかに大切だったか計り知れない。二句目の健康さはもはや句集中において異常とも言える。こうした妻との生活こそ西川を永遠の孤独を伴う青春から脱却させうるものだったのだ。


父の忌の木にひっかかっている茜


 だからと言って何も完全に孤独を感じなかったわけではなく、〝西川徹郎は俳人としては宿命的な不幸を背負っている〟と吉本が解説で述べたように、これは西川の俳句をわれわれ読者がその叙情を受け取らんとするとき、彼自身の悲痛な孤独の叫びを感じないわけにはいかないことだろう。


あの岸を戦ぐはまんじゅしゃげか舌か


 この句集の最後にこの句を置いた西川はすでに遠くを見ていた。それは死を連想させる赤々と群れ咲く曼珠沙華か、あるいは、何かを伝えるためにそして外界と自らの内側とを繋ぐ舌か。西川の目指した詩、そしてその叙情は青春を幾重にも取り囲む孤独と、それを上から塗り固めんとする言葉の過剰なイメージの要求によって形作られるのだ。


【講評】

 前衛作家である西川徹郎を過剰性と肉体性で読み解こうとしているが、前衛とは自己模倣と同義のところもあるから、「過剰性」が消耗性の中で何を残せるかがポイントだと思う。過剰性は西川の膨大な句集、ひいては作品数に端的に表れているが、こうした膨大な作品を保有する西川を理解するためには、一種の「西川ディクショナリー」を準備することが役に立つ。例えば著名な「無灯艦隊」の句が「無灯艦隊」というそれひとつで佇立する言葉となっているのと違って、ディクショナリーとして見る田村(本人は意識していないかもしれないが)は、身体的単語、馬という単語、父や妻をちりばめて論じている。それはそれでよく納得できるところだ。例えば、一言追加すれば、西川独自の用語は馬である。性の象徴であり、野性の象徴であり、暴力性の象徴でもある。そして西川の数ある馬句の中の名句である「ねむれぬから隣家の馬をなぐりに行く」をあげたのは適切だ。しかし、この句は「怒らぬから青野でしめる友の首(島津亮)」や阿部完市(過剰性がほとんどない)等の前衛同士の比較をするとその独自性が際立つだろう。

 一方で、ディクショナリーで現れてこない田村の評言は、消失、飢渇、孤独、死、永遠等である。これが、評者の主観に止まらず普遍性を持たせているどうかは慎重な吟味が必要だ。ここに冒頭に掲げた「過剰性」がうまく括り取られているかどうかが評価のポイントだと思う。ただもう一つのキーワードである「肉体性」がこれらとうまく調和しきっていないように思えるのだが・・・・。

【付記】
 本連載では、全国学生俳句会合宿2025評論で取り上げた評論10編の内9編をあらかじめの了解を受けて取り上げることとして、この田村論文を以て終了とする。ちなみに、この合宿の最終成果は「全国学生俳句会合宿2025レポート冊子」(令和7年11月23日)となって刊行されているが、この冊子では合宿で紹介されたもの10編の内2編は合宿後冊子編集の段階で手を加えられているものとなっていた。その2編の内、金光論文は応募に当たり合宿で紹介された論文を応募論文とするよう希望があったので当該論文を掲げた。もう一つの西宮ケイ「寺田京子の「アウトサイダー意識」が句作に与えた影響について」は執筆者と連絡が取れなかったので掲載できなかった。連絡を取れる機会があれば、攝津幸彦記念賞応募作品とは別に紹介したいと思う。