2026年7月31日金曜日

第273号

  次回更新 8/21



【告知】第72回松島芭蕉祭並びに全国俳句大会 》読む

【広告】ウエップ俳句通信152号・特集〈筑紫磐井の〈新俳句宣言〉にたいして〉 》読む

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【短期連載】シンポジウム「昭和俳句、何が争点?」

【オンデマンド配信】 》読む

速報   筑紫磐井 》読む

シンポジウム資料 井上泰至 》読む

シンポジウム資料 後藤章 》読む


■新現代評論研究

新現代評論研究(第29回)各論:後藤よしみ 》読む

【連載】攝津幸彦記念賞応募作品(全国学生俳句会合宿2025評論)10 》読む

現代評論研究:第29回各論―テーマ:雲または霧その他― 藤田踏青、土肥あき子、飯田冬眞、しなだしん、北川美美、深谷義紀  》読む

新現代評論研究:『天狼』つれづれ 第11回:「実作者の言葉」…「晝の星」/米田恵子 》読む

【短期連載】筑紫宣言における書簡  利岡龍之介 》読む

現代評論研究:第22回総論・「遷子を通して戦後俳句史を読む」座談会 》読む

【特別稿】口語俳句の可能性・余滴  筑紫磐井 》読む

新現代評論研究:音楽的俳句論 図像編 川崎果連 》読む

新現代評論研究:音楽的俳句論 解説編(第1回)川崎果連 》読む


■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和七年秋興帖

第一(10/31)杉山久子・辻村麻乃・仙田洋子
第二(11/21)豊里友行・山本敏倖・仲寒蟬
第三(12/12)ふけとしこ・岸本尚毅・瀬戸優理子
第四(12/26)冨岡和秀・堀本吟・木村オサム
第五(1/9)神谷波・川崎果連・曾根毅
第六(1/16)渡邉美保・小林かんな・田中葉月・小野裕三
第七(1/30)眞矢ひろみ・小沢麻結・花尻万博・林雅樹
第八(2/13)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

俳句新空間第22号 発行※NEW!

■連載

俳壇観測280 未来俳句論争ーー「俳句」7月号「合評鼎談」より  筑紫磐井 》読む

【豊里友行句集『赤ん坊オーケストラ』を読みたい】4 『赤ん坊オーケストラ』鑑賞 三木基史 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(72) ふけとしこ 》読む

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり54 瀬戸内寂聴『ひとり』 》読む

英国Haiku便り[in Japan](64) 小野裕三 》読む

句集歌集逍遙 梶原さい子『震災短歌ノート 東日本大震災ののちに』/佐藤りえ 》読む

【新連載】名俳句鑑賞へのラブレター『高屋窓秋の百句』(鴇田智哉) 豊里友行 》読む

【新連載】口語俳句の可能性について・番外

 俳句の虚構―西躰かずよし「窓の海光」論―  金光 舞 》読む

【豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい】

 インデックス
 9 「希望」のバトン  宮崎斗士 》読む

【加藤知子句集『情死一擲』を読みたい】④ 破局有情――加藤知子句集『情死一擲』について 関悦史 》読む

現代俳句協会評論教室・フォローアップ研究会 7 筑紫磐井 》読む

【連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句

 7.梅若忌 筑紫磐井 》読む

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】③ 豊里友行句集『母よ』より 小松風写 選句 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む

インデックス

およそ日刊俳句新空間 》読む

7月の執筆者(渡邉美保)…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々 …



■Recent entries

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス

葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子

【短期連載】俳壇観測280 未来俳句論争ーー「俳句」7月号「合評鼎談」より  筑紫磐井

  未来俳句については6月刊の「ウエップ俳句通信」152号で特集<筑紫磐井の〈新俳句宣言〉にたいして>で、私の「未来俳句宣言」とこれに対する57名の反響を取り上げていただいた。ただこれは「宣言」に対する理論的な反響であって、具体的な未来俳句への批判は少なかった。有季定型にたいして、無季や自由律、短律の俳句にこそ未来があるのかという論争であった。

 ちなみに、この特集と前後した角川「俳句」5月号で「未来俳句宣言」と題した16句を掲載し、これにたいして同7月号で「合評鼎談」(能村研三、恩田侑布子、小野あらた)が行なわれた。未来俳句宣言に対する批判でなく、未来俳句宣言に基づく作品の批評だから「ウエップ俳句通信」152号とは違う生々しい批判もあった。未来俳句論争としてはまずこちらがあった方が分かり易いと思うので取り上げてみたい。


●能村研三

 未来俳句の本質をつく批判ではないが、未来俳句の拒絶に現われる多くの定型的な批判が含まれているので取り上げてみたい。ただその前に、この作品で能村氏が取り上げた1句は特殊な環境におかれていたので少し補足を加えたい。


 ユネスコは神の饗宴


 実はこれ以前からユネスコの文化遺産登録に対し私は少し異見を持っている。ユネスコの世界遺産登録を提唱した有馬朗人氏と長いお付き合いがあり、有馬氏のユネスコの世界遺産登録を提唱した理由が誤解されて伝わっているためである。有馬氏は、ユネスコに登録されるであろう俳句は有季定型の伝統俳句だけではなく、無季俳句、自由律俳句を含めるものであることを提案し、ユネスコ登録協議会の発起人大会でその点を明言し、他の3協会の会長(宮坂、鷹羽、稲畑)の了解を得て、協議会の発足を進めたのである。発足後は有馬氏は協議会会長に就任し、この方向で精力的にユネスコ登録に向けて尽力された。

 ところが有馬氏の没後、協議会や、他の協会ではユネスコ登録は有季定型俳句でなければできない、無季俳句、自由律俳句は含まれないという主張が盛んにされるようになり、公文書にも現れ始めた。現代俳句協会ですらそうした考え方を持つ人がふえてきた(もちろん現代俳句協会内のそうした人々は、だからこそネスコ登録をすべきではないと言うのだが)。

 有馬氏と長年のつきあいのある私としては、有馬氏の名誉回復を果たすため、古い文書や記録を発掘し、有馬氏がユネスコ登録するための俳句は無季俳句、自由律俳句を含めると大会で発言していることを確認し、これを文書にして現在の4協会・1協議会の会長(高野・片山・井上・高野・能村)を訪問しこれを文書で確認し公表することにした(国際俳句協会機関誌HIAに掲載済み)。これは歴史的事実である。だからこれをもって私の仕事は完了し、ユネスコ登録には中立的な立場にいるのだが、どうもその時の経緯から私はユネスコ登録反対論者と思われているようだ。そんなことはないのだが。

 ただこんな文脈で、掲出の句を読んでみるとよい。能村研三氏はこのように言う。


 「「神の饗宴」という表現はとても強い比喩的な言い方で、ユネスコの活動や存在に対して、何か違和感や皮肉、或は批判的な感情をこめた言い方なのでしょう。たとえば、世界遺産が観光開発で「お祭り騒ぎ」になってしまうことへの違和感、国際機関の意思決定が現場感覚から遠いように見えるもどかしさは詠んだものでしょうか。」


 俳句には様々な解釈があるから、それを否定するものではない。しかしだからといってこれを正しいとする証明はなかなかに難しい。

 未来俳句(その原型に当たる前衛俳句)は、作者が自句自解をしてはならないという鉄則を持つ。作者に許されるのは宣言だけである。作者に解釈権はないのだ。もちろん他者がかってな解釈をする自由はあるが、それは他人の暴言である。読者は、自句自解で真実を探究しようと言うのではなく、他者の荒唐無稽な解釈鑑賞を無責任に楽しむのである。

 ただ自句自解の否定は、面白い現象を生む。自句自解を否定されるから、鑑賞者は自己責任において解説しなければならない。作者の声は、鑑賞者によってしか聞くことができない。こうした無限定な解釈は、作者を語っているように見えながら、実は評者自身を語ってしまう。「ユネスコの活動や存在に対して、何か違和感や皮肉、或は批判的な感情をこめた言い方なのでしょう。たとえば、世界遺産が観光開発でお祭り騒ぎになってしまうことへの違和感、国際機関の意思決定が現場感覚から遠いように見えるもどかしさは詠んだものでしょうか。」は決して作者の解釈ではない。世の中の反ユネスコ登録論者を忖度して、能村研三氏がひきづり出した解釈なのだ。しかし、協議会会長としては余り認めてはいけない発言のように思われる。

 このように、未来俳句は社会性俳句と違ってメッセージ性はない。そこに如何なる主張も持たない。鑑賞者がどのよう受け取るかだけが問題なのだ。未来俳句は何も語らない、鑑賞者だけがメッセージを生み出し、妄想し、そして暴走してゆくのだ。

    *

 以上は未来俳句に対する副次的な問題だ。本質的問題は能村氏の上記の発言の前後に語られている。


 「昔同じ結社で一緒に机を並べていた仲間です。作品16句と書いてあるけれど、これ作品なのかな?申し訳ないけど。16行ならまだ分るんですが。・・(ユネスコ登録に関する発言)・・後はもうコメントできません!(笑)」


 能村氏は、未来俳句(特にそれにおいて特徴的な短律)は作品(俳句)であることに疑問があることを提示している。もちろんそういう見方を否定するものではない。しかし基準は公平一律であるべきだ。掲出した作品が俳句でないというならば、「風の明暗をたどる 山頭火」「鉄鉢の中へも霰 山頭火」「咳をしてもひとり 放哉」「墓のうらに廻る 放哉」「うごけば、寒い 夢道」「陽へ病む 裸木」も俳句ではないといわなければならない。そしてこれらは俳句でないというならば、今までの近現代俳句史を破壊する(その上で新しい近現代俳句史を創造する)覚悟がなければならない。そうした野心的主張を展開する人にこそ許される発言であろう。能村氏には是非そうした創造的破壊を進めて欲しい。閉塞的な俳壇を打開するもう一つの道でもある(ただ私には、山頭火や放哉がいない俳句の世界はひどく惨めな文学世界であるように思う。これは間違いなく「国際俳句」を長く提唱してきた有馬朗人氏が明言していたことで、世界に通じる俳人は、日本には芭蕉と山頭火しかいないと述べていた)。


●小野あらた


「この作品すごいですよね。


 原稿料は字数を以てせず


もしかしたら言い訳かなと思った一句です(笑)。この作品は文字数が少ないので。自己言及もこの一連らしいと思いました。」


 新進気鋭の若手作家がこのような作品に感心してもいいのかなと思ったが、その勇気に感謝しておく。あるいは、俳句総合誌にこのような句を掲載させることを揶揄しているのかも知れない。未来俳句の作者が何を考えているのか分らないように、未来俳句の評者も本当のところ何を考えているかはよく分からないのである。

 ただ、取り上げられた句は、一連16句の中で唯一大半の俳人に意味の分る句だと思う。異議があるとすれば、何故こんなことを俳句で詠まねばならないのかという点だけであろう。他の一連15句は殆ど短律で解釈困難であるから、この句は15句の解説と言うことができるだろう。もしかしたら前書きとか、脚注にしてもいいぐらいの無意味な、非芸術的なフレーズである。小野氏が「自己言及」といっているのはこうした趣旨であろう。カッコよく言えば、「俳句とは何か」を問いかけているということになるかも知れない。もちろん例によって未来俳句は答を与えてくれない。強いて言えば、虚子に「明易や花鳥諷詠南無阿弥陀」と言う句があるがこれと同様というか、何が違うのかはよくわからないと思ってもらえれば十分だ。

 ただ虚子の句と違ってこの句が圧倒的にすぐれているのは、俳句の「打算的計算」ができる点だ(それ以外の点は虚子の句に圧倒的に劣るかも知れない)。この「未来俳句宣言」16句と同時に「俳句」5月号に発表されたすぐれた作家たちの16句は同じ原稿料が払われているから、1字あたりのパフォーマンスは短律ばかりの「未来俳句宣言」16句が圧倒的に有利である。小説や評論は原稿用紙(400字詰め)枚数で支払われるはずだから、俳句や短歌だけはこの不合理な句数・歌数で縛られていることに気付かせてくれる。かといってこの「打算的計算」がどれほど文学的価値があるかといえば全くないのである。未来俳句はこうした非常識な現実を露呈させる。未来俳句において必要なのは長谷川櫂氏や小川軽舟氏が唱える「俳句的生活」ではない、「俳句的思想」である。俳人以外のまっとうな人々が決して言わない、或は忖度して言えない真理を、言い間違いのような顔をしてぽろっと語ってしまうのである。だから未来俳句は、芭蕉の言う夏炉冬扇なのである。


●恩田侑布子

「自分の16句の短律は未来俳句なんだということは、大方の俳人がやっている俳句は古臭いと言いたいのでしょうか。自分こそ未来俳句なんだという宣言。・・・」


 作品そのものよりは作品のよって立つ未来俳句ないし未来俳句宣言を推測しているようである。作者が言及していない未来俳句宣言を評者が作り出すという意味では上に述べてきた例に通う。この作品では、未来俳句宣言は題名だけで出てきて、その内容はどのようなものかは一切説明していいない。ここでも、作者は未来俳句宣言を説明しない、評者はそれぞれが推測する未来俳句宣言に基づいて批評すると言うことでよいと思う。ただ調べていただければ分ることなので興味が向かれたらご覧頂きたいと思うが、「未来俳句宣言」の眼目は、「我々は過去に見たことのない風景を見たいのだ」なのであって、他者を否定しているわけではない。しかしこれは作品本位の批評ではない。これはしばらくおいておくこととしよう。


「俳句で言えば自由律、それも短律という範疇に入るのでしょうか。でも短律の俳句というのは、本当は575定型よりもさらに一段と困難で難しいもので、詩の弾丸を込めなければ一句として成立しないですよね。この中に1行づつに詩の弾丸が込められていると思う方がいらっしゃるでしょうか。」

 「「未来俳句宣言」だから、現代の短律だぞ、どうだ!ということで。私たちに自分のきらびやかな才能を問うた作品と言うことなんでしょうが、短律というのは575より遙かに難しく、詩の弾丸がなければ成立しえない。例えば山頭火の「鉄鉢の中へも霰」、尾崎放哉の「墓のうらに廻る」、橋本夢道の「うごけば、寒い」。これはみんなどれも言葉遊びなんかじゃ全くないですよ。反対なんですよ。命がけの言葉ですよ短律は。大橋裸木の「陽へ病む」もそうだと思いますが。言葉の俳句とか、頭の俳句とは対極にあるものだからこそ成り立っているんですね。575の定型を脱ぎ捨てた短律という俳句の異形の形式には、575定型にはない凄まじいポエジーの郷土があるんです。それがなかったら、そもそも短律俳句は自律できない。単なる一行の言葉の切れ端になってしまうのでははいでしょうか。」

「もっと真面目にやっている人はいて、これは完全に遊び、ただの言葉遊び。凄い皮肉なシニカルな笑みを浮かべたような。真心とか、鬼貫が言った、まことの俳諧とは逆ですね。」

「全体16句を見渡すと言語操作ですよね。言語操作に徹して、斜に構えています。」 


 言語感覚に鋭い俳人だけに批評で使われている言葉は鋭い。例えば、「詩の弾丸が込められている」かなどは是非使いたくなる評言である。問題はこれをどう組合わせるかであろう。

 「未来俳句宣言」16句、あるいは短律俳句が「詩の弾丸が込められている」と問いかけるのは適切であるが、現在新聞や雑誌で量産されている575定型俳句にも「詩の弾丸が込められている」か問われるべきだろう。有季定型俳句だから「詩の弾丸が込められて」いなくてよいと言うことにはならない。少なくとも未来俳句は、「過去に見たことのない風景を見たい」といっている以上、それが成功しているかどうかは別として「詩の弾丸を込め」ることを期待しているのは間違いないだろう。しかし575定型俳句の人たちからは、寡聞にして「詩の弾丸を込め」たいという声を余り聞いたことがない。575定型俳句の人たちより、未来俳句、短律俳句の人達の方が多少とも真面目であると思っている。もちろん、成功しているかどうかは別である。

 その次は、「命がけの言葉」、「真心」、「まことの俳諧」と対比される、「言葉の俳句」、「頭の俳句」、「言葉遊び」、「言語操作」である。もちろん後者が未来俳句に属するものと思われる。これは1句の鑑賞であるから、評者の主観でそのように評価することは差し支えないし、概ねあっていると思う。しかし、「命がけの言葉」はすぐれていて、「言葉遊び」は劣っているという価値観は必ずしも正しいかどうかは分らない。かつて岡本眸は、私の俳句を評して現代俳句は言葉遊びの時代に入ったと言ったことがある。多分、加藤郁乎、攝津幸彦、高山れおなもその傾向だと思うし、(そういうことに批判もあろうが)鷹羽狩行もそうした傾向を持つと思う。恩田氏が高く評価した自由律俳句作家の作品は境涯俳句に近いかも知れない。確かに真面目である。これは拡大すれば、草田男、楸邨、波郷の人間探求派に繋がる。確かに過去古典として残る名作はこうして生まれて来たかも知れないが、現代俳句、未来の俳句がこうした価値観でのみ律されるべきかと言えばそうだとばかりは言えないと思う。非常に言いすぎになるが、現代の俳句、未来の俳句は不真面目でなければならないと思う。それが俳句、俳諧性の本質だからである。

 作者が語らないから困ってしまう一例をあげてみよう。


 美は改造にあり


 瀬戸内寂聴の『美は乱調にあり』は大杉栄と伊藤野枝を描いた小説であり、大杉栄は戦前の雑誌「改造」に連載をしていたので恩田氏は「書名をミックスしただけでありまして、パロディにもなっていないと、申し上げにくいけど申し上げてしまいます。」と述べている。「改造」が社会主義系の雑誌であり、大杉栄も特高の弾圧で拷問死したから、そういう歴史を読みとったのだろう。知識はそう言う道筋を描くが、その上でパロディにもなっていないと断言するする。そうした意図で作ったとしたら仰る通りだ。

 ところで、私の周辺の知り合いで俳句に全く関心のない者に聞いてみると、この句は「美容整形」を描いただけのもので、意味は間違いようがないという。ただなぜ現代の俳句で美容整形を詠むのか意味が全然分らない、と言われた。馬鹿にしているのか、時代批判なのか、作者自身が馬鹿なのか。それとも俳句の深い本質を探求しようとしているのか。

 未来俳句は自ら解釈を語らないから、批評も読む読者に任されている。


 群青の日章旗


 「この句だけは唯一成り立っているかな?恐ろしいファシズムだけれど。「群青の日章旗」は単なる反対言葉や付きすぎとは言えないんじゃないですか。日章旗が群青であるわけない。日章旗は白に赤じゃないですか鮮烈な。その上に「群青の」とかけたのは・・・(「うみゆかば」の歌をあげて)・・・大勢の若者たちが日章旗のもとに送られて、天皇陛下万歳と言って、群青の青い海の藻屑となっていったという幻想はここから立ち上がるけれど、非常に恐ろしいファシズムの匂いがするなと思いました。だけど俳句としては成り立つと思いましたね。客観的に。」


 16句のうちの1句だけを俳句として成り立つと言っていただけたのはありがたい。矢張り作品はよき鑑賞者を求めるものだ。

【豊里友行句集『赤ん坊オーケストラ』を読みたい】4 豊里友行「赤ん坊オーケストラ」鑑賞  三木基史

 句集『地球のリレー』では、地球上すべての生命が織りなす過去・現在・未来の事象(物語)を、沖縄からの視点と壮大な空想力で描いた句集だと思い込んだ。しかし今作『赤ん坊オーケストラ』を読んで、私の見方は逆だったと気づかされた。物語のすべては沖縄の生命を起点として、時間を超え、空間を超えて、地球上すべての生命に繋がっている、繋げていくべきリレーであった。


 天体が弾む赤ん坊オーケストラ 

 

 あとがきにもあるように、掲句の「赤ん坊」を、沖縄の戦火を逃れた母親世代、すなわち当時赤ん坊として戦場にいた人々だと捉えるなら、それは最も弱く無力でありながら、戦火を生き延びた存在だと言える。ここでの赤ん坊は、人間が極限状況に置かれたときに剥き出しになった生命そのものを象徴し、「オーケストラ」は赤ん坊たちの泣き声を連想させる。しかし、オーケストラが多様な楽器によって成り立つことを思えば、そこに響いているのは単なる泣き声だけではない。笑い声、叫び声、息遣いなど、さまざまな生の気配が含まれているはずだ。一人の体験ではなく、無数の生が重なり合う。その声は整った旋律というより、むしろ不協和音をも含んだものに違いない。その不揃いな響きこそ、当時の人々の現実を表しているのではないか。 


 「天体が弾む」という表現は、生命の躍動であると同時に、宇宙そのものの揺れ。しかし天体は、単に遠い星々を指すのではなく、私たちの世界、運命、歴史の揺れとして響いてくる。地上では砲火が降り、人間の時間は寸断される。にもかかわらず、なお天体は動き続ける。地球は回り続ける。ひとつひとつの命が奇跡のように生き残った、そのような感覚がこの句の奥にはある。 


 戦火を逃れた母親世代の人々は、当時のことを詳細には語れない。しかし、その身体は、家族は、その土地は、当時の何かを抱え続けている。「赤ん坊オーケストラ」とは、言葉を発する以前でも、確かにそこに存在しているという証し。証言になりきらない呻き、家族のなかでも語られなかったこと、それらの総体がオーケストラとなっている。その声は、生き延びた命だけでなく、消えてしまった命の記憶をも含んで天体を弾ませているのかもしれない。赤ん坊は沖縄の歴史から浮かび上がる原像なのだ。個々の声は小さくとも、重なり合えば天体を弾ませるほどの力となって。

【オンデマンド配信】シンポジウム「昭和俳句、何が争点?」


講座名:【オンデマンド配信】シンポジウム「昭和俳句、何が争点?」

配信期間:2026年8月10日~9月10日

視聴料:2,000円(税込) ※Peatixより購入

対象:どなたでもお申込みいただけます

形式:オンライン配信

申込み:チケット(税込2,000円)を購入してご参加ください。

主催:現代俳句協会、日本伝統俳句協会共催

===MENU===

プレゼンター:筑紫磐井(現代俳句協会副会長)、井上泰至(日本伝統俳句協会会長)

コメンテーター:岸本尚毅(俳人協会理事)、堀田季何(現代俳句協会常務理事)、後藤章(現代俳句協会専務理事)

内 容:2026年4月30日(木)に江東区芭蕉記念館で開催されたシンポジウムのオンデマンド配信です。


お申し込みいただいた方へ…

※「Peatix」メッセージより開催日前に視聴用URLをお知らせさせていただきます。

※配信のプラットフォームはYouTubeとなります。


【詳細は次のURLを参照のこと】

https://peatix.com/event/5076497


主催者 日本伝統俳句協会


【連載】攝津幸彦記念賞応募作品10 俳句の本質―時空を超えて語り継がれるもの-  村山恭子

 昨今の世界情勢を受け、多くの俳人、文芸家などが、「戦争」と対峙して作品を発表しています。

 過去にも多くの俳人たちが「戦争」を俳句で表現してきました。本稿では、昭和10年代の「戦争俳句」を振り返り、「戦争俳句」における表現のあり方について考えます。


1.水原秋櫻子『聖戰俳句集』石原求龍堂、昭和十八年八月

 秋櫻子は昭和十六年六月に『増補改訂 現代俳句論』を出版しており、第四篇の「聖戰俳句抄」を加えたのが改訂の主要目的であったと述べています。

 また「これは『馬酔木』に連載しているゐる評釋の一部分であるが、そのうちにもつと廣く讀んで、力のこもつたものを書きたいと考へてゐる。」としています。それを受けて『聖戰俳句集』は出版されました。

 水原秋櫻子は序で「戦争を詠んだ俳句は、日清・日露の両戦役に於て絶無ではなかったが、眞に戦争の中から生れたと言い得る俳句は、志那事変勃発するに及んで、はじめて詠まれたといつてよい。」と述べ、「日清・日露両戦役當時よりも俳句が世の中に浸潤してゐた為めで、燃ゆるが如き愛國心はこの親しみやすい短詩型によつて、誰の口からも詠みいでられ、多くの傑作が生れたのである。」としています。

 本編は昭和十七年一月より同十八年二月に至るまでの雑誌「馬酔木」に掲載せられた俳句を再選編集し、これを「戦線篇」、「北満篇」、「白衣勇士篇」、「銃後篇」に分ち、この分類に入らざる小部分は、「北満篇」の中にとり入れられています。

 なおこれより前の『京大俳句』昭和十三年八月号に、平畑静塔は「戦争俳句の作り方要諦」を寄稿しています。そこでは、「戦争俳句もまた俳句で、従つてその俳句要諦は、俳句一般と異にする訳はない。」とし、戦争俳句を次の4つに大別しています。

 敵地俳句の「戦闘俳句」、「後方俳句」、国内俳句の「圏内俳句」、「圏外俳句」で、国内俳句の「圏内俳句」、「圏外俳句」とは、国内にいる俳人の作った「戦争圏内俳句」、「戦争圏外俳句」を意味します。

 静塔、秋櫻子の両者とも作品を四つに大別し分類しています。

 『聖戰俳句集』から具体的な分類と作品を見て行きます。

(1) 秋櫻子の解説と選

 ア.「戦線篇」は本集の主題をなすもので、激烈なる戦闘中の寸暇を以て詠まれた貴重なる文献である。

命(めい)を待つ椰子の雷雨にひた濡れて       持田紫水

弾痕(だんこん)のしるき高嶺や初日さす       竹島白蓉子

戦野(せんや)すでに聲撃おこる明(あけ)易(やす)き   太田たけ穂

爽涼(さうりょう)と南十字星敵機落つ         近藤良一

七夕(たなばた)の星降るなかに警(けい)泊(はく)す   同

イ.「北満篇」は、炎暑・寒冷ともにはげしき広野の國境線を守る勇士によつて詠まれたもので、その烈々たる気魂はすべての句の中に籠つてゐる。

初日いづ銃(つゝ)を捧げてゆるぎなし      小川千賀

医官われ白衣と共に青き踏む          金田原平

星港陥(お)つ祝ひの酒の凍(こほ)りける      佐藤秀郎 

ウ.「白衣勇士篇」は、数に於いて本集の主要部分を占むるもので、自然の風景に親しみつつ、再起奉公の念願に燃ゆる心持は、しみじみと読者の胸にしみ入る力がある。

萱(かや)はこぶ人にあがりぬ初雲雀        井村青柿

春惜む心静かに野に出でぬ            川柴紅雲   

笹鳴(ささなき)やしづかな海の遠からぬ      富田蒼栖

エ.「銃後篇」は、國民の感謝と熱意との結晶で、数に於ても「白衣勇士篇」につゞいている。   

     伊勢参宮、内宮

かちいくさ祈るや杉の霧あかるし         市瀬元吉

初雁(はつかり)や南を征し北を占め        百合山羽公

足袋つゞる手をはたと置き聴く捷報(せきほう)   明比ゆき子

召されなばおくれとるまじ寒(かん)禊(みそぎ)    小山周次郎

つはものにさゝぐる鯵(あじ)を干しきそふ     中村さとし

一千機みいくさ翔(か)けり事務始         木津柳芽


 「四篇収むるところ一千余句、これを通読して見ると、尽忠報国の精神が全般にみなぎつて眞に襟を正さしむるものがある。我等馬酔木同人は、この句集を世に送り得ることを喜ぶと共に、日夜愛誦して心の鏡となし、ますます銃後の護りを固めねばならぬと思ふ。」としています。

 また『聖戰俳句集』ではラジオを詠んだ句も「銃後篇」に記載されています。

初刷の戦果満載すラヂオ鳴り           荒川暁波

寒菊にラヂオ大詔を読みまつる          佐野まもる

戦勝のラヂオ高鳴り年あらた           森田勘弥

雪の戸毎戦捷のラヂオ鳴りいでぬ         和田塊生


 ラジオは標準受信機とされ、戦時下の統制経済の下で広く普及しました。1930年代後半からの戦争景気と、戦争関連のニュースへの関心から聴取者とラジオの生産は増加を続け、太平洋戦争が始まる1941年にピークを迎えました。ラジオを媒体とし俳句を国家活動に取り入れた例を次に挙げます。


2.ラジオ選書『聖戦俳句選』株式会社日本放送出版協會、昭和17年4月

 「序」を軍事保護院総裁の本庄繁、日本俳句作家協會々長の高濱虚子が書いています。

 本庄繁は「當時その放送されたるところを聴くに、皇室の限りなき御恩澤のもとに再起奉公へ精進しつつある全國傷痍軍人の熱烈なる気魄、武人らしい淡々たる銃後風景の観照或は國民の援護に對する感謝の念等のあふるるもの多く、深く感銘を浮くるところがあった。今回これがラジオ新書として公判せらるることになったことは、貴にして簡潔直裁なるわが國民精神を根源とする俳句を通じて今次聖戦の意義を獲得するを得、またこの書が傷痍軍人の教養向上はもとより銃後國民教化上稗益するところ少からざるを想ひ、乞はるるままに一言述べて序とする次第である。」としている。

 また、高濱虚子は次のように述べています。

「志那事変が始まつてからは、平生俳句を修行してをつた人々が應召されて陣頭に立つたといふ事のためと、其等の人々によって誘導せられ新しく俳句を作りはじめた戦線の将士も少くないといふところから、特に戦争の俳句と呼ばるべきものが澤山に生れ出たのである。現に向澤山生れつつあるのである。戦争俳句とよばれるものは今度の志那事変をはじめとするといつても過言でないやうに思はれるのである。傷病兵諸君の病棟にあつて、静かに療養を続けてゐられる間の作品には、人の心を打つものが多いのを見受ける。これも亦戦争俳句の一分野といふべきである。」

 「本書に就いて」とし、日本放送教會講演部長の多田不二は「去る九月中の毎月曜日午後の『厚生の時間』に俳句の鑑賞と作り方の講座をひらいた。これには特に傷痍軍人の皆さんからひろく作品を募り、日本俳句作家協會の御協力を得て、その選になる優秀作品の講評を併せて放送したのである。

 これは或る意味で傷痍軍人諸君が直接放送に参加したもでのあつて、通例の受動的な慰安放送と異り、積極的且創作的な慰安といへるのである。投稿は非常な活況を呈し、端書で四千通を突破し、句数にして約一萬二千句に及んだ。」としています。

 このように傷痍軍人の慰安活動として俳句は取り入れられました。放送は5人の選者により行われ、ラヂオを通して聞き手は自身の作品の発表を期待し、また仲間の作品に共鳴や反芻をし、時によっては反発などをして療養の一助にしたと考えます。

 同様に短歌においても、ラジオ選書『聖戦短歌選』株式会社日本放送出版協會、昭和17年9月が発刊されています。

それぞれの選者の言葉と選は次のとおりです。


「第一回 水原秋櫻子」

 約千五百句。大多数は夏の終わりから秋のはじめの句。明るく朗かなお気持ちで自然に親しんで居られることが想像されます。そのことに喜びと心づよさとを感じました。 

 題材は、庭の花、野菜、蟲の音などが多く、静かに窓辺の花に眼を向けたり、蟲の音に耳を澄ます・・俳句作者として正しい修業法を踏んで居られます。

 俳句上達の第一の秘訣は、自然に深く親しむといふこと。・・自然はかぎりなく大きいものですから、それに包まれて居りますと、心が洗はれ、清められ、俳句もまた従つて高く澄みとほつて、本当に立派な作者となられるのであります。

 すべて、物をこまかく観察する、深く観察するといふことは、どの藝術にとつても大切なことでありまして、それがその藝術の土臺となります。・・一歩でも深く自然の懐ろにはひり、自然から学ぼうと心掛けてゐるのであります。

 病院の庭の野菜などをお詠みになる場合も、同じ要領で観察をなさればよろしいのでありますし、庭に来る小鳥も面白い題材になると思います。


朝顔の日々あらたにて癒(い)ゆる思い       藤野重雄

庭萩に寮の日本間あけてあり           多田方子

濃き影をつくりてダリヤ重たげに         瀧川光洋

昼涼し瓢箪(へうたん)の花白ければ        小駒幸治

臥して見る夜の静かさよ星涼し          澤山敦


「第二回 富安風生」

 俳句を作るといふことが、現在療養中の皆さんがたのために一體どういふ意義を持つかといふことについて、少し申して見たいと思ひます。 

 日頃教を乞うてをる先生から「俳句は強く生きる道である」といふことを承つております。俳句は實は極く強い文学であり、俳句を修行することは、強く生きる道を養ふ道であると先生は説かれるのであります。

 俳句の心は一口に申しますと、順応の心であります。現実をあるがままにうけとり、これを是認し、肯定するの心であります。われわれを包む外界、天地自然に順応してゆく心を養つて参りますと、人間世界の如何なる紛糾、人事の葛藤纏綿に向ひましても。よくこれに適応して、生きてゆく道を教へられることになつてるのであります。

 俳句の修業によつて、培はれる強さといふのは、護謨のやうな、藤蔓のやうな、強靭さ耐久力であると思ひます。

 人間が大きく活動するためには、間あひだに正しい休養がとられねばならず、また大きな長い苦しみに堪へるためには、笑つて苦しみに立向ふ、何かの慰めと、心のゆとりが、一方に伴はねばなりません。・・俳句は、その憩ひを最も有意義にする楽しみと慰めの道の、少くも一つであることは、間違ないと思ふのであります。

 俳句の道は、また誰にもはひり易い道であります。俳句が、本来簡明直戴を猶ぶ、素朴な文学でありますのと、今一つには、俳句が、自然諷詠の詩として、最も日本人向きな文学でありまして、日本人である以上、誰もが親しめるはずのものであるからであります。 


露涼し草の中なる試歩の径       三重療養所  榊原重治 

武蔵野の秋深みゆき寮静か       東京療養所  萩原増次

松蟬に暮れて静臥の茣蓙を捲く     岡山療養所  中村一美

銃眼に漂ふ秋の雲白し         福岡療養所  岡敬了

再起の日御下賜のカンナ庭に燃ゆ    三重療養所  奥野祐己


 「第三回 星野麥人」

 軍人が俳句を詠むといふ處に見る余裕であります。 昔も戦さをして陣中で歌を詠み、句を詠むことはありまして、一例を挙げますれば、頼朝が奥州の泰衡を攻めて、    

   頼朝がけふのいくさに名取川

といふのや、太閤秀吉が小田原攻の時、

   小田原や思ひのまゝに刈あふせ

といふやうに、戰ささ中の余裕を語るものがありますが、それは俳句の生れぬ前のことで、俳句が軍人に詠まれるといふのはおそらく今回が始めてではないかと思ひます。

 俳句としても、未曽有の時にあひ、未曽有の句が詠まれて東亜共栄圏の基礎をつくるの光栄を荷ふ皆様と共に、俳句史上に大きな跡を残すことになつたわけであります。

 皆様はこの余裕をもつた方々であります。どうぞ速かに御快癒あらんことを祈りまして、當今の緊迫せる時局の再起奉公の日、その陣中の風懐に一段と磨きをかけて、よき俳句をお残しあるやうにと願ひまして、選句の披露を致します。

 さて一わたり句を拝見しまして、これを分類して見ますと

一、戦場のもの

二、療養所のもの

三、療養所内の風物及び動作

四、再起の日を待つもの

五、自然の風物 

を詠みたる五種類に帰することになるやうであります。


砲煙は雑木紅葉をどつと覆ふ    三重療養所  松本清

命を待つ兵昼顔の野に伏せり    秋田療養所  猪股泰夫

架線する夏野に徐州見えそめし   三重療養所  安達弘

六月の蜩鳴いて山の寮       千葉     平田紫峰

炎天の砂塵と去れる戦車かな    京      吉田稔


「第四回 高濱虚子」

 正岡子規は軍籍にはゐなかつたのですが、それでも従軍して、それがために病氣になつたのでありますから、皆さんの如く戰病者といふのに近いといつていいのかもしれません。

 その子規の忌日は去る九月十九日でありました。今年は確か四十回忌に當るのだと思ひます。我が俳句作家協會でも當日お詣りをしたのであります。

 その子規は到底癒えない病氣でありましたから、飽迄病氣と戰つて、病氣をものともせず、奮闘したのであります。丁度これは皆さんの再起奉公を期して鋭意療養におつくしになるのと同じことで、精神は同じことであります。

 

幾山河愛馬と越えて月の秋     鎌倉市傷痍軍人   清水一三

夏布団かけてひとつの命守る    傷痍軍人宮城療養所 添田健助

賜はりし義手に秋耕の鍬を振る   東京府清瀬村傷痍軍人療養所 大里美裳

いたつきの手鏡に外(と)の秋を観る 東京第一陸軍病院  中村實

蟲の闇へだてゝ療舎向き合へり   傷痍軍人東京療養所 貝塚信

   

 「第五回 荻原井泉水」

 戦争の場合に、一番大切なものは「覚悟」でありませう。この「覚悟」さへしつかりと出来てゐれば、すべて指導者任せでよろしい。俳句に於て、一番大切なものは「心構へ」であります。ほんたうに俳句することの「心構へ」さへしつかりと出来てゐれば、すべて指導者を信頼して進めばよろしい。その一歩一歩に俳句が解つて来るに違ひないのであります。そこで、俳句をすることの「心構へ」とは、どういふものか❘これは最初によく腹に据ゑて貰はねばならないのであります。

 我が日本が戦争をする時の心構へとしては、日本の傅統として別のものが一つあるのであります。それは、「體當り」で行く―これであります。體当りで行く覚悟をもたぬやうなことでは、戦争は出来ないのであります。俳句をすることの心構へとはどういふものか-一言にしていへば―體當りで行くこと、これに尽きるのであります。俳句とは體當りの文學である、と私はかう信じてゐるのであります。 


故国(ここく)の木犀(もくせい)の香(かほ)りである目(め)盲(し)ひてゐる

東京府東村山南秋津 平野武雄

義足(ぎそく)して出(で)て踏(ふ)みにじられた雑草(ざつさう)がある

傷痍軍人茨城療養所 串田慎一郎

臥(ふ)していつも仰(あふ)ぐ五つの訓(をし)へ秋(あき)夕(ゆふ)べの雲(くも)

宮城療養所 櫻井眞澄

行(ゆ)くも来(く)るも白衣(びやくゐ)の、月(つき)になる影(かげ)になる

岡山療養所 住谷照夫

龍(りん)胆(だう)咲けばゑ龍(りん)胆(だう)をさして病(やまひ)よし

宮城療養所 馬場豊


 それぞれの選者が俳句のあり方を説話し、投稿した作品を鑑賞しながら投稿者を癒し労い、また戦意高揚に努めました。


3.『麦と兵隊』と現代における「戦争俳句」

 火野葦平『麦と兵隊』は、『改造』昭和13年8月号に発表され、翌9月に単行本(写真)として発刊されました。

 前書に「この『麦と兵隊』は一兵隊である私が軍報道部員として、歴史的大殲滅戦であったと謂われる徐州會戰に従事した時の日記」と書かれています。

 『俳句研究』昭和13年9月号は『麦と兵隊』の大見出しを付け、日野草城、東京三、渡邊白泉の三氏の『麦と兵隊』を題材にした俳句を掲載しています。 草城は56句、京三は50句、白泉は15句で、3人の表題と抜粋した句を記します。京三はのちの秋元不死男です。

                          

戦火想望-「麦と兵隊」(火野葦平)に拠るー


大江流黄なり艦首に白く湧き       日野草城

人血のあふれては乾く千里の麦

大陸の黄塵を歯に噛みて征く

ひとくちの水胃の壁にゆきわたらず

満月皎々たり流弾も見ゆるかと


   戦争日記

(一兵士火野葦平氏の「麦と兵隊」―徐州会戦従軍日記-は粉飾なき素朴強靭たる戦争日記なり。一読して肺腑を突かる。即ち一聯の作を記録せんとして、五月十六日迄を俳句に試む。)


兵寝ねて醒めず列車に雨来(きた)る        東 京三

渡河の兵墓碑となり寥寥と河の流れ

農夫集ひ集ひ大地を棄てしに非ず

大学生髪やはらかく戦死せり

突撃を思ふ郷愁白く掠め


麦と兵隊を読みて作る


難民の笑ひ就中母の笑ひ            渡邊白泉

黄塵と機関銃弾と宙にあり

人がをる処砲弾が裂く処

戦場へ手ゆき足ゆき胴ゆけり

戦場へ一本の列が生き動く


 臨場感あふれる描写の『麦と兵隊』を俳句で書けばどうなるか、奇抜な試みであり三者三様の作品にそれぞれの特徴がよく出ていて良いという評価も得ていますが、当時はこの企画が作品そのものの評価ではなく、「戦地体験もないのに見たような嘘をつく。これでは戦地の兵士に申し訳ない。」という倫理観による反駁(はんばく)がありました。


 現代における「戦争俳句」の例を挙げます。

 第27回俳句甲子園 全国高等学校俳句選手権大会(2024年8月24日・25日)では、次の俳句が各賞を受賞しています。


戦死者のハンカチ青しそれを振る 岡智咲恵(最優秀賞)

排水管より弾丸の翡翠なり    高木茉莉(優秀賞 高野ムツオ選)

戦車の中にハンカチが落ちている 寺島未桜(入選)

瓦礫の街は一枚の空ハンカチ干す 守田慎乃助(同)


 なお翌年開催された第28回の同大会では戦争と関りのある俳句は、ほぼ見受けられません。

 全国大会の兼題を比較しますと、第27回では「ハンカチ」、「翡翠」、「メロン」、「暑し」、「稲妻」、「馬肥ゆ」、「鶏頭」、「栄」、第28回「青田」、「心太」、「天牛」、「葉桜」、「新涼」、「鶺鴒」、「蔦」、「百」になります。

 とりわけ「ハンカチ」は別れ、平和への願いなど象徴的な物としての役割が多く、挙句の結果に繋がったようです。また28回では戦争が報道などを通じて常態化して捉えられ、作品として取り組まれなくなったことも否めません。

 挙句は戦争経験のない作者による作句になりますが、『麦と兵隊』を俳句にしたように戦地体験がないからといって批判の対象になるものではないと考えます。


4.「戦争俳句」の展望

 飯島晴子は『俳句研究』昭和55年5月号の「特集・俳句を読む行為」で、次のように論じています。

 「俳句を読むということを、私の言い方で簡単に言えば、次のようなことになる。すなわち一句に使われている言葉の絡み合いによって、私のなかに喚び起こされる時空を享受することである、享受する窮極のものは、さまざまな色や、音や、匂いや、温度や、湿度や、肌ざわりや、光や、翳などをもった気体のようなものである。作品から享受する最後のものは、意味でも、景でも、概念でもないのである。」

 また「リアリズムでなければ俳句でないという読み方も困るが、反リアリズムであれば詩が顕つと頭から信じ込んでいる読み方も、絶対に困る。リアリズムであろうとなかろうと、俳句は俳句になったりならなかったりするのである。つまり、言葉を超えて言葉の向こうに或る初めての時空を経験さすことの出来る方法は、リアリズムに限らないし、反リアリズムにも限らないのである。方法を超えてその時空を感得することが“読む”ということである。」としています。

 宇多喜代子はその著『ひとたばの手紙から 戦火を見つめた俳人たち』の「戦争と機会詩」で「社会的大事が生じるたびに、俳句でそれがどう作品化できるか、はたして作品化することに価値があるかが問題になる。」とし、「戦争こそは最大な『機会詩』の現場であろう。」、「作品が永遠を獲得するということは、作者の側の原初の限定が一旦消えてしまい、普遍的な主題として読者の側に再生するということ。」と述べ、「読者による展開を加えなければ、作品は半身状態のままで終ってしまうことになる。」と論じています。


 今を生きるわたしたちは、身ほとりや世界情勢に対し、単なる報告句や写生句で終わるのではなく、文芸家として如何に時空を享受して「俳句」を読者へ届け得るか、如何に読者の鑑賞に堪え得るか、普遍性を得て「読者の側に再生する」可能性があるかを考慮して、「作品化」に向き合う姿勢が必要です。それは、「戦争俳句」における表現のあり方としても同様と考えます。

 

引用・参考文献

 水原秋櫻子『聖戰俳句集』石原求龍堂、昭和18年8月 

 水原秋櫻子『増補改訂 現代俳句論』第一書房、昭和16年6月

 『京大俳句』昭和13年8月号、京大俳句発行所

 ラジオ選書『聖戦俳句選』株式会社日本放送出版協會、昭和17年4月

 火野葦平『麦と兵隊』改造社、昭和13年9月

 『第27回俳句甲子園公式作品集』株式会社書肆アルス、令和6年11月

 『第28回俳句甲子園公式作品集』株式会社書肆アルス、令和7年11月

 『俳句研究』昭和13年9月号、改造社

 『俳句研究』昭和55年5月号、俳句研究新社

 宇多喜代子『ひとたばの手紙から 戦火をみつめた俳人たち』角川ソフィア文庫、平成18年


【筑紫磐井の感想】

 従軍俳句、戦争俳句については、阿部誠文氏の多くの著作がある。思いつく代表的なものをあげたものだけでも、『戦場に命投げ出しーー従軍俳句・人と作品』(1995年有楽書房)、『ある俳句戦記ーーー詩華集にみる従軍俳句』(2000年花書院)があり、関連するもので『ソ連抑留俳句』(2001年花書院)『沖縄の涙ーー従軍俳句・人と作品』(令和2年青嶺書房)等がある。今回の村山論文に近いものとしては、詩華集の従軍俳句を取り上げた『ある俳句戦記』と比較してみるのがよいだろう。

 主要詩華集の村山論文と『ある俳句戦記』の重複を見てみると次の通りである(●は村山論文所収のもの、▲は『ある俳句戦記』所収のもの)。


山茶花同人編『聖戦俳句集』(14年4月)[▲]

胡桃社同人編『聖戦俳句集』(14年4月)[▲]

水原秋櫻子編『聖戦と俳句』(15年3月)[▲]

水原秋櫻子編『聖戦俳句集』(18年8月)[●▲]

桜田士郎『大東亜戦争ーーー防人の賦』(17年10月)[▲]

吉田冬葉編『大東亜戦争第一俳句集』(18年10月)[▲]


 重複しているから価値がないというものではない。そもそも戦争俳句に対する圧倒的無関心の時代にあっては戦争俳句や戦争句集に関心を持つこと自体貴重なのである。あとはそれはどう扱って行くかと言うことである。

 そういう観点から見ると、村山論文は『ラジオ選書『聖戦俳句選』』(昭和17年4月)という究めてユニークな句集を発掘したことが最大の功績になるように思う。水原秋櫻子、富安風生、星野麥人、高濱虚子、荻原井泉水の5人の選者が聖戦俳句というベクトルで語り合うということは、あまり例を見ず、非常に興味深い。それぞれの思想の違いが微妙に異なるのを比較できるからだ。そして特に従軍俳句ではなく、傷痍軍人の療養俳句になっているのも特色だ。ネガティブな立場にいる人々の作品がどのような内容であり、どのような批評を下されていたのかはこれこそ今後深堀りに値する内容であり、論者の今後の金脈に当たったと思う。

村山は、


故国の木犀の香である目盲ひてゐる(井泉水選)

義足して出て踏みにじられた雑草がある(井泉水選)


を取り上げているが、それ以外にも次のような句がある。


秋草に病衣干す日のしみじみと(風生選)

病棟の窓みな閉ざす野分かな(虚子選)

染まるやうな空であるじいっと白衣でゐる(井泉水選)


 特にホトトギスと自由律の句がいい。

 これに加えて、戦火想望俳句、戦後の戦争俳句も述べているが、やや視野が広がっており、限られた枚数の中でこれらをどううまくまとめるかが課題であろう。

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(72)  ふけとしこ

 ざんぶと 

トマトトマトざんぶと水を浴びたまへ

百日紅かつては村に青年団

木の匙で掬ふ白粥朝の蝉

行平に薄き焦げあと日雷

削蹄のあと夕立のしぶくかな

・・・

 何年か前、紳士服メーカーの大きなポスターを見かけた。モデルはプロ野球選手の数人。多分阪神タイガースの主力達。多分というのは私が全くの野球オンチで、ユニホームを着ていればタイガースの選手だと分かるが、そうでなければ、顔も名前も覚束ない有り様だからだ。だからタイガースというのも、だろうな、というだけのことだ。

 その写真の人達は当然のことながら、ピシッとスーツを着こなしていた。

 「キャッチャーの太腿」ふとその言葉が浮かんできた。そして、視線は彼らの腿へと。そうなんだ採寸も仮縫いも大変なんだ、と思いつつそのポスターを見たのだった。


 誰かが置き忘れた小説を手にしたことがあった。書いた人もタイトルも忘れたが、プロ野球選手とその妻が主人公だった。矛盾だらけの展開ながら何とか事件を解決してゆくという話。一応推理小説の分野になるだろう。

 その選手というのが万年二軍暮らしのキャッチャー。そして、妻の方は節約を心がける可愛い奥さんという設定。

 細かいことは覚えてもいないが、夫の方が何かの晴れ舞台に臨むことになり、この可愛い奥さんが奮発してスーツを新調、プレゼントするという流れがあった。その採寸の場面で、腿の太さに仕立て屋が悩むとのエピソードが挿入されていた。

 こんな大筋から離れた場面だけを覚えているのが私の常。

 だから、野球選手がモデルを務めている写真を見た時に、こんな小説の中のことを脈絡も無く思い出したりするのだ。

(2026・7)

【新連載】新現代評論研究(第29回)各論:後藤よしみ 

 ★ー3高柳重信の新俳句詩法――「垂直の力学」として読み解く 7  後藤よしみ

第2部

新俳句詩法の妥当性の検証 4


3)『蒙塵』

この句集の位置づけ

 『蒙塵』は、新俳句詩法が「形成」から「完成」へと移行する臨界に立つ句集である。

 『前略十年』では感覚や抒情がまだ前面にあり、『蕗子』『伯爵領』では語彙の衝突・空白・映像の飛躍が形成され始めた。『罪囚植民地』では、国家や戦争という歴史の重力が言葉に充填された。そして『蒙塵』では、その方向がさらに内側へ向かう。国家というマクロな制度の檻から、身体・狂気・エロス・家族という、人間の内面と肉体を縛りつけるミクロな実存の檻へ——詩法の掘削対象が転換するのである。

 技法の面でも変化がある。改行と空白が、視線の移動や落下の運動ではなく、人間の荒い息遣いや生理的なリズムと一体化し始める。これにより、言葉は脳の中だけで処理されるのではなく、読者の身体に直接刻み込まれるようになる。

 この句集において、4原則と6モジュールは初めて有機的な統合を始める。「垂直の力学」と「水平モジュール」が一つの詩の中でかみ合い始めるこの地点こそが、完成期の『日本海軍』へと至る中核形成期である。

例句

  まなこ荒れ

  たちまち

  朝の

  終りかな

【4原則の分析】

① 語彙の地質学

 この句には、本来結びつかない言葉が衝突している。

「まなこ」 → 古語的・身体的な言葉。単なる「目」ではなく、精神の状態や魂

              の荒廃までを含む

「朝」 → 通常なら始まり・再生・希望を意味する言葉

「終り」 → 消滅・閉鎖

 「朝」と「終り」は本来、対極にある。しかしこの句では、「朝」が「終り」と直結する。生と死、始まりと終わり、覚醒と崩壊が一句の中で衝突している。これは初期句にはまだ弱かった「存在論的語彙衝突」の成立であり、語彙の地質学が深い層に達した瞬間でもある。

② 倒語法

 この句の認識の順序に注目する。普通なら、「朝が終わる」という事態があり、そこから人は絶望する。しかしこの句では逆である。「まなこ荒れ」という主体の内部崩壊が先に来て、それが世界の秩序を崩し、朝そのものを終わらせる。原因と結果が逆転している。これは御杖的倒語が「認識の順序の転倒」として機能している段階であり、単なる迂回表現を超えている。

③ 沈降の力学

 この句の四行を一行ずつ確認する。

まなこ荒れ ← 主体の内部に危機が起きる

たちまち ← 時間が加速する

朝の ← 一瞬、光と希望が差し込む

終りかな ← 即座に暗転する

 「朝の」で読者は一瞬、希望や再生を期待する。しかし、次の行でそれは即座に破壊される。これが『蕗子』段階の「空白による宙吊り」よりさらに進んだ「期待生成→即崩壊」という構造である。改行の空白は、光が奪われる瞬間の一瞬の恐怖として機能している。

④ 深層の噴出

 この句から噴出するのは、「生そのものが突然終わる感覚」である。朝とは本来、世界の再開である。しかし、重信はここで世界の再開そのものを不可能にしている。説明ではなく、身体的な不安として現れるこの感覚の中に、戦後日本の虚無が静かに、しかし確実に噴出している。

【6モジュールの分析】

 モジュールのこの句での働き

①身体:「まなこ荒れ」という乾いた肉体感覚が、見開かれた目のリアリティを直接届ける  

②音韻:「あ」「お」という開いた母音の反復が、空虚な広がりを生む  

③視覚:朝の光が差し込んだ瞬間に灰色へ塗りつぶされていく、映画のフェードアウトのような暗転  

④歴史:戦後日本における「朝の終焉」——再生が信じられない時代の感覚  

⑤心理:主体が世界を維持できないという存在そのものの危機  

⑥受容:現代の読者には、鬱的な感覚として身近に読める可能性もある 

 この段階の6モジュールは、バラバラな言葉をつなぎ止めるアタッチメントでも、打撃構造を固定するセメントでもない。身体モジュールと視覚モジュールが主導しながら、垂直の落下運動を読者自身の肉体的な痛みや恐怖へとダイレクトに翻訳するものとして機能している。言葉が脳内で処理されることを防ぎ、生身の神経に直接届けるための補強材である。

【まとめ:この句が示すもの】

 『罪囚植民地』において重信は、国家や戦争という外側の歴史を句の中に引き込んだ。しかし、『蒙塵』のこの句では、その矛先が完全に内側へ向く。荒れた目という、ごく小さな身体の一点から、朝そのものが終わるという世界の崩壊へ——スケールは逆転しているが、垂直に掘り下げる力は少しも衰えていない。むしろ、対象が小さくなった分、沈降の密度はより高くなっている。

 この句のもっとも重要な点は、4原則と6モジュールが初めて有機的に一体化していることである。語彙の衝突、認識の転倒、垂直の落下、深層の噴出——それぞれが独立して動くのではなく、身体と視覚のモジュールと絡み合いながら、一つの運動として作動している。

 国家・歴史という外側の質量と、身体・狂気・エロスという内側の質量。この二つの質量が幸福に融合するとき、完成期の『日本海軍』における「立体の詩学」へ向けた準備が整ってくる。


4)『遠耳父母』

この句集の位置づけ

 『遠耳父母』は、新俳句詩法の「垂直の力学」が深い層へ到達した句集である。

 『罪囚植民地』では国家・戦争・制度という外側の歴史が沈降の対象だった。『蒙塵』では、その矛先が身体・狂気という内側へ向かった。そして、『遠耳父母』ではさらにその奥——父母という存在の根源、血脈の闇、人類が共有する神話の地層——へとドリルが届く。

 技法の面でも変化がある。改行の空白は、もはや単なる沈黙や打撃ではない。生者と死者の世界をつなぐ「霊道(通路)」として機能し始める。倒語法も、心理的な迂回表現を超えて、存在の輪郭そのものを崩す「存在倒語」へと変質する。6モジュールも補助的な役割を離れ、句そのものの駆動力になり始める。

この句集において、4原則と6モジュールは「父母」という根源の地霊を中心軸にして、呪術的な一体感を持って動き始める。完成期の『日本海軍』において歴史・制度・家族・死・国家・身体のすべてが総合的に作動するための、最後の準備がここで整えられる。

例句

  沈丁花


  殺されてきて

  母が佇つ闇

【4原則の分析】

① 語彙の地質学

 この句には、異なる深さの4種類の言葉が重なっている。

「沈丁花」 → 春の香りを持つ季語・幼年の家庭記憶を呼び込む言葉

「殺されてきて」 → 極端な暴力を含む言葉。しかも誰に殺されたのかは不明

「母」 → 存在の根源に関わる言葉

「闇」 → 死・無意識・深層を意味する言葉

 春の花から、死へ、母へ、闇へ——これらは本来、同じ次元に属さない。しかしこの句では、それらが一つの空間に同時に存在する。『罪囚植民地』までの制度語彙中心から、家族的深層語彙への移行がここで完成している。

② 倒語法

 この句の異常な点は、「母が殺された」ではなく「殺されてきて/母が佇つ」となっていることである。死んだはずの母が、闇の中に立っている。母は死者なのか、記憶なのか、闇そのものなのか——判然としない。因果の順序が崩れ、存在の輪郭そのものが溶け出している。「亡き母への思慕」を直接語ることを拒み、オカルト的な映像に置き換えることで、意味は生と死の境界線の上に完全に宙吊りにされる。

③ 沈降の力学

 この句の構造を確認する。

沈丁花 ← 香りの記憶の中へ漂い込む

(一行空白) ← 現世と死者の世界を隔てる深淵

殺されてきて ← 突然、暴力が落下する

母が佇つ闇 ← 暗黒の底に着地する

 一行目の「沈丁花」の直後に置かれた大きな空白が、この句の核心である。読者はその空白の中で一度、花の香りの記憶の中へ漂う。しかし、次の行で「殺されてきて」が突然落下する。この落下は映像の飛躍ではなく、記憶の断層が崩落する感覚である。空白は現世と死者の世界をつなぐ霊道として機能している。

④ 深層の噴出

 「殺されてきて」という言葉は、日常の論理を完全に逸脱している。これは通常の悲しみや追憶ではない。母という存在への根源的な畏怖、血の呪縛——そういった人間の無意識の最深部に澱んでいるものが、沈丁花の香りに誘発されて言霊として噴出している。郷愁ではなく「喪失の臭気」として現れるこの言霊は、個人の感情を超えた、人類が共有する死への恐怖に触れている。

【6モジュールの分析】

 モジュールとこの句での働き

 ①身体:沈丁花の濃厚な香気が、嗅覚を通じて読者の身体を直接緊迫させる  

②音韻:「し」「ち」という沈む子音の連なりが、闇へ引き込まれる感覚を生む  

③視覚:夜の闇に浮かび上がる母の白いシルエットが網膜に焼きつく  

④歴史:戦後の家庭崩壊・喪失という時代背景が底に流れている  

⑤心理:主体が幼児へと退行し、母という存在の前で無力化している  

⑥受容:母性の喪失という普遍的な感覚として、広く読者に届く

 この段階の6モジュールは、抽象的な神話の闇を読者の生身の身体に「本当の出来事」として届けるための感覚器として機能している。特に身体(嗅覚)と視覚のモジュールが主導し、「殺されてきて」という論理を超えた言葉が、単なる観念のゲームに陥るのを防いでいる。言葉が皮膚に直接触れるような感覚——これがこの段階のモジュールの到達点である。

【まとめ:この句が示すもの】

 この句が示す最も重要なことは、沈降の対象がついに「人間存在の根源」に達したことである。

 国家を告発した『罪囚植民地』、身体の狂気を掘り下げた『蒙塵』——それらはいずれも、外側または内側の「制度の檻」への沈降だった。しかし、この句では制度よりもはるか深い層、父母という血脈の記憶、生と死の境界線そのものへとドリルが届いている。

 また、空白の使い方がこれまでと決定的に異なる。『蕗子』の空白は沈黙装置だった。『罪囚植民地』の空白は打撃のための間だった。しかし、この句の空白は、現世と死者の世界をつなぐ霊道である。空白の意味そのものが深化している。

 重信はここで、自らの存在の根源を掘り尽くし、日本語の最深部にある神話を手に入れた。初期の感覚の尖鋭化、中期の形式の解体と質量の獲得、そしてこの「神話への沈降」——すべての流れが一本の大河となり、完成期の『日本海軍』における「立体の詩学」へとなだれ込んでいく。


5)三段階をつなぐ「なぜ次へ進んだか」

 形成期→完成統合期へ  

 多行にすることで沈降は深まったが、今度は行をつなぐ文法が、意味を固定してしまう弱点となってきた。そのため、文法を削ること、つまり名詞だけで句を立てることが、次への一歩として現れている。

(つづく)


【連載】現代評論研究:第29回各論―テーマ:雲又は霧その他― 藤田踏青、土肥あき子、飯田冬眞、しなだしん、北川美美、深谷義紀

●―1近木圭之介の句【テーマ:雲又は霧】/藤田踏青

(2012年08月03日)

酸性霧一人を殺し 一人ずつ殺し   平成2年作  注①

 酸性霧とは酸性の霧のことで、広義の酸性雨に含まれる。化石燃料の燃焼によって発生した気体が大気中で硝酸、硫酸イオンに変化して雨や霧、雪に取り込まれ、特に植物の葉、枝、幹などへ与える影響が大きく、森林衰退の原因となる。酸性霧は酸性雨より約10倍酸性度が高いそうである。そういった意味で、掲句が一般的に使用される酸性雨では無く酸性霧とした意図は不気味さを増している。そして雨という直接的な皮膚感覚ではなく、霧という朧げな感覚にいつしか取り巻かれていたという無言の恐怖感がそこに浮かび上がってくる。それも自己や身の回りの人間が一人そしてまた一人、といった具合に静かに徐々に殺されていくのである。それ故、一字空白は一人の死の瞬間の一呼吸のようにも思えて来る。地球温暖化の影は足音も無く忍び寄って来ているようである。

海霧の街角 虚構からみ合う      平成5年作

暗くなった霧 港街に炎を放せ     平成13年作

 この海霧は関門海峡でのものであろうか。霧は海と陸を渾然と一体化してゆく事によって現存在の意識の混濁をもたらし、そこに虚構を孕ませて港街へともたらすのであろうか。その虚構の中で男と女は相対し、抱き合い、憎しみの演技をするのであろうか。そして霧は再び全てを覆い尽くして消し去って行くのであろう。そのような消し去られた思念を圭之介は次の様な詩で表白している。


<霧の来る日>      昭和27年作    注②

青白い蛍光灯

皿にのこっている角砂糖

木の椅子は 余りにかたく

思念(パンセ)は窓硝子の指でなぞった絵の如く

冷(さ)めてゆく

海峡から追われるように霧が来て

わたしの前より 角砂糖を

木の椅子を

そして思念を消し去ってしまった


 消し去られた思念と共に自己の存在意識そのものも霧の中に消えてゆくのであろう。


注① 「層雲自由律2000年句集」合同句集  層雲自由律の会 平成12年刊

注② 「近木圭之介詩抄」 私家版  昭和60年刊


●―2稲垣きくのの句【テーマ:流転】渋谷区千駄ヶ谷・宮廷マンション時代(1)/土肥あき子

(2012年07月27日)

この森に籐椅子向けて老ゆるらし

 前書「転居、代々木の森に対す」として第三句集『冬濤以後』(1965)に所収される。昭和43年(1968)夏、きくのは前住居をわずか1年で早々に引き払い、新築8階建マンションに転居した。前住所と同じ千駄ヶ谷だが、引越先の「第三宮廷マンション」は明治神宮のしたたる緑を眼前に据えた当時最新のダイニングキッチン、エアコン、エレベーター完備の最新式の住まいであった。いかにもきくのにふさわしく思えるが、同号に並ぶ

茄子漬けて三DKにまだ馴れず

を見ると、あるいはたかだか3部屋の住まいに「宮廷」の文字が踊ることに羞恥を感じたかもしれない。4階とはいえ、きくのにとって初めての高層階での生活であろう。現在では線路沿いにビルが並んでしまったため見通せないが、建築当時はサンルームから明治神宮の大きな森が正面に見えていた。そして、驚くことに、今もきくのが暮らしていたマンションは健在であった。現在築44年。物件のコピーは「幾多の時代を経て、高い管理体制を維持し続ける人気のマンション」とある。原宿駅から8分と場所もよく、ヴィンテージマンションとして評価されていた。ヴィンテージマンションとは、築数十年経っても人気が衰えず、むしろ価値が上がっているマンションをいうらしい。

 掲句の初出「春燈」(昭和43年9月号)では、上五は「夕森に」であった。夕闇に紛れる森をサンルームから望み、62歳となったきくのは晩年という言葉を噛み締めていたのだろう。そして翌10月号には

わが流転やむ日かも死の切子吊る

が見られる。切子とは切子灯籠。新盆で亡者が初めての道のりに迷わないよう、白一色の灯籠を吊られる。鑑賞において「死の切子」のあたりが正直分らないが、ここで注目するのは「わが流転やむ日かも」のひとことである。気に入りのマンションを見つけ、ようやくここで腰を落ち着けることができるかもしれない、という安堵は、また自身に言い聞かせるようでもあった。

 きくのの考える老いについては、「春燈」に寄せられたきくのの友人秋元松代氏の「稲垣きくのさんによせて」の一部を引く。

 彼女は口癖のように、疲れたと云う。それから年寄り振って、もう年だから、と云う。あまり健康体ではないらしいから、疲れたと云うのは仕方がないとしても、年寄りぶるのはきくのさんの唯一のわるい趣味である。(「春燈」昭和38年6月号)

 恋愛句についても相変わらず盛んに発表しているきくのの口癖が、「もう年だから」だったことが興味深い。転居前後の悶着の主K氏は、きくのよりかなり若い学芸部の新聞記者であった。年下の恋人を持ったきくのは、同年代の女性よりずっと若く見えようと、あるいはいわば自虐的に年齢を口にしていたのかもしれない。

柊挿す卯の一白は浮気星   (『冬濤以後』所収)

妻と子を愛す牡丹の花よりも 「春燈」昭和42年(1967)8月号

 死別した財界人A氏とは、外見も年齢もまったく異なる両者は、どちらも九星占いでいうところの一白水星であった。参考までに一白水星をネット検索してみると「静かで穏やかな雰囲気があり、強情っぱりで独立心旺盛、寂しがり屋、 親愛を求める性格を持ち、人に好かれるタイプ。表面呑気に見えるが実は短気。男性は印象がよく、異性についてだらしのないところがあり、複数の女性と関係を持つ」と、付き合えば苦労しそうな星である。ちなみにきくのの九星は、四緑木星。こちらは「この星に生まれた人は外見は強気のように見えても、内面は柔和であり、お人好しで慈悲に富み、人との協調性もあり、社交家です。困難にあっても、明日は明日の風が吹くという楽観的な考えも長所と言えるでしょう」

 折々に起伏はあったものの、おしなべて愛に包まれていたきくのの恋愛遍歴は昭和44年(1969)9月号に昂りを見せる。それは今までの嫉妬とは違った、己をも罰するような激しい怒りである。

夏服に咄嗟にあてし瞋(いか)りの刃

絶たざればこの愛蛇の生ころし

忿怨のちらせし薔薇か夜のくだち

夏の夜のあてし瞋りの刃のひけず

 瞋の文字を使う心理は、仏教でいう「貪瞋痴」の「三毒」を意図したものと思われる。貪は執着する心、瞋は怒りの心、痴は愚かな心で、数ある煩悩の中で人間を最も苦しめる「三毒」を背景にすることで、作品は単なる怒りを越えて、人間の振り払いきれない悲しみに到達する。翌月10月号では、

この道をひとと行くゆめ消えし滝

があり、炎は静かに鎮火した。そして、また恋慕の情を断ち切るように昭和45年(1970)5月、第三句集『冬濤以後』を上梓する。

死場所のなき身と思ふ花野きて  『冬濤以後』所収

死はいまも寄添へり花野撩乱たり 『冬濤以後』所収

花野きて霧の奏づる鎮魂歌    『冬濤以後』所収

 句集は死を色濃く意識したもので締めくくられる。



●―4齋藤玄の句【テーマ:雲】/飯田冬眞

2012年07月27日 

べこ餅を搗けよ雲つく男たち

 昭和55年作。遺句集『無畔』(*1)所収。

 雲つくほど大きな男たちが、杵と臼を持ち出して餅を搗き、手の平よりも小さなべこ餅をちまちまと作っている、という情景が何ともおかしい。

 北海道で少年時代を過ごした私にとって、端午の節句といえば、「べこ餅」だった。もちろん、「かしわ餅」もあったはずなのだけれど、印象が薄い。

 実家の「べこ餅」は、まず、上しん粉に上白糖を混ぜた白色の生地と黒砂糖を混ぜた黒色の生地をつくる。次に、葉っぱの形の木型に白色、黒色の順に生地を詰めて、型押しする。そのあと、木型から生地を取り出したものを重ならないように並べてせいろで蒸せば、できあがり。

 ちなみに木型をコンコンたたいて生地を取り出すのが子供のころの私の役目だった。うまく取り出さないと生地が手に張り付いて気持ち悪かったのを覚えている。だが、せいろの蓋をあけて、ふかしたての「べこ餅」をのぞくと、白と黒のツートンカラーの葉っぱが湯気の中から現れる。ことに黒砂糖の部分がつやつやとしていて、とてもきれいだった。

 名前の由来については、白黒まだらの牛(べこ)のように見えるところからという。語源については、これ以外にも、その色合いが「鼈甲(べっこう)」のようだからとか、和牛が足を折って臥せている姿に似ているからなど諸説がある。

 さらには、白い生地と黒い生地をロールケーキのように巻き込んで、棒状にしたものを金太郎あめのように輪切りにしたものもあるらしい。白と黒が渦巻き状になった「べこ餅」も見覚えのあるものである。

 ともかく、「べこ餅」は「子どもの日」前後のおやつとして懐かしい食べ物のひとつだ。

 齋藤玄の弟子の近藤潤一によると、この句は昭和55年3月30日のお見舞い句会で見せられたという。その時の会話を紹介しておく。

べこ餅を搗くというのであれば、普通の人間ではつまらない。やはりそこはいかつい男、セレモニー的な男がもっと拡大強化されたものが出現してこなければおもしろくない、と思って、それが『雲つく男』になっちゃった。(*2)

 齋藤玄の俳句のつくりかたの一端が垣間見えるエピソードである。と同時に掲載句は作者がいたずら心を起こして朗らかな想像力によって作ったものであることがわかる。玄にはこうしたいたずら心を感じさせる句もいくつか残しており、別の機会に紹介したいが、今見るとどれも成功作とは言い難い。

 だが、掲載句は〈雲つく男たち〉の奇想天外さと〈べこ餅を搗けよ〉の「よ」の言いなし方が、〈べこ餅〉のべろっとした感じに似合っているように思えるのである。これが死のひと月ほど前に作られたものであることを知ると、何か痛ましい思いが交錯する。子供のころの郷愁とあいまって、切なくておかしい句という印象がこの句にはある。


*1  遺句集『無畔』 昭和58年刊 『齋藤玄全句集』 昭和61年 永田書房刊 所載 

*2  近藤潤一 『玄のいる風景』 1991年 響文社刊


      

●―9上田五千石の句【テーマ:雲】/しなだしん

(2012年08月10日)

和紙買うて荷嵩に足すよ鰯雲

 第二句集『森林』所収。昭和五十一年作。

 「鰯雲」の句である。「鰯雲」は五千石の好きな季語のようである。特に初期の『田園』『森林』の収録が多く、掲出句のほかにも

いわし雲亡ぶ片鱗も遺さずに   昭和33年

乱声のピアノとなれり鰯雲   昭和33年

流寓のながきに過ぐる鰯雲   昭和37年

いわし雲十年一日とはいへど   昭和37年

鰯雲くづれは雲の襤褸なる   昭和45年

などがあり、昭和45年作の〈鰯雲くづれは雲の襤褸なる〉は〈12回「記憶」を読む〉で紹介した。また、「鰯雲」だけではなく「秋の雲」の句も多い。

秋の雲立志伝みな家を捨つ   昭和38年

峡中に入る秋雲の一片と   昭和41年

     ◆

 さて、掲出句について著書 『俳句に大事な五つのこと 五千石俳句入門』(*1)の「自作を語る」の中で〈飛騨の山旅の終わりに「買」わでもの「嵩」ばる「和紙」を仕入れて「荷」に加えた。加えたからといって、格別「嵩」が重くなったわけではないが、それを「荷嵩に足す」と何となく旅の疲れが増したような気がしたのです〉と記している。表現がやや分かりにくいが、飛騨からの帰り際に和紙を買い、旅の終わりの感慨があふれてきた、ということだろう。

 続けて〈天に広ごる「鰯雲」を仰ぐにつけ、いまさらながら帰路の遠さが思われ、「和紙」の「買」い物が、ちょっぴり悔やまれる、というぐらいの句であります〉とある。続けて、〈でも、ほんとうのことを言えば、一句は旅の充足感であります。ここらが俳句の妙味で、ひねった言い方と言っていいと思います〉と本音ものぞかせている。

 さらに〈そこらの機微を説いて『紙の軽さに照応する表現が「買うて」と「足すよ」にある。「買って」「足せり」となるといささか言葉に目方がつく』と言ってくださったのは、飯田龍太氏でありました〉と記す。


龍太の弁は、この句が仮に

和紙買つて荷嵩に足せり鰯雲

であると、言葉としてやや重くなるというほどのことだろうか。

 この軽さに五千石自身も工夫のし甲斐があったと感じているのだろう。

     ◆

 掲出句以外にあげた鰯雲、秋の雲の作品は、どれもやや感情が先に立っているように思う。それは秋の雲という、ものさびしさが先に立っているからかもしれない。これに対して掲出句では、軽い感じが勝っているのは、その感情の隠し方の技が効いているということだろう。


*1 『俳句に大事な五つのこと 五千石俳句入門』平成21年11月20日 角川グループパブリッシング刊



●―12三橋敏雄の句【テーマ:『眞神』を誤読する】55./ 北川美美

55.草荒す眞神の祭絶えてなし

 55句目でタイトルである『眞神』という言葉が出て来る。敏雄の有名句「絶滅のかの狼を連れ歩く」そして『眞神』自体を理解する上で、この句を読むことはキーとなっていくだろう。

 眞神の意味について『眞神』後記の敏雄自身の下記の解説が引用紹介される。

 本書の題名とした「真神」は、『大言海』に「狼ノ異名。古ヘハ、狼ノミナラズ、虎、大蛇ナドモ、神ト云ヘリ」とある、其である。併、斯る栄称に、曾て永くも堪へて来た狼の生態は、多くの滅び行くものに準じて、既に我国の山野から滅び去つて久しい。今、畏みつつ親しまうとするならば、例ば、武蔵国は御嶽神社、或は、同じく三峯神社等の祭神を相け随ふ地位に祀られて座す 大口真神、即、広く火災盗難除去の効験をのみ担ふ所の英姿を、其護符上に拝する許である。

 併読としてWikipediaの解説がわかりやすい。

 「眞神」とは現在は絶滅してしまった日本狼が神格化したもの。大口真神(おおぐちまがみ)とも呼ばれる。人語を理解し、人間の性質を見分ける力を有し、善人を守護し、悪人を罰するものと信仰された。また、厄除け、特に火難や盗難から守る力が強いとされ、絵馬などにも描かれてきた。


「ニホンオオカミ」東京大学総合研究資料館のwebsite

 三峯神社 (埼玉県秩父郡大滝村三峰)、釜山神社 (埼玉県大里郡寄居町)山住神社 (静岡県磐田郡水窪町山住)、大川神社 (京都府舞鶴市大川)に大口真神が祀られている。

青梅市・御獄神社のお札


 神格化された狼のことを「眞神」と理解してよいようだ。更に理解を深めたのは、 TV番組のETV特集「見狼記」であった。狼信仰は今も残っている。

 人間の手によって森の生態系が崩され、神とされていた狼が絶滅させられたといってもよいだろう。さらに今では亡くしたものを生きていると信じたい、それを心に糧としたいという、願いが大震災に遭遇した人々の心と通じるものがあるようだ。自然信仰に基づけば神は至る所にいる。そしてその自然界の神を絶滅させるのもわれわれ人間である。

 上五の「草荒す」は、中七の「眞神の祭」に掛かっていると読める。狼は肉食であり草食でないことから、草を荒すのは、祭を催している私たち人間のことと読める。

 「眞神」という言葉が単なる郷愁に終わらず、何かを私たちに気づかせている。人類が犯した罪に対する気づきがある。それは、敏雄が戦争に対する、人が犯した罪を詠いつづけたことにも一貫していて、その壮大なテーマは、俳句の枠で言い切れなかったことを実現させようとした試みだったのではないだろうか。

 俳句を知り三橋敏雄『眞神』に出会わなければ狼信仰について理解を深めることはなかっただろう。秩父と連なり養蚕、機織の地域でもある筆者の故郷にも狼信仰の山がある。故郷の山はいつも怖いイメージがあった。どこかで何かが息を潜めている空気がある。未だその山の入口までしか足を踏み入れていない。この『眞神』の読みと同じである。

 トキが子供を産んだことがニュースになった。すでに絶滅危惧されてから手を尽くすのでは自然界の生態系を守るには手遅れという。俳句は花鳥諷詠、自然界のことを詠み込んできた歴史がある。絶滅危惧品種を詠み込み、功罪を詠うことは、敏雄以降の普遍的な俳句の型といってもよいかもしれない。


蓑虫もとうに絶滅危惧種といふ   関悦史 『六十億本の回転する曲がった棒』(2011年)



●―13成田千空の句【テーマ:雲】/深谷義紀

(2012年07月27日)

並ぶ肥(た)桶(ご)峰雲嶺に湧きつつあり

 第1句集『地霊』所収。

 何とも“濃い”作品である。今流行の“草食系”の対極にあるような印象を受ける。色彩も鮮やか、輪郭もくっきり、更には様々な匂いを含め、夏の気配が濃密に漂ってくる。そして一定の年齢以上の、かつ農村での生活体験がある者にとっては、懐かしさとともに、その頃の思い出が鮮明に蘇ってきそうな句である。

 思えば肥桶も、人口肥料に取って代わられ、だいぶ前から見なくなった。あれは近寄りがたいがゆえに、逆にその存在を強烈に意識せざるを得ないという、パラドクシカルな存在感を発揮していた事物だった。

 掲出句に戻ろう。この句を読んで気付くのは、一句に籠められた要素の全てが生命の躍動を感じさせることだろう。肥桶の養分を吸収した作物はぐんぐん成長を遂げているし、遠山に目を転ずれば入道雲が力感を伴って湧き起こっている。当時としては、ありふれた夏の農村風景だ。

 だが現在という視点からこの作品を眺めてみると、その景は当たり前のものとは言えなくなる。ある時代の特徴を色濃く反映した風景だと思うからである。その時代とは、戦後復興過程の一時期だ。そのあとの高度経済成長期になると、どこか慌ただしさが紛れ込み、風景からこうした雄渾さが失われたような気がするのである。その意味で、一見飾り気のない朴訥そのものの作品に見えて、なかなかどうして実のところその時代の息吹を饒舌に物語っている作品なのではないだろうか。


【告知】第72回松島芭蕉祭並びに全国俳句大会

 次の通り松島芭蕉祭並びに全国俳句大会が行われます。

ご参加ください。

公式ウェブサイト → https://miyagi819.com/m-basho/




【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり54 瀬戸内寂聴句集『ひとり』を読む。  豊里友行

 瀬戸内寂聴句集『ひとり』(2017年刊、深夜叢書社、第6回星野立子賞受賞作)を何度も読み込む。

 帯文の裏面を引いておく。あと本句集には、瀬戸内寂聴さんのエッセーも収録されている。

「・・・・・・生ぜしもひとりなり、死するも独(ひとり)なり、されば人と共に住するも独なり、そひはつべき人なき故なり」という一遍の言葉が、人間の孤独の本性をすべて言い表していると思った。「おのづからあひあふときもわかれてもひとりはいつもひとりなりけり」という一遍の歌は、私の護符であった。ふりかえってみれば、私の書いてきたものは、はからずも、一遍のこの言葉やこの歌のこころを。ただ追い需め、なぞっていたのではあるまいか。(『瀬戸内寂聴全集 第十七巻』解説より引用)


ぼうたんのうたげはをんなばかりなり

 牡丹(ぼたん)・ぼうたん。この大形の花は気品があり、中国では「花王」と言われる。

その牡丹の宴(うたげ)があるという。

 をんなは、古語で女。成人した女性を指す。または、妻。恋人である女を指す。

優雅な牡丹の宴は、優艶な女性たちだけの焔(ほむら)のようだ。

 瀬戸内寂聴の小説の代表作のひとつ、『現代語訳 源氏物語』に匹敵するほどの俳句作品のひとつだ。


小さき破戒ゆるされてゐる柚子湯かな

 柚子湯とは、柚子(ゆず)を浮かべた風呂のこと。

 冬至の季節の身体をいたわる生活の知恵で江戸時代には命に関わる寒さによる危険をしのぐための生きる術として現代の生活にも残る風習だ。

 その柚子湯の湯船の海原を小さな破戒を許されていると把握する慧眼の秀句だ。


身ほとりのものの芽ばかり数へをり

 「身のほとり(身ほとり)」は、自分自身にもっとも親(ちか)しいヒト・モノ・コトの総称のこと。

 ものの芽は、春の季語で春のもろもろの草木の芽のこと。

 身ほとりの春の息吹を数えている丁寧な生き方は、「はるさめかなみだかあてなにじみをり」「子を捨てしわれに母の日喪のごとく」「ひと言に傷つけられしからすうり」「生かされて今あふ幸や石蕗(つわ)の花」など人生と自己に向き合いながら瀬戸内寂聴文学を貫き通す道のりの新境地だったのかもしれない。


ろまんちつく街道旅の涯に野火

反戦の怒濤のうねり梅開く

待ち待ちし軀の中まで天の川

 ロマンチック街道とは、ドイツにあるヴュルツブルクからフュッセンまでの約400kmの人気の観光街道のルートのこと。野火(のび)は、野焼きの火のこと。野山の不審火。また野の火事。ロマンチック街道の旅の涯に作者は、野焼きの火の燻るような文学の火種を得ていたのかもしれない。

 下五の「梅開く」に金子兜太先生の俳句「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」を連想させる。金子兜太先生の揮毫された反戦のプラカードが怒濤のうねりのようだった。俳句と社会をどう繋げていけばいいのか。いまだ私の課題のひとつをこの句は、想起させる。

 待ち待ちしの心境と軀(からだ)の中まで天の川が注ぎ込まれる詩的な感受性も良い。


共鳴句をいただきます。


紅葉燃ゆ旅立つ朝の空(くう)や寂

すててこそ虹たつ今朝のかぎりなく

ひとり居の尼のうなじや虫しぐれ

寂庵に誰のひとすぢ木の葉髪

おもひ出せぬ夢もどかしく蕗(ふき)の薹(たう)

菜の花や神の渡りし海昏く

をとめらの足首繊し青き踏む

煩悩もあはあはとなり春愁

春逝くや鳥もけものもさぶしかろ

神の留守森羅万象透きとほり

ほたる抱くほたるぶくろのその薄さ

星ほどの小さき椿に囁かれ

むかしむかしみそかごとありさくらもち

独りとはかくもすがしき雪こんこん

湯豆腐や天変地異は鍋の外

御山(おんやま)のひとりに深き花の闇

2026年7月17日金曜日

第272号

 次回更新 7/31



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令和七年秋興帖

第一(10/31)杉山久子・辻村麻乃・仙田洋子
第二(11/21)豊里友行・山本敏倖・仲寒蟬
第三(12/12)ふけとしこ・岸本尚毅・瀬戸優理子
第四(12/26)冨岡和秀・堀本吟・木村オサム
第五(1/9)神谷波・川崎果連・曾根毅
第六(1/16)渡邉美保・小林かんな・田中葉月・小野裕三
第七(1/30)眞矢ひろみ・小沢麻結・花尻万博・林雅樹
第八(2/13)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子

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■連載

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり53 中村草田男(「日本の詩歌19」) 》読む

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句集歌集逍遙 梶原さい子『震災短歌ノート 東日本大震災ののちに』/佐藤りえ 》読む

【新連載】名俳句鑑賞へのラブレター『高屋窓秋の百句』(鴇田智哉) 豊里友行 》読む

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【豊里友行句集『赤ん坊オーケストラ』を読みたい】3 『赤ん坊(あかんぐわ)オーケストラ』豊里友行句集を読んで 辻村麻乃 》読む

【新連載】口語俳句の可能性について・番外
 俳句の虚構―西躰かずよし「窓の海光」論―  金光 舞
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【新連載】俳壇観測279 ユネスコ登録の進め方4 有馬氏とマーティン氏の論点[1](誰も言っていないこと)  筑紫磐井 》読む

【豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい】
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【加藤知子句集『情死一擲』を読みたい】④ 破局有情――加藤知子句集『情死一擲』について 関悦史 》読む

現代俳句協会評論教室・フォローアップ研究会 7 筑紫磐井 》読む

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【広告】ウエップ俳句通信152号・特集〈筑紫磐井の〈新俳句宣言〉にたいして〉  

 ウエップ俳句通信151 号に掲載された筑紫磐井「未来俳句宣言」に対し編集部から121名の俳人・評論家に意見を求めたところ、無回答6人、否58人、諾57人の回答が得られ、諾と回答した俳人・評論家の回答をそのまま掲載した。主要執筆者と回答した表題を掲げる。


●特集〈筑紫磐井の〈新俳句宣言〉にたいして〉

[主要執筆者と表題]

青木亮人 「三度の変革の後に」 

秋尾敏 「俳句はポップー〈新俳句宣言〉に思うー」 

池田澄子 「俳句って何」 

稲畑廣太郎 「筑紫磐井の〈新俳句宣言〉に対して」 

井上泰至 「未来への遺産」 

今瀬一博 「考える機会に」 

大石雄鬼 「塊根植物と俳句」

大井恒行 「筑紫磐井の〈新俳句宣言〉についてーあるいは「未来俳句宣言」ー」 

奥坂まや 「新しい風景の伝統」 

角谷昌子 「呼び水の効果はあるか」 

加藤かな文 「未来の古典」 

河内静魚 「筑紫磐井の〈新俳句宣言〉にたいして 志というもの」 

川名大 「ボタンの掛け違え」 

如月真菜 「否定はしない」 

岸本尚毅 「〈新俳句宣言〉へのコメント」 

栗林浩 「筑紫磐井〈新俳句宣言〉に対して」 

後藤章 「未来俳句宣言と量子論的世界認識」 

五島高資 「俳諧精神から見た〈新俳句宣言〉」 

小林貴子 「筑紫磐井の新俳句宣言〉にたいして伝統的前衛宣言」

下坂速穂 「定型を思うこころに」 

高山れおな 「一番弟子が師匠の宣言をめぐって書いた模範回答、のようなもの」 

田中亜美 「筑紫磐井氏の〈新俳句宣言〉に対して」 

津久井紀代 「過去に見たことのない風景 筑紫磐井〈新俳句宣言〉を読む」 

対馬康子 「松山宣言の先へーー筑紫磐井氏の使命」

辻村麻乃 「筑紫磐井氏の〈新俳句宣言〉を踏まえて」 

坪内稔典 「盤井さん、なんだか変だよ。」

鴇田智哉 「いやです」 

富田正吉 「新しいキーワードを求めて」 

外山一機 「形式が思い出す」 

仲寒蟬 「古いものこそ新しい」 

仲村青彦 「俳句ーー詠みの根源」 

中村和弘 「見えない未来より見える明日を!」 

中本真人 「筑紫磐井氏「未来俳句宣言」を読む」 

中山世一 「新俳句宣言について」 

名取里美 「寸感」 

行方克 己「わが絶対語感」 

西池冬扇 「「未来俳句宣言」に寄せた囈語 寓話「醜いアヒルの子」外譚」

橋本栄治 「広く認知される宣言でありたい」 

波戸岡旭 「革新ということ」 

廣瀬悦哉 「俳句は定型の詩」 

細谷喨々 「ご返事」 

堀田季何 「宣言は後から来る」 

宮崎斗士 「「敵」としての矜持」 

望月周 「戦争び」 

本井英 「三百三十三年」 

森須蘭 「実作者として」 

柳生正名 「映像と音像の両立としての俳句=筑紫氏「未来俳句宣言」をめぐって=」 

山崎十生 「新しい自由な俳句」 

渡辺誠一郎 「〈新俳句宣言〉に寄せて」 


●新しい詩学のはじまり〈番外編〉・未来俳句宣言2

  ーー1999年「松山宣言」を受け継いで  筑紫磐井

 山根もなか、磯﨑寛也(詩人)、山本幸生(作家)、マブソン青眼、林桂、栗林浩の意見と、有馬朗人・金子兜太・宗左近らによる1999年「松山宣言」(Matsuyama Declaration)、2000年の第1回正岡子規国際俳句大賞を受賞したフランスの詩人イヴ・ボヌフォワの講演を紹介。

【告知】第46回現代俳句評論賞のお知らせ(令和8年7月7日)

 現代俳句協会は、第46回現代俳句評論賞の選考委員会を開催し、20編の候補作品から厳正な選考を経た上、山根もなか氏の 「俳句は第一芸術である―知覚・形式・運動の条件」に決定しました(選考委員:五島高資、西村我尼吾、橋本喜夫、松王かをり、武良竜彦)。鳥取県出身42歳。


◆俳句歴: 

2014年(平成26年)自由律俳句結社「きやらぼくの会」入会 

2019年(令和元年)きやらぼく賞 受賞 

2025年(令和7年)自由律俳句結社「青穂」入会 

2025年(令和7年) 現代俳句協会 入会 

2026年(令和8年) 西東三鬼賞 佳作 

2026年(令和8年)『詩客』にて実作・時評掲載 

◆現 在:

きやらぼくの会・青穂 

未来短歌会、DG-Lab(ドゥルーズ・ガタリ・ラボラトリ)参加 


筑紫磐井より:山根氏は、昨年の現代俳句協会の現代俳句講座で知り合い、頻繁に意見交換をさせていただき、最終的に「BLOG俳句新空間」で「未来俳句宣言」の企画取りまとめに参加いただいた。この宣言が出る功績者ともなっているので、受賞の御祝と併せて、企画への参加の感謝も申し上げたい。末筆ながら、同時掲載の、攝津幸彦記念賞の応募作品にも「未来俳句宣言」への言及と深い考察をしていただいていることに触れておきたい。


【山根さんの感想】

 このたびは身に余る賞をいただき、選考委員の先生方、現代俳句協会の皆様に、心より御礼申し上げます。

 私は自由律俳句の人間です。十二年ほど前に80年続く自由律俳句の結社に入り、荻原井泉水と、郷里鳥取の尾崎放哉や河本緑石の系譜のなかで句を作ってきました。その間ずっと抱えていたのは、素朴といえば素朴な問いでした——自由律俳句の自由律俳句たるゆえんは、どうやら自由律の内側にしか伝わらない。ならば、形式を持たない俳句は、そもそも俳句として成立しうるのか。定型に対する引け目とも、居直りともつかない場所で、この問いを長いこと持て余してきたように思います。

 その問いを抱えたまま、桑原武夫「第二芸術」を読み直しました。俳句界にとってもっとも重い歴史と正面から向き合うことでしか、自由律を定型の方々に、これまでとは違う仕方で伝えることはできないのではないか——そう考えたからです。擁護でも反駁でもなく、まず受け入れてみること。そこにこそ未来の俳句への通路があるのではないか。

 受け入れた上で、反転させる。そうしてみると、桑原の議論が取り逃がしていたものの輪郭が見えてきました。彼が突いていたのは形式の有無ではなく、形式が知覚に先立つのか、知覚の運動から形式が生まれてくるのか、その向きだったのではないか。ならば第一芸術とは、知覚の運動が形式を生み出している状態のことになる。この一点において、定型と自由律を隔てていた壁は意味を失います。本稿は、そこから書き始めたものです。

 力を尽くしたつもりです。定型の方も、自由律の方も、結社の内にいる方も外にいる方も、この論を読んでいくらか勇気づけられるようなものになっていればと願っています。俳句とは何か、未来の俳句はどこに宿るのか——その問いを、俳人ひとりひとりが自分の手で引き受けなおすための、ささやかな踏み台になれば幸いです。


 最後になりましたが、筑紫磐井氏には、「未来俳句宣言」の企画を通じて多くを学ばせていただきました。この場を借りて御礼申し上げます。


山根もなか

【連載】新現代評論研究:『天狼』つれづれ 第11回:「実作者の言葉」…「晝の星」 米田恵子

 「晝の星」と題した「実作者の言葉」には、虚子の「爛々と晝の星見え菌生え」という句が出て来る。この「晝の星」は昭和24年7・8月号と昭和25年2月号に「晝の星 ふたたび」として登場する。誓子は、珍しく2回で納得したようだ。

  爛々と晝の星見え菌生え

 この句は、疎開していた虚子が昭和22年小諸を引き上げるときに「長野俳人別れの為に大挙し来る」という後書きがある句である。

 誓子は、「晝の星」が見えるかどうかということに関して、以前に「必ずしも現世のことゝしなくともいゝのではないかと云つた」そうだが(いつ発表した文なのかは残念ながら分からなかった)、今回誓子の星学の師である野尻抱影の最近の随筆に、「白晝の金星」なら見えるということが書いてあったため、虚子の「爛々と」の句は実際に虚子は昼に金星を見て詠んだ句だと、解釈を改めた(『天狼』昭和24年7・8月号)。

 しかし、数名の読者から手紙があり、それが昭和25年2月号に紹介される。まず、八校生のI 君は芥川龍之介の小説「首の落ちた話」(正しくは「首が」)に「晝の星」が出て来ることから、白昼に星が見えるというのは確かなようである。その後U氏からの手紙で、誓子は初め「現世のものにしてしまはねばならなぬ必要は毛頭もないのである。爛々は老詩人の鋭い眼光に他ならない」としていたが、今回の解釈で金星は白昼でも見えるため、その金星を暗い谷間から空を見上げると爛々と見えたかもしれぬと、『爛々と』を極めて一般的なことにしてしまったことにU氏は賛成できないという手紙であった。

 これに触発されて、誓子は個展や漢詩や漢籍にもあたり、結論として「夜の星を爛々と表現することは、常凡である。晝の星を爛々と形容するに至つてその光は忽焉として怪しき光となり、詩境の飛躍を見るのである。U氏が爛々は虚子の眼のみが見た光であると云つたのは当たってゐる」と述べる。

 夜の星の表現として「爛々と輝く」は普通の表現である。しかし、「晝の星」を「爛々と」と表現したのは詩人である虚子であり、その眼にのみ見えた光であるということだ。だから、誓子は、虚子の詩人としての感覚の鋭さや豊かな感受性をまざまざと見せつけられたのかもしれない。

 これには、後日談がある。それは、讀賣新聞に連載していた誓子の昭和40年1月4日付の「秀句鑑賞」において、野尻抱影の手紙(昭和39年10月28日付[神戸大学所蔵])に、「爛々と晝の星見え」の句について、昭和22年ということがはっきりしているので、天文台に勤めている弟子に聞いてみると、その年には小諸で昼間に金星は見られないということが書いてあったそうだ。

 そこで、誓子は、昭和24年に野尻抱影の随筆がきっかけとは言え、中途半端な調べ方をして、虚子が見た「晝の星」を金星と断定してしまったことを反省する。これは、特定の星とせずに、昼の星は虚子のみに見えた光だと、誓子が一番初めに鑑賞したように、まず、自分の直感や感覚を大切にしようということを再認識したということではないか。誓子の考証好きはよく分かるが、その考証も中途半端ではいけないということも認識したようだ。

 ちなみに、私はこの俳句を初めて見た時、菌は夜でも光る毒キノコを想像した。昼の月は見るが、昼の星は見たことがなかったため、「爛々と光る」ということから、星ではなく、暗い森の中で昼でも怪しく光る毒キノコを想像した。

 (野尻抱影とは、戦後すぐの昭和21年、以前から誓子の星の俳句に興味を持っていた抱影が誓子の俳句に自分の随筆を載せた『星恋』という本を出版した縁であり、誓子は「自分の星学の先生」と敬愛する)

【連載】攝津幸彦記念賞応募作品9 未来の俳句は、どこに宿るか  山根もなか

 序――滅びの予感のなかで

 自由律の実作者として、私は長く一つの問いを抱えてきた。器を脱いだ俳句は、どうすれば成り立つのか。井泉水から放哉、山頭火、住宅顕信へと続く系譜に身を置きながら、脱いだその先で何が俳句を俳句たらしめているのかを考えてきた。器を捨てた者ほど、器の正体を問わずにいられない。

 そんなとき、筑紫磐井氏の一行に出会った。新しい俳句が生まれなくては、俳句は滅ぶ(『新しい俳壇をめざして――新世紀俳句時評』東京四季出版、二〇二五年)。筑紫氏は「未来俳句宣言」を掲げ、未来のかたちは各人が提案せよ、連帯はせずとも共感はしたい、と説いた。

 この危機は定型だけのものではない。新しい構造が拓かれてこなければ、まず行き場を失うのは型に収まらぬ才能だ。定型を守る者と自由律を生きる者は、別々に滅びを待つ二陣営ではない。同じ危機への、二つの応答である。

 本稿はその危機への一案である。俳句の芸術性は器に宿るのか、構造に宿るのか。それを問い直し、器を脱いだ先に新しい畑を拓けるかを試みる。守るために、攻める。それが本稿の構えである。その問いに、本稿はこう答える。俳句の芸術性は器でなく、二句一章=切れ=ヘルダーリンのカエスーラという構造に宿る、と。


第一章 芸術性はどこに宿るか――乙字とカエスーラ

 大須賀乙字は俳句の調子を論じ、一章の俳句には一ヵ所の大休止があり、その句切れが全体の調子を引き締めると説いた(『乙字俳論集』講談社学術文庫、一二八〜一二九頁)。二句一章。俳句は二つの句が一つの章をなし、その境に切れが立つ。乙字はこの切れに段階を見、大休止と小休止を分けた(同八二頁)。切れは「あるか・ないか」の一点ではなく、強弱の階調を持つ。

 乙字が大休止の例として挙げた句を引く。


  ほととぎす琥珀の玉をならし行く  蕪村

  失うた杖も闇の夜時鳥  蕪村

  十丈の杉六尺の芒かな  子規


 三句とも、切れの置かれる場所が違う。「ほととぎす」の直後、「闇の夜」の後、「杉」の後――休止の位置が句頭寄り・句中・句末寄りと移り、そのたびに句の呼吸が変わる。切れの位置が句の調子を決めるのだ。

 ここに西洋の一点を重ねたい。ヘルダーリンは悲劇詩を論じ、カエスーラ(Zäsur、中間休止)を「リズムを中断する純粋な発言」と呼んだ。この休止の後では表象そのものが出現する、と言う。しかも休止の位置に法則を見、その位置が詩の平衡を決めるとした(全集第四巻、四八〜五五頁)。切れとは流れを断つ刃であると同時に、断った断面に新たな像を裸で立ち上げる蝶番なのだ。

 明治の日本と十八世紀末のドイツ。両者は互いを知らぬまま、同じ一点に達していた。中断の後に像が現前する――その符合が示すのは、この一点が言語の外にあることだ。カエスーラとは特定の音韻の規則ではなく、像と像のあいだに走る中断であり、流れが断たれて新たな像が立つ一点を指す。音は言語に縛られるが、中断は縛られない。だからこそ、この構造は海を越えて移し替えられる。

 なお、西洋の概念で俳句を語ること自体が、宣長の言う漢意(からごころ)――小智をふるって世界を割り裁くなまさかしら心――に堕してはいないか(小林秀雄『本居宣長』第四十章、三七一頁)。だが私が借りるのは裁断する理論ではない。カエスーラとは裁断が破れる一点、意味が中断して像が裸で立つ一点を指す。理屈で割り切る心ではなく、割り切れぬものの前で立ちどまる心――それは漢意の対極、むしろもののあはれの感受に近い。

 俳句の芸術性は十七音という器の長さにあるのではない。二句一章=切れ=カエスーラという、言語を越えた構造にある。


第二章 構造は器から切り離せる――乙字自身の亀裂

 乙字は二句一章を五七五の器に縛りつけた。だがその論には四つの亀裂がある。第一に、乙字自身が五七五はリズムを成さないと認める(同一六一頁)。第二に、十七字の根拠を上下二句の釣り合いに求める以上、合計が十七でなければならぬ必然はない。第三に、句を支配するのは内容律であって音数律ではないと説く(同一六六頁)。構造は音の数ではなく意味の切れ目に宿る。第四に、形式への固着を堕落と呼んだ(同一七一頁)。自由律を未熟と退けた(同一七六〜一七七頁)が、それは脱ぎ方の拙さを言うのであって、脱ごうとした方向そのものの否定ではない。

 四つの亀裂が示すのは、切れが五七五の器とは独立に成り立つことだ。同じ十七音でも切れの働く場所は一つに固定されない。さらに乙字が新傾向の例として挙げた句では、切れはいっそう自在に動く。


  赤い椿白い椿と落ちにけり  碧梧桐

  

 器はそのままに、構造だけが動くのである。ならば逆も言える。構造が器を選ばないなら、器を脱いでも構造は残りうる。乙字が縛りつけた手を、彼自身の論がほどいているのだ。


第三章 第二芸術論の突破――そして国境を越える俳句へ

 俳句に向けられた最も重い断罪、桑原武夫の第二芸術論に向き合わねばならない。桑原は作者名を消した句を並べれば優劣も判じがたいと言い(『第二芸術』講談社学術文庫、一九七六年、一六〜二〇頁)、俳句は老人病人の余技、菊作りや盆栽に似た慰戯であって現代の自己や社会に向き合わないと断じた(同三〇〜三一頁)。

 だが桑原が見たのは、題材や調べのありふれたものであって、奥にある切れの構造ではなかった。短さは思想を排除しない。短さのなかに切れを位置づけることで、二つの像が衝突させられ、その衝突に思想が折り込まれる。器が短いからこそ、切れの一撃は鋭くなる。第一芸術と第二芸術を分かつのは長さではなく、構造の有無である。桑原は俳句を短さで裁いて、構造を見なかった。第二芸術論はその盲点の上に立っている。

 そして、この構造はさらに遠くまで届く。切れは言語に依存しない。音韻の規則ではなく、像と像のあいだに走る中断だからだ。音は翻訳で死ぬ。だが、意味が途切れ像が立つという一点は、どの言語でも起こりうる。乙字とヘルダーリンの符合が、それを証していた。ならば俳句の本体――切れの構造――は、海を越えて移し替えられる。五七五という器は日本語の音数に縛られて越えられないが、切れは器ではなく構造だから越える。外国の詩人が二つの像を切れで衝突させ、その断面に像を現前させるなら、それは言語を異にしても俳句の構造を生きている。

 ここに、桑原への反証と国際化とが一つに結ばれる。桑原を超えて俳句が第一芸術たりうるのは、切れという構造を持つからであった。その構造が言語を越えるなら、俳句は日本語の中だけの慰戯ではなく、世界の詩へ開かれた構造として立つ。短さゆえに思想を盛れぬ第二芸術ではなく、構造ゆえに思想を結晶させ、しかも国境を越える第一芸術へ。その突破行の先端に立つのが、カエスーラなのだ。

 最後に、器を脱いで、なお構造を保つこと。その構造を世界へ移すこと。この二つを実地に示すのが、本稿後半に掲げる宣言と実作である。


第四章 二重露光 未来俳句宣言に寄せて

 篠原資明の超絶短詩は一語を分解し二語を立てる。〈あら/詩(嵐)〉は「あらし」の音列を割り、ルビ「嵐」で回収する(『言霊ほぐし』「前触れ」、一三〜一七頁)。だが根は音韻にあり、翻訳で死ぬ。本稿の二重露光は、凝縮の対象を音から像へ移す。前書と本文、ルビと地が、一語に溶けきらず二像のまま重なって食い違う。像は翻訳に耐える。音は越えられずとも、像は越える。篠原の「組み分け」が二像を横に並べたのに対し、二重露光は一語のうちに縦に重ねて食い違わせる。

 俳句は一句のうちに二つの像を持つ。切れ=カエスーラがその二像を断ち、断ち合わせる。写真の多重露光のように、二つの時間、二つの視線が一枚に焼きつく。重ねることでしか生まれぬ第三の像が、そこに立つ。この二像のずれこそ、ヘルダーリンが外観と基底の食い違いに見たものだ。切断は消えず、重ね合わせへ移る。カエスーラがジャンクションへ転じるのである。


第五章 ネイキッド俳句――定義と規則

 ネイキッド俳句とは、四拍子の短律に前書を添えた、定型でも自由律でもない独立の形である。四拍子は俳句最古の拍、前書は詞書に遡る。その二軸を五七五とは別の仕方で継ぎ直した。規則はすべて任意。インターネットと趣向の細分化・国際化が進む今、根づく地盤はある。

 ここで前書について断っておく。本稿の前書は、句の事情を説く詞書とは働きが違う。それは題詠を反転させた一語である。題詠が題から句を詠むのに対し、本稿は句に一語の題を冠し、本文と二像で食い違わせる。詞書が句を支える脇役であったのに対し、本稿の前書は本文と対等に立つ二重露光の一翼である。名は古いが、使い方が新しい。

 前書は季語を要しない。だが季語を排すのでもない。季語が一語で背後に情趣を呼んだ、その働きを、神話にも科学にも社会の語にも開いて継いだもの、それが前書である。

 四拍子は鉄則だが内在律として沈める。脱ぐのは五七五の表層であって地盤は残る。目安は四拍基調、三字四字に寄せ七字上限。助詞は最多一字。前書は題詠を反転させた一語。短さだけは譲れない。カエスーラや二句一章も推奨であり、任意とする。国際版では四拍子または四歩格の二行詩を基本とする。音節数ではなく四拍の脈と切れだけを移せば、母語を問わず最短の構造が成り立つ。前書は国際版では headnote と置く。

 第三章で桑原武夫の第二芸術論に反証したが、ネイキッド俳句はそれをこう実装する。桑原は作者名を消せば「誰が作っても同じやうなもの」になると言った(『第二芸術』一六〜二〇頁)。だが前書は作者の選択を一語に刻み、二像の掛け算は一字に載せる像を倍にして作者性を浮かび上がらせる。短いほど選択の痕は隠せない。桑原が「菊作りや盆栽に似た」慰戯と呼んだもの(同三〇〜三一頁)には、漢字の底にあはれと神話を沈め、片仮名や英字のルビに今日のサブカルや西洋の理性を重ねて応じる。地と表が食い違うとき、慰戯は関与に転じる。

 美学の核は風雅である。井泉水は貫之の和歌の道に「もののあはれ」の伝統を見、それを最短詩形の風雅として説いた(荻原井泉水『自然・自己・自由――新短詩提唱』勁草書房、一九七二年、二六五〜二六七頁)。「もののあはれを知る」を歌道の根本に据えたのは宣長であり(小林秀雄『本居宣長』新潮社、一九七九年、第三十七章 五四九頁)、その心は漢意の対極にある。私が引くヘルダーリンやポーの理論は、裁断が破れる一点を指す理論であり、やまとごころと矛盾しない。


第六章 実作


一 裸木(エラン・ヴィタール) 死(か)れぬ

二 万年(ハーフライフ)。雪解風...

三 〔国際版〕Headnote: ICE9 (Ice-Nine) / one drop — and the whole sea won't melt. / H₂O → H₂0

四 髪に螢(アトラクター)、撓う

五 〔前書〕天の川(シナプス)/黙(もだ)し、言(ロゴス)絶ちぬ

六 〔前書〕千(チ)。光(チ)。血汐(チ)。/掌(て)、地球(アストロラーベ)

七 時雨(ノイズ) 猛る

八 〔前書〕御降/手は朱(あけ)

九 〔前書〕夏の果/緋空(ノヴァセン)、子に嗣ぐ

十 〔前書〕黄泉返(コンティニュー)/薫風(リブート)、言祝(ことほ)げり


注1 二の「ハーフライフ」は放射性物質の半減期。万年の基底に重ね、消えぬ時間として置く。

注2 三の ice-nine はヴォネガット『猫のゆりかご』の、一滴で全海を凍らせる氷。H₂O の O を 0 へ滑らせ、水を無に落とす。

注3 各句は漢字=基底とルビ=外観の食い違いに立つ。像が走らぬ駄洒落は、ポーの言うとおり、刻印を強く押しても跡の残らぬエピグラムに堕す(「詩の原理」二四二〜二四三頁)。二つの像が真に食い違って立つ句は稀だ。その峻別の厳しさこそが遊戯との分かれ目である。

注4 六の「チ」は天の数歌の言霊に由来し、千・光・血を重ねる。アストロラーベは天体を測る掌上の円盤――小さな真鍮に世界を写す模型であり、掌の小ささと地球の大きさが一語で食い違う。地動説をめぐる知と血の物語も底に響く


結び――守るために攻める、そして応える

 筑紫氏は書いた――新しい俳句が生まれなくては俳句は滅ぶ、と(『新しい俳壇をめざして――新世紀俳句時評』東京四季出版、二〇二五年)。未来のかたちは各人が提案せよ、連帯はせずとも共感はしたい――その呼びかけに、ならば一案を掲げることこそ最も誠実な応答だ。

 伝統を守るとは固定することではない。ユネスコは歌舞伎を無形文化遺産に登録したが、いまや「ワンピース」を翻案した「スーパー歌舞伎Ⅱ」や、初音ミクと共演する「超歌舞伎」が若者の人気を集めている。この「外」へ広がる「攻め」の試みが、結局は「継承」につながる。

 圧縮こそが、短さこそが詩の本体であるなら、器を脱いでなお残るものは圧縮である。ポーは「長い詩などというものは存在しない」と言い切り、詩の価値は魂を高揚させる興奮の度に比例すると説いた(「詩の原理」二三九頁)。乙字の内容律もまた、音数ではなく内容の起伏に句の生命を見ていた。宣長が「もののあはれを知る」心と呼んだもの――それは合理的に分析する漢意ではなく、不可解なものの前に立つやまとごころである。私がカエスーラを借りてなお俳句でありうるのは、借りた刃が裁断のためではなく、裁断の破れる一点、もののあはれの立ち上がる一点を指すからだ。器は脱げても、やまとごころは脱げない。

 守り耕す者と、外に畑を拓く者は、同じ危機に対する二つの応答である。ここから、WEP俳句通信一五二号特集の論に答えたい。筑紫氏が一五一号に発した〈新俳句宣言〉――その応答特集である。



未来俳句宣言論争総括

 筑紫氏〈新俳句宣言〉に五十七人が応えた。賛否は分かれ、否定も少なくない。だがその多くは、定型と季語という器をめぐる賛否に留まった。問いの順序を正したい。大切なのは新しい俳句を作ることではない。俳句が何百年も残るにはどうすればよいか、である。定型の側にいた筑紫氏が、なぜ未来俳句を書かねばならなかったか――新しい俳句がなければ俳句は滅ぶ、その危機こそ出発点だ。脱がぬと言う者は、脱がずとも滅ばぬ理由を示さねばならない。それなき拒絶は、備えずとも災害は来ぬと言うに等しい。

 俳句か否か、真実か否かではない。残るものには、それなりの価値があるということだ。放哉や自由律を一行詩と呼べばよいという声がある。ならば現代俳句協会の現代俳句データベースに、放哉の四十四句を載せるべきではない。百年も自由律俳句とは語られなかったはずだ。山頭火は世界で俳句と認められている。わざわざ一行詩だと訂正して回るのか。浮世絵が単なる刷り物でないように、山頭火もまた、ただの一行詩にはない風格をもつから世界に届いた。コクトーの短詩「耳」を俳句と呼ぶ者がいないのも、裏返せば同じことだ。境界は季語や音数にはない。残そうとした者が繋いできたから、いま俳句はある。未来俳句も同じ、俳句を残すために真剣に向き合うかどうかの話だ。

 ならば核とは何か。普遍的私性である――私でしか感じられないのに、私だけのものではないもの。個別の身体を通してしか現れないのに、そこに世界全体が触れてくるもの。放哉の孤独が誰の孤独にもなるのはこれゆえだ。この普遍的私性に切れ=カエスーラが入ること、二像を断ち合わせる断面でそれが起きること――それこそが俳句成立の核である。

 革新は個々の作品から生まれる――渡辺誠一郎氏のこの指摘は重い。ゆえに本稿は宛名を持たぬ実作句を全体へ差し出す。どこへ収束するかは読む者の観測に委ねる。だが言いたい。設計と詩は対立しない。カエスーラは構造であると同時に、抒情と叙事を生む装置だ。設計は風景を殺さない、彫るのだ。

 肯定とは優遇でも均質でもない。各々が己の系譜を信じ、正面からぶつかること。論争はまだ閉じない。本稿もまた、次の一手を続編に待つ。



参照文献

大須賀乙字『乙字俳論集』講談社学術文庫

・「俳句調子論」(二句一章・大休止の定義、五七五の必然性)一二八〜一二九頁

・「形式より見たる俳句」(大休止/小休止の区別)八二頁

・「楽堂氏の基格論と余の調子論」(五七五ではリズムをなさぬ)一六一頁

・「いわゆる自由表現について」(上下二句の釣り合い、自由律を退ける)一七六〜一七七頁

・「俳句の調子は内容律なり」(内容律)一六六頁

・「俳句の形式化は堕落也」(形式固着=堕落)一七一頁


フリードリヒ・ヘルダーリン『ヘルダーリン全集』第四巻 論文/書簡(手塚富雄責任編集、河出書房新社、新装版二〇〇七年)

・「オイディプスへの注解」――カエスーラ(Zäsur)「リズムを中断する純粋な発言」、休止後の表象の現前、休止の位置の法則 四八〜五五頁

・「詩作様式の相違について」――素朴・悲壮・崇高の三基調、外観と基底のずれ(抒情詩=外観素朴・基底崇高、叙事詩=外観崇高・基底悲壮、悲劇詩=外観悲壮・基底素朴)、基調転換(Wechsel der Töne) 二八〜三一頁(三基調一覧表 二二〜二四頁)


桑原武夫『第二芸術』講談社学術文庫(一九七六年)

・作者名を伏せた判別実験「誰が作っても区別がつかない」一六〜二〇頁

・余技・慰戯批判 三〇〜三一頁

・「第二芸術」の命名・定義 三一頁


篠原資明『言霊ほぐし』

・超絶短詩、「組み分け」、〈あら/詩(嵐)〉(「前触れ」)一三〜一七頁


エドガー・アラン・ポー「詩の原理」(『ポオ 詩と詩論』福永武彦他訳、東京創元社、一九七九年)

・「長い詩などというものは存在しない」――詩の価値は魂を高揚させる興奮の度に比例する 二三九頁

・詩の本体としての圧縮、跡の残らぬエピグラム批判 二四二〜二四三頁


本居宣長(小林秀雄『本居宣長』新訂小林秀雄全集第十三巻、新潮社、一九七九年による)

・「もののあはれを知る」を歌道・人の道の根本に据える論 第三十七章 五四九頁(第三十六〜三十八章 五四一〜五五七頁)

・歌の本義「人に聞する所」「言挙げ」 第三十六章 五四一頁

・「漢意(からごころ)」をやまとごころと対比して斥ける 第四十章 三七一頁(三七一〜三七五頁)


荻原井泉水『自然・自己・自由――新短詩提唱』勁草書房、一九七二年

・貫之の「和歌の道」に「物のあはれ」の伝統を見、最短詩形の風雅として説く 二六五〜二六七頁

・求道と和楽(風雅=詩ごころの系譜) 二七一頁


筑紫磐井『新しい俳壇をめざして――新世紀俳句時評』東京四季出版、二〇二五年

・「未来俳句宣言」、俳句存続の危機と各人による未来形の提案


【鑑賞】

 山根氏は未来俳句宣言への最も有望な支援者であり、筑紫の宣言への第一反応者であると同時に、未来俳句宣言に関する論・作を発表すると同時に、この宣言への呼びかけを多くの人に勧めている。しかし、今回の攝津賞への応募に当たっては、いきなり宣言への反応ではなく、その反応がよって立つ根本的な問題に解答を与えようとしているものである。その意味では従来の未来俳句宣言と切り離して読むべきものである。しかし一方で、短時間の間に書かれた論は全く無関係であるわけではない。本論も結局最後の結論は、未来俳句宣言論争総括で終わっている。

 初めに乙字の切れ論とヘルダーリンの悲劇詩におけるカエスーラの対比から俳句の本質を検証としようとするのである。そしてその延長線上に未来俳句を見て取ろうとするのである。これを迂遠と見る人も多いだろう。私も、乙字とヘルダーリンの合体を山根氏ほど確信を持って言えるわけではない。ただし洋の東西の思想の奇跡のような符合を見つけることはしばしばある。例えば、ソシュールにおけるシーニュ、シニフィアンとシニフィエ(1972年岩波書店刊)は、1000年前の空海の『声字実相義』(820年頃)の声(シニフィアン)・字(シーニュ)・実相(シニフィエ)とぴったり合致しているように見える。要は1000年を隔てた全く違う思想の対比をどのように結び付けて受容していくかの我々の態度なのである。その意味で乙字とヘルダーリンの結合は山根氏の独創である。

 後半、篠原資明を例に未来俳句の多重露光に結び付ける論旨は、既述の未来俳句宣言と基本的に矛盾していない。ただ途中から登場する「ネイキッド俳句」は寡聞にして知らないが、ネイキッド・ライティングやネイキッドポエムの一種であるとすればその「裸」と未来俳句における「凝縮」を同根と見る発想はきわめて分かりやすい対比だ。フランスの詩人ボヌフォアの思想にも合致しているように思う。

 そして最後にウエップ俳句通信152号特集(筑紫〈新俳句宣言〉への応答)にもこたえている。この一年間に起きた論争を集約しようとする、誠に時宜を得た論文となっている。その答えはこれから出て来るであろうし、私も大いに期待しているが、ここで断言するのはやめることにする。