現代俳句協会は、第46回現代俳句評論賞の選考委員会を開催し、20編の候補作品から厳正な選考を経た上、山根もなか氏の 「俳句は第一芸術である―知覚・形式・運動の条件」に決定しました(選考委員:五島高資、西村我尼吾、橋本喜夫、松王かをり、武良竜彦)。鳥取県出身42歳。
◆俳句歴:
2014年(平成26年)自由律俳句結社「きやらぼくの会」入会
2019年(令和元年)きやらぼく賞 受賞
2025年(令和7年)自由律俳句結社「青穂」入会
2025年(令和7年) 現代俳句協会 入会
2026年(令和8年) 西東三鬼賞 佳作
2026年(令和8年)『詩客』にて実作・時評掲載
◆現 在:
きやらぼくの会・青穂
未来短歌会、DG-Lab(ドゥルーズ・ガタリ・ラボラトリ)参加
筑紫磐井より:山根氏は、昨年の現代俳句協会の現代俳句講座で知り合い、頻繁に意見交換をさせていただき、最終的に「BLOG俳句新空間」で「未来俳句宣言」の企画取りまとめに参加いただいた。この宣言が出る功績者ともなっているので、受賞の御祝と併せて、企画への参加の感謝も申し上げたい。末筆ながら、同時掲載の、攝津幸彦記念賞の応募作品にも「未来俳句宣言」への言及と深い考察をしていただいていることに触れておきたい。
【山根さんの感想】
このたびは身に余る賞をいただき、選考委員の先生方、現代俳句協会の皆様に、心より御礼申し上げます。
私は自由律俳句の人間です。十二年ほど前に80年続く自由律俳句の結社に入り、荻原井泉水と、郷里鳥取の尾崎放哉や河本緑石の系譜のなかで句を作ってきました。その間ずっと抱えていたのは、素朴といえば素朴な問いでした——自由律俳句の自由律俳句たるゆえんは、どうやら自由律の内側にしか伝わらない。ならば、形式を持たない俳句は、そもそも俳句として成立しうるのか。定型に対する引け目とも、居直りともつかない場所で、この問いを長いこと持て余してきたように思います。
その問いを抱えたまま、桑原武夫「第二芸術」を読み直しました。俳句界にとってもっとも重い歴史と正面から向き合うことでしか、自由律を定型の方々に、これまでとは違う仕方で伝えることはできないのではないか——そう考えたからです。擁護でも反駁でもなく、まず受け入れてみること。そこにこそ未来の俳句への通路があるのではないか。
受け入れた上で、反転させる。そうしてみると、桑原の議論が取り逃がしていたものの輪郭が見えてきました。彼が突いていたのは形式の有無ではなく、形式が知覚に先立つのか、知覚の運動から形式が生まれてくるのか、その向きだったのではないか。ならば第一芸術とは、知覚の運動が形式を生み出している状態のことになる。この一点において、定型と自由律を隔てていた壁は意味を失います。本稿は、そこから書き始めたものです。
力を尽くしたつもりです。定型の方も、自由律の方も、結社の内にいる方も外にいる方も、この論を読んでいくらか勇気づけられるようなものになっていればと願っています。俳句とは何か、未来の俳句はどこに宿るのか——その問いを、俳人ひとりひとりが自分の手で引き受けなおすための、ささやかな踏み台になれば幸いです。
最後になりましたが、筑紫磐井氏には、「未来俳句宣言」の企画を通じて多くを学ばせていただきました。この場を借りて御礼申し上げます。
山根もなか