「晝の星」と題した「実作者の言葉」には、虚子の「爛々と晝の星見え菌生え」という句が出て来る。この「晝の星」は昭和24年7・8月号と昭和25年2月号に「晝の星 ふたたび」として登場する。誓子は、珍しく2回で納得したようだ。
爛々と晝の星見え菌生え
この句は、疎開していた虚子が昭和22年小諸を引き上げるときに「長野俳人別れの為に大挙し来る」という後書きがある句である。
誓子は、「晝の星」が見えるかどうかということに関して、以前に「必ずしも現世のことゝしなくともいゝのではないかと云つた」そうだが(いつ発表した文なのかは残念ながら分からなかった)、今回誓子の星学の師である野尻抱影の最近の随筆に、「白晝の金星」なら見えるということが書いてあったため、虚子の「爛々と」の句は実際に虚子は昼に金星を見て詠んだ句だと、解釈を改めた(『天狼』昭和24年7・8月号)。
しかし、数名の読者から手紙があり、それが昭和25年2月号に紹介される。まず、八校生のI 君は芥川龍之介の小説「首の落ちた話」(正しくは「首が」)に「晝の星」が出て来ることから、白昼に星が見えるというのは確かなようである。その後U氏からの手紙で、誓子は初め「現世のものにしてしまはねばならなぬ必要は毛頭もないのである。爛々は老詩人の鋭い眼光に他ならない」としていたが、今回の解釈で金星は白昼でも見えるため、その金星を暗い谷間から空を見上げると爛々と見えたかもしれぬと、『爛々と』を極めて一般的なことにしてしまったことにU氏は賛成できないという手紙であった。
これに触発されて、誓子は個展や漢詩や漢籍にもあたり、結論として「夜の星を爛々と表現することは、常凡である。晝の星を爛々と形容するに至つてその光は忽焉として怪しき光となり、詩境の飛躍を見るのである。U氏が爛々は虚子の眼のみが見た光であると云つたのは当たってゐる」と述べる。
夜の星の表現として「爛々と輝く」は普通の表現である。しかし、「晝の星」を「爛々と」と表現したのは詩人である虚子であり、その眼にのみ見えた光であるということだ。だから、誓子は、虚子の詩人としての感覚の鋭さや豊かな感受性をまざまざと見せつけられたのかもしれない。
これには、後日談がある。それは、讀賣新聞に連載していた誓子の昭和40年1月4日付の「秀句鑑賞」において、野尻抱影の手紙(昭和39年10月28日付[神戸大学所蔵])に、「爛々と晝の星見え」の句について、昭和22年ということがはっきりしているので、天文台に勤めている弟子に聞いてみると、その年には小諸で昼間に金星は見られないということが書いてあったそうだ。
そこで、誓子は、昭和24年に野尻抱影の随筆がきっかけとは言え、中途半端な調べ方をして、虚子が見た「晝の星」を金星と断定してしまったことを反省する。これは、特定の星とせずに、昼の星は虚子のみに見えた光だと、誓子が一番初めに鑑賞したように、まず、自分の直感や感覚を大切にしようということを再認識したということではないか。誓子の考証好きはよく分かるが、その考証も中途半端ではいけないということも認識したようだ。
ちなみに、私はこの俳句を初めて見た時、菌は夜でも光る毒キノコを想像した。昼の月は見るが、昼の星は見たことがなかったため、「爛々と光る」ということから、星ではなく、暗い森の中で昼でも怪しく光る毒キノコを想像した。
(野尻抱影とは、戦後すぐの昭和21年、以前から誓子の星の俳句に興味を持っていた抱影が誓子の俳句に自分の随筆を載せた『星恋』という本を出版した縁であり、誓子は「自分の星学の先生」と敬愛する)
星戀(中公文庫)