2026年6月26日金曜日

第271号

 次回更新 7/17



【短期連載】シンポジウム「昭和俳句、何が争点?」速報

速報   筑紫磐井 》読む

シンポジウム資料 井上泰至 》読む

シンポジウム資料 後藤章 》読む

 *

【書評】いま、あらためて兜太を読む——加藤哲也著『私自身のための兜太入門』董 振華 》読む


■新現代評論研究

新現代評論研究(第27回)各論:後藤よしみ、村山恭子 》読む

【短期連載】筑紫宣言における書簡  利岡龍之介 》読む

現代評論研究:第27回各論―テーマ:星または空その他― 藤田踏青、土肥あき子、飯田冬眞、しなだしん、筑紫磐井、北川美美、深谷義紀  》読む

新現代評論研究:『天狼』つれづれ 第10回:「実作者の言葉」…「息の出で入り」/米田恵子 》読む

【連載】攝津幸彦記念賞応募作品(全国学生俳句会合宿2025評論)
 8
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現代評論研究:第22回総論・「遷子を通して戦後俳句史を読む」座談会 》読む

【特別稿】口語俳句の可能性・余滴  筑紫磐井 》読む

新現代評論研究:音楽的俳句論 図像編 川崎果連 》読む

新現代評論研究:音楽的俳句論 解説編(第1回)川崎果連 》読む


■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和七年秋興帖

第一(10/31)杉山久子・辻村麻乃・仙田洋子
第二(11/21)豊里友行・山本敏倖・仲寒蟬
第三(12/12)ふけとしこ・岸本尚毅・瀬戸優理子
第四(12/26)冨岡和秀・堀本吟・木村オサム
第五(1/9)神谷波・川崎果連・曾根毅
第六(1/16)渡邉美保・小林かんな・田中葉月・小野裕三
第七(1/30)眞矢ひろみ・小沢麻結・花尻万博・林雅樹
第八(2/13)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

俳句新空間第22号 発行※NEW!

■連載

【新連載】名俳句鑑賞へのラブレター『高屋窓秋の百句』(鴇田智哉) 豊里友行 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(71) ふけとしこ 》読む

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり52 杉田菜穂『Goldfish’s Sigh』 》読む

英国Haiku便り[in Japan](63) 小野裕三 》読む

【豊里友行句集『赤ん坊オーケストラ』を読みたい】3 『赤ん坊(あかんぐわ)オーケストラ』豊里友行句集を読んで 辻村麻乃 》読む

【新連載】口語俳句の可能性について・番外
 俳句の虚構―西躰かずよし「窓の海光」論―  金光 舞
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句集歌集逍遙 依光陽子『ふ、は鳥に』/佐藤りえ 》読む

【新連載】俳壇観測279 ユネスコ登録の進め方4 有馬氏とマーティン氏の論点[1](誰も言っていないこと)  筑紫磐井 》読む

【豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい】
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 9 「希望」のバトン  宮崎斗士 》読む

【加藤知子句集『情死一擲』を読みたい】④ 破局有情――加藤知子句集『情死一擲』について 関悦史 》読む

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【連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句

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【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む

インデックス

およそ日刊俳句新空間 》読む

6月の執筆者(渡邉美保)…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々 …



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…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子

【短期連載】シンポジウム「昭和俳句、何が争点?」速報(後藤章)

現代俳句協会・日本伝統俳句協会共催シンポジウム「昭和俳句、何が争点?」


日時:2026年4月30日(木)江東区芭蕉記念館で、

参加者:報告者:井上泰至(伝統俳句協会会長)、筑紫磐井(現代俳句協会副会長)

コメンテーター:岸本尚毅(俳人協会理事)、後藤章(現俳専務理事)、堀田季何(現俳常務理事)


シンポジウムの内容:

第1部「昭和20年代、ふたつの現代俳句―山口誓子vs石田波郷・山本健吉」

第2部「昭和30年代、現代俳句の分裂と俳壇の動向―金子兜太vs角川源義」


経緯:

 第1部・第2部を通じて、井上・筑紫が資料を使って報告、これに対してコメンテーターから発言があった。第2部の最後では、筑紫から「未来俳句宣言」の提案が行われ、最後は会場の数人と質疑が行われた。

 以下後藤の使用した資料を示す。




【短期連載】筑紫宣言における書簡  利岡龍之介

<序文>

 医学や量子力学をはじめとする科学において、新規性とは既存理論の更新として不可避に要請されるものである。しかし同様に、文学もまた固定された形式ではなく、言語という差異的体系の上に成立する以上、歴史的変遷の中で再編され続ける構造を持つ。すなわち、伝統とは単なる保存ではなく、再解釈と変形の連続である。

 このとき問題となるのは、変化の是非そのものではなく、いかなる条件のもとで当該形式が自己同一性を維持し得るのかという点である。とりわけ俳句においては、形式的制約、記号的機能、そして読者共同体における共有可能性といった複数の条件が交差する。そのため、単なる形式の逸脱が直ちに新たな俳句の成立を意味するとは限らない。

以 上を踏まえ、本稿では筑紫宣言を契機として提起された「俳句の再定義」の問題を検討し、俳句が俳句であり続けるための成立条件がどのように保持、あるいは解体されているのかを分析する。


<俳句の成立条件>

 俳句とは何かという問いに対して、単一の定義を与えることは困難である。なぜなら俳句は歴史的変遷の中で形式的・意味的・制度的に変容してきた複合的な文学形式だからである。したがって本稿では、俳句の成立条件を三つの層に分けて整理する。

(1)形式的条件

 第一に、俳句は伝統的に五・七・五の音数律、季語、切れといった形式的要素によって特徴づけられてきた。これらは俳句を他の詩形式から区別する重要な指標である。

 しかしながら、近代以降の俳句においては自由律俳句の展開に見られるように、音数律は必ずしも絶対的条件ではなくなっている。したがって形式は必要条件の一部ではあるが、それ自体が俳句の本質を尽くすものではない。

(2)記号論的条件

 第二に、俳句は極度に圧縮された言語表現を通じて意味を生成する記号的構造を持つ。すなわち、限られた語数の中で多義的な解釈可能性を生み出す点にその本質がある。

 言語は差異によって成立する体系である以上(フェルディナン・ド・ソシュール)、俳句もまた語と語の関係性によって意味を構築する。このとき重要なのは、解釈が無限に拡散するのではなく、一定の範囲で共有可能であることである。解釈の開放性は認められるが、それは無制約ではない(ウンベルト・エーコ)。

 したがって俳句は、「意味が生成されうる構造」と「その意味が他者と共有されうる範囲」を同時に保持する必要がある。

(3)制度的条件

 第三に、俳句は読者共同体および文学制度の中で認識されることによって成立する。すなわち、ある表現が俳句であるか否かは、個人の意図だけで決定されるものではなく、歴史的・社会的文脈に依存する。

 俳句は単なる言語表現ではなく、一定の文化的規範と読解慣習を前提とする文学形式であると指摘されている(加藤周一)。この意味で、俳句の成立には共同体による承認が不可欠である。

 以上より、俳句とは単なる形式的特徴に還元されるものではなく、

形式・意味生成・制度という三層の条件が重なり合うことで成立する文学形式であるといえる。

 したがって、これらの条件のいずれかを大きく逸脱する場合、その表現は俳句としての同一性を維持できない可能性がある。


<筑紫宣言における論駁とその根拠について>

 筑紫氏の宣言は、『伝統はルールではなく、過去の作品及び文化的財産であり、過去の形式で表現できなかったものの「未来」がある。既存の俳句ではなく、新しい俳句を生み出す姿勢を持つ。未来の作品としてのありかたは作家各人が提案すべきものである。』として、“前衛的俳句の形式からの脱却“と”自由律俳句への可能性“を宣言として見出している。ここでの争点は変遷の歴史を辿ってきた俳句が、文化的コンテクストを背景にどう変わっていくべきかが重要である。


1. 「一行があまりにも長い。四文字、ないし三文字で十分だ。

 文法は要らぬ、名詞・動詞だけで辛うじて伝達はできる。

 文語・詩語、誤字・誤用の駆使も一行を更に短くする。」の反論について

 この主張は、言語を情報伝達の最小単位へと還元する立場である。しかし俳句における言語は単なる情報伝達ではなく、関係性の中で意味を生成する構造体である。言語は差異と連関によって成立する以上、極端な短文化は語と語の関係を断絶させ、結果として意味生成の回路そのものを縮退させる(一般言語学講義)。また文法の排除は曖昧性の増大ではなく、むしろ解釈可能性の消失に直結する。したがってこの操作は俳句の凝縮ではなく、意味構造の崩壊に近い。


2. 「一行の中でたやすく(部分的)類想が発生する。

 だから全体の模倣だけでなく極微の模倣も否定せよ。」の反論について

 この主張は独創性の極限化を志向するが、そもそも言語表現は既存の語彙と慣習の上に成立する。完全な非類似は理論上不可能であり、仮に達成されたとしても、それは解読不能な記号列に過ぎない。芸術における新規性は既存形式との差異として現れるのであり、差異の基盤が消失すれば新規性そのものも定義できない(芸術の起源)。したがって「模倣の完全否定」は、創造の条件ではなく、創造の否定条件となる。


3. 「隣る二行は連想を結合する。

 行の谷間を極大にせよ、隣人は背くべきである。」の反論について

 俳句における「切れ」は断絶であると同時に、潜在的な連関の生成装置である。すなわち、意味は行間の緊張関係から立ち上がる。しかし宣言のように連関そのものを否定した場合、各行は互いに独立した断片となり、全体としての意味構造を形成しなくなる。これは切れの強化ではなく、構造の解体である。結果として作品は多義的になるのではなく、単に無関係な要素の集合へと退化する。


4. 「一行ですべてを述べ、全体の構想を断ち切ろう。

 偶然がいつか全体を語るはずだ。」の反論について

 この命題は最も本質的な問題を含む。すなわち、意味生成を意図や構造ではなく偶然に委ねる立場である。しかし偶然は再現性を持たず、したがって評価可能性を持たない。これは科学における因果推論が偶然のみでは成立しないのと同様である。意味が偶然に依存する場合、それは共有可能な解釈対象とはならない。さらに、解釈は開かれているが無限ではない(開かれた作品)。偶然への全面的依存は、この「有限な開放性」を逸脱し、最終的に意味の不在へと至る。したがってこの主張は、俳句の拡張ではなく、作品概念そのものの解体を意味する。

 以上の各命題を統合すると、この宣言が目指しているのは単なる形式の自由化ではない。むしろ言語的連関の解体、差異体系の不安定化、共有可能性の消失を同時に引き起こす構造を持っている。しかし俳句は、形式・記号・制度の三層によって成立する文学形式である以上、そのいずれかを過度に解体することは許容されない。とりわけ本宣言は、これら三条件を同時に不安定化させる点で、俳句の革新ではなく、俳句というジャンルの自己同一性を消滅させる方向に作用する。


<俳句と我々の意志そして根源について>

 俳句とは単なる定型詩ではなく、言語によって世界を把握しようとする人間の根源的な営為の一形式である。すなわち俳句は、外界の事象を言語へと圧縮し、その最小単位において意味と感覚を同時に成立させる試みである。

 このとき重要なのは、俳句が外界の再現ではなく、主体の知覚と世界との接触面において生成される構造であるという点である。ここにおいて我々の意志とは、単なる表現欲求ではなく、世界をいかに分節し、いかに意味として提示するかという選択の総体である。


順天堂大学医学部データサイエンス講座

博士一年 利岡龍之介

【書評】いま、あらためて兜太を読む——加藤哲也著『私自身のための兜太入門』  董 振華

 先日、筑紫磐井氏から加藤哲也著『私自身のための兜太入門』(日本プリメックス株式会社・二○二六年)が送られてきた。従来、兜太に言及することの少なかった加藤氏にとって、初めて本格的に金子兜太を論じた著書である。

 加藤氏はこれまで数十冊に及ぶ俳人評伝や作家論を執筆してきたが、その多くは自らの視点を打ち出した「概説」や「試論」であった。しかし今回は、初めて金子兜太という巨大な存在に挑むにあたり、あえて謙虚に『私自身のための兜太入門』と題している。冒頭で著者自身が述べているように、本書は完成された兜太論ではなく、自ら学ぶための「入門」であり、その率直な姿勢にまず好感を覚えた。

 著者が本書を書く契機となったのは、川名大著『昭和俳句史』との出会いであったという。現代俳句の流れを見渡してきたつもりでいながら、自らの関心が伝統派に偏っていたことに気づき、そこから革新派俳句へ視線を向け直そうとした。その時、避けて通れない存在として立ち現れたのが金子兜太であった。

 本書の特徴は、著者自身の独自な兜太論を展開するというより、まず既存の重要な兜太論を読み解くことから出発している点にある。

 とりわけ中心となるのは筑紫磐井氏の『戦後俳句の探求』および『戦後俳句史』である。加藤氏は筑紫氏の論考を丹念に読みながら、戦後俳句の出発点となった桑原武夫の「第二芸術論」、山本健吉の「挨拶と滑稽」、社会性俳句論争、さらには兜太の社会性や前衛性について整理している。

 中でも興味深いのは、兜太を単なる「社会性俳人」として捉えるのではなく、「社会性」と「難解性」という二つの軸から読み解いている点である。戦後社会への批判的眼差しと造型俳句や前衛俳句へ向かう実験精神を併せて考察することによって、兜太俳句の複雑な姿が浮かび上がってくる。

 一方、川名大氏の『昭和俳句史』からは、前衛俳句運動や俳壇史的背景が補われている。川名氏は兜太を評価するだけでなく、その限界や問題点についても率直に論じているが、加藤氏はそうした批判的視点も積極的に取り入れている。

 例えば、前衛俳句の成果と負性、「わかる・わからない」論争、「物」と「言葉」をめぐる論争などを紹介しながら、兜太が俳壇の中で果たした役割を歴史的文脈の中に位置づけている。

 本書を読んで感じるのは、加藤氏が兜太を無条件に称賛しているわけではないということである。むしろ既存の論説を読み比べながら、賛否両論を整理し、自ら理解しようとしている。その意味で本書は研究書というより、誠実な読書の記録に近い。

 もちろん、すでに兜太研究を続けてきた読者にとっては、目新しい発見はそれほど多くないかもしれない。筑紫磐井氏や川名大氏の論考を下敷きとしているため、議論の枠組みそのものは既知のものが多い。しかし、それでもなお本書には意義がある。

 なぜなら、本書は兜太を読み始めようとする読者にとって格好の案内書となっているからである。社会性俳句とは何であったのか。前衛俳句とは何を目指したのか。金子兜太は俳壇に何をもたらしたのか。その基本的な問いに対し、本書は平易な言葉で答えようとしている。

 加藤氏は「私自身のための入門」と題した。しかし実際には、本書は多くの読者にとっての「兜太入門」になっている。独創的な兜太論というよりも、筑紫磐井氏と川名大氏の仕事を踏まえながら、戦後俳句と金子兜太を理解するための批判的入門書として評価したい一冊である。


【目次】

『私自身のための兜太入門』 加藤哲也

(2026年5月20日 日本プリメックス株式会社 2200円)


諸兄の金子兜太論を読む

はじめに


筑紫磐井の金子兜太論を読む

  第1部 金子兜太論(社会性と難解)


第1章 戦後俳句のはじまり

 1.桑原武夫「第二芸術」(現代俳句のテーゼ)

 2.山本健吉「挨拶と滑稽」

 3.折口信夫の会得と滑稽論

 4.社会性俳句論争への道


第2章 社会性俳句の新視点

 1.社会性という現象

 (1)原社会性とは

 (2)「揺れる日本――戦後俳句二千句集」

 2.社会性俳句作家という現象/あるいは社会的事件

 (1)沢木欣一と能村登四郎/あるいは原爆図

 (2)古沢太穂/あるいは内灘

 3.もう一つの社会性俳句

 (1)相馬遷子の社会性

 (2)従軍俳句について

  [付]金子兜太らの従軍俳句


第3章 兜太の社会性

 1.兜太と社会性俳句

 (1)兜太登場

 (2)兜太の社会性の特質

 (3)兜太の俳句批評

 2.兜太俳句の特性と環境

 (1)具象・断絶と肉体性

 (2)短歌・現代詩からの俳句批判

 3.社会性の原理群


第4章 兜太の難解(前衛)

 1.社会性から難解へ/共感の問題

 2.難解(前衛)の原理

 3.難解(前衛)と配合


  第4部 戦後俳句の視点(辞の詩学と詞の詩学)


第7章 新詩学の誕生――兜太と完市

 1.新しい俳句の視点(堀切実の表現史構想)

 2.金子兜太の俳句史

 (1)兜太の俳句史

 (2)拡大した俳句史

 (3)堀切の批判とそれに対する反駁

 3.問題ある表現史

 4.難解からのアプローチ

 5.阿部詩学の再発見

 6.兜太はどのように批評されるか


川名大の金子兜太論を読む


Ⅰ 前衛俳句の勃興―昭和三十年代前半


Ⅱ 入れ子型の俳壇の断層―昭和三十年代後半


Ⅲ 昭和世代の台頭―昭和四十年代前半


Ⅳ 二項対立の時代、俳壇・総合誌・読み・物と言葉―昭和四十年代後半


Ⅴ 眼高手低の時代、戦後世代の台頭―昭和五十年代前半


Ⅵ 俳句の大衆化と戦後世代の新風―昭和五十年代後半~昭和の終焉


【連載】名俳句鑑賞へのラブレター4『高屋窓秋の百句』(鴇田智哉・著、2026年刊、ふらんす堂) 豊里友行

  巻末の論考「高屋窓秋に関する三つのこと」から「窓秋は俳句をどのように考えていたか」について抜粋する。

 さて、窓秋は「俳句」をどのように考えていたか。

 ひとことで言うなら、それは「最短詩」であると考えていた。「〝たとえば「短歌」これは、ぼくにとっては、「長すぎる」〟長ければ、なんでも詠える、というものでもあるまい。これは、ぼくの精神および肉体の生理上の問題であるかも知れない。そして、俳句という手頃な形式があったから、という理由ではさらさらない。ながすぎるのが困るのだ」(「自註」)と述べる。そして「俳句という短小詩形の領域をどう考えているか、といえば、これも、ぼくの経験では、「十七音前後」が適当な言語量であって、それより長ければ「短歌」の領域、短かすぎれば十分な詩的機能を果しえない、ということになる」と書き、「〝人類の、最短詩への表現欲求は、永久になくならない〟」と述べている。

 そのことについて鴇田智哉さんの俳句鑑賞から読み込んでみた。


頭の中で白い夏野となつてゐる

 白い夏野、になっているという。風景のこんな変容は、おそらく多くの人が経験している。だがそれを、「頭の中で」とそのまんまに言ってしまった。身も蓋もない。この惜辞はこののち、誰も使うことはできない。


虻とんで海のひかりにまぎれざる

 まぎれたる、ではなくて、まぎれざる、である。つまり虻は、一つの濃い影のかたまりとしてある。海に出たときに、そのかたまりとしての存在を現したのだ。


ちるさくら海あをければ海へちる

 ちるさくら、ちる、というリフレーンにより、花びらが細かい点描画の一つ一つの点のようになって吹き流れていくさまが見えてくる。海のきらめき、その青さもまた細かな一つ一つの粒となって、この明るいひろがりの中で、花びらの粒とともに生きてうごいている。


ひかりさえ氷晶となり草絶えたり

 目を凝らしてよく見れば、既にその一粒一粒のさえざえと輝き出しているのがわかる。さらに大きく見渡してゆけば、あたり全体が、きわめて冷たい光となって、明るんでいるのが感じられるではないか。

 季節による空気の変化、が抽出されたような、澄んだ骨組みをもつ句である。


森すべて息する深さ緑星

 窓秋の作品における「緑星」という言葉は、俳句の上五か下五に置かれる。同じ五音の熟語を置いた句を並べたり、ちりばめたりするのは、「鳥世界」以降の窓秋の一つの手法である。

緑星世に金の霊したゝりぬ  

ゆきゆきて独りの古武士緑星

緑星純白の夜は氷るらし

 写生とは違って、心にうつる景を、イメージを多層的に描くことで連作をなしているといえよう。


十字路のいづこにも冬兵士をり

 ひろびろと、起伏のない枯れた地に十字路が一つ。一人、また、一人と、灰色の兵士たちが立つ。帽子を目深にしたその顔の、表情はよくわからないのだが、たたずまいはどこか墓標のようで、あたりには、諦めのようなしずけさが漂っている。


 鴇田智哉さんの言葉への瑞々しい感性と丁寧な読み解きが、読み尽くされた高屋窓秋の百句をあらためて輝かせている。戦前を想起させる現代に若い世代による高屋窓秋俳句の継承がなされることは、俳句にとってもとても明るいことだ。

【新連載】新現代評論研究(第27回)各論:後藤よしみ、村山恭子

★ー3高柳重信の新俳句詩法――「垂直の力学」として読み解く5 後藤よしみ

第2部

新俳句詩法の妥当性の検証 2


第1節 新俳句詩法の全句集への適用による妥当性の検証

 高柳重信の新俳句詩法とは、4原則(語彙の地質学・倒語法の再編・沈降の力学・深層の噴出)と、6つの水平補強モジュール(①身体・実存、②音韻・律動、③視覚・イメージ、④歴史・文脈、⑤主体・心理、⑥受容・読者)から成る詩の方法論である。

 この理論の妥当性を証明するには、二つの軸が必要である。一つは横糸、すなわち句集を時系列に沿って検証する軸である。もう一つは縦糸、すなわち4原則と6モジュールというシステムがどのように成熟したかを構造として見る軸である。この二つが交差したとき、理論は一枚の織物として完成する。

 端的に言えば、これは「成長の物語」である。新俳句詩法は初期の句集では不完全な萌芽として現れ、中期に形成され、後期に完成する。そして重要なのは、その変化が外側から押しつけられたものではないことだ。前の段階の限界が、次の段階へ進む原動力になっている。句集の変化と詩法の成熟は、一致している。

 次節以降、全句集を通観し、「生成期・形成期・完成統合期」という三段階に整理しながら、この成長の過程を実証していく。


第2節 句集の三段階配置

 全句集より各句集の代表句を抽出し、四原則と六モジュールの妥当性を検討した。以下は、その結果による三段階の分類とそれぞれの特徴である。

第一段階 生成期

 句集:『前略十年』・『蕗子』

 この時期の重信は、まだ伝統的な一行の形式の中にいる。しかし、言葉の内側では、すでに「意味をそのまま伝えたくない」という力が沸き始めている。4原則も6モジュールも、はっきりした形にはなっていないが、その種がまかれた時期である。

 この段階で見るべきことは、語彙の地質学の萌芽、つまり異質な言葉の組み合わせが少しずつ現れ始めることである。倒語も多行もまだ弱い。だからこそ「まだ完成していない」という事実が、形成の歴史を証明する根拠になる。

第二段階 形成期

 句集:『伯爵領』・『罪囚植民地』・『蒙塵』・『遠耳父母』

 この時期に多行形式が本格的に動き出す。改行による「沈降の力学」が現れ、倒語法が強くなる。しかし各原則はまだバラバラに動いており、統合されていない。

 この段階で見るべきことは、多行が深まるにつれて語の衝突も激しくなることである。身体モジュールと歴史モジュールが強く前面に出てくる一方、深層の噴出はまだ不安定である。

第三段階 完成・統合期

 句集:『山海集』・『山川蟬夫句集』・『日本海軍』・「日本海軍・補遺」

 この時期に4原則が一つにまとまる。語彙の衝突・倒語・沈降・深層の噴出が、一句の中で同時に働くようになる。6モジュールも、分析の道具としてではなく、句そのものの中に溶け込んでいる。

 この段階はさらに二つに分けて見ることができる。

前半 統合成熟段階——『山海集』・『山川蟬夫句集』

 日本の地名・神話語彙・古代の言葉が中心となり、4原則と6モジュールが有機的に統合され始める段階である。

後半 極限完成段階——『日本海軍』・「日本海軍・補遺」

 文法的なつながりが極限まで削られ、言葉が名詞の塊として並ぶ段階である。その結果、読者が自分で意味を作るしかなくなる。これが「垂直の力学の完成」である。


第3節 各段階で「代表句一句」を深く読む


1 第一段階 生成期

 この新俳句詩法は、後期作品の説明として非常に強い有効性を持つだけでなく、初期句群を読み替えるものとしても十分に機能している。ただし、初期においては4原則が未分化の状態で潜在している点を丁寧に見極めることが重要である。


1)『前略十年』

この句集の位置づけ

 『前略十年』は、高柳重信の新俳句詩法が完成する以前の句集である。しかしそれは、この詩法と無関係な句集を意味しない。むしろ逆である。4原則も6モジュールも、まだはっきりした形にはなっていないが、その「種」が確かにまかれている。この「未完成さ」こそが、形成の歴史を証明する重要な手がかりになる。したがってこの句集は、「新俳句詩法が生まれる前」ではなく、「新俳句詩法の胎動そのもの」として読むべきである。

例句 

金魚玉明日は歴史の試験かな

【4原則の分析】

① 語彙の地質学(萌芽)

 この句には、性質の異なる二種類の言葉が並んでいる。「金魚玉」は子どもの日常に属する丸くて透明な道具であり、幼年期の感覚や幻想を呼び起こす。一方「歴史の試験」は学校制度という現実の言葉である。この二つは本来、同じ世界に属さない。

 後年の重信が多用する「地霊の語彙(土地や身体に根ざした言葉)×制度の語彙(国家や社会の言葉)」という衝突の、もっとも初期の形がここに現れている。まだ激烈ではないが、異なる層の言葉が一句の中で出会い始めている。

② 倒語法(弱い萌芽)

 「明日は歴史の試験かな」という結びは、読む者を一つの意味に着地させない。金魚玉の内側に広がる丸くてゆれる空間と、明日という現実の時間が、つながらないまま並んでいる。この「意味のズレ」が、後年の倒語法の原型である。まだ弱いが、確かに句の中で宙吊りの感覚が生まれている。

③ 沈降の力学(未形成)

 この句はまだ一行の形式であり、改行による沈降は起きていない。しかし、「金魚玉(閉じた幼年の世界)」から「歴史試験(開かれた制度の世界)」へという心理的な落差は、すでに句の内側に存在する。改行という「壁」がなくても、読む者の心の中で言葉が下へ落ちていく感覚がある。これが後年の沈降の原点である。

④ 深層の噴出(微弱)

 「歴史」という言葉は、ここでは単なる学校の教科名ではない。戦前という時代を生きた少年にとって、「歴史」はどこか重くて不安なものとして滲んでいる。言霊としての爆発力はまだ弱いが、言葉が制度的な不安を帯び始めている点に注目すべきである。

【6モジュールの分析】

 モジュールとこの句での働き

①身体:少年期の緊張感・神経の細さ  

②音韻:「き」「ぎょ」「し」という硬い音の連なり  

③視覚:丸い金魚玉という閉じた空間のイメージ  

④歴史:戦後教育制度という社会的背景  

⑤心理:幼年期の漠然とした不安  

⑥受容:ノスタルジーとして読むこともできる

 この段階では、6モジュールは後年のように一句の中で統合されていない。「視覚(金魚玉のゆれ)」と「心理(少年の不安)」が特に突出しており、他のモジュールは背景に留まっている。この突出と未統合こそが、生成期の特徴である。

【まとめ:この句が示すもの】

 「金魚玉」という卑近な日常の記号と、「歴史の試験」という制度の言葉を衝突させることで、重信はすでに「意味をそのまま伝えない」という方向へ踏み出している。「試験勉強が憂鬱だ」と直接言うことを拒み、金魚玉という硝子の球体に閉じ込められた微小な空間と、教科書に記された広大な「歴史」の時空を対比させる。その結果、意味は宙吊りになる。

 ゆらゆらとゆれる金魚玉のレンズ(視覚)は、明日という現実に対する少年の浮遊感ある、しかし頼りない心理的不安(心理)を静かに補強している。

 この句においては、新俳句詩法はまだ未完成である。しかし、その未完成さの中に、後年の詩法へ向かう確かな胎動が刻まれている。


2)『蕗子』

この句集の位置づけ

 『蕗子』は、『前略十年』から決定的な一歩を踏み出した句集である。『前略十年』では、戦後の不安や実存的な感情が、比較的直接的な形で句の中に残っていた。しかし、『蕗子』では、それらの感情は直接には語られない。かわりに、映像・異質な語彙の衝突・多行化・空白・倒置・超現実的な配置という「構造」へと変換される。

 つまり、「感情を語る」のではなく、「構造によって感情を発生させる」段階へ移行した句集である。

 特に重要なのは、多行形式(改行と空白)の本格的な始動である。『前略十年』では一行の形式の中で鬱積していた語彙の衝突や倒語法が、ついに「改行と空白」というドリルを手に入れ、言葉の深層へと垂直に掘り進み始める。この意味で『蕗子』は、新俳句詩法における「垂直の力学の形成期」として位置づけられる。

例句

船焼き捨てし

船長は


泳ぐかな

【4原則の分析】

① 語彙の地質学

 この句には、地層の異なる三種類の言葉が衝突している。

「船を焼き捨てる」 → 文明・国家・制度・歴史の破壊

「船長」 → 組織や世界に責任を持つ孤独な主体

「泳ぐ」 → 道具も制度も持たない、剥き出しの身体

 文明が崩壊したあとに残るのは、裸の身体だけである。この衝突は、後年の『日本海軍』における戦後精神の原型であり、語彙の地質学がはっきりとした形で機能し始めた証拠である。

② 倒語法

 「なぜ船を焼いたのか」は説明されない。動機も背景も一切語られず、結果の光景だけが提示される。これは富士谷御杖が説いた「周辺提示」の手法であり、中心の意味をあえて語らないことで、読者は自分で意味を探さざるを得なくなる。船長がどこへ向かうのか、何を捨てたのかは、大海原の中に宙吊りのままである。

③ 沈降の力学

 この句の構造を視覚的に確認する。

船焼き捨てし

船長は

(一行空白)

泳ぐかな

 一行目・二行目で「船を焼いた船長」という圧倒的なドラマが提示される。そのあとに、ぽっかりと大きな空白が横たわる。そして空白の底から、ぽつりと「泳ぐかな」という剥き出しの行為が浮かび上がる。

 この空白は単なる「間」ではない。世界の終わりと始まりの境界線として機能している。意味が海へ向かって落下し、沈んでいく。これが、沈降の力学のもっとも明確な実例である。

④ 深層の噴出

 この句から立ち上がるのは、「文明が崩壊したあとに残る、裸の主体」というイメージである。それは同時に、敗戦という歴史的事実と深く結びついている。「泳ぐ」という言葉は、単なる動作ではなく、すべてを失った者が海へ回帰するという神話的な意味を帯び始める。言葉が言霊として噴出する瞬間がここにある。

【6モジュールの分析】

 モジュールとこの句での働き  

①身体:船を焼いたあと、道具も持たず泳ぐ裸の肉体だけが残る  

②音韻:「ふね」「やき」「およぐ」という開いた母音の反復が、茫漠とした海の広がりを生む  

③視覚:燃え盛る船の赤い炎と、海の中を泳ぐ一人の黒い点という極限まで削ぎ落とされた映像  

④歴史:船の焼却は敗戦国家の暗喩として機能している  

⑤心理:船長が国家の主体なのか個人なのか、判然としないまま宙吊りになる  

⑥受容:「泳ぐかな」の「かな」の余韻は、絶望の漂流とも、荷物を捨てた者の新生とも読める

 この段階では、身体・視覚・歴史の三つのモジュールが特に突出している。後年の完成統合期のように全モジュールが一句の中で均等に溶け合うには至っていないが、それぞれのモジュールの役割がはっきりと見え始めている点に、形成期としての特徴がある。

【まとめ:この句が示すもの】

 「試験が憂鬱だ」と直接言わなかった『前略十年』の重信は、『蕗子』においてさらに大きな跳躍を遂げる。「過去を捨てて新たな詩の世界へ飛び込む決意」を直接語らず、「船を焼いた船長が泳いでいる」という神話的な寓話に変換する。

 この句がもっとも重要な理由は、空白の使い方にある。二つの改行と大きな空白によって、言葉は一行の流れの中で消えることなく、垂直に深く沈んでいく。これが『前略十年』にはなかった、決定的な変化である。

 この句は後の『日本海軍』への橋渡しでもある。文明崩壊後に残る裸の身体、敗戦という歴史的傷、そして宙吊りにされた意味。これらはすべて、完成統合期において一句の中で同時に機能するための準備である。


3)三段階をつなぐ「なぜ次へ進んだか」

 生成期→形成期へ  一行の形式では、言葉の衝突が起きても、意味がすぐに流れて消えてしまうことになる。それを止めるために、改行という「壁」が必要になった。そのため、次のステップである多行形式はそのための一つの答えである。

(つづく)


★―7:藤木清子を読む17 / 村山 恭子 


17 昭和12年 ④


からたちのとげのび家毎犬飼へり      京大俳句7月

からたちのとげのび人等たゞ冷たし     同上

からたちのとげのび門のひらかれず     同上


 枳殻の鋭い棘と、枳殻垣に住む家の様子を読んでいます。どの家も単一的に犬を飼う、冷たい人々、開かれない門が「とげのび」により冷淡に打ち出されます。

 旗艦32号・8月には〈からたちのとげのび人等たゞに冷たく〉、〈からたちは鋭し夫人うるはしき〉があります。「鋭し」と「うるはしき」の対句表現には、和らぎが出ています。

     季語=無季


枳殻垣しろき封筒咬めりポスト       同上

  「枳殻垣」の白い花と「封筒」の白、「ポスト」の赤と色彩が際立ちます。「封筒咬めり」の措辞が的確に情景を呈示し、読み手をその世界へいざないます。

     季語=枳殻の花(春)


過去のペーヂ操る賦に人と街歪む      天の川7月

 過去の手帳や日記のページを手繰っていると、ふと「人と街」が歪んでみえました。「人と街」は過去でもあり現実でもあります。記憶と忘却、認識、感覚が交錯します。

   季語=無季


過去葬りし現実に電車軋りくる       同上

 過去を世間に知られないように捨てた身に、いま目の前の事実として「電車」が軋んで来ます。情景でも起こり得ますが、この「電車」は過去と現実を行き来する心象物として捉えることで、ダブルイメージの広がりと奥行きがでます。

   季語=無季


さつき咲き働かぬ爪つんでゐる       旗艦32号・8月

 紅紫、ピンクなど色さまざまな常緑低木。咲き終わってしおれたり、枯れた花殻を働かない人の手で摘んでいます。「働かぬ爪」が眼目で、働かない日焼けしていない手を思い浮かべ、その後「爪」へ焦点が移動し、さつきの花の色と呼応しています。

   季語=杜鵑(さつ)花(き)(夏)


日本に住み古り泰山木咲けり        同上

  「泰山木」は明治初期に米国から渡来し、白木蓮に似た純白の大きな花を咲かせます。

日本に帰化した植物を「日本に住み古り」と擬人化し、また日本だけに長く住んでいる作者の思いを合わせ持ちます。天に向かう甘い芳香が詩情を醸し出しています。

      季語=泰山木の花(夏)


燕来ぬ煙都のふかく澄める日に       天の川8月

 「煙都」は大工業地帯の煤煙が立ち込める情景。普段は黒く煤けた場所も、今日は煙は出ておらず、空は深く澄み切っています。そんな中へ「燕来ぬ」と喜びを詠んでいます。

   季語=燕(春)


燕来る街の響きとかゝはりなし       同上

 生活音や騒音などの「街の響き」に関わりなく、燕が来たと感情を押さえながら詠んでいます。

     季語=燕(春)

【連載通信】ほたる通信Ⅲ (71) ふけとしこ

 むかしをとこ

むかしをとこありけり梅雨の月仰ぎしか

むかしをとこありけり卯の花の日もありし

むかしをとこありけりかきつばた実ともなり

むかしおとこありけり細竹へ夏の雨

むかしをとこありけりその墓も梅雨滂沱


・・・


 「業平の墓がこの先に」

 ペンションの主が車を出して下さった。

 ところがその年は大雪。普段なら草を降りて細い道を少し歩くだけだというが、何しろ雪が深い。少し歩いてみた主が「やっぱり無理だな」と引き返して来た。

 諦めて、そして積雪の凄さをただただ眺めてきた。


  昔男ありけり雪の墓なりし  大石悦子


 悦子先生も雪の頃にここへ来られたのかしら……と、その様子を想像したりしながら車へ戻り、宿へ戻った。

 もう一度訪ねたいと思いながら年を取ってしまった。もう機会は無いかも知れない。


 雪玉を作ったり、小流れへ雪を蹴り落としたりしながら遊んだことも楽しい思い出になった。大阪に住む身ではなかなか雪で遊ぶということもできないから。


近くの松の枝に白鷺が一羽止まっていた。枝に積む雪の様にも見えて面白いものだった。

 

 鷺と松といえは、時々訪ねる吟行地に数本の松がかたまっている場所があり、白鷺が小さなコロニーを作っていた。

 巣をかけ、卵を抱き、雛を育てる様子がつぶさに見られて、私にとってはとてもいい所だった。

 今年行ってみたら、数本の松の枝が切り詰められていた。声の騒がしさや糞のことなと、近隣からの苦情でもあったのだろうか。20年以上見てきた景色だったから、寂しい気分になった。


 前述の雪の墓のことだが、というか悦子先生の句のことだが、私は在原業平しか思い浮かばなかった。でも「元カレのことでしょ」とあっさり言ってのけた人がいて驚いたことがある。そういう読み方もあるのだな…と逆に感心もした。

 悦子先生ともっとお話ししたかったな、

 滋賀県高島市も今となっては遠い。

(2026.6)

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり52  『Goldfish’s Sigh』(杉田菜穂句集、2021年刊、Red Moon Press)を再読する。

  洋書コーナーにある海外向け絵葉書book風の装丁ですが、俳句と英訳がさらに格調高くエスコートしていて素敵な句集になっている。この句集の装丁が、杉田菜穂俳句世界へいざなってくれている。

 どの俳句にも人生スケッチブックに描かれた鮮やかな彩りを添えて弛みのない人生の弦を奏でる。

 私の俳句鑑賞をいれるのが、ヤボったいくらい。

 丁寧に生きている俳句の詠み方も私も見習いたい共鳴句が沢山ある。

 一句一句を絵画のように眺めて欲しい。

 俳句がしずかにモノやコトの本質(核心)に迫る。

 お見事お見事お見事。

 こんな句集が、欲しかった。

 句集の裾野を拡げる名作です。


畑の香残る菜の花スパゲッティ

 菜の花のスパゲッティをいただきます。そういえば、私は、昨年2025年に、俳人で写真家として沖縄戦の経路を追体験するため沖縄戦の凄惨さの縮図のような伊江島の取材に当たっていた。そこで出会った友人たちで伊江島の食事処でささやかな交流会をする。その際に伊江島の菜の花を磨り潰して練り込んだ蕎麦をいただいた。私の歩け歩け(ウォーキング)でもいつもの畑の菜の花がほのかに香るだが食したことはなかった。季節を彩る贅沢な食事の一品である。この杉田菜穂の俳句には、日常の俳句日誌が丁寧に織り込まれている。


黒板は深海の色風光る

 教室の黒板を深海の色と感受し、血潮を注ぎ込む。この句集の丁寧な詠みっぷりは、青春歌のように噛み締めて生きている杉田菜穂俳句のきらきら感が詰め込まれた人生の宝箱みたい。

 五感(視覚・聴覚・臭覚・味覚・触角)を丁寧に感受して詩眼で捉えて昇華されている。


タイヤにも春の空気を入れにけり

ごきぶりを捕らへし迄の一部始終

農学部棟まで続く春の泥

モネの色遣ひと思ふ夕焼雲

手袋を外して触るる樹氷かな


 自転車のタイヤでしょうか。柔らかな春を感受しながら春の空気をタイヤに入れる。

 かくかくしかじか俳句の清少納言は、油虫と格闘する学生らを遠巻きにその魔物のごときものを捕らえる一部始終を眺めておりました。

 農学部棟まで続くその道程には、春の泥があるというきらきら感を俳句に素直に綴る。

 夕焼雲の色遣いをモネの色と感受する感性に脱帽。

 五感を総動員して世界を甘受する。しかし樹氷を手で触るのは、危ないと感じる私はいくじのないものだ。

 輝ける日々の杉田菜穂俳句たちよ。俳句日記が人生を彩りながら豊かな人生をこれからも素敵な俳句で綴って欲しい。

 共鳴句を下記にいただきます。


幸せに気づく幸せさくらんぼ

どこまでも行ける切符や夏の旅

青春の真っ只中の夏帽子

嬉しくて嬉しくて踏む薄氷

ふらここにある思ひ出を揺らしけり

着ぶくれて地球大事にする話

クリスマスツリーの電気消す係

髪を切るのは風の盆終へてから

羅を着て朝までを語りけり

涼しさよポニーテールにしてよりの

虫籠がソファーになかつたら不在

涙出るほどよ姉妹の初笑

いつまでもどこまでも雪かと思ふ

【連載】現代評論研究:第27回各論―テーマ:星または空その他― 藤田踏青、土肥あき子、飯田冬眞、しなだしん、筑紫磐井、北川美美、深谷義紀

●―1近木圭之介の句【テーマ:星または空】/藤田踏青

投稿日:2012年07月06日 カテゴリー:

行為としての詩。空の蒼は遠い

 平成18年の作品で、この年圭之介は94歳であった。「戦後詩における行為」(注①)の中で寺山修司は「いかにして風景になるか」ではなくて、「いかにして風景から脱却するか」と述べ、主体的な詩の創造、直接の詩を書くべきと主張している。それは俳句等に関しての論の中でも、「<自己形成の記録>のような俳句やそれに続く短歌などは、<何もかも、捨ててしまいたい>、<書く>行為・<読む>行為によってそれらを全て葬り去ってしまいたい。」と述べている事にも関連して来るものである。

 因みに掲句は詩を対象にしているように一見思われるが、俳句というものを詩として捉える立場からみれば、その行為は<書く>という表現行為と共に<読む>という俳句特有の付随する行為をも包含していると考えても良いのではないか。そして「空」はその対象としての詩の領域の無限さを、「蒼」はその奥深さを示しているものであろう。94歳にしてのその詩心への絶えざる希求の姿勢がここに見られる。圭之介もこの様に旧来の俳句の背景をぬぐい去ろうとしていたのである。

貝殻のなか空曇る              昭和29年  注②

空が曇るのは無花果の木から乳が流れ出るから 昭和52年   々

戦敗れた空 黄ばんだ魔ものふっと消えた   昭和60年   々

 ここにある「空」は空間や時間やその意味から飛躍して、遠い処に置かれている。つまりイメージは一旦拡散してから別次元で焦点化している。私性の普遍化とはこのような経路をたどって為されてゆくのではないであろうか。

肉が骨が無防備 冬銀河           平成7年

 阪神淡路大震災時の作品である。「肉が骨が無防備」の丸裸の措辞によって人間存在の脆弱さ、稀薄さが強く意識されてくる。またそこから精神が消し去られていることによって冬銀河への人間の相対化が無効にされているかの如くにも思われてくる。昨年の東日本大震災に於いても被災者は同様な意識下に置かれているのであろう。

 戦前の句であるが、山頭火との交流の中にテーマに添った下記のような句もある。


明けの星を笠を背にして行かれる     昭和9年  注②

(昭和九年二月二十七日、山頭火ひょう然と来り一泊して去る)

遠い海のような青い空を 癒えている   昭和10年 注②

(昭和十年八月二十五日、南信飯田にて病み帰庵の山頭火を其中庵に見舞う)

秋のなか笠ふかく行くをみれば白い雲を  昭和10年 注②

(昭和十年十月半ば、つくし路に山頭火をおくる)

哀しいことがある 星がある 月が出る  昭和15年 注②

(昭和十五年十月十一日未明、松山の一草庵にて山頭火急逝す)


 青い空、白い雲、星や月、全てが山頭火の思い出にと連なっていたのであろう。


注① 「戦後詩」 寺山修司 ちくま文庫 平成5年刊

注② 「ケイノスケ句抄」 近木圭之介 層雲社 昭和61年刊


●―2稲垣きくのの句【テーマ:流転】渋谷区千駄ヶ谷・三和荘時代/土肥あき子

投稿日:2012年07月06日 

止めどなき流転舌焼く蜆汁

 昭和41年10月に上梓した第二句集『冬濤』は、春燈叢書第32輯350部限定で出版され、「春燈」1月号の広告欄では既に好評売切と出ている。そして、翌年第6回俳人協会賞を受賞する。万太郎を失った「春燈」にとってもきくのの受賞は朗報に違いなく、「春燈」誌上では新年会の様子として、きくの・真砂女が額を寄せ合う写真が大きく掲載されている。

くさめして受賞のことば夢にあらず  「春燈」昭和42年(1967)2月号

とクールなきくのが喜びを素直に作品として残しているのはめずらしいことだ。3月25日、俳人協会賞の受賞式では、同時受賞した磯貝碧蹄館の作品とともに会長の水原秋桜子から「よくもああ大胆に振舞えるものだと思う。それで少しも定型を踏みはずすことなく、本当に若々しい」(「俳人協会会報」1967.5)と賞賛している。

 そして春、きくのは四谷左門町から千駄ヶ谷に転居する。冒頭掲げた作品は「春燈」昭和42年(1967)5月号に掲載される。ここで初めて今回のテーマとした「流転」を、きくのが自身で自覚し、言葉として使用した。赤坂福吉町を出て、三カ所目の転居である。

 「流転」とは、流れ移ることという意味とともに、言外にそうならざるを得ない業のようなやるせなさを感じさせる。さらに「舌焼く」が蜆汁の熱さであることは承知しつつも、「舌」という部位が持つ独特のニュアンスが掲句の孤独に艶を加え、贖罪を求めるごとき行為に発展させる。

花冷やとゆき戻りつして二間

目刺やく隠るるごとく移り棲み

 新住所は千駄ヶ谷2丁目、千駄ヶ谷駅から徒歩10分ほど。きくのが暮らした「三和荘」は静かな住宅街にあった。現在同じ場所に建つ「神宮外苑ハウス」の家賃は1LDKで178,000円。住みたいエリアの上位にランキングされている町だが、きくのにとってこの転居はどうも気に染まないものであったようだ。

 引越前の「春燈」4月号には

足袋にアイロンあな憎き顔足袋になれ

掴まれし尻つぼ男狐しどろもどろ

が並ぶ。きくの作品のひとつの特色でもある辛辣で直裁なアプローチである。ともすれば毒舌と捉えられかねない表現に、巧みなユーモアによって愛らしさを際立たせる。

 同年8月号では「渦潮・牡丹」と題し、鳴門の渦潮で24句、長谷寺の牡丹で29句と協会賞受賞後の作品を精力的に発表する。A氏の死によって解放されたきくのは引越とともに、その前後には

それつきりかゝらぬ電話菜種梅雨

別るゝやひれ振るごとく春ショール

火蛾の如まとひつく愚はあへてせじ

など、あらたな悶着とともに別れを予感させる作品が並ぶ。そして「春燈」10月号。

星飛んで未来永劫ひとに恋

 やはりこれでこそ、恋のきくのの本領であろう。


●―4齋藤玄の句【テーマ:星または空】/飯田冬眞

投稿日:2012年07月06日 


癒ゆる日のために見ておく夏大空

 昭和53年作。第5句集『雁道』(*1)所収。

 〈癒ゆる日のため〉といっているのだから、この作者は病に臥せっていることがわかる。そして、この病人は来るべき〈癒ゆる日のため〉に〈夏大空〉を見ておくと宣言している。来年の夏にはこの空を見ることができるだろうか、いやできないかもしれない。そんな、病人の逡巡が垣間見えてくる。だからこの宣言がかえって、実現不可能かもしれないという病人の心情を読む者に想像させて、哀切な感興を生み出している。

 年譜を確認すると齋藤玄は昭和53年の早春に直腸癌を発症。「4月12日手術。7月5日再手術。」とある。まさに掲出句は、来年の夏はないかもしれない状況下で詠まれたことになる。よって〈癒ゆる日のために見ておく〉の言辞が切実であったことが知られる。すでに記したように齋藤玄個人の歴史を知らなくても句意は明らかなのだが、年譜と照合することによってこの句を補完することができるような気にさせてくれるので、あえて引いた。

胎の子のために見ておく寒昴   遠山陽子 『黒鍵』

 遠山陽子氏は三橋敏雄の高弟の一人。はじめ藤田湘子、のちに三橋敏雄に師事。敏雄の研究誌「弦」主宰。「面」「雷魚」同人。三橋敏雄と齋藤玄は同時期に「京大俳句」に席をおいた西東三鬼の弟子。よって、遠山氏と齋藤玄は三鬼一門の叔父と姪にあたる関係ということになろうか。

 それはともかく、齋藤玄の掲出句と遠山句を比べると、その趣きの違いはあきらかだ。

 齋藤玄の〈夏大空〉の句は、過去の記憶と向き合う作者像が屹立しており、死のにおいが揺曳している。その主情に共感しうるか否かは、感覚的な問題であり、作者の実人生に対する有知無知を問わない。だが、作者が癌に侵された身であることを理解したうえで読みかえすと〈夏大空〉には、健康への憧れや開放的な北海道の夏の大空が象徴的に用いられていることがわかり、一句に対する共感は深まってくる。だが、ある意味〈夏大空〉の語にもたれかかった俳句構成であることも確かだ。

 一方、遠山作の〈寒昴〉の句からは、〈胎の子〉と自分自身の未来に思いをはせている妊婦の姿が浮かび上がる。母になろうとしている若い女性の緊張感と向日性とでも言うべきひた向きな心情が、澄み切った冬空に輝く〈寒昴〉によって象徴的に表現されている。この句には作者の実人生という補助線はむしろ不要であり、実人生に還元して鑑賞してはかえって情感がそがれるたぐいの句ではないだろうか。妊娠期における女性の普遍的な心情を詩に昇華した作品として評価できる。

いつの日の山とも知れず夏大空   昭和52年作 『雁道』

 掲出句に先行する齋藤玄の〈夏大空〉のオリジナルとでもいうべき作である。掲出句〈癒ゆる日のために見ておく夏大空〉と同じく、下五を〈夏大空〉でおさえている構造を持つ。この作品はすでに「風土」の項でとりあげたので、詳述は避けるが、句から立ち上がる印象は掲出句よりも格調が高く、雲泥の差と言わざるを得ない。

 〈いつの日の〉の句は、〈夏大空〉の下で感じた、作者の記憶のゆらぎを的確に描写した秀句である。句意としては、眼前の山がいつかどこかで見た山の記憶と重なり、既視感と現実感のはざまで齟齬をきたして混濁してゆくが、夏の大空は変わることなく広がっていたというもの。表現はおおらかだが、内実は、重い情念が渦巻いている。凝視が生み出した幻視が自然界を浸食する一瞬をとらえている点で、この句は作者の実人生を知らずとも、鑑賞に堪えうる強度を持っているのである。

 三句を比較してわかったのは、前回と同様に、「あはれ」と「かなし」の違いのようである。つまり、〈夏大空〉や〈寒昴〉という対象と共振しながら自己同一化あるいは客観化するとき詩は現出するが、〈癒ゆる日のため〉の句のように内省化すると俳句は強度を失うということだ。だが、自己の無力感を詠う詩形もこの世に存在してはいる。


*1  第5句集『雁道』 昭和54年永田書房刊 『齋藤玄全句集』 昭和61年 永田書房刊 所載


●―9上田五千石の句【テーマ:星または空】/しなだしん  

投稿日:2012年07月13日 カテゴリー:


外寝して星の運行司る     五千石

 第一句集『田園』所収。昭和三十二年作。

 自註には〈カメラを北極星に向けて固定し、絞りを解放、距離を無限大に数時間露出すると星の運行が渦をなして映される。これを「星野写真」と呼ぶそうだ〉と記す。

     ◆

 掲出句は『田園』の、前回の「日の句」で紹介した〈炎帝に召し使はれて肥担ぐ〉の次の収録句。

 五千石には多くの星の句があることは、連載の第1回から第3回等で書き、作品を紹介した。

ゆびさして寒星一つづつ生かす(第1回)

木枯に星の布石はぴしぴしと(第3回)

冬銀河青春容赦なく流れ(第21回)

など、その句の多くは冬の星を詠んだもので、これらは感傷的、感情的であり、季節からしても厳しい冬の印象が強く出ている。

 一方、掲出句の季語は「外寝」で夏。「暑さで寝苦しい夏の夜、戸外に寝ること」である。掲出句では、満天の星の下で眠る場面。たとえば高原などでのキャンプなどが想像され、ある種の避暑も感じられる。自註にあるカメラの視点で、星空の下にじっとしていると、目にはその時の点でしかない星々だが、頭の中でカメラのシャッターを解放していると、過去から現在へ星の動きが線として記録されてゆく。星の運行という時間の流れを凝縮するように。

     ◆

 自註にある「星野写真」という言葉は知らなかった。「ほしの」ではなく「せいや」と読むようだ。一般的な言葉ではなく、夜空の写真撮影の分野で使われる言葉のようである。「カメラを北極星に向けて固定し、絞りを解放、距離を無限大に数時間露出する」というのは撮影手法のひとつで、この他にもさまざまなテクニックがあるらしい。星の撮影は一般的には難しく、私もカメラは使うが、綺麗な星の写真を写せたことがない。ちなみに「星野写真」でネット検索すると、美しい星の写真を見ることができる。

     ◆

 前述の冬の句とは季節が変わることで、随分開放的な印象になる。だが、掲出句は下五の「司る」に、この頃の五千石の若さと強さが出ていると、私は思う。


●―10楠本憲吉の句【テーマ:妻と女の間】/筑紫磐井

投稿日:2012年07月20日 


酒場やがて蝋涙となり誰か歔欷

 昭和40年の作品、『楠本憲吉集』所収。

 直接女性の字は出てこないが、やはりこの句は「妻と女の間」で取り上げるにあたいする句であろう。とりわけこの句は次のように読むとき、俄然、憲吉の色彩を帯びる。

酒場(バー)やがて蝋涙(ろうるい)となり(たれ)歔欷(きょき)

 酒場にバーのルビは憲吉自らが付けた。当然目の前に広がる光景は、ホステスのこみあげるすすりなきにみながぎくりとする、歓楽の行き尽くす夜である。時に灯は煤を上げて燃えしぶり、醜い蝋燭の滓は積もり積もって燭台を汚して行く。

 憲吉が得意然としているのは、自句自解に平畑静塔の次の解説を掲げたことからも分かるであろう。

「灯火の時のただれたる華麗の時終れば、卓上に燭を立て蝋火の時と変じ、興を薄命の悲哀に切り替えんとするのか。この時、夜の蝶属は、蝋涙の身と化身して、誰かひとり声をひそめてすすり泣く声を薄命の卓上に漏らそうとするのであるか。それとも多感の遊子、ひそかにこの暗転に乗じてこみ上げくる悲哀に、わが胸のうちの悲しみにすすり泣かんとするのか。ともあれ、酒場深夜の一興の景である。」

 新興俳人にして精神科医の静塔がどういうつもりでこんな鑑賞を書いたか分からない。蒲原有明調の、しかし軽薄な文章は、いたく楠本憲吉の御気に入ったようである。

酔うて漂う深夜の海市誰彼失せ

 同じく昭和40年の作品、『楠本憲吉集』所収。

 これも自句自解に平畑静塔の次の解説を掲げている。

「この句も銀座夜景である。深夜の銀座は酔漢のものだ。(中略)わが傍らにいる者、通り行く者、すべて酒精の魔手に操られたる人間のみとはなった。酔歩蹣跚、漂流の舵を操る深夜の車を縫うて、異様幻影の竜宮、桃色なせるハレムの殿堂かと近づけば、風なくして蜃気楼はゆらりと動く。酔友いつしか身辺にあらずして失踪し、われひとり海彼の魔境に流れつかんとするのかと、作者は酔いを忘れて、深沈の憂いにとらわれたのである。」

 実はこの文章を写しながら評者は腹を立てているのである。こんな鑑賞やこんな批評が二度と再現されて欲しくはないと切に思う。まるで、昭和の黄表紙の世界ではないか。おまけに、憲吉はこの誰彼が西東三鬼と石川桂郎だと落ちまで付けている。これがかっての俳壇の有様だったわけである。若い人々に侮蔑されて当然である。

 ただ不思議なのは、こんなどうしようもない鑑賞から離れて、俳句だけは自立していることだ。私がこの句を取り上げているのも、俳句だけは侮蔑していないからである。いやそもそも俳句が不思議なのは、人格下劣、没道義、思想も品性も、理想さえなくても、名作佳句を作ることができることだ。詩人や歌人や小説家が信じられない世界が俳句にはあるのである。批評を拒絶して、作品だけが佇立することを信じて疑わないで欲しいと思う。


●―12三橋敏雄の句【テーマ:『眞神』を誤読する】52.53.54/ 北川美美

投稿日:2012年12月14日 カテゴリー:


52.やまかがし窶(やつ)れて赤き峠越ゆ

 案山子(かかし)ではなく、カガシ、蛇である。

 毒蛇が疲れ果て《赤き峠》を越える。あるいは、ヤマカガシが《窶れて赤き》となり、峠を越えるという読みもできる。「赤き」がヤマカガシなのか、峠に掛かるのか、どちらだろうか。敏雄句の特徴である「赤」。この『眞神』にも「赤」の句が何と多いことだろう。

鬼赤く戦争はまだつづくなり

霧しづく体内暗く赤くして

水赤き捨井を父を継ぎ絶やす

やまかがし窶れて赤き峠越ゆ

産みどめの母より赤く流れ出む

身の丈や増す水赤く降りしきる

 傾向から言うと、「赤」はヤマカガシに掛かっているようだが、蛇が赤くなる、という現象は調べてみたが、立証できそうもない。元々赤い蛇というのは、蛇の中の「ジムグリ」の幼ヘビがある。そうなると、「やまかがし」という蛇の種類が登場しているのならば、やはり「峠」に掛かる、という結果になる。

 「赤き峠」。曼珠沙華が沢山咲いているような峠だろうか、紅葉の峠だろうか。無季句でありながら季節を感じさせることができるのも俳句の力である。


53.沸沸と雹浮く沼のおもたさよ

 雹(ひょう)が浮く沼の面を境に、沼に表と裏があるように読める句である。

 雹は沸々と湧き上がるように浮くが、雹の落ちた沼はどろどろと重たい。なんということでもないのであるが、それが俳句になる不思議さがある。ふと読者を考えさせることができるのが俳句の短さ故の魅力である。

 蓮の花が浮く水面が天国と地獄を意味するように思えるのだ。蓮の咲く季節だけが天国ではない、寒い季節にも天国と地獄がある。


54.木を膝を山蟻下りて日かたむく

 敏雄俳句には映像の世界がある。ふと、登場する山蟻が、誰もいなくなった村に生き、足早やに木を、そして我の膝を下ってゆく。

「日かたむく」は31句目の

日にいちど入る日は沈み信天翁

と呼応しているように思える。また同時期に作られた句ではないかと思っている。同じ日常が繰り返されていく自然界の営みである。

 俳句はひとつ、あるいはふたつくらいの動作しか書けないだろう。しかし山蟻が木を、そして膝を下るという上五中七のたった12音の言葉で矢継ぎ早やな山蟻の様子を表し、「日かたむく」で午後の地球の自転をも感じさせる。小さな景から大きな景へと俳句にも絵画に似た遠近法があるのである。その軸がすこしずれるというセザンヌ的感覚を『眞神』には感じることができる。


●―13成田千空の句【テーマ:星または空】/深谷義紀

投稿日:2012年07月20日


寒星明暗我が身のなかに眠る妻

 第1句集『地霊』所収。

 千空に妻恋の句は多く、新婚当初はもとより晩年に到るまで数多くの作品を詠み続けた。掲出句もその一つであるが、今回のテーマは「星または空」であり、千空の妻恋句全般については稿を改めて論じたいので、ここでは触れないでおくこととする。

 さて掲出句である。冒頭「寒星明暗」と、漢字ばかりの、しかも字余りの措辞がいきなり置かれている。千空作品の特色のひとつである剛直な詠みぶりがここにも現われていると言えよう。そして中七以降は対照的に、愛しい妻が自分の腕の中で眠るという、読む者の胸に染み入るような構図が提示されている。

 季節は極寒、しかも本州最北の津軽である。冷たい北の夜空に瞬く星の輝き、そして明滅。こうした深遠なるものと、妻という身近な愛すべき存在。寒の極みと生身の温み。見事なコントラストだと思う。この対照の鮮やかさとスケールの大きさにより、人が生きていくことの崇高さと、同時に味わわなければならない切なさが読者の胸に響いてくるのだろう。

 第5回(テーマ:風土)で述べたように、千空は所謂「風土俳句」には否定的であり、今を生きる人間をこそ詠うべきだ、と主張した。その折も引いた千空自身の言葉を再度掲げよう。


「われわれは風土に生きていることは間違いない。と同時に、現代に生きているんだ。現代に生々しく生きているということと風土に生きているということ、この二つの問題を俳句の世界で生かす必要があるだろう」と。

(角川選書「証言・昭和の俳句」より)


 掲出句もこの主張に沿ったものと言える。千空の眼差しは絶えず人間そのものに注がれ、千空にとって人の営みこそが俳句なのである。


●―13成田千空の句【テーマ:日】/深谷義紀(前回26回に書き漏らした鑑賞である)

投稿日:2012年07月20日 


秋日濃しめし屋に味噌の握り飯

 今回のテーマは、「日」である。このテーマで真っ先に頭に浮かんだのは、

腰太き南部日盛農婦かな   『天門』

であるが、この句は既に第20回(テーマ:女)に軽くではあるが一度採り上げたため、今回は別の句を俎上に乗せることとする。

 掲出句は、第4句集『白光』所収。

 仕立ては単純、句意も明快だ。一読してすぐ、秋の昼の食堂の光景が目に浮かぶ。降り注ぐ秋の外光と、油や煙の染みた仄暗い店内。造作といえば、長年使い込んだテーブルや手書きのメニュー。洒落た装飾など何もない、でも妙に懐かしく気分が落ち着く、そんな店だろう。

 そして作者が頬張るのはシンプルな食事の極みの握り飯。少し歪な形かもしれない。味付けも味噌だけ。至って簡素な景色である。だが、作者はこの味噌握りをこよなく愛していることが伝わってくる。

 時間が止まったような、或いは時代を超越した風景というべきか。セピア色の古い写真を想わせるが、秋の日差しは濃く眩しいほどの輝きを見せる。混じりけなしのリアリティによる句だと思う一方、どこか異次元の要素も感じる。虚と実が交差する不思議な世界が広がっている気がする。ふと「根元的」という言葉を思い出した。

2026年6月12日金曜日

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★ー3高新俳句詩法――「垂直の力学」として読み解く4 後藤よしみ

第2部

新俳句詩法の妥当性の検証 1

――〈松島を/逃げる/重たい/鸚鵡かな〉を読む


はじめに

 本章では、これまで提示してきた高柳重信の新俳句詩法が、実際の作品読解においてどれほど有効であるかを検証する。

 対象とするのは、『日本海軍』所収の代表句

〈松島を/逃げる/重たい/鸚鵡かな〉

である。

 初めて読んだ者の多くは、「何が逃げるのか」「なぜ鸚鵡が重たいのか」「松島とは景勝地なのか軍艦なのか」と戸惑うであろう。しかし、この戸惑いこそが重信の出発点である。わからないという感覚を入口として認めることで、理論は初めてその力を発揮する。

 本章では、新俳句詩法の5つの視点——語彙の地質学、倒語法の再編、沈降の力学、深層の噴出、6つの水平補強モジュール——によってこの句を読み解き、その妥当性を確かめる。

1 句の第一印象

――なぜこの句は「わからない」のか

 まず、この句を素直に読むと、不思議な違和感に包まれる。普通の俳句なら、「松島から鸚鵡が逃げた」あるいは「重たい鸚鵡が松島を飛び去った」のように、意味の筋道が明確になるはずである。

 しかし、この句では、「松島を」「逃げる」「重たい」「鸚鵡かな」と、意味のつながりが断ち切られている。読む者は、それぞれの言葉をつなごうとして何度も立ち止まる。

 この「意味がすぐにつながらない状態」こそが、重信の意図した読書体験である。つまりこの句は最初から「理解されること」よりも、言うならば「意味が揺れ動くこと」を目的としているのである。

2 語彙の地質学による読解

――言葉の衝突が何を生むか

 新俳句詩法の第一原理は「語彙の地質学」である。この句に現れる語を分類すると、次のようになる。

①地霊語彙――松島

 松島は日本三景の一つとして知られる景勝地、歌枕であり、美しい島々と静かな海、和歌や俳諧の伝統に包まれた日本的抒情の象徴である。しかし同時に、『日本海軍』という句集の文脈に置かれることで、軍艦「松島」の記憶も帯びる。一つの語が「風景としての松島」と「軍事記号としての松島」という二つの歴史層を持つ。この二重性が、句全体に強い揺らぎを生む。

②外来・浮遊語彙――鸚鵡

 鸚鵡は異国的な鳥であり、日本の伝統的俳句世界にはあまり馴染まない。さらに鸚鵡は「他者の声を真似る鳥」である。ここでは、主体性を持たずに反復し、模倣する存在である。これは、近代日本が外来思想や国家イデオロギーを模倣し続けた姿とも重なりうるだろう。この解釈は、重信の時代背景にある精神を「浮遊語彙」という枠組みで読み解いた一例である。

③身体的重量語彙――重たい

 この語は極めて物質的である。単なる形容ではなく、読む者の身体感覚を直接呼び起こす。「ずしり」とした重みが、言葉を通じて伝わってくる。これは後述する水平補強モジュールの①身体・実存モジュールとも自然につながり、理論が言語の分析にとどまらず、肉体的な感覚にまで手を伸ばしていることを示していることがわかる。

語彙衝突の結果

 美しい景勝地、軍艦、異国の模倣鳥、身体的重量という、本来交わりにくい意味の層が一つの句の上でぶつかる。ここで意味の断層が露出する。この現象は「語彙の地質学」によってよく説明できており、理論の第一段階は十分に妥当であると言えるだろう。

3 倒語法の再編による読解

――なぜ意味は宙吊りになるのか

 この句最大の特徴は、何が「逃げる」のかよくわからない、確定しない点にある。普通なら「鸚鵡が松島を逃げる」と整理されるところを、重信はあえて断ち切る。その結果、鸚鵡が逃げる、作者が逃げる、国家が逃げる、松島そのものが逃げる、という複数の読みが同時に立ち上がる。

 これはまさに、富士谷御杖の倒語がいう「意味を確定させず、読者の内側で生成させる」という働きである。意味は作者から読者へと手渡され、読者は単なる受け手ではなく、句の共同制作者となる。この点で、新俳句詩法が倒語法を現代的に再編したという説明は、この句によって裏づけられる。

4 沈降の力学による読解

――改行は何をしているか

この句は4行に分かれる。

松島を

逃げる

重たい

鸚鵡かな

 これを一行で書けば「松島を逃げる重たい鸚鵡かな」となる。しかし重信はあえて切断する。この改行によって、読む者は各行ごとに停止する。

 第一行「松島を」——何が起こるのかという期待が生まれる。第二行「逃げる」——突然、運動が現れる。しかし主体がわからない。第三行「重たい」——ここで速度が止まる。逃げるはずなのに重い。矛盾が生じる。第四行「鸚鵡かな」——最後に主体が現れるが、なお説明にはならない。

 この読書過程は、まさに「落下」である。読むたびに意味が崩れ、次の行へ沈んでいく。行ごとの心理変化を丁寧に追ったこの読みは、理論が実際の読書体験の分析として機能していることを示しており、「垂直の読書体験」という説明の妥当性は高い。

5 深層の噴出

――最終的に何が立ち上がるか

 語彙の衝突、倒語、沈降の果てに、言葉の深層が噴き出す。この句では何が現れるか。

 明確な「意味」はない。しかし、確かにある感覚が立ち上がる。それは「重苦しい逃走感」である。何かから逃げている。だが軽やかには逃げられない。過去の重みを背負ったまま、ぎこちなく飛ぼうとしている。

 この感覚は、戦後日本の精神風景とも読める。敗戦の記憶、国家の影、模倣としての近代化——それらを背負いながら逃れようとする意識である。「逃げる」という動きを示す言葉と「重たい」という重力を示す言葉が、理論によって一つの精神風景へと統合される。これがまさに「言霊の現代としての噴出」であり、意味ではなく感覚として立ち上がるものである。

 この着地点は、垂直の力学と水平補強モジュールの両方が交差した地点からこそ生まれる。ここでも理論は有効に機能している。

6 水平補強モジュールによる補足

――垂直の力学で掬いきれないものを救う

 垂直の力学だけでは届かない部分を、6つの水平補強モジュールで補う。

①身体・実存 「重たい」は肉体の疲労を思わせる。深く読めば、戦場を歩いた身体の重さ、生き残った者が背負う罪責の重みが、この一語に響いている。

②音韻・律動 「お」の母音の反復に注目したい。「まつしまを」「おもたい」「おうむ」と、低く沈む母音が連なり、句全体に重苦しい響きを作り出している。音を耳で感じることが、意味の解釈より先に句の核心へ触れさせることがある。

③視覚 巨大で黒ずんだ鸚鵡が松島上空をゆっくりと飛ぶ異様な光景が浮かぶ。ダリの絵画を思わせるシュルレアリスム的映像であり、その違和感は理屈より先に網膜に焼きつく。

④歴史 『日本海軍』という句集の題名が、軍事史的な文脈を濃厚にしている。単なる風景句として読むことや歌枕としてのみ読むことを、題名そのものが拒んでいる。

⑤主体・心理 誰が逃げているのかが曖昧であることは、不安定な自己意識の表れである。主体の境界が崩れていく心理状態が、句の底に潜んでいると言えるだろう。

⑥受容 若い読者は幻想的な映像として受け取るかもしれない。戦争の記憶を持つ世代は、敗戦の重みとして読むかもしれない。どちらの読みも成立する。この差異を認めることが、句の可能性の幅を広げる。

7  鑑賞

 〈松島を/逃げる/重たい/鸚鵡かな〉は、高柳重信の新俳句詩法の有効性をよく示す一句である。「松島」は歌枕としての景勝地であると同時に軍艦の記憶を帯び、「鸚鵡」は異質な外来の響きを持つ。この語の衝突が意味を揺らし、「逃げる」が主体を宙吊りにする。さらに多行形式の空白が読者を深層へと導き、歴史の重みや敗戦の影を言葉の底から立ち上がらせる。垂直に沈降する力学と、身体・歴史・音・視覚といった水平の補強が交差することで、この句は「重苦しい逃走感」という、説明ではなく感覚として立ち上がる読みへと結実する。意味を説明するのではなく、読む者の内側に重い感覚を呼び起こす点に、この詩法の力がある。

結論

――新俳句詩法は妥当か

 〈松島を/逃げる/重たい/鸚鵡かな〉を検討した結果、新俳句詩法は有効性を持つことが確認できると言える。理由は三つある。

 第1に、この理論は「なぜこの句はわかりにくいのか」を具体的に説明できる。

 第2に、その難解さを単なる奇抜さではなく、語彙の衝突や倒語などの構造的必然として示せる。

 第3に、最終的に読者が受ける重苦しさや歴史の圧力といった感覚にまで到達できる。つまり新俳句詩法は、句を解読するだけでなく、読書体験そのものを言語化する理論として妥当である。


 次は、この〈松島を〉の『日本海軍』以外の句集の代表句に新俳句詩法を適応し、高柳重信の新俳句詩法がどのような句に妥当性を有するかを見ていきたい。


★―7:藤木清子を読む16 / 村山 恭子 


16 昭和12年 ③


花のベンチ世につかれてはよるべきもの   京大俳句6月

 「花」といえば桜の花を差しますが、桜のみならず、華やかで賞美すべきものをいう抽象名詞でもあります。花の下のベンチに座り、この世の春を愛でています。世に疲れて「よるべきもの」は、この花の下のベンチ。世への儚さ、悲哀、無常感など詩情を掻き立てます。

     季語=花(春)


思い出の只中に来て子が倒れ        同上

 子と思い出を紡いで来ましたが、その真っ最中に子が倒れてしまいました。大切な子の

将来を案じながら、来し方の思い出が走馬灯のように蘇り、心が張り裂けます。

     季語=無季


つよき性かくしぬさくら草はやさし     同上

 「つよき性」と「さくら草」との対句表現です。強い生き様を隠し、さくら草のように優しくたおやかな振りをしながら生活しています。「性」「草」以外は平仮名表記により、性と草の対比により余韻を増しています。

    季語=桜草(春)


真黒な過去が噴水に散つてゆく       同上

 真っ黒な過去が噴水で散って行きます。噴水は目の前の情景ですが、真っ黒な過去で心

象を綴ります。噴水の水飛沫の飛び散らかりは、過去の思い出や情景が飛び散っているようでもあります。

     季語=噴水(夏)


ひとり身に馴れてさくらが葉となりぬ    同上

 前述に〈ひとり身に馴れてさくらが葉となれり〉があります。「なれり」は動詞「なる」の命令形+存続の助動詞「り」。「なりぬ」は動詞「なる」の連用形+完了の助動詞「ぬ」。「なっている」と「なってしまった」により思いを季題にゆだねています。

    季語=葉桜(夏)


落日に燃ゆる春潮船を焦がし        天の川6月

 春になると海の色も明るくなり、活き活きとした潮の音も印象深いです。沈みゆく夕日が海を燃えるように彩り、海を行き交う船を焦がしています。

     季語=春潮(春)


香水よしづかに生くるほかなきか      旗艦31号・7月

 愛用する香水の香りは、個性を表現するものと考えられています。華やかな香水に心情を託しながら、しづかに生きる他はないのかと身をもてあましています。

     季語=香水(夏)

   

草青く曇と捨猫しろししろし        同上

 早春に萌え出た草の青、沸き立つ雲と捨猫の白。「しろしいろし」のリフレインが、春の情景を愛でながら、やさしく捨猫へ呼びかけています。

     季語=草青む(春)

  

友得たるしあはせしづかなる真昼      同上

 友が出来た幸せはしづかなものと味わっています。「しあはせはしづか」が常套的ですが、最後に「真昼」を置くことで句を引き締めています。

    季語=無季


★ー5 清水径子を読む  佐藤りえ

紐からむ夏よ一気に喪服脱ぐ (「寒凪」昭和四十六年)

引き続き『鶸』より。夏の葬事から帰り、汗のひく間も待てず、一気に喪服を脱ぎにかかる。「紐からむ」というから和装だろう。本来なら長着を解いてまず衣桁に掛け、襦袢を、といきたいところだが、もう無我夢中で、すべてを畳に脱ぎ散らかしてしまったのかもしれない。

喪服を脱ぐまでが喪の作業の一部始終に含まれるようにも思うが、この勢いづいた行動が、まとわりつくすべてを束の間振り払いたい、ドライな日常にも見える。「ぬぐやまつわる」いろいろから、とにかく無事に帰り着いた家で、自らを投げ出す暑さ、暑さにはこんな書き方もあるのだ。

『鶸』の刊行当時、句集評がいくつかの雑誌、俳誌に出た。〔永島靖子(「俳句研究」昭和48年11月号)、佐野美智(「俳句とエッセイ」昭和49年3月号)など〕。なかでも中村苑子は角川『俳句』と『俳句研究』年鑑で二度に渡って触れている。


全体を通じて、生きるひとりの人間の限りない嗟歎が、嘆き以上の切実さで表現されており、濡れた情緒的な情感などからはほど遠い、ストイックで孤独な人生の旅人を想起させられた。

   *

俳句の書き始めから、書こうとする明確な主題を持っていたわけではなく、長い間かかって自己を追求しているうちに、自分の書いた作品のことばから、作者が一つ一つ自己を発見してゆき、何を俳句で書きたかったのかが内部で明確になっていったのだと思う。自己の発見とは、往々にして、自分の書いた文章や俳句からみずから教えられるものである。

(『鶸』の世界/中村苑子「俳句」昭和49年2月号)


俳句を書き出したのも同年、年齢も同じくらい、そして何より、俳句を書く主題が「われ」にあること、などから、ひそかに親近感を抱いてきた人である。俳句の主題など、これといって指摘できるものでなし、ましてや「われ」の主題など、ここと思えばまたあちら式の、捉えどころのないものであろう。それを承知で「われ」の内面に、かげりの深い冷静な眼を向けている点が、この作家の他と違う個性である。

(句集展望2/中村苑子「俳句研究」年鑑・昭和48年)


苑子は大正2年生まれ、径子は明治44年生まれ。昭和48年のふたりはともに60代を迎えている。〈春の日やあの世この世と馬車を駆り〉〈翁かの桃の遊びをせむと言ふ〉〈貌が棲む芒の中の捨て鏡〉といった代表作を思い浮かべると、中村苑子と清水径子とは言葉に執心するとはいえ、だいぶ違うベクトルを持つもの同士のように思うが、苑子の句集『花狩』の初期句抄にはこんな作品がある。


人の気配する雛の間を覗きけり  中村苑子

秋燕の沖さすことの何か不安

置きどころなくて風船持ち歩く


「雛の間」という季語が、女の子の嫁入りを祈念する、ひな人形を含意する限り、女性は単に人形という物を扱うのみならず、その言葉との位置関係を、一句の中に読まれてしまうことになる。「雛の間」の主、飾る側なのか、飾られる=子の側なのか、飾られたものを訪う客人なのか。しかしこの句では、どの立場も避ける「覗き見する」ものであるところが、強引に言ってしまえば、径子と響き合う要素を持っている。人の気配を覗きこむ。華やぎ、うれしさ、たのしさといった、「飾り雛」にまつわる明るいイメージが前面に感じられないのは、「人の気配する」の句跨がり、跨がっても字余りの初句6音の性急さによる。

二句目の結句「何か不安」の率直さ、文語調に整えるでもなく、投げ出すように口語、体言で結ぶところ、三句目の本意に背くかのような「風船」の用い方、いずれも径子の『鶸』の作風に通ずるものを感じる。『鶸』の径子の作風とは、違和を隠さず、季節にあからさまに殉じず、しかしその「違和」が句そのもののなかでも違和として目立ってしまう、文体が定着する以前の果敢な試行がパッケージされたもの、ではないか。


「われ」の内面に向けたかげりの深い冷静な眼、とは、苑子自身も持ち合わせた「眼」であり、少し先の話になるが、苑子の「眼」は時空を越え、幻想と退廃の裡に向けられ、径子の「眼」は内観へと進んでいくこととなる。


【連載】攝津幸彦記念賞応募作品(全国学生俳句会合宿2025評論) 8

 口語俳句の詩情について

                              金光舞   


 二〇二五年度口語詩句奨学生選考総評において、川柳人・暮田真名は次のように述べる。


 「詩歌における〈口語—書き言葉〉と、SNSにおける〈口語—書き言葉〉は同じではない。しかし口語である限り、その言葉はSNS圏の言葉として消費される運命にある。『あたらしい人々』には歓迎され、『ふるい人々』には眉をひそめられ、ものすごい速さで廃れ、やがて顧みられなくなる言葉であることから逃れられない」(暮田 二〇二五)。


 この指摘は、現代の詩歌、特に口語俳句の立ち位置を再考するうえで重要な視座を提供している。口語俳句とは、現代人が日常的に話す自然な言葉(=口語)を用いた俳句であり、そのため現代的な感覚を反映しやすい。文語俳句に比べて親しみを持たれやすいという利点がある。

 一方で、「俳句は文語だからこそ詩である」と考える伝統的な立場はいまだ根強い。本稿の執筆にあたって、私は十数冊の俳句の入門書を読み比べたが、そのすべてが文語俳句を理想的な形式として扱っており、口語俳句については「効果的な場合もある」といった限定的な言及にとどまっていた。

 私は、口語俳句と文語俳句とでは、それぞれ異なる詩的なニュアンスがあり、どちらにも独自のよさがあると考えている。近年、口語俳句の再評価が進みつつあることも、その証左である。俳句雑誌『noi』では二〇二五年の特集テーマとして口語が据えられた。会話文体の再現、身近な言葉の取り込み、方言の活用などを通して、口語俳句の可能性を積極的に探る試みがなされている。俳句がその誕生以来、つねに日常語とともにあったことをふまえれば、現代の言葉で現代の感性をすくい上げようとする試みはごく自然な流れに思われる。今、改めて問うべきは「口語俳句が詩情を保つためにはどのような要素が重要なのか」である。


ここでいう詩とはなにを指すのか

 まず、この評論における「詩」を定義したい。土田知則・神郡悦子・伊藤直哉の共著『ワードマップ現代文学理論テクスト・読み・世界』(一九九六)において、ロマーン・ヤーコブソン(一八九六―一九八二)による詩的機能の理論を基盤にしたとき、詩的機能とは「メッセージそのものに対する強調」であり、日常言語が主に指示機能によって意味伝達を目的とするのに対して、詩的表現は言葉の「形式」に焦点を当てることに特徴がある。この点について、チャールズ・サンダース・パース(一八三九―一九一四)の理論が補完的に作用する。パースは言葉を単なる意味伝達の道具としてではなく、現実を「切り取り」「構造化する装置」として捉えている。つまり、詩においては言葉の意味そのものではなく、その形式や響き、リズムといった側面が強調される。

 このように、詩的表現は言葉の美的側面や抽象的な形式性を重視し、日常的なコミュニケーションとは異なる次元で意味を創出する。そのため、詩における言葉は意味を捨象することによって、言葉そのものの持つ力や可能性が引き出されるとする。


俳句における詩情

 成井惠子は『俳句の美学』(一九九二)において、詩のジャンルの中に位置する俳句について考察し、その詩的特性を「情熱」「情緒」「名辞」「イメージ」といった要素を通して描き出している。俳句は、言葉という色彩、軽さ、音のある道具を使って、感動を鮮やかに表現するために精緻に組み立てられている。成井は、俳句の表現が詩の「光と影」に調和する様子を描写するが、その影の部分はやや断片的で不完全であるものの、光線が小さな穴から閃光のように瞬時に広がる力を持っていることが特徴的だと指摘する。俳句はその瞬間的で断片的な性質を通じて、鮮やかで強烈な印象を与え、全体として自然の美しさや人間の感情を表現している。

 また、大屋達治は『俳句なんでもQ&A』(二〇〇二)で、現代俳句が無意味・無内容な物事をシンプルに表現する手法を取り入れ、さらに西洋近代詩の理念を反映させる過程を述べている。俳句は西洋詩の影響を受けつつも、その短い形式と平明な表現の中で、深い意味を内包することを目指してきた。このように、「俳」と「詩」の相互作用は、俳句がその独自の形式を維持しながら、時代や理念の変化とともに発展していく過程を示している。俳句の詩情は、ただの感情表現にとどまらず、日常の一瞬の美を捉えるために、言葉の使い方とそのリズムを巧みに操ることにある。このような詩的な手法が、俳句の深さと奥行きを生み出している。


定型から見る口語俳句

 口語俳句が敬遠されてきた要因の一つに、口語が文語よりも日常性や口語的リズムに引き寄せられやすいことが挙げられる。中村草田男は『俳句』(一九五八)において「定型と口語俳句」という題で、俳句がある一定の条件下で詩的な緊張感を欠くと指摘する。

 草田男は、日本語の実際の発音に着目し、「音歩説」に基づく分析を行っている。つまり、日本語は音声的には二音と一音とに分節されており、俳句の五・七・五の定型もまた、これらの音歩によって支えられているとする。つまり、五・七・五の三区分の一つ一つの区分が、音歩的四段階になっているのである。彼によれば、俳句の集約感を維持するには、最大でも八・八・六、すなわち二十二音が限界であり、それを超えるとだらしなさが生まれやすくなるという。

 音歩的四段階についてわかりやすく図解するため、例を挙げる。


≪たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ 坪内稔典≫


     音歩

たん   2

ぽぽ   2

の〇   1

〇〇   0[5音]


ぽぽ   2

の〇   1

あた   2

りが   2[7音]


かじ   2

です   2

よ〇   1

〇〇   0[5音]


 このように見ると、俳句が詩として成立するためには、定型感をどのように保つかが問われる。現代の口語は助詞や助動詞、語尾の変化が多く、冗長さが生まれやすい傾向にある。しかし、口語俳句も言葉の選択や間合いによって定型の緊張感を生み出すことができれば詩としての強度を持つように思われる。


表現から見る口語俳句

 中岡毅雄の著書『俳句のルール』(二〇一七)や、井上泰至と堀切克洋の共著『俳句がよくわかる文法講座』(二〇二二)においては、文語表現という観点から口語俳句について丁寧な考察がなされている。とりわけ注目されるのは、俳句にしばしば用いられる詠嘆の助詞「かな」の扱いである。この「かな」は、深い感動や静かな余韻を伝える文語特有の語であり、句末に置かれることで作品全体に格調と緊張感を与える。これを現代の口語である「なあ」に置き換えると、語感がくだけ、俳句独自の文体的な緊張が損なわれるという指摘もある。実際、俳句のように極端に短い形式において末尾の響きは作品全体の印象を大きく左右する。

 また、俳句の本質が言葉を削ぎ落として表現することにあるとすれば、文語の持つ格調の高さは、その短さを補う手段として有効である。文語は日常から距離があるため、詩的な印象を生みやすく、一語一語に重みを持たせやすい。そうした点から、俳句が現代においても文語を基調として詠まれ続けているのは、単なる伝統の踏襲ではなく、表現の完成度を高めるための選択と見ることができる。

 しかし同時に、口語には口語なりの表現の可能性がある。たとえば「なあ」という語尾には、文語の「かな」にはない親密さや感情のにじみがある。句全体を平明にすることで、現代の読者との距離を縮め、自然な共感を生む力を持っている。


じゃんけんで負けて蛍に生まれたの   池田澄子


 この句は、まさに口語表現の可能性を示した好例である。「じゃんけんで負ける」という日常を導入としながら、「蛍」という格調高い伝統的な夏の季語が添えられる。そして、下五「生まれたの」という転生の発想へと接続される構成は、意外性と詩的な跳躍をもたらしている。句末の「の」という口語特有のひらいた語感は、過度に感傷的になることなく、かえって詩情をやわらかく支える働きをしている。

 文語が形式の美と緊張をもたらすなら、口語は率直さと日常の中にある詩情を掬い上げる。文語と口語は単なる様式の違いではなく、それぞれ異なる詩的戦略を持つ。したがって、俳句において文語が完成された表現手段であると同時に、口語もまた、等しく完成されうる表現のかたちである。


口語俳句の詩性について

 結論として、口語俳句が詩情を保つためには「詩」としての緊張感が重要である。現代の言葉と感覚に根差した口語俳句は、とりわけ日常のリアリティをすくい上げやすく、より広い読者に親しまれる可能性を持っている。だからこそ、その表現には、単なる話し言葉を超えた「詩」の緊張感が求められる。言葉の選定、形式への意識、そして言葉そのものに対する深い理解が、詩としての強度を支える鍵となる。

 口語俳句における課題は、言葉がしばしば軽やかすぎる点にある。SNS的な速度感や日常会話のテンポに引き寄せられすぎると、俳句が本来持っている形式美や精緻さが損なわれてしまうことがある。だが、これは口語であることが問題なのではない。むしろ、現代語という移ろいやすい素材に、どのように詩的な深みを与えてゆくかという、創作の姿勢こそが問われていると考える。

 また、口語俳句は文語俳句とは異なる詩的資質が求められる。口語は、文語がもたらす格調や余韻を容易に代替できないが、その代わりに現代人の感覚に適した形でその美学を作り上げることができる。語感の柔らかさや、響きの軽快さを生かしつつ、短詩型の枠組みを守ることによって、現代的でありながらも詩的な完成度を高められる。

 「口語俳句の詩性」について、私は肯定的に捉えたい。日常にあふれる詩的瞬間を見出し、それを最小単位の詩として定着させる力が口語俳句にはある。重要なのは、ただ口語を用いるのではなく、その言葉の構造や響きに対する繊細な意識を持つことである。そうした意識が伴えば、口語俳句は詩の新たな形態として、確かな詩的価値を備えた作品を生み出すことができる。これからも、現代の息づかいを宿した口語俳句にたくさん出会ってゆきたい。

参考文献

『2025年度口語詩句奨学生選考総評 暮田真名』(二〇二五)著:暮田真名

『ワードマップ現代文学理論テクスト・読み・世界』(一九九六)著:土田知則・神郡悦子・伊藤直哉 

『俳句の美学』(一九九二)著:成井惠子

『俳句なんでもQ&A』(二〇〇二)著:大屋達治

『ことば読本 定型の魔力』(一九九二)より『俳句』(一九五八)著:中村草田男

『俳句のルール』(二〇一七)著:中岡毅雄

『俳句がよくわかる文法講座』(二〇二二)著:井上泰至・堀切克洋


(本編は全国学生俳句会合宿2025評論(2025年9月2日(火)に発表された評論である。その後「全国学生俳句会合宿2025レポート冊子」(令和7年11月23日発行)にはこれが改定されたものが掲載されているので注意。)


【大学俳句会アンケート回答】➀俳句とは何なのか➁俳句で何をしたいか➂俳句に関して何を書きたいか、

金光舞: ➀私にとって俳句は親友みたいな存在です。➁誰かにとって一生の心に残るような句を詠んでみたい。③口語俳句等、その時関心の高まるテーマについて自分なりの回答を提示したいです。それが続けられる人になりたいので頑張ります。


【筑紫磐井鑑賞】

 最近の若い作家による俳句が口語俳句的となっている点をとりあげ、単に現象としてではなく口語俳句の原理の模索(詩学に近い)に向かおうとしている点は貴重である。論者はかなり長い研究を意図しているようであり、今後への期待が大きい。

     *

 口語俳句については少し歴史的な位置づけもしてみた方がいい。参考となるのは、2025年11月に開催された第50回現代俳句講座 「昭和百年 俳句はどこへ向かうのか」で、「現代俳句」が1年間かけて行っている昭和100年・戦後80年を回顧しての現代俳句協会役員アンケートの結果であり、この中でトップを占める俳句作品に口語俳句が多かったことが指摘された。


(1)現代俳句協会から見た口語俳句

 神野紗希はアンケート結果を踏まえ、典型的な口語俳句の抽出を行い6種類に分類している。


➀新興俳句の口語(※言い切りの語尾)

 頭の中で白い夏野となつてゐる  高屋窓秋

 山鳩よみればまはりに雪がふる  同

 夏草に汽罐車の車輪来て止る 山口誓子

 水枕ガバリと寒い海がある  西東三鬼


➁戦時の口語(※肉声としての口語)

 戦争が廊下の奥に立つてゐた  渡邊白泉

 憲兵の前で滑つて転んぢやつた  同

 灯をともし潤子のやうな小さいランプ 富澤赤黄男

 やがてランプに戦場の深い闇がくるぞ  同


➂戦後俳句の口語(※韻律と主題)

 人体冷えて東北白い花盛り      金子兜太

 彎曲し火傷し爆心地のマラソン    同

 銀行員等朝より螢光す烏賊のごとく  同

 あやまちはくりかへします秋の暮    三橋敏雄

 八月の赤子はいまも宙を蹴る    宇多喜代子


④自由としての口語(※異質性のエッセンス)

 おおかみに螢が一つ付いていた    金子兜太

 梅咲いて庭中に青鮫が来ている    同

 少年来る無心に充分に刺すために  阿部完市

 ローソクもつてみんなはなれてゆきむほん  同

 たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ 坪内稔典

 三月の甘納豆のうふふふふ       同


⑤現代×日常の口語

 起立礼着席青葉風過ぎた       神野紗希

 ゆず湯の柚子つついて恋を今している 越智友亮

 寒いなあコロッケパンのキャベツの力   小川楓子

 寝静まるあなたが丘ならば涼しい     大塚凱

 初夢の代はりにYouTube見てる     葉ざくら


⑥現代×主題の口語

 じゃんけんで負けて蛍に生まれたの  池田澄子

 ヒヤシンスしあわせがどうしても要る  福田若之

 蝶よ川の向こうの蝶は邪魔ですか  池田澄子

 Rest in Peace 向日葵は泣かない 光峯霏々

 ねむる天牛だめなことをだめって言うちから 林田理世


 シンポジウム用の資料なので必ずしも厳密な分類が出来ているわけではない。例えば➂についてはこれらの例句の全てが果たして口語俳句ということが出来るか疑問のものもあった。➀―➁は戦前の新興俳句系の作品が多い。現代俳句につながる口語俳句は④以下であろう。金光論文との比較に適しているのは、⑤と⑥であるが、これらは現代俳句協会アンケートの発表に上がっていないものも含まれているので注意がいる。つまり俳句としての声価が確立しているわけはないからである。


(2)現代俳句協会系以外の口語俳句

 これに対し、筑紫は、口語俳句はすでにホトトギス俳句や自由律俳句にも多く見られる

ことを指摘した。著名句をあげてみる。


 毎年よ彼岸の入りの寒いのは    正岡子規

 赤い椿白い椿と落ちにけり     河東碧梧桐

 噴火口近くて霧が霧雨が      藤後左右

 娘らのうかうか遊びソーダ水    星野立子

 街の雨鶯餅のもう出たか      富安風生

 約束の寒の土筆を煮て下さい    川端茅舎

 月見草開くところを見なかつた   島田摩耶子

 漬菜がうまいのか醤油がうまいのか 京極杞陽

    *

 うしろすがたのしぐれてゆくか   種田山頭火

 墓のうらに廻る          尾崎放哉


 新興俳句作家系、或いは現代の若い作家だけに限定してしまうと、口語俳句の本質がすこしずれてしまう恐れもある。例えば(1)⑤の神野紗希「起立礼着席青葉風過ぎた」はホトトギス俳句の中において見ることによりその価値も浮かび上がるように思われる。


(3)口語俳句・口語俳句作家とは何か       

 ➂で疑問を呈したように、はたして口語俳句とは何か、どんな指標が口語俳句を位置づけるのかは考察を擁するところである。

 現代俳句協会のコンセンサスとして、代表的新興俳句の口語俳句作家として認められている作家に渡辺白泉がいる。その代表作としては、


 戦争が廊下の奥に立つてゐた  渡邊白泉

 憲兵の前で滑つて転んぢやつた  同

 銃後といふ不思議な町を丘で見た

 鶏たちにカンナは見えぬかもしれぬ


などがあるが、その一方で、


 玉音を理解せし者前に出よ

 夏の海水兵一人紛失す

 吾子は死にもろ手をたもちわれ残る

 戦場へ手ゆき足ゆき胴ゆけり


等の文語を使った句も並行して詠まれている。新興俳句=口語俳句ではない。口語俳句より効果的な文語俳句も存在するのだ。

 それは上に挙げたホトトギス作家にも言えることであり、


 街の雨鶯餅のもう出たか      富安風生(昭和12年6月号)


の直後に


 まさおなる空よりしだれ桜かな   富安風生(昭和12年7月号)


と、風生一代の名句と言われる文語俳句が出来ている。また、


 約束の寒の土筆を煮て下さい    川端茅舎(昭和16年2月号)


との半年後に、茅舎の絶筆として有名な文語俳句が出来ている。


 朴散華即ちしれぬ行衛かな     川端茅舎(昭和16年8月号)


 口語俳句と文語俳句派は一つの頭脳の中で同時に制作されている。文語俳句作家と口語俳句作家がいるわけではないのである。この落差が大きければ大きいほど、すぐれた口語俳句、すぐれた文語俳句が生まれるのである。

                ※

 以上は、口語俳句を代表する作家のそれだが、実は現在口語俳句はもっと普及している。例えば、私は今時評のために定期的に句集を読み合っているが、つい最近の句集だけをあげても伝統派の句集でも必ず口語俳句が混じっている。


箱庭に眼鏡をかけた人置こう    対馬康子『百人』

どぶろくや死が新しいから困る

まっさらな柩が芽吹いていますか

棒だらのほとびて魚らしくなる   伊藤伊那男『狐福』

梅雨茸つつかば侏儒にされてしまふ 池田瑠那『心柱』

二度踏んで煙茸ではないといふ   陽美保子『水のにほひ』

亡き人を訪ふ銀杏を踏まぬやう

赤松よ梟の子を落とすなよ

池の面の冬青空へ吸はれさう    西宮舞『白雲』

母の日や義理の息子のよくできて

短日やとどまりすぎてゐたることに 阪西敦子『金魚』

ずつとここに居るよと冬芽に囲まれて 依光陽子『ふ、は鳥に』

冬の蛾よ我は野面の石であつた

海に雪いそぎんちやくが見たかつたの

木の葉髪ああ跳び方を忘れてゐた

行く年の空を仰ぐや何が欲しい

ふららこに冷たき石の乗つてゐた

葱坊主耳を塞ぐと笑へないから

青筋揚羽年輪乾くまでゐてよ

らんちうやとてもかなしい人であつて

チューリップこころ折れずにゐてどうか

デージーや本当はどうでもいいのでせう


 口語俳句は決して新興俳句や、若い作家の専売特許ではない。もちろんその使い方は作家作家よって異なっている。概して言えば新興俳句作家のそれと違って、これらは、風格ある文語俳句の中に交えることによって一風違った風味を出すためのアクセサリーと云えようか。


【豊里友行句集『赤ん坊オーケストラ』を読みたい】3 『赤ん坊(あかんぐわ)オーケストラ』豊里友行句集を読んで  辻村麻乃(俳人)

 句集の中には一ページを使って行間を空けたものや、ずらしてデザインのように書いたもの(岡田隆彦の詩集にもあった)上五の季語を揃えた連作があって興味深い。

 また前作『地球のリレー』のテーマを引き継いで「リレー」というワードもいくつかの句に使われている。

 豊里氏は沖縄の俳句作家で、カメラマンでもあり、多くの作品を発表されている。「月と太陽(てぃだ)」代表。

 作品の中にはあちこちに沖縄の言葉も盛り込まれていて、風土性を強く感じる作家でもある。


  感情を隠すマスクの捕虫網

  いらぶーに国境線を任せてある

  芽吹き出す蔓まで軍事要塞化

  指紋まで解く人頭税の渦

  黒潮を描く与那国の猫小(まやーぐわぁ)の尾

  国境線を奏でるイラブチャーの虹


 沖縄なので国境線の問題は生活と密着している。毎日を詠むことは歴史や政治に触れることにも繋がる。


  こつこつと積もる清明の心音

  (こつこつ24句より)

  西瓜食う平和の種をぷぷぷぷぷ

  天体が弾む赤ん坊(あかんぐゎ)オーケストラ


 こつこつ24句の試みは面白かった。

 ぷぷぷぷぷは種を吐くようなオノマトペが小気味いい。

 赤ん坊(読み方が方言)


  李白と杜甫を転がす月の盃

  戦世の風化のなみだ 蝸牛

  血液の宇宙よ「命の御祝(ぬちのぐすーじ)さびら」 


 様々な句で送り仮名をされていて、それが沖縄独特の読み方とわかる。


  基地強化の整理縮小飛蝗とぶ


がちゃ

   がちゃ

      がちゃ 軍靴の雨音 

   がちゃ

がちゃ   

 

 分かち書き、更に改行もすることで前後左右にがちゃが響く。

 

  死者も僕らも血潮のリレーよ赤ん坊(あかんぐゎ)

  銀漢のこだま被弾した水筒

  とんとんみーの太陽系を渡り切る

  うりずんに愛されるための蕾よ

  天体のエイサー太鼓の月のと太陽(てぃだ)


 今の私たちの生き様を時代を超えて、宇宙間から俯瞰したような作品群は言霊となって唄い続けるだろう。


【短期連載】「自由律俳句の精神的自由」に関する宣言  煙陽

  わたしは、「宣言」として自由律俳句の「自由」を規定しようとか、どのやり方が一番良いのか、どうやれば自由律俳句はウマくなるのか、ということにはあまり興味がありません。ですので、この文章も「宣言」らしくないように、できるだけ柔らかく書こうと思います。  

 さて、既存の俳句から脱却した「新しい自由な俳句を作る」というのには、半分賛成半分反対といった感じです。本当のfree-verseを求めるならば、過去や現在、未来といった時間軸さえ必要ないのではないかと思うからです。この場合の自由には、「新しい」という形容詞すら必要ありません。  

 そもそもわたしは、自由律俳句に「型」を求めません。「優劣」すら求めないと言ってもいいかもしれません。詩的に優れていても、いなくても、各々、好きなものを作って句会というカタチで見せあったり、見せあわなかったり、そもそも頭の中の自分の世界で自由に考えているだけで、形にしなくてもいいものだと思います。自分を「俳人」と思わない人が、自由律俳句のような一行詩を生み出すこともあるでしょう。芸術を、芸術そのものとして作れなかった時代を乗り越えた、今ここにある自由律俳句においては、それこそが最も格式高い姿勢だと思うのです。  

   自由律俳句の自由という言葉は、たぶん皆さんが思うより、重いです。先程自由律俳句を「free-verse」と呼びましたが、わたしはこの「自由」を「liberty」と訳しても良いと思います。俳句の歴史を紐解いていくと、プロレタリア俳句の分野に当たるでしょう。栗林一石路や、橋本夢道など、自由律で詠まれたものが代表的です。わたし自身はプロレタリア俳句を進んでやっている、というわけではありませんが、  

  

**大戦起るこの日のために獄をたまわる (橋本夢道)**  

  

という句を知った時は、身をつまされる思いでした。俳句の歴史には、大きな黒点があります。時代に潰されざるを得なかった人たち。もちろん、これは定型の人にも当てはまります。異口同音しなければ、生きていけなかったのですから。でも、律に自由を求めた人たちに吹く風はもっと酷い逆風だったのではないでしょうか。「伝統」という言葉にいまさら頼ることも出来ず、発言の場は無くなっていく。家族とも離れ離れになる。雑誌が無くなる。そして、最後には人が居なくなる。  

   今、俳句という文脈の一番端に、ぽっと現れただけのわたしがいます。そんなわたしも、大学で自由律俳句の研究をし、句会に参加するうちに、結婚式のヴェールのように長く重いその歴史を、背負ったまま先に進みたいと思ってしまいました。  

 しかし、わたしは彼らのために何ができるのでしょう。  

 わたしは、この先どんな事があっても、「自由」を守り通していくための、指標が欲しいと思いました。自由律俳句というものを、形式や優劣で語るのではなく、いついつまでも、文化として守り抜く為の指標が欲しいと思いました。  

 わたしは、それを内側ではなく、外側に求めました。俳句をよく知る人が作ったものは、詩の作り方にこだわります。「これが自由律俳句だ」というために、区別したがります。しかし、本当の自由には、そんなものがそもそも必要なんでしょうか。ただ自分の律を信じる気持ちとその環境さえあれば、他には何もいらないのではないでしょうか。定型の人でも、自由律の人でも、きっとそれは変わりません。  

 私は、「図書館の自由に関する宣言」がとても好きです。以下、特に知っておいて欲しいところを抜粋します。  

  

1. 4.わが国においては、図書館が国民の知る自由を保障するのではなく、国民に対する「思想善導」の機関として、国民の知る自由を妨げる役割さえ果たした歴史的事実があることを忘れてはならない。図書館は、この反省の上に、国民の知る自由を守り、ひろげていく責任を果たすことが必要である。  

2. 5.すべての国民は、図書館利用に公平な権利をもっており、人種、信条、性別、年齢やそのおかれている条件等によっていかなる差別もあってはならない。  

  

 わたしは、自由律俳句を未来に繋ぐ宣言には、この精神を含めてくださるとうれしいと思っています。いつか、本当の意味でわたしたちが自由になれる時代がきたら、その時が自由律俳句の黄金期なのかもしれませんね。  


【連載】新現代評論研究:『天狼』つれづれ (10)「実作者の言葉」…「息の出で入り」/米田恵子

  この頃年のせいか、朝早く目が覚める。特に、夏は夜明け前に目が覚めてしまう。我が家ではクーラーがないので、暑くて寝ていられないからかもしれない。さすがに、冬は暗いうちに目がさめると、そのまま布団の中でぐずぐずする。そこで、俳句でもひらめくか、あるいは次に書く論文(?)の構想でも浮かんでほしいと思うがそんなことはなく、無為に時間が過ぎていく。

 このように、夜明け前に目が覚めるようになってから初めて気が付いたのが、『天狼』昭和23年12月号にある「実作者の言葉」の「息の出で入り」である。


障子いま明るむ息の出で入りに (昭和19年11月10日成、『遠星』所収)

 

 誓子のこの句について、ある評家が「鈍感なる誓子」(『新俳句新聞』第20号)という題で、「息の出で入り」という語は「日本語であろうか。畏るべき似而非語(えせひご)である。しかも、己の潔癖を妄信する誓子氏は鮮かに瞞着されて、毛ほども疑ひを容れない気の毒な事である」と書いていたそうだ。ひどい言われようである。

 誓子はここで俄然反論する。「息の出で入り」という表現は、先人たちも使っている表現で、岩木躑躅「出で入りの息も消ゆかや枯林」がある。俳壇では珍しいかもしれないが、歌壇では斎藤茂吉も「晝床にほのりほのりとゐる我の出で入り息の音の幽けさ」と、短歌にもすでに使用されている語である。茂吉はその後に書いた「童馬漫語」の「言葉のこと」(大正4年7月9日)に「出で入り」という語について、『歎異抄』や『国歌大観』から引き、その他平安時代の歌人の和歌を紹介していると誓子は引用して説明する。

 ただ、誓子は「出で入りの息」と名詞の修飾語として使えば問題はなかったのかもしれないが、「息の出で入りに」と動詞「明るむ」にかかるようにした。そこが一評家の誤解を招いたのかもしれないと考える。しかし、誓子は、そのまま用いたのであれば、子規の言う「造句の工夫」を怠ったことになる。「息の出で入りに」は誓子の工夫したオリジナルなところである。

 さらに、援護射撃が来る。『天狼』昭和24年2・3月号には、野尻抱影よりの手紙に古歌に典拠を求めるまでもなく、芝居や長唄に「出で入る息は、ア・ウンの二字」とあり、人口に膾炙した表現だと示された。天狼同人の杉本幽烏からも謡曲に同じ表現があると指摘される。

 そうして、ようやく『天狼』昭和24年5月号に誓子の自解が載る。


 冬の夜明に眼を覚ました。寝室の障子が明るくなりかゝつてゐる。しかしそれは急に明けるといふのではなく、私が臥床で、しづかに息を吐き、しづかに息を吸ひ、しづかに息を吐き、しづかに息を吸ふにつれて、それとともに明け白むのである。あたかも息の出で入りに因つてさうなるが如く。


 誓子は、呼吸するように徐々に徐々に明るくなっていくという。私も誓子の俳句のように、息をこらしてその時を待つ。吸って吐いてを意識し追体験しようとするが、どうもできない。実際には、息をするように明るくならないような気がする。私は慢性鼻炎の花粉症で鼻は悪いが、吸う吐くの呼吸は意識したことがないからかもしれない。また、私の場合は障子ではなく、雨戸の隙間から差す光だからだろうか。徐々に明るくなるというよりは、あっ!明るくなった、日が昇った、夜が明けた、というのが私の実感である。やはり、私は「造句の工夫」になかなか行きあたらない。

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり51 句集『此処』(池田澄子、2020年刊、朔出版)を再読する。豊里友行

  先ずは、「後記」より。

 八歳の夏、かの戦争で父を奪われ、人は死ぬ、死は絶対であると知って以来、此の世の景の儚さを忘れることができない体質になったようだ。偶々人に生まれ多くの人に出会い、その先にある別れの怖ろしさに、一瞬の現象をも含め様々の出会いを深く意識し、別れを怖れる自分をも眺めながら生きてきたようだ。二〇〇一年に師が逝き同じ年に育ての父が、そして母、そして夫が逝った。逆縁は許さぬと夫々に申し付けてあるので、あとは自分の死だけである。

 自分の死は怖くない。


 帯文の俳句と言葉も。


次の世は雑木山にて芽吹きたし


少なくとも

ペンを持っているときの

私の大小の悦びや嘆きは、

此の世に在る

万物の思いの一つ

であった。(池田澄子)


 私は、丁寧に生きるこの俳人を見習いたい。

 だが私は、この俳人の覚悟など知るよしもなく此の世を右往左往している。


あっ彼は此の世に居ないんだった葉ざくら

たいがいのことはひとごと秋の風

牡丹雪大人ですから黙ってます


 池田澄子俳句の心の機微の共鳴句をいただきます。

 料理の俳句にも丁寧に生きる所作がうかがえる。

 若手俳人に影響力のある口語俳句の先駆け的な存在なので強いて俳句鑑賞をいれずに俳句そのものを味わってほしい。


松過ぎの餃子の正しい包み方

心血の注ぎ疲れや千枚漬

湯に放つ刹那春菜のうれしそう

細切りの海苔を散らせばこぼれて春

啓蟄の稲荷寿司から紅生姜

わが死後の皿に汚れてパセリなど

ごーやーちゃんぷるーときどき人が泣く

雑煮用鶏を解凍しつつ寝る

饅頭に濃き焼印の端午かな

自ずから熟れて傷んで匂って桃

遠来の洋梨嗅いで供えて撮る

一月一日喪中の瓶詰のイクラ

切山椒いろとりどりや悲喜こもごも


 私も池田澄子さんのように丁寧に生きて俳句を綴りたい。


よい風や人生の次は土筆がいい

桜さくら指輪は指に飽きたでしょ

きりたんぽいのちあるものさびしがり

決心はゆらぐし柚子は黄色さすし

ねぇあなた嗚呼どうしよう桜咲く

心配に濃淡のあり夕ざくら

偲ぶひと多くて困る青葉かな

生き了るときに春ならこの口紅


 池田澄子さんの俳句魂は今なお、青葉である。

 食が細いと俳句は呟いてったっけ。

 食べて食べて俳句をもっともっともっと創造して欲しい。

 これからも池田澄子さんには、長生きしてもらって池田澄子俳句に唸らせられつつ、私は私らしく丁寧に生きる俳人の姿勢を見習いたい。


【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり21 池田澄子『池田澄子句集』

https://sengohaiku.blogspot.com/2025/01/hanameguri021.html


【読み切り】「青蛙まづは懺悔より頭垂れ」(池田澄子句集『此処』)豊里友行(2020年6月26日金曜日)

https://sengohaiku.blogspot.com/2020/06/139-003.html


【連載】現代評論研究:第26回各論―テーマ:「日」を読む・その他― 藤田踏青、北村虻曳、飯田冬眞、しなだしん、筑紫磐井、北川美美

 ●ー1近木圭之介の句【テーマ:日】/藤田踏青

投稿日:2012年06月15日 


言葉のない日 日没とパンがあれば     注①

 日とは太陽であり時間でもあり特定の一日でもある。掲句では上句で一日を、下句で夕陽を示している。この作句時の平成5年に圭之介は既に81歳になっており、時折り娘さんが世話の為に来る以外は一人で生活している事が多かったようである。日とは日の出から日没までの時間でもあり、誰ひとり訪れる事もない言葉のない一日でもあったろう。しかし日没は必ずその日そのものを閉じてくれるし、老詩人にとっては少しのパンと珈琲があれば充分であったのか、静かな心境である。一字空白は負と正の自意識の転換点でもあり、抽象的な覚知から具体的な覚知へ移行する時間的な空間をも示しているようだ。

 このような晩年の日没、夕陽への静かな眼差しと対比されるのが次の様な句である。

身の内 神経が一本赫ッと夕日す   昭和41年   注②

犬 誰にも呼ばれず赫と落日    昭和54年    々

耳の形が夕日の形が 悪魔を吐く   平成3年

 前二句の赫ツとした夕日や落日には、孤高を持するような燃えあがる反抗心と共に痛々しい側面もみられ、シーンとしての一断面が提示されている。そして三句目の耳の形は夕日の形のように不条理、不定形な感覚の下に自他共の目前に悪魔そのものを見出しているかの如きである。

 日を太陽とした句を見てみよう。

へんに哀しい街だ 人と太陽の匂い   平成4年  注③

混沌の街 位置づけられた太陽     平成11年  注③

果実と太陽の酸味もつ思慕か      平成11年

 これ等の句では、街というものは太陽の下に発酵してゆくと共に、太陽自身も街に位置づけられ相対化された存在になってしまっている。その中に生きている人間は、太陽の匂いと酸味とに包まれて街そのものに貼り付けられた存在のようにも思われる。

 太陽に関しては圭之介に不思議な詩が残されている。


 <パレットナイフ 32>抜        注④

 Ⅳ 三つの太陽 ―――

   二ツ目は動物的反射 今一ツは切り放され

   曖昧な附加物に化したという 咄(はなし)です

 

 Ⅴ 砂が泣いています 笑っているのもいる

   ときに密(ひそ)と話をしているようだから

   いま 海べりに行くのは およし


 漫画「ドラゴンボール」のナメック星では3つの太陽がそれぞれ昇ったり沈んだりするそうであるが、実際に太陽系から149光年離れた惑星では3つの太陽が見えるそうである。

 また、フランツ・シューベルトの連作歌曲「冬の旅」(Winterreise)のストーリーの中でも三つの太陽を見るという幻想の世界があり、わたしもフィッシャー・デイ―スカウのバリトンで聞くのが好きである。そのストーリーでの旅や失恋、疎外感、絶望などを圭之介の三つの太陽に当て嵌めてみると、太陽のもたらす翳り、時間の流れ、目そのものとの反映に行きつくのだが、少々強引過ぎるかも知れない。


注① 「日没とパンがあれば/近木圭之介の伝言」 川島条・編著・発行 平成22年刊

注② 「ケイノスケ句抄」  層雲社   昭和61年刊

注③ 「層雲自由律2000年句集」合同句集  層雲自由律の会  平成12年刊

注④ 「近木圭之介詩画集」 層雲自由律の会  平成17年刊


●―2稲垣きくの【テーマ:流転】四谷左門町時代/土肥あき子

(投稿日:2012年06月29日)

短夜や誰が出てゆきし門のおと

 前書には「四谷左門町に移る」、句集『榧の実』に所収された昭和37年(1962)の作品である。

 昭和37年5月、俳人協会創立時の資料にきくのは名を連ね、その住所は新宿区左門町9-2となっている。

 昭和34年(1959)に開業した四谷三丁目の駅から徒歩3分ほど、外苑東通りから一本奥まった喧噪を離れた静かな住宅街に居を構えた。新宿御苑、神宮外苑に囲まれた地は都心にありながら緑ゆたかで、「療養生活を打ち切って四谷左門町に落ち着く。病後を養うにはまことに恰好の地を得た。」と当時を振り返っている。(昭和48年3月号「俳句」)

 静かな夏の夜、近所の門の音がきくのの耳に届く。閑静な住宅地では、もの音が左右どちらの隣か、あるいは向かいの家からなのかはおよそ分る。だが、そのガチャリという音が「帰ってきた」のではく、「出ていった」と思う心がなにより切ない。きくのにとって門とは、入口であるより、出口であり、閉ざすときの音がことのほかひとりの胸に大きく響いてきたのだろう。

 この年より、きくのは大切な人を失い続ける。

 昭和37年(1962)10月、大場白水郎が死去。

 翌、昭和38年(1963)5月には久保田万太郎死去。

 そして、昭和41年(1966)1月8日、A氏が75歳で死去する。

    さるひとの…

でで虫やどこまでひとのへそまがり

と詠み

   にくきひとの…

言ひ捨ててぷいと出てゆくみぞれかな

と詠んだかのひとである。


「ひとの死ー」の前書がある五句は

先立たる唇きりきりと噛みて寒

残されて梅白き空あすもあるか

ひと亡しと思ふくらしの凍(いて)はじまる

ひと亡くて枯木影おくかのベンチ

ひとの死や薔薇くづれむとして堪ふる

さらに

世のつねの幸は念はず兼好忌

バレンタインデーか中年は傷だらけ

目刺やく恋のねた刃を胸に研ぎ

青饅や情におぼれて足掻く日々

恋畢る二月の日記はたと閉ぢ

と、もがくようにA氏への想いを詠み続ける。

 そして、この別れを振り切るように、あるいは見つめ直すように昭和41年(1966)10月、第二句集『冬濤』を上梓する。

 きくのの住まいのごく近所には鶴屋南北の「四谷怪談」のお岩さんを祀っているという於岩稲荷があった。縁結びとともに縁切りのご利益もあるという。「縁結び」か「縁切り」か。きくのが迷いながら歩いたかもしれない境内には、今も恋に悩む人であふれている。


●―4齋藤玄の句【テーマ:日】/飯田冬眞

(投稿日:2012年06月29日)

明日死ぬ妻が明日の炎天嘆くなり

 昭和41年作。第3句集『玄』(*1)所収。

 不治の病に侵されている妻あるいは夫から「明日死ぬ」と告げられたとしたら、人はどのような行動をとるだろう。


1、「馬鹿」と言って抱きしめる。

2、所用ができたと、席を外してから、泣く。

3、聞こえなかったふりをして、無関係なことを話し始める。

4、相手の興奮が納まるまで、黙って団扇を振り続ける。

5、看護婦を呼びつけ、酒を飲みに行く。


 たぶん、齋藤玄は「4」を選んだのだろう。死と病の不安から〈明日死ぬ〉と取り乱す妻のそばにいなければ、「明日も暑いのかしら」と炎天を嘆くことばを聞けないからだ。

 この句は齋藤玄の最初の妻節子が、昭和40年秋に癌を発病し、翌年夏の葬送までの顛末を克明に描いた連作「クルーケンベルヒ氏腫瘍と妻」193句中の1句。

 自註に玄はこう記す。(*2)

今日も暑かった。明日も暑いだろう。明日をも知れぬ妻の明日のための嘆きは哀れの極みであった。

 さらりと書き流しているが、〈明日死ぬ〉と口にしたのはおそらく妻なのだ。それは病苦にあらがう妻の肉声であったはずだ。そして、投薬の後、激痛が鎮まると、〈明日の炎天〉を嘆いてみせる妻に玄は人の生というものに「あはれ」を感じとったのではないか。それは、妻という対象を凝視することでつかみ得た実感なのである。対象(他者)に共振して自己にひきつけるからこそ、「あはれ」は生まれるのであり、自己に内省するならば、「かなし」に包囲されてしまうのだ。だから「かなし」には無力感がつきまとう。

 癌の妻を詠む「クルーケンベルヒ氏腫瘍と妻」の193句には「あはれ」が満ち満ちている。だが、ただの一句も「かなし」と感じるものはない。

 だからこそ、「冷静というより冷酷である」「人間愛<夫婦愛という意味か>に欠けているためか、読後のあと味の悪いものが残る」などの酷評を盟友であるはずの石川桂郎が知人間の評として、句集の序にあえて記したのだろう。

 だが、発表より44年を経た目でみれば、自己の無力感をさらけだして、他者に甘えることができなかった玄の矜持は、うらやましくもある。なぜなら、昨今の俳句には、あまりにも「かなし」を連呼する俳句が跋扈しているように映るからだ。


*1  第3句集『玄』 昭和46年10月発行 『齋藤玄全句集』 昭和61年 永田書房刊 所載 

*2  自註現代俳句シリーズ・第二期16『斎藤玄集』 昭和53年 俳人協会刊


●―9上田五千石の句【テーマ:日】/しなだしん 

炎帝に召し使はれて肥担ぐ

 第二句集『森林』所収。昭和三十二年作。

 今回のテーマ「日」、つまり太陽だが、五千石に日がさんさんという句はあまりない。広義で「日輪」に近しいものとして「炎帝」のこの句を今回選びだした。

 この句の自註には〈働くことは天に奉仕することだ。額に汗しないものに生きる喜びがない。とはいえ、炎天に肥担ぐものは、むごたらしい〉とある。

     ◆

 私の生まれ育った新潟県柏崎市の村にも、昭和四十年中頃くらいまで、肥溜の野壺があり、近くへゆくとぷーんと匂いがした。肥溜から肥を掬い、天秤棒で担いで畑へ運ぶ姿もよく見かけたものである。私が育ったのは柏崎刈羽原発にほど近い、海べりの砂地の土地。砂地でも育つ、茄子、胡瓜、トマト、西瓜やメロン、枝豆などが畑にあったように記憶している。だが高度経済成長期の裏側で、いつの間にか肥溜や天秤棒はひっそりと消えていった。

     ◆

 「炎帝」は夏の異名として季語になっており、「夏をつかさどる神」と解説されている。

 「炎帝」の辞書にはもうひとつ意味が載っており、(火の徳によって王となったところから)中国古代の伝説上の帝王、神農氏のこと、とある。

 中国の歴史は難しくてよくわかってはいないが、炎帝神農氏は、史記の三皇五帝の、皇帝の一人を指す。もともと南方の夏の季節を司る偶像的な神だったのが、五行思想の三皇の一人である神農と結びついて「炎帝神農氏」と呼ばれるようになり、歴史化されたようである。炎帝神農氏はその名の漢字にもあるように、農耕と、それに伴う薬事を司る神とされており、炎帝が農耕に結びついているのも興味深い。

 掲出句の「召し使はれ」は分かりにくい感じもあるが、この炎帝神農の命令通り働くのは「召し使い」のようであり、奴隷をも連想させる。汗水流して作物を作り、生き伸びようとする人間の姿である。

 炎帝のもとに肥の匂いと汗の匂いがもうもうと蘇ってくるような感じがするのは、子どもの頃の遠い記憶のせいだろうか。

     ◆

 掲出句の景は自註にある通り、労働の極みのような場面ともいえる。第一次産業で働く人々は逞しく、だがどこかで惨たらしい。

 真夏の炎天下、神の召し使いの如く、肥を担ぎ働く人間。今の若い俳人たちは到底理解しがたい情景だろう。


●―10楠本憲吉の句【テーマ:妻と女の間】/筑紫磐井

(投稿日:2012年06月15日)

竹落葉哀しかなしと掃く妻に

春嵐悲しきものに妻の嘘

妻がもたらす湿地茸(しめじ)ひと皿哀しけれ

机拭く妻に悲しみありや無し

 楠本憲吉と妻を結んで出てくる語に意外に「悲し」と言う言葉が多い。もちろん陽気な句もあり、激しい戦争の句もあるが、悲しみの句が目立つのである。

 だから前回触れた、「アイリスや妻の悲しみ国を問わず」という言葉がごく自然に出てくるわけである。ただ、言っておくが何故悲しいかは反省していない。誰が見ても、憲吉のせいで悲しいのだし、憲吉以外のいかなる原因に基づいても妻の悲しみは生まれない。それを押し隠して、健気な妻だけを仕立て上げてしまっている。

 しかし考えてみると、俳句は都合の悪いことを押し隠す芸術であるといえるかも知れない。短歌がまなじりを決して、リアリスティックにその原因を追及するのに、そうしたことを無粋だとして行ってこなかった。俳句は省略の文学とか沈黙の文学とかいう人がいるが、意識的にそれをやれば不誠実な文学であると言ってもいいのではないか。戦争のさなか花鳥諷詠を詠んでいられるのも多少ともそうした心理が原因しているかも知れない。

 そうした意味では、こんな言葉だけの悲しみの句ではなく、むしろ露悪的な俳句にこそ、憲吉の良心が伺えるのである。対比のために上げれば、すでに以前取り上げた、

枝豆は妻のつぶてか妻と酌めば

はなかなかどうして、読めば読むほど立派な作品と思われてくる。こんな俳句を詠んだ作家はおよそ見たことがない。それは俳人も一応平穏に見せかけた家庭を持っているからであり、その実どろどろとした妻との関係がない方が可笑しい、しかしそれを俳句で詠む勇気をみな持っていなかったのだ。

 悲しみの句と違って、この句が格段に優れているところは、悲しみの句が偽り粧われた妻の悲しみを詠んですっかり馬脚を現わしているのに対し、この句は208高地並みの激しい砲弾戦が行われているのにも関わらず、硝煙のあい間に「妻と酌めば」とあるところだ。この妻との関係は、なかなか夫婦でなくてはうかがい知れない機微にわたり、心理の綾があるようである。一体夫婦とは何か、を考えるきっかけにもなる。夫婦だからといって愛が永遠に続くはずがないのである。よし、続くとしてもそれは断続的に続くわけであり、その絶え間絶え間ににあって妻は夫をどのように考え、夫は妻をどのように見ているのか。妻も夫も直視したくない現実を、ひねりとか、諧謔という武器を持っていることを幸い、暴露するのである。俳人としての勇気を高く評価したいと思う。


●―12三橋敏雄の句【テーマ:『眞神』を誤読する】49.50.51/ 北川美美

(投稿日:2012年12月07日)

49.水待ちの村のつぶては村に落ち

 「つぶて(礫)」とは小石のこと。川のつぶてではなく、村のつぶてが村に落ちる。「水待ちの村」というだけで、水乞いをしている村が想像できる。「眞神」の村、誰もいなくなった村を想像する。「なしのつぶて」というように、投げても返ってこない石がそのまま村に落ちたということか。「水待ちの村」はかつて人の往来があり、仕事があり、家族が住み、嫁がきて、子が生まれて累代の繁栄がそこにあった。その「つぶて」を拾う人もなく、石が落ちる音が村に響くようだ。

 「水待ち」が心の枯渇のように感じられる。夏のギラギラとした太陽が刺さるように照りつける村。再び、安部公房の『砂の女』の理科の教師が汗をぬぐっている映像が思い浮かぶ。村という組織。そこにかつていた人々。石が落ちる音が耳に残る。

 木霊でしょうか、いいえだれでも・・・。


50.水赤き捨井を父を継ぎ絶やす

 48.から一句置いて「父」の再登場である。

 「水赤き捨井」を想定してみると、『眞神』の生れた昭和40年代の井戸であれば、鉄サビの赤と想像するのが容易いかもしれない。よって「捨井」となり、今は使われていない井戸として想像する。

 句の後半、井戸と同様に父をも「継ぎ絶やす」とあるのが曲者である。「父」の存在がどういう存在なのかを考えさせられる。

 父が継ぎ絶やされたならば、ここにいる僕(作者)は生まれてこなかった。父を継ぎ絶やし、絶滅できるのは、この僕(作者)かもしれない。生まれたルーツが井戸であるように感じられる。井戸(子宮)の水が「赤い」のは産道を流れる血なのか、この世に生まれていない僕(作者)=「水子」かもしれない。水子の自分が空に浮いているような存在のように思えてくる。

 『眞神』に溺れそうに息ができなくなる。

 しばらく『眞神』から離れ、再度この句に戻ってみても、やはり同じ読みになる。もう溺れているのだから死んでいるのも同じ。読んでいる自分も現世から離れているような気になる。ぐるぐると考える2012の秋である。


51.母を捨て犢鼻褌(たふさぎ)つよくやはらかき

 父の次には母を捨てる。男が母を捨てるというのは、母以外の女性に目覚めたということを意味しているように思える。犢鼻褌(たふさぎ)、は「ふんどし」のことである。「ふんどしの紐を締め直す」などの比喩が思い浮かぶが、言葉がもっている周知された認識をうまく表現に使っている。それが「つよく」である。褌の何が強いのか実のところはわからない。しかし、気持ちが強くやわらかくなっていくことが伝わってくる。

 アンニュイ(物憂い)なエロスが漂う。僕(作者)の息遣いが聞こえてくるようだ。この句を表現するならば、「唾を飲む」という動作が連想できる。その唾を吸う別の異性がいる気配すらある気がする。

 犢鼻褌を「たふさぎ」と読ませるだけでアンダーウエアが雅な道具になる。

 褌を締め直す時期にさしかかる中盤戦。眞神おそろし山険し。