2026年5月29日金曜日

第269号【臨時増刊号】

 次回更新 6/12


BLOG俳句新空間(臨時増刊号)について 筑紫磐井 》読む

【短期連載】シンポジウム「昭和俳句、何が争点?」速報

速報   筑紫磐井 》読む

シンポジウム資料 井上泰至 》読む

 *

【連載】攝津幸彦記念賞応募作品(全国学生俳句会合宿2025評論)
 8 俳句の虚構―西躰かずよし「窓の海光」論―  金光 舞
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【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(70) ふけとしこ 》読む

句集歌集逍遙 依光陽子『ふ、は鳥に』/佐藤りえ 》読む




■新現代評論研究

【短期連載】山根もなか宛私信より(抜粋・編集)樫村晴香(哲学者) 》読む

新現代評論研究(第25回)各論:後藤よしみ、村山恭子 》読む

現代評論研究:第25回各論―テーマ:「虫」を読む・その他― 藤田踏青、北村虻曳、飯田冬眞、岡村知昭、しなだしん、筑紫磐井、北川美美、深谷義紀 》読む

新現代評論研究:『天狼』つれづれ 第9回:「実作者の言葉」…「蘇山人」の読みについて/米田恵子 》読む

現代評論研究:第22回総論・「遷子を通して戦後俳句史を読む」座談会 》読む

【特別稿】口語俳句の可能性・余滴  筑紫磐井 》読む

新現代評論研究:音楽的俳句論 図像編 川崎果連 》読む

新現代評論研究:音楽的俳句論 解説編(第1回)川崎果連 》読む


■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和七年夏興帖
第一(10/10)杉山久子・辻村麻乃
第二(10/24)仙田洋子・豊里友行・山本敏倖・水岩瞳
第三(10/31)仲寒蟬・ふけとしこ・浅沼 璞
第四(11/21)岸本尚毅・小野裕三・瀬戸優理子
第五(12/12)冨岡和秀・堀本吟・木村オサム
第六(12/26)神谷波・川崎果連・加藤知子・曾根毅・松下カロ
第七(1/9)渡邉美保・小林かんな・田中葉月
第八(1/16)眞矢ひろみ・小沢麻結・花尻万博・林雅樹
第九(1/30)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子

令和七年秋興帖
第一(10/31)杉山久子・辻村麻乃・仙田洋子
第二(11/21)豊里友行・山本敏倖・仲寒蟬
第三(12/12)ふけとしこ・岸本尚毅・瀬戸優理子
第四(12/26)冨岡和秀・堀本吟・木村オサム
第五(1/9)神谷波・川崎果連・曾根毅
第六(1/16)渡邉美保・小林かんな・田中葉月・小野裕三
第七(1/30)眞矢ひろみ・小沢麻結・花尻万博・林雅樹
第八(2/13)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

俳句新空間第21号 発行※NEW!

■連載

英国Haiku便り[in Japan](62) 小野裕三 》読む

【豊里友行句集『赤ん坊オーケストラ』を読みたい】2 「軍靴の雨音の清真な響き」 石原昌光 》読む

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり50 大城あつこ『針突』 》読む

【新連載】俳壇観測279 ユネスコ登録の進め方4 有馬氏とマーティン氏の論点[1](誰も言っていないこと)  筑紫磐井 》読む

【新連載】名俳句鑑賞へのラブレター『岡田史乃の百句』(辻村麻乃) 豊里友行 》読む

【豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい】
 インデックス
9 「希望」のバトン  宮崎斗士 》読む

【新連載】口語俳句の可能性について・6 金光 舞  》読む

【加藤知子句集『情死一擲』を読みたい】④ 破局有情――加藤知子句集『情死一擲』について 関悦史 》読む

現代俳句協会評論教室・フォローアップ研究会 7 筑紫磐井 》読む

【連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句

 7.梅若忌 筑紫磐井 》読む

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】③ 豊里友行句集『母よ』より 小松風写 選句 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む

インデックス

およそ日刊俳句新空間 》読む

5月の執筆者(渡邉美保)…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々 …



■Recent entries

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス

葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子

BLOG俳句新空間(臨時増刊号)について

 「【新連載】口語俳句の可能性について」(金光 舞)は暫く連載が中断していたが、今回、満を持して長編論文が届いた。総字数2万5千字の大長編であり、今までの連載の延長でもなく独立した編となっている。現在連載している「攝津幸彦記念賞応募作品(全国学生俳句会合宿2025評論)」はちょうど金光氏の評論を取り上げるところであったので、膨大な長編が重なるのを避けるため、本号は「BLOG俳句新空間(臨時増刊号)」としてアップさせていただいた。

 今まで掲載させていただいていた、連載記事は次号に掲載させて頂くこことしたい。


 なお、4月30日(木)江東区芭蕉記念館でおこなわれた、現代俳句協会・日本伝統俳句協会共催シンポジウム「昭和俳句、何が争点?」の井上泰至(伝統俳句協会会長)氏の資料の転載の許可を頂いたので本号に掲載させていただいた。このシンポジウムの動画については両協会でオンデマンド配信が考えられているようなのでその時に参考としてご覧になっていただきたい。

 

筑紫磐井


【短期連載】シンポジウム「昭和俳句、何が争点?」速報  井上泰至

現代俳句協会・日本伝統俳句協会共催シンポジウム「昭和俳句、何が争点?」


日時:2026年4月30日(木)江東区芭蕉記念館で、

参加者:報告者:井上泰至(伝統俳句協会会長)、筑紫磐井(現代俳句協会副会長)

コメンテーター:岸本尚毅(俳人協会理事)、後藤章(現俳専務理事)、堀田季何(現俳常務理事)


シンポジウムの内容:

第1部「昭和20年代、ふたつの現代俳句―山口誓子vs石田波郷・山本健吉」、

第2部「昭和30年代、現代俳句の分裂と俳壇の動向―金子兜太vs角川源義」


経緯:

 第1部・第2部を通じて、井上・筑紫が資料を使って報告、これに対してコメンテーターから発言があった。第2部の最後では、筑紫から「未来俳句宣言」の提案が行われ、最後は会場の数人と質疑が行われた。

 以下井上の使用した資料を示す。


資料1 昭和俳句関係年表

昭和二年  高浜虚子、花鳥諷詠を提唱(大阪毎日新聞社講演)。

昭和六年  水原秋櫻子、「ホトトギス」を脱退。

昭和八年  小林秀雄ら「文學界」創刊。

昭和九年  改造社「俳句研究」創刊(編集、山本健吉)。

昭和一二年 ※日中戦争勃発。

昭和一四年 人間探求派結成(「俳句研究」)。

昭和一五年 京大俳句事件。

昭和一六年 ※太平洋戦争開戦。

昭和一七年 大日本文学報国会発足(菊地寛・久米正雄・高浜虚子)。

昭和二〇年 ※終戦。

昭和二一年 桑原武夫「第二芸術」(「世界」)。

      山本健吉「挨拶と滑稽」(「批評」)。

      小林秀雄『無常といふ事』(創元社)。

昭和二二年 現代俳句協会発足。

昭和二三年 山口誓子「天狼」創刊。

昭和二四年 ※中華人民共和国成立。

昭和二六年 山本健吉「純粋俳句」(「馬酔木」編集長、石田波郷)、『現代俳句』上巻。

      ※サンフランシスコ講和条約。

昭和二七年 角川源義「俳句」誌創刊、昭和文学全集大ヒット。

昭和二八年 「「俳句と社会性」の吟味」特集(「俳句」)

昭和三〇年 ※五十五年体制。

昭和三四年 高浜虚子没。

昭和三六年 俳人協会発足。

昭和四九年 山本健吉、「「軽み」の論」(「すばる」)。

      金子兜太『種田山頭火 漂泊の俳人』(講談社現代新書)

昭和五〇年 角川源義没。

昭和五一年 俳句文学館落成。

昭和六二年 金子兜太、朝日新聞俳句欄選者に。

日本伝統俳句協会発足。

昭和六三年 山本健吉没。


資料2 誓子vs波郷・健吉、虚子派と東大俳句会

井上『俳句の伝統―虚子と健吉』(KADOKAWA 二〇二六年)8頁

 試みに現代俳句協会が出来たとき、どのあたりを「現代俳句」の始発と考えていたか確認してみると、それは山口誓子を起源とする、というのが共通認識であったようだ。俳句史を眺めてみても、最初に「現代俳句」の名を、明確な意識を以て冠した書物は、東京三(秋元不死男)の『現代俳句の出発』(昭和十四年)だった。序文は当の誓子が書いている。当時新興俳句の旗手であった誓子の句を題材にして、多角的に分析してみせたものである。

 ただし、「現代俳句」は誓子を起点として出発した、と断言したのでは、素朴に過ぎる。誓子のエッセイに「分離」という、およそ詩的でないタイトルの興味深い内幕を明かした一文がある(『春夏秋冬』昭和二十六年)。誓子が、タッグを組んでいた水原秋櫻子の「馬酔木」から「分離」するきっかけを作ったのは、友人から聞いた石田波郷の発言であったことを明かし、仕掛けた波郷が「馬酔木」の編集長にちゃっかり収まったことを皮肉交りに語っているのだ。

 昭和の俳句史は、水原秋桜子が虚子の膝下から飛び出し、これに山口誓子が加わった「分離」と「糾合」から始まったことは常識の部類に属する。しかし、秋桜子と誓子の俳句世界は、誰の眼にも異質で、そこに「分離」の芽はあった。二人が「馬酔木」で一緒にやっていることの問題は、早くから指摘がある。昭和十四年七月の「俳句研究」の座談会「俳句さまざま」のメンバーは、虚子派の大番頭富安風生五十四歳、同じく虚子派のインテリで4S(素十・秋桜子・青畝・誓子)の名付け親山口青邨四十七歳、虚子の懐から飛び出した青邨と同い年の水原秋桜子、それに作家の久保田万太郎五十歳である。

 自由な立場の万太郎は、秋桜子と誓子が、俳人としての「鉱脈」「本質」の点で異なり、にもかかわらず「馬酔木」の二枚看板をやっているのはおかしい、と秋桜子本人に迫る。もともと東大俳句会の仲間だった風生と青邨は、秋桜子・誓子両雄並んで「馬酔木」を大きくしている、と秋桜子の弁護に回る。

 秋櫻子は、風生と青邨も作家として違うではないかと切り返すが、万太郎はこれを否定する。美の世界の理想を追う秋桜子と、モダンで現実の残酷さに目を背けない誓子とは、決定的に異なる、というわけである。それでも、誓子は秋桜子と決別しなかった。ようやく戦中戦後、三重県に疎開した折、波郷は誓子の友人に対して、異質な秋桜子と誓子は、むしろ「分離」して、互いに火花を散らすことでこそ、芸術上の進歩があると熱弁、その友人が疎開先の誓子にこれを伝え、これを受けて誓子は「天狼」を創刊して、「馬酔木」から出ることになったらしい。

 ところが「厳正中立」な「観戦外国武官」だったはずの波郷は、時を同じくして「馬酔木」の編集長に収まってしまう。全てが波郷の仕掛けがどうかは今確認すべくもないが、誓子の立場から見れば、これはしてやられたと書きたくもなるだろう。というのも「馬酔木」の編集長になった波郷は、親友の山本健吉に「挨拶と滑稽」の続きの位置づけで「純粋俳句」(昭和二十六年)を書かせて、誓子を中心に出発した新興俳句を攻撃しだすのだった。

 健吉の名著として今も定評のある『現代俳句』は、誓子を冷ややかに評し、「天狼」系の俳人にはさらに厳しい言辞を連ねている。その一方で、波郷は最大の賛辞を受けている。誓子からすれば、芸術上必要な「分離」であったもののはずが、実は生々しい党派形成の延長線上にあったことを感じざるを得ない。

 俳壇上の「分離」も「糾合」も、きれいごとではすまない生々しさがあって、それが俳句史のダイナミズムというものなのだ。


資料3 源義・龍太・澄雄vs兜太

井上『俳句の伝統―虚子と健吉』(KADOKAWA 二〇二六年)250頁


 昭和四十年代後半は、既に虚子復権の狼煙が上がっていた。「俳句」誌昭和四十八年一月号の「座談会 同じ世代の側から―伝統と前衛」(飯田龍太・角川源義・金子兜太・森澄雄)で角川はこう斬り込んでいる。

 私が雑誌「俳句」を始めたとき、富安風生さんが「反ホトトギスでいくんですか」と聞く。びつくりして、「どうしてですか」と逆に聞くと、昔改造社でやつていたときの「俳句研究」は反ホトトギスで成り立つんだと。で、こんども反ホトトギスでいくのか、といわれるわけなんだ。ところが戦後の俳壇というのは、反ホトトギスが必ずしも旗印でなくなつてきていることが一つの特徴だと思うんだ。金子みたいな勢い盛んな人が出てきて、(笑)そつちのほうがお盛んになつちやつてね。将来、花鳥諷詠というのはどういうのか判らなくなつて、これは無形文化財で保存しておかんと、よき時代のよき俳句のやり方というのはわからない、という時期が来るかもしれない。キミ(金子兜太―井上注)はいまむきになつて虚子はどうのこうのというが戦前の俳人たちが同じようにムキになつていた。今はもうその時期は過ぎているんだ。

 源義が亡くなる二年前、虚子の再評価をぶち上げ、伝統俳句に傾いた『現代俳句大系』シリーズを刊行していた時の座談会での発言である。これによると、源義から仕掛けた俳人協会の創設や俳句文学館の建設は、前衛俳句への対抗の意味合いが濃いと確認できる。風生の養女遠藤風琴の証言によると、東大俳句会以来の盟友風生が亡くなった時、かけつけた秋櫻子は心臓が悪く、それでもわざわざゆっくり階段を上がって、最後の対面をしたという(「花鳥諷詠」令和六年正月号座談会)。


 「俳句」の座談会では、源義と歩調を合わせ、「花鳥諷詠」を再評価していく森澄雄が、こう発言してもいる。

虚子をずつと過小評価してきたのは、虚子以後の俳句運動が全部一種の反虚子的啓蒙運動なんだ。その啓蒙運動のために虚子を蔑視してきたわけだよ。だけどもうこの時期にきて、正当に評価していく必要があるな、おまえさん(金子兜太―司会注)もいままで啓蒙主義でやつてきたわけだ。

 兜太の前衛俳句の運動に明らかな陰りが確認できた昭和四十年代、源義を勧進元として、龍太・澄雄、それにこの三人の同志である山本健吉らの一連の動きは、虚子再評価の一点で歩調があっている。湘子もその流れに乗ったと言えよう。前節で指摘したように、そもそも反

虚子のご本尊の秋桜子自体が、若手への指導では、「ホトトギス」時代への本卦帰りを、半ば認めてしまっていたほどなのである。源義の盟友となっていた風生が、『現代俳句大系』の編集を振り返って、俳句は「芸」の面があると主張したのとも符牒が合う。




俳句の虚構―西躰かずよし「窓の海光」論―  金光 舞

 一、はじめに

二、西躰かずよしの略歴

三、先行研究概観

四、虚構性の定義

五、構造における虚構性

 五―一、空の描写 

 五―二、児の描写 

 五―三、私の描写

 五―四、構造における虚構性とは

六、口語表現における虚構性

 六―一、分析 

 六―二、読み取り

  六―二―一、消失の口語   

  六―二―二、吊られた空間

  六―二―三、遺棄された身体 

  六―二―四、無言化される口語

  六―二―五、災厄化する自然 

  六―二―六、状態化される死

  六―二―七、主体喪失の動詞 

  六―二―八、継続する未完了

  六―二―九、方向だけが残る 

  六―二―一〇、変成の動詞

七、結論


一、はじめに

 私小説に関する新書を読んだ。安藤宏(二〇二三:一八二―三)は、「『私をつくる』近代小説の試み」で「『事実』の『報告』を前提に出発するからこそ、逆に作者は『いかにも事実に見えるウソ』を表現することができ」、「虚構とは、こうしたダブルバインド(二重拘束状態)を仕掛けていく技術の謂にほかならない」。「『私小説』の虚構性を問題にするためには、こうした仕掛けそのものを読み解いていく視点が不可欠なわけで、その意味でも『私小説』の『私』とは、あくまでもよそおわれ、演じられた『私』なのである」と述べる。この視点は私小説に限った話ではなく、とりわけ作者の〈私〉が強く意識される俳句表現においても大きく関わる視座であるように思われた。この指摘を西躰かずよしによる句集、『窓の海光』に照らし合わせ、西躰の句における虚構性を考える。


二、西躰かずよしの略歴

 一九七二(昭和四七)年、京都府福知山市に生まれる。現在「鬣TATEGAMI」同人。『窓の海光』発行時は京都府舞鶴市に在住しており、『窓の海光』は五〇〇部限定で発行される。掲載句は二〇〇五年から二〇一六年にかけて『鬣TATEGAMI』に発表された作品が殆どを占める。


三、先行研究概観

 西躰かずよし『窓の海光』には句集巻末に「季刊・俳句誌『鬣』TATEGAMI」発行人の林桂による解説が付されている。林(二〇一七:一〇二)は、『窓の海光』にて


〈西躰かずよし〉と肉体の西躰かずよしがどのような関係にあるのか、本当のところはわからない。放哉や山頭火や顕信がそれぞれ一人の『境涯』像を結ぶとするならば、『窓の海光』の〈西躰かずよし〉は、複数の像を結びそうでもある。時に少年の像を結んでしまいそうでもある。作者は、〈西躰かずよし〉の『境涯』を差し出す一方で、西躰かずよしの肉体を隠蔽する。もちろん、〈西躰かずよし〉のためにである。つまり、〈西躰かずよし〉は、多分に仮構された『境涯』の名前である。そのために肉体は不要な存在である


と指摘し、ここでは俳句における作者像が、事実的な自己告白ではなく、表現上の操作によって成立するものであることが示唆されている。このような肉体の隠蔽や作者像の仮構をめぐる問題は、西躰かずよしの句集に特有の現象にとどまらず、近年の現代俳句全体においても注目されつつある。例えば、小川楓子(二〇二五:一四)は『不透明な時代の透明で不透明な体(現代俳句)』で、「三十代以下の現代俳句の潮流にレトリックの多用や透明化する身体という特徴があ」り、「現実と非現実の曖昧な作品は増え続け、レトリックは益々凝らされてゆく」と述べる。これらの先行研究は、俳句において作者の〈私〉や身体が自明なものとして提示されるのではなく、虚構的に構築され得るものであることを示している。しかしながら、こうした作者像の仮構性を、具体的な作品表現の読解を通して虚構の技術として捉え直す試みは十分に行われているとは言い難い。

 先行研究では、西躰かずよしの句において、作者の肉体が後景化し、複数の〈境涯〉像が仮構されている点が指摘されてきた。しかし、それらの指摘は主として作家像や時代的傾向の把握にとどまり、虚構がどのような表現上の技術・仕掛けとして句の内部に組み込まれているのかについては、十分に検討されていない。本稿は、安藤宏の虚構論を手がかりに、西躰の俳句における〈私〉を、演じられた存在として捉え直し、その虚構性がいかに句の表現構造を支えているのかを具体的に考察するものである。


四、虚構性の定義

 本稿において、俳句に虚構性があるとする時の定義を考える。浅川芳直(二〇二〇:一九六―七)は、『俳句と虚構(俳壇)』で、「短詩という俳句の性質上、その基準は、内容上のリアリティが欠けている場合を除きテクスト上には存在しない」としたうえで、「ある句が虚構かどうかを解釈するには『作者の意図』を考慮するほかない」と述べる。さらに、作者の意図について「『作者の本当の意図を探るのが俳句の読みではないが、解釈手続きの根幹には作者の意図への考慮がある』と改訂すればよ」く、「作者の創作態度、内容の問題から要請されない限り、遠く虚構の世界からわざわざ作中主体を召喚する必要性もまたない」と指摘する。

 以上の浅川の議論を踏まえ、本稿では俳句における虚構性を、事実か否かという内容上の問題ではなく、作者がどのような意図や創作態度のもとで〈私〉や情景を構成しているかという、表現上の在り方として捉える。すなわち、本稿でいう虚構性とは、現実の再現ではなく、作者によって意識的に組み立てられた〈私〉や世界が、句の中に立ち現れていることを指す。


五、構造における虚構性

五―一、空の描写 


夜、置き去りの月がある

空のかんざしとなって昼の月

冬空に架ける放射線の昼

空がつめたい火事となっている

しずかな空に縊死がある

空の向こうに無言の手紙届く

月光につめたい胎児を入れる

呼ブ声ヲ遺シテ行ク冬ノ空


 『窓の海光』では、空の描写を内包する句が多数収録されている。しかし、これらの句に描かれている空は、実際の風景をそのまま写し取ったものとは言い難い。〈夜、置き去りの月がある〉や〈空のかんざしとなって昼の月〉では、月が「置き去り」にされたり、「かんざし」になったりしており、現実の空の描写というよりも、作者の感じた心象が強く反映されている。ここでいう空や月は、目に見える事実としての自然ではなく、意味を帯びた存在として表現されている。

 また、〈空がつめたい火事となっている〉〈しずかな空に縊死がある〉では、空という本来無機質で広がりのある存在に、火事や死といった強いイメージが結びつけられている。現実の空が火事になることや、縊死が存在することはありえないが、それでもこれらの句は読者に強い実感を与える。これは、作者が事実を語ろうとしているのではなく、空というイメージの中に、感情や観念を重ね合わせて表現している為であると考えられる。

 さらに、〈月光につめたい胎児を入れる〉〈空の向こうに無言の手紙届く〉では、空や月光が、何かを包み込んだり、伝えたりする媒体として描かれる。ここに現れる〈私〉は、自分の体験をそのまま語る存在としてより、世界をこうした形で見てしまう視点として、句の中に置かれているように思われる。この点において、句の中の〈私〉は、作者自身と完全に重なるものではなく、表現のために構成された存在であると言える。

 以上のように、『窓の海光』における空の描写は、現実の風景を写実的に再現するものではなく、作者の意図や表現上の操作によって成り立っている。そのため、これらの句に見られる虚構性とは、事実ではないことを語っているという意味ではなく、〈私〉の感じ方や世界の捉え方が、空というイメージを通して意識的に組み立てられている点にあると考えられる。


五―二、児の描写 


向日葵の夜駆け抜けて少女逝く

忘れ物取りに行く児が雪を数える

海の色に会いに行く父子

冷たい昼のこす児等のアリア

夜間飛行にそよぐ麦畑の少年

亡クシタ児ト食事シテイル

夜を拾う孤児に薄荷の匂い

遺児のため二月の詩集燃やす


 『窓の海光』には児をモチーフにした句も多い。だが、これらの句に登場する児もまた、実在の子どもをそのまま写した存在というよりも、どこか現実からずれた、不安定な像として描かれている。〈向日葵の夜駆け抜けて少女逝く〉では、生命力の象徴である向日葵と、少女の死という出来事が結びつけられており、現実の時間や因果関係から離れた印象を受ける。ここに描かれる少女は、具体的な一人の人物というよりも、象徴的な存在として句の中に置かれているように思われる。

 また、〈忘れ物取りに行く児が雪を数える〉や〈夜間飛行にそよぐ麦畑の少年〉は、児の行動が現実的である一方で、その行為が置かれている状況はどこかフィクション的である。忘れ物を取りに行きながら雪を数えることや、夜間飛行と麦畑が同時に現れる場面は、現実には起こりにくい。ここでは、児は物語の主体というよりも、作者の見ている世界のあり方を映し出す存在として機能していると考えられる。

 さらに、〈亡クシタ児ト食事シテイル〉や〈夜を拾う孤児に薄荷の匂い〉〈遺児のため二月の詩集燃やす〉では、死んだ児や孤児、遺児といった存在が、ごく自然に日常の行為や感覚と結びつけられている。死者と食事をすることや、夜を拾うという行為は現実にはありえないが、これらの句は幻想的でありながら、どこか静かな現実感を孕んでいる。この現実感は、事実の再現によるものではなく、作者が意識的に構築した世界によって生まれているものだと考えられる。

 このように、『窓の海光』における「児」は、作者の実体験に基づく人物像として描かれているのではなく、喪失や記憶、感情といった抽象的なものを表すために置かれた存在である。そのため、ここに見られる虚構性とは、子どもが実在するかどうかという問題ではなく、児という像が、表現のために作り出された役割を担っている点にあると言える。句の中の〈私〉もまた、こうした児の像を通して世界を見つめる視点として構成されており、そこに『窓の海光』独自の虚構性が表れている。


五―三、〈私〉の描写


白蝶の夜を殺めるドアの音

さびしさで汚れた両手を洗う

私の真ん中に雪が降っている

昼のつきあたりに立っている

夜の台所にクレヨンを折る

死者ニ置ク向日葵ノ束

銀紙で空のかたちをつくる午後

名前をなぞると甘夏の匂い


 最後に、『窓の海光』における〈私〉について考える。これらの句には、「私」という語が直接用いられているものもあれば、明示されていなくても、誰かの視点が強く感じられるものが多い。ここに現れる〈私〉は、自分の体験をそのまま語る語り手というよりも、世界をこうした形で見てしまう存在として句の中に置かれているように思われる。

 〈私の真ん中に雪が降っている〉では、雪という自然現象が、身体の内側に降るものとして描かれている。現実には起こりえない表現であるが、違和感よりも静かな実感が先に立つ。この〈私〉は、事実を説明する主体ではなく、内面の状態を雪というイメージに置き換えて示すために構成された存在だと考えられる。

 〈さびしさで汚れた両手を洗う〉や〈名前をなぞると甘夏の匂い〉では、感情や記憶が、手触りや匂いといった感覚的なイメージとして表現されている。ここでも〈私〉は、自分の気持ちを直接語るのではなく、感覚を通して間接的に示す役割を担っている。このような〈私〉のあり方は、作者自身の告白というよりも、表現のために作られた視点として理解する方が自然である。

 さらに、〈白蝶の夜を殺めるドアの音〉や〈死者ニ置ク向日葵ノ束〉といった句では、〈私〉の存在は前面には出てこないものの、出来事をそのように捉える視線が確かに感じられる。夜を殺める音や、死者に向けて花を置く行為は、事実の描写というよりも、世界を象徴的に切り取る視点によって成り立っている。ここにある〈私〉は、行為の主体としてよりも、意味を与える存在として句の背後に立っていると言える。

 前述より、『窓の海光』における〈私〉は、作者の実在と重なる固定された人格ではなく、感情や記憶、死や孤独といったものを表現するために、その都度立ち上がる存在である。そのため、本稿でいう虚構性とは、〈私〉が嘘を語っているということではなく、〈私〉そのものが、表現の必要に応じて演じられ、構成された存在であるという点にある。〈私〉は現実の作者を直接指すのではなく、句の中で世界を成立させるための装置として機能しているのである。


五―四、構造における虚構性とは

 「五、構造における虚構性」では、安藤宏の虚構論を手がかりに、西躰かずよし『窓の海光』における虚構性について考察してきた。先行研究では、西躰の俳句において作者の肉体が後景化し、複数の〈境涯〉像が仮構されている点が指摘されてきたが、本稿では、それらを踏まえつつ、虚構を句の内部に組み込まれた表現上の技術として捉え直した。

 まず、空の描写においては、現実の風景を写実的に再現するのではなく、感情や観念が重ね合わされた空が描かれていることを確認した。ここでの空は、自然そのものというよりも、〈私〉の感じ方や世界の捉え方を映し出す装置として機能しており、その点に虚構性が見られる。

 次に、児の描写に注目すると、少女や少年、孤児や遺児といった存在は、実在の人物として描かれているというよりも、喪失や死、記憶といった抽象的なものを表す象徴的な存在として配置されていた。これらの児の像もまた、作者の体験をそのまま語るためのものではなく表現のために構成されたものであり、虚構的な役割を担っていると考えられる。

 さらに、〈私〉の描写においては、「私」という語が用いられている場合でも、その〈私〉は現実の作者と直接重なる存在ではなく、感情や記憶を表現するために、その都度立ち上がる視点として句の中に置かれていることを論じた。〈私〉は告白の主体ではなく、世界を成立させるための表現上の装置であり、ここに『窓の海光』の虚構性が端的に現れているといえる。

 以上の考察から、『窓の海光』における構造の虚構性とは、事実ではないことを語ることではなく、〈私〉や情景を、作者の意図や創作態度によって意識的に組み立てることにあると結論づけられる。ただし、これらの句がどこまで作者自身の経験と結びついているのか、また虚構と実感の境界がどこにあるのかについては、本稿では十分に明らかにすることができなかった。今後は、他の句集との比較や、同時代の俳句との関係を通して、さらに検討していく必要があるだろう。


六、口語表現における虚構性

六―一、分析

 「窓の海光」を整理すると、Ⅰ(二八句)、Ⅱ(二〇句)、Ⅲ(四〇句)、Ⅳ(三五句)、Ⅴ(四〇句)の全てを口語で構成している。六、口語表現における虚構性では各口語表現のもたらす効果について考える。


六―二、読み取り

六―二―一、消失の口語

 最初に、「いなくなる」「遺される」「置き去り」といった、主体のフェードアウトを示す日常的かつ平明な言葉遣いが、いかにして世界に強烈な不在の気配を刻みつけているのか。その変奏を三つのアプローチから分析し、本句群が到達した静謐な詩学的意味を明らかにする。まず注目すべきは、主体の身体そのものはすでに画面から消去され、日常空間に微かな視覚・聴覚・嗅覚の残響だけが「痕跡」として遺されている表現群である。


風しみるポストに残る靴音

海の色褪せて少年の匂いのこす

クレゾールの匂いのこす椅子

鉄格子の匂いのこる空

レンズを汚す手がのこる


 これらの句において、「残る」「のこす」という口語の動詞は、かつてそこに誰かがいたという事実を、きわめて淡々と報告する役割を果たしている。「ポスト」「椅子」「レンズ」というあまりに日常的な物質を媒介にすることで、「靴音」という聴覚の残響や、「匂い」という嗅覚の痕跡、さらにはレンズの「汚れ」という行為の跡だけが、事後的にクローズアップされる。

 ここには主体の叫びもドラマもない。口語が持つ説明的な平明さが、かえって「通り過ぎていった者」の決定的な不在を際立たせ、読者に取り残された世界の虚しさを生々しく伝えている。


 次に、事態をただ客観的に同定・記述するだけの「〜がある」「〜ている」「〜を置く」という平易な構文が、逆説的に主体の消失を突きつける表現群である。


夜、置き去りの月がある

まぶしい声の背中だけある

夜にもたれている椅子がある

名前忘れている歯ブラシ

空のはじめに片方の靴を置く

昼のつきあたりに立っている

しろい病院の庭に来ている


 ここでは、「夜、置き去りの月がある」に象徴されるように、主語を欠いたまま「ただ、そこにそれがある(いる)」という事実のみが提示される。「まぶしい声の背中だけある」に見られるような、顔や全体像(=人格や主体)を奪われ、後ろ姿という不完全な輪郭だけが世界に置き去りにされている恐怖。あるいは、「名前忘れている歯ブラシ」のように、持ち主のアイデンティティそのものが日常の道具から消えかけているフェードアウトの様相が、淡々と記述される。「片方の靴を置く」という失踪や死を強烈に予感させる行為や、「立っている」「来ている」というどこか浮遊感のある状態描写は、ドラマチックな感傷を注意深く排除している。その即物的なフレームワークこそが、本来そこにあるべきはずの空白を、より深く穿っているのではないだろうか。

 そして、主体やそのよすがが、現実の境界線を越えて世界そのものへと同化し、消滅していくプロセスを報告する表現群である。


五月に溶ける少女の楽譜

呼ブ声ヲ遺シテ行ク冬ノ空

空の向こうに無言の手紙届く

遮断機の向こうの空にゆく

咳止マズ、夜ノ一部トナル

剃刀の匂いの昼が消失する

冬の匂い消え映写機廻る


 ここでは、消失は一瞬の断絶ではなく、世界という背景へのなだらかな「融解」として描かれる。少女の存在のよすがである「楽譜」が季節に溶ける姿や、肉体の苦痛としての咳の果てに「夜ノ一部トナル」というカタカナ混じりの冷徹な報告は、主体が世界からフェードアウトし、背景そのものへと変貌していく死のプロセスそのものである。

 「空にゆく」「手紙届く」といった平易な言い回しや、「消失する」「消え」という直接的な語彙は、映画のカメラが次のカットへと静かに切り替わるかのような冷徹さを持つ。劇的な感傷に溺れることなく、世界の変転として消失を処理するからこそ、その余白には逃れがたい寂寥感が立ち込めることになる。

 句群「窓の海光」における〈消失の口語〉は、死や別離を特権的な悲劇として祭り上げることを拒絶する。作者が用いる「〜がある」「〜のこす」「〜となる」といった日常の平明な言葉のフレームは、世界の側に残された者たちの視線そのものである。

 主体が世界から静かにフェードアウトした後に残される、微かな匂い、靴音、そして無言の空間。それらをただ淡々と指し示す口語の平明さこそが、読者の胸に、叫び声よりもなお深く、生々しい不在の痛みを響かせ続けている。


六―二―二、吊られた空間

 「窓の海光」を読み解くうえで、〈消失の口語〉と双璧をなす重要な空間構造が、この〈吊られた空間〉である。ここで描かれる「空」や「冬空」、「上方」といった領域は、決して人間を包み込む大らかな自然の背景ではない。それは、時に身体を緊縛し、時に重力を狂わせる、冷徹な「吊るす装置(ギミック)」として機能している。特筆すべきは、本来なら抽象的なイメージや心理的メタファーにとどまるはずの比喩が、平明な口語によって具体的な物理空間として表出している点である。本論では、この空間の垂直性と物質化のメカニズムについて、句群から抽出した作品を基に三つの視点から考察する。

 まず、空という実体のないはずの領域が、手触りのある物質や、何かを固定・懸垂するための面として立ち現れる表現群である。


しずかな空に縊死がある

空のかんざしとなつて昼の月

銀紙で空のかたちをつくる午後

セロテープ五月の空をくっつける


 もっとも象徴的なのは「しずかな空に縊死がある」だろう。縊死(首吊り)という極限の死のあり方が、空という空間に「ある」と即物的に同定されている。ここでは、空そのものが肉体を吊り下げる装置として機能している。

 また、昼の月を「空のかんざし」と見立てる視線や、「銀紙でかたちをつくる」「セロテープでくっつける」という行為は、空を加工可能な「物質」として扱っている。比喩が頭の中のイメージにとどまらず、三次元の物理的な手触りを持って空間化されることで、読者は上方に存在する不穏な「硬さ」を感知することになる。

次に、「吊るす」「架ける」といった動詞や、浮遊と落下のダイナミズムを通じて、空間の垂直軸を際立たせる表現群である。


夜に吊られた時計ある

冬空に架ける放物線の昼

屋上にブランコひとつ

夜間飛行にそよぐ麦畑の少年


 「夜に吊られた時計ある」は、本テーマを最も直接的に体現した句である。暗闇のなかに宙吊りにされた時計は、時間の経過そのものが垂直方向への緊張感(いつ紐が切れるか分からないサスペンス)を孕んでいることを示す。また、「冬空に架ける放物線」という表現は、何かが上方へ投げ上げられ、頂点で一瞬だけ「宙吊り」になり、やがて落下していく重力の軌跡を視覚化している。「屋上のブランコ」や「夜間飛行」も同様に、地面という絶対的な足場から切り離され、上方の虚空へと引き上げられた存在の危うさ(浮遊感)を暗示する。

 最後に、主体が上方へとアプローチし、あるいは本来足場のないはずの上空に接触する、身体性の変容を捉えた表現群である。


理由のない昼に背がとどく

何時カ空ニ届ク指

空のはじめに片方の靴を置く


 「背がとどく」「空に届く指」という描写は、日常の口語でありながら極めて異様な空間認識を提示している。本来なら無限に遠いはずの「昼」や「空」に対して、人間の身体が異常に延伸して接触している、あるいは空間の天井が不自然に低くなって身体を圧迫しているような感覚を与える。

 極めつけは「空のはじめに片方の靴を置く」である。上空の、まさに空間が始まる境界線に、あろうことか「靴を置く」という、本来ならあり得ない物理的接地が行われている。これは、主体がすでに重力を失って上方に浮遊しているか、あるいは空という装置に完全に「囚われ、固定されている」ことの領収にほかならない。

 「窓の海光」における〈吊られた空間〉は、生を根底から揺さぶる重力の檻であるように思われる。作者が提示する空や上方世界は、精神的な解放区ではなく、むしろ縊死のロープやブランコの鎖、放物線の軌跡によって、生や死が「宙吊り」にされる緊迫した現場なのだ。

 日常的で平明な口語が、この狂った物理空間をあたかも最初からそうであったかのように淡々と報告するとき、私たちは天を仰いだまま身動きが取れなくなるような、静かな眩暈を経験する。


六―二―三、遺棄された身体

 「窓の海光」において、死や生、そしてそれに付随するシンボル(胎児、月、子供、死体)は、決して情緒的な悲哀のなかで温められることはない。ここで執拗に繰り返されるのは、本来ならば最もいたわられ、保護されるべき聖なる対象が、あたかも無機質な物品のように扱われ、処理されていく手続きである。ここで駆動するのが、〈遺棄される身体〉という空間フレームである。作者は「入れる」「置く」「埋める」といった日常的かつ事務的な動詞を動員し、それらの対象を淡々とパッキングし、配置し、あるいは放置していく。本論では、この口語の事務的な運びがもたらす乾いた暴力性とそれが生み出す独自の虚構性について考察する。

 まず、本来は形を持たない概念や、厳粛に扱われるべき生命の骸が、日常のチープな容器へと事もなげに「収納」されていく表現群である。


月光につめたい胎児を入れる

靴下に真昼の死を入れる

行間に死んだ児を埋める

洗面器にかなしみ入れる

鍵盤に夜の雨音つめたい


 「月光につめたい胎児を入れる」「靴下に真昼の死を入れる」という表現において、胎児や死という特権的な重みを持つ存在は、まるで引き出しに小物を片付けるかのような手つきで「入れ」られている。ここにあるのは、主体の倫理観の欠如ではなく、言葉の「事務的な手際の良さ」が生む暴力である。さらに、「洗面器」という生活雑器に「かなしみ」を注ぎ、「行間」というテキストの隙間に「死んだ児」を「埋める」。抽象的な感情や凄惨な現実を、サイズ感の合わない日常のフレームへと機械的に梱包していく口語のフラットさが、現実世界の生々しさを脱色し、高度に洗練された不条理な虚構性を立ち上げている。

 次に、対象をある場所に定位させる、あるいは主体がそこから関与を放置することで、存在を記号へと突き落とす表現群である。


夜、置き去りの月がある

空のはじめに片方の靴を置く

死者ニ置ク向日葵ノ束

プールの水面に死の匂い置く

月明りそっと歯ブラシを置く


 「置く」という動詞は、人間の意志のなかでも最も平熱の動作を指す。それが「死者」「死の匂い」といった非日常の域に対して心理的抵抗もなく接続されている。プールの水面に「死の匂い」を、空のはじめに「靴」を、チェスの駒でも進めるかのように「置く」という静かな動作は異様である。そして、天体であるはずの月すらも「置き去りの月」として空間に放り出されている。これらの句において、世界は巨大な「遺棄の現場」であり、あらゆる存在はケアされることなく、その座標にただ「置かれたまま」フリーズしている。口語の説明的な平明さが、世界の圧倒的な冷たさを事後的に証明する役割を果たしている。

 本来なら最も保護・愛撫されるべき「子ども」や「肉体」が、徹底的に風景や機能の一部として客観描写される表現群である。


オキシフル発火する幼児の死体

亡クシタ児と食事シテイル

夜を拾う孤児に薄荷の匂い

点滴につながれたまま子といる


 もっとも凄惨でありながら、もっとも乾いているのが「幼児の死体」だろう。幼児の死という最大級の悲劇が物理現象へと還元されている。そこには感傷の入る余地はなく、ただ現象としての死体がそこにある。「亡クシタ児と食事シテイル」という状況の異常性も、カタカナ混じりの事務的な報告体によって、まるで既定のスケジュールであるかのように淡々と遂行される。「点滴につながれたまま」管理され、あるいは「夜を拾う」という奇妙な労働に従事させられる子どもたち。彼らは愛される主体ではなく、世界という実験室のなかに「遺棄され、観察される客体」として存在しているのである。

 「窓の海光」における〈遺棄される身体〉は、私たちが現実世界で用いる「生の尊厳」や「死への哀悼」といった道徳的コードを無効化する。作者が用いる「入れる」「置く」「埋める」といった事務的な口語の運びは、悲劇をドラマとして消費することを許さない。保護されるべきものが冷徹にパッキングされ、放置されていくそのプロセスを、取扱説明書のような平明さで記述すること。この乾いた暴力性こそが、読者に対して、世界の底に横たわる本質的な寂寞と、詩的虚構としての底知れない深淵を突きつけてくるのである。


六―二―四、無言化される口語

 口語とは本来、他者へ向けて開かれた発話であり、コミュニケーションを前提とする文体であると私は考えている。しかし、「窓の海光」において駆動する口語は、その本質的な役割を完全に反転させている。ここで用いられる「声」「手紙」「受話器」といったコミュニケーションの媒体は、他者とつながるための機能を喪失し、ただ決定的な断絶や沈悶を強調するためだけに配置される。本来なら誰かに届くはずの言葉が、誰とも通じないまま空間に凍りつく。この〈無言化される口語〉という逆説が、いかにして世界の沈黙を増幅させているか、三つの様相から論じる。

 まず、手紙や電話、便箋といった「メッセージを運ぶはずのメディア」が、その中身を徹底的に剥ぎ取られ、記号的な不通状態として提示される表現群である。


空の向こうに無言の手紙届く

まぶたに色落とす便箋白い

受話器の向うの雨をみている


 もっとも象徴的なのは「空の向こうに無言の手紙届く」である。「手紙が届く」という日常口語の平易な報告体でありながら、その中身は「無言」という空虚そのものである。通信は成功しているにもかかわらず、そこには伝達されるべき意味が最初から存在しない。「まぶたに色落とす便箋白い」における便箋の「白さ」や、「受話器の向うの雨をみている」という聴覚メディアを通じた視覚的な景色の忘我は、いずれもコミュニケーションの回路が決定的に目詰まりを起こしていることを示している。口語という「語りかける文体」が、メッセージの不在という冷酷な事実を運ぶパラドックスが提唱されている。

 次に、人間の発話の最たるものである「声」や「うた」が、他者と共鳴することなく、ただ風景の中に「遺棄された遺留品」のように響いている表現群である。


呼ブ声ヲ遺シテ行ク冬ノ空

夜の病院の母のうたごえ

まぶしい声の背中だけある

とおく産声だけの昼となる


 「呼ブ声ヲ遺シテ行ク冬ノ空」において、カタカナで表記された「呼ブ声」は、誰かを呼び止め、対話を始めるためのものではない。それは、発話者という主体が消え去ったあとに、冬空という物理空間にぽつんと取り残された残響にすぎない。「母のうたごえ」や「とおく産声だけ」という描写も同様である。それらの声は、誰かの耳に届いて応答されるためのものではなく、夜の病院や昼の虚空という、無菌室のような閉ざされた空間を満たすだけのモノローグ(独白)として、あるいは単なる環境音として処理されている。「声」が響けば響くほど、それを聞き届ける他者の不在が逆照射され、世界の静けさが耐えがたいほどに増幅していく。

 言葉によるコミュニケーションの原初的な形態である「手をつなぐ」「手をあてる」といった身体的アプローチが、ことごとく無効化され、孤立へと追い込まれる表現群である。


窓に病んだ手をあてる

手をつなぐことなく冬の影

何もない手のひらが海になる


 「手」は本来、他者に触れ、言葉以上に雄弁に意思を伝える伝達器官である。しかし「窓に病んだ手をあてる」とき、その手の先にあるのは冷徹な境界であり、世界の向こう側への接触は遮断されている。「手をつなぐことなく冬の影」という諦念、そして他者を握ることをやめた「何もない手のひら」がそのまま茫漠とした「海」へと変貌していくプロセス。ここには、他者とつながることを拒絶した、あるいはつなぎ損ねた人間の、徹底的な孤立の風景がある。日常の平易な口語が語るのは、温かな連帯ではなく、指先から始まる関係性の不通だ。

 「窓の海光」が達成した逆説は、口語俳句でありながら、誰とも通じない沈黙の詩学を完成させた点にある。

 作者が用いる「届く」「遺していく」「声がある」という平明な言葉の数々は、一見すると読者との距離を縮めるかのように思わせる。しかし、その言葉が指し示す中身は、無言であり、白であり、不通である。話し言葉のフレームを用いながら、その中身を徹底的に空虚さで満たすこと。この文体と内容の引き裂かれた関係性こそが、叫び声よりもなお冷徹に、私たちが生きる世界の根源的な無言性を浮き彫りにしている。


六―二―五、災厄化する自然

 「窓の海光」が提示する自然の相貌は、そうした情緒的な交感の場ではない。ここで描かれる空、月、昼夜、そして海は、人間を脅かす、あるいはすでに静かに崩壊しつつある災厄の現場そのものへと変形している。ここで特筆すべきは、自然の異変やディストピア的な破局を描くにあたり、大袈裟な恐怖の叫びや主観的な感傷が徹底的に排除されている点である。作者は「〜となっている」「〜が来る」といった、きわめて平明かつ説明的な口語を用いる。この文体のフラットさが、かえって描写される世界の異様さと現実感の崩壊を際立たせる。本論では、この〈災厄化する自然〉のメカニズムを考察する。

 「〜となっている」という状態の同定や、「〜が来る」という客観的な事実の推移を示す口語が、世界の物理的なバグを平然とドキュメントしていく表現群である。


空がつめたい火事となっている

原因不明の夜が来る

夕焼ニ私トイウ現象


 「空がつめたい火事となっている」という句において、本来なら熱を持つはずの「火事」が「つめたい」という形容を帯び、それが空の全域に広がっている。この致命的な世界の変転を、作者は「〜となっている」という極めて平易で説明的な事務口語で処理する。ここには驚きも嘆きもなく、ただ冷徹に処理された事実だけがある。「原因不明の夜が来る」も同様である。夜という日常的な天体現象が「原因不明」という不穏なエラーコードを付与され、それが不可避のタイムラインとして「来る」と報告される。叙情を廃した客観的な報告文のような佇まいこそが、読者に対して「すでに手遅れとなった世界」の冷たい現実感を突きつけてくるのである。

 次に、自然風景の中に「放射線」や「放物線」といった、科学的あるいは人工的なベクトルが侵入し、空間そのものを不穏に歪めていく表現群である。


冬空に架ける放射線の昼

鉄格子にセロファンの海燃やす

晩夏撃つピストルとなる


 「冬空に架ける放射線の昼」に見られる、本来は目に見えないはずの脅威が、昼の光のなかに構造物のように「架ける」とされる異様さ。ここでの自然の光は、地上を均質に照らす安全なものではなく、空間を侵食する暴力的なエネルギーのように世界を満たしている。「鉄格子」の向こうで「セロファンの海」を「燃やす」という行為や、晩夏が「ピストルとなる」という物質化。これらは、人間が自然と調和して生きることを拒絶された極限の管理空間、あるいは破局のあとの荒涼としたディストピアを想起させる。

 海、夕焼け、昼といった自然の構成要素(エレメント)が、その本来の性質を反転させ、あるいは毒々しく変異していくプロセスを捉えた表現群である。


向日葵ノ首夕焼ケル

楽譜につめたい夕やけを塗る

剃刀の匂いの昼が消失する

オキシフル発火する幼児の死体


 夕焼けは古来、哀愁や美の象徴であったが、ここでは「向日葵ノ首」を物理的に焼き尽くすような、あるいは「楽譜に塗る」化学塗料のような、人工的で暴力的な熱量として描かれる。さらに、「昼」は「剃刀の匂い」という金属的な鋭利さを帯びて空間から「消失する」。

 自然界のエレメントがすべて変異し、化学物質や凶器のメタファーへと変換されていく光景は、もはや私たちが知る「地球」の風景ではない。幼児の死体に作用する「オキシフル」の発火現象に象徴されるように、あらゆる自然物と生命が、冷酷な化学反応の実験台へと引きずり下ろされている。

 「窓の海光」における〈災厄化する自然〉は、私たちが慣れ親しんだロマンティシズムや、自然への信頼を根底から打ち砕く。作者が用いる「〜となっている」「〜が来る」という平明な口語は、破局のただなかにありながら、その異様さを異様として叫ばない。あたかも世界の終わりが日常のルーティンであるかのように淡々と記述されるその報告文のスタイルこそが、自然の美しさを剥ぎ取り、その下に隠された剥き出しの災厄を、生々しく、そして不気味に浮かび上がらせる。


六―二―六、状態化される死

 一般に「死」とは、生からの断絶を意味する動的な出来事として捉えられる。「人が死ぬ」「命が失われる」というように、それは時間軸上の一点における劇的な変化、あるいは不可逆的な移行の瞬間を指す動詞的現象である。だが、「窓の海光」において、死はその動的な性質を完全に剥ぎ取られているように思う。ここで表現される死や災厄は、発生するものではなく、あらかじめそこに「配置」され、固定された動かしがたい環境、すなわち「風景」として立ち現れる。それを可能にしているのが、「ある」「なっている」「〜ている」という、日常の口語においては極めて平凡で平熱な述語の選択である。本論では、これらの述語が死を「事件」から「状態」へと変貌させるメカニズムと、その底に横たわる「死が既にそこにある」という不気味さの正体について考察する。

 「死」やそれに直結する極限状態が、感情の起伏を伴わずにただそこに存在するという静的な光景として同定される表現群である。


しずかな空に縊死がある

まぶしい声の背中だけある

夜にもたれている椅子がある

月明りに湿ったナイフある


 「しずかな空に縊死がある」の首吊り(縊死)は、今まさに遂行されたショッキングな事件ではない。それは、まるで空に浮かぶ雲や月と同じように、その空間の構成要素として最初から「ある」と描写される。「背中だけある」「ナイフある」という表現も同様である。それらは突発的なアクシデントとして立ち現れるのではなく、静物画のモチーフのようにあらかじめ画面に配置されている。動詞としての「死ぬ」を、名詞としての「死(の存在)」へとすり替える「ある」という日常口語のフレームは、死を特権的なイベントから、ありふれた背景へと常設化してしまうのである。

 変化やプロセスの瞬間ではなく、それが完了し、持続しているアスペクトを固定することで、破局を日常の延長線上に位置づける表現群である。


空がつめたい火事となっている

一月の死を待っている

体温計汚レテイル

昼のつきあたりに立っている


 「空がつめたい火事となっている」において、火事という動的な災厄は「となっている」という持続・定着の口語によって、持続的な状態へと凍結されている。炎は燃え上がる劇的な瞬間ではなく、つめたい静寂のなかで永遠に持続する世界の初期設定に変形する。「死を待っている」という時間の引き延ばしや、「体温計汚レテイル」というカタカナ混じりの客観描写も、いま起きている異変ではなく、すでに完了し、淀んだまま動かない時間を指し示している。これらの句において、世界は破局の瞬間ではなく、破局がすでに定着したあとの日常として、淡々と記録されている。

 死や死への予感を、日常の容器や座標へと機械的にレイアウトすることで、最初からそこにあることを決定づける表現群である。


靴下に真昼の死を入れる

プールの水面に死の匂い置く

空のはじめに片方の靴を置く

少女の匂いに抱かれる死


 「靴下に真昼の死を入れる」「プールの水面に死の匂い置く」という手つきにおいて、死はもはや生物学的な現象ですらない。それは、部屋の模様替えの際に小物を配置するかのような、事務的で静かな作業として遂行される。死はこれからやってくる恐怖ではなく、すでに引き出しの中にしまわれ、あるいは水面に浮かべられた既製品だ。「少女の匂いに抱かれる死」という名詞句による死の客体化・状態化も、その不気味さを補強する。死があらかじめ空間のなかに過不足なく配置されているというこの感覚は、読者に対して、逃れることのできない絶対的な檻としての世界を予感させる。

 〈状態化される死〉は、死の恐怖を劇的に煽ることをしない。むしろその逆である。作者が駆使する「ある」「なっている」「〜ている」という、手垢のついた平凡な述語の数々は、死や災厄を特別なものとして扱わず、日常の景色と同質の「静物」へと融解させていく。

 死が発生するのではなく、既にそこにある。この、世界の側にあらかじめ死が内蔵されているという倒錯した不気味さこそが、この句群の持つ独自の静謐なホラーであり、私たちが日常のふとした隙間に覗き込んでしまう、底知れない深淵の正体なのである。


六―二―七、主体喪失の動詞

 「窓の海光」が試みているのは、その口語の親密さを利用した、極めて洗練された主体の解体劇である。ここで執拗に繰り返されるのは、「入れる」「架ける」「撃つ」といった能動的かつ具体的な動詞でありながら、その行為を「誰が」行っているのかという主体の徹底的な省略である。

 本来なら主体の定位を必要とする口語でありながら、主語が消去されることで、「自分がやっているのか」「誰かにやられているのか」、あるいは「世界そのものが自動的に行為しているのか」という境界が完全に曖昧になる。本論では、この〈主体喪失の動詞〉がもたらす不気味さと、その詩学的効果について三つの位相から考察する。

 まず、「入れる」「架ける」「くっつける」といった、空間や対象にドラスティックな変更を加える能動動詞から、人間的な主体が注意深く剥ぎ取られている表現群である。


月光につめたい胎児を入れる

冬空に架ける放射線の昼

靴下に真昼の死を入れる

セロテープ五月の空をくっつける


 「胎児を入れる」「空をくっつける」という行為には、本来なら明確な意図を持った人間の手が介在していなければならない。しかし、これらの句には「誰が」という動機も責任の所在も描かれない。

 その結果、読者は奇妙な錯覚に囚われることになる。これは「私」という人間が狂気の中で行っている私的な儀式なのか、あるいは見知らぬ「誰か」によって遂行されている光景の目撃なのか。それとも、人間という存在を置き去りにしたまま、世界というシステムそのものが自動的にその不条理な営みを執行しているのか。口語の平明さが、かえってこの主体の特定不能性を加速させ、世界そのものが非人間的に駆動しているような不気味さを生み出す。

 次に、「あつめる」「折る」「洗う」といった、極めて身辺的かつ身体的な動作を含みながらも、それが発話者である「私」の領分なのか、風景の一部なのかが判然としない表現群である。


海に報いるためにピストル撃つ

両手で夕焼あつめる

夜の台所にクレヨンを折る

夜中にスプーンを洗う

海をきれいな折り紙でつくる


 「夜中にスプーンを洗う」や「夜の台所にクレヨンを折る」といった日常の卑近な行為は、一見すると「私」の極私的なモノローグのようにも読める。しかし、主語が注意深く伏せられているため、その身体性は「私」という個体の中に閉じ閉じ込められない。

 「ピストル撃つ」「夕焼あつめる」という行為の主体は、「私」であると同時に、世界に遍在する無名の「誰か」でもあり得る。あるいは、境界線を失った肉体が世界そのものと融解し、環境の要請によって「撃たされ」「折らされている」かのような、奇妙な受動性を帯びた能動態(中間態的なニュアンス)へと変質している。口語という身近な文体でありながら、その核心にあるべき「私」の輪郭が内側からスカスカに霧散していく恐怖が、ここにはある。

 そして、「埋める」「刺す」「捨てる」という、倫理的なサスペンスや加害性を孕んだ動詞が、誰の罪でもないかのようにフラットに配置される表現群である。


雨の余白に埋める

行間に死んだ児を埋める

昼顔につめたい針金を刺す

非常口にマッチ捨てる

剃刀のすべてを消しつくす


 「死んだ児を埋める」「針金を刺す」という行為は、通常であれば劇的な展開を呼び寄せる。しかし、主語を伴わない口語の淡々とした運びは、それらの行為から「罪悪感」や「加害者性」を完全に脱色してしまう。誰が埋めたのか、誰が刺したのか。その主体が消失した空間において、これらの凄惨な行為は、あたかも工場のベルトコンベアの上で淡々と進む事務的な処理のように記述される。加害の主体すらも匿名化されるディストピア的な冷徹さは、読者に対して、個人の意志を超えた巨大な不条理の作動を予感させる。

 〈主体喪失の動詞〉は、口語俳句という形式が内包する最大の逆説を突いている。それは、「生々しい話し言葉のフレームを用いながら、その言葉を発しているはずの『人間』を完全に解体する」という試みである。

 主語を失った動詞の数々は、宙吊りのまま空間に放り出され、誰のものでもない「行為そのもの」として自立し始める。自分がやっているのか、誰かにやられているのか、世界が勝手に動いているのか。その答えを永遠に保留されたまま記述される匿名の風景こそが、この句群の持つ底知れない空虚であり、主体の拠り所を失った現代的な生のあり方を、残酷に活写しているのである。


六―二―八、継続する未完了

 近代の詩歌において、時間の移ろいやその一瞬の切り取りは、生の儚さを情緒的に表現するための主要な手法であった。だが「窓の海光」における時間感覚は、そうした流動的な叙情とは根本的に異なっている。繰り返されるのは、「〜している」「〜となっている」という、現在進行や状態の持続を示す口語の語尾である。

 この「〜ている」という相は、今まさに何かが進んでいる継続だけではなく、過去の動作が今に及んでいる結果状態や完了を内包しその境界をしばしば曖昧にする。この句群においては、その曖昧さがかつて事件が起きた、そして終わったという歴史性を剥ぎ取り、異変や災厄、あるいは死の気配が今この瞬間も、そしてこれからも永遠にあり続けているという、終わりのない永続性を生み出す。本論では、この〈継続する未完了〉が世界の時間をどのように凍結させているか考察する。

 本来なら一時的な気象現象や人間の知覚行動が、「〜ている」の語尾によって終わりなき環境へと固定されていく表現群である。


私の真ん中に雪が降っている

受話器の向うの雨をみている

背中の真ん中がしぐれている

手をつないでいる雪のおと


 「私の真ん中に雪が降っている」という句において、雪の降下は始まりも終わりもない。雪が降ったという過去の事実ではなく、降っているという未完了の持続である。それは主体の内面に常におり続ける、永遠の背景と化している。「受話器の向うの雨をみている」における視線も同様である。それは一瞥ではなく、終わりなき忘我の持続を指し示している。日常の平明な口語が、現象の始まりの劇性と終わりの救済を等しく剥奪するとき、読者はそこに、時間が摩耗することなく永遠にループし続けるような、底知れない閉塞感を感知することになる。次に、生や死、あるいは時間の経過そのものが、ある特定のフェーズでピタリとフリーズし、その状態のまま持続している不気味さを捉えた表現群である。


蛇口で時間が止まっている

一月の死を待っている

亡クシタ児と食事シテイル

夜にもたれている椅子がある


 「蛇口で時間が止まっている」は、このテーマを物理的に反転させた表現である。時間が止まったという完了ではなく、止まっているという状態の継続。つまり、時間が停止したという異常事態が、いまなおリアルタイムで継続しているという強烈なパラドックスがここにある。凄惨なのは「亡クシタ児と食事シテイル」だろう。すでに失われた生命との交流という破局的な状況が、カタカナ混じりの事務的な「シテイル」によって、現在進行形の日常のルーティンとして維持されている。ここには死の衝撃はない。ただ、死を待っている時間や、主を失ったまま夜にもたれている椅子の時間が、完了することなく不気味に引き延ばされ、固定されているのである。

 世界の物理的なバグや、境界線へと向かう足取りが、「〜となっている」「〜ている」によって、その世界の初期設定として定着していく表現群である。


空がつめたい火事となっている

昼のつきあたりに立っている

衿元に風ためている向日葵です


 「空がつめたい火事となっている」において、火事という突発的な炎上イベントは、「となっている」という結果状態の口語によって、持続的な環境へと融解している。火事が「起きた」のではない。その世界は、最初から「火事であり続けている」のだ。「昼のつきあたりに立っている」という描写も、移動の果ての到達ではなく、そのつきあたりに、永遠にピン留めされたように佇み続けている主体のあり方を指している。変化のプロセスを切り取るのではなく、変異しきったあとの世界を「〜ている」という平熱のフレームで持続させること。これによって、世界は元に戻ることのない致命的な確定形として、読者の前に立ち塞がる。

 「窓の海光」における〈継続する未完了〉は、読者から「時間が経過する」という救いを奪い去る。作者が多用する「〜ている」「〜となっている」という平明な語尾は、過去・現在・未来の境界線を融解させ、終わらない現在の檻へと閉じ込めてしまう。災厄も死も、一度きりのドラマとして消費され、過去へと葬られることはない。それが今も、そしてこの先もずっと「そこであり続けている」という圧倒的な不条理、この出口なき時間の持続こそが、日常の口語という最も身近な文体から立ち現れる、詩的ホラーではないか。


六―二―九、方向だけが残る

 「窓の海光」における言葉の運動性を決定づけているのが、「届く」「遺す」「行く」といった移動や伝達を意味する移動系の動詞である。通常、これらの動詞は出発点から到達点への移動を描き、そこに関係性の完結や、メッセージの回収というカタルシスをもたらすために機能する。しかし、本句集において重要視されるのは、移動の結果としての到達や成就ではない。ここで前景化されるのは、どこか遠くへ向かって放たれる方向性そのものである。言葉や身体は、ある確かな宛先へ向けて駆動を始めながらも、決してその先で誰かに受け止められ、回収されることがない。日常の話し言葉であるはずの口語が、他者との親密な会話の言葉(ダイアローグ)として機能することをやめ、ただ虚空へと消えていく一方通行の送信へと変質していくプロセスを分析する。

 「届く」という移動の完了を示す動詞を用いながらも、その到達した先が絶対的な空虚であるか、あるいは中身そのものが消失している表現群である。


空の向こうに無言の手紙届く

空の向こうに無言の手紙届く (※リフレイン)

夜の窓へひかりが届く


 「空の向こうに無言の手紙届く」という句において、「届く」という動詞は本来なら通信の成立を祝すはずの言葉である。しかし、その手紙が届けられたのは「空の向こう」という、人間が決して触れることのできない不可能性の領域であり、なおかつその中身は無言である。

 ここでは、届くという行為のベクトルが鮮明に描かれ、その中身の回収は最初から拒絶される。口語の平明な報告が、むしろ「届いたところで誰もいない」「届いても何も伝わらない」という世界の断絶を冷徹に際立たせるのである。

 次に、「行く」「ゆく」「遺す」といった、現在の座標からの離脱や分離を示す動詞が、後に何も残さない不可逆の方向性として作動している表現群である。


呼ブ声ヲ遺シテ行ク冬ノ空

遮断機の向こうの空にゆく

春のまんなかへ歩いてゆく


 「呼ブ声ヲ遺シテ行ク冬ノ空」において、冬の空を横切っていく何者かの移動(行ク)が描かれる。しかし、そこには目的地の幸福な予感はない。ただ「呼ブ声」という過去の遺留品をその場に「遺す」という、引き裂かれるような方向のベクトルが残される。「遮断機の向こうの空にゆく」「春のまんなかへ歩いてゆく」も同様に主体は、日常の安全な足場から、遮断機の向こうや季節の深淵という、帰還不能なあちら側へと向かって歩みを進めていく。ここでの移動動詞は、出会いのための移動ではなく、この世界からの「退出」という一方通行の矢印としてのみ機能している。

 本来なら他者との交感や物理的な接触を伴うはずの動作が、相手を欠いたまま、あるいは境界線に突き当たることで、ただ虚しく放電される表現群である。


海に報いるためにピストル撃つ

窓に病んだ手をあてる

とおく産声だけの昼となる


 「ピストル撃つ」という行為は、弾丸という圧倒的な物理的ベクトルを対象へ向けて放つ移動の極致である。しかし、その宛先は「海に報いるため」という、極めて抽象的で回収不能な対象に向けられている。「窓に手をあてる」行為も、ガラスという境界線によって向こう側への接触は遮断され、手の指向性だけが窓ガラスの冷たさに吸い込まれていく。

 これらの句において、口語は誰かに語りかけ、応答を待つための手段ではない。それは、暗黒の宇宙へ向けて電波を放ち続ける観測機のように、ただ「一方通行の送信」を繰り返すための孤立した文体なのである。

 「窓の海光」における〈方向だけが残る動詞〉は、言葉のキャッチボールという人間的な幻想を剥ぎ取る。作者が用いる「届く」「行く」「遺す」という口語の移動表現は、読者に対して、どこかへ向かおうとする強い推進力を感じさせる。しかし、その矢印の先には、受け止めてくれる他者も、救済としての目的地も存在しない。放たれたベクトルは回収されることなく、ただひたすらに遠ざかり、虚空を穿ち続ける。話し言葉のフレームを用いながら、それを徹底的な一方通行の送信へと追い込むこと。この終わりのない方向性のなかにこそ、本句群が描き出す、他者と交わることのない現代的な生の孤独が、最も鮮烈に刻印されているのである。


六―二―一〇、変成の動詞

 「〜になる」「〜となる」という変化を意味する動詞は、通常事態の自然な推移や、予測可能な結果を報告するために用いられる。しかし、句群「窓の海光」において「〜となる」という変成の動詞は、その安定した役割を根底から覆している。ここで駆動するのは、ある事物がまったく別の異物へと変身を遂げる変身構文である。この動詞の作動によって、世界は確固とした固定形を失い、月がかんざしへ、空が火事へと、絶え間なく変形し続ける。口語が持つ平熱で説明的な佇まいでありながら、その内実にはきわめて強烈な幻想性が宿るという、本句群の核心的な逆説について考察する。

 まず、「〜となって」という結合の契機により、本来なら交わるはずのない二つの名詞が物理的に融合し、新たな物質へと変容を遂げる表現群である。


空のかんざしとなって昼の月

咳止マズ、夜ノ一部トナル

晩夏撃つピストルとなる


 「空のかんざしとなって昼の月」という句において、天体である「昼の月」は、空という巨大な空間を髪に見立てた「かんざし(装飾品)」へと変成している。ここでは、比喩が単なる頭の中の連想にとどまらず、「〜となって」という動詞によって物理的な実体を伴って変身させられている。さらに、「夜ノ一部トナル」というカタカナ混じりの冷徹な報告や、終わりゆく季節が「ピストルとなる」という変異も同様である。主体や季節といった輪郭の曖昧なものが、夜という空間の肉片や、ピストルという硬質な凶器へと変形していく。口語の平明なフレームが、この物質的なトランスフォーメーションを当然の事実のように語ることで、読者は現実のルールが書き換えられていく鮮やかな目眩を知覚する。

 変成の動詞が「〜ている」という状態化の語尾と結びつくことで、変形しきったあとの不気味な世界線がそのまま永続していく表現群である。


空がつめたい火事となっている

理由のない昼に背がとどく(※変成の果ての空間的定着)


 「空がつめたい火事となっている」では、空が火事に変形するという、世界の本質的なバグ。それが「となっている」という結果状態の口語によって処理されることで、世界は変形し続けている真っ最中のまま凍結される。火事が「起きた」という一過性のイベントではなく、空が火事という異物へ変成した状態が持続する。この終わりのない変形の現在進行形は、私たちが知っている安定した現実のストッパーを外し、世界がつねに流動し、いつでも別の破局へと姿を変えうるという潜在的な恐怖を呼び起こす。

 そして、「〜となる」という変成の構文が、宇宙的なマクロ(空、夜、季節)と、身辺的なミクロ(かんざし、ピストル、日常の道具)の境界線を融解させ、それらを等価に交換していく。


何もない手のひらが海になる

五月に溶ける少女の楽譜(※変成を伴う融解)


 「何もない手のひらが海になる」というダイナミックな変成において、人間の極小の肉体である手のひらは、一瞬にして茫漠たる「海」というマクロな自然へと反転する。ここにおいて、世界を構成するあらゆるパーツのサイズ感や質量は無効化されている。手のひらが海になり、月がかんざしになる世界。それは、すべての事物が固定されたアイデンティティを持たず、言葉ひとつで容易に別の存在へと裏返ってしまう、極めて危うい虚構空間である。作者は「〜になる」という子供の絵本のような平易な動詞を使いながら、その実は世界を根底から解体し、再構成する不条理な物理学を実践しているのだ。

 〈変成の動詞〉は、口語俳句が到達した「日常の言葉による、非日常の開拓」の極致を示している。「〜となる」「〜になる」という、誰もが使う平明な変化の表現。それは本来、読者を安心させる日常のタイムラインを形作るはずの言葉である。しかし作者は、その手垢のついた述語を用いて、世界を絶え間ないメタモルフォーゼの渦へと突き落とす。月も、空も、肉体も、次の瞬間には別の異物へと変形しているかもしれないという終わりのない流動性。この文体の平熱さと、内容の幻想性・不条理さの幸福なマリアージュが、本句群に底知れない詩的魅力と、静かな変革をもたらしている。


七、結論

 本稿では、安藤宏の私小説における虚構論を出発点とし、西躰かずよし句集『窓の海光』における虚構性を、単なる事実の有無という内容上の問題ではなく、句の内部に組み込まれた具体的な表現上の技術、および作者の創作態度として捉え直すことを試みてきた。

 「五、構造における虚構性」においては、作中に頻出する「空」「児」そして「私」の描写を検討した。そこでの「空」は写実的な自然ではなく感情や観念を重ね合わせる媒体であり、「児」は実在の子どもではなく喪失や死といった抽象概念を担う象徴的な役割として配置されていた。さらに、明示・暗示される〈私〉もまた、作者の実在と重なる固定された人格ではなく、世界をそのように見つめる視点としてその都度立ち上がる存在であった。これらは、作中主体や情景が、表現の必要性に応じて意識的に組み立てられ、演じられた「装置」として機能していることを示しており、ここに本句集の構造的な虚構性が認められる。

 「六、口語表現における虚構性」においては、全編を規定する口語表現がもたらす詩学的効果について、十のアプローチから多角的に分析した。本句集における口語は、他者との親密なコミュニケーションを目的として機能していない。むしろ、「〜がある」「〜のこす」「〜となっている」「〜ている」といった平明かつ事務的な述語の選択によって、主体の消失や身体の遺棄、自然の災厄化を淡々と記述し、死を動的な事件から静的な「状態(風景)」へと凍結・常設化させている。さらに、主語を奪われた能動動詞は主体の解体を推し進め、移動系の動詞は回収されない一方通行の方向性を虚空に刻みつけ、変成の動詞は世界を絶え間ないメタモルフォーゼの渦へと突き落とす。話し言葉という親密なフレームを用いながら、その内実を徹底的な不在、不通、そして不条理さで満たすという「文体と内容の引き裂かれた関係性」こそが、西躰の口語俳句が達成した虚構のレトリックの核心であった。

 以上の考察から、西躰かずよし『窓の海光』における虚構性とは、平熱の口語という仕掛けを逆手に取ることで、現代的な生の孤独や世界の根源的な無言性を、叫び声ではなく静かな眩暈として読者に感得させる高度な表現技術であると結論づけられる。これは、安藤の言う「いかにも事実に見えるウソ」を表現するダブルバインドの技術が、短詩型文学の口語表現において極めて先鋭的な形で駆動している好例である。

 ただし、本稿では『窓の海光』内部の構造および文体の抽出に終始し、虚構と実感の境界のあり方については未だ議論の余地を残している。今後は、林桂の指摘する〈西躰かずよし〉という仮構された「境涯」像の系譜をより深く掘り下げるとともに、小川楓子が提起した「身体の透明化」や「レトリックの多用」といった三十代以下の現代俳句の潮流を視野に収め、同時代の他作家・他句集との比較検証を通して、西躰の試みが現代俳句史において果たす地平を体系的に位置づけていくことが今後の課題である。


【取り上げたもの】

・西躰かずよし『風の花冠文庫二二 窓の海光』(鬣の会 二〇一七年)

・安藤宏『「私をつくる」近代小説の試み』(岩波新書 二〇二三年 一八二―三頁)

・小川楓子『不透明な時代の透明で不透明な体』(現代俳句 第七二〇号 二〇二五年 八月号 一四頁)

・浅川芳直『俳句と虚構』(俳壇 第三七巻 一二号(通号四六八号 二〇二〇年一一月 一九六―七頁)


【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(70)  ふけとしこ

    破れ傘

落椿むかし私に図案帖

破れ傘破れながらに開きけり

天気図に赤き指示棒若葉寒

ポプラ社の一冊を買ふ若葉照る

今年竹新陰流は人を斬る

・・・

 「これは何?」

 そう訊く人があった。眺めながらしばらく考えた。蝙蝠傘を乱雑に畳んだような形。……思い出した。

 「ヤブレガサかもね」と答えた。


 昔々のことだが、燐寸箱を集めていたことがあった。きっかけは安藤広重の東海道五十三次の図である。この有名な浮世絵をラベルに使った燐寸箱を見たことがから始まったのだった。近所の小父さんが使っていた燐寸である。

 「空になったら頂戴……」とお願いした。当時は男の人達は殆どが喫煙者だったし、多くの人が燐寸で火を付けていたから、煙草と燐寸をセットにして持っている人も多かった。

 わがコレクションは、初めは東海道五十三次の物だけだったが、その内に飲食店などの宣伝用の物にも手を出した。私が集めていることを知った人達から回ってきた物もあった。

 しかし箱のままというのは次第に嵩高くなってくる。もう止めたら? と家族にも迷惑がられる始末である。この子は何が面白いんだか、こんなものを集めてなあ、と笑われたり。

 見ているのは楽しいのではあったが、嵩張ってくるのは困りもの。そこで、ラベルを剥がしてノートに貼ってゆく、ということにした。水に浸けておくと糊が溶け出してすーっと剝れるのである。昔の澱粉糊なればこその話であるが。それを新聞紙に広げて乾かす。乾いたらノートに貼り付けていくとコンパクトに納めることができる。

 東海道五十三次シリーズは四十五、六ぐらいまでは何とか集まったが、あと一息というところで頓挫してしまった。どんなことでもそうだけれど、重複する物があり、自分の所へは回ってこない、手に入らない物もあるということだ。

 飲食店に関わるものは、意匠の面白いものもあったが、もういらないというような物も多かった。

 その中に「破れ傘」というラベルがあった。どこかの鮨屋の宣伝用の物だった。黒々と文字のみで絵は描かれてなかった。私はてっきりボロ傘のことだと思い、カラカサオバケなどを想像して、変な屋号だなあ、と思っただけだったが、達筆の崩し字が妙に印象深かった。

 今も忘れないでいる破れ傘という店名は何だったのだろう? 冗談めかして付けただけだったのかも知れない。店を知らず、行ったこともなかったし、誰に貰った物だったのかも定かではないが。

 もしかして、

化けさうな傘かす寺のしぐれかな 蕪村

などを知っている人だったのか……。


 最初のヤブレガサへ戻すと、ずっと後になって、そんな名前の草があることを知ったのだった。

 生家の庭にもある。私が家を出てから父が植えたものだろう。珍しい草木を何でも植えたがる人だったから。

 確かに芽生えてから、葉を広げるまでの姿は破れ傘というに相応しい名前であるが、その傘を開く前なら山菜として味わえるということである。

 夏には茎を伸ばして白い小花を咲かせることだろう。キク科ヤブレガサ属の多年草である。


 あの時、これは何? と訊いてくれた人があっていろいろと思い出したのであった。

 煙草や燐寸を持ち歩いていた人たちも何時の間にやら鬼籍に入ってしまった。

 それにしても、彼の鮨屋の店名はボロ傘だったのか、植物名だったのか……。

                                 (2026・5)

【句集歌集逍遙】依光陽子『ふ、は鳥に』/佐藤りえ

 「ふ、は鳥に」は依光陽子の第一句集である。通常本の帯というものはカバーのデザインと共に考慮され、縦寸法の半分よりさらに短く、高さ5ないし7センチ程度に収められ、そこに衆目を引く惹句が大きめに、また刺激的な色文字で刷られていたりする。

 本書の帯は縦寸法の半分サイズを超えたいわゆる腰高帯である。カバーのない上製本にとってはカバーめいたものとしても映りつつ、それぞれ明度の違うグレーで構成された表紙と帯。帯には絞られたサイズの文字が配置されており、「渾身の第一句集」とある。渾身の、という言葉はこういう時に使うものだよね、と思う。


章題の一に平成10年の第44回角川俳句賞受賞作の『朗朗』があるが、内容構成は大幅に編集されている。冒頭に置かれた〈江の電に垣して住まふ椿かな〉は選考会で大峯あきらが取り上げた句だ。


大峯 〈江の電に垣して住まふ椿かな〉は実に巧いと思ったけどね。

稲畑 すぐ虚子庵だなと思って。

大峯 僕もそう思った。そういう句、わりと巧いんですよ。

(完全保存版 第60回記念 歴代受賞作品集 角川俳句賞のすべて/2014)


鎌倉・由比ヶ浜の虚子旧居は江ノ電の線路脇に位置し、その垣根は小さな踏切まで続いている。ここ虚子庵に訪う感動をどのように、と考えたとき、説話の語りのような「垣して住まふ」という口調が生まれ、且つ「椿」がじんわりと感慨の受け止め役を果たしている。磨き抜かれた言葉の配置でありながら、実にさりげない。

あったりめぇだろう!という声が聞こえてきそうだが、見て、どのように見えているか、どのように感じたのか、どの部分、どれを、どのように言えるのか。この四人がかりの綾取りのようなものが作句という行為であるなあ、と改めて感じることおびただしい句集である。


蝶々を捕へし網を軽くねぢる

捕虫網で蝶をつかまえるコツは、網を水平に動かすことである。上からかぶせてとろうとすると、蝶は左右に漏れ逃げてしまう。すくいとるように、横から振り回すのがいい、と、これは人からの聞きかじりである。捕らえた後、地面に網を伏せて網の半分を捻る。つかまえた蝶が逃げ出さないように。もし虫カゴを忘れてきたら、そのまま捻った網で持ち帰る。通気性もあるし、とり逃がす間違いが起きるのを防げる。子どもの頃、そんなことまで考えは及ばず、すぐさま触ろうとして網をひらき、蝶を逃がしたことは一度や二度ではなかった。軽く「ねぢる」、確実さと残酷さが交錯する措辞だ。


船虫の打ち合ふ髭の音やある

年詰まる桜の太きこの町に

一句目。磯でぼうと潮だまりなど眺めていると、足元を船虫がそくそくと忙しそうに行き交う。体長と同じぐらいの長い触角を揺らしながら、皆なにをそんなに急いでいるのか。人間が触角と呼んでいるだけで、あの長い立派なものは髭なのかもしれない。激しく打ち合う、そんな時もあるだろうか。ヒトの耳が感知しない音が潜んでいるかもしれない、「音やある」の問いかけは、機知でありつつもヒトへの自省、見えていても知り得ないことがある、未知への憧憬、そんな気配が漂う。

言えば言うほど野暮な気がするのは否めないが、書評なので書く。ひとことで済ませるなら、面白い。

二句目。一年の終わりが近づく実感を、住み慣れた「桜の太」い町を歩きながら思い返す。桜といえば、のどけからましい春の盛り、花の多寡や花季の長短は話題になるが、幹の太さはどうだろうか。見事な木を指すのにその太さが捉えられていて、大きな木が大事にされてきたのだろうか、などと想像が膨らむ。年末、裸木の前を通りながら、寒いなあ春が待ち遠しいなあ、という気持ちの中に、桜に恃む気持ちが含まれているのかもしれない。


いずれの句も観察の上で渉猟された素材が描写されながら、作者の「ものの見方」をくっきりと内臓し、且つ言葉のあやを巧みにあやつる。何より肝要なのは「言葉のあや」だ。一見目立たぬ、しかし選び抜かれ凝らされた、その工夫こそが言葉をして言葉たらしめるものなのだから。


ふ、は鳥になり昆布干す人が仰ぐ

渡りでなくとも、帰巣する鳥の群れでもいい。ひらがなの「ふ」に見える鳥の編隊が、ぱらりとほどけたのか、空広く拡散する。それを昆布を干す人たちが仰いでいる。昆布の産地は九割方北海道だ。昆布干しときいてすぐさま思い浮かべるのは礼文島あたりの昆布漁。玉砂利のしきつめられた干し場に、手作業で一枚ずつ昆布を干す。屈んで行う大変な作業だ。鳥を仰ぐ人は、仕事の合間、腰を伸ばそうと手を止めたのかもしれない。

「ふ」がひらがなの形を失う景を見ているのは作者でもあり、つまり作者は鳥と昆布干しの作業双方が見える場所にいる。鳥を捕らえていたカメラがぐい、と引き、散り散りになる鳥とそれを見る人の景に、一句のなかで後退、画角がぐっと広くなる。


この広大な感覚をもたらしているのは「鳥になり」という強引な、しかし楽しい断定だ。飛ぶ鳥の形状をひらがなだと感じるのは人間だけだろう。鳥が文字から鳥になる、フワトリニ、「ふわ」の音が不意打ちに、ふわりと、やわらかく来るのにも受け止めへの効果があるのかもしれない。(に、だったらにわとりになる)

むろん鳥ははじめから鳥である。「私」の認識の変化が観察に織り込まれている。ここにあるのは、物の描写のみで繰り出される静物デッサン的な表現――そこにあるのは見ている「私」と「物」のみである――から一歩踏み込んだ、実存的な視点だ。そもそも「写生」は画室から解放され、視点を遊弋させることから始まった。写生が本来持つ偶然性という性格が、修辞により一行内によく整理され、初句から結句へ流れている。

岸本(尚毅) 現場に埋没せずに、現場とは違うところで句を制御している面はありますが、それがあらわに見えないところに彼女の努力がある。ものすごい努力家だと思います。基本的には頭のいい作家だけれども、頭の作家であることを消すに十分な緻密さを持っている。(『俳コレ』合評座談会発言より/「週刊俳句」編集部・2011)

岸本のいう「ものすごい努力」とは、現場に埋没する=見た物を書くことが自明化することを否み、言葉としていかに取り組めるのか、吟味・研究を重ねていることを指すと筆者は思う。三十年弱を研ぎ続けた言葉があふれる、渾身の一冊の正体はそこにある。


涼しさの一篇を読み席を立つ

浚渫船見てゐる昼のビールかな

仏生会猫の器に雨が降る

一歩また草に沈みて露けしや

耕の音なきがらの髯剃るは

沢瀉の水に映りて月の暈

葭切も釣人もこの沼が佳く

うららかにもの食ひながら泣くことも

関数や瓢をなぞる雨の粒

初蝶のあと禿頭をわたす橋

音を送るね草の実入れて封をして

袖長きセーターばかり編んでしまふ

君はもう君の言葉となりて冬

細き窓よりあたたかな木が見えて

(『ふ、は鳥に』左右社/2026) 

2026年5月15日金曜日

第268号

 次回更新 5/29

【短期連載】シンポジウム「昭和俳句、何が争点?」速報 筑紫磐井 》読む


■新現代評論研究

【短期連載】山根もなか宛私信より(抜粋・編集)樫村晴香(哲学者) 》読む

【連載】攝津幸彦記念賞応募作品(全国学生俳句会合宿2025評論)7 》読む

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現代評論研究:第25回各論―テーマ:「虫」を読む・その他― 藤田踏青、北村虻曳、飯田冬眞、岡村知昭、しなだしん、筑紫磐井、北川美美、深谷義紀 》読む

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現代評論研究:第22回総論・「遷子を通して戦後俳句史を読む」座談会 》読む

【特別稿】口語俳句の可能性・余滴  筑紫磐井 》読む

新現代評論研究:音楽的俳句論 図像編 川崎果連 》読む

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■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和七年夏興帖
第一(10/10)杉山久子・辻村麻乃
第二(10/24)仙田洋子・豊里友行・山本敏倖・水岩瞳
第三(10/31)仲寒蟬・ふけとしこ・浅沼 璞
第四(11/21)岸本尚毅・小野裕三・瀬戸優理子
第五(12/12)冨岡和秀・堀本吟・木村オサム
第六(12/26)神谷波・川崎果連・加藤知子・曾根毅・松下カロ
第七(1/9)渡邉美保・小林かんな・田中葉月
第八(1/16)眞矢ひろみ・小沢麻結・花尻万博・林雅樹
第九(1/30)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子

令和七年秋興帖
第一(10/31)杉山久子・辻村麻乃・仙田洋子
第二(11/21)豊里友行・山本敏倖・仲寒蟬
第三(12/12)ふけとしこ・岸本尚毅・瀬戸優理子
第四(12/26)冨岡和秀・堀本吟・木村オサム
第五(1/9)神谷波・川崎果連・曾根毅
第六(1/16)渡邉美保・小林かんな・田中葉月・小野裕三
第七(1/30)眞矢ひろみ・小沢麻結・花尻万博・林雅樹
第八(2/13)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

俳句新空間第21号 発行※NEW!

■連載

英国Haiku便り[in Japan](62) 小野裕三 》読む

【豊里友行句集『赤ん坊オーケストラ』を読みたい】2 「軍靴の雨音の清真な響き」 石原昌光 》読む

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり50 大城あつこ『針突』 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(69) ふけとしこ 》読む

【新連載】俳壇観測279 ユネスコ登録の進め方4 有馬氏とマーティン氏の論点[1](誰も言っていないこと)  筑紫磐井 》読む

【新連載】名俳句鑑賞へのラブレター『岡田史乃の百句』(辻村麻乃) 豊里友行 》読む

【豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい】
 インデックス
9 「希望」のバトン  宮崎斗士 》読む

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 例えばドビュッシーは音と色彩を短絡させようとしていますし、ウラジーミル・ナボコフは全てのアルファベットを色彩に短絡しています。なぜこのような短絡が求められるかというと、それはそもそも意識というものが権力に奉仕しているからで、線形文法を経由しないミニマルな感覚短絡路はそれに抵抗するからだと思います。


 「多重露光的」な日本文化に、真に関心を持ち研究していたのは、ラカン、レヴィ=ストロース、バルトなど非哲学界の人々でした。


 和歌と俳句は分離不能な一実体です。和歌は視聴覚と下意識で多層化されていますが、「隠された意図」は完全に計算されつくしています。一方、俳諧は自然との出会い、偶然性の受容があります。


【連載】新現代評論研究(第25回)各論:後藤よしみ、村山 恭子

 ★ー3 高柳重信の新俳句詩法――「垂直の力学」として読み解く 3  後藤よしみ

 

5 水平補強モジュール

――垂直の力学が掬いきれないものを救う 

 本新俳句詩法の中核は、言葉の深層へと沈降していく「垂直の力学」にある。しかし、言葉の底へと垂直に向かう過程で、その水平な広がりには、言語構造の分析だけでは零れ落ちてしまう感覚や現実が必ず残る。それらは、言葉に付着しきらない「手触り・響き・光景」とでも呼ぶべきものである。 

 これらを救い上げ、鑑賞を立体化するために、六つの「水平補強モジュール」を設定する。これらは中核理論の欠陥を補うものではなく、理論の射程を明確にしたうえで、外部から接続される補助的な視点である。 

 ここで、本論考全体の構造を一度整理しておく。垂直の力学——語彙の衝突、倒語、空白による沈降、言霊の噴出——は、言葉の深層へと一直線に掘り進む「ドリル」のようなものである。それは、日本語の表面を突き破り、言葉の根っこにある力を掘り当てるための中核的な道具である。 

 これに対して、六つの水平補強モジュールは、そのドリルに取り付ける「アタッチメント」として位置づけられる。ドリル単体では掘れる方向が一つに限られるが、アタッチメントを替えることで、身体の方向から、音の方向から、歴史の方向から、それぞれ異なる角度で句に迫ることができる。中核と補助が組み合わさったとき、初めて高柳重信という俳人の多面体を、全方位から観測することが可能になる。一つの優れた句は、一つの読み方では掬いきれない。垂直に沈降しながら、同時に水平へと広がる。この立体的な鑑賞こそが、本論考が目指すものである。  


①身体・実存モジュール ――「生身の重み」を救う  

 言葉を記号としてではなく、痛みや震えを伴う身体の反応として捉える視点である。 

 垂直の力学は、語彙の衝突や倒語によって言葉の構造を解明することには強い。しかし、その背後にある泥臭い生の実感——戦場を歩いた足の疲れ、飢えや病の苦しみ、生き残った者が抱える罪悪感——までは還元しきれない。言葉の「構造」と、身体に刻まれた「重さ」は、別の次元にある。 

 たとえば「重たい」という語を読むとき、それを語彙の多層性として分析するだけでは足りない。戦場を歩いた身体の疲労として、あるいは消えない心の沈みとして、肉体の側から読み直す視点が必要である。  


②音韻・律動モジュール ――「耳に響く力」を救う 

 意味が成立する以前に、音が直接心を揺らす力を捉える視点である。 

 垂直の力学は、意味の生成と沈降の過程を丁寧に追うが、音そのものがもたらす感覚的な作用は手薄になりやすい。母音の反復、リズムの断絶、撥音(ん)や促音(っ)がもたらす快楽や不気味さは、意味の分析だけでは掬い取れない。 

 たとえば「鸚鵡(おうむ)」という語の「おう」という母音の反復は、他者の声をそのまま繰り返すという鳥の習性と深く響き合っている。音を耳で感じることが、意味の解釈より先に句の核心へと触れさせることがある。  


③視覚・イメージモジュール ――「見えてしまう像」を救う 

 言葉が作り出す視覚的な像、その異様さや強度をそのまま捉える視点である。 

 垂直の力学は意味の不確定性を重視するあまり、像そのものの強烈さを概念として処理しすぎる傾向がある。しかし句を読んだとき、理屈より先に網膜に焼きつくものがある。色彩、光と影、空間のねじれ、あり得ない配置——そういった視覚的な衝撃は、分析の前にまず受け止めなければならない。 

 たとえば松島の上空を「重たい鸚鵡」が飛ぶという光景は、ダリの絵画のような非現実的な異様さを持つ。その違和感をまず身体で受け取ることが、句への入口となる。  


④歴史・文脈モジュール ――「あの日、あの時」を救う 

 言葉の背後にある抽象的な制度ではなく、特定の歴史的状況が持つ「一度きりの鋭さ」を捉える視点である。 

 垂直の力学は歴史を「語彙の地層」として一般化するため、ピンポイントな歴史の重みが薄まることがある。しかし言葉は、特定の日時と場所に縛られて生まれる。敗戦の日、軍艦「松島」が辿った具体的な運命、戦後の俳壇が置かれた状況——そういった固有の文脈を参照することで、句の暗号性は初めて解かれる。 

 地層として一般化された「制度語彙」と、「あの日の松島」という具体的な記憶は、同じものではない。後者の鋭さを取り戻す視点が必要である。  


⑤主体・心理モジュール ――「誰が感じているか」を救う 

 言葉の背後にある主体の揺らぎや心理状態を捉える視点である。 

 垂直の力学は、主体を言語構造の中に吸収してしまう傾向がある。倒語によって意味が宙吊りになるとき、「誰がそれを感じているか」という問いは構造の陰へと後景に退く。しかし句には、分裂した自己、混濁した視点、認識の歪みといった個人の内面のドラマが必ず潜んでいる。 

 たとえば「逃げる」主体が、鸚鵡なのか、自分なのか、国家なのか。その境界が崩れていく不安な心理状態を浮き彫りにすることで、句は言語構造の問題であるだけでなく、一人の人間の実存の問題として現れてくる。  


⑥受容・読者モジュール ――「読みの差異」を救う 

 「感通(共鳴)」という理想を一度離れ、読者ごとに生まれる解釈の幅をそのまま捉える視点である。 

 垂直の力学は、倒語によって作者と読者が深いところで共鳴し合う「感通」を目指す。しかし現実には、読者の世代・経験・文化背景によって、同じ句の響きは大きく異なる。戦争体験を持つ読者が「重たい」という語に感じる沈みと、現代の若者がそこに読む軽やかさは、別の句を読んでいるといってもよいほど違う。 

 この差異を誤りとして排除するのではなく、句が持つ可能性の幅として認めること。そこに、鑑賞のさらなる豊かさが生まれる。  以上六つの水平補強モジュールは、垂直の力学を否定するものではない。それは中核理論が照らしきれない周縁を救い上げ、高柳重信の句を、言語・身体・歴史・心理・感覚の全体において読むための、補助的な足場である。


 おわりに

 ――「垂直の詩学」から「立体の詩学」へ 

 高柳重信の新俳句詩法を一言でまとめると、「俳句を、景色を詠む形式から、言語の構造を露わにする形式へと転換したもの」ということになる。 

 その核心にあるのは、四つの運動の連鎖である。語彙の衝突によって意味の層が露出し、倒語によって意味が宙吊りになり、空白によって読者が沈降し、その果てに言霊が噴出する。   

 ここに御杖の思想を重ねると、この詩法の意味はいっそう明確になる。内なる情念(ひたぶる心)をそのまま吐き出すのではなく、倒語によって屈折させ、俳句という最小の定型の中に定着させることで、言葉に持続的な生命力を与えるという構造である。「直言は詩を殺し、倒語が詩を生かす」。これが重信の詩法を貫く原理であり、御杖の倒語論を継承した現代的な実践である。重信の新俳句詩法が単なる前衛的な実験ではない理由は、ここにある。それは、日本語が根源的に持っている言語観——言葉とは意味を伝える道具ではなく、言外の力を含みながら他者との間に感通を生む媒体である——を極限まで押し進めたものである。 

 重信の句が難解に見えるのは、意味を拒んでいるからではない。むしろ、直言では届かないものを救い出すために、意味を一度壊しているのである。行から行へと落ちていく過程で、説明できないが確かに感じられる響きが立ち上がる。これが「垂直の詩学」の本質である。 

 しかし、本論考はそこで終わらない。垂直に沈降する力学だけでは掬いきれない「生身の重み・耳への響き・網膜の衝撃・歴史の鋭さ・内面のドラマ・読みの差異」——これらを六つの水平補強モジュールによって救い上げることで、鑑賞は初めて立体的になる。 

 ドリルが深く掘り当てたものを、アタッチメントが全方位から照らし出す。垂直と水平が交差するところに、高柳重信という俳人の真の多面体が現れる。 

 言葉を通して何かを伝えるのではなく、言葉の奥に潜む力を呼び起こすこと。そしてその力を、身体・音・歴史・心理・感覚のあらゆる方向から受け取ること。重信が目指したのは、そのような全体的な体験であった。それこそが、「垂直の詩学」を超えた「立体の詩学」の本質である。

(第2部につづく)


★―7:藤木清子を読む15 / 村山 恭子 


15 昭和12年 ②

街騒は遠し春雪ふる韻き         天の川5月 藤木清子で出句

 街のざわめきが遠くに聞こえる中、春の雪が降っています。立春も過ぎ、冬の厳しさが少しずづ和らいできています。春雪が降る響きは、かすかな音でしょう。喧騒を遠くに聴きながら、柔らかな春の雪の音に耳を澄ましている、静かで詩情ある情景です。

季語=春の雪(春)


雪ふれり窓枠のビル消してふる      同上

 窓から外を眺めると雪が降っています。窓枠から見えるビルは、激しく降る雪にかき消

されています。しんしんと降る雪を眺めながら、わが身も消されるような恐れを感じながらじっと耐えています。

季語=雪(冬)


降る雪に商館海に向て聳てり       同上

 雪が降る中、商館が海に向かって高く突き出ています。 厳しい冬の情景は己の心を反映しており、商館の逞しい姿に自身を鼓舞しています。

季語=雪(冬)


さくら咲き過去が重たくもたれよる    旗艦30号・6月

 さくらは花の中の花で、古来より愛されています。しかしながら、桜が咲くと過去が重たくもたれよると言っています。どっしりとした桜の老木を想起し、その幹に身をもたれかけて姿が浮かびます。桜へ心情を重ね、豊かな詩情を打ち出します。

季語=桜(春)


ひとり身に馴れてさくらが葉となれり   同上

 ひとり身にも馴れてきました。桜が葉になるまでの期間はわずかですので、本来はもっと時間がかかったでしょうが、桜の情景に気持ちを託しています。瑞々しい新しい葉へ己の生活を映し重ねています。

季語=葉桜(夏)


花の風つよければ海藍青に        同上

 花の風が強い日は、海が一層藍青色に深くきらめいています。強ければ強いほど、それに対するものは深く広く輝きを増していきます。

季語=花(春)

 

散るさくら石門閉ぢて冷淡に       同上

 桜が盛りを過ぎて散り、冷ややかに石門は閉じられています。石の冷たさが冷淡に繋がり、それを眺める者の心情を打ち出しています。

季語=落花(春)


【連載】攝津幸彦記念賞応募作品(全国学生俳句会合宿2025評論)7 平井照敏~詩と俳について~/馬場叶羽

 導入

 現代俳句の行方について、平井照敏は「俳句を律する二要素に詩と俳(新と旧)の因子をとり出し、その二因子の相克によって、近代の俳句史が展開してきた」という独自の仮説を提示した。ここでの「詩」とは、「文学、芸術などを含む。俳句を新しいものに変えようとする欲求」であり、「俳」は「伝統、守旧、俳句性」であると述べられている。

 この視点に立つとき、俳句史は「詩と俳」といった相反する要素の関係の中で生成され、展開してきた特異な歴史であると捉えられるであろう。伝統と革新、二項対立のなかで言語の可能性を模索する営みは、時代と共に複雑化されてはいるものの、依然として現代俳壇においてもなお、有効な構造である。

 ここで示したのは俳句史全体を俯瞰した一つの見取り図にすぎない。しかし、この見取り図は単なる枠組みにとどまらず、個人の俳句作品の内側でどのように機能しているのかという地平を、逆に切り開きうる契機ではないだろうか。まさに、平井照敏はこの対立軸を、自身の表現内部において具体的に実現しているのではないかと考える。

本稿では、平井照敏の第一句集『猫町』(一九七四)に焦点をあて、彼の作品が「詩と俳(新と旧)」という二項をいかに止揚し、それを詩的形式へと転化しているかを検討する。


略歴

 平井照敏(一九三一―二〇〇三)は昭和期から平成期にかけて活動した俳句評論家・詩人・フランス文学者である。東京において平井一男・ゆきの長男として生まれ、一九五四年に東京大学大学院人文科学研究科に入学。この時期、東京大学比較文学会への入会も果たしており、比較文学的視座の獲得が窺える。一九五九年、博士課程を満期退学後、同年に第一詩集『エヴァの家族』(思潮社)を刊行し、詩人として出発を果たした。

 教育者としての歩みは、都立目黒高等学校の非常勤講師(英語)の就任に始まる。一九六二年には青山学院女子短期大学非常勤講師(フランス語)に就任し、以後、同校を本務校としつつ、フランス語・フランス文学を講じた

 平井の俳句への本格的な関与は、一九六七年に俳誌「寒雷」へ投句を開始したことに始まる。この転換点において注目すべきは、青山学院女子短期大学に在籍していた加藤楸邨の存在である。平井は、同学の国文学科に教授として勤めていた加藤と出会い、師事するにいたる。平井自身、それは短詩型への関心の高まりと軌を一にしていたと語っている。一九六九年には第一回寒雷集賞を受賞し、翌一九七〇年には「寒雷」同人となる。さらに、一九七一年、同誌の編集長に就任したことは、俳句界における平井の地位が確立されたことを示している。

 一九七四年に『槇』を創刊・主宰、さらに同年、第一句集『猫町』(永田書房)を上梓した。

 その後も、句集『天上大風』『枯野』『牡丹焚火』などの作品を相次いで刊行し、精力的に句作を展開した。他、季語辞典『新歳時記』の編纂にも携わるなど、多面的な活動を展開した。


句集『猫町

 以下では、平井独自の表現方法が顕著にあらわれ、かつ「詩と俳」「新と旧」の関係を体現していると思われる作品を取り上げ、その特徴を検討する。


(一)主客滲透

 平井の句を詠むとき、その一助として用いたいのが「主客滲透」という理念である。「主客滲透」とは平井の師、加藤楸邨が提唱した理念であり、現実を直視することで、主体と対象とが相互に滲み合う詩的世界を目指すものである。これは、外界の事物や現象を、単なる客観的対象として捉えるのではなく、主体の内面へと浸潤させ、詩的に再構成するというプロセスをたどる。このとき、観察とは単なる外界の把握にとどまらず、自身の感覚や認識を媒介として、外界を内へと招き入れる行為へと深化する。対象はただの自然物ではなく、心理的空間における内的現象として再編されるのである。

 平井の俳句もまた、こうした楸邨の理念を踏まえつつ、より感覚的・身体的な領域へと「主客滲透」を、手法として推し進めている。以下にいくつかの作品を取り上げ、その詩的構造を検討する。

身のうちに草萠えいづる微熱かな

 この句は、「草萠え」という春の自然現象を、「身のうち」に取り込むことによって、内面的な感覚へと深化させている。この句において「微熱」とは、季節の変化に対する身体の繊細な反応であるといえるだろう。すなわち、「草萠え」は単に視覚的に観察された対象ではなく、身体的な体験として立ち現れている。

盲人の目のうらに入る五月晴

 この句では、「五月晴」という季語が、視覚障害を持つ「盲人」の「目のうら」に入り込むという、ふつう捉えがたい感覚が書かれている。「目のうら」とは文字通りの視覚器官の内側であると同時に、深層の感覚による空間でもある。そこに「五月晴」が「入る」という動詞によって、天候の光が心理的な次元にまで潜っている。

 この句において光は、物理的な光ではなく、むしろ心理的・象徴的な「感覚の光」である。それは視覚を欠いた存在において、かえって強調される内的感覚の豊かさを示唆しているとも言える。


(二)象徴性

 具体的な物や現象が、心理的空間のなかで象徴的存在へ移しかえることのできるこの「主客滲透」の手法は、平井にとってどのような効果をもたらしたのだろうか。

 平井の俳句は、表面的な描写にとどまることなく、言語を通じて外界の奥に潜む形而上学的な真実へと迫ろうという希求に貫かれているように思う。詩人は、現象を自身の内面に深く潜り込ませることによって、それを詩人自身を超越した位相へと昇華させるのである。それは、定型という形式のなかで高度な象徴性を実現し、表現の極限性と芸術的完成度を追求した成果である。

 そこには、「至上芸術」としての俳句をもとめる志向がうかがえる。「主客滲透」とは、近代詩やフランス文学などジャンルを超えて詩に親しんできた平井が持つ「詩」が、定型詩のセオリーとして存在する「俳」と接続するための手法の一つではないだろうか。

寒卵地球をくらく抱きけり

 「寒卵」というミクロな存在が、「地球」というマクロな存在を「くらく抱く」という大胆な逆転の構図である。卵は通常、命を秘めた閉ざされた容器として捉えられるが、ここではその閉じた存在が、宇宙的スケールの地球を抱擁する。これは物理的現実を超えた心理的空間における象徴的な操作である。

 卵は「生」であると同時に、その殻の暗さや、幾何学的で無機質なそのフォルムによって「死」をも予感させる。暗く、閉じた卵の内部に地球を抱くというイメージは、世界が生命を孕んでいるという肯定と、同時にその命が密閉され、孤立しているという不安とが共存する。

いとど跳ぶ時間の瘤のごとくなり

 昆虫の飛翔という一瞬の生命の輝きが、「時間の癌」として捉えられている。ここでも対象は単なる虫の動きではなく、時間という抽象概念に侵食をもたらす象徴として移し替えられている。「瘤」は制御不能で、内側から生を蝕む存在であり、それが「跳ぶ」という運動と結びつけられることで、諧謔のなかに差し迫った恐ろしさが混じる。時間という普遍的な流れの中で、生命の動きがすでに破滅を含んでいるという発想は、単なる比喩にとどまらず、時間そのものに対する根源的な不信や不安を内包しているのではないだろうか。


(三)詩と俳

 ここで意識すべきなのは、「俳」をもって「詩」に学びにいったのではなく、「詩」を持って「俳」に応答しているという点である。

 この句集が上梓された一九七四年は、おおざっぱにいえば兜太・重信による「詩」の時代と澄雄・龍太による「俳」の復権の時代の過渡期に位置する。つまり、「詩」への接近がひとつのピークを迎え、熱を失いつつあった時期だとも言える。こうした時代状況の中で、俳句形式に「詩」の感性や構造を導入しようとした他の俳人たちが、ある種の潮流を形成していたのに対し、平井はそうした動向に同調するというよりも、あくまで個人の試作の推移の中で、自身にとっての「詩」と「俳」の遭遇がなされていると思われる。平井の作品において、「詩」も「俳」も等価値におかれ、等身大のまま共存している。それは、表現そのものに根ざした、確固たる二項共立の形である。こうした平井の試みは「詩と俳」の相克の歴史の中で、一つの可能性を示しているといえるだろう。


参考文献

藤田湘子監修『平井照敏』花神コレクション、花神社、1995年

平井照敏『蛇笏と楸邨』永田書房、2001年


【大学俳句会アンケート回答】➀俳句とは何なのか➁俳句で何をしたいか➂俳句に関して何を書きたいか、

馬場叶羽:➀TV番組「にほんごであそぼ」を見て小学生から作句開始。始めてしまったので続けています。➁作家=高山れおな③考え中。


【筑紫磐井感想】

 文学と芸は俳人にとって重要な関心事であると考えられている。詩人でもあり俳人でもある平井照敏がこれに答えを与えようとしているのは間違いない。しかし、平井だけがこれに挑戦してきたというのは正確ではない。この問題について先行している代表的な一人に中村草田男がいることはよく知られている。中村は俳句においてこの問題を最大の課題と考えられていることは彼の様々な文書で知られている。とすれば、まず問題は、この二人のアプローチにどのような違いがあるか、二人の考察がどのように止揚されるかである。従って論者が平井に沿って考察を進めるのは妥当であるが、次の課題として草田男との対比のための第一段階でありそれだけで完結するわけではない。第2段階は平井と草田男の比較に進まなければならない。さらに平井以降文学と芸を考察した研究者、作家は多くいたから、それらを包含した第3段階の研究もまっているはずだ。そういう途上問題として読ませてもらった。その意味では、眼目となる「(三)詩と俳」が薄い感じがした。

  *

 特に読み進むうちに、この問題を解決するには、さらに遡って、文学とは何かにも答えなければならないと気付いた。俳句というジャンルで「文学」と「芸」を対比するためには近代における「文学」という基軸は今まだ明らかではないからである。我々が不注意に「文学」と呼んでいる言葉は、俳諧・俳句よりはるかに新しい言葉であるからだ。

 確かに子規は、「俳句は文学の一種なり」(「俳諧大要」明治28年)といったが、わずか2年前の「文界八つ当たり」(明治26年)では、小説を文学の中で最も高く評価し、韻文では漢詩を一位に推し、和歌を二位に置き、俳諧は改良の望みなしと断じている。近代俳句が生まれる前後は、子規においてすらこのような混乱状態であったのである。

 江戸時代には「文学」という言葉はなかった。いやなかったというと誤解がある、ありはしたがもっと広範な意味であった。儒学ですら含んでいた(「文学は精神に属する者」(「国法汎論」明治5年)。帝国大学法学部に哲学科、心理学科が入る所以である)。

 ただ明治になって文学(literature)という言葉が欧米の文化の導入に伴い新たな言葉として生まれ、過去の日本文学史をさかのぼると正確には文学ではないが、日本固有の文芸ジャンルが浮かびだし、文学の範疇が見えて来る。

 直近の江戸時代の文学史を後付けで眺めると、仮名草紙―浮世草子―赤本・黒本―黄表紙―洒落本―滑稽本―人情本―合巻―読本と系譜をたどることが出来る。特に江戸時代後半は、戯作と呼ばれたものが文学を形成することが分かる。これを第一段階の文学と呼ぼう。しかしまだ、この文学を以て平井や草田男の「文学」に当てはめることはできない。

 明治になってこの状況は変わる。明治初期文学(明治20年頃まで)を眺めると大きく4つの文学があると思われる。

➀仮名垣魯文『安愚楽鍋』(明治4年)「高橋阿伝夜叉譚」(明治12年)に代表される明治戯作。

➁『小説神髄』(明治18年)と『当世書生気質』(明治18年)を書いた坪内逍遥、『浮雲』(明治20年)を書いた二葉亭四迷、そして尾崎紅葉、幸田露伴と続くのだが、立派な理論書『小説神髄』に比較して実作は前代の戯作の影響を強く受けていた(『当世書生気質』は全体がそうだし、『浮雲』も第1編は顕著である)。実は小説を最高位に置いた正岡子規であるが、露伴の影響を受けて美文を尽くした戯作「月の都」を書いている(24年執筆、27年新聞「小日本」に連載)。それぞれの作家の内部で次第に「文学」らしい文体、執筆態度に変わって行く。

③翻訳文学

 これに比して翻訳文学は明確だ。すでに欧米に対象があるからだ。坪内逍遥・訳「該撒(シーザー)奇談 自由太刀余波鋭鋒」(明治17年)、二葉亭四迷訳「あいびき」「めぐりあい」(明治21年)、森鴎外等の訳詩集「於母影」(明治22年)、若松賤子訳「小公子」(明治23年)黒岩涙香「鉄仮面」(明治25年)等の翻訳文学が後世に大きな影響を与えた。これを草田男や平井の文学の源流に当てはめることはできるだろうが、どうもここには芸は見えない。

④混合文学

 しかし、実は以上のほかに、何れともつかぬ混合文学というべきものがあった。そしてこれが何より大きいのだ。「鳥追阿松の伝」(明治10年)等の新聞小説(これは明治戯作と軌を一にしていたとも言えた)、矢野龍溪「経国美談」(明治16年)、末広鉄腸「雪中梅」(明治19年)等の政治小説、三遊亭圓朝口述「牡丹灯籠」 (明治17年)等の速記講談がある。

 こうした渾沌とした文学現象の中で、明治の「文学」が形成されてゆく。

   *

 このような明治初期の「文学」の中で文学と芸が対立的に表れることはまだなかったようだ。唯一「芸」が顕著に表れるのは速記講談であった。

 その前に、速記講談を文学の中でレベルの低いものと考えるのはやめておきたい。これが対象としたのは、確かに落語、浪曲、講談などの大衆向けの寄席であった。しかし意外に落語は西欧文学とは関係が深い。特に三遊亭圓朝は、『死神』『名人長二』等の西洋小説の翻案を得意とした。また当時最先端音響技術が取り上げたのは桃中軒雲右衛門の浪曲の数々であった。一方講談を取り上げたのは現在まで大出版社として続く講談社(正式には「大日本雄弁会講談社」という。当初は「大日本雄弁会」という雑誌「雄弁」を刊行する弁論雑誌会社であった(当時演説会が盛況であった)が、時代の要請を受けて主流を速記講談に移し「講談社」を加えた)である。特に興味深いのは、出版権益をめぐって速記者今村次郎との対立から速記者を必要としない「書き講談」「新講談」へと移行し長谷川伸や吉川英治等多くの作家を輩出した。彼らを擁した『講談倶楽部』は一世を風靡した。日本の大衆文学が確立したのはこの『講談倶楽部』によるものだと言える。そしてこの書き講談が手本としたのは当代の名人講釈師たちの語り口だった。まさに大衆文学はこうした口承文学の語り口を芸として消化したのだった。

 多くの文学ジャンルの中で、文学と芸が語られる例はあまり多くはない。上からも言えるように「芸」が登場するのは速記講談のような口承文学・伝統文学の意識を持つジャンルに限られるようなのだ。論者が言うように、我々は俳句と芸は重要な関心事項であるが、なぜそういう思考がなされるかはよく考えて見ないといけない。それは伝統俳句の中に浸りきっているからこそ生まれる問題提起なのかもしれない。

     *

 この問題の参考のため、文学側の事情を見てみよう。イギリス文学を研究し東京帝国大学でも文学を講じるとともに、漢詩や俳句にも造詣が深く明治時代最大の文豪と呼ばれた人物が文学――特にイギリス文学と日本文学の比較を論じている例を紹介したい。それは夏目漱石である。かれはイギリス留学の後、大冊の『文学論』(明治40年)、『文学評論』(明治42年)を上梓している。前者で、漱石は序文で誠実なる態度で自らの研究態度位に触れつつ「漢学に所謂文学と英語に所謂文学とは到底同定義の下に一括し得べからざる異種類のものたらざるべからず」と述べている。その中で、18世紀を中心としたイギリス文学と東洋の文学――特に、漢詩、俳句、謡曲などを比較しながら何が異種類のものであるかを具体的に論じている章がある(別章では「文芸上の真と科学上の真」という水原秋櫻子を先取りした論も書いている!)。細密な分析をしているが、私が読む限り、イギリス文学の知と東洋文学の情の現われ方にあると考えているようである。決して「芸」には原因があるとは考えていないようである。余談になるが、こうした考察が文芸作品として、併行して初期の傑作小説『草枕』(明治39年)に現れているのは間違いない(「知に働けば角が立つ。情にさおさせば流される。」)。はたして「芸」は正しいのであろうか。論者の問題設定の前に、一度考えてみたい。

【豊里友行句集『赤ん坊オーケストラ』を読みたい】2  「軍靴の雨音の清真な響き」:石原昌光(歴史家)

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      がちゃ 軍靴の雨音

   がちゃ

がちゃ

(赤ん坊オーケストラ 73ページ)


軍靴の足音が聴こえる 


 私が知る中で一番陳腐な慣用句だ

 新聞でテレビでこの言葉を目にする度に 本当に警鐘を鳴らす気があるなら もっと言葉に気をつかえと思う

 これを出せば視聴者は怖気るとか 番組が或いは紙面が締まると思って そうしているなら その人は 今でも、ガチョーンといえば リビング大爆笑と思うのだろう

 言葉がキツイかな? わりーね、わりーね マレーネ・ディートリッヒ さて、 がちゃ がちゃ がちゃ 軍靴の雨音 がちゃ がちゃ だが、軍靴にも雨音はあるんだと 真新しい衝撃に打たれた。 

 乾いた、ザッ!ザッ!という音だけが軍靴ではないのだ。 軍靴もガチャ、ガチャ、いうのである

 雨の中の軍靴と言えば 私は学徒出陣を思い出す。 

 白黒フィルムの中の荘重なBGM しかしその中の学徒達は 悲愴な一言だ。 

 そこで思う… あの雨の神宮球場の泥まみれの学徒の靴も、また軍靴なのだと

 威圧を与える軍靴もあれば 悲愴な運命と共に地面を蹴る軍靴もある。

 軍靴という反戦プロパガンダに塗れた言葉が軍靴の雨音でしんとして しみじみ考える言葉になった。

  俳人、豊里友行の誠に面目躍如たるものではないか

  言葉は無力ではない

  使うものの創造性の欠如が言葉を陳腐にするのだ。

  これは私も含め、 全ての言葉を操る人々が肝に銘ずるべきだろう

  がちゃ がちゃ がちゃ 軍靴の雨音 がちゃ がちゃ 


【連載】現代評論研究:第25回各論―テーマ:「虫」を読む・その他― 藤田踏青、土肥あき子、北村虻曳、飯田冬眞、岡村知昭、しなだしん、筑紫磐井、北川美美、深谷義紀

(2012年05月25日/06月01日/06月08日)

●―1近木圭之介の句/藤田踏青

 蟻の笑いのない貌がはたらく地面    昭和28年  注①

 笑いとは快感や満足を表現するものであり、大別するとラーフとスマイルに分類され、それは大脳皮質、特に前頭葉に関連しているそうである。それ故、哺乳類では無い昆虫のアリに笑いが無いのは当然であるが、社会性昆虫の代表格であり、肉食性動物ではアリが人間のバイオマスに匹敵するほどの大きなバイオマスを誇っているそうである。

 そこで掲句だが、蟻と人間は背中合わせの存在とも受け取れ、戦後復興期に黙々と地を這う如くに働く人間の姿を髣髴とさせるものがある。人間の本質とは何か、蟻とはどう違うのか、との疑問を投げかけている様でもある。又、その類想の句もある。

 力をもって蟻がひく          昭和22年  注①

 心のきれつぱし黒く蟻になり地を這う  昭和25年  〃

 蟻に投影されたこの緊張感がほぐれた処からカントの言う「笑い」(注②)が生まれるのだが,そこに至るまでに幾多の苦難があった。


 圭之介は昭和51年10月11日、山頭火の三十七回忌に河童洞(自宅)に山頭火句碑(注③)を建て、下記の様な句を作っている。

 月夜またしぐるるしぐれの碑なり    昭和51年  注①

 冬蝶 碑を超えていった        昭和52年  〃

 ほどほどに時雨す石ぶみの声す     昭和58年  〃

 「しぐれ」はその句碑の作品に添うものであると共に、山頭火の代表作「うしろ姿のしぐれてゆくか」をも想起させる。また「冬蝶」は山頭火その人を指すと思われ、下記の句が下敷になっていると思われる。

 冬の蝶々よ 旅立つという山頭火よ   昭和15年  注①

 この句の前書きに「昭和15年1月12日、風来居(山口市)を引き上げ松山の一草庵へ移るという 一泊して去る」とあり、それが山頭火との永久の別れとなったようである。

 白い蝶が 彼はひとりきりの昼にする  昭和25年  注①

 これは山頭火が其中庵(小郡)に居た時の事を思い出しての句である。一匹の白い蝶は山頭火の孤独感を深めるものだが、圭之介は白い蝶を別の意味でも用いている。

 原爆で死ぬとき紋白蝶空にびっしり見たい 昭和60年  注①

 枯れまさる 両手どっと紋白蝶放ちたい    〃    〃

 カタストロフィに際しての思いは紋白蝶の群舞する世界であり、それは既出句「失イツクシ。蝶残ル」(第14回テーマ「春」:平成6年作)へと収斂してゆく。


注① :「ケイノスケ句抄」   層雲社   昭和61年刊

注② :「笑いとは、緊張した予期が突然無になることから生じる情動である」

        カント “Kritik der Urteilskraft”

注③ :「へうへうとして水を味ふ」  山頭火

   「音はしぐれか」        〃

上記2基の句碑(石柱)を建てる。


●―2 稲垣きくの【テーマ:流転】平河町時代/土肥あき子

 今日からのアパートぐらし秋の風 『榧の実』昭和34年

 昭和の高度成長期に住居表示化を併せて地名の大規模な統廃合が行われ、福吉町も近隣の田町、新町、一ツ木町、中町、氷川町、丹後町、新坂町という情緒豊かな町とともに赤坂1〜9丁目とそっけなくまとめられてしまった。そして、昭和29年(1954)に書かれたエッセイ「騒音地獄」にあるように、近隣の様変わり、ことに東隣にあった黒田侯爵家の大邸宅の焼跡を帝産オート(現:帝産観光バス)が買収し、バス車庫となったことが大きな原因となり、きくのは赤坂の家を手放すことを考える。きくのが丹精して手を入れた赤坂の家は、万太郎に賃貸し、万太郎の終の住処となる。万太郎の死後は楠本憲吉を通じ高級料亭として使われた時代を経て、現在は赤坂霞山ビルになっている。

 掲句には「平河町に移る」の前書がある。「アパートぐらし」に吹っ切ったような、諦めたような寂しさが言外に漂う。この年、きくのは53歳。そろそろ大きな屋敷をひとりで取り仕切るより、使い勝手のよい鍵ひとつで生活できる部屋の方が気楽と思える年齢である。しかし、その玄関が部屋が、照明のひとつひとつが、今までと違うことを日々あらためて思い知らされるのである。

 赤坂を去る数年前の昭和31年(1956)に鈴木真砂女の句集出版記念会の折り、万太郎からきくのにも句集出版の誘いを受けるが、安住敦から「まだ早い」と反対される。それもあってか、まずは「春燈」に掲載されたエッセイをまとめた随筆集を上梓した。随筆集『古日傘』は昭和34年(1959)5月、その秋きくのは平河町へ引越している。出版することで、きくのの気持ちもひと区切り付き、あらたな生活へと踏み出す機会となったのかもしれない。


『古日傘』には万太郎が祝句が扉に書かれている。

春ショールはるをうれひてまとひけ里  久保田万太郎

 愁いをまといつつも、新天地となるはずの平河町だったが、きくのの体調はおもわしくなかった。

   腸の疾患にて東大に入院

どの室で鳴る鳩時計夜長かな 昭和34年


   麻布、杉原医院へ移る

看とられて松も過ぎしとおもふのみ 昭和35年


 昭和34年(1959)から37年(1962)まで、そのほとんどを病院で過ごしながら、わずか3年間のアパートぐらしだった。


●―3 短詩として読む俳句【テーマ:死の風景】②/北村虻曳

いもうとは水になるため化粧する 石部明 遊魔系 2002

 私のわずかばかりの川柳の知識によると、死の風景と言うことで言えば誰よりも石部明を挙げたい。冒頭掲出句は、エロスと死という定番と言えるだろうが、まったく個性的な舞台を作りだしており彼の最高傑作と見る。

 「賑やかな箱」(1988)は、

指で輪を作ると見えてくる霊柩車

やがて手も沈んでいった春の海

あおむけにそのまま眠る花の底

紐を引くどこかで誰かが死ぬように

見くらべて等身大の箱を買う

なんでもないように死体を裏返す

など、さまざまな死に満ちている。物体となってしまったものを前に、いろいろなことを考えてしまうから「なんでもないように」と言う語が出てくる。俯せにして、死者と視線を交わすことはない。ましてや取りすがることは無益である。これは彼の覚めた無慈悲さとか、逆にセンチメントであり、優しさである、と言いきってしまうと少し語弊がある。情と非情を兼ねた幅の広さが持ち味である。

たましいの揺れの激しき洗面器

月光を浴びる荒野のめし茶碗

うっかりと覗いてしまう橋の下

なども死を暗示しているように読むことが出来る。「たましい」の句は、河縁(かわぶち)で育った彼の記憶の中、洗面器の振動しやすさや、捕った魚を放したときの暴れのイメージから生まれたものであろうが、魚を死に抗うたましいと変容させたことで死を暗示する詩となった。めし茶碗は、電灯の下、テーブルと言うよりもちゃぶ台の上で、もっとも親しい生命活動に関わっていたものだが、いまは捨てられて荒野に転がり冷たい光を浴びている。俳句の中における死と比べてより身近である。この句に限らず、媒体として用いられるものはどこか身体に結びついていて生活的であり、あちらの世界に行ってしまわない。川柳の出自を物語っている。


 「遊魔系」(2002)には、死と言うよりも、死んだ、あるいはされるがままの身体がたびたび登場する。

靴屋きてわが体内に棲むという

折鶴のほどかれてゆく深夜かな

体から誰か出てゆく水の音

戸板にて運ばれてゆく月見草

ぼろぼろに黄ばんでしまう人体図

真っ暗なからだの奥の水祭り

 肉体は生命の器と言うよりも不如意なもの、何者かに勝手に使われる場である。

肉色にかがやく午後の遺体かな

は、その肉体の昂然たる反抗、居直りであろうか。投げ出されてまぶしい死体、技巧を越えて迫力が印象に残る。この「遊魔系」、

梯子にも轢死体にもなれる春

で始まり、

縊死の木か猫かしばらくわからない

で終わる。感傷を排し、非情であらねばという独自の倫理が見える。誰かの周到な技巧の句を並べてもそれを無化してしまう無造作、ひいては無頼を感じる。石部明については、俳句・川柳の句会でしばしば同席したことがあるが、「賑やかな箱」の寺尾俊平の解説にある以上には身上について知ることはない。しかし勝手な推測で言えば、彼は私同様、生来おそれに対して感受性の強い人なのではなかろうか。おそれはより強い恐怖や毒の言葉でのみしのぐことができ、それを繰り返すうちにその刺激が身に付き、動じない無頼のペシミズムを形成する、そのようなことを考えてしまう。

目礼をして去ってゆくおそろしさ

 目礼されるときの恐ろしさ感じる人であり、また静かで恐ろしい目礼をする人ではあるまいか。


●―4 齋藤玄の句【テーマ:虫】/飯田冬眞

 ある筈もなき蛍火の蚊帳の中

 昭和52年作。第5句集『雁道』(*1)所収。

 人の目とは不思議なもので、見えないものを見てしまうときがある。理由はわからないが、その瞬間はたしかにそう見えていたのである。しかし、目を凝らしてみるとその姿は掻き消えて、ありきたりの見知った景色があるばかり。見たくて見たわけじゃない。まさに“見えてしまった”のである。

 掲出句は、そんな晩年の齋藤玄に見るともなく見えてしまった「蛍火」の句。

 一読、句中の〈蛍火〉は玄の身から抜け出た魂のことだろうと思った。それは、次の古歌を思い出したからだ。

もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る   『後拾遺和歌集』 1162

 言わずと知れた、和泉式部の代表歌。夫に捨てられた式部は、京都鞍馬の貴船の社を詣でて、その悩みを神に告げ、祈る。その帰路、御手洗川のほとりで蛍が飛び交うさまを見て詠んだとということが詞書にある。内容から恋の歌のように思っていたが、『後拾遺和歌集』では、「神祇」の部立に収められている。「もの思へば」の歌のあとには貴船の神の「返歌」が載せられている。神と人との歌のやり取りが勅撰集に収録されているということも和歌本来の持つ対話性をうかがわせて興味深い。

 掲載句の〈ある筈も〉ないのに見えてしまった〈蛍火〉について、自註に玄はこう記す。

 蛍火などもう絶えて見たこともない。随分昔の思い出の中にしかない。が、青々とした蚊帳の中では、今も蛍火が見えるという期待を持つ。(*2)

 この末尾に記された「今も蛍火が見えるという期待を持つ」という述懐からわかるとおり、〈蛍火〉は玄の眼前にはない。しかし、〈蚊帳〉を目の当たりにしたとき、その〈蚊帳の中〉にかつて見た〈蛍火〉を見てしまったのだ。蚊帳の中で浮遊する〈蛍火〉の幻想的な光景はあくまで記憶の中のものである。記憶の中の〈蛍火〉と現実の〈蚊帳〉を一句の中で読むことは教条的な俳句作法を順守する立場の方たちからは非難されるかもしれない。しかし、作者である玄には“見えた”のである。たとえ観念の中の蛍火であったとしても、それが読者の目にありありと浮かぶが如く伝わったとしたら、それはもはや、観念とは言い難い。詩的造形物とでも名付けるしかないものだろう。

 見えるものを見続けて、対象から何がしかの真実をつかみとるというのが俳句における写生の技法だとすれば、記憶の中のものであろうが、現実のものであろうが、区別する必要はない。この句はまぎれもない写生句なのではないだろうか。あえていうならば、幻視の写生とでも分類されるべきものである。

 『雁道』および齋藤玄の晩年の俳句には、掲載句のように、対象を描写しているように見せながら、実は作者の観念による屈折をともなった作品が多い。

 前回は〈裂く鯉の目には涅槃の見ゆる筈〉ほか、「鯉」の句をあげて、対象に観念的操作を施すことで、作者自身の内面を描写するという作り方を「観念的同化」と名付けた。今回はそれを確認する意味で、遺句集『無畔』から蛍の句を抽出してみることにする。

葦原を出づる嘗(かつ)ての蛍の身  昭和54年 『無畔』

 一句目は、葦の群生する湿原で蛍を見たという原体験がこの句の背景にはあるのだろう。〈葦原を〉離れるわが身は、前世、蛍であったに違いないという詩的断定の句。宿世観を発想の基底においた俳句はそれほど珍しいものではない。しかし、露まみれの蛍の姿を見つめ続け、忘我の時を過ごした作者にとって、葦原から去りがたい思いを抱いたのは疑いない。その心残りを、感情語を用いずに表出するとすれば、前世、わが身がこの葦原で蛍として飛んでいたからだ、としか言いようがなかったのだろう。

 掲出句同様、この句にも「観念的同化」作用が認められる。

見ぬ蛍ひとりの糧(かて)は水のごと   昭和54年 『無畔』

 二句目は、かなしくうつくしい句である。上五〈見ぬ蛍〉によって眼前の蛍ではないことは明らか。もう、蛍を見なくなって幾年月を経たのだろう、という詠嘆的な断定がこの〈見ぬ蛍〉には込められている。〈ひとりの糧(かて)〉という語から晩年の孤絶感が伝わる。病躯を養うために一人で摂る食事は〈水のごと〉くである、とは、直腸がんを患っている玄の食事が流動食であったことを想起させて痛ましい。にもかかわらず、この句にはどこか明るいうつくしさがある。流動食で命をつなぐ老人の姿がいつのまにか、水を求めて乱舞する蛍の姿にすり替わって見えてくるからだ。むろん水を求めて遊んでいる蛍は、無明の闇の中にしか存在しない。孤独に絶望した闇を照らすのは観念の中の蛍に過ぎないのが哀しい。

 現実には見えていないものを観念の中で凝視する。すると、観念の中でしか存在しないものが現実の作者を取り巻くなにかに入れ替わって立ち現れるという詩的変容が生じる。この句で言うならば、〈蛍〉も〈水〉も現実には存在せず、作者である齋藤玄の記憶の中にしか存在しない。記憶の中で蛍が水を求める姿を思い浮かべながら、只今現在の私はただ一人で夕餉を囲んで生きながらえている。そこに、そこはかとない可笑しみと生きることの根源的なかなしみがこの句を読むと伝わってくる。

 観念的同化から観念的転移へと変容した最晩年の佳句である。

冥(くら)きより冥きに出づる蛍籠  昭和54年 『無畔』

 『法華経』化城喩品に「従冥入於冥 永不聞仏名」(冥きより冥きに入りて 永く仏名を聞かず)の偈頌(げじゅ)がある。経文の意味は、私たち凡夫は生まれては死ぬことを繰り返し、永遠に真理を悟った仏になることはできない存在だ、ということ。この一節を踏まえた古歌が『拾遺和歌集』にある。

冥(くら)きより冥き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月   『拾遺和歌集』 1342

 作者は雅致女式部(まさむねのむすめしきぶ)、つまり、和泉式部のこと。歌意は、煩悩の闇から闇へと迷い込んでしまいそうな私に真理の道に導くように遥か彼方まで照らしておくれ、山のすぐ上に輝く月よ、というもの。

 和泉式部の古歌に比べると玄の句はやはり、理に落ちているきらいがある。句意は、闇から闇へと時を隔てながら浮かび出ることでしか、その存在をあらわすことができない、それが蛍籠というものだ、ということになろうか。表層の意味だけみるとやはり経文の実存的真理を具象化したに過ぎないようにみえるが、下五の〈蛍籠〉によって、古歌にはない生存の可笑しみが立ち上がっているように思う。

 見えないものを見てしまったとき人はふっと笑いをもらす。齋藤玄の蛍の句は、どれも、そのふっと漏らした息のようなさりげない姿をしている。


*1  第5句集『雁道』 昭和54年永田書房刊 『齋藤玄全句集』 昭和61年 永田書房刊 所載 

*2 自註現代俳句シリーズ・第二期16『斎藤玄集』 昭和53年 俳人協会刊


●―9 上田五千石の句【テーマ:虫】/しなだしん

 五千石の「虫」の句といえば〈啓蟄に引く虫偏のゐるはゐるは〉がある。この句は昭和五十六年作、第三句集『風景』所収。季語「啓蟄」は動きようもないが、理が勝っているのは否めないし、このような句の造りはありふれているように思う。だがこの種の句は早く作ったもん勝ち的なところがあって、これはこれで五千石の一つの代表句として存在すべき作品といえる。

     ◆

 今回の「虫」の句で選び出したのは次の二句。ともに第一句集『田園』所収。昭和三十二年作。

羽繕ふ間も黒蝶の華麗な生

鉛筆で火蛾の屍除くる貧詩人

 一句目「羽繕ふ」の自註には〈「華麗な生」などと、映画の題まがいの語句が臆面もなく使われている。人生のテーマは愛と死だ、とか口にしていた観念的で、しあわせな時代〉とある。

 二句目「鉛筆で」の自註には〈詩人を志すことは、貧乏を覚悟することであるが、貧乏していれば、立派な詩が書けるかといえば、そういう訳にはいかない〉とある。

 この二句の制作年、昭和三十二年は五千石、二十四歳。上智大学文学部新聞科を卒業した年。生家の「上田テルミン」を継ぐべく、東京鍼灸学校三年課程に入学する。鍼灸師の修行の傍ら、「氷海」に拠り、精力的に俳句に打ち込んだ時期である。自註にある通り、貧しいと感じられる暮らしぶりであったのだろう。だがそれゆえに胸中には熱い情熱を抱いていたに違いない。

     ◆

 この二句の面白いのは、まず非常にエモーショナルで詠い過ぎである点。これは一句目の自註にある通りの、そういう年齢、時代だったこということだろう。

 次に、五千石が自註を書いたのが、昭和五十三年一月、四十六歳であったが、この頃でも自らを「詩人」であるという認識でいること。掲句の二句の制作年、昭和三十二年と意識は変わっておらず、「俳句」という「詩」を「詩人」として作り続けていたのである。

     ◆

 冒頭の〈啓蟄〉の句は既に手練の俳句(決して悪い意味ではない)になっているが、掲出の昭和三十二年の二句からは真っ直ぐに詩を作る意識しか見えて来ない。


●―10 楠本憲吉の句【テーマ:妻と女の間】/筑紫磐井

アイリスや妻の悲しみ国を問わず

 昭和59年。『方壺集』より。

 これは自らの妻のことではない。「およそ、妻と言うものは」という意味であろう。他の作家であれば、俳句のような一人称欠如文学では一般的な妻と自分の妻の像が解け合うのだが、憲吉の場合はそういうことはない。憲吉の妻のような悲しみは、国を超えても希有だからである。

 自句自解によれば、日韓文化交流協会の文化交流訪韓団団長として憲吉が韓国を訪れたとき、慶州仏国寺石窟庵を訪問。その一行の中に二人の幼児を連れた宮崎から来た親娘がおり、仏国寺訪問の日がその娘の主人の命日であったという、石窟庵訪問が在りし日の主人の熱願であった由。ちょっとした小品のエッセイになりそうな素材であるが、舞台役者のように派手な憲吉の詠みぶりは、ポーズたっぷりな句になり、じめじめさを払拭している。それはそれで大上段の演技で悪くはないと思う。

 ただ自解を読まなければ、普遍的悲しみ、例えば徴兵で戦場に出かけた男の妻のような例がまず思い浮かぶ。大上段すぎるからだ。

 話は変わって、同時に詠まれた句が次の句。

チューリップ女王へ葉みな捧げ銃

 出典は同上。上記日韓文化交流の主軸に日韓親善華展があり、楠心華道の作品に俳句を付けて展示した。チューリップの尖った葉が「女王様へ捧げ銃」をしている兵士のように見えたというのである。単純な見立てであるが、憲吉の見立てはこのようなドライで西欧画風の明るい構図が多い。

 この時、憲吉は韓国との文化交流を積極的に進めたいと思ったらしいが、この時代ではまずらしい方ではなかったか。交流の対象に、演歌と俳句を考えていた。今生きて韓流ブームに大喜びだったであろう。


●―12 三橋敏雄の句【テーマ:『眞神』を誤読する】48./ 北川美美

48. 野を蹴って三尺高し父の琵琶歌

誤読その1.

 三尺高いのは父の琵琶歌の声のトーン、あまりに甲高い琵琶歌のため、われは家にいられなくなり心乱れて「野を蹴って」みるが耳の奥にいつまでも父の高音域の琵琶歌が聴こえる。しかし、唄方・杵屋三七郎に尋ねると、邦楽で音階調子を「尺」で表現することはないらしい。


誤読その2.

 下図は『三橋敏雄俳句カルタ』(読札:三橋敏雄/イラストレーション:ナムーラミチヨ)の読札と絵札である。


戦後俳句を読む (25- 1)三橋敏雄の句【テーマ:『眞神』を誤読する】48./ 北川美美 « 詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト


 『眞神』の世界観を表す構図があるように思え絵札を凝視する。この絵がこの句の全てなのではないか。読札も絵札も、見る側に寡黙でありつづける。評論や鑑賞などは敏雄にとり無意味なのではないだろうかと無力さに打ちひしがれる。

 絵を観て思う。まず、三層の構図。野/空中/琵琶を奏でながらの父の素足。上五・中七・下五の下から上へあがって行く構図。エイヤー!と野を蹴りあげ、ベンベンベン~と琵琶の音色と悲しみが響き渡る野という空間、それを観ている「われ」がいる野、われが感じる空気、音、父の存在・・・句が作りだす空間を絵札から体験した。そして絵札の中心を占めているのは、「空」(くう)、大きな空間であることに気づく。

 絵から句に戻る。


野を蹴って

三尺高し

父の琵琶歌


 三尺は約90㎝。「三尺去って師の影を踏まず」のことわざがある。三尺高いのは、父の存在そのもの、父と自分(われ)との距離。野という茫茫とした空間にただ茫然と立つわれ。空(くう)に広がる琵琶の低い弦の音、世の無常を歌う父。

 なぜ三尺分「高し」なのか。そこに影を踏めない父の存在の高さがある。「高い」という表現に、「高笑い」「高楊枝」「高圧的」など、自分よりも相手が高いという意味合いがあり、そこに昔ながらの家督としての父の威厳が直結してくる。「父」は常に高い位置にいる。その父を表現するに敏雄にとって「琵琶歌」が直結したのだろう。ナムーラさんの描く「野」には父の足の影は全く描かれていない。父という存在の空虚という音に託したのだ。

 敏雄の観念が弧を描いているようだ。誰もいない野で見た幻想の世界なのかもしれない。しかし、その観念は「野を蹴る」という力強いリアルな表現を得て、確信を得ている。蹴って飛びあがったからこそ琵琶歌が三尺高いところから聞こえてくるというリアリティ。観念をリアルに変え、原因と結果の相関関係がまさに弧を描いてみえる。

 野にでれば、父がいる。


晩鴉撒きちらす父なる杭ひとつ

 野に打込まれた杭に父を投影する。父が登場するわれの立ち位置は野である。『眞神』における父の存在。

 更に何故、字余りにしてまで「父の琵琶歌」を書いたのか。


鐘消えて花の香は撞く夕べかな 芭蕉


 The temple bell stops –

 but the sound keeps coming

 out of the flowers.

         BASHO (translated by Robert Bly)


 芭蕉句はアメリカ人ピアニスト、グレン・グールドの関連書籍の扉に引用されていた。

(『グレン・グールドは語る』グレン・グールド/ジョナサン・コット/ちくま学芸文庫)

 漱石自身が俳句的小説と評する『草枕』に心酔した音楽家・グレン・グルードの眼を通し、上記の芭蕉の句が音を奏でる哲学的意味をもつように読める。音はせずとも鳴り続く、耳の奥で。搗きつづけるのは、空虚そのものであり、音は心の中にあるもの、というように読める。テーマ「音」の論考ですでに敏雄句から実際の音が聴こえてこないこと、音がミュートになっていることを述べたが、芭蕉に通じていることを改めて思う。この芭蕉句は、敏雄の「野を蹴って」の句そのものではないだろうか。何もない野に「父の琵琶歌」が響き渡る。荒涼とした野に広がるものは、まさに空(=空虚)であり、父の琵琶歌が心の空虚をつき続けているということというように読めてくる。「父の琵琶歌」でなければ、つけない空虚なのである。

 敏雄直筆の読札に掌を置き、様々に位置を変えながら読んでみる。


「野」-「琵琶歌」/野に出てこそ聴こえる琵琶歌

「蹴る」-「高し」/蹴ったので高い 原因と結果

「三尺」―「父」/ 常に三尺高い父の存在

「父」-「琵琶歌」/父だけが歌う琵琶歌

「野」-「父」/ 野に出れば父がいる


 実際の言葉があらゆる相関性をもちこの句が躍動的に廻っているように見えてくる。読札から不思議な空転体験をしているようだ。

 敏雄の父親は実際に琵琶歌を歌い、その歌声は高い音程であったと敏雄が話していたと伺ったことがある。「父の琵琶歌」のキーが高いと感じた第一印象はそう外れていない。それは敏雄の句作の動機付が作者に伝わったということだろう。

 敏雄の句は、回転する。まるでそれは、コンセプチャルアートのインスタレーションの中にいるような、「言葉の世界の体感」を感じ得ることができる。

 絵を描くこと、言葉を紡ぐこと、詩を書くこと・・・何かを作ろうとする作り手の動機と、実際のリアルであることの誤差を幾重にも頭の中で線を引きなおし描きなおしていく。読者に解ってもらうことなどどうでもよく(読者に迎合する意味)、言葉がぐるぐると繋がりを持ち、手を結んでいた。

 ナムーラさんが実際に48枚の絵札を描きあげた制作期間はたった半年だったという。おそるべき集中力。この句が48句目であることも何かの縁のように思えた。まさに48句目にして、ようやく登山道入口に辿いたところだろうか。この地点から未だ『眞神』の山は、高く険しく崖のように聳え立ってみえる。

 『眞神』神社にて入山の禊の御払いをし息を落ち着かせたい。


●―13 成田千空の句【テーマ:虫】/深谷義紀

螻蛄ひそむ農の重みの足跡や

 第1句集『地霊』所収。

 螻蛄は、昼間地中に潜み、夜になると地中から出てくる。よく「みみず鳴く」といわれるのは、実はこの螻蛄の鳴き声である。千空は若い時分この螻蛄を題材とした句をよく作った。いくつか引いてみる。

螻蛄の闇野鍛冶は粗き火を散らす   『地霊』

母の屍ゆ別れきれねば螻蛄の闇    『地霊』

 「螻蛄の闇」というフレーズからも分かるように、千空の作品世界において螻蛄はそれが持つ暗いイメージ、とりわけ螻蛄が鳴くと言われる夜の闇が醸し出す「死」の印象に結びついている。やはり、戦前から戦中にかけ胸を病み、己の死を意識しながらの療養生活を余儀なくされ、更に空襲により青森市内の自宅を焼け出されてからは句友と隔絶された開墾地において孤独な句作を続けた若き日の千空にとって、螻蛄はひときわ親近感を覚える季題だったのだろう。しかし歳を重ねるにつれ螻蛄の作例は少なくなり、第2句集以降には見当たらない。過酷な時代が終わり、孤独な生活環境が変化するにつれ、千空もこうした暗い精神世界から脱却したようにも思える。

 そうした観点から鑑賞すれば、掲出句の「重み」には様々な思いが込められているように思う。農作業を終えた男の足跡が、彼の体格のよさにより深い窪みとなって残される。あるいは鍬をはじめとする様々な農具の重さも加わったかもしれない。そのことを嘱目した写生句と見えないことはない。しかし、その足跡が残る土の中には、夜になるとジーッと低い鳴き声を立てる螻蛄が出番を待っているのである。即ち、すぐ足許には螻蛄が象徴する「暗黒の闇の世界」が横たわっており、明日の我が身にも暗い影を投げかけるのである。だとすれば、この「重み」は農作業あるいは現実生活の苦衷を詠んだものであり、足跡の深さは人生の重さの象徴にも思えてくる。

 津軽の農村、しかも千空が実際に体験した戦後間もない時期の開拓生活の様子が垣間見える作品である。今も、あの畑に螻蛄は鳴いているのだろうか。