2026年2月1日日曜日

【連載】名俳句鑑賞へのラブレター3『岡田史乃の百句』(辻村麻乃・著、2024年刊、ふらんす堂) 豊里友行

  先ずは、本書の帯文を記しておく。

岡田史乃は華やかな存在感のある女(ひと)だった。

 その華やかさを満たしていたのが大きな悲しみであったことがくきやかに見えてくる、娘辻村麻乃さんの百句読解。生きることは悲しく、そのゆえにこそ美しい、と改めて教えられる史乃さんの句である、麻乃さんの読みだ。(高橋睦郎)

 あと母・岡田史乃を見る娘の後書きも記しておきたい。 

こうして、四冊を改めて紐解いてみると(母娘癒着型であったので)母の句を読むことは自分を読み解くことにも繋がるとわかった。これからはここから飛翔して、この想像力を様々な方の句の鑑賞に生かして行きたいと思う。

   かなしみの芯とり出して浮いてこい

この句は岡田史乃の代表句といっても過言ではない。(抜粋と省略)対面的には女一人で私を育てていたため、その悲しみは「芯」となって終生残ってしまったのだ。「浮いてこい」に動詞としての意味ももたせた句となっている。


 他にもオンリーワンな母娘の俳句問答が俳句によってなされていく。


がんばつて霞草今日贈つたわ

 岡田史乃には口語句が垣間見られ、それが割と人気のある句となっている。(抜粋と省略)嫌々贈ったが、それを出来たことで自身の中のピリオドが打たれる。頑張った自分を褒めたい。それを女の話し言葉で「贈つたわ」と来ると、まるで友人か誰かに自分の今日の出来事を報告しているかのような親近感が湧く。


宍道湖へ向つて笑ふ裸かな

 これは本人から亡くなる前に聞いた話だが、この時の岡田隆彦と夫婦として大岡信氏達詩人の皆さんと旅行に行ったらしい。宍道湖が目の前に見える旅館で、大岡氏が半裸で湖に向かって本当に笑っていたそうな。実家の片付けをしていた時にこの頃の詩人の集まりに於ける岡田史乃の写真を見たことがある。当時はまだ若くて(しかも派手で)美しかった母はその場の静謐な雰囲気を一人で違うものにしていた。


病んでなほ母は母なり酉の市

  『ピカソの壺』にも「やがて死す母の巨大へ秋日差し」「母死せば荒神(あらがみ)悴むごとくなり」という作者の母親を詠んだ句があるのは記憶に新しい。俳人であった作者の母親、笹尾操は身長百七十センチ、大正生まれとしては大柄で恰幅の良い女性であった。秋葉原で夫から任された会社社長でもあり、性格も積極的な人であった。リーダーシップもありぐいぐい人を引っ張る。(抜粋と省略)祖父は広告写真の会社代表であり、酉の市には大きな熊手を買って食堂に飾っていた。そんな環境を思い出しながら病床でも弱気とならず、常に会社のことを思う母親を詠んだものと思われる。


謝つてよと泣く女童に濃山吹

 この句は以前「篠」でも触れたが、まさに幼女時代の私のことを詠んだ句である。私はかんが強く、いつもキイキイ言って大人たちを困らせる我が儘な子どもであった。(抜粋と省略)相当怖い母親であったのに反抗して、自分の正しさを認めてもらえるまで泣き叫んだ。それを傍観しながらこの句を詠んでいたとは流石俳人だと感銘を受ける。


嬰児にもあるためいきや花エリカ

 この句が詠まれた頃に私は女の子を授かった。母にとっても初めての孫娘で、長い期間里帰りして面倒をみてもらった。あくびやくしゃみひとつひとつに反応をしていたが、そのためいきにぴったりな季語を合わせて句を詠んでいる。


昨日会ひ今日も会ひたし娘のショール

 (抜粋)会いたいのは娘たちの方で、私とは思わなかったからだ。あとで本人にこの句のことを聞くと「麻乃のことだよ」と。読むと今でも涙を禁じ得ない。


 其の他にも秀句は溢れ出るように選びあぐねるくらいで「煮崩れし魚の半眼無月なり」「家中を散らかして出る四温かな」「風船のかげを持たずに売られけり」「花に寝て花にたづねたきことのあり」「髪の毛を長く流して泳ぎくる」「かなかなとそんなに近くで鳴くなかれ」「ぼつぺんをわが名のごとく吹きにけり」「獅子頭脱ぎ田遊びの列となり」「クリオネの赤い内臓春いよよ」「つぶれないシャボン玉でも作ろうか」「びつしりと桜の空の桜かな」「引鶴は一糸の赤い糸なりや」「蟬時雨私のために泣かないで」「言いわけは私にもある大夕焼」「人間の子供のやうな芋の露」など。

 俳句鑑賞を身近にできる方がいることの幸福よ。松尾芭蕉の俳句を後世に残したお弟子さんたちの俳句鑑賞があるように俳句の世界は、俳句鑑賞で一対で完成する器だ。

 名俳句鑑賞へのラブレターの定義は、もちろん私、豊里友行が良いと感じる俳句鑑賞を採り上げているのだが、複眼的で多面的である方がいい反面、私たちは、誰に向けて俳句を詠むか。私たちは、誰に向けて俳句を鑑賞するか。その対象を意識することが、私にとっての名俳句観賞ではとても大切なことだ。この身近な母の俳句を娘によって俳句鑑賞することでオンリーワンな名句鑑賞になり、そして娘である辻村麻乃さん独自の開眼への気付きを見出しているようで感慨深い。