2017年4月21日金曜日

第64号

●更新スケジュール(2017年5月5

二十八年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞‼
恩田侑布子句集『夢洗ひ』

第4回攝津幸彦記念賞 募集‼ 》詳細
各賞発表プレスリリース
豈59号 第3回攝津幸彦記念賞 全受賞作品収録 購入は邑書林まで



平成二十九年 俳句帖毎金00:00更新予定) 
》読む

平成二十九年 春興帖

第三(5/5)夏木久・網野月を・林雅樹
第二(4/28) 杉山久子・曾根 毅・堀本 吟
第一(4/21) 加藤知子・田中葉月・花尻万博

歳旦帖 追補
(4/28) 恩田侑布子






●新シリーズその1
【西村麒麟特集】北斗賞受賞記念!
受賞作150句について多角的鑑賞を試みる企画
【西村麒麟・北斗賞受賞作を読む0】 序にかえて  …筑紫磐井  》読む
【西村麒麟・北斗賞受賞作を読む1】北斗賞150句 …大塚凱  》読む

●新シリーズその2
【平成俳壇アンケート】
間もなく終焉を迎える平成俳句について考える企画

【平成俳壇アンケート 回答1】  筑紫磐井 》読む



  【抜粋】

<「俳句四季」2月号> 最近の名句集を探る
恩田侑布子『夢洗ひ』より 
…筑紫磐井、大井恒行、小林貴子、齋藤慎爾 》読む
二十八年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞‼

恩田侑布子句集『夢洗ひ』



  • 「俳誌要覧2016」「俳句四季」 の抜粋記事  》見てみる




    <WEP俳句通信>






    およそ日刊俳句空間  》読む
      …(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々 … 
      • 4月の執筆者 (柳本々々 ) 

        俳句空間」を読む  》読む   
        ・・・(主な執筆者) 小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子・
         好評‼大井恒行の日々彼是  》読む 

        _________________


        【評論】
        アベカン俳句の真髄 ー底のない器ー  
        … 山本敏倖  》読む

        【短詩時評39話】
        安福望さんと柳本々々で個展「詩と愛と光と風と暴力ときょうごめん行けないんだの世界」でギャラリートークとして話したことやぎもともともと  》読む





        あとがき   》読む



        冊子「俳句新空間 No.7 」発売中!
        No.7より邑書林にて取扱開始いたしました。
        桜色のNo.7


        題字 金子兜太
        • 存在者 金子兜太
        • 黒田杏子=編著
        • 特別CD付 
        • 書籍詳細はこちら (藤原書店)
        第5章 昭和を俳句と共に生きてきた
         青春の兜太――「成層圏」の師と仲間たち  坂本宮尾
         兜太の社会性  筑紫磐井



        2016年度版 俳誌要覧 必見!


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        金子兜太 著 ,青木健 編
        寄稿者=嵐山光三郎,いとうせいこう,宇多喜代子,黒田杏子,齋藤愼爾,田中亜美,筑紫磐井,坪内稔典,蜂飼耳,堀江敏幸.




        俳句年鑑2017年度版・年代別2016年の収穫に筑紫磐井執筆‼
        「二つの力学」筑紫磐井
        【紹介作家】池田瑠那・高瀬祥子・阪西敦子・西山ゆりこ・大高翔・日下野由季・津久井健之・前北かおる・北大路翼・藤本夕衣・鎌田俊・冨田拓也・杉原祐之・村上鞆彦・椿屋実梛・大谷弘至・藤井あかり・杉田菜穂・高柳克弘・涼野海音・中本真人・松本てふこ・抜井諒一・音羽紅子・伊東裕起・小川楓子・神野紗希・西村麒麟・佐藤文香・山口優夢・野口る理・中山奈々小林鮎美
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        特集:「金子兜太という表現者」
        執筆:安西篤、池田澄子、岸本直毅、田中亜美、筑紫磐井
        、対馬康子、冨田拓也、西池冬扇、坊城俊樹、柳生正名、
        連載:三橋敏雄 「眞神」考 北川美美


        特集:「突撃する<ナニコレ俳句>の旗手」
        執筆:岸本尚毅、奥坂まや、筑紫磐井、大井恒行、坊城俊樹、宮崎斗士
          


        特集:筑紫磐井著-戦後俳句の探求-<辞の詩学と詞の詩学>」を読んで」
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        2017年4月16日日曜日

        【短詩時評39話】安福望さんと柳本々々で個展「詩と愛と光と風と暴力ときょうごめん行けないんだの世界」でギャラリートークとして話したこと/やぎもともともと

        今、帰りの新幹線なのですが、きょう(4月15日土曜日)イラストレーターの安福望さんの個展でギャラリートークをしてきました。場所は大阪の北浜、NEW PURE+です。

        うまく話せたかどうかわからないところがあり、だんだんわたしも話しながら、(わたしはつまらないことを話しているんじゃないか)と思い、「すいませんわたしはもしかしたらつまらないことを話してるかもしれません」と謝ったりもしたのですが、ただやすふくさんは興味深いことを話していたような気がするので、何点かその話の要点をまとめてみようと思います。

        ひとつは、やすふくさんは、主に短歌をもとに絵を描いているのですが、展示になると少し変わった心境になると言います。なんというか、言葉に対する違和感がでるというのです。言葉をどう配置したらいいのかたいへん悩むそうです。ただすっきり納得したことがあって、それは神楽坂の展示のときに、壁そのものに直接言葉を書きつけられたときだそうです。

        それって、でも、壁に文字を書きつけるのだから、もう文字というより、壁の染みというか、壁の絵、壁画みたいになるっていうことですよね、ことばが。このやすふくさんが納得できたという壁画という観点は、もしかしたらやすふくさんの絵を見直す観点としてもきょうみぶかいのかなとも思いました(ある意味、《野蛮》ですが、しかしやすふくのぞみの性質は《野蛮》というキーワードもあるのかもしれません。ゲリラやアナーキーでもいいですが)。

        やすふくさんの絵は、緻密なリアリズムで構成されているというよりは、桜があり、宇宙があり、熊があり、舟があり、男の子がいるという象徴的な操作がしゅんかんてきにわかるように構図が構成されています。これは、ツイッターでスクロールしながら洞窟の奥で壁画でもみるように、火のなかで、ゆらめくなかで、ぱっとみたときでも把持できる象徴表現としての絵です。やすふくさんの絵はもしかしたら壁画的なんじゃないだろうか、あなたもしかして壁画画家(へきががか)なんじゃないですか、と思いました。「へきががか!?」

        そうすると、なぜ動物とひとがあたかも対等に一枚の絵にいすわっているのかもわかるような気がするんじゃないかと。昔の、神話的な思考のなかで、考えることもできるんじゃないかと。これはトークのなかでの直感ででてきた話なので、あくまでひとつのアイデアですが、やすふくさんが壁に親和性を見いだしていたのはおもしろいなと思いました(ちなみにギャラリーのオーナーの方もたまたま中沢新一さんの話をされていたのもきょうみぶかかったです)。

        もうひとつは、すこし関係していますが、やすふくさんの絵のひとと動物、おとこ、おんなは、支配/被支配の関係がないんじゃないかということです。これは、トークのなかで、やすふくさんの絵における男らしさ・女らしさってなんだろうという話がでたなかでのことですが、やすふくさんの絵にはそうした男らしさや女らしさがどこか解体されている感じがあるんじゃないだろうか、だとすれば、それは、支配する側と支配される側の関係が明確に描かれない、熊とひとが並んだり、おとことおんながせなかあわせになっていたり、そうした関係のあいまいさをそのままに描いているからじゃないかという話になりました。

        ジェンダーが明確に打ち出されるのは、おそらく、支配/被支配の関係がもっとも強く打ち出されたときだからです。

        やすふくのぞみの絵における《らしさ》の所在はどうなっているのか、という問い。女らしさ、男らしさ、ひとらしさ、動物らしさ。

        まとめると、トークで話した少なくともふたつの話題は、安福望はほんとうに《紙》に描いているのか、もしかしたら《壁》に描いていたんじゃないかという言葉とイメージをめぐるメディアを含めた問い直しがひとつ。もうひとつは、やすふくさんの絵のなかにおける支配する者と支配される者の関係は解体されているんじゃないか、まったいらな世界なんじゃないかという《らしさ》をめぐる問いかけがふたつめです。

        もうひとつ、最後につけたすと、やすふくさんは、「思っていることをしていない」というマルクスのような複雑なことばをさいごに発言していました。これにはわたしも驚いていったいこのひとはなにをいうのだろうと思いましたが、ただ《思っていることをしていない》ことで、複雑な内面のねじれをたたえながら、シンプルでぱっとつかまえられるやすふくリアリズムが絵として展開されているのはとてもきょうみぶかいと思いました。中沢新一さんやレヴィ=ストロースが言うように、トーテムポールや昔話や神話のなかのいっけんシンプルな関係が、複雑な構造をおりなしている場合があります。

        そういう、アースダイバーのようにイメージの古層にもぐりながらやすふくのぞみの絵をかんがえることもできるのではないかと、いま、名古屋を過ぎながら考えています。

        来てくださった方、最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。


        ●宣伝【柳本々々×安福望の本】

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        内容紹介
        ツイッターのDMでの会話を本にしました。
        御前田あなた@anata_omaeda(柳本々々)と食器と食パンとペン@syokupantopen(安福望)の会話辞典


        柳本 にゃにゃあだって伝わるかどうかわからないものね。

        安福 にゃにゃあも伝わることあるかもしれないですね。一回だけとか。

        柳本 じゃあ、コミュニケーションは奇跡なんだ。

        「にゃあにゃあ」
        裏表紙より


        ブックデザイン:駒井和彬

        著者について
        柳本々々(やぎもと もともと)
        1982年新潟県出身。岩田多佳子『ステンレスの木』、野間幸恵『WATER WAX』、竹井紫乙『白百合亭日常』、『猫川柳アンソロジー ことばの国の猫たち』、徳田ひろ子『青』、中家菜津子『うずく、まる』等の著作に寄稿。

        安福望(やすふく のぞみ)
        1981年生まれ。イラストレーター 『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』

        【評論】アベカン俳句の真髄 ー底のない器ー  / 山本敏倖


         アベカン俳句を一言で言えば,底のない器である。汲めども尽きぬ包容力を持ち、読み手を翻弄する。言い換えればどんな読み手でも、それが悪意に満ちた曲解であろうと、受け入れる許容性を孕んでいて隙がない。しかし見方によっては、その読みにより、読み手の力量、レベルが白日の下に晒されてしまう。つまり読み手の現在を、そのレベルを逆照射する際どさを常に秘め持つ、恐い句とも言える。アベカン俳句の志向性は、言葉の持つ可能性を最大限に発掘することと見る。そこの所を氏は「常に〈次〉の一句を目差すことにある。〈次〉とは(いつもの所)に誘導され、(いつもの俳句)に墜落し、安心するのではなく、常に新・真・深を追究する」とし、そのキーワードとして「精神の季節」と「言葉の自然」(俳句幻形)を挙げている。その次を目差すことの一つに、言葉の示す一つ一つの中心的意味から如何に遠去かり、それをどう組み合わせるかがある。従ってどうしても意味の希薄化は避けられないし、曖昧性も増す。しかしこれは、独断を許してもらえば、芭蕉翁の晩年の「軽み」志向にも通底するものが感覚され、その分研ぎ澄まされた詩的感性が要求される。又、今という現瞬間を私との関わり合いの中で捕えるという構えを、最期までこだわり崩していない。アベカン俳句が難解と言われる由縁であろう。確かにアベカン俳句は難解である。だからこそ面白いのだが。自身、難解性に関しては、歴史的事実と照合し、俳句革新は常にその当時、その時点において「難解俳句」であったことを証明している。(俳句研究一九九四年十一月号)故に難解性とは、俳句革新と同義語と見てさしつかえあるまい。その姿勢こそが、氏の作句行為における重要なベクトルと踏んでいる。人口に膾炙した句として

        絵本もやしてどんどんこちら明るくする 
        ローソクもつてみんなはなれてゆきむほん 
        木にのぼりあざやかあざやかアフリカなど 
        栃木にいろいろ雨のたましいもいたり

        阿部完市に初めて会ったのは、現排協(前の秋葉原にあった頃)で第一回青年部の勉強会の席でである。その後、氏の顧問で始めた「現代定型詩の会」に参加、青年部の頃と合わせると通算十五年以上、俳句に関する薫陶を受けたことになる。ここでは氏と共に歩んだ十数年の時期に一番重なる第九句集『地動説』(平成十六年六月)に触れてみたい。

        私は症状である竹の秋
         
        水色は滋賀県の水の色なり 
        空気銃は空気銃の重さ六月 
        寒牡丹は1である証明 
        それゆえにしゆうべるとの鱒であります  
        しもやけしもやけまつさかさまである

        『地動説』から恣意に抽く。掲句、私はは、氏が良く用いる語彙の一つ。一人称としての俳句にさらなる私を強調するとで、普遍性を獲得するというのが、一般的な解釈だろう。

        小生もその域を出ていない。底のない奥がありそうに思えてならないが、現時点ではそう見る。それは症状であると言う。症状の多面的解釈を強いられる。私の、なら抵抗なく通じる。はとなると、私の存在そのものが症状ということになる。つまり助詞「は」の起用により、一句を感覚を優先した句に変貌せしめている。そこに詩的跳躍があり、謎が生じる。従ってどうしても症状のもつ多面性を探らざるをえない。どの面で受け止めるかで句の解釈は異なる。しかも竹の秋。その特殊性は群を抜く。氏はこれをあくまで言葉として使用しており、季語のカテゴリーを超えている。私と症状と竹の秋。どれもが既成の概念を払拭しており、三者の織りなすドラマが幾重にも絡まる。水色は滋賀県の水の色、一見理屈のようにも見えるが、そう思わせておいて「何かある」が氏の特徴。滋賀県が眼目。

        言葉派である氏にとって滋賀県の歴史や地理、文化などの背景は余り要をなしていないように思える。無論皆無ではない。それらの影響力も否定は出来ない。が、小生の場合かなり独断的だが、まずその字面に魅かれる。滋は、「うるおう、養分になる、水にめぐまれて草木がしげる、繁茂する、そだつ、ふえる。」(国語辞典)賀は、「(先方にあったよい事を)喜び祝う。喜びたたえる。ことほぐ(言祝ぐ)」の県(圏)である。水色がそうした気分を持つ県の水の色であることは容易にうなずける。なりの断定が小気味良い。命名には何らかの理由があったはず。滋賀県の名称も又、そうしたい何かがあって不思議はない。とすれば、逆に字面からイメージして見る感覚も案外無視出来ぬものがあるのでは。現時点での解釈を試みた。他の句にも触れたかったが、枚数が尽きた。さらに遺句集となった第十句集『水売』(平成二十一年二月二十八日)とりあえずその巻頭と巻軸の句。

        桜騒箱をならべて箱のこと 
        猫飼いてあるいは多行形式

        『水売』すべて病吟中とあり、焼き直しの句が多いすなわち助詞一つ、名詞一つ、表記等、ちょっとした違いにより一句のもつ世界を更新させている。言葉とその有り様に対し、常に正攻法であり、常に懐疑的であり、常に途中なのだ。惜しい人を亡くした。合掌。


        (初出 2010年 LOTUS 15号 特集「阿部完市の軌跡」)

        【西村麒麟・北斗賞受賞作を読む1】  北斗賞 150句  / 大塚凱



        どこか、なんとなく、ぼんやりと、うすうす、他人事。そんな印象を受ける。この作品の大きな魅力を挙げるとすれば、それは“他人事感”である。

         なぜ僕は、他人事らしさを感じたのだろうか。もちろんそうではない句もある。しかし、ひとつの作品群や連作(本作品は「一五〇句作品」であって「一五〇句連作」ではないが、作中には連作かのように感じられる部分がある)を読んで「何か」を確かに感じるのであれば、最大公約数としての傾向、あるいは抽象される方法論、のようなものが存在しているということだろう。作品評においては、一句一句の良し悪しについての(特に良い点についての)“選評”という形式になりがちだと思われるので、価値判断というよりは、「他人事の文体」とは何か、について考えたい。断っておくべきことは、本稿の目的は俳句を「西村麒麟の俳句」とその補集合の境界を探るものではなく、あくまで「西村麒麟の俳句」がどのような傾向の基に成り立っているかを考え、その手法を示唆することにある。

         俳句が一般に、作者・作中主体の一人称のもと書かれると想定すると、当然ながら「主体が一人称のもとで自己/他者を描写する」という構造が生ずる。その際、一人称が前提であるとすれば、その作中の事象は描写という行為に先立つ、と錯覚される。したがって、一人称で表現を行うということは、すなわち、前述の時差をもって「事象がその眼前に生じた主体」と「事象を表現した主体」が分化することを導くかのように感じられる。そもそも、このような前提において、俳句は「どこか他人事」になりうる構造を秘めている。
         しかし、すべての俳句がそうであるとは到底感じられない。可能性は可能性であって、存在を実証するものではない。とすると、殊に西村麒麟の句を「どこか他人事」たらしめている手法が存在するはずである。


          日射病畝だけ見えてゐたりけり 
          踊子の妻が流れて行きにけり 
          文鳥に覗かれてゐる花疲れ

         一つには、「見える/見られる」という距離感の効果があるだろう。「見える/見られる」という関係は、「嗅覚」「聴覚」「触覚」といった他の身体感覚よりも主体と客体の間に隔たりがあるように感覚されるのではないだろうか。それはつまり、比較的身体性の薄い知覚であるということだ。これは、視覚による知覚が文芸における表現の前提になっているように直感されることと関連するかもしれない。「景」という一種の用語は、俳句の視覚性を示唆している。大切なのは、「見える/見られる」という関係は主体的な関係性ではないということだ。対照的に「見る」という行為は、たとえその契機が外発的であったとしても、主体的な関わり方であると考えられる。西村麒麟の表現においては、あくまでも主体的ではないような関わり方で作中の事象を表現している。


          春の日や古木の如き鯉を見て

         当該句は「見て」と表現しているものの、多くの読者の解釈は「(意識的に)鯉を見てしまう」というよりも、「鯉が見えている」という「景」を想像するのではないだろうか。そう想起させるのは「春の日」という季語の関わり方に因るかもしれないが、そのような全体において、これは「見える」という関係性である。このように、西村麒麟作品の他人事らしさの一部は、一人称の構造を前提としながらも「見える/見られる」という主体的でない表現を手法としていることに因ると考えられる。

         また、敢えて描写に踏み込まないという表現傾向も指摘されうる。 

          水中を脅かしたる夏の雨 
          寒鯛のどこを切つても美しき 
          散りやすく散りゆく彼岸桜かな

         一句目、後藤比奈夫の〈夏潮に雨は一粒づつ刺さる〉と比較すれば、描写の「踏み込まなさ」は明らかである。続く句における「美しき」も描写といえば描写だが、踏み込んではいない。ここを「美しき」で止めている書き癖。「散りやすく」という抑え方も同様である。やや言い方に語弊があるが、低密度な描写とも言えるだろうか(低密度であることが落ち度である、と言っているものではない。その句におけるバランスが重要である)。

          目が回るほどに大きな黄菊かな
         

         となると、一歩踏み込んだように感じられるが、あまりこのような身体性への志向は強くない。

         加えて、殊に僕が興味深かったのは、オノマトペやそれに準ずる和語的な副詞には「抜け感」を演出する副次的な効果があるのではないだろうか、ということである。以前、僕は副詞について「意味上の効果」とともに、韻律にゆとりを与えるという副次的な効果について書いた(「長い午後 郡山淳一について」, 週刊俳句, 第四九七号, 二〇一六年一〇月三〇日)が、それに加えて前述の効果の指摘できよう。オノマトペは音韻とそれによるイメージによって、用言をもちいた描写の代替となる。それは、確かに「音韻のゆとり」と「描写の踏み込まなさ」の恩寵であろう。


          盆棚の桃をうすうす見てゐたり 
          しろしろと頭の小さき茸かな 
          八月のどんどん過ぎる夏休み 
          大鯰ぽかりと叩きたき顔の 
          鮟鱇の死後がずるずるありにけり

         このようにして副詞のゆるやかさを援用し「抜け感」を獲得しているが、西村麒麟の作風の基にあるのは、むしろ「意味」からの要請である。実景の範疇で「意味」と「調子」の均衡を図ろうとするとき、まして一物で仕立てる場合、同一語や近接した単語のリフレインという手法へ走ることとなる。「見える/見られる」という関係性のもとで表現を構築する場合、一句の口誦性を非意味な押韻などで演出することはその実景という“制限”のもとで困難となる。この制限のもとでは、音韻のうえで隣接した言葉は意味としても隣接する傾向が強くなり、口誦性を付与する手段としては同一単語のリフレインが現実的な手段となるであろう。

          青々と黒々と川秋の風 
          桃買つて林檎を買つて善光寺 
          紫の一つ一つが鳥兜 
          秋の金魚秋の目高とゐたりけり
          白鳥の看板があり白鳥来 
          烏の巣けふは烏がゐたりけり 
          烏の巣烏がとんと収まりぬ 
          蛍の逃げ出せさうな蛍籠

         本作品には、このような手法に基づく俳句が多い。実際に、前掲の一句目から四句目までは作中で隣接しており、後ろの四句のようにやや類型化した発想を感じざるをえない。これは一句一句の水準の高低の問題ではなく、複数句作品あるいは連作としての問題、ひいては作家としての問題である。

         ここからは僕の価値判断と希望的観測を含む評となるが、「意味」への意識は、叙述における「因果」となってしまってはいけない。

          小さくて白磁の馬や春を待つ
         
          夕立が来さうで来たり走るなり 

         決して不用意な句であるとは感じないが、これまでの取り合わせ例が蓄積された現代においては、「小さく」「白磁」「馬」「春を待つ」の間の関係性がやや透けて見えてしまうのではないか。因果への安住を打破したところに、西村麒麟としての次の一手があるような心地がする。

          早蕨を映す鏡としてありぬ 
          水出せば水に集まる朧かな

         たとえば、僕はこれらの句に、これから、を感じる。その「他人事っぽさ」がより高い次元へ昇華した一例であると思う。次なる句集が、さてどのような次元へ踏み込むのか、僕には興味がある。でも、麒麟さんはジゲンとかショウカとか、考えている僕をちょっと滑稽に思ってるタイプだろうけど。



        【西村麒麟・北斗賞受賞作を読む 0】 序にかえて / 筑紫磐井



        西村麒麟が田中裕明賞に次いで、文學の森の北斗賞を受賞した。

        北斗賞は不思議な賞で受賞後に句集を出版してくれる、受賞者にとってありがたい賞なのだが、句集が出版されるまではどのような作品が受賞したのか全く分からない。受賞作品を読んだのは選者ばかりなので、その選考結果によりうっすらとイメージを想像できるが、どんな素晴らしい作品かわからないのである。

        そこで、西村麒麟に作品150句を提供してもらって受賞を祝する鑑賞を掲載しようというものである。

        多くの若手世代を輩出した『新撰21』だが、はっきり言って、麒麟にとって、『新撰21』はネガティブな意味で刺激になっている。

        自分と同世代が、『新撰21』『超新撰21』『俳句なう』で麒麟を追い抜くように次々登場し、マスコミに取り上げられているのを鬱屈した思いで眺めていたと語っている。
        (優れている人とそうでない人との違いと別に)光が当たる人と当たらない人が出てくることはやむを得ないことだと割り切っているが、『新撰21』のそうした功罪は間違いなくあるのであり、その責任の一端は私や高山にある。そうした問題に忸怩たるものを感ずるところがあったから、高山れおなは乗り気でなかったのも関わらず、『新撰21』のあとの『超新撰21』の刊行には、自己負担があるにもかかわらず私は賛成したのである。しかしこれは、ごく小さな自己満足にすぎないかもしれない。

        逆説的なのだが、『新撰21』が出たために俳句をやめた若手もいたかもしれないし、間違いなく西村麒麟はそれを逆境と感じたのである。

        しかし私はこんな風にも感じている。天才は、我々が手を貸してやる必要などない。どんな悪環境だろうと、そこから伸びだしてしまうからこそ天才だろう。手を貸すというのはむしろ天才の邪魔をする悪魔の手立てだと思っている。その意味では、『新撰21』が出た悪環境の中で『新撰21』と無関係に登場し、脚光を浴びることこそ天才の一つの証拠だと思う。御中虫と西村麒麟はそんな存在だろうと思う。

        何しろ句集を出しても、田中裕明賞を受賞しても、北斗賞を受賞しても彼の属している結社は、特集も、お祝いもしてくれないらしいのである。これは彼の属している結社を批判しているのではない。小さな賞を取ったからと言って手のひらを反すような厚遇をする結社に比べれば見識のある結社というべきだろう。

        さはさりながら、『新撰21』で鬱屈している麒麟が、田中裕明賞を受賞しても、北斗賞を受賞しても鬱屈しているのは今後の成長のためにもいいことだが、「俳句新空間」としては少しおせっかいをしてみることとした。その第1句集に長大な特集をしたように、今回の受賞でも特集を組んでみようというのである。
        豈も俳句新空間も、世に恵まれない天才たちのためにある雑誌である。雑草のように踏み虐げられている草こそ我々の花園に咲くのがふさわしい。今回またシリーズで西村麒麟特集を送るゆえんである。

        西村麒麟北斗賞受賞評論公募!

        高邁な理想から始めた連載であるが、西村麒麟も私と同様あまり友達が多くないらしい。

        第1句集の特集と、今回の特集でほぼ友人リストを使い切ってしまったようだ。本人の希望もあり、公募という不思議な方式を取ることとした。

        本BLOGの読者の中で、西村麒麟論を書いてみたいという方は、本BLOGの編集部ないし西村麒麟自身にご連絡を頂きたい。未公開の150句をお送りするので読んだうえ評論を送っていただければありがたい。

        もちろん読んだうえであまり大したことがないということで中止しても差し支えない。
        これを御縁に西村麒麟とのネットワークに参加していただきたいと思う。


                                 筑紫磐井


        2017.4.30 追記
        前号で、「西村麒麟北斗賞受賞評論公募!」として、「本BLOGの読者の中で、西村麒麟論を書いてみたいという方は、本BLOGの編集部ないし西村麒麟自身にご連絡を頂きたい。未公開の150句をお送りするので読んだうえ評論を送っていただければありがたい。」と申し上げたが、編集部では取り次がないこととしたので直接西村麒麟にご連絡をお願いしたい。






        【平成俳壇アンケート1】第1回・筑紫磐井  



        「昨年の後半とつぜん今上天皇の退位が政治的スケジュールに上がってまいりました。様々な憶測が飛び交っていますが、その中で平成は三十年をもって終了するらしいと言われています(二〇一九年一月一日改元説が有力)。何気なく平成俳壇という言葉を使ってきましたが、これからは「昭和俳句」、「平成俳句」という括りで俳句史を回顧することになるのでしょう。
        ついてはほかの雑誌に最も先駆けて、平成俳句アンケートを「俳句新空間」で行ってみたいと思います。あと1年余あることはありますが、平成の大勢をつかまえたいと思います。差支えない範囲でご回答ください。」

        以上が、アンケートの依頼趣旨である。しかし冊子「俳句新空間」第7号で、「特集・21世紀俳句」の「叢林鼎談――二十一世紀俳句の来し方・行く末」(大井恒行・酒巻英一郎・筑紫磐井)の中で次のような発言が出ているから、このアンケートの依頼趣旨を少し補足していることになるだろう。参考にしていただきたい。

        酒巻:平成の終焉がいよいよ射程距離に入ってきて、平成三一年(二〇一九年)一月一日に今上天皇が退位なされ、年号が変わると。平成のこの三〇年間は、いわゆる「大正俳壇」を生みだした大正年間のちょうど倍の時間なわけです。「大正俳壇」と言えば、一般的には鬼城・水巴・普羅・蛇笏・石鼎を輩出した「ホトトギス」の山稜が築かれた、その限りでは「昭和俳句」への架橋となる実り多い時代なわけですが、比べるに「平成俳壇」とでも呼ぶべきものがあるとしても、即座にその中身を言い当てることができない。もはや「平成」を冠するアンソロジーを編もうとしたところで、アーカイブ以外に時すでに遅しです。

        筑紫:冒頭、酒巻さんから、平成の終焉がいよいよ射程距離に入ってきて、平成の三〇年間を「平成俳壇」とでも呼ぶとしても、即座にその中身を言い当てることができないとお話がありました。私も同感で、「俳壇」一一月号で「昭和俳句レトロ館」という特集があり、多くの俳人たちが自分たちの記憶から、終戦・原爆忌・憂国忌・夏休み・黒電話・スター誕生・高層ビル・肉食・帰郷・月の石などを挙げており、いかにも昭和の風景であったことが納得されましたが、では平成の風景が平成俳句にどのようにかかわるかというとなかなか難しいものがあるように思います。そもそも「平成」で切り取れる風景や俳句は果たしてあるのだろうかという気がします。その意味で、何を指しているかわからない二十一世紀俳句は「(仮称)二十一世紀俳句」としておくとしても、平成俳句とは違って、終わったものではなく、現在・未来として眺める意味がある――過去ではなく未来がある――のではないかと思います。

        ちなみに2②の「平成を代表する句集」については、角川書店「俳句」25年12月で「大特集・俳人300名が選ぶ!平成の名句集best30」(櫂未知子・小林貴子・筑紫磐井)がまとめられている。比較すると興味深い(飯田龍太『遅速』、飯島晴子『儚々』、友岡子郷『翌』、宇多喜代子『像』など)。




        アンケート回答 ●筑紫磐井●

        1.回答者のお名前(筑紫磐井

        2、平成俳句について

        ①平成を代表する1句をお示しください
        ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ (なかはられいこ) )

        ②平成を代表する俳人をお書きください。判断が難しいので2つに分けて結構です。

        ➊大家・中堅(高山れおな)
        ➋新人(御中虫・西村麒麟)

        ③平成を代表する句集・著作をお書きください。(長谷川櫂『震災句集』

        ④平成を代表する雑誌をお示しください。(夏草・別冊号、弘栄堂版「俳句空間」

        ⑤平成俳句のいちばん記憶に残る事件を示してください。(「結社の時代」キャンペーン

        ⑥比較のために、俳句と関係のない大事件を示してください。(オウムサリン事件、9・11同時多発テロ、3・11東日本大震災

        3.俳句一般

        ①時代を問わず最も好きな俳人を上げてください。(攝津幸彦
        ②時代を問わず最も好きな俳句を示してください。(幾千代も散るは美し明日は三越 攝津幸彦


        4.その他
        (自由に、平成俳壇について感想をお書きください)

        2.のいくつかの項目について解説しておく。記載とは異なり、下から順次考えいったので、解説もその順番に従う。

        俳句と関係のない大事件=オウムサリン事件(1999年)、9・11同時多発テロ(2001年)、東日本大震災(2011年)

        多くの人とこのうち2つか3つが重なるのではないか。

        (1)サリンは、小さな宗教団体が世界戦争用の武器を使える時代を迎え、市民の日常が脅かされる時代が続くこととなった。世界的に見ても、宗教(キリスト教を含め)が人を救うより、むしろ人を殺すこと・狂わせることが多いことを認識させたのである(実はいつの時代もそうなのだが)。

        (2)は、軍隊が大量に市民を殺略するのは20世紀にしばしば見られたが、これは戦争ではない。戦争と戦争以外の区別がなくなり始めた時代であろう。

        (3)常時震災があることは10年おきの震災で体験済みである、ならばそのような地震があろうと鉄壁の震災対策こそが日本には必要であろう。地震の予知はむなしいことを感じさせる(紀元前にローマ人はコロッセウムや水道などの土木「技術」を完成させたが、ついに土木「科学」は一向進まなかった。地震予知はこの土木科学の延長にある)。私は、震災直後、首都を東京から東北に移転する提案を行った(「小熊座」平成23年7月)が、何の反応もなかった。

             *    *

        3つ並べてみると救いようのない、宿命的な事件ばかりだ。昭和と違って、それが平成なのだろう。この脈絡の中で、介護、孤老、DV、欝、いじめ・差別、詐欺等の中小の身近な事件へと続く。上記「俳句」25年12月の特集で、藤原龍一郎は三橋敏雄の平成刊行の句集を論ずるにあたり「戦争の時代であった昭和を、自己の体験を基盤にして鋭い批評意識とともに総括」すると述べているが、実は「戦争の時代であった」のは昭和前期(戦前)であり、「鋭い批評意識とともに総括」しようとしたのは平成ではなく昭和後期(戦後)であったはずだ。平成はとんでもない時代に漂流し始めたと見た方がいいのではないだろうか。


        ⑤平成俳句の記憶に残る事件=「結社の時代」キャンペーン

        このような空恐ろしい災害に比較するのはおこがましいが、俳壇を根幹から揺るがしたのは「俳句」編集長秋山みのるの「結社の時代」であったように思う。俳句は文学・思想ではなく、上達法・添削法さえうまくやればよいという価値観が出来上がったからである。このために、秋櫻子、草田男、楸邨などの理念を持った俳句はほとんど古典俳句として祭り上げられ、時代遅れに扱われている。虚子ばかりがもてはやされるのである(本当は虚子にも思想や文学があるのであるが、多くの俳人にはあまりそれに気が付かない)。

        ③平成を代表する句集・著作=長谷川櫂『震災句集』

        アイロニカルな意味をこめて取り上げたい。平成にあって、これほど批判を浴びた句集はないのではないか。しかし、5年たって振り返ってみると我々が震災を見る目を客観的に同定するにはうってつけの句集となっている。言ってみれば、大正13年のホトトギスの震災特集に近い役割を果たしている。

        ②平成を代表する俳人(新人)=御中虫・西村麒麟

        このような時代で、時代を代表する作家は、此処にあげた二人であろうと思う。御中虫は俳句及び評論の枠組みをほぼ完璧に破壊しているし、西村麒麟は結社のバックアップも受けず、殆ど金をかけないで句集を出版する(近頃、金を書けないでも句集はできると豪語している聞いている。出版社の敵のような男である)。
        ただし新人の賞味期間は2~3年であることは言っておこう。だから、『新撰21』が古典になることはないのである。まだ俳句を始めていない、これから俳句を始める人こそ、次の元号を代表する時代の俳人なのである。

        ②平成を代表する俳人(中堅)=高山れおな

        あらゆる媒体を駆使してメッセージを発信する。句集、選集(『新撰21』)BLOG(「―俳句空間―豈weekly」)、雑誌(「Ku+」)、新聞・雑誌の時評などで刺激的で騒々しい存在である。経緯から言っても「新撰21世代」の兄貴に当たる。ただ飽きっぽいのが玉に瑕だ。しかし時代の変化に敏感で、まさに時代の受信・発信塔の役割を果たしている。

        略歴を見れば、平成元年俳句同人誌に入会、平成5年『「俳句空間」新鋭作家集Ⅱ「燿」』でデビュー、まさに平成の時代をすべて眺め尽した、純粋平成俳人であった。ちなみに回答者の私も、平成元年第一句集『野干』を刊行したから、一応は平成俳人だともいえるのだが。

        ①平成を代表する1句=ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ (なかはられいこ)

        ⑥で様々な事件を上げたが、その一つの「9・11」を上げたい。この作品をしのぐ時事句は他の事件ではなかったように思う。しかり、この時、俳壇は、ただ一人の大辻隆弘(歌人)のような作家も生まなかったのである。

        意味をたどれば、「ビルが崩れてゆくなんて綺麗きれ(い)・・」であろうか。いたるところで、句点で切断されており、これは視覚的にも崩れてゆくビルそのものの姿だ。しかも、これは崩れているビルを眺めるというよりは、末尾の断絶(「き、れ」のあとがない)から、まるで崩れてゆくビルの中に身を置いているようにすら見える。定型が破壊される衝撃を感じているのだ。

        この作者は川柳作家。高山れおなから教えられた。高山の「「ゼロ年代の俳句100選」をチューンナップする(一覧篇)」(―俳句空間―豈weekly第94号 2010年6月6日)で選ばれている。

        ちなみに、この時の高山のコメントは、次の通り。

        「なかはられいこが、
        ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ
        と、傑作を作っている。なかはらは柳人なれど、わたくしは柳俳一如の筑紫磐井の弟子なので百句選に採るのはノープロブレムである。「逸」という雑誌で引用されているのを見たもので、初出は不詳ながら二〇〇一年か二〇〇二年の作のはずである(※後日確認された出典「WE  ARE!」3号 2001年12月)。」