2022年4月29日金曜日

第182号

      次回更新 5/13


第45回現代俳句講座質疑(10) 》読む

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■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和四年春興帖
第一(4/29)仙田洋子・仲寒蟬・坂間恒子

令和四年歳旦帖

第一(2/11)仙田洋子・神谷波・加藤知子
第二(2/18)坂間恒子・辻村麻乃・松下カロ
第三(2/25)杉山久子・仲寒蟬・花尻万博
第四(3/4)ふけとしこ・岸本尚毅・内村恭子
第五(3/11)山本敏倖・網野月を・田中葉月・なつはづき
第六(3/18)浜脇不如帰・木村オサム・鷲津誠次・男波弘志
第七(3/25)小沢麻結・前北かおる・小野裕三
第八(4/1)渡邉美保・曾根 毅・鷲津誠次
第九(4/8)浅沼 璞・眞矢ひろみ・下坂速穂・岬光世
第十(4/15)依光正樹・依光陽子・竹岡一郎・瀬戸優理子
第十一(4/22)林雅樹・水岩瞳・佐藤りえ・筑紫磐井

令和三年冬興帖
第一(2/11)飯田冬眞・仙田洋子・神谷波・小林かんな
第二(2/18)加藤知子・坂間恒子・辻村麻乃・杉山久子・松下カロ
第三(2/25)鷲津誠次・仲寒蟬・井口時男・ふけとしこ
第四(3/4)花尻万博・岸本尚毅・内村恭子・山本敏倖
第五(3/11)網野月を・田中葉月・なつはづき・浜脇不如帰・木村オサム
第六(3/18)男波弘志・望月士郎・のどか・小沢麻結・前北かおる
第七(3/25)小野裕三・渡邉美保・曾根 毅・鷲津誠次・浅沼 璞・眞矢ひろみ・望月士郎
第八(4/1)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子・竹岡一郎・瀬戸優理子
第九(4/8)林雅樹・水岩瞳・佐藤りえ・筑紫磐井
第十(4/15)松下カロ・妹尾健太郎・堀本吟


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■ 第24回皐月句会(4月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中! 》読む


豈64号 》刊行案内 
俳句新空間第15号 発売中 》お求めは実業公報社まで 

■連載

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ (21) ふけとしこ 》読む

北川美美俳句全集15 》読む

【抜粋】 〈俳句四季4月号〉俳壇観測231 鷹羽狩行論の行方――狩行は如何に行動し、思考し、かつ批判されたか

筑紫磐井 》読む

英国Haiku便り[in Japan](29) 小野裕三 》読む

澤田和弥論集成(第7回) 》読む

句集歌集逍遙 櫂未知子『十七音の旅』/佐藤りえ 》読む

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス
25 紅の蒙古斑/岡本 功 》読む

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス
17 央子と魚/寺澤 始 》読む

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス
18 恋心、あるいは執着について/堀切克洋 》読む

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス
7 『櫛買ひに』のこと/牛原秀治 》読む

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス
18 『ぴったりの箱』論/夏目るんり 》読む

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス
11 『眠たい羊』の笑い/小西昭夫 》読む

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい
2 鑑賞 句集『たかざれき』/藤田踏青 》読む

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス
11 鑑賞 眞矢ひろみ句集『箱庭の夜』/池谷洋美 》読む

『永劫の縄梯子』出発点としての零(3)俳句の無限連続 救仁郷由美子 》読む





■Recent entries
葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
4月の執筆者(渡邉美保)

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

第45回現代俳句講座質疑(10)

  第45回現代俳句講座「季語は生きている」筑紫磐井講師/

 11月20日(土)ゆいの森あらかわ


【筑紫回答】

(2―2)前衛について(まず前史としての新興俳句から) 

 新興俳句について言えば例えばこんな批判があります(「馬酔木」令和3年10月号の100周年特集)。

  今井聖氏は、現代俳句協会の『新興俳句アンソロジー・なにが新しかったか』について、「新興俳句」の中に、秋桜子、楸邨、波郷を含めていることを批判しています。「虚子が秋桜子の主観よりも素十の客観写生の方に組みしたのが「ホトトギス」離脱のきっかけとなったのであるから秋桜子は「新興俳句」の初動を担ったとまずは考え、ならばそこに所属した俳人も「新興俳句」の俳人として考えてもいいという理屈である」と解説し、これに対し高野ムツオ・神野紗希の集中での発言につき「二人の論旨の展開はかなり強引に感じられる」と裁断しています。

 坂口昌弘氏は「秋桜子と「馬酔木」の系譜は新興俳句に括ってはいけない」という長い題で、「「『現代俳句大辞典』では「新興俳句」について「「『ホトトギス』から『馬酔木』の独立したことに伴い新しい俳句運動が起こり、これを新興俳句(金子杜鵑花の命名という)と呼んだことに由来する」「秋桜子が無季俳句批判を行い新興俳句運動から離脱したとされている」と筑紫磐井は書く、川名大は『戦争と俳句』で「馬酔木」を新興俳句誌としている、しかし秋桜子が新興俳句運動を始めたことやその運動から離脱したという事実は全くない。」と述べます。

 しかし彼らが言っている「新興俳句」とは何なのでしょうか。どうやって発生し、どういう意味を持って使われたかを吟味することもなく、無季俳句批判を行った秋櫻子だから新興俳句ではないというのか明らかでありません。

       *

 このようなことになるのは新興俳句には確とした意味がなかったいということにあります。新興とは何なのでしょうか。

 新興とは近代になって多く用いられた言葉で、比較的多義的に使われているようです(この構造の用法は法「興」寺とか元「興」寺とか飛鳥時代には用いられていますが)

 明治時代の古い用例は、新興国とか新興階級として登場するようです(ブルンチュリー『国家論』明治22年)。面白いのは、社会運動家の山川均が新興階級を「滅亡階級と新興階級」と対比していることです(山川均『井の底から見た日本』大正13年)。新興階級をこのように定義することは目から鱗が落ちる思いです。そうです、新興でないものは滅びると考えるべきなのです。

 文学関係の用例を見てみましょう。明治・大正時代の日本文学史を見ると、新興文学という言葉が偶然出てきますが、その最初は意外なことに鎌倉時代文学(平家物語や五山文学)をさしているようです。確かに公家の時代から、武家の時代になって大きく文学は変わりましたから新興という言い方もあり得たでしょうからなるほどと納得しますが、この新興文学は新興俳句とはあまり関係ないようです。

 その意味で明治時代に最初に登場する新興文学は、自然主義文学及びそれ以降の新しい文学をさしていたようです(片上伸『生の要求と文学』 大正2年)。これは時代区分というよりは、ちゃんとしたサブスタンスのある文学分類でした。このことからも、今日の我々からはあまり実感できませんが、自然主義という文学思想がいかに近代日本に大きな影響を与えたかがわかります。しかしこの新興文学も新興俳句とはあまり関係ないようです(むしろ新傾向俳句とは関係があるかもしれません)。

 第二の新興文学は第一次世界大戦の直後(あるいはその末期)に登場して使われるようになります。既存の秩序が破壊され、大衆が文学活動の中心に踊りだしてきた時代です。これは余りサブスタンスがある用語ではなく、まさに第一次大戦後文学と同様で、当時噴出した様々な雑多な文学傾向を包含していました。当然ロシア革命後に盛り上がってプロレタリア文学も含まれます。これはすべてではありませんが、新興俳句にそれなりの影響を与えていると思います。

 たとえば、大正6年には「新興文芸叢書」というシリーズが出、大正11年には「新興文学」という雑誌が出ています。特に第一次世界大戦後の世界的な風潮の中で現れた「新興文学」は、ダダイズム、プロレタリア派、表現主義、モダニズムなど雑多な運動が寄り集まったもので、その影響も大きかったと思います。

 しかし、致命的な影響を与えたのは関東大震災でした。第三の新興文学です。関東大震災の直後、復興・再興、そして新興という言葉が生まれています。もちろん、復興・再興と新興では微妙にニュアンスが違ってきます。

 「復興」では、物理的な建設の意味が強いです。使われるときは大体、「帝都復興」のような意味で使われますから都市の再建築という意味です。

 これに対して「新興」は社会的システムの再建築・創造の意味が多く、新興勢力、新興都市、新興工業、新興産業などと使われます。昭和7年の新興満州国(このほかにも独逸、露西亜、支那にも新興の名が冠せられます。イギリスやアメリカで言われない点が特徴的です)はその最たるものです。

 しかし、新興の場合は物理的な建造より幅広く、精神活動にまでさらに拡大されます。[精神的な新興]の例を年を追って紹介します。様々な著作のタイトルに上がっているものから選びました。まさに「新興ブーム」といってよいでしょう。


大正13年:人と芸術社『新興戯曲叢書』

大正13年:教育の世紀社『新興芸術と新教育』

大正13年:新興社『新興獨逸文學叢書』

大正14年:田中五呂八『新興川柳詩集』

大正14年:新興教育(「日本及日本人」)

大正14年:中央美術社『新興芸術の烽火』

昭和2年:新興詩人(「文藝」)1927

昭和3年:平凡社『新興文学全集』

昭和3年:新興科學社『新興科学の旗のもとに』

昭和4年:河東碧梧桐『新興俳句への道』

昭和4年:「新興短歌集」(改造社『現代短歌全集』) 

昭和4年:美術社『新興版画選』

昭和5年:新潮社『新興芸術派叢書』(小説)

昭和5年:短歌月刊編集局『新興歌人叢書』

昭和5年:木星社書院『訳註新興文学叢書』

昭和5年:新興建築(「建築画報」) 

昭和6年:刀江書院『新興芸術研究』

昭和7年:理想社『新興哲学叢書』

昭和7年:新興写真(『写真の構図』)

昭和9年:新興仏教(「現代仏教」)


 この中で最もよく知られているのは「新興芸術派」です。新感覚派の後に生まれ、川端康成や吉行エイスケ等のモダニズム文学を生みました。

 一方俳人にとって気にかかるのが碧梧桐「新興俳句への道」で「新興俳句」という言葉が最も早く使われていますが、碧梧桐によれば、出版社(春秋社)によってつけられた名前で、本当は「短詩への道」とつける予定であったと書かれているので、新興の流れからは外しておいた方がいいようです。短詩型文学においては「新興川柳」が先陣を切っており、「新興」のさきがけの名誉を獲得しています。

 こうして短詩型においても次々と新興は生まれました。しかしこの文脈において新興とは、関東大震災の瓦礫の中で立ち直ろうとする一種のキャッチフレーズであったわけで、高邁な理想があったわけではないでしょう。それぞれのジャンルで、新興●●が生まれた時、それぞれのジャンルの理念、歴史を踏まえて皆の潜在意識の中にあった欲望が投影されたものとなりました。それは使われた時期、年によっても、あるいは個人によってもコンセンサスがあったわけではありません。今日の新興は明日の新興ではなかったのです。

        *

 「新興俳句」についてみるとこんなことが言えるようです。

 昭和9年頃までは新興俳句はまず自由律俳句で使われていたようです。

 俳壇一般に普及したのは昭和10年になってからのようです。特に注目したいのは、馬酔木の新鋭加藤楸邨の評論で、「新興俳句批判(定型陣より)」(俳句研究昭和10年3月号)、「新興俳句の将来と表現」(俳句研究同4月号)、「新興俳句運動の誤謬」(馬酔木同10月号)、「新興俳句の風貌」(馬酔木昭和11年1月号)と新興俳句の論争は一手に加藤楸邨が引き受けていることです。それも決して新興俳句に対する全面的な批判ではありません。最も特徴的なのが「新興俳句の風貌」で、ここで楸邨は新興俳句作家として9名を上げ作品を紹介しているが、その筆頭に水原秋桜子と山口誓子をあげているのです!

 面白いのは昭和11年で、この年刊行された単行本の宮田戌子編『新興俳句展望』で「新興俳句結社の展望」(藤田初巳)と「新興俳句反対諸派」(古家榧子)が載っていますが、「新興俳句結社の展望」ではその筆頭に「馬酔木」が、「新興俳句反対諸派」ではアンチ新興俳句の「新花鳥諷詠派」として秋桜子と誓子を上げています。一冊の本の中でのこの混乱が、新興俳句をめぐる当時の混乱を如実に示しているようです。これには昭和11年の秋櫻子の無季俳句批判の影響があるようです。

 つまり昭和10年に水原秋桜子も馬酔木も間違いなく新興俳句でした。昭和11年から次第に怪しくなって行くきます。これさえ分れば、今井・坂口の批判御問題はわかるはずです。

 付記すれば、今井・坂口氏は様々な人々の回顧録を引用しているようですが、回顧録は個人があとづけで歴史を解釈しているものです。もちろん、回顧者の頭の中にある記憶ですから貴重であることは違いありませんが、これの使い方には一種特別な配慮が必要です。つまり、事実そのものを語っているのではなく、事実を踏まえた新しい歴史であるのです。

(続く)

ほたる通信 Ⅲ(21)  ふけとしこ

   ソルトミル

 アスパラガスよく知る犬に声をかけ

 アスパラガスの畑へ立ちて腫れ瞼

 アスパラガスの湿り軍手の重きまで

 アスパラガス軽トラックに待たれゐて

 アスパラガスのほのむらさきとソルトミル

 

 ・・・

 今のマンションはペット可である。2匹までは飼っていいことになっている。でも、もう飼わない。 

  子供の頃、家にはいつも犬がいた。白い柴犬が大好きだった。死んだ時には大泣きした。茶色の犬もいたが家中で留守にしていた時に鎖ごといなくなっていた。誰かに連れて行かれたのだろうと、近所の噂になっていたが、分からず仕舞いだった。

 猫が来たのは祖父が野良猫を家に入れたのがきっかけだった。晩酌の相手(?)のつもりらしく、傍にちょんと座っていた。もう成猫だったが、見ていると面白かった。絵を描くという宿題が出てこの猫をモデルにしたこともあった。白黒のブチだったから、勝手に茶色を加えて三毛猫にしたら、父にそれは写生とは言えないだろうとからかわれた。近所に猫を飼っている家があって、その家の女の子が時々抱いて来ていた。でも、この猫は多分子供が嫌いだったのだろう。というか、迷惑だったのではないか。私も抱きたくて仕方がないものだから、ついつい手を出すのだが、その抱き方が猫にとっては心地よくなかったのだ。よく引っ掻かれた。

 それから月日が過ぎて……。


  鯉のぼり猫をあかんぼ抱きにして としこ


という句ができた。10年以上も前の句だが、こういう抱き方をすれば、遠い昔に掻き傷を作ってくれたあの猫もおとなしくし抱かれてくれたかも知れない。

 私が「あかんぼ抱き」していた猫は「ホタル」という名であった。次男が先輩から預かって、そのまま居座ってしまったものだ。

 私が机の前に座ると、すぐさま机に乗ってきて邪魔をしてくれた。この通信の名は彼女の名前からとったものだ。16年生きた猫だったが、私の留守中に夫に看取られて亡くなった。ぼたん雪の舞う日だった。今でも思い出すと涙が出てくる。

 もう、生き物は何も飼わない……。

 それにしても、漱石先生は猫一匹であれだけの話をよくも作られたものだといつも思う。

(2022・4)

北川美美俳句全集 15

●面106「夜もすがら」 2007年4月1日


幸不幸決めてください初鏡

春大根を抱き寄せ運ぶ老夫婦

石神井の愛人宅は薔薇盛り

パリロンドンソウルトーキョー吊忍

大切な言葉消します蝉時雨

暑中見舞出して地球儀廻しおり

以前から嫌いな女月見豆

夜もすがら栗剥く小さき台所

三田一丁目クスリ屋の角秋の暮

煮凝の魚らここから旅立たん


●面107「迷い犬」 2007年12月1日


母の日や母恋人の花を買う

初はじめ楽譜を抱いたお嬢さん

双生児お花畑をスキップで

恋人は素足のままで駆けてくる

迷い犬ひたすら走る夏の雨

観覧車とても電飾蛍の夜

地平線スーサイドクリフ終戦忌

宿題は雑巾十枚夏休み

迎え火の御霊が上る昇降機

携帯をとらぬ紫黄の半ズボン


●面108「夏がきた」 2008年10月15日


賀状書く琉球切手あと三枚

忙しい忙しいよと鳥帰る

X線に映し出された蜆かな

菜の花やジャズるこころに那覇の雨

恋文に進展と書く青葉かな

夏がきた離婚記念日朝ごはん

慰霊碑は都道府県別白日傘

正座した妊婦がひとり夏座敷

まぼろしの瓢箪池のみずすまし

紫黄忌の三崎の果ての浜で待つ


●面109「死んだ女」 2009年7月1日


初声のかもめ悲しき三浦かな

不機嫌な現実・現在・日向ぼこ

春の夜コロッケ・ソース・恋忘レ

たんぽぽよ繋がって繋がってあなたへ

花水木溺レル揺レル青天に

父は砂糖母は塩ふるトマトかな

夏の朝死んだ女に猫二匹

エスカレーター女の踵に菊が咲く

赤い眼で赤い月みる終電車

満州に置き去りにした雪女郎


第24回皐月句会(4月)[速報]

投句〆切4/11 (月) 

選句〆切4/21 (木) 


(5点句以上)

9点句

昼の月よりも小さなさくらもち(松下カロ)

【選評】 空に浮かんでいる月とてのひらの桜餅なら、かえって月の方が小さく見えないだろうか、などと気になりました。捉えどころなく詠っているところに惹かれました。──前北かおる

【選評】 それをあての昼酒か。──中山奈々


8点句

均等にパン切る機械復活祭(渡部有紀子)

【選評】 分け与えてるにしても機械で均等に。不思議、おかしみ。──中山奈々


朧夜を歩く魚を踏まぬよう(望月士郎)

【選評】 朧夜には魚が道に出てくるらしい。それを踏まぬように歩く。魚も踏まれないように歩く。あれ、泳ぐのか。道は泳げたのか。あれ。あれ。と考えごとしていたら、踏んでしまう。踏まないことに集中しないといけない。そんな朧夜もあるのだ。──中山奈々


7点句

月おぼろ幻獣図鑑に「ヒト」の項(望月士郎)

【選評】 本当に掲載されていたのかどうかはともかくとして、ヒトもまた幻獣、というのは凄い。──仙田洋子


6点句

舟形の巨石を囲む山桜(妹尾健太郎)


何事も野球に喩へ永き日を(西村麒麟)

【選評】 不快感ではない軽くダルな気分が感じられ、面白い句でした。──青木百舌鳥


(選評若干)

ウラルアルタイほととぎす語とうぐひす語 3点 渕上信子

【選評】 ウラル・アルタイ語族、懐かしい響き。日本語もここに属するとか属さないとか。人間の言語ではそうなのだが、鳥語はどうなんだろうと作者は考える。うぐいす語とかほととぎす語とかあるのだろうか。ここに「ホトトギス」のあるところが俳句らしくて面白い。新興俳句語とかもありそう。──仲寒蟬

【選評】 (俳句作品一句として、ぴたりとポイントが定まっているすなわち名句だ、という印象ではない。しかし、題材の取り合わせが、意想外で、想像や比喩、風刺性豊かである。読んで考えていると楽しい。「ウラルアルタイ」地域の鳥たちが伸び暮びとてんでに鳴いていると、素直に取るならば、広大なアジアの花鳥諷詠の世界だろう。しかし、「ほととぎす語」は俳句界では、やはりくすぐりと挑発性がある。

かつ、ウラル地方の言語はウクライナ語圏への思惑に誘う。ロシア語圏との政治や文化との共存が、悲劇の破壊をもたらす根本的な問題が横たわる。

昨今のロシヤとウクライナの国家の争いは、多言語圏の民族の歴史に生じている深い亀裂からの原因もいくぶんある(だろう)。前半に重きを置けば一種の時事句。後半に、ついでの様に書かれている鳥語の世界、「ほととぎす」の勢力圏内でうぐいすの鳴き音は共存できるのかどうかということも、日本の文芸にあっても下らないような切実なようテーマではある。愉しみながら、俳句で政治論を演説をした感じになる、これって、なんと非俳句的な俳諧感覚なのだろう。──堀本吟


逢引の夜が絞り出す花吹雪 2点 篠崎央子

【選評】 「絞り出す」が凄い。──仙田洋子


お弁当に大卵焼き春の山 1点 真矢ひろみ

【選評】 お弁当の大卵焼きは、まさしく春の山のようでもあり。遠足でしょうか?楽しく懐かしい句です。──水岩瞳


三月十一日の酢酸臭う暗室 3点 中村猛虎

【選評】 酢の酸味の主成分であり、酒類の発酵によって生じる酢酸。その強烈な臭いが暗室に。三月十一日との配合により、次のイメージとしてモノクロの津波が浮かんだ。──山本敏倖

【選評】 写真を現像するための暗室には酢酸が匂うと聞いたことがあります。東日本大震災の状況を撮影するために沢山のカメラマンが現地へ向かい、写真を撮り、今も撮り続けています。日本を暗室とした震災、そして原発事故。暗室に籠もるたびに震災の記憶が蘇ってくるのでしょう。──篠崎央子


四千歩ほどの疲れや鳥雲に 4点 辻村麻乃

【選評】 今回なかなかいい句が多かったが、この句を選評には選んだ。「四千歩ほど」とはゆっくりとした散歩であると30分程度か。具体的に頭に浮かぶが、目には浮かばない。「三千歩ほど」でなぜいけないのかはわからないが、作者の実感だからしょうがない。子規の「鶏頭の十四五本」と同じ新式の写生。――筑紫磐井


ぱつと開くと同じ頁の春深し 4点 依光陽子

【選評】 詩集でしょうか。お気に入りの本の、殊にお気に入りのページですね。──渕上信子


蛇行する世界の果ての朧かな 2点 渕上信子

【選評】 朧の正しい詠み方なのではないかと思えた。自身が普段見慣れている写生句とは違うが、川の蛇行が正に世界の象徴でありその果てに朧がある。今の時期の感覚をうまく表現されていると思った。──辻村麻乃


花下の墓夜になりたる桜かな 1点 岸本尚毅

【選評】 上五よく情景を伝えているなと思う。巧みな一句。──依光正樹


春愁壁に自転車凭れたる 3点 辻村麻乃

【選評】 無声映画を見るような景。その場を離れた持ち主がスタンドを立てず壁に凭せかけたのだろうが、自転車自身が体をあずけているかのようだ。それもこれも立派な春愁の故に。──妹尾健太郎


ややこしき世であり春の鴨が二羽 3点 青木百舌鳥

【選評】 春の鴨が二羽いる。人間がややこしいなぁと感じるこの世界にあえて残りながら、淡々と飄飄と居て、なんだかたくましくて好ましい。作者も読者もそんな鴨たちにどこかほっとするのだ。俳諧味のある句。──依光陽子


白無垢の明るく春の百貨店 2点 筑紫磐井

【選評】 どんな華やかなワンピースよりも白無垢は存在感がある。六階、呉服売場。春はここまできちんと届いている。──中山奈々


桜の夜着られぬ服の積もりゆく 3点 飯田冬眞

【選評】 花屑の積もりゆくように。──仙田洋子

【選評】 散り積もる花の動きの印象を、服へと転用した着想。無理筋に陥らず妙味ありと感受します。〈着られぬ〉は機会に恵まれぬと云うのか、体型の話をしているのか、前者であって欲しい心地です。

★☆★現代俳句協会の金曜教室へご参加ください★☆★

 令和4年6月より、現代俳句協会本部にて新たに俳句教室が開催されます。

(対面方式の月曜、水曜、金曜とインターネットでの土曜の4教室)

現在、受講者の募集をしております。

 

ただいま、金曜教室の受講者を募集しております

講師は大井恒行氏、「豈」の編集顧問です。現代俳句協会の現代俳句評論賞の選考委員、府中市生涯学習センター「俳句入門講座」講師などでご活躍です。

(ブログ「大井恒行の日日彼是」)

 

金曜教室は「教室」と言いながら型にはまらないのが特徴です。主に句会方式で行います。毎回講師よりお題が出されますので、とてもエキサイティング!参加者によって自由自在に変化する楽しい教室にご期待ください。

現代俳句協会の会員でなくても、どなたでもご参加出来ます。

 

金曜教室

毎月第三金曜日 午後一時より四時まで(初回は6月17日から)

投句2句。(お題あり)

会場は現代俳句協会(地図はこちら

 東京都千代田区外神田6-5-4偕楽ビル(外神田)7

TEL 03-3839-8190 FAX 03-3839-8191

会費(10回)1万円

 

●締切は令和4年5月10日(火)●

協会は4月26日~5月8日まで休みですが郵便の他、メールやファックスでも受付けています。(メール:gendaihaiku@bc.wakwak.com

 

詳細は現代俳句協会ホームページをご参照ください。

2022年4月8日金曜日

第181号

     次回更新 4/29




第45回現代俳句講座質疑(9) 》読む

【広告】神奈川県湯河原町 俳句交流大会(ねんりんピックかながわ2022)》読む

■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和三年冬興帖
第一(2/11)飯田冬眞・仙田洋子・神谷波・小林かんな
第二(2/18)加藤知子・坂間恒子・辻村麻乃・杉山久子・松下カロ
第三(2/25)鷲津誠次・仲寒蟬・井口時男・ふけとしこ
第四(3/4)花尻万博・岸本尚毅・内村恭子・山本敏倖
第五(3/11)網野月を・田中葉月・なつはづき・浜脇不如帰・木村オサム
第六(3/18)男波弘志・望月士郎・のどか・小沢麻結・前北かおる
第七(3/25)小野裕三・渡邉美保・曾根 毅・鷲津誠次・浅沼 璞・眞矢ひろみ・望月士郎
第八(4/1)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子・竹岡一郎・瀬戸優理子
第九(4/8)林雅樹・水岩瞳・佐藤りえ・筑紫磐井

令和四年歳旦帖

第一(2/11)仙田洋子・神谷波・加藤知子
第二(2/18)坂間恒子・辻村麻乃・松下カロ
第三(2/25)杉山久子・仲寒蟬・花尻万博
第四(3/4)ふけとしこ・岸本尚毅・内村恭子
第五(3/11)山本敏倖・網野月を・田中葉月・なつはづき
第六(3/18)浜脇不如帰・木村オサム・鷲津誠次・男波弘志
第七(3/25)小沢麻結・前北かおる・小野裕三
第八(4/1)渡邉美保・曾根 毅・鷲津誠次
第九(4/8)浅沼 璞・眞矢ひろみ・下坂速穂・岬光世


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【抜粋】 〈俳句四季4月号〉俳壇観測231 鷹羽狩行論の行方――狩行は如何に行動し、思考し、かつ批判されたか

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筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

連載【抜粋】〈俳句四季4月号〉俳壇観測231 鷹羽狩行論の行方――狩行は如何に行動し、思考し、かつ批判されたか  筑紫磐井

 鷹羽狩行の近況

 「香雨」一月号に、「名誉主宰による「甘露集・白雨集・清雨集抄」は、先生のご負担が大きいため終了といたしました」という小さい記事が載っていた。「休載」ではなくて「終了」にちょっとショックを禁じ得なかった。

 「香雨」は片山由美子の主宰誌であるが、誰も知るように鷹羽狩行主宰の「狩」を承継した結社であり、鷹羽狩行は現在「香雨」の名誉主宰でもある。従って、「香雨」でも片山由美子氏と並んで中心的活動をしていた。平成三十一年一月「香雨」の創刊時の鷹羽狩行の活動は次の通り予告されていた。

 ①「二十山」の連載(狩行はナンバリング句集を刊行しており、『十八公』まで刊行されている。そのため次の刊行予定の句集名を予想した標題の作品を発表しており「狩」では「十九路」まで発表しており、新たに「香雨」で始めたのがこの標題であった。)

 ②「甘露集・白雨集・清雨集抄」(香雨同人作品)の抽出

 ③地方句会の指導

 この他に、若手同人による狩行作品の鑑賞批評である、「リスペクト狩行」が行われた。

 しかし、「香雨」の創刊直後コロナの流行と重なってしまい、句会活動そのものが滞る中で、二年以降は地方句会での指導の活躍も見られなくなった。一方で体調も思わしくないらしく、「二十山」の連載も令和三年八月以降見られなくなった。そういえば今年の総合誌の新春詠にも登場しなかったようだ。「香雨」ではないが、鷹羽狩行は毎日俳壇選者を四十年務めてきたが、それも令和二年十二月で辞退した。そんな中での「甘露集・白雨集・清雨集抄」は鷹羽狩行の数少ないメッセージだったのだが・・・。

 俳人協会六十年大会が今年の秋に予定されているが、その出席を期待している人も多いと思う。


鷹羽狩行論の行方

 鷹羽狩行の活動再開を期待しているが、逆にこうした時期にこそ、鷹羽狩行を語ってみてもよいかも知れない。上述のように「リスペクト狩行」は若い作家たちによる鷹羽狩行鑑賞だが、今までの鷹羽狩行の同世代の人の声も是非聞いてみたい。

 鷹羽狩行に関する鑑賞批評の最新は片山由美子の『鷹羽狩行の百句』(平成三十年ふらんす堂)でこれはコンパクトで読みやすい解説だが、もっと多種多様な批評を読みたいものだ。それにうってつけなのが、『鷹羽狩行の世界』(平成十五年角川書店)で、少し古い本のため句集も第十三句集『十三夜』までが対象だが、鷹羽狩行論だけで五百頁の圧巻である。その意味での、最新時点でのこうした論書が望まれるところだ。鷹羽狩行の関係者による第十九句集、第二十句集の上梓も今後行われるのだろうが、併せて『鷹羽狩行の世界』の続編を是非視野に入れて欲しいものだ。

 いろいろ異論もあるかと思うが、現代俳句協会を牽引したのが金子兜太であるとすれば、俳人協会を牽引したのは鷹羽狩行だろう。その証拠にこの二人だけが協会の名誉会長を務めている。虚子にも見られなかった空前絶後のことである。その一方の金子兜太は「海程」終刊決定後もいろいろな企画が登場し、最新のところでは昨年文芸評論家井口時男による『金子兜太 俳句を生きた表現者』の力作が刊行されている。こうしたことを鷹羽狩行についても期待している。

(以下略)

※詳しくは「俳句四季」4月号をお読み下さい

英国Haiku便り[in Japan](29) 小野裕三


 

コンセプチュアル・ポエトリー

 「(この詩集は)遊びと楽しみとしての言語に、嬉々として捧げられている。いつの日かそれは、haikuよりも人気のある、詩のモダンな形式を生み出すだろう」

 最近僕が出合った印象的な英語の詩集を、ある批評家はそう紹介していた。イギリス在住の詩人ナサー・フセインのその詩集『空の書き物』(写真は抜粋)には、ある仕掛けがある。世界中のすべての空港は、三文字のアルファベットで簡易的に表された「空港コード」を持つ。例えば、東京の羽田空港ならhanedaから三文字を取り出して「HND」となる。そしてこの詩集は、世界中の空港コードのみを使って詩を書いた実験的な一冊なのだ。例えば、たった一行のこんな詩がある。

 PET ALS ONA WET BLA ACK BOW

 まるで暗号のようだが、つなげて見ると、意味のある文が浮かび上がる。

 Petals on a wet bla(a)ck bow. 黒い濡れた枝に花びら (bowとboughは同音)

 それは、以前の回でも紹介したエズラ・パウンドの英語のhaikuを意識した詩と思える。あるいは、「イスラム嫌い」と題された詩では、「USA」の文字(空港コードだが「米国」の意味にも)が羅列された後、こんな一行が挿入される。

 MAK EAM ERI CAG REA TAG AIN

 ここには、トランプ大統領の唱えたこのスローガンが浮かび上がる。

 Make America great again. アメリカを再び偉大に

 BBCラジオの番組では、この詩集は「コンセプチュアル・ポエトリー」という潮流の一環として紹介された。美術の世界で二十世紀に一般化した「コンセプチュアル・アート」の考え方を詩や文章の世界にも適用したもので、それゆえにどこか詩とアートの中間的な雰囲気も持ち、作品としての言葉の意味自体よりもその言葉が生み出されたプロセスや視点・思考が重視される。二十世紀にも既に類似の試みは散見されたが、そんな呼称が現れたのは今世紀のようだ。

 この運動も含め、西洋詩では今世紀に入って〝二十一世紀の前衛詩〟を作ろうとする潮流が現れた。例えば、スパムメールの表題を並べ変えたりGoogleででたらめに言葉を検索したりした結果から詩を作る。逆説的に「反創造的執筆(uncreative writing)」とも呼ばれるそんな手法の根底には、インターネットが言葉を取り巻く環境を変え、さらには言葉の質自体を変えたという洞察がある。

 そんな中で、前述の詩集への評文がhaikuをライバルのように名指ししたのは、haikuが西洋詩においてしばしば前衛詩の文脈で語られてきた歴史を踏まえたものか。ともあれ、西洋で再び現れた前衛詩への活気は、羨ましくもある。

(『海原』2021年11月号より転載)

北川美美俳句全集14

 北川美美「面」掲載句集

  今回から、「面」掲載の北川作品を紹介する。北川の最初の作品発表の場は「面」であったのでこれにより北川の全作品を展望できることになると思う。現在のところ「面」直近号は124号で、以後発刊されていないと聞いている。124号は編集人高橋龍氏がなくなったことによる高橋龍追悼号であり、北川美美が編集を行っており、その美美もなくなったため今後の動向は不明である。124号には、池田澄子、遠山陽子、福田葉子、三橋孝子氏らが名前を連ねている。

 ちなみに「面」は西東三鬼の没後、昭和38年に創刊されたが、昭和59年に一時休刊。その後三橋敏雄指導の下に句会は存続した。平成13年三橋敏雄の死去に伴い、一時存続が危ぶまれたが、かえって第100号の復刊が図られた。以後高橋龍氏によって刊行が続けられたが、高橋龍氏がなくなったため北川の編集による124号の刊行に至ったものである。

 北川は、「面」同人の山本紫黄の指導を受け、「面」に入会、その後「豈」にも参加し、「俳句新空間」の共同発行人を務めており、純粋な同人誌育ちであった。

 「面」バックナンバーは池田澄子氏から提供を受けた。ご多忙の中を探索していただき感謝申し上げる。


面103「猫の砂」2005年4月1日


元朝に背骨の位置を確かめる

桜散り片づけられぬ猫の砂

鬼灯の音高らかに後の妻

 (鬼灯の音高らかに後妻かな)

茄子の馬大事な猫を連れてきて

夜濯をひとりしたくて家を出た

地下水の波で舞う鳥熱帯夜

楔打つ二百十日の歯医者かな

生まぬ子の髪挿しを買う七五三

あきらめる夢に安堵の師走かな


面104「太郎治郎三郎」2005年12月1日


西東忌飛び級していく帰国子女

母の日と存じております御母様

鉄線花女三代左利き

宙吊りの赤き鉄骨朝曇

七夕や美男子指の冷えしまま

太郎治郎三郎家出て土用入

正座して干飯を食ぶ革命児

夏の河雨がざーざー降つている

あるだけのものぜんぶ食ぶ夜長かな

泣いている理由は何でもよくて秋


面105「音楽祭」2006年8月1日


着ぬままの喪服の家紋春近し

青き踏むイサムノグチの石の庭

水道局を右に曲がつて春動く

三鬼の忌 白きシーツの皺の中

こころから謝つていない葱坊主

駆け上る東京の夏音楽祭

大丈夫つねに前進ところてん

寝台の上に横たう天の川

霞が関上空雪雲通過中

非常口より東京タワー見え冬薔薇

第45回現代俳句講座質疑(9)

 (2‐1)前衛について(総論)

【筑紫】

 赤野さんの質問にお答えし、前衛俳句について書こうと思っていたところ、折よく「俳句四季」4月号では「特集:前衛俳句とは何か――21世紀の「前衛」を考える――」が掲載されたので、これを例に少し考えてみたいと思います。堀本吟、秋尾敏、今泉康弘、岡田和美、川名大、田中亜美、千倉由穂、西川火尖日野百草、堀田季何、森凛柚の各氏が論じていますが、おおむね、➀前衛とは●●であるという基準のもとに論ぜられています。例外は➁堀本氏の論で、ここでは前衛俳句が生まれてくる歴史的経緯を語っています。もちろん➀の「●●」が正しければそれはそれで生産的ではあるでしょうし、➁も果たしてそこに掲げられたものが(事実であるのは当然とした上で)それで必要十分な例が挙げられているかどうかは十分吟味の必要があります。しかし一応そこに注意しながら眺めてみたいと思います。

 堀本氏は、前衛俳句の誕生を運動としてとらえ、金子兜太の寒雷系と関西新興俳句系の出会いから「新俳句懇話会」が作られ、「十七音詩」「縄」という雑誌を媒体として、関西前衛グループが発展した考えているようです(西川氏の論旨も堀本氏に近くなっていると思います)。そして、堀本氏は、金子兜太「造型俳句論」、堀葦男「抽象俳句」、赤尾兜子「第三イメージ論」に具体的理論的展開を見ています。これだけからでもひとくくりで前衛俳句とは何かを定義するのは難しいことが分かると思います。

 ある程度歴史的分析と言ってもよい堀本氏の分析から行っても前衛俳句の定義は難しいことがわかり、その上で➀の各氏の論を見ると、かなりその置いている基点が異なっていて一つの結論に重なることはないように思われました。例えば、それぞれの論で言及されている作家は、河東碧梧桐、渡辺白泉、富沢赤黄男、高柳重信などが挙げられていますが、彼らが前衛に影響は与えたことに間違いはないでしょうが、彼ら自身が前衛であるかどうかはあまりはっきりしません。各氏の論はもちろん色々独創的な見方はあるものの、「前衛俳句のコンセンサス」は難しいと思われるのです。もちろん、これは前衛俳句に懐疑的な赤野さんには予想出来たことだと思います。

    

 そこで、前衛問題に入る前に、少し近代俳句におけるこうした俳句理論の行方を眺めてみたいと思います。

 近代俳句は正岡子規に始まりますが、写生を唱えたとされる子規の俳句は、日本派などと呼ばれる一方で「新俳句」という名称も用いられています。

 子規没後、虚子と碧梧桐が別の道を歩き、碧梧桐一派の俳句は「新傾向」と呼ばれました(命名は大須賀乙字です)。

 虚子が俳句に復帰したのちホトトギスが俳壇の主流派となりましたが、水原秋櫻子の造反により、「新興俳句」が生まれます。「新興俳句」は早々に、秋櫻子・誓子は独自の道を取り、「京大俳句」や「天の川」を中心に展開されます。「新興俳句」には入りませんが、人間探求派もやはり新しい俳句の動きとして数えておくべきでしょう。

 戦後は、「第二芸術」による俳句否定論、やがて社会性俳句が俳壇を席巻しましたが、その後は前衛俳句が登場するということで、戦後俳句はすすんできました。

 こうしてみると、通俗的図式として

  新俳句――新傾向――新興俳句――前衛俳句

が浮かび上がり、常に新しいブームが起きているようです。もちろんこれはポンチ絵風なイメージであり、実際はこんな単純なものではないことは当然です。しかしあまり研究風に細かい迷路に入ると全体が見えにくくなることがあります。ポンチ絵であっても、ある程度真理を伝えるものがあると思います。

 そしてこれで言いたかったのは、常に新しいものが出てくるということだけではなく、多くの場合は前の代を克服することによってエネルギーを獲得してきたと言えるということです。虚子の客観写生・花鳥諷詠が営々と続いてきたのと対照的です。前衛の歴史は、「親殺しの歴史」と言えるでしょうか。

 ただ注意しなければならないのは、常にこうした新しい動きの名前は、あいまいで何も定義されないで使われ始め、論争と実作が進む中で理念が生まれ始めるたようだということです。

   *

 その意味では、前衛俳句と同様に新興俳句もそうしたあいまいさがあるようです。いや実は前衛俳句の実験は、新興俳句ですでに行われていたようなので、まず新興俳句からそうした事実を確認してみたいと思います。

(続く)

第23回皐月句会(3月)[速報]

投句〆切3/11 (金) 
選句〆切3/21 (月) 

(5点句以上)
8点句
山姥の爪よくのびる桜東風(田中葉月)
【評】 山姥だから面白い。──仙田洋子
【評】 不気味な一句であるが惹かれる。実景のはずがないのに妙にリアリティがある。山姨は爪を伸ばして何をしようとしているのか。「桜東風」という美しい季語をひっくり返す試み。東風は花のつぼみばかりでなく起こしてはならぬものまで起こしてしまうのかも。──仲寒蟬

7点句
掌の中に生命線のある余寒(中村猛虎)
【評】 実感あり。──渕上信子
【評】 余寒をものともしない生命力。──仙田洋子

6点句
蜥蜴出づ二股の舌世を探り(小沢麻結)
【評】 修辞に、重心が寄っているけれどバランスを崩さず保ってある、練達の句と見ます。〈二股〉に、篤実な目の効き具合。──平野山斗士

崩れそうで崩れぬ本の山笑う(松下カロ)
【評】 「本の山笑う」のdouble meaning が上手い。身につまされて笑ってしまいました。──渕上信子

5点句
いつまでも喋り続ける春の雪(中村猛虎)
【評】 しゃべりつづける人と春の雪が別次元のように描かれた。青春の句と思える。──依光正樹

椿一輪ゆつくり息を吐ききつて(田中葉月)
【評】 椿が落ちてゆく様子でしょうか~人間の末期のように。──水岩瞳

三月のひかり水切りりりりりり(望月士郎)

卒業す校舎を蹴りし土の跡(内村恭子)


(選評若干)
胃の中と思いもせずに山眠る 3点 妹尾健太郎
【評】 山が眠っているのは実は胃の中だった。何の胃かは書いてない。読み手のイメージに任されている。小さなものの中に大きなものを置く、逆転の発想。中七の騙し絵的イメージへの誘導が効いている。──山本敏倖

春の泥くるぶし濡らしつつ塔へ 2点 飯田冬眞
【評】 この句の「塔」を最初は仏教寺院の五重塔と読みやや妖艶な僧侶らの姿など思った。それにしても踝を濡らす様は不穏だ。その後に別の「塔」もいくつか思い描いた。仏教以外の宗教的建造の塔もそうだが、現代のテレビ塔などに立て籠る者が居りそれにひたひたと忍び寄る者にも思えた。──妹尾健太郎

売る人と買ふ人のあり鶯笛 3点 西村麒麟
【評】 そう言われてみると、本家の「鶯」を売り買いすることはないと気が付かされます。当たり前のことを言っているようで、妙に心惹かれるものを感じました。梅林の売店か何かかなと想像しましたが、ありきたりな景に潜む不思議という感じで面白かったです。──前北かおる

鈴振つて春眠の神起こしけり 4点 仲寒蟬
【評】 何かを鳴らし誰かを驚かすのはありふれたように見えるが、神社の神を詠み、神を目覚めさせるのは類例がないようだ。表現も格式が高い句となっており気持ち良い。水原秋櫻子が、昭和初期、まだ訪れる人もなくひなびていた浄瑠璃寺を訪れ、感激していた風景を思い出す。──筑紫磐井

自販機に迷ふ二択や鳥曇 2点 千寿関屋
【評】 こういうシーン、けっこうある!  数秒から長い時は数分、かなり真剣に悩んでしまう。傍から見たら自販機の前に突っ立っている謎の人。さらに引いて見たらその日は曇りの日で、鳥が帰っていく鳥曇の日。大空を鳥は迷うことなく帰って行って、自販機も迷っている人物も辺りの建物も標のようだ。──依光陽子

春の雲喜雨亭翁に似たるかな 2点 平野山斗士
【評】 久しぶりに喜雨亭ということばを思い起こしました──真矢ひろみ

春泥を踏まねばならぬハイヒール 3点 松下カロ
【評】 嬉しいことと嫌なことが相俟って大人の人生ってこれ、というような、春の一こまでしょうか。──小沢麻結

春や春デートの相手いつも夫 2点 渕上信子
【評】 上五は推敲の余地あるかもと思いつつ、中七以下に共感。夫で嬉しい?少なくとも悪くはないとしても、いつもではね・・・・・・──仙田洋子

春眠し夢のマニマニが来るよ 2点 望月士郎
【評】 菅原道真に〈このたびは幣も取りあへず手向山紅葉の錦神のまにまに〉という歌がある。〈まにまに〉は、間に間にの意味。藤あや子の歌で「夢のまにまに」という歌がある。ずっと「マニマニ」って何だろうと思っていた。マニマニする動物なのだろうとも思っていた。

鳥どちに向き不向きある巣箱かな 4点 水岩瞳
【評】 大が小を兼ねる…ということはないそうですね。──佐藤りえ