2026年4月17日金曜日

第266号

 次回更新 5/1



【告知】 現代俳句協会・日本伝統俳句協会共催シンポジウム「昭和俳句、何が争点?」


■新現代評論研究

新現代評論研究:『天狼』つれづれ 第9回:「実作者の言葉」…「蘇山人」の読みについて/米田恵子 》読む

【短期連載】未来俳句は「未来」になる得るか?  山本幸生 》読む

【連載】攝津幸彦記念賞応募作品(全国学生俳句会合宿2025評論)5 》読む

新現代評論研究(第23回)各論:後藤よしみ、村山恭子、佐藤りえ 》読む

現代評論研究:第24回各論―テーマ:「魚」を読む・その他― 藤田踏青、北村虻曳、飯田冬眞、岡村知昭、しなだしん、筑紫磐井、北川美美、深谷義紀 》読む

現代評論研究:第22回総論・「遷子を通して戦後俳句史を読む」座談会 》読む

【特別稿】口語俳句の可能性・余滴  筑紫磐井 》読む

新現代評論研究:音楽的俳句論 図像編 川崎果連 》読む

新現代評論研究:音楽的俳句論 解説編(第1回)川崎果連 》読む


■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和七年夏興帖
第一(10/10)杉山久子・辻村麻乃
第二(10/24)仙田洋子・豊里友行・山本敏倖・水岩瞳
第三(10/31)仲寒蟬・ふけとしこ・浅沼 璞
第四(11/21)岸本尚毅・小野裕三・瀬戸優理子
第五(12/12)冨岡和秀・堀本吟・木村オサム
第六(12/26)神谷波・川崎果連・加藤知子・曾根毅・松下カロ
第七(1/9)渡邉美保・小林かんな・田中葉月
第八(1/16)眞矢ひろみ・小沢麻結・花尻万博・林雅樹
第九(1/30)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子

令和七年秋興帖
第一(10/31)杉山久子・辻村麻乃・仙田洋子
第二(11/21)豊里友行・山本敏倖・仲寒蟬
第三(12/12)ふけとしこ・岸本尚毅・瀬戸優理子
第四(12/26)冨岡和秀・堀本吟・木村オサム
第五(1/9)神谷波・川崎果連・曾根毅
第六(1/16)渡邉美保・小林かんな・田中葉月・小野裕三
第七(1/30)眞矢ひろみ・小沢麻結・花尻万博・林雅樹
第八(2/13)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

 俳句新空間第21号 発行※NEW!

■連載

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり48 梅沢富美男『一人十色』 》読む

英国Haiku便り[in Japan](61) 小野裕三 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(68) ふけとしこ 》読む

【新連載】俳壇観測279 ユネスコ登録の進め方4 有馬氏とマーティン氏の論点[1](誰も言っていないこと)  筑紫磐井 》読む

【新連載】名俳句鑑賞へのラブレター『岡田史乃の百句』(辻村麻乃) 豊里友行 》読む

【豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい】9 「希望」のバトン  宮崎斗士 》読む

【新連載】口語俳句の可能性について・6 金光 舞  》読む

【加藤知子句集『情死一擲』を読みたい】④ 破局有情――加藤知子句集『情死一擲』について 関悦史 》読む

句集歌集逍遙 董振華『語りたい龍太 伝えたい龍太—20人の証言』/佐藤りえ 》読む

現代俳句協会評論教室・フォローアップ研究会 7 筑紫磐井 》読む

【連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句

 7.梅若忌 筑紫磐井 》読む

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】③ 豊里友行句集『母よ』より 小松風写 選句 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む

インデックス

北川美美俳句全集32 》読む

澤田和弥論集成(第16回) 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む

4月の執筆者(渡邉美保)…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …



■Recent entries

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス

葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子

【連載】攝津幸彦記念賞応募作品(全国学生俳句会合宿2025評論)5 「はまなすと未来」 野上翠葉

 一.〈はまなすと古い未来図だけがある〉

 これは福田若之の第一句集『自生地』所収の句である。解釈の前段階として、この句に用いられた単語の意味合いと、この俳句の鑑賞に大きな意味をもたらすと思われる、掲句の入った連作の前文を参照する。まずは単語を確認する。

 この句の季語は「はまなす」であり、講談社の『日本大歳時記』には「バラ科の落葉低木(略)関東以外の砂浜の砂地に自生するが、なかでも北海道の群落に咲く美しさは、真青な海を背に大胆でおおらかである。」とある。ここでは、季語の「はまなす」の背後に海の存在を認め、はまなすと海をイメージの連関として捉える認識を共有しておきたい。

 「未来図」に関しては、三省堂の『大辞林』には「未来を予測、あるいは将来のあるべき姿を描いたもの。」とある。「未来図」という言葉には科学の発展に対する純粋な憧れが含まれ、こうしたイメージの作品の代表例として、『鉄腕アトム』と『ドラえもん』が挙げられる。それぞれの作品で主人公であるアトムとドラえもんの誕生日が明確に設定されている(アトムは原作では二〇〇三年四月七日生まれ、ドラえもんは二一一二年九月三日生まれ)ことを鑑みると、未来図という単語には「未来の具体的な時点を予測し描いたもの」という意味が含まれていると考えても問題はないだろう。続いて前文を参照する。


 書かれたものはいつか消え去る。消え去ることは、書くことにあらかじめ織り込まれている。書くことは、書かれたものがあとかたもなくなることによって、ようやく果たされる。だからこそ、書くことを真に肯定するために、僕は、まず、この消失を肯定しなければならなかった。

                             

 この前文において大切なのは、福田が書くことを肯定するために、「古い未来図」から失われてしまった「なにか」をも肯定しているという事実である。失われてしまった「なにか」とは一体なにであるのだろうか。前置きが長くなったが鑑賞に入る。

 不思議な句である。はまなすの生えている海辺を写生した句のように見えるが、その読みを濁らせるのが、この句の特徴でもある「古い未来図」と「だけ」である。

 「古い未来図」から見ていく。「古い未来図」の「古い」には少しだけニュアンスの異なる二通りの解釈の方法がある。一つには、その未来図が描かれてから長い時間が経過しているという意味での「古い」である。二つには、アトムの時代設定がもう過去のものとなってしまっているように、その未来図で描かれた時点が既に過ぎ去ってしまったという意味での「古い」である。「未来図」を修飾する「古い」においては、前者が後者をも満たすことも多いであろうが、SFを一種の未来図と捉えた場合、ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』のように、前者を満たしながら後者を満たさないものも存在するため、便宜上の区別を設けた。もちろんこの二つを峻別することはできないが、この「古い」は後者のニュアンスが強いのではないかと考えたい。それは、後者の意味が唯一はたらく被修飾語の「未来図」という名詞の特殊性と、「古い」ことを断定するような限定用法にある。これらによって導かれるのは、想像で描かれた「未来図」と景色を見ている存在にとっての「現在」(俳句内世界が現実世界と異なるかもしれないという意味で、「現在」と書き表す)は異なっていたこと、すなわち「未来図」は間違っていたという客観的な事実なのである。未来への期待を図や絵として象徴する「未来図」が間違っていたと書く福田は、楽観的・理想的に「未来図」に描かれていた虚構の「現在」と、その理想像から「頽落」(前文から考えるに、福田はこのことを肯定しているため)してしまった実際の「現在」とのギャップをアイロニカルに穿つ。そして、次に語る「だけ」とはなにが含まれなにが排除されるかの議論の先走りとはなるが、「現在」の未来をも否定した上で、未来が存在しなくなることを肯定しているのではないだろうか。

 続いて「だけ」について考えていきたい。「はまなすと古い未来図だけ」という言葉には、一体なにが含まれなにが含まれないのだろうか。そもそも、この俳句に詠まれた世界は現在の世界で、海辺で作中主体に把握される存在が「はまなすと古い未来図だけ」なのだろうか。それとも俳句内の世界に存在するのが「はまなすと古い未来図だけ」なのだろうか。この二択の問題を確定させる、「はまなす」以外の生物や「未来図」に代表される人工物が存在するかどうかの判断は難しい。そして、これらの生命や人工物の存在の是非の問題は最終的に一つの問題を導く。それは、果たしてこの俳句の世界には人間が存在するのかどうかという問題だ。しかし、現段階でこの問題に答えを出すことはできない。それを考えるためにもう一つの俳句を見ていく。


二.<玫瑰や今も沖には未来あり>

 これは中村草田男の第一句集「長子」所収の句だ。この句を一読すれば、福田の句はこの句を下敷きにしたものであることが見て取れるだろう。

 愛媛新聞社の『中村草田男 人と作品』には、「玫瑰とその先の雄大なる海原を見て、少年時代の希望に燃えて眺めた風景をダブらせ、前途洋々たるものをかんじたのであろう。」という松本博之の句評がある。草田男が、清国領事の息子として厦門で生まれたことや、京都帝国大学で哲学を学びキルケゴール研究の第一人者とされた従兄の三土興三からの影響を受けていることも、この句評を裏付ける。それでも解釈の上での問題がある。それは「沖には今も」という表現だ。「沖には今も未来があ」るのは「なにと対比されているのか」「なにに加えてなのか」を考えていく必要がある。

 東京堂出版の『現代俳句の鑑賞事典』の奥坂まやが書いた興味深い指摘がある。少し長くなるが引用する。


 この「今も」は、単に一個人の思いにとどまることなく、私たちの文化の根底に流れるものにまで届いている。私たちは、北方からであろうと南方からであろうと、この島へ海を渡ってやって来た民族なのだ。(略)母郷としての海の記憶は、未だに色濃く民族の無意識のうちに宿っている。私たちは海原へ熱い思いを捧げてきた。海境という古代以来の言葉に象徴されるように、海の沖は死者と生者の世界の境、時が生れてくる母胎でもあり、還ってゆく故郷でもある。


 単に生命が循環する場所としてだけでなく、時間の母胎すなわち民族の生まれた故郷としての、壮大な沖が描き出されている。この島々へやってきた人々が暮らしてきた時間の中で、民族(アイヌ民族・大和民族・琉球民族)や日本という概念が作り出されたと述べているのである。今回はこの解釈に加えて、沖の向こうに存在する外国から渡来した諸文物を考えたい。中国からは近世以前に、漢字、仏教、律令制度、漢詩、儒教などが、西洋からは近世に、火薬や鉄砲、キリスト教が伝来した。(草田男は娘の弓子からは「父はまぎれもなく洋魂和才の人であった」と、山本健吉からは「キリスト教と草田男さんの文学の発想は切り離しがたい」と評されているが、宮脇白夜の『中村草田男論:詩作と求道』では、この句ができた昭和八年の頃は「未だ〝求道以前〟」であり、句のなかにキリスト教への関心は見られないと指摘しているのでここでは論じない。)近代以降は、鉄道や電信の科学技術、洋服、近代化のための思想などが伝来してきた。これを意識した上で、「や」で切られた「玫瑰」を見てみるとどうだろう。陸=日本の存在としての、沖=海=外国と対比される存在としての「玫瑰」が浮かび上がってくるのではないだろうか。

 以上の議論から、「沖には今も」という表現では、沖=外国には過去も今も未来があること、そしてその裏返しとして「玫瑰」に象徴される陸=日本には「今」は未来がないことがわかる。ここで一つの問題が生まれる。日本の「未来」は失われてしまったのか、それともこれから生まれていくのかという問題である。これについて、草田男と娘の弓子の文章、十一歳の草田男の日記を見ることで議論を進めよう。


 「日清戦争の厄を凌ぎ日露戦争の厄を凌ぎ国民全体が清潔な勇気に満ちていた当時(中略)菅沼先生は単なる小学校教師であられたが、全心全身がそういう時代精神の権化であられた。」

『私の先生』 中村草田男 


 「政治的・社会的姿勢において父に一貫していたものは何かと言えば、それは「ナショナリズム」であったと思う。(略)それは基本的に明治の人間としてのナショナリズムだったと思う。」              

『わが父 草田男』 中村弓子 


「国へかへつたら身体をきたへ、(略)先生(菅沼先生 筆者注)の云つて居なさる精神のりつぱな人になり、りつぱな軍人になり、軍にてがらをして此の先生を安心させるつもりである。」                   

草田男の日記 


 娘の弓子が「明治のナショナリズム」と呼んだものと草田男が「清潔な勇気」と呼んだものは似た種類の観念であるだろう。それは漱石の研究者であった江藤淳が『明治の一知識人』というエッセイのなかで「明治文学の特質は作家の国家への献身だつた」と記したものであり、その本質は草田男の日記にも表出した、欧米列強の帝国主義に遅れまいとする富国強兵への理想であった。関東軍が満州事変を起こした二年後の昭和八年(一九三三年)に掲句が詠まれていることも印象深い。これらのことから判断するに、日本の「未来」はこれから獲得されていくものだという認識が掲句にあったと考えることが適切であろう。


三.「はまなす」と「未来」

 福田の句の世界はいつのどこで、そこに人間は存在するのかどうか、なにが失われたのかという問題を解決するために、草田男の句を見てきたのであった。福田の句が草田男の句から作られたと仮定すれば、この二つの句は空隙があったとしても時間的には連続していると考えてよいだろう。ここで現在の日本や世界に「はまなすと古い未来図だけ」しかないわけではないことを踏まえたうえで、この「だけ」という言葉に忠実になるならば、福田の句の世界は現在よりも遥か未来ということになるだろう。以上のことをまとめると、この世界には四つの時代があり、それは ①奥坂まやの指摘した時代:人がやってきて日本という概念が生まれた ②草田男の句の時代:外国には「未来」が存在するが、日本には「未来」が存在しない(これから獲得される) ③二人の句の間の時代:外国にも日本にも「未来」が存在する ④福田の句の時代:どこにも「未来」は存在しない と分けられる。また、④の時代の未来が存在しないということを、草田男の句に引き付けて考えれば、それは国家や文明といった概念が消滅し人類の未来が存在しなくなった世界、すなわち人間の存在しなくなった後の世界だと言うことができるのではないか。前文を鑑みれば、福田は書かれたものが消えることを肯定するのであり、日本の「未来」がなくなることも肯定するのである。これはナショナリズムによる軍国主義や戦争でもたらされるような「未来」を選び取るくらいならば、「未来」などいらないという態度を示しているのではないか。戦争や虐殺の起こり続けている③の時代に生きる我々がこの前文とこの句を読むとき、福田の言葉は未来への警鐘として鳴り響くのである。


【大学俳句会アンケート回答】➀俳句とは何なのか➁俳句で何をしたいか➂俳句に関して何を書きたいか、

野上翠葉:➀短すぎて何も書けないし、すべてを書くことのできる詩。誰も見ていない世界の細部に自分だけが気づきたい。どんなにささやかであっても、世界の美しくない部分に抵抗したい。➁自分と世界の変革。口語俳句による俳句の可能性、小説のような立ち位置に俳句を持ち上げる。作家=池田澄子、正木ゆう子。➂社会性を持った俳句の与える影響。俳句が持つ可能性について。


【筑紫磐井感想】

 福田若之と中村草田男の「はまなす」「未来」の句は、福田、中村の二人の作家の対比が浮かび上がって興味深い。ただそれだけでは一般印象風の感想になってしまうだろうから、少し考察を加えてみたい。

 令和5年に『昭和俳句史 前衛俳句~昭和の終焉』(川名大・角川書店)と『戦後俳句史nouveau 1945-202 三協会統合論』(筑紫磐井・ウエップ)が出た。両者は全く違う史観を以て叙述されたものだが、これに対し福田は、両者のいずれの価値判断も<意志>のイデオロギーに支えられていると見て、新しいもう一つの道筋の可能性を示し、「双方を一気に乗り越えなければならなくなる」、「古いものをばらして組み替えたりするほうに心血を注ぐ書き手が現れたりしたら、すべてが覆るだろう」と述べている(「二冊の《俳句史》から」WEP俳句通信139号2024年4月)。こうした考え方は、総合誌で言えばもう少し以前に俳句2022年1月号新春座談会「俳句の宿題」(筑紫磐井・対馬康子・阪西敦子・高柳克弘・生駒大祐)で生駒大祐が「参照性」として問題提起をしている。

 こうした文脈から考えると、福田、中村の対比は参照派の福田、言志派の中村と理解することが出来るわけで、現代的にもきわめて面白い話題を提供しており、その点に着目したとすれば論者の選択眼の良さを示している。

        

 こうした中で、本論前半では福田の次の句を紹介している。


 はまなすと古い未来図だけがある 福田


 これは中村の「玫瑰や今も沖には未来あり」を本歌取りしているわけであり、前述の福田の発言、「古いものをばらして組み替えたりするほうに心血を注ぐ書き手」である福田の特色を如実に示していると思われる。

 論者は福田と近い世代であるところからその意味でも説得力があるのだが、福田の句が中村の句と微妙に違っている点が評論的には掘り下げが必要であるように思う。

 まず、俳句を構成する要素ごとに眺めて見よう。


➀本歌取りを構成する要素・・・「はまなす(玫瑰)」、「未来」

➁対比的な要素・・・「今」⇔「古い」、「(沖に・・)あり」⇔「だけがある」


 各要素の、➀については単純な比較だから説明の必要がないだろう。本歌取りのアリバイのためには不可欠なようそだ。➁については、揶揄や批評が強く、本歌取りの特色はここに見なければならないと思う。様々な鑑賞の仕方があるだろうが、草田男をイデオロギーに支配された作家と見れば、古い要素(「今」などということ自身が古い)や、明治の高等教育を受けたインテリの断言がシニカルに浮かび上がるような気もする。

    

 しかしこれだけでは済まない関係が実はこの2句にはある。これは論者が全く触れていない点であり、かつ作者(福田)自身が気づいているかどうかよく分からない点でもある。それは、「未来」が「未来図」に置換されている点だ。「未来」=「未来図」と言えるであろうか。もちろんこの句を含む句集の福田の前文の雰囲気をどのように読み取るかは論者の解釈によることでそれを否定する理由はない。しかし「未来図」から単純に「鉄腕アトム」や「どらえもん」を連想してよいものかどうか。

    

 少しエピソードを語ってみたい。まず、草田男の頭の中には「未来図」の言葉はなかったように思う。それが登場するのは、弟子の鍵和田秞子の句集『未来図』(昭和51年)によるものである。この句集名は、集中の


 未来図は直線多し稲の花(47年11月万緑)


によるものである。一見、弟子への祝福や俳壇的評価(福田の頭の中ではそう考えたかもしれない)として草田男が題選したようにも思える。しかし草田男はこの句についての選評で「未来への計画想定の基本プランの図面」(48年3月万緑)と述べている。この表現には、明瞭な意思・懐疑のなさへの不満(いかにも思想家らしい草田男)がにじんでいるように思える。それもあろうか草田男は、句集序文でもこの句について全く触れていない。私は、句集題名に草田男は積極的に関与せず、秞子の意向で決まったものではないかとさえ思っている。

     *

 草田男の「未来」には政治があるだろう。そして戦前の草田男の言説は慎重な分析が必要であるように思われる。戦前の草田男の言説は語られた言説は分かりやすいが、語られない言説はなんであったかは相当推理を要する。その中には、俳句だから語られた言説・俳句以外で語られない言説があるはずである。「物いえぬ文芸」だからこそ言えた言説もある。

 だから本論の後半は、まさにそこに肉薄すべき部分に当たる。戦後書かれた言説にはよほど慎重に臨まなければならないと思う。これは論者が間違っているという訳ではない。ただこれらの発言を並べたからと言って直ちに結論が出てくるわけでもない。私もこれを批判する論拠があるわけではないが、「玫瑰や」のような句には情緒の流されない冷酷な解釈が必要なように思うのである。その意味では中村弓子の断片的な発言は肯定できる点が多い。

 草田男は戦争をどう考えていたか。反戦か戦争協力かという単純な問題ではなく、最高学府を出て国家や社会を考える余地のあった作家(金子兜太もそういう立場にあった)にとって、国の運命をどう考えていたのか、はこの句の解釈と無関係ではないように思うのである。

     *

 これらを踏まえた上で、最後の結論は私が最も興味を持つところである。冒頭に述べたような参照派の福田と言志派の中村は、永遠に交差することのない方向ではないかと思うのである。中村草田男に対して永遠に共感し得ない立場に立つとき、はじめて福田の評価がよく分かるように思うのである。

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり48 句集「一人十色」(梅沢富美男 著、夏井いつき 監修、2023年刊、ヨシモトブックス)  豊里友行

 ひょんなことからバラエティ番組で俳句を語ることになった。夜7時のゴールデンタイムで、ダウンタウンの浜ちゃんが司会をする番組となればバラエティ中のバラエティといってもいい色合いの番組(『プレバド!!』全国TBS系隔週木曜日)。そんな番組で、なぜ俳句?とも思いはしたが、我が俳句集団『いつき組』の使命は「俳句の種まき運動」!100年俳句計画の志を掲げて活動に邁進することが、我々組員の喜びである。(「超辛口先生の赤ペン俳句教室」(夏井いつき著)のあとがきよりより)


 句集「一人十色」(梅沢富美男 著、夏井いつき 監修、2023年刊、ヨシモトブックス)は、第一編「傑作五十句」、第二編「梅沢富美男の歴史」などが収められている。

 その中の対談「梅沢富美男×夏井いつき」にて俳人としての梅沢富美男の成長も言葉に表出している。


 「番組から最初のオファーをいただいた時は、どうやって俳句を作ればよいのかまったくわからない状態でした。季語を選んではめ込むらしいぞ、とその程度の知識。あまりにもわからないことばかりだから、まずは本を買って読んでみようと思ったんです。ただ、ページをめくってみたものの、難しくて理解できないことも多くて。でも俳句は舞台のセリフでよく使われる七五調のリズムだとわかったので、「もしかしたら詠めるかもしれないな」とも思い、軽い気持ちでスタートしたんです。」

「夏井先生は俳句のことしか頭にない人なんですよね。俳句に関するお仕事だったらどこへでも飛んで行く。そんな姿を見て、俳句の種を蒔くお手伝いとして、私が俳句を学んでいくことで、その種をもっと蒔いていけるなら、頑張っていきたいですね。」(どちらも梅沢富美男さんの言葉)


 ナイターの売り子一段飛ばし来る

 プロ野球観戦の球場は、大入りでナイターの灯る活気。その観客席の賑わいの中で忙しく売り子は、お客さんが呼ぶ手の降る方へ階段の一段をひとつをぴょんっとジャンプして飛び歩く。この階段の一段を飛ばす所作にナイターの賑わいを喚起している。俳句の座だけでは分からない誰も気にとめないナイターの野球場の売り子を題材に秀句ができるのも乙なものですね。


 旱星ラジオは余震しらせをり

 旱星は、夏の季語でひでり続きの夜に見える星のこと。その星が揺れるように見えた。ラジオからは、余震を知らせるニュースが流れている。地震災害の多い日本列島で日常の生活の茶の間からも現代社会を詠める良い例ですね。


 セルフレジだけのコンビニ花曇

 花曇は、春の季語で桜の咲く四月頃の曇りの天気をいう。コンビニの店員の居ないセルフレジでバーコードをスキャンして読み取って買い物をしていく。そのセルフレジだけのコンビニがあることに花曇のなにやら桜色の浮き立つ心だけではないそこはかとないさみしさもある。現代社会を言葉になる寸前の何かを捉えた現代批評の芽もある。また「水玉の模様クロックスの日焼」「暮れてゆく秋の飴色セロテープ」「春の雪なほ現役の鯨尺」「春愁をくしやと丸めて可燃ごみ」など梅沢富美男句集には、日常の何気ない題材が俳句化されているのも特徴のひとつで俳句の題材を拡張している。


 南国の果実色してハンディファン

 ハンディファンは、手で持って使う携帯型小扇風機(ポータブルファン、モバイル扇風機ともいう)のこと。地球温暖化の昨今、暑い日は気温30度越えで地域によっては屋外にでるのを控えるよう注意を促す放送が流れる。ここでは南国の果実が、夏の季語とも読める。この南国の果実色の比喩が大変な効果を上げている。この小型扇風機を顔に押し当てるようにして街中の若者たちが蠢めいている。現代諷詠としても御見事な秀句だ。

 俳句の座は松尾芭蕉の時代から令和のテレビで茶の間までわかして夏井いつき先生と梅沢富美男さんたちの俳句の掛け合いで賑わう。夏井いつき先生の云う「俳句の種まき運動」が俳句の座の拡張につながっていることは、梅沢富美男俳句の「一人十色」にも顕著にうかがえる。


【参考資料】

「超辛口先生の赤ペン俳句教室」(夏井いつき、2014年刊、朝日新聞社)

【短期連載】未来俳句は「未来」になる得るか?  山本幸生(作家)

  俳句に限らず、日本文化については、それを大きく賞賛する者がいる一方で、何かしらの物足りなさを感じ続けている日本人も常に存在してきた。

 すなわち日本文化の諸々の所産が持つ高度な凝縮性や美意識、極限まで研ぎ澄まされた感性という点で、それは世界に比類のないものであろうし、私自身それらの中に自己の可能性を探ろうとした時期すらある(結局はその方向は諦めてしまったのだが詳細は省く)

 俳句については、私は特に大きな関心を持ってきた、というわけではないが、先に触れた「凝縮性」や「極限まで研ぎ澄まされた感性」という点で、ある意味日本文化の最良の部分を最も端的に表現した芸術分野であると言えるかもしれない。

 しかしそれでも私はやはり俳句も含めた日本文化に「物足りなさ」を感じる日本人の一人である。なぜだろうか?

 それはそれら全般の本質において、「知性的」な重層性、重量感というものが圧倒的に「薄い」からである。

 確かに従来の俳句は、徹底的に「余計な」ものを削ぎ落とし、これ以上ないというくらいに突き詰めた表現となっているだろうが、それによって「感性的」な余韻やある種の広大な「宇宙感覚」のようなものすら詰め込むことができたとしても、それが「知性」を刺激することはない。少なくとも私自身はそう感じたことはない。

 これは俳句のみならず、その他の日本文化全般に言えることで、いかに素晴らしいと感じたとしても、それによって「知的な興奮」というものが喚起されないのである。

 もちろん「知性」といってもいろんな捉え方があるし、「日本には日本の知性がある」というのはその通りなのだが、いわゆる「西洋近代的知性」というものを受け入れてから既に百数十年が経った今日、それの持つ「知的な重層性」というものに匹敵するものを作りたい(更にはそれを超えたところに到達したい)と思う人が増えてきたとしても決しておかしなこととは言えないだろう(もちろん従来の「伝統的」枠組みの中で創作を続けることに価値を見出す人というのがいてもいいし、そのこと自体決して間違ったことではないが、それはそれでこの件とは全然別な話であろう)

 この宣言文で提案されている「未来俳句」というものについて言えば、「普通の」俳句よりさらに字数を切り詰め、むしろ「余白」部分を大きく増加させる、という方向を提案しているわけだが、その結果として従来の俳句の「非知性」的性格というものが増幅されるというよりは、むしろ逆にそれによって「知性的な濃度」がはるかに増大しているように私には感じられる。一言でいえば、従来の俳句にはなかったある種の「知的興奮」が得られるのだ(恐らく、字数を極限まで縮めた結果として「(背景)説明」的な部分がほとんどなくなったため、それだけ作品の抽象度が増したためであろうかと思われる)

 もしかすると、そのような「効果」が得られるということ自体がこの「未来俳句」というものの目的そのものではないのかもしれないが、少なくとも私にとっては、それは改めて「俳句」と向き合う十分な理由となるだろう。「宣言文」の中では明示されていないが、その向いている方向性がある種の「知性的関心」である、ように私には思われた。

 私は自らも創作者であり、かつてはかなり長大なフィクションを書いていたが、今ではそれを踏まえた上で、俳句ではないけれども、「一行で世界をひっくり返す」という方向の「一行小説」の創作を試みているところである。

 宣言文の中で例示されていたいくつかのサンプルの「俳句」を見させていただいたが、方向が完全に同じとまでは言えないまでも問題意識はオーバラップする部分を感じることができた。

 「宣言」の中の「一行で世界を完結させる」、「作品内での類想、模倣を拒否する」というのは私自身も常に心がけているものであり、作品において「世界全体」と対峙するのであるならば、まさに「極微の模倣」も許されない、というところまで突き詰めるべきであろう。

 思うに、この「未来俳句」というのは、あらゆるもの(さらには世界そのもの)の意味(イメージ)をいわば精神の加速器のようなものの中で高速度で衝突させて一種の核融合を起こし、微小なところで全く新しい原子を作り出す、というような試みであるとも言えるだろう。

 ただ、それがすぐに壊れてしまうような不安定な原子なのか、それとも知的な刺激、更には「衝撃」を与え得る、永続性のある「作品」となり得るのか、ということは、作者の側において、直感的にせよ、その融合の「構造」についての深い把握がなされているかどうか、という点に依存するのだと思う。

 つまり、一つの作品の中の言葉というのが表面において「響き合う」ことは禁じられているとしても、作者の中のより奥深い「知性的」構造の中においては何かしら「繋がっている」ようなものであるべきだ、ということである。そうでないと、ただ無関係な言葉を並立させただけの、単に読者を困惑させるだけのものに終わってしまうだろう。文法構造の無視あるいは破壊というのも、それよりも高次の構造把握があって初めて成立し得るものである。

 ただ、まさにこのような文化としての「知的構造」の薄さ(あるいは粗さ)というものが日本文化の特徴である、ということであるとするならば、果たして個々の作者においてそのような「強度の構造」を作り出すことが可能なのかどうか、ということが「問題」となってくるだろう。単にどこかの「哲学知識」などを借用してきたとしても、見える人にはすぐに見抜かれてしまう。

 結局のところ、日本においてこのような「運動」が成立するかどうかというのは、「未来俳句」という形態に耐えられるだけの「構造」がそれぞれの作者個人の中において(強度な形で)創り出せるか、ということにかかっており、そういうことがそもそもこの国において可能であるのかどうか、ということも含めて、個人的にも大いに興味のあるところである。「未来俳句」の今後の推移を注目していきたい。

 なお、共感はするが連帯はしない、という「宣言」の姿勢にはシンパシーを感じる。創作者はそれぞれが一つの宇宙であり、他の宇宙と何らかの形で同期することはあっても、互いにその一部を分かち合うことはないし、しようとしてもできない。また、それができない、ということ自体がそれぞれの創作者が持つ構造の「強度」を証明するものに他ならないのである。

【連載】新現代評論研究:天狼つれづれ(9):「実作者の言葉」…「蘇山人」 米田恵子

  前回(8)で、「病雁」の読み方(「やむかり」か「びょうがん」か)についての誓子の考証を取り上げたが、漢字の読み方はいろいろである。山口誓子記念館と銘打っている以上、たまに読み方、振り仮名の付け方の問い合わせがくる。大概の読み方は句集や全集・著作物に載っているが、そうでない場合正直困ってしまう。しかし、神戸大学には奥の手がある。それは句帖を見ることである。句帖から読みを類推できる場合がある。でも、慎重の上に慎重を期すことは言うまでもない。

 ところで、「実作者の言葉」に「蘇山人」という美少年の名が『天狼』昭和24年4月号に出て来る(「(北大路)魯山人」と間違えないように)。誓子は、すでに昭和21年6月号の『文藝春秋』に「蘇山人」について書いている。どうして「蘇山人」について書こうと思ったのか、その理由は書いていないが、推測するに、その文中にあるのだが明治32年の蕪村忌の大きな写真を見たとあるので、これがきっかけではないかと思う。明治32年12月24日の写真である。これはネットでも見ることができる。中央に正岡子規が少し横を向いて座り、その後方に支那服で辮髪の、いかにも清国の留学生という少年が蘇山人である。

 『天狼』に出てきたのは、昭和23年8・9月号から始まった東京勢による「子規俳句研究」の(五)(昭和24年4月号)に「蝶飛ぶや」の例句の1つとして蘇山人に関係した句が挙げられている。その句は、子規が22歳でなくなった蘇山人を追悼した「蝶飛ぶや蘇山人の魂遊ぶらん」という句である。

 誓子はすでに蘇山人について昭和21年に書いているため、不十分だったところを補おうと、例の考証好きの性格が出てきたようだ。次の6月号、さらに7・8月号においては、川田順からの葉書きに、川田順が高等学校時代に小山内薫の家で蘇山人に会ったとあり、そこから尾崎紅葉が出てきたりと、調べは広がっていく。9月号では、蘇山人の句が載っているという俳句誌『小天地』を示した人がいて、蘇山人の10句が載っている。誓子はこの10句を「砂中の金の如く」と珍重した。ただし句がいいと言うのでなく得難いところを手に入れたと言う意味であるということであった。しかし、池上浩山人から手紙で、浩山人は蘇山人の俳句を百句ばかり見つけ、これを機会に伝記を書いてどこかに発表しようかと書いてあったという。誓子は「あつと驚いた。僅かに十粒の砂金を一つ一つ掌に載せて珍重してゐる私に、浩山人は百粒の砂金を手掴みにして示されたからである」と述べる。きっと、ああ先を越されたという気持ちであろう。

 そうして、11月号には、池上浩山人が『現代俳句』8月号に「清國の俳人蘇山人」を発表した。誓子は「貴重の文章であつた」「氏 (池上浩山人)が、蘇山人の遺句を百十句獲られたことは瞠目に値する」と再び褒める。ただ、負け惜しみというのは言い過ぎかもしれないが、蘇山人の出生地については不明な点があると述べる。

 そこで、誓子は『明治百人十句』(昭文堂、明治43年)を調べると、蘇山人も明治の百人中の一人に数えられ、写真と作品が載っていたと言う。その写真は明治32年の蕪村忌の写真よりもずっと美しかったと誓子は書く。今この『明治百人十句』を誓子は所蔵しているかと書庫を調べると、な、なんと、所蔵していた。その写真を見ると、美少年というよりきりりと引き締まった青年の顔であった。誓子の蔵書は、三重県鈴鹿市で昭和28年9月の台風による高潮の被害でほとんどの蔵書を流されたというが、意外に多くの書籍が苦楽園に運ばれていることが分かる。それだけ、伊勢湾岸に住んでいたときの蔵書も神戸大学にあるということだ。

 ここで、また、私は誓子の蔵書の豊かさと誓子のその考証精神に驚かされるのである。

英国Haiku便り[in Japan](61)  小野裕三

英語俳句の選者として


 日本英語交流連盟ウェブサイトの英語俳句投句欄の選者を始めて一年が経つ。
 そこで感じたのは、異なる文化や風土に由来する詩が、haikuと出会い生まれる独特の輝きだ。それは一つには、日本では馴染みの薄い題材ということもある。


first kisses –

hesperus shines low

in the blue hour     Maria Tosti


初めてのキス / 宵の明星は青い時間に / 低く輝く


 キスが日常的行為である文化もある。「エア・キス」といって、口同士を接触させないキスという意味だ。この句がそれを意味するかは不明だが、キスの行為への感覚の違いは根底にありそうだ。


emigration

the scent of her lilacs fills

the crowded train Urszula Marciniak


移民 / ライラックの香が満ちる / 混み合う電車


 「移民」といったモチーフはなかなか日本の俳句では見かけない。社会の背景や人々の感情も伝わってくる気がする。


deepening cold . . .

the quilt maker comes hawking

on a creaking bicycle

         Kanchan Chatterjee


深まる寒さ / 軋む自転車に乗って / キルト職人が売込に来る


 軋みと寒さが巧みな照応となり、異国情緒のある素朴な風景が心を捉える。
 とは言え、異国情緒という要素は英語俳句を見定める場合にはやや厄介だ。日本人には新鮮に見えても、実は現地ではよくある風景、ということもありえる。
 一方で、具体的な題材が異国的というより、感覚が異国的と思える句もある。


hasty judgments

irregular bunches

of grapes

       Barbara Anna Gaiardoni


軽率な判断 / 葡萄の / 不揃いな房


 一行目は日本の俳句ではなかなか出てこない一言だろう。ワインに親しむ国では、葡萄への感情も違うかも知れない。


colored driveway

three generations

of pebble lovers    Govind Joshi


色のついた私道 / 小石を愛する / 三世代


 時間の流れの中に、作者の住む国の文化や風土が生き生きと見えてくる。
 ここには拾わなかったが、海外の戦争や紛争が起きている地域からそれを題材としたhaikuが投稿されることもある。心は動かされるものの、事実の重さと作品の良し悪しは別物、と自制している。ただ、haikuとインターネットという組み合わせは、世界で刻々と起きる多様な風景や感情を素早くかつ端正に伝えるのに適しているのは間違いない。そこにhaikuの可能性のひとつがあると思う。


※写真は日本英語交流連盟ウェブサイトより

(『海原』2025年1-2月号より転載)

【新連載】新現代評論研究(第23回)各論:後藤よしみ、村山恭子、佐藤りえ

 ★―3 高柳重信の新俳句詩法――「垂直の力学」として読み解く  後藤よしみ

はじめに

①本稿は、俳人・高柳重信の新俳句詩法を「垂直の力学」という視点から読み解こうとするものだ。論考をまとめるにあたっては、重信の生涯や時代背景、フランスの象徴主義、日本の言霊・土霊の思想、シュルレアリスム、そして江戸時代の国学者・富士谷御杖の倒語法など、幅広い知見を参照した。

 その過程では、複数の生成AIとの対話を重ね、一つひとつ考えを積み上げながら論考を形成してきた。生成AIは、考えを整理したり、論理を確かめたりするための道具として活用したものであり、各AIの定める利用規約と倫理的な指針の範囲内での使用である。論考における解釈と判断の責任は、すべて筆者自身にある。

②高柳重信の俳句は、読んですぐに意味がわかるものではない。「きれいな景色だな」「悲しい気持ちだな」といった、素直な感想が浮かびにくい。むしろ読むほどに、何かが引っかかり、意味がつかめないまま、言葉の底へと引き込まれていく感覚がある。

 これは偶然ではない。重信は意図的にそのような句を作っていた。

重信の俳句は、自然や感情をそのまま伝えるための器ではない。日本語の表面を流れている「わかりやすい意味」をいちど止め、その背後に隠れている歴史・制度・感覚の層を掘り起こすための装置である。

 言葉を「伝えるもの」から「露わにするもの」へと転換すること。これが重信の俳句詩法の核心である。

 そのために重信は、異質な言葉を衝突させ、語順を反転させ、空白を導入するといった技法を用いる。しかしそれらは単なるテクニックではない。日本語がもともと持っている「意味の多層性」と「非直線性」を表に出すための方法なのである。

     *

 この新俳句詩法は、以下の四つの原理によって成り立っている。

 

 1 語彙の地質学

 ――異質な言葉を衝突させると何が起きるか

①地層としての言葉

 重信の句には、一見すると不思議な組み合わせの言葉が登場する。古い地名と外来語、軍事用語と古典語、そういった「本来なら同じ場所にいるはずのない言葉」が一つの句の中に並べられる。

 これはわざと奇抜に見せようとしているわけではない。日本語の内部に積み重なっている複数の「意味の層」を同時に露出させるための操作である。

 地層というイメージが助けになる。地面を深く掘ると、時代ごとに異なる層が出てくる。言葉も同じで、一つひとつの語には、それが生まれた時代や場所の記憶が堆積している。重信はその異なる地層から言葉を取り出し、同じ句の上に並べる。


②四つの語彙の地層

 重信が用いる語彙は、大きく四つの地層に分けることができる。

 1つ目は地霊語彙である。地名や歌枕がこれにあたる。「松島」「金剛」「大和」といった言葉は、土地に長い時間をかけて堆積してきた記憶と抒情を帯びている。和歌や俳諧の伝統の中で何度も詠まれてきた、古い記憶の結晶である。

 2つ目は制度語彙である。軍艦名や軍事用語がこれにあたる。近代国家が人々の上に上書きした、硬質なイデオロギーの痕跡である。「日本海軍」「旗艦」といった語は、国家という制度が言葉に刻んだ傷の跡でもある。

 3つ目は言霊語彙である。古語や呪術的な言葉がこれにあたる。意味を伝えるというよりも、意味以前に響く、根源的な振動を持つ言葉である。

 4つ目は外来・浮遊語彙である。外来語や現代語がこれにあたる。「鸚鵡」「リラダン」といった言葉は、日本語の中心からずれた、よそ者の響きを持つ。中心を欠いた模倣と異国性の残響である。


③衝突が生む断層

 これらの異なる地層の言葉が、同じ句の上に並べられるとき——それはシュルレアリスムの詩人ロートレアモンが語った「解剖台」のような衝突の場である——、何が起きるか。

 言葉は安定した意味の場を失う。「松島」は美しい景勝地であると同時に、軍艦の名でもあり得る。その二つの層が重なったとき、読者はどちらの意味で受け取ればよいかわからなくなる。

 これが重信の狙いである。語は単なる記号ではなく、その背後にある時間や制度を帯びた存在として現れる。語は「意味するもの」としてではなく、「意味を孕む層」として扱われるのである。

 この衝突によって、日本語の内部に潜んでいた断層が露出する。言葉は表面の滑らかさを失い、読者は意味をそのまま受け取るのではなく、意味が生まれる現場に立ち会うことになる。

 

 2 倒語法の再編

 ――意味をあえて宙吊りにするとはどういうことか

  衝突によって断層が露出した言葉を、次に重信はどう扱うのか。ここで重要になるのが「倒語法」である。


①富士谷御杖という参照点  重信の詩法を理解するうえで、江戸時代の国学者・富士谷御杖(ふじたにみつえ、1768〜1823)の言語理論が重要な手がかりになる。 

 御杖は、人間の内側には理性では抑えきれない深い情念(ひたぶる心)があり、それこそが言葉の源にある本質だと考えた。そして、この情念をそのまま「好きだ」「悲しい」と直接的な言葉で吐き出してしまうと、かえって真意は失われると説いた。 

 ここに、「正直に言うほど伝わらない」という逆説がある。言葉には、表の意味と、その背後に潜む力という二つの層がある。直接言い切ってしまうことは後者を弱め、言葉を単なる報告に変えてしまう。だとすれば、真に伝えるためには、あえてそのまま言わない方法が必要になる。これが「倒語(とうご)」の出発点である。 


②倒語とは何か  倒語とは、言いたいことを直接言わず、反対や周辺、あるいはずらした形で表現する技法である。単なる遠回しな言い方ではない。意味を一度「宙吊り」にし、確定を意図的に遅らせることで、言葉の裏側に潜む力を働かせる方法である。 

 御杖は倒語の方法として「比喩」と「かたはら」を挙げた。「比喩」は言いたいことを反対や別の像に置き換える方法であり、「かたはら」は対象そのものではなく、その周囲を指すことで真意を浮かび上がらせる方法である。たとえば「会いたい」と言わずに「あなたの家の門が見たい」と言うように、意味を直接言い切らず、読者の心の中で真意が立ち上がる余地を残す。意味は一つに固定されず、揺れながら読者の内側で生成していく。 

 これは言葉遊びではない。直接言えないほどの深い真実を伝えるための、誠実な「遠回り」なのである。 


③重信における倒語の実践  重信はこの倒語の原理を、現代俳句に展開した。語順を極端に反転させる、因果関係を崩す、文の論理を意図的に不安定にする。こうした操作によって、言葉は一義的な意味を伝える機能を失う。 

 しかし、これこそが重信の狙いである。意味が固定されないことで、読者は受け身の理解者ではなく、自ら意味を構成する主体となる。このとき初めて成立するのが、御杖のいう「感通(かんつう)」である。

 感通とは、意味を説明して納得させることではなく、言葉の隙間を通して作者と読者が深い部分で共鳴し合う状態を指す。 重信が句を難解にしたのは、読者を困らせるためではない。「わかりやすく言い切る言葉(直言)」によって言葉に宿るはずの力が死んでしまうことを、拒否したのである。

 倒語法は単なる技巧ではない。それは、時間や因果を反転させるだけでなく、意味を決める権限を作者から読者へと移し渡す装置として機能している。

(つづく)


―7:藤木清子を読む13 / 村山 恭子


13 昭和11年 ⑧


     露店商人

行人を高く見あげて土あつき      

旗艦21号・9月 水南女改め 藤木清子   天の川9月

 行き交う人々を露店商人が見上げています。誰もが店に声を掛けるわけでもなく、掛けたとしても商品が売れるかどうかはわかりません。気長に客を待つ姿は痛々しくもありますが、生業としての逞しさ、矜持も感じます。待ち続ける土は暑く、熱気も立ち上がります。「高く」、「あつき」は、商人の心持ちのようです。

    季語=暑し(夏)


蚊火燃えて凡なる夏がめぐり来ぬ   旗艦21号・9月

 蚊火を燃やして、いつもと同じ「凡なる夏」が来ると言っていますが、逆説的に来るべき夏への期待を感じます。「蚊火燃えて」が夏の到来を導入します。

     季語=蚊火(夏)


蚊火燃えて詩書にすがりて生きてゐる   同上

 また暑い夏が来ました。煙を立てて蚊を追い払う火を燃やしながら詩書を読んでいます。「すがりて」が作者の様子や心情を表し、下五の「生きてゐる」が切なさを表し、「詩書」を拠り所に自身の孤独を癒しています。

  季語=蚊火(夏)


いさかひのさびしさ詩書をかいいだく   同上

 喧嘩をした後のさびしさ。「詩書」を買って抱きしめ、孤独や絶望に耐えています。

  季語=無季


蚊の堕つる静かな音が身に韻(ひび)く   同上

 蚊の堕ちる静かな音。その音が身にひびいています。「堕ちる」「韻く」の漢字を用いて、情感を一層深く表しており、この句の眼目になります。

  季語=蚊(夏)


あつき夜が四角な壁となりて責む   京大俳句9月 水南女改め 藤木清子

 暑く寝苦しい夜が、「四角な壁」となり責めてきます。「四角」が窮屈さを表し、「壁」が己の心うちを示しています。

  季語=暑し(夏)


空は青磁もしろき蝶の孵りたる   同上

空は青磁昼(つ)月(き)のかけらがふりやまず   天の川10月号 藤木水南女で出句

空は青磁白きチョッキの夏燕   同上


 上五「空は青磁(も)」の三句。

 一句目は、「青磁」の青く澄んだ青緑色と「しろき」の白色の対比。青磁から陶器の静けさ、重さ、無機質な冷たさを感じます。「蝶の孵りたる」で命を提示しています。

 二句目は、「昼月のかけら」の措辞が独自の世界を打ち出しています。平仮名表記が、「かけら」がほろほろとこぼれ、降り止まぬ様子をよく表しています。

 三句目は一転楽しさのある句立てです。「夏燕」の胸の白さを「チョッキ」とし、夏の活き活きとした情景を打ち出します。

   季語=一句目 蝶(春)・二句目 無季・三句目 夏燕(夏)


百日紅空の青磁ににほへりき        同上

「百日紅」の鮮やか色と「空の青磁」の対比。夏の盛りを生き抜く植物と無機質な冷た

さ。「にほへりき」から百日紅が空と共鳴して咲き誇る情景や、夏に負けない強くて濃い花の匂いを感じます。

   季語=百日紅(夏)

■「天の川」10月号の消息欄に訃報二件
①藤木北青氏(瀬戸田)九月七日午前六時御逝去の悲報あり。熱心なる振興作家であっ
たが誠に痛惜に耐えない。
②篠原鳳作氏(鹿児島)九月十七日豫て病臥中の処心臓麻痺にて御逝去  謹んで哀悼す。
■「旗艦」昭和12年2月(26号)後記に「御転居」として、藤木水南女氏神戸市葺合区熊内町3の46黒田隆方が掲載される。


★—5 清水径子の句を読む  佐藤りえ

 かなかなの漣うてる素粥かな 「鏡」昭和四十年以前

 引き続き『鶸』より。初出は「氷海」昭和38年12月号、同人自選句欄「青泉集」、表記は同じ。

 後年描かれる、食物から詩的なひろがりを見せる作風が、この頃すでに現れている。素粥、米のほか何も具材のない粥を前に、戸外の蜩の声をきく。大きく、終わりの知れない声が、粥碗の表面に漣をたてるほどに続いている。煩いということをこのように表現してみせたのか、あるいは、元気なくその声をぼんやり聞き続けているということなのか。

 勿論、実際に虫の声が粥の表面に漣をたてているわけではないだろう。それほどに繰り返し押し寄せ、とどまることがない様子を「漣」といったのがよく、スケールの大小の混乱を一句にさりげなく与えている。

 助詞は「の」のみ、ミニマムな構成でありながら連続性のある情景を思わせる。言葉の扱いはシビアに、眺めは静謐に、径子独自の世界を既に手に入れつつある作品のひとつに数えられると思う。

 昭和39年、俳人協会への奉職が径子にとって一つの大きなターニングポイントであった。その後の昭和41年も径子に大きな変化をもたらす年となった。

 昭和41年、同人の発表欄「星恋集」から年に一人「星恋賞」を選出することが発表され、径子は銓衡委員のひとりをつとめた。翌42年発表の第一回星恋賞受賞者は中尾寿美子だった。寿美子は受賞感想で以下のように述べている。

また清水径子氏を中心とする七人の研究会「虹の会」は回を重ねる毎に、激しさときびしさを加えていました。(中略)「虹の会」の苦行の様な励みは私にとって貴重なものでした。

 「虹の会」は径子を中心とした女性だけの研究グループとして昭和41年にスタートしたらしい。らしい、というのはその活動内容が「氷海」本誌になかなか現れなかったためである。「氷海」は支部活動も盛んで、毎号各支部の句会詠草や活動報告が掲載されているが、「虹の会」はクローズドの研究会として、報告欄に姿を見せることはなかった。全盛期には30弱の支部が運営され、年に一度「支部競詠」が開催された。第8回支部競詠(昭和43年)で「虹の会」は第三位に入賞している。そこに名前の見えるメンツは前田光・尾形不二子・中林美恵子・諸岡直子・高橋正子・三浦ふみ・高本松栄・高木智恵子。


一年中無帽落花を鼻にうけ  前田光

蜂の私語ききわけ花園にひとり  尾形不二子

ねむりさまたげる牡丹の静寂は  三浦ふみ

(第8回支部競詠「氷海」昭和43年1月号)


 昭和43年の「氷海」20周年記念号(10月号)支部紹介によると、「虹の会」は7~8人の少人数制で、席題10句の句会とその作品研究を行う、という方針なのだという。毎月第三木曜に会を持ち、「三回欠席を以つて会員失格、欠員のない限り入会できない」など、互いに厳しいルールを課した会だった。

 径子は仕事の関係からか、支部活動に参加している形跡がじつに少なかった。東京句会や「炎の会」に時折名前が見える程度で、毎年開催の「氷海祭」や夏期鍛錬会にも、昭和40年頃までは滅多に参加していない。中尾寿美子による「虹の会」支部紹介の文章は次のように結ばれている。

このささやかな会が持つ意義を考えて見て、あらためて励みあう友情を有難いと思います。

 「清水径子全句集」の年譜では「虹の会」発足は昭和46年となっている。この「氷海」本誌記載の会は前身で、後に体制に変更があり、それを正式なものとしたのかもしれない。

 「虹の会」会場は径子の松原の自宅である。高木智恵子、三浦ふみ、中尾寿美子ら「氷海」で長く苦楽を共にした仲間達と、落ち着いてじっくり句座を囲む会をようやく持つことができた。