★―3 高柳重信の新俳句詩法――「垂直の力学」として読み解く 後藤よしみ
はじめに
①本稿は、俳人・高柳重信の新俳句詩法を「垂直の力学」という視点から読み解こうとするものだ。論考をまとめるにあたっては、重信の生涯や時代背景、フランスの象徴主義、日本の言霊・土霊の思想、シュルレアリスム、そして江戸時代の国学者・富士谷御杖の倒語法など、幅広い知見を参照した。
その過程では、複数の生成AIとの対話を重ね、一つひとつ考えを積み上げながら論考を形成してきた。生成AIは、考えを整理したり、論理を確かめたりするための道具として活用したものであり、各AIの定める利用規約と倫理的な指針の範囲内での使用である。論考における解釈と判断の責任は、すべて筆者自身にある。
②高柳重信の俳句は、読んですぐに意味がわかるものではない。「きれいな景色だな」「悲しい気持ちだな」といった、素直な感想が浮かびにくい。むしろ読むほどに、何かが引っかかり、意味がつかめないまま、言葉の底へと引き込まれていく感覚がある。
これは偶然ではない。重信は意図的にそのような句を作っていた。
重信の俳句は、自然や感情をそのまま伝えるための器ではない。日本語の表面を流れている「わかりやすい意味」をいちど止め、その背後に隠れている歴史・制度・感覚の層を掘り起こすための装置である。
言葉を「伝えるもの」から「露わにするもの」へと転換すること。これが重信の俳句詩法の核心である。
そのために重信は、異質な言葉を衝突させ、語順を反転させ、空白を導入するといった技法を用いる。しかしそれらは単なるテクニックではない。日本語がもともと持っている「意味の多層性」と「非直線性」を表に出すための方法なのである。
*
この新俳句詩法は、以下の四つの原理によって成り立っている。
1 語彙の地質学
――異質な言葉を衝突させると何が起きるか
①地層としての言葉
重信の句には、一見すると不思議な組み合わせの言葉が登場する。古い地名と外来語、軍事用語と古典語、そういった「本来なら同じ場所にいるはずのない言葉」が一つの句の中に並べられる。
これはわざと奇抜に見せようとしているわけではない。日本語の内部に積み重なっている複数の「意味の層」を同時に露出させるための操作である。
地層というイメージが助けになる。地面を深く掘ると、時代ごとに異なる層が出てくる。言葉も同じで、一つひとつの語には、それが生まれた時代や場所の記憶が堆積している。重信はその異なる地層から言葉を取り出し、同じ句の上に並べる。
②四つの語彙の地層
重信が用いる語彙は、大きく四つの地層に分けることができる。
1つ目は地霊語彙である。地名や歌枕がこれにあたる。「松島」「金剛」「大和」といった言葉は、土地に長い時間をかけて堆積してきた記憶と抒情を帯びている。和歌や俳諧の伝統の中で何度も詠まれてきた、古い記憶の結晶である。
2つ目は制度語彙である。軍艦名や軍事用語がこれにあたる。近代国家が人々の上に上書きした、硬質なイデオロギーの痕跡である。「日本海軍」「旗艦」といった語は、国家という制度が言葉に刻んだ傷の跡でもある。
3つ目は言霊語彙である。古語や呪術的な言葉がこれにあたる。意味を伝えるというよりも、意味以前に響く、根源的な振動を持つ言葉である。
4つ目は外来・浮遊語彙である。外来語や現代語がこれにあたる。「鸚鵡」「リラダン」といった言葉は、日本語の中心からずれた、よそ者の響きを持つ。中心を欠いた模倣と異国性の残響である。
③衝突が生む断層
これらの異なる地層の言葉が、同じ句の上に並べられるとき——それはシュルレアリスムの詩人ロートレアモンが語った「解剖台」のような衝突の場である——、何が起きるか。
言葉は安定した意味の場を失う。「松島」は美しい景勝地であると同時に、軍艦の名でもあり得る。その二つの層が重なったとき、読者はどちらの意味で受け取ればよいかわからなくなる。
これが重信の狙いである。語は単なる記号ではなく、その背後にある時間や制度を帯びた存在として現れる。語は「意味するもの」としてではなく、「意味を孕む層」として扱われるのである。
この衝突によって、日本語の内部に潜んでいた断層が露出する。言葉は表面の滑らかさを失い、読者は意味をそのまま受け取るのではなく、意味が生まれる現場に立ち会うことになる。
2 倒語法の再編
――意味をあえて宙吊りにするとはどういうことか
衝突によって断層が露出した言葉を、次に重信はどう扱うのか。ここで重要になるのが「倒語法」である。
①富士谷御杖という参照点
重信の詩法を理解するうえで、江戸時代の国学者・富士谷御杖(ふじたにみつえ、1768〜1823)の言語理論が重要な手がかりになる。
御杖は、人間の内側には理性では抑えきれない深い情念(ひたぶる心)があり、それこそが言葉の源にある本質だと考えた。そして、この情念をそのまま「好きだ」「悲しい」と直接的な言葉で吐き出してしまうと、かえって真意は失われると説いた。
ここに、「正直に言うほど伝わらない」という逆説がある。言葉には、表の意味と、その背後に潜む力という二つの層がある。直接言い切ってしまうことは後者を弱め、言葉を単なる報告に変えてしまう。だとすれば、真に伝えるためには、あえてそのまま言わない方法が必要になる。これが「倒語(とうご)」の出発点である。
②倒語とは何か
倒語とは、言いたいことを直接言わず、反対や周辺、あるいはずらした形で表現する技法である。単なる遠回しな言い方ではない。意味を一度「宙吊り」にし、確定を意図的に遅らせることで、言葉の裏側に潜む力を働かせる方法である。
御杖は倒語の方法として「比喩」と「かたはら」を挙げた。「比喩」は言いたいことを反対や別の像に置き換える方法であり、「かたはら」は対象そのものではなく、その周囲を指すことで真意を浮かび上がらせる方法である。たとえば「会いたい」と言わずに「あなたの家の門が見たい」と言うように、意味を直接言い切らず、読者の心の中で真意が立ち上がる余地を残す。意味は一つに固定されず、揺れながら読者の内側で生成していく。
これは言葉遊びではない。直接言えないほどの深い真実を伝えるための、誠実な「遠回り」なのである。
③重信における倒語の実践
重信はこの倒語の原理を、現代俳句に展開した。語順を極端に反転させる、因果関係を崩す、文の論理を意図的に不安定にする。こうした操作によって、言葉は一義的な意味を伝える機能を失う。
しかし、これこそが重信の狙いである。意味が固定されないことで、読者は受け身の理解者ではなく、自ら意味を構成する主体となる。このとき初めて成立するのが、御杖のいう「感通(かんつう)」である。
感通とは、意味を説明して納得させることではなく、言葉の隙間を通して作者と読者が深い部分で共鳴し合う状態を指す。
重信が句を難解にしたのは、読者を困らせるためではない。「わかりやすく言い切る言葉(直言)」によって言葉に宿るはずの力が死んでしまうことを、拒否したのである。
倒語法は単なる技巧ではない。それは、時間や因果を反転させるだけでなく、意味を決める権限を作者から読者へと移し渡す装置として機能している。
(つづく)
★―7:藤木清子を読む13 / 村山 恭子
13 昭和11年 ⑧
露店商人
行人を高く見あげて土あつき
旗艦21号・9月 水南女改め 藤木清子 天の川9月
行き交う人々を露店商人が見上げています。誰もが店に声を掛けるわけでもなく、掛けたとしても商品が売れるかどうかはわかりません。気長に客を待つ姿は痛々しくもありますが、生業としての逞しさ、矜持も感じます。待ち続ける土は暑く、熱気も立ち上がります。「高く」、「あつき」は、商人の心持ちのようです。
季語=暑し(夏)
蚊火燃えて凡なる夏がめぐり来ぬ 旗艦21号・9月
蚊火を燃やして、いつもと同じ「凡なる夏」が来ると言っていますが、逆説的に来るべき夏への期待を感じます。「蚊火燃えて」が夏の到来を導入します。
季語=蚊火(夏)
蚊火燃えて詩書にすがりて生きてゐる 同上
また暑い夏が来ました。煙を立てて蚊を追い払う火を燃やしながら詩書を読んでいます。「すがりて」が作者の様子や心情を表し、下五の「生きてゐる」が切なさを表し、「詩書」を拠り所に自身の孤独を癒しています。
季語=蚊火(夏)
いさかひのさびしさ詩書をかいいだく 同上
喧嘩をした後のさびしさ。「詩書」を買って抱きしめ、孤独や絶望に耐えています。
季語=無季
蚊の堕つる静かな音が身に韻(ひび)く 同上
蚊の堕ちる静かな音。その音が身にひびいています。「堕ちる」「韻く」の漢字を用いて、情感を一層深く表しており、この句の眼目になります。
季語=蚊(夏)
あつき夜が四角な壁となりて責む 京大俳句9月 水南女改め 藤木清子
暑く寝苦しい夜が、「四角な壁」となり責めてきます。「四角」が窮屈さを表し、「壁」が己の心うちを示しています。
季語=暑し(夏)
空は青磁もしろき蝶の孵りたる 同上
空は青磁昼(つ)月(き)のかけらがふりやまず 天の川10月号 藤木水南女で出句
空は青磁白きチョッキの夏燕 同上
上五「空は青磁(も)」の三句。
一句目は、「青磁」の青く澄んだ青緑色と「しろき」の白色の対比。青磁から陶器の静けさ、重さ、無機質な冷たさを感じます。「蝶の孵りたる」で命を提示しています。
二句目は、「昼月のかけら」の措辞が独自の世界を打ち出しています。平仮名表記が、「かけら」がほろほろとこぼれ、降り止まぬ様子をよく表しています。
三句目は一転楽しさのある句立てです。「夏燕」の胸の白さを「チョッキ」とし、夏の活き活きとした情景を打ち出します。
季語=一句目 蝶(春)・二句目 無季・三句目 夏燕(夏)
百日紅空の青磁ににほへりき 同上
「百日紅」の鮮やか色と「空の青磁」の対比。夏の盛りを生き抜く植物と無機質な冷た
さ。「にほへりき」から百日紅が空と共鳴して咲き誇る情景や、夏に負けない強くて濃い花の匂いを感じます。
季語=百日紅(夏)
■「天の川」10月号の消息欄に訃報二件
①藤木北青氏(瀬戸田)九月七日午前六時御逝去の悲報あり。熱心なる振興作家であっ
たが誠に痛惜に耐えない。
②篠原鳳作氏(鹿児島)九月十七日豫て病臥中の処心臓麻痺にて御逝去
謹んで哀悼す。
■「旗艦」昭和12年2月(26号)後記に「御転居」として、藤木水南女氏神戸市葺合区熊内町3の46黒田隆方が掲載される。
★—5 清水径子の句を読む 佐藤りえ
かなかなの漣うてる素粥かな 「鏡」昭和四十年以前
引き続き『鶸』より。初出は「氷海」昭和38年12月号、同人自選句欄「青泉集」、表記は同じ。
後年描かれる、食物から詩的なひろがりを見せる作風が、この頃すでに現れている。素粥、米のほか何も具材のない粥を前に、戸外の蜩の声をきく。大きく、終わりの知れない声が、粥碗の表面に漣をたてるほどに続いている。煩いということをこのように表現してみせたのか、あるいは、元気なくその声をぼんやり聞き続けているということなのか。
勿論、実際に虫の声が粥の表面に漣をたてているわけではないだろう。それほどに繰り返し押し寄せ、とどまることがない様子を「漣」といったのがよく、スケールの大小の混乱を一句にさりげなく与えている。
助詞は「の」のみ、ミニマムな構成でありながら連続性のある情景を思わせる。言葉の扱いはシビアに、眺めは静謐に、径子独自の世界を既に手に入れつつある作品のひとつに数えられると思う。
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昭和39年、俳人協会への奉職が径子にとって一つの大きなターニングポイントであった。その後の昭和41年も径子に大きな変化をもたらす年となった。
昭和41年、同人の発表欄「星恋集」から年に一人「星恋賞」を選出することが発表され、径子は銓衡委員のひとりをつとめた。翌42年発表の第一回星恋賞受賞者は中尾寿美子だった。寿美子は受賞感想で以下のように述べている。
また清水径子氏を中心とする七人の研究会「虹の会」は回を重ねる毎に、激しさときびしさを加えていました。(中略)「虹の会」の苦行の様な励みは私にとって貴重なものでした。
「虹の会」は径子を中心とした女性だけの研究グループとして昭和41年にスタートしたらしい。らしい、というのはその活動内容が「氷海」本誌になかなか現れなかったためである。「氷海」は支部活動も盛んで、毎号各支部の句会詠草や活動報告が掲載されているが、「虹の会」はクローズドの研究会として、報告欄に姿を見せることはなかった。全盛期には30弱の支部が運営され、年に一度「支部競詠」が開催された。第8回支部競詠(昭和43年)で「虹の会」は第三位に入賞している。そこに名前の見えるメンツは前田光・尾形不二子・中林美恵子・諸岡直子・高橋正子・三浦ふみ・高本松栄・高木智恵子。
一年中無帽落花を鼻にうけ 前田光
蜂の私語ききわけ花園にひとり 尾形不二子
ねむりさまたげる牡丹の静寂は 三浦ふみ
(第8回支部競詠「氷海」昭和43年1月号)
昭和43年の「氷海」20周年記念号(10月号)支部紹介によると、「虹の会」は7~8人の少人数制で、席題10句の句会とその作品研究を行う、という方針なのだという。毎月第三木曜に会を持ち、「三回欠席を以つて会員失格、欠員のない限り入会できない」など、互いに厳しいルールを課した会だった。
径子は仕事の関係からか、支部活動に参加している形跡がじつに少なかった。東京句会や「炎の会」に時折名前が見える程度で、毎年開催の「氷海祭」や夏期鍛錬会にも、昭和40年頃までは滅多に参加していない。中尾寿美子による「虹の会」支部紹介の文章は次のように結ばれている。
このささやかな会が持つ意義を考えて見て、あらためて励みあう友情を有難いと思います。
「清水径子全句集」の年譜では「虹の会」発足は昭和46年となっている。この「氷海」本誌記載の会は前身で、後に体制に変更があり、それを正式なものとしたのかもしれない。
「虹の会」会場は径子の松原の自宅である。高木智恵子、三浦ふみ、中尾寿美子ら「氷海」で長く苦楽を共にした仲間達と、落ち着いてじっくり句座を囲む会をようやく持つことができた。