本BLOGでは金光舞氏の「口語俳句の可能性」の連載が続いているが、ここでこれに関連した話題を少し紹介してみたい。
2025年11月24日(月・祝)、ゆいの森あらかわ「ゆいの森ホール」にて開催された第50回現代俳句講座 「昭和百年 俳句はどこへ向かうのか」では、柳生正名、神野紗希、筑紫磐井によるシンポジウムが行われ、その中で口語俳句に関するディスカッションが集中的に行われた。多くのデータを踏まえた分析であるので口語俳句研究の今後の参考になるのではないかと思うので、紹介したい。
●柳生正名
「現代俳句」が1年間かけて行っている昭和100年・戦後80年を回顧しての現代俳句協会役員・評議員アンケートの発表が行われたが、この中でトップを占める俳句作品に口語俳句が多かったことが指摘された。
池田澄子 じゃんけんで負けて蛍に生れたの(同率1位11点)
渡辺白泉 戦争が廊下の奥に立つてゐた(同率1位11点)
金子兜太 おおかみに螢が一つ付いてゐた(同率3位8点)
金子兜太 梅咲いて庭中に青鮫が来ている(同率3位8点)
現代俳句においては口語化が進んでいるのではないかという観点から議論が進められた。
●神野紗希
神野氏はまず今回のアンケート結果を踏まえ、口語俳句の抽出を行った。力作である。
➀新興俳句の口語(※言い切りの語尾)
頭の中で白い夏野となつてゐる 高屋窓秋
山鳩よみればまはりに雪がふる 同
夏草に汽罐車の車輪来て止る 山口誓子
水枕ガバリと寒い海がある 西東三鬼
➁戦時の口語(※肉声としての口語)
戦争が廊下の奥に立つてゐた 渡邊白泉
憲兵の前で滑つて転んぢやつた 同
灯をともし潤子のやうな小さいランプ 富澤赤黄男
やがてランプに戦場の深い闇がくるぞ 同
➂戦後俳句の口語(※韻律と主題)
人体冷えて東北白い花盛り 金子兜太
彎曲し火傷し爆心地のマラソン 同
銀行員等朝より螢光す烏賊のごとく 同
あやまちはくりかへします秋の暮 三橋敏雄
八月の赤子はいまも宙を蹴る 宇多喜代子
④自由としての口語(※異質性のエッセンス)
おおかみに螢が一つ付いていた 金子兜太
梅咲いて庭中に青鮫が来ている 同
少年来る無心に充分に刺すために 阿部完市
ローソクもつてみんなはなれてゆきむほん 同
たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ 坪内稔典
三月の甘納豆のうふふふふ 同
これに加えて平成以降の作品、特に若い世代の作品を含めて新しい口語俳句の摘出を行った。
⑤現代×日常の口語
起立礼着席青葉風過ぎた 神野紗希
ゆず湯の柚子つついて恋を今している 越智友亮
寒いなあコロッケパンのキャベツの力 小川楓子
寝静まるあなたが丘ならば涼しい 大塚凱
初夢の代はりにYouTube見てる 葉ざくら
⑥現代×主題の口語
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの 池田澄子
ヒヤシンスしあわせがどうしても要る 福田若之
蝶よ川の向こうの蝶は邪魔ですか 池田澄子
Rest in Peace 向日葵は泣かない 光峯霏々
ねむる天牛だめなことをだめって言うちから 林田理世
●筑紫磐井
これに対し、筑紫は、口語俳句はすでにホトトギスの俳句の中にも多くみられたことを指摘した。
街の雨鶯餅のもう出たか 富安風生(ホトトギス12年)
月見草開くところを見なかつた 島田摩耶子(ホトトギス昭和28年)
これらの句は虚子の参加した句会で取り上げられという。口語俳句はホトトギスの花鳥諷詠の中で十分鑑賞に堪え、盛況を見たのであった。
特にこの他の作家としては星野立子に着目したい。戦前から口語趣味的な俳句が詠まれていた。
娘らのうかうか遊びソーダ水 8年
吾子と姪同じにかはい藤は実に 15年
皆が見る私の和服巴里薄暑 31年
火を入れしばかりの火鉢縁つめた 36年
幸福が見つかりそうに朝焚火 40年
口語俳句が見られると言っても数はまだそれほど多くはなく、圧倒的に文語の俳句が多かった。しかしここで転換期を迎える。立子は45年に脳梗塞で倒れ、10年以上にわたる闘病生活とリハビリ生活を送ったが、不死鳥のようによみがえった。その際、従来のような文語の居住まいの正しい俳句から多くの口語俳句を詠むようになった。
白芙蓉隣の家は留守らしく(56年11月)
風花を呼ぶこの雲がこの風が(57年5月)
老鶯のだんだん遠くそれっきり(58年8月)
計画は生まれて消えて秋の空(58年11月)
春寒し赤鉛筆は六角形(59年4月絶筆)
立子の口語俳句への意図的な転換は、ことによると脳梗塞という病気の影響もあったかもしれない。これは今後考えてみたい課題である。
いずれにしろホトトギス俳句から生まれた口語俳句は、新興俳句や戦後俳句(神野のあげた➀―➂)と明らかに異なる色調を帯びていた。どちらかと言えば、若い世代の俳句(神野のあげた⑤-⑥)は、ホトトギスの口語俳句と調和しているように思われる。
【筑紫・補足】
「街の雨鶯餅のもう出たか」は、「ホトトギス」の昭和12年6月号に載っている。この句自身についてはあまり議論が出ていないがおもしろいことが分かる。実は7月号の「まさおなる空よりしだれ桜かな」という富安風生一代の名句、文語の格調高い句ができているのだ。口語俳句をべたに作ってる人ではなくてたまたま作る人というのがいて、その人は文語俳句で精一杯つくるとそれと併行して口語俳句の傑作も生まれる、そういうところがあるという気がした。文語と口語、そういう対比的に面白いところから、特に花鳥諷詠系の口語俳句というのは出てくるのではないかと思える。
「月見草開くところを見なかつた」は「街の雨」と違って侃侃諤諤議論があった。実は似た句があるではないかと言われた。どういう句かというと、成瀬正俊の「炎天下吸いしタバコが苦かった」という句である。これと同巧ではないか弟子たちが議論しているのだが、虚子がいうには、とにかくこの句は面白い、かつ自然にできていると、そういう言い方でほめている。考えると、昭和28年というのは社会性俳句が出た最初の時期で、例えば兜太の「湾曲し火傷し爆心地のマラソン」のような重苦しい句が出てくる時代に、「月見草」の軽みや面白みというのが受け取られるようになったのではないか。神野さんが作った新興俳句系の口語俳句の表のとなりに花鳥諷詠口語俳句の一覧表を作ってみると、口語俳句の本質というのがもう少しわかってくるように思える。
神野さんの「起立礼」の句も、これは風生や島田摩耶子の隣に並べた方がよくわかる。花鳥諷詠の真骨頂というか、他の新興俳句や戦争中の口語俳句等と並べると違和感を覚える。この句は花鳥諷詠の中でとらえるとものすごく引き立つのでないか。
今回のシンポジウムのために柳生さんと何度かメールをやりとりしてそのときに言われたのが、河東碧梧桐の「赤い椿白い椿と落ちにけり」は明治の口語俳句ではないかと言われて、確かに気づいたのだが、それは今の私がやっと気づいたのであって、当時の人たちは気づいてたのかどうか。調べてみたところ、明治の新派俳句を代表する「赤い椿」の句だが、これが俳壇で脚光をあびたのは、正岡子規が「明治29年の俳句界」という有名な論文で取り上げているからである。しかしそれをいくら見ても子規は口語俳句と言っていない、注目しているのは、この句は印象鮮明である、碧梧桐はこれに邁進すべきだっていってるけれど、口語俳句とは一言も言ってない。正岡子規はこれ口語だって気が付かなかったのではないかと気づいた。実はその後高浜虚子の有名な「進むべき俳句の道」という本がありその冒頭に碧梧桐の句について書いてるけれど、「赤い椿」の句は印象鮮明な句だと言っているけれどやはりこれが口語俳句だと言ってない。子規も虚子ですらもこれが口語俳句とは気づいていなかった。言われて初めて気づく口語俳句というのは結構たくさんあるような気がする。
そういう意味では口語的な言葉遣いだけに固執するより、口語的な精神、そちらの方が大事なのではないかという気がしている。