2026年1月30日金曜日

【新連載】新現代評論研究(第18回)各論:後藤よしみ 

 ●ー3「高柳重信における皇国史観と象徴主義の精神史」―戦前の影響と戦後の変容をめぐって―後藤よしみ


第五章 象徴主義との交錯と詩的昇華

 高柳重信の思想的変容において、フランス象徴主義との出会いは決定的な転機となった。重信は「少年期から青年期にかけての私に、いちばん大きな影響を与えたものは、たぶん、辰野隆、鈴木信太郎、渡辺一夫などを中心とする主としてフランス文学の古典に関する本であった」と回想している¹。戦前期、日本では西洋文学の翻訳書が広く流通しており、重信もその洗礼を受けた一人であった。

 象徴主義は、言葉の象徴性を重視し、詩的宇宙を構築する思想である。重信は、リラダンの詩精神に深く共鳴し、言葉によって内面を見つめ、外界に対峙する姿勢を育んでいく。これは、皇国史観における英雄的死や忠義の美学とは異なる、個人の内面に根ざした詩的感受性であった。

 敗戦後、重信は病床に伏しながら、深層の詩的想像力を育てていく。療養生活は、彼にとって思索的で観念的な時間となり、象徴主義的な詩意識が深化する契機となった。この時期、彼は「死神を見つめる時間」を作家的準備期間と捉え、敗戦後の創作活動のアドバンテージとして位置づけている²

 一方で、皇国史観の影響はなお彼の内面に残り続けていた。肺結核の発症によって徴兵検査に不合格となった重信は、戦場に立てない若者として「非国民」とされ、劣等感と孤独に苛まれる。弁護士になる夢も断念せざるを得ず、社会から遮断された存在として「銃後の冬蝿」と自嘲する³。そのような状況下で、彼の拠り所となったのは楠木正成や後南朝の精神であり、同時にリラダンの詩的世界でもあった。

 このように、重信の内面には皇国精神と象徴主義という二つの思想が併存していた。肉体化する皇国精神に対して、象徴主義は精神の自由を与え、詩的昇華の道を開いた。重信は、詩歌に耽溺することで正気を保ち、病床から佳句を世に送り出す。これは、思想的重層性を抱えながらも、詩によって自己を再構築しようとする試みであった。

 同時代の詩人・鮎川信夫もまた、西洋詩の洗礼を受けながら、戦時下の皇国史観に反発しつつも、その呪縛から完全には逃れられなかったと告白している。重信もまた、象徴主義によって皇国精神を相対化しながらも、その精算には至らず、深層に残し続けた。

 この章で見られるように、重信の思想的変容は、単なる転換ではなく、異質な思想の交錯と融合による詩的昇華であった。象徴主義は、彼にとって思想の再構築のための跳躍板であり、敗戦後の創作活動の根幹を形成する重要な要素となった。


脚注

¹ 高柳重信「模糊たる来し方」『高柳重信全集Ⅱ』立風書房、1985年

² 高柳重信「『蕗子』の周辺」『全集Ⅲ』1985年

³ 色川大吉『ある昭和史』中公文庫、1975年

⁴ 鮎川信夫『戦中手記』思想社、1965年