2026年1月30日金曜日

【連載】新現代評論研究:『天狼』つれづれ 第7回:「実作者の言葉」…「頭燈」について 米田恵子

 『天狼』昭和23年6月号の誓子の「実作者の言葉」に「頭燈」が出て来る。『天狼』2月号の「寒き夜や汽車の頭燈罅走る」という句の「頭燈」に首をかしげる人がいる、つまり「頭燈」という言葉に前例がないのではないかということである。ここで、誓子の例の探索が始まる。誓子は、head lightの直訳として「頭燈」と用いたという。これは、すでに志賀直哉の小説「灰色の月」に「頭燈」が出ていると述べる。しかし、使い慣れている英和辞典にはhead lightで「前燈」という訳語が載っているため、「前燈」を使った「暖房車闇に前燈ぎらつかす」という句も作っているが、「寒き夜や」の句も「頭燈」よりも「前燈」の方が適切かもしれないが、実際に四日市市富田の駅の踏切で、まじかに見たD51型の機関車のhead lightを仰ぐようにして見たため、「頭燈」のほうがいいと思ったのである。

 誓子は、句ができた実景から「頭燈」という言葉を思いついたようであるが、中野重治の『汽車の罐焚き』(誓子文庫所蔵)という小説になら機関車用語が出ているだろうと丹念に読み返してみたが、これには残念ながらなかった。そこで、『機関車名称図解』(誓子文庫所蔵)を調べてみると「前照灯」と出ていたそうだ。これが正式名称であろう。しかし、誓子は書物の上の知識では満足できず、鉄道医官のM氏(このM氏の名は特定できなかった)に聞いてみた。M氏の結論としては「前燈」は「前照燈」が正しいということだそうだ。M氏の手紙には最後に誓子の問題になった「寒き夜や汽車の頭燈罅走る」の「頭燈」が浜松工機部でも問題になったそうだが、M氏は気に留めなかったということである。他にも用語の使い方に疑問を持った人たちがいたのである。しかし、言語芸術としての俳句の中で使われる言葉は詩語であり、作者の俳句を作ったその様子や感情が言葉となって表されるものである。だから、専門家から見たら言葉の使い方がおかしいかもしれないが、俳句としては立派に成り立っているのだから、それでいいではないかと思うが、誓子の探索好きというか考証好き終わらない。

 同じ号に続けて「頭燈 ふたたび」により、誓子は「気罐車」と「機関車」の書き分けについて述べる。誓子は、「機関車」は事務的で冷酷で素っ気ない述べ、せめて俳句では「汽罐車」を使いたいと「機関車の話」(毎日新聞昭和9年5月19日付)で述べた。「大阪駅構内」「寒夜駅頭」では「汽罐車」を使用し、「ワゴン・リイ」では「機関車」とした。「ワゴン・リイ」はアガサ・クリスティの小説に出て来るあのオリエント急行の客車である。誓子の区別は「汽罐車」の「汽罐(かま)」という字には古風な小柄な感じがあって、「ワゴン・リイ」を牽引するような、新しい形の黒くたくましいのは「機関車」という漢字が当てはまるということだ。

 「頭燈」は『天狼』(昭和23年10月号)に「頭燈 みたび」には、M氏は正式には「運輸技官」だそうであり、「前照燈」は列車の夜間における「前部標識」であり「尾燈」は夜間における「後部標識」が正式名称らしいということが書かれている。

 変にこだわるから、誓子はだんだん引くに引けなくなってしまっている。専門的には使用しない言葉でも、実際の感動を言葉にする俳句も言語芸術なのだから、そこで浮かんできた言葉は詩語なんだと突っぱねてもいいのではないかと私などは思ってしまう。容赦なく否定しないところが誓子の『天狼』に向き合う真面目な態度かもしれない。前例があるのかどうかを丁寧に調べ、文献では頼りないから実際に携わっている人に聞いてみる。

 誓子には鋭い読者が大勢いるため、その読者からの指摘もないがしろにしない。まだまだ、誓子の探索好きや考証好きは続いてゆく。