2021年9月17日金曜日

第168号

          ※次回更新 10/1


豈63号 発売中! 購入は邑書林まで

俳句新空間第14号 発売中 》刊行案内


【新連載】北川美美俳句全集2 》読む

【連載】澤田和弥論集成(第6回-1) 》読む

【書評】『概説 筑紫磐井 仁平 勝』加藤哲也著を読む/石山昼妥 》読む


【新企画・俳句評論講座】

・はじめに(趣意)
・連絡事項(当面の予定)
・質問と回答
・テクスト/批評 》目次を読む

【俳句の新展開】

句誌句会新時代(その一)・ネットプリント折本 千寿関屋 》読む
句誌句会新時代(その二)・夏雲システムの破壊力 千寿関屋 》読む
ネット句会の検討 》読む
俳句新空間・皐月句会開始 》読む
皐月句会デモ句会結果(2010/04) 》読む
皐月句会メンバーについて 》読む
》第1回(2020/05) 》第2回(2020/06)
》第3回(2020/07) 》第4回(2020/08)
》第5回(2020/09) 》第6回(2020/10)
》第7回(2020/11) 》第8回(2020/12)
》第13回(2021/05) 》第14回(2021//06)
》第15回(2021/07) 第16回皐月句会(8月)[速報] 》読む

■平成俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和三年夏興帖

第一(9/17)なつはづき・堀本吟・飯田冬眞・青木百舌鳥・杉山久子

令和三年花鳥篇

第一(7/2)仙田洋子・曾根 毅・杉山久子・夏木久
第二(7/9)岸本尚毅・渕上信子・山本敏倖
第三(7/16)坂間恒子・中村猛虎・木村オサム
第四(7/23)ふけとしこ・神谷波・小林かんな
第五(7/30)渡邉美保・望月士郎・辻村麻乃
第六(8/6)林雅樹・前北かおる・小沢麻結
第七(8/13)眞矢ひろみ・浅沼 璞・内村恭子
第八(8/20)松下カロ・家登みろく・鷲津誠次
第九(8/27)なつはづき・竹岡一郎・堀本吟・飯田冬眞・青木百舌鳥・水岩 瞳
第十(9/3)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子・網野月を
第十一(9/10)仲寒蟬・早瀬恵子・井口時男・佐藤りえ・筑紫磐井・のどか

■連載

【抜粋】 〈俳句四季9月号〉俳壇観測224
俳句の現代史とは何か――空白の五十年の始まり
筑紫磐井 》読む

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい
インデックスページ 》読む
23 中村猛虎句集『紅の挽歌』/河内壮月 》読む

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい
インデックスページ 》読む
18 恋心、あるいは執着について/堀切克洋 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ (13) ふけとしこ 》読む

英国Haiku便り[in Japan]【改題】(24) 小野裕三 》読む

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
インデックスページ 》読む
7 『櫛買ひに』のこと/牛原秀治 》読む

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい
インデックスページ 》読む
15 恋と出会い/野島正則 》読む

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい
インデックスページ 》読む
18 『ぴったりの箱』論/夏目るんり 》読む

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい
インデックスページ 》読む
11 『眠たい羊』の笑い/小西昭夫 》読む

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい
2 鑑賞 句集『たかざれき』/藤田踏青 》読む

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい
インデックスページ 》読む
11 鑑賞 眞矢ひろみ句集『箱庭の夜』/池谷洋美 》読む

『永劫の縄梯子』出発点としての零(3)俳句の無限連続 救仁郷由美子 》読む

句集歌集逍遙 なかはられいこ『脱衣場のアリス』/佐藤りえ 》読む

葉月第一句集『子音』を読みたい 
インデックスページ 》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中! 》読む


■Recent entries

特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」 筑紫磐井編 》読む

【100号記念】特集『俳句帖五句選』

佐藤りえ句集『景色』を読みたい 
インデックスページ 》読む

眠兎第1句集『御意』を読みたい
インデックスページ 》読む

麒麟第2句集『鴨』を読みたい
インデックスページ 》読む

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
インデックスページ 》読む

麻乃第二句集『るん』を読みたい
インデックスページ 》読む

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

「WEP俳句通信」 抜粋記事 》見てみる

およそ日刊俳句新空間 》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
8月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子







筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【抜粋】 〈俳句四季9月号〉俳壇観測224・俳句の現代史とは何か――空白の五十年の始まり  筑紫磐井

 現在、俳句史というものが見えなくなってきているということをよく聞く。俳句史が見えないということは俳句の価値が定まらないということだ。例えば幕末や明治初期の月並俳句時代は歴史がないために存在したことさえ忘れ去られている。子規以前はさながら俳句が存在しなかったように見えるのだ。

 そこで、検証のために、俳壇で何が起きていたか、象徴的な出来事を上げてみる。近代の俳句が生まれたといってよい一八九六年(明治二九年)から二五年ごとに下って眺めてみるのだ。

①一八九六年(明治二九年)ホトトギス創刊(明治三〇年)の前年

(中略)

②一九二一年(大正一〇年)東大俳句会発足(誓子、秋櫻子、素十、青邨、風生)

(中略)

③一九四六年(昭和二一年)桑原武夫「第二芸術」

(中略)

④一九七一年(昭和四六年)俳人協会の公益法人化

 すでに、俳人協会は現代俳句協会から独立していたので大きな出来事でもないようなのだが、法人化とともに会員増強が大きく進み(このころを境に現俳の二倍規模となっている)、伝統派が優性となる。

【その後二十五年の出来事】伝統派(龍太、澄雄)の隆盛、女流俳句の噴出、総合誌の噴出、カルチャー俳句ブーム、伝統俳句協会の発足、そして「結社の時代」。充実はしてきたが、このあたりから戦国時代ではない、鎖国的な江戸文化の隆盛・元禄時代に入る。

⑤一九九六年(平成八年)

 ???困ったのはメルクマールとなる事件が何も見当たらないことだ。

【その後二十五年の出来事】結社誌の激減、総合誌の終刊。俳句甲子園ブームと多少彩りはあるがあまり景気がよくなく、「歴史的大事件」がなくなってきたことは歴然としている。

⑥二〇二一年(令和三年)現在

 この前の結社誌の激減、総合誌の終刊に続き、三協会の会員数も令和三年(現在)はすべて減少しているのが象徴的だ。

 句集が沢山出て、受賞者がたくさんいるじゃないかというかもしれないが、昭和20年代は超結社賞は現代俳句協会賞ただ一つであったが、「俳句年鑑2021」をみると賞の数は実に二二もある。しかしあの頃と比べて俳句の質が上がったとはとても言えない。

 俳句に歴史がなくなりつつあるのだ。あるいは、一九七一年にさかのぼってみて、「空白の五十年」がそろそろ始まっていたということができるだろうか。

    *    *

 それではこの空白の期間がどのように生まれたか調べてみよう。そもそもは決して悪い状況から始まったわけではない。

 当時の「俳句」を見てみると特徴的なことは、俳句の発表も多いが、三十句、十五句、八句と機会的に分類されていることだ。結社毎に三十句級作家、十五句級作家、八句級作家と分類されて、有力結社の内部が総合誌によってランクづけされているのだ。

 実は更にこれを越えて超三十句級(五十句を発表)作家が存在した。こうした分類を作り出したのは、実は角川ではなく当時の新興俳句出版社の牧羊社であった。まず昭和四四年戦後生まれ作家による「現代俳句十五人集」を刊行した。これはその後のシリーズ句集の草分けだったが、この隙間産業は大成功を収めた。こうした戦後作家の大売り出しは角川の「俳句」でもすぐ真似られ、「俳句」の年間特集に「特集・現代の作家」「特集・現代の風狂」等で、戦後派作家を大量の評論と特別作品で売り出したのだ。戦後派作家は牧羊社と角川書店によって大きな権威となった。その証拠に、牧羊社と「俳句」のシリーズに登場した戦後派作家は続々と読売文学賞を受賞する。だから、「俳句」の超三十句級作家、三十句級作家、十五句級作家、八句級作家のヒエラルキーを誰も信じて疑わなかった。この企画には角川源義が必ず入っていたから角川書店にとっても都合よかったと思う。派生的利益を受けたのは金子兜太で、伝統俳句の他に少数の前衛俳句をいれる際には必ず兜太が入った。兜太の不滅の名声はこうして確立した。これがアンシャンレジーム(旧体制)の確立である。これは前に述べたように決して悪いことではない。しかし問題は、これら主人公が消えた後、アンシャンレジームは新しい俳句を決して作り出してはくれないことである。空白の五十年はこうして始まる。

※詳しくは「俳句四季」9月号をお読み下さい。

【書評】『概説 筑紫磐井 仁平 勝』加藤哲也著を読む  石山昼妥

 反対の反対は賛成なのだ。評論の反対は感想だろうか。評論の反対の反対は評論だろうか。俳句の評論の評論は俳句なのかもしれない。評論の評論を含む加藤哲也著『概説 筑紫磐井 仁平 勝』を一読し、狐に摘ままれた気分だ。

 評論の評論も、評論の評論の書評も、膨大な第一次資料に精通していない者には書けない。私に書けるのは感想でしかない。但しそれは発見を含むものだ。一冊の句集を読んでも一本の評論を読んでも、何ら気付きや発見はあろうが、この一冊は、句集のみならず評論を評論する事により、読者に多角的な気付きや発見を提供する新たな挑戦となっている。評論の評論は著者の気付きが読者の新しい気付きや発見を促し、増幅させる。それが評論の評論の最大の意義だろう。評論の評論という斬新な試みによる核分裂こそが、この一冊の目玉だ。

 筑紫磐井の部分からの私の気付きを少々。私は本質が語れる句を生涯に一句でも遺せればそれで十分だと思っている。そもそも言葉に感情表現を求めるのはお門違いにすら思う。マンモスがいるぞ、等と状況を表現する事が言葉の始まりと推測する。言葉は感情の表現より状況の報告の為に発生したのではなかったか。感情そのものを正しく伝達したければ長編小説なり随筆なり、更に言葉を尽せる他の手段がより相応しかろう。否、行動で示すのが手っ取り早いだろう。俳句は土台無理な事を、あの手この手で敢て挑戦する代物なのだと思う。筑紫磐井がやっているのは、実は状況表現の俳句だけで長編小説を書く事なのではないかと、勉強不足の私が『概説 筑紫磐井 仁平 勝』に促されて、『野干』と『婆伽梵』をパラパラ捲って感じた。(そう。カトテツ先輩の著書は何時だって興味を持たせてくれる。俳句に精通した諸先輩方には無論、俳句初心者にも不勉強者にも打って付けなのだ。今回の『概説 筑紫磐井 仁平 勝』も然り。)第三句集『花鳥諷詠』に至っては実況表現ではなく、到頭俳句で評論をやってのけた。更に未定稿集『Σ』では、とっておきの句を公開した様だ。第四句集『我が時代』によって、俳句と評論が分離。『野干』『婆伽梵』までは、評論の評論は感想だろうか等、と思っていたのだが、『花鳥諷詠』そして『Σ』によって、俳句の評論の評論は俳句なのではないかと思い至った。

 今のところ、これでいいのだ、と思う。読み返す度、新たな発見を提供してくれる本に出会えたのだから。

【中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい】23 中村猛虎句集『紅の挽歌』 河内壮月(句会亜流里 同人)

"紅の挽歌”の選句を送ります。


少年のどこを切っても草いきれ

多動児の重心にある向日葵

この空の蒼さはどうだ原爆忌

開戦日父は螺子売るセールスマン

部屋中に僕の指紋のある寒さ

たましいを集めて春の深海魚

三月十一日に繋がっている黒電話

朧夜の一筆書きのカテーテル

すすきの穂ほらたましいが通った

ポケットに妻の骨あり春の虹


 猛虎氏は、およそ俳句に使われない“名詞”をいとも簡単に、五七五に紡ぐ。本選でも、多動児、 重心、螺子、指紋、たましい、深海魚、黒電話、カテーテルとオンパレードだ。

 いずれの句も意外性とか"よく、気が付くな”とか、感性の素晴らしさを賞賛するばかりだ。

すすきの穂ほらたましいが通った

はすすき、たましい、とくれば、風を足せば普通に一句となりそうだが、“ほら”と口語にすることで、何か爽やかな感がした。平凡に見えるが、広がりのある、不思議な詩情が有る。

【連載】澤田和弥論集成(第6回の1)

(【俳句評論講座】 共同研究の進め方 澤田和弥のこと――「有馬朗人研究会」及び『有馬朗人を読み解く』(その2))

1)澤田和弥のこと

                                               津久井紀代


 この度、『研究会の進め方』が発端となり、このまますでに忘れられていた和弥に光を当てていただいた。

 私は澤田との接点はなく、2-3度会う機会があったが、印象はうすく、確としない姿がぼんやりとあるのみである。

 よって、私は『天為』の中の澤田の文学に触れることが唯一の接点であった。

 しかし、澤田の句は何か気になる、何かを常に訴えているようであった。通常では「自分」は一句のうらがわにあるのが常であると思っていたが、澤田はその常識を破ったのである。「自分」をつねに文学として吐き続けたのが澤田和弥ではなかったのか。次の句を見れば明らかだ。


春愁や溢るるものはみな崩れ

魂漏らさぬように口閉づ花疲れ

生きてゐることに怯えて立夏かな

生も死もどつちょつかずの夏に入る


 『天為』平成24年作品コンクールの作品の中から挙げた。

 生きていることに怯えている様子が窺える。

 私は作品としての澤田がずーと気になっていたが、『天為』の中から澤田の作品に触れる人は現れなかった。

 このままで終わらせたくないと思い、一周忌の五月に(彼が自殺した日)に「こころが折れた日」と題して『革命前夜』の論を展開し、『天為』誌上に発表した。また、例会で「修司の忌即ち澤田和弥の忌」を発表した時、初めて有馬先生が「いい文章を書いてくれてありがとう。惜しい人を亡くした」とみんなの前で話されたのが唯一のすくいであった。


 生きていることに怯え、どっちつかずの生と死の間でもがき続けたのか、あらためて検証してみた。

 彼の根底に「いじめられた」ことがあった。文学の中で必死にもがいたが、そこから抜けだすことが出来ないまま自らの命を自分の手で断った。和弥は次のように記している。


 「中学に入ってとにかくいじめられた。同級生、後輩、教師、私の卒業アルバムは落書きだらけである。・・・いじめられることはそれほどまでに苦しい。死という選択肢を私は敢えて否定しない。社会にでてからもいじめに遭った。」


 彼は文学として心のうちを吐き出さなければ生きていけなかった。必死にもがいた。筑紫氏の言うところの「「新撰21」の影響をうけつつ独自の道を模索しつづけたようである」の発言には少し疑問を禁じえないが、「様々な媒体に挑戦した」ことは事実で、すべてのことが中途半端に終わっていることが、「死」への道を加速したのであろう。筑紫氏の指摘の「その行く先は茫漠としていた。若い人らしい行方のなさだ」には同感する。

 澤田の寺山への傾倒が見えて来たので記しておく。

 筑紫氏の「澤田は自らも寺山修司への傾倒を語り、句集にもその痕跡を残したがしかし作品として寺山の傾向が強かったとはあまり感じられない、・・寺山の系譜を確認し続けたといった方がよいかもしれない」という発言に答えたものである。

 澤田は『天為』のコンクール随想の中に次のように書いている。


 「最晩年の二年間を特集した番組が片田舎の我が家のテレビに流されたのは私が中学生の頃のこと。寺山の死からすでに十一年の歳月が流れていた。ぼんやりとテレビを見ていた私は不意に我を忘れた、亡我。寺山と出会った。それは両親の言葉を忠実に守る十四歳のいじめられっ子にはあまりにも衝撃的であった。いや。衝撃そのものだった。早速、地元の本屋へ行った。『寺山修司青春集』。生まれて初めて、血の流れる生きた「詩」と対面した。


 とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ虐げられし少年の詩


 私の詩を汚すものは憎きいじめっ子たち。中学三年間のいじめに耐えてきた力の源に、この歌が一助をなしていたことは確かに否めない。中学の時の「想像という名の現実」。いつも寺山に教えられているばかりだ。彼に憧れながら、私は彼にはなれない。一体これから先、何ができるのだろうか。俳句はそれを教えてくれるのか。わからないことが多すぎる」。


 両親の言葉を忠実に守る十四歳のいじめられっこ。寺山に救いを求めたが、「彼に憧れながら、私は彼になれない」と自ら結論を出している。

 生と死の隣り合わせの人生の中に寺山に一条のひかりをよすがに、文学の中に自らを吐き出すことに拠って、和弥はかろうじて35歳の命を全うした、といえる。

第16回皐月句会(8月)

 投句〆切8/11 (水) 

選句〆切8/21 (土) 


(5点句以上)

8点句

夕立や手前の雨と奥の雨(依光陽子)


7点句

夏逝くや指紋の付いたセロテープ(近江文代)

【評】 誰の指紋かは別として、もはや真に透明ではないセロテープがアンニュイな感じを伝えます。──小沢麻結

【評】 「指紋の付いたセロテープ」から様々な場面が想像できて、ある夏の日を思い返した時の少しセンチメンタルな気持ちをモノで表現し得た。
また「指紋の付いたセロテープ」を心象と受け取る事もできる。いずれにしても「夏逝く」が動かない。「行く」とせず「逝く」と表記したところもよく考えられていると思った。──依光陽子


6点句

躾糸抜く如くするすると蛇(仙田洋子)

【評】 気持ち良く楽しい表現で、蛇の動きを例えている点、蛇の見た目やサイズ感を伝えて、作者がこの蛇を嫌って詠んでおられないことが伝わります。一緒に見ている気にさせてくれました。──小沢麻結

【評】 草に見え隠れする蛇の姿、またその不可思議で滑らかな動きが「抜かれる躾糸」によって鮮明に浮かびあがりました。──青木百舌鳥


炎天の書肆に学徒の蔵書印(筑紫磐井)

【評】 景と物の提示だけなのですが、学徒の一言で古書店と解り、季語炎天から当時の時代背景や苦渋の決断までイメージされ、詩的。──山本敏倖

【評】 書店で思わぬ学徒の本の蔵書印の発見は驚きです。敗戦日が頭に浮かんで来る句です。──松代忠博

【評】 日本人は8月と言えば原爆、敗戦の日、それにお盆ですね。これは古書肆でしょう。戦前の、学生が大切にして蔵書印まで押した本。持ち主は学徒出陣で戦死したか、或いは卒業後に特攻になったか。いずれにせよそういった話ももう70年以上前の曖昧な記憶となりつつあります。──仲寒蟬

【評】 八月はかつての戦争や原爆に関わる句を作り、また選に選びたいです。戦争や原爆に関する句は、類句類想は許されると、私は思っています。──水岩瞳


5点句

夏休み始まる鉄橋を越えて(内村恭子)


ががんぼの脚取れ夜が非対称(望月士郎)

【評】 夜の非対称に向けて、一気に傾ぐドライブ感──真矢ひろみ


(選評若干)

あらやしき積乱雲にみえかくれ 3点 妹尾健太郎

【評】 新屋敷なのか荒屋敷なのか阿頼耶識なのか不明なのがよい──望月士郎


扇風機ふたつ黒潮親潮めき 3点 青木百舌鳥

【評】 あ、面白そう! たばこの煙でうまく可視化できるかしら。私も試してみたいですが、我が家には扇風機が1台しかなくて。──渕上信子


掃苔やトマトが置かれある墓も 3点 西村麒麟

【評】 畑から捥いできたものだろうか。日持ちはしないお供えだろうけど、心やすい感じが見える。──佐藤りえ


夕焼けへ金魚と帰る金魚売 4点 望月士郎

【評】 「や」切りにするか。「を」にしようか。考慮の末に「へ」と治定なさったものと見受けます。山の彼方の空遠くという気配になって来て、〈金魚大鱗〉の先行句も思わせつつ、情趣ゆたかな一句と感受します。──平野山斗士

【評】 もうないであろう懐かしすぎる郷愁──依光正樹


平らなる青野を鴉づんと踏む 1点 平野山斗士

【評】 鴉が意外な重量感で青野を踏みしめる。知能の高い鴉が何の意味もない行動をするだろうか。水脈はここにあるよと人間に教えているのかもしれない。──妹尾健太郎


もしやかの黄泉戸喫か心太 4点 真矢ひろみ

【評】 黄泉戸喫を知りました! 短詩は言葉に工夫がいるが、知識もいるねえ? むずおもです…! 生きている人間の逞しい想像力の賜物ですか?──夏木久


【連載】北川美美俳句全集2

   本年1月14日に亡くなった北川美美の作品集は、この8月に評論集「『真神』考」が刊行された。今後は美美の俳句作品をまとめる作業のために、入会以来の「豈」「俳句新空間」等の作品を掲載して行くこととしたい。46歳からの作品で始まる。 

筑紫磐井 


【豈53号】2012年6月

つみつもる

春寒を来て金箔の間の前へ

小鳥くる喧嘩喧騒の隣家にも

弓池に草は育たず夏霞

筋肉はすぐに衰へななかまど

舌で歩くそれだけのこと蝸牛

階下より母迫り来る秋の暮

左手に新発田の火事を通り過ぐ

絶命の鼠の背中に降る埃

極月のホテルの浴槽乳房浮く

舐めてみる麹I粗塩I霰かな

おなじ空おなじ岸辺を年始

金黒羽白金I黒I白に輝きで

春泥に螺旋の穴やフィボナッチ

からみあうみみずあらわる揺れの後

礼節や赤城にかかる夏の月

三角地帯あらば家建つ白木槿

鶏頭花黙つてゐると石になる

木枯やこの世は北に傾けり

淋しいは濡れてゐること幸彦忌

つみつもる瓦礫に翼休めたり


【豈54号】2013年1月

明るい口

描かれて女神となりし椿かな

巡礼や石に隠れる石の顔

山山のみぞおちあたり椿落つ

春にあく奈落の囗や明るい囗

人妻やヒメジヲン過ぎハルジヲン

三鬼忌の鯛のポアレに骨がある

横濱の義父が手をふる都草

土手に咲くレング総立ちありがとう

跳ねかえるつぶての音や夏来たる

まはたきに朝顔の露落ちにけり

母という人と居るなり半夏生

短日の短き唄を唄いましょう

帰郷せり炎天の矢が降りやまぬ

叔父さんは南国に死す永久の夏

鮎の顔けわしきままに果てておる

かるぴすをすすりぴかぴか天の川

梨ふたつふたつの隙間を描くなり

坂道の今日の時雨を書き残す

鶏頭花黙っていると石になる

雪見の間首から上が隠れしよ


【豈55号】2013年10月

自動再生

マブノリア女神が降いりてくる香り

囀りやダンテがライオンに接吻

うぐいすや自動再生にて愛を

静かなる控室ないリ春の宵

川朧の如く運びしビニールシートへ花

永き囗の背筋にあてる柱かな

救急車の車内明るし春の暮

竿受の金具の錆や昭和の囗

五月蝿来て乱れていたる机上かな

神とおるたびに揺れるよ花水木

しばらくは牡丹の前の二人かな

歩行虫の好きなマイマイ蝸牛

黴雨かな隣家の樋の撓みかな

白き蛾の昼の眠りにつきあいぬ

兵が引く女王蟻や山に風

額の花人声たたぬ隣かな

町内の皆様と会う草むしり

ノンアルコールビール・ノンセックスライフ・天気雨

切花の水腐りゆく日暮かな

敗戦忌庭園の水動かざる


【豈56号】2014年7月

あめつちは

カタクリの花に届くや村太鼓

燕来る三角屋根のバス待合

先生を椅子ごと運ぶ花の昼

歯に付きし未だあたたかき草の餅

蓬売り蓬を育て売りにけり

穴出でし蛇這う道に黒き草

前職は蛇捕りである副市長

かわほりや兄が鉄扉を閉めにくる

先生の遺書にルビあり青嵐

ふるさとはひたすらねむく桐の花

とことわにねじ花のぼるあめつちは

エジプトの土産にもらう裸麦

小春日や一族の墓点在す

着鵆と蓋閉めている都政かな

短日の荷台に積みしうどん粉

寒厨に女集まる時間かな

冴え返る抜歯の後の肉の穴

十一月闇にひろごる山の影

瓶と瓶かち合う音や冬はじめ

火事跡の天井抜ける青き空