2020年7月10日金曜日

【新連載・俳句の新展開】第2回皐月句会(6月)[速報]

投句〆切  6/15 (月)
選句〆切  6/29 (月)

(5点句以上)
8点句

人間になろう五月の試着室(中村猛虎)

【評】 ようやく自分を取り戻す人間になれるか作者の願望をかなえたいものです。 ──松代忠博
【評】 五月は聖母の月である。それが関係しているかどうかはわからない。人間にもどる、ではなく、人間になろう、という表現に惹かれた。素肌を出す服。冬からの続く衣服からの解放のようだ。 ──中山奈々

7点句
青葉騒無数の鏡隠れゐる(田中葉月)

6点句
かはほりや仮面のごとくすれ違ひ(長嶺千晶)
【評】 夕方になると蝙蝠が飛び交う。蝙蝠はどこか「吸血鬼」のイメージ、不死だ。すれ違っているのは人と人だろうが、夕方の何とも言えない無表情、アンニュイな感じが出ている。人は疲れる、そして年を重ねやがて死ぬ。 ──なつはづき

遠雷にゴジラをおもふ昭和かな(真矢ひろみ)
【評】 ゴジラは飛躍があるが納得。下五の着地安全過ぎ? ──岸本尚毅
【評】 昭和という時代は、ゴジラに象徴されるのかもしれないと思った。 ──渡部有紀子
【評】 伊福部昭のテーマ曲が聞こえてくるような遠雷の響きに、昭和のゴジラの雰囲気は相応しいと思われました。 ──長嶺千晶
【評】 父はキングコングのこともゴジラという。昭和の強い、巨大な生物はみんなゴジラになるのかもしれない。遠くのあの雷、ゴジラは令和でも生きている。「昭和かな」は昭和生まれかなの意味を含んでいる。 ──中山奈々

5点句
瞬間をちぎり絵にして蛍飛ぶ(山本敏倖)

六月の綺麗な風となられしか(西村麒麟)

【評】 追悼句だろうか。六月は湿度が高いイメージがあるが、時折涼しい風が吹く。救いのような一筋の風。風となった方の人柄が偲ばれる一句。 ──篠崎央子

雨暫し産毛にとどめ袋角(内村恭子)
【評】 産毛の細やかさ、そしてまだ袋の中に入っている角の柔らかさが雨粒によって見えてくる。 ──渡部有紀子
【評】 産毛についた雨粒の一粒一粒は、袋角から透けて見える細胞を映しているだろう。鹿を取り囲む静謐な空間もまた、緑の地球の細胞の一つ。辺りの空気感がリアルに伝わってくる。 ──依光陽子

風薫る琵琶湖は白き舟ばかり(篠崎央子)
【評】 一読目映い湖上の白と湖国の初夏の風が心地良く、頂きました。 ──小沢麻結
【評】 何となくベタなところに現実味を感じます。 ──岸本尚毅
【評】 言い切ったのが良い。 ──西村麒麟
【評】 本来なら48,59…の評を…。しかし、やや古格で伝統的な…これを、すべてのバランスがいい、色・香り・動き・音・構図…、まあそいう風情の場所だが。そのバランスが二つのアンバランスを想い起させた。比良の結核療養所に入院していた打ち解け始めた父と見た景、湖畔の社会人研修所から研修の合間に眺めた景、その悲しみや矛盾のアンバランスを…。強かな景の強みか? ──夏木久

団子蟲切株のなか梅雨のなか(平野山斗士)
【評】 もぞもぞと。 ──西村麒麟
【評】 切り株のなかに身を潜めていたいか、いざるを得ないか。 ──千寿関屋
【評】 腐食して中が空洞になった切株。その切り株の中にダンゴ虫がいた。それは梅雨の最中のできごとだった。散文にするとこういうことだ。この空洞になった切株のなかにいるダンゴ虫は一匹二匹ではあるまい。「蟲」と旧字体で記されていることから、複数のダンゴ虫が閉ざされた空間のなかで、うごめき、ひしめき合っている姿を想像する。あまりゾッとしない。しかも切株の空洞の中に梅雨が降り注いでいるのだ。グロテスクで残酷な描写は一切ない。だが、「切株のなか梅雨のなか」のリフレインが、迫りくる死を暗示して、恐怖を掻き立てる。ダンゴ虫は確実に死ぬ。それはコロナ禍によって「ステイホーム」を強いられている私たち自身の姿なのかもしれない。 ──飯田冬眞

ゆらゆらと金魚の前の患者かな(辻村麻乃)
【評】 水槽に金魚のいる風景はバー、病院、美容室、銀行などあったが最近はあまりお目にかかることはない。医師が水槽の金魚の前に座る患者を表現しているのだろう。先生もぼーっとしているときがある、と安心する。「ゆらゆら」が、まどろみのような、竜宮城のような感じがしていい。 ──北川美美
【評】 金魚ではなく患者がゆらゆらしている。 ──岸本尚毅

(選評若干)
草笛を鳴らし浅草湿らする 3点 篠崎央子
【評】 大阪からすると浅草はハイカラでありながら、東京下町のカラッとしたイメージ。草笛を鳴らすことでバックトゥーザヒューチャーしてしまう不思議さ。湿らすだから過去か。新世界が聳える。 ──中山奈々

晴子忌の切実に散る花びらよ 1点 依光陽子
【評】 切実が巧い。 ──西村麒麟

この夏やほつれと見えし花を剪り 2点 依光陽子
【評】 句の調子がよく、どことなく涼しい。 ──西村麒麟

雨あがる雀に崩さるる夏野 1点 中山奈々

【評】 雨が上がれば一斉に雀が鳴きだし、あちこちの土を啄む様を「夏野が崩される」と賑やかに表した点に共鳴。 ──渡部有紀子

先生の好みは素数青あらし 4点 真矢ひろみ

【評】 素数とは。1,2,3,5,7,11・・。加藤一二三先生かしら。 旗野十一郎(とりひこ)?海野十三。諸口十九。 ──筑紫磐井

古稀の春古きテレビを一日中 2点 筑紫磐井
【評】 人もテレビも古い。 ──岸本尚毅
【評】 ひと昔前の古稀の男性像という感じでしょうか。自分がそんな風に暮らしていることにはっとして、それを「春」と言ってみたのかなと思いました。これもまたよろしと思う大らかな受け止め方が素敵です。 ──前北かおる

紫陽花やもらひし拍手まだ耳に 4点 前北かおる

【評】 紫陽花がうれしい。 ──岸本尚毅
【評】 もらった拍手は心にいつまでも残るのだろう ──依光正樹

ヒロシマの記憶夾竹桃咲けり 1点 水岩瞳
【評】 飛行場へ向かう道路や国道沿い、ドライブウエイに観られる愛らしいがありふれた「夾竹桃」の存在感。インド原産中国を経て江戸時代に日本に根づいたものである。だが、広島市へ原爆投下の後、いち早く咲いたということで、夾竹桃」は市の花と制定され、復興の象徴となった。この花を見るたびに広島がヒロシマであるという記憶が再生される、という含意のある句。この取り合わせによって、戦後の日本が引きずる「ヒロシマ」の記憶と「夾竹桃」の関わりが文化の像としてて定着して、両者それぞれの歴史的な意味を考えさせられる。志賀重昂ではないが、「新・日本風景論」とでも言う本ができるならば、そこに加えたいような一句。 ──堀本吟

真ん中に宙を張りつめ大茅の輪 4点 渡部有紀子

【評】 大茅の輪の真ん中の、人を潜らせ祓いを行う空間を、宙を張りつめと把握した詩的発見。 ──山本敏倖

紫蘭咲く病院非常階段に水 2点 辻村麻乃
【評】 最後の伸びがゆっくり落ちたであろう水、ゆっくり広がる水を思わせる。庭の紫蘭をこそっと花瓶に入れて持ってきたのか。エレベーターを避けるように言われ、使っているのか。自分だけでなく誰かも「非常階段」を使っているしるしにはっとした。 ──中山奈々

小鳥屋に小鳥を見たる若葉かな 3点 依光正樹
【評】 特選。 季語は無論「若葉」。「小鳥」は通常は秋の季語として詠まれますが、この句の場合、小鳥屋にいる小鳥に季語性はありません。小鳥屋では、秋の渡り鳥としての小鳥のみならず、インコ、カナリヤ、文鳥など、世界各地から集められた小鳥たちが、籠の中で、季節と無関係に売られてゆくのを待っています。若葉薫る麗しい夏の始めなのに。そんな小鳥への作者のsympathyが感じられます。 ──渕上信子
【評】 小鳥屋って今もあるのでしょうか。東直子の「そうですかきれいでしたかわたくしは小鳥を売ってくらしています」という歌を思い出します。「小鳥屋」は、物語めきます。また、この句は、単純で素直で阿保らしくもあり、でも味があり、すぐ覚えてしまえる句です。 ──水岩瞳

夏館いいえ蛹を飼う館 3点 小林かんな
【評】 夏草をかき分け進むうちに迷いこんでしまった空間に館を発見し助かったと安堵したのも束の間、それが人家でないことに気づくのに時間はかからなかった。廊下には夥しい繭、「養蚕?」声無き主の答は「いいえ」何を問うても「いいえ」柱や壁には蚕じゃない何かのサナギが無数に蠢いている。夢中で早く覚めようとするのだが。 ──妹尾健太郎

ひかがみの白さに薔薇の滅びゆく 3点 飯田冬眞
【評】 窪みフェチにとって、ひかがみは圧倒的、かつほぼ手つかずのことばであり表象。例示的に申せば、ひかがみで有名な女優はいない。薔薇などとは比べ様もなく、作句インセンティブを頂戴した。 ──真矢ひろみ
【評】 ひかがみは、膝の裏側のくぼみ。ふと気づくと確かに真っ白なのだ、薔薇も驚くくらい。以前浅草橋で「おしりとひかがみ展」なる写真展に行ったことがある。オタクの集まりかと思いきや若いカップルでごった返していて拍子抜けした。 ──中村猛虎

白百合の花粉こぼれる断頭台 1点 小林かんな

【評】 花びらではなく、花粉。供えられたものではない。試し斬りが白百合だったのか。断頭台に茶色の、落ちにくい花粉のにちゃつきに身が引けてしまう。 ──中山奈々

指ほそき男でありし走り梅雨 3点 松下カロ
【評】 指の太い男は無骨ではあるが包容力のある人を連想し、甘えん坊の自分なんか好きなタイプ。その反対に指の細い男は繊細で毀れやすいイメージ。それはそれで女心をくすぐられるかも。走り梅雨が何かを予感させる。 ──田中葉月

雲の峰天馬暴るるたび崩れ 2点 仙田洋子
【評】 雲の峰を、豪宕の趣そのままに讃える詠みぶりに感じ入ります。「崩れ」と云うのだが讃えている。そこには天馬という虚の存在が効いている次第で、そんな神話的想像力をむくむく働かしたのは、作者は芭蕉の例の句も念頭に置いていることでしょう。「雲の峰」は往往にして、悔恨・慕情・郷愁・懐旧・大願などなど人情に絡めて句に作られることが多いようで。その観点からしても本句は、表面上は人情を抜いてあり、品の宜しい句と思います。 ──平野山斗士

暑いねェたましひの話でもするか 3点 渕上信子
【評】 単なる「たましひ」ではなく、『たましいの話』の池田澄子さんへのオマージュともとれる。 ──仙田洋子
【評】 下町の喫茶店で、冷たい珈琲を一口飲むや否や、こんなことを言い出している不思議なお客(はたまた新興宗教の勧誘か?)を想像した。 ──渡部有紀子

草茂る鉄条網は錆び歪み 2点  小沢麻結

【評】 錆びてしかも歪む、リアル。暑さも。 ──西村麒麟

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