2015年7月24日金曜日

 俳句時評を終えるにあたって ―附・時評一覧  /外山一機



 二〇一一年から四年余りにわたって続けていた当サイトでの俳句時評の連載を、今号をもって終了させていただくことになりました。「スピカ」の連載(「百叢一句」)も終わり、マイナビの「ことばのかたち」の連載(「たか女綺譚」)もあと数ヶ月で終わりますので、これでウェブ上での活動はしばらくなくなるはずです。

 僕の書く俳句時評をどのくらいの方が読んでくださっていたのかわかりませんので、ひとり相撲の感が否めませんが、最後に、四年余り(全五一回)のこの連載を振り返ってみたいと思います。この一文も僕のわがままによるものです。というのも、連載を終えるにあたり、これまで自分が何を書いてきたのかを自分なりに振り返ろうとした際、発表するサイトが途中で「詩客」→「戦後俳句を読む」→「BLOG俳句新空間」・「詩客」と変化していったため、僕自身でさえすべてにアクセスするのが意外に厄介であることに気づいたからです。そこで、仮にあまり読み手がいないとしても、せめてアクセスのしやすさだけでも保証したうえでこの連載を終えようと思いました。この文章の末尾には、僕の全時評のタイトル、アドレス、各時評関連語を列挙してあります。興味を持たれた方は参考になさってください。また、僕は二〇一二年から『鬣TATEGAMI』でも俳句時評を書いていました。こちらのタイトルと関連語も併記しました(なお『鬣TATEGAMI』の俳句時評は今後も続ける予定です)。これらはもともと僕自身のための備忘録として作成したものですが、この一覧を眺めると二〇一一年以降の僕が何を考えていたのかがおおよそ掴めるような気がします。ご自分の二〇一一年以降と対照させつつ読んでいただくのも一興かと思います。

 なかにはひどい文章もありますが、それにしても、とくに最初の一年半(二〇一一~一二年前半)は、今思えば何を書くべきなのか踏ん切りがつかないままぐずぐずしていたような感じです。しかしそのなかでも「逃鼠の弁」(詩客・2011年9月16日)、「何の「値打ち」もない ―神野紗希句集『光まみれの蜂』」(詩客・2012年9月14日)は、山口優夢さんや神野紗希さんをはじめ同世代の書き手に対する自分の思いについて、書きたいように書いた文章でした。そしてこの辺りにその後の僕の時評の基本的なスタンスが垣間見えるようです(後者については、僕は讃辞のつもりで書いたのですが、だいぶ誤解されました。でも、僕はああいう書きかた以外にあの句集の達成したことを語る言葉を持ちません)。

 僕は、文章のなかに「僕」という言葉を多用しています。僕の俳句時評が読むに堪えないものである要因のひとつはここにあろうと思います。しかし、僕はこの俳句時評を誰よりも僕自身のために書いていました。僕は―高柳重信の「「書き」つつ「見る」行為」ではありませんが―何かを書くということはそういうことだと思っています。誰も読まなくたって書くということは、誰も読まないうちに書くということ、さらにいえば、誰も読まないものを書く、あるいは誰も読みたくないものを書く、ということでもあります。だから僕の時評は自慰的なものであり、しかしそのような書きかたを変えないことで僕はようやく、その時その時の事象を通じて、その彼方にある「俳句」について考えられるような気がしました。

また僕は「僕たち」(「僕ら」)という語を主語にする文を多用しています。読まれる方にとってはここも違和感のあるところだと思います。いったい「僕たち」とは誰なのか。そこには「僕」の考えを安易に一般化しようとする姿勢や、むやみに正当化しようとする姿勢、あるいは自ら述べたことの責任を回避しようとする狡猾さがありはしないか。しかし、「僕」が極私的な自己認識とそうした自己認識を徹底したところで育んだ矜持や羞恥の謂である以上、僕にとって「僕たち」とは、僕がついに出会うことのない幻の共同体を指す言葉でした。僕が「僕たち」というとき、それは誰を指してもいません。強いていえば、僕が「僕たち」という言葉を発したとき、それはいつも、誰かに繋がろうとするささやかな祈りを伴うものであったように思います。そのような祈りを伴わずに書けるほど僕は強くなかったということです。

そういう書きかたですから、当然話題も偏っています。この時評でとりあげたのは、どのような意味であれ、僕にとって重要なことがらばかりでした。逆にいえば、どれほど話題になっていようとも、僕にとって重要でないことは一切とりあげないように努めました。また、僕の時評には江里昭彦、川名大、安井浩司、高柳重信、関悦史といった特定の固有名詞がしばしば出てきます。こうした偏向に僕の限界がありますが、一方ではこうした執着を隠さずにおくことが僕なりの正義の示しかたでもありました。「眞鍋呉夫の「戦後」」(詩客・2012年8月17日)、「演奏はもう始まっている」(詩客・2012年10月12日)、「決着と憧憬と ―宗田安正『最後の一句』」(詩客・2012年12月7日)、「僕たちの断罪 ―大沼正明句集『異執』」(BLOG俳句新空間・2013年5月31日)、「川名大の殉じかた」(BLOG俳句新空間・2014年6月27日)、「極私的な「読み」の意志 ―堀切実の「高柳重信」論から考える―」(BLOG俳句新空間・2015年6月26日)といった文章はその典型であろうと思います。思えば、これらを書いているときが最も嬉しかったような気がします。

それから、本連載において僕が驚いたことといえば「残ること、書きつづけること ―萩澤克子句集『母系の眉』」(BLOG俳句新空間・2013年9月27日)をきっかけに『歯車』で宮崎大地の未刊句集『木の子』が公開されたことでした。『木の子』については「物真似師の矜持 ―宮崎大地について」(BLOG俳句新空間・2014年9月26日)に書きましたが、あこがれの作家の作品とこういうかたちで再会するとは思いもよらないことでした。

最後になりましたが、「BLOG俳句新空間」「詩客」の(過去の、あるいは現在の)運営スタッフの皆様、ありがとうございました。ここは僕のような者の文章でも定期的に載せてくださる大切な場所でした。


【時評一覧】

1、「俳句の流通と享受について」(詩客・2011年5月13日)  》読む
関連語:東日本大震災、高柳克弘、富田木歩、藪野唯至

2、「「俳句史」の困難」(詩客・2011年6月10日) 》読む
…関連語:川名大、彌榮浩樹

3、「その時、何を書かなかったか」(詩客・2011年7月8日) 》読む
…関連語:中村汀女、三田完

4、「執着のベクトル―移民の俳句について―」(詩客・2011年8月19日) 》読む
…関連語:ブラジル移民、津野丘陽、「つぐみ」、大城立裕

5、「逃鼠の弁」(詩客・2011年9月16日) 》読む
…関連語:東日本大震災、山口優夢

6、「揺らぎ、傷む。」(詩客・2011年10月14日) 》読む
関連語:今泉恂之介、千野帽子

7、「僕らは懐疑の先に夢を見る」(詩客・2011年11月11日) 》読む
関連語:「スピカ」、神野紗希、鴇田智哉

8、「「上野ちづこ」のいない風景」(詩客・2011年12月9日) 》読む
関連語:上野ちづこ、鶴見俊輔、江里昭彦、「京大俳句」

9、「二〇一二年の路上から」(詩客・2012年1月6日) 》読む
関連語:関悦史、折笠美秋

10、「羞恥について」(詩客・2012年2月3日) 》読む
関連語:東日本大震災、長谷川櫂

11、「私的『新撰21』総括」(詩客・2012年3月2日) 》読む
関連語:『新撰21』、筑紫磐井、上田信治

12、「黛まどかの来し方」(詩客・2012年3月30日) 》読む
http://shiika.sakura.ne.jp/jihyo/jihyo_haiku/2012-03-30-7573.html
関連語:黛まどか、宇多喜代子、桂信子、松本恭子

13、「「白露」終刊について」(詩客・2012年4月27日) 》読む
関連語:「白露」、「雲母」、飯田龍太、筑紫磐井、川名大、「傘」、藤田哲史

14、「加藤郁乎に唾を吐け」(詩客・2012年5月25日) 》読む
関連語:加藤郁乎、安井浩司、押井守、西村麒麟

15、「『俳句』は「俳句」である」(詩客・2012年6月22日) 》読む
関連語:「俳句」、筑紫磐井、「俳句空間」

16、「『澁谷道俳句集成』―初期句集を中心に―」(詩客・2012年7月20日) 》読む
関連語:澁谷道、八木三日女

17、「眞鍋呉夫の「戦後」」(詩客・2012年8月17日) 》読む
関連語:眞鍋呉夫、水野真由美、花田俊典、紅野敏郎、「こをろ」、矢山哲治

18、「何の「値打ち」もない-神野紗希句集『光まみれの蜂』」(詩客・2012年9月14日) 》読む
…関連語:神野紗希、今泉康弘、山口優夢、谷雄介、齋藤愼爾、三橋鷹女

19、「演奏はもう始まっている」(詩客・2012年10月12日) 》読む
関連語:江里昭彦、中川智正、「ジャム・セッション」、齋藤愼爾

20、「ひとつの白痴的継承 ―宇多喜代子編著『ひとときの光芒 藤木清子全句集』」(詩客・2012年11月9日) 》読む
関連語:藤木清子、宇多喜代子、川名大

21、「決着と憧憬と ―宗田安正『最後の一句』」(詩客・2012年12月7日) 》読む
関連語:宗田安正、高柳重信、山口誓子、鈴木六林男、寺山修司、「雷帝」

22、「溺愛遊び」(詩客・2013年1月4日) 》読む
関連語:高山れおな、高柳重信

23、「福田基の本懐」(詩客・2013年2月13日) 》読む
関連語:福田基、林田紀音夫、宇多喜代子、福田若之

24、「石牟礼道子の俳句」(詩客・2013年3月28日) 》読む
関連語:石牟礼道子、東日本大震災、「俳句」、穴井太、「天籟通信」、水溜真由美、恒成巧、井上洋子

25、「テーマパークで夢を見る」(BLOG俳句新空間・2013年4月19日) 》読む
関連語:福田基、「豈」、恩田侑布子、桑原武夫、長谷川櫂

26、「僕たちの断罪-大沼正明句集『異執』」(BLOG俳句新空間・2013年5月31日) 》読む
関連語:大沼正明、夏石番矢、喜多唯志、鈴木秀治、宇田蓋牛、阿部完市、谷佳紀、森田緑郎、江里昭彦

27、「「高柳重信」を知らない僕たちの想像力について」(BLOG俳句新空間・2013年6月28日) 》読む
関連語:高柳重信、林桂、浜崎洋介、若林幹夫、宇多喜代子、佐々木友輔

28、「保見光成の「俳句」を信用する」(BLOG俳句新空間・2013年8月2日) 》読む
…関連語:保見光成、川名大、飯田蛇笏、飯田龍太、金子兜太、東日本大震災

29、「僕たちのもう怖くない「加藤郁乎」について」(BLOG俳句新空間・2013年8月30日) 》読む
関連語:加藤郁乎、中上健次、大井恒行、高柳重信、江里昭彦、夏石番矢、沢好摩、林桂、「豈」

30、「残ること、書きつづけること―萩澤克子句集『母系の眉』」(BLOG俳句新空間・2013年9月27日) 》読む
関連語:萩澤克子

31、「ささやかな読む行為 ―青木亮人『その眼、俳人につき』―」(BLOG俳句新空間・2013年10月25日) 》読む
関連語:青木亮人、椹木野衣、井上弘美、関悦史、三森幹雄、加藤郁乎

32、「マストを畳んだその後で―澤好摩句集『光源』―」(BLOG俳句新空間・2013年11月29日) 》読む
関連語:沢好摩、高柳重信、本島高弓

33、「禅寺洞から遠く離れて」(BLOG俳句新空間・2013年12月27日) 》読む
関連語:吉岡禅寺洞、岸本マチ子、田中陽、栗林浩、御中虫、藤田哲史

34、「俳句の「後ろめたさ」について」(BLOG俳句新空間・2014年1月31日) 》読む
関連語:「アナホリッシュ國文学」、江里昭彦、関悦史、照井翠、森達也

35、「形式の「記憶」を記憶すること ―三・一一以後の俳句にむけて―」(BLOG俳句新空間・2014年2月28日) 》読む
関連語:中野敏男、品田悦一、斎藤茂吉、臼井吉見、芳賀徹、樽見博、富安風生、高浜虚子、桑原武夫

36、「「村越化石」をめぐる困難について」(BLOG俳句新空間・2014年3月28日) 》読む
関連語:村越化石、亀井若菜、「クプラス」、石田波郷、杉浦強、大野林火

37、「「攝津幸彦」を共有しない」(BLOG俳句新空間・2014年5月2日) 》読む
関連語:高校生ラップ選手権、長谷川町蔵、大和田俊之、仁平勝、摂津幸彦

38、「川名大の殉じかた」(BLOG俳句新空間・2014年6月27日) 》読む
関連語:川名大、山口誓子、鷹羽狩行、寺山修司、安井浩司、大岡頌司

39、「吉村昭の放哉」(BLOG俳句新空間・2014年7月25日) 》読む
関連語:笹沢信、吉村昭、尾崎放哉、中村真一郎、橋本直、斎藤洋子

40、「帰ろう、それから、手を繋ごう。―佐藤文香の現在地について―」(BLOG俳句新空間・2014年8月29日) 》読む
関連語:佐藤文香、伊藤比呂美、富澤赤黄男

41、「物真似師の矜持―宮崎大地について」(BLOG俳句新空間・2014年9月26日) 》読む
関連語:宮崎大地、前田弘、高柳重信、西村麒麟、長岡裕一郎、林桂、神野紗希

42、「俳句じゃなくてすいません―渡辺とうふの土下座が問うたもの―」(BLOG俳句新空間・2014年10月31日) 》読む
関連語:佐塚真啓、森村泰昌、永畑智大、渡辺とうふ、蜷川千春、飯島耕一、「俳句の作り方 12音+季語?」

43、「『寺山修司俳句全集』を疑う」(BLOG俳句新空間・2014年11月28日) 》読む
関連語:今泉康弘、寺山修司、京武久美、加藤夏希

44、「「安井浩司」と僕の不毛な会話―『安井浩司俳句評林全集』―」(BLOG俳句新空間・2014年12月26日) 》読む
関連語:安井浩司、関悦史、折笠美秋、寺山修司、大岡頌司、小川双々子

45、「わいせつという矜持 ―「表現の不自由展」から考える―」(BLOG俳句新空間・2015年1月23日) 》読む
関連語:アライ=ヒロユキ、「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」、金子兜太、仁平勝、椹木野衣

46、「衒いなき「異端」―伊丹公子について―」(BLOG俳句新空間・2015年2月20日) 》読む
関連語:伊丹公子、高柳重信、伊丹三樹彦、大中青塔子、登村光美、伊藤章作、坪内稔典

47、「「復興」する日本で『小熊座』を読む」(BLOG俳句新空間・2015年3月20日) 》読む
関連語:「小熊座」、高野ムツオ、渡辺誠一郎、栗林浩、関根かな、さがあとり、塚本万亀子、浪山克彦

48、「気後れするほどの誠実さ ―竹岡一郎『ふるさとのはつこひ』―」(BLOG俳句新空間・2015年4月17日) 》読む
関連語:安倍晋三、芥川龍之介、安井浩司、摂津幸彦、竹岡一郎

49、「「未成年」の行方 ―『七曜』終刊について―」(BLOG俳句新空間・2015年5月29日) 》読む
関連語:橋本美代子、山口誓子、津田清子、黒田杏子、相原智恵子、渡辺喜夫、石野佳世子、三谷昭

50、「極私的な「読み」の意志 ―堀切実の「高柳重信」論から考える―」(BLOG俳句新空間・2015年6月26日) 》読む
関連語:堀切実、高柳重信、岩片仁次、高橋龍

51、高原耕治の問いかた(BLOG俳句新空間・2015年7月24日) 》読む
関連語:高原耕治、高柳重信、安井浩司


【追補・『鬣TATEGAMI』俳句時評(外山担当分)一覧】
http://tategaminokai.sakura.ne.jp/で第51号まで閲覧可能(2015年7月現在)

・「プロデュースの時代」(『鬣TATEGAMI』・第42号・2012年2月20日)
…関連語:「手紙」、「スピカ」、「Haiku Drive」、山口優夢

・「吉本隆明の死」(『鬣TATEGAMI』・第43号・2012年5月20日)
…関連語:吉本隆明、林桂、長谷川櫂、御中虫

・「高野ムツオの現在」(『鬣TATEGAMI』・第44号・2012年8月20日)
…関連語:東日本大震災、片山由美子、高野ムツオ、関悦史、佐藤鬼房

・「森田雄の俳句」(『鬣TATEGAMI』・第45号・2012年11月20日)
 …関連語:森田雄、高原耕治、西川徹郎

・「耐え難い軽薄 ―高山れおな『俳諧曾我』」(『鬣TATEGAMI』・第46号・2013年2月23日)
 …関連語:高山れおな、福田若之、山田耕司、ボードリヤール、鈴木六林男

・「「幸せな者」について」(『鬣TATEGAMI』・第47号・2013年5月20日)
 …関連語:東日本大震災、佐藤敏郎、石川雄章、関悦史、「豈」、小林凛

・「荷風の含羞と時空」(『鬣TATEGAMI』・第48号・2013年8月20日)
 …関連語:永井荷風、加藤郁乎、池澤一郎、籾山梓月

・「俳壇時評と俳句時評のあいだ」(『鬣TATEGAMI』・第49号・2013年11月20日)
 …関連語:筑紫磐井、小川軽舟

・「須藤徹追悼特集をめぐって」(『鬣TATEGAMI』・第50号・2014年2月20日)
 …関連語:須藤徹、「ぶるうまりん」、安井浩司、摂津幸彦

・「ひとつの不信感」(『鬣TATEGAMI』・第51号・2014年5月20日)
 …関連語:芝不器男俳句新人賞、曾我毅、西村我尼吾、生駒大祐

・「「楽しさ」を享受すること、その困難について」(『鬣TATEGAMI』・第52号・2014年8月20日)
 …関連語:小松崎茂、古市憲寿、宮崎斗士、安西篤

・「「私は」「あなた」を必要としている」(『鬣TATEGAMI』・第53号・2014年11月20日)
 …関連語:佐藤文香、最果タヒ

・「鴇田智哉の懐かしさ」(『鬣TATEGAMI』・第54号・2015年2月20日)
 …関連語:鴇田智哉、安井浩司、依光陽子、関悦史、林田紀音夫

・「立派な大人にはなれない」(『鬣TATEGAMI』・第55号・2015年5月20日)
 …関連語:中山奈々、山口直彦、宇野常寛、柳本々々、鴇田智哉、石原ユキオ、近森高明、正木ゆう子

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