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2026年2月12日木曜日

豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい インデックス


1 地球を想う人   辻村麻乃  》読む
2 豊里友行句集『地球のリレー』   杉山久子  》読む
3 現代川柳に通じる三句   佐藤文香  》読む
5 無題   矢野玲奈  》読む
6 豊里友行「地球のリレー」鑑賞   三木基史  》読む
7 ばちんと弾ける   小野裕三  》読む
8 豊里友行句集『地球のリレー』   栗林浩  》読む
9 「希望」のバトン   宮崎斗士  》読む



2026年1月16日金曜日

【豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい】9 「希望」のバトン  宮崎斗士

 少年兵は地球パズルの繋ぎ目

 少年兵たちのひたむきな姿勢とそれに伴う深い憂い、そして平和への切なる祈りが、「地球パズルの繋ぎ目」――地球という星を司り形成していくという。いたく奇抜な詩想ではあるが、作者の戦争、地球との対峙――その視座がくっきりと伝わってきた。


レノンの眼鏡の平和って しゃぼん玉

万華鏡みたいな遺品の眼鏡

 十二月八日は太平洋戦争の開戦日であり、平和を歌ったジョン・レノンの命日でもある。レノンのシンボルでもある眼鏡の万華鏡のような美しさ、そしてしゃぼん玉の輝きと儚さにも似た「平和」のありようを作者は強く訴えている。


原爆ドームは人類の眼球だ

 原爆ドームの形状を眼球に喩えた一句。私はこの眼球を全人類にたった一つの眼球と解釈。その眼球は世界中の戦禍、また核の闇をぐいいっと睨みつけているようだ。


警鐘の眼となる死者の花梯梧

戦争を止める目力木の葉蝶

空蟬の眼は人類の核シェルター

なども「眼」をモチーフとした作品群、各々の「目力」に地球に住む一個人としてあらためて背筋を正される思いがする。


僕らの白シャツのどれも核ボタン

 今着ているシャツのボタンが核のスイッチだったら……。昭和五十一年生まれの作者の平和な健やかな日々に潜む核の恐怖。一歩間違えれば、の地球上にいる確かな実感。


闘争は嫌っでで虫の角がいい

虹の楽譜を独奏かたつむり

渋滞の中の快速かたつむり

こつこつと生きる蝸牛の流星

 句集『地球のリレー』には蝸牛を詠んだ句が多数収載されている。殺伐とした血生臭い闘争より「でで虫の角がいい!」と明るい笑顔の作者、虹の橋を渡る蝸牛に雨上がりの爽やかな旋律を捉える作者、その緩慢なスピードも長い渋滞の中では「快速」に変わり、こつこつと生きる(前進する)健気さに流星の煌めきを汲み取る。


蛙鳴く銀河系の膨張音

蛙鳴くたび星屑のポンプ漕ぐ

惑星の軌道が弾む蛙鳴く

蛙とぶ地球の弦の虹はずむ

蛙の目だけ浮く月面到着

宇宙史のX光年の蛙とぶ

 そして表紙や本文中のパラパラ漫画に頻繁に登場する蛙を詠んだ作品群。蛙と大宇宙との朗らかな交信、何とも快く麗しい。


蒲公英の絮は弾む地球のリレー

ごろんごろん地球のリレーの野菜籠

万物の命が弾む地球のリレー

 句集タイトルでもある「地球のリレー」というフレーズ。蒲公英の絮も瑞々しい野菜たちも「希望」という名のバトンを後世へと繋げているようだ。長きに渡る歴史の変動の中にあって、一つ一つの命の輝きが嬉しい作品群――。そしてこの一冊の句集だった。


2025年4月11日金曜日

【豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい】8 豊里友行句集『地球のリレー』栗林浩

  沖縄の若い俳人を取材に出かけて豊里さんにあったのは、もう20年も前だろうか。

 求道の青年のように、沖縄を詠むことに懸けていた。その後の句集や写真集を見ても、それは変わっていない。

 『地球のリレー』を戴いたとき、すぐに次の一句を選んでいた。


  80 渋滞の中の快速かたつむり


 だが、多忙にかまけて鑑賞記を書いていなかった。今回、読み直して、次の句を戴いた。

 

  43 やわらかな折り鶴ですね京ことば


 京都を旅したのでしょう。沖縄と違った京言葉を耳にし、沖縄との違いを認識したのでしょうか。口語調でもあり、普段の豊里調の句と違う。そこに興味を感じた。

2025年3月21日金曜日

【豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい】7 ばちんと弾ける  小野裕三

 昨年夏に、家族旅行で沖縄に行った。海などのリゾートだけでなく、宗教の聖地を巡ったり、食や街の文化を楽しんだり、そして戦跡やその資料館などをいくつも訪れてあらためて歴史のことを詳しく知ったり、と目を開かされることの多い旅となった。沖縄という地は、そのように多面的な輝きと悲しみの想いを併せ持つ場所でもある。そんな場所から発せられる俳句には(そういう先入観で見るせいもあるかもだが)、独特の何か仕掛けめいたものがうまく仕込んであるようにも感じる。バネのようなものが俳句の中に仕掛けてあって、読んだあとにふっと気づくとばちんと弾ける、みたいな感じだ。


たましいの楽譜なり蝌蚪の紐

 たましい、といった言葉遣いは、だいたい重々しいものになりがちだが、この句はなんだか楽しい。だいたい、音符のことをおたまじゃくしとも呼ぶくらいだから、あれはもともと楽譜めいている。それをたましいの、と説明したところで、どこか楽しげ。でもたましいだから、やっぱり軽々しいものとも思えない。そんなギャップが何か企みの仕掛けめいていて、あるときにそのことに気づいてばちんと弾けそう。


蟻一匹も大事な白紙の王国

 蟻と白紙は、イメージとしてなんとなくうまく繋がる相性のよいもの同士だろう。蟻は一匹しかいないようだし、だから蟻からすると白紙は王国のように見える、ということか。そんな見立ての句と思うのがわかりやすそうなのだが、そうすんなりと腑には落ちない。王国という言葉からは、地下に張り巡らされた巣も想起され、そんなイメージの交錯に、何かとんでもない企みの仕掛けが潜んでいそうな気がする。


憲法を耕す僕ら鰯雲

 戦争を巡って重い歴史を持つ地なので、憲法にもやはり独特の想いがあるのかなあ、と推察する。「耕す」がその想いを表すだろうか、とも考えつつ、理屈としては今ひとつ分かりきらない。ただ、何かふしぎな明るさのようなものを持った句だ。それはきっと、意志としての明るさなのだろう。この意志も、あるときになってばちんと心の中で弾けそうだ。

2025年2月14日金曜日

【豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい】6  豊里友行「地球のリレー」鑑賞  三木基史

  「地球のリレー」とは、地球上の生きものすべてや死者でさえ繋がり合ってリレーとなっている、という意味らしい。確かにこの句集では、地球上すべての生命が織りなす過去・現在・未来の事象(物語)を、沖縄からの視点と壮大な空想力で描いている。


陽炎の十八歳の手榴弾


 戦争の中で青春の儚さを真正面から表現した作品。陽炎が揺らめく不確かな存在を示し、若者の一瞬の輝きと、それが幻であるかのような状況を強く感じさせる。十八歳という年齢は大人への過渡期で、多くの可能性と夢を抱いて生きる時期である。その若く美しい青春が「手榴弾」という生々しい戦争の象徴によって破壊され得る現実を思わせる。


戦中の茶碗に笑顔の兵隊さん


 遺品から戦時中の人々の日常を垣間見た一句か。本来、恐怖や疲労が先立つ戦場において兵士の笑顔は極めて貴重である。どんなに厳しい状況でも、国民の期待と希望が「笑顔の兵隊」として茶碗に描かれていることに着目した作者は、明暗の対比で深く複雑な当時の背景を捉えている。


あああああああああああ蟻は天辺


 冒頭の「あ」の連続が持つインパクトとリズムと響きは読者に強い印象を残す。「あ」は、驚き、感嘆、叫びなど、人間の様々な感情を表しながら、蟻の列の形状を「あ」で表現している。小さな存在が懸命に登り続けて天辺に達した姿を前向きに捉えれば、人間の努力、挑戦、克服の象徴として感じることが出来る。同時に人間の努力、挑戦、克服がいかに小さなものであるかという儚さで捉える読者もいるだろう。言葉の持つ音韻的魅力と意味の深さを巧みに融合させた一句。


琉球弧を描く春の猫の尻尾


 琉球弧は日本の南西諸島の連なりを意味するだけでなく、その豊かな自然環境を読者に想像させる。「春の猫の尻尾」の動きが、まるで琉球弧を描いているかのように感じたのは、作者にとって琉球弧を形成する地域が、読者にとって猫ほどの身近な距離感であることを暗に示している。春の猫の尻尾の柔らかい動きのように、この地域が穏やかであってほしいという作者の願いが感じ取れる。


宇宙史のX光年の蛙とぶ


 宇宙史という広大な時空を縦軸、X光年という途方もない距離(時間)を横軸が背景。蛙という小さく身近で現実的な生き物が「とぶ」という瞬間的な動作を切り取ることで、人間のひとつひとつの行為の小ささや存在の儚さを象徴的に表している。


(現代俳句協会 会員)

2025年1月10日金曜日

【豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい】5 無題 矢野玲奈

  豊里友行は沖縄在住の俳人であり写真家である。 

 豊里は写真で今を表現するからだろう。俳句では過去や未来を詠むことを意識している作家である。戦争を伝えるには今を写すだけでは困難であり、過去の出来事を題材に詠んだり未来もしくは非現実的な状況を詠んだりすることが必要だと感じているのだろう。

万歳の手しだいに鶏頭の海

  万歳は単純な身振りである。声に合わせて両手を上下するだけだ。同じ瞬間に同じ身振りを皆が一斉にすることで、そこに自分自身が参加している実感を得ることができる、謂わば共同体の一体感をもたらすものである。万歳は単純な身振りであるがゆえ、この一体感を強烈なものにする。

 掲句を一読すると出征を見送る人々の万歳の手が無数の鶏頭に変わった場面へ切り替わるようなイメージがわく。

 万歳で送り出したその場所が建物など残っていない鶏頭だけの海になったのである。鶏頭の炎のような鮮やかな花色が胸に迫る。 

 豊里が鶏頭の写真を提示したら、この句をきっと思い出すだろう。 今後も写真と俳句の両輪でメッセージを打ち出し続けていただきたい。

(俳人)

2024年9月27日金曜日

【豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい】3 現代川柳に通じる三句 佐藤文香

 俳人であり写真家である豊里友行の本質は、沖縄に暮らす者としての血の通った表現にあると思うが、個人的にはたまに出現する皮肉っぽい句やシュールな句により魅力を感じるので、ここで少し紹介しておく。


蟹を食う父母は獅子舞のようです


 顔を突き出してデカい口を開け、並んで蟹をくらう両親の滑稽さと恐ろしさ。その二人の子供であるこの人は「ようです」とリポート調に述べる。ホームビデオを見せられているようでもあり反応に困るが、その妙な空気がいい。


菜の花は洋菓子店の絵画です


 ふつうに述べれば「洋菓子店の中に飾られているのは菜の花の絵画です」ということのはずだ。しかしまず「は」で強引に菜の花が主題として提示されたことで、一旦リアルな菜の花が目に浮かぶ。そこから洋菓子店の外装を思い、店内に入ってまた絵画に出会う、それが菜の花の絵である、というように、菜の花に二度出会う構造になっている。

 もしくは、「洋菓子店の絵画のようです」を省略したかたちかもしれないが、そうだとしても、菜の花の褪せた黄色、小綺麗で少し古い洋菓子店を想像することにはなるだろう。


玉葱炒めのプチ哲学を堪能する


 哲学という広く深い思索を要する分野について「プチ哲学」や「堪能」などと言うのは最大級のおちょくりである。「玉葱炒め」というのもどうなんだ。玉葱は多くの炒め物の名脇役ではあっても、主役になるというのは、ほかの具材がせいぜい薄いベーコンと細かい人参くらいということだろうか。だからこそ「プチ哲学」が必要になるのか。謎だ。が、当の本人は満足気に見えるから面白い。

 散文的と思われるかもしれないが、現代川柳に通じる作品としても記憶しておきたい三句である。

 なお、ご興味のある方には豊里友行の写真もぜひおすすめしたい。撮影者の心が、その場の空気を真面目に捉えている。今の沖縄に必要な写真家だと思う。


2024年9月13日金曜日

【豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい】2 豊里友行句集『地球のリレー』:杉山久子

 この洞窟(ガマ)も口を塞がれ蝉しぐれ


 沖縄には多くの洞窟(ガマ)があり、戦争中は避難場所や日本軍の陣地あるいは野戦病院として利用されたと聞く。その中で発見されないまま、特定されないまま遺骨として眠っておられる方も多いだろう。 「口を塞がれ」という表現に、蹂躙され、奪い去られ、押し付けられ、見捨てられた人たちの痛切な叫びがなおも押さえ込まれようとしている現実を思う。


壕中を燈す鉄砲百合の悲鳴


 この句の悲鳴もまた塞がれようとしているのではと戦慄する。 今を生き、いっしんに鳴きつづける蝉たちの命の音がかなしいほどに降り注ぐ。


 最後の章「地球のリレー」には、こんな文章がある。


地球上の生きものすべてや

死者でさえ繋がり合って 

地球のリレーを織り成す


 命のリレーを繋げて行きたいという氏の強い祈りのようにも感じられる。それは決して塞がれるようなことがあってはならない。


2024年8月23日金曜日

【豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい】1 地球を想う人 辻村麻乃

  豊里さんとはfacebookでもこの俳句新空間でも繋がっているが、この度『地球のリレー』と『Peaceful love rock festival』という写真集の双方を頂いた。

 沖縄在住の作者は地域に根ざした俳句や写真を発表し続けている。

 この句集は第六句集とのことで、若い作者なのに創作意欲旺盛であることに驚く。多くの人と出会って発信してきた作者には平和への強い願いがあるのだと思う。


  黒板は空爆の空も消せますか

  眉を引くように始まる揚げ花火


 同じ空を見上げるときに単に綺麗だと思うだけでなく、戦争のこと、今災害に遭っている人や国のことを思う。

 この二つの句を読んで、作者の今の心に混在する想いを見たように思えた。

 それでも花火を美しいと思って、多くの人と共有する時間があってもいい。しゅっと揚がる瞬間を「眉を引く」と表現するセンスは抜群である。


 感動を写真で切り取って多くの人に見てもらうことも大切だが、その「時間」は一枚に封印される。俳句は同じ場面でも組み合わせる言葉によって奥行が出て、時を超えて生き続ける。

   万物が弾む地球のリレー

 作者が一度撮って留めた大切な瞬間と俳句によって読者の内部で永遠に生き続ける時間の両方が命を育む「地球のリレー」となって連綿と続いていくのである。