2025年3月21日金曜日

【豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい】7 ばちんと弾ける  小野裕三

 昨年夏に、家族旅行で沖縄に行った。海などのリゾートだけでなく、宗教の聖地を巡ったり、食や街の文化を楽しんだり、そして戦跡やその資料館などをいくつも訪れてあらためて歴史のことを詳しく知ったり、と目を開かされることの多い旅となった。沖縄という地は、そのように多面的な輝きと悲しみの想いを併せ持つ場所でもある。そんな場所から発せられる俳句には(そういう先入観で見るせいもあるかもだが)、独特の何か仕掛けめいたものがうまく仕込んであるようにも感じる。バネのようなものが俳句の中に仕掛けてあって、読んだあとにふっと気づくとばちんと弾ける、みたいな感じだ。


たましいの楽譜なり蝌蚪の紐

 たましい、といった言葉遣いは、だいたい重々しいものになりがちだが、この句はなんだか楽しい。だいたい、音符のことをおたまじゃくしとも呼ぶくらいだから、あれはもともと楽譜めいている。それをたましいの、と説明したところで、どこか楽しげ。でもたましいだから、やっぱり軽々しいものとも思えない。そんなギャップが何か企みの仕掛けめいていて、あるときにそのことに気づいてばちんと弾けそう。


蟻一匹も大事な白紙の王国

 蟻と白紙は、イメージとしてなんとなくうまく繋がる相性のよいもの同士だろう。蟻は一匹しかいないようだし、だから蟻からすると白紙は王国のように見える、ということか。そんな見立ての句と思うのがわかりやすそうなのだが、そうすんなりと腑には落ちない。王国という言葉からは、地下に張り巡らされた巣も想起され、そんなイメージの交錯に、何かとんでもない企みの仕掛けが潜んでいそうな気がする。


憲法を耕す僕ら鰯雲

 戦争を巡って重い歴史を持つ地なので、憲法にもやはり独特の想いがあるのかなあ、と推察する。「耕す」がその想いを表すだろうか、とも考えつつ、理屈としては今ひとつ分かりきらない。ただ、何かふしぎな明るさのようなものを持った句だ。それはきっと、意志としての明るさなのだろう。この意志も、あるときになってばちんと心の中で弾けそうだ。