2019年6月28日金曜日

第116号

※次回更新 7/12

特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」

筑紫磐井編        》読む

■平成俳句帖(毎金曜日更新)  》読む

令和春興帖
第一(5/24)仙田洋子・松下カロ・曾根 毅・夏木久
第二(5/31)杉山久子・辻村麻乃・乾草川・池田澄子
第三(6/7)田中葉月・大井恒行・岸本尚毅・ふけとしこ
第四(6/14)前北かおる・坂間恒子
第五(6/21)浅沼 璞・網野月を・堀本 吟・川嶋健佑
第六(6/28)内橋可奈子・福田将矢・とこうわらび・工藤惠

■連載

【抜粋】〈俳句四季7月号〉俳壇観測198
定型の錯覚・五七五の相対化 ――中山奈々の無謀な挑戦
筑紫磐井》読む

【抜粋】〈WEP俳句年鑑〉
兜太・なかはられいこ・「オルガン」———社会性を再び考える時を迎えて
筑紫磐井》読む

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
6 『櫛買ひに』を読む/山田すずめ 》読む

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~⑭ のどか  》読む

句集歌集逍遙 木下龍也・岡野大嗣『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』/佐藤りえ  》読む

麻乃第2句集『るん』を読みたい
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13  『るん』句集を読んで/歌代美遥  》読む

佐藤りえ句集『景色』を読みたい 
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7 佐藤りえ句集『景色』/西村麒麟  》読む

葉月第1句集『子音』を読みたい 
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7 生真面目なファンタジー 俳人田中葉月のいま、未来/足立 攝  》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中!  》読む


■Recent entries

「兜太と未来俳句のための研究フォーラム」アルバム

※壇上全体・会場風景写真を追加しました(12/28)

【100号記念】特集『俳句帖五句選』


眠兎第1句集『御意』を読みたい
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麒麟第2句集『鴨』を読みたい
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前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
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「WEP俳句通信」 抜粋記事  》見てみる

およそ日刊俳句新空間  》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
5月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む  》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子





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筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)



新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。

【渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい】6 『櫛買ひに』を読む  山田すずめ

 読書中から句のバリエーションの豊かさに驚かされた。
例えば、「五平餅の醤油の匂ひ町薄暑」のようにノスタルジーを掻き立てられる句があり、「柿むいて明日はちやんとするつもり」のようにのほほんとした気分になれる句がある。
「金色の指輪の沈む金魚鉢」のように、好奇心を刺激される句、「コップからまつすぐ伸びて葱の青」のような爽快な句……。句ごとに様々な感情を刺激された。
 特に気になった句の感想を以下に書く。

  喪の家に米研ぎゐたり凌霄花

 一人がいなくなり、以前より静かな家。だから米を研ぐ音がよく響く。研ぎ音が、静かさと一人の不在をより実感させる。家の周囲に生命力を強く示す凌霄花。家の活気が花に吸い取られてそうで、怖い。

  次の間に男雛女雛の気配かな

 雛の濃厚な存在感が表現されている。音も姿もない。でも、雛が次の間にいることが実感できる気がしてしまうというのは大いに共感できる。
 単なる雛ではなく「男雛女雛」であることで、二体が話をしているところまで想像できてしまう。男雛と女雛、恋人同士の二体は声を潜めて何を話しているのか。この句も怖い。

  不機嫌な父に蹤きゆく青田波

 不機嫌だからきっと父は無言で、主人公も無言だろう。青田波の音が、二人が無言であることをより強調している。行く先に何があるのか。懐かしく、また物語や事件を感じさせる句。

  おなかまんまる生まれ来る子も柿好きに

 大好きな句! まんまるなおなかにいる胎児が「柿好きに」なるというのだから、主人公は「胎児が無事生まれ、健やかに成長する」と信じているのだろう。「子供が成長した時の世の中は、柿が無事に食べられるほどに平和」だとも。あどけない言葉遣いの中に、胎児の未来への祈りと確信が感じられる。

  虎落笛夜は裏山の迫りくる

 裏山は移動しない。しないのだけれど、虎落笛の音が聞こえる夜の闇の中では、移動しても不思議ではない気がする。妄想なのだが、共感できてしまう。

  そのころは六人家族西瓜切る

「そのころは」だから、今は六人家族ではないのだろう。六人よりも少ない家族である気がする。主人公の事情は分からないが、独立、結婚、出産、死別……様々な理由で家族の数が変わりうることを想い、少ししんみりした。
「西瓜切る」は、「そのころ」と「今」、両方に掛かっているのだろう。大人数で騒がしかったそのころ、主人公は西瓜を切った。そして六人家族ではなくなった今も、西瓜を切る。過去と現在が、西瓜を切る動作やその際の手応えで結びついている。

 さて、この句集には見るたびに笑ってしまう句がいくつかある。その内三句を以下に取り上げる。

  龍淵に潜む卵の特売日

 龍淵に潜むは壮大な季語だ。季節に合わせ、龍は大きく世界を移動する。けれど、今の主人公にとって大事なのは卵の特売日。落差がおかしい。

  円陣を組む九人と蟻二匹

 野球だろうか。円陣を組み掛け声をあげ、士気を高めている九人。そこに蟻が入り込んでくる。「空気読めよ、いや、蟻だから無理か」……と思わず突っ込んでしまった。
「龍淵に~」の句は「自然の流れに関わらず、生活に奔走する人間のおかしさ」が詠まれていたが、この句は「人間の必死さに関わらず、自然が動いている」ことで、おかしみが生まれている。

  九人のはずが十人ところてん

 上五中七までは、恐ろしげな雰囲気と緊張感があるはずだが、下五「ところてん」のために、句全体におかしみを感じる。不条理なことも「ところてんだから仕方ないな」と笑って許してしまえそう。

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~⑭  のどか

第2章‐シベリア抑留俳句を読む
Ⅲ 黒谷星音(くろたに せいおん)さんの場合

 黒谷星音(くろたに せいおん)さんは、大正10年11月1日島根県簸川群知井宮村(現出雲市知井宮町)に生まれる。本名野尻(旧姓)秀利。昭和16年浜田第21連隊補充隊入隊(現役16年徴集)、第1期検閲後衛生部(一兵隊)17年夏中支派遣藤6865部隊に転属渡支。終戦直前、満州四平街を経て転進、敗戦。入院下番十数名と共に在満飛行場設営大隊に編入、同年入ソ。爾来バイカル湖周辺にて伐採、造船所、機関車工場雑役。23年8月ナホトカより舞鶴へ帰還(信洋丸)。
(『シベリヤ俘虜記』小田保編 双弓舎 昭和64年4月Ⅰ日)

以下*は、『シベリヤ俘虜記』の作者の随筆を参考にした筆者文。

『シベリヤ俘虜記』北旅・シベリヤ句抄から
   敗戦武装解除二句
丸腰の身軽さ悲し秋風裡
銃捨てし身に朔北の風しみぬ

*銃を捨てた身の内に北国の風が一層しみ込んで来るのである。
武装解除を受けた時期は定かではないが、八月十五日を過ぎて秋風の吹く季節になり、終戦の報を受けた時の夏服に、北の大地の風がしみ込む。単に風がしみたばかりでなく、戦争の終わった安堵の中でこの先の運命への疑いや不安も入り混じっていたのであろう。

   黒竜江、入ソ
アムールの氷上を行き獣めく
*アムール河(黒竜江)の氷るのを待ち国境を歩いて渡る。「氷上を行き獣めく」とは、ダモイ・トウキョウと騙されて、銃床で撃たれながら歩いている日本兵がまるで狩られた獣のようだ。凍ったアムール河は、果てしなく続いているのである。

大豆焚きて虜囚列車の北を指す
*日本兵には、行先は告げられず列車は北へ向かっているようだ。炊事車で大豆が焚かれているのか、匂いが漂っている。
『シベリヤ俘虜記』P.72、1921年1月シベリヤ鉄道でバイカル湖畔に到着、艀でアンガラ河上流の中州レスジャンカの収容所に入るとある。

   バイカル収容所
わが入る柵作らむと氷土掘る
*一月の凍土に、自分たちを閉じ込める柵を作らなければならなかった。捕らわれの兵の殆どがそうであったように、

バイカルの一夜に凍てつ神話めく
*本格的な極寒の到来を知らせるように、一夜にして凍てついたバイカル湖を眺める。早朝の静寂と、アイスブルーに波まで凍り広がるバイカル湖はまさに神話の世界である。捕虜の境遇を一時忘れ、眼前の神々しい世界に魅了される。

極寒のバイカルの日輪(ひ)をむさぼりぬ
*日照時間の短い極寒、バイカル湖の天中に日輪をみた。神々しいい光を目に焼き付けるようにむさぼり見ている。このような境遇にあっても、お天道様は見守ってくれている。

死にし友の虱がわれを責むるかな
*抑留1年目の冬、作業大隊500人のうちの半数が亡くなり、残ったものは絶望の日々を送った。死期は、寄生する虱が一番良く知っている。死体からぞろぞろと虱が離れるからだ。生き残った者は、その虱に責め立てられているのである。

   凍土掘れず
墓穴掘らむと半日焚火して泣けり
*凍てた大地を半日焚火して、掘り続けても浅い穴しか掘れない。戦友を葬りながら、死の影は明日の自分に重なって来るのである。
 
棒のごとき屍なりし凍土盛る
*やせ細って棒のように凍り付いた屍を掘り返した土で埋め戻してゆく、墓標一つも立ててやれぬ無力さを噛みしめて。

冬銀河凍パンと死と持ち歩く
*凍り付いたパンを持ってようやく繋ぎ止めている命と裏腹に死の影はいつも付きまとう。冬銀河はやがて来るシベリヤの過酷な生と死がせめぎあう冬の訪れを知らせる。黒谷さんの作品の中で、秀句であると筆者は思う。

   汽関車工場
短日の炉火にひもじき槌振れり
*シベリア抑留というと、シベリア第2鉄道(バム鉄道)建設のための伐採作業が、頭に浮かぶ。工場で黒谷さんは、鉄道や汽関車部品を作る炉の火に照られながら、暑い鉄を叩く槌を振るう。槌の一振り一振りがひもじい腹に体に響くのである。
 
   シベリヤの地に三度正月を迎ふ
シベリヤの遅き初日をおろがみぬ
*シベリヤの苦しい抑留生活も三年を迎えての初日の出に合掌し祈りをささげ、一日も早い帰還を願うのである。

凍てつきし工場街(まち)あけぼのの汽笛なる
〈シベリヤ句集『北旅』(昭和54年刊)から〉
*黒谷さんの49句の最後にあるこの句、一見すると冬の句とも思えるが、「凍てつきし工場街」は、抑留生活の象徴として、「凍てつきし」と詠ったと筆者は感じる。抑留生活を送った工場の町の夜明け、帰還の港のあるナホトカに向かうシベリヤ鉄道に乗られたのだろう。暁の空になる警笛に胸に迫る喜びを感じる句である。黒谷さんは、昭和23年8月ナホトカより舞鶴へ帰還されている。

黒谷星音さんの作品を読んで
 *苦悩にみちたシベリヤでの俘虜生活。そこには全く人間を無視したソ連の非人道的な行為に加えて、極寒と飢餓に栄養失調と疾病、さらには強制労働とノルマの枷があった。
きびしい状況下にあって、日毎夜毎、たおれてゆく戦友を目前にしながら、遠い祖国の父母を想い。いつの日か判らない帰国の夢に、一縷の望みをつなぎながらも、現実に打ちのめされ、空しい歳月をおくった。

手記には、以下のように記されている。(シベリヤ俘虜記P.73)
  
 このような境遇の中で、僅かに隠し持った新聞のこま切れや、ノートの切れ端に折を見ては書きつづった句は、泣き戦友への鎮魂と、私の俳句への執念のしからしむところであり、少なくともこのことが、数々の苦難を乗り越えて、遂に帰還の夢を果たした私の心の支えとなったのは確かである。〈夕焼けし樹海に深き秋の貌〉、所内の句会で天位となったこの句も、今はなつかしく思いだされる。 いまでも夜半、シベリヤの悪夢に目覚めて、床上に愕然とすることがある。この深い心の傷は、私の生命のある限り続くであろう。

 黒谷さんの抑留生活を俳句が支えたことは、手記により明白である。
 黒谷さんの手記で注目するところは、「シベリヤの悪夢に目覚めて、床上に愕然とすることがある。心の傷は命のある限り続くことであろう。」という最後の二行である。過酷な抑留生活を生き延びたが、心的外傷後ストレス障害が残ったことが示唆される。
 シベリアの凍土に眠る戦友を慰霊し語り継ぐ営みの中で、黒谷さんの体験が昇華され、心癒されることを祈るのである。

『シベリヤ俘虜記~抑留俳句選集~』小田保編 双弓舎 昭和60年4月1日

【抜粋】〈俳句四季7月号〉俳壇観測198/定型の錯覚・五七五の相対化 ――中山奈々の無謀な挑戦  筑紫磐井

中山奈々の受賞作・復本一郎の挑発
「円錐」三一年四月号に第三回円錐新鋭作品賞が載っている。ここで紹介したいのは正賞のほうではなく特別賞であり、中山奈々「七七日」が選ばれている。まず掲載された全句を眺めてみよう。

七七日   中山奈々(編集部選)
紋白蝶の腹嗅ぐ旅路
水切り石に蓬の名残り
鰍挿すひとのあとから渡る
盗られしものをみな夜濯ぎす
爪焼くならば誘蛾灯なり
月映るまで鏡を傾ぐ
雨遠退かす鈴虫の山
尿意強める贈の二戸
凩に貼る収入印紙
来世をひとつ日光写真

 
 読者は不思議な感じがするだろう。字足らずの句ばかりである。自由律でもなさそうである。そうである、これは七七句という形式なのである。俳句が厳密に五七五形式であるとすれば、これは俳句ではないと言うことになるかもしれない。じっさい、作品の選評を行った澤好摩(推薦せず)、山田耕司(五位推薦)は、五七五を相対化する、季語を入れて苦労している、と努力を評価するものの、欠落感が強く「墓のうらに廻る 尾崎放哉」に比べるべくもないとする。だから、入選作は投稿全句を載せるのが原則なのだがこれに限っては編集部が十句に絞っている。
 七七句などと言うお遊びのような形式がいまどきあるのかと読者は疑問を持つかもしれないが、実は最近では復本一郎が「鬼」三八号(二九年七月)で「十四音短俳句の提唱」という提案を行っているのである。復本といえば、平成一一年に『俳句と川柳』で、「俳句は切れがなければいけない」「川柳は切れがいらない」と主張し、俳壇・柳壇で論争を起こした俳文学者である。復本は言う。

「そこで、私は、七七の十四音律を持った「短俳句」を提唱せんとするのである。これが「創造の功を奏」したならば、十四音という世界最短の文芸が誕生するのである。
 そして、実は、我々は、七七の韻律を持つ十四音の詩型に、すでに馴染んでいるのである。俳諧(連句)の短句である。芭蕉たちは。この短句に心血を注いでいる。」

 復本は、その根拠として、去来の句、「妻呼(ぶ)雛子の身をほそうする」を芭蕉が論じた『去来抄』を引用し「注目すべきは、前句なしで、付句(短句)のみが、単独で議論の対象となっているということである」とし、ここでは芭蕉や去来の十四音(七七句)の文芸に対する真剣さを十分に窺うことができるとしている。明治の改革者正岡子規を研究し、その過激さを尊重し、自らも「実験的俳句集団」を自称する復本らしい過激な主張だ。
 ただ、「七七の韻律を持つ十四音も、俳句化するには、「切字」「切れ」を有することを必須の条件」とすると追加するのはいかがなものか。切れ論者らしい復本の主張であるが、矢張り問題は、七七句そのものの本質と、切れ論は区別しておいた方がいいだろう。
(中略)

五七五の相対化
 実はここで注目したいのは、七七句の本質である「俳句形式五七五の相対化」である。「五七五を相対化」したいという俳人のあくなき欲求である。最近出た「俳句」の「平成百人一句」を見ると平成を代表するとされる選集にさえこんな句が上がっている。

ばると海という海がみたくておよぐ 阿部完市
麿、変?           高山れおな


 「字余り」「句またがり」も実は厳密な五七五ではないから、「五七五を相対化」した試みと見れば、もっと多くの句が平成の名句として挙がってくることになる。

万有引力あり馬鈴薯にくぼみあり 奥坂まや
あなたの手が昆布のように昆布のように 御中虫
一瞬にしてみな遺品雲の峰    櫂未知子
いいないいなと首をすぼめて冬桜 川崎展宏
寂しいと言い私を蔦にせよ    神野紗希
長距離寝台列車のスパークを浴び白長須鯨 佐藤鬼房
母在せり青蚊帳といふ低き空    渋谷道
わらうて呑みこむ山盛り飯か夜櫻は 竹中宏
ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ  田島健一
無方無時無距離砂漠の夜が明けて 津田清子
八月が来るうつせみうつしみ   寺井谷子
空が一枚桃の花桃の花      広瀬直人
ヒヤシンスしあわせがどうしても要る 福田若之


「俳句は定型であり、五七五だ」と言いながら、文学的活動の中では、俳句作家は常に五七五から脱却したいと考えている。プロフェッショナルたちの性(さが)である。なぜならばそこにはささやかながら長い定型伝統に対する自己主張があるからである。定型・伝統に負け切らない強い自己を求めているのである。俳句は単純に五七五ではないのである。

※詳しくは「俳句四季」7月号をお読み下さい。

2019年6月14日金曜日

第115号

※次回更新 6/28

特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」

筑紫磐井編        》読む

■平成俳句帖(毎金曜日更新)  》読む

令和春興帖
第一(5/24)仙田洋子・松下カロ・曾根 毅・夏木久
第二(5/31)杉山久子・辻村麻乃・乾草川・池田澄子
第三(6/7)田中葉月・大井恒行・岸本尚毅・ふけとしこ
第四(6/14)前北かおる・坂間恒子


歳旦帖
第一(3/15)山本敏倖・曾根 毅・松下カロ・小野裕三
第二(3/22)仙田洋子・神谷 波・岸本尚毅・堀本 吟
第三(3/29)飯田冬眞・辻村麻乃・夏木久・杉山久子
第四(4/5)小沢麻結・真矢ひろみ・浅沼 璞・渡邉美保
第五(4/12)坂間恒子・田中葉月・木村オサム・乾 草川
第六(4/19)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子
第七(4/26)ふけとしこ・井口時男・前北かおる・水岩瞳
第八(5/3)望月士郎・青木百舌鳥・大井恒行・花尻万博
第九(5/10)近江文代・網野月を・北川美美・小野裕三
第十(5/17)仲寒蟬・佐藤りえ・筑紫磐井

■連載

【抜粋】《俳誌要覧2019》より
俳句史とは何であるか――「俳句四季」創刊三十五周年に寄せて
筑紫磐井》読む

【抜粋】〈WEP俳句年鑑〉
兜太・なかはられいこ・「オルガン」———社会性を再び考える時を迎えて
筑紫磐井》読む

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
5 『櫛買ひに』渡邉美保第一句集より/玉記 玉 》読む

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~⑬ のどか  》読む

句集歌集逍遙 木下龍也・岡野大嗣『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』/佐藤りえ  》読む

麻乃第2句集『るん』を読みたい
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13  『るん』句集を読んで/歌代美遥  》読む

佐藤りえ句集『景色』を読みたい 
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7 佐藤りえ句集『景色』/西村麒麟  》読む

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筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)



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【渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい】⑤ 『櫛買ひに』渡邉美保第一句集より 玉記 玉

 渡邉美保さんの第一句集『櫛買ひに』を読み終えた夜、美保さんのことを思った。句会で鑑賞を述べられる美保さん、雑談をしながら一緒に歩く時の美保さん、一緒に何か食べたりする時の美保さんの顔が思い浮かんだ。美保さんに笑窪があったかどうか?ふとしたときに、美保さんの笑窪を見た気がしてきた。今読んだ『櫛買ひに』の作品たちに笑窪があったからだろうか。陽だまりの中でふわりと笑窪を見たようだった。

  日記買ふついでにニッキ飴を買ふ (うかうかと)

と音でしゃれてみたり、

  耳栓にしやうか殻付き落花生 (櫛買ひに)

殻付きの落花生を耳栓にしてみようとは・・・子供のような無邪気な遊び心につられて嬉しくなってしまう。

  サーカス一行箱庭に到着す (炭酸水)

 サーカスの一団が町に着いて荷を下ろしテントを張ったりしはじめたときその町は途端に箱庭となった。サーカスはおもちゃのような明るさで一帯は箱庭の賑わいとなった。明るく軽やかな美保さんの一面をも垣間見るようだ。
 さて、美保さんに真顔の時だってあるだろう。

  喪の家に米研ぎゐたり凌霄花  (ポインセチア)

 日常の中の、あるワンシーンである。喪の悲しみの家に米を研いでいる様子が描かれている。血が混じったような色の花が連なってよじ登るように咲く凌霄花に、粘り強い生命を感じる。生き残っている者は相変わらず米を研ぎ、また次の日を迎える。

  薄氷にひび老木に刀傷  (けむり茸)

 薄氷は温度や刺激などでひびがはいり自然に溶けていくだろう。老木には刀傷を見た。これは確実に人為である。人間が生きていくとき、自然の一部となりながら何かを壊して生きている悲しみともいえる。

  建国記念日馬の前脚後脚  (櫛買ひに)

 馬の状態を言わず、「前脚後脚」と抑えて表現されていることにより、建国記念日との関係の想像が広がる。馬は農耕もして、国土を踏む。戦を蔵しているともいう。訴えの詩であると思う。

  龍淵に潜む卵の特売日  (櫛買ひに)

 龍は想像上の生き物であるが、卵生であるとしよう。龍が淵に潜むかもしれない深くて蒼い静謐は神秘である。しかし、作者は自分自身が生きるための「卵の特売日」という現実を携えている。神秘の龍と特売という現実を卵が介在するという諧謔味がある。

  妹に泣かれし記憶鳳仙花       (アンモナイト)
  なんとなく拗ねてゐる母着ぶくれて  (アンモナイト)
  ぽつぺんやちちははの海凪ぎわたる  (夕凪)
  月の出や母在るやうに魚を煮て    (櫛買ひに)
  椿の実末つ子と今絶交中       (櫛買ひに)


など家族の屈折や撓みを感じながら、温かさの貫いた家族を感じることができる。この温度感も他の作品の持ち味となっている。
 また、美保さんの身に浸みこんでいる海辺に触れた句も多くみられた。

  五月来る帽子の箱の中に貝  (アンモナイト)

 帽子の箱は色もデザインもエレガントである。何かを入れてみたいが、入れにくいものである。私はそのいびつに憧れさえしたものだ。それはなんとなく置いておくしかない。・・・そうか、拾った貝を入れて世界の海と話をしよう。小さな笑窪のような貝も入れて!

句集歌集逍遙 木下龍也・岡野大嗣『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』/佐藤りえ

帯には「ゆらぐ青春」とある。
本書はふたりの歌人、木下龍也・岡野大嗣の共著で、全編が短歌で編まれているので「歌集」といっていいのだろうか。もうひとつ帯に、「男子高校生ふたりの七日間をふたりの歌人が短歌で描いた物語、二一七首のミステリー」とある。歌物語というのもなにか違う気がするが、とにかくこの本は「ふたりでひとつの短歌作品を作った」ものになる。
幾人かの作品を収録したアンソロジーでもなく、ふたりが個々に作った作品を持ち寄ったのでもない。ページ二首組みのレイアウト、作者の別は歌の頭の位置で判別する。天付きなのが木下、二字下げが岡野。

こうした「合作」のような短歌作品はわりあい珍しい。過去には穂村弘・東直子の「回転ドアは、順番に」がある(与謝野晶子・山川登美子・増田雅子の「恋衣」は共著であり合作ではない)。「回転ドア—」の作者の別は文字色で分けられていた。頭の位置で区別する、というのは簡潔でよいなと思った。

7月1日からいちにちずつ、日付が章題となっており、7日が4日の前に来て、6日で終わる、七章構成になっている。この作品はミステリーと題されているが、ト書きが歌になっているわけではないので、ふたりの高校生の内省やモノローグ、状況描写みたいなもの(として書かれた歌)から事件を推測して読むことになる。

主人公(といっていいのか、歌人が主格として扱っている人物)ふたりはどうやら友人のようで、お互いをパーソナルスペースに立ち入らせるほどに大事に思っている、らしい。部分的にはBLのように読むことも可能に思えたが、それは主題ではなさそうだ。

 公園でたまに見かけるおじさんよ昨日の夢で殺してごめん(木下)
 なんつうかまああれだなあ信長はよくあと三十年も生きたな(岡野)
 ぼくはまたひかりのほうへ走りだすあのかみなりに当たりたくって(木下)
 目のまえを過ぎゆく人のそれぞれに続きがあることのおそろしさ(岡野)

全編が生にたいする倦みと停滞感、刹那主義的な死生観に彩られ、しかしそれがかえって青春ぽく見えてしまう、といったら軽視しているみたいに聞こえてしまいそうだ。そうではなくて、毎日「死にたい死にたい」と言いながら生きながらえてしまう——というような、「緩慢に生き残っている」状況をも冷静に、確実に、さっくり掬いあげ、歌にしている。48歳で落命した信長を引き合いに出したり、雷に打たれたいと願う、その途方もなさは、無力感の裏返しとして、実にくっきりとした輪郭をもっている。輪郭のはっきりした無力感なんて、地獄のようではないか。

どう書いてもネタバレになってしまいそうだが、章の順序が日付通りでないことにはたぶん意味がある。その意味を想像してみて、悲しさを感じたら、たぶんあなたの読後感は私のそれと似ている。
ふたりは7月7日に来てほしくなかったのだ。6日のままでいたかった。その理由は、読んでいくと、うっすらわかると思う。

 玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ(岡野)

この歌は本の題名であり、99ページの、7月5日の章の巻頭歌である。玄関の覗き穴から差してくる光、とは、マンション、アパートなどのドアが思い浮かべられる。硝子が嵌められた引き戸など、玄関そのものが明るい場所では(仮に覗き穴があったとして)、穴から「光が差して」くるほどの明暗の落差がないからだ。
室内が暗ければ暗いほど、その光は薄明光線のような効果を生む。ひとすじの光として存在したはずなんだ、なのに——。
「なのに」の次にはいろいろな感情が入るだろう。前述した輪郭のはっきりした無力感も、きっと入る。

 電波ひろえないラジオになりきれば午後の授業はきれいなノイズ(岡野)
 消しゴムにきみの名を書く(ミニチュアの墓石のようだ)ぼくの名も書く(木下)
 卓上の『カラマーゾフの兄弟』を試し読みして去ってゆく風(木下)
 神は僕たちが生まれて死ぬまでをニコニコ動画みたいに観てる(岡野)

しかしなんといっても、この一冊を強固に支えているのは、ふたりの歌人のガチな描写力である。勉強に、あるいはクラス全体についていけない自分を「電波ひろえないラジオ」に喩え、消しゴムを小さな墓石に見立て、本をめくる動きを風の試し読みと感じ、神の視座をニコ動と言ってのける。言葉にゆるみがなく、埋め合わせのような部分もなく、描写と内容と定型がぴったり寄り添っている。

読みやすさのあまり見逃してしまいそうだが、絶妙な緊張感によって一行一行が作りこまれている。ハードな内容にリアリティと重厚感を与えているのは、まぎれもなくふたりの歌人の技量による。
ミステリとしては謎解きが困難なものになるかもしれないが、短歌の本として、ひとつの新しい在り方をしめしていると思う。

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~⑬  のどか

第2章‐シベリア抑留俳句を読む
 Ⅱ石丸信義さんの場合(2)


 以下*は、『シベリヤ俘虜記』の作者の随筆を参考にした筆者文。

麦の粥すするや春の星潤む
*汁の多い麦の粥を啜った。春の星は望郷の思いに潤むのである。奥地の伐採作業から戻ると、食料事情は一層悪くなっており、食料の分配が不公平だと不満が爆発した。それに対して石丸さんは、食料配分の提案をしたことで炊事長に任命されたという。

喊声や大鮭一尾手捕りたる
*手記の中には、このような魚取りについての一節はないが、伐採作業の昼
休みには、捕食となる木の目や茸、あるいは川での魚とりをしたのだろう。
秋になると産卵のために皮を遡上する鮭を素手で捕まえたのである。「喊声や」の中に仲間の喜びとどよめきが聞こえてくる。
 
靴音や句帖を隠す雪の中
*休憩時間に誰も来ないところで俳句を考えていると、誰かの靴音が近づい
てくる。慌てて句帖を雪の中に隠した。招集以来、心の拠り所としてきた俳句
手帖やそれまで持っていた本が没収されてしまった。

  一切の活字絶たれけり夜長捕虜
句帖を没収されし後帰還の噂立つ
秋夜覚むや我が句脳裡に刻み溜む

  〈昭和四十六年渋柿特別作品賞〉
*ソ連側は、抑留中の真実を漏らすまいとしてか、抑留者の結束を恐れてか
全ての文書やメモさえも没収した。文書やメモを持っているのが見つかると、
帰還が遅れるという噂もあった。句帳を没収されてからの秋の夜長、目が覚め
るとひたすら自分の句を暗唱し、脳裡に刻み込んだのである。
『シベリヤ俘虜記』P,22には、

 句帳を無くしてからは、句の情景を寝られぬままに闇の中で思い描いた。17字を記憶することよりも、その一つ一つの景をイメージとして、何年先でも思い浮かべることのできるよう、心に焼き付けたいからである。再びとないこの体験が私の第2の原体験となることを思ったからである。

【石丸信義さんの作品を読んで】
 石丸さんの随筆を要約すると、収容所でのノルマや飢えと戦う一方で、別の世界の中で、朝日に輝く樹氷林や北方の壮大なる夕焼けや果てなく続いて天に接する雪原や、そこには、どんなに見つめても、思い描いても、何の束縛もない自由の世界。帰れば二度と見ることのできない天地である。私にはこの朔北厳冬の風景を脳裡に深く彫り込んでおきたい俳句的欲求があったと記し、後に、小田保さんにあてた手紙の中でこう述べている。「私にとって俳句は、自分の生きていることを、生きざまを詠うことであった。あのシベリア収容所での飢えの極限にあったとき、果たして俳句ができるであろうか、いや作ってみせるという意欲があった。とある。
筆者は、石丸さんのこの手記を読んで、ヴィクトール.E.フランクル『夜と霧』P.113~114のこの一説を思い浮かべた。

 ひとりの人間が避けられない運命と、それが引き起こすあらゆる苦しみを甘受する流儀には、きわめてきびしい状況でも、また人生最後の瞬間においても、生を意味深いものにする可能性が豊かに開かれている。勇敢で、プライドを保ちつづけたか、あるいは熾烈をきわめた保身のための戦いのなかに人間性を忘れ、あの被収容者の心理を地で行く群れの一匹となり果てたか、苦渋にみちた状況と厳しい運命がもたらした、おのれの真価を発揮する機会を生かしたか、あるいは生かさなかったか。そして「苦悩に値」したかしなかったか。
 このような問いかけを、人生の実相からほど遠いとか、浮世離れしていると考えないでほしい。たしかに、このような高みにたっすることができたのは、ごく少数の限られた人びとだった。収容所にあっても完全な内なる自由を表明し、苦悩があってこそ可能な価値の実現へと飛躍できたのは、ほんのわずかな人々だけだったかもしれない。けれども、それがたったひとりだとしても、人間の内面は外的な運命よりも強靭なのだということを証明して余りある。(『夜と霧』新版 ヴィクトール.E.フランクル著 みすず書房 2002年11月5日)
 このような問いかけを、人生の実相からほど遠いとか、浮世離れしていると考えないでほしい。たしかに、このような高みにたっすることができたのは、ごく少数の限られた人びとだった。収容所にあっても完全な内なる自由を表明し、苦悩があってこそ可能な価値の実現へと飛躍できたのは、ほんのわずかな人々だけだったかもしれない。けれども、それがたったひとりだとしても、人間の内面は外的な運命よりも強靭なのだということを証明して余りある。(『夜と霧』新版 ヴィクトール.E.フランクル著 みすず書房 2002年11月5日)

 石丸さんがこの苦しい抑留生活を「17字を記憶することよりも、その一つ一つの景をイメージとして、何年先でも思い浮かべることのできるよう、心に焼き付けたいからである再びとないこの体験が私の第2の原体験となることを思ったからである。」と書いているように、自分の人生における困難を一回しか来ない貴重なものとして、肯定的に受け止める姿勢により、心の内なる自由と人間性においての価値を獲得し、俳句はそれを牽引したのだと筆者は思う。
 石丸さんの苦難を受け入れる姿勢やどんなに困難でも俳句をつくってやろうという意志が、フランクルの言う「人生最後の瞬間においても、生を意味深いものにする」すべての源となったと筆者は考える。


参考文献
『シベリヤ俘虜記~抑留俳句選集~』小田保編 双弓舎 昭和60年4月1日
『夜と霧』新版 ヴィクトール.E.フランクル著 みすず書房 2002年11月5日

【抜粋】《俳誌要覧2019》より 「俳句史とは何であるか――「俳句四季」創刊三十五周年に寄せて」  筑紫磐井

一.俳句総合誌九十年
 「俳句四季」創刊三十五周年に寄せて、俳句総合誌における同誌の位置づけを考えてみよう。特に長い俳句史の中で「俳句四季」はどこに位置するのであろうか。やや悠長な話題となるが、約九十年間における近・現代俳壇史に登場した総合誌を眺めてみることから始めてみよう(太字は現在も刊行されているもの)。

改造社等「俳句研究」(昭和九年~平成二三年)[終刊]
角川書店「俳句」(昭和二七年創刊~)
牧羊社「俳句とエッセイ」(昭和四八年~平成六年)[終刊]
東京四季出版「俳句四季」(昭和五九年創刊~)
本阿弥書店「俳壇」(昭和五九年創刊~)
弘栄堂書店等「俳句空間」(昭和六一年~平成五年)[終刊]
毎日新聞社「俳句アルファ」(平成五年創刊~)
朝日新聞社「俳句朝日」(平成七年~平成十九年)[終刊]
文学の森等「俳句界」(平成七年創刊~)
三樹書房「WEP俳句通信」(平成一三年創刊~)


 意外に総合誌の数が少ないことに驚かれるかも知れない。
 俳句総合誌の草分けとしては、まず「俳句研究」を上げなければならない。戦前の代表的な硬派の雑誌「改造」や多くのベストセラー小説を輩出した大出版社改造社が短詩型文学部門に進出し、短歌の「短歌研究」に次いで創刊した雑誌で、「俳句研究」は当時の主流であるホトトギスに対抗して新興俳句や人間探求派作家を中心に編集発行された。一時山本健吉も編集を担当し、「人間探求派座談会」や「支那事変三千句」等戦争俳句を特集し、まさに戦前を代表する俳句雑誌となった。しかし軍部の圧力により改造社は解散され、終刊する。戦後復刊したが、改造社の経営破綻でいくつかの出版社を転々とし、一時高柳重信編集による存在感のある雑誌の時代が続いたが、最終的には角川書店系の出版社で発行され終刊した。
 「俳句」は俳人である角川源義の経営する角川書店から発行され、戦前の「俳句研究」に匹敵する雑誌となった。初期の編集長は、角川、大野林火、西東三鬼のプロ俳人が務め、現代俳句協会と蜜月を保った編集により、協会も「俳句」も飛躍的に拡大した。社会性俳句や前衛俳句はこのような時代に生まれている。編集方針が大きく変わったのは、現代俳句協会から俳人協会が独立した頃(昭和三十七年)からであり、「俳句」は俳人協会に近い立場で編集されるようになった。それでもアカデミックな内容で多くの俳人の信頼を得たが、その方針が大きく変わったのは昭和六十三年秋山みのるが編集長となり、特に平成になって「結社の時代」を標榜するようになってからである。秋山により〈初心者向けの俳句入門〉が総合誌の典型となり、三十年後の今日にいたるまでその伝統が続いているのである。
 牧羊社は「俳句」と「俳句研究」(高柳編集)の間隙をついて登場した新興出版社であり、「俳句とエッセイ」を創刊し、飯田龍太、森澄雄、金子兜太らの戦後派作家を売り出し、戦後俳句史の評価を確定的なものとした。また、若手の廉価版処女句集シリーズを刊行し、膨大な若手を俳壇に送り込み、今日に至る長谷川櫂や小澤實などの時代を作った。その後経営が行き詰まったようで出版社も雑誌も名前が消滅しているが、そこで育った編集者たちが拡散し、現在の多くの俳句出版社を支えている。
 こうした「俳句」一人勝ちの時代、あるいは「結社の時代」に向おうとする時代に創刊されたのが、東京四季出版「俳句四季」と本阿弥書店「俳壇」であり、俳壇の閉塞感に新しい風を導き入れることになった。「俳句四季」のビジュアルな誌面と「俳壇」の新人発掘は今も一つの特徴となっている。これに続き、新聞社系の「俳句アルファ」、「俳句朝日」が創刊されているが、これ以降については記事も煩瑣となるので説明は省くこととする。
 これらを見ても分かるように、俳句総合誌は俳句における時代相を比較的忠実に反映しているようであり、或いは俳句総合誌が俳壇を牽引した時期さえあったようである。こうしたことから、俳句総合誌の功罪は、現代俳句史と照らし合わせて見えてくるはずである。しかし難しいのは、近・現代俳句とは一体何であるかということが必ずしもはっきりしていないことである。今回、「俳句四季」創刊三十五周年の論考の執筆を依頼されたことから、「俳句四季」とは余り関係ないが――しかしそれ以上に重要であることは間違いない――、近・現代俳句とは何なのかを本論の第二の話題として取り上げてみたい。
(以下略)

※詳しくは東京四季出版「俳誌要覧2019」をお読み下さい。
【修正】
 上記記事に追加しておきたい。
○書肆麒麟・弘栄堂書店「俳句空間」(昭和61年~平成5年)
を加える。
 「俳句研究」については上記記事では一見継続して発行が続いているように書いてあるが、じっさい、「俳句研究」の発行元は、戦後しばしば変更されていた。特に、角川書店「俳句」と対峙した俳句研究新社版「俳句研究」は、高柳重信の死(58年7月)後、集団編集体制となったが、俳句研究新社版「俳句研究」としては60年9月で終刊となり、角川書店系の富士見書房版「俳句研究」に移行し復刊されることとなった。このような中で、俳句研究新社版「俳句研究」の編集をしていた澤好摩(書肆麒麟)が浄財を集めて創刊したのが「俳句空間」であった。しかし、5号で刊行が行き詰まったため、弘栄堂書店から第6号の刊行が継続され、大井恒行が編集に当たったものである。総合誌としてはユニークな編集がとられたが、特に弘栄堂書店版「俳句空間」は俳壇の大家(金子兜太、稲畑汀子)から新鋭までの協力を得て刊行された(何せ十分な原稿料が払えず、原稿料は一律千円の図書券であったと記憶している)。初期は阿部鬼九男、夏石番矢、林桂らが、後期は攝津幸彦、仁平勝、筑紫磐井が編集協力した。しかし社内事情(弘栄堂書店は、出版社ではなく、旧国鉄系・キオスク系の書店であり、雑誌の発行には複雑な事情があったと聞いている)もあり、平成5年23号をもって終刊したものである。第6号は「寺山修司の俳句世界」、第23号は最終号らしく戦後生まれの作家を網羅した「現代俳句の可能性」で幕を閉じた。特に新鋭発掘に力を注ぎ、若手俳句欄で募集し、ここから、高山れおな、倉阪鬼一郎、五島高資、今泉康弘が登場した。
 この「俳句空間」の顛末については、澤好摩、大井恒行の協力を得て、「豈」三十七号俳句空間篇(2003年10月刊)で回顧されている。

2019年6月1日土曜日

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