2018年3月23日金曜日

第86号

●更新スケジュール(2018年4月6日)

*発売中*
冊子「俳句新空間」No.8 
特集:世界名勝俳句選集
購入は邑書林まで

第4回攝津幸彦記念賞発表! 》詳細
※※※「豈」60号・「俳句新空間」No.8に速報掲載※※※

各賞発表プレスリリース
豈60号 第4回攝津幸彦記念賞発表 購入は邑書林まで



平成二十九年 俳句帖毎金00:00更新予定) 
》読む

平成三十年 歳旦帖

第三(3/23)真矢ひろみ・北川美美・西村麒麟・曾根毅・青木百舌鳥・小沢麻結・前北かおる
第二(3/16)渕上信子・辻村麻乃・山本敏倖・夏木久・中西夕紀・林雅樹・飯田冬眞
第一(3/9)網野月を・堀本吟・仲寒蟬・坂間恒子・小野裕三・神谷 波・杉山久子


【歳旦帖特別篇】金子兜太氏追善
》読む

(3/23)ふけとしこ
(3/16)長嶺千晶・大井恒行・堀本吟・小林かんな・渡邉美保
(3/9)小沢麻結・竹岡一郎・小野裕三・早瀬恵子・杉山久子・神谷 波・真矢ひろみ・水岩瞳・渕上信子・池田澄子・中山奈々・木村オサム・浅沼 璞
(3/2)辻村麻乃・曾根毅・月野ぽぽな・五島高資・北川美美・島田牙城・豊里友行・加藤知子・仲寒蟬・神山姫余・佐藤りえ・高山れおな・筑紫磐井


平成二十九年 冬興帖

第八(3/2)中西夕紀・北川美美・西村麒麟・佐藤りえ・筑紫磐井・羽村美和子・浅沼 璞・五島高資・高山れおな
第七(2/23)岬光世・依光正樹・依光陽子・加藤知子・関悦史・小林かんな
第六(2/16)真矢ひろみ・川嶋健佑・仙田洋子・仲寒蟬・望月士郎・青木百舌鳥・下坂速穂
第五(2/9)ふけとしこ・花尻万博・田中葉月・渡邉美保・飯田冬眞・池田澄子
第四(2/2)中村猛虎・小野裕三・山本敏倖・椿屋実梛・水岩瞳・近江文代
第三(1/26)内村恭子・曾根毅・神谷波・渕上信子・大井恒行・前北かおる
第二(1/19)松下カロ・岸本尚毅・林雅樹・早瀬恵子・杉山久子・木村オサム
第一(1/12)小沢麻結・夏木久・辻村麻乃・堀本吟・網野月を・坂間恒子



【新連載・黄土眠兎特集】
眠兎第1句集『御意』を読みたい
1 『御意』傍らの異界   大井さち子  》読む
2 つくることの愉しみ   樫本由貴  》読む


【新連載・西村麒麟特集2】
麒麟第2句集『鴨』を読みたい
0.序に変えて   筑紫磐井  》読む
1.置いてけぼりの人  野住朋可  》読む
2.ささやかさ  岡田一実  》読む
3.乗れない流れへの強烈な関心  中西亮太  》読む
4.ある日の麒麟さん句会  服部さやか  》読む


【新連載】
前衛から見た子規の覚書  筑紫磐井 
(1)子規の死   》読む
(2)子規言行録・いかに子規は子規となったか①   》読む
(3)いかに子規は子規となったか②   》読む
(4)いかに子規は子規となったか③   》読む
(5)いかに子規は子規となったか④   》読む
(6)いかに子規は子規となったか⑤   》読む
(7)いかに子規は子規となったか⑥   》読む
(8)いかに子規は子規となったか⑦   》読む
(9)俳句は三流文学である   》読む
(10)朝日新聞は害毒である   》読む
(11)東大は早稲田に勝てない   》読む
(12)子規別伝1・子規最大のライバルは落合直文   》読む
(13)子規別伝2・直文=赤報隊・東大古典講習科という抵抗   》読む




【現代俳句を読む】
三橋敏雄『眞神』を誤読する
   111. 緋縮緬噛み出す箪笥とはの秋 / 北川美美  
》読む

   112. 戦歿の友のみ若し霜柱 / 北川美美  》読む





【抜粋】
<「俳句四季」3月号> 
俳壇観測183/虚子の不思議な心理 ――虚子の写生文の表面と裏面
筑紫磐井 》読む


  • 「俳誌要覧2016」「俳句四季」 の抜粋記事  》見てみる







<WEP俳句通信>




およそ日刊俳句空間  》読む
    …(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々 … 
    • 3月の執筆者 (柳本々々・渡邉美保) 

      俳句空間」を読む  》読む   
      …(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子
       好評‼大井恒行の日々彼是  》読む 






      筑紫磐井 新刊『季語は生きている』発売中!

      実業広報社




      題字 金子兜太

      • 存在者 金子兜太
      • 黒田杏子=編著
      • 特別CD付 
      • 書籍詳細はこちら (藤原書店)
      第5章 昭和を俳句と共に生きてきた
       青春の兜太――「成層圏」の師と仲間たち  坂本宮尾
       兜太の社会性  筑紫磐井

      【抜粋】〈「俳句四季」4月号〉俳壇観測183・虚子の不思議な心理 ――虚子の写生文の表面と裏面 筑紫磐井

      ●本井英『虚子散文の世界へ』(二〇一七年五月ウエップ刊)
         虚子の俳句作品、評論や俳話は、その全体を知る人は少ないものの俳人である限りは一部は必ず読んだことがあるはずだ。そこに登場する「客観写生」「花鳥諷詠」「存問」などは重要なキーワードとして、現代俳句においても、伝統・前衛、社会性などと並んで必須の概念となっている。
         ところで、虚子は俳句や評論に劣らぬ多くの散文を残し、それらは、「写生文」と呼ばれている。本井英『虚子散文の世界へ』(このたび俳人協会評論賞を受賞した)は、この写生文を総括した論集である。俳句作品や評論に比べて、虚子の写生文に対する注目が薄いことへの本井の義憤のようなものも感じられる。
         本井は、高濱虚子全集の小説篇・散文篇が散文世界全体に目配りしたといい難く珠玉の作品を落としてしまった、筆者の把握している限り一千編を超えているという。実際虚子自身は自らの略歴に「活字となりたる文字の多きことおそらく世界一なるべし」と豪語している。ここまで言う人はおるまい。
         この本の有難いのは、特定の写生文作品を深く読み込むというよりは、出来るだけ多くの代表作品(五十数編)の概要とポイントを摘出してくれている点である。今日風に言えば虚子写生文データベースとなっていることである。これにより虚子の写生文における全体的な関心と特徴が浮かび上がってくる。虚子の精神活動の全貌が表われているのだ。この作業があって、初めて後続者も色々な考察を加えることができる。
      もちろん五十数編の主要なものには本井の独自な目が光っているのだが、やはり何といっても全体構成が優れているのが特徴だ。それは、これだけの虚子の写生文を現代にあって読み通す人はいまいと思われるからである。我々はその全体知に参加する喜びを得る。
       しかしこれを読んで感じるのは、虚子が想像にまして複雑な人物であるということである。そしてその作品も複雑な作品である。
      これは私の偏見だが、虚子の写生文には、文章の技法は卓抜しても、文学的感動の本質が欠落しているように見える。これは、何も虚子を否定しているのではない。写生文は文学の一部である必要はないし、文学の外側にある部分と内側にある部分を持っているからだ。写生文を文学に言い換えたり、文学を写生文に言い換えたりする必要はないのである。
         関東大震災に当たって、虚子は、俳句で震災を詠むべきではない、しかし文章こそその独壇場であると写生文を勧めている。本井の本には入っていないが、虚子の震災記録を読むと、写生文の「写生」は真実を写すと思っていたがどうもそうではないらしい。写生文は客体を描写するのだが、そこには選択や解釈が混じっており、被災者や地震の悉皆を写しているわけではない。確かにそこには卓越した表現技術があるが、そこで描かれているものは客観的事実ではなくて、写している筆者(虚子)の主観である。とりわけ虚子という奇怪な作者の主観が映し出される。虚子の文章がしばしば真偽が疑われる(例えば杉田久女の件)のはそうしたところにある。『虚子散文の世界へ』を読むと迷路のような虚子の心理を伺う手がかりが見えてくる。
      (以下略)

      ※詳しくは「俳句四季」4月号をお読み下さい。

      【新連載・西村麒麟特集2】麒麟第2句集『鴨』を読みたい4 ある日の麒麟さん句会  服部さやか

       このほど、ご縁があって麒麟さんの句会にお邪魔している。何かとぼんやりしているので、麒麟さんが様々な賞を取られている実はすごい人だということに気づいたのは句会に行き始めてからで、もう少しでもその事実をしっかり認識していたら、こんな心持ちでは参加していなかっただろうなとつくづく思う。
       句会での鑑賞にしてもメンバーの方々との差は歴然。しかし、何も考えずに飛び込んでしまったのだから、ある意味当然であり大して気にしていない。そんなポジションの私が、句会でいかに伸び伸びと鑑賞(というよりも感想)をしているかというと、こんな感じである。

      水槽の中緑なる西日かな

       最初、西日=赤のイメージで、緑と赤の色彩コントラストが鮮やかな句だなと思ってしまったのですが、水槽の中のただ濁ったような緑色が光にさらされることで水草のうごめきに変わり、生命のある様がふわっと浮き上がってくるような感覚で素敵な句だなと思います。

      白とも違ふ冬枯の芒かな

       白ではないですよね。やわらかい光の色なのかどうか。と、そんなことを考えながらそうした風景の中にいる自分、という映像が浮かんできました。

      炎昼や地図をくるくる回しつつ

       方向音痴の人は地図を回すといいますよね。暑い中、すごく迷って大変だなと思うとともに、「炎昼」なので周りの景色が白く飛んで、迷っている姿だけがクローズアップされてくるのがいいなと思います。

      水中を驚かしたる夏の雨

       水泳の授業を思い出しました。水の中にいると雨だとは一瞬わからず、何が起こったのかと不思議な思いにとらわれたりしますが、水中で雨を感じることができるのは、やはり夏・・・。(と最初の文に戻ってゆく。)

      電球の音がちりちり蚊帳の上

       ちりちりという電球の音で表わされる夜の暗さや静けさ。暗闇に電球のわずかな光だけがあるような。そして、ただ電球を見上げているのかと思いきや、ふと蚊帳の中に入ってしまっているというワープみたいな感覚がおもしろくてよいなと。

      雛納め肌ある場所を撫でてをり

       こういうのは無意識の行為なのでしょうか、ほのかな好意に対しての。髪や着物ではなく肌。その質感や感触といったものが雛への心の距離感のように感じられ、この何気ない仕草にとても共感できます。

      秋風やここは手ぶらで過ごす場所

       手ぶら=何も持たないことは「無心」とは違うけれど、他の季節のように風に感情を抱かず、心に何も持たないで風だけをただ感じることができるのは秋なのかなと。何もないことの自由さを感じます。

      無き如く小さき川や飛ぶ螢

       「無き如く」にわずかでも、流れていれば水と認められる。水があるところには生命があり、そこへ螢。何か生命の神秘のように思えました。

         随分自由に書きました。
       場違いな所に来てしまったなと思いつつも、あまり気後れせずに感想を述べることができるのも、偏に麒麟さんの大らかな人柄や句会メンバーの温かさのおかげである。文法や俳句の形式的なことで誤った解釈をした場合でも興味深く耳を傾けてくれ、修正すべきはやんわりと、しかし否定するようなことは決してない。国語の問題のように、読み方としての正解はあるのだろうけれど、「思うことは自由」といった「自由さ」を残してくれている。この『鴨』という句集にしても、「全然違うよ」と思われる読み方をしているかもしれないが、自由に、思いのままに麒麟さんの世界を楽しむことを許していただきたいなと思う。

      三橋敏雄『眞神』を誤読する 112. 戦歿の友のみ若し霜柱 / 北川美美



      112)戦歿の友のみ若し霜柱

      敏雄は戦没者を悼む句を多く詠んだ。戦争で命を落とすのは若者ばかりだ。帰還兵は戦没の友よりも歳を重ねていく。戦中派にしかわからない寂寞とした何かが漂う。

      「霜柱」の「柱」が持つ国家、家、その他の集合体を支える意味に注目したい。何万もの民で国を支えた若き兵は、支柱としての地表を支える霜柱の形状と被っている。ザクザクと踏み潰される音が軍隊行進と重なり、脳裏に音が残る。戦没者、戦友の句と思われるものを引いておこう。

      戦亡の友いまあがりくる夏の浜 『まぼろしの鱶』
      年下の友死ぬ夏のはじめかな 『鷓鴣』
      手をあげて此世の友は来たりけり 『巡礼』 
      戦争戦災死者の蛍火と言ひつべし 『畳の上』 
      當日集合全國戦没者之生霊 『しだらでん』

      三橋敏雄『眞神』を誤読する 111. 緋縮緬噛み出す箪笥とはの秋  / 北川美美



      111)緋縮緬噛み出す箪笥とはの秋


      緋縮緬(ひぢりめん)は緋色の縮緬で主として長襦袢に用いられた。緋色の長襦袢は、月経の鮮血を目立たなくすることもあるが、遊女が着用するのが相場になり妖艶な女性を連想させる。


      緋色は赤であり『眞神』には〈赤〉が多く登場し、赤は敏雄にとりテーマカラーでもあった。

      鬼赤く戦争はまだつづくなり(2)
      霧しづく体内暗く赤くして(24 
      やまかがし窶れて赤き峠越ゆ(52 
      身の丈や増す水赤く降りしきる(79

      敏雄には緋色ではなく白い腰巻を詠んだ以下のような凄い句もある。といっても現在は独身女性に求められる処女性というのは時代とともに変化しつつあり、白い腰巻が白いままでも、びっくりしないという時代の価値観のズレがあるにはある。


      大變や白腰巻は白きまま 『鷓鴣

       ※ちなみに2018年版「俳誌要覧」(東京四季出版)の 「この大家・ベテラン俳人を読め」にて福田若之さん激賞の高橋龍大變や生みし子の子を産む良夜」(P13,P33-35)は先行する敏雄句「大變や」を承知で倣った句ということになる。 高橋龍氏は敏雄句に精通している。


      掲句、「とはの秋」が何故「永久の秋」では無く仮名表記なのかということを考えてみたい。

      「とは」について言葉の長い歴史の変遷がある。「とわ(とは)」【常・永久】の前段階の語である「とことわ」の語誌に「とこ」が永久不変の意味であり、平安以降ハ行転呼音をへて「とわ」の形となり、「とこ」が脱落し、今日の「とわに」に至っているとある。

      掲句も「とはに秋」でもよかったのではないかと思う節もあるが、敏雄の中では「永久」を「とは」と読むことは困難なのである。事実、ルビをほとんど振らない敏雄がルビを使っているのである。

      さし湯して永久(とは)に父なる肉醤(にくびしほ)95

      漢字「永久」を使う場合は、読みは「とは」が敏雄にとって自然なのだろう。







      【新連載・黄土眠兎特集】眠兎第1句集『御意』を読みたい2 つくることの愉しみ 樫本由貴

         『御意』はまさしく座で育まれた句集だ。読むものを構えて待つような句はほとんどなく、読まれることを静かに待つおおらかさがある。

         早速句を見てゆく(句集内、使用してあるのは多く正字)。
         かろやかに詠まれる実感の喜び。

      子の息を吸ふ窓ガラス冬満月
      朝寝して鳥のことばが少しわかる
      一日は案外長しつくづくし
      うかうかとジャグジーにゐる春の暮


         家族との距離の近さ。一句目、「子の息を吸ふ」といわれれば、その甘い、子供独特の吐息が想起される。二句目、「朝寝」の贅沢さは言わずもがなだろう。「鳥」「ことば」「少し」「わかる」の表記、本当に「少しわかる」感じが伝わってきて、甘さがない。
      気取らない句の成りも好ましい。三句目、「案外長しつくづくし」の音の楽しさ。四句目、「うかうかと」とあれば、自覚しながらもやめられない怠惰さを愉しんでいるのは明白だ。

         目に映るものはかろやかさだけではない。〈まだ熱き灰の上にも雪降れり〉の句のように、まなざしと表現は対象によってしっかりと切り替わる。

      母に告ぐ櫻の芽吹きありしこと
      目をつむるだけの参拝夏衣
      頬杖をとくまでの黙風邪心地


         一句目、「芽吹きありしこと」の「ありし」、すでに見つけてあったそれを、母を連れ出し耳打ちする、その喜び。「告ぐ」という語がそれを支え、かつ、さくらそのものを見られない母が浮かび上がる。二句目、外から見ただけの句ではない。一通りの方法をとらない人のなかにある沈深を、作者はわかっている。三句目、これは繊細な実感だ。もう言うことは決まっているというのに、口を開くまでのだるさ、ためらいによって流れ出る憂いが「黙」にある。

         彼女の句は足と目で書かれているのが如実だ。だから収められている句そのものには温度差がある。この落差が、句を統べる。このようにまとまったことこそが、自然と彼女の座と、足と目への真摯さをうかがわせる。

         黄土眠兎がこの句集に込めたのはあとがきにあるとおり「読んでいただいて面白いものにしたいという思い」だ。これは師への思いや句友への思いに枝分かれしてこの句集を成している。そこに大仰な心構えも、何かへの挑戦の意志も心情も述べられてはおらず、ゆえに記念碑的な意味で編まれたとだけ、この上梓を捉える向きもあるだろう。一方でこの句集の制作の過程を知り、実物を手にして私が感じたのは、本を作る過程そのものの楽しみだ。これはとんでもなく尊いことだと思う。俳句を詠む、書くことには作家それぞれ貫く芯があり、そのあかしとして差し出される句集というものは、負うものが大きすぎて、私は時に苦しささえ感じることがある。しかしこの句集が前面に出すのは、作ることの楽しさだ。この句集の制作過程はFacebookで時折報告され、あと少しで出来となるころには「字が植えてあるだけでいい」と彼女は零されていた。投げやりのようなこの言葉も、一冊を作るために奔走したゆえに漏れる一息だと思うと感慨深い。こういうことが伝わる本というのは珍しいと思う。
         このような“裏側”を知っているうえで句集を語るのは評論にそぐわないかもしれないが、本を作る純粋な楽しみが句集を編む中にあることを、最後に記しておきたい。


      2018年3月9日金曜日

      第85号

      ●更新スケジュール(2018年3月23日)

      *発売中*
      冊子「俳句新空間」No.8 
      特集:世界名勝俳句選集
      購入は邑書林まで

      第4回攝津幸彦記念賞発表! 》詳細
      ※※※「豈」60号・「俳句新空間」No.8に速報掲載※※※

      各賞発表プレスリリース
      豈60号 第4回攝津幸彦記念賞発表 購入は邑書林まで



      【巻頭急報】兜太逝く   筑紫磐井



      平成二十九年 俳句帖毎金00:00更新予定) 
      》読む

      平成三十年 歳旦帖

      第一(3/9)網野月を・堀本吟・仲寒蟬・坂間恒子・小野裕三・神谷 波・杉山久子


      【歳旦帖特別篇】金子兜太氏追善
      》読む

      (3/9)小沢麻結・竹岡一郎・小野裕三・早瀬恵子・杉山久子・神谷 波・真矢ひろみ・水岩瞳・渕上信子・池田澄子・中山奈々・木村オサム・浅沼 璞
      (3/2)辻村麻乃・曾根毅・月野ぽぽな・五島高資・北川美美・島田牙城・豊里友行・加藤知子・仲寒蟬・神山姫余・佐藤りえ・高山れおな・筑紫磐井


      平成二十九年 冬興帖

      第八(3/2)中西夕紀・北川美美・西村麒麟・佐藤りえ・筑紫磐井・羽村美和子・浅沼 璞・五島高資・高山れおな
      第七(2/23)岬光世・依光正樹・依光陽子・加藤知子・関悦史・小林かんな
      第六(2/16)真矢ひろみ・川嶋健佑・仙田洋子・仲寒蟬・望月士郎・青木百舌鳥・下坂速穂
      第五(2/9)ふけとしこ・花尻万博・田中葉月・渡邉美保・飯田冬眞・池田澄子
      第四(2/2)中村猛虎・小野裕三・山本敏倖・椿屋実梛・水岩瞳・近江文代
      第三(1/26)内村恭子・曾根毅・神谷波・渕上信子・大井恒行・前北かおる
      第二(1/19)松下カロ・岸本尚毅・林雅樹・早瀬恵子・杉山久子・木村オサム
      第一(1/12)小沢麻結・夏木久・辻村麻乃・堀本吟・網野月を・坂間恒子



      【新連載・黄土眠兎特集】
      眠兎第1句集『御意』を読みたい
      1 『御意』傍らの異界   大井さち子  》読む


      【新連載・西村麒麟特集2】
      麒麟第2句集『鴨』を読みたい
      0.序に変えて   筑紫磐井  》読む
      1.置いてけぼりの人  野住朋可  》読む
      2.ささやかさ  岡田一実  》読む
      3.乗れない流れへの強烈な関心  中西亮太  》読む


      【新連載】
      前衛から見た子規の覚書  筑紫磐井 
      (1)子規の死   》読む
      (2)子規言行録・いかに子規は子規となったか①   》読む
      (3)いかに子規は子規となったか②   》読む
      (4)いかに子規は子規となったか③   》読む
      (5)いかに子規は子規となったか④   》読む
      (6)いかに子規は子規となったか⑤   》読む
      (7)いかに子規は子規となったか⑥   》読む
      (8)いかに子規は子規となったか⑦   》読む
      (9)俳句は三流文学である   》読む
      (10)朝日新聞は害毒である   》読む
      (11)東大は早稲田に勝てない   》読む
      (12)子規別伝1・子規最大のライバルは落合直文   》読む
      (13)子規別伝2・直文=赤報隊・東大古典講習科という抵抗   》読む





      【現代俳句を読む】
      三橋敏雄『眞神』を誤読する
         110. 喉長き夏や褥をともになし / 北川美美  
      》読む






      ●【読み切り】思いだす人々――坂巻純子(筑紫磐井)  


      【抜粋】
      <「俳句四季」3月号> 
      俳壇観測182/福永耕二は永遠に――第一世代の回想・第二世代の論考
      筑紫磐井 》読む


      • 「俳誌要覧2016」「俳句四季」 の抜粋記事  》見てみる






      <WEP俳句通信>




      およそ日刊俳句空間  》読む
        …(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々 … 
        • 3月の執筆者 (柳本々々・渡邉美保) 

          俳句空間」を読む  》読む   
          …(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子
           好評‼大井恒行の日々彼是  》読む 






          冊子「俳句新空間 No.7 」発売中!
          No.7より邑書林にて取扱開始いたしました。
          桜色のNo.7


          筑紫磐井 新刊『季語は生きている』発売中!

          実業広報社






          題字 金子兜太

          • 存在者 金子兜太
          • 黒田杏子=編著
          • 特別CD付 
          • 書籍詳細はこちら (藤原書店)
          第5章 昭和を俳句と共に生きてきた
           青春の兜太――「成層圏」の師と仲間たち  坂本宮尾
           兜太の社会性  筑紫磐井

          三橋敏雄『眞神』を誤読する 110. 喉長き夏や褥をともになし   /北川美美



          110. 喉長き夏や褥をともになし

           「喉長き夏」が難関だ。それが「すっきりと抜けていかない違和感のある夏」であれば、今までの読みであれば、おそらく、敗戦の夏のことではないだろうか。

          喉は咽頭という身体の部位で、その表現には通常〈太い〉〈細い〉が使われる。しかし長さの表現は伴わないだろう。慣用句に「喉が長い」という表現は無い。敏雄は言葉から想起する感覚を逆行し、その感覚を身体部位に当て嵌めていく。

          例えば「喉越し爽やか」の措辞は肯定的なもので、それは、喉を通る時の感覚だ。「喉が長い」感覚とは、「喉が詰まる」感覚に近く、何かが喉を抜けていかない違和感が続いていることに近くないだろうか。

          また「褥(しとね)」とは敷物のことで、源氏絵巻にも描かれ、古くから文学的表現の中に登場してきた。加山雄三の歌、「君といつまでも」の歌詞に「〽優しくこの僕のしとねにしておくれ・・・」というサビ部分の<̪シトネ>は、子供ながらに耳には残っていた。安らかで心地よく安らかに身体を横にすることができるものの代名詞として受け止めたい。

          したがって、<褥をともになし>とは、やすらぐことができない、誰もやすらげない苦痛を言っているのだろう。

          この「褥(しとね)」という古語を駆使出来るのは、三橋敏雄と岩谷時子(作詞家・越路吹雪のマネージャーでもある)の大正生まれの世代だからだろうか。


          しかし、「喉長き夏」は理解し難い措辞、読者の独断でしか解せない措辞だ。敏雄はそれでよかったのだろう。意味などどうでもよい、俳句は見るもの、というビジュアルの問題ではなく、掲句はその感覚が何かを知りたいくなる。

          掲句は、十七句目〈眉間みな霞のごとし夏の空〉の「霞」と同様に、戦前と戦後で真逆になった現実的な心の苦痛を身体に当てはめ嘆いていると解釈する。

          【新連載・黄土眠兎特集】眠兎第1句集『御意』を読みたい1 『御意』傍らの異界  大井さち子

          句集とは不思議なものだと思う。
          一句一句それぞれ独立した世界を持ちつつ、まとめて一冊となり、
          一つの名前を与えられる。
          編集者である眠兎はそこに
          「読んでいただいて面白いもの」という魔法のエッセンスを振りかけた。

          冬帽を被り棺の底なりき
          大寒の星の匂ひを嗅ぎにゆく


          冬帽を被って棺に横たわるのは誰なのか。
          棺の中を覗き込むように始まる一句の中に微妙な捻じれが生じ、
          いつの間にか自分が棺の底にいる。
          そして、同じページに並んだ句を読んで読者は昇天し大寒の星空に放たれる。
          これは眠兎のトリックである。
          棺を出て、星の匂いを嗅ぎに行こう。

          十数へ鬼となる子や落葉焚

          声を出してゆっくりと数えているうちに
          一緒に遊んでいた仲間はそれぞれ散って行った。
          目をあけるとそこは森閑とした異郷。
          この子はかくれんぼの鬼となって十数えていたのではない。
          数え終わり、鬼になったのだ。
          眠兎の句はさらっと読むとそのまま読み進んでしまう。
          しかしちょっとした仕掛けがあり、
          違和感のような扉を開けると魅力的な異界が広がる。
          そこに気づくと眠兎の句がぐんと面白くなる。
           
          生前の指冷たかり紙漉女

          和紙作りは寒い季節に適しているという。
          沈もうとする楮の繊維を水に浮遊させるためにネリが必要なのだが
          そのネリは水温が高いと切れやすい。
          寒い冬は薄く上質なものができるようだ。

          女は毎日紙を漉く。
          それは紙を漉くという作業であると同時に水と語らう時間でもある。
          そしてこのページにもオチの句が用意されている。

          雪女腕疲れてしまひけり

          句集にエンターテイメント性を持たせたい眠兎ならではの配置であり
          遊び心であろう。
          水に冷え切った指で暮らした女は死後、雪女となる。

          さびしからずや南極の火消壺 

          どういういきさつでこの火消壺は南極に置かれたのだろう。
          実際に南極にあるのか私は知らない。
          眠兎もおそらく知らないのではないか。
          しかし彼女はその火消壺が南極にあるのだと感じている。
          知らないが感じているのだ。
          「さびしからずや」
          遠く日本の地より思う。
          「さびしからずや」
          深く深く思う。
          それはまるで酒と旅の歌人若山牧水のさびしさのように。

          幾山河越えさり行かば寂しさの終えなむ国ぞ今日も旅ゆく 牧水
          いざ行かむ行きてまだ見ぬ山を見むこのさびしさに君は耐ふるや 同


          旅の果、今火消壺は南極にある。
          そして眠兎はじーんじーんと火消壺を感じる。
           
          鷹は抒情の系譜に繋がる結社である。
          眠兎の抒情句も忘れてはならない。

          ひと揺れに舟出でゆけり春の虹
          円窓に月を呼び込むための椅子
          雪来るか落葉松の照海の照


          美しく豊饒な世界である。

          (黄土眠兎第1句集『御意』の鑑賞特集が開始されます。)

          【新連載・西村麒麟特集2】麒麟第2句集『鴨』を読みたい3 乗れない流れへの強烈な関心 中西亮太

           麒麟さんの句集をどう切り取るか。明るさと暗さ、俗と雅…。多くの句集がそうであるようにこの『鴨』も多様に語ることができる句集であったと振り返る。
           僕が興味を持った句の中で描かれる人物(麒麟さんだろう)は「流れ」に乗れない。

          ささやかな雪合戦がすぐ後ろ
          友達が滑つて行きぬスキー場
          踊子の妻が流れて行きにけり


           『鴨』のベースになったとも言える北斗賞受賞作「思ひ出帳」を鑑賞した際、僕はこうした句を「ポジティブな諦観」を表現したものとして解釈した(※1)。出来事の渦中にいないことを「画」にして切り取り、ある種の開き直りを見せることで句を作る技法として捉えたのだ。つまり出来事や流れに「乗らない」という態度による句作である。
           しかし『鴨』を読み進める中で、作中人物は流れに「乗らない」のではなく「乗れない」と捉えたほうがよいのではないかと思うようになった。『鴨』で描かれる人物は流れに乗らないという強気な選択を行う人物には思えない。むしろあまりにも弱々しい人物が描かれているように思えるのだ。

          我を狩るつもりの大き蟷螂よ


           本当は「雪合戦が羨ましい」「一緒にスキーを滑りたい」「踊りを踊りたい」…。ポジティブな諦観という技法によって描かれる人物は、その技法に反比例するように出来事や流れへの強烈な関心を持っているようにさえ見える。

          雪の日や大きな傘を持たされて

           こう解釈すればこの「雪の日や」の句も、傘を持たされる背景にある出来事への強烈な関心を読み取ることができる。
           ところで、こうした作中人物に共感する人は多いのではないだろうか(僕はとても共感するのだが…)。目の前の出来事に関心を持っているものの、空気や流れを読みすぎてしまう。「一緒にやろうよ」と誘われれば幸い。最後は流れに乗れず孤独を感じてしまうのである。

          禁酒して詰まらぬ人として端居

           以上、句に潜む技法とそれによって反比例的に描かれる作中人物の感情を解釈してみた。書き終えてみると、『鴨』の持つポテンシャルを描ききれないことに悔しさを感じる。拙い文章ではあるが『鴨』の一面を描いたと信じて筆を止めたい。
          最後に、麒麟さん、句集上梓おめでとうございます。引き続きよろしくお願いいたします。

          ※1中西亮太「喚起する俳人」
          https://sengohaiku.blogspot.jp/2017/05/kirin2.html



          【新連載・西村麒麟特集2】麒麟第2句集『鴨』を読みたい2 ささやかさ 岡田一実

           ずっと昔から麒麟さんを知っている気がする。というのは俳句ウェブマガジン「スピカ」の「キリンの部屋」の初期からの読者だったからだ。「キリンの部屋」はご存じの通り、麒麟さんの日常や周辺を描いた「枕」から始まる。長年その「枕」のファンだった。なので、好みの女性像(いわゆる菩薩顔)がわかるし、苦手なこと(珍しい料理を食べ慣れないところで食べるとか)も知っている。アルファベットで表される友人の俳人たちもだいたい想像できる(ただし、現実感があるかといえば、夢の中の話のようなエピソードが多い)。名人の落語家のように面白い「枕」をさっと切り上げて本題に入るスタイル、本題へのツッコミのようなコメントもまた面白かった。
           去年の秋、上京する際に連絡を取ってお食事することになった。ずっとわくわくしていたし緊張もしていたのだが、お目にかかると「ああ、知っている麒麟さんだな」と思った。「キリンの部屋」の麒麟さん、そのままの正直で楽しい人だった。
           「正直な印象」。それはその後送って下さった第二句集『鴨』でも感じた。虚勢を張ったところがない。丁寧に趣向を届けている。

          ささやかな雪合戦がすぐ後ろ 麒麟

           ささやかだな、と思う。「ささやかな」と書いてあるのだからそうなのだけど、ささやかな賑わいをただ察知している姿、自分はその賑わいには加わらないという距離の取り方が、孤独感、というと言い過ぎかもしれないが、「ひとり」な感じを浮き上がらせる。
          こういう「ひとり」な感じの句は割と多い。

          栃木かな春の焚火を七つ見て 麒麟

           この句も「ひとり」な感じがする。「見て」という感覚が個人的だということもあるかもしれないが、「栃木」という土地の響きが《栃木にいろいろ雨のたましいもいたり 阿部完市》などの先行句のイメージは引きつつ、読者には必然性がわからない個人的に思い入れのある場所のように感じるからだろう。
           もちろん「俳句」という形式が「ひとり」の感慨を表出するもの、ということはあるかもしれない。しかし、その感慨がささやかであればあるほど個人的な印象を与え、読者はいわゆる「共感」とは別の驚きと興を感じながら句の世界に入っていくことになる。

          嫁菜飯宿の暗さも気に入つて 麒麟
          大鯰ぽかりと叩きたき顔の 
          紫陽花や傘盗人に不幸あれ
          夕立が来さうで来たり走るなり
          灯籠の苔の感じも秋らしく
          冬の雲会社に行かず遠出せず
          学校のうさぎに嘘を教えけり


          「気に入つて」という好み、「叩きたき」という欲望、「不幸あれ」という願い、「走るなり」という勢い、「苔の感じ」という大雑把な把握、「行かず」「せず」という意思、「嘘を教えけり」という面白がりよう、どれもささやかで個人的で「ひとり」という感じがする。
           麒麟さんの「ひとり」感は寂しそうではない。自分の心の動きを楽しげに明瞭に描いているからだろう。

          きらきらと我の思考や桜餅 麒麟

           この自己肯定感。「ひとり」であることのきらめき、美しさを屈託なく受け入れることによって、「ひとり」であっても暗くも寂しくもさほどない開かれた世界と感応できるのだと思うと、すこし羨ましくもある。

          【新連載】前衛から見た子規の覚書(13)子規別伝2・直文=赤報隊・東大古典講習科という抵抗/筑紫磐井

          【年譜①感想】
           7歳の差は、直文と子規に全く別の人生を歩ませる。特にその素養に於いて、子規の漢学に対し、直文の国学が対立していた。
           また、子規にもナショナリズム意識は強くあったが、直文のナショナリズムは「反骨」のナショナリズムであった。その意味で、子規の頭の上がらない陸羯南(日本新聞社社長)、国分青崖(日本新聞の文芸欄を担当した当代一流の漢詩人)と同様であったのである。子規のような第二世代のナショナリズムと違う鬱屈があったのである。
           ナショナリズムに関係する話題を掲げておく。

          (1)薩摩浪士隊から赤報隊へ
           慶応3年、江戸三田の薩摩藩に結集した500名の浪士(この中に落合直文の義父落合源一郎直亮がいる)は西郷吉之助(隆盛)の命に従い江戸市内攪乱のため江戸城二の丸に放火するなどテロを行う。これを受けて幕府軍が三田薩摩邸を攻略し、衆寡敵せず薩摩邸は焼け落ち、多くの浪士が討ち死にしたり捕縛されたりしたが、一部はこの時海路をたどって辛うじて京都に帰着した者もいた。この時の、脱出した薩摩浪士隊総監が小島四郎将満(相良総三)、副総監が落合源一郎直亮(水原二郎)であった。京都で二派に分かれた浪士隊は、相良を中心に赤報隊を結集し江戸へ進軍し、落合ら一部は岩倉具視の幕下に残った。この経緯はよく知られているように、新政府の方針に従ったにもかかわらず、租税半減の布告をみだりに出したという罪で「偽官軍」とみなされ、下諏訪で鎮撫総督である(岩倉具視の子)岩倉具定によって処刑梟首された(有名な「赤報隊事件」)。怒った直亮は岩倉具視の暗殺を企てるが、明治天皇の父孝明天皇を毒殺したといわれる怪物岩倉にとても敵するものではなく、かえって言いくるめられ相良が刑死した伊奈県の大参事に栄転させられた(この地で直亮は相良らのために魁塚を立てている、刑死者に対しては異例の扱いであり、直亮の反骨精神がよくうかがえる)のち、半年でこれを失脚させられ(前田は、明治4年に政府を転覆しようとした第2維新事件との関係を推測する。)、官途を絶たれて宮城県の塩釜神社宮司となった。明治維新に貢献した草奔諸隊の末路はおおむねこうしたものであったらしいが、とりわけ岩倉具視の非情と、相良・落合の不運がこれでよく分かる。後年落合直文が筆記した義父(直亮は神道仙台中教院統督時代の教え子の直文と長女松野を婚約させる)の伝記では「薩藩のために走狗となりたるのみ」と言わしめている(「白雪物語」)。落合直文はこうした義父に育てられたのである。

          (2)東京大学文学部と古典講習科
           東京大学に入学したのち、直文も不条理な扱いを受ける。入学直後、突然直文は徴兵を受けるのである。当時大学生は徴兵の免除を受けることができたから、いかにも不可解な徴兵であった。この事情はいまだに分からないミステリーである(朝敵の伊達藩で処罰された実父を持つこと、義父の様々な岩倉具視暗殺未遂や反乱事件なども影響したのではないかと私は思ってしまう)。加藤弘之総長を含め東京大学を挙げての大問題となったようだ。ただ徴兵は撤回されず、いずれにしろ、3年間の兵役は直文の勉学にとり大きな打撃であった。ただ、子規と違うのは、営内でも勉学を続け、退役時には東大古典講習科の卒業者の誰に劣らない学力を示したことである。本質的に学問の人であった。
           このため退役後は、ただちに皇典講究所(国学院の前身)の講師などを務め、「東洋学会雑誌」にも寄稿する。この雑誌に掲載されたのが、かの「孝女白菊の歌」であった。直文の文名を一躍高からしめた作品である。「孝女白菊の歌」については次回述べることとし、ここでは、大学の関係について述べよう。
           「東洋学会雑誌」は東京大学古典講習科関係者の創刊した雑誌である。類似の名称の雑誌に「東洋学芸雑誌」があり紛らわしいが、これは東京大学文学部系の雑誌で、前述の井上哲次郎らが編集をしており、『新体詩抄』の作品の一部もこの雑誌に掲載されている。
          このように、当時の東京大学は正統派の文学部と、江戸時代の国学派の系統を引いた小中村清矩(『歌舞音楽略史』で有名)、久米幹文らの教師を中心とした古典講習科の新旧二派に対立していた。官学派・正統派と旧派といってもよいかも知れない。古典講習科は明治15年に創設され、直文はその第1期生であったのだが、やがて、明治21年にこの科は廃止されるという短い運命であった。直文の不条理な徴兵という事件も含めて、古典講習科にはそうなる宿命の暗い事件が幾つかあったようである。
           正統と旧派といったが、これは飽くまで官学派が西洋的な分析的研究手法に則っていると言うまでの話であり、古典講習科は、国学者が集まっているだけに研究と実作を伴う総合的学問と見てもよいのではないかと私は思う。
           正統文学部の系譜は、その後上田万年・三上参次・芳賀矢一・藤岡作太郎と続くが、古典講習科には『於母影』の協力者であった落合直文・市村瓚二郎や、池辺(小中村)義象・佐々木信綱・和田英松などがいた。そしてこれらの学生や教師が後の国学院大学の源流となるのである。
           そして後者の代表の一人として、直文は席を暖める暇もない程に講演や授業で奔走していた。森鴎外が接近したのも、官学派ではなく在野の古典講習科関係者であったようだ。
             *     *
           先に子規の東大批判を述べたが、同じ東大文学部批判と言っても、子規の時代では既に大学の枠組みができあがっており、これをもとに東大文学部批判をしているにすぎない(東大対早稲田)。しかし直文にあっては、東大の文学部派と古典講習科との対立のさなかにあり、学系形成の過程で、ようやく在野派の色彩を強めつつあったのではないかと思われる(古典講習科は国学院に協力した人が多いから、いってみれば「東大対国学院」の対立といえようか)。